2019年7月19日金曜日

日韓関係を改善する努力とは何か

日韓関係を改善するには、以下の5つの課題を考える必要がある。(1)




第1番目は、歴史を出来る限り正しく学ぶこと。
第2番目は、共通する政治社会経済問題を共に解決すること。
第3番目は、日韓関係の破壊勢力(日韓双方)の理解とその対応を行うこと。
第4番目は、経済文化交流の意味の長期・俯瞰的理解し推進すること。
第5番目は、問題解決を政府に依存しない民間指導のNGO日韓問題解決機構の形成すること。

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1、歴史を出来る限り正しく学ぶ社会システムを作ること 


日韓関係をどう解決するのか。今こそ、その責任を政府ではく日本国民一人ひとりが考えなければならないのではないか。まず、一番大切なことは、歴史問題ではないか。



日本が戦前日韓併合つまり韓国・朝鮮を植民地にしていたという事実である。韓国の人々に日本語を強要し教育したこと、自国の伝統文化、歴史を奪う政策を行ったこと、その事実を自らの立場に置き換えて理解しておかなければならない。この認識をもっているかいないかと言うことは非常に大きい。



例えば、身近ないじめの問題でも、いじめた側がいじめられた人の気持ちを受け止めない限り、いじめ問題が解決しないと同じ構造だると言うなら、理解しやすいと思う。



どのように謝罪するのか、ここで言う認識とは、直謝り(ひたあやまり)をしなければならないと言っているのではなく、その歴史の現実を韓国の側に立って理解し、また同時に当時の日本の側に立って分析することではないだろうか。



問題は事実を確りと受け止める力だと思う。それらの事実を確り伝える文化・教育が問題となっている。もう一度、その点から見直す必要があると思う。そうでないと、歴史を知らない若者が生まれてくることになる。そうでないと、今の日韓問題を表面的に理解することになると思う。



実際、多くの問題が表面的に理解され、そしてその結果として韓国でも日本でも一つ一つの事象が政治利用されてしまっている。例えば慰安婦問題の基本は「戦時中の女性の人権問題」であり、強制徴用工問題の基本も「植民地の人々の人権問題」である。その意味で、これらの問題は基本的人権の問題、平和問題や他国を軍事的に支配しない国際外交問題である。現実に、そうした人権侵害、国権侵害、国際平和胸像の破壊はあるし、起こっている。その意味で、慰安婦問題や強制徴用工問題を理解し、双方の国が普遍的課題として解決する努力を払うことで、これらの歴史的事実への対峙が未来に活かされるのではないだろうか。



日韓関係の歴史問題に目を背けないと言うことは、その事実を出来る限り正確に、つまり社会・経済・政治的に分析すると言うことを意味する。つまり社会科学的な視点を取り入れ、批判的に理解することである。



そうでない限り、被害者の側では被害者意識がナショナリズムの高揚に使われ、結果的にはそれが国家的暴力(ファシズム)の源になる。同時に被害者から批判された国では批判の意味が「単なる言いがかり」と解釈され、「言いがかりを付けられた被害者」となり、同時にその被害者意識による反発が生まれ、その反発がナショナリズムに火をつけることになる。



正しい歴史認識は被害者国韓国(日本の植民地支配を受けたアジア諸国)も加害者国日本も同時に必要である。その意味で、日韓関係改善の第一歩のためには歴史問題を相互に研究するための学術研究機関の発足や形成が必要となり、それらの機関が政治的利害関係から独立していなければならない。それが、基本条件となる。



それを形成することを今の日韓双方の政府に求めることは出来ないだろう。何故なら、双方の政府は全く同じ質で問題を政治利用することしか念頭にないからである。今は、こうした意見は活かされることはないだろう。



しかし、日韓関係を改善しなければならないと思う研究者や市民は、絶対に諦めることなく、未来のための、つまり単に日韓二国間の利害関係に直結するだけでなく普遍的な外交政策として歴史的に評価される方法を考え、実行する努力を続けるべきではないだろうか。

