民主主義制度の持つ経済性
三石博行
未来の震災対策のための過去の震災パターン分析
阪神淡路大震災やその他の震災を通じて得た経験や教訓は、当然、その後の震災に役立っている。しかし、それらの教訓や経験は阪神淡路大震災の特徴を前提にして形成されたものである以上、東日本大震災では、その経験がすべて役だった訳ではない。例えば、2011年3月11日に起こった東日本大震災は、阪神淡路大震災のような都市直下型や新潟県中越地震のような局所的震災ではなかった。広大な地域が地震と津波の被害を受けた。青森から茨城までの広大な地域が罹災した。
地震と津波による広域の罹災地を抱えた東日本大震災の場合、都市直下・局地型の阪神淡路大震災と比較するなら、広域罹災地への救援活動は遅れた。特に三陸海岸地域の半島に位置する孤立した被災地への救援活動は困難を来した。また、海岸線に近接した幹線道路や鉄道が津波によって破壊されたため、救援活動はもちろんのこと、罹災地への食糧や医療などの生命維持に直結する支援が震災直後に十分に出来なかった。
近未来に発生すると予言されている東南海地震では東海、南海、四国地方にわたる広域の海岸線地帯が地震や津波被害が予測されている。この東南海地震では東日本大震災時の救援活動の経験や教訓が活かされるだろう。そのためにも、東日本大震災の震災パターンの分析とその対策の研究が必要となる。
東日本大震災の震災パターンには大きく分けて二つの課題があった(1)。一つは広域の地震と津波の被害とその救済活動、もう一つは福島原発事故を伴う被害とその救済活動であった。今回は、前者の課題に絞って、東日本大震災の震災パターンについて述べている。巨大津波・地震に原発事故が併発した震災パターンは、確かに、東南海地震の場合でも、浜岡原子力発電所が海岸に隣接している以上、そのまま当てはまると言えるだろう。
これまで、政府を中心としてすべての分野の研究機関や企業の協力を得ながら東日本大震災の震災パターンの分析が進んでいる。例えば、携帯電話やカーナビゲーションのGPSシステム情報から東日本大震災時の避難行動の軌跡データが抽出され、それらの莫大なデータベースが統計分析されている。その分析から、震災時の人々の避難行動の解明、避難行動傾向、障害が分析されている。そしてその分析によって、災害時の避難経路の確保のための交通情報、また避難路の検討、避難に必要なインフラの整備計画が立てられようとしている。こうした災害パターンとその対策がこれからの災害救済活動に必要であることは言うまでもないだろう。
今までの震災経験に基づく震災パターン分析(被災状況や救済活動の分析)は今後の震災対策の在り方や考え方、つまり安全対策、危機管理や救援システムを考えるときの重要な材料となる。
安全管理の経済論理と津波対策
震災対策とは被害を最小限に防ぐということである。巨大地震や津波によって受ける災害をゼロにすることは不可能である。言い換えると、大地震や大津波に対して災害を受けないという対策は不可能である。つまり、より現実的な震災対策とは、人命救助や最低限の生活環境の維持に必要な社会資源の安全管理や減災のための対策であると言える。
減災としての震災対策は安全管理の経済論理が働く。安全管理の経済論理では、減災対策は原則として減災対策コストと被害コストの収支計算から決定されている(2)。地域経済活動を犠牲にしなければ完全な人命の安全を保障されないという極端な例を取っても、必ずしも完全な人命の安全が経済活動に優先するとは限らないのである。何故なら、経済活動の消滅によって、過疎化が進行すれば、その地域の人命を守る意味も全くとは言わないまでも大きく失われることになる。つまり震災パターン(被災状況や救済活動)の分析から必要とされる現実的な安全管理を決定しなければならない。
最近、三陸海岸にまるで万里の長城のような防波堤(津波対策用の)の建設計画が問題となっている。人命を守るために計画されたこの巨大な津波防波堤建設の計画に対して住民の一部から批判が出ている。その批判の根拠は、津波防波堤によって失われる生活環境の便宜性や景観である。それらよりもより人命を守ることが大切だという考え方に誰も正面から反対は出来ない。がしかし、この安全対策の背景にある震災復興資金に群がる一部利権集団の影を感じる人々に取って、この計画への疑問が沸き起こることも避けられない事実である。そのためには、この計画を住民参加と情報公開の方法で、根本から問い掛ける必要がある。
この巨大津波防波堤の建設問題から問いかけている課題を以下3点に整理した。
1、人命の犠牲を最小限にするための対策として最も費用対効果の高い対策
2、地域社会の経済や文化を維持発展するために必要な津波災害への最も費用対効果の高い対策
3、 安全管理とは生活環境の一部を改善することによって可能になる。その安全管理システムが地域社会の生活者によって管理運営されなければ、その機能は失われる。そのためには、安全管理システムの企画、設計、建設過程に住民の参画が必要となる。
