2010年11月25日木曜日

菊田幸一著『日本の刑務所』第一章「受刑者はどのような存在か」のテキスト批評

三石博行


テキストの出典

菊田幸一著『日本の刑務所』岩波新書794、205p、2002.7、「はじめに」、第一章「受刑者はどのような存在か」pp1‐46、

テキストの文献記号は、(KIKUKo02A )とする。

菊田幸一氏は、1934年12月生まれ、出身は滋賀県長浜市、弁護士、中央大学法学部卒、明治大学法学部大学院博士課程卒、明治大学名誉教授、法学博士(明治大学)、死刑廃止論者、被疑者及び囚人の法的権利を重視する学説を唱える。終身刑の導入を主張、犯罪被害者の救済と加害者の和解を推進している。(Wikipedia)



第一章「はじめに」、第一章「受刑者はどのような存在か」pp1‐46、の要約

現在の日本の刑務所の問題点とは何か


日本の刑務所収容者の三つの特色

日本の刑務所収容者の特色は以下の三つである。

一つ目は、累犯者(るいはんしゃ)が多いことである。頻回入所歴(ひんかいにゅうしょれき)を有する者は、男子の全収容者のうち52.5%(2000年の統計)である。中でも5度以上の入所歴を有する者は、頻回収容者の三割を占める。(pⅰ)

二つ目は、受刑者の高齢化である。六十歳以上の高齢受刑者は1984年に2%、1989年に4.3%であったが、2000年末では9.3%でと、10年近くで倍増している。

三つ目は、受刑者の全体の四分の一が覚せい剤事犯、さらに全体の四分の一が暴力団関係者で、矯正効果を期待するのが難しいケースが多い。

こうした受刑者は、仮に更生意欲を持って刑務所を出ても出所後の経済的不安、健康、前科、住居等のあらゆる生きるすべについての障害によって、半分以上が再び刑務所に戻ってくる。

受刑者の社会復帰のための行刑の課題

受刑者は自らの犯した犯罪(反社会的行為)に対する当然の結果として、受刑者の自由を拘束すること(自由刑)は当然である。その刑は基本的に受刑者の社会復帰を目指した矯正教育の場として刑務所は位置づけられているが、現実は、そうなっていない。

そして、受刑者の社会復帰を支援することが、結果的に社会の利益に繋がるという考え方が、刑罰思想の課題となっている。

矯正教育の旗印のもとに、実施されている諸施策(しょしさく)も、現実的には自由刑の目的を越えて非人道的な扱いを正当化する傾向がある。積極行刑(きょうけい)である再教育が必ずしも受刑者の社会復帰にとって効果的でないことが、主にアメリカにおいて反省されている。国際的にも、積極行刑が見直され自由刑に限定した行刑(刑の執行)である消極行刑が評価され、それに移行している。(pⅲ-ⅳ)


累犯者・刑務所への、頻回収容者を減少するための課題

なぜ刑罰を受けても犯罪を繰り返すのかという疑問が提起される。そこで、頻回収容者は「人間は自由の拘束が耐え難いが故に犯罪を留まるということに疑問が投げかれられている。つまり、自由刑では累犯・頻回入所を防ぐことが出来ないのではないかという指摘もある。(pⅳ)

著者はその指摘に対して、「刑務所生活に(受刑者が)慣らされなければ(受刑者たちは)受刑生活に耐えることが出来ない」現実の刑務所のあり方を問題にしている。つまり、刑務所生活に慣らされ、逆に一般社会に出ることに不安を抱く人間(受刑者)を育てているのが、現在の日本の刑務所の実態ではないかと指摘している。(pⅳ)

本書では、ワイマール憲法(1919年制定)に沿って、受刑者といえども「人たるに値する存在:であるという観点から、アメリカの刑務所での受刑者の人権擁護の状況を例に取りながら、日本のそれを分析しる。アメリカの刑務所がはるかに日本の刑務所よりも受刑者の人権は守られている。

