三石博行
生きる場の哲学・生活主体の反省的認識活動
大学で訓練を受ける哲学は、哲学の歴史(現代哲学も含めて)や哲学理論の分類学ですね。それは、多分、「生きる場の主体(生活世界の主人公、つまり一人称の私と呼ばれる存在)の認識活動やその行為や行為に結果に関する反省点検活動」にとって、参考になると思います。
例えば、デカルトの「方法序説」を読んでみると、今の自分の生き方を検討するために必要な考え方や生き方が書いてあります。その意味で、この書物は古典だと思います。
しかし、デカルトを知らなければ生きる場の哲学が分からないわけではなさそうです。すべての人々が、学問や知識の前提なく、日常生活を通じて自己を点検する(反省する)思索を人生哲学と呼ぶなら、哲学の基本はこの人生哲学にあると思えます。
そして、その人生哲学の思索過程を、つまり、「生きる場の主体の認識活動やその行為や行為に結果に関する反省点検活動」を思想や哲学と呼ばれら学問の歴史の中で、再度検討するとき、そこに大学などで学ぶ学問としての哲学の意味があるのだと思います。
ある人々にとって、自己の思索活動の中だけでは、解決つかない疑問に対して、哲学史や古典と呼ばれる過去の哲学者たちの書物は役に立つかもしれません。その生きる場の深く重い疑問や不安に慄きながら、専門的な哲学研究は出発していると思います。
この疑問や不安に苛まれる世界を持たない人々からすれば、哲学はまったく役に立たない学問だと思います。なぜなら、それを学んだからと言って、生活経営、社会経営、政策立案にそれ程役に立つようなものがないからです。
しかし、生き方に悩み、自分を何とかしなければいけないと思っている人にとっては、自然と哲学をはじめる土台が作れるのだと思います。
哲学という学問は、その意味で、他の科学(自然科学、応用自然科学・技術学、人間社会科学)などと、すこし違った特殊な学問に思えます。
趣味人倶楽部 「哲学研究会」掲示板 「いわゆる人生哲学と学問としての哲学について」での議論
http://smcb.jp/group/152
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哲学に於いて生活とはそのすべての思索の根拠である。言い換えると哲学は、生きる行為、生活の場が前提になって成立する一つの思惟の形態であり、哲学は生きるための方法であり、道具であり、戦略であり、理念であると言える。また、哲学の入り口は生活点検作業である。何故なら、日常生活では無神経さや自己欺瞞は自然発生的に生まれるため、日常性と呼ばれる思惟の惰性形態に対して、反省と呼ばれる遡行作業を哲学は提供する。方法的懐疑や現象学的還元も、日常性へ埋没した惰性的自我を点検する方法である。生活の場から哲学を考え、哲学から生活の改善を求める運動を、ここでは生活運動と思想運動の相互関係と呼ぶ。そして、他者と共感しない哲学は意味を持たない。そこで、私の哲学を点検するためにこのブログを書くことにした。 2011年1月5日 三石博行 (MITSUISHI Hiroyuki)
2010年9月18日土曜日
2010年9月2日木曜日
共同主観的合意行為・高速道路の運転風景
三石博行
安全運転(行為)、交通規則(社会規範)と共同主観
毎日通勤で通るバイパスや高速道路、大型トラック、バス、乗用車、たまには自衛隊のジープ、ありとあらゆる種類の車が、私の車と競り合い、譲り合い、追い越し、追い越され、通り過ぎ、共に走っている。これが、通勤時間1時間弱の風景で、以前自転車で通った風景とはまったくちがうスピード観のある世界、そして街、田んぼや並木道の風景も行き交う人々の顔も見えない。以前、電車で通った風景と違い、美しい女性、若い人々、老いた夫婦、子供ずれの家族とも会うことはない。車の通勤ほど、社会的コミュニケーションから遠い、そして社会風景から隔離された時間はない。車の通勤ほど、暇で、何となく自分の姿を考えている時間はない。
この二、三車線の隙間を、よくもこれだけ多くの車が、時速100キロメートルの速さで、ぶつからないで走ることが出来るのか、不思議な気持ちが湧く。
私の運転中の意識、つまり、交通規則に即して走る、危ない運転は事故を起こす、高速道路の事故に遭えば命が助かる保障はない、今、死ぬわけにはいかない、今、人を交通事故で殺して生涯、交通事故の補償を続ける訳には行かない等々、私が運転中にハンドル、アクセル、ブレーキ、方向指示器、ライトなどの運転操作の作業をしている間に、こころの底に確りと出来上がっている意識と、私の周りで走る車の運転手たちの意識とは殆ど共通しているのだろう。
この状況で事故が起こらない奇跡に近い状況を生み出しているのは、まさしく、道の状況、車の流れに合わして、同じような判断と操作を行う人々の群れ、高速道路を走る車の動きを制御している共通した判断をもつ人々の群れの存在によってである。それは群れという、不明な集団でなく、運命共同体として、高速道路で生死の境目に立たされながら、事故を起こし、死ぬことを避けるためにのみ、行動の基準をあわしている人々達と言わなければならないだろう。
時速100キロで走る重さ10トン以上のトラックに囲まれた世界、これは異常な世界で、戦場と同じくらい危険な場所である。そこで殆どの人が戦死しないのは、彼らの弾丸(車)は、相手を避けるため発射され続けているからだろう。もし、相手を殺すことを避けるためにという意識がなければ、この高速道路は今のイラクやアフガニスタンよりも恐ろしい殺戮世界に化すだろう。