住民参画型の安全管理システム企画や構築活動の意味
巨大津波防波堤の建設問題から問いかけている課題として、その建設の企画、設計や建設過程に住民が参画する必要性について述べたのだが、その意味を理解しなければ、安全対策への住民参画も形式的なものとなる可能性がある。すでに前節で述べたが、安全管理の対策は住民の生活環境の一部として恒常的に行われることで正しく機能する。例えば、巨額の管理費用を掛けないで、防波堤や防潮堤を維持管理するためは、その管理を地域住民の参加によって行うことが必要となる。勿論、それらの管理には専門的な知識や技術が必要であるが、日常的なその安全管理システムの運用は地域住民の参加によって、より効果的に、またより低コストで行うことができる。
例えば日本社会独自の防災制度、消防団の例を取るまでもなく、住民参画型の安全管理システムは日本社会の伝統として存在している。その意味で、津波防波堤の日常的管理を地域社会やそこに住む人々に委託(アウトソーシング)することが、長期的に見れば経済的であり、合理的であり、かつより有効であると理解できる。長期的な防災・津波防波堤の維持管理を行うためには、その企画段階から地域住民や自治体の参画が必要となることは言うまでもない。
地域での災害に強い生活環境の建設事業の一環として、津波防波堤のみでなく、震災に強い街づくりを住民参加型プロジェクトで進めることが長期的視点に立ってもより現実的な、つまり地域の生活環境と文化に適してシステムが形成される可能性が大きい。勿論、自然災害、また原発事故に対する安全対策や危機管理システムの形成には専門的な知識が必要である。そのために、このプロジェクトには専門家の調査や提言を行う委員会が必要となる。それらの専門家を地域社会・自治体や住民がリクルートすることが困難な場合には、政府(官庁)や地方行政(県庁)がその委員会メンバーの推薦を行うこともできる。住民参加型で震災からの復旧や復興活動を進めることで、その後の社会運営にも大きな効果が生まれることは間違いないのである。
経済的な減災対策と民主主義
震災への安全管理の基本は減災政策であることはすでに述べた。その減災の意味は地域社会の経済環境、文化環境、生態環境、生活環境によって、それぞれ独自に決められる。例えば、非常に生産性の高い社会資本や生産地帯を持つ地域では、それらの地域を守るための投資が行われる。その減災対策費(投資金額)は安全管理の経済論理、減災対策は原則として減災対策コストと被害コストの収支計算から決定されている。また、生産能力が相対的に小さい場所では、その安全管理に巨大なコストを掛けることはしない。
こうした安全対策の現実的で現場に適用した判断を行うことは、地域社会がある限られた予算(震災地域への復興予算)の枠を決められることによって、独自に判断し、その対策を行うことがより地域の事情に合った減災対策が可能になる。勿論、地域社会での復興予算の使用に関する不透明な談合や不正を防ぐためには、予算執行までの過程、つまり、震災復興地域委員会への住民参加と情報公開を義務付けなければならないだろう。また、同時に、それらの成果、つまり予算を使った減災対策や復興活動の成果を点検する第三者を入れた評価委員会が必要となる。
地域社会での住民参画型の減災対策、復興計画、都市計画、地域社会文化計画があるなら、そしてその活動をサポートする国家の政策、地方行政の在り方、専門家集団の協力体制、さらには情報公開制度や予算の住民の仕分け活動、政策評価委員会等々の民主主義のシステムがあるなら、それらのシステムの中で、地域独自の震災パターン(被災状況や救済活動)の分析や評価から、地域に合った現実的な安全管理、減災対策の企画、決定、実行と評価点検活動が成さるだろう。
引用、参考資料
(1) 三石博行 「大震災・津波と原発事故を引き起こした東日本大震災復興活動が問いかける課題」
ブログ文書 2013年5月2日
(2) 三石博行 「東日本大震災から復旧・復興、災害に強い社会建設を目指して
東日本大震災の復旧・復興、 災害に強い社会建設を目指して」 ブログ文書集
2章 現代社会での安全管理
3章 現代社会での危機管理
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_23.html
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哲学に於いて生活とはそのすべての思索の根拠である。言い換えると哲学は、生きる行為、生活の場が前提になって成立する一つの思惟の形態であり、哲学は生きるための方法であり、道具であり、戦略であり、理念であると言える。また、哲学の入り口は生活点検作業である。何故なら、日常生活では無神経さや自己欺瞞は自然発生的に生まれるため、日常性と呼ばれる思惟の惰性形態に対して、反省と呼ばれる遡行作業を哲学は提供する。方法的懐疑や現象学的還元も、日常性へ埋没した惰性的自我を点検する方法である。生活の場から哲学を考え、哲学から生活の改善を求める運動を、ここでは生活運動と思想運動の相互関係と呼ぶ。そして、他者と共感しない哲学は意味を持たない。そこで、私の哲学を点検するためにこのブログを書くことにした。 2011年1月5日 三石博行 (MITSUISHI Hiroyuki)
