- 21世紀型災害・パンでミンクと総合的政策学の課題 -
三石博行
目次
はじめに
1、災害の三つの形態:自然災害、人工災害とハイブリッド型災害
1-1、災害の概念とその分類
1-2,自然災害:科学技術による対策
1-3、人工災害:文明社会の形成と共に巨大化する災害
1-4、ハイブリッド型災害(自然・人工災害):求められる総合的政策学的課題
2、災害としてのCOVID-19パンデミック
2-1、病気と感染症災害
2-2、ハイブリッド型災害としてのパンデミック
2-3、感染症災害の総合政策的課題
3、パンデミックに対する災害対策
3-1、災害社会学における災害防止策 安全管理と危機管理
3-2災害社会学的視点からの感染症災害 パンデミック
3-3、パンデミック対策の三期間区分
まとめ
はじめに
この報告(2021年5月16日、政治社会学会・ASPOS covid-19プロジェクト研究会)ではワクチンや治療薬のない感染症災害を災害社会学の視点で分析する。一般に自然災害では安全管理(安全対策)が災害発生の前に準備される。しかし、COVID-19の場合には、その安全対策が存在しなかった。そこに今回のCOVID-19感染症災害の特徴がある。そこで、事前の安全管理がない状態で生じる災害、つまり危機管理対策を災害発生の初めから取らなければならない災害に対する対応が問題となる。今回のCOVID-19感染症災害では、その課題が明確に指摘され、またこの感染症を災害として位置づけ、その特徴を明確に示す作業が十分に議論されていなかった。そのため、対策は混乱を続けた。例えば、PCR検査に関する議論、9月入学提案、GoToキャンペーン等々。これらの政策提案の混乱を回避するためには、安全対策のない状態で始まる災害の特徴を分析し、それらの罹災状況を三つのステージに分類し、それぞれの段階に適合した対策を検討する。
しかしながら、COVID-19パンデミック災害は現在進行中であり、その実証的な研究が可能な対象は限定されている。安全管理のない状況での感染症災害に付随する資料(データ)はある。現在(2021年4月)、この段階での分析が可能になる。勿論、この段階での分析結果に基づき上記した仮説を検証しなければならない。この検証を述べるには不十分である。従って、それは次回の課題に回すことにする。
また、パンデミックが引き起こす社会文化現象はすでにそれぞれの国や社会が所有している現実である。これらの現実は顕在化しないまでも潜在化した状態で社会の深層を構成している。従って、2020年2月から現在まで、日本でのCOVID-19パンデミック災害に於いて引き起こされた社会文化現象を、ある意味で貴重な社会学的資料として位置づけることが出来る。それらの社会文化現象はわが国の社会文化構造から生じたものであり、その社会文化の構造を分析するためには極めて貴重な資料であると言える。
これらの現象を調査することで、例えるならば、「COVID-19感染症」という「試薬」と「現在の日本の社会」という実験装置を使い、それによって生じている社会文化反応を観察していると解釈できる。その意味で、今回の報告では、安全対策のない状態でのパンデミック災害が引き起こした社会文化的反応に関する課題を列挙する。
1、災害の三つの形態:自然災害、人工災害とハイブリッド型災害
災害とは「人の生命及びその財産への被害」であり「社会生活資源の損失」ある。その要因は自然現象や人の行為や社会経済活動、または国家の政治的行為などの人工的な要因もある。また、「人の生命及びその財産への被害」つまり「社会生活資源の損失」である災害は社会生活資源の豊富な状態ほどその被害は大きくなる。例えば、無人島の西ノ島で火山爆発が起こっても被害は生じない。その意味でここでの火山噴火は災害とは言わない。人や社会の活動のある場所で火山活動が起こると必然的に被害が生じ、それを災害と呼ぶ。現代社会の災害の姿を理解するために、災害の概念を定義する必要がある。
1-1、災害の概念とその分類
ここでは災害を上記したように「人の生命及びその財産への被害」つまり「社会生活資源の損失」であると定義している。この定義に従えば、事故も災害の中に含まれる。被害の大小にかかわらず、何らかの原因で「社会生活資源を失うこと」が災害という概念に括られる。日常的な用語の中では、災害はその災害要因からを自然災害(天災)に限定されて使われている。人為的な原因で起こる被害を事故と呼んでいる。しかし、火事は事故であるが、それが大火事になると火災と呼ぶ。事故と災害は、被害の程度によって使い分けられている。
