2010年3月9日火曜日

近代科学史の中の自己組織性の設計科学の位置

三石博行


自己組織性の設計科学論・慾慟の社会構築主義


人間の欲望を極力抑制することに成功していた中世的世界では、個人による多様な自己意識は発達せず、個人はある集団や社会の共同主観性を共有し合い、そのため個人の意識は集団的表象に大きく依存することで成立していた。

そこで、現代社会での自己意識を中世社会のそれに置き換えて、当時の人々の生活行為や生活意識を理解することは難しい。例えば当時の自己意識は必然的に村や部落での生活を営む上で必要とされる意識、生活作法、習慣や生活様式で成立していたと思われる。

近代になって、欲望をばねに社会的活力を生み出す社会になって、多様な生活様式・生産様式(分業)・多様な商品・多様な生活要求が生まれた。それらの多様性が、中世社会から、近代を経て現代社会へと生活様式を変遷させてきた。

その社会経済規則(制度)を資本主義と呼び、その社会経済思想を民主主義と呼んでいる。民主主義を構成する自由と平等の世界観によって、現代社会の生活世界・観念形態は生産し再生産し続けている。

現代の社会科学の調査対象は、これまで社会学が扱っていた個人の社会制度やその社会的役割から、変化していると思われる。

多様な社会集合、同じ生活目標に対して社会には多様な生活行為が存在する。それらの多様な社会的行為の背景は、その社会集団のあり方やそれを構成する人々の集団表象(ある社会集団では同じような社会観、生活感覚、ものの見方が存在している)の形態の違いを意味することになる。

現代社会は、人々は生まれながらにして所属階級(つまり労働者階級と資本家階級)の制約から生涯束縛されていた19世紀型の階級社会から、義務教育と教育の自由によって、教育の機会を均等に得ることが出来ことによって生み出される新しい格差社会を生み出そうとしている。それは、科学技術文明社会による知的生産能力の所有・非所有者の格差社会である。知識(情報とスキル)の所有が社会生産力を生み出し、生産性を高める資源になる社会が、出現している。

それらの社会現象を分析する有効な人間社会科学理論の構築が必要となっている。20世紀になって、社会科学に新しい方法が持ち込まれた。

例えば、その代表的なものに、20世紀社会学の主流である社会の機能構造分析と行動主義が挙げられる。機能主義の基本には有機体としての社会の理解が前提となっている。また、構造主義の基本には文化記号とその関係式によって成立している自我や言語体系と同じ観念形態としての社会構造の理解がある。行為論は個人的行為を社会行動の基本要素とし、それらの集合関係を述べることになる。その基本には個体の生命を維持する生理的行動、衣食住を確保する行為などがある。

近代科学としての社会科学は、その形成期から生物学に影響されてきた。リンネの形態学やダーウインの進化論に影響を受けたスペンサーの社会学、免疫学に影響されたモランなど1970年代のフランス社会学、そして分子遺伝学に影響された1990年代からの吉田民人の提案する人工物システム科学、設計科学や人工物プログラム科学論などがある。

労働時間に代表される社会的物理時間を前提して社会学が展開した古典派経済主義社会学が終わりを告げると、社会的制度や役割の空間分析を展開した機能構造分析が登場した。勿論、時間概念は喪失したままである。それに対して機械的時間から社会要素の記号的時間を導入することで、社会システム論が展開し、またそれに精神言語的時間を持ち込むことでポスト構造主義が登場する。

そして、欲望や生命のシステムを対象とすることで、自己組織性のシステム論が形成される。つまり、吉田民人の自己組織性の情報学の原点は欲望や慾慟を行為の原点とした「生活空間の機能-構造分析」が前提となっている。

この理論的展開の延長上に、吉田民人の「自己組織性の設計科学」がある。それは、慾慟によって運動し機能する社会構築を意味する。そのことを社会構築主義は理解しる必要があるだろう。



参考
三石博行のホームページ 「人間社会科学」
http://hiroyukimitsuishi.web.fc2.com/kenkyu_02.html

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