2015年1月10日土曜日

新しい日本人たち「Mixed Roots Japan」が生み出す日本の国際文化

国際社会化への路(1)


三石博行


**** 1 ****


昔、「アメリカからアフリカ系アメリカ人(黒人)の文化を取ってしまったら何も残らない」と聞いたこと
があった。確かに、音楽を例に取れば、それは正しいようにも思う。

奴隷狩りと呼ばれる最も非人道的な仕打ちに遭い、鎖に繋がれ海を渡り、航海中、死んで海に投げ捨てられ、異国の地で家畜として扱われ、殺され、レイプされ、家族を奪われ、自由を失い、残酷で悲惨な人生を強いられた人々が、唯一、こころを癒したのは音楽であった。遠いアフリカの故郷で鳴り響いていたリズムであり、楽しかった生活の中で歌われていた歌であった。

彼らは、自らの誇りを音楽として表現した。それが、今、アメリカを代表する文化となった。逆に考えると、これがアメリカだとも言える。アフリカ系アメリカ人の存在(そのルーツや歴史を含めて)を抜きにして、現代アメリカの文化を語ることは出来ない。つまり、アメリカという国が存在し、アメリカ文化を語るとき、アフリカ系アメリカ人の起源や歴史が語り継がれることになる。

このことはアメリカの恥なのだろうか。もし、アメリカが奴隷主・白人たちの国であれば、きっと「これはアメリカの恥の歴史なのだ」と言えるだろう。しかし、アフリカ系アメリカ人に取っては、恥とか名誉とかの問題でなく、単なる歴史的事実に過ぎない。

歴史的事実である以上、彼らに取って自分たちが奴隷であったということを受け止めるしかない。今、自由なアメリカ人として生きているはずの現在の自分に、この過去の事実が襲い掛かり、人種差別の現実に否応なく自分を引きずり込んでいる。しかし、同時に、アメリカ音楽を生み出したのは自分たちであることを知っている。


**** 2 ****


アフリカ系アメリカ人の殆どがヨーロッパ人やその他の人種との混血であると言われている。彼らは純血のアフリカ人ではない。彼らは、彼らを奴隷にした白人を先祖に持っている。では、彼らは白人の子孫であると彼らが知っていたとしても、その事実はアメリカでは認められないのである。簡単に「少しでもアフリカ人の特徴を持つものを人という」とアメリカの人類学者は分類したのかもしれない。

この人種偏見の傾向はどこにでもある。日本でも韓国人と日本人の間で生まれた人を、日本社会では「日本人」とは呼ばない。「韓国人との間の子」と必ずと言いって「韓国人」の国籍が前に来る。フランス人との間に生まれた場合でも、「フランス人との間の子」となる。多分、逆も同じように成立していると思う。このことが国際文化の現状を物語る。

アメリカでは、白人以外の人種、アジア系、アフリカ系も歴とした(てっきとした)アメリカ市民であるが、ヨーロッパ系アメリカ人からは感情的には、まだアメリカ人としては認められていないのかもしれない。

逆に考えると、アフリカ人からすると、白人を先祖に持っているアフリカ系アメリカ人は純血のアフリカ人ではない。白人との混血人種である。「白人との間の子」となる。もし、キリストがアフリカ人(白人ではなく中東のイスラエル・パレスチナ人ですが)で、アフリカ文明が世界を席巻していたら、白人とは「少しでも白人の特徴を持つものを人ということにあるだろう。

白人の先祖を持つアフリカ系アメリカ人たちの中で、彼ら自身を迫害し続ける自分の身体(遺伝子)の一部である白人たち(先祖たち)は、自分の子孫の悲惨な現実を嘆いるだろう。自分の子孫が自分たちによって苦しめられている。この現実を受け止め自責の念に苛まれる人々を想像してみた。これらの人々は私の想像上にしかいないのであるが、もし仮に居るとすれば、アフリカ系アメリカ人の中にしかいないだろうと考えた。

この私の妄想は、まったくありえない作り話の世界なのだろうか。そう考えた時、西洋伝統の楽器を使いこなし、西洋クラシック音楽をこよなく愛していたジャズミュージシャンたちが思い浮かんだ。1950年代のチャーリー・パーカー、そして彼に影響を受けたバド・パウエル、チャールズ・ミンガス、ジョン・コルトレーン、エリック・ドルフィーバッド等、ジャズミュージシャンたちの音楽が聞こえるようだ。彼らの中に流れる西洋音楽とアフリカ音楽があるからこそ、ジャズは生まれたのだ。そう考えたとき、妄想には違いないが、しかし、まったくでたらめな仮説から来ている妄想ではないと感じた。

時代が変わり、100年後、いや200年後に、アメリカ社会はどうなっているか。アフリカ系アメリカ人たちは、まだ、差別され続けているか。まだ貧民街に寄り添って生活しているか。それとも、そうした人種差別は全く消滅しているか。アフリカ系アメリカ人オバマ氏が大統領になってから1世紀後に、この社会が人種差別という古い時代の痕跡を一層し、人種融合という新しい国際文化の形態を作り出していることに期待したい。

