三石博行
平成維新の志士たちがいるなら
一般に金が入るとか、名誉をもらえるとかいう理由なら人が動くのだが、
厄介なことはその人たちは社会の常識で動かないだろう。
例えば、正義のためとか、国家、社会、人民のためとか、彼らは理解し難い抽象的な理由で動く。
これらの人々は、一般の人々には理解し難い存在である。
社会が安定している平成の世の中で、一般常識では信じがたい理由で動き出す人々は、やはり気が狂っているとしか言えないだろう。なぜなら、そんな理由でこの平成元禄時代を動き回る必要がないからだ。
社会が不安定で国家が危機的状況になっている場合は、社会や国家を救済するために、社会を変革するために、侵略者と闘うために、国民市民の悲惨な現状を解決するために、動く人々が生れる。
それをある人は志士と呼び、ある人々は過激派とかテロリストと呼ぶ。
何しろ、自分の命などどうでもいい、自爆しようが暗殺されようが、それを恐れることはない。彼らにとって最も恐れることは、それに立ち向かえない自分がいること、そして不正や邪悪な権力におびえる自分がいることである。
母国国家や人民の未来を信じて、自分の命も財産も家族的生活もすべて捨てた人々なのだ。聖人にして狂人である彼らは、時代の落とし子に違いない。
「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困るものなり。この始末に困る人ならでは、艱難をともにして国家の大業は成し得られぬなり。」西郷隆盛
哲学に於いて生活とはそのすべての思索の根拠である。言い換えると哲学は、生きる行為、生活の場が前提になって成立する一つの思惟の形態であり、哲学は生きるための方法であり、道具であり、戦略であり、理念であると言える。また、哲学の入り口は生活点検作業である。何故なら、日常生活では無神経さや自己欺瞞は自然発生的に生まれるため、日常性と呼ばれる思惟の惰性形態に対して、反省と呼ばれる遡行作業を哲学は提供する。方法的懐疑や現象学的還元も、日常性へ埋没した惰性的自我を点検する方法である。生活の場から哲学を考え、哲学から生活の改善を求める運動を、ここでは生活運動と思想運動の相互関係と呼ぶ。そして、他者と共感しない哲学は意味を持たない。そこで、私の哲学を点検するためにこのブログを書くことにした。 2011年1月5日 三石博行 (MITSUISHI Hiroyuki)
2010年6月28日月曜日
2010年6月22日火曜日
中世社会の人々の意識 感覚中心主義と魔女の存在
三石博行
魔女狩り裁判を起こす社会意識の理解、迷信の存在
▽ 人の思い込みという日常的な心の動きを、歴史の中で繰り返されてきた戦争や民族浄化(大虐殺)の起源として考えた。その思い込みが生じる精神構造について考えた。代表的な例として「魔女狩り裁判」を引き合いに出した。
▽ 魔女狩り裁判が起こった理由は、魔女迷信が信じられていたからである。その迷信は、科学技術の進歩した現代社会では消滅しているので、例えば今日の日本社会で「あの女が魔女と夜中に秘かに会って話をしていた」とか「あの女が魔女から毒を貰って井戸に入れたので、ペストが流行った」などという噂を信じる人はいない。つまり、現代社会では、中世社会で行われていた魔女狩り裁判と魔女と交信していた女(魔女の仲間)の火あぶりの刑は起こることはないのである。
▽ しかし、つい最近(今から20年前1990年に)、セルビア人によるクロアチア人虐殺が起こった。そして1994年にはアフリカのルワンダ共和国でラジオのデマ放送を信じたフツ族によって共存していたツチ族百万人が虐殺された。2003年には、アメリカによってイラク共和国が爆撃され、イラク戦争が始まる。それもイラクが大量破壊兵器を持っているという理由で、アメリカやイギリスなど日本を含める20カ国からなる連合国によって一方的にイラクへの攻撃が開始された。国連の安保理の反対を押し切っての戦争であった。すでに2008年までにアメリカ兵の死者は4千人を超え、イラク人治安部隊の死者は1万人とされ、国際保健機関は民間人の犠牲者は少なくとも15万人以上であると報している。このイラク戦争に見られるように、不確かな情報、デマやうわさを信じることで、一国を滅ぼすことが出来るという現代社会で繰り広げられた蛮行の起源を考えなければならないだろう。
▽ 魔女狩り裁判に関して言えば、中世社会では、迷信が信じられ、古代から続いた祈祷や占いが国家の政務として採用され、例えば、日本の古代社会は祈祷師である卑弥呼(175年から248年、邪馬台国の女王と思われている)が国を治め、また、それから600年後の平安時代(794年から1185年まで)でも天文観測や占いをする陰陽師(おんみょうじ)が中務省に勤め、国の業務の一部を司っていたのである。
中世社会の人々の意識 感覚中心主義と魔女の存在
▽ 中世社会では、世界は、人間の感覚・知覚できるものを基にして存在していると考えられていた。感覚・知覚された世界の姿を形相とアリストテレスは呼び、その形相の基になる物質世界を質料と呼んでいた。
▽ 中世の世界観では、幻覚や妄想も感覚された世界である以上、それは存在するのである。例えば、「あの女が魔女と夜に話をしているのを聞いた」という妄想も、魔女と話をしていたという錯覚を持った人間にとっては、そのリアルな感覚をもって現れる錯覚であり限り、その「魔女との密会」は現実の出来事として理解されるのである。その社会では、この妄想も、魔女の存在を信じている以上、「魔女と女が話をしていた」ということも実際に起きてもおかしくない話となる。そこで「あの女は魔女と密会をし、魔女から毒を貰っていた」という話に発展するのであろう。
▽ つまり、中世社会での魔女狩り裁判は起こるべくして起こる社会現象であった。科学的知識や世界観が存在していなかった。人間の感覚しか世界を了解(理解)するすべを持たなかった。そのため、幻想や幻覚であれ見えるものは全て存在しえたかった。
中世社会の世界観から近代社会への変化 天動説から地動説
▽ 2世紀に形成されたプトレマイオス天動説から17世紀の始めに形成されたケプラーの地動説への変換は、中世的な世界観から近代的世界観の変換を代表する事件であった。
▽ 現在でも、太陽が西に沈む光景を見て、「地球が動いている」と感じる人は誰も居ない。現代科学が活用する機器分析などのない肉眼で世界を観測調査していた中世の人々は、天体観測をして天動説を素朴に信じていただろう。その素朴な感覚経験主義が中世社会の世界観を支配していた。
▽ ケプラーは、これまでの中世社会から受け継がれた観測方法、望遠鏡を使用する天文観測を行っていたが、そのデータを数学的に整理した。つまり、中世の学問、スコラ学の自然学を理論的土台とするアリストテレスの世界観、人間的感覚を中心とした世界から、それを超越した世界(プラトンのイデアの世界)への変換の試みと、絶対的神の法則を信じるキリスト教神学の影響を受けた物理神学の立場から、神は世界(宇宙)を神のことば(数学)によって表現していると考えた。そして神のことばに近い数学を用いることで、宇宙の法則(神の法則)を見つけ出そうとしたのであった。
▽ 物理神学者であったコペルニクスやブルーノの地動説の先行研究を踏まえ、ケプラーは、1609年から1619年に掛けてケプラーの法則,惑星が太陽をひとつの焦点とする楕円軌道上を動くという第一法則、惑星と太陽とを結ぶ線分が短時間に描く面積は一定である(面性速度一定)と、惑星の公転周期の2乗は、軌道の長半径の3乗に比例するという第三法則を発表した。
▽ ケプラーの法則によって、地動説が成立したと同時に、その後、万有引力の法則を見つけ出すニュートンなどに大きな影響を与えることになり、古典力学の土台の一歩が形成されたといえる。つまり、ガリレオと共に、その後、デカルト、パスカル、ニュートンやライプニッツへと大きな影響を与え、近代科学の形成の土台を創ったといえる。
魔女狩り裁判を起こす社会意識の理解、迷信の存在
▽ 人の思い込みという日常的な心の動きを、歴史の中で繰り返されてきた戦争や民族浄化(大虐殺)の起源として考えた。その思い込みが生じる精神構造について考えた。代表的な例として「魔女狩り裁判」を引き合いに出した。
▽ 魔女狩り裁判が起こった理由は、魔女迷信が信じられていたからである。その迷信は、科学技術の進歩した現代社会では消滅しているので、例えば今日の日本社会で「あの女が魔女と夜中に秘かに会って話をしていた」とか「あの女が魔女から毒を貰って井戸に入れたので、ペストが流行った」などという噂を信じる人はいない。つまり、現代社会では、中世社会で行われていた魔女狩り裁判と魔女と交信していた女(魔女の仲間)の火あぶりの刑は起こることはないのである。
▽ しかし、つい最近(今から20年前1990年に)、セルビア人によるクロアチア人虐殺が起こった。そして1994年にはアフリカのルワンダ共和国でラジオのデマ放送を信じたフツ族によって共存していたツチ族百万人が虐殺された。2003年には、アメリカによってイラク共和国が爆撃され、イラク戦争が始まる。それもイラクが大量破壊兵器を持っているという理由で、アメリカやイギリスなど日本を含める20カ国からなる連合国によって一方的にイラクへの攻撃が開始された。国連の安保理の反対を押し切っての戦争であった。すでに2008年までにアメリカ兵の死者は4千人を超え、イラク人治安部隊の死者は1万人とされ、国際保健機関は民間人の犠牲者は少なくとも15万人以上であると報している。このイラク戦争に見られるように、不確かな情報、デマやうわさを信じることで、一国を滅ぼすことが出来るという現代社会で繰り広げられた蛮行の起源を考えなければならないだろう。
▽ 魔女狩り裁判に関して言えば、中世社会では、迷信が信じられ、古代から続いた祈祷や占いが国家の政務として採用され、例えば、日本の古代社会は祈祷師である卑弥呼(175年から248年、邪馬台国の女王と思われている)が国を治め、また、それから600年後の平安時代(794年から1185年まで)でも天文観測や占いをする陰陽師(おんみょうじ)が中務省に勤め、国の業務の一部を司っていたのである。
中世社会の人々の意識 感覚中心主義と魔女の存在
▽ 中世社会では、世界は、人間の感覚・知覚できるものを基にして存在していると考えられていた。感覚・知覚された世界の姿を形相とアリストテレスは呼び、その形相の基になる物質世界を質料と呼んでいた。
▽ 中世の世界観では、幻覚や妄想も感覚された世界である以上、それは存在するのである。例えば、「あの女が魔女と夜に話をしているのを聞いた」という妄想も、魔女と話をしていたという錯覚を持った人間にとっては、そのリアルな感覚をもって現れる錯覚であり限り、その「魔女との密会」は現実の出来事として理解されるのである。その社会では、この妄想も、魔女の存在を信じている以上、「魔女と女が話をしていた」ということも実際に起きてもおかしくない話となる。そこで「あの女は魔女と密会をし、魔女から毒を貰っていた」という話に発展するのであろう。
▽ つまり、中世社会での魔女狩り裁判は起こるべくして起こる社会現象であった。科学的知識や世界観が存在していなかった。人間の感覚しか世界を了解(理解)するすべを持たなかった。そのため、幻想や幻覚であれ見えるものは全て存在しえたかった。
中世社会の世界観から近代社会への変化 天動説から地動説
▽ 2世紀に形成されたプトレマイオス天動説から17世紀の始めに形成されたケプラーの地動説への変換は、中世的な世界観から近代的世界観の変換を代表する事件であった。
▽ 現在でも、太陽が西に沈む光景を見て、「地球が動いている」と感じる人は誰も居ない。現代科学が活用する機器分析などのない肉眼で世界を観測調査していた中世の人々は、天体観測をして天動説を素朴に信じていただろう。その素朴な感覚経験主義が中世社会の世界観を支配していた。
▽ ケプラーは、これまでの中世社会から受け継がれた観測方法、望遠鏡を使用する天文観測を行っていたが、そのデータを数学的に整理した。つまり、中世の学問、スコラ学の自然学を理論的土台とするアリストテレスの世界観、人間的感覚を中心とした世界から、それを超越した世界(プラトンのイデアの世界)への変換の試みと、絶対的神の法則を信じるキリスト教神学の影響を受けた物理神学の立場から、神は世界(宇宙)を神のことば(数学)によって表現していると考えた。そして神のことばに近い数学を用いることで、宇宙の法則(神の法則)を見つけ出そうとしたのであった。
▽ 物理神学者であったコペルニクスやブルーノの地動説の先行研究を踏まえ、ケプラーは、1609年から1619年に掛けてケプラーの法則,惑星が太陽をひとつの焦点とする楕円軌道上を動くという第一法則、惑星と太陽とを結ぶ線分が短時間に描く面積は一定である(面性速度一定)と、惑星の公転周期の2乗は、軌道の長半径の3乗に比例するという第三法則を発表した。
▽ ケプラーの法則によって、地動説が成立したと同時に、その後、万有引力の法則を見つけ出すニュートンなどに大きな影響を与えることになり、古典力学の土台の一歩が形成されたといえる。つまり、ガリレオと共に、その後、デカルト、パスカル、ニュートンやライプニッツへと大きな影響を与え、近代科学の形成の土台を創ったといえる。
冤罪防止と死刑廃止論
三石博行
▽ 本来、司法の民主的運営、つまり市民に開かれた裁判を目指して裁判員制度は導入された。その基本的目標は冤罪を防ぐことであった。冤罪が最も重大な裁判による人権問題である以上、それを防がなければ民主主義国家としての基本的理念、基本的人権擁護の社会思想を維持することは出来ない。
▽ もし、中世社会の「魔女狩り裁判」と同じように「冤罪」を犯す裁判が横行するなら、その社会は民主的社会でもなければ、国民主権を謳う(うたう)近代国家でもない。それはまるで宗教権力の恐怖国家と同じような検察や警察権力の恐怖国家であるといえるだろう。日本国憲法で基本的人権を守れている国民である以上、魔女狩りのように不当な冤罪被害を受けることは許されない。
▽ しかし、私たちは神でないので、間違いを犯す。その意味で私たちは冤罪を起こす可能性を否定することはできない。そうであればせめて、冤罪によって悲惨な結果になることを防ぐ必要はないだろうか。
▽ その意味で「死刑の廃止」は最低限の冤罪によって引き起こされる重大な誤りへの防波堤にもなる。
▽ しかし、これまで、冤罪による重大な失敗を食い止めるために、死刑廃止という考え方を述べたが、それに反対する意見もあった。何故なら、死刑廃止を行うことで重大犯罪が増加すると思われるからである。人は死刑を恐れて重大犯罪に走らないなら、死刑を廃止することは、社会に重大犯罪を起こす可能性を作ると考えるからである。
▽ これまで冤罪問題への解決を考えるために、色々な角度から犯罪による人権侵害、犯罪被害者とその家族の人権問題、犯罪加害者家族の人権問題、さらに犯罪者(服役中の犯罪者)の人権問題と異なる角度から、問題を考えてみる。
▽ 本来、司法の民主的運営、つまり市民に開かれた裁判を目指して裁判員制度は導入された。その基本的目標は冤罪を防ぐことであった。冤罪が最も重大な裁判による人権問題である以上、それを防がなければ民主主義国家としての基本的理念、基本的人権擁護の社会思想を維持することは出来ない。
▽ もし、中世社会の「魔女狩り裁判」と同じように「冤罪」を犯す裁判が横行するなら、その社会は民主的社会でもなければ、国民主権を謳う(うたう)近代国家でもない。それはまるで宗教権力の恐怖国家と同じような検察や警察権力の恐怖国家であるといえるだろう。日本国憲法で基本的人権を守れている国民である以上、魔女狩りのように不当な冤罪被害を受けることは許されない。
▽ しかし、私たちは神でないので、間違いを犯す。その意味で私たちは冤罪を起こす可能性を否定することはできない。そうであればせめて、冤罪によって悲惨な結果になることを防ぐ必要はないだろうか。
▽ その意味で「死刑の廃止」は最低限の冤罪によって引き起こされる重大な誤りへの防波堤にもなる。
▽ しかし、これまで、冤罪による重大な失敗を食い止めるために、死刑廃止という考え方を述べたが、それに反対する意見もあった。何故なら、死刑廃止を行うことで重大犯罪が増加すると思われるからである。人は死刑を恐れて重大犯罪に走らないなら、死刑を廃止することは、社会に重大犯罪を起こす可能性を作ると考えるからである。
▽ これまで冤罪問題への解決を考えるために、色々な角度から犯罪による人権侵害、犯罪被害者とその家族の人権問題、犯罪加害者家族の人権問題、さらに犯罪者(服役中の犯罪者)の人権問題と異なる角度から、問題を考えてみる。
公害と呼ばれる人権と生活権への被害
三石博行
産業有害廃棄物による生態系破壊の意味するもの 健康被害
▽ 企業の活動によって生産されるものは商品だけではない。商品にならないものつまり廃棄物も生産される。それらの廃棄物が有害である場合と無害な場合がある。企業が排出する廃棄物を産業廃棄物と呼ぶ。しかし、生活活動によっても廃棄物は生まれる。例えば、二酸化炭素である。火力発電、鉄鋼などの企業活動で多量の二酸化炭素が排出される。また、同様に生活活動(自動車を運転する、料理を作るなど)によって同じように多量の二酸化炭素は排出される。
▽ この二酸化炭素は一定濃度を超えない限り人体には有害ではない。しかし、その量が多くなると人体に害を及ぼす。Wikipediaの説明では、「空気中の二酸化炭素濃度が高くなると、人間は危険な状態に置かれる。濃度が 3~4% を超えると頭痛・めまい・吐き気などを催し、7% を超えると炭酸ガスナルコーシスのため数分で意識を失う」。
▽ 勿論、現在地球規模で進行している気象の温暖化現象はこの二酸化炭素によるものである。「2006年現在の大気中にはおよそ 381ppm(0.038%)ほどの濃度で二酸化炭素が含まれるが、氷床コアなどの分析から産業革命以前は、およそ 280ppm(0.028%)の濃度であったと推定されている」(Wikipedia)。つまり、この100年で大気中の二酸化炭素は約0.01%増加したと言われている。その意味で、やはり二酸化炭素は有害であるといえるだろう。
▽ 企業活動や生活活動によって廃棄物は生み出される。したがって、産業廃棄物のみが問題となっていた時代には、有毒廃棄物が生態系に流出して起こる環境問題とそれから生じた健康被害を公害と呼んでいた。
公害被害者への差別(奇病にされた公害病)
▽ 有毒な企業廃棄物によって生じる環境破壊(公害)は、そのまま、その有毒な物質を扱う企業内の勤労者にとって職業病の原因になる。エンゲルスの「イギリスにおける労働者階級の状態」の中で、当時のイギリスの労働者階級の劣悪な労働環境が述べられているが、それはそのまま、スモッグの町、ロンドンを意味しているのである。
▽ 20世紀の社会では、企業で働く人々は、彼らの企業活動によって引き起こされた環境破壊によってさらに引き起こされる住民の健康障害問題に関して、無神経になり、理解を示さない。何故なら、廃棄物処理による経営的な企業負担が増え、それが原因して企業倒産が起こるからである。企業廃棄物が引き起こす環境問題を考えることは、生活の場である職場を奪われることを20世紀の労働現場では意味していた。
▽ 水俣でも、水俣病に苦しむ人々を、「奇病」として差別してきた。そして多くの公害被害者が「奇病」に伴う差別を恐れ、公害被害を訴えなかった。その認定問題が半世紀を越えて問題となり続けたのである。
公害と労災職業病 (植田マンガンの例)
▽ 1970年代、大阪門真市に電池の素材になるマンガン鉱物を扱う植田マンガン株式会社が営業していた。大東市には松下電器の下請け企業が多くあった。植田マンガンもその一つであった。
▽ 当時、植田マンガンの近くに住んでいる住民から、「パーキンソン氏病」の原因となるマンガンを扱っている植田マンガンに対して公害反対運動が起こった。パーキンソン氏病とは新鮮麻痺(しんせんまひ)、つまり身体の震えがとまらない症状や歩行困難を引き起こす難病の一つにされていた。
▽ 近接住民の公害反対運動にもっとも激しく反抗したのは植田マンガンで働く労働者であった。かれらは公害反対運動の人々に体をはって抵抗した。植田マンガンで働く人々と近辺住民とが激しくいがみ合ったのである。
▽ 植田マンガンの会社は倒産した。その理由は、公害反対によるものでなく、電池産業の変化にあった。つまり、マンガン電池からアルカリ電池へと新しい性能の高い電池商品が開発されたからであった。その新たな産業の流れの中で公害企業植田マンガンは倒産したのである。
▽ 突然の会社倒産の知らせを受けてもっとも打撃を受けたのはそこで働く人々であった。彼らは、長年のマンガン鉱石を扱う労働によって、塵肺(じんぱい・肺に粉塵がたまり肺胞が硬く繊維化し、肺の機能が失われる病気)になり、またパーキンソン氏病(マンガン中毒)に罹っていた。
▽ 植田マンガンの労働者は組合を結成し、公害反対運動をしていた人々とも連絡を取り合って、マンガン中毒の職業病の認定と保障を獲得するために運動を起こした。
繰り返される問題、アスベスト粉塵問題の例
▽ 絶縁体で熱に強いアスベスト(石綿)は電気機器の中に、また耐熱材や建築材料として広く使われていた。しかし、アスベスト粉塵は肺気腫や肺がんを引き起こす物質であることが知られていた。1970年代のアメリカではアスベストの使用を禁止したが、日本ではその使用を2006年3月まで法律で禁止さることはなかった。そのため、アスベストによる被害は非常に広がった。
▽ 科学技術進歩によって、多くの化学物質が開発されてきた。そのことによって産業は発達し、多くの新商品が開発され、我々の社会は豊かになってきた。
▽ しかし、その反面、それら新しい素材の人体への影響に関する課題が生じる。例えば、ダイオキシンはもともと自然界に存在しないポリ塩素炭水化化合物である。その物質はごみの焼却(しょうきゃく)によっても生成される。その毒性は強く、ベトナム戦争時にアメリカ軍が枯葉剤として大量に使った。
▽ 我々は便利な化学物質を見つけ出し、また発明し合成している。それらの物質の毒性や環境負荷に関して知る必要がある。また、危険な物質の生産に関しては制限が必要となるだろう。
産業有害廃棄物による生態系破壊の意味するもの 健康被害
▽ 企業の活動によって生産されるものは商品だけではない。商品にならないものつまり廃棄物も生産される。それらの廃棄物が有害である場合と無害な場合がある。企業が排出する廃棄物を産業廃棄物と呼ぶ。しかし、生活活動によっても廃棄物は生まれる。例えば、二酸化炭素である。火力発電、鉄鋼などの企業活動で多量の二酸化炭素が排出される。また、同様に生活活動(自動車を運転する、料理を作るなど)によって同じように多量の二酸化炭素は排出される。
▽ この二酸化炭素は一定濃度を超えない限り人体には有害ではない。しかし、その量が多くなると人体に害を及ぼす。Wikipediaの説明では、「空気中の二酸化炭素濃度が高くなると、人間は危険な状態に置かれる。濃度が 3~4% を超えると頭痛・めまい・吐き気などを催し、7% を超えると炭酸ガスナルコーシスのため数分で意識を失う」。
▽ 勿論、現在地球規模で進行している気象の温暖化現象はこの二酸化炭素によるものである。「2006年現在の大気中にはおよそ 381ppm(0.038%)ほどの濃度で二酸化炭素が含まれるが、氷床コアなどの分析から産業革命以前は、およそ 280ppm(0.028%)の濃度であったと推定されている」(Wikipedia)。つまり、この100年で大気中の二酸化炭素は約0.01%増加したと言われている。その意味で、やはり二酸化炭素は有害であるといえるだろう。
▽ 企業活動や生活活動によって廃棄物は生み出される。したがって、産業廃棄物のみが問題となっていた時代には、有毒廃棄物が生態系に流出して起こる環境問題とそれから生じた健康被害を公害と呼んでいた。
公害被害者への差別(奇病にされた公害病)
