2017年1月5日木曜日

自然エネルギー社会を理解するために(1)

第四次産業構造から観る自然エネルギー産業形態と設計科学の必要性

三石博行


自然エネルギー産業は最も産業構造では、その土台を担う基本産業、つまり一次産業・エネルギー産業である。しかし、この産業は、科学技術文明社会によてt成立した新しい形態の一次産業であるといえる。この産業構造を理解するために、産業史の視点から分析する。

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これまで産業の種類を大きく三つの分類していた。資源を生産する一次産業、それらを加工する二次産業、そして加工された生産物を消費者により良く届け普及する三次産業である。こうした分類は、19世紀から20世紀前半までの工業社会を中心にして生まれた産業社会の概念であった。
科学技術が進歩し、ポスト工業社会が模索された20世紀後半の先進国では、第三次産業が産業構造の中で次第に大きな割合を占め始めた。そのことは、衣食住や生活手段・道具を質的向上、例えば家電等々、豊かな住宅環境、教育投資、教育環境充実を意味する二次生活資源、豊かな生活を求める生活行為によって生み出される生活素材や生活様式が充実し、その上で、人々は余暇や娯楽を楽しむ生活スタイルを形成して行ったことを意味する。

つまり、第三次産業とは人々の欲望を満たすためのサービスを提供する産業である。つまり、この第三次産業は、人々の欲望を満たすための生活行為によって生み出される生活素材や生活様式、言い換えると三次生活資源を生産、消費、再生産する産業構造を意味すると言える。

科学的知識が直接産業活動に関係し始めたのは技術という知識、つまり工業生産を支えた工学技術がある。代表的なものとして、電気工学(電磁気学の工学的応用)、機械工学(物理学全体の工学的応用)、化学工学(化学および物理学の工学的応用)、建築土木工学、、近代的農業生産を研究する農学、医学や薬学である。物理学や化学の成立、それらを土台とした自然科学的知識が産業活動に必要不可欠なものとなった。つまり、科学技術が社会構造の基本的知の核となり、その知的空間と理念によってすべての人間活動や社会機能が形成され始めた。この社会形態を科学技術文明社会と呼んだ。

科学技術文明社会では、人間の社会的行為は科学という行為を含ないで成立しえないことになる。上記した一次産業も科学技術的な行為を含み、その生産様式の合理化や効率化、また生産物の改良が行われる。

科学的行為の代表である研究や開発という人間行為によって成立する研究開発産業が生まれ、それらがこれまでの一次産業、二次産業と三次産業に結合関連して成長展開する。シンクタンクや研究所という研究開発を行う新しい産業が形成される。これを四次産業と呼ぶことにした。

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研究開発という人間的行為は、豊かな生活を求める人間行為、つまり二次生活資源を生み出す生活行為が前提に含まれている。しかし、そればかりではない。知的欲望を満たそうとする行為、つまり三次生活資源を生み出す生活行為がなければ成立しない。つまり、研究開発の行為は、主観的には知的欲望を満たすために行われる探究心と呼ばれる欲望を土台にし、それらの欲望から生まれる行為が、豊かな生活を目指すか、もしくは豊かな生活を破壊することになるかは、明らかにされない行為であるとも言える。

科学を「人間の業(ごう)」だと説明した梅竿忠男の科学に関する理解は深い。アイシュタインの質量とエネルギーに関係式は、原子爆弾にもなるし、その知識を平和的に応用しようというので原子力発電技術が開発された。いずれにしても、この人類が見つけ出した宇宙の法則、太陽エネルギーの正体は、人類を破滅に導くものになろうとしているのである。

科学技術の知識を追い求めることは、自然世界の究極の支配力を得ようとすることである。自然科学的知識のみでなく、人間社会と呼ばれる世界の規則・様式(機能)やその構造(社会や生活資源を構成する素材の構成)を理解し、かつその改良を企てる人間社会科学的知識も、同じように、人間社会的世界の究極の支配を試みているのである。

その意味で、20世紀後半から21世紀に掛けて、あらゆる産業活動、社会活動、そして生活活動(個人的行為を含む)は自然科学および人間社会科学とその応用科学(技術や政策)、総じて科学技術と結合関連して成立発展しているのである。現代の社会・生活資源を生産する一次産業は必然的に四次産業(研究開発産業)と結合関連しながら発展することになる。

