-プログラム科学論における存在論の課題-
三石博行
はじめに
啓蒙主義運動は科学主義によって生み出された思想運動である。今日の科学技術文明社会はこの思想運動から形成され、社会常識として科学主義が普及している。地球環境化防止の対策にしろ科学技術の開発研究によって取り組まれている。この歴史的流れを批判することは出来ない。しかし、現代巨大科学技術進化の方向に、地球環境を考える科学や技術、また国際化の中で地域社会が持続共存できる経済や政治政策が形成されるのか疑問を抱く人々は多い。この難問に挑戦することは、即科学主義に関する課題を考えることに直結するのである。その道は遠いし困難である。ここでは、歴史的に科学哲学の課題が欠落した存在論の問題に触れながら、その解決の糸口をプログラム科学論に展開に託す理由を述べるの留まる。
現代科学哲学の必修課題・科学主義研究
「知は世界認識、生きるための力である」である信じた近代合理主義を背景に近代科学の代表者、ニュートンの力学は成立する。その力学の成立は、その後の哲学や社会思想に大きな影響を与えた。フランス啓蒙主義はニュートン力学を構築している科学性を全ての知の基本理念とすることを提案した。何故なら、その知は世界の認識によって世界を変えることが出来たからである。知ることは力であり、認識することは変革することであるという近代合理主義精神はニュートン力学の成立をもって実証された。
しかし、近代合理主義の科学哲学が物理神学的使命を持ち続け、「世界への認知を通じて行われる神の存在証明のための科学行為」を人間社会の豊かさのために存在する科学行為として位置付けるのである。そこに近代合理主義と科学主義の哲学的分岐点(パラダイム転換)が行われる事になる。近代合理主義の科学の目的は神の存在証明、つまり絶対的真理の追究であった。短絡した表現を用いれば、科学主義の目的は、人類世界の豊かさを齎す(もたらす)科学的真理の追究であった。
パスカルなど17世紀フランスのサロンでの科学論議の社会的風景から、近代合理主義思想とその科学は新興貴族の知的興味や哲学的関心に基づいて行われた行為であったと理解できる。それに対して、ディドロなど18世紀フランスでの科学主義に基づく啓蒙活動は、豊かな生産活動や市民社会制度の構築を目的にしていたと解釈できる。こうした歴史的な背景を考えれば、現代社会の科学的合理主義は近代合理主義思想から生まれたが、実践的世界変革の知、資本主義生産様式を支え近代工業社会を推進してきた社会思想は科学主義によって形成されていると謂えるのである。
つまり、今日の科学技術文明社会を問題にする場合、科学主義の哲学、現代社会を規定している科学哲学を語らなければならない。科学主義の分析と批判的点検は現代科学哲学研究にとって避けられない必修課題であると謂える。
近代国家形成と啓蒙主義思想と科学主義
科学主義と啓蒙主義は表裏一体の思想である。科学主義は啓蒙主義を生み、系も主義は科学主義の思想的意思を実現し、科学主義世界観を普及するのである。世界の変革の武器として科学的知を理解した科学主義が必然的にその思想目的を達成する手段が啓蒙活動なのである。
科学主義は振興階級であるブルジョワ階級の社会的自我を代表する思想である。科学、合理的世界観と実践的知は生活世界の豊かさを導くための武器であり道具である、つまり、この科学思想によって、合理的な生活行為や生産行為の様式や素材が生み出され、それらの新しい技術や道具によって豊かな生活世界が実現すると科学主義から謂える。科学を広めること、科学を活用すること、科学的な合理主義が社会の常識となること、科学的な方法が人々の行動の指針となること、科学主義が社会観念の基本となることによって、国家、社会、人々の生活は豊かになると科学主義は主張したのである。
実際、科学主義に基づく、科学の産業生産への応用、軍事への応用、国家制度の確立への応用は、資本主義生産様式、市民社会、民主主義制度を生み出し、今日の社会を形成した。科学主義と啓蒙主義がなければ今日の資本主義、科学技術文明社会は成立していないのである。