(1)、Facebook 2019/7/10 記載文書



2、現在の共通する政治社会経済問題を共に考えること


第二の課題は、現在双方の社会が共通する社会経済文化問題を考え、協力しながら解決することである。特に、第一の課題は歴史的反省というテーマが付随するため、そう簡単には受け入れられない。そのため、第一の課題の実現は極めて困難であると言える。

第一課題が実現されなければ次の第二課題に行けないということではない。むしろ、第一課題を実現することが困難であるからこそ、より現実の生活や社会の利益と直結する第二の課題を取り上げる方が、より効果的に日韓関係の改善に寄与すると思われる。そこから第二の課題を取り上げる重要な意味を帯びることになると言える。

第二の課題とは、例えば、自然災害、公害問題、再生可能エネルギー・資源問題、民主主義、地域社会活性化、少子高齢化、女性の権利等々。地理的、文化的に共通し、また経済先進国である日本と韓国の双方の社会、経済、文化的課題に関する共同の研究活動や協力関係の構築である。

すでに、これまで、政府機関、民間、大学、NPO、学術団体、文化団体等々、日韓協力委員会をはじめとしてすでに多くの協力関係が経済、産業技術、防災、文化、学術、教育等々、非常に多くの分野で多様な交流で行われている。

政府指導型の日韓交流機関、例えばを内閣府にある日韓防災会議、立法機関では超党派で構成されている日韓議員連盟、経済界では一般社団法人日韓経済協会、文化・学術交流に関する両国有識者間の組織として公益財団法人日韓文化交流基金、この日韓文化交流基金がサポートする日韓文化交流会議、日韓歴史共同研究委員会、日韓新時代共同研究プロジェクトや日韓歴史家会議や日韓の労働運動の連帯組織である日韓労働者連帯等々、非常に多くの組織がある。さらに、日韓両政府間でも日韓秘密軍事情報保護協定、日韓自由貿易協定、日韓漁業協定、日韓社会保障協定等々、多くの国家間の協定がある。

この様に、日韓関係に関する多くの組織や機関を今日まで形成してきた歴史的背景こそ、日本と韓国が地政学上双方にとって無視できない極めて重要な位置にあることの意味を語っているのである。

問題はそれらの機関や組織が、今進行しつつある日韓関係の危機的状況に対して機能していないということである。例えば、紛糾してしまった慰安婦問題や強制徴用工問題に対して、日韓議員連盟はどのような活動を行っただろうか。

また、2001年10月の日韓首脳会談における合意に基づいて、2002年5月に第1期の委員会が発足し、古代史、中近世史、近現代史の3つの分科会で共同研究を進め、2005年6月に日韓歴史共同研究報告書第1期(2002~2005年)を作成し2005年6月にそれを公開し、第2期(2007~2010年)報告書を2010年3月に公開した。日韓双方の専門家による歴史研究は、その後立ち切れとなった。その主な原因として、委員の1人である木村幹は三つの要因を挙げている。一つは「政治的意図の介在」、二つ目は「共同研究の制度的不備」、そして三つ目は「対立を解決する為の手段の準備不足」である。

上記したこれまでの貴重な経験から、繰り返しになるが、第二課題が第一課題、日本の植民地支配によって受けた韓国、韓国人の被害の歴史、日本による韓国の近代化の歴史に少しでも触れることによって、第二課題も極めて難しくなると言うことである。

では、第一課題に出来る限り触れないように第二課題を設定することが戦術的に、社会心理的により良いことであると思える。それらの課題とは、例えば大気汚染等の環境問題、台風や水害、地震等の自然災害対策、教育問題、少子高齢化対策、地域社会問題、育児、ジェンダー、持続可能な社会文化システム、自然エネルギー問題、等々が考えられる。