その時、未来のアメリカ社会では、「少しでも○○人の特徴を持つものを人という」という人をアメリカ人から除外するという人種差別の目はなくなっているだろう。それと同時に、奴隷として売られて来たアフリカ系アメリカ人の歴史がアメリカ人のルーツや歴史として小学校の教科書に記載され、日常的に語り継がれているだろう。その時、ジャズはアメリカ人の音楽と言われるようになっているだろう。


**** 3 ****


今、日本社会に新しい文化が生れようとしている。それは「Mixed Roots Japan」で紹介されている「ダブル」(以前はハーフと呼んでいたが)と呼ばれる人々に代表される国際化社会の姿である。このMixed Roots Japanを支える「ダブル」の人々を理解するために、これまでの日本社会の国際化の過程を理解し、さらに今後のその発展の可能性を考えてみた。その時、現在、Mixed Roots Japanで語られ、問題提起されている

すべてが、次の日本の国際化社会を構築するめの不可欠な豊かで人的及び文化的資源となることは確かだ。国際化社会や文化の課題を考える時、これまでの国際化の過程を大雑把に理解しておく必要がある。

これまで発展してきた社会の国際化過程は、まず、商品の国際流通を促進してきた国際経済に始まる。現在、私たちは海外の商品に日常的に囲まれて生活している。そして、情報の国際流通を促してきた国際社会が形成される。テレビから海外のニュースが報道され、インターネットで海外の情報を取得することも、また海外に情報を発信することも簡単に出来るようになった。インターネットでフィリピンの先生から英会話を学ぶことが出来るようになった。

現在、異人種間の人的交流が急速に進みつつある。海外留学や外国人の日本留学から始まり、国際化した日本企業での海外滞在の日常化や外国人従業員との日常的な協働化、日本人の海外滞在と外国人の日本長期滞在が、急速に異人種間の人的交流を生み出し、その結果、国際結婚が日常化し、外国人との間に生まれる子供の数も年々増えている。多くなり、そのことによって、人の国際交流は新たな課題を日本文化に突き付けている。

この2、30年間の日本での人的な国際化の過程を観ても、企業の海外進出や留学の大衆化によって、日本人なのに片言の日本語しか話せない、もしくは、二か国語、三か国語を自由に話せる帰国子女という新しい日本人が生まれた。この新しい日本人たちを国の豊かな資源として受け入れるかどうか。1980年代から10年程度の模索の結果、多くの教育機関や企業に受け入れ体制が確立して、日本の国際化は日本の文化に根付いた。

日本人の海外滞在と外国人の日本滞在が結果として持ち込む生活様式や生活環境の変化である。国際結婚がその典型的事例となる。日本人の国際結婚は多くなり、また一般化しつつある。今NHKの朝ドラ「マッサン」はその社会現象を映し出している。

海外で生まれる日本人と外国人の子供が多くなってくる。以前は、ハーフ、つまり半分日本人と呼んでいたが、最近では二つの文化を持つ子供・ダブルと呼んでいるようだ。このダブルの子供たちが、今、この日本社会では「生きづらい」ことは確かである。この生きづらさを何とか解明し、そして解決する努力を「Mixed Roots Japan」に集う人々は模索している。

答えはないだろう。これまでアメリカと違い、文化的多様性は勿論のこと、人種的多様性すらなかった日本で、他者の多様性を認める文化を創る作業をしているのであるから、その道のりは遠いに違いない。しかし、「Mixed Roots Japan」が今取り組んでいる一歩が、「いじめ」と呼ばれる「多様性を排除する気持ち」や「自分と異なる人々にもつ無意識の違和感や不愉快さ」を自覚的に理解する契機を与えるだろう。

この「Mixed Roots Japan」の活動は、今、日本の社会で最も問われ、必要とされている課題に直接関係し、その解決の糸口を与える契機となると考える。この「Mixed Roots Japan」の活動を、彼ら「ダブル」たちの問題に限定してはならい。これは、日本社会の現在の病理、多様性へのアレルギー症、他者との差異を無意識に打消し、共同幻想の世界を維持し、その中で安心しようとする弱さ、つまり異文化拒絶症を克服する機会を与えていると思う。

そして、この課題を乗り越え、おおらかな多文化理解のこころ、強靭な多様性文化や社会システムへの順応力を付けることによって、日本人が国際社会の中で大きく貢献できると信じる。何故なら、元々、我々日本人は、難解の黒潮の彼方から船に乗り、大大陸の彼方から馬に乗り、北シベリアの彼方からそりに乗り、渡ってきた多くの異なる民族や人種の子孫ではないか。

この課題を考えるために、今、アメリカの人々が人種差別に向き合っている努力していることに、多くのことを学ぶことが出来るだろう。



参考資料


1、  Mixed Roots Japan

2、Pharrell Williams "Happy": Mixed Roots Japan ver.
https://www.youtube.com/watch?v=-XgW2qMre2o



三石博行のフェイスブック
https://www.facebook.com/hiro.mitsuishi



0 件のコメント:

コメントを投稿