2013年5月15日水曜日
2013年5月13日月曜日
東日本大震災復興活動が問いかける課題
未来社会に必要とされる原発事故原因解明と事故処理の経験
三石博行
今、東日本大震災の課題を問うことの意味
地震・巨大津波と原発事故・広域放射能汚染の二つの異なる災害を引き起こした東日本大震災に関して、改めてその意味を考えなければならない。このことを敢えて今更言わなくてもよいと言われるかもしれない。しかし、東日本大震災の意味を問うというこの当然の疑問の中から現代社会での自然災害の姿を改めて見直す必要に我々は立たされていることに気付くのである。
再び見え始めた経済成長の希望に沸き立つ現在の日本社会を観るとき、これほどの大災害に遭いながらも、この災害の意味する深刻な課題を忘れ去ろうとする社会の動きを感じる。そこで、東日本大震災は人類史に残る大災害であったと改めて言うことで、希望の未来・経済成長に関心を向けようとしている現在の社会の流れに対して、私はあえて警告と反省を呼びかけ、この大災害から問われている重大な社会的課題を共に考えることを提唱したい。
だからと言って、私は、現政権が進める政策や経済成長が悪いと批判しているのではない。また、災害復旧や復興と経済成長が対立すると言っているわけでもない。ただ、自然災害からの復興のためには社会経済的な力が必要であるのは当然である。だがしかし、この大災害は、単なる自然災害だけでなく、以前、経済成長のために進められたエネルギー政策、安全を無視した原発建設によって引き起こされた事故でもある。そのことを忘れてはいけないと言っているのである。
社会や国民の生命や健康に関する安全管理と経済成長は対立する概念ではない。むしろ、安全管理を無視することで社会経済的な被害を受けることになると考えるのは言うまでもないだろう。しかし、現在の社会の流れは、経済成長のためには安全を犠牲にしても仕方がないという暗黙の了解が渦巻こうとしていないだろうか。
今年になって、原発事故に対する社会的な危機意識は大きく後退した。原発事故で沈黙を守ってきた人々、長年自民党政権下で利権を得てきた原子力ムラの一部の人々が「活断層を「創造」する原子力規制委への疑問」というキャンペーンを始めた(1)。そして、同時に、福島原発事故の徹底的調査は中断状態に置かれ、これまでのエネルギー政策が復権しつつあるように思われるのである。
地震・巨大津波と原発事故による放射汚染災害としての東日本大震災の特徴
2011年3月11日に起こった大災害・東日本大震災は、その発生当時から二つの異なる災害の質を持っている。一つは、地震と津波に代表される自然災害であり、もう一つは原発事故に代表される社会災害である。この二つの災害要因の異なる性質を、災害発生時から正確に理解しなければならなかった(2)。
一つ目の災害因子に対しては、これまでの震災経験を活かすことが出来た。例えば、1995年1月17日の阪神淡路大震災や2004年10月23日のその後の災害救済活動の経験が活かされた。しかし、すべての過去の経験が今回の東日本大震災の対策に活用された訳ではない。東日本大震災は、都市直下型の阪神大震災やまた新潟県中越地方を局所的に襲った新潟県中越地震と異なり、東北地方から北関東地方の太平洋岸全域に被害をもたらした。東日本全体にわたる巨大な地震と津波による大災害はこれまでの災害経験を超えていたと言えるだろう。
そればかりではなく、東京電力福島第一原子力発電所の4つの原子炉が同時に事故を起こし、1号機から3号機がメルトダウンを起こした。二つの原子炉が水素爆発を起こし、高濃度の放射能が大気中に放出され、福島のみでなく関東から東北太平洋岸を含む広範囲の放射能汚染が起こった。現在でも14万人の人々が避難生活を強いられている。しかも、福島第一原子力発電所の事故現場では放射能汚染水漏れ事故が繰り返され、汚染水の貯蔵が限界に来ると言われ、また使用済み核燃料のメルトダウンとそれに伴う巨大放射能汚染の可能性も残っているのである。原発事故は終結したのではない。事故は現在も進行中であり、今後、首都圏を含む広域の放射能汚染のリスクを抱える可能性を孕んでいるのである。
東日本大震災によって、地震と津波によって破壊された罹災地と原発事故によって高濃度放射能汚染を受けた被災地が生まれた。前者の罹災地に対しては、これまでの局地型震災と災害の規模が違うと言え、これまでの震災や津波被害に対する救済活動の経験や教訓が活かされる可能性を持っている。しかし、福島第一原発の事故によって発生した放射能汚染災害は日本社会がこれまで経験していない災害である。そのため、この災害に対しては、すべて初めての災害対策や救済活動が求められることになった。
