生活運動から思想運動へ

哲学に於いて生活とはそのすべての思索の根拠である。言い換えると哲学は、生きる行為、生活の場が前提になって成立する一つの思惟の形態であり、哲学は生きるための方法であり、道具であり、戦略であり、理念であると言える。また、哲学の入り口は生活点検作業である。何故なら、日常生活では無神経さや自己欺瞞は自然発生的に生まれるため、日常性と呼ばれる思惟の惰性形態に対して、反省と呼ばれる遡行作業を哲学は提供する。方法的懐疑や現象学的還元も、日常性へ埋没した惰性的自我を点検する方法である。生活の場から哲学を考え、哲学から生活の改善を求める運動を、ここでは生活運動と思想運動の相互関係と呼ぶ。そして、他者と共感しない哲学は意味を持たない。そこで、私の哲学を点検するためにこのブログを書くことにした。 2011年1月5日 三石博行 (MITSUISHI Hiroyuki)

ラベル 米中貿易戦争 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 米中貿易戦争 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
2019年9月11日水曜日

米中貿易戦争という21世紀国際社会での政治経済覇権闘争の構図

›
21世紀の国際社会構図形成の前哨段階としての米中経済戦争 三石博行 米中貿易戦争の彼方に何が見えてきたのか 米中二国間貿易収支の差、米国の対中貿易赤字をめぐって米中貿易戦争が起こったと理解した。しかし、この米中貿易戦争が示す課題は、大きく変貌し、その本題を露...
›
ホーム
ウェブ バージョンを表示
Powered by Blogger.