東アジア共同体の可能性を巡る機能的推進の課題(3)
三石博行
東アジア共同体構想を展開するための問題点
まず、東アジア共同体は存在していないと言うことから述べなければならない。つまり、正確には東アジア共同体構想として議論が始まっている段階である。この共同体を我々日本、また議論に参加している諸国は、全く同じ条件ではないにしろ、必要としていると言える。それらの必要性を前提にして、東アジア共同体構想が検討されつつある。
そのために、これから議論する課題を大きく4つに整理してみた。
1、 東アジア共同体構想の現状
2、 東アジア共同体の必要性とは何か
3、 EUモデル(進捗状態)の応用可能性
4、 共同体構想が具体化するための条件とは何か(方法と課題の選択)
東アジア共同体構想とその課題
東アジア共同体構想は、1997年12月インドネシアのクアラルンプールで開催されたASEAN(東南アジア諸国連合)30周年の首脳会議で、「ASEAN+3」と呼ばれる韓国、中国と日本の首相が招待されて参加した非公式首脳会議から始まった。 また、2005年12月クアラルンプールで開催されたASEAN+3の会議でEAS(東アジアサミット・東アジア首脳会議)が提案された。この第1回EASでは,エネルギー,金融,教育,鳥インフルエンザ/感染症対策,防災を優先協力分野に設定された。現在、ESAには、ASEANの10カ国(インドネシア,マレーシア,フィリピン,シンガポール,タイ,ブルネイ,ベトナム,ラオス,ミャンマー,カンボジア)と日本,中国,韓国(ASEAN +3と呼ばれた),豪州,ニュージーランド,インド(ASEAN+6と呼ばれる)と米国,ロシアが2011年から参加している。
現在、東アジア共同体構想は主にASEANとESAで議論されている。中韓日三国での政府間の議論は行われていない。しかし、今回のジョイントカンファレンスに代表されるように、東アジア共同体評議会や大学研究機関、市民組織等で活発な議論が繰り返されてきた。それらの議論によって東アジア共同体に関する可能性が具体的に提案されてきた。
しかし、共同体構想を具体化する地域共同体のガーバナンスシステムの形成にも至っていないのが現実である。つまり、地域連合の地理文化的枠組み(参加国の地理文化的条件)、政治文化的価値表象の概念(参加国の政治文化的理念)、地域共同体を構築するための行程に関する取り決め(地域共同体提携のための条約批准等)等が挙げられる。この構想は従って、状況によれば、全く進展することもなく、また廃止される危険性もあると言えるものである。
その意味で、現在、東アジア共同体の必要性に関して議論し、その内容を相互確認し、少なくとも東アジア共同体構想を具体化するための参加国間の取り決めが必要となるだろう。
しかし、東アジア共同体が必要であるという要請が現実に存在しなければ、この構想は進展しないだろう。その必要とする具体的な内容もESA参加国によって異なるだろう。そこで主な参加国共通の課題について、以下の二つを挙げる。
1、 東アジア地域での平和的共存関係の成立
2、 東アジア地域での経済的相互関係の発展
この二つの課題を展開するためには、参加国の経済、政治、文化的立場(利害関係)から来る平和的共存関係を進展させる要素や条件を理解しておく必要がある。
東アジア共同体構想が成立する条件、域内の平和的共存の成立条件
東アジア共同体構想が成立する条件として、域内の平和的共存の成立条件を課題にする場合、まず、東アジア共同体の成立条件のEUのモデルの第一段階、つまり、域内の共通の政治文化的価値観の形成の現在 の段階とその課題について述べる。
1、戦争責任問題を解決するために
東アジア地域もヨーロッパと同じく、第二世界大戦の戦場となり、莫大な被害を受けた。日本の死者は320万人、中国では2000万人、朝鮮半島でも大戦中のみでなく、朝鮮戦争時に多くの犠牲者を出した。しかし、日本が戦前に行った朝鮮植民地支配、日中戦争、東南アジア侵略、太平洋戦争に関する戦争責任問題は曖昧にされている。
つまり、ドイツが戦後行ったように国民全体が過去の戦争責任と真摯に向き合う文化を生み出すに至っていないのである。そのために、戦後は終わったと宣言してから半世紀経っても、周辺諸国に日本の戦争犯罪の事実を認める運動が起るのである。
また、そればかりではない、日本政府を代表する人々によって、東条英機らA級戦犯が合祀されている靖国神社への参拝が行われている。確かに、極東国際軍事裁判においてA級戦犯として処刑された人々の中には、裁判の在り方、A級戦犯としての判決を検証する必要がある。
しかし、ここで大切なことは、この政府代表の(A級戦犯の合祀されている靖国神社への)参拝が国際社会の視点に立って意味していることである。言い方を合えると、戦後のドイツが、戦争犠牲者と共にヒットラーも合祀されている記念碑に首相が参拝しに行くと想像してみると良く理解できる。この仮定を置くと、どの日本人でも、その異様さに驚くだろう。しかし、その異様さは、日本の過去に関しては国内では通用しないのである。
ここで問題となっていることは、対外的理由によって政府代表参拝を抑えるということよりも、その異様さを理解できない現実の日本的感性の存在理由を真剣に問題にしなければならないのである。
また、日本は戦後、東南アジア、中国や韓国の経済復興を支援して来た。その支援によって、東南アジア、東アジアの経済復興が進んだ。それらの莫大な経済支援の評価が、首相の一回の靖国神社への参拝によってかき消されるのである。経済的に見ても、外交的視点から考えても、大きな損失であると言える。
その為に、以下の二つの提案をする。
A、まず、日韓、日中という2国間で、政府と独立した歴史問題に関する第3者機関を作り、それぞれの国の専門家による、調査研究活動を行う。その成果は公共報道機関と共同して、前回、NHKが報道した「朝鮮半島と日本」のように市民に報道する。
B、草の根国際文化交流を町おこしとして取り上げている運動がある。その実例に習い、日本の各地で、小中教育からの日韓、日中、日露、日台間の交流を推進する。
2、政治制度の違いを認め、そこから始まる議論を行う
言うまでもないが、東アジアの代表国である日中韓三国を例にとっても、政治制度は異なる。日本と韓国は民主主義国家であり、中国は資本主義経済化を進める社会主義一党独裁の国である。北朝鮮は旧来の社会主義一党独裁の国制度を維持している。こうした政治体制の基本的違いからも、EUモデルは適用されないことと言える。そのためには、政治的共同体を巡る議論でなく、その前段階の議論を行う必要がある。
A 例えば、東アジア共同構想を段階的に作りだす、域内の研究者を中心とする民間及び、政府専門家(官僚)や地方自治体専門家の間で、またそれらの組織を越えた横断的な委員会を独自に作りだし、東アジア共同体評議会の活動や今回の第一回「アジア共生」ジョイント・コンファレンスのように、自由な議論を起こす必要がある。
B 尖閣諸島や竹島問題で生じている領有権問題を政治的視点からでなく、歴史的視点、文化的視点、環境的視点、未来学的視点等々の利害を超えて解決で可能性を上記した自由な議論の場に下ろす努力をする。
3、平和的共存の成立条件 教育文化交流を進める
しかし、こうした違いや共同の価値表象を構築するための基本的作業の遅れはあるものの、日本の国際的な平和共存条件を確立するためには、東アジア共同体構想を発展させる必要がある。そのためには、予め高度なレベルの平和的共存を求める課題でなく、学生の教育交流、市民レベルの文化交流や韓流ブームやアニメブームとして域内諸国の文化交流を推進する必要がある。そして、文化交流を通じて、市民が観光旅行として、域内諸国を訪問する。その観光によって、相互理解は深化し、共同の価値表象を形成する土壌が作られることになる。
A 東アジア映画祭、音楽大会、芸術に関するイベントを企画し、市民間の交流を生み出す。その経済文化的効果を理解する。つまり、東アジア共同体構想を文化、芸術、観光活動として展開する発想を育成し、発展させる。
B すでに多くの大学が日中、日韓の大学交流を行っている。未来のアジア共生への道を繋ぐ若い人材育成によって、長期的な視点に立った交流が可能となる。また、学生時代に東アジアの国々で学んだ経験は、その後、社会活動に活かされ、未来社会で必要な多様な人材が育つのである。
4、環境・エネルギー問題を解決する学術産業文化交流を進める
この課題は、新しく節を設けて、議論したい。
結論
地域連合を形成するための単純にEUモデルは東アジア共同体構想に適用されないだろうということを、まず、理解しておく必要がある。
しかし、その上で、このEUモデルを構成している要素が東アジア共同体構想に役立つ。つまり、EUモデルの中で、東アジア共同体構想に役立つと思われるものを拾い出し、その機能性を分析し、解釈して、東アジアの政治地理的条件に合った形で適用可能なもの変換する必要がある。
こうしたモデルのプラグマティズム的な適用や活用に関しては、すでに、日本を始め、アジアの国々では近代化過程で技術や産業システムの取り入れの歴史を持っている。その経験に基き、EUモデルを東アジア化するイノベーションを行う必要がある。
あくまでも参加国家の相互利益が成立していることがそれらの要素の成立条件となる。この場合、理想主義的考え方を改め、現実的で実利的な方法を着実に取る必要がある。しかし、このプラグマティズムには、問題解決型の設計科学思想がなければならないだろう。
参考資料
1、東アジア共同体評議会 『東アジア共同体白書2010 East Asian Community 東アジア共同体は可能か、必要か』たちばな出版 日本国際フォーラム叢書、2010.9.30、655p
2、進藤栄一 『東アジア共同体をどうつくるか』筑摩書房 ちくま新書636、2007.1.10、270p
3、滝田賢司 編著 『東アジア共同体への道』 中央大学出版部 中央大学政策文化総合研究叢書3、2006.3.30、285p
4、廣田功 編 『欧州統合の半世紀と東アジア共同体』 日本経済評論社、2009.9.25、245p
5、佐藤洋治・鄭俊坤 編著『アジア共同体の創成に向かって』ワンアジア財団叢書 芦書房、2011.11.1、276p
6、谷口誠『東アジア共同体 -経済統合のゆくえと日本- 』岩波新書919、2004.11.19、231p
7、崔昇煥; (金美善訳)「東アジア経済共同体の推進方向と課題」、国際公共政策研究. 12(1) 2007-09、pp1-12、
http://hdl.handle.net/11094/12892
8、桂木健次 「環日本海・東アジア共同体と脱原発エネルギー課題」
9、舟橋精一 「第二次世界大戦等の戦争犠牲者数」ホームページ資料
http://www.max.hi-ho.ne.jp/nvcc/TR7.HTM
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哲学に於いて生活とはそのすべての思索の根拠である。言い換えると哲学は、生きる行為、生活の場が前提になって成立する一つの思惟の形態であり、哲学は生きるための方法であり、道具であり、戦略であり、理念であると言える。また、哲学の入り口は生活点検作業である。何故なら、日常生活では無神経さや自己欺瞞は自然発生的に生まれるため、日常性と呼ばれる思惟の惰性形態に対して、反省と呼ばれる遡行作業を哲学は提供する。方法的懐疑や現象学的還元も、日常性へ埋没した惰性的自我を点検する方法である。生活の場から哲学を考え、哲学から生活の改善を求める運動を、ここでは生活運動と思想運動の相互関係と呼ぶ。そして、他者と共感しない哲学は意味を持たない。そこで、私の哲学を点検するためにこのブログを書くことにした。 2011年1月5日 三石博行 (MITSUISHI Hiroyuki)
2013年1月23日水曜日
ヨーロッパ評議会、EC,EU成立過程と地域政治共同体としてのEUモデル
東アジア共同体の可能性を巡る機能的推進の課題(2)
三石博行
平和な中世汎ヨーロッパ文化圏と近代国民国家形成過程における地域紛争の激化
欧州連合(EU)を構成する国々は古代ローマ時代から交易、侵略(戦争)、支配と被支配、領土境界(国境)の変更を繰り返し、言語的には大きくは同じインド・ヨーロッパ語、精神構造的には古代ゲルマン・ギリシャ神話(汎神論)的風土、社会システム的には中世キリスト教文化を共有している欧州と呼ばれる地理的環境に所属している。その意味で、古代、中世から現代まで大きく一つの文化圏に所属すると言ってもよいだろう。
また、ギリシャ文明や古代ローマ文明を起源とし、文字、伝統的学問体系を共有している。更に、古代ローマ帝国とその周辺国家に代表されるように、常に、歴史的に、この地域では多様な民族間での紛争や戦争が繰り返され、上記したように、ケルト民族、ラテン民族、ゲルマン民族やスラブ民族と呼ばれる主なヨーロッパ民族の間での支配と被支配を繰り返し、それらの民族間の領土の拡張と縮小が繰り返されてきた。そしてその紛争は18世紀以降の国民国家の成立後も繰り返されてきた。その度ごとに、国民国家間の国境の変更が20世紀半ばまで続いた。