▽ 有毒な企業廃棄物によって生じる環境破壊(公害)は、そのまま、その有毒な物質を扱う企業内の勤労者にとって職業病の原因になる。エンゲルスの「イギリスにおける労働者階級の状態」の中で、当時のイギリスの労働者階級の劣悪な労働環境が述べられているが、それはそのまま、スモッグの町、ロンドンを意味しているのである。
▽ 20世紀の社会では、企業で働く人々は、彼らの企業活動によって引き起こされた環境破壊によってさらに引き起こされる住民の健康障害問題に関して、無神経になり、理解を示さない。何故なら、廃棄物処理による経営的な企業負担が増え、それが原因して企業倒産が起こるからである。企業廃棄物が引き起こす環境問題を考えることは、生活の場である職場を奪われることを20世紀の労働現場では意味していた。
▽ 水俣でも、水俣病に苦しむ人々を、「奇病」として差別してきた。そして多くの公害被害者が「奇病」に伴う差別を恐れ、公害被害を訴えなかった。その認定問題が半世紀を越えて問題となり続けたのである。
公害と労災職業病 (植田マンガンの例)
▽ 1970年代、大阪門真市に電池の素材になるマンガン鉱物を扱う植田マンガン株式会社が営業していた。大東市には松下電器の下請け企業が多くあった。植田マンガンもその一つであった。
▽ 当時、植田マンガンの近くに住んでいる住民から、「パーキンソン氏病」の原因となるマンガンを扱っている植田マンガンに対して公害反対運動が起こった。パーキンソン氏病とは新鮮麻痺(しんせんまひ)、つまり身体の震えがとまらない症状や歩行困難を引き起こす難病の一つにされていた。
▽ 近接住民の公害反対運動にもっとも激しく反抗したのは植田マンガンで働く労働者であった。かれらは公害反対運動の人々に体をはって抵抗した。植田マンガンで働く人々と近辺住民とが激しくいがみ合ったのである。
▽ 植田マンガンの会社は倒産した。その理由は、公害反対によるものでなく、電池産業の変化にあった。つまり、マンガン電池からアルカリ電池へと新しい性能の高い電池商品が開発されたからであった。その新たな産業の流れの中で公害企業植田マンガンは倒産したのである。
▽ 突然の会社倒産の知らせを受けてもっとも打撃を受けたのはそこで働く人々であった。彼らは、長年のマンガン鉱石を扱う労働によって、塵肺(じんぱい・肺に粉塵がたまり肺胞が硬く繊維化し、肺の機能が失われる病気)になり、またパーキンソン氏病(マンガン中毒)に罹っていた。
▽ 植田マンガンの労働者は組合を結成し、公害反対運動をしていた人々とも連絡を取り合って、マンガン中毒の職業病の認定と保障を獲得するために運動を起こした。
繰り返される問題、アスベスト粉塵問題の例
▽ 絶縁体で熱に強いアスベスト(石綿)は電気機器の中に、また耐熱材や建築材料として広く使われていた。しかし、アスベスト粉塵は肺気腫や肺がんを引き起こす物質であることが知られていた。1970年代のアメリカではアスベストの使用を禁止したが、日本ではその使用を2006年3月まで法律で禁止さることはなかった。そのため、アスベストによる被害は非常に広がった。
▽ 科学技術進歩によって、多くの化学物質が開発されてきた。そのことによって産業は発達し、多くの新商品が開発され、我々の社会は豊かになってきた。
▽ しかし、その反面、それら新しい素材の人体への影響に関する課題が生じる。例えば、ダイオキシンはもともと自然界に存在しないポリ塩素炭水化化合物である。その物質はごみの焼却(しょうきゃく)によっても生成される。その毒性は強く、ベトナム戦争時にアメリカ軍が枯葉剤として大量に使った。
▽ 我々は便利な化学物質を見つけ出し、また発明し合成している。それらの物質の毒性や環境負荷に関して知る必要がある。また、危険な物質の生産に関しては制限が必要となるだろう。
再生産するドグマ(固定観念)との終りない闘い
三石博行
近代合理主義から生まれた近代・現代科学技術
▽ デカルトが確立した近代合理主義、その思想によって開花し展開した古典物理学、古典物理学の形成によって近代科学は発展し、その科学の力によって新しい技術が形成され、生産道具から機械制生産様式が生み出され、その生産力の増大が資本主義文明を発展させる。強大な生産様式は工業生産に必要な資源の確保と大量生産物質の市場を求め動き出す。
▽ 資源確保のために資本主義生産様式を確立した国々は、未開の国々を征服し、植民地化していく、19世紀から20世紀前半に掛けて世界は列強(ヨーロッパ、アメリカとロシア)の植民地拡大政策の犠牲となってゆく。近代合理主義精神を土台にして形成された科学技術の力は、植民地確保のための武器となり、またユダヤ人の民族浄化のための道具(毒ガス)となって発展(?)し続けるのであった。
▽ もっとも近代科学の発達した国で民族浄化の毒ガスや核爆弾が開発され、正義のために使用されることになる。中世社会の話として忘れられていた「ユダヤ人が井戸に毒を入れた」という噂に挑発されたユダヤ人狩りと同じような行為が繰りかえされる。その「ユダヤ人狩り」を手伝ったのは、中世社会のケースと同じように一般の市民であった。彼らの民族愛や愛国精神の正義の行為が悲惨な虐殺の歴史を再び文明社会で繰り広げることになるのである。
▽ ユダヤ人虐殺や魔女狩り裁判で繰り広げられた中世末期の悲劇を繰りかえさないために15世紀のヨ
ーロッパでは中世の世界観への批判的検証がなされた。その一つにモンテーニュの人文主義運動があった。そのモンテーニュが展開する「懐疑論」は、中世の感覚主義的世界観を批判するものであった。この懐疑論は、その後、デカルトの方法的懐疑へと発展し、徹底的に感覚主義や素朴実在論の考え方は批判された。デカルトは方法的懐疑を通じ、近代合理主義を形成し、その近代合理主義は近代科学の形成の基礎となり、そこから古典物理学が形成され、科学は社会や経済の発展に寄与し、現代科学技術文明社会の形成の基礎が形成された。
現代科学技術文明の病理的側面
▽ そして、その現代科学技術文明の幕開けに化学工業の発展と化学兵器や物理学の進歩と核兵器が登場するのである。科学技術の発展は人類に豊かさをもたらしたという考え方と同時に一瞬にして人類を人類の力で破滅させる技術を開発したという考え方が生まれる。
▽ 魔女狩りやユダヤ人虐殺の背景にあった非科学的世界観は近代・現代科学の発展によって払拭された。しかし、ヒューマニズムを齎す(もたらす)とモンテーニュも信じたであろう科学的(合理的)な知識が、引き連れてきたのは人類を滅亡させる道具、核爆弾であった。確かに、科学の進歩は豊かな人類社会を実現したのであるが、同時に、核兵器と地球温暖化も作ってしまった。今、この科学技術文明社会の時代に起こった問題を解決するために何を考えるべきなのだろうか。
▽ デカルトは方法的に疑うことを教えてくれた。そのことで、日常生活で生じる色々な出来事、殆ど知覚的経験や感覚によって組み立てられている世界現象の核心に迫る知性の入り口、つまり、問題提起する力が身についたといえる。デカルトの業績は、日常生活で常に常識化している生活空間の構造や経験世界への疑問を方法的に組み立てることで、その世界の様相(ありさま)を本質的に理解しようとする力(知性)の入り口を教えたことである。
人間の全ての偏見(イドラ)の姿を理解するために ベーコンの四つのイドラとは
▽ しかし、デカルトの方法的懐疑だけでは、今日の問題に対応できないだろう。偏見や先入観は、感覚世界から齎される(もたらされる)だけでなく、科学的視点、社会的視点、文化的視点や人間的視点の中にも偏見や先入観は存在している。そこで、それらの偏見の姿を分析したフランシス・ベーコン(Francis Bacon, Baron、1561年-1626年)のイドラについて述べる。
▽ ベーコンは、「知は力なり」ということばで有名である。彼は16世紀から17世紀イギリスのキリスト教神学者、哲学者、法律家であり、「ノヴム・オルガヌム 新機関」(岩波文庫)という有名な書物を残した。この書物の中で、人間の偏見について4つのパターンを示した。その四つの姿をベーコンは4つのイドラ(イドラはアイドル(idol)の語源である)と呼んだ。
▽ 第一のイドラは「種族のイドラ」と呼ばれるもので、デカルトが方法的懐疑によって徹底的に点検した「感覚における錯覚」である。この種族のイドラは、一般に人間共通のものであり、すべての時代、社会、民族にわたって人々が持っている偏見や先入観である。
▽ 第二のイドラは「洞窟のイドラ」と呼ばれるもので、人は全て、その人の所属する家族、集団、共同体、社会、国家という狭い洞窟の中から世界を見ているようなものである。つまり、人は、その人が受けた社会の習慣や教育によって個性や性癖を持っている。知らず知らずのうちに、自分の所属する社会の常識や習慣による偏見や先入観を持つのである。
▽ 第三のイドラは「市場のイドラ」と呼ばれるものであり、「言葉が思考に及ぼす影響から生まれた偏見」である。つまり、口コミで伝わることば(口語)は、話し手の主観を抜きにして存在しないものである。語る人がいるので言葉が生まれる。その語り手がもつ主観的解釈が、伝えたい情報に混じることを防ぐことは出来ない。つまり、口頭で伝わる情報は情報発信者の解釈の混在を防ぐことが出来ない以上、それらの情報発信者のもっている主観的な偏見や先入観が必然的に情報に入り込むのである。
▽ 第四のイドラは「劇場のイドラ」と呼ばれるもので、知的生産を担う人々、現代社会なら知識人、ジャーナリスト、大学や研究機関(シンクタンク)の研究者たちである。これらの人々は、新しい学説、思想、理論を提案し、また評論を行う。社会の知的劇場の役者として、つねにある劇を演じているのである。その演じている劇の中で彼らが述べるセリフを庶民は聴いている。その台詞(せりふ)のシナリオを書く人と演じる人々とそれを聞く人々、聞く人々には彼らの台詞(せりふ)が世界の現実であり、新しい知識であると思われる。そして、ジャーナリズムに踊らされ、ベトナムやイラク爆撃を支援する市民が生まれる。彼らの偏見、場合によっては政治的先入観が市民の事実を見る判断を狂わせるのである。それが、大きな悲劇を生んできた。
▽ ベーコンの4つの先入観や偏見の原因に触れるまでもなく、魔術や占いの支配した中世社会ばかりでなく、科学技術の進歩した現代社会でも、多くの偏見が常に発生する余地がある。その偏見や先入観(思い込み)とどのようにして闘い続けるのかが、我々に問いかけられている問題であることに気付くのである。
近代合理主義から生まれた近代・現代科学技術
▽ デカルトが確立した近代合理主義、その思想によって開花し展開した古典物理学、古典物理学の形成によって近代科学は発展し、その科学の力によって新しい技術が形成され、生産道具から機械制生産様式が生み出され、その生産力の増大が資本主義文明を発展させる。強大な生産様式は工業生産に必要な資源の確保と大量生産物質の市場を求め動き出す。
▽ 資源確保のために資本主義生産様式を確立した国々は、未開の国々を征服し、植民地化していく、19世紀から20世紀前半に掛けて世界は列強(ヨーロッパ、アメリカとロシア)の植民地拡大政策の犠牲となってゆく。近代合理主義精神を土台にして形成された科学技術の力は、植民地確保のための武器となり、またユダヤ人の民族浄化のための道具(毒ガス)となって発展(?)し続けるのであった。
▽ もっとも近代科学の発達した国で民族浄化の毒ガスや核爆弾が開発され、正義のために使用されることになる。中世社会の話として忘れられていた「ユダヤ人が井戸に毒を入れた」という噂に挑発されたユダヤ人狩りと同じような行為が繰りかえされる。その「ユダヤ人狩り」を手伝ったのは、中世社会のケースと同じように一般の市民であった。彼らの民族愛や愛国精神の正義の行為が悲惨な虐殺の歴史を再び文明社会で繰り広げることになるのである。
▽ ユダヤ人虐殺や魔女狩り裁判で繰り広げられた中世末期の悲劇を繰りかえさないために15世紀のヨ
ーロッパでは中世の世界観への批判的検証がなされた。その一つにモンテーニュの人文主義運動があった。そのモンテーニュが展開する「懐疑論」は、中世の感覚主義的世界観を批判するものであった。この懐疑論は、その後、デカルトの方法的懐疑へと発展し、徹底的に感覚主義や素朴実在論の考え方は批判された。デカルトは方法的懐疑を通じ、近代合理主義を形成し、その近代合理主義は近代科学の形成の基礎となり、そこから古典物理学が形成され、科学は社会や経済の発展に寄与し、現代科学技術文明社会の形成の基礎が形成された。
現代科学技術文明の病理的側面
▽ そして、その現代科学技術文明の幕開けに化学工業の発展と化学兵器や物理学の進歩と核兵器が登場するのである。科学技術の発展は人類に豊かさをもたらしたという考え方と同時に一瞬にして人類を人類の力で破滅させる技術を開発したという考え方が生まれる。
▽ 魔女狩りやユダヤ人虐殺の背景にあった非科学的世界観は近代・現代科学の発展によって払拭された。しかし、ヒューマニズムを齎す(もたらす)とモンテーニュも信じたであろう科学的(合理的)な知識が、引き連れてきたのは人類を滅亡させる道具、核爆弾であった。確かに、科学の進歩は豊かな人類社会を実現したのであるが、同時に、核兵器と地球温暖化も作ってしまった。今、この科学技術文明社会の時代に起こった問題を解決するために何を考えるべきなのだろうか。
▽ デカルトは方法的に疑うことを教えてくれた。そのことで、日常生活で生じる色々な出来事、殆ど知覚的経験や感覚によって組み立てられている世界現象の核心に迫る知性の入り口、つまり、問題提起する力が身についたといえる。デカルトの業績は、日常生活で常に常識化している生活空間の構造や経験世界への疑問を方法的に組み立てることで、その世界の様相(ありさま)を本質的に理解しようとする力(知性)の入り口を教えたことである。
人間の全ての偏見(イドラ)の姿を理解するために ベーコンの四つのイドラとは
▽ しかし、デカルトの方法的懐疑だけでは、今日の問題に対応できないだろう。偏見や先入観は、感覚世界から齎される(もたらされる)だけでなく、科学的視点、社会的視点、文化的視点や人間的視点の中にも偏見や先入観は存在している。そこで、それらの偏見の姿を分析したフランシス・ベーコン(Francis Bacon, Baron、1561年-1626年)のイドラについて述べる。
▽ ベーコンは、「知は力なり」ということばで有名である。彼は16世紀から17世紀イギリスのキリスト教神学者、哲学者、法律家であり、「ノヴム・オルガヌム 新機関」(岩波文庫)という有名な書物を残した。この書物の中で、人間の偏見について4つのパターンを示した。その四つの姿をベーコンは4つのイドラ(イドラはアイドル(idol)の語源である)と呼んだ。
▽ 第一のイドラは「種族のイドラ」と呼ばれるもので、デカルトが方法的懐疑によって徹底的に点検した「感覚における錯覚」である。この種族のイドラは、一般に人間共通のものであり、すべての時代、社会、民族にわたって人々が持っている偏見や先入観である。
▽ 第二のイドラは「洞窟のイドラ」と呼ばれるもので、人は全て、その人の所属する家族、集団、共同体、社会、国家という狭い洞窟の中から世界を見ているようなものである。つまり、人は、その人が受けた社会の習慣や教育によって個性や性癖を持っている。知らず知らずのうちに、自分の所属する社会の常識や習慣による偏見や先入観を持つのである。
▽ 第三のイドラは「市場のイドラ」と呼ばれるものであり、「言葉が思考に及ぼす影響から生まれた偏見」である。つまり、口コミで伝わることば(口語)は、話し手の主観を抜きにして存在しないものである。語る人がいるので言葉が生まれる。その語り手がもつ主観的解釈が、伝えたい情報に混じることを防ぐことは出来ない。つまり、口頭で伝わる情報は情報発信者の解釈の混在を防ぐことが出来ない以上、それらの情報発信者のもっている主観的な偏見や先入観が必然的に情報に入り込むのである。
▽ 第四のイドラは「劇場のイドラ」と呼ばれるもので、知的生産を担う人々、現代社会なら知識人、ジャーナリスト、大学や研究機関(シンクタンク)の研究者たちである。これらの人々は、新しい学説、思想、理論を提案し、また評論を行う。社会の知的劇場の役者として、つねにある劇を演じているのである。その演じている劇の中で彼らが述べるセリフを庶民は聴いている。その台詞(せりふ)のシナリオを書く人と演じる人々とそれを聞く人々、聞く人々には彼らの台詞(せりふ)が世界の現実であり、新しい知識であると思われる。そして、ジャーナリズムに踊らされ、ベトナムやイラク爆撃を支援する市民が生まれる。彼らの偏見、場合によっては政治的先入観が市民の事実を見る判断を狂わせるのである。それが、大きな悲劇を生んできた。
▽ ベーコンの4つの先入観や偏見の原因に触れるまでもなく、魔術や占いの支配した中世社会ばかりでなく、科学技術の進歩した現代社会でも、多くの偏見が常に発生する余地がある。その偏見や先入観(思い込み)とどのようにして闘い続けるのかが、我々に問いかけられている問題であることに気付くのである。
中世的世界観の終焉 デカルトの方法的懐疑とその役割
三石博行
モンテーニュの懐疑論
▽ 1562年から1598年まで停戦を何度かはさんで続けられたフランスのカトリックとプロテスタントの宗教戦争・ユグノー戦争(Guerres de religion)で混乱するフランス・ヨーロッパ社会に対して、フランスの16世紀ルネッサンスを代表する哲学者であるミシェル・エケム・ド・モンテーニュ(Michel Eyquem de Montaigne)は、宗教的正義を振りかざして闘う人々とその「正義」に対して懐疑の眼差しを向けた。彼の懐疑論はフランスのモラリスト(人文主義者)運動を呼び起こし、現実の人間を探求する思想を確立していった。
▽ モンテーニュの懐疑論は肯定的にも、否定的にもフランスの思想に大きな影響を与えた。懐疑主義に肯定的に影響された一人がルネ・デカルトであり、否定的に影響された一人がブレーズ・パスカルである。
デカルトの方法的懐疑とコギトの成立
▽ デカルトは感覚的世界の曖昧さを取り除く方法として「方法的懐疑」を展開する。デカルトは、まず疑えるものは疑える限り明確に確信できるものではないと考えた。そして、あらゆるものを疑った。例えば「自分が見ているものは本当に存在するのだろうか。もし、それが存在するかどうか疑うことが出来る限り、その存在を明確に確信立証できる根拠はない。」と考えた。その方法的懐疑を限りなく続けると、ほとんどものが疑う余地をもっている。全て、見えるもの、聞こえるもの、感じるもの、知っていたもの、理解していたこと、全てが疑う余地から逃れられない。その限りにおいて、それらのものは、全て明確に確信できるもの、明晰にして判明なものではないと考えた。
▽ ついにデカルトは「疑っている自分まで疑ってみた。」すると、疑っている限り、疑っていることを疑うことが出来ないことに達する。つまり、疑う自分は疑えないという結論に達するのである。この同義反復、疑う自分を疑う自分が疑っていることは矛盾であり、疑っている行為を疑うことは不可能であり、それ故に、疑う自分は疑えないと結論するのである。この結論「われ思う(疑う)故に、われ在り」の有名なデカルトの「ゴギト、エルゴースム」(コギト)の結論が導かれるのである。
▽ 中世の感覚中心主義の世界を否定すること、そのためには徹底的な懐疑が必要であった。それは自然な成り行きで疑うという手法でなく、徹底的に疑うために手段として疑う方法を用いることになる。これを「方法的懐疑」と呼び、デカルトは一生に一度ぐらい、こうして方法的に、徹底して疑う必要があると述べる。
▽ 疑うために疑うのは疑いの限界を見極めるためであった。そしてたどり着くのは「疑っている(考えている)自分は疑えない」という事実であった。その疑っている自分こそ明晰判明に了解(理解)していい存在であった。つまりものごとをあえて疑うことによって、思い込みの世界を意識的に破棄していく。そして明晰にして判明に存在している主観を、ただ「疑い続けている私のみが、疑うことができない」という結論に到達することになる。感覚や知覚を前提にして世界を了解している(世界があると理解している)自分のあらゆる明確でない意識をすべて否定して、それは疑える限りその感覚や意識が明確に疑いの余地もないものとして存在すると断言することはできないという論理から、唯一、疑っている私というものが、疑っている以上、それを疑うことは出来ないという結論に到達するのである。
デカルトの業績、感覚主義への批判と近代合理主義の設立
▽ 感覚主義を徹底的に退け、明確に確信できる世界は疑っている自己を疑がえない世界、1=1の世界であった。意識の最小の単位として「疑っている自己」を持込、その疑っている自己から全ての世界の認識を確立しようとした。デカルトの方法的懐疑は中世科学が根拠とする「感じている世界(形相界)は存在(質料界)している」という素朴存在論、感覚実在主義を否定することになる。明晰判明に存在していると言えることは、物事の存在を感じるか感じないかでなく、疑いもなくそれが成立していることを証明できているかであるとデカルトは主張するのである。つまり、デカルトの明晰判明な思惟の出発点がそこで成立するのである。
▽ デカルトから、「魔女狩り」の根拠である「魔女」と思う感覚は、そのうわさを信じている自分は、あまりにも不明確な物事を前提にして判断していることになる。つまり、その女が魔術をしていたと主張する人に、その見たものが本当に魔術であったかと疑いことで、それが疑える限り魔術であると断言することは出来なくなる。ましては、人のうわさをきいて、そのうわさに同感するものに対して、自分が見たこともない「その事実があるかを疑うことは最も簡単なことである」限り、まったく根拠のないうわさ話を信じることが間違いであることを説明できるのである。
▽ 天動説によると天体の運動は、地球を回っている惑星の運動、太陽の運動、恒星(星)の運動の三つがばらばらに説明されることになる。三つの異なる天体運動がそれぞれ独自に存在するなら、それらの天体運動を司る神の意思(法則)はどうなるのかという疑問が、当時の自然神学(物理神学)の中で生じる。 神はその僕である物質世界に色々な異なる決まりを作ったのだろうかという疑問から、一つの決まりで説明できる宇宙の解釈として地動説が展開されるのである。
▽ 1=1、1+1=2、故に1-1=0とするこれ以上単純化できない論理、その論理からなる体系としての数学、それは明晰にして判明なものからできあがった論理体系である。その明晰判明な論理体系を基にして世界を表現すること、神はこの明晰判明な論理体系を基にして世界を表現している。近代合理主義思想は、神の作った規則を説明できる言語として数学的表現で世界(物理運動)を説明する中で形成されるのである。
▽ 古典物理学を代表とする近代科学は、近代合理主義思想の形成を裏付けた。そして、感覚的経験から科学的経験、つまり知覚的経験主義から論理実証や科学的経験主義へと発展し、今日の科学技術思想の基礎を形成することになる。現代人の多くが「魔女」を信じないのは、その魔女の使うとされる魔術が本当に存在しているかが科学的に証明されないからである。その科学的に証明されない限り、それは確信できないことが今日の社会での世界観やものの見方、常識になっているのである。この今日、迷信を信じない現代人の考え方の第一歩を作ったのがデカルトの方法的懐疑であった。
モンテーニュの懐疑論
▽ 1562年から1598年まで停戦を何度かはさんで続けられたフランスのカトリックとプロテスタントの宗教戦争・ユグノー戦争(Guerres de religion)で混乱するフランス・ヨーロッパ社会に対して、フランスの16世紀ルネッサンスを代表する哲学者であるミシェル・エケム・ド・モンテーニュ(Michel Eyquem de Montaigne)は、宗教的正義を振りかざして闘う人々とその「正義」に対して懐疑の眼差しを向けた。彼の懐疑論はフランスのモラリスト(人文主義者)運動を呼び起こし、現実の人間を探求する思想を確立していった。