しかし、アメリカは日本の数倍の犯罪が発生している。例えば、1998年の統計からも、日本では10万人あたり1.0人の殺人が起こっているのに比較して、アメリカでは6.3人である。つまり、日本は世界的にも犯罪の極めて少ない国であるが、その日本でも近年、受刑者数は増加の傾向にある。そして、刑務所では過剰拘禁(こうきん)の状態であると報道されている。
日本の刑務所での過剰拘禁状態の原因は、犯罪の増加のみでなく、重刑罰傾向と仮釈放率の低下もその原因である。

著者は、日本での累犯者・頻回入所者を減少されるために、以下の三つの提案を行った。
つまり、第一点目は、受刑者の生活環境の改善(食事、作業等々)について考えること、第二点目は他律的で受動的な生活スタイルの改善、つまり自己責任を常に意識し主体性を育てる受刑生活スタイルを考えること、第三点目は刑務所を外部との隔離社会でなく、外部と交流のある場にしながら、受刑者の社会復帰の心を育てることである。

著者のこの提案の基本には、社会から犯罪を少なくするための目的がある。その目的を実現するために、著者は、受刑者を人として扱うこと、つまり、受刑者の人権を考える日本社会の人権文化、その結果として刑務所が受刑者の人間復活と社会復帰を可能にする施設になることが述べられている。


受刑者の扱い


日本の刑務所と受刑者の現状

2001年には、日本には59の刑務所、8の少年刑務所と7の拘置所があり、一日平均40,768人の裁判が確定し懲役(ちょうえき)、禁錮(きんこ)及び拘留(こうりゅう)をされた既決囚(きけつしゅう)が収容されていた。また、一万人の未決囚(みけつしゅう)が拘置所にいる。既決囚の収容定員は48,393人であることを考えれば、ほぼ定員いっぱいの状態であると言える。

新受刑者は、刑の重さ、犯罪傾向の進行、性別、刑名、障害によって収容分類級が付けられる。また、処遇分類級に区分され、それらの級別に応じた刑務所に送られる。
新受刑者の約12%が凶悪犯罪者(殺人罪、強盗罪や傷害罪)で、窃盗、覚せい剤犯、詐欺、道路交通法違反が男子新受刑者の約53パーセントである。また、女子受刑者は、近年漸増(ぜんぞう)傾向にある。

刑務所ごとに受刑環境は異なる。例えば、北海道の東北地方より北の北海道以外には暖房はない。食事の質にも施設によって大差がある。


受刑者の人権について、入所時の検査、制限された人権、人間の尊厳とは何か

刑務所への押送(おうそう)は、護送車で行われるが、遠方の場合、刑務官が付き添って、手錠を掛けられ、二人以上の場合は体を数珠状(じゅずじょう)に繋(つな)がれて列車で運ばれる。一人がトイレで用を足すときは、他のものは繋がれたままホームで待たされる。手錠を見られないように一般の乗客に隠されているものの、その不自然な姿に屈辱(くつじょく)を味わう。

刑務所に着くと、新人調質(しんじんちょうしつ)に入れられ、本人確認がなされる。そして、入所時の身体検査が行われる。その時から、人権を無視された軍隊式の扱いが始まる。

刑務所は受刑者の自由を拘束するためにある。しかし、世界人権宣言や日本国憲法に謳われているように、受刑者といえども人間である以上、彼らに拷問や屈辱的で非人道的な取り扱いをしてはならない。また、生命の尊厳を考えるなら死刑は廃止すべきであると著者は述べている。

また、受刑者の人権の扱われ方が、「その国における人権感覚の国民一般のレベルを計るバロメータでもある」と著者は述べている。そして、日本の刑務所での受刑者の扱いが紹介されている。


日本型行刑

日本の刑務所での受刑者と刑務官の関係は刑務官がおやじ(父親)であり受刑者は息子の関係が成立し行刑(ぎょうけい)がなされている。刑務所では受刑者は刑務官を「おやじさん」と呼んでいる。この日本型行刑(受刑者は刑務官に絶対的に服従する関係)によって、日本では刑務所で暴動が起こることはない。