ヨーロッパの戦争史を振り返ると、13世紀から20世紀までのヨーロッパで生じた戦争の数を世紀毎に集計し、それを図1で示した。13世紀で1回、14世紀から15世紀で1回、16世紀で3回、つまり16世紀はその200年間前の3倍の数の戦争が起った。そして、17世紀は4回で、16世紀よりも1回多い。さらに18世紀は6回で17世紀よりも2回増えている。近代国家が成立した19世紀では12回となり、ヨーロッパでの戦争は18世紀の2倍に増えたのである。そして、帝国主義の時代が始まる20世紀で27回となり、まさに、ヨーロッパでは4から3年に一回の戦争が起ったことになる。このように、ヨーロッパでは中世から近代、そして現代と戦争は増え続けたのである。
15世紀までのヨーロッパは、一見すると長い期間の戦争のない時代であると言える。ローマ帝国の支配から中世ヨーロッパの千年もの間、ヨーロッパでの戦争のない時代は、視点を変えるなら古代ローマ帝国から続く強固な封建領主、絶対王政によってヨーロッパ全土が支配されていたために少数民族の自立を求める紛争は抑圧されていたとも言える。
そして、市民革命が起り、国民国家が成立する17世紀、18世紀を経て、王政が終焉した19世紀には、それまで伝統的に続いた古代・中世的汎ヨーロッパ主義(ローマ帝国の名残)が消えることによって、帝国主義と呼ばれる新たなヨーロッパでの支配の論理による、ヨーロッパ内の支配と被支配の関係が成立していった。ヨーロッパ大陸では国民国家間の抗争が生み出された。それはヨーロッパ列強が地理的にヨーロッパとその植民地によって世界を二分した時代と重なるのである。
二つの世界大戦の反省から生まれたヨーロッパ(欧州)評議会
20世紀のヨーロッパは、これまで人類が経験したことのない二つの世界大戦の場となる。この二つの世界大戦で想像の出来ない大きな破壊を受けることになる。その一つの戦争が1914年から1918年までの第一次世界大戦である。この戦争は、ドイツ、オーストリア、オスマントルコ、イタリア、ブルガリアの同盟国とイギリス、フランス、ロシアの連合国の二つの勢力によってヨーロッパを二分する欧州大戦争となる。この戦争の原因は帝国主義の植民地再分割戦争であった。ヨーロッパ諸国、北米と日本を含む36各国が交戦した。つまり、ヨーロッパから世界に戦禍が飛び火した。新たに植民地拡大を狙う日本も連合国側に参加し、それまでドイツがアジアで支配した植民地を奪い取るのである。そして、約900万人の兵士と約1000万人の市民の犠牲、約2200万人の負傷者が発生した。
さらに、それから21年後に、再び世界戦争が起る。第二次世界大戦( 1939年から1945年まで)では、新興帝国主義国家であるイタリア、ドイツ、日本の同盟国とその勢力に対抗するイギリス、アメリカ、フランス、ソビエト、中華民国の連合国で、ヨーロッパとアジア・太平洋を戦場にして世界を二分する大戦争が起る。近代兵器を駆使した第二世界大戦は先の世界戦争以上に多くの犠牲を生み出した。それは人類の歴史上最大の戦闘が行われ、そのヨーロッパでの戦争による犠牲者は約5500万人と言われている。犠牲者は軍人だけでなかった。約3000万人(ユダヤ人600万人)の一般市民が命を落とした。つまり、民間人の死者が半分を超えたのである。
第一次、第二世界大戦以来、戦争の形態は激変した。戦場は限定されず、国全体を巻き込む総力戦が展開され、戦争による犠牲者は軍人のみでなく国民全員に及んだ。また、近代・現代科学を駆使して兵器が開発され、巨大戦艦(空母)や爆撃機、さらには大型爆弾や化学兵器、原子爆弾に代表される恐るべき破壊力を持つ、大量殺人兵器が使用された。
戦死者(軍人)も第一次世界大戦では約1000万人であったが、第二次世界大戦では約5000万人と5倍に膨れ上がり、直接戦費も第一次世界大戦では約2080億ドルであったが、第二次世界大戦では、その5倍の約1兆1170億ドルとなったと報告されている。つまり、戦場になったヨーロッパのフランスやイギリス等の戦勝国(連合国)に於いても、敗戦したドイツやイタリア(三国同盟)と同じように、戦争による国への被害は甚大なものであり、戦禍で荒廃した国土と甚大な犠牲者を生み出すことになった。
再びこうした戦災をヨーロッパで繰り返さないために、ヨーロッパ統合の考えが、ヨーロッパで生まれて行く。最初にヨーロッパ統合の考えを述べたのはギリスの首相Winston Churchill(チャーチル)であった。第二次世界大戦終了の翌年1946年9月19日にチャーチル首相Winston Churchillはドイツのチューリッヒ大学で「欧州合衆国」の形成が必要であると演説した。また、チャーチルは1948年5月に、ヨーロッパ政治経済の共同体、ヨーロッパ議会、統一ドイツ、人権憲章、最高裁判所、子供、青年や文化に関するヨーロッパセンターの必要性を訴えたヨーロッパ宣言を採択するために、ハーバー会議を呼びかけた。この会議には、殆ど全てのヨーロッパの国々の代表が参加したのである。
そのチャーチルのヨーロッパ統合(欧州合衆国構想)は1949年5月5日にロンドン条約によるヨーロッパ評議会の正式発足として具体化することになる。ベルギー、デンマーク、ルクセンベルグ、オランダ、フランス、イギリス、アイルランド、イタリア、ノルウェー、スウェーデンの10各国がヨーロッパ評議会創設時の原加盟国として参加した。ヨーロッパ(欧州)評議会が設立した当初は、20世紀にドイツとフランスの戦争によって何遍となく国名を変えさせられたアルザスの中心都市ストラスブールのストラスブール大学宮殿( Le Palais de l’Universite )で会合が開かれて、その後、ヨーロッパ評議会はストラスブールの市内にヨーロッパ宮殿( Le Palais de Europe )に常設されることになる。 ヨーロッパ(欧州)評議会の公用語は英語とフランス語である。また、2007年9月には47カ国が加盟している。そして、日本は非欧州オブザーバー参加国である。
欧州評議会の5つの目的と13の執行機能
欧州評議会は、大きく5つの目的を持っている。
一つ目は民主主義と法の支配である。この民主主義と法の支配とは、これまでヨーロッパ内で起った戦争、民族大虐殺、迫害の歴史を繰り返さないため、社会理念の基本に人権、民主主義に基く法制度を確立し、その法律に即して国家や社会の運営を行う考えかたである。これが欧州評議会の最も重要理念とされている。
この一つ目の課題が目的とするのは二つ目の目的と謳われた人権擁護である。つまり、民主主義制度とは人権の思想を基盤にして成立している。資本主義社会での自由や平等は人権思想を前提として形成発展するのである。人権擁護は二つの課題が存在する。一つは社会権で、人々が社会の中で人間らしい尊厳を受ける権利や生活を行う権利を意味する。そのためには欧州社会憲章が必要とされる。二つ目の課題とは人々の文化的アイデンティテイーの尊厳である。自我や主体に直結する言語権の問題である。コルシカ、アルザスやバスク地方では「方言」と呼ばれる少数民族言語や文化が存在している。これらの少数民族は国家によって独自の言語文化の消滅の危機に瀕している。そこで欧州地域・少数民族言語憲章を確立し、それらの文化、言語権を擁護しようとしている。
つまり、二つ目の目的は、三つ目の目的である少数民族文化アイデンティテイー保護と文化多様性を促進する目的の前提条件となる。 非ヨーロッパ圏の社会から観ると、概して、一つのヨーロッパ文化と評価されるかもしれない。しかし、ヨーロッパ文化の形成を古代から辿ると、この地に多くの民族(ケルト人、フン族、バスク人等々)文化や言語が存在することを知ることが出来る。その意味で、多様なヨーロッパ文化と言うべきだろう。それらの多様性は現代ヨーロッパ社会文化の財産であるとも言える。しかし、近代社会に成立した国民国家制度によって、このヨーロッパ文化や言語の多様性が失われようとしている。欧州評議会の政治的目的はヨーロッパの平和と共存であり、そのための統一ヨーロッパの建設である。しかし、この政治的目的(統一ヨーロッパの建設)は、決してヨーロッパを一つの文化形態に纏め、少数民族の文化や言語を絶滅させようとしているのではなく。むしろ逆に、この評議会の設立の理念・人権思想に基くならば、多文化多民族ヨーロッパが共存する政治経済と文化的形態を創設することを目的としているのである。
四つ目の目的は、「差別、排除主義、環境権、AIDS,麻薬、組織犯罪などの欧州社会が直面する諸問題への提起 」である。未来の欧州社会の安定と発展を目指すために、現在の社会が直面している人権侵害に関連する課題を解決することが欧州評議会の役割である。この問題解決の方法として、国家のレベルでの問題解決だけでなく、異なる地域性や地方性や旧植民地からの移民を抱えた欧州のミクロ社会の現実から、それらの文化的多様性や独自性を前提に、かつそれを尊重しながら問題解決を行うことが求められる。そのためには、問題の社会政治的一般性と独自性を共に解決できる政治システムが必要となり。ヨーロッパ評議会では、そのためにヨーロッパ全体の議員会議や欧州地方自治体会議を設置している。それらの異なる視点からの問題を提起や問題解決の試みが続いている。
社会改革を通じた民主的安定を目指すことが五つ目の目的となる。発達した資本主義社会ヨーロッパでは、当然ながら、富める人々と貧しい人々、豊かな地域や貧しい地域、民主主義の歴史の長い地域や短い地域、社会資本の整備された地と遅れている地域、つまり社会的豊かさにおける格差が存在している。欧州評議会の最も重要理念である民主主義と法の支配、人権の思想を確立するために、欧州評議会ではその制度等の改革を促し、協力をしあい、平和で安定した社会と構築する活動を行っている。
ヨーロッパ評議会の形成を促した理念(基本命題)はヨーロッパ地域の平和的共存、人権と民主主義の社会制度の形成発展である。そのために、欧州評議会は上記した5つの目的を明確に示し、それあの目的に目指して13の具体的な課題を取り上げ、その課題を展開するためにそれぞれに課題別の執行機能を形成してきた。その13の課題解決に関する執行機能を下に列挙する。
A、人権擁護 les droits de l’Homme
B、メディアと民主主義 les medias et la democratie
C、共同司法制度 la cooperation juridique
D、社会的結束 la cohesion sociale
E、開発資金 le financement du developpement
F、欧州内の南北問題 les rapports Nord-Sud
G、健康管理と予防 la protection et de la promotion de la sante
H、ヨーロッパ文化保護 la culture europeenne
I、教育 l’education
J、文化遺産保護 la culture et du patrimoine
K、自然や里山保護 le patrimoine naturel et paysager
L、 スポーツ推進 le sport
M、青少年 la jeunesse
欧州評議会は13の機能の中でも、特に、人権擁護、メヂィアの表現の自由の擁護、民主主義制度の推進等を、精力的に推進している。つまり、平和的共存、人権と民主主義を基調とする法に基づく政治制度を掲げる政治思想を共有する一つのヨーロッパの形成がこの欧州評議会の目的である。そのための問題解決機能を形成し、優先順位を決めながら、時代的に取り組み、未来への橋渡しを行おうとしているのである。
ヨーロッパ(欧州)評議会の主な機関
ヨーロッパ(欧州)評議会は、上記した目的、つまり民主主義社会文化の発展、人権擁護、文化的多様性の保護、生活環境の向上と安全確保を果たすために、具体的な13の執行機能の効率を目指して、事務局と5つの機関を設けている。
1. 事務局( Le secretaire general)
ヨーロッパ評議会事務局長は、議員会議で選出され、その任期は5年間である。閣僚委員会ではヨーロッパ評議会の運営実務を担当している。2004年以来現在までイギリスのTerry Davis氏が事務局長として評議会の指揮を執っている。 事務局を率い事務局長の役割は閣僚委員会からの承認を得なければならない重要課題に関して業務を履行することである。
2. 閣僚委員会 (Le Comite des Ministres )
ヨーロッパ評議会の意志決定機関である。原則として、閣僚委員会は47の参加国の外務大臣で構成されている。年に一回、非公開の閣僚級での会議が開かれる。人権、民主主義と法の支配による政治を基調とするヨーロッパ評議会の協定に違反する政府への勧告を行い。また、その理念を推進するための条約や協定の採択を行っている。 この機関は、例えば予算の決定、ヨーロッパ協定の採択や参加国によって約束された協定尊守の勧告を行う。また、この機関は、ヨーロッパ評議会への新しい参加国を決定し、また欧州人権裁判所の法令の実行を勧告する。
3. 議員会議 ( L’Assemblee parlementaire)
議員会議は、加盟国の国会議員で構成されており、それぞれの国から選出される議席数はその国の人口・GNP比で決められている。議員は318で、予備議員が同数の318名、合計636名である。