とは言え、人命や社会生活に被害が生じる事態は災害だけでなく事故でも生じる。その意味で災害と事故は災いとして同じ意味を持つ。また、他方では、例えば「自然現象に起因する自然災害(天災)」と「人為的な原因による交通事故」のように、災害と事故が異なる意味をもって表現されている事例もある。つまり、事故の原因は人為的要素に重点が置かれている。事故は人の力でそれを防ぐことが可能な災いであると解釈できる。しかし、災害は人の努力の及ばない力によって起こる災いであると解釈される。
しかしながら、事故と災害の使い分けは必ずしも明確ではない。例えば、労働災害は、その被害の程度に関係なく災害として語られる。もし、安全対策を怠った企業の過失があったとしても事故ではなく災害(労働災害と言う)に部類される。また、公害も企業の環境保全対策に不備があったとしても企業の過失による事故ではなく災害(公害・公の資源/生態生活環境への災いとして理解される。また、「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震」とそれによる津波によって起こった東京電力福島第一原子力発電所事故とそれによって起こった広域の放射能汚染は原子力発電所の事故によって引き起こされた放射能汚染災害である。このように、災害と事故の用語は現在までもそれらの意味を峻別して使われていない。
このように、日常言語では事故と災害の概念に明確な区別はない。そこで、ここでは、「人の生命及びその財産への被害」つまり「社会生活資源の損失」を災害と定義し、事故も災い、つまり災害の概念の概念の中に括ることにする考えた。そのことによって、「社会生活資源の損失」としての災害の構造とその対策を総合的に議論することが可能になる。
1-2,自然災害:科学技術による対策
自然現象によって引き起こされる自然災害(天災)と呼ばれている。例えば、地球の自然環境とは、地球の大気、海洋の運動、気象現象や地球のマントルや地殻、そしてプレート等の運動、火山活動、地球を取り巻く太陽系の運動、さらには太陽系や太陽系外の小惑星の運動等々によって地球環境が受けきたあらゆる自然現象を意味する。これらの自然現象の中に、自然災害と呼ばれる自然現象が含まれる。自然環境による人間社会への破壊的影響が自然災害である。
自然災害要因は主に3つある。一つは自然要因である。その自然要因も主に3つに分かれる。一つは地殻運動等、地球物理的現象である。例えば、火山活動、地震やそれに伴う津波等がある。もう一つは気象現象等、大気の熱循環によって引き起こされる現象である。三つ目は、生物の作用によって生じる災害、例えば、病原体、生物の異常発生や絶滅、生態系の異変等によって引き起こされる災害である。
人々が自然現象に支配され、その自然の成り行きをそのまま生産や社会文化活動に活用する前近代社会では、自然災害は絶対的な自然の姿の一つとして受け止められてきた。しかし、自然科学的知識が形成され、私たちが自然現象を支配する法則を理解し、それらの法則を活用するようになる時代、近代や現代では、自然現象としての自然災害も、その原因を科学的に理解することができた。自然災害の原因を解明することで、災害の根本原因を防ぐことはできないのだが、それによって被害を受ける建造物等の人工物の災害防止策を検討し改良することが出来た。
1-3、人工災害:文明社会の形成と共に巨大化する災害
人工的要素によって起こる災害・人工災害と呼ぶことにする。ここでは事故と呼ばれているここでは事故と呼ばれる小さな災いも災害の一部として考えた。
人工災害は人間活動の結果引き起こされる災害である。例えば、食料生産や消費活動に付随する食品被害、移動の手段の開発、発展してきた交通手段、自動車や道路等によって生じる交通事故や交通災害、生産活動、技術の開発や発展の中で生じる労働災害や職業病、住環境の改善、建築技術、生活環境の改善によって生じる火災等、劣悪な都市衛生環境等々が例に挙げられる。また、社会経済活動を支える巨大なエネルギー生産、電力産業によって引き起こされる環境破壊、原発事故、そして、国家防衛のための最新兵器開発や大量殺人兵器・原子爆弾等による被害、戦争災害も人工物による社会や人への被害、人工災害の一つであると言えるだろう。
この人工災害は一般に事故人工災害の要因は主に3つある。一つは人の行為による人為的災害、例えば放火による大火事(山火事等)、過失による交通事故、テロ行為による災害等である。二つ目は産業活動によって起こる災害である。例えば、水俣病等の公害、労働災害や職業病がその災害に該当する。三つ目は人々の生活経済活動によって引き起こされる災害、例えば、社会インフラの構造によって引き起こされる災害、酸性雨による森林等の生態環境破壊、マイクロプラスチック海洋汚染、地球温暖化による異常気象災害等々。四つ目は国家の集団の政治的目的によって引き起こされる災害、例えば、戦争や内戦等である。