こうした活動を非政府型、経済界、文化団体、大学、市民団体、地方自治体等の民間及び非中央政府型の組織や機関で行う必要がある。何故なら必然的に国家という組織が介入することで、そして、その国家的イデオロギー、つまり民族主義が無条件に介在し、不可避的に第一課題を語ることが前提条件となり、歴史問題と呼ばれる大きな壁が、双方の活動の間に立ちふさがることになる。この壁によって、壁の両側に遮断だれた日韓両国の異なる解釈が交流することなく、自己増殖し続けることになる。

そして、この第二課題への取り組みは相互に極めてプラグマティズム的、現実的な視点を必要とし、共同作業による相互利益が第一に尊重されなければならない。そのために交流活動が形成される必要がある。最も良い例が、2000年のはじめに行われた日韓文化交流、日本での韓流ブームであり韓国での日本アニメ等や音楽等のブームである。そして、近年の日本や韓国への旅行ブームも大きな意味で人と人の交流、日韓文化交流を生み出していると言える。

日韓両国の市民が身近に交流する機会を増やし続けることによって、双方の政府の民族主義的な分断政策を乗り越える大きな流れが生まれると思う。

(2)、Facebook 2019/7/19 記載文書

3、日韓関係の破壊勢力(日韓双方)の理解とその対応を行うこと


3-1、日韓社会の異なる共同主観・歴史認識 




三番目の課題は、日韓関係の破壊勢力(日韓双方)の理解とその対応を行うことである。事実、日本には嫌韓世論や感情を扇動する組織がある。また、韓国にも反日感情を扇動する組織がある。それらの組織は民族主義を掲げる団体ばかりでなく、国家や政党も関与している場合もある。国家や政党が反感や嫌悪感を政治利用することは間違っている。しかし、このやり方は、長い歴史や他の国々の紛争を見ても政治の常套手段であると言える。そこで、ここでは両国民に事実存在する反感や嫌韓感情の構造分析を試み、それに対する対応を提案について考えてみる。



反日や嫌韓感情は社会心理的な現象である。この集団心理や社会心理のそれぞれの歴史的起源や社会文化的構造に関して分析してみよう。



まず、韓国国民に存在している反日感情について考える。韓国や中国での反日の起源は極めて明確な理由が存在している。1910年8月29日に、「韓国併合ニ関スル条約」に基づいて日本が大韓帝国(韓国)を併合・植民地支配下したことである。この支配は日本の敗戦、ポツダム宣言による無条件降伏をした1か月後の1945年9月9日まで続いた。



仮にロシアが韓国を植民地化した可能性があったとは言え、また、中国(清)が属国として支配し続けたとしても、日本による植民地化がそれらに比べて良かったとか、日本の植民地支配によって大韓帝国の近代化が進んだとかいう解釈もある。しかし、この解釈は植民地支配をされた大半の韓国・朝鮮人の立場からはあまり期待できない。と言うのも、植民地時代に学校では日本語での教育がなされ、近代化や工業化が韓国人の利益のためでなく、日本の植民地支配の利益のためであったことは疑いの余地もないない。



植民地政策・日本化とは、朝鮮民族にとって、西暦紀元前2333年から存在したと言われる古代朝鮮国家・檀君朝鮮(だんくんちょうせん)の神話を民族のアイデンティティとして持つ誇り高き伝統や民族文化が蹂躙されたていたことを意味する。民族の誇りを蹂躙された歴史がある以上、反日感情が生まれるのは自然である。しかし、他方で、植民地支配を直接経験していない戦後生まれの人々、その子供たちまでも反日感情を持つこと理解できないと日本の人々が言うかもしれない。このことを理解するためには、自我とは何かという課題に触れなければならない。



(3)、Facebook 2019/8/7 記載文書




3-2、自我の基本を構成する民族意識・歴史認識とは何か・反日感情の構造




自我とは自己に対する理想や自己の現実に対する意識である。しかし、この自我が自分の中で自然発生的に形成された訳ではない。自己の価値観や倫理観、それだけでなく判断力や理性、そして知識もすべて自己以外の社会や他者から伝達されたものである。例えば日本人の私が日本社会で喋ることばは日本語は私が生み出したことばでなく、日本社会や文化として存在しているものである。ことばを話しとは社会化され文化的存在化されることを意味する。自我とは、その個人を取り巻く社会文化的構造をその個人の意識を生み出す精神的構造として再構築し、それを自己として意識することで形成される。つまり、自我とは外的世界の内面化による内的世界の再構築によって形成される。自我は社会文化的美意識、感性、価値感、規範、慣習、社会的常識等として形成され構造化された世界である。



