2022年11月14日月曜日

脆弱な民主主義文化、危機の日本社会を救うための提案

危機的状態にある日本の民主主義を救う三つの提案




三石博行




1 、旧統一教会に操られる日本の政治家の本音



旧統一教会と政治家の関係があきらかにしたことは、日本の民主主義の脆弱さであった。国民が選ぶ政治家は、国民から多額の献金を集め家庭崩壊を行っている反日セクトと言われる団体に長年選挙協力してもらっていた。日本の保守系の政治家、伝統的家族倫理を重視し、日本民族の誇りを謳う政治家たちが、教祖の前に天皇をひざまずかせる儀式を行っていたセクトと政策協定まで結んでいた。

そうして事実が明るみに出るや、彼らは掌を返すように、旧統一教会との縁を切ったと宣言した。しかし、何故、このセクトと関係を持ったのかは明らかにしない。それは、彼らの政治家としての基本が問われるからだろう。つまり、彼らは、本音では、自分の利益や既得権を維持するためには、国民が犠牲になろうが、国家が侮辱されようが、どうでもよいと思っているのだ。それが、明らかになることは避けたいのだろう。

今、野党は旧統一教会と関係した閣僚(旧統一教会への対策を検討する立場にある政治家)の批判、また被害者の救済のための法制度の成立に向けて協議を重ねている。しかし、今年中に、被害者救済のための法律が成立するかは不明のままである。もともと、国民の犠牲を無視し続けて来た政治家にとって、被害者の救済は、さほど重大な課題ではない。彼らは、旧統一教会との関係を問いただされるこの国会を早めに閉会したいと思っているかも知れない。


2、「国民はいつか忘れますよ」と言われている私たち



と言うのも、この国会が終われば、そして来年になれば、旧統一教会と政策協定を結んでいたことも、イベントで講演したことも、教祖を賛美したことも全部「国民は忘れますよ」(故安倍氏)と、思っているからだろう。事実、森加計や桜を見る会の問題もいつの間にか「国民は忘れ」、報道も取り上げなくなり、もし誰かがそれを言うなら、「過ぎたことでしょう」「それよりも大切な予算、安全保障等の議論があるのでは」と言われることになる。

「国民はいつか忘れますよ」という日本社会の政治文化は、すべてに行きわたっているようだ。例えば、オリンピックでは予算を超える支出、多量の料理の廃棄(食べられない人々がいるのにかかわらず)、国民の血税がまるで湯水のように使われた。そして、それを運営する組織員会等のスキャンダルが暴かれようとしている。だが、政治家だけでなく、利権に群がる彼らも、「いつか国民は忘れますよ」と思っている。「いつか国民は忘れてくれる」から、何をやっても、そう問題にならない。もし、問題になったとしても、時間を稼げば、批判から逃れられる。それが日本流のやり方だと、彼らは信じて疑わないのである。

自分の利益や既得権を維持することが最も大切な「政治活動の課題」となっている政治家が国会にまた地方の議会におれるのは、政治家の不正を忘れてくれる国民と過去の不正を都合よく忘れる政治家の国だからなのか。こんな情けない国に日本はなっているのだ。これは亡国に一丁目と言わないで何というか。もし、三島由紀夫がいたら、彼は激を飛ばし、ひょうとすると、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地でなく、永田町で切腹しているかもしれない。

参考資料
松谷創一郎 「日本人の“忘却癖”を利用した安倍政権のイメージ戦略──安倍ポピュリズムの実態とは」


3、何かから始めるべきか



旧統一教会と政治家の癒着の問題が露呈したのは日本社会の民主主義文化の脆弱さであった。その脆弱さを生み出している社会文化的構造にメスをいれ、改革をしなければ、同じ問題が今後も起こるだろう。そして、また、問題をおこした人々は同じように「国民はいつか国民は忘れますよ」と言うだろう。

こうした状況を変えるために何をしなければならないのか。考えられることは沢山ある。ここで、私が考えている三つのテーマを列挙する。もちろん、これ以外に他にもあるだろう。こうした議論を起こすさなければならない。広く社会全体を巻き込む議論を起こし、人々がそれらの課題に関して意見を述べ合う文化、社会コミュニケーションを作ることだと思う。コミュニケーションの過程こそが、民主主義文化を醸成する。そして、そこで生まれた多様な社会活動によって、よりバランスの取れた課題解決(民主主義文化を醸成するための)が進むことを願っている。

