-日韓の異なる歴史認識を支える理論の点検を代表する植民地近代化論-
三石博行
はじめに 植民地近代化論とは何か
日韓関係の歴史認識をめぐる課題の中に、で日韓併合によって朝鮮半島の近代化・工業化が進んだという考えと、それに対する批判の二つの論争がある。この二つの解釈は日韓併合や日本の植民地主義を評価する側とそうでない側の極めて大切な論点である。そこで、植民地支配が朝鮮半島の近代化に寄与したという考えについて分析してみようと思う。このテーマに関しては多くの先行研究論文が存在している。それらの全てに目を通すことは出来ないので、主な論文を参考にすることにした。その上で、考えを述べることにした。
1、近代化とは何か
1-1、鹿鳴館と反射炉建設、二つの西洋文化の導入形態
まず、近代化とは何かという定義について考えてみる。例えば日本の歴史を紐解くとき、不平等条約に苦しむ明治政府が欧米列強に日本が西洋文明をいち早く取り入れた近代国家であることを示すため鹿鳴館を建設し日本の上流社会の人々が洋服を身に着け西洋の音楽と舞踊を嗜んでいる光景を創りだした。このことを近代化の一貫であると述べることが出来るだろうか。つまり、近代化とは西洋の物まねと意味するのだろうか。
また、1872年10月14日に明治政府は日本で初めての鉄道を新橋駅 - 横浜駅(現桜木町駅)間に開通させた。この鉄道は海外の技術と技術者によって敷設されたものである。当初、枕木をはじめすべての敷設材料をイギリスから輸入しる予定であったがこの敷設計画にあたったイギリス人エドモンド・モレルの意向によって国産の木材が使われた。全線29キロの日本初の鉄道が開通したのである。鉄道敷設は近代国家日本の富国強兵政策の一貫として取り組まれ、その後、全国に鉄道網が敷設された。鉄道建設のための技術、例えばレール用の鉄鋼素材やトンネル掘削技術等々、海外の技術を導入しながらそれらを自国で生産に必要な技術開発が行われた。
近代産業にとって製鉄工業は基幹産業の一つである。江戸時代末期に、伊豆国、江戸、佐賀藩、薩摩藩、水戸藩、鳥取藩、萩藩や島原藩などで反射炉の建設が行われ西洋式の大砲の製造に必要な上質の製鉄技術が導入された。それらの技術によって江戸末期、1862年には小型蒸気船軍艦建造も可能になっていた。
また、自前の技術改良による反射炉建設技術から始まる日本の製鉄工業は、1875年明治政府が工部省管轄の釜石鉱山の製鉄事業を立ち上げ、本格的に始まった。その後この製鉄事業を軌道に乗せるために1885年に民営化が行われ、釜石・田中製鉄所が出来た。また、明治政府は富国強兵策の一貫として官営大製鉄所の建設に着手し、1896年官営八幡製鉄所の官制発布し、ドイツの技術を導入して工場建設を行った。
このように近代化を語る場合、引用される事例は殆どが西洋の技術の導入であり、それによる新しい産業、工業や新しい流通システム、鉄道や船舶の建設であり、洋風建築技術や土木技術等々、西洋の科学技術の導入を近代化と呼んでいる。つまり、この概念からは、上記した洋服を身に纏い西洋の舞踊物まねをした鹿鳴館も近代化の概念に入ることにはならないだろうか。
近代化を国民国家とそれを担う国民の形成という概念から観るなら、西洋の物まねをした鹿鳴館とオランダの書物から学びながらも日本の技術を駆使して建設した反射炉は全く異なるものであると癒える。何故なら、近代化とは西洋文化や技術を文化的異なる東洋日本に持ち込む作業である。単にその技術を導入するだけでは、その技術の再生産が日本では不可能となる。つまり、国民国家とは日本人が近代国家的自我を形成し、日本人による日本人のための近代国家になることによってはじめて成立する概念である。西洋の技術に関する日本への導入も、その技術が日本人になじみ日本人の思考や技能となることで、日本で再生産が可能になる。それら一連の技術や生産工程等の日本化を改良と呼んでいる。
言い換えると、日本で日本人によって生産工程が機能するように、西洋の技術が日本風に解釈される必要がある。その日本風の解釈を改良と呼んでいる。もし、改良という作業が機能しない場合には、近代化は進まない。それは近代化ではなく、文化的侵略として理解され、また伝統技能や生産システムを解体する植民地政策として解釈されることになる。
多くの場合、近代化の基本概念や観念構造に関する議論を行わず、単に海外の技術導入を近代化と理解していたことによって多くの技術導入過程における失敗や混乱を生み出したのである。それらの反省にたって、新らためて近代化とは何かという基本的概念について考えなければならないのである。
つづく
1-2、近代化過程のプログラム科学論的解釈
1-3、植民地で近代化は可能か
2019年9月14日 ファイスブック記載
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哲学に於いて生活とはそのすべての思索の根拠である。言い換えると哲学は、生きる行為、生活の場が前提になって成立する一つの思惟の形態であり、哲学は生きるための方法であり、道具であり、戦略であり、理念であると言える。また、哲学の入り口は生活点検作業である。何故なら、日常生活では無神経さや自己欺瞞は自然発生的に生まれるため、日常性と呼ばれる思惟の惰性形態に対して、反省と呼ばれる遡行作業を哲学は提供する。方法的懐疑や現象学的還元も、日常性へ埋没した惰性的自我を点検する方法である。生活の場から哲学を考え、哲学から生活の改善を求める運動を、ここでは生活運動と思想運動の相互関係と呼ぶ。そして、他者と共感しない哲学は意味を持たない。そこで、私の哲学を点検するためにこのブログを書くことにした。 2011年1月5日 三石博行 (MITSUISHI Hiroyuki)
2019年9月14日土曜日
哲学とはなにか(1)
現代社会で問われる科学技術哲学の課題
三石博行
なぜ哲学とは何かを哲学は問うのか
私は何回も哲学とは何かを問いかけ続けている。自分のことを哲学者と呼ぶにはあまりにも自信がない。だから、今まで自分を哲学者と呼んだことはない。しかし、哲学者になりたいと思う。それが私の希望である。そのためにはもっと努力が必要だと思うが、その前に、哲学とは何かを明確に定義付けることが出来るのかを自問自答してきた。
現代社会や文明の観念構造を問いかける道具としての哲学:反省の学問
残された現代哲学の課題は、「自己を振り返る行為・反省に関する省察」である。何故なら、自然哲学は自然科学へ、政治哲学は社会科学・政治や政策学へ、科学哲学や認識論は認知科学や科学技術社会科学へ、論理学は数理論理学や情報科学へ、中世社会まで体系的知を目指す学問として哲学は、近代社会、現代社会の歴史的発展の中で、発展的に消滅したからである。
その意味で、中世的な哲学専門家も消滅した。それに代わりより詳細に分業化された科学分野の専門家が登場した。彼らは実際社会の役に立っているし、もし役立たないなら社会から消滅するのみである。社会経済成長は市民社会の発展とは、中世的な哲学者・宗教神話的世観が消滅による現代社会の技術的生産性を持つ現代社会の科学者・実証主義的世界観の形成によってもたらされた。
宗教的世界観に根拠を持つ哲学には神の存在に対する盲目的信仰があった。近代合理主義思想も科学研究も神の真理を求める信仰があった。その近代合理主義思想から生まれた科学法則・ニュートン力学によって科学的実証主義が形成され、その実践力への信仰が科学主義を生んだ。現代社会の世界観は科学主義の上に成立している。
科学的実証主義は社会科学を変えた。社会科学も社会変革に実践的で有効な知識と技術でなければならない。これが啓蒙主義によって生まれた新しい人間社会科学の考え方である。啓蒙主義を支える自由や平等、民主主義思想は、経済社会制度を変革した。資本主義経済や民主主義社会制度はそうして生まれた。これらの経済社会制度への変換を総じて近代化と呼んでいる。
近代化とは総じて中世的世界観を持つ社会から科学的世界観を持つ社会への変換を意味する。近代化は世界にある様々な中世的世界観(宗教的世界観)をことごとく科学主義思想に塗り替えてきた。そしてほとんどの国がその恩恵を受け、工業生産活動を可能にし、さらにはIT情報化社会を展開し、国際経済へ参加している。科学主義は確かに豊かな社会を導いた。
しかし今、それぞれの国での近代化の過程、受け入れた西洋文明・科学主義思想、科学技術文明社会構造が問われている。その問いかけは伝統文化の破壊、生態環境汚染、都市化による伝統的共同体社会や文化の崩壊、新しい産業構造の中で生じる経済格差等々によって生じてきた。これらの問題も科学技術の進歩によって解決できると言われ、実際にその技術的解決が試みられている。
これらの問題を科学技術が解決することが出来るのはと言う疑問も投げ掛けられている。つまり、科学技術知識による問題解決の立場は、科学技術の知識を所有する人々の利益を前提にしている。つまり、その知識は「科学技術を所有する人々のためであり、その科学技術の更なる発展のため」に自己増殖し続けるのである。
そこで、この科学技術の知の在り方に対する基本的な点検が必要となる。それはもちろん科学技術的知識の中で可能にならない。それは科学技術の発展やその発展の上に成立している科学技術文明社会に影響を受ける人々の立場から可能になる。それをこれまで「反科学」、「反科学思想」、「反近代化」、「反進歩主義」、「反資本主義制度」、「反グローバリゼーション」等々と呼んできた。
