2012年1月19日木曜日

ブログという知的生産の技術について

生活行為や思索点検としての文章化作業 


三石博行



メモ帳を使った作業

殆どのアイデアは、メモ帳にまずスケッチされる。それを発想のスケッチと呼ぶ。メモ帳には、アイデアのみでなく、インターネット等々の情報も入力される。これらの材料が、ブログ文章を書くためにまず必要となる。

メモ帳を使って、まず、思ったままを書いてみる。書きながら考えがまとまる。勿論、まとまらない場合が殆どだろう。しかし、書くことで思索作業が進むことは確かだ。

メモ帳と使った作業で、公開して良いもの、つまり、他人が時間を費やして読む価値があると私が主観的に判断したものだけをブログで公開する。

このメモ帳を使った作業の目的は、ブログの文書や論文の準備ではない。あくまでも思うままのこと、ヒョイと浮かんだ考え、アイデアを書き写すためのものである。思うままに書くことに、このメモ帳に書く意味がある。


ブログを使った作業

日々考えることを書き綴る道具としてブログと呼ばれる日記風の文書化がある。ブログは公開される文章である。そのため、自分の思うままに書くことをそのまま公開することは出来ないだろう。それらの文章が意味不明、人々の気持ちを害する、まったく他者の興味のない、つまり公共性を持たない等々の可能性がある場合、文書の公開は百害あって一利なしと呼ばれる結果を生むだろう。それが明らかなら、あえて文書を公開する必要はない。公開という作業は、公開することの意味を前提にしていることで可能になっている。

もし、情報の公開という作業を自分だけの自己満足の作業にするなら、インターネットという社会的資源の無駄遣いをすることになるだろう。また、それによって、他者に不愉快な気持ちを与えたり、まったく世の中の理解を得られない情報、間違った情報を発信することはあまりよいことではないと思う(これは私個人の考え方であるので、他の人に強制しようとは思わない)。

社会に伝えたいことをスケッチし、それらが一定の形式や内容(中身)を得ることが出来た時、その文章をブログとして公開する(社会に伝える)。これが私流のブログ文章化作業である。そのため、私はブログ文書はテーマを絞り、できるだけ分かりやすく書くこと、そして短い文章にすることに努めようと思う。

ブログを書く作業で、例えばスケッチした文章をブログ日記に書きなおすことになる。その中で、ブログ上の文書編集を行う。それらの文章は一定のテーマを与えられ、何らかのキーワード(中心テーマ)が与えられる。それらのキーワードとは日常的に思い続けている課題とリンクしている。

私の場合、ブログで書く作業とは、日常生活の中で思索し続けてきた課題を纏めるということを意味する。つまり、ブログを書くことで、それらの課題を顕在化し、継続化し、分析、整理し、自己の中にある他の論理や指向性との整合性を求めることになる。一般に書くという作業が、こうした自己整合性の確認や点検の実験を意味する。そこで、私はこのブログのタイトルを「生活運動から思想運動へ」としたのだ。

もし、生活行為がある生き方に従うように企画されるなら、そこには大まかな生活行為の指向性が生じる。それらするいてみる。そして、それらの思索が方向性を持つ限り、それらの思索を綴った文章は、断片から文章集に変貌するだろう。そして、文書集への変貌は、断片的思索を一定の方向に導きまとまった主張に発展する。そのために、文書集の目次が書かれ、また、その中には予定された文章項目が入ることになる。説得力のある主張を行うことが、文章集を作る作業の目的である。

しかし、それらの文章が予定されたように完成される保障は何もない。それらの予定は常に頭の中で描かれたものでしかない。そのため、内容をの構想にすぎない。多分に、予測された文書集の目次とは別の展開が始まることになる。しかし、それらの全ての作業が、ブログを書くという思索の点検や再編集作業、思考実験であると言えるだろう。

文書の進化過程は、以下のようになる。
1、文書編集
2、文書集の編集
3、文書集としてまとめる。

ブログ文書の形式は、文章だとブログ形式で十分であるが、論文形式の場合、表や図面が入るとそれらをを張り付ける必要がある。そのための、技術的な問題を解決してきた。そして、それらの文章が最も簡単にPDFファイル形式で作成できるので、その文章をホームページに添付することになる。


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