しかし、受刑者が何らかの理由で懲罰審査会にかけられた場合など、行政裁判の証人として親である刑務官が子である受刑者の味方になってくれることはなく、結局は、受刑者は刑務官への不信感を持つことになる。刑務官への敬愛は憎悪の念となって残ることになる。


監獄法の変遷

現行の監獄法は、大日本帝国憲法下で制定されたもの、つまり100年前のものである。言い換えると、監獄法は、基本的人権尊重を謳う日本国憲法の法の精神に基づき制定されたものではない。ここに現行監獄法の基本的問題がある。

日本で最初の監獄法令は、1872年(明治5年)から1873年までの「監獄則並図式」(かんごくそくならびずしき)である。1880年(明治13年)に旧刑法、1881年に第一次監獄則(フランス・ベルギーの行刑制度に習った)、1889年に第二次監獄則(ドイツ方式)、1908年現行監獄法が制定される。(p17)

小河滋次郎(おがわしげじろう)が現行監獄法を起草した。現行監獄法の特徴は、懲罰の法律化、処遇の個別化、独居拘禁制(どっきょこうきんせい)の採用で、当時としては監獄法の国際基準から優れたものであった。今日、この法律が存続しているのは、それなりに監獄法の国際基準を満たしていたからである。(p17)

しかし、小河が起草した当時の理念が空洞化している。例えば、同法第15条にある独居拘禁制は受刑者の人権を守るという趣旨でなく、むしろ、その逆に昼夜にわたる厳正独居(げんせいどっきょ)という懲罰の手段として使われている。(p18)


成績評価と累進処遇

1932年に施行された「行刑累進処遇令」(ぎょうけいるいしんしょうぐうれい)は、監獄法に基づかない単なる命令であるが、この命令が実際の受刑生活のすみずみにまで及び、事実上、刑務官の一方的な査定に受刑者の処遇が任されている。 

行刑累進処遇令によって受刑者の成績(受刑生活態度への評価成績)の向上に応じ、第1級から第4級までに区分された階級段階を順次昇進させる。上級になるにつれて漸進的(ぜんしんてき)に拘束条件を緩和する措置が取られる。この判断の全てが刑務官に任されている。

つまり、近代法の精神である、実質的な権利と義務の関係の法的規制ではなく、刑務所の刑務官の判断で受刑者の扱いを決定することが出来るようになっている。


日本の行刑の100年

小川太郎は日本の行刑の歴史を五段階に区分した。まず、最初の段階が日本の行刑は明治新政府の設立から10年間で監獄制度が目まぐるしく変化した混乱の時代である。すぐ後、次の第二段階で、ドイツ方式を取り入れた厳格な刑罰の時代・懲戒主義時代が来る。

そのあと監獄法が制定までを管理主義時代と呼ばれる第三段階が訪れ、その次の第四段階は、戦時中に受刑者を勤労奉仕に参加させた人道的処遇時代(本当に人道主義があったのではなく、戦中の人手不足の解消のために受刑者を使用した)である。

最後の第五段階は戦後から現在までの期間で、科学的処遇時代である。

受刑者の権利保障に関わるものは、法律以下の政令、省令、通達と呼ばれるもの、刑務所長の達示(たっし)であり、刑務官の現場での指示である。現場に最も近い刑務官の指示が受刑者の人権に直接かかわる日常生活に規制を加えるものになっているのが日本の行刑の現状である。

行刑の密行主義

日本の行刑の基本原則の一つに「行刑密行主義(ぎょうけいみっこうしゅぎ)」がある。

もともと、この密行主義の原則は「国民の健全な良心を傷つけない」ことが目的であった。刑務所の実態をひろく社会に知らせることが、受刑者の「良心を傷つける」ことになるなら、まさに「臭いものに蓋(ふた)をする」類(たぐい)のものである。