▽ モンテーニュの懐疑論は肯定的にも、否定的にもフランスの思想に大きな影響を与えた。懐疑主義に肯定的に影響された一人がルネ・デカルトであり、否定的に影響された一人がブレーズ・パスカルである。
デカルトの方法的懐疑とコギトの成立
▽ デカルトは感覚的世界の曖昧さを取り除く方法として「方法的懐疑」を展開する。デカルトは、まず疑えるものは疑える限り明確に確信できるものではないと考えた。そして、あらゆるものを疑った。例えば「自分が見ているものは本当に存在するのだろうか。もし、それが存在するかどうか疑うことが出来る限り、その存在を明確に確信立証できる根拠はない。」と考えた。その方法的懐疑を限りなく続けると、ほとんどものが疑う余地をもっている。全て、見えるもの、聞こえるもの、感じるもの、知っていたもの、理解していたこと、全てが疑う余地から逃れられない。その限りにおいて、それらのものは、全て明確に確信できるもの、明晰にして判明なものではないと考えた。
▽ ついにデカルトは「疑っている自分まで疑ってみた。」すると、疑っている限り、疑っていることを疑うことが出来ないことに達する。つまり、疑う自分は疑えないという結論に達するのである。この同義反復、疑う自分を疑う自分が疑っていることは矛盾であり、疑っている行為を疑うことは不可能であり、それ故に、疑う自分は疑えないと結論するのである。この結論「われ思う(疑う)故に、われ在り」の有名なデカルトの「ゴギト、エルゴースム」(コギト)の結論が導かれるのである。
▽ 中世の感覚中心主義の世界を否定すること、そのためには徹底的な懐疑が必要であった。それは自然な成り行きで疑うという手法でなく、徹底的に疑うために手段として疑う方法を用いることになる。これを「方法的懐疑」と呼び、デカルトは一生に一度ぐらい、こうして方法的に、徹底して疑う必要があると述べる。
▽ 疑うために疑うのは疑いの限界を見極めるためであった。そしてたどり着くのは「疑っている(考えている)自分は疑えない」という事実であった。その疑っている自分こそ明晰判明に了解(理解)していい存在であった。つまりものごとをあえて疑うことによって、思い込みの世界を意識的に破棄していく。そして明晰にして判明に存在している主観を、ただ「疑い続けている私のみが、疑うことができない」という結論に到達することになる。感覚や知覚を前提にして世界を了解している(世界があると理解している)自分のあらゆる明確でない意識をすべて否定して、それは疑える限りその感覚や意識が明確に疑いの余地もないものとして存在すると断言することはできないという論理から、唯一、疑っている私というものが、疑っている以上、それを疑うことは出来ないという結論に到達するのである。
デカルトの業績、感覚主義への批判と近代合理主義の設立
▽ 感覚主義を徹底的に退け、明確に確信できる世界は疑っている自己を疑がえない世界、1=1の世界であった。意識の最小の単位として「疑っている自己」を持込、その疑っている自己から全ての世界の認識を確立しようとした。デカルトの方法的懐疑は中世科学が根拠とする「感じている世界(形相界)は存在(質料界)している」という素朴存在論、感覚実在主義を否定することになる。明晰判明に存在していると言えることは、物事の存在を感じるか感じないかでなく、疑いもなくそれが成立していることを証明できているかであるとデカルトは主張するのである。つまり、デカルトの明晰判明な思惟の出発点がそこで成立するのである。
▽ デカルトから、「魔女狩り」の根拠である「魔女」と思う感覚は、そのうわさを信じている自分は、あまりにも不明確な物事を前提にして判断していることになる。つまり、その女が魔術をしていたと主張する人に、その見たものが本当に魔術であったかと疑いことで、それが疑える限り魔術であると断言することは出来なくなる。ましては、人のうわさをきいて、そのうわさに同感するものに対して、自分が見たこともない「その事実があるかを疑うことは最も簡単なことである」限り、まったく根拠のないうわさ話を信じることが間違いであることを説明できるのである。
▽ 天動説によると天体の運動は、地球を回っている惑星の運動、太陽の運動、恒星(星)の運動の三つがばらばらに説明されることになる。三つの異なる天体運動がそれぞれ独自に存在するなら、それらの天体運動を司る神の意思(法則)はどうなるのかという疑問が、当時の自然神学(物理神学)の中で生じる。 神はその僕である物質世界に色々な異なる決まりを作ったのだろうかという疑問から、一つの決まりで説明できる宇宙の解釈として地動説が展開されるのである。
▽ 1=1、1+1=2、故に1-1=0とするこれ以上単純化できない論理、その論理からなる体系としての数学、それは明晰にして判明なものからできあがった論理体系である。その明晰判明な論理体系を基にして世界を表現すること、神はこの明晰判明な論理体系を基にして世界を表現している。近代合理主義思想は、神の作った規則を説明できる言語として数学的表現で世界(物理運動)を説明する中で形成されるのである。
▽ 古典物理学を代表とする近代科学は、近代合理主義思想の形成を裏付けた。そして、感覚的経験から科学的経験、つまり知覚的経験主義から論理実証や科学的経験主義へと発展し、今日の科学技術思想の基礎を形成することになる。現代人の多くが「魔女」を信じないのは、その魔女の使うとされる魔術が本当に存在しているかが科学的に証明されないからである。その科学的に証明されない限り、それは確信できないことが今日の社会での世界観やものの見方、常識になっているのである。この今日、迷信を信じない現代人の考え方の第一歩を作ったのがデカルトの方法的懐疑であった。
「クローズアップ現代『犯罪“加害者”家族たちの告白』放映記録のテキスト批評
三石博行
1、資料の紹介
ブログ 「sokの日記 初歩的疑問」、2010年5月9日記載 の中に、「クローズアップ現代『犯罪“加害者”家族たちの告白』」の番組を忠実に文字化した放映番組の紹介の資料があった。その資料を基にしながら、「クローズアップ現代(No2872)『犯罪“加害者”家族たちの告白』2010年4月7日(水曜日)」の放送番組の中で紹介され、討論された課題を使う。
また、NHKホームページ クローズアップ現代 2010年4月7日放送 ジャンル社会問題 事件・事故「犯罪“加害者”家族たちの告白」も使う。
テキスト批評と分析の方法に関しては、資料「レポート材料の作り方について」 を参考にする。
2,資料の要約
2-1、知られていない犯罪加害者家族の実態
NHKは2010年4月7日(水曜日)にクローズアップ現代『犯罪“加害者”家族たちの告白』を放映し、犯罪加害者家族の人権問題を取り上げた。この番組の司会者は国谷裕子氏で、番組に参加した人は、人権NPOワールド・オープン・ハウス代表者の阿部恭子氏、犯罪被害者家族の浅野さん(仮名)、仙台青葉学院短期大学高橋聡美氏と常磐大学理事長の諸澤英道氏であった。
キャスターの国谷裕子氏は「犯罪が社会に不安・恐怖をもたらす凶悪なものであった場合」、突然「加害者の家族になったことで」、家族は「申し訳ないという自責の念」をもっている。他方、社会で「犯罪に対する強い憤りが湧き上がる中で」、犯罪加害者家族は「身内が犯した罪に対して」、社会の「批判は家族やその親族にまで集中し易いため」、結果的に「加害者家族は事件で大きな影響を」受けることになる。
特にインターネットによって、「家族の住所・勤務先・子供が通う学校なども情報が暴露され、匿名の第三者による厳しい社会的批判を、ますます受け易くなって」いる。さらに、「社会的制裁といった形に追い込まれ」、犯罪加害者家族は「仕事を辞めざるを得なくなった、自殺するケースも」あるという。
犯罪被害者に対して、国は2002年に施行された犯罪被害者等基本法で、暫定的ではある支援制度が確立していった。しかし、加害者家族は社会の差別を避けるため身を隠すように生活している傾向があり、その実態はあまり知られていない。
NHKのクローズアップ現代は、現在、日本社会で次第に問題化されつつある犯罪加害者家族の人権問題に触れた。
2-2、人権NPOワールド・オープン・ハウスの犯罪加害者家族の支援活動
そこで、2009年8月、WOH 人権NPOワールド・オープン・ハウスが犯罪加害者の家族の調査を行った。全国規模でアンケート調査を実施した。「およそ1000名に呼びかけ、34人から回答が」あった。アンケートの結果、「安心して話せる人がいない 67%」、「被害者の遺族への対応に悩んだ 63%」、「報道にショックを受けた 58%」の回答が得られ、「多くの悩みを抱えていることが分か」った。
人権NPOワールド・オープン・ハウスでは、家族が置かれている実態を知り、「心のケアを行う」ために、毎月1回加害者家族が集まり「普段、誰にも話せない悩みや不安を話し合う場を設け」ている。その会に参加した犯罪加害者家族が番組に匿名で登場し、人の多くいる場所、銀行や病院では「誰か知っている人はいないか」、「名前を呼ばれるのが厭(いや)だ」と告白していた。
2-3、子供への嫌がらせや自殺に追い込まれる犯罪加害者家族
また、平成元年、4人の幼女が誘拐、殺害された事件で、犯人の家庭環境に問題があったとして、「その両親に非難が殺到し」た。「差出不明の「お前は死ね」とか、「娘も同じように殺してやる」という手紙や葉書が「山のように」来た。父親の弟は5つの会社の役員を辞職し妻とも離婚した。そして父親は自宅を売り払ったその代金を被害者遺族に支払う段取りをつけて自殺した。
番組の取材に応じた犯罪加害者(夫が殺人事件を犯した)家族の浅野(仮名)さんは、子供を狙ってインタビューするマスコミ、見知らぬ人からの「人殺し」という電話、「殺人者の家」と玄関の横に書き、表札がはがされて割れていたことがあったと話した。また、インターネットで「子供の性別とか年令」とか「犯罪者の血をひいている子供も将来はそうなる(犯罪者になる)から、今のうちに抹殺したほうがいい」という書き込みがあった。「息子への書き込み」を見るのは辛かったと浅野さんは話していた。
また、子供が非常に傷ついたのは学校での嫌がらせであった。転向を進められ、転向の際には今までの友達に別れを告げることも許されなかったという。
2-4、アジア的共同体社会(村落共同体)が生み出す連帯責任制度と犯罪被害者家族への批判
犯罪学の専門家で犯罪被害者の問題を長年取り組んできた諸澤英道常磐大学教授は、加害者と加害者家族が一緒に批判される社会的風潮に関して「日本に限らず、アジアの近隣国も」犯罪加害者とその家族を一緒に非難する傾向があるのは似たようなもの、犯罪は、「家族とか地域とか、組織が生み出すという考え方」を持っていると分析している。
この犯罪の連帯責任制度は、国家が、「家族や地域や職場から犯罪者を出さないように」犯罪の共同責任(連帯責任)を利用してきたもので、そのため「加害者も家族も」みんな犯罪責任者として「一緒だという見方が日本ではしっかりと」根づいて来たのだと諸澤教授は述べている。
さらに、諸澤教授は、この日本の伝統的な村落共同体での連帯責任制度は、「犯罪をさせないという面では」「意味はあるのだと思」われるが、そのために、逆に、「犯罪者が抱える問題に目を瞑る(つむる)」ことになり、「犯罪者に対する、或いは、家族にたいするバッシングが起こってくる」と言っている。
つまり、連帯責任を問題にする日本社会では、家族へのバッシング、人権侵害を「誰も止めようとしない」状態になり、さらに、最近ではインターネットの普及によって、犯罪者家族へのバッシングが「エスカレートしてくる」事態を引きここしている。そのため犯罪者家族の人権侵害を助長する「無責任な状態が起こることになると諸澤英道教授は述べている。
2-5、犯罪被害者と犯罪加害者家族の類似した実態と、将来、社会的承認される犯罪加害者家族支援運動の可能性
諸澤英道教授はワールド・オープン・ハウスの行ったアンケート調査の結果を見て、犯罪「被害者遺族が抱える問題と、加害者の家族抱える問題」は「3分2は、少なくとも共通点がある」と述べている。
例えば、「事件後、家族がみんなバラバラになってしまった。家族関係は悪くなった、人の目がきになる、近所の目が気になる、外出もできない」とか、第三者から「嫌がらせ」をうける」とか、また悩みや不安を安心して「相談できる相手がいない」という「たぐいの問題が加害者の家族にもある。これは、被害者の家族にもある」。
つまり、犯罪被害者と犯罪加害者家族は共通した問題を抱えており、その共通した課題を抱えていることこそ、「社会が抱える大きな問題」ではないだろうかと諸澤教授は指摘している。
また、長年、犯罪学の研究、犯罪被害者の人権を守るための社会運動に取り組んできた諸澤教授は、「15年前に」「被害者支援の組織を立ち上げて、それを動かすボランティアの養成講座をやってきた」。その15年間の活動を振り返り、そして犯罪被害者支援の会に「参加してくる人のほとんどが実は匿名であり、家族や職場に内緒で来て」おり、当然「マスコミ取材なんかも受けないという」という活動のスタイルであった。それが15年経って、現在、犯罪被害者支援の会はオープンに活動するようなった。会のメンバーは社会に堂々と自分の名前や活動を公開していると教授は述べている。
このことを考えるなら、現在、犯罪加害者家族も15年前の犯罪被害者支援の会のメンバーのように、これから15年後は、犯罪加害者家族の支援の会もオープンに社会活動するように変化するのではないだろかと諸澤教授は述べている。そして彼は、犯罪加害者家族の支援活動も、今後は社会に認められ、支援者も社会的にオープンな活動を行うようになるだろうと語った。
3,資料テキスト批評と解釈
3-1、マスコミのあり方とその点検機能
すでに本科目8回目の講義「犯罪防止と冤罪問題」で、冤罪事件の実例として取り上げた「松本サリン事件」でも、マスコミによって「(冤罪)犯罪被告者家族の人権」を侵害する問題が発生していた。
まず、現実に起きている犯罪加害者の家族の人権問題を課題にする場合、犯罪の容疑を掛けられている犯罪被告人とすでに法廷で刑の執行を命令された犯罪加害者の場合を明確に峻別(しゅんべつ)しなければならない。社会もマスコミも犯罪被告人に対しては、犯罪者のように取り上げてはならない。
つまり、特にマスコミは被告人を犯罪者として取り上げた場合、そこにすでにマスコミにおいて人権侵害が生じている。マスコミに人権侵害を点検する機能が不足している限り、マスコミは面白可笑しく、また興味本位で事件を報道し、犯罪被害者や犯罪被告人の人権を無視する可能性がある。
ではどのようにしてマスコミによる人権侵害を防ぐことができるだろうか。マスコミの場合、報道を制約する法律や制度を設けられることを極力非難する。つまり、報道の自由を奪われることで民主主義社会の基本的骨組みにひびが入ると警告されることになる。マスコミは例え人権侵害の疑いありとういう理由によろうが、基本的には報道規制に関して敏感に対応する。報道規制は民主主義社会の批判精神を奪うことになり、社会報道規制によって、大きく市民の権利は奪われ、国家による大規模な人権侵害を引き起こすと考えるからである。
それでは、マスコミが自ら作り出す「小さな人権侵害」は、「大きな人権侵害」のために容認されていいのだろうか。つまり犯罪被害者や犯罪加害者家族の人権問題は、表現の自由を奪う言論統制や報道規制によって、容認されて良いと言うのだろか。
マスコミは、例えば松本サリン事件で毎日新聞やその他のマスコミが犯した誤報や人権侵害に対して、反省しなければならないのだが、その教訓から、マスコミは犯した報道上の誤りは、報道上の訂正で真摯に行う必要がある。また同時に、被害者への名誉毀損(めいよきそん)への損害賠償を支払うべきである。
言い換えると、マスコミの誤報や人権侵害は今後も生じうる。そのため、そのマスコミの誤報や過剰報道による人権侵害の一つ一つをこまめに取り上げながら、その度ごとにマスコミの人権侵害の事実、それを書いた新聞記者や編集長の名前の公開、さらには、謝罪文章の記載のみでなく、その誤報や人権侵害への対応を具体的に報道する義務を負わなければならないだろう。
また、マスコミも今回、NHKのクローズアップ現代が取り上げたように、犯罪被害者や犯罪加害者家族への人権侵害を取り上げた報道をもっとおこなうべきだろう。
さらに人権侵害を犯すマスコミ報道に対しては、人権擁護法(違法者への罰則規定を含む)に基づいて、国、公共団体やNPOの機関に人権擁護委員会を設定し、被害者の訴えを受け、それらの機関で調査し、違法者に対して勧告や被害補償や謝罪要請を行えるようにしなければならない。もし、その勧告を無視した場合には、犯罪として刑事告訴できるようにする必要があるだろう。
3-2、人権擁護法の成立と人権擁護機関の設立の必要性
人権侵害は多種多様な形態を持つ。多くの場合、社会的平等の権利を奪われ、不当に格差や差別を強いられることを意味する。例えば、在日外国人への差別、部落差別、身体障害者差別、雇用差別(臨時職員や派遣、パート職員への不当な雇用条件)、女性差別、民族差別、宗教上の差別、
このような人権問題に対しては、2002年第154回国会に提出された「人権擁護法」があるが、2003年10月衆議院解散によって廃案となったままである。一日も早く、人権侵害の発生を防ぎ、また被害に対して適性かつ迅速な救済措置を取るための国の制度を確立しなければならない。
犯罪被害者(家族)が犯罪加害者を気持ち的に許すには時間が必要である。犯罪被害者が持つ犯罪加害者への自然な感情としての恨みや憎しみは、それが復讐という犯罪行為として展開されない限り、その感情を抑制することは出来ないだろう。
しかし、第三者が犯罪被害者の気持ちを代弁して、犯罪加害者の家族に対して嫌がらせをすることは犯罪である。被害者の気持ちを利用した犯罪行為として資料で紹介された第三者による犯罪加害者家族へ嫌がらせ、無言電話、インターネットでの書き込みを人権侵害、犯罪行為として訴える社会的機能、警察や第三者機関による人権侵害の告発機能が必要となるだろう。
つまり、人権侵害を犯す人々に対しては、人権擁護法(違法者への罰則規定を含む)に基づいて、国、公共団体やNPOの機関に人権擁護委員会を設定し、被害者の訴えを受け、加害者を調査し、その違法行為に対して勧告や被害補償や謝罪要請を行えるようにしなければならない。またその行為が犯罪として認められる場合には、それらの機関が被害者の訴えに基づいて人権侵害者の刑事告訴が出来るように必要があるだろう。
3-3、犯罪被害者支援の会と犯罪加害者家族支援の会の交流の必要性
犯罪学研究者で、今から15年前(1995年)に犯罪被害者支援の組織を立ち上げ、その支援組織でボランティア活動を行う人々を育ってきた常磐大学の諸澤英道教授は、犯罪被害者と犯罪加害者家族の抱えている問題が共通することを述べている。
しかし、その双方の課題が共通していたとしても、犯罪被害者やその家族と犯罪加害者家族がお互いに話し合うには、双方の感情的問題が大きな支障となる。つまり、犯罪被害者は犯罪加害者家族と共通した問題を抱えていたとしても、相互にそれを解決する感情的立場や利害的立場を共有する土台がない。何故なら、被害者は加害者(その家族も含めて)に対して憎しみを持ち、また奪われた生活や生命に対する保障を要求する。しかし加害者家族は被害者への求める損害賠償や和解への要求をここで主張している訳ではない。むしろ加害者家族が受けている不当な扱い、つまり犯罪者本人でない家族が犯罪者と同じ社会的制裁を受ける理由が存在しないことを主張しているのである。それらの利害や感情の違いをここでは解決することは出来ないだろう。
もし双方が同じ問題を抱えているならば、それらの解決は感情的に相容れない双方が共に取り上げるのでなく、むすろ、犯罪被害者を支援する会と犯罪加害者家族を支援する会が、お互いに第三者として被支援者の立場を理解するものとして、それらの共通する課題を考えることが可能である。
(テキスト要約の中で)上記した、犯罪事件後、被害者家族も加害者家族も、「家族がみんなバラバラになってしまい」また、「家族関係は悪く」なった原因は何か。犯罪被害や犯罪加害者の家族という災難に遭遇することで、家族はそれぞれ苦しむ。それ故に、今まで以上に家族の中では十分な意思疎通が問われる。お互いの苦しみを分かち合い助けあう作業が問われる。もし、その作業に失敗したなら、当然の家族の絆は崩壊するのである。
しかも、被害者(家族も含め)も加害者家族も、事件がマスコミで報道され、事件によっては世間の人々の関心や興味を誘い、またマスコミの取材のネタとなる。当然、双方、「人の目が気になる」、特に「近所の目が気になる」ために、「外出もできない」精神状態となる。また場合によっては、第三者の「嫌がらせ」に遭遇する。そうしたことを、「相談できる相手がいない」ため、ますます双方(被害者(家族も含め)も加害者家族)、世の中から遠ざかり、その分、話し相手を失う悪循環に入るのである。
こういたたぐいの問題をよく理解しているのが、それぞれの支援の会の人々である。その意味で、支援の会が、被害者(家族)と加害者の家族の立場や解決しなければならない課題を理解していると思われる。その意味で、双方の支援の会が、双方の家族の人権を守るという点に関して議論をすることは問題解決の糸口を見つけ出すように思われる。
4,まとめ
以上、「クローズアップ現代(No2872)『犯罪“加害者”家族たちの告白』2010年4月7日(水曜日)」の放送番組の中で紹介され討論された内容の要約とその批評・解釈を行った。
犯罪加害者の家族の人権擁護問題は、今、漸く(ようやく)、社会で取り上げられるようになり、また人権NPOが創られ、その支援運動が起こった。マスコミをはじめ、社会はこの問題に関して関心をもたないし、引き起こされる人権侵害に関する解決策を用意していない。
その理由として、犯罪被害者との利害問題が発生すると考えるからである。つまり、犯罪加害者家族の人権擁護運動は、犯罪被害者擁護と対立すると考えるからである。
それに対して、双方が抱えている課題や問題が現象的に極めて共通することが述べられている。そのことの解決が、犯罪加害者の家族の人権について考える契機を与えるだろう。
双方の課題を引き起こしている基本的構造は、アジア的共同社会の伝統の中に、社会秩序維持機能として存在している「連帯責任制度」がある。裏を返せば個人主義思想の不在である。犯罪被害者やその家族にしても、それら被害の痛みを社会が共有する前提を失った場合、例えばレイプにあった女性に対する差別意識など、犯罪被害者も社会から排除されることになる。そして同様に犯罪加害者家族は犯罪者の罪の責任を担うことが当然のように主張されるのである。
この問題の本質は、民主主義社会の基本になる人権思想が社会文化として、個々人の生活観や生活様式に浸透しない限り困難であることに気付かされるだろう。
5、参考資料
1、 ブログ 「sokの日記 初歩的疑問」、2010年5月9日記載 「クローズアップ現代『犯罪“加害者”家族たちの告白』」の資料、「クローズアップ現代(No2872)『犯罪“加害者”家族たちの告白』2010年4月7日(水曜日)放映番組の紹介」
http://sok-sok.seesaa.net/article/149336273.html
2、 NHKホームページ クローズアップ現代 2010年4月7日放送 ジャンル社会問題 事件・事故「犯罪“加害者”家族たちの告白」
http://cgi4.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail.cgi?content_id=2872
3、 「WOH 人権NPO ワールド・オープン・ハウス」 公式サイト
http://www.worldopenheart.com/index2.html
4、 三石博行 教材「現代社会と人権問題 犯罪防止と冤罪問題」2010年5月、A4 4p.
