哲学に於いて生活とはそのすべての思索の根拠である。言い換えると哲学は、生きる行為、生活の場が前提になって成立する一つの思惟の形態であり、哲学は生きるための方法であり、道具であり、戦略であり、理念であると言える。また、哲学の入り口は生活点検作業である。何故なら、日常生活では無神経さや自己欺瞞は自然発生的に生まれるため、日常性と呼ばれる思惟の惰性形態に対して、反省と呼ばれる遡行作業を哲学は提供する。方法的懐疑や現象学的還元も、日常性へ埋没した惰性的自我を点検する方法である。生活の場から哲学を考え、哲学から生活の改善を求める運動を、ここでは生活運動と思想運動の相互関係と呼ぶ。そして、他者と共感しない哲学は意味を持たない。そこで、私の哲学を点検するためにこのブログを書くことにした。 2011年1月5日 三石博行 (MITSUISHI Hiroyuki)
2013年7月31日水曜日
旅立ち
三石博行
その時、過去と呼ばれる履歴の先に、約束された未来という新たな予測が消え失せ
目の前は暗黒の世界となる。
もはや、予定された未来はない。
新たに現れた現実は、過去の履歴方程式から一切の未来の解を求めることは出来ない。
私は、過去の時空の切断された暗黒の現実に立たされて
自の決意を後悔する。
もう、元には戻れない。
もう、今までの精神時空の延長線に安堵の世界はない。
私は、目の前の余りにも暗い世界に慄き
今あった確信がことごとく不安の海に沈むのを見る。
もう、元には戻れない。
もう、今まであった生活慣性力の延長線上に私の存在はない。
眼前の暗黒の現実は、私が望んだものではない。
断絶された約束の未来は、私が予測したものではない。
しかし、今、私は暗黒の現実と
過去の履歴からの断絶の道を敢えて選んでしまった。
そして、「僕の前に道はない。 僕の後ろに道は出来る」
と詠うのなら、
日の照らされた希望の路ではないことを覚悟せよ。
夢に溢れた愉快な路ではないことを知れ。
挑戦とは、暗黒の現実の中を、戸惑いながら進むことなのだから。
解説
人には、運命と呼ばれる今まであった過去の世界が突然消えうせる瞬間や、絶望的な現実を受け止めなければならない瞬間がある。また、積極的に今までの生活のしがらみを断ち切り、無謀な旅に出ることもある。それが未来と呼ばれる未知への挑戦なのだ。災害や不幸という運命に立ち向かう人々、進んで過酷な旅に出る人々、そして無謀な旅で命を落した人々。 それらの人々へ、「それでも生きるのだ」、「それでも私は旅にでるのだと」いう叫びの歌を書いた。
2013年7月31日(修正)
--------------------------------------------------------------------------------
Tweet
0 件のコメント:
コメントを投稿