自分の弾(車)が相手に当たらないための方法は、相手に当たらないように作られた規則(交通規則)に従うしかない。自分の良心も主観的判断も、この戦場では意味を持たない。その規則を守ることによってしか、自分の発射したすざましい破壊力のある弾丸が、見事に他の車に当たらないように、弾丸の軌道を決めることが出来るのである。
つまり、交通規則を守る集団の意識と、その交通規則に即した集団の行為が、奇跡的に交通大災害から我々を守っているのである。行為に社会的平均値は、個々人が理解し了解している社会的規範とそれに即して個々人が実現している行為の集合によって形成される。その個人差は必ず存在するものの、相互にそれらの個人差の上下が相殺しあい、少し平均値より高いものも低いものも、集団ではその平均値の周りに集まる。その集団の行為現象が高速道路を走る車の流れとして現れている。
状況の逸脱行為、平均値からのずれ、その発生確率によって生まれる事故
大半の車が安全運転している高速道路で、たまに、無茶な運転をする車に出会う。急いでいるのだろう、危ない運転をしている。また、前に車がいるのに、速度を上げたくても上げられないのに、異常接近してくる車がある。時速100キロメートルで走っている車同士の車間距離が、10メートルもない状態になる。恐ろしい瞬間である。もし、私が急に速度を落とすと、後ろの車はどうなるかと心配する。
モウスピード運転のみではない。高速道路の制限速度は時速80キロメートルであるので、三車線の真ん中を時速80キロで走るのは、交通規則から言ってもまったく正しい運転であるが、道路の空いた時間帯では、三車線の真ん中は90キロ近く、右端追越斜線は100キロ以上で走っている。そんな状況で、80キロのスピードで三車線の真ん中を走る車に出会う。90キロで走る車が、近づいて車間距離が狭まる状態でも、交通規則を守る車は、頑として、その場所を譲らない、もし、三車線の左端によれば、真ん中車線を走る車も、三車線を走る車も、そこで団子になることなく、スムースに車の流れが出来るのだろうが、そうはならない。
高速道路のある時間と空間に集まる運転手達の運転行為、つまり運転規則の尊守意識、高速道路の車の流れや他の車の運転等々に関する状況判に影響されて形成されている意識と運転行為の集合形態が、高速道路の安全や危険のドラマを作るのである。
そして、幾つかの確率で、危険な状態を制御できない事態が発生した場合、ヒヤリとする瞬間が生まれ、それらのヒヤリとした瞬間のメッセージが運転手の意識に反省的にインプットされ、運転スタイルの変更を促した場合と、そうでない場合が、さらに継続的に、積み重ねられ、そして、高速道路での安全が確保されるか、それとも安全が維持できない状態になり、事故が発生するのである。
こう考えると、事故の要因を生み出す発生確率は、事故のない状態で常にある数値をもって生じ続けていると言える。それが、事故につながるのは、現に発生した事故直前の事態への対応となる。
ここからの話は畑村洋太郎氏の「失敗学」に譲ることにする。
失敗学に関する本
畑村洋太郎 『失敗学の法則」 文春文庫 2006.6、258p
畑村洋太郎 『失敗学 実践講義』 講談社 2006.10、255p
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安全運転(行為)、交通規則(社会規範)と共同主観
毎日通勤で通るバイパスや高速道路、大型トラック、バス、乗用車、たまには自衛隊のジープ、ありとあらゆる種類の車が、私の車と競り合い、譲り合い、追い越し、追い越され、通り過ぎ、共に走っている。これが、通勤時間1時間弱の風景で、以前自転車で通った風景とはまったくちがうスピード観のある世界、そして街、田んぼや並木道の風景も行き交う人々の顔も見えない。以前、電車で通った風景と違い、美しい女性、若い人々、老いた夫婦、子供ずれの家族とも会うことはない。車の通勤ほど、社会的コミュニケーションから遠い、そして社会風景から隔離された時間はない。車の通勤ほど、暇で、何となく自分の姿を考えている時間はない。
この二、三車線の隙間を、よくもこれだけ多くの車が、時速100キロメートルの速さで、ぶつからないで走ることが出来るのか、不思議な気持ちが湧く。
私の運転中の意識、つまり、交通規則に即して走る、危ない運転は事故を起こす、高速道路の事故に遭えば命が助かる保障はない、今、死ぬわけにはいかない、今、人を交通事故で殺して生涯、交通事故の補償を続ける訳には行かない等々、私が運転中にハンドル、アクセル、ブレーキ、方向指示器、ライトなどの運転操作の作業をしている間に、こころの底に確りと出来上がっている意識と、私の周りで走る車の運転手たちの意識とは殆ど共通しているのだろう。
この状況で事故が起こらない奇跡に近い状況を生み出しているのは、まさしく、道の状況、車の流れに合わして、同じような判断と操作を行う人々の群れ、高速道路を走る車の動きを制御している共通した判断をもつ人々の群れの存在によってである。それは群れという、不明な集団でなく、運命共同体として、高速道路で生死の境目に立たされながら、事故を起こし、死ぬことを避けるためにのみ、行動の基準をあわしている人々達と言わなければならないだろう。
時速100キロで走る重さ10トン以上のトラックに囲まれた世界、これは異常な世界で、戦場と同じくらい危険な場所である。そこで殆どの人が戦死しないのは、彼らの弾丸(車)は、相手を避けるため発射され続けているからだろう。もし、相手を殺すことを避けるためにという意識がなければ、この高速道路は今のイラクやアフガニスタンよりも恐ろしい殺戮世界に化すだろう。