5、 Wikipedia 「人権擁護法案」
http://ja.wikipedia.org/wiki/
1、資料の紹介
ブログ 「sokの日記 初歩的疑問」、2010年5月9日記載 の中に、「クローズアップ現代『犯罪“加害者”家族たちの告白』」の番組を忠実に文字化した放映番組の紹介の資料があった。その資料を基にしながら、「クローズアップ現代(No2872)『犯罪“加害者”家族たちの告白』2010年4月7日(水曜日)」の放送番組の中で紹介され、討論された課題を使う。
また、NHKホームページ クローズアップ現代 2010年4月7日放送 ジャンル社会問題 事件・事故「犯罪“加害者”家族たちの告白」も使う。
テキスト批評と分析の方法に関しては、資料「レポート材料の作り方について」 を参考にする。
2,資料の要約
2-1、知られていない犯罪加害者家族の実態
NHKは2010年4月7日(水曜日)にクローズアップ現代『犯罪“加害者”家族たちの告白』を放映し、犯罪加害者家族の人権問題を取り上げた。この番組の司会者は国谷裕子氏で、番組に参加した人は、人権NPOワールド・オープン・ハウス代表者の阿部恭子氏、犯罪被害者家族の浅野さん(仮名)、仙台青葉学院短期大学高橋聡美氏と常磐大学理事長の諸澤英道氏であった。
キャスターの国谷裕子氏は「犯罪が社会に不安・恐怖をもたらす凶悪なものであった場合」、突然「加害者の家族になったことで」、家族は「申し訳ないという自責の念」をもっている。他方、社会で「犯罪に対する強い憤りが湧き上がる中で」、犯罪加害者家族は「身内が犯した罪に対して」、社会の「批判は家族やその親族にまで集中し易いため」、結果的に「加害者家族は事件で大きな影響を」受けることになる。
特にインターネットによって、「家族の住所・勤務先・子供が通う学校なども情報が暴露され、匿名の第三者による厳しい社会的批判を、ますます受け易くなって」いる。さらに、「社会的制裁といった形に追い込まれ」、犯罪加害者家族は「仕事を辞めざるを得なくなった、自殺するケースも」あるという。
犯罪被害者に対して、国は2002年に施行された犯罪被害者等基本法で、暫定的ではある支援制度が確立していった。しかし、加害者家族は社会の差別を避けるため身を隠すように生活している傾向があり、その実態はあまり知られていない。
NHKのクローズアップ現代は、現在、日本社会で次第に問題化されつつある犯罪加害者家族の人権問題に触れた。
2-2、人権NPOワールド・オープン・ハウスの犯罪加害者家族の支援活動
そこで、2009年8月、WOH 人権NPOワールド・オープン・ハウスが犯罪加害者の家族の調査を行った。全国規模でアンケート調査を実施した。「およそ1000名に呼びかけ、34人から回答が」あった。アンケートの結果、「安心して話せる人がいない 67%」、「被害者の遺族への対応に悩んだ 63%」、「報道にショックを受けた 58%」の回答が得られ、「多くの悩みを抱えていることが分か」った。
人権NPOワールド・オープン・ハウスでは、家族が置かれている実態を知り、「心のケアを行う」ために、毎月1回加害者家族が集まり「普段、誰にも話せない悩みや不安を話し合う場を設け」ている。その会に参加した犯罪加害者家族が番組に匿名で登場し、人の多くいる場所、銀行や病院では「誰か知っている人はいないか」、「名前を呼ばれるのが厭(いや)だ」と告白していた。
2-3、子供への嫌がらせや自殺に追い込まれる犯罪加害者家族
また、平成元年、4人の幼女が誘拐、殺害された事件で、犯人の家庭環境に問題があったとして、「その両親に非難が殺到し」た。「差出不明の「お前は死ね」とか、「娘も同じように殺してやる」という手紙や葉書が「山のように」来た。父親の弟は5つの会社の役員を辞職し妻とも離婚した。そして父親は自宅を売り払ったその代金を被害者遺族に支払う段取りをつけて自殺した。
番組の取材に応じた犯罪加害者(夫が殺人事件を犯した)家族の浅野(仮名)さんは、子供を狙ってインタビューするマスコミ、見知らぬ人からの「人殺し」という電話、「殺人者の家」と玄関の横に書き、表札がはがされて割れていたことがあったと話した。また、インターネットで「子供の性別とか年令」とか「犯罪者の血をひいている子供も将来はそうなる(犯罪者になる)から、今のうちに抹殺したほうがいい」という書き込みがあった。「息子への書き込み」を見るのは辛かったと浅野さんは話していた。
また、子供が非常に傷ついたのは学校での嫌がらせであった。転向を進められ、転向の際には今までの友達に別れを告げることも許されなかったという。
2-4、アジア的共同体社会(村落共同体)が生み出す連帯責任制度と犯罪被害者家族への批判
犯罪学の専門家で犯罪被害者の問題を長年取り組んできた諸澤英道常磐大学教授は、加害者と加害者家族が一緒に批判される社会的風潮に関して「日本に限らず、アジアの近隣国も」犯罪加害者とその家族を一緒に非難する傾向があるのは似たようなもの、犯罪は、「家族とか地域とか、組織が生み出すという考え方」を持っていると分析している。
この犯罪の連帯責任制度は、国家が、「家族や地域や職場から犯罪者を出さないように」犯罪の共同責任(連帯責任)を利用してきたもので、そのため「加害者も家族も」みんな犯罪責任者として「一緒だという見方が日本ではしっかりと」根づいて来たのだと諸澤教授は述べている。
さらに、諸澤教授は、この日本の伝統的な村落共同体での連帯責任制度は、「犯罪をさせないという面では」「意味はあるのだと思」われるが、そのために、逆に、「犯罪者が抱える問題に目を瞑る(つむる)」ことになり、「犯罪者に対する、或いは、家族にたいするバッシングが起こってくる」と言っている。
つまり、連帯責任を問題にする日本社会では、家族へのバッシング、人権侵害を「誰も止めようとしない」状態になり、さらに、最近ではインターネットの普及によって、犯罪者家族へのバッシングが「エスカレートしてくる」事態を引きここしている。そのため犯罪者家族の人権侵害を助長する「無責任な状態が起こることになると諸澤英道教授は述べている。
2-5、犯罪被害者と犯罪加害者家族の類似した実態と、将来、社会的承認される犯罪加害者家族支援運動の可能性
諸澤英道教授はワールド・オープン・ハウスの行ったアンケート調査の結果を見て、犯罪「被害者遺族が抱える問題と、加害者の家族抱える問題」は「3分2は、少なくとも共通点がある」と述べている。
例えば、「事件後、家族がみんなバラバラになってしまった。家族関係は悪くなった、人の目がきになる、近所の目が気になる、外出もできない」とか、第三者から「嫌がらせ」をうける」とか、また悩みや不安を安心して「相談できる相手がいない」という「たぐいの問題が加害者の家族にもある。これは、被害者の家族にもある」。
つまり、犯罪被害者と犯罪加害者家族は共通した問題を抱えており、その共通した課題を抱えていることこそ、「社会が抱える大きな問題」ではないだろうかと諸澤教授は指摘している。
また、長年、犯罪学の研究、犯罪被害者の人権を守るための社会運動に取り組んできた諸澤教授は、「15年前に」「被害者支援の組織を立ち上げて、それを動かすボランティアの養成講座をやってきた」。その15年間の活動を振り返り、そして犯罪被害者支援の会に「参加してくる人のほとんどが実は匿名であり、家族や職場に内緒で来て」おり、当然「マスコミ取材なんかも受けないという」という活動のスタイルであった。それが15年経って、現在、犯罪被害者支援の会はオープンに活動するようなった。会のメンバーは社会に堂々と自分の名前や活動を公開していると教授は述べている。
このことを考えるなら、現在、犯罪加害者家族も15年前の犯罪被害者支援の会のメンバーのように、これから15年後は、犯罪加害者家族の支援の会もオープンに社会活動するように変化するのではないだろかと諸澤教授は述べている。そして彼は、犯罪加害者家族の支援活動も、今後は社会に認められ、支援者も社会的にオープンな活動を行うようになるだろうと語った。
3,資料テキスト批評と解釈
3-1、マスコミのあり方とその点検機能
すでに本科目8回目の講義「犯罪防止と冤罪問題」で、冤罪事件の実例として取り上げた「松本サリン事件」でも、マスコミによって「(冤罪)犯罪被告者家族の人権」を侵害する問題が発生していた。
まず、現実に起きている犯罪加害者の家族の人権問題を課題にする場合、犯罪の容疑を掛けられている犯罪被告人とすでに法廷で刑の執行を命令された犯罪加害者の場合を明確に峻別(しゅんべつ)しなければならない。社会もマスコミも犯罪被告人に対しては、犯罪者のように取り上げてはならない。
つまり、特にマスコミは被告人を犯罪者として取り上げた場合、そこにすでにマスコミにおいて人権侵害が生じている。マスコミに人権侵害を点検する機能が不足している限り、マスコミは面白可笑しく、また興味本位で事件を報道し、犯罪被害者や犯罪被告人の人権を無視する可能性がある。
ではどのようにしてマスコミによる人権侵害を防ぐことができるだろうか。マスコミの場合、報道を制約する法律や制度を設けられることを極力非難する。つまり、報道の自由を奪われることで民主主義社会の基本的骨組みにひびが入ると警告されることになる。マスコミは例え人権侵害の疑いありとういう理由によろうが、基本的には報道規制に関して敏感に対応する。報道規制は民主主義社会の批判精神を奪うことになり、社会報道規制によって、大きく市民の権利は奪われ、国家による大規模な人権侵害を引き起こすと考えるからである。
それでは、マスコミが自ら作り出す「小さな人権侵害」は、「大きな人権侵害」のために容認されていいのだろうか。つまり犯罪被害者や犯罪加害者家族の人権問題は、表現の自由を奪う言論統制や報道規制によって、容認されて良いと言うのだろか。
マスコミは、例えば松本サリン事件で毎日新聞やその他のマスコミが犯した誤報や人権侵害に対して、反省しなければならないのだが、その教訓から、マスコミは犯した報道上の誤りは、報道上の訂正で真摯に行う必要がある。また同時に、被害者への名誉毀損(めいよきそん)への損害賠償を支払うべきである。
言い換えると、マスコミの誤報や人権侵害は今後も生じうる。そのため、そのマスコミの誤報や過剰報道による人権侵害の一つ一つをこまめに取り上げながら、その度ごとにマスコミの人権侵害の事実、それを書いた新聞記者や編集長の名前の公開、さらには、謝罪文章の記載のみでなく、その誤報や人権侵害への対応を具体的に報道する義務を負わなければならないだろう。
また、マスコミも今回、NHKのクローズアップ現代が取り上げたように、犯罪被害者や犯罪加害者家族への人権侵害を取り上げた報道をもっとおこなうべきだろう。
さらに人権侵害を犯すマスコミ報道に対しては、人権擁護法(違法者への罰則規定を含む)に基づいて、国、公共団体やNPOの機関に人権擁護委員会を設定し、被害者の訴えを受け、それらの機関で調査し、違法者に対して勧告や被害補償や謝罪要請を行えるようにしなければならない。もし、その勧告を無視した場合には、犯罪として刑事告訴できるようにする必要があるだろう。
3-2、人権擁護法の成立と人権擁護機関の設立の必要性
人権侵害は多種多様な形態を持つ。多くの場合、社会的平等の権利を奪われ、不当に格差や差別を強いられることを意味する。例えば、在日外国人への差別、部落差別、身体障害者差別、雇用差別(臨時職員や派遣、パート職員への不当な雇用条件)、女性差別、民族差別、宗教上の差別、
このような人権問題に対しては、2002年第154回国会に提出された「人権擁護法」があるが、2003年10月衆議院解散によって廃案となったままである。一日も早く、人権侵害の発生を防ぎ、また被害に対して適性かつ迅速な救済措置を取るための国の制度を確立しなければならない。
犯罪被害者(家族)が犯罪加害者を気持ち的に許すには時間が必要である。犯罪被害者が持つ犯罪加害者への自然な感情としての恨みや憎しみは、それが復讐という犯罪行為として展開されない限り、その感情を抑制することは出来ないだろう。
しかし、第三者が犯罪被害者の気持ちを代弁して、犯罪加害者の家族に対して嫌がらせをすることは犯罪である。被害者の気持ちを利用した犯罪行為として資料で紹介された第三者による犯罪加害者家族へ嫌がらせ、無言電話、インターネットでの書き込みを人権侵害、犯罪行為として訴える社会的機能、警察や第三者機関による人権侵害の告発機能が必要となるだろう。
つまり、人権侵害を犯す人々に対しては、人権擁護法(違法者への罰則規定を含む)に基づいて、国、公共団体やNPOの機関に人権擁護委員会を設定し、被害者の訴えを受け、加害者を調査し、その違法行為に対して勧告や被害補償や謝罪要請を行えるようにしなければならない。またその行為が犯罪として認められる場合には、それらの機関が被害者の訴えに基づいて人権侵害者の刑事告訴が出来るように必要があるだろう。
3-3、犯罪被害者支援の会と犯罪加害者家族支援の会の交流の必要性
犯罪学研究者で、今から15年前(1995年)に犯罪被害者支援の組織を立ち上げ、その支援組織でボランティア活動を行う人々を育ってきた常磐大学の諸澤英道教授は、犯罪被害者と犯罪加害者家族の抱えている問題が共通することを述べている。
しかし、その双方の課題が共通していたとしても、犯罪被害者やその家族と犯罪加害者家族がお互いに話し合うには、双方の感情的問題が大きな支障となる。つまり、犯罪被害者は犯罪加害者家族と共通した問題を抱えていたとしても、相互にそれを解決する感情的立場や利害的立場を共有する土台がない。何故なら、被害者は加害者(その家族も含めて)に対して憎しみを持ち、また奪われた生活や生命に対する保障を要求する。しかし加害者家族は被害者への求める損害賠償や和解への要求をここで主張している訳ではない。むしろ加害者家族が受けている不当な扱い、つまり犯罪者本人でない家族が犯罪者と同じ社会的制裁を受ける理由が存在しないことを主張しているのである。それらの利害や感情の違いをここでは解決することは出来ないだろう。
もし双方が同じ問題を抱えているならば、それらの解決は感情的に相容れない双方が共に取り上げるのでなく、むすろ、犯罪被害者を支援する会と犯罪加害者家族を支援する会が、お互いに第三者として被支援者の立場を理解するものとして、それらの共通する課題を考えることが可能である。
(テキスト要約の中で)上記した、犯罪事件後、被害者家族も加害者家族も、「家族がみんなバラバラになってしまい」また、「家族関係は悪く」なった原因は何か。犯罪被害や犯罪加害者の家族という災難に遭遇することで、家族はそれぞれ苦しむ。それ故に、今まで以上に家族の中では十分な意思疎通が問われる。お互いの苦しみを分かち合い助けあう作業が問われる。もし、その作業に失敗したなら、当然の家族の絆は崩壊するのである。
しかも、被害者(家族も含め)も加害者家族も、事件がマスコミで報道され、事件によっては世間の人々の関心や興味を誘い、またマスコミの取材のネタとなる。当然、双方、「人の目が気になる」、特に「近所の目が気になる」ために、「外出もできない」精神状態となる。また場合によっては、第三者の「嫌がらせ」に遭遇する。そうしたことを、「相談できる相手がいない」ため、ますます双方(被害者(家族も含め)も加害者家族)、世の中から遠ざかり、その分、話し相手を失う悪循環に入るのである。
こういたたぐいの問題をよく理解しているのが、それぞれの支援の会の人々である。その意味で、支援の会が、被害者(家族)と加害者の家族の立場や解決しなければならない課題を理解していると思われる。その意味で、双方の支援の会が、双方の家族の人権を守るという点に関して議論をすることは問題解決の糸口を見つけ出すように思われる。
4,まとめ
以上、「クローズアップ現代(No2872)『犯罪“加害者”家族たちの告白』2010年4月7日(水曜日)」の放送番組の中で紹介され討論された内容の要約とその批評・解釈を行った。
犯罪加害者の家族の人権擁護問題は、今、漸く(ようやく)、社会で取り上げられるようになり、また人権NPOが創られ、その支援運動が起こった。マスコミをはじめ、社会はこの問題に関して関心をもたないし、引き起こされる人権侵害に関する解決策を用意していない。
その理由として、犯罪被害者との利害問題が発生すると考えるからである。つまり、犯罪加害者家族の人権擁護運動は、犯罪被害者擁護と対立すると考えるからである。
それに対して、双方が抱えている課題や問題が現象的に極めて共通することが述べられている。そのことの解決が、犯罪加害者の家族の人権について考える契機を与えるだろう。
双方の課題を引き起こしている基本的構造は、アジア的共同社会の伝統の中に、社会秩序維持機能として存在している「連帯責任制度」がある。裏を返せば個人主義思想の不在である。犯罪被害者やその家族にしても、それら被害の痛みを社会が共有する前提を失った場合、例えばレイプにあった女性に対する差別意識など、犯罪被害者も社会から排除されることになる。そして同様に犯罪加害者家族は犯罪者の罪の責任を担うことが当然のように主張されるのである。
この問題の本質は、民主主義社会の基本になる人権思想が社会文化として、個々人の生活観や生活様式に浸透しない限り困難であることに気付かされるだろう。
5、参考資料
1、 ブログ 「sokの日記 初歩的疑問」、2010年5月9日記載 「クローズアップ現代『犯罪“加害者”家族たちの告白』」の資料、「クローズアップ現代(No2872)『犯罪“加害者”家族たちの告白』2010年4月7日(水曜日)放映番組の紹介」
http://sok-sok.seesaa.net/article/149336273.html
2、 NHKホームページ クローズアップ現代 2010年4月7日放送 ジャンル社会問題 事件・事故「犯罪“加害者”家族たちの告白」
http://cgi4.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail.cgi?content_id=2872
3、 「WOH 人権NPO ワールド・オープン・ハウス」 公式サイト
http://www.worldopenheart.com/index2.html
4、 三石博行 教材「現代社会と人権問題 犯罪防止と冤罪問題」2010年5月、A4 4p.