また、人工災害は、生産活動の巨大化によってその規模を拡大してきた。18世紀から19世紀に掛けて欧米社会でおこった産業革命、20世紀の重化学工業化、巨大工業地帯や巨大都市の形成によって、自然生態系の破壊、大気汚染、ヒートアイランド現象等々、環境汚染が深刻化した。また、人工物による環境汚染(公害)は、工業化の進む発展途上国でも現在深刻な問題となっている。
1-4、ハイブリッド型災害(自然・人工災害):求められる総合的政策学的課題
しかし、現実の災害は、自然要因と人工要因が同時に含まれている。例えば洪水や土砂崩れ等の災害でも単に大雨が降ったという気象現象によるだけでなく、住宅が濁流や土砂崩れの起こりやすい所に建っていることが原因となっている。土砂災害が起こる可能性のある危険な場所に住宅建設の許可を出していることがその災害の原因となっている。その意味で、この災害は大雨という自然災害要因と住宅建設許可という人工災害要因の二つを含むといえる。
自然要因と人工要因の両方を持つ現代社会の多くの災害では、その被害は生活資源の蓄積状態に比例して変化することになる。勿論、災害を防ぐための技術や制度も進歩するので、単純に生活資源の蓄積に比例して被害の程度が増大する訳ではない。しかし、古代、中世より近代や現代の社会の方が、生活環境が受ける被害の可能性は高くなる。
現代の災害の殆どが自然・人工災害、つまりハイブリッド型である。例えば、大雨が洪水という災害を引き起こすが、同時に、荒れ果てた人工林の森から伐採し放置された木材が増水した河川を流れ出て、下流域の人家を破壊する洪水と廃棄木材によるハイブリッド型の水害が起こっている。
その他のハイブリッド型の災害の事例として、人々の生活や産業活動によって排出される化学物質、例えばフッ素化合物によるオゾン層の破壊、また地球温暖化ガス(二酸化炭素やメタンガス)による地球温暖化、そしてその温暖化による異常気象、巨大台風や大雨、異常乾燥とそれによる森林火災、また海面上昇による高波や田畑の海面への沈没被害等々が報告されている。
ハイブリッド型災害に関して、以下、多様な災害形態、総合型災害学の視点、国際協力による解決の三つの課題が挙げられる。
1、ハイブリッド型災害は、21世紀社会、科学技術文明社会化、情報社会化、国際経済化、巨大都市化の形成と共に、広範で多様な形態を取りながら発生し続ける。人類がこれまでに経験したことのない未来社会の災害のパターンである。しかも、世界では多様な産業化、工業社会化があるため、この種の災害もそれぞれの国によって異なる特徴を持つ。それらの共通する形態や多様な形態を同時に理解する必要がある。
2、これまでの甚大な災害は自然災害(大雨、洪水、地震、火山活動、台風等々)であると考えられた。従って、災害学のテーマは自然災害の研究が中心であった。しかし、この後、全世界に被害を与える地球温暖化等ハイブリッド型災害が課題となる。その対策は災害原因である自然的要素や人工的要素の分析やそれに対する文理融合型の対策が求められる。つまり、この災害科学は総合型災害学を必要としている。
3、ハイブリッド型の災害、例えば地球温暖化やパンデミックの特徴は被害の範囲が国を超え、世界の至る所で起こることである。ある特定の地域で発生した温暖化ガスは簡単に国境を越え世界に広がる。また、病原体も社会経済の国際化による人々の国際的な移動によっての世界に広がる。そのため、この災害の解決方法は国際協調によって行わなければならない。一国内で温暖化ガスを削減したとしても地球温暖化を防ぐことは出来ない。同様に、一国内で感染病の流行を抑えたとしても、国際化社会では感染は他の国々から常時侵入し続ける。自然災害では災害国内で対策が取られていたが、ハイブリッド型災害、パンデミックでは一国内での災害対策は通用しなくなる。国際協働機関と歩調を合わせながら、国際協力の基にした一国の災害対策が求められる。パイブリッド型災害の解決方法として、国際機関(WHO等)の形成と改善、感染症の調査研究、ワクチン、治療薬開発の世界的連携が求められる。
2、災害としてのCOVID-19パンデミック
2-1、病気と感染症災害
新型コロナウイルス感染症は、その予防策(ワクチンと治療薬)がない疾病であり、また感染力も強い。こうした感染症は爆発的な流行(パンデミック)を引き起こす。その意味で、この感染症は感染症災害の要因となる。しかし、そのことが理解されない場合、COVID-19を流行り「風邪」と同じであると理解される。確かに、COVID-19は「風邪」と同じような症状引き起こす。また、その病原体が同じコロナウイルスの場合もある。そのためCOVID-19は感染力の強い風邪と理解されるのかも知れない。しかし、風邪は主に発熱、のどの痛み、咳、鼻水等の軽い症状病で、それをこじらせない限り重篤化するケースが少ない。安静に休養すれば発症から2、3日で治癒する。それに対して、COVID-19は肺炎を始め多くの重篤な症状を引き起こす。COVID-19の感染症災害の要因となるのは、その病原菌がこれまで見つかっていない新種であること、そのためワクチンはない。また、その病状が重篤化しやすく、死亡率が高いこと、しかし治療薬はない。されにその感染力がかなり高く、大流行する可能性を持っていること等が挙げらる。
