2011年2月24日木曜日

日本の大学教育の歴史的変遷と教養教育の改革

学ぶ姿勢を身につける教育を目指す・教養教育の課題 

三石博行


社会変化によって求められる大学改革

戦後日本社会の発展を牽引した要素の一つが「大学教育の大衆化」であった。高等教育は科学技術の発展によって支えられている生産体制(高度な専門的職業種目の形成とそれに伴う分多様な分業体制の形成)を支えてきた。高等教育の大衆化によって高度な経済生産力を生み出してきた。つまり、資本主義経済の発展と科学技術の進歩は不可分の関係にある。

言い換えると、社会の生産力(生産体制の量的能力)や生産物の付加価値を高める生産能力の質向上を支えたのは、労働の質である。労働の質を保証するために社会は教育機能を所有し、資本主義社会では義務教育制度と高等教育制度が必然的に整備され続けるのである。教育は国家の計であるという考え方は、近代と現代国家の国力を支える労働力の質を形成する機能としての教育制度を語ったものである。

20世紀後半、欧米日本の先進国を中心にして、科学技術文明社会へと社会システムは変貌して行った。科学技術立国、情報化社会、国際化社会等々の国家的スローガンは、我々の社会が科学技術を土台にして発展することを自ら理解したことを物語るものであった。そして、戦後、70年代まで、日本社会では、大衆化した大学から生み出される高度な知識を持つ若者、その若者を採用し企業は発展してきた。

1980年代になり、高度経済成長を終えた日本社会では「科学技術立国」のスローガンの下に国家的な産業構造の改革が行われる。それまでの産業構造、つまり製鉄、造船や家電製品を中心とする製造業から自動車、情報機器や新素材産業の最先端科学技術を駆使した産業を中心とする社会経済構造への変革を行った。そして、これらの新しい社会的ニーズを支えるための大学の社会的機能、国際競争力を持つ研究開発型大学と科学技術文明社会を底から支える高等教養教育型大学が問われたのであった。


専門教育課程へ解体再編された教養教育課程・1980年代の大学改革の流れ

教養教育の改革は、1980年代から始まった。まず、教養課程の見直しと、教養部の廃止であった。その理由は、大学教育における教養教育と専門教育の関連性を求める課題から生じた。戦後日本の大学では2年間の教養課程が設定されていた。その理由の一つに、新制大学に移行する前に戦前から存在していた旧制高等学校の高等教育制度が、戦後、新制大学にそのまま移行され、旧制大学の教育を専門学部とし、旧制高等学校の教育を教養部に移行してきた歴史があった。

つまり、新制大学は教員の視点から観ても、旧制高等学校出身教員と旧制大学出身教員によって構成されることになる。当然、教員間の格差や教育の領分が明確に分離された状態で新制大学は始まる事になる。この流れには、教養教育と専門教育の分断が生じ、専門教育を行う側から教養教育のカリキュラムへの要請は殆ど不可能であった。

1970年代に入り、前節で述べたように、知識集約型の社会生産構造が形成され、高度な専門的知識が要求されるようになると、社会は高度な専門教育を大学に対して要求することになる。しかし、大学では2年間は共通教育科目の単位修得に学生は多くの時間を割かれているために、専門教育のカリキュラムを改革することは出来ない。

大学四年間の教育の質、専門教育の質を上げるために、教養教育課程(教養部)を廃止し、専門教育課程にこれまでの教養課程の教員を所属させることになった。そして、教養部の廃止を積極的に推進したのは、1992年の大学設置基準の改正であった。この改正によって国立大学では教養部が廃止された。勿論、京都大学などの大きな大学では教養課程を学部として独立させ、そこで新しい学際的教育研究部門を形成させ、横断的学問領域研究を専門的に行う研究者の養成と教育を行なった。つまり、大学によって教養教育課程の再編は大きく異なるのであるが、一般に日本の大学教育では、専門学科学部教育課程にこれまでの教養課程のカリキュラムを組み入れることになる。


専門職養成学部か一般職養成学部か・2000年代の新たな大学の姿

しかし、時代の流れは科学技術文明社会の形成をもっとラジカルにそして早いスピードで進めることになる。1990年代になると、大学四年間での専門教育のレベルを「専門教養教育」と位置付け、大学院修士課程(前期博士課程)の大学院研究科教育から「専門教育」と呼ぶようになった。高度な専門分野に分かれ社会生産機能を担う組織、企業、公共団体、NPOやNGOなどでは学部教育で身に着けた専門知識は、専門的業種の仕事から見れば、基礎的知識に過ぎないのである。

社会が大学の学部教育へ要請することは、専門基礎知識、専門分野の教養知識を身につけることになる。社会は大学の学部教育に対して、即戦力を発揮する人材や修得した知識を即活用する能力を期待しない。四年間の学部教育では、企業が必要とする知識はまったく期待できないのである。これが、現在の大学と社会の相互期待のずれを生み出す状況を作っている。

つまり、大学学部教育の中で大きく二つの傾向が生じる。一つは大学教育課程が即社会の中で専門職のための教育課程として評価認定されている学部、例えば医学部、歯学部、薬学部、獣医学部、看護学部や医療関係の専門教育学科、航空大学等が挙げられる。これらの学部では、国家試験によって専門職の資格取得が学部教育の課題となり、その資格取得率が入学競争率にそのまま反映されることになる。
その次に専門職を育成する教育を行う学部は工学部、理学部、農学部や情報関連学部などの理工系専門分野の学部である。

