2012年4月19日木曜日

直近の衆参両議院選挙で多数を占めた政党の党首を首相とする制度を提案する

立法機能改革のために 


三石博行


今日も、二人の閣僚に問責決議案が提出された


今日の朝のニュース、二人の閣僚の問責決議案が参議院に出されるとのこと。
国民の反応は、色々と言うニュース。その通りだろうと思う。

明らかなことの一つとして、国会では常にこうした問責決議が提出されると言うこと。
北朝鮮のミサイル発射情報が遅れたと言えば、防衛大臣の問責決議、すぐに発表してそれに一つでも間違いがあったなら、これまた問責決議、一言一句の間違いも、即時判断の時間も、すべてが大臣の首を掛けた作業だとすると、この国では、毎日大臣をかえなければならない。

こうした状態を正常と呼んでいるのが現在の国会議員達の常識らしい。

国のことはどうなるのか。震災の対策は十分なのか。もう、国民は何も言わないぐらい絶望しているかもしれない。それでも、やっぱり、国会は政局論争の場であり、政党政治である以上、それを最も優先しているのは当然だと言うのかもしれない。

よくよく考えれば、二人の閣僚は、本当にその行政機関のトップ、大臣として適材であったのか。民主党政権の中でも、今までと同じように、国のためと言うよりも、別の理由で閣僚のポストが決まる仕組みが続いているのだろうかと我々は疑っている。

こうした考え方に対して、大臣のポストは名誉職なのだから、党内派閥の力関係によって、また、現政権を成立させた人々へのご褒美に与えられて当然でしょうという意見が聞こえてくるようだ。しかし、この習慣的な大臣ポスト決定の取り決めに対して、今の日本にはご褒美を与えるほどの余裕はないのではと言いたくなる。

問責決議の真の意味は、野田政権が進める消費税法を阻止するためのものであるのか。それとも、ともかく、解散しろと言っているのか。ますます、国会でのやり取りが不明で不可解なものになろうとしている。国会ほど国民生活からかけ離れた所に立っているものはない、それが、今の、日本の民主主義社会の姿である。


両院制の意味、55年体制の中での社会混乱の防止機能

新憲法に両院制が導入された経過について、「松本国務大臣が…、一院制では選挙で多数党が変わる度に前政権が作った法律をすべて変更し政情が安定しないことを指摘し、二院制の検討をホイットニー准将に約束させている」(Wikipedia)と説明してあった。

両院制を導入した理由については、「たとえ、1回の選挙で勝利し1院で過半数を取ったとしても、第二院があるため法改正を自由に行えない、法改正を自由に行うためには2回続けて選挙に勝利しなければならないという仕組みは、法律の改革の迅速性を犠牲にしながらも、間接民主主義の問題点である多数党が民意を離れて暴走することを防ぐのに有効であり、1回の選挙で勝ったからと言って暴走すれば2回連続では選挙に勝つことはできず、国民は多数党の行動を見ながら真に立法権を託せるか時を置いて第2院の選挙で決することができる。」(Wikipedia)と説明してあった。

そして、衆参両院制は戦後日本社会の安定性に寄与したと評価している。つまり、戦後55年体制の中での資本主義経済成長を推進する保守政党とそれに批判的で社会主義政策を導入しようとする革新政党との二極対立状態が生じる。その結果、一回の選挙結果によって政権交代が起り、そのため、今までの政策や法律が大きく変更される可能性が生じる。これらの制度的な変更によって社会的混乱が生じる可能性がある。その社会的混乱を両院制は防いだと評価しているのである。


両院議会制民主主義文化を創ること

経済や社会混乱を防ぎ民主主義(資本主義)社会を発展させ、安定した社会を創ることは敗戦で経済力や社会インフラを失った国家・日本の最優先課題であった。豊かな社会を建設するために、国民は敗戦の焼け野原から立ち上がった。そうして、多くの社会的矛盾や沖縄の人々や貧しい人々の犠牲の上に、豊かな社会を作り上げてきた。丁度、70年代後半に始まった中国の改革開放政策と同じように、50年代の日本でも、社会のコンセンサスの一つとして、豊かになれる人が先に豊かになることで、結果的に社会全体が豊かになれると信念があった。