議員は参加国の国会議員であるが、会派が存在する。例えば社会主義グループ(SOC)、欧州人民党グループ(EPP/CD)、欧州自由民主同盟(ALDE), 欧州民主主義グループ(EDG)、欧州統一左派(UEL) が主な勢力となっている。 本会議は年間4回開かれ、10の一般委員会やその他の委員会の活動がなされている。しかし、立法権はなく、モニタリング機関として機能している。議員会議の議長はオランダのRene van der LINDEN氏で(2005年1月から)ある。議長の任期は1年で、通常3期で交代することになっている。つまり、2008年1月に議長選挙が行われる。 議会の役割は、以下に示す四つである。
A、 その時々の重要案件に関する議論
B、 閣僚委員会への勧告
C、 多くの協定を行う
D、 事務局長を選ぶ
4. 欧州地方自治体会議(Le Congres des pouvoirs locaux et regionaux )
欧州地方自治体会議は、1994年に創られた。この議会はヨーロッパ各国の地方レベルでの民主化を推し進めることを目的として運営されている。この機関は、閣僚委員会及び議員会議の諮問機関として機能する。 議員会議が国会議員で構成されていたように、この会議の議員は各国の地方代表議員で構成されている。欧州地方自治体会議はローカル院(地域院)とリージョナル院(地方院)の二院制で成り立ち、それらの二院の議員数が318名で、その予備議員が318名いる。つまり、欧州地方自治体会議議員数は636名である。 欧州地方自治体会議議員の役割は 以下に示す三つである。
A、二院の議長任命
B、欧州の地方や地域の意見に基づく会議
C、欧州の新しい民主主義制度における民主的な地方の構造を強化する
5. 欧州人権裁判所(Le Cour europeenne des Droits de l`Homme)
欧州人権裁判所は、1950年にローマで調印され、1953年に発効した欧州人権条約の実効を保障するため、ヨーロッパ評議会加盟国の人権侵害事件に対応する1959年にストラスブールに設置され、1998年11月1日条約改定により、ヨーロッパ評議会の常設組織となる。評議会加盟国を対象とする人権救済機関である。 この組織は、国際連合の国際司法裁判所とは異なり、国家間の紛争処理を対象にせず、個人や団体の国家に対する人権訴訟を受け付けている。
6. 国際NGO会議(La Conference des organisations internationales non gouvernementales)
国際NGO協議会は370の国際NGOが参加している。 そして、欧州評議会の議員会議と欧州地方自治体会議の議員と社会的活動を目的にした組織との会話や交流を促進する。
以上、ヨーロッパ評議会の6つの組織機能について簡単に紹介した
ヨーロッパ評議会は現代民主主義国家の形成を世界に普及したヨーロッパ社会や文化に関する基本的理念を普及と維持を課題にした組織であり、人権、民主主義、法の支配という共通の価値の実現に向けた加盟国間の協調の拡大を目的にした共同体である。従って、欧州評議会の目指す人権、民主主義、法の支配という共同の社会理念を持つ多文化と多言語共存社会の構築は政治経済共同体の前面に出して推進することは難しい。 そのため、参加国の外相による閣僚委員会、国会議員による議員会議、地方自治体の議員による欧州地方自治体会議議員の三つの検討委員会を設置することで、中央からの変革の指令でなく、加盟国の全ての地方からの課題を吸い上げながら、その課題を基にして欧州全体として取り込む検討組織は全く新しい制度を創り上げてきた。つまり、ヨーロッパ評議会の理念や設立の基調を展開するためには、加盟国の国益でなく、欧州全体の市民の利益を代表するヨーロッパでの政治政党や会派の形成が必要とされた。そのために、この評議会の組織が形成され、その運営が検証されながら、現在の形が生まれたのである。
ヨーロッパ評議会(CE)からヨーロッパ共同体(EC)への過程
1949年5月5日にロンドン条約によるヨーロッパ評議会( Council of Europe )が結成されてから、ブリュッセル条約によって1967年に欧州共同体(European Community )が結成され、さらに、1992年のマーストリヒト条約が調印を経て、1993年にヨーロッパ連合(European Union)が結成されるまでの経過を簡単に辿りながら、ヨーロッパ評議会(CE)、欧州共同体(EC )とヨーロッパ連合(EU)の違いを述べてみる。
まず、ヨーロッパ評議会(CE)から欧州共同体(EC )が形成される過程で重要な条約と共同体機構を簡単に列挙する。
1、欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC) パリ条約(1952年)
二つの戦争の原因の一つとして、ドイツのザールランドとフランスのアルザス・ロレーヌで産出される石炭と鉄鉱石を巡る戦いがあった。産業や軍事の重要な資源である石炭と鉄鉱石を共同管理することによってヨーロッパでの戦争を回避することがフランス外相ロベール・シューマンによって提案され、欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)が、1951年にパリ条約で決められ、1952年に結成された。
2、欧州原子力共同体(EURATOM) ローマ条約 (1957年)
1957年、ベネルクス三国(ベルギー、オランダ、ルクセンベルグ)、フランス、西ドイツ、イタリアの六ヶ国によって、ローマ条約が提携され、石炭に代わる軍事や産業の重要な資源である原子力エネルギーや資源のヨーロッパでの共同管理を決め、欧州原子力共同体(EURATOM)が1958年から発足する。
3、欧州経済共同体(EEC) ローマ条約(1957年)
1957年、ベネルクス三国、フランス、西ドイツ、イタリアの六ヶ国によって、ローマ条約が提携され、 1958年から欧州経済共同体(EEC) が発足する。また、イギリスなどがEECに対抗して欧州自由貿易連合(EFTA)を、1960年に発足する
4、欧州共同体(EC) ブリュッセル条約 (1965年)
1965年、ベネルクス三国、フランス、西ドイツ、イタリアの六ヶ国間で、ブリュッセル条約によって EEC、EURATOM、ECSCの統合が決定し、1967年に欧州共同体(EC)が発足する。
この段階でのヨーロッパ地域共同協力機能は、一言で表現すると、欧州地域での平和的共存関係の成立 (信頼関係の成立)から経済的発展への相互協力関係 (経済関係の成立) を課題にし、その形成を行った。ECのような地域経済協力共同機構の形成は、国際地域での平和的共存関係が保障されていなければならない。その平和的共存関係は相互に国家間の文化への理解、そして政治制度への信頼が必要である。この政治文化的信頼の基準を民主主義、自由主義と人権思想に基く法治国家とそれを支える社会経済システムを前提にしている。そのために、ヨーロッパ評議会の形成発展が推進されてきた。つまり、ヨーロッパ評議会の形成発展によって国際地域的な平和共存関係が成立した。そしてその信頼関係を深化発展させながら、欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)、欧州原子力共同体(EURATOM)、欧州経済共同体(EEC) を形成し、ヨーロッパ地域での経済的発展への相互協力関係の形成を目的にした欧州共同体(EC)が創設された。
ヨーロッパ共同体(EC)からヨーロッパ連合(EU)への過程
二つの世界大戦で大きな被害を受けたヨーロッパ、中でも戦勝国のイギリスやフランスは、それ以前の世界最大の軍事や経済大国の地位を失い、アメリカに譲っていた。また、朝鮮戦争以後の東西冷戦構造が、そのまま欧州ヨーロッパを分断していた。ドイツは東西に国が分かれ、ソビエト連邦と軍事的同盟を結ぶ東欧諸国と米国と軍事同盟(NATO)を結ぶ西欧に分かれた。
さらに日本を中心とする東アジアの経済復興によって、西欧資本主義諸国は世界市場を奪われ、相対的に経済力が落ちて行った。そうした西欧諸国の危機感も相まって、欧州共同体(EC)内部では強力な経済協力機構が形成されてゆく。つまり経済的発展への相互協力関係がECによって成立し、そのECがさらにEC内部の相互の経済関係を強固にし、EC外部との経済競争力を共同で形成するために、政治共同体の形成 (連合国家としての政治的機能の成立)が試みられた。それが欧州連合(EU) の形成への道を導いたのである。
以下、地域的経済的発展を保障する共同体ECから政治機能の統一を目指す共同体EUへの発展過程を構築した主な要素を列挙する。
1、関税同盟と農業共同市場の形成
1969年、EC6カ国間で関税同盟が成立し、EC内部の農業共同市場が発足した。これはEC内でのFTAの成立を意味する。この関税同盟はECの機能を展開するものである。
2、欧州共同体の拡大と国際的立場の確立
ECは1957年、ベネルクス三国(ベルギー、オランダ、ルクセンベルグ)、フランス、西ドイツ、イタリアの6カ国で結成した。その後、 1973年にイギリス、デンマーク、アイルランドが加盟して9カ国となり、さらに 1981年には、ギリシャが加盟し10カ国になる。l1986年にはスペイン、ポルトガルも加盟して、ECは12ヵ国となった。EC加盟国が増えることで、ECの国際的立場が確立して行く。1973年以来、イギリスなどの参加で9カ国に拡大したECは、 1978年、先進国首脳会議(サミット)にEC代表を送った。さらに、1985年にはEC加盟国の市民のパスポートが統一された。つまり、EC加盟国は、EC非加盟国に対してEC共同市民証明を発行する機能を持ったのである。このことは、ECが単なる経済的発展への相互協力を行う共同体から、外交的に一つの政治共同体の形成を目指して機能したと解釈できる。
3、 ECのヨーロッパ貨幣制度の発足へ
1979年にはEMS・ヨーロッパ通貨制度が発足した。この制度は、EC加盟国内での通貨単位(ECU)を作ることに同意を図るために行われたものである。この制度を確立するに当たって、1979年、EC加盟国の市民による欧州議会の直接選挙が行われた。
4、統一ドイツの形成 ポスト冷戦時代と欧州連合(EU)の発足
1990年、東ヨーロッパ諸国の民主化が行われ、ベルリンの壁が崩壊し、東と西に分離していたドイツが統一された。 その結果、旧東ドイツ地域もECに編入される。 また、1991年にソ連崩壊し、米ソを二極にした東西冷戦時代が終結することになる。この冷戦の終焉によって、ヨーロッパでのソ連を中心としたNATO、つまり対共産主義圏軍事同盟の意味が失われる。その意味で、西欧では東欧を含めた汎ヨーロッパ主義が形成されることになる。この汎ヨーロッパ主義が、自由主義経済社会を中心とするこれまでのCEやECの地域共同体の枠組みが、大きく広がる傾向を受け止めることになったとも言える。また、世界はアメリカを中心とする自由主義経済が世界を市場として展開することになる。グローバリゼーションが急速に進む中で、EC の機能、つまり経済共同体としての役割の強化が求められる。1992年に、マーストリヒト条約が調印され、欧州連合(EU)の発足がまる。 1993年、ECを元にしてEUが正式に発足することになる。
欧州連合(EU)の形成発展過程とその課題
欧州連合は連合政府としての政治的機能を持つヨーロッパの政治共同体である。現代ヨーロッパでのCEやECとも異なる。また、これまでアメリカ合衆国、インド連邦共和国、旧ソビエト社会主義連邦共和国等の地域政治共同体とも異なる。何故なら、その理由は民主主義と人権の法的支配を前提条件とする社会文化の形成と発展による平和的共存を目指すCEが基盤となり、その後、経済共同体ECの形成を経てEUが形成されたからである。
つまり、CEの形成によって、共同の政治思想(民主主義と人権思想)を前提にした平和的共存関係の成立を目指す中で、共通の文化的共同体としての信頼関係の確立しながら、さらに、この文化的信頼関係によって成立している国際地域共同体を、さらにECの形成によって、経済的発展への相互協力関係を形成発展することで、強固な経済共同体を形成してきた。それらの共通の文化経済共同体の形成の上に、一つのヨーロッパという政治共同体EUの形成を目指している。
どのようにしてEUの発展を形成しようとしているのだろうか。その過程を代表する4つの代表的な地域共同体の例を挙げる。
1、欧州経済領域(EEA)と欧州自由貿易連合(EFTA)
EUは、1994年にEU加盟国内で欧州経済領域(EEA)が成立する。また、イギリスなどがEECに対抗して欧州自由貿易連合(EFTA)を、1960年に発足する。 しかし、1973年イギリスはEFTAから脱退しECに加盟する。現在、本部はジュネーブにあり、アイスランド、ノルウェー、スイス、リヒテンシュタインの4カ国が加盟している。
2、シェンゲン協定
ヨーロッパ各国で、共通の出入国管理政策及び移動自由な国境システムを確立するために、すでに、1985年にベルギー、フランス、ドイツ、ルクセンブルグとオランダの5カ国によって調印されていた。 域内での人的移動を活発にするために、1995年にシェンゲン協定を提携し、EU加盟国する15カ国間での人の移動の自由化を促進する。 現在、EUに加盟していないアイスランド、ノルウェーとスイスを入れて28カ国で協定が成立している。
3、欧州連合の拡大とユーロ通貨(EEC)圏 の形成