近代行刑においては、受刑者の再教育と改善を行刑目的とし、秩序維持を図りつつも、開放施設や受刑者の社会復帰を促進する実務工夫が求められている。

刑務所は一般社会に可能な限り密着する必要があり、施設の運営の許す限り一般に公開される必要がある。行刑密行主義優先の時代は終わった。刑務所の情報公開と受刑者とその家族の結びつき、地域社会との連携のもとに刑務所を社会化するための工夫が必要である。

開かれた刑務所を目指しつつ行刑の専門化が追求されなければならない。(p21)


受刑者処遇の責任者

刑務所や少年院等を管轄する法務省矯正局の最高責任者は形式的には法務大臣であり、行政的には矯正局長である。しかし、現実は矯正実務の経験のない検察官の専権(せんけん)ポストとなっている。矯正局の総務課長などの重要職も、ほとんどすべて検察官で占められている。

出世したほんの僅かな定年間近(ていねんまじか)矯正実務畑出身者が、矯正管区の管区長になる。その管区内の各刑務所の所長がいる。この刑務所長が事実上の実務責任者となる。しかし、彼らも2、3年で転勤する。

従って、受刑者と現実に接触しているのは、転勤のほとんどない長年看守として勤め上げた現場の人たちである。彼らも刑務作業の成績を上げなければならない。刑務所の規律と秩序優先の管理をしなければ自らの保身は出来ない。

つまり、刑政は極めて官僚的に執り行われている。これまで、矯正界(刑務行政)の改革を呼びかけた人々もいたが、現実は、省令や通達にいたる法令すら外部に公開することを禁じるよう状態である。


規律中心主義はなぜ続くか

日本の刑務所は、悪い意味での密行主義に年々傾いている。その批判すら許されない。そのため受刑者処遇は規律による管理主義が優先されている。何故なら、刑務所内での刑務官の管理し易い方向で、刑務所の行刑実務が行われているためである。

孫斗八(そん・とうはち)死刑囚がはじめて刑務所を提訴した。このはじめての1958年の大阪地裁での行政裁判で孫氏は部分的に勝訴したが、全体としては敗訴した。その後も多くの訴訟が受刑者によって提起されている。そのほとんどは負けている。何故なら、受刑者にとって国を相手の裁判提起にかかわる条件が、不利であるからだ。

刑務所の管理者は受刑者の告訴に備えて万事怠りない対策を準備し、その後、受刑者への締め付けが強化され、受刑者の人権意識への自覚に逆行して、行刑実務者の人権意識は薄くなっている。


市民としての権利の制限

選挙権および被選挙権

公職選挙法によって受刑者(禁固刑以上の刑に処されている者)は選挙権および被選挙権を持てない。仮釈放後も刑の執行期間が終了するまでは上記と同じ条件となる。(p27)

また、同法によって未決勾留中(みけつこうりゅうちゅう)の被告人、勾留執行中、婦人補導院収容中の者、つまり自由刑でも、三十日未満の勾留刑の者は不在者投票を認めているが、禁錮以上の受刑者には(被)選挙権はない。(p28)

選挙権の剥奪によって、刑の執行状況等が市町村役場に通知され、戸籍を所管する市町村での犯罪人名簿への登録が行われ、選挙人名簿の調整によって選挙権の喪失が確認される。つまり、基本権の一つである選挙権が刑務所収容によって自動的に剥奪されることになる。その剥奪は、自由の拘束(自由刑)に加えて付加刑(ふかけい)として受刑者への社会制裁を認めることを意味しないかと著者は述べている。(p28)

ヨーロッパやアメリカでは、基本的に受刑者の選挙権を認めている。刑務所内での不在者投票が行われている。選挙にかかわる罪を犯した受刑者に選挙権や被選挙権を停止することは理解できるが、一般受刑者にその権利を奪うかについての明白な根拠が見出せない。(p28-29)

