日本近代国家形成の歴史分析 (1)
三石博行
現代日本社会に継承された国家指導型近代化の歴史的経過とその病理構造
多様な国民主権・民主主義形成過程を持つ国際社会
国民主権とは、国民(市民)によって国家が運営されることであるが、その意味は、ヨーロッパでの市民革命の中で確立した概念として(教科書的に)理解されている。つまり、その国民主権・民主主義のモデルは17世紀以降のヨーロッパ市民社会にある。そこで世界中(アジアの国日本を含む)国民主権国家は市民革命を経て形成されたフランスやイギリスの社会と同じであると理解されがちである。
民主主義とはヨーロッパ社会で成立した国民主権制度のみを意味するという理解によって、世界の国々、特にアジアや発展途上国の民主化過程や国民主権国家形成過程が正しく理解されないばかりか、欧米諸国資本主義国から民主主義と反する制度として解釈され批判されている事態が生じている。
つまり、国民主権国家とは文化や宗教の異なる社会によって、多様な形態を取る。しかも、その成立過程は、必ずしも17世紀以降のヨーロッパ社会の反復ではない。多様な伝統文化を持つ国際地域社会では、それぞれ独自の民主化過程が存在することを理解しなければならないだろう。
この多様な社会文化的要素によって決定される民主化過程の考え方を支えるものは、それらの社会文化圏の伝統や歴史的経過を経て形成されている多様な生活文化環境によって生み出され、同時にそれを生み出す市民や国民である。
つまり、世界には多様な近代化や資本主義化過程を持つ国があり、その意味で、多様な国民主権・民主主義形成過程が存在する。(1) この多様な社会を世界と呼んでいる。世界とは一つの形態の社会ではなく多様な歴史、文化や生態環境を持つ社会の集まりを意味する。その視点に立って、日本の国民国家や市民社会の形成を、日本つまりアジア的社会の生活文化環境を前提にした国民主権の在り方を考えてみる。
日本型民主主義の現実、被害の隠ぺいと被害者排除 人権思想の欠落
現在の日本の民主主義の実態を理解するためには、この国の近代化(資本主義化)の過程を理解する必要がある。その近代化過程を理解するための一つの材料がある。それは、日本人と日本国家に関する世界的な評価である。
日本人は世界の人々から勤勉で責任感の強い、そして他人の迷惑になることを嫌がる民族であると理解されている。しかし、同時に日本という国は恐ろしく無責任な国であると言われている。
例えば、東アジア、東南アジアの国々の国民を犠牲にし、また日本国民、沖縄の人々に甚大な被害を与えた先の戦争に対する責任を取らない国家、原爆被害者救済、水俣病被害者(公害患者)救済、原発作業での労災職業病被害者を救済しない国家、原発事故への東電や政府の無責任な対応、莫大な放射能物質で地球を汚染したことへの責任を曖昧にしている国と電力会社。これらの驚くべき無責任な態度は、勤勉で他人を思いやる多くの日本人の国民性から、恐ろしくかけ離れた姿である。この二つの姿、いったいどれが日本文化を代表している姿なのだろうか。
こうした国家の無責任な対応の仕方、問題を隠ぺいし、問題がないことが秩序を守る唯一の方法であると理解している指導者たちの姿に、今、社会が驚きをもって批判している学校のいじめ隠しの対応と、それによる甚大な被害(命を絶つ子供たち)が問題となっている。(2)
つまり、我が国では、人権に関する文化が成長していない。社会観や生活様式(スタイル)に人権概念が十分に成熟し、一人ひとりの行動や社会規範、習慣の基本に据えられていないと言える。
欧米社会では、人権思想はその社会を形成してきた基本理念であると言われる。そのため、国家的利益に反することがあっても、人権侵害に関する社会的評価は重要な意味を持つ。当然、欧米諸国を一つに括り、人権を重視する社会の典型に置くことはできないし、それらの課題が国益との関係に深く関与する場合、例えば国籍を持たない移民の人権と失業している国籍を持つ若者の人権は、必ずしも同じ重さで理解されるとは限らないだろう。
いじめを隠す、被害実態を隠ぺいするという日本社会で伝統的ともいえる社会の指導者や役人たちの態度は、近代日本的な社会の姿であると言えないだろうか。その原因は、人権思想という文化を持たない国の姿であり、他の発展途上国に共通するように、日本も同じくらい国民主権のレベルから言うと発展途上国だと言えるだろう。経済的には先進国であり、民主主義的には発展途上国であるそれが日本社会で起こる人権問題や被害者切り捨ての基本的な原因である。
しかし、この現実、つまり、日本は遅れた民主主義の国である現実を日本国民はあまり自覚していない。しかし、他の国での民主主義後進国に関しては、実に、理解が早い。例えば、現在の中国(中華人民共和国)での国民の生活レベル、経済的豊かな国であるが、国民は政治活動や表現の自由を持たないことを知っている。そればかりか、中国ではつい数年前まで公開銃殺刑が行われ、簡単に死刑執行が行われる人権無視の国家であることも知っている。それを批判している人も多い。つまり、殆どの日本人は「中国には国民主権、民主主義や人権思想がない」と理解しているだろう。
