2011年1月24日月曜日

フロイト精神分析学の説明仮説の拡張可能性

三石博行


フロイト精神分析学の説明仮説の拡張条件、無意識概念と臨床行為


フロイト理論の援用に関する権利問題

前節(1)で、フロイトによる臨床行為の中で確立したメタ心理学の説明仮説を援用する場合、フロイトの時代と社会文化的背景がそのフロイトの解釈モデルに内在していることが前提となっていることを理解しておかなければならないことについて述べた。

つまり、フロイトの精神分析理論と呼ばれる個別科学的説明仮説(アブダクション)の成立条件は、フロイトがその理論を導き出した作業である臨床行為、その行為の時代、社会文化的背景が前提となっている。

言い換えると、その理論の科学的有効性は、その理論が形成されている条件内に限定されているということになる。すると、現代のフロイト派の多くの理論がその有効性を疑われ、その存立条件を失うことになる。つまり、フロイト精神分析学の理論は、臨床精神分析行為に限定され、それ以外のその理論の援用権利が認められるかどうかを検討する必要が生じているといえるのである。


臨床精神分析理論から社会精神分析理論への拡張の可能性について

例えば、1980年代フロイト理論を援用し、現代の日本社会文化を分析した岸田秀氏は、日本の近代化過程での伝統文化と外来文化(特にアメリカの影響)から生じる文化的分裂や江戸末期に列強と取り結んだ不平等条約や開国への社会文化的ショック経験を反復した朝鮮王朝への開国要求や侵略を社会経済的視点でなく社会精神構造的視点から説明した。(2)

岸田秀氏の独自の社会精神分析の理論の数々は、1980年代以後現代に至るまで日本社会で大きな反響を呼び、精神分析の流行を作ったといえる。

後期フロイトの理論、例えば1913年に書かれた「トーテムとタブー」(フロイト)に代表されるフロイトの研究を例に取れば、文化構造と自我との類似性を前提にして、それまでのフロイトの精神分析の理論が展開されている。(3)つまり、フロイトは、文化的産物としての自我の構造を前提にしながら、臨床精神学で提案した説明仮説を社会精神分析に適用している。その意味で、岸田秀氏の展開はフロイトの理論範疇に入ると仮定できる。

岸田秀氏は、欧米帝国主義列強の植民地化を防ぐために当時の日本と日本人が取った政治経済的判断、その政治的判断の犠牲となる伝統的文化(生活文化)によって生じる社会文化的病理現象、つまり、明治維新から終戦までの日本の社会史、それを生み出す同時代人の社会観念形態の分析を、フロイト理論を援用しながら行った。これらの社会分析は多くの反響や共感を得たことはすでに述べた通りである。つまり、日本人論を語る道具として岸田秀氏の「社会精神分析」を1980年代の日本人たちは採用したのである。

岸田秀氏の社会精神分析から導かれる近代日本社会の社会精神構造分析から、日本は天皇制を活用し、またロシアや中国は社会主義を活用して、近代化過程をいそいだという理解が成り立つ。列強との熾烈な競争を前提にして進む近代化・資本主義化過程は、ヨーロッパとは異なる様相を示す。つまり、伝統的な経済学や政治学を基礎とする社会経済発展史観では、後発型資本主義の近代化過程の特殊性を説明する理論はない。その意味で、社会精神分析の手法は周辺資本主義国家の近代化過程を理解する理論を提供したといえる(4)。

以上の議論から、岸田秀氏の社会精神分析学的方法によって、フロイトの理論から新しい近代日本社会の分析の視点が確立したと言える。つまり、この社会分析の新しい解釈を与えたフロイト理論に関して謂うなら、フロイトの臨床精神分析で確立したメタ心理学理論(解釈モデル)が、社会精神分析に有効に活用される事実である。個人的自我に関する説明仮説が社会文化の精神構造分析にまで拡張可能性となる意味について考えることが、他方、精神分析学に関する科学哲学の課題となるのである。

つまり、精神分析学の説明仮説で用いられる自我の構造に関するモデルは、社会精神構造に関する理解のモデルに拡張可能であるとすれば、精神分析の説明仮説(アブダクション)は、その個人的な深層心理構造のメタ理論であると同時に社会観念形態のメタ理論となることを意味するのである。つまり、精神分析の理論は、その二つの世界、個人と集団の意識構造を理解する有効な仮説であると言えるのか、もしくは、個人の精神構造と社会の文化構造に類似性があると言えるのだろうかという疑問にたどり着くのである。

この個人の意識と社会の意識構造は共に精神分析学のモデルによって認識解釈可能であると言えるなら、社会的意識とは個人の意識の集合形態(集合表象)であり、社会的意識の土台として個人の意識の集合体を考え、社会観念の基盤として個人的自我の意識形態を単純に考えることが可能だといえるのか。つまり、個人的意識の統計的な平均値が社会的意識であるといえるのかという疑問が生まれるのである。

これまで日本では、今和次郎氏の「生活病理学」に見られるように、近代化過程における人々の精神文化、生活文化の変化を語る研究は成されたが、前近代化の生活環境が「生活病理」の原因であるという前提、つまり近代化を進めることによって生活改善が進み・生活病が無くなると考えていた。(5)しかし、岸田秀氏は、逆に、日本の近代化過程が生み出す新しい社会病理を示したことになる。その究極の姿が第二次世界大戦へつく進む日本の非合理性であった。