EUは1995年、オーストリア、フィンランド、デンマークが参加し15カ国になった。そして 2004年にホーランド、ハンガリー、チェコ、スロバキア、スロヴェニア、エストニア、ラトビア、リトアニア、キプロス、マルタが参加して25カ国と増え、さらに 2007年、ブルガリア、ルーマニアが参加して27カ国となった。1993年から2007年までの15年間で参加国家は12カ国から27カ国に増加したことになる。EU連合国家内部では、さらに緊密な関係を形成するために、ヨーロッパ共通通貨の導入を決めた。1992年マーストリヒト条約でユーロの導入を決定。 この条約に即して、1999年にEU内の11カ国でユーロ-が導入される。 2008年には15カ国が公式採用し、現在(2013年1月現在)、EUに加盟国する27カ国中ユーロ圏と形成する国は23カ国になっている。
4、 欧州国民概念の形成と欧州憲法条約の草案
EUは国家的機能を模索し続けている地域国際連合である。つまり、ヨーロッパ連合を構成している国家は少なくとも伝統的な国家(国民国家)の形態を持っている。国民と主権とする政治ガーバナンス制度が成立している地理文化的単位として、また国際的にその単位が承認されている制度であると言える。現在、それらの地理文化的政治ガーバナンス単位の連合として、国連からCEやEUまでが存在している。しかし、EUはそれらの単位の連合という概念から考えると、明らかにこれまでの20世紀に形成された伝統的な国際連合(国民国家の連合)と異なり、一つの国家を目指している。つまり、これまでの民族国家や国民国家の概念の変更を前提にして、「ヨーロッパ国民・市民」という新しい概念を形成しようとしている。つまり、CE設立の基本理念(民主主義と法の支配、人権、平和共存)を欧州国民の社会観念(価値表象)として確立することを意味する。その作業の第一歩が欧州憲法の制定である。
欧州憲法を制定するために、2004年に欧州連合加盟国(25カ国)の代表により欧州憲法条約が結ばれた。しかし、欧州憲法条約とは、欧州憲法を制定するための、加盟国間の取り決めである。欧州憲法を制定するためには、当然、加盟国の国民投票を経て、批准されることが条件となっている。加盟国の多くでは、議会における採決または国民投票により批准された。しかし、フランスとオランダでの国民投票では批准が拒否された。現在、欧州憲法は制定に向けて作業が進んでいる。
地域政治共同体へのEUモデルの形成進捗状況
EUの地域政治共同体の特徴は、以下に示す5つ段階的発展形態の内容とそれらの段階的説明を最後に纏めたモデルで説明されるだろう。
1、 地域平和共存関係を目指すために、まず、域内の政治文化的信頼関係の形成が問われる。それを保障するのは域内の政治文化の基調や価値表象が共同化されなければならない。つまり、CE機能形成を通じながら、CE域内の共同の価値表象の形成が問われる。その価値表象を代表する課題が民主主義、法の支配、人権であり、その価値表象が共有されるために前述した欧州評議会の5つの目的と13の執行機能の形成が挙げられる。
2、 第一と第二次世界大戦の原因やその中で行われた人権侵害を徹底的に反省することによって、1に述べたCE域内の共同価値表象の形成過程を創った。例えば、ドイツ(西ドイツ)は第二世界大戦時のナチスドイツのユダヤ人虐殺の事実を国民的に受け止め、その原因と課題を徹底的に問題とし、戦後ドイツ民主主義社会形成の基本とした。つまり、CEは、この歴史をドイツ国民の課題から全ヨーロッパ的な課題にすることで、ドイツでのCE域内での人権尊守の社会観念や共同価値表象の形成を支援した。このドイツの試練こそが、ドイツをして欧州最大の経済大国に成長させる底力を与えた。つまり、ドイツ国民の中に徹底してCEの設立の理念が取り入れられ、戦後ヨーロッパ民主主義の代表国に成長させたのである。
3、 一つのヨーロッパという価値観や観念は、ヨーロッパ人という感性の形成によって確立して行く。その感性はあるモデルをもって形成される。そのモデルがCEの理念である。その意味でドイツは、戦前最も反ヨーロッパ的存在として評価され、そして戦後は、最もヨーロッパ的存在として評価された。彼らが、現在のヨーロッパの価値表象を代表し、ヨーロッパの社会観念を展開する人々と評価される。それが、そのまま、統一ヨーロッパの力と成っていると言える。
4、 上記の前提に立って、ECとして経済的発展への相互協力関係が展開された。その経済関係の成立条件が確立し、その経済共同体が形成展開される。さらに経済共同体の形成が、その効率を求め、またその合理的機能性と構造性を求め、域内の政治共同体の形成に必要な条件を提示していく。そしてその条件を満たすための意思決定機能やガーバナンスが整理され、地域政治共同体が実現してゆく。
5、 上記の過程を纏めると、共同価値表象によって形成される社会文化領域の形成、相互の政治文化に関する信頼関係を前提にした経済共同体の形成、経済共同体の合理性や運営経済効率を求め政治的機能が整備され、地域連合国家の機能が成立するという三つの段階がEUモデルであると言える。
参考資料
1、Van Drom Eddy, 三石博行( Mitsuishi Hiroyuki) 「ヨーロッパ(欧州)評議会の歴史とその政治的機能 海外ミニ講座 ヨーロッパ学1 」2007年11月 PowerPoint資料 56枚
http://hiroyukimitsuishi.web.fc2.com/tensou/Europe1.files/frame.htm
2、Van Drom Eddy, 三石博行( Mitsuishi Hiroyuki)「ヨーロッパ(欧州)連合成立史 海外ミニ講座 ヨーロッパ学2 」 2008年10月 PowerPoint資料32枚
http://hiroyukimitsuishi.web.fc2.com/tensou/Europe2.files/frame.htm
3、舟橋精一 「第二次世界大戦等の戦争犠牲者数」ホームページ資料
http://www.max.hi-ho.ne.jp/nvcc/TR7.HTM
4、Edition by the Directorate of Communication-Public Relation Division The Council of Europe 800million Europeans Production by the Documents and Publications Departement, 2007.6 , 101p
5、外務省ホームページ
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/ce/
6、Council of Europe(ヨーロッパ評議会 ホームページ)
http://assembly.coe.int/default.asp)
7、European Union (ヨーロッパ連合 ホームページ)
http://europa.eu/index_en.htm
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三石博行
平和な中世汎ヨーロッパ文化圏と近代国民国家形成過程における地域紛争の激化
欧州連合(EU)を構成する国々は古代ローマ時代から交易、侵略(戦争)、支配と被支配、領土境界(国境)の変更を繰り返し、言語的には大きくは同じインド・ヨーロッパ語、精神構造的には古代ゲルマン・ギリシャ神話(汎神論)的風土、社会システム的には中世キリスト教文化を共有している欧州と呼ばれる地理的環境に所属している。その意味で、古代、中世から現代まで大きく一つの文化圏に所属すると言ってもよいだろう。
また、ギリシャ文明や古代ローマ文明を起源とし、文字、伝統的学問体系を共有している。更に、古代ローマ帝国とその周辺国家に代表されるように、常に、歴史的に、この地域では多様な民族間での紛争や戦争が繰り返され、上記したように、ケルト民族、ラテン民族、ゲルマン民族やスラブ民族と呼ばれる主なヨーロッパ民族の間での支配と被支配を繰り返し、それらの民族間の領土の拡張と縮小が繰り返されてきた。そしてその紛争は18世紀以降の国民国家の成立後も繰り返されてきた。その度ごとに、国民国家間の国境の変更が20世紀半ばまで続いた。
ヨーロッパの戦争史を振り返ると、13世紀から20世紀までのヨーロッパで生じた戦争の数を世紀毎に集計し、それを図1で示した。13世紀で1回、14世紀から15世紀で1回、16世紀で3回、つまり16世紀はその200年間前の3倍の数の戦争が起った。そして、17世紀は4回で、16世紀よりも1回多い。さらに18世紀は6回で17世紀よりも2回増えている。近代国家が成立した19世紀では12回となり、ヨーロッパでの戦争は18世紀の2倍に増えたのである。そして、帝国主義の時代が始まる20世紀で27回となり、まさに、ヨーロッパでは4から3年に一回の戦争が起ったことになる。このように、ヨーロッパでは中世から近代、そして現代と戦争は増え続けたのである。
15世紀までのヨーロッパは、一見すると長い期間の戦争のない時代であると言える。ローマ帝国の支配から中世ヨーロッパの千年もの間、ヨーロッパでの戦争のない時代は、視点を変えるなら古代ローマ帝国から続く強固な封建領主、絶対王政によってヨーロッパ全土が支配されていたために少数民族の自立を求める紛争は抑圧されていたとも言える。
そして、市民革命が起り、国民国家が成立する17世紀、18世紀を経て、王政が終焉した19世紀には、それまで伝統的に続いた古代・中世的汎ヨーロッパ主義(ローマ帝国の名残)が消えることによって、帝国主義と呼ばれる新たなヨーロッパでの支配の論理による、ヨーロッパ内の支配と被支配の関係が成立していった。ヨーロッパ大陸では国民国家間の抗争が生み出された。それはヨーロッパ列強が地理的にヨーロッパとその植民地によって世界を二分した時代と重なるのである。
二つの世界大戦の反省から生まれたヨーロッパ(欧州)評議会
20世紀のヨーロッパは、これまで人類が経験したことのない二つの世界大戦の場となる。この二つの世界大戦で想像の出来ない大きな破壊を受けることになる。その一つの戦争が1914年から1918年までの第一次世界大戦である。この戦争は、ドイツ、オーストリア、オスマントルコ、イタリア、ブルガリアの同盟国とイギリス、フランス、ロシアの連合国の二つの勢力によってヨーロッパを二分する欧州大戦争となる。この戦争の原因は帝国主義の植民地再分割戦争であった。ヨーロッパ諸国、北米と日本を含む36各国が交戦した。つまり、ヨーロッパから世界に戦禍が飛び火した。新たに植民地拡大を狙う日本も連合国側に参加し、それまでドイツがアジアで支配した植民地を奪い取るのである。そして、約900万人の兵士と約1000万人の市民の犠牲、約2200万人の負傷者が発生した。
さらに、それから21年後に、再び世界戦争が起る。第二次世界大戦( 1939年から1945年まで)では、新興帝国主義国家であるイタリア、ドイツ、日本の同盟国とその勢力に対抗するイギリス、アメリカ、フランス、ソビエト、中華民国の連合国で、ヨーロッパとアジア・太平洋を戦場にして世界を二分する大戦争が起る。近代兵器を駆使した第二世界大戦は先の世界戦争以上に多くの犠牲を生み出した。それは人類の歴史上最大の戦闘が行われ、そのヨーロッパでの戦争による犠牲者は約5500万人と言われている。犠牲者は軍人だけでなかった。約3000万人(ユダヤ人600万人)の一般市民が命を落とした。つまり、民間人の死者が半分を超えたのである。
第一次、第二世界大戦以来、戦争の形態は激変した。戦場は限定されず、国全体を巻き込む総力戦が展開され、戦争による犠牲者は軍人のみでなく国民全員に及んだ。また、近代・現代科学を駆使して兵器が開発され、巨大戦艦(空母)や爆撃機、さらには大型爆弾や化学兵器、原子爆弾に代表される恐るべき破壊力を持つ、大量殺人兵器が使用された。
戦死者(軍人)も第一次世界大戦では約1000万人であったが、第二次世界大戦では約5000万人と5倍に膨れ上がり、直接戦費も第一次世界大戦では約2080億ドルであったが、第二次世界大戦では、その5倍の約1兆1170億ドルとなったと報告されている。つまり、戦場になったヨーロッパのフランスやイギリス等の戦勝国(連合国)に於いても、敗戦したドイツやイタリア(三国同盟)と同じように、戦争による国への被害は甚大なものであり、戦禍で荒廃した国土と甚大な犠牲者を生み出すことになった。
再びこうした戦災をヨーロッパで繰り返さないために、ヨーロッパ統合の考えが、ヨーロッパで生まれて行く。最初にヨーロッパ統合の考えを述べたのはギリスの首相Winston Churchill(チャーチル)であった。第二次世界大戦終了の翌年1946年9月19日にチャーチル首相Winston Churchillはドイツのチューリッヒ大学で「欧州合衆国」の形成が必要であると演説した。また、チャーチルは1948年5月に、ヨーロッパ政治経済の共同体、ヨーロッパ議会、統一ドイツ、人権憲章、最高裁判所、子供、青年や文化に関するヨーロッパセンターの必要性を訴えたヨーロッパ宣言を採択するために、ハーバー会議を呼びかけた。この会議には、殆ど全てのヨーロッパの国々の代表が参加したのである。
