2012年3月8日木曜日

非常時から日常時へのボランティア活動の移行過程について

構造構成主義の理解のための試み(2)


三石博行


構造が構成される瞬間

「あらゆる仕事の場で役に立ってしまう本」と言う西條剛央著「人を助けるすんごい仕組み」(ダイヤモンド社)に関する糸井重里氏の一言の本の紹介文の通りに、この本は組織運営の核心に触れているみごとなビジネス理論を展開しているとも謂える。

多くの人々が西條氏のように奇跡に近いプロジェクトの立ち上げを経験していないとしても、日常の社会生活を通じて、類似した経験を持つと思う。その中で気付いたこと、多くの場合失敗経験として記憶にのこることが、実に見事に展開されている。

東日本大震災、未曾有の災害、国家の有事、第二の敗戦とまで言われた状況に人々は直面した。突然襲いかかった災難に立ち向かわなければならなかった。まず、生命を維持し続けるために行動し、生活や社会インフラの復旧に奮闘してきた。

被災した人々を支援するという課題(目的)のために、「ふんばろう東日本支援プロジェクト」は組織され運営されてきた。その運動の中で発生する問題を解決することが構造構成主義の検証となっていた。つまり西條氏は発生する疑問や問題の基本要素を命題として言語化することを、構造が構成されると考えた。

問題解決の方向を掴むことを「構造が構成される」瞬間と言うのだろう。しかし、その瞬間は、さらに新し問題の登場によって、より基本的な命題の言語化を要求されることになる。つまり、状況とはつねに通時的に変遷していく世界を意味し、主体はそれに対して常に立ち向かわなければならない。

そこで、立ち向かう主体の確信が問題となる。つまり、どのようにして問題を解決し続けることができるのか。その課題は問題解決の仕方として提起されている。


技術としての方法

有効な問題解決の仕方、方法が問われる。そこで、有効な方法は与えられた現実(状況)と主体の意図(目的)に規定されて選択されると考えた。それを「方法の原理」と西條氏は述べている。方法とは問題解決の技術である以上、固定された方法はない。その意味で方法は主体とそれを取り巻く生活世界の二つの状況に規定される。

つまり、方法(問題解決の手法)は現実とその中にいる主体の生き方で決定される。その意味で、構造構成主義の方法論は科学的方法論と異なる。西條氏は方法を多様な解決手段として位置付けた。何故なら、人間社会学、取り分け政策学や臨床学、では方法は問題解決のための技術として位置付けられるからだ。


有事のボランティア活動から日常の生活運動への移行

今回、有事的状況の中で西條氏が構造構築主義概念の具現化や検証活動として「ふんばろう東日本支援プロジェクト」の組織化や運営が、平時的状況の中でどのように活かされるかが私の課題となっている。

阪神大震災の時にいち早く生活情報「WANTED」を発信した大阪府箕面市の主婦たち。彼女らは被災地長田区の避難所におにぎりを運んだボランティア活動を箕面市民に訴え罹災者と周辺地域の市民をつなぐために「WANTED」を発行しつづけた。おにぎりボランティアや洗濯ボランティアが「WANTED」の活動で生まれた。

そして、「WANTED」の活動は被災地の復旧が進むなかで不要となり、おにぎりボランティアや洗濯ボランティア運動は次第になくなり「WANTED」発行の意味が消滅していった。つまり有事の状況が次第に平時の状況へ移行し始めた。客観的にはこの状況の進展を喜ぶべきであったが、ボランティアに専念した主婦たちはむしろ「WANTED」を発行しなくなることを「運動を止める」ことだと思っていた。それは罪悪感に近い感情であった。

取材の後に、「無理して「WANTED」の発行を続けるのでなく、積極的に発行を止めることもいいことなのではないでしょうか」という私の発言に「救い」を感じと活動の中心となった人は述べていた。つまり、有事体制下での運動を維持している積極的で自己犠牲的な行動は、未曾有の災害、阪神大震災の罹災者のことを想えば、当然のことだと思うだけに、ボランティア活動を止めると言う状況が「活動を辞める」というモラル問題になっていたように感じた。

罹災地に出向き全ての生活時間をボランティア活動に掛けている若者たちなら有事時のボランティア活動の必要性を失うことを積極的に受け止めることが出来るだろう。何故なら彼らは日常の生活戻らなければならないからだ。しかし、日常の生活の中でボランティア活動をしていた主婦にとっては、ボランティア活動を止めることは、その日常性を失うことを意味する。

この課題に対して私は積極的に災害ボランティアを止めることの意義を語ったが、当時は、そのことを理解する人は居なかった。大切なことは、このボランティア活動の履歴が地域社会に残ることだと考えた。それは丁度、広大な空間に微小な結晶核が形成されることに似ている。無くなったと思える災害救済活動は、状況が来れば、丁度、凝固点に達した水蒸気がその微小な結晶核の存在によって雪になるように、組織され活動を開始し始めるのだと思えた。それを危機管理文化と呼んでよい。

有事の災害救済運動のもう一つの課題は、大震災と呼ばれる有事状況への国民的な運動や経験が、こうした市民の日常生活の中に結晶核として存続し続ける社会文化システムを課題にすることである。これが文化としての危機管理体制と作ることになる。そして、今回の東日本大震災で阪神大震災時に活躍したボランティア活動の経験が初期段階で活かされた。つまり、文化としての危機管理体制の重要さはすでに証明され、実践されたと思う。


