2010年10月19日火曜日

人権を守り維持する力・権力と文化

三石博行


1、いじめ(暴力)への対応としての懲罰(権力)

ある小学校であった話であるが、いじめをやめさせるために、いじめっ子の登校を一時禁止して、自宅待機させたとか。
いじめをやめさせるために学校が取った手段は懲罰であった。勝手な想像によれば、そのいじめは懲罰を与えるに値するほど、ひどいものだったかもしれない。

9月11日にテロを受けたアメリカが取った手段は、テロリストをかくまっている国、アフガニスタンを攻撃して、テロリストとそれを支援する政府を打倒することでした。確かに、テロリストを支援していた政府は崩壊した。と同時に、アメリカの爆撃で多くの市民の命と生活が奪われた。

いじめっ子を学校から一時追い出すのだから、いじめっ子以外の誰も傷つかない。だから、このケースはアメリカの例を引き合いに出すのは間違いといわれるかもしれないが、つまり、二つのケースは同じ論理によって成立している。

同じ論理とは、「人権侵害(暴力や殺人)を犯した人々を、懲罰(爆撃・殺人や自宅待機・学校で学ぶ権利の剥奪」で対応するという方法を選んだことである。

人権を守るという課題の困難さは、人権侵害に対して、人権を尊重した方法で対応しなければならないことが課せられていることである。だから、殺人罪に対して死刑廃止の論理が成立している。

唯一、その考え方で世界や歴史を変えた運動、つまり人権思想を掲げて政治運動を成功させたのは、ガンディーが指導した非暴力主義、インド独立運動である。その運動は、人権を尊重した方法で人権侵害者たちと闘う方法を示した。そして、その思想が、今日の死刑廃止運動にも繋がるのである。多くの人権主義者、特にアムネスティー運動に参加する人々は、ガンディーの選択し展開した思想と運動を支持するだろう。

しかし、また逆に、人権を守る社会機能(法律や行政機能)の課題を語らなければ、人権擁護は砂上の楼閣のようなものだという主張もある。非暴力主義者、ガンディーは暗殺される運命にあった。彼の暗殺を防ぐには、彼自身が暗殺者や刺客の暴力を防ぐ具体的な抑止力(暴力)を持たなければならなかったのかも知れない。
しかし、この二つの議論、現実的に人権を守るための権力の必要性を主張するか、理想的な方法、つまり非暴力主義(平和主義)で人権を守る闘いをする必要性を主張するかある。しかし、軍事的な力を持つ反人権主義者と闘うために、理想主義者ガンディーは暗殺され、現実主義者ブッシュは多くの人々を殺戮し、生活を破壊し、国を荒廃させてしまった。

2、差別(暴力)と闘うための逆差別(権力)

また、差別と闘うことは、そのことによって生じる逆差別を防ぐことまで考えることの困難さが付きまとう。

しかし、現実は、そううまく行かないだろう。例えば、アメリカの奴隷制度以来300年も続いた人種差別、黒人社会と白人社会の格差をなくするために1960年代から始まる公民権運動がある。その成果として、今日の黒人・オバマを大統領に選んだアメリカ社会がある。と同時に、公民権運動で、大学入学などで逆差別を受けている白人たちがいる。今、その不満が膨らんでいることも否定できないだろう。

差別や格差をなくするために、社会は差別する人々の権利を奪い、逆差別を少々作っても、その是正を行うことを選ぶことになる。換言すれば「差別と闘うことは、そのことによって生じる逆差別を防ぐことまで考え」ていては、差別や格差を廃絶することはできない。

逆差別が生じることで、公民権運動も終わりを告げる。しかし、そこまで行かなければ、社会の構造として確りと根を張った黒人差別は解決しないだろう。


3、人権を守るために問われているもの、民主主義、市民主義、生活主義の社会思想とそれによって生活している人々・文化の形成へ

確かに人権問題は制度的(政治的)力をもって対応することが社会に求められています。犯罪に対する警察・検察行政や司法制度、それらの防犯や犯罪者逮捕の社会的機能を持つ警察・検察行政が侵す権力犯罪への監視機構等々。

人権を守る社会制度(権力・行政執行機構)がなければ、つまり法律やそれを施行する行政組織がなければ、人権は守れません。

しかし、それらの権力機能を動かす社会思想がなければ、人権を守ることはまったく出来ないのだと思います。

人権の問題は、究極的には「自分の人生と向き合うための価値観を持つことと 人権意識を持つこととは、切り離せない」(「mixi「哲学が好き」 の友人○永遠さんの表現)のだと思います。