5、 Wikipedia 「人権擁護法案」
http://ja.wikipedia.org/wiki/
2010年6月21日月曜日
いじめるという行為の分析、いじめないということの困難さ
倫理問題(人間観の問題)としての虐めの課題
▽ 教育学者によると虐めには、子供社会にある「お山の大将を決める行動」に由来するもの、嫉妬によるもの、そして刑事事件的な暴力行為まである。その具体的な手口は、悪口を言う、笑いものにする、悪いうわさを立てるなどの言葉による暴力、無視する態度による暴力から集団暴行(暴力を振るう)、恥ずかしい行為を強制する、金銭を要求する、万引きなどの犯罪行為を強制するまである。
▽ 刑事事件の対象になる虐めに関しては発見した際に警察の協力が必要で、保護者も学校も警察に通告しなければならない。例えば自殺者を出すなど、重大な事件に発展し被害者の保護者の憤激を伴う場合、刑事事件として告訴しなければならない場合が生じる。それ以外に、こどもの喧嘩(暴力を振るう行為)によって傷害事件も発生するだろう。それらのすべての事件を刑事事件として告訴することは出来ない。暴力事件が起こったとしても、教育の立場から、学校での虐め対策を検討し、教育活動として虐め問題を考える機会を与え、予防対策をおこなう必要がある。
▽ また言葉や態度による虐めに対しても常に敏感に対応し、それ以上虐めがエスカレートしないように学校として(職場として)対策を行う必要がある。つまり、虐めた子供も虐められた子供も含めて文部科学省が提案しているマニュアルなどを活用し学校やクラス全体で虐めに対する対応をしなければならない。この課題はこれまで2回にわたって学習してきた。つまり、社会的対応と教育的な対応が必要である。
▽ ここで問題にしたいことは、虐めを倫理的問題として考えるために、虐めの構造を理解する必要がある。これまでの議論では、虐めたという自覚を持つこと、また虐めが暴力であるという意識を持つことの二つの点に関して問題を整理してきた。さらに、虐めの問題を人間性や倫理の課題として議論してみよう。
「傷つけた」という思いと「いじめた」という思い
▽ アンケートで、クラスの学生に、「いじめられたことがあるか」という質問を出す。殆どの学生が「ある」と答える。その逆の「いじめたことがあるか」という質問には「ある」と答える学生は少ない。さらに、「人を傷つけたことがあるか」と問いかけると「ある」と殆どの学生が答える。
▽ 「いじめる」という行為は「ひとを傷つける」行為である。しかし、人を傷つけたと思う人でも、ひとをいじめたとは思っていない。何故なら、「人を傷つけてしまった」と思う現在の自分は、「傷つけるつもりで傷つけたからではなく、結果的に傷つけてしまった」ことを記憶している。「あのとき、あの人を傷つけたのだ」という思いが、「ひとを傷つけてしまった」という記憶として、心に留まり続けている。それがこの「人を傷つけたことがある」という答えの背景ではないだろうか。
▽ また、多くの学生が「傷つけたことがあった」が、「いじめたこと」はないという答え(過去の行為に関する自覚)を示したのは、「傷つける」行為と「いじめる」ということばのニュアンスの違いがあるからではないだろうか。
▽ 言換えると、「いじめる」という行為がはるかに「傷つける」行為よりも悪意に満ちた意図的な行為であり、その意味で、いじめる行為の方が暴力的に聞こえる。傷つけるとは家族、友人や恋人のこころを傷つけたというニュアンスが大きい。しかし、いじめるとはあるいじめの集団の一員として意図的に弱い人をターゲットにして陰湿な暴力行為を行ったというニュアンスに近い。その意味で、いじめると傷つけるは大きく主観的な意味が異なることになる。
▽ また、傷つけたと言うニュアンスには、その行為への罪悪感が匂う。すべての人が、何らかの形で、ひとを傷つけてしまったという罪悪感(良心)を持っている。特に自分の愛する人に対してこの感情を持つ。この感情が愛なのだろう。ある意味で、他者への愛が、人(友人)を傷つけたという気持ち(罪悪感と呼ばれる良心)として現れているのである。
▽ 例えば、「人を傷つけた」と答えた人に「あなたの傷つけた相手は誰ですか」と問うたとする。女子大の学生なら「母親」という答えが多く返ってくる。また、若い夫婦なら「自分のパートナー」、年を取った人々なら「過去に老いた両親の面倒をみてやれなかった」という答えが返ってくる。自分の行為の不十分さ、未熟さを省み、それを悔やんでいる場合に「不十分で未熟な自分の対応を受けた他者への思いが、何かもっとしてやりたかった。なにもあんなことを言わなくてもよかった。そうした悔恨の気持ちが「傷つけた」という感情として残り続けるのである。それは、悔恨と呼ばれる愛の姿、呵責という良心の姿ではないだろうか。
「人間には二種類だけしかいない。一は、自己を罪びとと思っている義人。他は自分を義人と思っている罪びと。」パスカル『パンセ』
暴力行為としての虐めの自覚
▽ 傷つけたという思いがあることはすでに虐めたと云う過去への反省が始まっていることを意味する。自分が人を虐めたことがあると言えるとき、そこから虐めに対して向き合う姿勢が生まれる。虐めたことを認めない場合よりも、虐めたこと、つまり人を傷つけたことを自覚していることが、虐めの問題を解決する鍵となる。
▽ 考えてみると「いじめ」と平仮名(ひらがな)で書かれると、子供たちや友達の間に生まれる遊びに近いニュアンスをもった「嫌がらせ」や「仲間はずれ」を意味する。実際、「いじめ」は言葉による嫌がらせから肉体的暴力や金銭を要求する恐喝行為まで含めた幅広い意味を持っている。ひらがなの「いじめ」をここではあえて漢字で「虐め」と書いたのは、この行為が「人を傷つけること」をそのことばの意味の中心におきたかったからである。その意味で「いじめ」が「ひとにいやな思いをさせる」という緩やかな、あそび心のある行為であったとしても、それは明らかに他者を「虐める」という暴力であることには変わりないのである。
▽ 暴力という言葉は明らかに他者を傷つけるという意味を持っている。しかも暴力は、ことばの暴力から肉体的暴力、また個人の暴力から集団の暴力、そして社会や国家による暴力まで、その種類も形態も多様である。つまり暴力という言葉には否定的な意味が強く含まれている。暴力という言葉を使い、その暴力の良さを語ることは非常に困難になる。そこで、虐めを暴力として理解することで、そのいじめが人を傷つけている行為であることを自覚する必要がある。
▽ 暴力を振るってはいけないという意味は、殆どの場合、肉体的暴力を意味している。何故なら暴力の「力」が具体的な行為を意味するので暴力という用語が肉体的な行為を意味するからである。言葉や態度で示す他者への嫌がらせを精神的暴力とか言葉による暴力と呼んでいるのは、もともと暴力は肉体的にダメージを与えるという意味が基本となっているからだ。
▽ 虐めを暴力として自覚していないことが、虐めへの反省が生まれない原因になっている。つまり、誰もが「きもい」と思っている奴に自分が正直に「気持ち悪い奴だ」と言ってやったという不特定多数の他者の意見や感情を代弁する立場に立って、虐めという行為が正当化されるのである。もし、「気持ち悪い奴」と言う事が暴力であるという自覚を持つなら、不特定多数を代表するという「皆が言いたいことを言った」という社会正義の錯覚や主観的イメージを持つことは苦しくなる。
▽ 自覚的に虐めが不当な行為であり社会的にも認められない暴力であると自覚することによって、虐めるという行為が卑劣であるという意味付けが可能になる。卑劣な行為は誰もやりたくないだろう。その意味で、虐めるという行為を恥ずかしく思えるだろう。つまり、虐めを行った人々が虐めを暴力として自覚することが虐めの問題を解決する糸口を与えると思われる。
最広義の暴力への抑制と無意識の自己中心的な自我の世界の自覚
▽ 暴力と呼ばれる行為を非常に広い意味(広義)に解釈すると人を傷つける行為と言えるのであるが、人を傷つける行為は人間の行為の中でまったく特別な行為ではない。何故なら日常的に人は何らかの形で人を傷つけているからである。しかし、この「人を傷つける行為」が意図して行われた場合と意図しないで行われた場合を分けるなら、暴力は意図して行われた人を傷つける行為であると解釈できるだろう。
▽ 意図しないで、つまり主観的には傷つける気持ちはまったくなかったのだが、結果的に人を傷つける行為をしてしまう場合もある。すなわち差別用語などの、言葉によって人を傷つける行為は、差別用語を使う人々は日常的にそのことばをつかっているので、別状取り立てて悪意をもって使っているわけではない。例えば、「片手落ち」という用語は「何かが足らない状態を意味する」のである。そこで上肢(じょうし)障害を持つ身体障害者にとっては、この「片手落ち」の国語表現は、自分の身体的状況を「不完全なもの」と一般解釈されていることになるため、上肢障害を持つ身体障害者にとっては特別な意味となる。つまり、身体的な状況をもった自分の存在は、一般的な意味で「不完全なもの」、「未熟な状態」という意味になるのである。
▽ 日常的に使われている日本語に含まれている意味を我々は深く考えもしない、そして用語としてそれらの単語や言い回しを使うのである。主観的にはまったく人を傷つける気持ちはないのであるが、結果的にはそのことばで誰かが傷ついている。この状況は、広義の暴力の定義に該当しないため、さらに最広義の暴力として位置づけてみよう。つまり、最広義の暴力とは、「主観的に意図して行われていない状態で人を傷つけていること」という概念である。こう考えると、日常生活の中で、非常に多くのことばや態度でまったく主観的に意図していないが人を傷つけていることは数々あることに気づく。
▽ 例えば、我々は、自然に自分の自慢をしている。人と話始めたら、決まって、自分の自慢話、子供の自慢話、兄弟の自慢、友達の自慢、恋人の自慢、になっている。人の自慢話ほど聞いていられない話はないが、その自分も口を開ければ、聞きたくない人の話と同じように自慢話をしている。他人の自慢話は聞きたくないものである。不愉快である。何故なら、その自慢に対してどこか自分が惨めになるように思われるからである。他人の自慢話を笑って聞ける人は、自慢話をしている人よりも少し優位に立っているようにおもえる。「あの人はあんなに自慢しなければ身が持たないのだ」とか「自慢は、コンプレックスの裏返しだらか、よっぽどコンプレックスを持っているのだろう」とか、非常に冷たく自慢話をする人を上から見下ろせば、きっと他人の自慢話も滑稽(こっけい)な話に聞こえる。そして、自慢話をしている人のその裏の心理を察しながら、どこかで同情したり哀れんだりできるのかもしれない。しかし、よっぽど自信家でない限り、他人の自慢話は我慢がならないものだ。
▽ 自慢話をしない偉い人、謙虚な人間として他の人々からの尊敬を集めている人が、まったく自分を自慢する気持ちがないのではなく、彼らは自慢話をされた人の気持ちが理解できているから自慢しないのである。彼ら(謙虚で偉いと言われた人々)は自慢話をされた人が持つ不愉快さと、自慢話をする人の滑稽さを知っているので、努めて自慢話をしないのである。決して彼らが自分を自慢したいことを持たないために、自慢話をしないのではなく、ただあえて自慢したいことを自慢しないだけである。その違いをもって、人は謙虚な偉人になれば、うぬぼれ屋の俗人にもなるのである。
▽ 人は自己中心的世界をもって生きている。それを自我とよんでいる。すべての人にとって他者や世界は自己の周りにあるもの、自己を取り巻くものであり、また自己によって認識されたものである。その意味で対象世界も他者も自我によって認識されて登場したものである。その状態を主観と呼ぶ。しかし、現実の世界は、自分が認めようと認めまいと、自分が生まれる前から存在したし、また自分に関係なく運動し存在している。現実の世界にとって自己がむしろ「存在をゆるされている」ものであり、「生かされているもの」である。しかし主観的世界からは世界が自分によって認められたもの解釈されたものとして存在している。
▽ 最広義の暴力を抑制するためには、自分に潜在的に存在し、そして無意識に湧き上がる自慢や自己愛というナルシシズムを抑える意識力を持たなければならないことになる。 意図しないで人を傷つけたことばや態度を意識的に拾い上げ自己分析、反省しながら、その行為(なんとなしに語る言葉や態度)を対自化(たいじか)、つまり自分の外に取り出して、自分の意識の対象にし、分析的に理解する作業に組み込まなければならないのである。
▽ この作業、最広義の暴力を引き起こさない作業は至難の業である。それ程、困難な作業、自己点検分析、反省の作業が必要とされているのだ。しかし、それを可能にすることは殆ど出来ないのではないだろうか。
残酷な自己中心的存在者としての人間、人間性の自覚
▽ 話しが飛ぶようだが、生物の世界では個体は生き延びるために他の生物を食べている。その生物の生存のための決まりは人間でも例外ではない。つまり、人は他の命を食らい生きている。もちろん、生きるために他の生物を食らうことは生命活動の自然な姿であり、生態学では食物連鎖と呼んでいる。人があらゆる生物、植物から動物までを食べるのは、人間が食物連鎖の最上段に位置しているからである。
▽ 動物愛護団体の活動、例えば捕鯨反対運動を行い哺乳動物・鯨を守る団体(シーシェパード・SS)のメンバーが、日本の捕鯨船に乱入するという事件が起こった。鯨の乱獲によってある種の鯨が絶滅しようとしている。その意味で捕鯨を制限しなければならない。乱獲を防ぐための国際的規制を作る必要がある。しかし、すべての鯨の種が絶滅種になっているわけではない。捕鯨に反対する人々の言い分は、鯨やイルカが海の哺乳動物ということで、動物愛護団体の立場から、イルカ漁や捕鯨に反対している場合もある。
▽ 動物愛護団体に参加し、捕鯨反対を唱(とな)えている人々は多くの場合、欧米先進国の人々である。彼らは鯨の肉やイルカの肉を食材に使ってきた歴史や伝統文化はない。欧米では、これまで鯨はナガス油(狭義の鯨油)と呼ばれる食料油とマッコウ油とよばれる工業用油の材料として使っている。ある少数民族を除いて伝統的に鯨を食べる習慣はない。その意味で、捕鯨の中止は、彼らの生活文化(食文化)に大きな影響を与えることはない。
▽ しかし、もし仏教国の動物愛護団体が豚や牛を殺すことに異論を唱え、豚肉や牛肉を食材とすることを動物愛護精神に反する残虐な行為であると批判するなら欧米の人々はどのように反応するだろうか。彼らの食文化から豚肉や牛肉を取り除くことが出来ない以上、鯨肉を食べる食文化圏の人々のように、屠殺(とさつ)(現在「屠殺・とさつ」と言うことばは差別用語とされている。)に反対されることは大変なことに違いない。
▽ 実際、屠殺は残酷である。例えば上等の豚肉は5ヶ月ぐらいの子豚を屠殺するのであるから、豚は屠殺されるために生まれてきたと言っても言い過ぎではない。そして、日常生活の風景として、屠場に運ばれ食肉に加工された牛肉や豚肉は、お肉屋さんやスーパーの食肉コーナーに並べられ、それを我々は買い求め、毎日の食材として使っている。
▽ 多くの人々が菜食主義者ではない。1970年代までは、屠殺はハンマーを使って豚や牛の脳天を叩き殺していた。一瞬にして豚も牛も死んでしまう。しかし、隣で殺される仲間を見ながら仔豚たちが叫び泣く声は悲痛であった。一回でも屠場に行ったことがあるものなら、あの泣き声を忘れることはできないだろう。しかし、それでも豚肉を食べるだろう。
▽ 日常生活を過ごす自分達の姿をリアルに観ることによって、そう深く考えなくても、人間のリアルな姿が少し正しく理解されるだろう。例えば子豚を食らう我々人間の姿から、人間の姿が見える。人は他の生命によって生かされている動物である。
▽ だが、そういう肉食という残酷な生活文化や生活習慣を自覚したとしても、やはり生きるためにその肉食を続けるだろうし、仔豚を屠殺し続けるだろう。
▽ 仏教文化を持つ日本では、長い期間肉食の文化がなかった。そのため屠殺行為は封建社会の士農工商の階級制度から除外された部落民の仕事になっていた。近代日本が始まり、西洋文化を取り入れ肉食文化が輸入され、食肉加工のために屠殺が行われるようになっても、屠殺にまつわる古い差別意識が残り、屠殺という言葉が差別用語に結びつくように、肉食をしながらも、屠殺行為を忌み嫌い、嫌悪し、屠殺を行う人々を非民の慣わしとして差別してきた。
▽ 豚肉や牛肉を食しながら、屠殺することで得られているそれらの食材の現実を認めないところに実は、人間が宿命として多くの動物の犠牲の上に生きている残酷でありながら宿命的な現実をも否定する意識の構造が隠されている。実は、この現実、つまり屠殺して他の動物を食らって生きている現実を直視しない現実こそが、最も問われなければならない問題である。
▽ 前節で自覚しないで人を傷つけている行為を最広義の暴力と定義をした。その最広義の暴力を振るわないようにするためには、例えば自慢話の例ではないが、無意識に行っている自己中心的な行為によって、自分の周りの人々の受ける気持ちを理解する作業が必要であった。しかも、それによって仮に自慢話をしなくなったとしても、本来、人は自分を最も愛している以上、自慢話をするようにできているために、自慢話を決定的に防ぐことは出来ないという自覚が必要であった。
▽ ある意味の逆説、つまり、人が本来自己中心的存在であり、自我という意識を持ち、世界を自分の周りに認識している以上(本来、世界によって自分は創られたのだが、意識的には世界は自分によって認識されて存在していると理解されている)、その意識中心主義が起こしている認識世界と存在世界のあり方の逆転を防ぐことは出来ない。そこで、もっとも現実の自分、世界によって生かされ、他の動物を食らうことで生かされ、他の人々の労働によって生かされ、家族という制度で生かされ、育てられ、社会という制度で育てられてきた人間としての自分を理解することからはじめなければならないのである。
▽ 最広義の暴力とは、自己中心的な意識をいかに現実の世界の中に正しく置き換えるかによって自覚的に抑えることが可能になるのではないだろうか。そして、他の生命、仔豚を食らう自分がいるなら、その肉を食い散らさない、捨てない、最後まで、きれいに食べてあげる親切さを忘れないことだろう。その努力に、最広義の暴力を理解する術が隠されていないだろうか。
「いじめるな」から「いじめない努力をしよう」という考え方の変換
▽ 虐めを無くするためにこれまで「いじめるな」と教育してきた。しかし、本来人間は、自己中心的な存在であるため、虐めるという行為は自然に現れる。意識的に虐めなくても無意識的に他者よりも優位に立ち、他者よりも立派だと評価されよと努力する。その努力がある意味で自分を高めながらも、同時に他人を傷つける結果となる。
▽ 自己中心的意識から生まれる行為や言語(認識)活動と他者より優位に立ち、自分をよりよく見せようとする行為は不可分の関係にある。それらは人間的行為の典型である。つまり、人は自己の利益を追い求め、自己を高めるというモラルと人は他者を助け、共に共存するというモラルの二律背反するモラルをもって生きている。その二つは互いに反しながら、そして自我の確立と社会性の確立の両方を同時に備えるために必要とされている。
▽ 虐めるなという行為要求は、その意味で自己に自己中心性よりも他利中心性の大切さを解く論理から導かれている。つまり、人は自己中心的であってはならない。そこで「虐める」ことは悪であり、もし虐めるという行為があるならそれを悪として徹底的に否定しなければならない。
▽ だが、果たして「いじめるな」という説教が虐めに対して、虐めない人間の内面性や倫理感を育てることができるだろうか。最広義の暴力を防ぐ力を与えるだろうか考えてみたい。
▽ そこで、まったく発想を変えて「虐めるな」でなくて、逆に自覚的に「虐めないように努力する」ことを課題にしてはどうか。何故なら、人は自己中心的存在であり、その意味で人は自然に他人を傷つける存在(虐める存在)である。無意識の自己中心的な存在、自然と他者を無視する存在、その限りにおいて他者を傷つけずにはいられない存在、そうした人間の性(さが)、自我のあり方を自覚的に理解する方法として、せめてこれ以上「虐めない」ように努力をし続けること、虐めを予防する対応として理解する必要はないだろうか。
▽ 虐めない努力をするという対応がいじめるなという対応よりも、より現実的な対応ではないだろうか。つまり、人が自己中心的存在であることを自覚的に受け止めているから、虐めないための最低限の努力をするのである。この「虐めない」努力をすることは、虐めの対策を自己中心的人間性の自覚の上にたったそれ以上傷つけないという倫理的目標として提案されたものである。
▽ 「いじめない努力をする」ということを考えるとき、中学2年だったころの思い出が浮かぶ。それは、中学2年の担任の先生のことばだった。中学の周りに生えていた松の木が春になると、すっと細長い小枝を伸ばす。その小枝は柔らかく、棒で叩くと、まるで刀にすっぱりと切られた枝のように簡単に折れる。その快感を味わいながら、パクパクとようやく待ち望んだ春に力いっぱい伸びる松の枝を切っていた。担任の先生が「君、その枝はまっすぐと伸びようとしているではないか。何故、そんな可哀そうなことをするのだ」と私に注意した。
▽ その時、はじめて松が必死になって生きようとしている生命であることに気付いた。想像力のなさ。子供であるということを一言でいうと、想像力のなさだろう。そして無邪気な残酷さだろう。
▽ いじめとはその無邪気な残酷さ、想像力のない子供じみた行為のように思える。いじめないということは、その無邪気で残酷な子供らしさから抜け出て、大人になること、想像力を持つこと、によって獲得される人間性ではないだろうか。
▽ 他者への共感は、自己にある他者という共通する存在を自覚した経験を前提にして生まれる。もっと高く伸びたかった先生には、まっすぐと高く伸びようとする松の若芽が美しく見えたのだ。その伸びようとする生命を残酷に切り落とす私の行為を見過ごすことは出来なかったのだろう。
▽ いじめないという行為の困難さを教える。否、共に自覚しあうことが、いじめに対して大人が子供に語らなければならない作業かもしれない。今は、あの担任の先生のように、諭す大人や教師がいないのだろうか。それとも、大人もこともと同じくらい陰湿ないじめにあっているのだろうか。
引用資料
ブログ「生活運動から思想運動へ」2008年1月 三石博行
http://mitsuishi.blogspot.com/2008/01/blog-post_9938.html
▽ 教育学者によると虐めには、子供社会にある「お山の大将を決める行動」に由来するもの、嫉妬によるもの、そして刑事事件的な暴力行為まである。その具体的な手口は、悪口を言う、笑いものにする、悪いうわさを立てるなどの言葉による暴力、無視する態度による暴力から集団暴行(暴力を振るう)、恥ずかしい行為を強制する、金銭を要求する、万引きなどの犯罪行為を強制するまである。
▽ 刑事事件の対象になる虐めに関しては発見した際に警察の協力が必要で、保護者も学校も警察に通告しなければならない。例えば自殺者を出すなど、重大な事件に発展し被害者の保護者の憤激を伴う場合、刑事事件として告訴しなければならない場合が生じる。それ以外に、こどもの喧嘩(暴力を振るう行為)によって傷害事件も発生するだろう。それらのすべての事件を刑事事件として告訴することは出来ない。暴力事件が起こったとしても、教育の立場から、学校での虐め対策を検討し、教育活動として虐め問題を考える機会を与え、予防対策をおこなう必要がある。
▽ また言葉や態度による虐めに対しても常に敏感に対応し、それ以上虐めがエスカレートしないように学校として(職場として)対策を行う必要がある。つまり、虐めた子供も虐められた子供も含めて文部科学省が提案しているマニュアルなどを活用し学校やクラス全体で虐めに対する対応をしなければならない。この課題はこれまで2回にわたって学習してきた。つまり、社会的対応と教育的な対応が必要である。
▽ ここで問題にしたいことは、虐めを倫理的問題として考えるために、虐めの構造を理解する必要がある。これまでの議論では、虐めたという自覚を持つこと、また虐めが暴力であるという意識を持つことの二つの点に関して問題を整理してきた。さらに、虐めの問題を人間性や倫理の課題として議論してみよう。
「傷つけた」という思いと「いじめた」という思い