直接植民地支配を受けてい韓国人も、韓国人として生まれその国で成長する過程の中でその個人の精神的な構造・自我が形成される。韓国人という民族意識は彼が好むと好まざるに関わらす所有し、彼を支配する意識であり、韓国人という民族意識を切り離すことはできない。その意味で、彼の中にはその社会と民族が歴史的に受けた過去の物語が取り組まれ、彼自身を形成することになる。



このことを理解したいなら、日本人としての自分を観察すればよい。何故なら、私たち日本人も全く同じ歴史を持っているからである。例えば、150年前のペリーの黒船による力による開国も、欧米列強との不平等通商条約提携も、満州事変(侵略)の後の欧米列強からの経済制裁も、そして広島や長崎への原爆投下も忘れることのできない歴史であり、100年以上を経ても、繰り返し繰り返し、それらの物語は語り継がれている。このことを韓国の社会や人々の立場に立って想像するなら、日韓併合という日本の植民地支配から受けた屈辱や苦難、被害への感情も理解できるのではないか。



さらに付け加えるなら、日本でも、150年経った今でも、戊辰戦争で薩長官軍から受けた被害や屈辱を忘れないという会津若松の人々・日本人たちが居ると言うことを考えるなら、35年間も日本に植民地支配された韓国・朝鮮の人々が日本への憎しみ持ち続けていることを理解できると思う。

日韓基本条約後に日本の韓国に対する謝罪は終わったとし、戦犯を合祀した靖国神社へ政治家が参拝し、また教科書に朝鮮半島の植民地化で朝鮮の近代化が進んだと表現され等々、彼らが学んだ歴史的事実と異なる反省や謝罪のない表現に対して、彼らは朝鮮半島の植民地化・日韓併合への反省が希薄になったと解釈し反感を持つに違いない。その反感は自分が直接受けた被害から生まれるのでなくても、自分の基本を構成し、自分が自分として寄って立っ意識・自我の基盤から生まれたものである。韓国人という意識から自然に生まれる感情である。それらの反感や憎しみが日本社会へと向けられる。これが韓国での反日感情の構造である。



(4)、Facebook 2019/8/7 記載文書


3-3、差別・排他的民族主義・嫌韓意識の構造 




次に、日本人の中にある嫌韓、韓国・朝鮮人を無条件に差別し忌み嫌い感情の構造について何か考えてみる。差別意識とは、自分より劣勢な人々や社会への評価を伴う感情である。ある日本人である個人が、無条件にある韓国人としての個人に対して差別意識、自分が彼より優れていると思うのは何故だろうか。



差別意識は生まれもった特性によって生じる先天的条件によるものと後天的な条件によるものとに分けられる。



差別意識が、日本人のある個人が韓国人のある個人より裕福な出自で、より年収も高く、より学力があり、より学歴が上であって、より肉体的に優れて、より美貌な顔立を持ち、背も高くスタイルも良かった等々の比較が、その前提にあるなら、これらの差別は、個人の努力によって解決可能であると言える。例えば、学力、学歴等の差別なら勉学の努力によって解決可能だし、体力等の差別なら訓練によって解消でき、美貌な顔立等に対する差別ですら美容整形によって解消できるかもしれない。これらを後天的な条件によって生じる差別意識と呼ぶことにする。



それに対して、生まれもった社会的、肉体的条件によって生み出される差別がある。これを先天的な条件による差別と呼ぶことにする。この差別意識はどの社会にも存在している。例えば、古代、封建、中世時代の身分差別とそれに端を発する部落差別、男尊女卑の時代から続く性差別やもって生まれた肉体的知性的障害に対する差別等々である。これらの差別は、個人が生まれながらにしてもっている社会的や肉体的条件であり、先天的で不可避的な社会文化的、身体的条件に下された差別意識である。



