2011年1月25日火曜日

教師について

三石博行


教師をしてもう16年が経つ。このごろ、教師という職の意味が少し理解できるようになった。

私に教師とは何かを教えてくれた一人の人間、小田原洋八郎先生、先生は2006年に肝臓がんのために亡くなられた。

その前に、教え子たちが、先生へのメッセージを書こうと、立ち上がり、中心となった山中正人君が、メッセージ集とその朗読をCDに焼いて、先生に渡した。先生は、「これは私の宝だ」と言った。

私は、高校時代、担任だった小田原先生にもっとも反抗した生徒であった。

そして、もっとも理解し合えた人間であった。なぜなら、それは、先生が人間として私に対して真剣に向き合い、ぶつかり合たからだと思う。

教えるためには、対等でなければならない。

教えることは、それは共に学ぶことを理解しておかなければならない。

そう思う。



まだまだ、教えてほしいことがある


二00五年四月六日 三石博行




一年一組、五月
机ごと生徒を外に引きずり出そうと顔を真っ赤にして怒る教師
目を三角にして必死に抵抗する生徒
今なら、少年鑑別所行きの不良生徒
今なら、新聞沙汰になる超熱血教師
一九六四年、昭和の地層に埋もれた二つの化石
真剣ザウルスと呼ばれた絶滅種
「教えることと学ぶことは闘いではないか」
化石の残骸は昭和の粘板岩の中から叫んでいた



ベトナム戦争に傷ついた高校時代
ヒューマニスト運動の限界
帝国主義に反対するしかないのか
そう信じた時に、退学勧告が伝えられた
挫折感に充ちた暗い青春のはじまり
二度と、この正門をくぐるまいと誓って出て行った
しかし、長い海外生活から帰って来たとき教師になっていた
あれほど嫌な教師という職に就いていた



「小田原先生が指高に帰ってきているよ」と馬場君が言う
二人で会いに行く
先生は
入試を目指す生徒を真剣にサポートしていた二十代の姿はなく
落ちこぼれの生徒や問題児に愛情を注ぐ五十代の姿になっていた
私は
研究論文や学会発表に追われる元劣等生
学問の体系を夢見る元番長
三十年という時間が二人の姿をまったく変えてしまったのだろうか
しかし、これは絶滅した真剣ザウルスの進化種ではなかったか



最近はやりの学生からの授業評価
学生の機嫌取り、評判取り
教師もサービス満点を目指すホストになった
「信念がない教育は存在しない」、だから「闘争なのだ」と昭和の化石は叫ぶ
学校で最も評判の悪い教師
学校で最も嫌がられている授業
研究中心主義、教師失格
自分の好きなように生きている人間なのだ



「もう、学校、やめるわ。ニ回生に上がられへんもん」
二色茶髪、お尻半分、おへそ丸出しの学生が、朝やって来た
教務に見捨てられたのだ
「そんなことあるものか、あきらめるな」
熱血教師が履修内容を点検
友達も入って、ワイヤワイヤとカリキュラム作り
「やった、万歳、万歳」
三人が叫んだのは夜の八時をすぎていた
濃いアイシャドーの奥に隠れたあどけない目がうるんだ

教師とはいい仕事ではないか
教師とは楽しい仕事ではないか



四十代、教師であって教師を自覚したことがなかった
教師であることに気付いたとき、五十をすぎていた
「三石は、イチテンポおそいからな」
一年一組、十一月
反抗的な生徒をやさしく見つめる教師が言った

まだまだ、小田原という教師に学ぶことがある
まだまだ、小田原という人間に教えてほしいことがある



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