自分の弾(車)が相手に当たらないための方法は、相手に当たらないように作られた規則(交通規則)に従うしかない。自分の良心も主観的判断も、この戦場では意味を持たない。その規則を守ることによってしか、自分の発射したすざましい破壊力のある弾丸が、見事に他の車に当たらないように、弾丸の軌道を決めることが出来るのである。
つまり、交通規則を守る集団の意識と、その交通規則に即した集団の行為が、奇跡的に交通大災害から我々を守っているのである。行為に社会的平均値は、個々人が理解し了解している社会的規範とそれに即して個々人が実現している行為の集合によって形成される。その個人差は必ず存在するものの、相互にそれらの個人差の上下が相殺しあい、少し平均値より高いものも低いものも、集団ではその平均値の周りに集まる。その集団の行為現象が高速道路を走る車の流れとして現れている。
状況の逸脱行為、平均値からのずれ、その発生確率によって生まれる事故
大半の車が安全運転している高速道路で、たまに、無茶な運転をする車に出会う。急いでいるのだろう、危ない運転をしている。また、前に車がいるのに、速度を上げたくても上げられないのに、異常接近してくる車がある。時速100キロメートルで走っている車同士の車間距離が、10メートルもない状態になる。恐ろしい瞬間である。もし、私が急に速度を落とすと、後ろの車はどうなるかと心配する。
モウスピード運転のみではない。高速道路の制限速度は時速80キロメートルであるので、三車線の真ん中を時速80キロで走るのは、交通規則から言ってもまったく正しい運転であるが、道路の空いた時間帯では、三車線の真ん中は90キロ近く、右端追越斜線は100キロ以上で走っている。そんな状況で、80キロのスピードで三車線の真ん中を走る車に出会う。90キロで走る車が、近づいて車間距離が狭まる状態でも、交通規則を守る車は、頑として、その場所を譲らない、もし、三車線の左端によれば、真ん中車線を走る車も、三車線を走る車も、そこで団子になることなく、スムースに車の流れが出来るのだろうが、そうはならない。
高速道路のある時間と空間に集まる運転手達の運転行為、つまり運転規則の尊守意識、高速道路の車の流れや他の車の運転等々に関する状況判に影響されて形成されている意識と運転行為の集合形態が、高速道路の安全や危険のドラマを作るのである。
そして、幾つかの確率で、危険な状態を制御できない事態が発生した場合、ヒヤリとする瞬間が生まれ、それらのヒヤリとした瞬間のメッセージが運転手の意識に反省的にインプットされ、運転スタイルの変更を促した場合と、そうでない場合が、さらに継続的に、積み重ねられ、そして、高速道路での安全が確保されるか、それとも安全が維持できない状態になり、事故が発生するのである。
こう考えると、事故の要因を生み出す発生確率は、事故のない状態で常にある数値をもって生じ続けていると言える。それが、事故につながるのは、現に発生した事故直前の事態への対応となる。
ここからの話は畑村洋太郎氏の「失敗学」に譲ることにする。
失敗学に関する本
畑村洋太郎 『失敗学の法則」 文春文庫 2006.6、258p
畑村洋太郎 『失敗学 実践講義』 講談社 2006.10、255p
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Blogger から投稿実験
Bloggerからの入力投稿
ブログの投稿をサイトから可能になるらしい。一回、実験で試してみる。もし、これが出来れば、日記風のブログの書き込みは、簡単にできるかもしれない。
しかし、私のブログは、自分の考えを纏めるために書いているため、このBloggerの使用は、それには無理だろう。
バナーの貼り付け
バナー(イメージ画像)にタグを取り付ける実験を行ってみる。
クリニックサンルイのバナー
1、クリックすると、クリニックのホームページが別に開く。
哲学ブログのバナー
1、クリックすると、クリニックのホームページに移行する。つまり、ブログ画面は消える。
三石博行のホームページのバナー(1)
ブログ村のバナーを使って、三石博行のホームページに飛ばす。
三石博行のホームページのバナー(2)
クリニックサンルイのバナーを使って、三石博行のホームページの飛ばす。
問題
1、クリックして別に飛ばす方がいい。
2、クリック音を入れたほうがいい。
見出し文字
見出しの実験を行う
見出しは、サイズ、文字の形、色の三つの要素
サイズ6
見出し1
サイズ6の見出し 色は#000081a
サイズ5
見出し1
サイズ5でイタリックの見出し 色は#00008b
サイズ4
見出し1
サイズ4で太文字の見出し 色は#00008d
見出し3
サイズ4で太文字の見出し 色は#0008b
見出し3
サイズ4で太文字の見出し 色は#00004c
見出し3
サイズ4で太文字の見出し 色は#0004c
見出し3
サイズ4で太文字の見出し 色は#0004s
サイズ3
国民参画の救援体制
サイズ3でイタリック 色は#00004b"
国民参画の救援体制
サイズ3でイタリック 色は#00006f"
イタリックの小見出しを作る
4 見出し実験
太文字
イタリック
現代社会での安全管理(3)
サイズ5で、GoogleChromeでも色表示(#008b00)が可能なタグ
社会インフラ事業としての安全管理
サイズ4で、GoogleChromeでも色表示(#008b00)が可能なタグ