そのチャーチルのヨーロッパ統合(欧州合衆国構想)は1949年5月5日にロンドン条約によるヨーロッパ評議会の正式発足として具体化することになる。ベルギー、デンマーク、ルクセンベルグ、オランダ、フランス、イギリス、アイルランド、イタリア、ノルウェー、スウェーデンの10各国がヨーロッパ評議会創設時の原加盟国として参加した。ヨーロッパ(欧州)評議会が設立した当初は、20世紀にドイツとフランスの戦争によって何遍となく国名を変えさせられたアルザスの中心都市ストラスブールのストラスブール大学宮殿( Le Palais de l’Universite )で会合が開かれて、その後、ヨーロッパ評議会はストラスブールの市内にヨーロッパ宮殿( Le Palais de Europe )に常設されることになる。 ヨーロッパ(欧州)評議会の公用語は英語とフランス語である。また、2007年9月には47カ国が加盟している。そして、日本は非欧州オブザーバー参加国である。
欧州評議会の5つの目的と13の執行機能
欧州評議会は、大きく5つの目的を持っている。
一つ目は民主主義と法の支配である。この民主主義と法の支配とは、これまでヨーロッパ内で起った戦争、民族大虐殺、迫害の歴史を繰り返さないため、社会理念の基本に人権、民主主義に基く法制度を確立し、その法律に即して国家や社会の運営を行う考えかたである。これが欧州評議会の最も重要理念とされている。
この一つ目の課題が目的とするのは二つ目の目的と謳われた人権擁護である。つまり、民主主義制度とは人権の思想を基盤にして成立している。資本主義社会での自由や平等は人権思想を前提として形成発展するのである。人権擁護は二つの課題が存在する。一つは社会権で、人々が社会の中で人間らしい尊厳を受ける権利や生活を行う権利を意味する。そのためには欧州社会憲章が必要とされる。二つ目の課題とは人々の文化的アイデンティテイーの尊厳である。自我や主体に直結する言語権の問題である。コルシカ、アルザスやバスク地方では「方言」と呼ばれる少数民族言語や文化が存在している。これらの少数民族は国家によって独自の言語文化の消滅の危機に瀕している。そこで欧州地域・少数民族言語憲章を確立し、それらの文化、言語権を擁護しようとしている。
つまり、二つ目の目的は、三つ目の目的である少数民族文化アイデンティテイー保護と文化多様性を促進する目的の前提条件となる。 非ヨーロッパ圏の社会から観ると、概して、一つのヨーロッパ文化と評価されるかもしれない。しかし、ヨーロッパ文化の形成を古代から辿ると、この地に多くの民族(ケルト人、フン族、バスク人等々)文化や言語が存在することを知ることが出来る。その意味で、多様なヨーロッパ文化と言うべきだろう。それらの多様性は現代ヨーロッパ社会文化の財産であるとも言える。しかし、近代社会に成立した国民国家制度によって、このヨーロッパ文化や言語の多様性が失われようとしている。欧州評議会の政治的目的はヨーロッパの平和と共存であり、そのための統一ヨーロッパの建設である。しかし、この政治的目的(統一ヨーロッパの建設)は、決してヨーロッパを一つの文化形態に纏め、少数民族の文化や言語を絶滅させようとしているのではなく。むしろ逆に、この評議会の設立の理念・人権思想に基くならば、多文化多民族ヨーロッパが共存する政治経済と文化的形態を創設することを目的としているのである。
四つ目の目的は、「差別、排除主義、環境権、AIDS,麻薬、組織犯罪などの欧州社会が直面する諸問題への提起 」である。未来の欧州社会の安定と発展を目指すために、現在の社会が直面している人権侵害に関連する課題を解決することが欧州評議会の役割である。この問題解決の方法として、国家のレベルでの問題解決だけでなく、異なる地域性や地方性や旧植民地からの移民を抱えた欧州のミクロ社会の現実から、それらの文化的多様性や独自性を前提に、かつそれを尊重しながら問題解決を行うことが求められる。そのためには、問題の社会政治的一般性と独自性を共に解決できる政治システムが必要となり。ヨーロッパ評議会では、そのためにヨーロッパ全体の議員会議や欧州地方自治体会議を設置している。それらの異なる視点からの問題を提起や問題解決の試みが続いている。
社会改革を通じた民主的安定を目指すことが五つ目の目的となる。発達した資本主義社会ヨーロッパでは、当然ながら、富める人々と貧しい人々、豊かな地域や貧しい地域、民主主義の歴史の長い地域や短い地域、社会資本の整備された地と遅れている地域、つまり社会的豊かさにおける格差が存在している。欧州評議会の最も重要理念である民主主義と法の支配、人権の思想を確立するために、欧州評議会ではその制度等の改革を促し、協力をしあい、平和で安定した社会と構築する活動を行っている。
ヨーロッパ評議会の形成を促した理念(基本命題)はヨーロッパ地域の平和的共存、人権と民主主義の社会制度の形成発展である。そのために、欧州評議会は上記した5つの目的を明確に示し、それあの目的に目指して13の具体的な課題を取り上げ、その課題を展開するためにそれぞれに課題別の執行機能を形成してきた。その13の課題解決に関する執行機能を下に列挙する。
A、人権擁護 les droits de l’Homme
B、メディアと民主主義 les medias et la democratie
C、共同司法制度 la cooperation juridique
D、社会的結束 la cohesion sociale
E、開発資金 le financement du developpement
F、欧州内の南北問題 les rapports Nord-Sud
G、健康管理と予防 la protection et de la promotion de la sante
H、ヨーロッパ文化保護 la culture europeenne
I、教育 l’education
J、文化遺産保護 la culture et du patrimoine
K、自然や里山保護 le patrimoine naturel et paysager
L、 スポーツ推進 le sport
M、青少年 la jeunesse
欧州評議会は13の機能の中でも、特に、人権擁護、メヂィアの表現の自由の擁護、民主主義制度の推進等を、精力的に推進している。つまり、平和的共存、人権と民主主義を基調とする法に基づく政治制度を掲げる政治思想を共有する一つのヨーロッパの形成がこの欧州評議会の目的である。そのための問題解決機能を形成し、優先順位を決めながら、時代的に取り組み、未来への橋渡しを行おうとしているのである。
ヨーロッパ(欧州)評議会の主な機関
ヨーロッパ(欧州)評議会は、上記した目的、つまり民主主義社会文化の発展、人権擁護、文化的多様性の保護、生活環境の向上と安全確保を果たすために、具体的な13の執行機能の効率を目指して、事務局と5つの機関を設けている。
1. 事務局( Le secretaire general)
ヨーロッパ評議会事務局長は、議員会議で選出され、その任期は5年間である。閣僚委員会ではヨーロッパ評議会の運営実務を担当している。2004年以来現在までイギリスのTerry Davis氏が事務局長として評議会の指揮を執っている。 事務局を率い事務局長の役割は閣僚委員会からの承認を得なければならない重要課題に関して業務を履行することである。
2. 閣僚委員会 (Le Comite des Ministres )
ヨーロッパ評議会の意志決定機関である。原則として、閣僚委員会は47の参加国の外務大臣で構成されている。年に一回、非公開の閣僚級での会議が開かれる。人権、民主主義と法の支配による政治を基調とするヨーロッパ評議会の協定に違反する政府への勧告を行い。また、その理念を推進するための条約や協定の採択を行っている。 この機関は、例えば予算の決定、ヨーロッパ協定の採択や参加国によって約束された協定尊守の勧告を行う。また、この機関は、ヨーロッパ評議会への新しい参加国を決定し、また欧州人権裁判所の法令の実行を勧告する。
3. 議員会議 ( L’Assemblee parlementaire)
議員会議は、加盟国の国会議員で構成されており、それぞれの国から選出される議席数はその国の人口・GNP比で決められている。議員は318で、予備議員が同数の318名、合計636名である。
議員は参加国の国会議員であるが、会派が存在する。例えば社会主義グループ(SOC)、欧州人民党グループ(EPP/CD)、欧州自由民主同盟(ALDE), 欧州民主主義グループ(EDG)、欧州統一左派(UEL) が主な勢力となっている。 本会議は年間4回開かれ、10の一般委員会やその他の委員会の活動がなされている。しかし、立法権はなく、モニタリング機関として機能している。議員会議の議長はオランダのRene van der LINDEN氏で(2005年1月から)ある。議長の任期は1年で、通常3期で交代することになっている。つまり、2008年1月に議長選挙が行われる。 議会の役割は、以下に示す四つである。
A、 その時々の重要案件に関する議論
B、 閣僚委員会への勧告
C、 多くの協定を行う
D、 事務局長を選ぶ
4. 欧州地方自治体会議(Le Congres des pouvoirs locaux et regionaux )
欧州地方自治体会議は、1994年に創られた。この議会はヨーロッパ各国の地方レベルでの民主化を推し進めることを目的として運営されている。この機関は、閣僚委員会及び議員会議の諮問機関として機能する。 議員会議が国会議員で構成されていたように、この会議の議員は各国の地方代表議員で構成されている。欧州地方自治体会議はローカル院(地域院)とリージョナル院(地方院)の二院制で成り立ち、それらの二院の議員数が318名で、その予備議員が318名いる。つまり、欧州地方自治体会議議員数は636名である。 欧州地方自治体会議議員の役割は 以下に示す三つである。
A、二院の議長任命
B、欧州の地方や地域の意見に基づく会議
C、欧州の新しい民主主義制度における民主的な地方の構造を強化する
5. 欧州人権裁判所(Le Cour europeenne des Droits de l`Homme)
欧州人権裁判所は、1950年にローマで調印され、1953年に発効した欧州人権条約の実効を保障するため、ヨーロッパ評議会加盟国の人権侵害事件に対応する1959年にストラスブールに設置され、1998年11月1日条約改定により、ヨーロッパ評議会の常設組織となる。評議会加盟国を対象とする人権救済機関である。 この組織は、国際連合の国際司法裁判所とは異なり、国家間の紛争処理を対象にせず、個人や団体の国家に対する人権訴訟を受け付けている。
6. 国際NGO会議(La Conference des organisations internationales non gouvernementales)
国際NGO協議会は370の国際NGOが参加している。 そして、欧州評議会の議員会議と欧州地方自治体会議の議員と社会的活動を目的にした組織との会話や交流を促進する。
以上、ヨーロッパ評議会の6つの組織機能について簡単に紹介した
ヨーロッパ評議会は現代民主主義国家の形成を世界に普及したヨーロッパ社会や文化に関する基本的理念を普及と維持を課題にした組織であり、人権、民主主義、法の支配という共通の価値の実現に向けた加盟国間の協調の拡大を目的にした共同体である。従って、欧州評議会の目指す人権、民主主義、法の支配という共同の社会理念を持つ多文化と多言語共存社会の構築は政治経済共同体の前面に出して推進することは難しい。 そのため、参加国の外相による閣僚委員会、国会議員による議員会議、地方自治体の議員による欧州地方自治体会議議員の三つの検討委員会を設置することで、中央からの変革の指令でなく、加盟国の全ての地方からの課題を吸い上げながら、その課題を基にして欧州全体として取り込む検討組織は全く新しい制度を創り上げてきた。つまり、ヨーロッパ評議会の理念や設立の基調を展開するためには、加盟国の国益でなく、欧州全体の市民の利益を代表するヨーロッパでの政治政党や会派の形成が必要とされた。そのために、この評議会の組織が形成され、その運営が検証されながら、現在の形が生まれたのである。
ヨーロッパ評議会(CE)からヨーロッパ共同体(EC)への過程
1949年5月5日にロンドン条約によるヨーロッパ評議会( Council of Europe )が結成されてから、ブリュッセル条約によって1967年に欧州共同体(European Community )が結成され、さらに、1992年のマーストリヒト条約が調印を経て、1993年にヨーロッパ連合(European Union)が結成されるまでの経過を簡単に辿りながら、ヨーロッパ評議会(CE)、欧州共同体(EC )とヨーロッパ連合(EU)の違いを述べてみる。
まず、ヨーロッパ評議会(CE)から欧州共同体(EC )が形成される過程で重要な条約と共同体機構を簡単に列挙する。
1、欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC) パリ条約(1952年)
二つの戦争の原因の一つとして、ドイツのザールランドとフランスのアルザス・ロレーヌで産出される石炭と鉄鉱石を巡る戦いがあった。産業や軍事の重要な資源である石炭と鉄鉱石を共同管理することによってヨーロッパでの戦争を回避することがフランス外相ロベール・シューマンによって提案され、欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)が、1951年にパリ条約で決められ、1952年に結成された。