震災や津波被害と放射能汚染災害の最も大きな違いは災害期間が基本的に異なることである。前者が一過的災害であるのに対して、後者は長期的災害となる。つまり、前者は災害直後に復旧や復興計画が立つが、後者は全く立たない。東日本大震災は、地震と津波による被災と原発事故によるそれとが重なることによって、これまで日本の震災史に書き込まれていない対策を求められた初めてのケースとなったのである。
震災当初から、地震と津波によって破壊された罹災地への震災対策と原発事故対策や放射能汚染対策は分けて取り組まれている。岩手や宮城県を中心とする津波と地震による罹災地対策はこれまでの震災対策を活かしながら対応ができる。しかし、福島県を中心とする原発事故による被害地への救援活動や福島第一原発の事故処理の活動は、チェルノブイリの経験と同じく、これまで世界や日本の歴史の中で人類が経験したことのない災害対策や救援活動の在り方が求められている。
これまでの震災経験の活用と、問題解決型の震災対策の分析・設計活動
福島原発事故を引き起こした東日本大震災では、阪神淡路大震災やその他の震災での経験や教訓を超えた課題が問われた。岩手県や宮城県を中心とする津波と地震による罹災地での救援活動に対しては、不十分な点はありながらも、阪神淡路大震災で学んだ多くの経験が活かされることになった。言い換えると、放射能被害を受けなかった震災地域と受けた震災地域の両方が東日本大震災を特徴づけたのである。そして 今回の福島原発事故の経験は、 自然災害の多い日本では、今後、地震によって原発事故が起こる可能性を示し、また、今回の放射能被害を受ける可能性のある罹災地の災害対策に活かされなければならないことを深刻に問い掛けている。
都市型や局所型の震災に比べ、広大な地域に広がる罹災地を抱えた東日本大震災の場合、罹災地での支援物資の供給活動は完全ではなかった。東日本大震災への対策や救援活動から得られた教訓が、その意味で、今後の震災対策の考え方、安全対策、危機管理や救援システムに活かされようとしている。インターネットや携帯電話、GPSシステムの巨大データベースが情報処理を駆使した統計処理によって分析され、震災時の人々の動きの理解を与え、それの分析資料から、災害時の避難経路の確保のための交通情報、また避難路の検討、それに必要なインフラの整備計画が復興対策の中に織り込まれようとしている。これまでの震災や津波のデータをあらゆる分野の研究成果を駆使して分析することによって、より有効な震災津波対策案が検討されることになるだろう。
震災被害を最小限に防ぐということが震災対策の最も重要な課題である。震災対策への投資コストと震災から受ける被害コストのバランスから投資の規模が算出される。これが現実的な対策が検討される基準となる。つまり、震災対策は経済上のコスト計算によって決定されている。その投資内容は、あらゆる分野の技術力や技能を投入動員したとしても、より効率よく、より経済的に、より便宜性を高めた選択枝が常に求められることになる。
福島原発事故と事故処理で生じる失敗が問いかける課題、東電や政府の責任問題
他の震災と異なる東日本大震災が与えた教訓は原発事故である。震災や津波が原発の巨大災害を引き起こすということがこの震災を通じて世界の人々に理解された。その意味で、東日本大震災と福島原発事故は切り離して考えられない。と同時にこの悲惨な事故が我々に警告している課題を理解しなければならない。
今、世界には原子力発電が431基(2010年)ある(3)。しかも、不足するエネルギーの最も経済的で手っ取り早い解決手段として原子力発電所の建設が計画されている。今後、中国では建設中と計画中の原子炉は56基あり、現在稼働中の原発を入れると70基の原発が建設される予定となる(4)。アジアだけでも100基以上の原子炉が建設される予定である。そう考えると、第二の福島原発事故は震災や津波以外の原因でも、起こることが避けられない時代が来る。その意味で、福島原発事故の解明と現在の事故対策は、今後の課題に大きな教訓を与え、また具体的な事故対策の方法や安全管理や危機管理システムを提案することになる。
しかし、この貴重な経験に向きあう日本社会(国民)、政府、東電や原発関連専門家集団の姿勢が問われている。東電の原因追究を避ける姿勢は事故以前と変わらない。起こりうる災害の可能性や問題を正確に理解しようとせず、常に楽観的な安全神話の思惑が先行して対策やシステムが企画される。そのシステムを検証することもしない。重大な原発事故を起こしても、また事故処理で発生する放射能汚染水の地下貯蔵タンク建設でも同じような失敗を繰り返し続けているのである。つねに、問題が発生するという可能性を最小限に見積もる、また、そのシステムを活用している他の専門家の意見すら聞くことも調査することもなく、素人に近い自分たちの知識と予測で対策を企画しシステムを建設してしまうのである。この重大な失敗の繰り返しの基本にある設計思想を問い掛け、検証する感性や知性を全く失っているのである。それに対しての対策は、それらの東電専門家を総入れ替えするしか、解決の道はないだろうと大多数の人々は考えるに違いない。