現代社会での安全管理(3)
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社会インフラ事業としての安全管理
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しかし、私のブログは、自分の考えを纏めるために書いているため、このBloggerの使用は、それには無理だろう。
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国民参画の救援体制
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2010年9月1日水曜日
教育としての哲学の課題
三石博行
人気を失う大学哲学専門教育
哲学が知の体系でありえないという議論に最も困惑しているのは大学の哲学研究者達ではないだろうか。つまり、他の人文科学と同じ専門分野の一つとして、その教育課程を前提に成立している学科で、哲学が知の体系でないと言う事になれば、どのようにして哲学という専門教育を行うのか混乱するだろう。
しかし、すべての哲学科では、そうした混乱は生じていない。大学に哲学科が設定されて以来、極めてハードな講義科目群が構成されており、長年、変わることなく哲学の講義は続いてきたからである。
西洋哲学は、ギリシャ哲学から始まり中世スコラ哲学、そして近代合理主義哲学、経験主義哲学、実証主義、ドイツ観念論、カント哲学、新カント哲学、ヘーゲル現象学、等々、現代西洋哲学に至まで、多くの学習課題が存在していて、何不足なく哲学科の講義は準備されることになる。それは50年前も今もそう大して変化のないカリキュラム内容であり、変化したと言えば、現代科学技術文明社会に関する哲学的問題、例えば情報化社会での倫理問題等。また20世紀後半の新しい哲学課題などが選択科目として提供されるだろう。
問題は、これらの科目が、学生にとって興味ある科目かそれとも現代社会にとってそれらの知識が有用なものであると評価できるかという課題が残る。前者は受講する学生が判断し、選択科目であれば、それらの科目を選択しなくなり他の科目を選んで哲学科卒業と謂えども、哲学だけでない他の領域、就職活動に有利な科目、例えば情報処理科目や社会統計学を選ぶ可能性もある。
何れにしても、哲学研究者になることを目指す学生以外は、伝統的な哲学科のカリキュラムをすべて選択する学生は益々少なくなることは明らかである。
変革に立ち上がったフランスの1990年代の大学哲学部
私が所属していたストラスブール第二大学(人文科学大学)哲学部は毎年約500名近い学生が入学してくる。フランスでは哲学は非常に重要な学問であるので「哲学部」として成立している。その点、日本の場合のように文学部哲学科として哲学を専攻する学生数から見ても規模が違うので、日本の場合と比較することは出来ない。
1985年から哲学部で教育改革が行われた。哲学部に哲学専攻、情報科学専攻、言語学専攻の三つ専攻分野を置き、学部名も哲学、情報科学と言語学部と改名した。文字通り、情報学や言語学の教育研究も行われた。人工頭脳の研究を行う情報学系の専門教員、情報処理演習質とその演習室を切り盛りする技官などが入った。私は、哲学専攻であったが、情報系の研究室に机を置いていた。
ストラスブール第二大学の哲学部の改革は、その後パリ第四大学(ソルボンヌ大学)でも同様の改革が行われた。
つまり、哲学教育を重視し、哲学部に多くの学生が入学するフランスであるからこそ、哲学部卒業生にも社会的ニーズに合わせた教育を行うことが課題になったのだろう。情報処理などの教育が人文科学大学としても必要であり、それを哲学部に設置したことが、日本では考えられないことなのかもしれない。
しかし、哲学教育という意味では、フランス1990年代の学部教育改革は日本の哲学教育にも同様な課題を提供しているように思われる。つまり、大衆化していく大学教育において、これまでの一握りの哲学研究者を育成するための哲学科の教育が維持できるだろうかという疑問である。
科学技術文明社会に於ける哲学教育の意味とは
この課題は、科学技術文明によって形成されている現代社会にとって哲学とは何かを同時に問題にしているのである。現代社会で有効な知識の代表となった問題解決型の知識、それは工学系、農学水産学系、生物生態学系、医学薬学系、経済社会学系、生活科学系、経営学系、情報学系、言語学系、設計学系等々、すべての知識は問題解決を前提にした自然、社会、人間科学とその技術技能学である。そこに哲学はどのようにその知の有効性を主張し、対等な扱いを社会から受けようとしているのだろうか。
つまり、歴史学、文化人類学と同様に哲学は教養学として位置づけられようとしているのだろか。例えば、古代ギリシャや古代中国の思想、中世西洋社会のキリスト教神学、17世紀近代ヨーロッパのデカルトやパスカルの思想を思想史の中で学ぶ歴史学の一部、哲学史として、哲学は現代社会人にとって豊かな教養の一部として、存続することが許されるのだろうか。
しかし、例えばデカルトやパスカルの書を読んで、現代社会に通じる有効な生き方や考え方を示唆する文章に出会う。それらの学習は、古典の勉強として位置づけられるだろう。つまり、古典と呼ばれる古い時代に書かれたが現代社会にも有効な知として位置づけられることになる。すると、デカルトの書いたすべてではない。彼の書いた一部の文章や本がそれに相当する。そこで、これまでのように、哲学科の学生以外は、デカルト研究に精を出すほど時間はないかもしれない。