これらの科学技術文明社会やそれを担う科学主義思想への反抗による中世的な社会制度への後退が仮に主張されたとしても、それらの主張や主義は現実的な解決を導くことはない。しかし、同時に、それらの主張は人類の存続に関わる地球規模の環境汚染を前にして非常に説得力をもつことは疑いもない。
現代社会文明の基本的理念の骨格である科学主義とそれを実現している科学技術、そして科学技術を最も合理的知識や技術として成立している社会・科学技術文明社会、その上に成立している私たちの生活文化や生活様式を問いかける作業は、言ってみれば、自分を形成しているものを自分が問いかける作業に似ている。そんな困難なことが出来るのか。一般に出来ないと言うべき作業であると言うのが正常な精神状態からの回答である。
社会と個人の失敗の経験の上で成立する学問:哲学
哲学は自らが信じて疑わない観念(ドグマ)を見つけるために用意された学問である。伝統的に哲学の方法論は「自らを疑う作業」から始まる。その代表者がソクラテスであり、ベーコン、デカルト、パスカル等々、現在の哲学の基本を創った人々の考え方である。その考え方は疑うことであった。しかし、自分で自分を疑うことはできない。自分が疑いの対象者とならない限り疑えないのである。だから、哲学を深化するためには、生活行為、社会行為、また科学的行為と呼ばれる他者と共に社会観念を再生産する行為主体になる必要がある。
大いに行動し、実験し、失敗する人生こそが哲学を行う最低条件である。大学の哲学部で哲学は出来ないし、哲学書を読んでも、それが自分の経験と共鳴しない限り、哲学にはならない。
哲学は何とも分かりにくい学問である。しかし、失敗をしたことのある人には必要な学問であるし、是非とも多くの失敗を重ねてきた人は、哲学をやる意味があると思う。これは私の経験からの助言でもある。
今、科学技術文明社会を引き起こす問題、つまり、その成功や評価に対して、否定的な側面が語られ、その文明や社会を否定するスローガンが「反科学」、「反科学思想」、「反近代化」、「反進歩主義」、「反資本主義制度」、「反グローバリゼーション」等々と呼ばれている時代にこそ、哲学は科学技術文明社会を支えた科学主義思想を根本から問いかける学問としての役割を果たすと思う。しかも、その役割を果たすべき人々は、科学技術文明にどっぷりとつかって失敗してきた人である。それらの人々が失敗を自覚したときに現代哲学が深化する機会を得るのだと思う。
2019年9月14日 ファイスブック記載
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三石博行
なぜ哲学とは何かを哲学は問うのか
私は何回も哲学とは何かを問いかけ続けている。自分のことを哲学者と呼ぶにはあまりにも自信がない。だから、今まで自分を哲学者と呼んだことはない。しかし、哲学者になりたいと思う。それが私の希望である。そのためにはもっと努力が必要だと思うが、その前に、哲学とは何かを明確に定義付けることが出来るのかを自問自答してきた。
現代社会や文明の観念構造を問いかける道具としての哲学:反省の学問
残された現代哲学の課題は、「自己を振り返る行為・反省に関する省察」である。何故なら、自然哲学は自然科学へ、政治哲学は社会科学・政治や政策学へ、科学哲学や認識論は認知科学や科学技術社会科学へ、論理学は数理論理学や情報科学へ、中世社会まで体系的知を目指す学問として哲学は、近代社会、現代社会の歴史的発展の中で、発展的に消滅したからである。
その意味で、中世的な哲学専門家も消滅した。それに代わりより詳細に分業化された科学分野の専門家が登場した。彼らは実際社会の役に立っているし、もし役立たないなら社会から消滅するのみである。社会経済成長は市民社会の発展とは、中世的な哲学者・宗教神話的世観が消滅による現代社会の技術的生産性を持つ現代社会の科学者・実証主義的世界観の形成によってもたらされた。
宗教的世界観に根拠を持つ哲学には神の存在に対する盲目的信仰があった。近代合理主義思想も科学研究も神の真理を求める信仰があった。その近代合理主義思想から生まれた科学法則・ニュートン力学によって科学的実証主義が形成され、その実践力への信仰が科学主義を生んだ。現代社会の世界観は科学主義の上に成立している。
科学的実証主義は社会科学を変えた。社会科学も社会変革に実践的で有効な知識と技術でなければならない。これが啓蒙主義によって生まれた新しい人間社会科学の考え方である。啓蒙主義を支える自由や平等、民主主義思想は、経済社会制度を変革した。資本主義経済や民主主義社会制度はそうして生まれた。これらの経済社会制度への変換を総じて近代化と呼んでいる。
近代化とは総じて中世的世界観を持つ社会から科学的世界観を持つ社会への変換を意味する。近代化は世界にある様々な中世的世界観(宗教的世界観)をことごとく科学主義思想に塗り替えてきた。そしてほとんどの国がその恩恵を受け、工業生産活動を可能にし、さらにはIT情報化社会を展開し、国際経済へ参加している。科学主義は確かに豊かな社会を導いた。
しかし今、それぞれの国での近代化の過程、受け入れた西洋文明・科学主義思想、科学技術文明社会構造が問われている。その問いかけは伝統文化の破壊、生態環境汚染、都市化による伝統的共同体社会や文化の崩壊、新しい産業構造の中で生じる経済格差等々によって生じてきた。これらの問題も科学技術の進歩によって解決できると言われ、実際にその技術的解決が試みられている。
これらの問題を科学技術が解決することが出来るのはと言う疑問も投げ掛けられている。つまり、科学技術知識による問題解決の立場は、科学技術の知識を所有する人々の利益を前提にしている。つまり、その知識は「科学技術を所有する人々のためであり、その科学技術の更なる発展のため」に自己増殖し続けるのである。
そこで、この科学技術の知の在り方に対する基本的な点検が必要となる。それはもちろん科学技術的知識の中で可能にならない。それは科学技術の発展やその発展の上に成立している科学技術文明社会に影響を受ける人々の立場から可能になる。それをこれまで「反科学」、「反科学思想」、「反近代化」、「反進歩主義」、「反資本主義制度」、「反グローバリゼーション」等々と呼んできた。
これらの科学技術文明社会やそれを担う科学主義思想への反抗による中世的な社会制度への後退が仮に主張されたとしても、それらの主張や主義は現実的な解決を導くことはない。しかし、同時に、それらの主張は人類の存続に関わる地球規模の環境汚染を前にして非常に説得力をもつことは疑いもない。
現代社会文明の基本的理念の骨格である科学主義とそれを実現している科学技術、そして科学技術を最も合理的知識や技術として成立している社会・科学技術文明社会、その上に成立している私たちの生活文化や生活様式を問いかける作業は、言ってみれば、自分を形成しているものを自分が問いかける作業に似ている。そんな困難なことが出来るのか。一般に出来ないと言うべき作業であると言うのが正常な精神状態からの回答である。
社会と個人の失敗の経験の上で成立する学問:哲学
哲学は自らが信じて疑わない観念(ドグマ)を見つけるために用意された学問である。伝統的に哲学の方法論は「自らを疑う作業」から始まる。その代表者がソクラテスであり、ベーコン、デカルト、パスカル等々、現在の哲学の基本を創った人々の考え方である。その考え方は疑うことであった。しかし、自分で自分を疑うことはできない。自分が疑いの対象者とならない限り疑えないのである。だから、哲学を深化するためには、生活行為、社会行為、また科学的行為と呼ばれる他者と共に社会観念を再生産する行為主体になる必要がある。
大いに行動し、実験し、失敗する人生こそが哲学を行う最低条件である。大学の哲学部で哲学は出来ないし、哲学書を読んでも、それが自分の経験と共鳴しない限り、哲学にはならない。
哲学は何とも分かりにくい学問である。しかし、失敗をしたことのある人には必要な学問であるし、是非とも多くの失敗を重ねてきた人は、哲学をやる意味があると思う。これは私の経験からの助言でもある。
今、科学技術文明社会を引き起こす問題、つまり、その成功や評価に対して、否定的な側面が語られ、その文明や社会を否定するスローガンが「反科学」、「反科学思想」、「反近代化」、「反進歩主義」、「反資本主義制度」、「反グローバリゼーション」等々と呼ばれている時代にこそ、哲学は科学技術文明社会を支えた科学主義思想を根本から問いかける学問としての役割を果たすと思う。しかも、その役割を果たすべき人々は、科学技術文明にどっぷりとつかって失敗してきた人である。それらの人々が失敗を自覚したときに現代哲学が深化する機会を得るのだと思う。
2019年9月14日 ファイスブック記載
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自分勝手な自己分析記録(1)
思考実験としての書く行為
三石博行
ぼんやり頭で理解していることは殆どが気持ちの上で了解された内容に留まる。これらの内容を文書化する作業は理解していると思っていることを点検する作業であり、一種の思考実験である。
書いてみると不十分な点が明らかになる。また、書いたものがあるために自分の理解や認識の不足を再度点検することが出来る。そのために書くのである。書くことは他者への表見であると同時に自己への確認でもある。
書かなければ生きていけない人々がいる。日記を書き続ける人、ブログを書き続ける人、詩、エッセイ、小説、読書日記等々、書かざる得な人は自分にあった表現を選び、文章を書き続ける。