「知は国家、社会と産業の力である」という科学啓蒙主義の主張から、知的資源を国家がより多く所有すること、教育が強い国家の機能を果たす。つまり、教育とは知的資源を国家が豊かに持つための政策である。国家は、知的資源を生産するために教育制度を作りだす。豊かな知的資源に支えられ、近代化政策は推進され、近代工業生産は可能になる。近代国家形成の使命を担い国民教育制度、義務教育制度や高等教育制度が形成されてきた。
18世紀から19世紀のフランスでは、ナポレオンによって中世以来の伝統を引き継ぐ旧来の大学制度から、現在のフランス国家の官僚を生み出している新しい大学校制度が導入され、同時代のドイツでも大学制度が改革された。日本でも明治以来、欧米の教育制度が導入され、教育改革が国家近代化政策の重要な役割を果たしている。
近代化政策として導入された教育制度改革は、富国強兵政策、工業化政策のために有効な役割を果たす。つまり、近代的教育制度は近代国家の装置であった。国民教育制度と呼ばれる近代化の社会装置の構築が必要であった。そして、その社会装置を動かすエネルギーが啓蒙思想と科学主義であったのである。
科学技術文明社会を形成した科学哲学・科学主義
人類社会の進歩と科学技術の進歩が同義語概念として、今日の社会では使われている。つまり、科学主義は社会常識化したのである。この科学主義の常識化した社会を科学技術文明社会と呼ぶことが出来る。
例えば、1960年代から70年代の日本での公害反対運動では、公害を引き起こす資本主義社会への批判と同様に、その道具として機能する科学技術への批判があった。反公害運動を通じて、多くの大学の理工系研究者が地域社会、農村漁村社会へ行き、そこで生活活動を行った。大学での科学研究を辞め、科学技術の進歩の被害者である地域社会の人々と生活することが、彼らの科学批判であり加害者としての科学技術者を拒否するモラルや生活思想であった。
しかし、1980年代になると、公害国日本でも、公害防止法などを制定しながら、公害対策が行われる。何故なら、1970年代の淀川の水質調査からも、河川の水質汚染を放置することは飲料水の確保だけでなく工業用水の確保も保証できない状態であった。国家は企業の環境汚染放置によって生じる国家経済への被害が大きいと判断したのである。公害対策を行う企業活動の負担による国家的被害を公害によって生じる国家的被害が上回る時点で、国家は公害対策をせざる得なくなたのである。公害対策も公害企業保護もマクロ経済的視点に立って、国家の利益と損失の計算によって採択された政策に違いない。
公害防止の科学技術開発研究の促進として国家による公害対策が取り組まれ、大学の衛生工学、安全工学、環境工学などの研究分野が充実していく。これらの技術は、1973年のオイルショックと重なり、公害防止と省エネルギー対策は同時的に解決可能な技術課題となってゆく。日本の省エネルギーや自然エネルギー活用の技術は、この時代から精力的に始まった。
今日の環境汚染や地球温暖化は、科学技術の進歩や工業化社会の発展が資本主義工業社会の大量生産によるものであることや、それを支えている科学技術の力が背景にあることを疑う人は少ない。しかし、同時にそれらの対策は科学技術の開発によってしか可能にならない考える人が殆どであると謂える。環境破壊と地球温暖化への対策は、それを生み出した資本主義的生産様式、市場原理の経済社会によって、立てられる以外にないのである。つまりCDMやカーボンチャンスと呼ばれる二酸化炭素の排出量の売買による環境ビジネスとして、また、技術革新や開発による二酸化炭素の排出削減の新しい環境産業の形成によって、二酸化炭素の削減を行うことしか、我々の地球温暖化への対策は考えられないのである。
この社会観念とそして精神構造こと、科学主義によって出来上がっている科学技術文明社会の文化と我々の自我を意味する。そして、好むと好まざるに拘わらす、現代の科学技術の先端的知識を駆使して、公害対策や地球温暖化対策は進むのである。つまり、科学主義批判を科学哲学者が行っていても、この現実をその批判によって変えることが出来ない限り、科学主義批判の有効性は皆無であると自覚すべきである。現実は、科学主義を批判する科学哲学者は科学主義と呼ばれる巨大な力の前に付し折れているのである。