やはり、大学の哲学科で行われる哲学研究は、古い思想の歴史を研究する課題が中心となるだろう。すると、多くの人々にとって、さほど、関心をもたれるものでなく、また、社会が哲学科の教員達に現実の問題解決のために共同研究や委託研究を要請する(産学共同のスタイル)ことはないだろう。
大学は社会が即座に必要としない基礎的研究を行う所でもあるため、産学共同の進まない文学部哲学科の姿を一方的に否定したり批判したりすることは間違いである。しかし、もし、哲学科の教育研究が現代社会のニーズからかけ離れるなら、それらの教育研究に関する批判はないものの、最も危険な批判的態度である無関心が生み出されないだろうか。
こうした批判を最も深刻に受け止め、最も苦悶しているのは他ならぬ大学哲学科の教員達である。自分たちの教室で真剣に研究される課題、哲学が社会的評価を受け、社会文化の発展に寄与して欲しいと願っているのである。その意味で、我々(私もその一人なので)は、真剣に問われる哲学教育の意味、つまり科学技術文明社会に於ける哲学教育の意味」に関する答えを出さなければならないだろう。
今問われる哲学教育のあり方
具体的提案を示すことで、その提案が仮に間違っているとか、基本的課題からずれていることがあったとしても。具体的であればあるほど、多くの人々がその意見に対して評価し、批判し、そして提案することが可能となる。
そこで、具体的な提案をしようと思う。まず、二つの質的に異なる提案が考えられる。一つは教育内容の問題である。もう一つは教育制度の問題である。
まず第一点目の教育内容の問題を述べると
1、 現代科学技術文明社会が問いかける科学技術思想、社会思想や生活思想に関する研究。例えば、生態環境の思想、生活世界を豊かにする科学技術思想に関する教育
2、 現代社会を創る国際化、情報化によって生じる人間学的課題や倫理的問題に関する教育
3、 急激な社会経済発展によって生じる富の不均等蓄積、格差国際地域社会を解決するための政治経済思想に関する教育
第二点目の教育制度の問題を述べると
1、 哲学科の学生は、他の学部学科教育を同時に受ける義務、つまりダブルメジャー・ジョウイントプログラム形式にする。その場合、どの学部でもよい。
2、 または、他の学部学科の学生に哲学科の講義を自由に受講できるようにする。取得単位数によって、哲学科卒業資格、ダブルメジャーを与えてもよい。
3、 もしくは、哲学科の入学資格は、卒業生、社会人のすべてに与え、通信教育制度から夜間教育まで、哲学科は担い、出来るだけ多くの人々が、受講できるようにする。つまり、哲学科は大学教育の中で、最も社会に開かれ、誰でも何処でも受講できるように学科の教育制度を変える。
以上、二つの視点から哲学科の教育改革を提案したが、最も大切なことは、哲学が学問の基礎であるという古い概念から、哲学は学問と自分の生き方を融合するための技術であるという現代的な学問論や哲学教育論を、まず検討することから始めなければならないことは確かである。
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人気を失う大学哲学専門教育
哲学が知の体系でありえないという議論に最も困惑しているのは大学の哲学研究者達ではないだろうか。つまり、他の人文科学と同じ専門分野の一つとして、その教育課程を前提に成立している学科で、哲学が知の体系でないと言う事になれば、どのようにして哲学という専門教育を行うのか混乱するだろう。
しかし、すべての哲学科では、そうした混乱は生じていない。大学に哲学科が設定されて以来、極めてハードな講義科目群が構成されており、長年、変わることなく哲学の講義は続いてきたからである。
西洋哲学は、ギリシャ哲学から始まり中世スコラ哲学、そして近代合理主義哲学、経験主義哲学、実証主義、ドイツ観念論、カント哲学、新カント哲学、ヘーゲル現象学、等々、現代西洋哲学に至まで、多くの学習課題が存在していて、何不足なく哲学科の講義は準備されることになる。それは50年前も今もそう大して変化のないカリキュラム内容であり、変化したと言えば、現代科学技術文明社会に関する哲学的問題、例えば情報化社会での倫理問題等。また20世紀後半の新しい哲学課題などが選択科目として提供されるだろう。
問題は、これらの科目が、学生にとって興味ある科目かそれとも現代社会にとってそれらの知識が有用なものであると評価できるかという課題が残る。前者は受講する学生が判断し、選択科目であれば、それらの科目を選択しなくなり他の科目を選んで哲学科卒業と謂えども、哲学だけでない他の領域、就職活動に有利な科目、例えば情報処理科目や社会統計学を選ぶ可能性もある。
何れにしても、哲学研究者になることを目指す学生以外は、伝統的な哲学科のカリキュラムをすべて選択する学生は益々少なくなることは明らかである。
変革に立ち上がったフランスの1990年代の大学哲学部
私が所属していたストラスブール第二大学(人文科学大学)哲学部は毎年約500名近い学生が入学してくる。フランスでは哲学は非常に重要な学問であるので「哲学部」として成立している。その点、日本の場合のように文学部哲学科として哲学を専攻する学生数から見ても規模が違うので、日本の場合と比較することは出来ない。