例えば、オーストラリアやカナダ、またスウェーデンの市民が、今回のいじめ隠しをおこなった学校、教育委員会や教師と、黒い雨で報道された原爆被害者切り捨てを行う日本政府の対応を知るなら、彼らは「日本には国民主権、民主主義や人権思想がない」と答えるだろう。丁度、日本人が中国で行われている人権侵害問題を見るように、欧米の市民は日本での人権無視の国や社会の姿を見るにちがいない。
日本型資本主義の形成と官僚制度と学歴社会の役割
明治元年から始まった日本の近代化(資本主義化)、列強国に不平等通商条約を結んだ日本の近代化は、国家がこの国の植民地化を防ぐために、待ったなの速さ有能な国民を動員しての事業であった。天皇制度を使い、幕末まで続いた江戸幕府(諸藩国家の連合)を大日本帝国として統制し、国家全体で明治の近代化に取り組んだ。国営工場の建設、輸出産業の育成、資本主義社会を国家が推進する国家資本主義が、明治の近代国家建設第一歩の姿であった。
国家資本主義は、国家が重要産業の育成を行うこと、義務教育を行い国民全体の教育レベルを上げ有能な勤労者を得ること、高等教育制度を調え有能な人材を国民から得ること、つまり優秀な官僚を育て、それらの有能な人材に国家運営の実務を担当させたのである。
国民から採用された有能な人材とその人材によって運営される官僚制度があって、日本の近代化は成功した。有能な官僚を輩出した帝国大学、取り分け東京帝国大学は、日本型近代化過程(資本主義社会の発展)に大きく貢献した。
この成功の実績は、戦後日本の復興にも活用された。その意味で、日本の官僚制度は、列強の植民地支配から日本を救い、米英の戦勝国から経済植民地化されるのを防いだ、近代日本史の中で、もっとも功績のある制度であるとも言えるだろう。学歴社会と官僚制度こそ、日本の近代化を成功させ、また戦後復興に成功させた社会制度であると言える。
有能な官僚と官僚制度を抜きにして、日本の近代化、資本主義化は不可能であった。その方法は、現代の発展途上国、特に中国の経済社会発展に活用されている。近代化成功事例とその方法であると言える。また、学歴社会と官僚制度は、現代日本社会にも、過去の功績と評価によって、現在でも多くの国民から大きな信頼を得ていることは疑えない事実である。
高度経済成長 中間層の形成と市民社会の発展
経済の発展は豊かな生活環境をつくりだすことになる。人は衣食住の基本的生活条件を確保することで、さらにより豊かな生活環境を手に入れようとする。豊かな生活環境は、その豊かさによって質的に変化する。つまり、物的豊かさ、腹いっぱいのご飯から美味しいご飯へ、さらに高級で珍しい料理と限りなく食への欲望は拡大し続ける。高度経済成長は、日本人に腹いっぱいのご飯と美味しいご飯を食べる生活環境を創ったともいえるだろう。人々は、この後、今度はさらに贅沢なものを食べたいと思うようなる。(3)
経済の豊かさとは、言い換えると、欲望を満たす資源の豊かさである。経済的に豊かになればなるほど、欲望の質は変化し、商品の物的量から品質へ、物的商品からサービス等の商品へ、サービス等の商品から個人的趣味や欲望を満たす特殊商品へと変化しつづける。
つまり、経済的豊かさの極に、精神的満足がある。ひとはパンのみで生きている訳ではないと空腹の時に言えるのは宗教の修行者や哲学者かもしれない。腹いっぱい美味しいパンを食べた後に、パンでなく、何かもっと充足感のあることをしたいと願うのが凡人の姿で、生活者の願いはこの凡人の願いを言うのである。
高度経済成長があったが故に、市民民主主義運動、例えばベトナムに平和をと呼びかけた文化人や知識人の人道主義運動があったし、親から学費を貰い、勤労の義務から解放され、学業と云われる暇な時間を得ることが出来たが故に学生運動が盛んになったともいえる。貧しい時代には考えられなかった未来への希望や社会変革の夢こそが、高度経済成長の成果の一つであったと言える。
こうした現象は、今、中国でもおこっている。経済的に豊かになった人々は、これまで規制されてきた活動や表現の自由を求めている。自由に生きることができることがより豊かな生活であると考えるようになる。それは経済的豊かさを得たが故に、考えられることだとも言える。中国社会での、豊かな家庭の若もの達は、厳しい労働から解放され、豊かな食事をし、大学に進学し、インターネットを使い、ゲームを楽しみ、そしてソーシャルメヂィアを使い、さらなる自由の拡大を求めて、危険な反体制運動に興味を抱くのである。