2、欧州原子力共同体(EURATOM) ローマ条約 (1957年)
1957年、ベネルクス三国(ベルギー、オランダ、ルクセンベルグ)、フランス、西ドイツ、イタリアの六ヶ国によって、ローマ条約が提携され、石炭に代わる軍事や産業の重要な資源である原子力エネルギーや資源のヨーロッパでの共同管理を決め、欧州原子力共同体(EURATOM)が1958年から発足する。
3、欧州経済共同体(EEC) ローマ条約(1957年)
1957年、ベネルクス三国、フランス、西ドイツ、イタリアの六ヶ国によって、ローマ条約が提携され、 1958年から欧州経済共同体(EEC) が発足する。また、イギリスなどがEECに対抗して欧州自由貿易連合(EFTA)を、1960年に発足する
4、欧州共同体(EC) ブリュッセル条約 (1965年)
1965年、ベネルクス三国、フランス、西ドイツ、イタリアの六ヶ国間で、ブリュッセル条約によって EEC、EURATOM、ECSCの統合が決定し、1967年に欧州共同体(EC)が発足する。
この段階でのヨーロッパ地域共同協力機能は、一言で表現すると、欧州地域での平和的共存関係の成立 (信頼関係の成立)から経済的発展への相互協力関係 (経済関係の成立) を課題にし、その形成を行った。ECのような地域経済協力共同機構の形成は、国際地域での平和的共存関係が保障されていなければならない。その平和的共存関係は相互に国家間の文化への理解、そして政治制度への信頼が必要である。この政治文化的信頼の基準を民主主義、自由主義と人権思想に基く法治国家とそれを支える社会経済システムを前提にしている。そのために、ヨーロッパ評議会の形成発展が推進されてきた。つまり、ヨーロッパ評議会の形成発展によって国際地域的な平和共存関係が成立した。そしてその信頼関係を深化発展させながら、欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)、欧州原子力共同体(EURATOM)、欧州経済共同体(EEC) を形成し、ヨーロッパ地域での経済的発展への相互協力関係の形成を目的にした欧州共同体(EC)が創設された。
ヨーロッパ共同体(EC)からヨーロッパ連合(EU)への過程
二つの世界大戦で大きな被害を受けたヨーロッパ、中でも戦勝国のイギリスやフランスは、それ以前の世界最大の軍事や経済大国の地位を失い、アメリカに譲っていた。また、朝鮮戦争以後の東西冷戦構造が、そのまま欧州ヨーロッパを分断していた。ドイツは東西に国が分かれ、ソビエト連邦と軍事的同盟を結ぶ東欧諸国と米国と軍事同盟(NATO)を結ぶ西欧に分かれた。
さらに日本を中心とする東アジアの経済復興によって、西欧資本主義諸国は世界市場を奪われ、相対的に経済力が落ちて行った。そうした西欧諸国の危機感も相まって、欧州共同体(EC)内部では強力な経済協力機構が形成されてゆく。つまり経済的発展への相互協力関係がECによって成立し、そのECがさらにEC内部の相互の経済関係を強固にし、EC外部との経済競争力を共同で形成するために、政治共同体の形成 (連合国家としての政治的機能の成立)が試みられた。それが欧州連合(EU) の形成への道を導いたのである。
以下、地域的経済的発展を保障する共同体ECから政治機能の統一を目指す共同体EUへの発展過程を構築した主な要素を列挙する。
1、関税同盟と農業共同市場の形成
1969年、EC6カ国間で関税同盟が成立し、EC内部の農業共同市場が発足した。これはEC内でのFTAの成立を意味する。この関税同盟はECの機能を展開するものである。
2、欧州共同体の拡大と国際的立場の確立
ECは1957年、ベネルクス三国(ベルギー、オランダ、ルクセンベルグ)、フランス、西ドイツ、イタリアの6カ国で結成した。その後、 1973年にイギリス、デンマーク、アイルランドが加盟して9カ国となり、さらに 1981年には、ギリシャが加盟し10カ国になる。l1986年にはスペイン、ポルトガルも加盟して、ECは12ヵ国となった。EC加盟国が増えることで、ECの国際的立場が確立して行く。1973年以来、イギリスなどの参加で9カ国に拡大したECは、 1978年、先進国首脳会議(サミット)にEC代表を送った。さらに、1985年にはEC加盟国の市民のパスポートが統一された。つまり、EC加盟国は、EC非加盟国に対してEC共同市民証明を発行する機能を持ったのである。このことは、ECが単なる経済的発展への相互協力を行う共同体から、外交的に一つの政治共同体の形成を目指して機能したと解釈できる。
3、 ECのヨーロッパ貨幣制度の発足へ
1979年にはEMS・ヨーロッパ通貨制度が発足した。この制度は、EC加盟国内での通貨単位(ECU)を作ることに同意を図るために行われたものである。この制度を確立するに当たって、1979年、EC加盟国の市民による欧州議会の直接選挙が行われた。
4、統一ドイツの形成 ポスト冷戦時代と欧州連合(EU)の発足
1990年、東ヨーロッパ諸国の民主化が行われ、ベルリンの壁が崩壊し、東と西に分離していたドイツが統一された。 その結果、旧東ドイツ地域もECに編入される。 また、1991年にソ連崩壊し、米ソを二極にした東西冷戦時代が終結することになる。この冷戦の終焉によって、ヨーロッパでのソ連を中心としたNATO、つまり対共産主義圏軍事同盟の意味が失われる。その意味で、西欧では東欧を含めた汎ヨーロッパ主義が形成されることになる。この汎ヨーロッパ主義が、自由主義経済社会を中心とするこれまでのCEやECの地域共同体の枠組みが、大きく広がる傾向を受け止めることになったとも言える。また、世界はアメリカを中心とする自由主義経済が世界を市場として展開することになる。グローバリゼーションが急速に進む中で、EC の機能、つまり経済共同体としての役割の強化が求められる。1992年に、マーストリヒト条約が調印され、欧州連合(EU)の発足がまる。 1993年、ECを元にしてEUが正式に発足することになる。
欧州連合(EU)の形成発展過程とその課題
欧州連合は連合政府としての政治的機能を持つヨーロッパの政治共同体である。現代ヨーロッパでのCEやECとも異なる。また、これまでアメリカ合衆国、インド連邦共和国、旧ソビエト社会主義連邦共和国等の地域政治共同体とも異なる。何故なら、その理由は民主主義と人権の法的支配を前提条件とする社会文化の形成と発展による平和的共存を目指すCEが基盤となり、その後、経済共同体ECの形成を経てEUが形成されたからである。
つまり、CEの形成によって、共同の政治思想(民主主義と人権思想)を前提にした平和的共存関係の成立を目指す中で、共通の文化的共同体としての信頼関係の確立しながら、さらに、この文化的信頼関係によって成立している国際地域共同体を、さらにECの形成によって、経済的発展への相互協力関係を形成発展することで、強固な経済共同体を形成してきた。それらの共通の文化経済共同体の形成の上に、一つのヨーロッパという政治共同体EUの形成を目指している。
どのようにしてEUの発展を形成しようとしているのだろうか。その過程を代表する4つの代表的な地域共同体の例を挙げる。
1、欧州経済領域(EEA)と欧州自由貿易連合(EFTA)
EUは、1994年にEU加盟国内で欧州経済領域(EEA)が成立する。また、イギリスなどがEECに対抗して欧州自由貿易連合(EFTA)を、1960年に発足する。 しかし、1973年イギリスはEFTAから脱退しECに加盟する。現在、本部はジュネーブにあり、アイスランド、ノルウェー、スイス、リヒテンシュタインの4カ国が加盟している。
2、シェンゲン協定
ヨーロッパ各国で、共通の出入国管理政策及び移動自由な国境システムを確立するために、すでに、1985年にベルギー、フランス、ドイツ、ルクセンブルグとオランダの5カ国によって調印されていた。 域内での人的移動を活発にするために、1995年にシェンゲン協定を提携し、EU加盟国する15カ国間での人の移動の自由化を促進する。 現在、EUに加盟していないアイスランド、ノルウェーとスイスを入れて28カ国で協定が成立している。
3、欧州連合の拡大とユーロ通貨(EEC)圏 の形成
EUは1995年、オーストリア、フィンランド、デンマークが参加し15カ国になった。そして 2004年にホーランド、ハンガリー、チェコ、スロバキア、スロヴェニア、エストニア、ラトビア、リトアニア、キプロス、マルタが参加して25カ国と増え、さらに 2007年、ブルガリア、ルーマニアが参加して27カ国となった。1993年から2007年までの15年間で参加国家は12カ国から27カ国に増加したことになる。EU連合国家内部では、さらに緊密な関係を形成するために、ヨーロッパ共通通貨の導入を決めた。1992年マーストリヒト条約でユーロの導入を決定。 この条約に即して、1999年にEU内の11カ国でユーロ-が導入される。 2008年には15カ国が公式採用し、現在(2013年1月現在)、EUに加盟国する27カ国中ユーロ圏と形成する国は23カ国になっている。
4、 欧州国民概念の形成と欧州憲法条約の草案
EUは国家的機能を模索し続けている地域国際連合である。つまり、ヨーロッパ連合を構成している国家は少なくとも伝統的な国家(国民国家)の形態を持っている。国民と主権とする政治ガーバナンス制度が成立している地理文化的単位として、また国際的にその単位が承認されている制度であると言える。現在、それらの地理文化的政治ガーバナンス単位の連合として、国連からCEやEUまでが存在している。しかし、EUはそれらの単位の連合という概念から考えると、明らかにこれまでの20世紀に形成された伝統的な国際連合(国民国家の連合)と異なり、一つの国家を目指している。つまり、これまでの民族国家や国民国家の概念の変更を前提にして、「ヨーロッパ国民・市民」という新しい概念を形成しようとしている。つまり、CE設立の基本理念(民主主義と法の支配、人権、平和共存)を欧州国民の社会観念(価値表象)として確立することを意味する。その作業の第一歩が欧州憲法の制定である。
欧州憲法を制定するために、2004年に欧州連合加盟国(25カ国)の代表により欧州憲法条約が結ばれた。しかし、欧州憲法条約とは、欧州憲法を制定するための、加盟国間の取り決めである。欧州憲法を制定するためには、当然、加盟国の国民投票を経て、批准されることが条件となっている。加盟国の多くでは、議会における採決または国民投票により批准された。しかし、フランスとオランダでの国民投票では批准が拒否された。現在、欧州憲法は制定に向けて作業が進んでいる。
地域政治共同体へのEUモデルの形成進捗状況
EUの地域政治共同体の特徴は、以下に示す5つ段階的発展形態の内容とそれらの段階的説明を最後に纏めたモデルで説明されるだろう。
1、 地域平和共存関係を目指すために、まず、域内の政治文化的信頼関係の形成が問われる。それを保障するのは域内の政治文化の基調や価値表象が共同化されなければならない。つまり、CE機能形成を通じながら、CE域内の共同の価値表象の形成が問われる。その価値表象を代表する課題が民主主義、法の支配、人権であり、その価値表象が共有されるために前述した欧州評議会の5つの目的と13の執行機能の形成が挙げられる。
2、 第一と第二次世界大戦の原因やその中で行われた人権侵害を徹底的に反省することによって、1に述べたCE域内の共同価値表象の形成過程を創った。例えば、ドイツ(西ドイツ)は第二世界大戦時のナチスドイツのユダヤ人虐殺の事実を国民的に受け止め、その原因と課題を徹底的に問題とし、戦後ドイツ民主主義社会形成の基本とした。つまり、CEは、この歴史をドイツ国民の課題から全ヨーロッパ的な課題にすることで、ドイツでのCE域内での人権尊守の社会観念や共同価値表象の形成を支援した。このドイツの試練こそが、ドイツをして欧州最大の経済大国に成長させる底力を与えた。つまり、ドイツ国民の中に徹底してCEの設立の理念が取り入れられ、戦後ヨーロッパ民主主義の代表国に成長させたのである。
3、 一つのヨーロッパという価値観や観念は、ヨーロッパ人という感性の形成によって確立して行く。その感性はあるモデルをもって形成される。そのモデルがCEの理念である。その意味でドイツは、戦前最も反ヨーロッパ的存在として評価され、そして戦後は、最もヨーロッパ的存在として評価された。彼らが、現在のヨーロッパの価値表象を代表し、ヨーロッパの社会観念を展開する人々と評価される。それが、そのまま、統一ヨーロッパの力と成っていると言える。
4、 上記の前提に立って、ECとして経済的発展への相互協力関係が展開された。その経済関係の成立条件が確立し、その経済共同体が形成展開される。さらに経済共同体の形成が、その効率を求め、またその合理的機能性と構造性を求め、域内の政治共同体の形成に必要な条件を提示していく。そしてその条件を満たすための意思決定機能やガーバナンスが整理され、地域政治共同体が実現してゆく。
5、 上記の過程を纏めると、共同価値表象によって形成される社会文化領域の形成、相互の政治文化に関する信頼関係を前提にした経済共同体の形成、経済共同体の合理性や運営経済効率を求め政治的機能が整備され、地域連合国家の機能が成立するという三つの段階がEUモデルであると言える。
参考資料