こうした東電専門家・技術者の無能さを放任してきたのは政府である。一つは政府事故調査委員会の調査報告書の国会での報告や討論、そして調査委員からの勧告を受けた法的システム(法律や制度改革)を行う政治活動が行われようとしていない。政策に活かされない国会事故調査活動とは税金の無駄使いとしか言いようがない。
前記したように、経済的発展に原発建設が必要という理解は世界の殆どの国に共通するものである。それは、この21世紀では、エネルギーと食糧の問題が世界の重大な政治的危機に発展することは避けらない事態が生じることを意味する。国民の豊かな生活レベルや環境を求め、世界の多くの国々では原発建設が進む。そして、同時に、原発が危険なものであることを経験した我が国や先進国では、脱原発と再生可能エネルギーを多く活用したエネルギー政策が進むだろう。日本は、今更、前者のグループに留まることは出来ない。寧ろ、後者のグループに参加するしか道がないことを、今後の福島原発事故処理で更にはっきりするだろう。
福島原発の事故処理に必要な時間は少なくとも30年と言われている。チェルノブイリの例でも、この30年の事故処理の時間は非現実的な予測でない。つまり、原発事故現場から10から20キロ範囲の立ち入り禁止地域は半世紀の間、人が住めない地域となる。したがって、その事実が深刻に日本社会の経済や地域文化に圧し掛かってくるのである。福島はこれからどうなるか。除染作業は進むのか。除染した放射能汚染物質の保管はどうなるのか。原発事故現場に放置されている使用済み核燃料は今後起こる地震で再びメルトダウンの危機にさらされないのか。いつまでにそのリスクを解決できるのか。東日本大震災は終わることのない原発事故処理を抱えたのである。
福島原発事故の原因解明と事故処理で生まれた技術が世界を救う(東日本大震災の教訓)
事故処理から見える我々の無能さを深く理解しているのは、事故現場で具体的に事故処理に立ち向かう技術者たちである。彼らの日々の闘いに対して、東電幹部の官僚的な対応は改善されたのだろうか。放射能汚染水漏れ事故と原発事故は共通する失敗の思想を持つのであるが、どのような制度がその彼らの事故処理への姿勢を変革できるだろうか。もし変革できなければ、多分、汚染水漏れ以上の重大な失敗が起こる可能性はないだろうか。それを防ぐためには、もはや事故処理を東電に任してはならないのではないか。政府が国家と国民の安全にかけて、その対策に乗り出す以外に道はない。つまり、着実の事故処理を進められる能力を持った人々を事故現場の司令塔に派遣し、彼らの指導の下に事故処理を行うしかない。
今後の二次災害や事故を防ぐための対策、思い切った決断を行えるのはもはや東電幹部ではない。政府にしかそれは出来ない。しかし、政府がかくて東電幹部と共に進めたエネルギー政策を変更しない限り、それを政府に望むことは出来ないだろう。
この悲観的状況を一つでも改善するために、少なくとも以下の課題をまず共有することから始めたい。
1、福島原発事故は東日本大震災を特徴づける災害であり、この事故処理が終わるまで、東日本大震災からの復旧や復興はあり得ない
2、福島原発事故の原因解明と原発安全管理システムの検証作業、事故後の危機管理、事故処理で開発された技術は今後世界に普及する原発建設にとって重要であり、その役割や責任を日本社会と政府が担っていることを自覚しなければならない。
3、エネルギー資源枯渇の時代を前にして、国民へのエネルギー安定供給を確立するために必要な再生可能エネルギーの利用、省エネ技術開発を脱原発政策を平行して推進するための中長期のエネルギー政策を立てる必要がある。
引用、参考資料
(1) 特集「活断層を「創造」する原子力規制委への疑問」月刊エネルギーフォーラム 2013年3月号 http://www.energy-forum.co.jp/eccube/html/user_data/energy_forum.php
(2) 三石博行 「震災・津波被害からの復興と原発事故対策を分けて対策を立てる必要性 -震災に強い国を作る(3)B-」 http://mitsuishi.blogspot.com/2011/04/blog-post_5265.html
(3) 「世界の原子力発電所の原子炉の数 2010年」 http://memorva.jp/ranking/world/iaea_nuclear_power_reactor_2010.php
(4) 日本原子力産業協会 「日本と世界の原子力」「2012年1月現在 の世界の原子力発電開発の現状の説明」によると、中国では稼働中の原発は14基、建設中のものが30基で計画中の原発は26基ある。 建設中と計画中の原発は56基で、現在運転中の原発を入れると将来70基の原発が稼働することになる。 http://www.jaif.or.jp/ja/nuclear_world/overseas/f0103.html