1985年から哲学部で教育改革が行われた。哲学部に哲学専攻、情報科学専攻、言語学専攻の三つ専攻分野を置き、学部名も哲学、情報科学と言語学部と改名した。文字通り、情報学や言語学の教育研究も行われた。人工頭脳の研究を行う情報学系の専門教員、情報処理演習質とその演習室を切り盛りする技官などが入った。私は、哲学専攻であったが、情報系の研究室に机を置いていた。
ストラスブール第二大学の哲学部の改革は、その後パリ第四大学(ソルボンヌ大学)でも同様の改革が行われた。
つまり、哲学教育を重視し、哲学部に多くの学生が入学するフランスであるからこそ、哲学部卒業生にも社会的ニーズに合わせた教育を行うことが課題になったのだろう。情報処理などの教育が人文科学大学としても必要であり、それを哲学部に設置したことが、日本では考えられないことなのかもしれない。
しかし、哲学教育という意味では、フランス1990年代の学部教育改革は日本の哲学教育にも同様な課題を提供しているように思われる。つまり、大衆化していく大学教育において、これまでの一握りの哲学研究者を育成するための哲学科の教育が維持できるだろうかという疑問である。
科学技術文明社会に於ける哲学教育の意味とは
この課題は、科学技術文明によって形成されている現代社会にとって哲学とは何かを同時に問題にしているのである。現代社会で有効な知識の代表となった問題解決型の知識、それは工学系、農学水産学系、生物生態学系、医学薬学系、経済社会学系、生活科学系、経営学系、情報学系、言語学系、設計学系等々、すべての知識は問題解決を前提にした自然、社会、人間科学とその技術技能学である。そこに哲学はどのようにその知の有効性を主張し、対等な扱いを社会から受けようとしているのだろうか。
つまり、歴史学、文化人類学と同様に哲学は教養学として位置づけられようとしているのだろか。例えば、古代ギリシャや古代中国の思想、中世西洋社会のキリスト教神学、17世紀近代ヨーロッパのデカルトやパスカルの思想を思想史の中で学ぶ歴史学の一部、哲学史として、哲学は現代社会人にとって豊かな教養の一部として、存続することが許されるのだろうか。
しかし、例えばデカルトやパスカルの書を読んで、現代社会に通じる有効な生き方や考え方を示唆する文章に出会う。それらの学習は、古典の勉強として位置づけられるだろう。つまり、古典と呼ばれる古い時代に書かれたが現代社会にも有効な知として位置づけられることになる。すると、デカルトの書いたすべてではない。彼の書いた一部の文章や本がそれに相当する。そこで、これまでのように、哲学科の学生以外は、デカルト研究に精を出すほど時間はないかもしれない。
やはり、大学の哲学科で行われる哲学研究は、古い思想の歴史を研究する課題が中心となるだろう。すると、多くの人々にとって、さほど、関心をもたれるものでなく、また、社会が哲学科の教員達に現実の問題解決のために共同研究や委託研究を要請する(産学共同のスタイル)ことはないだろう。
大学は社会が即座に必要としない基礎的研究を行う所でもあるため、産学共同の進まない文学部哲学科の姿を一方的に否定したり批判したりすることは間違いである。しかし、もし、哲学科の教育研究が現代社会のニーズからかけ離れるなら、それらの教育研究に関する批判はないものの、最も危険な批判的態度である無関心が生み出されないだろうか。
こうした批判を最も深刻に受け止め、最も苦悶しているのは他ならぬ大学哲学科の教員達である。自分たちの教室で真剣に研究される課題、哲学が社会的評価を受け、社会文化の発展に寄与して欲しいと願っているのである。その意味で、我々(私もその一人なので)は、真剣に問われる哲学教育の意味、つまり科学技術文明社会に於ける哲学教育の意味」に関する答えを出さなければならないだろう。
今問われる哲学教育のあり方
具体的提案を示すことで、その提案が仮に間違っているとか、基本的課題からずれていることがあったとしても。具体的であればあるほど、多くの人々がその意見に対して評価し、批判し、そして提案することが可能となる。
そこで、具体的な提案をしようと思う。まず、二つの質的に異なる提案が考えられる。一つは教育内容の問題である。もう一つは教育制度の問題である。
まず第一点目の教育内容の問題を述べると
1、 現代科学技術文明社会が問いかける科学技術思想、社会思想や生活思想に関する研究。例えば、生態環境の思想、生活世界を豊かにする科学技術思想に関する教育
2、 現代社会を創る国際化、情報化によって生じる人間学的課題や倫理的問題に関する教育
3、 急激な社会経済発展によって生じる富の不均等蓄積、格差国際地域社会を解決するための政治経済思想に関する教育
第二点目の教育制度の問題を述べると
1、 哲学科の学生は、他の学部学科教育を同時に受ける義務、つまりダブルメジャー・ジョウイントプログラム形式にする。その場合、どの学部でもよい。
2、 または、他の学部学科の学生に哲学科の講義を自由に受講できるようにする。取得単位数によって、哲学科卒業資格、ダブルメジャーを与えてもよい。
3、 もしくは、哲学科の入学資格は、卒業生、社会人のすべてに与え、通信教育制度から夜間教育まで、哲学科は担い、出来るだけ多くの人々が、受講できるようにする。つまり、哲学科は大学教育の中で、最も社会に開かれ、誰でも何処でも受講できるように学科の教育制度を変える。
以上、二つの視点から哲学科の教育改革を提案したが、最も大切なことは、哲学が学問の基礎であるという古い概念から、哲学は学問と自分の生き方を融合するための技術であるという現代的な学問論や哲学教育論を、まず検討することから始めなければならないことは確かである。