選挙権は憲法上の基本権である。またすべての市民が選挙権や被選挙権をもつとする自由人権規約第25条にも違反する。自由刑(身体の自由を奪う刑)として刑務所に収容された以上、住居制限を受けることは避けられないが、しかし選挙権(被選挙権)の停止は自由刑の目的を超えた思想や良心への侵害であるという認識も問われるべきであると著者は述べている。(p29)


住民票

受刑によって刑務所への住居移転は生じるが、刑務所は法的に住居ではないため、住居移転手続きは成立しない。しかし、受刑者の場合、長期不在が明らかになれば、住民基本台帳第3条により、住民票から抹消されることになる。取り分け、受刑者の場合、家族のない者、刑務所入所後に離婚した者が少なくないため、市町村からの公的通知書が宛先不在となり返却されるために、不在の確認がなされれば、住民票を市町村は抹消せざるを得ない。だが、長期不在者が必ずしも住民票から自動的に抹消されている訳ではない、例えば長期海外生活や入院する者は、生活の根拠があるために、自動的に住民票を抹消されない。(p29-30)

日本社会では住民票が無い場合、多くの不利益や基本権を失う。例えば、健康保険の資格の放棄、ただし日雇労働者は日雇労働保険手帳がある。これがあれば国民健康保険に以前は加入できたが、最近では住民票がなければ加入できなくなっている。(p30)

住民票をなくした受刑者は、出所後、改めて住民票を取得しなければならない。出所後、多くのものが家族と無縁になっている場合、ホームレスになっていく。出所後、身元引受人のもとに帰住(きじゅう)するか、厚生保護施設での宿泊措置を受けることで、一時的に住所を確保し、住民票を取ることは可能である。それをあえてしない「自助の精神」の欠けた者は自ら社会福祉を受ける権利を放棄した者と看做す(みなす)ことも出来るだろうが、長期の刑務所収容の結果として住民票を失うこと自体が、自由刑の目的をはるかに越えた、受刑者の社会復帰を阻害している現実を理解すべきである。(p31)

海外、例えばアメリカでは、日本のような住民票や国民健康保険制度がないために、少なくとも住民票を失うことによる障害は生じないため、住民票を失うことによって生じる社会復帰の障害も同時に生じない。(p32)


医療保険 健康保険法の問題点

法的には刑務所に入所したからと言って社会保険、国民健康保険の資格を失うわけでないが、実際的には、それらの資格を失う。社会保険は逮捕や有罪判決の出た時点で解雇されるのが普通なので、そこで事実上資格を失う。国民健康保険も収監(しゅうかん)されてから保険料の納付が事実上不可能になるので、資格を喪失する。(p32)

刑務所での医療給付は健康保険法第62条によって適用されていない。同様に国民健康保険法第59条と船員保険法第53条でも受刑者へは支払いされない。老人保健法でも同様である。受刑者は、これまで支払ってきた医療保険に関する一切の医療補助の権利を失い、医療費適用されていないことになる。(pp32-33)

受刑者の健康管理は国と行刑実務機関(矯正行政・刑務所)が行うことになる。刑務所には医療体制がある。しかし、それは極めて粗末なもので、これまでの医療と同じ質のものを受けたい場合には、自費治療となる。金のないものは、例えば入れ歯の治療(前歯ではほぼ20万円)すら受けられないことになる。人工透析、糖尿病治療なでの治療が出来る刑務所は限られている。(p33)

1996年に未決拘禁者(みけつこうきんしゃ)が国民健康保険法第59条(刑務所に入所した場合、保険適用者から削除される)は憲法違反であると山口県弁護士会人権擁護委員会に訴えた。同委員会は「59条は合理性に疑いがある」と判断した。その結果、歯科治療が受けられた。一般に、半年以上の未決拘禁者には通常、この59条が適用され、自費医療が原則化しているのが現実である。(pp33-34)