その信念に支えられてきたものの一つが長期自民党政権であった。まるで、一党独裁の社会主義の国家のように日本では戦後60年間近く保守政権が続いた。この保守政権の一党独裁の歴史が終焉しようとしたのは1993年8月9日に成立した細川内閣である。しかし、その後、また自民党政権が復活し、2009年9月16日の連立政権(民主党、社民党と国民新党)の発足まで続いた。

言換えると日本の戦後民主主義社会では2回の政権交代の歴史しかないのである。現在の政治的混乱は、日本の民主主義社会の履歴から生まれている。民主主義システムを維持する政治文化が余りにも貧困なのだ。

政権を取ると言うことが、まるで権力を取るというイメージで受け取られている。そのため、政権与党が政権野党になると、それ以後の全ての政治生命が断たれたと思っているのかもしれない。野党になることの政治的役割と政治機能に関する考え方は、政権与党を長年続けていた自民党には存在しない。と同時に、政権与党になった民主党も、一回政権を取るとすべての政治権力を持てると信じているようだ。

こうした政権運営と野党運営の政党政治の文化の貧困さが、ねじれ国会が生じた場合に露出したのだと思う。今、最も大切な国会議員の活動の一つとして、両院議会制民主主義文化を創ることを挙げたい。そして、政局論争から、国民のための国会運営論争に視点を変えてはどうだろうか。そのために、全ての議員達は、もう一度(選挙の日のように)、誰のために政治があるのか、手を胸に当てて、確りと自問する必要がある。


国会は、ねじれ国会対策に真剣に取り組むべきである


直近の両院選挙で多数を取った政党の党首が首相となり、内閣を組織する

すでに以前、ブログでねじれ国会対策に対する提案、「直近の衆参両議院選挙のどちらかで多数を占めた政党の党首を内閣総理大臣とする提案」をしたのであるが、もう一度、その提案の意味を述べることにする。

例えば、2007年の参議院選挙で民主党が多数を占めた時、自民党政権は仮に衆議院で多数の議席数を持っていても、内閣を民主党に引き継ぐ。すると、民主党は参議院多数政党であるが、衆議院では少数である。簡単に衆議院によって内閣は解散を命じられる。そのため、民主党は自民党との連立政権を作るか、それとも他の政党との連立政権をつくり、政局の安定を計るしかない。

そして、2011年の参議院選挙で自民党が多数を占めた場合にも、同様なことを行う。つまり、自民党が内閣を組織する。自民党は衆議院で多数を占める民主党と連立政権を模索するか、それとも、他の政党、例えば共産党まで入れて、反民主党勢力の大連合をつくり政局を安定させるのか、選択をしなければならない。

この制度は、現在の法律で十分実行できる。小泉元首相や橋下大阪市長が提案している首相公選制度は憲法改正を伴う作業となる。首相公選制度は丁度大統領選挙と同じ、大統領は国家の長である。地方自治体では首長選挙が行われ、首長は国会によって行政機能の長として選ばれる。首相は国会が任命した行政機能の長であり、国家元首ではない。その意味で、首相公選制度を大統領選挙のように行うことには無理があるのではないだろうか。首相公選を実現するには、現在の両院議会制を取っている立法制度から検討しなければならない。

日本国憲法で定められた立法機関の制度上の問題として、首相公選制度が導入される実現性は低くなる。しかし、現在の国会の現状を解決するためには、何らかの改革が必要である。そのため、橋下氏は提案をしている。その提案の目的を高く評価しながら、出来るならもっと今の日本の政治制度の中で、もっと現実的な方法はないかと思った。その結論として、上記した決まり、つまり、議会での慣習を創ることを提案しているのである。

この提案は、当然、法的な手続きも必要である。つまり、「両議院選挙結果における内閣総理大臣の任命に関する取り決め」を成文化し、議会法の中に、入れるべきだと思う。


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関連ブログ文書集

三石博行 ブログ文書集「国民運動としての政治改革」

三石博行 ブログ文書集「わが国の民主主義文化を発展させるための課題について」


2012年4月19日 誤字修正
(120419a)
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