その心を育てるために、いじめた子供を隔離するのでなく、その子供たちと共に考える場を作るスキルが教育者に求められているかもしれません。

もしアメリカが同時多発テロの後に、テロリストをかくまう国の政府と話し合い、アメリカがテロの対象となる背景について政治的に理解し、その問題をも共に解決する政治的行動に出ることができたら、中東アラブ諸国での戦禍による犠牲者数を少なく止めることが出来たと思う。巨大な軍事力を背景にしながらも平和外交を進めるアメリカの国際政治力のスキルが問われているのである。

受刑者を刑務所で矯正し、社会復帰させるスキルを社会は持っていない。そのため、頻回受刑者(ひんかいじゅけしゃ・繰り返し犯罪を犯す人々)が2000年の統計で52.5パーセントになっているという。また、そのため受刑者の高齢化もすすんでいる。この現実は、刑務所が受刑が人間性の復活過程・矯正機能を果たしていないことを意味する。極論すると刑務所行政は税金の無駄遣いをしているのである。人権教育機能としての刑務所のあり方を問うべきである。


4、民主主義の社会文化の土台にある人権思想

民主主義という制度は、自分を主張し(自由の思想)、そして色々な異なった意見の人々と共に共存する(平等の思想)。お互いの生命や生活を守りあう(友愛の思想)社会システムを意味します。

自分と他者の意見は基本的に異なります。それが本来の人々の考え方という社会現象の姿です。人と人が共通した利益、立場に立つ、または立たされることによって、それらの人々は共に手を携えるわけです。

この社会が運営されるために、人の命や生活が大切であり、それを守りあうことが社会の共通した考え方であることが、社会の中で了解されているならば、その守り方をめぐる相互の違いは生じるものの、基本的な社会理念は共有することが出来ると思う。

人権という考え方、つまり、人の命と生活が大切であるという考え方が基本になければ民主主義社会や民主主義思想によって行動する人々の姿(文化)を発展し維持することは出来ないのだと思う。

身の回りの生活風景の中で、自分の言動の中で、自分が発することばや動き出す行為として、「人の命と生活が最も大切なのだ」という考えが検証されているかを、つねに反省する力によってしか、人権重視の社会という現象は実現できないのだと思う。

それは、個人の力のみでなく、社会の理念(共同主観や社会規範)の形成として積み重ねられなければならないと思う。


5、文化としての民主主義・人権思想

自由、平等と友愛を基礎とする人権という思想(文化)は具体的に国民主権、民主主義と三権分立の政治、経済、社会制度が法律として成立することによって形成される。それらの国家の制度や法律に民主主義制度が裏づけされると同時に、その社会で生活している人々が民主主義や人権思想を生活文化として持たなければ、民主主義も人権も箱に書かれた絵に過ぎない。

私が、フランスで生活していたとき、丁度、湾岸戦争が起こった。マンションの同じ階の隣に住んでいたマダムドゥブリエーさん(当時75歳)とこの戦争について色々と話した。ニュースを見ながら、司会者や政治家の発言に対する批判。当時、私の回りでは、湾岸戦争に対する評価をめぐる議論が盛んに行われていた。それがフランス人の生活文化のイメージを作っていた。

街の人々が率直に自分の意見を述べる。それがお互いに異なっていても、それはその人の考え方であることを理解している。

つまり、民主主義、表現の自由 また同時に他者と意見が異なってもその他者を排斥しないという人権を大切にする考えはフランス人の生活文化の一つであった。「仲良くなりたかったら、ちゃんと自分の考えを述べよ」と彼らは私に教えた。人が共存するのは同じ考え方を持っているからでなく、異なる考え方を持っていても共に生活することによって、もっと大きな利益を相互に分かちあうことが出来るからだと、彼らの生活文化の思想の中に、個々人の自由とそれを相互に認め合う共存の思想が、生活文化として存在していたように思える。つまり、民主主は市民社会や人間に対する個々人の意識のように思えた。

市民たちの意識に、他者とは意見が異なる、宗教や信条も異なる、それでも相互にその違いを認め合うこと、つまり共存を前提にして成立している社会思想に基づく他者への理解のように思えた。

つまり、そのためには、自分も他者も共に共存できる社会的条件を認めなければならない。経済的、市民的、健康的、教育的、文化的等々の条件を認めなければならない。そのために、自分の収入から、その条件に満たない人々を支えることを自分の社会的義務として自覚しなければならない。

人権を守る社会は、他者の不幸を放置することがどれほど社会的に危険なことかを理解している。社会的に蔓延する病気、犯罪や紛争を防ぐことで、結果的に自分が守られることを理解する市民によって、人権という社会風土、文化が発達するのだと思う。

世界を見渡して人権、生態、福祉、教育等々の文化のあり方でバランスのいい社会(例えば北欧社会)は、QOL(生活の質)が非常に高いように思える。それが生活文化としての民主主義や人権制度の贈り物ではないだろうか。



参考資料
http://mixi.jp/home.pl?from=global
mixi 「哲学が好き」 のトッピック「人権てなんだろう」から






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