本当に知っていることはわずかである。しかし、多くことを知っているからと言って、それが自分の納得する知性の在り方には通じないかもしれない。勿論、知識力を競うテレビ番組に参加することを目標としていれば、知識の量が問題となるだろう。しかし、自分の生きている生活空間の中で求められる知識はその生活空間に有用な知識のみであり、わずかな知識で人は生きている。
書くという行為は、自分の知識の量や豊かさを確認するためのものではない。もちろん、知っているべき知識が書く作業の中で問われる。そのため、書く作業を通じて、多くの情報を取り入れ、勉強をしなければならない。
色々な課題に関して書くと言うことは、今まで関心をもっていた世界、それは専門的な学習をしたのではないが、興味を持ち続けていた世界、何となく知っていると思っていた世界が、各行為を通じて、自分の理解していた情報の曖昧さを気付かせてくれる。
書くという行為に通じて、知らなかった世界が明らかに浮き上がってくる。それは書く行為を楽しむ一つの要素でもある。この実験作業によって、多くのことが明らかになる。それが書く行為ではないだろうか。
2019年9月14日 ファイスブック記載
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三石博行
ぼんやり頭で理解していることは殆どが気持ちの上で了解された内容に留まる。これらの内容を文書化する作業は理解していると思っていることを点検する作業であり、一種の思考実験である。
書いてみると不十分な点が明らかになる。また、書いたものがあるために自分の理解や認識の不足を再度点検することが出来る。そのために書くのである。書くことは他者への表見であると同時に自己への確認でもある。
書かなければ生きていけない人々がいる。日記を書き続ける人、ブログを書き続ける人、詩、エッセイ、小説、読書日記等々、書かざる得な人は自分にあった表現を選び、文章を書き続ける。
本当に知っていることはわずかである。しかし、多くことを知っているからと言って、それが自分の納得する知性の在り方には通じないかもしれない。勿論、知識力を競うテレビ番組に参加することを目標としていれば、知識の量が問題となるだろう。しかし、自分の生きている生活空間の中で求められる知識はその生活空間に有用な知識のみであり、わずかな知識で人は生きている。
書くという行為は、自分の知識の量や豊かさを確認するためのものではない。もちろん、知っているべき知識が書く作業の中で問われる。そのため、書く作業を通じて、多くの情報を取り入れ、勉強をしなければならない。
色々な課題に関して書くと言うことは、今まで関心をもっていた世界、それは専門的な学習をしたのではないが、興味を持ち続けていた世界、何となく知っていると思っていた世界が、各行為を通じて、自分の理解していた情報の曖昧さを気付かせてくれる。
書くという行為に通じて、知らなかった世界が明らかに浮き上がってくる。それは書く行為を楽しむ一つの要素でもある。この実験作業によって、多くのことが明らかになる。それが書く行為ではないだろうか。
2019年9月14日 ファイスブック記載
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関係としての祈り
-日韓関係を改善するために問われる課題―
三石博行
平和主義や人権主義を基調にしながら日韓交流を行い続ける人々の祈り
韓国でも日本でも、反日や嫌韓を扇動する排他的民族主義者や報道機関、そして政治家たちは、これからも大声で日韓関係の破壊を叫び続け、両国の市民の友好活動を攻撃し排除し続けるだろう。
しかし、その中でも、過去の苦い戦争や侵略の歴史を繰り返してはならないという人々は必ずいる。それらの人々こそが、私たちの希望である。何故なら、それらの人々が、諦めず、自分のできる範囲で、平和と人権を守るための、生活と未来を守るための活動をし続けるだろうと信じることが出来るからだ。
平和や人権を守りたいという願いは祈りに近い、それは現実の大きな世界の流れの中で、何もできない弱い自分であることを知りながらも、しかし、それでも、その願いを一歩を前にすすめるための、勇気をもって生きようとするからだ。
光州市で市民が9月から11月まで、市民自由大学を開催しているらしい。日韓の専門家を呼んで、「ノウジャパン」、「No JapanでなくKnow Japanらしい」を開催することになっている。素晴らしい企画だと思う。
フェイスブック 2019年9月14日記載
「光州市の市民自由大学」 https://blog.goo.ne.jp/micchan_oohashi/e/f76fee7a1966010e7954fd31e4f5b686?fbclid=IwAR1Jz76XNx2pP4EJRoSdl2RqYmyENZwc7U4UHm7bPdPZil2UMDWJwwdNDHY
人々の人権を守るために生きてきた人々への祈り
日本が朝鮮半島を植民地支配していた時代に韓国の人々に寄り添って生きた日本人はいた。その数は少なかったにしろ、そしてその行為は日々の細やかなものであったにしろ、また社会的な事業であったにしろ、それらの人々の記憶を忘れたくはない。何故なら、それらの人々の存在こそ、今、私たちに希望を与えてくれるからである。
ブログ「ほこぽこ日和」で紹介されていた「全羅南道(チョルラナムド)木浦(モッポ)市にある「木浦共生園」への旅の記録を読んだ。この施設は1928年に、尹致浩(윤치호:ユン・チホ、1909-1951)、および妻・高知県出身の田内千鶴子(たうち ちづこ)、結婚後 尹鶴子(윤학차:ユン・ハクチャ、1912-1968)の二人が身寄りのない子どもたちを家に連れてきて共同生活を始める活動から生まれた。1945年の日本の敗戦(日本植民地からの解放)や朝鮮戦争の激動の中、尹致浩・尹鶴子夫婦が、地域の人々の援助によって「木浦共生園」を守り続けた記録が書かれてあった。
過去にも、そして今でも、些細ながらも、自分のできる範囲ではあるが誠意をこめて、海外で生きている日本人がいたししいる。これらの人々の名前はない。しかし、これらの人々に触れた人々の記憶が残る。それは空気のようにいつの間にか歴史のどこかに流れ去っていくだろう。それは空気のようにあることが当然のように透明な存在であるだろう。しかし、この存在こそが、友情や共感の文化の源であり、そこに異なる文化の人々の和が形成されると信じる。
彼らはその信念や願いが困難な時代や社会の壁に閉ざされようとした時、また、無知ゆえに邪悪な人々の妨害に会った時、祈ったであろう。必ず、その願いが通じることを祈ったに違いない。
フェイスブック 2019年9月14日記載
「木浦の旅[201902_01] - 孤児のために生涯を捧げた韓日夫婦を称え記憶継承する「木浦共生園 尹致浩尹鶴子記念館」」
http://gashin-shoutan.hatenablog.com/
自由と民主主義を守るために犠牲になった人々への祈り
2016年2月に光州に行った。1993年の光州事件(5.18民主化運動)は私の記憶にはっきりと残っていた。一回は光州に行きたいと思っていた。光州の大学に勤務する友人の車に乗せてもらい、光州事件が起こった公園広場、銃撃戦の舞台となった旧市役所(今は記念会館になっている)、犠牲者を祭る墓地や記念碑を巡った。しかし、残念ながら、光州蜂起の切掛けとなった学生運動の根拠地・全南大学校には訪問できなかった。
現在の韓国の市民や若者にとって光州事件は現在の韓国の民主主義社会の原点の一つになっているだろう。何故なら、自らの血をもって軍事政権の圧政に立ち向かった市民の歴史がそこにあるからだ。現在も続くろうそく運動の原点も、これらの民主化運動にある。その意味でこれらの運動が現在の韓国市民社会のアイデンティティを形成していると言っても過言ではない。
日本でも幕末の社会を変革した人々がいた。それらの人々の志や犠牲が明治維新や日本の近代化の原動力となった。しかし、その流れは日本の軍国主義に飲み込まれ、彼らは日本民族主義者として神格化され利用された。その延長線上に敗戦があった。軍国主義と闘った人々がいた。共産党から自由民主主義者まで非国民として投獄された。その中に獄中で非業の死を遂げた三木清もいた。日本が世界に誇る哲学者を日本軍国主義は虐殺した。
日本の戦後民主主義の形成史は、当然、韓国とは違う。だから、日本には光州事件のような名誉ある民主主義運動のモニュメントはない。しかし、私の記憶には60年安保闘争、65年日韓条約反対運動、67年ベトナム反戦運動と70年安保闘争、そして水俣をはじめ全国の反公害運動、安全食品を求めた消費者運動、使い捨てを考えたリサイクル運動、命と健康、雇用や生活を守るための労働運動、数々の市民の闘いが記憶にある。それらは現在の日本の民主主義文化の土となり、そこに私たちの今の市民社会の樹が成長し続けている。しかし、こうした無名の活動家のモニュメントはない。そのことを歴史に刻み、今いる若い人々、後世の人々に伝えるための公共の施設・社会装置を持っていない。しかし、それらの人々の記憶は書籍となり、残されている。もし、いつか人々がそれを掘り起こしたくなったとき、それはきっと大樹の根として地表に現れるだろうと、願うしかない。