以下、三つの課題、マニフェストを重視する選挙制度の変革、報道の自由とフェイクニュース対策と小中学校での民主主義教育の充実に関する情報を記載した。

3a、選挙制度の変革 (例えばマニフェスト選挙)



議会制民主主義で国民が唯一政治に参加できる機会は選挙である。その意味で、国民主権を謳う国家・日本ではより多くの国民が参加できる選挙制度を確立する努力、また、立候補者個人、または政党にはより民主的な選挙活動を義務づける必要がある。

参考資料
三石博行 「クトに利用されない日本の選挙制度のための変革案 」2022.11.12
rainy「マニフェストとは?意味や具体例、調べ方も解説」2021.10.28
senhime「マニフェストとは?各党の公約一覧をご紹介!」2021.11.14
早稲田大学マニフェスト研究所 「マニフェスト Q&A?」


3b、報道の自由とフェイクニュース対策



日本の報道の自由に関して「国境なき記者団」の評価がある。それによると日本は世界で71位となっている。ウクライナ侵攻を行ったロシア社会、それを許した国民は徹底した公共放送の政権プロパガンダ情報を信じ切っていた。日本の戦中を思い出すとよい。NHK(日本放送局)は、同じような失敗を行ていた。そして、国民を戦場に送り出す機関の一翼を担っていた。

日本の放送法を他の先進国のそれと比較する必要がある。ドイツの事例などが参考になる。公共放送が国家のプロパガンダとなる宿命は避けられない側面があるなら、積極的に市民メディアを育成し、国民は自由に報道活動を行う文化を形成すべきだろう。

一方、自由な情報発信は、インターネットでSNSを通じて行われている。その情報伝達機能を通じて、間違った情報、悪意に満ちたデマ等が流されている。報道の自由と反社会的で、悪意に満ちた情報(報道)の点検機能が社会的に必要となる。その機能を充実させない限り、報道(情報発信)の自由は守れない。

参考資料
Wikipedia 「世界報道自由度ランキング」
「報道の自由度ランキング」 (2021年7月6日)https://ecodb.net/ranking/pfi.html
「日本の報道の自由度はG7の中で最も評価が低い。この理由として、国境なき記者団は、「記者クラブの存在」や、「特定秘密保護法」等を問題点として挙げている。」, 2022年の報道の自由度ランキングで日本は71位。先進国とは思えない、報道の自由後進国として評価されている。
日本経済新聞 「報道自由度、日本は4つ下げ71位に 国境なき記者団」2022年5月3日
NHK「報道の自由度 日本 世界71位 “大企業の影響力 自己検閲促す” 」2022年5月4日

MEDIA KOKUSYO「フランスでフェイクニュースを取り締まるための法改正が成立、言論統制に悪用される可能性も」2018年07月05日 黒薮哲哉の「メディア黒書」

総務省 「インターネット上のフェイクニュースや偽情報への対策」


3c、小中学校での民主主義教育



民主主義は文化である。それは人の人格であり、家族文化や地域社会文化である。人権思想(人の命と生活を大切にする考え方)が無ければ民主主義文化は育たない。人が自分と同じ人間でありることを学ぶことで、民主主義の重要な要素「平等」に関する考え方が生まれる。また、人は人それぞれ個人として生き方、希望や欲望を持っている。従って、自分の生き方や欲望を理解してもらうためには、他人のそれを理解し、認めなければならない。自由とは相互にそれぞれの個人の多様な生き方を認め合うことで社会的に成立する。こうした考え方は家庭教育、幼児教育、小学校や中学校での教育を通じて育成される。それらの教育がなければ民主主義文化は形成されないだろう。

現在、少なくとも小中学校教育での民主主義教育の強化や導入が必要である。自由に自分の意見を言い、また他人の意見を聞くための訓練を小学校から行わなければならない。自分の意見を言えない、大勢の人々の意見に同調し、違い意見の人を排除する人にならないための訓練を行うことで、「いじめ」に対して、子供たちが自分たちの力で解決できるだろう。

さらに、学校の決まり、社会課題を考え、それらの問題を解決するための方法、コミュニケーションの仕方を実践的に学ぶことで、民主主義に関して実践的に理解するだろう。そして、そこで育てられた子供たちは未来の日本に大きく貢献するこだろう。

参考資料
KIDSNA編集部「【スウェーデンの教育】社会に問いを立てる民主主義教育」


フェイスブック記載 2022年11月13日

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