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三石博行
今、東日本大震災の課題を問うことの意味
地震・巨大津波と原発事故・広域放射能汚染の二つの異なる災害を引き起こした東日本大震災に関して、改めてその意味を考えなければならない。このことを敢えて今更言わなくてもよいと言われるかもしれない。しかし、東日本大震災の意味を問うというこの当然の疑問の中から現代社会での自然災害の姿を改めて見直す必要に我々は立たされていることに気付くのである。
再び見え始めた経済成長の希望に沸き立つ現在の日本社会を観るとき、これほどの大災害に遭いながらも、この災害の意味する深刻な課題を忘れ去ろうとする社会の動きを感じる。そこで、東日本大震災は人類史に残る大災害であったと改めて言うことで、希望の未来・経済成長に関心を向けようとしている現在の社会の流れに対して、私はあえて警告と反省を呼びかけ、この大災害から問われている重大な社会的課題を共に考えることを提唱したい。
だからと言って、私は、現政権が進める政策や経済成長が悪いと批判しているのではない。また、災害復旧や復興と経済成長が対立すると言っているわけでもない。ただ、自然災害からの復興のためには社会経済的な力が必要であるのは当然である。だがしかし、この大災害は、単なる自然災害だけでなく、以前、経済成長のために進められたエネルギー政策、安全を無視した原発建設によって引き起こされた事故でもある。そのことを忘れてはいけないと言っているのである。
社会や国民の生命や健康に関する安全管理と経済成長は対立する概念ではない。むしろ、安全管理を無視することで社会経済的な被害を受けることになると考えるのは言うまでもないだろう。しかし、現在の社会の流れは、経済成長のためには安全を犠牲にしても仕方がないという暗黙の了解が渦巻こうとしていないだろうか。
今年になって、原発事故に対する社会的な危機意識は大きく後退した。原発事故で沈黙を守ってきた人々、長年自民党政権下で利権を得てきた原子力ムラの一部の人々が「活断層を「創造」する原子力規制委への疑問」というキャンペーンを始めた(1)。そして、同時に、福島原発事故の徹底的調査は中断状態に置かれ、これまでのエネルギー政策が復権しつつあるように思われるのである。
地震・巨大津波と原発事故による放射汚染災害としての東日本大震災の特徴
2011年3月11日に起こった大災害・東日本大震災は、その発生当時から二つの異なる災害の質を持っている。一つは、地震と津波に代表される自然災害であり、もう一つは原発事故に代表される社会災害である。この二つの災害要因の異なる性質を、災害発生時から正確に理解しなければならなかった(2)。
一つ目の災害因子に対しては、これまでの震災経験を活かすことが出来た。例えば、1995年1月17日の阪神淡路大震災や2004年10月23日のその後の災害救済活動の経験が活かされた。しかし、すべての過去の経験が今回の東日本大震災の対策に活用された訳ではない。東日本大震災は、都市直下型の阪神大震災やまた新潟県中越地方を局所的に襲った新潟県中越地震と異なり、東北地方から北関東地方の太平洋岸全域に被害をもたらした。東日本全体にわたる巨大な地震と津波による大災害はこれまでの災害経験を超えていたと言えるだろう。
そればかりではなく、東京電力福島第一原子力発電所の4つの原子炉が同時に事故を起こし、1号機から3号機がメルトダウンを起こした。二つの原子炉が水素爆発を起こし、高濃度の放射能が大気中に放出され、福島のみでなく関東から東北太平洋岸を含む広範囲の放射能汚染が起こった。現在でも14万人の人々が避難生活を強いられている。しかも、福島第一原子力発電所の事故現場では放射能汚染水漏れ事故が繰り返され、汚染水の貯蔵が限界に来ると言われ、また使用済み核燃料のメルトダウンとそれに伴う巨大放射能汚染の可能性も残っているのである。原発事故は終結したのではない。事故は現在も進行中であり、今後、首都圏を含む広域の放射能汚染のリスクを抱える可能性を孕んでいるのである。
東日本大震災によって、地震と津波によって破壊された罹災地と原発事故によって高濃度放射能汚染を受けた被災地が生まれた。前者の罹災地に対しては、これまでの局地型震災と災害の規模が違うと言え、これまでの震災や津波被害に対する救済活動の経験や教訓が活かされる可能性を持っている。しかし、福島第一原発の事故によって発生した放射能汚染災害は日本社会がこれまで経験していない災害である。そのため、この災害に対しては、すべて初めての災害対策や救済活動が求められることになった。