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吉田民人論文 『俯瞰型研究の対象と方法: 「大文字の第二次科学革命」の立場か』に関する評価
三石博行
吉田民人の第三期研究課題
戦後日本の社会学(理論社会学)をリードしてきた吉田民人(1931-2009)の研究は、大きく三つの段階に分けられる。
行為主体の社会人間学的構造と機能に関する研究した1950年代から1970年までの第一期。この第一期で、吉田は社会・生活空間の構造-機能分析の基本要因である行為主体の資源・情報形態を当時の社会学の主流であるパーソンズの主知主義的システム論から欲慟や欲望によって動く人間社会空間論へと展開する。しかし、この吉田のポスト構造主義に近い斬新的挑戦は、1950年代日本の社会学界では、理解されなかった。
フロイト、論理実証主義や分析哲学に影響されていた吉田民人が次に展開した研究は情報論であった。言語を中心とする社会情報から生物の遺伝情報までを一つの情報形態に括り、広義の情報概念の中に社会情報を位置づけることで、社会学と生物学を自己組織性の汎情報科学の特殊形態として位置づけた。1970年から1990年までの時期に行われる研究が「自己組織性の情報科学」に結晶化する。この時期を吉田民人の研究の第二期と考えた。
自己組織性の資源・情報の構造-機能形態に関する科学「自己組織性の情報科学」の中から必然的に生命、人間社会現象の構築要素としての「情報」に関する一般理論に関する考察が展開されることになる。つまり、自己組織性の情報・資源のミクロ構造-機能要素をプログラムと呼ぶことによって、吉田の自己組織性の情報科学理論は更に展開されることになる。これが、1990年代から2009年までの吉田の第三期の研究である。
第三期研究で問われる「自己組織性の構築主義と設計科学論の形成」
吉田民人は、我々に大きな宿題を残して2009年に去った。つまり、生物から人工物を一つの科学領域として理解するシステム科学論、そのシステムの構造機能分析を課題にしたプログラム科学論、そしてすべてのプログラム要素によって構築される設計科学論である。自己組織性の設計科学への吉田民人の最後の闘いは中途にして終わる。そして、我々、人間社会学研究者に対して、進化論的存在論からなる自己組織性の構築主義と設計科学論の研究への方向を示して去っていた。
論文「俯瞰型研究の対象と方法:大文字の第二次科学革命」の意味
論文「俯瞰型研究の対象と方法:大文字の第二次科学革命」の立場から」は、吉田民人がすでに第三期の研究課題を展開してきた理論「プログラム科学論」や「システム科学論」を、すでに工学分野で「一般設計学」や「人工物工学」を提案していた吉川弘之の研究課題に即して、説明したものである。その意味で、現実の工学研究分野との共通項を述べた吉田民人の具体的な説明の入った分かりやすい論文である。
社会経済的ニーズをもって発展する工学分野では、既成の専門分野内の研究から学際的、融合型と呼ばれる他の専門分野との共同研究が一般化している。それらの研究によって、新しい科学の分野が次々に生れ、新しい技術が開発されてきた。この増殖型の融合型研究の流れは、工学分野に先駆的に生じた科学技術文明社会の知識行為現象であるといえる。
工学分野から提起された人工物工学は、吉田民人が第二期に展開した自己組織性の情報科学から第三期に提案するプログラム科学論によって説明される。また、その人工物工学の研究は、必然的に多階層・異分野のプログラム要素群に関する分析、そしてそれらのプログラムの機能分析を前提とする俯瞰型研究スタイルを取ことになる。さらに、吉川弘之の提起した人工物工学は、吉田民人のプログラム科学論によってその科学性や科学認識論的な説明可能となるのである。
科学的ディシプリンの領域を融合しながら展開される人工物工学は、吉田民人が提案したプログラムからなる自己組織性の設計科学論の特殊形態である。その科学論の形成は、「自己組織性の情報科学」の中で示された情報概念に根拠を持っている。
吉田は,新たな科学史の解釈を前提しながらその自己組織性の情報概念に関して言及する。つまり、ニュートン力学の成立「大文字の科学革命」と位置づけ、さらにワトソンクリックによる分子生物学での遺伝情報概念の成立を新しい科学パラダイム変換「大文字の第二次科学革命」として語った。
この科学パラダイムの変換を語ることで、情報と資源の進化的存在形態を前提にしながら、生命から人間社会科学に於ける統一的情報概念によって形成される情報科学とその情報要素のプログラムに言及することになる。
自己組織性の情報世界の解釈、情報概念の科学史的成立、情報要素によって構成する世界の構造機能分析学・プログラム科学論の成立、プログラム要素によって構築している自然や人工物世界の構造-機能解釈学・設計科学と吉田民人は、この論文に彼が1990年代から展開したすべての人間社会基礎論(理論社会学)と科学哲学(プログラム科学論や「大文字の第二次科学革命」)を総括して述べたのである。
この論文は、第三期の吉田民人の研究を総じて展開し、それらの研究が、現行する人工物設計科学として新しい様相をもって展開している工学分野の研究に、自らのこれまでの理論社会学の研究を関連づけようとしたものである。
その意味で、第三期の吉田民人研究の入り口とそしてまとめにこの論文の位置が与えられるだろう。
近日記載廃止
この文書は「千里金蘭大学研究誌」に記載されることになりましたので、記載の廃止を致します。
2012年3月10日