民主主義とは文化である。人という社会を生きる人々の人格でありその生活スタイルや生活文化である。もちろん、それを守るための政治社会制度や法律や司法制度がなければならないし、それを支える政策、国や自治体の行政機能、企業や民間の運営機能がなければならない。それらの全てを支え維持するものが人であり、その人の人権や平和への考えや願いである。それらの考え方や願いを醸成するために、私たちは教育の在り方や地域社会での文化活動や色々なモニュメント、記念館等々の社会文化装置を形成し用意している。
すべての現在の文化はそれを育できた伝統文化や歴史の上に成立している。栄光や失敗の過去の歴史を引き継ぐことによって、未来は準備される。今現在の実利的な社会機能にのみ人々の関心が向かい世界は危険である。何故なら、それは過去の人々、未来のために生きた人々の祈りを忘れているからだ。そして、もっとも自覚しなければならないことは、その忘却は、今ある私たちが未来への祈りを忘れたときから始まるのだという現実である。
フェイスブック 2019年9月14日記載
「光州の旅[201705_08] - 5.18民主化運動の出発点「全南大学校」、そして全史跡踏破へ」 http://gashin-shoutan.hatenablog.com/entry/2017/09/30/230000
一人の勇気ある青年・桑原功一さんの行為
日韓関係の情報を検索しているとき、国際情報誌「ハフィントンポスト」に記載されていた 「韓国の反日本政府デモで、フリーハグを求めた日本人に反響「彼らは日本人を嫌いなわけじゃない」の記事を読んだ。「韓国・光化門広場で8月24日に開かれた安倍政権への抗議を示すデモ集会で、日韓関係改善を求めてフリーハグをした桑原功一さん」のことが書いてあった。そしてその動画も記載されていたのでそれも観た。
私はこの勇気ある青年・桑原功一さんに拍手を送りたい。桑原さんが言うように、日韓関係の改善は私たち市民が責任を持って努力し積み上げていくしかない。まさに、彼はそれを実践した。彼は、政府や行政が企画するイベントに日韓関係の改善を期待するのでなく、ソウル市内の光化門広場で行われていた市民の集会に出かけ、デモに参加している人が日本人を嫌いで集まっているのでないと韓国の市民に呼びかけ、それを示すために集まった人々にフリーハグを求めたのである。
記載された動画では、多くの市民が彼にフリーハグをしていた。勿論、全員ではないが、反日を掲げた集会の横で、あえて日韓関係改善を求めてフリーハグを求める桑原功一さんに答えるのは難しいだろう。何故なら、彼に賛同していたとしてもフリーハグという習慣が韓国の市民には馴染めないだろう。同じことが日本でも言えると思う。韓国の青年が韓国政府を批判する日本の市民の集まりの横で「あなた方は韓国政府を批判しているのであって、韓国人が嫌いだとは言いってないのです。それを示すために、私にフリーハグをして下さいと言ったとすると、果たして何人の市民がこたえられるだろうか。
動画では多くの老若男女や子供連れの母親まで子供と一緒にハグをしていた。こうした光景を観るとき、何よりも私たちは韓国の市民が決して日本の報道が一方的に扇動しているように日本人全体を嫌う反日運動をしているのではないと理解できるだろう。その意味で桑原功一さんの行動は称賛に値する。そして、彼は私たちに、良好な日韓関係の構築とは市民が市民の生活の場から、市民のやり方で、自由に日常的に、小さくてもいいから行い続けることの大切さを示したと思う。
私は彼に多くのことを学んだ。彼の行動はある種の祈りに近い。その祈りとは、一人ひとりが日韓関係を構築する主体であることへの願いであり、また、何年かかっても続けなければあらない課題であることの自覚でもあるように思えた。また、その祈りは、多くの人々に、ただ自分のできることを自分のやり方でやることで、日韓両市民の友情が育っていくという未来を信じるものの思いに聴こえた。
フェイスブック 2019年9月13日記載
国際情報誌「ハフィントンポスト」 https://www.huffingtonpost.jp/news/
「韓国の反日本政府デモで、フリーハグを求めた日本人に反響「彼らは日本人を嫌いなわけじゃない」 https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5d64e284e4b008b1fd204d6b?ncid=other_facebook_eucluwzme5k&utm_campaign=share_facebook&fbclid=IwAR0D2DwQhD6JzHuS9TKX8DfGKjPqCtvAcfex8Ll49ZqjxPaf9uiZtQxF4ug
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三石博行
平和主義や人権主義を基調にしながら日韓交流を行い続ける人々の祈り
韓国でも日本でも、反日や嫌韓を扇動する排他的民族主義者や報道機関、そして政治家たちは、これからも大声で日韓関係の破壊を叫び続け、両国の市民の友好活動を攻撃し排除し続けるだろう。
しかし、その中でも、過去の苦い戦争や侵略の歴史を繰り返してはならないという人々は必ずいる。それらの人々こそが、私たちの希望である。何故なら、それらの人々が、諦めず、自分のできる範囲で、平和と人権を守るための、生活と未来を守るための活動をし続けるだろうと信じることが出来るからだ。
平和や人権を守りたいという願いは祈りに近い、それは現実の大きな世界の流れの中で、何もできない弱い自分であることを知りながらも、しかし、それでも、その願いを一歩を前にすすめるための、勇気をもって生きようとするからだ。
光州市で市民が9月から11月まで、市民自由大学を開催しているらしい。日韓の専門家を呼んで、「ノウジャパン」、「No JapanでなくKnow Japanらしい」を開催することになっている。素晴らしい企画だと思う。
フェイスブック 2019年9月14日記載
「光州市の市民自由大学」 https://blog.goo.ne.jp/micchan_oohashi/e/f76fee7a1966010e7954fd31e4f5b686?fbclid=IwAR1Jz76XNx2pP4EJRoSdl2RqYmyENZwc7U4UHm7bPdPZil2UMDWJwwdNDHY
人々の人権を守るために生きてきた人々への祈り
日本が朝鮮半島を植民地支配していた時代に韓国の人々に寄り添って生きた日本人はいた。その数は少なかったにしろ、そしてその行為は日々の細やかなものであったにしろ、また社会的な事業であったにしろ、それらの人々の記憶を忘れたくはない。何故なら、それらの人々の存在こそ、今、私たちに希望を与えてくれるからである。
ブログ「ほこぽこ日和」で紹介されていた「全羅南道(チョルラナムド)木浦(モッポ)市にある「木浦共生園」への旅の記録を読んだ。この施設は1928年に、尹致浩(윤치호:ユン・チホ、1909-1951)、および妻・高知県出身の田内千鶴子(たうち ちづこ)、結婚後 尹鶴子(윤학차:ユン・ハクチャ、1912-1968)の二人が身寄りのない子どもたちを家に連れてきて共同生活を始める活動から生まれた。1945年の日本の敗戦(日本植民地からの解放)や朝鮮戦争の激動の中、尹致浩・尹鶴子夫婦が、地域の人々の援助によって「木浦共生園」を守り続けた記録が書かれてあった。
過去にも、そして今でも、些細ながらも、自分のできる範囲ではあるが誠意をこめて、海外で生きている日本人がいたししいる。これらの人々の名前はない。しかし、これらの人々に触れた人々の記憶が残る。それは空気のようにいつの間にか歴史のどこかに流れ去っていくだろう。それは空気のようにあることが当然のように透明な存在であるだろう。しかし、この存在こそが、友情や共感の文化の源であり、そこに異なる文化の人々の和が形成されると信じる。
彼らはその信念や願いが困難な時代や社会の壁に閉ざされようとした時、また、無知ゆえに邪悪な人々の妨害に会った時、祈ったであろう。必ず、その願いが通じることを祈ったに違いない。
フェイスブック 2019年9月14日記載
「木浦の旅[201902_01] - 孤児のために生涯を捧げた韓日夫婦を称え記憶継承する「木浦共生園 尹致浩尹鶴子記念館」」
http://gashin-shoutan.hatenablog.com/
自由と民主主義を守るために犠牲になった人々への祈り
2016年2月に光州に行った。1993年の光州事件(5.18民主化運動)は私の記憶にはっきりと残っていた。一回は光州に行きたいと思っていた。光州の大学に勤務する友人の車に乗せてもらい、光州事件が起こった公園広場、銃撃戦の舞台となった旧市役所(今は記念会館になっている)、犠牲者を祭る墓地や記念碑を巡った。しかし、残念ながら、光州蜂起の切掛けとなった学生運動の根拠地・全南大学校には訪問できなかった。
現在の韓国の市民や若者にとって光州事件は現在の韓国の民主主義社会の原点の一つになっているだろう。何故なら、自らの血をもって軍事政権の圧政に立ち向かった市民の歴史がそこにあるからだ。現在も続くろうそく運動の原点も、これらの民主化運動にある。その意味でこれらの運動が現在の韓国市民社会のアイデンティティを形成していると言っても過言ではない。
日本でも幕末の社会を変革した人々がいた。それらの人々の志や犠牲が明治維新や日本の近代化の原動力となった。しかし、その流れは日本の軍国主義に飲み込まれ、彼らは日本民族主義者として神格化され利用された。その延長線上に敗戦があった。軍国主義と闘った人々がいた。共産党から自由民主主義者まで非国民として投獄された。その中に獄中で非業の死を遂げた三木清もいた。日本が世界に誇る哲学者を日本軍国主義は虐殺した。