震災や津波被害と放射能汚染災害の最も大きな違いは災害期間が基本的に異なることである。前者が一過的災害であるのに対して、後者は長期的災害となる。つまり、前者は災害直後に復旧や復興計画が立つが、後者は全く立たない。東日本大震災は、地震と津波による被災と原発事故によるそれとが重なることによって、これまで日本の震災史に書き込まれていない対策を求められた初めてのケースとなったのである。
震災当初から、地震と津波によって破壊された罹災地への震災対策と原発事故対策や放射能汚染対策は分けて取り組まれている。岩手や宮城県を中心とする津波と地震による罹災地対策はこれまでの震災対策を活かしながら対応ができる。しかし、福島県を中心とする原発事故による被害地への救援活動や福島第一原発の事故処理の活動は、チェルノブイリの経験と同じく、これまで世界や日本の歴史の中で人類が経験したことのない災害対策や救援活動の在り方が求められている。
これまでの震災経験の活用と、問題解決型の震災対策の分析・設計活動
福島原発事故を引き起こした東日本大震災では、阪神淡路大震災やその他の震災での経験や教訓を超えた課題が問われた。岩手県や宮城県を中心とする津波と地震による罹災地での救援活動に対しては、不十分な点はありながらも、阪神淡路大震災で学んだ多くの経験が活かされることになった。言い換えると、放射能被害を受けなかった震災地域と受けた震災地域の両方が東日本大震災を特徴づけたのである。そして 今回の福島原発事故の経験は、 自然災害の多い日本では、今後、地震によって原発事故が起こる可能性を示し、また、今回の放射能被害を受ける可能性のある罹災地の災害対策に活かされなければならないことを深刻に問い掛けている。
都市型や局所型の震災に比べ、広大な地域に広がる罹災地を抱えた東日本大震災の場合、罹災地での支援物資の供給活動は完全ではなかった。東日本大震災への対策や救援活動から得られた教訓が、その意味で、今後の震災対策の考え方、安全対策、危機管理や救援システムに活かされようとしている。インターネットや携帯電話、GPSシステムの巨大データベースが情報処理を駆使した統計処理によって分析され、震災時の人々の動きの理解を与え、それの分析資料から、災害時の避難経路の確保のための交通情報、また避難路の検討、それに必要なインフラの整備計画が復興対策の中に織り込まれようとしている。これまでの震災や津波のデータをあらゆる分野の研究成果を駆使して分析することによって、より有効な震災津波対策案が検討されることになるだろう。
震災被害を最小限に防ぐということが震災対策の最も重要な課題である。震災対策への投資コストと震災から受ける被害コストのバランスから投資の規模が算出される。これが現実的な対策が検討される基準となる。つまり、震災対策は経済上のコスト計算によって決定されている。その投資内容は、あらゆる分野の技術力や技能を投入動員したとしても、より効率よく、より経済的に、より便宜性を高めた選択枝が常に求められることになる。
福島原発事故と事故処理で生じる失敗が問いかける課題、東電や政府の責任問題
他の震災と異なる東日本大震災が与えた教訓は原発事故である。震災や津波が原発の巨大災害を引き起こすということがこの震災を通じて世界の人々に理解された。その意味で、東日本大震災と福島原発事故は切り離して考えられない。と同時にこの悲惨な事故が我々に警告している課題を理解しなければならない。
今、世界には原子力発電が431基(2010年)ある(3)。しかも、不足するエネルギーの最も経済的で手っ取り早い解決手段として原子力発電所の建設が計画されている。今後、中国では建設中と計画中の原子炉は56基あり、現在稼働中の原発を入れると70基の原発が建設される予定となる(4)。アジアだけでも100基以上の原子炉が建設される予定である。そう考えると、第二の福島原発事故は震災や津波以外の原因でも、起こることが避けられない時代が来る。その意味で、福島原発事故の解明と現在の事故対策は、今後の課題に大きな教訓を与え、また具体的な事故対策の方法や安全管理や危機管理システムを提案することになる。
しかし、この貴重な経験に向きあう日本社会(国民)、政府、東電や原発関連専門家集団の姿勢が問われている。東電の原因追究を避ける姿勢は事故以前と変わらない。起こりうる災害の可能性や問題を正確に理解しようとせず、常に楽観的な安全神話の思惑が先行して対策やシステムが企画される。そのシステムを検証することもしない。重大な原発事故を起こしても、また事故処理で発生する放射能汚染水の地下貯蔵タンク建設でも同じような失敗を繰り返し続けているのである。つねに、問題が発生するという可能性を最小限に見積もる、また、そのシステムを活用している他の専門家の意見すら聞くことも調査することもなく、素人に近い自分たちの知識と予測で対策を企画しシステムを建設してしまうのである。この重大な失敗の繰り返しの基本にある設計思想を問い掛け、検証する感性や知性を全く失っているのである。それに対しての対策は、それらの東電専門家を総入れ替えするしか、解決の道はないだろうと大多数の人々は考えるに違いない。