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吉田民人の第三期研究課題
戦後日本の社会学(理論社会学)をリードしてきた吉田民人(1931-2009)の研究は、大きく三つの段階に分けられる。
行為主体の社会人間学的構造と機能に関する研究した1950年代から1970年までの第一期。この第一期で、吉田は社会・生活空間の構造-機能分析の基本要因である行為主体の資源・情報形態を当時の社会学の主流であるパーソンズの主知主義的システム論から欲慟や欲望によって動く人間社会空間論へと展開する。しかし、この吉田のポスト構造主義に近い斬新的挑戦は、1950年代日本の社会学界では、理解されなかった。
フロイト、論理実証主義や分析哲学に影響されていた吉田民人が次に展開した研究は情報論であった。言語を中心とする社会情報から生物の遺伝情報までを一つの情報形態に括り、広義の情報概念の中に社会情報を位置づけることで、社会学と生物学を自己組織性の汎情報科学の特殊形態として位置づけた。1970年から1990年までの時期に行われる研究が「自己組織性の情報科学」に結晶化する。この時期を吉田民人の研究の第二期と考えた。
自己組織性の資源・情報の構造-機能形態に関する科学「自己組織性の情報科学」の中から必然的に生命、人間社会現象の構築要素としての「情報」に関する一般理論に関する考察が展開されることになる。つまり、自己組織性の情報・資源のミクロ構造-機能要素をプログラムと呼ぶことによって、吉田の自己組織性の情報科学理論は更に展開されることになる。これが、1990年代から2009年までの吉田の第三期の研究である。
第三期研究で問われる「自己組織性の構築主義と設計科学論の形成」
吉田民人は、我々に大きな宿題を残して2009年に去った。つまり、生物から人工物を一つの科学領域として理解するシステム科学論、そのシステムの構造機能分析を課題にしたプログラム科学論、そしてすべてのプログラム要素によって構築される設計科学論である。自己組織性の設計科学への吉田民人の最後の闘いは中途にして終わる。そして、我々、人間社会学研究者に対して、進化論的存在論からなる自己組織性の構築主義と設計科学論の研究への方向を示して去っていた。
論文「俯瞰型研究の対象と方法:大文字の第二次科学革命」の意味
論文「俯瞰型研究の対象と方法:大文字の第二次科学革命」の立場から」は、吉田民人がすでに第三期の研究課題を展開してきた理論「プログラム科学論」や「システム科学論」を、すでに工学分野で「一般設計学」や「人工物工学」を提案していた吉川弘之の研究課題に即して、説明したものである。その意味で、現実の工学研究分野との共通項を述べた吉田民人の具体的な説明の入った分かりやすい論文である。
社会経済的ニーズをもって発展する工学分野では、既成の専門分野内の研究から学際的、融合型と呼ばれる他の専門分野との共同研究が一般化している。それらの研究によって、新しい科学の分野が次々に生れ、新しい技術が開発されてきた。この増殖型の融合型研究の流れは、工学分野に先駆的に生じた科学技術文明社会の知識行為現象であるといえる。
工学分野から提起された人工物工学は、吉田民人が第二期に展開した自己組織性の情報科学から第三期に提案するプログラム科学論によって説明される。また、その人工物工学の研究は、必然的に多階層・異分野のプログラム要素群に関する分析、そしてそれらのプログラムの機能分析を前提とする俯瞰型研究スタイルを取ことになる。さらに、吉川弘之の提起した人工物工学は、吉田民人のプログラム科学論によってその科学性や科学認識論的な説明可能となるのである。
科学的ディシプリンの領域を融合しながら展開される人工物工学は、吉田民人が提案したプログラムからなる自己組織性の設計科学論の特殊形態である。その科学論の形成は、「自己組織性の情報科学」の中で示された情報概念に根拠を持っている。
吉田は,新たな科学史の解釈を前提しながらその自己組織性の情報概念に関して言及する。つまり、ニュートン力学の成立「大文字の科学革命」と位置づけ、さらにワトソンクリックによる分子生物学での遺伝情報概念の成立を新しい科学パラダイム変換「大文字の第二次科学革命」として語った。
この科学パラダイムの変換を語ることで、情報と資源の進化的存在形態を前提にしながら、生命から人間社会科学に於ける統一的情報概念によって形成される情報科学とその情報要素のプログラムに言及することになる。
自己組織性の情報世界の解釈、情報概念の科学史的成立、情報要素によって構成する世界の構造機能分析学・プログラム科学論の成立、プログラム要素によって構築している自然や人工物世界の構造-機能解釈学・設計科学と吉田民人は、この論文に彼が1990年代から展開したすべての人間社会基礎論(理論社会学)と科学哲学(プログラム科学論や「大文字の第二次科学革命」)を総括して述べたのである。
この論文は、第三期の吉田民人の研究を総じて展開し、それらの研究が、現行する人工物設計科学として新しい様相をもって展開している工学分野の研究に、自らのこれまでの理論社会学の研究を関連づけようとしたものである。
その意味で、第三期の吉田民人研究の入り口とそしてまとめにこの論文の位置が与えられるだろう。
近日記載廃止
この文書は「千里金蘭大学研究誌」に記載されることになりましたので、記載の廃止を致します。
2012年3月10日
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