市民民主主義は、こうして後進型資本主義国家に到来した。それが日本の戦後民主主義と呼ばれる日本独自の民主化の歴史的経過を形成するのである。そして経済成長による社会文化資本の蓄積、例えば教育文化施設の充実、余暇時間の増加、多様な商品生産、個性化の傾向を強めるファッション、海外旅行や留学経験の大衆化が進む。その大衆化によって、大学はエリートの養成施設から大衆教育の機関となり、高級ブランドの所有の意味が失われ、自分らしさや個性化が生活の質の評価に取り入れられることになる。
官僚指導経済から民間指導経済へ
日本を代表とするアジア的近代化過程(周辺資本主義国家の形成過程)は、国家指導の近代化・資本主義化が起こり、工業化は国営企業によって進み、国が産業育成を積極的に行うことになる。その政策は官僚によって担われる。
工業が発達し、国際競争に打ち勝つ民間企業が生まれる。国の産業は官僚指導型から民間資本家指導型に変化する。官僚の役割は次第に小さくなる。つまり、先進資本主義社会では、国営企業の民営化がおこなわれる。日本でも国鉄民営化がその例である。その後、電電公社の民営化、郵便事業の民営化が行われ、いま、最後の独占企業、電力会社が電力自由競争をさらに進めるために発電機能と送信機能の分離を提案されている。
日本の企業は世界競争の中で鍛えられている。つまり、それは民間人(企業で働く人材)が世界規模のビジネスや最先端の技術開発、さらには国際的な企業運営を行う能力を持つことを意味する。まさに、その力が、現在の日本の力となっている。近代化のために有能な官僚が必要であったように、日本の高度経済社会や国際企業としての日本産業の進展のためには有能な民間人(勤労者)が必要となっているのである。
この有能な人々は、巨大な企業の運営、国際的な経営や企業活動、最先端科学技術開発能力等々、高度な専門性と世界経済や国際関係を視野に入れる俯瞰型の思考を鍛え抜かれる。その優秀な人材によって、日本経済は動いているのである。
官僚指導体制の終焉へ
日本の官僚制度は、その古い栄光に呪縛され、逆に、社会発展を妨害し始めるている。最も典型的な事例が、民間の企業活動の育成でなく規制を官庁が行うことである。
新薬開発に伴う治験(臨床試験)はその代表例であり、日本では基礎研究による新薬の基となる発見がなされても、その応用段階で、厳しい治験条件をクリアーすることができない。結果的に、新薬は海外で製造され、日本はそれを買うことになる。日本の医療保険費を含む7割の金額が海外の新薬や医療機器の購入に支払われている現実を政府は放置しつづけてきた。今年度になってようやく民主党政権がこの解決に乗り出した。
福島原発事故の時、原発の安全のための官僚機能はすべて機能不全を起こし、弊害を生み出した。素人同然の原子力保安委員(経済産業省)、巨額の国家予算を使い作った気象予測システム(文部科学省)から推測された放射性物質の拡散状態のシュミレーションデータは避難民のためには活用されことはなかった。所轄官庁が把握している事故情報は担当大臣にも官邸にも知らされなかったという。この現象一つを見ても、官僚制度の機能不全が明らかに深刻な事態に至っているかを理解できるのである。
言い換えると、現在の日本の社会では、官僚、利権集団(労働組合や経営者団体)によって国の合理的機能がマヒし、効率の悪い制度や組織が巨額の国家予算を飽食しつづけている。そのために生じる社会経済の病理状態が拡大しつつあると言える。
その解決が急がれている。その課題を以下に列挙する。
1、官僚指導型国家からの脱却
2、市民民主主義社会文化の形成 市民参画型政治、国民運動としての政治
3、利権政党から政策政党への変革
4、中央政府集権国家から地方分権国家へ
引用、参考資料
(1) 三石博行 「中国の近代化・民主化過程を理解しよう」 (2010年12月13日)
ブログ文書集「国際社会の中の日本 -国際化する日本の社会文化-」
2章「日中関係」
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/12/blog-post_1850.html
(2) 三石博行 「まぜ、いじめが放置されるのか、そのに日本社会の構造がある」(2012年8月13日)
http://mitsuishi.blogspot.jp/2012/08/blog-post_13.html
(3) 三石博行 「生活資源論」
(4) 三石博行 ブログ文書集「国民運動としての政治改革」
「国民運動としての政治改革」の目次(案)
はじめに
1. 政治は何のために
2. 政治活動とは何か
3. 国民運動としての政治改革の可能性
4. 官僚・行政機能と政治機能の改革
5、市民民主主義社会形成のための政治家の役割
6. 地方分権と草の根民主主義社会の形成について
7. 政策政治の具体的課題について
2012年8月21日 誤字修正
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