2012年4月16日月曜日

ポスト311時代のメディアとしての市民メデァイの社会的機能

何故 報道機能の改革が必要なのか(2)


三石博行


「ポスト311時代のメディアとは~公共的なメディアを取り戻す作戦会議 」

OurPlanetから「ポスト311時代のメディアとは~公共的なメディアを取り戻す作戦会議 」が配信されてきた。

OurPlanet制作番組「ポスト311時代のメディアとは~公共的なメディアを取り戻す作戦会議 」



メディアの公共性を育てるために

この番組は東京でOurPlanet-TVの代表理事の白石草さんが2011年の放送ウーマン賞を受賞されたのを記念に東京で開催されたイベントである。OurPlanet-TVらしく白石さんの受賞を祝うイベントというものでなくゲストを呼んで、3.11以後問われたメディアの公共性を課題にして意見を述べ合うパネルトーク会議を行った。

この「会議」は野中ともよ氏の司会で、公共放送NHKやマスコミの福島原発事故報道に関する意見交換が行われた。参加した人は、白石草氏、NHKアナウンサーの堀潤氏、東京新聞特報部デスクの野呂法夫氏、アイリーン・スミス氏、朝日新聞社の元信一氏、鎌仲ひとみ氏、上野千鶴子氏である。

それぞれの参加者が、素晴らしい考え方とジャーナリズムに対する意見を持っていた。


そんなに簡単にNHKを辞めると言いなさんな、堀潤さん

HKアナウンサーの堀潤氏は2年前から公共放送のあり方を問いかける意見をTwitterで発信し続けてきた国民が公共放送の中で働いて欲しいと最も願う人物である。そんなに簡単に辞表を出したり、また、NHKが自分の意見を聴かなかったら辞めるなどと、青臭いことは言わないで欲しいし、この番組で宣言したことも取り消して欲しいと思った。

NHKはこうした堀氏のような人物を入社させてことを自慢すべきであるし、入社試験で堂々と戦中のNHK・公共放送のあり方を批判し、国民のための公共放送を訴えた堀氏を採用した当時の理事会を私は高く評価したい。その意味で、NHKに堀氏と同じような考え方を持つジャーナリストが多く居て欲しいと願う。

だから、そんなに簡単に辞めると言ってはいけないですよ。堀さん。


公正な報道を支える人々の群れ

東京新聞が今回の福島原発事故報道を続けた背景に、先日、他界した清水美和氏の影響を見ることができた(1)。彼は、学生時代から正義感の強い人だった。当時(1972年)、京都大学の医、薬、農、理、工系の研究室や実験教室からは重金属を含む溶液が下水にそのまま流されていた。それは京都大学だけでなく、全ての大学、高校、そして企業研究所からも流されていた。

水俣病やイタイイタイ病の公害が社会問題になっている最中に、学問の府である大学が公害物質を垂れ流ししていたのである。当時の学生は、こうした大学の社会的責任を問題にしていた。その先頭に立っていた一人が清水君だった。

彼は、きっと、最後まであのときの正義感を貫いて生きたのだと思った。それが東京新聞への評価の一部となって結晶したのだろう。こうした人物が一人、ジャーナリズムの世界から消えたことは残念だ。しかし、彼と共に働いてきた人々がまた、彼の意思(意志)を継ぐだろう。


成熟した社会になろうとする今だからこそ報道が問われる

今、報道が問われている。この問いかけを行っている人々、国民は今までのように受身ではない。OurPlanet-TVのように自分達で情報を発信する人々が生まれ、コミュニティメディアの文化が少しずつではあるが着実に日本社会に浸透しつつあるからだ。だから、マスコミやNHKは、今までのように国民の情報操作を続けることは不可能なのだ。

福島原発事故の問題で、原発に関する報道機関の関わり方、原発事故報道を抑制してきた歴史、福島原発事故報道が検証されようとしている。この検証作業も先日のNHKのように形式的なものになる可能性は大きい。しかし、それらの検証作業に対して、国民はさらに厳しい意見を述べるだろう。

この番組で、朝日新聞社の隈元信一氏は、報道の公共性を報道機関のみでなくジャーナリストも自己検証をすべきであると話していた。多くの場合、報道機関は他の報道機関(他社)の原発報道に関する取材を行い、原発報道のあり方を検証する作業を行う傾向にあるが、むしろ、自分達(自社)を取材してはどうかと隈元氏は述べていた。

しかし、果たして、自社を検証する力を今の報道機関が持ち合わせているだろうか。それは無理かもしれない。むしろ、OurPlanet-TVのような市民の運営する報道機関の報道を積極的に紹介する方が現実的だと思う。OurPlanet-TVが制作した「徹底検証!テレビは原発事故をどう伝えたか?(前半)」 とその後半の報道番組(YouTube)を積極的に報道する方がいいと思う。


公共放送料金の5%をコミュニティメディアの払うべき

この番組で、白石氏はドイツのパブリックアクセスについて説明を行った。1980年代に民間放送が開設され、それまで国営放送が使用していた公共の電波を民間放送(企業)が使うことになった。民間企業が公共物(電波)を使用するなら市民も使用する権利があるとして出来たのがパブリックアクセスという制度らしい。そして、公共放送のために支払っている受信料の一部、2-3パーセントを、このパブリックアクセスに使う制度ができた。つまり、コミュニティメディアの活動に公共放送料金の一部が使われているのである。

公共放送やマスコミが正しく国民のために情報を流す社会的機能を維持していくためには、コミュニティメディアの役割を理解しなければならない。つまり、公共放送は国策に左右される宿命にあり、また、マスコミは経営体としての報道機能から逃れることはできない。その意味で公共放送やマスコミに国民のための報道を期待することの限界を知るべきだと思う。

つまり、それらの限界を公共放送自体が自覚し、またマスコミも同じく自らの経営体として運営される報道機能を自覚する必要がある。言い換えると、マスコミは公共報道機関に宿命的に存在し続ける報道の制限を受けないコミュニティメディアの存在意義を他方で理解する必要がある。そして、それらの市民メディアと共存する手段を考えなければならない。

自らの限界を知ることによって、逆にその限界の外枠に存在する市民メディアの存在意義が理解できるのである。つまり、民主主義社会(資本主義社会と先進国指導社会)の限界を自覚的に補助する報道機能を、自らの限界の外枠に創ることの意味を理解するのである。

そのためには、社会を挙げて、コミュニティメディア文化を育てることである。そのために、公共放送の5%をコミュニティメディアの支払う法律を作りるべきではないだろうか。そして、企業の広告宣伝費で成立する民間放送局も同様に市民メディアを育てるための報道、つまり無料の市民メディアの宣伝を行うことを義務化する法律を作るべきではないだろうか。


引用、参考資料

(1) 三石博行 「友の死を悼む」2012年4月14日 
httsuip://mitshi.blogspot.jp/2012/04/blog-post_4565.html

(2) 三石博行 「HKK・公共放送は誰のために「原発事故報道の検証」作業を行ったのか 」2012年4月13日 
http://mitsuishi.blogspot.jp/2012/04/hkk.html

(3)  OurPlanet-TV

(4) 伊藤 守著 『テレビは原発事故をどう伝えたのか』 (平凡社新書)2012.1


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関連ブログ文書集

三石博行 ブログ文書集「民主主義文化としての報道機能について」

三石博行 ブログ文書集「わが国の民主主義文化を発展させるための課題について」

三石博行 ブログ文書集「市民運動論」

三石博行 ブログ文書集「人権学試論」


2012年4月16日、一部文書訂正
(120416a)
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