▽ アンケートで、クラスの学生に、「いじめられたことがあるか」という質問を出す。殆どの学生が「ある」と答える。その逆の「いじめたことがあるか」という質問には「ある」と答える学生は少ない。さらに、「人を傷つけたことがあるか」と問いかけると「ある」と殆どの学生が答える。
▽ 「いじめる」という行為は「ひとを傷つける」行為である。しかし、人を傷つけたと思う人でも、ひとをいじめたとは思っていない。何故なら、「人を傷つけてしまった」と思う現在の自分は、「傷つけるつもりで傷つけたからではなく、結果的に傷つけてしまった」ことを記憶している。「あのとき、あの人を傷つけたのだ」という思いが、「ひとを傷つけてしまった」という記憶として、心に留まり続けている。それがこの「人を傷つけたことがある」という答えの背景ではないだろうか。
▽ また、多くの学生が「傷つけたことがあった」が、「いじめたこと」はないという答え(過去の行為に関する自覚)を示したのは、「傷つける」行為と「いじめる」ということばのニュアンスの違いがあるからではないだろうか。
▽ 言換えると、「いじめる」という行為がはるかに「傷つける」行為よりも悪意に満ちた意図的な行為であり、その意味で、いじめる行為の方が暴力的に聞こえる。傷つけるとは家族、友人や恋人のこころを傷つけたというニュアンスが大きい。しかし、いじめるとはあるいじめの集団の一員として意図的に弱い人をターゲットにして陰湿な暴力行為を行ったというニュアンスに近い。その意味で、いじめると傷つけるは大きく主観的な意味が異なることになる。
▽ また、傷つけたと言うニュアンスには、その行為への罪悪感が匂う。すべての人が、何らかの形で、ひとを傷つけてしまったという罪悪感(良心)を持っている。特に自分の愛する人に対してこの感情を持つ。この感情が愛なのだろう。ある意味で、他者への愛が、人(友人)を傷つけたという気持ち(罪悪感と呼ばれる良心)として現れているのである。
▽ 例えば、「人を傷つけた」と答えた人に「あなたの傷つけた相手は誰ですか」と問うたとする。女子大の学生なら「母親」という答えが多く返ってくる。また、若い夫婦なら「自分のパートナー」、年を取った人々なら「過去に老いた両親の面倒をみてやれなかった」という答えが返ってくる。自分の行為の不十分さ、未熟さを省み、それを悔やんでいる場合に「不十分で未熟な自分の対応を受けた他者への思いが、何かもっとしてやりたかった。なにもあんなことを言わなくてもよかった。そうした悔恨の気持ちが「傷つけた」という感情として残り続けるのである。それは、悔恨と呼ばれる愛の姿、呵責という良心の姿ではないだろうか。
「人間には二種類だけしかいない。一は、自己を罪びとと思っている義人。他は自分を義人と思っている罪びと。」パスカル『パンセ』
暴力行為としての虐めの自覚
▽ 傷つけたという思いがあることはすでに虐めたと云う過去への反省が始まっていることを意味する。自分が人を虐めたことがあると言えるとき、そこから虐めに対して向き合う姿勢が生まれる。虐めたことを認めない場合よりも、虐めたこと、つまり人を傷つけたことを自覚していることが、虐めの問題を解決する鍵となる。
▽ 考えてみると「いじめ」と平仮名(ひらがな)で書かれると、子供たちや友達の間に生まれる遊びに近いニュアンスをもった「嫌がらせ」や「仲間はずれ」を意味する。実際、「いじめ」は言葉による嫌がらせから肉体的暴力や金銭を要求する恐喝行為まで含めた幅広い意味を持っている。ひらがなの「いじめ」をここではあえて漢字で「虐め」と書いたのは、この行為が「人を傷つけること」をそのことばの意味の中心におきたかったからである。その意味で「いじめ」が「ひとにいやな思いをさせる」という緩やかな、あそび心のある行為であったとしても、それは明らかに他者を「虐める」という暴力であることには変わりないのである。
▽ 暴力という言葉は明らかに他者を傷つけるという意味を持っている。しかも暴力は、ことばの暴力から肉体的暴力、また個人の暴力から集団の暴力、そして社会や国家による暴力まで、その種類も形態も多様である。つまり暴力という言葉には否定的な意味が強く含まれている。暴力という言葉を使い、その暴力の良さを語ることは非常に困難になる。そこで、虐めを暴力として理解することで、そのいじめが人を傷つけている行為であることを自覚する必要がある。
▽ 暴力を振るってはいけないという意味は、殆どの場合、肉体的暴力を意味している。何故なら暴力の「力」が具体的な行為を意味するので暴力という用語が肉体的な行為を意味するからである。言葉や態度で示す他者への嫌がらせを精神的暴力とか言葉による暴力と呼んでいるのは、もともと暴力は肉体的にダメージを与えるという意味が基本となっているからだ。
▽ 虐めを暴力として自覚していないことが、虐めへの反省が生まれない原因になっている。つまり、誰もが「きもい」と思っている奴に自分が正直に「気持ち悪い奴だ」と言ってやったという不特定多数の他者の意見や感情を代弁する立場に立って、虐めという行為が正当化されるのである。もし、「気持ち悪い奴」と言う事が暴力であるという自覚を持つなら、不特定多数を代表するという「皆が言いたいことを言った」という社会正義の錯覚や主観的イメージを持つことは苦しくなる。
▽ 自覚的に虐めが不当な行為であり社会的にも認められない暴力であると自覚することによって、虐めるという行為が卑劣であるという意味付けが可能になる。卑劣な行為は誰もやりたくないだろう。その意味で、虐めるという行為を恥ずかしく思えるだろう。つまり、虐めを行った人々が虐めを暴力として自覚することが虐めの問題を解決する糸口を与えると思われる。
最広義の暴力への抑制と無意識の自己中心的な自我の世界の自覚
▽ 暴力と呼ばれる行為を非常に広い意味(広義)に解釈すると人を傷つける行為と言えるのであるが、人を傷つける行為は人間の行為の中でまったく特別な行為ではない。何故なら日常的に人は何らかの形で人を傷つけているからである。しかし、この「人を傷つける行為」が意図して行われた場合と意図しないで行われた場合を分けるなら、暴力は意図して行われた人を傷つける行為であると解釈できるだろう。
▽ 意図しないで、つまり主観的には傷つける気持ちはまったくなかったのだが、結果的に人を傷つける行為をしてしまう場合もある。すなわち差別用語などの、言葉によって人を傷つける行為は、差別用語を使う人々は日常的にそのことばをつかっているので、別状取り立てて悪意をもって使っているわけではない。例えば、「片手落ち」という用語は「何かが足らない状態を意味する」のである。そこで上肢(じょうし)障害を持つ身体障害者にとっては、この「片手落ち」の国語表現は、自分の身体的状況を「不完全なもの」と一般解釈されていることになるため、上肢障害を持つ身体障害者にとっては特別な意味となる。つまり、身体的な状況をもった自分の存在は、一般的な意味で「不完全なもの」、「未熟な状態」という意味になるのである。
▽ 日常的に使われている日本語に含まれている意味を我々は深く考えもしない、そして用語としてそれらの単語や言い回しを使うのである。主観的にはまったく人を傷つける気持ちはないのであるが、結果的にはそのことばで誰かが傷ついている。この状況は、広義の暴力の定義に該当しないため、さらに最広義の暴力として位置づけてみよう。つまり、最広義の暴力とは、「主観的に意図して行われていない状態で人を傷つけていること」という概念である。こう考えると、日常生活の中で、非常に多くのことばや態度でまったく主観的に意図していないが人を傷つけていることは数々あることに気づく。
▽ 例えば、我々は、自然に自分の自慢をしている。人と話始めたら、決まって、自分の自慢話、子供の自慢話、兄弟の自慢、友達の自慢、恋人の自慢、になっている。人の自慢話ほど聞いていられない話はないが、その自分も口を開ければ、聞きたくない人の話と同じように自慢話をしている。他人の自慢話は聞きたくないものである。不愉快である。何故なら、その自慢に対してどこか自分が惨めになるように思われるからである。他人の自慢話を笑って聞ける人は、自慢話をしている人よりも少し優位に立っているようにおもえる。「あの人はあんなに自慢しなければ身が持たないのだ」とか「自慢は、コンプレックスの裏返しだらか、よっぽどコンプレックスを持っているのだろう」とか、非常に冷たく自慢話をする人を上から見下ろせば、きっと他人の自慢話も滑稽(こっけい)な話に聞こえる。そして、自慢話をしている人のその裏の心理を察しながら、どこかで同情したり哀れんだりできるのかもしれない。しかし、よっぽど自信家でない限り、他人の自慢話は我慢がならないものだ。
▽ 自慢話をしない偉い人、謙虚な人間として他の人々からの尊敬を集めている人が、まったく自分を自慢する気持ちがないのではなく、彼らは自慢話をされた人の気持ちが理解できているから自慢しないのである。彼ら(謙虚で偉いと言われた人々)は自慢話をされた人が持つ不愉快さと、自慢話をする人の滑稽さを知っているので、努めて自慢話をしないのである。決して彼らが自分を自慢したいことを持たないために、自慢話をしないのではなく、ただあえて自慢したいことを自慢しないだけである。その違いをもって、人は謙虚な偉人になれば、うぬぼれ屋の俗人にもなるのである。
▽ 人は自己中心的世界をもって生きている。それを自我とよんでいる。すべての人にとって他者や世界は自己の周りにあるもの、自己を取り巻くものであり、また自己によって認識されたものである。その意味で対象世界も他者も自我によって認識されて登場したものである。その状態を主観と呼ぶ。しかし、現実の世界は、自分が認めようと認めまいと、自分が生まれる前から存在したし、また自分に関係なく運動し存在している。現実の世界にとって自己がむしろ「存在をゆるされている」ものであり、「生かされているもの」である。しかし主観的世界からは世界が自分によって認められたもの解釈されたものとして存在している。
▽ 最広義の暴力を抑制するためには、自分に潜在的に存在し、そして無意識に湧き上がる自慢や自己愛というナルシシズムを抑える意識力を持たなければならないことになる。 意図しないで人を傷つけたことばや態度を意識的に拾い上げ自己分析、反省しながら、その行為(なんとなしに語る言葉や態度)を対自化(たいじか)、つまり自分の外に取り出して、自分の意識の対象にし、分析的に理解する作業に組み込まなければならないのである。
▽ この作業、最広義の暴力を引き起こさない作業は至難の業である。それ程、困難な作業、自己点検分析、反省の作業が必要とされているのだ。しかし、それを可能にすることは殆ど出来ないのではないだろうか。
残酷な自己中心的存在者としての人間、人間性の自覚
▽ 話しが飛ぶようだが、生物の世界では個体は生き延びるために他の生物を食べている。その生物の生存のための決まりは人間でも例外ではない。つまり、人は他の命を食らい生きている。もちろん、生きるために他の生物を食らうことは生命活動の自然な姿であり、生態学では食物連鎖と呼んでいる。人があらゆる生物、植物から動物までを食べるのは、人間が食物連鎖の最上段に位置しているからである。
▽ 動物愛護団体の活動、例えば捕鯨反対運動を行い哺乳動物・鯨を守る団体(シーシェパード・SS)のメンバーが、日本の捕鯨船に乱入するという事件が起こった。鯨の乱獲によってある種の鯨が絶滅しようとしている。その意味で捕鯨を制限しなければならない。乱獲を防ぐための国際的規制を作る必要がある。しかし、すべての鯨の種が絶滅種になっているわけではない。捕鯨に反対する人々の言い分は、鯨やイルカが海の哺乳動物ということで、動物愛護団体の立場から、イルカ漁や捕鯨に反対している場合もある。
▽ 動物愛護団体に参加し、捕鯨反対を唱(とな)えている人々は多くの場合、欧米先進国の人々である。彼らは鯨の肉やイルカの肉を食材に使ってきた歴史や伝統文化はない。欧米では、これまで鯨はナガス油(狭義の鯨油)と呼ばれる食料油とマッコウ油とよばれる工業用油の材料として使っている。ある少数民族を除いて伝統的に鯨を食べる習慣はない。その意味で、捕鯨の中止は、彼らの生活文化(食文化)に大きな影響を与えることはない。
▽ しかし、もし仏教国の動物愛護団体が豚や牛を殺すことに異論を唱え、豚肉や牛肉を食材とすることを動物愛護精神に反する残虐な行為であると批判するなら欧米の人々はどのように反応するだろうか。彼らの食文化から豚肉や牛肉を取り除くことが出来ない以上、鯨肉を食べる食文化圏の人々のように、屠殺(とさつ)(現在「屠殺・とさつ」と言うことばは差別用語とされている。)に反対されることは大変なことに違いない。
▽ 実際、屠殺は残酷である。例えば上等の豚肉は5ヶ月ぐらいの子豚を屠殺するのであるから、豚は屠殺されるために生まれてきたと言っても言い過ぎではない。そして、日常生活の風景として、屠場に運ばれ食肉に加工された牛肉や豚肉は、お肉屋さんやスーパーの食肉コーナーに並べられ、それを我々は買い求め、毎日の食材として使っている。
▽ 多くの人々が菜食主義者ではない。1970年代までは、屠殺はハンマーを使って豚や牛の脳天を叩き殺していた。一瞬にして豚も牛も死んでしまう。しかし、隣で殺される仲間を見ながら仔豚たちが叫び泣く声は悲痛であった。一回でも屠場に行ったことがあるものなら、あの泣き声を忘れることはできないだろう。しかし、それでも豚肉を食べるだろう。
▽ 日常生活を過ごす自分達の姿をリアルに観ることによって、そう深く考えなくても、人間のリアルな姿が少し正しく理解されるだろう。例えば子豚を食らう我々人間の姿から、人間の姿が見える。人は他の生命によって生かされている動物である。
▽ だが、そういう肉食という残酷な生活文化や生活習慣を自覚したとしても、やはり生きるためにその肉食を続けるだろうし、仔豚を屠殺し続けるだろう。
▽ 仏教文化を持つ日本では、長い期間肉食の文化がなかった。そのため屠殺行為は封建社会の士農工商の階級制度から除外された部落民の仕事になっていた。近代日本が始まり、西洋文化を取り入れ肉食文化が輸入され、食肉加工のために屠殺が行われるようになっても、屠殺にまつわる古い差別意識が残り、屠殺という言葉が差別用語に結びつくように、肉食をしながらも、屠殺行為を忌み嫌い、嫌悪し、屠殺を行う人々を非民の慣わしとして差別してきた。
▽ 豚肉や牛肉を食しながら、屠殺することで得られているそれらの食材の現実を認めないところに実は、人間が宿命として多くの動物の犠牲の上に生きている残酷でありながら宿命的な現実をも否定する意識の構造が隠されている。実は、この現実、つまり屠殺して他の動物を食らって生きている現実を直視しない現実こそが、最も問われなければならない問題である。
▽ 前節で自覚しないで人を傷つけている行為を最広義の暴力と定義をした。その最広義の暴力を振るわないようにするためには、例えば自慢話の例ではないが、無意識に行っている自己中心的な行為によって、自分の周りの人々の受ける気持ちを理解する作業が必要であった。しかも、それによって仮に自慢話をしなくなったとしても、本来、人は自分を最も愛している以上、自慢話をするようにできているために、自慢話を決定的に防ぐことは出来ないという自覚が必要であった。
▽ ある意味の逆説、つまり、人が本来自己中心的存在であり、自我という意識を持ち、世界を自分の周りに認識している以上(本来、世界によって自分は創られたのだが、意識的には世界は自分によって認識されて存在していると理解されている)、その意識中心主義が起こしている認識世界と存在世界のあり方の逆転を防ぐことは出来ない。そこで、もっとも現実の自分、世界によって生かされ、他の動物を食らうことで生かされ、他の人々の労働によって生かされ、家族という制度で生かされ、育てられ、社会という制度で育てられてきた人間としての自分を理解することからはじめなければならないのである。
▽ 最広義の暴力とは、自己中心的な意識をいかに現実の世界の中に正しく置き換えるかによって自覚的に抑えることが可能になるのではないだろうか。そして、他の生命、仔豚を食らう自分がいるなら、その肉を食い散らさない、捨てない、最後まで、きれいに食べてあげる親切さを忘れないことだろう。その努力に、最広義の暴力を理解する術が隠されていないだろうか。
「いじめるな」から「いじめない努力をしよう」という考え方の変換
▽ 虐めを無くするためにこれまで「いじめるな」と教育してきた。しかし、本来人間は、自己中心的な存在であるため、虐めるという行為は自然に現れる。意識的に虐めなくても無意識的に他者よりも優位に立ち、他者よりも立派だと評価されよと努力する。その努力がある意味で自分を高めながらも、同時に他人を傷つける結果となる。
▽ 自己中心的意識から生まれる行為や言語(認識)活動と他者より優位に立ち、自分をよりよく見せようとする行為は不可分の関係にある。それらは人間的行為の典型である。つまり、人は自己の利益を追い求め、自己を高めるというモラルと人は他者を助け、共に共存するというモラルの二律背反するモラルをもって生きている。その二つは互いに反しながら、そして自我の確立と社会性の確立の両方を同時に備えるために必要とされている。
▽ 虐めるなという行為要求は、その意味で自己に自己中心性よりも他利中心性の大切さを解く論理から導かれている。つまり、人は自己中心的であってはならない。そこで「虐める」ことは悪であり、もし虐めるという行為があるならそれを悪として徹底的に否定しなければならない。
▽ だが、果たして「いじめるな」という説教が虐めに対して、虐めない人間の内面性や倫理感を育てることができるだろうか。最広義の暴力を防ぐ力を与えるだろうか考えてみたい。
▽ そこで、まったく発想を変えて「虐めるな」でなくて、逆に自覚的に「虐めないように努力する」ことを課題にしてはどうか。何故なら、人は自己中心的存在であり、その意味で人は自然に他人を傷つける存在(虐める存在)である。無意識の自己中心的な存在、自然と他者を無視する存在、その限りにおいて他者を傷つけずにはいられない存在、そうした人間の性(さが)、自我のあり方を自覚的に理解する方法として、せめてこれ以上「虐めない」ように努力をし続けること、虐めを予防する対応として理解する必要はないだろうか。
▽ 虐めない努力をするという対応がいじめるなという対応よりも、より現実的な対応ではないだろうか。つまり、人が自己中心的存在であることを自覚的に受け止めているから、虐めないための最低限の努力をするのである。この「虐めない」努力をすることは、虐めの対策を自己中心的人間性の自覚の上にたったそれ以上傷つけないという倫理的目標として提案されたものである。
▽ 「いじめない努力をする」ということを考えるとき、中学2年だったころの思い出が浮かぶ。それは、中学2年の担任の先生のことばだった。中学の周りに生えていた松の木が春になると、すっと細長い小枝を伸ばす。その小枝は柔らかく、棒で叩くと、まるで刀にすっぱりと切られた枝のように簡単に折れる。その快感を味わいながら、パクパクとようやく待ち望んだ春に力いっぱい伸びる松の枝を切っていた。担任の先生が「君、その枝はまっすぐと伸びようとしているではないか。何故、そんな可哀そうなことをするのだ」と私に注意した。
▽ その時、はじめて松が必死になって生きようとしている生命であることに気付いた。想像力のなさ。子供であるということを一言でいうと、想像力のなさだろう。そして無邪気な残酷さだろう。
▽ いじめとはその無邪気な残酷さ、想像力のない子供じみた行為のように思える。いじめないということは、その無邪気で残酷な子供らしさから抜け出て、大人になること、想像力を持つこと、によって獲得される人間性ではないだろうか。
▽ 他者への共感は、自己にある他者という共通する存在を自覚した経験を前提にして生まれる。もっと高く伸びたかった先生には、まっすぐと高く伸びようとする松の若芽が美しく見えたのだ。その伸びようとする生命を残酷に切り落とす私の行為を見過ごすことは出来なかったのだろう。
▽ いじめないという行為の困難さを教える。否、共に自覚しあうことが、いじめに対して大人が子供に語らなければならない作業かもしれない。今は、あの担任の先生のように、諭す大人や教師がいないのだろうか。それとも、大人もこともと同じくらい陰湿ないじめにあっているのだろうか。
引用資料
ブログ「生活運動から思想運動へ」2008年1月 三石博行
http://mitsuishi.blogspot.com/2008/01/blog-post_9938.html
2010年6月16日水曜日
犯罪被害者の人権問題
守られていない犯罪被害者の人権
▽ 2008年6月8日、東京、秋葉原で起こった無差別殺人事件「秋葉原通り魔事件」(7人死亡、10人負傷)のように無差別な凶悪犯罪が次々に起こってきた。それだけでなく快楽殺人のように人を殺すことに快感を覚え、特に若い女性を強姦し殺害する事件も後を絶たない。また、松本サリン事件や地下鉄サリン事件のようにテロによる凶悪犯罪も起こっている。
▽ このように私たちは犯罪に巻き込まれない保障はない。つまり、ある日突然、人に恨まれることをした訳でもない、また法律違反をした訳でもない善良な市民が犯罪に巻き込まれ、命を落し、負傷し、そのために重い後遺障害を負うことになる場合もある。
▽ また犯罪被害者とその家族(遺族)は、犯罪によって肉体的や精神的被害を受けるだけでなく、その犯罪被害によって受けた心身の傷害の治療やケアーに必要となる経済的負担、さらには仕事の継続が不可能になって退職し、生活が破綻してしまう場合もある。
刑事犯罪被害者と刑事犯罪被告人の権利
▽ 被告人は刑が確定するまで犯罪加害者であると断定することは誤りであるが、現行犯逮捕された犯罪加害者の場合でも、刑事犯罪で告訴されている被告人の人権を守ることに社会は取り組んできた。例えば、裁判では経済的に弁護人を雇うことの出来ない被告人に対して国家は憲法第37条3項「刑事被告人は、いかなる場合にも、資格を有する弁護を依頼することができる。被告人が自ら依頼することができないときは、国がこれを附する(ふする)。」という条文に基づき、国選弁護人制度を設けてあり、被告人の人権は擁護されている。しかし、犯罪被害者(告訴人)の人権についてはこれまで社会が取り上げてきたことはなかった。
▽ もちろん、刑事事件の被告人の人権を守ることと犯罪被害者の人権を守ることは矛盾しているわけではない。むしろ、同じ立場にあるといえる。つまり、犯罪事件の被告と犯人を峻別し、犯罪加害者以外の人々の人権が守られることに社会は厳しい制度を設けている。そのため、被告人が正当に裁判を受け、冤罪の被害を受けず、真犯人が社会に放置されることのないようにしなければならない。そうした公正立場に立った社会正義と人権擁護の立場(人の命と生活を大切にする思想や制度)は犯罪被害者の人権を守ることを主張することになる。犯罪被害者の人権を守ること(人権思想を持っていること)は、他方で、犯罪被害者の人権を守ることを意味しないだろうか。
▽ しかしながら、社会はこれまで犯罪被害者の置かれている現実に理解を示してきたとは思われない。むしろ逆に、犯罪被害者を差別し、彼らの傷ついた心をさらに傷つけ、彼らを差別してきた。
▽ 特に性犯罪の被害者など男性の警察官に相談することは精神的な苦痛を伴う。しかも、「被害者にも何かすきがあった」という意味合いの発言に出会うなど、被害者の苦痛を理解する社会的風土がないため、結果的に被害者は被害を訴えることができない。また勇気をもって被害を訴えた場合でも、性犯罪被害者は社会的差別や間違った報道、興味本位(面白半分)の報道番組のネタにされるなど、名誉を深く傷つけられる場合も多く発生してきた。
▽ その逆に、痴漢冤罪によって、社会的名誉はもちろんのこと職も失ってしまった人々がいる。報道は、痴漢冤罪者を興味本位で書きたて、例えば2006年4月に東京、小田急線で起こった痴漢犯罪被告人は防衛医大教授であった。彼は「強制わいせつ罪」に問われ、警察から自宅と大学研究室の捜査を受け、さらに大学から無期休職処分を受けた。被告人の犯罪を裏付ける物的証拠はなく、被害者の女子高生の証言のみが有罪判決の決め手になっていた。あくまでも無罪を主張する被告人は最高裁判所まで争った。その結果、彼の無罪が成立した。
▽ しかし、この女子高生が痴漢に遭ったことは事実であろう。それが冤罪を引き起こしたために、痴漢被害を受けた彼女は、冤罪加害者になってしまった。そして、彼女が見誤って告訴した冤罪被害者と同様に、彼女も痴漢被害者であることは忘れてはならない。
