2012年4月18日水曜日

「北朝鮮」という我々の呼び方に含まれているもの

東アジアの平和と繁栄は可能か(1)


三石博行


北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)から流れてくる映像を観ながら、日本人のみなでなく殆どの先進国の人々は違和感を持つだろう。そして、「将軍サマ」の死を悲しむ映像を見ながら、これはヤラセだと思うだろう。実際、私もそう思った。そう思ったすぐ後に、敗戦を告げる昭和天皇の「玉音放送」を聴きながら泣き崩れる日本国民の映像が流れた。その映像を当時、アメリカの市民は、この映像を見ながらヤラセだと思ったかもしれない。

我々の国の全ての報道が、そして私も、朝鮮民主主義人民共和国という正式名称で「北朝鮮」を呼んだこともないし、また、括弧付きで「北朝鮮、つまり朝鮮民主主義人民共和国」と呼んでもいない。つまり、この一つの事象に象徴されているのは、北朝鮮への憎しみなのだ。日本国民を強制拉致した国家、そして、その拉致被害者を返そうともしない。この卑劣な国家を許す訳に行かない。これが正直、私を含めて殆どの日本国民の気持ちであり、その気持ちを代表する言葉として、正式国家名称を絶対に呼ばないで、単に北朝鮮という表現があると思う。

しかし、こんどは「拉致問題」を、違う立場、つまり朝鮮半島の人々の立場から、観ると、どういう言葉が返ってくるだろうか。何故なら、朝鮮半島の人々は過去の日本の植民地時代の記憶を忘れてはいない。そして、彼らは、日本人に対して、戦前戦中に日本が朝鮮半島から多くの韓国朝鮮の人々を連れてきたことを言うだろう。

すると、我々日本人は「あれって、自分達の意志で日本に来たのでしょう。何も強制連行したのではないでしょう。話が違うよ」と反論するかもしれない。しかし、もう一度、朝鮮半島の人々に本当に、そうだったかと聴いて見てはどうだろうか。本当に炭鉱で過酷な労働をするために来たのか。本当に慰安婦をするために来たのかと。中にはそうだと答える人もいるかもしれない。しかし、一回、朝鮮半島から来た人々を全員とは言わないが、調べてみてはどうだろう。

日本人が北朝鮮の拉致被害を語る。韓国でも拉致被害者がいる。この韓国の拉致被害者と日本の埒被害者が交流している話を聞いたことがある。きっと、この交流を通じて、歴史的に繰り返された朝鮮半島の人々の拉致問題、例えば、豊臣秀吉による朝鮮出兵(韓国では朝鮮侵略)によって多くの朝鮮の人々が日本に連れて来られた。そうした、お互いの悲しい歴史を相互に確認できるかもしれない。

北朝鮮に拉致された人々が一日も早く帰国して欲しい。そして、同時に、敵国北朝鮮でなく、共に同じ国際文化圏に分類される東アジアの国として、我々は何か共に話し合える外交は不可能なのだろうか。考えてみても、あんな貧しい国が、国民の犠牲の上で、人工衛星(大陸弾道ミサイル)を発射させたのだ。
巨額の資金を軍事に費やすこの国がそう長く続くとは思われない。それは、我々も65年前に、経験したではないか。その意味で、彼らの未来を共に考える力を、東アジアの大国としての日本の政治や外交姿勢を持つべきではないだろうか。

今、北朝鮮と仲良くしろと言えば、多分、この国では袋だたきに合うだろう。そして、あいつは北朝鮮のスパイだと、過去にチュチェ思想(主体思想、朝鮮労働党の公式政治思想) の持ち主だったと非難されるかもしれない。しかし、もっと未来のことを考えるなら、この東アジアの安定や繁栄のための外交を展開すべきだと思う。

大陸弾道弾の発射(失敗した)で高まりつつある軍事的緊張によって、またもや、台頭する軍事産業マフィア達の国際紛争画策に我が国と市民が翻弄されないことを願う。どれだけ多くのデマや政治的陰謀でイラク戦争が起され、そのために、多くのイラク国民はもとよりイラクに派遣されたアメリカ兵をはじめ多くの若者が犠牲になっているかを考えるべきだと思う。


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三石博行 ブログ文書集「国際社会の中の日本 -国際化する日本の社会文化-」


2012年4月18日 誤字修正
(120418a)
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