犯罪者は健康保険により治療する身分でないという考え方が支配している。この考え方は戦前の救護法にある。戦後、生活保護法も同じ考え方を持っていたが、1950年に改正され「素行不良な者」でも平等に適用されるようになった。(p34)

国際規約である自由人権規約第10条では「刑行の制度は、非拘禁者の矯正及び社会復帰を基本的目的とする処遇を含む」ことを保障している。この規約を批准したわが国の刑務所の医療のあり方は国際準則からみても問題があると言える。(pp34-35)


労災保険

監獄内の刑務作業中の災害には労働者災害補償保険法の適用はない。受刑者の災害補償は1985年に出された「死傷病手当金給与規定の運用について」(依命通達)の規定がある。手当金の基準は労働基準法や労働者災害補償保険法を参酌(さんしゃく、参考)して積算(せきさん)されていると言われているが、2000年度の積算額をみると、一般労働者の補償額の四分の一となっている。(pp35-36)

刑務所作業は労働ではなく刑行(強制的な労働)でるということが、一般労働者の補償額の四分の一に受刑者への支払金額がなる根拠とされている。しかし、受刑者の強制労働中の災害に対して、「死傷病手当金給与規定の運用について」の規定をもうけ労働基準法や労働者災害補償保険法を参酌(さんしゃく、参考)した基準を定めたという以上、この依命通達でも、刑務所での強制労働を労働として認めたことを意味しないだろうかと著者は述べている。(pp36-37)


年金保険

国民年金法の障害基礎年金は拘禁されたときはその支給を停止することになっている。停止であるから、在監中(ざいかんちょう)は、保険料の納付免除を申請し、出所後に免除期間の保険料を払うことは可能である。(p37)

その他の厚生年金保険法で定められている年金の支給停止はない。しかし、本人が申請しなければならないため、在監中、家族や施設の協力が必要である。(p37)

問題は、年金を支払うためには、住民票の存在が前提であるため、刑務所収容に伴い受刑者は住民票を消除されるので、実際は年金受給資格を持つ者も、年金の支払いを受けられない場合が多く発生する。受刑者には形式的には年金受給の権利を与え、事実上は不支給や失格にしている。(pp37-38)

ヨーロッパ評議会の理事会が1981年に採択した「被拘束者の社会的身分に関する勧告914号」では、社会保障資格は受刑者の社会復帰にとって基本的な要素の一つであるため、その権利を市民と平等な状態に近づけるべきであると勧告している。(p38)


雇用保険

雇用保険法で定める失業の定義が受刑者には適用されないため、失業保険の適用は監獄収容者には適用されない。

失業保険の給付期間は一年であるから、多くの場合、逮捕や刑務所収容と同時に解雇となる場合が多いため、この要件を満たすは困難であり、受刑者が失業保険を受給することはできない。もし、刑務所作業を労働として認めれば、雇用保険の継続は可能であるが、懲役は労働として認められていないために、失業保険の適用はないし、また、労働者の理由で辞める場合には、失業保険の受給資格を得られないため、受刑者はその点でも受給の可能性を失う。(pp38-39)

しかし、ヨーロッパでは、原因がどうであれ受刑者も失業したのであるから、受給資格を持つと考えれば、失業保険の対象としている。(p39)

 
国際的視野から見る


刑務所収容と「法の支配」

行刑に関する国際準則は、条約、採択、決議の段階がある。条約を批准(ひじゅん)しているかどうか。法的拘束力の有無、解釈の相違がある。日本人・日本としての条件が付いている場合もある。(p39)

著者は、人権は普遍的なものであるから、国や社会、地域性によって人権感覚が捉えられてはならないし、国は国際基準を無視してはならいと述べている。(pp39-40)

この国際準則の批准に関して留意すべき第一点目は、まず法律によって規定された関係として刑務所収容に関する国家と受刑者の関係を位置づけていることである。つまり、国家と受刑者の権利義務関係に法的規制を与えることを意味する。これは法治国家の基本理念に基づき行刑が行われることを意味する。つまり、自由人権規約を批准した国は、この規約において認められた権利実現するために必要な立法措置を取ることを約束したことになる。(p40)