当然のことであるが、感染症を病気・疾患として位置づけることと、感染症災害要因として位置づけることでは、その対応に大きな違いが生じる。単に疾患であれば、これまで有効とされた対処療法や病気休養等で治療することが出来る。また、インフルエンザのようにワクチンが開発されているなら、事前にそれを接種しておけば、予防できる。疾患の場合、患者の個人的な治療で、その病を治すことが出来る。そのため、病の原因が、例えば睡眠不足、栄養不足、ストレス等の生活習慣があると解釈される場合が多い。例えば、風邪は個人が日々健康に配慮する生活をすることで予防できると思われている。それに対して、COVID-19は感染症災害を引き起こす病である。その対策は病気を治すための臨床学的方法、病気の流行防止のための疫学的、公衆衛生的方法や病原体の遺伝子解析、ワクチンや治療薬開発等々の分子遺伝学から薬理学までの幅広い課題となる。
感染症がパンデミック災害の要因となると位置づけられることによって、災害対策としての感染症対策が展開する。まず、感染症に対する細菌学的、分子遺伝子学的、病理学的解明が課題となり、次に、その感染症への疫学的、公衆衛生的対策が課題となる。そして、感染拡大を防ぐための人の移動制限、三密(密集、密閉、密接)防止、飲食業、イベント会場等への休業要請が行われる。また、検査隔離体制の強化、医療体制の充実、ワクチン開発等の対策も行われる。
感染症災害として位置づけられたCOVID-19パンデミックは災害社会学的課題として分析すれ、他の全ての「生活資源の破壊」をもたらす災害と共通するテーマとして展開される。その課題は、感染症災害独自のテーマのみでなく、医療、介護、育児、教育等の社会資源の機能不全、サプライチェーンの機能マヒ、企業活動の休業や企業倒産、移動制限による消費活動の低迷等、経済活動へ被害が及ぶことになる。また、社会経済活動の低迷は生活経済へ影響を与え、失業者、生活貧困者が増えることになる。COVID-19パンデミック)・感染症災害によって社会、生活、人的資源の破壊が起こるのである。感染症を災害としての認識することは、医療対策だけでなく、それに起因するすべての課題を災害対策として対応することを意味している。
2-2、ハイブリッド型災害としてのパンデミック
パンデミックをハイブリッド型災害としてを位置付けた。パンデミックは、巨大化する社会経済活動、それによる環境生態系の地球レベルの破壊、経済文化活動の国際化に伴う地球規模の人の日常的な移動が間接的・直接的な要因となって、起こると考えられる。その意味で、感染症災害は21世紀社会で常態化することが予想される。21世紀社会型災害としてパンデミックを位置づけ、その視点から、COVID-19への対策を立てる必要がある。まず、ハイブリッド型災害としてのCOVID-19パンデミックの構造、つまり、その自然的要素、社会経済的要素や文明的要素について述べる。
A, 病原菌による疾病(自然的要素)
疾病災害を引き起こす病原体は地球上に存在している生命の一つであり、生態環境系の中の一つの生物に過ぎない。その意味で、病原体による疾病は生命現象の一部であると解釈できる。また、疾病は生物の進化史と共にあり、人類の歴史と共にある。疾病は人が病原体によってその生命活動への危機的状態を作られ、もしくは破壊される個体にとっての一つの病理的現象に過ぎない。これらの個体の破壊を経験することによって個体は種を保存するために、病原体に対する対抗手段を見つけ出す。それを進化と呼ぶことができる。
つまり、自然・生物現象の一部である感染被害は、人がその被害を最小限に食い止める生物的反応を起こすことで、病原体(細菌、微生物やウイルス等)との生存競争や共存の手段を得ることになる。他方、病原体にとって、非感染者(人)を病死させることは、病原体の生存領域を失うことを意味する。病原体がその種を保存するためには、強い感染力と共に、弱い毒性を持たなければならない。感染、病気と治癒、もしくは病死を通じて、人と病原体と呼ばれる細菌やウイルスと人との生態系の環境や条件が成立し続ける。
さらに、人が病原体に対する抵抗力や抗体を持ち病気にならないことは、人がよりよい生存条件を獲得したことを意味する。逆に、そのことによって病原体は彼らの生存領域を失うことである。そこで、病原体も進化し、人の抗体を無効化させながら種を維持しようとするだろう。また、人が治療薬を開発し病気を治癒することは、病原体にとっては生存環境を失うことを意味する。そこで病原体は治療薬に対して抗体や無毒化する代謝経路を確立してその治療薬(化学物質)から身を守る。