日本の戦後民主主義の形成史は、当然、韓国とは違う。だから、日本には光州事件のような名誉ある民主主義運動のモニュメントはない。しかし、私の記憶には60年安保闘争、65年日韓条約反対運動、67年ベトナム反戦運動と70年安保闘争、そして水俣をはじめ全国の反公害運動、安全食品を求めた消費者運動、使い捨てを考えたリサイクル運動、命と健康、雇用や生活を守るための労働運動、数々の市民の闘いが記憶にある。それらは現在の日本の民主主義文化の土となり、そこに私たちの今の市民社会の樹が成長し続けている。しかし、こうした無名の活動家のモニュメントはない。そのことを歴史に刻み、今いる若い人々、後世の人々に伝えるための公共の施設・社会装置を持っていない。しかし、それらの人々の記憶は書籍となり、残されている。もし、いつか人々がそれを掘り起こしたくなったとき、それはきっと大樹の根として地表に現れるだろうと、願うしかない。
民主主義とは文化である。人という社会を生きる人々の人格でありその生活スタイルや生活文化である。もちろん、それを守るための政治社会制度や法律や司法制度がなければならないし、それを支える政策、国や自治体の行政機能、企業や民間の運営機能がなければならない。それらの全てを支え維持するものが人であり、その人の人権や平和への考えや願いである。それらの考え方や願いを醸成するために、私たちは教育の在り方や地域社会での文化活動や色々なモニュメント、記念館等々の社会文化装置を形成し用意している。
すべての現在の文化はそれを育できた伝統文化や歴史の上に成立している。栄光や失敗の過去の歴史を引き継ぐことによって、未来は準備される。今現在の実利的な社会機能にのみ人々の関心が向かい世界は危険である。何故なら、それは過去の人々、未来のために生きた人々の祈りを忘れているからだ。そして、もっとも自覚しなければならないことは、その忘却は、今ある私たちが未来への祈りを忘れたときから始まるのだという現実である。
フェイスブック 2019年9月14日記載
「光州の旅[201705_08] - 5.18民主化運動の出発点「全南大学校」、そして全史跡踏破へ」 http://gashin-shoutan.hatenablog.com/entry/2017/09/30/230000
一人の勇気ある青年・桑原功一さんの行為
日韓関係の情報を検索しているとき、国際情報誌「ハフィントンポスト」に記載されていた 「韓国の反日本政府デモで、フリーハグを求めた日本人に反響「彼らは日本人を嫌いなわけじゃない」の記事を読んだ。「韓国・光化門広場で8月24日に開かれた安倍政権への抗議を示すデモ集会で、日韓関係改善を求めてフリーハグをした桑原功一さん」のことが書いてあった。そしてその動画も記載されていたのでそれも観た。
私はこの勇気ある青年・桑原功一さんに拍手を送りたい。桑原さんが言うように、日韓関係の改善は私たち市民が責任を持って努力し積み上げていくしかない。まさに、彼はそれを実践した。彼は、政府や行政が企画するイベントに日韓関係の改善を期待するのでなく、ソウル市内の光化門広場で行われていた市民の集会に出かけ、デモに参加している人が日本人を嫌いで集まっているのでないと韓国の市民に呼びかけ、それを示すために集まった人々にフリーハグを求めたのである。
記載された動画では、多くの市民が彼にフリーハグをしていた。勿論、全員ではないが、反日を掲げた集会の横で、あえて日韓関係改善を求めてフリーハグを求める桑原功一さんに答えるのは難しいだろう。何故なら、彼に賛同していたとしてもフリーハグという習慣が韓国の市民には馴染めないだろう。同じことが日本でも言えると思う。韓国の青年が韓国政府を批判する日本の市民の集まりの横で「あなた方は韓国政府を批判しているのであって、韓国人が嫌いだとは言いってないのです。それを示すために、私にフリーハグをして下さいと言ったとすると、果たして何人の市民がこたえられるだろうか。
動画では多くの老若男女や子供連れの母親まで子供と一緒にハグをしていた。こうした光景を観るとき、何よりも私たちは韓国の市民が決して日本の報道が一方的に扇動しているように日本人全体を嫌う反日運動をしているのではないと理解できるだろう。その意味で桑原功一さんの行動は称賛に値する。そして、彼は私たちに、良好な日韓関係の構築とは市民が市民の生活の場から、市民のやり方で、自由に日常的に、小さくてもいいから行い続けることの大切さを示したと思う。
私は彼に多くのことを学んだ。彼の行動はある種の祈りに近い。その祈りとは、一人ひとりが日韓関係を構築する主体であることへの願いであり、また、何年かかっても続けなければあらない課題であることの自覚でもあるように思えた。また、その祈りは、多くの人々に、ただ自分のできることを自分のやり方でやることで、日韓両市民の友情が育っていくという未来を信じるものの思いに聴こえた。
フェイスブック 2019年9月13日記載
国際情報誌「ハフィントンポスト」 https://www.huffingtonpost.jp/news/
「韓国の反日本政府デモで、フリーハグを求めた日本人に反響「彼らは日本人を嫌いなわけじゃない」 https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5d64e284e4b008b1fd204d6b?ncid=other_facebook_eucluwzme5k&utm_campaign=share_facebook&fbclid=IwAR0D2DwQhD6JzHuS9TKX8DfGKjPqCtvAcfex8Ll49ZqjxPaf9uiZtQxF4ug
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2019年9月13日金曜日
市民の日韓交流のために「NGO日韓問題解決機構
市民による市民のための国際交流活動が問われている
三石博行
日韓関係を政府に任せていいのだろうか
2019年9月12日の毎日新聞に「政治が止めよ、日韓対立 大きな合意で出口模索を=アジア調査会会長・五百旗頭真」の記事があった。確かに、政治の責任として、日韓関係の悪化を食い止めるべきだろう。しかし、この日韓関係が最悪の状況になったのは、まさに、現在の日韓両国の政府によるものである。
強制徴用工も問題の解決でも、被害者の民事的な請求権がある以上、そして1960年の日韓基本条約がある以上、その二つの条件を満たす方法があったし、ある。それでも双方、歩み寄ることなく、また話し合いをすることもなく、まるでこういう最悪の日韓関係を期待したように、子供じみた頑なな姿勢を変えなかった。
そして、日本から韓国の基幹産業に必要な素材への輸入制限を宣言し、経済戦争に持ち込んだ。韓国はこの経済制裁を日韓の安全保障問題に展開した。韓国では地方自治体が先頭を切って不買運動を起こし、日本への観光旅行をキャンセルするためのキャンペーン、青少年のスポーツ文化交流の中止等々、日本では展示会の中止、排他的民族主義や反韓嫌韓を扇動するスピーチや文章等々、両国の国民も冷静な感情を失いつつある。
これこそ、両国の現権力が期待したことである。韓国の政権は人気を上げるために反日活動を行う。日本の政権も、韓国の反日反応を利用し、反韓や排他的民族主義を扇動し、人気を取る。こんな負のスパイラル状態を作ったのは、取りも直さず、日韓両国の現政権である。その現政権に「政治が止めよ、日韓対立 大きな合意で出口模索を」と呼びかけることは出来るのだが、残念ながら無意味な呼びかけにならないだろうか。私は「市民が止めよ、日韓対立」と主張したい。もはや、政治に日韓関係の改善を任せてはならないと思う。
反日や嫌韓感情を持つ人々日韓関係を市民を説得し続ける力を磨く
私は「反日運動や日本批判をする韓国の市民」を排除し批判しようとは思わない。何故なら、韓国の人々の心に刻み込まれた日本の植民地時代の歴史があるからだ。しかし、同時に、私は彼らにその歴史を超えるのは、未来に一歩進むことだと言うだろう。その未来を作るのはあなた方だし、あなた方の子供や孫だと言うだろう。
私は「嫌韓や韓国批判をする日本の市民」を排除し批判しようとは思わない。何故なら、日本の多くの人々の心に留め置対きたいものとして「素晴らしき日本民族の誇り」があるだろう。第二世界大戦で味わった敗戦の現実を直視することを避けたいという気持ちがあるだろう。また、「欧米列強の植民地支配にあったアジアの解放や大東亜共栄国の建設」の理念は正しかったと考える戦前戦中の侵略戦争と多くの近隣国家の人々の犠牲の歴史的事実を拒否する感情があるだろう。しかし、私は私を含む日本人に対して、もっと強くなって欲しいと言うだろう。不都合な事実を受け止め、加害者であった自分たちを自覚し、そして潔く堂々と、批判する人々に真摯に向き合い、心から謝罪し、共に未来に向かうために手をつなぐ勇気を持ってほしいと言うだろう。
私の考える日韓友好の市民主体の活動は、特別なものではない。日常的な交流であり、個人個人の友情関係であり、趣味を通じ、経済活動を通じ、スポーツを通じ、研究活動を通じ、家族や友達と一緒の観光も兼ねた旅行を通じ、映画鑑賞や音楽イベントを通じ、日常的に行われている生活の中で、そこに韓国の友人がいるという風景なのだ。