こうした東電専門家・技術者の無能さを放任してきたのは政府である。一つは政府事故調査委員会の調査報告書の国会での報告や討論、そして調査委員からの勧告を受けた法的システム(法律や制度改革)を行う政治活動が行われようとしていない。政策に活かされない国会事故調査活動とは税金の無駄使いとしか言いようがない。
前記したように、経済的発展に原発建設が必要という理解は世界の殆どの国に共通するものである。それは、この21世紀では、エネルギーと食糧の問題が世界の重大な政治的危機に発展することは避けらない事態が生じることを意味する。国民の豊かな生活レベルや環境を求め、世界の多くの国々では原発建設が進む。そして、同時に、原発が危険なものであることを経験した我が国や先進国では、脱原発と再生可能エネルギーを多く活用したエネルギー政策が進むだろう。日本は、今更、前者のグループに留まることは出来ない。寧ろ、後者のグループに参加するしか道がないことを、今後の福島原発事故処理で更にはっきりするだろう。
福島原発の事故処理に必要な時間は少なくとも30年と言われている。チェルノブイリの例でも、この30年の事故処理の時間は非現実的な予測でない。つまり、原発事故現場から10から20キロ範囲の立ち入り禁止地域は半世紀の間、人が住めない地域となる。したがって、その事実が深刻に日本社会の経済や地域文化に圧し掛かってくるのである。福島はこれからどうなるか。除染作業は進むのか。除染した放射能汚染物質の保管はどうなるのか。原発事故現場に放置されている使用済み核燃料は今後起こる地震で再びメルトダウンの危機にさらされないのか。いつまでにそのリスクを解決できるのか。東日本大震災は終わることのない原発事故処理を抱えたのである。
福島原発事故の原因解明と事故処理で生まれた技術が世界を救う(東日本大震災の教訓)
事故処理から見える我々の無能さを深く理解しているのは、事故現場で具体的に事故処理に立ち向かう技術者たちである。彼らの日々の闘いに対して、東電幹部の官僚的な対応は改善されたのだろうか。放射能汚染水漏れ事故と原発事故は共通する失敗の思想を持つのであるが、どのような制度がその彼らの事故処理への姿勢を変革できるだろうか。もし変革できなければ、多分、汚染水漏れ以上の重大な失敗が起こる可能性はないだろうか。それを防ぐためには、もはや事故処理を東電に任してはならないのではないか。政府が国家と国民の安全にかけて、その対策に乗り出す以外に道はない。つまり、着実の事故処理を進められる能力を持った人々を事故現場の司令塔に派遣し、彼らの指導の下に事故処理を行うしかない。
今後の二次災害や事故を防ぐための対策、思い切った決断を行えるのはもはや東電幹部ではない。政府にしかそれは出来ない。しかし、政府がかくて東電幹部と共に進めたエネルギー政策を変更しない限り、それを政府に望むことは出来ないだろう。
この悲観的状況を一つでも改善するために、少なくとも以下の課題をまず共有することから始めたい。
1、福島原発事故は東日本大震災を特徴づける災害であり、この事故処理が終わるまで、東日本大震災からの復旧や復興はあり得ない
2、福島原発事故の原因解明と原発安全管理システムの検証作業、事故後の危機管理、事故処理で開発された技術は今後世界に普及する原発建設にとって重要であり、その役割や責任を日本社会と政府が担っていることを自覚しなければならない。
3、エネルギー資源枯渇の時代を前にして、国民へのエネルギー安定供給を確立するために必要な再生可能エネルギーの利用、省エネ技術開発を脱原発政策を平行して推進するための中長期のエネルギー政策を立てる必要がある。
引用、参考資料
(1) 特集「活断層を「創造」する原子力規制委への疑問」月刊エネルギーフォーラム 2013年3月号 http://www.energy-forum.co.jp/eccube/html/user_data/energy_forum.php
(2) 三石博行 「震災・津波被害からの復興と原発事故対策を分けて対策を立てる必要性 -震災に強い国を作る(3)B-」 http://mitsuishi.blogspot.com/2011/04/blog-post_5265.html
(3) 「世界の原子力発電所の原子炉の数 2010年」 http://memorva.jp/ranking/world/iaea_nuclear_power_reactor_2010.php
(4) 日本原子力産業協会 「日本と世界の原子力」「2012年1月現在 の世界の原子力発電開発の現状の説明」によると、中国では稼働中の原発は14基、建設中のものが30基で計画中の原発は26基ある。 建設中と計画中の原発は56基で、現在運転中の原発を入れると将来70基の原発が稼働することになる。 http://www.jaif.or.jp/ja/nuclear_world/overseas/f0103.html
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