人も細菌も生存競争と共存の関係を繰り返しながら、生命体の進化に関係し、生命活動の持続に寄与してきた。そして、今現在も、生命現象の一部として人と病原体(微生物)の生存競争や共存は終わることなく続いている。その意味で、生命現象の一部として疾病があり、疾病とは生命活動とよばれる自然現象であるともいえる。
B、疾病大流行の社会経済的被害(社会経済的要素)
パンデミックは人類が都市を建設した時代から存在している。そして、パンデミックは、古代社会より中世社会に多く発生し、また中世社会より近代社会や現代社会で、大型化していきた。パンデミックとは、病原菌による感染症であると同時に、都市化、人口増加、熱帯雨林の開発等々によって引き起こされている人工災害の側面を持つ。パンデミックの特徴を理解するために、その感染拡大の人工災害としての解明が求められる。例えば、以下の課題が挙げられる
1、感染拡大の要因としての社会経済的要素
2、感染拡大の要因としての生活文化的要素、生活文化習慣
3、感染拡大の要因としての生態文化的要素
4、感染拡大防止対策、政策、制度等の社会政治的要因
パンデミックの人工災害的要素を理解することで、病原体の特性、その感染経路や感染媒体等の疫学調査対象を社会や生活環境に広げることが出来る。
2-3、感染症災害の総合政策的課題
上記したようにパンデミックは、生物、医学的課題としてお疾病とその爆発的感染の背景となる社会文化的課題のハイブリッド型の災害であるため、その対策は、自然科学系の学問を土台とする感染症、疫学、医学的処置と同時に社会経済学的知識を基本とする公衆衛生、医療、社会、経済政策が求められる。さらに、パンデミックが都市化、人口増加、環境破壊等によって引き起こされているとすれば、その地球規模の文明論的課題も検討されなければならないだろう。
パンデミックへの対策は基本的には三つある。一つは公衆衛生、防疫や医療対策である。二つ目は、社会経済対策である。三つ目が地球温暖化対策と類似した文明論的対策、つまり持続可能な人類社会を構築するための対策である。これらの基本課題の中で、ここでは、ハイブリッド型の災害であるパンデミックへの公衆衛生や医療対策に関して述べる。
A、自然科学系の学問分野
まず、自然科学系の学問を土台にする対策を以下に列挙した。
1、病原菌の微生物学的理解、遺伝子解明
2、感染症学的理解、COVID-19感染につての科学的理解
3、疫学的理解、感染経路、感染媒体の調査、クラスター対策
4、免疫遺伝学的研究、ワクチン開発、PCR検査、抗体検査
5、臨床学的理解、感染症に関する臨床医学的調査、医療の確立
B、社会システム系の学問分野
それらの上記した対策は、それをサポートする公衆衛生や医療体制の課題に繋がる。つまり、敏速に疾病対策を行う公衆衛生や医療政策や、その政策を決定する立法、その政策を実行する行政機関の課題が問題となる。
1、感染症を治療するための医療体制の確立
2、感染拡大を防ぐための防疫、公衆衛生制度の確立
3、感染拡大を要因となる社会経済的要因の解明とその解決策
C、生態環境系及び文化人類学系の学問分野
さらに、ハイブリッド型の災害であるパンデミックへの生態文化・文明論的課題とその対策に関して述べる。
1、病原体の起源に関する調査研究とその対策
2、感染症の歴史に関する研究
3、感染経路や感染方法の生活文化的要素に関する調査研究
4、各国の感染防止対策やそれらの制度の調査、比較研究
以上、三つの異なる研究分野の課題や対策に関して述べた。
D、パンデミック災害対策の制度化(総合的政策学の課題)
それらの課題に関する調査や研究は異なる専門分野の人々によって担われることになる。そのため、以下に示す三つの課題、専門分野毎の調査研究チーム、首相をリーダとして、各省官僚、政治家と専門家チームの代表による俯瞰的立場に立った横断型の対策会議、さらに、上記二つの議事録や調査資料の情報公開による大学や民間研究機関でのパンデミックに関する持続的な研究活動の推進のための組織化(制度化)について述べる。
災害の多い日本では、個々の災害に対してその対策本部を臨時的に設置するのではなく、災害対策を常態化した制度を作る必要がある。すでに災害省や災害防災省の提案がなされているが、国はその実現のための道筋を示さなければならないし、また早急にその設置に取り組まなければならない。特に、ワクチンや治療薬等の安全策を持たない感染症災害の場合には、その対応は非常に急がれる。感染症が発覚してから、その拡大を防ぐための対策を検討するようでは、感染症の爆発的拡大(パンデミック)を防ぐことは出来ない。その意味で、災害省の設置、それに伴う法制度の整備を行うことが求められる。