私の目指す日韓友好の活動とは、反日の韓国市民や嫌韓感情を抱く日本市民にもその発言の場を与え、本音を語りながら、未来がどうあるべきかを考えるための機会を与えるものでありたい。
政治家の日韓関係を任せない市民による活動機関、 NGO日韓問題解決機構の必要性
私が最も警戒することは、反日や嫌韓を報道企業や政治団体の利益に使う人々である。直前の利益に未来の大きな利益を燃やす人々であり、嫌悪や反感を煽り若者たちの将来の可能性を潰す人々である。そうした人々に対して、私は立ち向かい、批判をするだろう。しかし、それは政治的批判でなく、人道的な批判であり、それらの人々が変わることを願っての批判である。
だから、この活動は、非暴力であり、自由であり、民が主体である。それを担う民・市民によって企画運営され、そのために必要な資金集めや情報伝達の手段が検討され、市民活動で得た経験がそのまま力となるだろう。
だから、この活動は、国際友好というより、自分たちの市民生活をより豊かにする活動である。日韓友好とは自分の家族、街、地域を豊かにする活動である。
そうした草の根の市民の努力の輪を広げるために、市民による日韓友好に関するイベントや交流活動に関する情報交換、資金活動や組織運営のサポートを推進するための「NGO日韓問題解決機構」の創設が必要とだと思う。
修正 2019年9月14日
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三石博行
日韓関係を政府に任せていいのだろうか
2019年9月12日の毎日新聞に「政治が止めよ、日韓対立 大きな合意で出口模索を=アジア調査会会長・五百旗頭真」の記事があった。確かに、政治の責任として、日韓関係の悪化を食い止めるべきだろう。しかし、この日韓関係が最悪の状況になったのは、まさに、現在の日韓両国の政府によるものである。
強制徴用工も問題の解決でも、被害者の民事的な請求権がある以上、そして1960年の日韓基本条約がある以上、その二つの条件を満たす方法があったし、ある。それでも双方、歩み寄ることなく、また話し合いをすることもなく、まるでこういう最悪の日韓関係を期待したように、子供じみた頑なな姿勢を変えなかった。
そして、日本から韓国の基幹産業に必要な素材への輸入制限を宣言し、経済戦争に持ち込んだ。韓国はこの経済制裁を日韓の安全保障問題に展開した。韓国では地方自治体が先頭を切って不買運動を起こし、日本への観光旅行をキャンセルするためのキャンペーン、青少年のスポーツ文化交流の中止等々、日本では展示会の中止、排他的民族主義や反韓嫌韓を扇動するスピーチや文章等々、両国の国民も冷静な感情を失いつつある。
これこそ、両国の現権力が期待したことである。韓国の政権は人気を上げるために反日活動を行う。日本の政権も、韓国の反日反応を利用し、反韓や排他的民族主義を扇動し、人気を取る。こんな負のスパイラル状態を作ったのは、取りも直さず、日韓両国の現政権である。その現政権に「政治が止めよ、日韓対立 大きな合意で出口模索を」と呼びかけることは出来るのだが、残念ながら無意味な呼びかけにならないだろうか。私は「市民が止めよ、日韓対立」と主張したい。もはや、政治に日韓関係の改善を任せてはならないと思う。
反日や嫌韓感情を持つ人々日韓関係を市民を説得し続ける力を磨く
私は「反日運動や日本批判をする韓国の市民」を排除し批判しようとは思わない。何故なら、韓国の人々の心に刻み込まれた日本の植民地時代の歴史があるからだ。しかし、同時に、私は彼らにその歴史を超えるのは、未来に一歩進むことだと言うだろう。その未来を作るのはあなた方だし、あなた方の子供や孫だと言うだろう。
私は「嫌韓や韓国批判をする日本の市民」を排除し批判しようとは思わない。何故なら、日本の多くの人々の心に留め置対きたいものとして「素晴らしき日本民族の誇り」があるだろう。第二世界大戦で味わった敗戦の現実を直視することを避けたいという気持ちがあるだろう。また、「欧米列強の植民地支配にあったアジアの解放や大東亜共栄国の建設」の理念は正しかったと考える戦前戦中の侵略戦争と多くの近隣国家の人々の犠牲の歴史的事実を拒否する感情があるだろう。しかし、私は私を含む日本人に対して、もっと強くなって欲しいと言うだろう。不都合な事実を受け止め、加害者であった自分たちを自覚し、そして潔く堂々と、批判する人々に真摯に向き合い、心から謝罪し、共に未来に向かうために手をつなぐ勇気を持ってほしいと言うだろう。
私の考える日韓友好の市民主体の活動は、特別なものではない。日常的な交流であり、個人個人の友情関係であり、趣味を通じ、経済活動を通じ、スポーツを通じ、研究活動を通じ、家族や友達と一緒の観光も兼ねた旅行を通じ、映画鑑賞や音楽イベントを通じ、日常的に行われている生活の中で、そこに韓国の友人がいるという風景なのだ。
私の目指す日韓友好の活動とは、反日の韓国市民や嫌韓感情を抱く日本市民にもその発言の場を与え、本音を語りながら、未来がどうあるべきかを考えるための機会を与えるものでありたい。
政治家の日韓関係を任せない市民による活動機関、 NGO日韓問題解決機構の必要性
私が最も警戒することは、反日や嫌韓を報道企業や政治団体の利益に使う人々である。直前の利益に未来の大きな利益を燃やす人々であり、嫌悪や反感を煽り若者たちの将来の可能性を潰す人々である。そうした人々に対して、私は立ち向かい、批判をするだろう。しかし、それは政治的批判でなく、人道的な批判であり、それらの人々が変わることを願っての批判である。
だから、この活動は、非暴力であり、自由であり、民が主体である。それを担う民・市民によって企画運営され、そのために必要な資金集めや情報伝達の手段が検討され、市民活動で得た経験がそのまま力となるだろう。
だから、この活動は、国際友好というより、自分たちの市民生活をより豊かにする活動である。日韓友好とは自分の家族、街、地域を豊かにする活動である。
そうした草の根の市民の努力の輪を広げるために、市民による日韓友好に関するイベントや交流活動に関する情報交換、資金活動や組織運営のサポートを推進するための「NGO日韓問題解決機構」の創設が必要とだと思う。
修正 2019年9月14日
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2019年9月11日水曜日
日韓関係を改善するには、以下の5つの課題を考える必要がある。(2)
課題解決を両政府間に任すことの限界
三石博行
5-1、「韓国併合」か「朝鮮半島植民地支配」か
現在の日本政府が「1910年の韓国併合は国際法上合法であった」と言うのなら、現在の日本政府は戦前の日本政府の政治的立場と同じであると言える。しかしながら、戦前の日本政府は大日本帝国憲法の下で機能しており、戦後の日本政府は日本国憲法の下で運営されている。その点で、戦後の日本政府と戦前のそれは政治的理念の全く異な政府である。その意味で、厳密には現在の日本政府が「1910年の韓国併合は国際法上合法であった」としか解釈しないのは、現在の日本政府にとっては日本国憲法の理念に反しているとしか言えない発言ではないだろうか。
しかし、現在、日本政府は1910年から1945年までの朝鮮半島の植民地支配を「韓国併合」と呼んでいるし、それが国際法上合法であったと言っている。それは韓国・朝鮮の日本による植民地支配と言う解釈と全く相いれないだろう。そして、1965年に日韓基本条約が締結したと言っても、日本と韓国は日本による1910年から1945年までの朝鮮半島の日本の支配に対する異なる解釈を前提にした状態で日韓基本条約を締結したと言うことになる。
日本への併合という考え方は、例えば琉球王国(15世紀から19世紀)が1879年に沖縄県として日本に併合されたという事と同じような意味になる。琉球・沖縄では日本語方言である沖縄方言・沖縄語が使われている。琉球は大陸中国と日本の間に位置する島嶼地帯で文化や社会制度に関しては大陸中国文化に影響を受けて来た。1609年から薩摩の侵略を受けて薩摩による琉球の実効支配が続いた。そして、1872年の琉球藩設置や1879年の沖縄県設置に至る琉球処分と呼ばれる明治政府により琉球が強制併合された。琉球処分によって450年続いた琉球王国は滅亡し沖縄県として大日本帝国に併合された。併合と言う概念には、以前にあった国が日本国の一部になることを意味する。琉球と日本とが言語的にも同じ文化圏に属すること、また併合まで260年以上も薩摩の支配下にあったことが、併合の意味の背景にある。
しかし、朝鮮半島は日本古来の伝統文化圏にも言語圏にも併合できない。全く異なる言語や伝統文化、社会政治システムを持つ朝鮮半島に対して併合という文字を使うことは無理がある。日本が朝鮮半島を併合すると言うことは朝鮮半島支配を支える日本神話に代表される観念形態(イデオロギー)を確立すること、天皇家を朝鮮半島の人々の象徴的先祖として理解すること、朝鮮語は日本語方言であると解釈すること等々、かなり無理な解釈を前提にしてしか成立しないのである。また、こうした解釈を朝鮮半島の人々が受け入れる筈がない。
朝鮮半島の人々にとって、1910年の韓国併合とは日本帝国による朝鮮半島植民地化であるとしか解釈されないだろう。事実、1965年の「日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約」(日韓基本条約)でも、1910年の「日韓併合二関スル条約」による韓国合併を国際法上合法とする日本政府の考え方と国際法上違法とする韓国との考えが対立したまま、日韓基本条約が締約されている。つまり、日韓基本条約によって日韓間の基本的な問題である36年間の韓国併合・日本帝国による朝鮮半島植民地化に関する歴史認識は異なったままの状態である。