戦後の日本人が韓国・朝鮮人へ無条件に持つ優越感・差別意識の起源は前者・後天的条件に分類されるだろう。この場合の差別意識とは、個人的には韓国のAさんが日本のBさんより身体的にも学歴的にも優越であるにも拘わらず、BさんがAさんに対して単に自分が日本人であり彼が韓国人であるという理由で、優越感を感じている状態を意味する。この意識の背景にはBさんが「韓国は日本の植民地であった」と言う意識、「日本が朝鮮半島を支配していた」とか「支配者日本人は被支配者朝鮮人よりも強い」という戦前日本社会にあった社会観が背景となっている。Bさんは学校でも家庭でもそのように教えられてきた。従って、Bさんが朝鮮人への無条件な優越感や差別意識を持つのは、彼がその社会や時代的存在であると言うことと不可分の関係にある。



意識は個人が独自に形成したものではない。それは文化や社会、歴史的存在者という個人の在り方、つまり彼の自我の基本的な要件・構造に由来している。その意識とは、自己意識、自分に関するアイデンティティを形成し、また他者や世界の認識の背景を形成しているのである。深く関係している。逆に言うと、それらが自己と異なる他者性を認知、対象化することによって、自己性を認知、差異化することが可能になる。その意味で、差別という意識は、自我形成の基本構造に不可分的に付随したものである。言い換えると、差別意識を自我の構造からなくすることはできないとも言える。差異や差別は必然的に世界に対峙する自我の意識と不可分の関係にあるとも言える。それが自己のアイデンティティを形成しているのである。



この自己に関するアイデンティティが無条件に他者への差別に繋がるという精神構造をまず理解しておく必要がある。その上で、無条件な優越感や差別意識の精神構造を理解・自覚しなければならないだろう。



差別意識は自己を他者から区別する意識と不可分の関係にあり、その差別意識の基本にある「差異」作用によって自我が確立して行く。人は初めから個人としての人ではんく、集団の中で形成された集合表象は共同主観を基にしながら、人は他者との比較を通じ、その比較の上に個人としての、つまり集団的存在と異なる個人としての存在・意識を形成する。これを自我と呼んでいる。



言い換えると自我もその基本構造は彼を取り巻く社会文化的美意識、感性、価値感、規範、慣習、社会的常識等によって生み出され形成されたものである。そして、それらの集団表象や共同主観性との差異によって自己という意識を形成したものである。自己性とは共通している他者性からの差異や差別化によって生まれたものである。



言い換えると、自己と異なると認識できる他者が居なければ個としての自己に対する認識・自己認識は存在しない。その自己認識は自己が発する言語活動の母体(自我)として生み出され「私」が生まれる。しかし、その言語の対象物としてのみ認識される「他者」は、常に、「私」との比較を通じて存在し、むしろ「私」はその「他者」の差異化されたものとして生まれるのである。



日本人のBさんが朝鮮人のAさんに持つ無条件な優越感や差別意識はBさんの自我、日本人(彼の生きた時代と社会文化を背景とした存在)と不可分の関係にあると言える。その意味で、BさんのAさんへの差別意識は極めて根深くBさん自身の意識の根底に居座っていると言える。



上記の分析から「日本人Bさんが朝鮮人Aさんに持つ優越感や差別意識を自覚することが如何に困難であるか」という結論が導かれる。嫌韓意識をもつ日本人にその意識の背後に存在するだろう韓国人に対する差別意識を自覚して貰うことは難しい。しかし、その自覚なしには多くの日本人が無条件に持つ偏見を克服することはできないことが理解できる。

(5)、Facebook 2019/8/7 記載文書


4、経済文化交流の意味の長期・俯瞰的理解 

4-1、社会・文化的偏見の発見作業・無意識的差別構造の露呈化するための作業




自我の基本をなす民族意識からくる反日感情、そして自我の形成に関する自己と他者との差異や差別化に依拠する嫌韓意識の構造的な理解を前提にするなら、それらの感情や意識を個人が意識的に自らを自覚しながら乗り越えることが極めて困難であることに気付く。