未来への確信

今回、西條氏が展開したボランティア活動やその他のボランティア活動によって、阪神大震災で経験した以上のものが社会に定着していくだろう。著書『人を助けるすんごい仕組み』は、作者の今後を越えて一人歩きし始めるだろう。そして、私は密かに、そこで述べれらた課題から多くの市民運動のアイデアや企業活動のスタイルが生み出されるのではないかと期待しているのである。

西條剛央著『人を助けるすんごい仕組み』に流れる思想を一言で言うなら「愛がある」ということに尽きるだろう。「そして本書を読んで、少しでも心が動いたあなたも、何かに呼ばれているのかもしれない。あなたがその心の声に耳を傾ける機会になれたら、本当にうれしい」という最高の読者へのメッセージでこの本は終わる。

多くの読者は、そこから何かをしたいと立ちあがるだろう。そうした心を動かす著書であり、この著書を彼に書かせた力が構造構成主義だと西條氏は語るだろう。


哲学運動としての「ふんばろう東日本支援プロジェクト」

そして、現在、被災地で求められている課題にこたえ続けている「ふんばろう東日本支援プロジェクト」が、この1年間の活動の成果の上に、さらにこれからの1年間の課題にこたえ続ける力を発揮すると思える。ということは、この運動が西條氏の哲学、構造構築主義の検証活動として、運動主体の中で位置づけられている限り、私には確信できるからだ。

常に変動する状況に対して主体は、その状況をよりよく展開するために努力している。言い換えると、常によりよく生きるということはよりよく自分の現実を受け止めることからはじまる。そこで、生活世界の意識やそれに支配されている科学という行為、その論理性や信念、言い換えるとイドラやドグマ(西條氏の謂う「呪」)が生じることが避けられない。1年間の画期的な運動の成果が導く確信(生活世界の意識)の強さ(強くないといけないのだが)は、これからの運動を担う人々の力(生活運動を担う力)となる。その確固たる信念、それこそば未来を生きる信念を形成した現在の生活様式への評価でもあり、また同時に未来への束縛にもつながる。有効性や正当性に相補的に存在しているドグマを避けて生きることのできる人はいないのだろう。

つまり、社会や市民運動論に必然的に付属する集団表象な個人意識のドグマ化と呼ばれる「慣性の法則」に対して予め西條氏は対処する集団を持っていた。それが状況の中で生じる現実を理解する道具としての構造構築主義であった。この道具は、つねに変動し続ける状況の理解のみでなく、その中で発生するドグマ(呪)への検証活動として位置づけられていた。極端に謂えば、西條氏にとって「ふんばろう東日本支援プロジェクト」は彼の構造構築主義の検証材料であると理解できる。この冷やかな精神こそ、つまりすべての生活を掛けた運動から自己の思い(その運動を自己化する意識)を断ち切ろうとする精神こそ、哲学的であると言えないだろうか。

言うまでもなく、彼は人間社会科学の理論等々も通時的に変動し続ける状況(生活世界の現実)とその中で生きる(目的をもった生活主体)との関係において生じる現実世とその了解(構成された構造)を人間学の科学性の検討課題(科学哲学)にしようとしている。その限りにおいて、具体的な生活運動で積極的に生み出すドグマ(呪)の自然発生形態は、積極的に哲学(構造構築主義)の課題として対自化されることになるのではないだろうか。

私は、そこに未来を感じて止まない。その未来とはボランティア運動に参画し、その中から自分を見つけようとする人々の未来であり、問題解決のための実践的知とその基本的課題を考える人間社会学を課題とする人々の未来であり、この社会の未来である。


引用、参考資料

西條剛央 『人を助けるすんごい仕組み』2012年2月16日、ダイヤモンド社

西條剛央 『構造構成主義とは何か』 2005年3月20日、北大路書房

三石博行 「阪神大震災時の住民情報の分析(2) —第一期住民情報の統計分析とその特徴について—」 in 『日本災害情報学会 第2回研究発表大会 予稿論文集』、大宮ソニックス市民ホール、大宮、pp60-79
http://hiroyukimitsuishi.web.fc2.com/pdf/kenkyu_02_03/cMITShir00h.pdf

三石博行 「阪神大震災で問われた情報文化の原点」 in 『第7回情報文化学会全国大会講演予稿集』、東京大学、東京、pp29-36、ISSN 1341-593X 
http://hiroyukimitsuishi.web.fc2.com/pdf/kenkyu_02_03/cMITShir99g.pdf

三石博行 ホームページで紹介してある生活情報論に関する研究論文
http://hiroyukimitsuishi.web.fc2.com/kenkyu_02_03.html

山本みち子、大橋英子発行「WANTED」No1‐No17、1995年1月23日‐1995年7月8日、神戸大学人文系図書館「震災文庫」所蔵

三石博行 ブログ文書集「東日本大震災からの復旧・復興のために 震災に強い社会建設を目指して」 
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_23.html

3、現代社会での危機管理
3-3「災害ボランィア活動を生み出す文化的土壌としてのコミュニテイ・市民運動 
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_22.html


2012年3月14日 誤字修正と文書挿入(最終節)
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