▽ 痴漢事件は報道が面白半分に取り上げる傾向がある。特に、社会的地位のある人々が被告人になった場合、彼らが今までもっていた社会的地位が痴漢行為をやったという嫌疑を掛けられ、そのことで一瞬の内に崩落(ほうらく)することは社会のある人々の興味を誘う。そのため、報道は痴漢事件を大きく取り上げる。ワイドショーのテーマにこれほどぴったりとするものはない。面白半分の憶測が飛び交い、痴漢被害者も痴漢犯罪被告人もテレビ番組の餌食となるのである。
▽ 過熱した面白半分の報道によって、被害者も加害者も社会のトップ記事に踊り出ることになる。単に自分への許しがたい痴漢行為を訴えたかっただけの女子高校生もマスコミの餌食となり、ましては、その犯罪が冤罪ともなれば、こんどは冤罪加害者となってマスコミに追われる人生を送るのである。
▽ すべての犯罪被害者はすでに加害者によって被害を受け人権を無視されている。その上、さらに社会によって、被害者という興味ある人々として傷つけられ、また被害者として生活を奪われ、人権を無視されることになる。冤罪問題を語ることが犯罪被害者の人権を守ることと矛盾するというのは、犯罪を被害者と加害者の対立として理解する社会の偏見が生み出したものではないだろうか。
▽ いずれにしろ、犯罪被害者の人権を守ることは、犯罪被告人や犯罪加害者の人権を守ることと矛盾するはずがないのである。それは、すべての日本国民が憲法によって保障された権利・基本的人権である。
犯罪被害者の人権を擁護する取り組み
▽ 1995年3月20日、オーム真理教によって引き起こされた地下鉄サリン事件の被害者は、生命や生活を破壊され、心身に深い傷を受け、現在でもサリン中毒の後遺症に苦しんでいる。また交通事故によって一年間に1万人近くが死亡している。その中に、違反運転によって引き起こされる交通犯罪被害者も多く発生している。
▽ 犯罪被害者は団結することで自分たちの人権を守ろうとしてきた。我が国には数多くの犯罪被害者団体が存在し、地下鉄サリン事件被害者の会、交通事故被害者、少年犯罪被害者の会などがある。
▽ 1999年10月31日、犯罪被害を受けた人々が集い、被害者の悲惨な現状を語り合った。その現状を社会に訴え、犯罪被害者の人権を守るために2000年1月23日、第一回シンポジューム「犯罪被害者は訴える」を開催し、岡村勲(かおる)弁護士を中心にして「全国犯罪被害者の会」が結成された。
▽ 政府は2002年12月に犯罪被害者基本法を制定し、被害者の家族を守りその基本的人権を擁護するための法律を作った。
▽ 平成1年から現在までの日本での性犯罪(強姦)被害者数(表に表れた数字)は2千件以内で(10万人中約2人から3名である)である。大阪府の人口は約884万人でそのうちの半数が女子とすれば、年間132.名の女性が被害に遭っていることになる。警察は性犯罪被害者の人権を擁護するため、被害者への対応を女性警察官が行っている。
▽ 犯罪被害者の人権を守るためには、四つの課題がある。一つは被害を受ける治療行為による医療費や就労困難による休職や失業等による経済的負担に対する支援である。事故のショックから来る精神的トラウマなど精神科、神経内科、カウンセラーによる治療の支援、マスコミなどの報道機関によって引き起こされる人権侵害から犯罪被害者を守る対策、犯罪加害者に対する気持ちを整理し納得いくような社会的対応を求める社会心理カウンセラーの対応、被害者同士のコミュニケーションのサポートなどである。
▽ 現在、ネットワーク社会ではインターネットを通じて、コミュニケーションが可能になっている。この場合、犯罪被害者のサイトへ面白半分にアクセスしてくる傍観者を防ぐために、犯罪被害者に限定した会員制のサイトを立ち上げ、その人々の中での十分な意見交換を可能にすることもできる。
参考
1、「全国犯罪被害者の会」
http://www.navs.jp/
2、「犯罪被害者支援とは? -内閣府に聞く- 」政府インターネットテレビ
http://nettv.gov-online.go.jp/prg/prg980.html
3、[犯罪被害者等施設] 内閣府 共生社会政策統括官ホームページ
http://www8.cao.go.jp/hanzai/index.html
4、「犯罪被害者白書」内閣府 内閣府 共生社会政策統括官ホームページ
http://www8.cao.go.jp/hanzai/kohyo/whitepaper/whitepaper.html
▽ 2008年6月8日、東京、秋葉原で起こった無差別殺人事件「秋葉原通り魔事件」(7人死亡、10人負傷)のように無差別な凶悪犯罪が次々に起こってきた。それだけでなく快楽殺人のように人を殺すことに快感を覚え、特に若い女性を強姦し殺害する事件も後を絶たない。また、松本サリン事件や地下鉄サリン事件のようにテロによる凶悪犯罪も起こっている。
▽ このように私たちは犯罪に巻き込まれない保障はない。つまり、ある日突然、人に恨まれることをした訳でもない、また法律違反をした訳でもない善良な市民が犯罪に巻き込まれ、命を落し、負傷し、そのために重い後遺障害を負うことになる場合もある。
▽ また犯罪被害者とその家族(遺族)は、犯罪によって肉体的や精神的被害を受けるだけでなく、その犯罪被害によって受けた心身の傷害の治療やケアーに必要となる経済的負担、さらには仕事の継続が不可能になって退職し、生活が破綻してしまう場合もある。
刑事犯罪被害者と刑事犯罪被告人の権利
▽ 被告人は刑が確定するまで犯罪加害者であると断定することは誤りであるが、現行犯逮捕された犯罪加害者の場合でも、刑事犯罪で告訴されている被告人の人権を守ることに社会は取り組んできた。例えば、裁判では経済的に弁護人を雇うことの出来ない被告人に対して国家は憲法第37条3項「刑事被告人は、いかなる場合にも、資格を有する弁護を依頼することができる。被告人が自ら依頼することができないときは、国がこれを附する(ふする)。」という条文に基づき、国選弁護人制度を設けてあり、被告人の人権は擁護されている。しかし、犯罪被害者(告訴人)の人権についてはこれまで社会が取り上げてきたことはなかった。
▽ もちろん、刑事事件の被告人の人権を守ることと犯罪被害者の人権を守ることは矛盾しているわけではない。むしろ、同じ立場にあるといえる。つまり、犯罪事件の被告と犯人を峻別し、犯罪加害者以外の人々の人権が守られることに社会は厳しい制度を設けている。そのため、被告人が正当に裁判を受け、冤罪の被害を受けず、真犯人が社会に放置されることのないようにしなければならない。そうした公正立場に立った社会正義と人権擁護の立場(人の命と生活を大切にする思想や制度)は犯罪被害者の人権を守ることを主張することになる。犯罪被害者の人権を守ること(人権思想を持っていること)は、他方で、犯罪被害者の人権を守ることを意味しないだろうか。
▽ しかしながら、社会はこれまで犯罪被害者の置かれている現実に理解を示してきたとは思われない。むしろ逆に、犯罪被害者を差別し、彼らの傷ついた心をさらに傷つけ、彼らを差別してきた。
▽ 特に性犯罪の被害者など男性の警察官に相談することは精神的な苦痛を伴う。しかも、「被害者にも何かすきがあった」という意味合いの発言に出会うなど、被害者の苦痛を理解する社会的風土がないため、結果的に被害者は被害を訴えることができない。また勇気をもって被害を訴えた場合でも、性犯罪被害者は社会的差別や間違った報道、興味本位(面白半分)の報道番組のネタにされるなど、名誉を深く傷つけられる場合も多く発生してきた。
▽ その逆に、痴漢冤罪によって、社会的名誉はもちろんのこと職も失ってしまった人々がいる。報道は、痴漢冤罪者を興味本位で書きたて、例えば2006年4月に東京、小田急線で起こった痴漢犯罪被告人は防衛医大教授であった。彼は「強制わいせつ罪」に問われ、警察から自宅と大学研究室の捜査を受け、さらに大学から無期休職処分を受けた。被告人の犯罪を裏付ける物的証拠はなく、被害者の女子高生の証言のみが有罪判決の決め手になっていた。あくまでも無罪を主張する被告人は最高裁判所まで争った。その結果、彼の無罪が成立した。
▽ しかし、この女子高生が痴漢に遭ったことは事実であろう。それが冤罪を引き起こしたために、痴漢被害を受けた彼女は、冤罪加害者になってしまった。そして、彼女が見誤って告訴した冤罪被害者と同様に、彼女も痴漢被害者であることは忘れてはならない。
▽ 痴漢事件は報道が面白半分に取り上げる傾向がある。特に、社会的地位のある人々が被告人になった場合、彼らが今までもっていた社会的地位が痴漢行為をやったという嫌疑を掛けられ、そのことで一瞬の内に崩落(ほうらく)することは社会のある人々の興味を誘う。そのため、報道は痴漢事件を大きく取り上げる。ワイドショーのテーマにこれほどぴったりとするものはない。面白半分の憶測が飛び交い、痴漢被害者も痴漢犯罪被告人もテレビ番組の餌食となるのである。
▽ 過熱した面白半分の報道によって、被害者も加害者も社会のトップ記事に踊り出ることになる。単に自分への許しがたい痴漢行為を訴えたかっただけの女子高校生もマスコミの餌食となり、ましては、その犯罪が冤罪ともなれば、こんどは冤罪加害者となってマスコミに追われる人生を送るのである。
▽ すべての犯罪被害者はすでに加害者によって被害を受け人権を無視されている。その上、さらに社会によって、被害者という興味ある人々として傷つけられ、また被害者として生活を奪われ、人権を無視されることになる。冤罪問題を語ることが犯罪被害者の人権を守ることと矛盾するというのは、犯罪を被害者と加害者の対立として理解する社会の偏見が生み出したものではないだろうか。
▽ いずれにしろ、犯罪被害者の人権を守ることは、犯罪被告人や犯罪加害者の人権を守ることと矛盾するはずがないのである。それは、すべての日本国民が憲法によって保障された権利・基本的人権である。
犯罪被害者の人権を擁護する取り組み
▽ 1995年3月20日、オーム真理教によって引き起こされた地下鉄サリン事件の被害者は、生命や生活を破壊され、心身に深い傷を受け、現在でもサリン中毒の後遺症に苦しんでいる。また交通事故によって一年間に1万人近くが死亡している。その中に、違反運転によって引き起こされる交通犯罪被害者も多く発生している。
▽ 犯罪被害者は団結することで自分たちの人権を守ろうとしてきた。我が国には数多くの犯罪被害者団体が存在し、地下鉄サリン事件被害者の会、交通事故被害者、少年犯罪被害者の会などがある。
▽ 1999年10月31日、犯罪被害を受けた人々が集い、被害者の悲惨な現状を語り合った。その現状を社会に訴え、犯罪被害者の人権を守るために2000年1月23日、第一回シンポジューム「犯罪被害者は訴える」を開催し、岡村勲(かおる)弁護士を中心にして「全国犯罪被害者の会」が結成された。
▽ 政府は2002年12月に犯罪被害者基本法を制定し、被害者の家族を守りその基本的人権を擁護するための法律を作った。
▽ 平成1年から現在までの日本での性犯罪(強姦)被害者数(表に表れた数字)は2千件以内で(10万人中約2人から3名である)である。大阪府の人口は約884万人でそのうちの半数が女子とすれば、年間132.名の女性が被害に遭っていることになる。警察は性犯罪被害者の人権を擁護するため、被害者への対応を女性警察官が行っている。
▽ 犯罪被害者の人権を守るためには、四つの課題がある。一つは被害を受ける治療行為による医療費や就労困難による休職や失業等による経済的負担に対する支援である。事故のショックから来る精神的トラウマなど精神科、神経内科、カウンセラーによる治療の支援、マスコミなどの報道機関によって引き起こされる人権侵害から犯罪被害者を守る対策、犯罪加害者に対する気持ちを整理し納得いくような社会的対応を求める社会心理カウンセラーの対応、被害者同士のコミュニケーションのサポートなどである。
▽ 現在、ネットワーク社会ではインターネットを通じて、コミュニケーションが可能になっている。この場合、犯罪被害者のサイトへ面白半分にアクセスしてくる傍観者を防ぐために、犯罪被害者に限定した会員制のサイトを立ち上げ、その人々の中での十分な意見交換を可能にすることもできる。
参考
1、「全国犯罪被害者の会」
http://www.navs.jp/
2、「犯罪被害者支援とは? -内閣府に聞く- 」政府インターネットテレビ
http://nettv.gov-online.go.jp/prg/prg980.html
3、[犯罪被害者等施設] 内閣府 共生社会政策統括官ホームページ
http://www8.cao.go.jp/hanzai/index.html
4、「犯罪被害者白書」内閣府 内閣府 共生社会政策統括官ホームページ
http://www8.cao.go.jp/hanzai/kohyo/whitepaper/whitepaper.html
犯罪防止と冤罪問題
三石博行
犯罪防止のための冤罪防止
犯罪は社会を不安にする。それは人命や生活を奪う憎むべき人権侵害を引き起こすものである。犯罪のない安心した社会を作り、また維持したいと願う市民のために警察は日々犯罪防止、また犯罪者逮捕のために闘っている。
犯罪防止とは人権擁護のためのもっとも基本的な行為である。司法も犯罪者に対して厳しく対応し、重大犯罪に対しては死刑を含む重い刑罰を科している。
その反面、これらの予防や対策にも過失が付き物である。過失とは、罪を犯していない人を犯罪者として裁くことである。その結果、市民はだれでも冤罪を被る(こうむる)被害者となる。また、真犯人を見逃してしまい、犯罪が再び起こる可能性を社会に残してしまうことである。
冤罪問題を、二つの立場、冤罪被害者と犯罪被害者の立場から考える。
冤罪(えんざい)とは
冤罪とは、捜査の過程で無実であるのに犯罪容疑者とされ、裁判で犯罪者として判決を受け、無罪である人を犯罪者にしてしまうことを冤罪(えんざい)と呼んでいる。テレビドラマなどでは、冤罪にあうことを「濡れ衣(ぬれぎぬ)を着せられる」と表現している。
冤罪事件の犯す被害は、無実の人を犯罪者にしてしまうため、その人の人権を剥奪し、また人生を破壊することになる。そればかりか、冤罪者の家族も社会から犯罪者の家族としての差別を受け、生活を破壊されるケースが多い。さらに、重大な問題として、冤罪を犯すことで、実際の犯罪者(真犯人)を取り逃がしてしまう結果となる。そのため、真犯人が、犯罪を繰り返す機会を防げないことになるとこともあり得る。
なぜ冤罪が発生するのか
1、 強引な調査と自白強要
2、 報道機関の誤報、作為的な編集や誇張による偏向報道
二つの冤罪事件から
1、松本サリン事件「松本市内における毒物使用多数殺人事件」
松本サリン事件(まつもとサリンじけん)は、オウム真理教によって引き起こされたテロ事件である。1994年6月4日、オウム真理教関係の裁判を行っていた司法関係者をねらって、裁判所官舎に神経ガス猛毒のサリンが散布され、死者8人・重軽傷者660人を出した事件である。
しかし、事件直後は使用された毒ガスの成分は判定出来ず、「謎(ナゾ)の毒ガス」による犯罪として新聞は報道した。同年6月28日、事件の第一通報者であった河野義行さんに疑いを持ち、自宅を捜査する。河野さんの自宅から薬品類(農薬)を数点押収し、さらに河野さんを重要参考人として連日取調べを行った。その間、マスコミによる報道が過熱し、7月3日に毒ガスが猛毒サリンであることが判明した。
サリンを農薬から簡単に製造することが不可能であるという専門的知識のない捜査員やマスコミによって、一方的に河野さんは犯人扱いされた。地元の信濃毎日新聞は「農薬からサリンが生成できるという誤った免罪報道を続けた。また、週間新潮は、「毒ガス事件発生源の怪奇家系図」と題した記事で河野家の家系図を掲載し」(Wikipedea)、河野さんの人権を著しく侵害し、免罪を助長する報道を行った。
河野さんが逮捕され10ヶ月過ぎて、1995年3月20日、東京都の地下鉄でサリン散布のよる事件、死者13名、負傷者6300名(現在でも後遺症の苦しむ人々多数)が発生した。松本サリン事件で冤罪を犯していた警察は、結果的に、重大な過失、つまり事件の再発を防ぐことができなかったのであった。
2、足利事件
足利事件(あしかがじけん)とは、1990年5月12日、日本栃木県足利市にあるパチンコ店の駐車場から女児(4歳)が行方不明になり、翌朝、近くの渡良瀬川の河川敷で遺体となって発見された事件。犯人とされて服役していた菅家利和(すがや としかず、1946年10月11日-、同県出身)と、遺留物のDNA型が一致しないことが2009年5月の再鑑定により判明し、冤罪であったことが発覚。すぐに菅家は釈放され、その後の再審で無罪が確定した。」Wikipedea
菅家さんは、釈放後の記者会見で、逮捕された当時の取調べの状況について警察が自白を強要したことを述べた。彼がうその自白をしたのは刑事達の過酷な取調べで、肉体的に追い詰められていた。その苦しさから逃れるために自白したとのことであった。
彼の言葉によると、刑事たちは菅家さんに「菅家さんがやった証拠はあるので、早く自白しろとか、そうしたら気持ちが楽になる」と言われた。しかし菅家さんは、始終無実を主張していた。それでもその主張は聞いて貰えず、警察はただ菅家さんに「自分がやりました」と認めるようにと同じ事を繰り返し強要したそうである。
菅谷さんがその自白を拒否すると、殴る蹴るの暴行のみならず、頭髪を引きずり回まわし、体ごと突き飛ばされる等の拷問に等しい暴行を加えながら取調べを続けた。しかも取り調べは連続で15時間近くにも及び、肉体的限界に達していたと菅家さんは述べていた。(Wikipedea)
また、事件当日、被害者の女の子を連れて歩いていた男性の姿を目撃したという証言(買い物途中の主婦やゴルフ練習をしていた数人の男性の証言)は無視された。そして、唯一検察が有罪判決の決定的証拠として用いたDNA鑑定も、1990年当時の方法では不正確であるため、新しい精度の高い分析方法で再鑑定することを要求してきた弁護側の主張を受け入れず、菅家さんへの刑(無期懲役)の執行は続いた。
逮捕から17年目の2008年12月にDNA鑑定を行うことが決定し、その結果、東京高等裁判所の嘱託鑑定(しょくたくかんてい)で菅家さんのDNAと女児(じょじ)の下着に付着していた体液のDNAのタイプは一致しないことが判明した。その結果、菅家さんを有罪とした唯一の証拠はなくなったのである。
DAN鑑定の結果は、真犯人を特定するための有力な証拠になるのだが、事件から17年を経過しており、すでに事件の公訴時効が成立しており、真犯人を逮捕起訴する機会は法的に失われていた。
犯罪防止のための冤罪防止
犯罪は社会を不安にする。それは人命や生活を奪う憎むべき人権侵害を引き起こすものである。犯罪のない安心した社会を作り、また維持したいと願う市民のために警察は日々犯罪防止、また犯罪者逮捕のために闘っている。
犯罪防止とは人権擁護のためのもっとも基本的な行為である。司法も犯罪者に対して厳しく対応し、重大犯罪に対しては死刑を含む重い刑罰を科している。
その反面、これらの予防や対策にも過失が付き物である。過失とは、罪を犯していない人を犯罪者として裁くことである。その結果、市民はだれでも冤罪を被る(こうむる)被害者となる。また、真犯人を見逃してしまい、犯罪が再び起こる可能性を社会に残してしまうことである。
冤罪問題を、二つの立場、冤罪被害者と犯罪被害者の立場から考える。
冤罪(えんざい)とは
冤罪とは、捜査の過程で無実であるのに犯罪容疑者とされ、裁判で犯罪者として判決を受け、無罪である人を犯罪者にしてしまうことを冤罪(えんざい)と呼んでいる。テレビドラマなどでは、冤罪にあうことを「濡れ衣(ぬれぎぬ)を着せられる」と表現している。
冤罪事件の犯す被害は、無実の人を犯罪者にしてしまうため、その人の人権を剥奪し、また人生を破壊することになる。そればかりか、冤罪者の家族も社会から犯罪者の家族としての差別を受け、生活を破壊されるケースが多い。さらに、重大な問題として、冤罪を犯すことで、実際の犯罪者(真犯人)を取り逃がしてしまう結果となる。そのため、真犯人が、犯罪を繰り返す機会を防げないことになるとこともあり得る。
なぜ冤罪が発生するのか
1、 強引な調査と自白強要
2、 報道機関の誤報、作為的な編集や誇張による偏向報道
二つの冤罪事件から
1、松本サリン事件「松本市内における毒物使用多数殺人事件」
松本サリン事件(まつもとサリンじけん)は、オウム真理教によって引き起こされたテロ事件である。1994年6月4日、オウム真理教関係の裁判を行っていた司法関係者をねらって、裁判所官舎に神経ガス猛毒のサリンが散布され、死者8人・重軽傷者660人を出した事件である。
しかし、事件直後は使用された毒ガスの成分は判定出来ず、「謎(ナゾ)の毒ガス」による犯罪として新聞は報道した。同年6月28日、事件の第一通報者であった河野義行さんに疑いを持ち、自宅を捜査する。河野さんの自宅から薬品類(農薬)を数点押収し、さらに河野さんを重要参考人として連日取調べを行った。その間、マスコミによる報道が過熱し、7月3日に毒ガスが猛毒サリンであることが判明した。
サリンを農薬から簡単に製造することが不可能であるという専門的知識のない捜査員やマスコミによって、一方的に河野さんは犯人扱いされた。地元の信濃毎日新聞は「農薬からサリンが生成できるという誤った免罪報道を続けた。また、週間新潮は、「毒ガス事件発生源の怪奇家系図」と題した記事で河野家の家系図を掲載し」(Wikipedea)、河野さんの人権を著しく侵害し、免罪を助長する報道を行った。
河野さんが逮捕され10ヶ月過ぎて、1995年3月20日、東京都の地下鉄でサリン散布のよる事件、死者13名、負傷者6300名(現在でも後遺症の苦しむ人々多数)が発生した。松本サリン事件で冤罪を犯していた警察は、結果的に、重大な過失、つまり事件の再発を防ぐことができなかったのであった。
2、足利事件
足利事件(あしかがじけん)とは、1990年5月12日、日本栃木県足利市にあるパチンコ店の駐車場から女児(4歳)が行方不明になり、翌朝、近くの渡良瀬川の河川敷で遺体となって発見された事件。犯人とされて服役していた菅家利和(すがや としかず、1946年10月11日-、同県出身)と、遺留物のDNA型が一致しないことが2009年5月の再鑑定により判明し、冤罪であったことが発覚。すぐに菅家は釈放され、その後の再審で無罪が確定した。」Wikipedea
菅家さんは、釈放後の記者会見で、逮捕された当時の取調べの状況について警察が自白を強要したことを述べた。彼がうその自白をしたのは刑事達の過酷な取調べで、肉体的に追い詰められていた。その苦しさから逃れるために自白したとのことであった。
彼の言葉によると、刑事たちは菅家さんに「菅家さんがやった証拠はあるので、早く自白しろとか、そうしたら気持ちが楽になる」と言われた。しかし菅家さんは、始終無実を主張していた。それでもその主張は聞いて貰えず、警察はただ菅家さんに「自分がやりました」と認めるようにと同じ事を繰り返し強要したそうである。
菅谷さんがその自白を拒否すると、殴る蹴るの暴行のみならず、頭髪を引きずり回まわし、体ごと突き飛ばされる等の拷問に等しい暴行を加えながら取調べを続けた。しかも取り調べは連続で15時間近くにも及び、肉体的限界に達していたと菅家さんは述べていた。(Wikipedea)
また、事件当日、被害者の女の子を連れて歩いていた男性の姿を目撃したという証言(買い物途中の主婦やゴルフ練習をしていた数人の男性の証言)は無視された。そして、唯一検察が有罪判決の決定的証拠として用いたDNA鑑定も、1990年当時の方法では不正確であるため、新しい精度の高い分析方法で再鑑定することを要求してきた弁護側の主張を受け入れず、菅家さんへの刑(無期懲役)の執行は続いた。
逮捕から17年目の2008年12月にDNA鑑定を行うことが決定し、その結果、東京高等裁判所の嘱託鑑定(しょくたくかんてい)で菅家さんのDNAと女児(じょじ)の下着に付着していた体液のDNAのタイプは一致しないことが判明した。その結果、菅家さんを有罪とした唯一の証拠はなくなったのである。
DAN鑑定の結果は、真犯人を特定するための有力な証拠になるのだが、事件から17年を経過しており、すでに事件の公訴時効が成立しており、真犯人を逮捕起訴する機会は法的に失われていた。