確かに社会の近代化は古い封建的社会が継承する伝統・非合理的慣わしを排除し、近代的な豊かな生活を持ち込む。生活学の視点からすれば生活文化の近代化によって多くの女性が古い家の伝統から開放され、豊かな生活を手に入れることが出来ると近代化を評価するのは当然である。しかしながら、伝統文化の崩壊によって、地域社会の共同体や伝統的家族制度は崩壊し、新しい社会病理が形成されることになる。その課題を語る人間社会学として社会精神分析が用いられる。

特に、中心ヨーロッパ諸国(フランスとイギリス)の近代化過程と異なるが政治経済の発展の姿を示す周辺国家(ロシアや日本)の近代化過程に関する分析として、社会学や経済学だけでは、ロシア革命や明治維新の歴史的意味を説明することは不可能である。そこで、社会文化人類学の方法、代表的な理論として梅棹忠夫氏による「文明の生態史観」と、岸田秀氏の社会精神分析学が用いられる。

しかし、こうした理論が形成された背景を超えて拡張可能を許す根拠が問題となる。つまり、臨床精神分析で成立発展したフロイトの理論が、近代日本社会文化の領域の病理的課題にまで拡張しえるという理論的論拠、言い換えると精神分析的説明仮説(アブダクション)が社会文化の分析的説明仮説(アブダクション)に応用転用される根拠とは何かが、精神分析学の科学性を理解するための科学哲学的課題となる。

 
フロイトの無意識の概念が導く20世紀の人間社会科学の理論へ分岐と展開

フロイトの理論は20世紀の文化人類学、言語学、人間学、社会学や哲学に影響を与える。その影響の共通項は、無意識という概念の導入を認めることに掛かっていた。近代合理主義や科学主義の影響を受けた18世紀以後の近代人間社会科学の研究対象としての人間や社会とは、意識化された世界であった。無意識という証明不明の概念を前提にすることは、科学的方法論上許されなかったのである。

近代合理主義や科学主義や啓蒙主義、その影響を受けたカント哲学も意識主義の哲学の流れの上に成立している。その哲学的な基本課題はゴギトの解釈にあった。フロイトと同時代にヤスパース実存主義(精神病理学)やフッサール現象学やソシュール言語学(構造主義)が登場するのであるが、これらの哲学や人間学の流れを受けて、現代哲学は形成される。

つまり、20世紀になって哲学は近代思想を構築してきた近代合理主義、その落とし子である科学主義と物理主義への反論の材料を求めていた。フロイトの理論は、社会学を展開した機能主義、言語学や記号学を展開した構造主義と同様に、新しい説明仮説を人間学に持ち込むと思われた。

つまり、精神分析の説明仮説が援用される背景には、明らかに近代合理主義、啓蒙主義、科学主義、カント哲学と脈々と西洋思想と科学に流れている意識主義から人間社会科学の理論の脱却が可能かという課題があった。その糸口として、フロイト精神分析学、ソシュール言語学やデルケイムの機能主義社会学があったと言えるだろう。そして、この議論は、現象学、解釈学、ポスト構造主義や吉田民人の自己組織性の情報科学・設計科学などに展開していると言える。

 
フロイト理論の拡張に関する権利問題 臨床行為を目的にした人間社会科学の理論

さらに、フロイト精神分析の説明仮説が「無意識」の概念の導入以外に、さらに人間社会科学の活用される根拠について述べる必要がある。つまり、フロイトの精神分析が臨床の知であることにその理由が隠されている。

つまり、精神分析は臨床行為の道具として有効性を発揮する限り、その理論的有効性を支持できるため、理論の論理実証性を証明することよりも、その理論が臨床的効果を持つか、実践的な説明仮説であることが条件となる。

臨床精神分析家フロイト理論の拡張に関する権利問題として、
1、 その理論が人間の精神病理に関連する領域であることが前提となる。つまり、社会精神分析も社会精神病理現象を解釈し、その文化的環境に規定された個人の自我構造である以上、社会精神病理的原因の解明は、そのまま個人の自我の精神病理的問題の解明に繋がる。
2、 哲学の理論がこころや精神、社会や人間の病理に関するメタレベルの臨床学を目的とする以上、フロイトの理論の援用は可能になる。



参考資料

(1)「フロイト精神分析の解釈学的科学性の成立条件について」
   http://mitsuishi.blogspot.com/2011/01/blog-post_24.html

(2)岸田秀 『ものぐさ精神分析』 中公文庫 1982年10月  岸田秀

(3)E.フロイト 『フロイト全集(12)1912-1913 トーテムとタブー』 須藤訓任 門脇健翻訳 岩波文庫 

(4)三石博行 「中国の近代化・民主化過程を理解しよう」
   http://mitsuishi.blogspot.com/2010/12/blog-post_1850.html

(5) 今和次郎 「生活病理学」 『生活学』今和次郎集 第五巻 ドメス出版 1971年9月、pp.399-478 






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