2010年7月14日水曜日

大学の大衆化と問われる大学の社会的機能

三石博行


大学の大衆化によって、多様な目的や要求をもった学生が入学し、学生も学部専門教育を終了したからと言って、必ずしもそれらの知識を直接活用できる企業や組織の就職できる訳ではないのが現実である。

大学の大衆化によって、学部教育は教養専門教育過程として位置づけられてい。大学への入学人口の増加により学生の大学教育への期待や希望も多様化している。大学もそれらの学生の多様な要求にあった教育環境を作ってきた。多種の専門教養科目の履修可能性、情報処理教育の充実、国際感覚を養うための海外提携校への留学、英語での教養や専門科目教育、インターンシップ等々、それらの教育課題を充たすカリキュラムが準備された。そして、これらの具体的な教育内容の変化によって、従来の大学教育の評価方法も大きく変化してきたのである。

大学は高等教育機関としての社会的機能を充たすために、国の制度、高等教育に関する法律に規定され、また文部科学省の高等教育局の管轄の基に運営されている。大きくは、進学基準や卒業要件で、習得科目やそれらの単位数がこと細かく決められている。それに即して、大学は学生にカリキュラムを提供している。同時に、科目担当者は、教育計画内容等を学生に示し、厳密に学生の評価を行い、その科目修了認可を与える。その認可は社会的に認められている。

もし、大学が社会に対して卒業して行く学生の学力に対して責任をもって保障するという立場を持つなら、科目習得条件から試験を取り除くことは出来ない。その場合の大学側の評価内容は学生の「知識の習得」と「技能の習得」に関するものである。つまり、それらの大学での単位認定が、社会的に評価され通用される基準でなければならない。もし、「統計学入門」のシラバスにそって、その単位を修得した学生が企業に就職して、「統計基本量の算出」が分からないということになれば、その企業は学生が卒業した大学に「統計学入門」科目の単位認定の基準に関してクレームを付けてもいいだろう。しかし、日本の社会ははじめから大学にその企業で必要とする知識や技能の教育を期待していなかった歴史的な経過があるために、大学にクレームをかける企業はない。

つまり、それだけ社会は現在の大学教育に期待をしていないと言える。しかし、それだけに、これまで多くの有名な大企業では、大学教育内容を評価するのでなく、大学入試の偏差値を評価して採用する傾向にあった。

しかし、最近、企業の雇用形態が変化し、終身雇用制度が廃止され、企業内での長期的視点に立った人材教育の余裕がなくなり、即戦力のある人材を、手っ取り早く人材派遣会社に委託してかき集める時代になった時、大学は、むしろ、社会からその教育内容に関する正当な評価の機会を得る可能性があるとも言える。



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ブログ文書集 タイトル「大学教育改革への提案」の目次
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