そして、このことは私自身のこれまでの経験から理解できる。特に日本人がアジアの人々に対して無条件に持つ優越感が無意識のうちにあることを自覚するとき、その根拠について深く考えさせられたことがあった。逆に、私が居たヨーロッパの国でその国の人々と接した時に、私を日本人として理解したとき、過去植民地の国の人間として勘違いした時の対応にも露骨に差別意識の格差を感じた。



私の差別意識に関する「実験」を紹介する。これは1980年代の話である。大学の学生食堂でフランスの学生に「君、どこの国の人?」と聞かれたことがあった。そこで私は「ベトナムから来た」とウソを言った。すると彼は「あー、ベトナム人かい」と言った。それから私は「いや、いや 中国から来た」と言った。すると「そうか、中国人かい」と言った。明らかに中国人の私への態度は違っていた。別の機会があって、私は同じような「実験」をした。フランスの学生に「君、どこの国の人?」と聞かれたら、今度も「ベトナムから来た」と答えて、そして、話を色々した後に、「いや、いや日本から来た」と言った。フランスの学生は私に「日本人なのか」と彼は言いながら、ベトナム人の私から日本人としての私への微妙な態度の変化をした。何とも意地悪な「実験」を繰り返した。そして最後は実験対象となったフランスの学生を怒らせてしまった。そもそもヨーロッパの人々から見て韓国人、中国人、ベトナム人も日本人も同じアジアの人に違いない。しかし、その身体的特徴からは判別できないアジア人が「ベトナム人」である場合、「中国人」である場合、「日本人」である場合に、フランス人にとって、それらの人々の社会的背景が付随し、その集合名詞を特徴付けるのだろう。この実験は自分にも向けられていていた。この「実験」を通じて、実に、私は自分の中に、無意識に存在する差別意識を発見することができた。しかも、その根深い構造に気付くこともできた。



自我の根底にある共同主観化された差別意識をえぐり出すためには、まず、自分に差別意識があることを意識的に了解する作業から始まる。何故なら、無意識で差別している現実は意識化される訳がないからである。人は、自分が差別感情を持っていると自覚してはいない。何故なら「差別は悪いことだ」と言う倫理概念を持つ以上、その悪いことをしていると了解することができないからである。従って、最もたちの悪い差別意識とは差別していることを自覚していないか、もしくは差別していることが当然であると思っていることではないだろうか。



我々は「人は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」という社会思想を学んできた。社会的な平等が近代国家・民主主義文化社会の理念であった。性、人種、国、所属集団、学歴、職業等々で人を差別してはならないと教わってきた。しかし、それでも、日本社会では「いじめ」「ハラスメント」が小学生から大人に至るまで蔓延している。つまり、「差別は悪いことだ」、「いじめを許してはいけない」、「ハラスメントを見逃してはいけない」と言っても、それが日常的にありとあらゆる場で横行しているのが日本の現実である。



そこでこの問題を解決するために、「差別は悪いことだ。差別を許さない」という「差別行為」を対象化して捉える視点から「自らが持つ差別意識の自覚作業から、差別している現実を理解し、その差別意識の構造をえぐり出す」作業、つまり差別行為を内省化して捉える作業に転換してみる。ここで問題になるのは、無意識的に差別している私をどこまで自覚的に了解・自己理解することができるかということである。



それらの作業は具体的な経験によってしか進まない。何故なら対象となるのは無自覚的な自分であり、その無自覚的自分の無意識や潜在意識としてある偏見は、具体的な生活経験を通じてしか露呈しないからである。それを露呈させるとはおそらく予測不可能な事態に直面し、その事態に向き合う機会を与えられた時ではないだろうか。例えば、会話の相手が「自分はベトナム人だ」と言っておきながら、一時立って、突然「自分は日本人だ」と言ってきた場合などがその事例に類するだろう。



