2011年1月25日火曜日

民主主義国家としての日米同盟のあり方を考える

三石博行


民主主義国家間の軍事同盟関係の基本原則とは何か


アメリカのすべての軍事行動に従うことが日米軍事同盟なのか

すでに知られているように1980年代に日米安保条約が軍事的同盟関係に変化した。今日、日米間の強い絆は、この日米同盟によって確立していると言える。この日米同盟に関する議論の中で、非常に気になる意見を聞くことがある。

それは、もしアメリカが軍事的行動に出た場合には、如何なる事情があっても、日本はそれを支援し、そのアメリカの軍事行動に参加しなければならないという意見である。つまり、今回のイラク戦争の場合、アメリカは国連の決議を待たず、戦争を起こした。その場合でも、日本はアメリカの宣戦布告に従い、イラクとの戦争に参加することが、日米軍事同盟を締結した日本側の義務であるという意見である。

現実的には、日本国憲法の第9条があり、日本が日米同盟を結ぼうと積極的に他国への軍事的行動を起こすことは出来ない。その意味で、イラク戦争でも、日本の自衛隊は補給部隊としての役割を担った。

しかし、その現実の日本の軍事行動上の限界的な立場を理由にして、ここで、最初に投げかれられた疑問を無視することは出来ない。つまり、日米同盟がある以上、アメリカのすべての軍事行動に従う必要があるかという疑問に対して答えなければならない。

つまり、日米同盟がさらに重要さを増して行く現実の日本における国際政治の課題として、上記した疑問への回答を得ない限り、日米同盟に関する意見は二分することになる。一つは、アメリカの傘の下でアメリカに追従する国家となること、二つ目は、アメリカの傘からはみ出して、まったく新しい国防の方法を模索すること。

この二つに一つの選択を選ぶようにしているのは、誰であろうか。本当に、その二つに一つしか、日米同盟に関する選択はないのだろうか。つまり、答えは、日米同盟を結ぶことでアメリカの全ての軍事行動に追従することか、それとも日米同盟を破棄することでアメリカの全ての軍事行動に追従しないことの二つに一つを選ぶという結末になる。


イラク戦争に反対したアメリカの軍事同盟国・カナダ

しかし、この二つの一つを選ぶこという政治的判断はあまりにも幼児的に見えるのである。例えば、NATO同盟国内のフランスがアメリカの軍事行動を常に賛成し、全てのアメリカの軍事行動に参加しただろうか。

最もアメリカに地理的に近い国、カナダを例に取ると、二つの民主主義国家間の軍事同盟のあり方が理解できる。カナダは、アメリカとの軍事的同盟、北大西洋機構(NATO)に参加している。第二次世界大戦、朝鮮戦争、湾岸戦争、コソボ紛争やアフガニスタン紛争など多くの軍事行動をアメリカと共にしてきたが、しかし、ベトナム戦争やイラク戦争ではアメリカに反対した。

上記した日本での日米同盟に対する考え方から言うと、アメリカと軍事同盟が成立しているカナダは、アメリカがベトナム戦争をしている場合、当時のカナダ政府がそのアメリカ外交(軍事)路線に反対しているなら、NATOを脱退して、アメリカのベトナム戦争(外交政策)を批判しなければならないことになる。現実は、カナダはNATOを脱退していない。そして、アメリカのベトナム戦争に反対している。


軍事同盟の基本原則・国家防衛戦への参加義務

民主主義国家では、異なる政治的主張を行う政党が政権を交代しながら国家の運営を行う。その場合、二つの異なる民主主義国家では、一方の政府を担う政権の外交政策、取り分け軍事的な行動に及ぶ外交政策を、他方の国家の政権を担う政権が基本的に反対して国民から選ばれている場合、この二つの国家は、異なる外交路を選択することになる。

その場合、二国間の軍事同盟において双方が絶対的に守らなければならない条件は、一方の国が他の同盟以外の他国から侵略を受けた場合である。その場合には、同盟国内では無条件に軍事的協力関係が成立することになる。つまり、同盟国が、外敵から国家防衛戦を行うことになった場合のその防衛戦に参加する義務がある。

しかし、カナダの例のように、ベトナム戦争やイラク戦争のように、アメリカが他国へ攻撃を行う場合、アメリカの軍事・外交上の判断に対して、カナダの政権は反対している場合には、カナダはアメリカの軍事作戦を支持し、作戦に参加することはない。これが、二つの民主国家における軍事同盟の原則である。

つまり、アメリカが今後、再びベトナム戦争やイラク戦争と同じように、国連の決議を無視し、他国への軍事行動を行う場合、日本政府はそれに反対することが出来るし、その軍事行動に参加する必要はない。しかし、もし、アメリカが他国の侵略を受けた場合には、絶対的に参加しなければならない。アメリカとアメリカ国民を共に守るために両国の軍事的同盟が成立しているからである。


民主主義国家間の軍事同盟の原則

国民主権の国、民主主義国家では、政権が国民によって選択される。政権交代によって、以前と異なる外交路線を政府が取ることは当然起こる。その場合に、国際間の協定を変更することは出来ない。異なる政権も、日本が提携した国際間の協定に関しては尊守しなければならない。そこで、民主主義国家では、同じ民主主義の同盟国と例えば軍事的同盟を結ぶときに、相互の国家の原則である民主主義、つまり国民主権を侵害する国家間協定を取り結ぶことは、それぞれの国の憲法にその協定が違反することを意味する。

民主主義国家間の軍事同盟、例えば北大西洋条約機構(NATO)や日米安保条約にしても、条約に参加する国家の政治体制は、自由主義国家とよばれる資本主義経済体制と国民主権・民主主義国家であることが前提になった政治的連合である。政治的理念を前面に出すなら、その国家の基本理念を維持するために、つまり、民主主義国家体制を守るために軍事的同盟が形成されていることになる。

それらの軍事同盟は、国民主権の民主主義国家の基本理念を防衛するためにあるなら、その理念を犠牲にすることを軍事同盟が求めることが、軍事同盟の成立に基本的に矛盾することになる。

逆に言うと、こうした国際条約や同盟関係に関する民主主義国家の基本的姿勢が議論にされることが不思議なことだと、民主主義国家のグループの常識からすれば、考えられないだろうか。

つまり、この議論の中で理解しなければならないことは、我々が日米同盟を考える場合、日本の立場がアメリカの全ての軍事行動に追従する同盟国になるか、それともアメリカの全ての軍事行動に追従しない非同盟国になるか、二つに一つを選ぶことを議論していることの政治思想的幼稚さを物語っている。そのことが、実は、あらゆる面での日本の外交の未熟さと関連しているのではないだろうか。


2011年1月26日、文書変更






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