第二点目は、法の支配は有効でなくてはならないことである。例えば、受刑者の不服申立制度があったとしても、受刑者が不服を正当に申し立てることが出来なければ、受刑者の人権は尊守されていないことになる。その場合、受刑者は国際機関(国際人権裁判所等)に不服申立てが可能であることが実質的な課題となる。(pp40-41)


国際条約と日本

行刑に関する不服申立制度について日本は制度として存在している。しかし、その制度は実質機能していない。さらに国際機関への不服申立てはきわめて困難である。つまり、日本は自由人権規約を批准しながら、その内容を果たしていないことになる。(p42)

国際条約を形式的に批准しながら、実質的に批准を回避していることで、国際社会から「人権において日本は発展途上国である」と言われている。国際機関への不服申立に関する国際基準を満たす制度を日本が拒否している限り、日本の受刑者の人権が国際基準から見ても容認されるレベルにないと評価される。(p43)


最低基準規定と自由人権規約の現状 

1995年の犯罪予防及び犯罪者処遇に関する第九回国連会議で「非拘禁者処遇最低基準規則の実践履行に関する決議」が採択された。この決議の主な5点に関する決議内容の実施を加盟国に要請した。

この1995年の決議は、1955年に決議された非拘禁者処遇の最低基準規則の実践履行に関する決議であった。しかし、日本政府は、報告書で「各国制度の特殊性に対する十分な配慮を欠いているがために活用されないままになっている基準・規則については、これを多くの国で実施しやすいように修正することが検討されるべきである」と述べた。つまり、1955年の最低基準を引き下げることを提示したのである。これが日本政府のもつ国際的人権感覚ではないかと著者は述べている。

日本の裁判所(司法でも)自由人権規約の最適基準に適合するように国内法の整備をする必要があるために、例えば、受刑者の接見交通権に関して、国際条約を優先する判決が1999年高松地裁で出たが、2000年、高等裁判所はこの高松判決を破棄した。

1998年10月に開かれた第四回規約人権委員会では、日本の刑務所の処遇問題に関してつぎの6点を指摘した。(p45)

一点目は、受刑者の自由な親交の権利とプライバシーの権利等を含む基本的な権利を制限する苛酷な所内規定がある。

二点目は、厳正独居頻繁な使用を含む苛酷な懲罰手段

三点目は、公正な規則違反者への懲罰決定の手続きの欠如

四点目は、刑務官の報復行為に対して、受刑者の不服申立ての不十分な保護

五点目は、信頼できる受刑者の不服申立て調査システムの欠如

六点目は、残虐非人道的取り扱いとなる皮手錠のような保護手段の多用

日本弁護士連合会(日弁連)は1999年2月に、「国際人権(自由権)規約委員会の勧告を実施する応急措置法案要綱」を発表し、第四回規約人権委員会の日本の刑務所の処遇問題点の改善、受刑者の処遇改善を提示している。(pp45-46)


第一章「受刑者はどのような存在か」に関する批評

 
累犯者が非常に多い日本社会

インターネットの検索エンジンで「犯罪加害者」と「人権」の二つのキーワードを入力すると、ほとんどのサイトで「犯罪加害者には人権はない」という内容の文章に出会う。もし、彼らに人権がないなら彼らは日本国民ではないと言っていることになる。何故なら、わが国の憲法によってすべての国民が基本的人権を擁護されているからである。

犯罪被害者が犯罪加害者に対する憎しみや怒りの感情は理解できる。しかも、第三者がその犯罪被害者の気持ちを痛感し、また自分が犯罪被害者になることへの恐怖から、犯罪加害者への批判や憎しみの感情があるのは理解できるし、そうした社会的反応が起ることも不思議ではない。