いじめるという行為に沁(し)みこんでいる日本社会の文化と歴史
三石博行
「いじめ」に混入する社会的制裁のニュアンス
▽ 「いじめる」ということに、なぜ日本社会は鈍感であるだろうか。この問いかけは「いじめる」という行為が何らかの形で社会から認められているからではないだろか。また、「いじめる」ということばに関連する他のことば、例えば「排除する」、「戒める」、「懲らしめる」等々、「いじめ」には処罰的意味合いが含まれている。それらの処罰的意味には、つねに誰かが誰かに対して、ある決まりの下に、ある理由をもって発動されるというニュアンスが付着している。社会的処罰的意味は、つねに社会や共同体的決まりから発動される、秩序を乱す者への戒め処罰というニュアンスを持つ。つまり、もし「いじめ」が「戒める」という意味を付着するなら、同時に、また暗黙の裡に(うちに)共同体の秩序を乱す者への懲罰を意味し、その上で、「いじめ」がその正当性や存在理由を主張しているように思われる。
▽ では、なぜ個人的な私怨(しえん)や妬みから発生した「いじめる」という行為が、社会的な制裁のニュアンスを漂(ただよ)わすのだろうか。そして、極めて個人的な負の感情がどのようなカラクリを使って「社会的正義」の紋章を付けることに成功しているのか。それらの疑問を解明し、その原因を知る必要がある。その疑問を紐解くために、まず「いじめ」に連想し思い浮かび上がる言葉を考えてみよう。
▽ 例えば、「村八分」という言葉がある。村八分は村の多数者がある少数者へ行う制裁行為であり、その制裁行為が強い者(多数者)によるよわい物(少数者)への行為と解釈される。その限りにおいて、村八分は「いじめ」と同じように集団からある人間を排除し、人間としての権利を奪い、名誉を剥奪する行為であると解釈されるだろう。その行為の現象面から観て、村八分といじめが同次元の行為、同義語として理解されることになる。
▽ 村八分は中世日本社会、取り分け村落共同体で行われていた共同体の秩序維持のための慣わしであり、村民は村の長(おさ)の私怨によって村八分にあったのでなく、村の秩序を破壊したために、二分の権利、葬式と火事に対して村の協力を得られる権利を除いて、村の八分の権利を失うことになったのである。中世社会の村落共同体の秩序を維持するための掟が村八分であった。
▽ 国民主権と民主主義によって成立している現代日本社会での社会秩序の根本は日本国憲法によって定められている。日本国憲法に則して、犯罪者を取り締まる刑法が決まっている。村ごと、村にあったように懲罰規則を決めているわけでない。どのような集団、社会や組織であっても、その中でしか適用できない規則を決めて、集団の多数の人々といえどもそれを遵守しない少数の人にいかなる制裁も加えてはならないのである。日本国憲法に違反しないこと、違反者に対して刑罰を科すことは国家以外にはできないこと等が、組織が懲罰規定を設ける条件となる。会社であれば就業規則は、憲法、労働基準法に違反してはならないし、また違反者を、牢獄の代わりに会社の倉庫に閉じ込めるとか、死刑に代わりに上司が平手打ちをすることは出来ない。就業規則上の懲罰規定は、会社へ損失を与えた職員に対して最も重い処分として、会社に所属している身分を奪う、解雇処分である。
▽ ところが小学校のクラスで起こるいじめは、クラスの5、6人の小さな集団がある特定の個人に行う暴力行為である。いじめにあっている子供がクラス(共同体)の秩序を破壊している訳でもなく、またその子供への制裁をクラス会で決めたわけでもないし、クラス全員が制裁に参加している訳ではない。いじめを行っている少数のグループの子供たちが、同じクラスのある子供に対して、個人の主観的な感情によって引き起こされている暴力行為、ある特定の個人を陰惨に痛めつける暴力行為である。
▽ 私怨による暴力が社会的制裁のニュアンスを獲得していく過程について、古い日本社会の伝統にある村八分や村落共同体意識について理解を深めなければならない。
中世社会での村落共同体の制裁としての村八分
▽ 人間が社会的存在であると言うことは、社会なしには個人が成立していない人間的存在様式の基本を物語っている。つまり、どの時代でもどの文化社会でも、その人間的存在様式は変化していない。例えば、家族という制度なくしては人類は種を保存することができなかっただろう。つまり、人間がこの地球上で活動し始めてから現代まで人間個人と社会文化を切り離すことはできない。
▽ その限りにおいて、社会はつねに社会自体の保存のために社会制度を作りそれを維持してきた。ある意味で、社会とは人類が存続するための装置として、人間個人にその装置の維持管理を委ねてきたのである。個人は社会制度の中で、自分の社会的役割を理解し、それを果たすことで、人類が長年かけて作り上げてきた人類の保存装置の維持管理に貢献しているのである。
▽ 社会機能が祈祷や占いによって運営された古代社会から、律令制をもって運営していく社会への転換は時間をかけて行われた。日本でも7世紀の大化の改新以降、当時の先進国である唐を真似て律令制を導入する。
▽ しかし、中世前期(平安末期~鎌倉中期)までは、民衆(百姓など)の生活を維持管理するための法律、国家的な法令はない。当時の律令(法律)は公家や武家に対して定められた法令・公家法・本所法・武家法など支配者により定められたものしか存在していなかった。そして、民衆に対する司法権・警察権の行使(検断沙汰)も支配者である荘園・公領領主や地頭武士に限られていた。(Wikipedia)つまり中世前期の社会では、国家として村落共同体の運営管理を行う規則はなかった。
▽ 鎌倉後期ごろから室町前期にかけての中世日本社会の村落共同体では、強い自治意識と連帯意識に支えられた惣村を形成する。その惣村では惣掟(そうおきて)と呼ばれる村落共同体での掟(おきて)を独自に作った。
▽ 惣掟とは、中世日本社会での百姓の自治的共同体である惣村(そうそん・多くは地縁的結合によって作られる共同組織)において、その共同体の秩序を維持するための掟とそれに違反するものへの制裁を惣村の全構成員による寄合で決議したものである。そのため、惣村構成員に惣掟は厳しく適用された。特に、共同体秩序を崩壊させるような行為(窃盗、放火、殺人など)に対する罰則は、ほとんどの場合、死刑とされた。
▽ 中世前期の社会では、現代社会のように国民全体に適応される憲法や刑法があったわけではなく、村民は村の掟を独自に作り、その掟に従って村の運営と管理、政(まつりごと)と治安を行っていた。その意味で、村八分はこの惣掟に中に含まれる共同体独自の刑法である。
▽ 中世社会では、国民という概念がなく、封建身分制度社会の秩序を維持するために律令(法度)しかなかった。そのため村落では惣掟の制定以来、村独自に掟が定められ、それに従い、村の秩序に従わないものを処罰し排除してきた。村八分という制度は、村落共同体の十の共同行為の中で、葬式と火事以外の結婚式、出産、病気の世話などをしないという習慣を示すものである。江戸時代では、村八分にあったものは村落共同体で共有する土地の使用も禁止されるために、共同山林での薪炭(しんたん)・用材(ようざい)・肥料用の落葉の採取が不可能となり、事実上生活が不可能になる。
▽ 村八分は、中世の村落共同体で成立していた掟に従って執り行われた刑罰の一つであり、その目的は村の秩序維持であった。今日、現代法治国家では、村落独自の刑法は存在しないため、村八分行為は憲法及び法律違反となる。
▽ 戦前まで村八分の習慣は根強く古い習慣を維持してきた村落共同体に残存してきた。しかし、現在では、それらの村八分の習慣は、村の有力者による脅迫や人権侵害行為として法律上認められていない行為として理解されている。この村八分は戦後も続き、例えば「2004年の新潟県関川村(せきがわむら)で起こった村の有力者による「お盆の行事」に参加しない人たちへの村八分にするという発言は裁判にまで発展したことが記録されている」(Wikipedia)
法律違反としての村八分
▽ 社会秩序の維持機能としての中世社会での村八分を、現代社会で古き伝統を守る村落共同体でも行うなら明らかに法律違反となる。中世社会では、民主主義社会や国民主権国家は成立していない。そのため、村の掟が村民に適用されることに対して、その是非を問う社会的機能(司法制度)はない。村民の同意が村の掟とその執行を決めていた。しかし、現代社会では、憲法がありそれに基づく刑事訴訟法や民事訴訟法があり、訴訟された罪状を法律に基づいて認否評価する司法制度があり、個人への刑の判断と執行が決定するのである。
▽ ある集団がその集団の利害を損するという理由から、その集団が独自に作っている刑法を被疑者に適用することはできない。それらの罰則規定は憲法や法律に違反する場合、無効となる。法律に違反しない範囲で、企業や法人の就業規則における罰則規定が成立している。
▽ 当然ながら、団地の集まり、自治会、学校、クラスでもし村八分が生じるなら、その村八分こそ基本的人権を守る日本国憲法に違反することになる。いかなる集団も勝手に人を罰することはできない。それらの集団が集団構成員に対する懲罰規定を作るなら、その条項は法律違反をしていないか国家によって検証される。例えば就業規則での罰則規定に関しても、労働基準法に触れないか労働監督所によって点検される。もし就業規則(罰則規定)が法律違反と判断されるなら、直ちに就業規則改善命令が企業に出されることになる。
▽ 民主主義と国民主権で運営される現代社会では、どのような理由があっても村八分は法律違反となる。
虐め(集団的暴力)を是認する傍観者の存在
▽ 村八分は民主主義社会では認められない人権侵害行為であるが、我々日本人が深層心理にもつ「村落共同体意識」には、村八分を正当化する、正当化しないまでも、それが行われていることを無言のうちに了承している意識がある。
▽ クラスで数人の子供がある子供を虐めているとする。クラスの多くの子供たちは、いじめっ子によって絶好のターゲットが決まり、虐めが行われていることを理解している。しかし、大半の子供たちは、その虐めには参加してはない。ただ、それを傍観しているだけである。虐めているグループにあえて虐めをやめるように忠告する訳でなく、もし虐めをやめろといえば逆に自分が虐めの対象にされる危険性があることを知っている。だから、ただその虐めの現実にかかわりたくないと決め込んでいるのである。それがクラスの大半の子供たちの姿である。
▽ これらの傍観者の存在によって、つまり虐めを認めている人々の存在があることが、虐めている人々にとっては、自分たちの行為の承認者として映る。その消極的な承認者を得ることで、私怨(しえん)や個人的鬱憤行為(うっぷんこうい)も社会的存在理由を見つける。もはや、私怨による行為でなく、皆が認めている皆と共同してやっている行為に変貌するのである。
▽ このクラスの大半の子供たち、不特定多数の傍観者の存在によって、いじめっ子の暴力は、社会的制裁行為の意味付けをもらい、伝統的に村の中で繰り広げられた村八分的行為に変貌するのである。
▽ 傍観者の存在は、伝統的な村落社会の無言の協同者を意味する。その存在は、古い村落共同体の社会運営に関する慣わし、つまり日本人の深層心理にしっかりはまり込んでいる「暗黙の同意」によって運営される村の掟を呼び覚ます。
▽ いじめっ子が堂々とクラスで暴力を振るためには、傍観者の存在が必要なのだ。もし彼らがいなければ、その行為の主観性は見破られるのである。彼らは堂々と暴力を振るうことは難しくなるだろう。それだけでも、虐めはクラスの中で公然と起こらないだろう。
▽ そして、クラスの大多数の子供が、傍観者から虐めを批判する側に立つなら、つまりクラスの多くの子供たちが、「弱いもの虐めをやめよ」というなら、いじめっ子の中で正当化したい暴力の公共性は忽ち(たちまち)崩れ去り、虐めという行為が露に(あらわに)社会(クラス)の中に露呈(ろてい)するだろう。個人的感情によって生まれた自分の行為としての虐めに含ませたかった「社会的」制裁の意味合いを失うだろう。
▽ 私怨によって生じる暴力「いじめ」に、社会的制裁にニュアンスの混入を防ぐためには、虐めが暴力であると明確に意識する契機を得るためには、その虐めを見て見ぬ振りをする大多数の傍観者達のモラルを問いかけ、彼らの協力を得る以外にないのである。
「いじめ」に混入する社会的制裁のニュアンス
▽ 「いじめる」ということに、なぜ日本社会は鈍感であるだろうか。この問いかけは「いじめる」という行為が何らかの形で社会から認められているからではないだろか。また、「いじめる」ということばに関連する他のことば、例えば「排除する」、「戒める」、「懲らしめる」等々、「いじめ」には処罰的意味合いが含まれている。それらの処罰的意味には、つねに誰かが誰かに対して、ある決まりの下に、ある理由をもって発動されるというニュアンスが付着している。社会的処罰的意味は、つねに社会や共同体的決まりから発動される、秩序を乱す者への戒め処罰というニュアンスを持つ。つまり、もし「いじめ」が「戒める」という意味を付着するなら、同時に、また暗黙の裡に(うちに)共同体の秩序を乱す者への懲罰を意味し、その上で、「いじめ」がその正当性や存在理由を主張しているように思われる。
▽ では、なぜ個人的な私怨(しえん)や妬みから発生した「いじめる」という行為が、社会的な制裁のニュアンスを漂(ただよ)わすのだろうか。そして、極めて個人的な負の感情がどのようなカラクリを使って「社会的正義」の紋章を付けることに成功しているのか。それらの疑問を解明し、その原因を知る必要がある。その疑問を紐解くために、まず「いじめ」に連想し思い浮かび上がる言葉を考えてみよう。
▽ 例えば、「村八分」という言葉がある。村八分は村の多数者がある少数者へ行う制裁行為であり、その制裁行為が強い者(多数者)によるよわい物(少数者)への行為と解釈される。その限りにおいて、村八分は「いじめ」と同じように集団からある人間を排除し、人間としての権利を奪い、名誉を剥奪する行為であると解釈されるだろう。その行為の現象面から観て、村八分といじめが同次元の行為、同義語として理解されることになる。
▽ 村八分は中世日本社会、取り分け村落共同体で行われていた共同体の秩序維持のための慣わしであり、村民は村の長(おさ)の私怨によって村八分にあったのでなく、村の秩序を破壊したために、二分の権利、葬式と火事に対して村の協力を得られる権利を除いて、村の八分の権利を失うことになったのである。中世社会の村落共同体の秩序を維持するための掟が村八分であった。
▽ 国民主権と民主主義によって成立している現代日本社会での社会秩序の根本は日本国憲法によって定められている。日本国憲法に則して、犯罪者を取り締まる刑法が決まっている。村ごと、村にあったように懲罰規則を決めているわけでない。どのような集団、社会や組織であっても、その中でしか適用できない規則を決めて、集団の多数の人々といえどもそれを遵守しない少数の人にいかなる制裁も加えてはならないのである。日本国憲法に違反しないこと、違反者に対して刑罰を科すことは国家以外にはできないこと等が、組織が懲罰規定を設ける条件となる。会社であれば就業規則は、憲法、労働基準法に違反してはならないし、また違反者を、牢獄の代わりに会社の倉庫に閉じ込めるとか、死刑に代わりに上司が平手打ちをすることは出来ない。就業規則上の懲罰規定は、会社へ損失を与えた職員に対して最も重い処分として、会社に所属している身分を奪う、解雇処分である。
▽ ところが小学校のクラスで起こるいじめは、クラスの5、6人の小さな集団がある特定の個人に行う暴力行為である。いじめにあっている子供がクラス(共同体)の秩序を破壊している訳でもなく、またその子供への制裁をクラス会で決めたわけでもないし、クラス全員が制裁に参加している訳ではない。いじめを行っている少数のグループの子供たちが、同じクラスのある子供に対して、個人の主観的な感情によって引き起こされている暴力行為、ある特定の個人を陰惨に痛めつける暴力行為である。
▽ 私怨による暴力が社会的制裁のニュアンスを獲得していく過程について、古い日本社会の伝統にある村八分や村落共同体意識について理解を深めなければならない。
中世社会での村落共同体の制裁としての村八分
▽ 人間が社会的存在であると言うことは、社会なしには個人が成立していない人間的存在様式の基本を物語っている。つまり、どの時代でもどの文化社会でも、その人間的存在様式は変化していない。例えば、家族という制度なくしては人類は種を保存することができなかっただろう。つまり、人間がこの地球上で活動し始めてから現代まで人間個人と社会文化を切り離すことはできない。
▽ その限りにおいて、社会はつねに社会自体の保存のために社会制度を作りそれを維持してきた。ある意味で、社会とは人類が存続するための装置として、人間個人にその装置の維持管理を委ねてきたのである。個人は社会制度の中で、自分の社会的役割を理解し、それを果たすことで、人類が長年かけて作り上げてきた人類の保存装置の維持管理に貢献しているのである。
▽ 社会機能が祈祷や占いによって運営された古代社会から、律令制をもって運営していく社会への転換は時間をかけて行われた。日本でも7世紀の大化の改新以降、当時の先進国である唐を真似て律令制を導入する。
▽ しかし、中世前期(平安末期~鎌倉中期)までは、民衆(百姓など)の生活を維持管理するための法律、国家的な法令はない。当時の律令(法律)は公家や武家に対して定められた法令・公家法・本所法・武家法など支配者により定められたものしか存在していなかった。そして、民衆に対する司法権・警察権の行使(検断沙汰)も支配者である荘園・公領領主や地頭武士に限られていた。(Wikipedia)つまり中世前期の社会では、国家として村落共同体の運営管理を行う規則はなかった。
▽ 鎌倉後期ごろから室町前期にかけての中世日本社会の村落共同体では、強い自治意識と連帯意識に支えられた惣村を形成する。その惣村では惣掟(そうおきて)と呼ばれる村落共同体での掟(おきて)を独自に作った。
▽ 惣掟とは、中世日本社会での百姓の自治的共同体である惣村(そうそん・多くは地縁的結合によって作られる共同組織)において、その共同体の秩序を維持するための掟とそれに違反するものへの制裁を惣村の全構成員による寄合で決議したものである。そのため、惣村構成員に惣掟は厳しく適用された。特に、共同体秩序を崩壊させるような行為(窃盗、放火、殺人など)に対する罰則は、ほとんどの場合、死刑とされた。
▽ 中世前期の社会では、現代社会のように国民全体に適応される憲法や刑法があったわけではなく、村民は村の掟を独自に作り、その掟に従って村の運営と管理、政(まつりごと)と治安を行っていた。その意味で、村八分はこの惣掟に中に含まれる共同体独自の刑法である。
▽ 中世社会では、国民という概念がなく、封建身分制度社会の秩序を維持するために律令(法度)しかなかった。そのため村落では惣掟の制定以来、村独自に掟が定められ、それに従い、村の秩序に従わないものを処罰し排除してきた。村八分という制度は、村落共同体の十の共同行為の中で、葬式と火事以外の結婚式、出産、病気の世話などをしないという習慣を示すものである。江戸時代では、村八分にあったものは村落共同体で共有する土地の使用も禁止されるために、共同山林での薪炭(しんたん)・用材(ようざい)・肥料用の落葉の採取が不可能となり、事実上生活が不可能になる。
▽ 村八分は、中世の村落共同体で成立していた掟に従って執り行われた刑罰の一つであり、その目的は村の秩序維持であった。今日、現代法治国家では、村落独自の刑法は存在しないため、村八分行為は憲法及び法律違反となる。
▽ 戦前まで村八分の習慣は根強く古い習慣を維持してきた村落共同体に残存してきた。しかし、現在では、それらの村八分の習慣は、村の有力者による脅迫や人権侵害行為として法律上認められていない行為として理解されている。この村八分は戦後も続き、例えば「2004年の新潟県関川村(せきがわむら)で起こった村の有力者による「お盆の行事」に参加しない人たちへの村八分にするという発言は裁判にまで発展したことが記録されている」(Wikipedia)
法律違反としての村八分
▽ 社会秩序の維持機能としての中世社会での村八分を、現代社会で古き伝統を守る村落共同体でも行うなら明らかに法律違反となる。中世社会では、民主主義社会や国民主権国家は成立していない。そのため、村の掟が村民に適用されることに対して、その是非を問う社会的機能(司法制度)はない。村民の同意が村の掟とその執行を決めていた。しかし、現代社会では、憲法がありそれに基づく刑事訴訟法や民事訴訟法があり、訴訟された罪状を法律に基づいて認否評価する司法制度があり、個人への刑の判断と執行が決定するのである。
▽ ある集団がその集団の利害を損するという理由から、その集団が独自に作っている刑法を被疑者に適用することはできない。それらの罰則規定は憲法や法律に違反する場合、無効となる。法律に違反しない範囲で、企業や法人の就業規則における罰則規定が成立している。
▽ 当然ながら、団地の集まり、自治会、学校、クラスでもし村八分が生じるなら、その村八分こそ基本的人権を守る日本国憲法に違反することになる。いかなる集団も勝手に人を罰することはできない。それらの集団が集団構成員に対する懲罰規定を作るなら、その条項は法律違反をしていないか国家によって検証される。例えば就業規則での罰則規定に関しても、労働基準法に触れないか労働監督所によって点検される。もし就業規則(罰則規定)が法律違反と判断されるなら、直ちに就業規則改善命令が企業に出されることになる。
▽ 民主主義と国民主権で運営される現代社会では、どのような理由があっても村八分は法律違反となる。
虐め(集団的暴力)を是認する傍観者の存在
▽ 村八分は民主主義社会では認められない人権侵害行為であるが、我々日本人が深層心理にもつ「村落共同体意識」には、村八分を正当化する、正当化しないまでも、それが行われていることを無言のうちに了承している意識がある。
▽ クラスで数人の子供がある子供を虐めているとする。クラスの多くの子供たちは、いじめっ子によって絶好のターゲットが決まり、虐めが行われていることを理解している。しかし、大半の子供たちは、その虐めには参加してはない。ただ、それを傍観しているだけである。虐めているグループにあえて虐めをやめるように忠告する訳でなく、もし虐めをやめろといえば逆に自分が虐めの対象にされる危険性があることを知っている。だから、ただその虐めの現実にかかわりたくないと決め込んでいるのである。それがクラスの大半の子供たちの姿である。
▽ これらの傍観者の存在によって、つまり虐めを認めている人々の存在があることが、虐めている人々にとっては、自分たちの行為の承認者として映る。その消極的な承認者を得ることで、私怨(しえん)や個人的鬱憤行為(うっぷんこうい)も社会的存在理由を見つける。もはや、私怨による行為でなく、皆が認めている皆と共同してやっている行為に変貌するのである。
▽ このクラスの大半の子供たち、不特定多数の傍観者の存在によって、いじめっ子の暴力は、社会的制裁行為の意味付けをもらい、伝統的に村の中で繰り広げられた村八分的行為に変貌するのである。
▽ 傍観者の存在は、伝統的な村落社会の無言の協同者を意味する。その存在は、古い村落共同体の社会運営に関する慣わし、つまり日本人の深層心理にしっかりはまり込んでいる「暗黙の同意」によって運営される村の掟を呼び覚ます。
▽ いじめっ子が堂々とクラスで暴力を振るためには、傍観者の存在が必要なのだ。もし彼らがいなければ、その行為の主観性は見破られるのである。彼らは堂々と暴力を振るうことは難しくなるだろう。それだけでも、虐めはクラスの中で公然と起こらないだろう。
▽ そして、クラスの大多数の子供が、傍観者から虐めを批判する側に立つなら、つまりクラスの多くの子供たちが、「弱いもの虐めをやめよ」というなら、いじめっ子の中で正当化したい暴力の公共性は忽ち(たちまち)崩れ去り、虐めという行為が露に(あらわに)社会(クラス)の中に露呈(ろてい)するだろう。個人的感情によって生まれた自分の行為としての虐めに含ませたかった「社会的」制裁の意味合いを失うだろう。
▽ 私怨によって生じる暴力「いじめ」に、社会的制裁にニュアンスの混入を防ぐためには、虐めが暴力であると明確に意識する契機を得るためには、その虐めを見て見ぬ振りをする大多数の傍観者達のモラルを問いかけ、彼らの協力を得る以外にないのである。