1、Van Drom Eddy, 三石博行( Mitsuishi Hiroyuki) 「ヨーロッパ(欧州)評議会の歴史とその政治的機能 海外ミニ講座 ヨーロッパ学1 」2007年11月 PowerPoint資料 56枚
http://hiroyukimitsuishi.web.fc2.com/tensou/Europe1.files/frame.htm
2、Van Drom Eddy, 三石博行( Mitsuishi Hiroyuki)「ヨーロッパ(欧州)連合成立史 海外ミニ講座 ヨーロッパ学2 」 2008年10月 PowerPoint資料32枚
http://hiroyukimitsuishi.web.fc2.com/tensou/Europe2.files/frame.htm
3、舟橋精一 「第二次世界大戦等の戦争犠牲者数」ホームページ資料
http://www.max.hi-ho.ne.jp/nvcc/TR7.HTM
4、Edition by the Directorate of Communication-Public Relation Division The Council of Europe 800million Europeans Production by the Documents and Publications Departement, 2007.6 , 101p
5、外務省ホームページ
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/ce/
6、Council of Europe(ヨーロッパ評議会 ホームページ)
http://assembly.coe.int/default.asp)
7、European Union (ヨーロッパ連合 ホームページ)
http://europa.eu/index_en.htm
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プログラム科学・自己組織性の設計科学としての政治社会学
東アジア共同体の可能性を巡る機能的推進の課題(1)
Problems about Functional Promotion for Possibility of East Asia Community
三石博行
調査研究活動目的、 問題解決型科学としての政治社会科学を目指すために
「東アジア共同体の可能性を巡る機能的推進の課題」を調査分析する課題は、私たちが所属する「東アジア」として国際的に分類されている地域、つまり少なくとも近隣諸国(台湾、中国、韓国、北朝鮮とロシアや米国(アラスカ)の諸国との平和的共存関係の在り方や方法を検討し、その関係が成立する政治的条件や経済文化的環境を分析することである。
これらの課題を取り上げた目的は、近年日韓や日中の間で紛糾している領有権問題を巡って、今、日本外交の在り方が深刻に問われている。
しかし、この危機的な外交環境は、別の見かたをすれば、漸く日本は近隣諸国と真正面に外交関係を検討しなければならない時代に入ったと解釈した上で、日本の所属する「東アジア」地域の平和的共存の在り方を模索するための第一歩が始まったと理解することもできる。その為に、この調査課題を取り上げる。そして、この作業の目標は、あくまでも現実の「東アジア」地域の平和的共存を目指す政治経済文化活動に役立つことである。
方法の問題、自己組織性の設計科学としての政治社会科学の方法を課題にする
この調査分析方法をプログラム科学論に即して展開する。そして、同時に、この研究活動を通じて人間社会科学の方法論としてのプログラム科学論の有効性を検証する。その方法論を確立するための課題を、以下列挙する。
1、 調査研究課題の目的と目標が明確に位置付けられているか。つまり、何を何のために、どの問題をどのように解決するために、研究調査活動を行っているか。つまり、指示プログラムの課題を理解しておくこと。
2、 政治社会学の課題や研究方法には、予め政治的立場を持つ場合が避けられない。つまり、何らかの結論や予測が無意識的にも予定されている。その為に、研究方法に不十分さが生まれる。しかし、この研究の宿命である研究者の「予め希望する政治的立場」を白紙化することは出来ないだろう。それが政治社会科学の科学性に関わる問題となる。従って、少なくとも、自らの無意識にあるその立場を暴露し露出させる自覚的な作業が問われる。それは科学哲学の課題を常に政治社会の調査研究の方法の問題としてリンクさせ続けることになる。つまり、指示プログラムの基本構造を問題にし続けること。
3、 2に上記した課題の解決方法として、調査研究課題に関する統計的なデータ(調査主体を明確にし、その調査方法も検討しながら)を集め、そのデータを基にしながら、基本的な分析材料を作成する。つまり、認知と解釈評価プログラムの多様性を明確にしておくこと。
4、 また、問題解決の現場に赴き、そこで問題現場の現実を観ること。そして、その問題現場で取り組まれている問題解決のための活動を理解し、それに携わる人々を知ること。つまり、認知と評価プログラムの原則、現場主義の立場を明確にしておくこと。
5、 さらに、その課題を検討する論文や文献資料を集め、それらの資料から窺える(うかがえる)研究目的や方法、さらには解決の方向や政治的立場を理解し、出来るだけ、多面的に、それらの立場の異なる資料を採集する。つまり、認知と評価プログラムの多様性を相対化する作業を意識的に課題にすること。
6、 上記した5の課題から、自らの研究目的は目標の主観的立場性(政治的立場)を相対化し、その自らの立場を含めて批判的検討を行う作業を政治社会科学研究は用意する必要がある。つまり、相対化された認知、評価プログラムの集合体の中で、自らの認知と評価プログラムの立場を相対化する作業を試みること。研究主体の持つ指示プログラムの有効性を求めるために、この研究主体の指示プログラムの相対化は欠かせない作業となる。
7、 上記した方法の問題は、具体的調査研究活動と同時並行的に進行し、点検される。つまり、予め完成されてはいない。科学方法が科学実践の先にあるのでなく、それらの二つの関係、つまり方法の問題と調査研究内容の蓄積は同時に進む。その意味で、段階的に成果発表を行い続けることになる。つまり、プログラム科学論は、問題解決を目標とする具体的研究課題とリンクしながら形成発展する。これはプログラム科学論自体が自己組織性の設計科学の一部であることを意味する。
問題解決学としての政治社会科学の成立の一つの条件、政治社会哲学
問題解決型の研究活動では、一般に研究調査課題や対象選択、調査方法、採集資料の整理分析方法、評価分析に至るまで、研究者のそれらの方法や解釈に関する選択が存在する。その選択は科学的方法に於ける立場選択と言えるだろう。その意味で、政治社会学に於いてある科学的方法が選択されると言える。その選択の基準や判断を決定するものが、問題解決を進めるために研究主体が決定している立場である。
つまり、政治社会に関する調査研究には必然的に政治的立場が介在してくる。その介在を取り除くことは不可能に近いと思われる。そのために自己の政治的立場という固定観念を相対化するための方法論が、特に、政治社会研究では問題となった。しかし、主体の相対化は、研究主体の調査研究行為進行中で可能になるだろうか。何故なら、鏡を持たない人が現実の自分の姿、鏡に映る自分の姿を客観的に認知出来ないのと同じ認識作用の構造を持ちこむからである。
視点を変えて述べるなら、政治的立場のない政治社会研究はないと言える。政治的に客観的な立場をもった政治社会調査研究活動はない。問題となるのは、その視点の中身である。その中身を対自化するためには、「何のために、この課題を取り上げるのか」という疑問を自らに問い掛ける必要がある。
自己認識を可能にする知性の道具、鏡とは、「何のためにその課題を探究するのか」と自問する哲学的問い掛けを意味する。つまり、問題解決型の学問は、具体的に問題の解決を続けられる限り、その学問の方法論やその学問の深化に必要な認識の在り方を問い掛けることはない。つまり、科学的思惟は反省学(哲学的知識)を必要としているのである。
今回の課題発表の成立条件
私の専門は科学哲学と人間社会学基礎論である。これまでの研究分野は、科学技術論、精神分析論、科学認識論、言語学、生活情報論、生活資源論である。ブログ等での評論活動として、再生可能エネルギー論、高等教育論、政治社会改革に関する記述を行っている。また、国際交流や太陽光発電所ネットワーク等のNPO活動に参加している。
その意味で、「東アジア共同体構想」に関する専門的な議論は、謂わば、「領空侵犯」である。そのことを前提にしながら、今回の発表を行う。そのため、この発表は、専門家が長年掛けて、現場調査、データ解析、研究交流活動の蓄積を前提にしていないことを前提にしている。その意味で、「東アジア共同体構想を議論する」には専門的な知的蓄積の極めて不足したものであると言える。
上記した報告者の課題提供能力や専門的知識に関する限定的資格条件を明らかにした上で、今回の議論の焦点を二つ挙げる。
1、 政策提案や問題解決を目指す政治社会学の科学性に関する課題
2、 東アジア共同体構想を展開するための課題
一つ目は、この節で述べた。二つ目は、第一節と第二節で述べる。第一節では、20世紀前半までの帝国主義の時代の反省に立った新しいグローバリゼーションを求めて進められている(現在進行形)地域連合であるEUの成立過程やその機能を理解し、21世紀型の国際地域での平和共と経済文化発展のための事例として「EUモデル」の要素を分析解釈してみる。第二節では、第一節で述べた「EUモデル」が東アジア共同体構想のモデルと成り得るかについて議論する。
今回の発表の機会を与えてくれたのは、政治社会学会の理念である。この学会は、荒木義修会長の提案によって政治社会学を問題解決型の政策設計学として位置付けたてきた。つまり、政治社会学会は「現社会が抱える様々な問題解決のためには、異分野、異業種の有識者との活発な対話」を通じて、「政治学、経済学、法律学、社会学などの個別科学を超え、自然科学的知見を取り上げ、現状分析に基づくプログラム設計を中心とした問題解決型の新学会」を目指す活動を行ってきた。21世紀型の社会問題と向き合う組織としての学会の理念、そしてその理念を実現するために、社会政治学会が取った一つの学会活動のスタイル、それが、今回、東京外国語大学で開催された、この第一回「アジア共生」ジョイント・コンファレンスであったと理解できる。21世紀の大学や専門機関の研究者の活動として、研究活動の横断的交流を行い、より総合的視点から具体的で実践的な問題解決の提案を社会に示すことが要請されている。そのため、政治社会学会は多くの専門機関や市民団体を集め、多様な立場の意見を基にし、議論の場の設定、企画、組織するコーディネータとして機能してきたのである。この21世紀型の学会活動の基調を前提として、私の今回の「領空侵犯」的な、言い換えると、横断化を狙う研究発表の可能性とその資格に関する条件が成立していると考える。
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Problems about Functional Promotion for Possibility of East Asia Community
三石博行
調査研究活動目的、 問題解決型科学としての政治社会科学を目指すために
「東アジア共同体の可能性を巡る機能的推進の課題」を調査分析する課題は、私たちが所属する「東アジア」として国際的に分類されている地域、つまり少なくとも近隣諸国(台湾、中国、韓国、北朝鮮とロシアや米国(アラスカ)の諸国との平和的共存関係の在り方や方法を検討し、その関係が成立する政治的条件や経済文化的環境を分析することである。
これらの課題を取り上げた目的は、近年日韓や日中の間で紛糾している領有権問題を巡って、今、日本外交の在り方が深刻に問われている。
しかし、この危機的な外交環境は、別の見かたをすれば、漸く日本は近隣諸国と真正面に外交関係を検討しなければならない時代に入ったと解釈した上で、日本の所属する「東アジア」地域の平和的共存の在り方を模索するための第一歩が始まったと理解することもできる。その為に、この調査課題を取り上げる。そして、この作業の目標は、あくまでも現実の「東アジア」地域の平和的共存を目指す政治経済文化活動に役立つことである。
方法の問題、自己組織性の設計科学としての政治社会科学の方法を課題にする
この調査分析方法をプログラム科学論に即して展開する。そして、同時に、この研究活動を通じて人間社会科学の方法論としてのプログラム科学論の有効性を検証する。その方法論を確立するための課題を、以下列挙する。
1、 調査研究課題の目的と目標が明確に位置付けられているか。つまり、何を何のために、どの問題をどのように解決するために、研究調査活動を行っているか。つまり、指示プログラムの課題を理解しておくこと。
2、 政治社会学の課題や研究方法には、予め政治的立場を持つ場合が避けられない。つまり、何らかの結論や予測が無意識的にも予定されている。その為に、研究方法に不十分さが生まれる。しかし、この研究の宿命である研究者の「予め希望する政治的立場」を白紙化することは出来ないだろう。それが政治社会科学の科学性に関わる問題となる。従って、少なくとも、自らの無意識にあるその立場を暴露し露出させる自覚的な作業が問われる。それは科学哲学の課題を常に政治社会の調査研究の方法の問題としてリンクさせ続けることになる。つまり、指示プログラムの基本構造を問題にし続けること。