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その代表的な事例として自然エネルギー産業がある。これまでエネルギー生産は一次産業に所属していた。それらのエネルギー資源はおもに自然界に埋蔵、もしくは自然物として存在していた。河川の流れ、石炭、石油、天然ガス、地熱、太陽熱、光合成で生産される植物資源、つまり森林や農作物、さらには生態環境や食物連鎖によってによって生産される動物、家畜資源、これらの資源は自然によって生産あれた素材やエネルギーと呼ばれるものである。これらのエネルギーや素材資源の生産が一次産業によって担われていた。

たとえば、太陽光発電も太陽光という自然エネルギーから電気を生産する訳でなので、一次産業である。しかし、太陽光を直接電気に変換する科学的知識とその生産を可能にした工学的技術によって成立する一次産業である。言い換えると、研究開発産業、四次産業を前提にして成立している一次産業である。

そのことは、現代の自然エネルギー生産産業を理解しる上で、極めて大切な視点を持ち込んでくる。それは単に、科学技術の恩恵によって成立している一次産業としての太陽光発電産業の理解ばかりでなく、人間の業としての科学を背景にして成立するエネルギー生産活動であることの自覚的理解である。

そのため、自然エネルギー生産活動には、必然的に科学主義と呼ばれる思想が入り込み、研究開発によって夢のような自然エネルギー生産が可能になるという「楽観主義」が自然発生する。この考え方は、将来あるべき現実的な自然エネルギー産業のあり方は進化の方向を誤らせる要因となる。つまり、これまでの工業生産型エネルギー産業のモデルがそのまま適用されてしまう。

工業生産型エネルギー産業とは、無限と思われた豊富で、しかも安易に採掘できた鉱物資源、化石燃料資源等を前提にして、巨大設備での大量生産型の産業形態を意味している。この発想によって、より集中的に生産性を高め、生産量を増やすという生産様式が自然エネルギー生産に持ち込まれる。その典型がメガソーラー、巨大風力発電、超大型水力発電である。そして極限の形態が、巨大な人工衛星の太陽光発電を行うための宇宙太陽光発電所となる。

これらの集中型生産様式は、これまでの一つの生産拠点で大量生産を行うことが工業生産性の効率を上げると考えられてきた工業社会の発想である。その視点から考えると、エネルギー変換率が20パーセントの太陽光発電パネルも、効率のいいいエネルギー生産ではないと思われるだろう。そうして、より効率の高い発電所を模索するだろう。

問題は、自然エネルギーを活用したエネルギー生産産業は、これまでの大型火力発電や大型水力発電、そして原子力発電所のような、生産(大型で集中型生産)は負荷のである。勿論、砂漠地帯では巨大な敷地面積を必要とするメガソーラーや、場合によっては大型風力発電所も可能かもしれない。しかし、私たちの日本では、山林を切り開く、また農地を覆い作るメガソーラーは環境破壊の要因となることは避けられない。

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もちろん、日本では、場所によってはメガソーラーも可能であるが、家の屋根や土手や荒地を活用した小規模の太陽発電所や風力発電所が最も適した自然エネルギー生産のスタイルとなるだろう。そうだとすると、中小型自然エネルギー生産の技術開発に取り組むと同時に、その生産様式を検討しなければならないだろおう。その意味で、市民共同自然エネルギー生産活動が適していると思われる。

言い方を変えると、省エネルギーを前提にして、将来の自然エネルギー生産社会を企画し創造する以外に道はないのである。地産地消型の産業の形が自然エネルギー産業の未来のモデルとして最も適した、必然的な形態であると言うことの意味は、この社会を形成するためには、科学技術や生産様式の問題だけでなく、ライフスタイル、地域社会の在り方、他の農業をはじめとする産業構造の在り方を含めて、未来の生活空間、社会空間、生態環境空間や国際社会との関係を含めた、すべての社会生活空間の設計企画と不可分であると言える。

そして、この設計思想、デザイン科学(設計科学)が同時に、再生可能資源・エネルギー社会の形成、自然エネルギー生産産業の在り方に問われいることを忘れてはならないのである。



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