具体的な「実験」を通じて、自らが抱え込んでいる社会・文化的偏見を発見する作業を企画しなければならない。この作業の中で、要約、無意識的差別の構造が露呈されるかもしれない。この作業を具体的に企画し、そしてより有効に実践することが



反日感情の土台となる民族意識やそれを生み出す歴史認識、更には嫌韓意識の底流を流れる差別や排他的民族主義の構造を対自化できるかもしれない。




(6)、Facebook 2019/8/7 記載文書


4-2、文化・教育、スポーツ交流や旅行の意味




よく、海外に行って日本人の自分が見えたという話を聞く。何故なら、まず自分と自分にとって見えない存在であるという現実があるからだ。自分の目で直接自分を見ることは肉体的にも物理的にも不可能である。



自分という意識も自分が無意識に発することば(空気の振動)が再び自分の鼓膜を振動させ、それが聴覚神経から脳神経に伝達し、しかもそこで聴覚野から言語野を含む認知機能に関連する多様な脳神経分野の複雑なネットワーク間の刺激によって生み出される脳の反応(意識)である。



その意味で、自己意識という自分だけでなく、社会文化的存在としての自分も見えない存在である。何故なら、慣れ親しんだ社会文化的環境とは、自分を取り囲む空気のようなものである。それは、無臭無色透明の空気のような存在である。しかし、文化的社会的環境が変化した場合、その空気は匂いを持つ有色な気体となって登場する。つまり、異国の社会文化的存在によって、環境に生かされている生命活動体がその環境を自覚することができるのである。これを異文化経験と呼ぶ。そして、その異文化経験が余りにも強烈な状態をカルチャーショックと呼んでいる。



異文化経験とは、それまで自分を取り巻いていた社会文化環境・母国文化がそれと異なる社会文化環境・異文化によって相対的に理解されることを意味している。まず、異文化経験の第一歩で、ことばの違い、日本語が通じない世界でぎこちなく話す自分に出会うだろう。それから、日本人を特徴付けた肉体の所有者の自分とそうでない人々の違いに出会うだろう。異文化経験とは異文化そのそのものの理解と同時に、その中で混乱し右往左往している自分との出会いを意味する。



そして、異文化体験を通じて、言語や身体上の特徴に付随する感覚、美的センス、宗教観、文化観、価値観の違いにも気付き出すだろう。こうした違いへの発見とは無意識に存在している自我の在り方を露呈させる作用を持つ。その作用の基本は自己を形成している精神構造や意識の相対化を通じて行われている。つまり、異文化体験とは、日本と異国という自己を取り巻く世界の差異によって醸し出される無意識化されていた自我の露呈である。



そして、異文化経験を通じて人々はより反省的な精神活動を手に入れることができる。より深い反省行為とは自我を形成する民族意識、自我を取り巻く社会文化的環境によって構造化している宗教観、美的センスや趣向を生み出す精神構造・文化性や社会的価値観を掘り下げる行為である。その行為によって、無意識に構造化された社会文化的偏見の理解の入り口を見つけだすことができるのである。



その意味で、若い人々、出来る限り海外での研修、留学、交流活動に参加してもらる教育プログラムは非常に素晴らしい自国文化の深い理解を他国文化の学習を通じて可能にするだろう。他国の歴記から観た自国の歴史を認識することでより深く日本を知ることができるだろう。



また、若い人々に限らず、旅行を通じて、異なる文化や異国の人々に出会うことができる。そうした異文化体験を通じて、人々は多くのことを学ぶことができる。



そればかりか、異国の映画やドラマを観ることで、多くの異文化学習がなされている。韓流ドラマを通じて、それまで学ばなかった李王朝文化を学び、例えフィクションであっても朝鮮の歴史的事件を知ることが出来る。それは韓国の人々も日本の中世や近世の歴史をドラマの中で理解し、またそれらの時代の日本文化を知ることが出来るのである。