感染症災害への対策はそれに関連する専門的知識を必要とする。それらの分野の専門家が参加し、科学的な見解を前提にして感染症災害への対策を議論しなければならない。感染症災害対策のための組織は、原則として日本学術会議がその組織運営を指導し、それらの専門分野に関連する学術団体が、災害の特徴や災害対策の課題に応じて参加しすることが望ましい。それぞれの学会から選ばれた専門家が委員となり委員会会を構築する。例えば、病原体の微生物や遺伝子学の研究チーム、防疫や感染対策研究チーム、感染症の治療チーム、検査、検査体制の研究チーム、感染予防や公衆衛生制度に関する研究チーム、経済的影響に関する調査研究チーム、海外の感染対策に関する調査研究チーム、社会や生活、文化環境への影響に関する調査研究チーム、教育や保育、女性の社会的活動への影響に関する調査研究チーム等々、課題別にそれに関する多様な視点を持つ専門家を幅広く集め研究チームを組織する。それらの異なる分野の専門家による現状の理解と問題解決の対策を提言してもらう。但し、この委員会は政府とは一定の距離を置く必要がある。何故なら、これまで政府主導の専門家会議は政府の意見を忖度してきた。例えば、原子力委員会の例を取るまでもなく、政府お抱えの専門家(御用学者)からは政府の方針に忖度しない、科学的根拠をもった災害対策を提言することが出来なかった。
とは言え、災害対策は科学的合理性と共に状況合理性も求められる。その意味で、災害対策は政治的判断が入ることは避けられない。政府は異なる専門家集団による「専門家会議」の意見を俯瞰的に理解し、現状にマッチした政策検討を行う必要がある。そのために、政府は「対策会議」を組織する必要がある。この会議は官邸、各省官僚、政治家と専門家チームの代表によって構成される。首相が対策会議の議長を務め政府として対応する。
さらに、これらの専門分野の委員会や対策会議の議事録や調査資料は保存され、情報公開されなければならない。何故なら、21世紀の世界では、パンデミック(ハイブリッド型災害)は常態化する可能性が大きく、これらの研究調査資料が大学や企業研究者の次のパンデミック対策の研究資料となり、近未来に必ず起こるパンデミックに対して強い社会文化を構築するための材料になるからである。つまり、21世紀型の災害対策では、国や国民のすべての資源を活用しすることが求められる。そのためには、上記した「災害防災省」、「専門家委員会」や「対策会議」の情報を公開し、国民に示す必要がある。非常事態政策の成功は国民の理解と国への信頼が必要である。それらの作業を非常事態時ではなく、日常時から「災害防災省」の行政活動の一貫として準備しておく必要がある。
21世紀社会で常態化するパンデミックに対して強い社会文化を構築しなければならない。そのために、多様な災害に関するそれぞれの特徴を理解しする必要がある。特に、21世紀型のハイブリッド型災害に関する研究や調査が必要である。そして、その対策は、総合的知識と俯瞰的視点が必要なる。分子遺伝学、感染症学、公衆衛生学、臨床学と医療経営学、医療政策学、災害社会学、災害行政学、社会経済政策等々、多岐にわたる専門分野の学際論的連携や協働(共同)研究が求められ、さらに、その成果の情報公開(科学の大衆化・科学ジャーナリズム)や災害対策に対する文明論的な検討が必要とされる。
3、パンデミックに対する災害対策
3-1、災害社会学における災害防止策 安全管理と危機管理
危機管理の概念は非常に広い意味で使われている。例えば、災害予防(防災)、安全管理、災害後の対策まで危機管理として語られる。一方、安全管理の概念も同様に広い意味で使われ、危機管理と安全管理の明確な概念的区別は存在していない。より合理的な災害対策を設計するために、危機管理と安全管理の概念を区別し、それぞれの役割を明らかにする。
A、安全管理
災害で引き起こることを想定し、被害を食い止めるための対策を安全管理という。例えば、地震に対する建物の耐震強度の強化や洪水に対する堤防の強化などはその体表的な例である。
すべての部門での安全管理の設置は、そのために費やす費用、つまり安全管理設置の設置費用と予測される被害総額との関係で決まる。例えば、人家のない所に、10メートルの津波防波堤の建設は行わない。
企業の安全対策を事例に取ると、安全管理の考え方が理解できる。例えば、A企業で労災事故が起こるとする。その事故でA企業が負担する補償費が200万円であるとして、その事故を防ぐために安全装置を設定する費用が年間1000万円必要になると仮定する。単純に考えて、年間5名の労災事故の補償費と安全装置の設置費は同額になる。A企業はその単純な計算に従うなら、4名から5名の労災事故が発生しても安全装置を設定しないことになる。何故なら、コスト的に労災補償費を支払っている方が安いからである。