日本政府は1910年の韓国併合は国際法上合法であったと説明している。当時の列強国、つまり植民地支配をしていた国々の立場から言えば、日本政府の言い分が成立するだろう。しかし、今日の国際社会の視点に立ってば、日本政府の解釈に異論が生じるだろう。もし、日本政府が「1910年の韓国併合は、植民地支配を行っている当時の列強国家の視点に立った国際法の解釈では合法と言えたが、今日の国連を中心とする国際社会の視点に立って解釈するなら韓国併合とは朝鮮半島植民地化を意味し、国際法上合法と解釈するのは無理があると言える」と言えば、現在の韓国との解釈とあまり矛盾することはない。
確かに、現在の日本政府は戦前の日本国とは国家の基本理念・憲法が異なる。しかし、それ故に、現在の日本政府は戦前の日本政府の犯した国内的及び国際的な人権侵害や戦争行為、植民地化政策に対する反省とそれによって生じた被害への責任を果たすこと、つまり補償をしなければならないのである。それが、日本政府は1965年「日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約」(日韓基本条約)の締結の原則であったはずである。
日韓関係の基本課題とは日本と韓国の間にある日本による朝鮮半島の植民地支配の問題(1910年から1945年まで続いた韓国併合問題)である。韓国併合という呼び方は日本の側からの歴史解釈を前提にした名称である。韓国や朝鮮の立場に立つなら、併合ではなく植民地支配である。まず、植民地支配か日本への併合かという視点からもこの歴史に対する解釈が異なる。
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三石博行
5-1、「韓国併合」か「朝鮮半島植民地支配」か
現在の日本政府が「1910年の韓国併合は国際法上合法であった」と言うのなら、現在の日本政府は戦前の日本政府の政治的立場と同じであると言える。しかしながら、戦前の日本政府は大日本帝国憲法の下で機能しており、戦後の日本政府は日本国憲法の下で運営されている。その点で、戦後の日本政府と戦前のそれは政治的理念の全く異な政府である。その意味で、厳密には現在の日本政府が「1910年の韓国併合は国際法上合法であった」としか解釈しないのは、現在の日本政府にとっては日本国憲法の理念に反しているとしか言えない発言ではないだろうか。
しかし、現在、日本政府は1910年から1945年までの朝鮮半島の植民地支配を「韓国併合」と呼んでいるし、それが国際法上合法であったと言っている。それは韓国・朝鮮の日本による植民地支配と言う解釈と全く相いれないだろう。そして、1965年に日韓基本条約が締結したと言っても、日本と韓国は日本による1910年から1945年までの朝鮮半島の日本の支配に対する異なる解釈を前提にした状態で日韓基本条約を締結したと言うことになる。
日本への併合という考え方は、例えば琉球王国(15世紀から19世紀)が1879年に沖縄県として日本に併合されたという事と同じような意味になる。琉球・沖縄では日本語方言である沖縄方言・沖縄語が使われている。琉球は大陸中国と日本の間に位置する島嶼地帯で文化や社会制度に関しては大陸中国文化に影響を受けて来た。1609年から薩摩の侵略を受けて薩摩による琉球の実効支配が続いた。そして、1872年の琉球藩設置や1879年の沖縄県設置に至る琉球処分と呼ばれる明治政府により琉球が強制併合された。琉球処分によって450年続いた琉球王国は滅亡し沖縄県として大日本帝国に併合された。併合と言う概念には、以前にあった国が日本国の一部になることを意味する。琉球と日本とが言語的にも同じ文化圏に属すること、また併合まで260年以上も薩摩の支配下にあったことが、併合の意味の背景にある。
しかし、朝鮮半島は日本古来の伝統文化圏にも言語圏にも併合できない。全く異なる言語や伝統文化、社会政治システムを持つ朝鮮半島に対して併合という文字を使うことは無理がある。日本が朝鮮半島を併合すると言うことは朝鮮半島支配を支える日本神話に代表される観念形態(イデオロギー)を確立すること、天皇家を朝鮮半島の人々の象徴的先祖として理解すること、朝鮮語は日本語方言であると解釈すること等々、かなり無理な解釈を前提にしてしか成立しないのである。また、こうした解釈を朝鮮半島の人々が受け入れる筈がない。
朝鮮半島の人々にとって、1910年の韓国併合とは日本帝国による朝鮮半島植民地化であるとしか解釈されないだろう。事実、1965年の「日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約」(日韓基本条約)でも、1910年の「日韓併合二関スル条約」による韓国合併を国際法上合法とする日本政府の考え方と国際法上違法とする韓国との考えが対立したまま、日韓基本条約が締約されている。つまり、日韓基本条約によって日韓間の基本的な問題である36年間の韓国併合・日本帝国による朝鮮半島植民地化に関する歴史認識は異なったままの状態である。
日本政府は1910年の韓国併合は国際法上合法であったと説明している。当時の列強国、つまり植民地支配をしていた国々の立場から言えば、日本政府の言い分が成立するだろう。しかし、今日の国際社会の視点に立ってば、日本政府の解釈に異論が生じるだろう。もし、日本政府が「1910年の韓国併合は、植民地支配を行っている当時の列強国家の視点に立った国際法の解釈では合法と言えたが、今日の国連を中心とする国際社会の視点に立って解釈するなら韓国併合とは朝鮮半島植民地化を意味し、国際法上合法と解釈するのは無理があると言える」と言えば、現在の韓国との解釈とあまり矛盾することはない。
確かに、現在の日本政府は戦前の日本国とは国家の基本理念・憲法が異なる。しかし、それ故に、現在の日本政府は戦前の日本政府の犯した国内的及び国際的な人権侵害や戦争行為、植民地化政策に対する反省とそれによって生じた被害への責任を果たすこと、つまり補償をしなければならないのである。それが、日本政府は1965年「日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約」(日韓基本条約)の締結の原則であったはずである。
日韓関係の基本課題とは日本と韓国の間にある日本による朝鮮半島の植民地支配の問題(1910年から1945年まで続いた韓国併合問題)である。韓国併合という呼び方は日本の側からの歴史解釈を前提にした名称である。韓国や朝鮮の立場に立つなら、併合ではなく植民地支配である。まず、植民地支配か日本への併合かという視点からもこの歴史に対する解釈が異なる。
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米中貿易戦争という21世紀国際社会での政治経済覇権闘争の構図
21世紀の国際社会構図形成の前哨段階としての米中経済戦争
三石博行
米中貿易戦争の彼方に何が見えてきたのか
米中二国間貿易収支の差、米国の対中貿易赤字をめぐって米中貿易戦争が起こったと理解した。しかし、この米中貿易戦争が示す課題は、大きく変貌し、その本題を露呈しつつある。つまり、それは、21世紀の世界、高度科学技術文明社会、国際化する経済や社会の在り方の課題である。
問題は、はじめ、トランプ米国大統領が主張した貿易収支の是正をめぐる課題から始まった。米国は、中国政府や企業が行っている海外提携企業への技術移転や公開制度の課題へと転化し、不平等な競走条件を指摘した。そして現在、米国の攻撃は中国の先端企業の国際化、取り分け中国のハイテク企業が展開しているIT国際インフラ事業・ITプラットフォームの中国化に向かっている。つまり、米国は、21世紀社会の脅威として中国を捉え、その対応・阻止へと問題を展開しているのである。言い換えると、これが米国の対中貿易戦争の本題であった。
新自由主義に基づく金融資本主義経済と国家統制経済主義による国家資本主義経済の二つの資本主義の対立
そこで、米中貿易戦争とは、高度科学技術文明社会・21世紀国際社会での二つの資本主義国家間の政治経済覇権闘争であることを明確に構図化しつつある。その特徴を以下、4点にまとめて挙げてみる。
一つ目は、この貿易摩擦の歴史的構図である。G7を代表する先進国は新自由主義に基づく金融資本主義経済を基本路線としている。しかし、新興国家、発展途上国や後進国では迅速な経済成長を実現する国家統制経済主義による国家資本主義経済を基本路線としている。つまり、米中貿易戦争・米中経済戦争とは、先進国型金融資本主義経済国家群と発展途上国型国家資本主義国家群の経済戦争の前哨段階を意味する。
二つ目は、この貿易摩擦を構造化している非妥協的な要素についてだある。つまり、米中の貿易戦争では、両国間に異なる自由貿易主義の解釈が存在している。中国の主張する自由貿易とは関税の撤廃である。しかし、米国のそれは特許権の保護や国家の企業経営への介入をめぐる課題、つまり中国の国営企業と欧米の民間企業の不平等な関係を指摘する課題である。欧米日企業からすると中国企業は国家によって過大にサポートされており、両者間には平等な競争条件が初めから存在しないという指摘である。その意味で、平等な経営条件を持たない両国の企業間には平等な競争関係が成立していないという考え方である。