日韓の間に否定しがたく存在する歴史問題・日韓併合(日本の朝鮮植民地化)の事実とそれから生じる韓国・朝鮮半島の人々の反日感情をすぐに解決することも和らげることも出来ない。また同時に、植民地化した日本人の中に潜む韓国・朝鮮人に対する差別意識、優越意識とその優越性を否定されて生じる日本人の傷ついたプライド・民族主義から生じる嫌韓意識に対する有効な治療薬やない。しかし、そうした偏見を頑なに持ち続ける人々が居たとしても、それらの人々を治す努力に費やす費用よりも、若い人々、韓国文化や日本文化に興味を持ち人々に対して、文化交流、教育交流、さらには満足度の高い旅行サービスを提供・開発する方が良い。



言い換えると、反日感情や嫌韓意識はすぐには消えないし、これからも長く続く。しかし、それを何とかすることが出来ないとしても、若者の教育交流、人々に文化交流、スポーツ交流、そして市民の旅行によって、時間を掛け、少しづつ反日感情や嫌韓意識は解消されていくのである。


(7)、Facebook 2019/8/7 記載文書

4-3、経済交流の意味・新たな共同体の文化が芽生えと成長




経済活動とは市民が生活するための資源(生活資源)を生産、消費、交換、蓄積する活動である。この経済活動の範囲によって社会、文化や人的交流の広がりや多様性が形成される。



上記した教育交流、文化交流、スポーツ交流、旅行も経済活動の一つである。教育産業、学校法人、公立学校、自治体、文部科学行政等によって教育交流やスポーツ交流が企画、設計、運営、実践される。観光旅行産業も民間旅行会社、旅行ベンチャー産業地方自治体の観光課や政府観光推進機関や文化省等々によって運営、展開、開発されている。



経済活動は国と国の関係の基本となる。経済活動を通じて、生活文化の交流が生まれ、観光や旅行、そして文化や教育交流が形成される。豊かな経済活動によって、交流の多様性や日常性が保証される。豊かで多様な社会資源、生活資源、教育資源、文化資源、人的資源の交流が形成される。テレビでは韓国のニュース、映画やドラマが放送され、街のお店ではお酒や食料からファッションに至るまで韓国製品が品揃いし、レストランでは韓国料理が食べられる。これが生活の豊かさの一つを物語っているのである。



異文化体験を通じて異国としての韓国を知った。そして、経済活動化された教育交流、文化交流、スポーツ交流、旅行を通じて異文化の自己化が進む。何故なら、経済活動とは、それらの商品が生活空間に入り込み、生活要素化することを意味し、日常的な生活物質や生活情報の流通・交換、消費活動を形成するからである。



言い換えると、最も進んだ異文化交流とは経済活動であると言える。その意味で、共通する経済活動・交易を行い、企業の共同運営(合弁会社運営)を行うことによって、モノ、ヒト、情報の全てが相互に行き交うことになる。



当然、すぐには消えようもない反日感情や嫌韓意識があったとしても、モノ、ヒト、情報の全てが相互に行き交う経済交流が保証されているなら、必ず、その現実的な利益関係を確保し続けることで、反日感情や嫌韓意識を超える親日感情や好韓意識が芽生え、大きく成長するのである。



経済交流活動を自社や自国の利益追求の手段として考える限り、経済交流活動の果たす大きな意味を理解することは出来ないだろう。しかし、それぞれの国や経営体が仮に目先の利益を追いかける経済交流活動であったとしても、その経済活動自体を維持し続ける中で、相互の利益を尊重する関係を見つけ出すことになるだろう。つまり、それらの持続する経済交流活動が、必然的にモノ、ヒト、情報の全ての相互交流を導き、そして、それを通じて、相互文化の親和性が深まり、異文化でなく共通文化意識・好感意識、つまり異物としての社会文化認識から共同化され自己化された共同体の文化が芽生え成長することになるだろう。



これが、経済文化交流を長期・俯瞰的に理解し推進することの大切さであり、その維持の果たす戦略的な意味なのである。


(8)、Facebook 2019/8/7 記載文書