犯罪学の専門家として有名な菊田幸一氏の著書によると、累犯者(るいはんしゃ 繰り返し犯罪を犯す人々)は、男子の場合2000年の統計では刑務所の全収容者の52.5%に及んでいる。つまり、刑務所の「初入者より再入者が多い」ことになっている。(KIKUko02A p.i )


刑務所の社会的機能 受刑者の社会復帰

この事実から、二つの仮説が立てられる。一つは、最犯罪率が高いのは日本の犯罪者の特徴ではなく、犯罪者とはつねに犯罪を再び繰り返す傾向にあると言える。この仮説は世界の犯罪者の再犯率を調べることで検証できる。二つ目の仮説は、本来刑務所は受刑者の犯罪行為を反省させ、再び罪を犯さないように教育矯正する社会的機能を担っているが、日本の刑務所はその社会的役割を十分発揮していないというものである。この事も、前記した仮説と同様に世界の先進国の再犯罪率の統計を見ることで検証可能である。

犯罪加害者という名称を与えることで犯罪者が生涯償えない加害者としての履歴を背負うことになる。彼らが刑務所で刑の執行を受けたとしても、元犯罪者という呼び方は彼らに生涯、刑務所での刑罰に服し、被拘束生活と刑務作業を続けたとしても、一旦、罪を犯したものは再び社会が許すことはないという烙印(らくいん)を意味する。

この烙印は、江戸時代、窃盗などの犯罪者に入れ墨を入れ、三回入れ墨が入る死罪となる制度と似ている。中世社会までは、犯罪者が生れないようにするのでなく、犯罪者を社会から排除することが社会の犯罪対策として取られていた方法であった。しかし、現代の人権擁護を基本する憲法を持つ社会で、罪を犯した者を社会から徹底的に排除することは、人権問題となると言える。

人権の守られている社会とは、人々の生命と生活を守ることが出来る社会を維持するために、犯罪が発生しないように機能している社会である。そのために、犯罪者を逮捕し、裁判にかけ、刑務所に入れ、再び犯罪を繰り返さないよう矯正教育を行い、そして彼らの社会復帰を助けることが社会の大切な治安機能の一つである。防犯とは犯罪を未然に防ぐことであると同時に、犯罪者を出さないような社会を作ることを意味する。


市民の人権擁護・防犯と受刑者の人権擁護・社会復帰

また人権問題を考える以上、刑に服している人々を「犯罪者」と呼ぶのでなく「受刑者」と呼ぶことにする。受刑者が再び罪を犯し、累犯者となることを防ぐにはどうすべきか、それが、この社会の安全対策につながる。人権擁護と防犯は矛盾するとは思われない。もし矛盾するなら私たちの社会は人権擁護の思想を破棄し、江戸時代のように、罪を犯した人々を徹底的に社会から排除し、また死罪にして、抹殺し続けなければならない。

現代社会でも中国のように、麻薬を持っていたという理由で死刑になる国もある。その国では年間数千名の人々が死刑になっていると謂(い)われている。刑罰を強化しながら中国政府は国の治安を維持している。インターネットでも中国で行われていた公開の銃殺刑の写真が出回り、人権感覚のない国として悪評を買っている。

人権擁護を掲げる先進国では、受刑者の人権を考える法律や社会制度が存在している。つまり人権を守る社会では、極刑をもって犯罪者を抹殺するのでなく、犯罪者を出さない、累犯者にさせない社会のあり方を市民が積極的に考えなければならない。そのきっかけを裁判員制度は与えるだろう。市民生活の安全を守るために犯罪を防ぎ、犯罪者の社会復帰を助け、累犯者を出さない社会を構築していくために、もう一度、受刑者の人権問題を考えてみよう。



参考資料

江戸時代の刑罰 http://homepage2.nifty.com/kenkakusyoubai/zidai/keibatu.htm
刑罰の一覧 Wikipedea http://ja.wikipedia.org/wiki/
三石博行 教材「レポート材料の作り方について」 A4、8p
三石博行 教材「河野哲也著書を活用したテキスト批評の書き方実例紹介」A4、10p






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