科学主義と反科学主義の境界・存在論の位置づけ
科学技術文明社会の社会観念の基本を作る科学主義を超えることが出来るのだろうか。科学主義批判を行う科学哲学は、その批判のかなたにどのような有効あ知、科学哲学を提起するのだろうか。仮に、現代の巨大科学技術の延長線上に基本的な地球温暖化対策の技術や思想がないとすれうば、その科学思想やそれから導き出される技術とは何か。しかし、この答えを持つ科学哲学者はいない。
科学主義への批判は、メタ科学的次元での科学主義への批判は存在している。その代表者は19世紀後半から生じた、生の哲学、現象学、実存主義、ポスト構造主義、解釈学などである。こららの批判は、近代以前の社会への回帰を目指す反科学主義と癒着する傾向、つまり、科学的合理主義の形成過程で課題になった自由や平等、人権の課題までもが、喪失しかねない反動思想に援用される可能性を阻止することが出来ない。
また、科学主義は哲学の中にその支持者を歴史的に形成してきた。唯物論、実証主義、分析哲学、新実証主義、プラグマチィズム等である。これらの新しい科学哲学では、科学主義の持つ単純な科学楽観主義は存在しないが、これらの親科学主義哲学の流れは、巨大科学技術文明社会への流れを食い止める直感や感性を持ち得ないと危惧するのである。
以上のような反科学思想と新科学思想という現代哲学の分離は非常に短絡すぎて危険であるが、その境目を作る要素は、哲学史で問題となる存在論の位置付けにある。反科学思想は、自然哲学の中で語られた存在論を、科学の領域に渡し、哲学は人間存在に限定すると考える。しかし、親科学主義思想では、自然科学で課題にする存在を前提として、その方法で人間存在のあり方を課題にする。その場合も、エンゲルスの言う「自然の弁証法」のように哲学的な存在論は自然科学の課題に置き換わるのである。
科学主義を超えられるか・プログラム科学論の挑戦
存在論に対する哲学上の議論が、科学主義と反科学主義の境界領域に横たわる課題であるとすれば、現在、この課題を問題にしている哲学はプログラム科学論以外にない。哲学の主流、とりわけ科学哲学の主流は、自然科学に自然存在論を社会科学の社会存在論、そして人間科学に人間存在を委ねながら、その哲学が委ねた存在論を批判的に検証しているようには見えない。何故なら、存在論は哲学の課題ではないと考えるからだ。
もっぱら、科学認識論が科学哲学の主な課題になっている。例えば、科学理論を文化的歴史的解釈として理解する解釈哲学や、科学認識の構造を合理主義や現実則の形成過程におおて理解する精神分析主義や発達心理主義ことや、科学認識を社会文化的な観念形態の中で理解する相対主義などがある。それらの全ては、科学哲学の課題として科学認識を問題にした。
吉田民人のプログラム科学論、科学哲学を支える進化論的存在論がある。この存在論は科学が対象とする生物や遺伝子ではない。それらの存在はメタ科学として位置付ける。つまり、生物存在を語る権利は生物科学だけではない。その科学理論のメタ構造を課題にする科学哲学者にも同じようにその権限がある。
科学哲学者吉田民人が課題にするのは生命、生物、社会などの個別世界の存在形態でない。それらに共通するある形態、メタレベルに存在する自己組織性の存在形態である。科学者が自然存在を語るように、科学哲学者は、科学認識された個別存在世界のメタレベルの世界について語る権利を持つ。それは権利の問題であり、語ることが良いか悪いかの問題でない。つまり、科学者がその職務として具体的対象世界を語るように、科学哲学者もその職務として、具体的存在形態のメタレベルのあり方を語るのである。
ここでは、科学主義を乗り越えるために、また科学主義を超えていく思想としてプログラム科学論が存在していると帰結しているのではない。しかし、存在論を課題にしなくなった現代哲学の流れ、それらの哲学から、新たな科学を構築しながら現在の科学主義を乗り越える視点が生まれるのだろうかという問題提起をするの留める。その問題提起からプログラム科学論の進化論的存在論の意味と位置付けを、簡単に述べるに留める。