社会資源に関するコスト計算が安全管理システムの設置や運営を決定している。災害によって生じる被害が甚大であればあるほど、強固な安全管理システムが設置される。また、その被害が僅かであると評価されるなら、安全管理に多くの費用を掛けることはない。
その意味で、一般に安全管理は社会生活資源の評価に左右されていると言える。人権の重んじられている社会では、人身事故への補償額が、そうでない社会にければて高くなる。そのため、人身事故が起こらないように安全管理の設置に費用を掛けるのである。
B、危機管理
危機管理とは安全管理のシステムが破壊された時の対策である。事故や災害の予防対策では発生した事態に対応し解決できない状態が生じる。その場合に取らなければならない緊急処置は大きく二つある。一つは罹災者の救済であり、もう一つは二次災害の防止である。例えば交通事故では、救急車を呼び負傷者を病院に運送し人命救済を行う。そして同時に交通事故が引き起こす二次災害(交通事故、車両火災、交通渋滞)を防止する。これが事故や災害が発生した後に取られる対策・危機管理である。つまり、事故・災害後の被災者救済と二次災害防止対策が危機管理に含まれる。
安全管理のシステムが破壊後に取られる対策、危機管理は常に構想されていなければならない。想定外の事故ということは、想定していない事故は起こらないという前提で成り立つ概念である。すべてのシステムに、事故や故障、機能不全の事態は起こりうると考えなければならない。その意味で、危機管理は「想定外の事態対応」ではなく、安全管理のレベルを超えた事態対応である。安全管理のシステムの延長上にない事故対応を取らなければならないのが危機管理である。
例えば、耐震強度を遥かに越える揺れによって建物が倒壊した場合、つまり安全管理の基準を超えて災害が生じた場合、まず、何よりも現状以上の被害の発生を食い止めることが課題となる。これが危機管理の目的である。さらに、二次災害の発生を防止するための手段が講じられる。例えば、堤防が決壊し、浸水予測領域を超えて街が浸水した場合、素早い住民の避難が必要となる。この緊急の住民避難策が危機管理の一つである。
危機管理は安全管理の延長線上に設定することが出来ない。危機管理として活用される社会文化資源はその社会文化構造の中で日常的に機能している場合が多い。つまり、豊かな社会文化資源の在る所は危機管理の機能を構築することがより可能であると言える。例えば、阪神淡路大震災の時、神戸市を始め震災被害地の行政機能は完全に破壊され、災害時の生活情報を罹災者に提供することが出来なかった。その時、生活情報を提供したのは、平和運動を行っていたピースボートや箕面市のボランティア運動の人々であった。危機管理体制は災害対策とは関係のない市民の社会文化活動やボランティア運動の中から生まれる。
C、安全管理と危機管理の相互連携
完璧な防災システムの構築は不可能である。防災システムの崩壊は、畑村洋一郎氏が「失敗」とは期待値に至らなかったと評価された値であり、すべての行為に確率的に付随する評価であると考えるように(5)、事故や災害防止のシステムの崩壊(機能不全)はすべてのそれらのシステムの機能上、確率的に発生する事象であると考えなければならない。
言い換えると安全管理の故障や崩壊はすべての安全管理システムに組み込まれている確率的な発生事象である。予防対策を講じる場合に、同時に必要な対策としてその予防対策の前提条件を超えて生じる事故や災害の発生への対応策、つまり事故や災害の発生後の対策である。この対策を危機管理と呼んでいる。危機管理は災害や防災システムの崩壊によって生じる罹災者(負傷者)の救援や二次災害への対応策である。
例えば、洪水や津波による堤防や防波堤の決壊(防災システムの崩壊と機能不全)つまり災害による被害者救済と、浸水や洪水によって引き起こされる二次災害の防止、例えば、今回の東日本大震災で経験したように、火災、原発事故、周辺社会インフラ機能麻痺・運輸機能不全、電力や燃料不足の発生等々、避難所での疾病発生、衛生環境問題、救援物資不足等々が挙げられる。
あるシステムの安全管理の崩壊によって、そのシステムでの危機管理が起動する。その危機管理の機能は、そのシステム内で発生した被害者(負傷者)の救済や犠牲者の処理等、被害への対応策とそのシステムの崩壊によって生じるそのシステム内の別の災害発生やそのシステムの外に波及して誘発される他の災害への予防策、つまり二次災害防止対策の二つの課題を抱える。
二次災害対策はシステムが所有する社会資源の中で、本来、その目的とは別に、緊急に被害の拡大を防ぐことが可能であると判断されたものを活用(援用)することで可能になる。社会資本の質と量によって、二次災害対策は決定される。言い換えると、危機管理では、緊急で最終的な課題(人命保護)とさらに被害を大きくしないための二次災害対策(臨時的な安全管理)の二つがある。
