哲学に於いて生活とはそのすべての思索の根拠である。言い換えると哲学は、生きる行為、生活の場が前提になって成立する一つの思惟の形態であり、哲学は生きるための方法であり、道具であり、戦略であり、理念であると言える。また、哲学の入り口は生活点検作業である。何故なら、日常生活では無神経さや自己欺瞞は自然発生的に生まれるため、日常性と呼ばれる思惟の惰性形態に対して、反省と呼ばれる遡行作業を哲学は提供する。方法的懐疑や現象学的還元も、日常性へ埋没した惰性的自我を点検する方法である。生活の場から哲学を考え、哲学から生活の改善を求める運動を、ここでは生活運動と思想運動の相互関係と呼ぶ。そして、他者と共感しない哲学は意味を持たない。そこで、私の哲学を点検するためにこのブログを書くことにした。 2011年1月5日 三石博行 (MITSUISHI Hiroyuki)
2010年8月26日木曜日
ブログとホームページの違い(日記と小説の違い、論文と著書の違い)
写真 カルフォルニア州の10パーセントの電力を供給する風力発電所群
A ホームページ作成が難しい理由
私は、誰もが当たり前にやっているホームページを今頃になって何とか作ろうとしている。
確かに、このブログを記載しているGoogleでホームページを作ってみたが、デザインの面で、満足いくものが出来なかった。それの理由は、私がGoogle ホームページの作り方を正確に理解していないためである。
つまり、ホームページをつくるためのソフト的、インターネット使用の技術がなかったことが、満足できるホームページを作ることが出来なかった理由となる。
しかし、ホームページ作ソフト使用の知識や技術の問題であれば、努力してその問題を解決して来たと思える。技術的スキル不足の理由だけではない。
それでは、他にどんな理由があるのだろうか。
ブログを書くことと、ホームページを書くことの違いは、
書きたいことを日常的に積み重ねる作業によってブログは出来る。
しかし、ホームページは、あらかじめ書く内容の構成(フレーム)を決めなければならない。
B ブログとホームページ そして、日記と小説
ブログは日記のように書ける。しかし、ホームページは著書のように編集能力、全体とそれを構成する各章を構成する企画力が必要となる。
つまり、ホームページは小説を書くように、あらかじめ物語を作り、その物語に即して、それぞれのホームページの内容を編集する必要が生れる。
勿論、小説ほどホームページは「物語性」を要求されないが、ブログは、日々、日常的に沸き起こる考えや日常生活の経験、課題を書き留めるための様式である。その点、日記と類似しているといえたのである。
私がブログを書くことに困難を感じなかったのは、もともと日記を書くことが好きだったからかもしれない。中学1年のはじめから書き始めた日記を50歳ぐらいまで続けていた。
日記と違って小説を書くためには、物語を作る力が必要である。
日記は、結果として物語になりえる。それは、あらかじめ構成され企画された物語でなく、日常生活のドラマチィクな流れが日記を物語的な内容に変えてしまうからである。それはある日常生活に生じる偶然結果として予期せぬ出来事の記録の結果として日記が物語り的になる。
しかし、小説は、その内容が日常的な生活風景を題材にしたとしても、あらかじめ企画され計算された出来事の連鎖や事件とよばれる物語によって構成されている。
小説は現実の日常生活に秘められた潜在的なドラマ性を引き出すことで、面白みを増すように思える。
また、まったく違う社会や時代の話を通じて、日常的な空間から読者を想像の世界に引き込むことが出来る。しかし、それらの異生活空間には必ず日常生活空間で共有されている感性や価値観が存在している。
つまり、小説は、一こま一こまの人間生活の場面の中で繰り広げられる物語性を、繋ぎ止め、関連させ、大きな流れの中で、それはブログの世界と異なる小説的時間の流れの中で、著者の主張の材料に構成されてゆく。その構成スキルを編集力と呼ぶのである。
C ブログとホームページ そして、論文と著書
それと異なる編集力を必要とする書き方として論文がある。論文の書き方では、与えられた課題を学術的・論理的に記述しながら、ある一定の結論を導く、もしくは提案する仮説や命題をこれまで認められてきた手法(論理や方法論)で証明することが一般的に取られている。研究活動の記録のようにして論文は出来る。
しかし、論文の集合が本になることはなかなか難しい。著書には課題を展開する物語性が必要である。この物語性は、個人の研究活動によって導かれるというよりも、それを含めて、研究者は著者の中心課題から他の領域への境界領域も含めなければならない。つまり、自分の専門的範疇のみで著書が出来るとすれば、それは研究専門書と呼ばれる部類の本となる。
しかし、大学の教科書のような本では、自分の専門領域との境界領域を含めて、専門領域の課題に大きな物語性をつける必要がある。
私の場合を例に取ると、長年研究生活を続けながら、論文は幾つか書いたが、単独で著書を出すことはなかった。単独で著書を書いたのは、フランスの大学で書いた博士論文を著書にした以外は、なかった。
そう考えると、私はフランスでの学位論文の時、苦労した事を思い出した。
つまり、学位論文や著書の企画をした場合、非常に理想主義的な方針を出すことによって、企画上はすごい話になるのだが、現実にそれらの企画を実現することが困難な場面に毎回出会い、ついには、中途でやめることになる経験をしてきた。
私が自覚しなければならないのは、自分にはそれほどの編集能力がないということだ。
論文を書くための構想と本を書くための構想とは、共通する部分とそうでない部分がある。
そうでない部分に関する理解が非常に不足しているのではないだろうか。
D、ホームページ作成に含まれて訓練
私の弱点、物語性の構築能力の不足、編集力の不足、酷評するなら想像力の不足(これは物書きとして致命的問題)を克服するために、ホームページを作りに挑もうと思う。
少し、大げさな挑戦状を、書いてしまったようである。
私のホームページのタイトルを「生活運動と思想運動の相補性」をした。
ブログのタイトルが「生活運動から思想運動へ」であるから、ホームページのタイトルもブログと殆ど同じであるといえる。
ホームページ「生活運動と思想運動の相補性」は5つの章によって構成されている。
ホームページ
序文 トップページ
第1章は研究で、この第1章は哲学、人間社会科学、政策論と研究会・学会活動の4つの節からなる。
第2章は教育で、この章は哲学系、人間社会学系とその他の3つの節からなる。
第3章の社会活動は国際交流活動、エコロジー運動と政策提案運動の三つの節からなる。
第4章は自己紹介でプロフィール、趣味、ブログなどの節からなる。
第5章のリンクは自分の研究、教育、社会活動や趣味などに関連するサイトの紹介を行う予定である。
以上が「生活運動と思想運動の相補性」という物語を示す私のホームページの構成である。
三石博行のホームページ
http://hiroyukimitsuishi.web.fc2.com/
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