3、 2に上記した課題の解決方法として、調査研究課題に関する統計的なデータ(調査主体を明確にし、その調査方法も検討しながら)を集め、そのデータを基にしながら、基本的な分析材料を作成する。つまり、認知と解釈評価プログラムの多様性を明確にしておくこと。
4、 また、問題解決の現場に赴き、そこで問題現場の現実を観ること。そして、その問題現場で取り組まれている問題解決のための活動を理解し、それに携わる人々を知ること。つまり、認知と評価プログラムの原則、現場主義の立場を明確にしておくこと。
5、 さらに、その課題を検討する論文や文献資料を集め、それらの資料から窺える(うかがえる)研究目的や方法、さらには解決の方向や政治的立場を理解し、出来るだけ、多面的に、それらの立場の異なる資料を採集する。つまり、認知と評価プログラムの多様性を相対化する作業を意識的に課題にすること。
6、 上記した5の課題から、自らの研究目的は目標の主観的立場性(政治的立場)を相対化し、その自らの立場を含めて批判的検討を行う作業を政治社会科学研究は用意する必要がある。つまり、相対化された認知、評価プログラムの集合体の中で、自らの認知と評価プログラムの立場を相対化する作業を試みること。研究主体の持つ指示プログラムの有効性を求めるために、この研究主体の指示プログラムの相対化は欠かせない作業となる。
7、 上記した方法の問題は、具体的調査研究活動と同時並行的に進行し、点検される。つまり、予め完成されてはいない。科学方法が科学実践の先にあるのでなく、それらの二つの関係、つまり方法の問題と調査研究内容の蓄積は同時に進む。その意味で、段階的に成果発表を行い続けることになる。つまり、プログラム科学論は、問題解決を目標とする具体的研究課題とリンクしながら形成発展する。これはプログラム科学論自体が自己組織性の設計科学の一部であることを意味する。
問題解決学としての政治社会科学の成立の一つの条件、政治社会哲学
問題解決型の研究活動では、一般に研究調査課題や対象選択、調査方法、採集資料の整理分析方法、評価分析に至るまで、研究者のそれらの方法や解釈に関する選択が存在する。その選択は科学的方法に於ける立場選択と言えるだろう。その意味で、政治社会学に於いてある科学的方法が選択されると言える。その選択の基準や判断を決定するものが、問題解決を進めるために研究主体が決定している立場である。
つまり、政治社会に関する調査研究には必然的に政治的立場が介在してくる。その介在を取り除くことは不可能に近いと思われる。そのために自己の政治的立場という固定観念を相対化するための方法論が、特に、政治社会研究では問題となった。しかし、主体の相対化は、研究主体の調査研究行為進行中で可能になるだろうか。何故なら、鏡を持たない人が現実の自分の姿、鏡に映る自分の姿を客観的に認知出来ないのと同じ認識作用の構造を持ちこむからである。
視点を変えて述べるなら、政治的立場のない政治社会研究はないと言える。政治的に客観的な立場をもった政治社会調査研究活動はない。問題となるのは、その視点の中身である。その中身を対自化するためには、「何のために、この課題を取り上げるのか」という疑問を自らに問い掛ける必要がある。
自己認識を可能にする知性の道具、鏡とは、「何のためにその課題を探究するのか」と自問する哲学的問い掛けを意味する。つまり、問題解決型の学問は、具体的に問題の解決を続けられる限り、その学問の方法論やその学問の深化に必要な認識の在り方を問い掛けることはない。つまり、科学的思惟は反省学(哲学的知識)を必要としているのである。
今回の課題発表の成立条件
私の専門は科学哲学と人間社会学基礎論である。これまでの研究分野は、科学技術論、精神分析論、科学認識論、言語学、生活情報論、生活資源論である。ブログ等での評論活動として、再生可能エネルギー論、高等教育論、政治社会改革に関する記述を行っている。また、国際交流や太陽光発電所ネットワーク等のNPO活動に参加している。
その意味で、「東アジア共同体構想」に関する専門的な議論は、謂わば、「領空侵犯」である。そのことを前提にしながら、今回の発表を行う。そのため、この発表は、専門家が長年掛けて、現場調査、データ解析、研究交流活動の蓄積を前提にしていないことを前提にしている。その意味で、「東アジア共同体構想を議論する」には専門的な知的蓄積の極めて不足したものであると言える。
上記した報告者の課題提供能力や専門的知識に関する限定的資格条件を明らかにした上で、今回の議論の焦点を二つ挙げる。
1、 政策提案や問題解決を目指す政治社会学の科学性に関する課題
2、 東アジア共同体構想を展開するための課題
一つ目は、この節で述べた。二つ目は、第一節と第二節で述べる。第一節では、20世紀前半までの帝国主義の時代の反省に立った新しいグローバリゼーションを求めて進められている(現在進行形)地域連合であるEUの成立過程やその機能を理解し、21世紀型の国際地域での平和共と経済文化発展のための事例として「EUモデル」の要素を分析解釈してみる。第二節では、第一節で述べた「EUモデル」が東アジア共同体構想のモデルと成り得るかについて議論する。
今回の発表の機会を与えてくれたのは、政治社会学会の理念である。この学会は、荒木義修会長の提案によって政治社会学を問題解決型の政策設計学として位置付けたてきた。つまり、政治社会学会は「現社会が抱える様々な問題解決のためには、異分野、異業種の有識者との活発な対話」を通じて、「政治学、経済学、法律学、社会学などの個別科学を超え、自然科学的知見を取り上げ、現状分析に基づくプログラム設計を中心とした問題解決型の新学会」を目指す活動を行ってきた。21世紀型の社会問題と向き合う組織としての学会の理念、そしてその理念を実現するために、社会政治学会が取った一つの学会活動のスタイル、それが、今回、東京外国語大学で開催された、この第一回「アジア共生」ジョイント・コンファレンスであったと理解できる。21世紀の大学や専門機関の研究者の活動として、研究活動の横断的交流を行い、より総合的視点から具体的で実践的な問題解決の提案を社会に示すことが要請されている。そのため、政治社会学会は多くの専門機関や市民団体を集め、多様な立場の意見を基にし、議論の場の設定、企画、組織するコーディネータとして機能してきたのである。この21世紀型の学会活動の基調を前提として、私の今回の「領空侵犯」的な、言い換えると、横断化を狙う研究発表の可能性とその資格に関する条件が成立していると考える。
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アジア共生・東アジア共同体を実現するために
三石博行
第一回「アジア共生」ジョイント・コンファレンス
2013年1月12日から13日に、東京外国語大学で、第一回「アジア共生」ジョイント・コンファレンスが行われた。このジョイント・コンファレンスは5つのシンクタンクの共催と2つの市民団体(日本ビジネスインテリジェンス協会と京都奈良EU協会)の後援で行われた。
ジョイント・コンファレンスとは、学会や研究機関が集まり、共同でシンポジュームを開催するものである。国際アジア共同体学会、グローバル・ガバナンス学科、政治社会学会、日本公益学会、東京外国語大学国際関係研究所の5つの学会と研究所が共同で、現在問題となっている課題を個々の専門分野の領域を越えて、俯瞰的、横断的に検討するために、報告討論会を開催した。日米関係と東アジア共同体構想に関して、多くの議論がなされた。
これまで、日本では、異なる学会が共同でシンポジュームを開催するジョイント・コンファレンスは行われておらず、今回のジョイント・コンファレンスは、これからの学会活動の新しいスタイルを示す事例になった。つまり、現在の課題は複雑で専門性の高い問題分析力とその解決方法が問われる。そのために、多様な専門分野の研究者が、課題に合わせて集まり、問題解決を巡る討論を行う必要がある。
特に、国際化や情報化の進んだ科学技術文明社会では、政治や社会の問題は、科学技術、国際政治、文化人類学や民族学、環境問題、地政学的視点、法学(国内法や国際法)、経済学(ミクロ、マクロ)、政治哲学等々の多様な分野の専門的な視点からの検討や分析解釈が必要となる。その意味で、今回のアジア共生の課題は、国際政治的には日米関係を含めて議論しなければならない。また、アジア共生の課題として取り上げられる地域連合(ASEANや東アジア共同体構想)に言及しようとすると、EUモデルも課題となる。その意味で、国際政治社会学の分野でも、アジア地域の専門家以外の研究者の参加が必要となっていた。
今回、このジョイント・コンファレンスは、日本では始めて俯瞰的横断的立場に立った議論を試みたものであった。今後、こうした問題解決を求めるジョイント・コンファレンスが多く行われるだろう。これらの研究討論の企画が新たな研究の方法論・俯瞰型、横断型研究活動をプロジェクトし、融合型研究活動を創設するのではないかと期待できる。
参考資料
1、第一回「アジア共生」ジョイント・コンファレンス プログラム添付資料 日本語版
http://globalgovernance.jp/wp/wp-content/uploads/2012/12/20121228asia_prosperity_jp.pdf
2、英語版
http://globalgovernance.jp/wp/wp-content/uploads/2012/12/20121228asia_prosperity.pdf
3、政治社会学会
http://aspos.web.fc2.com/index.html
4、グローバルガーバナンス学会 「第1回「アジア共生」ジョイント・コンファレンスのお知らせ」
http://globalgovernance.jp/?p=84
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第一回「アジア共生」ジョイント・コンファレンス
2013年1月12日から13日に、東京外国語大学で、第一回「アジア共生」ジョイント・コンファレンスが行われた。このジョイント・コンファレンスは5つのシンクタンクの共催と2つの市民団体(日本ビジネスインテリジェンス協会と京都奈良EU協会)の後援で行われた。
ジョイント・コンファレンスとは、学会や研究機関が集まり、共同でシンポジュームを開催するものである。国際アジア共同体学会、グローバル・ガバナンス学科、政治社会学会、日本公益学会、東京外国語大学国際関係研究所の5つの学会と研究所が共同で、現在問題となっている課題を個々の専門分野の領域を越えて、俯瞰的、横断的に検討するために、報告討論会を開催した。日米関係と東アジア共同体構想に関して、多くの議論がなされた。
これまで、日本では、異なる学会が共同でシンポジュームを開催するジョイント・コンファレンスは行われておらず、今回のジョイント・コンファレンスは、これからの学会活動の新しいスタイルを示す事例になった。つまり、現在の課題は複雑で専門性の高い問題分析力とその解決方法が問われる。そのために、多様な専門分野の研究者が、課題に合わせて集まり、問題解決を巡る討論を行う必要がある。
特に、国際化や情報化の進んだ科学技術文明社会では、政治や社会の問題は、科学技術、国際政治、文化人類学や民族学、環境問題、地政学的視点、法学(国内法や国際法)、経済学(ミクロ、マクロ)、政治哲学等々の多様な分野の専門的な視点からの検討や分析解釈が必要となる。その意味で、今回のアジア共生の課題は、国際政治的には日米関係を含めて議論しなければならない。また、アジア共生の課題として取り上げられる地域連合(ASEANや東アジア共同体構想)に言及しようとすると、EUモデルも課題となる。その意味で、国際政治社会学の分野でも、アジア地域の専門家以外の研究者の参加が必要となっていた。
今回、このジョイント・コンファレンスは、日本では始めて俯瞰的横断的立場に立った議論を試みたものであった。今後、こうした問題解決を求めるジョイント・コンファレンスが多く行われるだろう。これらの研究討論の企画が新たな研究の方法論・俯瞰型、横断型研究活動をプロジェクトし、融合型研究活動を創設するのではないかと期待できる。
参考資料
1、第一回「アジア共生」ジョイント・コンファレンス プログラム添付資料 日本語版
http://globalgovernance.jp/wp/wp-content/uploads/2012/12/20121228asia_prosperity_jp.pdf
2、英語版
http://globalgovernance.jp/wp/wp-content/uploads/2012/12/20121228asia_prosperity.pdf
3、政治社会学会
http://aspos.web.fc2.com/index.html
4、グローバルガーバナンス学会 「第1回「アジア共生」ジョイント・コンファレンスのお知らせ」
http://globalgovernance.jp/?p=84
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