そして、一般的に人間社会学に関する学部、文学部、経済学部、経営学部、法学部などは、学部教育が卒業後の専門職へつながる率は極めて低くなるのである。つまり、学生の側からすると、それらの学部を卒業したとしても、その専門的知識を社会で活用する可能性は極めて低く、社会の側からすれと、人間社会科学系の学部とその卒業生に対して、大学教育に対する期待は少ないことになる。

そして、就職したいなら大学に行くより専門学校で資格をとる方がよいといわれる時代が2000年には登場したのであった。就職活動という視点から観るなら、現在の日本の大学には現在、二つの学部が存在する。一つは専門職養成学部であり、もう一つは一般職養成学部である。そして、就職難の時代に、専門職養成学部に学生が集まるのは当然の流れなのである。


専門職養成学部が必要とする教養教育

当然のことであるが、専門職養成学部と一般職養成学部とでは教養教育に関する捉え方が異なる。何故なら、専門職養成学部にはその学部教育を全国的に評価ランキングされる国家試験が待っている。このランキングで上位に上がらなければ入学者を得ることが出来ないという緊張が学部教育を支配する。しかし、この学部存続を掛けた緊張は一般職養成学部には正しく理解して貰えないのである。

専門職養成学部にとって教養課程は、専門教育のために役立つものであることが第一要件となる。そのために、学部によって教養教育への具体的な要請が少しずつ異なることになる。特に、専門職養成学部では、教養教育で重視したい科目として、リメディアル教育が挙げられる。何故なら、専門職養成学部では、理数系基礎知識がなければ学部学科教育に学生はついていけない。しかも、入試科目にない入学者は必要な理数系科目の知識が不足している場合が生じる。そのため、これまで多くの大学で高校の理数系教育を教養課程で行っている。

一般職養成学部でも読解力や表現力に関するリメディアル教育は大切である。一般に専門職養成学部と一般職養成学部の二つの学部で共通するリメディアル教育として、日本語力や外国語力の両方の語学がある。その点で、英語教育が重要視される。

学ぶ姿勢を身に着ける教育・教養教育の課題

大学教育で述べられる基礎学力の中に、学ぶ姿勢・学習への積極的態度が挙げられている。そして高校との違いを「自分で調べて自分で学ぶ」と入学式からオリエンテーションまで言われ、最初に受けた授業では、高校のように教師は板書しないし、パワーポイントで教材が見せられ、殆ど教師の話を聴く事になる。

授業のスタイルがまったく高校とは違うことは理解できるが、講義をノートに書き写し、それを整理する方法も見つからない。また教師は教えてくれない。そして突然、レポートの提出が言い渡される。インターネットで調べて書いたら、「プレジャリズム」であると批判され評価は不可になる。(1)

つまり、現在の日本の大学の学生は高校時代までの学習文化と大学入学後の学習文化のギャップに苦しんでいる。大学教育文化へのカルチャーショックを受けて、そのショックから立ち上がれない学生が無数発生しているのである。

その大きな原因はこれまでの大学教育のあり方にある。つまり、大学教授法を学ばなくても大学教員となれ他のである。初等教育や中等教育を担当する教員は教授法を厳しく学び、そして職場でも個々人の教授技能や知識を点検される。しかし、大学では「研究者」という肩書きを持つことによって、教授法を相互に点検する作業が徹底しない。こうした問題を解決するために日本でも2000年代になってFD(Faculty Development )が提案され精力的に大学教育改革・教授法の改革が行われている。(2)(3)

これまでのエリート教育としての大学教育から、大衆化した大学での大学教育のあり方が検討され、大学教育の三つの課題が取り上げられている。一つはこれまでの講義形式でも可能であった「知識の修得」であり、二つ目は情報処理技能や統計処理などの「技能のスキルアップ」であり、三つ目は「積極的に学ぶ姿勢を身に着ける」ことである(4)。

特に、三つ目の課題に関してはこれまで教授法が開発されていない。その一つの方法としてPBL(Problem Based Learning )による学習法が取り入れられている。有名なPBLはアメリカのハーバード方式やその改良型として最近評価されつつあるUCSF(カリフォルニア大学サンフランシスコ校)方式がある。特にUCSF方式に関しては、龍谷大学教育開発研究センターはUCSFでPBLを実践しているKevin教授を招待して講演会を二回開いている。(5)今後、PBLを導入した教育の開発が必要となる。そして現在、高等教育研究会としてアメリカのPBL教育を推進するUCSFとの共同研究プロジェクトが企画されようとしている。


参考資料

(1) ゴールドコースト通信
   http://www.interq.or.jp/pacific/rikki/html/plagiarism.html

(2) 北海道大学FDマニュアル 「FDの目的と意義 -大学教員の職務について-」
http://socyo.high.hokudai.ac.jp/FD/fd.pdf

(3)法政大学 教育開発支援機構FD推進センター
  http://www.hosei.ac.jp/kyoiku/fd/greeting/index.html

(4)三石博行 「現在の三つの大学教育の課題」
  http://mitsuishi.blogspot.com/2010/07/blog-post_14.html

(5)龍谷大学教育開発研究センター主催 河村能夫教授の司会及びKevin教授との共同討論による「KEVIN .A. MACK 先生(カリフォルニア大学 サンフランシスコ校 教授)2007-第2回 「Leveraging Inquiry into Knowledge-Where's my syllabus? 」
  http://www.ryukoku.ac.jp/faculty/fd/salon/sa_2007.html#02




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ブログ文書集 タイトル「大学教育改革への提案」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/04/blog-post_6795.html
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修正(誤字) 2011年3月1日






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