三番目は、この二つの資本主義国家の経済構造が世界的な視点で観るなとどう評価されるか、もしくは二つを代表する勢力についての分析である。つまり、それらの二つの国々の間には異なる経済保護主義が存在している。新自由主義・金融資本主義経済国家群では、そこに所属し拠点を置く多国籍企業や国際企業がある。それらの企業は中小国家一国を超える財政力を持ち、またその所属国家にも必ずしも正当な納税義務も果たしていないのが現実である。しかし、それらの企業を擁護するためにG7を代表する先進国家連合では関税撤廃、自由貿易主義を主張してきた。他方、G20を構成する新興国群では、より安価な労働力や国家資本主義経済によって国際競争力をつけてきた。これらの国々、中国を代表とする国家資本主義経済国家群では関税によって貿易収支の赤字を防ぎながら、一方においては自由貿易によって国際収支の黒字を導いている。保護貿易主義や経済保護主義の立場から観れば、両方の国家群で、それぞれの段階によって、異なる貿易や国際経済政策が取られている。
最後にこの貿易戦争が向かう方向について述べる。20世紀型の国際経済覇権国家・米国の立場は、主に以下の3つ特徴をもっている。つまり、第1番目は、第2世界戦争後、そして東西冷戦終結後の国際的に唯一強大な軍事力を持つ国家として君臨してきた。第2番目は自国の通貨ドルを準国際通貨として世界金融資本システムを構築してきた。第3番目は、インターネットに代表される国際情報インフラを支配し、そのインフラに基づく、IT産業、ITプラットフォーム企業を独占してきた。この三つの要因によって、国際政治と経済の覇権を続けてきた。
新二つの資本主義国家群の国際的対立と日本・東アジア
しかし、21世紀になり、中国が新たな経済システム・国家資本主義経済体制を確立し躍進してきたことによって、米国一強時代は終焉を迎えようとしている。同時に、この米国の状況がトランプ政権に代表される「アメリカ第一主義・米国一強主義を維持するための経済政策」を展開している。それは、20世紀型の国際社会での米国一強主義ではなく、米国の国内経済中心主義による相対的な米国の経済強国や軍事強国への転換である。
米国は、これから何を優先しながら、外交を行うか、そのことが問われるだろう。21世紀の国際社会で進む新興国家や発展途上国の経済政策、国家資本主義経済国家の戦略に対して、どのような外交と内政を行うだろうか。また同時にそのことは、国家資本主義経済政策の産みの親であった日本、その政治経済政策によって導かれた近代日本の正と負の歴史、それを踏まえて出発した戦後民主国家日本の歴史、ポスト国家資本主義経済から新自由主義経済への変換を行った現在の日本の政治経済政策も同時に問われるだろう。
米中貿易戦争と日韓問題、そして香港や台湾での市民運動の本質を理解しなければならないだろう。つまり、東アジアでの政治経済強国中国の形成や先進国家としての韓国の台頭が今後の日本経済や社会に及ぼす影響と、日本の在り方を考えなければならないだろう。つまり、現在の日韓問題を考える時、米中貿易戦争の基本的な課題を前提にした考察が必要となるだろう。その意味で、日本や韓国の両方に側にも、そうして視点で問題を考え、また日韓関係を現実的な視点に立って解決し、中長期的視点に立って両国の関係を模索する意見は少ないように思える。
2019年9月11日 ファイスブック記載
つづく
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三石博行
米中貿易戦争の彼方に何が見えてきたのか
米中二国間貿易収支の差、米国の対中貿易赤字をめぐって米中貿易戦争が起こったと理解した。しかし、この米中貿易戦争が示す課題は、大きく変貌し、その本題を露呈しつつある。つまり、それは、21世紀の世界、高度科学技術文明社会、国際化する経済や社会の在り方の課題である。
問題は、はじめ、トランプ米国大統領が主張した貿易収支の是正をめぐる課題から始まった。米国は、中国政府や企業が行っている海外提携企業への技術移転や公開制度の課題へと転化し、不平等な競走条件を指摘した。そして現在、米国の攻撃は中国の先端企業の国際化、取り分け中国のハイテク企業が展開しているIT国際インフラ事業・ITプラットフォームの中国化に向かっている。つまり、米国は、21世紀社会の脅威として中国を捉え、その対応・阻止へと問題を展開しているのである。言い換えると、これが米国の対中貿易戦争の本題であった。
新自由主義に基づく金融資本主義経済と国家統制経済主義による国家資本主義経済の二つの資本主義の対立
そこで、米中貿易戦争とは、高度科学技術文明社会・21世紀国際社会での二つの資本主義国家間の政治経済覇権闘争であることを明確に構図化しつつある。その特徴を以下、4点にまとめて挙げてみる。
一つ目は、この貿易摩擦の歴史的構図である。G7を代表する先進国は新自由主義に基づく金融資本主義経済を基本路線としている。しかし、新興国家、発展途上国や後進国では迅速な経済成長を実現する国家統制経済主義による国家資本主義経済を基本路線としている。つまり、米中貿易戦争・米中経済戦争とは、先進国型金融資本主義経済国家群と発展途上国型国家資本主義国家群の経済戦争の前哨段階を意味する。
二つ目は、この貿易摩擦を構造化している非妥協的な要素についてだある。つまり、米中の貿易戦争では、両国間に異なる自由貿易主義の解釈が存在している。中国の主張する自由貿易とは関税の撤廃である。しかし、米国のそれは特許権の保護や国家の企業経営への介入をめぐる課題、つまり中国の国営企業と欧米の民間企業の不平等な関係を指摘する課題である。欧米日企業からすると中国企業は国家によって過大にサポートされており、両者間には平等な競争条件が初めから存在しないという指摘である。その意味で、平等な経営条件を持たない両国の企業間には平等な競争関係が成立していないという考え方である。
三番目は、この二つの資本主義国家の経済構造が世界的な視点で観るなとどう評価されるか、もしくは二つを代表する勢力についての分析である。つまり、それらの二つの国々の間には異なる経済保護主義が存在している。新自由主義・金融資本主義経済国家群では、そこに所属し拠点を置く多国籍企業や国際企業がある。それらの企業は中小国家一国を超える財政力を持ち、またその所属国家にも必ずしも正当な納税義務も果たしていないのが現実である。しかし、それらの企業を擁護するためにG7を代表する先進国家連合では関税撤廃、自由貿易主義を主張してきた。他方、G20を構成する新興国群では、より安価な労働力や国家資本主義経済によって国際競争力をつけてきた。これらの国々、中国を代表とする国家資本主義経済国家群では関税によって貿易収支の赤字を防ぎながら、一方においては自由貿易によって国際収支の黒字を導いている。保護貿易主義や経済保護主義の立場から観れば、両方の国家群で、それぞれの段階によって、異なる貿易や国際経済政策が取られている。
最後にこの貿易戦争が向かう方向について述べる。20世紀型の国際経済覇権国家・米国の立場は、主に以下の3つ特徴をもっている。つまり、第1番目は、第2世界戦争後、そして東西冷戦終結後の国際的に唯一強大な軍事力を持つ国家として君臨してきた。第2番目は自国の通貨ドルを準国際通貨として世界金融資本システムを構築してきた。第3番目は、インターネットに代表される国際情報インフラを支配し、そのインフラに基づく、IT産業、ITプラットフォーム企業を独占してきた。この三つの要因によって、国際政治と経済の覇権を続けてきた。
新二つの資本主義国家群の国際的対立と日本・東アジア
しかし、21世紀になり、中国が新たな経済システム・国家資本主義経済体制を確立し躍進してきたことによって、米国一強時代は終焉を迎えようとしている。同時に、この米国の状況がトランプ政権に代表される「アメリカ第一主義・米国一強主義を維持するための経済政策」を展開している。それは、20世紀型の国際社会での米国一強主義ではなく、米国の国内経済中心主義による相対的な米国の経済強国や軍事強国への転換である。
米国は、これから何を優先しながら、外交を行うか、そのことが問われるだろう。21世紀の国際社会で進む新興国家や発展途上国の経済政策、国家資本主義経済国家の戦略に対して、どのような外交と内政を行うだろうか。また同時にそのことは、国家資本主義経済政策の産みの親であった日本、その政治経済政策によって導かれた近代日本の正と負の歴史、それを踏まえて出発した戦後民主国家日本の歴史、ポスト国家資本主義経済から新自由主義経済への変換を行った現在の日本の政治経済政策も同時に問われるだろう。
米中貿易戦争と日韓問題、そして香港や台湾での市民運動の本質を理解しなければならないだろう。つまり、東アジアでの政治経済強国中国の形成や先進国家としての韓国の台頭が今後の日本経済や社会に及ぼす影響と、日本の在り方を考えなければならないだろう。つまり、現在の日韓問題を考える時、米中貿易戦争の基本的な課題を前提にした考察が必要となるだろう。その意味で、日本や韓国の両方に側にも、そうして視点で問題を考え、また日韓関係を現実的な視点に立って解決し、中長期的視点に立って両国の関係を模索する意見は少ないように思える。
2019年9月11日 ファイスブック記載
つづく
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