安全管理を超えて起こる災害に対する危機管理の課題では、それ以上の被害を防ぐことが課題になる。このことは、安全管理を超えて起こる二次災害の防止が危機管理の対策課題となる。つまり、二次災害防止への対策(臨時的な安全管理)は、予測される二次災害への緊急な安全管理を意味している。このように、危機管理を考える場合、危機管理の基本目的・罹災者の救済対策と二次災害防止対策(緊急な安全管理)の二つの課題が起こる。それらの意味を峻別し、かつ状況に合った、つまり優先事項の高い対策が何かを適格に判断することが、危機管理における重要なテーマとなる。
図1 多重階層的な罹災者救済対策と災害防止対策からなる危機管理の多重構成
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事故→ 罹災者救済
二次災害防止→ 事故→ 二次災害罹災者救済
(危機管理) 三次災害防止 → 事故→ 三次災害罹災者救済
(二次危機管理) 四次災害防止 →
(三次危機管理)
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三石博行 「危機管理と安全管理の独自性と連関性 現代社会での危機管理(1)」
2011年3月19日 https://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_19.html
3-2災害社会学的視点からの感染症災害 パンデミック
一般に、感染病の中にはワクチンや治療薬等の予防や治療方等(安全管理)がある場合と、それがない場合の二つケースが考えられる。毎年流行するインフルエンザは前者に分類され、COVID-19感染症は後者に分類される。その二つの感染症流行に関して災害社会学の視点に立って分析する。
A、安全管理可能な感染症
インフルエンザは、ワクチン・予防対策がある感染症の代表的な事例である。毎年、インフルエンザが流行しているが、同時にワクチンも開発されている。2018年のインフルエンザによる日本での死者数は3325人、アメリカでは1万人弱と報告さている。しかし、1918年にスペインかぜ(H1N1)のように、インフルエンザウイルスへのワクチンがない時代にはインフルエンザは感染症災害となる。因みに、スペイン風邪(インフルエンザ)は1918年から1920年にわたって世界で流行し、ヨーロッパで1700万人から5000万人が犠牲になったと言われている。つまり、インフルエンザが感染症災害となるか、もしくは制御可能な流行病となるかは、病原体(ウイルス)に対するワクチンが開発されているかによって決まる。つまり、ワクチンは感染症流行を食い止めるための安全対策でる。この安全対策(ワクチン)がない状態では、感染症災害が起こる。
B、安全管理不可能な感染症の流行 疾病災害
一方、COVID-19感染症は、その感染症が発見された時、感染症に罹らないためのワクチン、罹ったとしても症状を重篤化させないための治療方法や病気を治すための治療薬が全くなかった。感染症を予防し治療する手段がない状況で、感染症が流行することによって多くの犠牲者が発生する。その上、感染力の強い場合には、感染は爆発的に広がり、感染症災害を引き起こす。つまり、感染症災害は、常に未知の病原体によって起こされる。COVID-19を引き起こしたウイルスは新型コロナウイルス(SARSコロナウイルス2型・SARS-CoV-2)と呼ばれ、これまでの風邪ウイルスと異なるタイプのコロナウイス(RNAウイルス)である。
未知の病原体による感染症への対応は、まず、その病原体に感染しているかを調べる検査方法を開発しなければならない。そして、陽性者(感染確認者)に対する疫学的な処置、隔離を行分ければならない。病原体の感染力や病状によって隔離の方法も検討される。また、その感染症に対する治療薬はない状態では、病状が悪化しないために対処療法がおこなわれる。検査隔離や対処療法を行っても、この感染症を完全に封じ込めることは出来ないし、また、感染した患者を医療的に治癒することは出来ない。対処療法を続けながら、患者の自己回復力で感染症を克服する方法が取られる。
とは言え、ワクチンや治療薬(安全対策)がない状態で感染が広がることで感染症災害が発生することをくい止めるなければならない。そのため、大学、国立・公立の研究所、公衆衛生機関や医療現場では、未知の病原体の解明、例えば遺伝学的解明と検査方法の開発、感染経路や感染拡大の原因の解明とその予防策の指示、感染者の臨床事例に基づく医学的調査等々と治療方法に関する研究が急がれる。こうした努力が、感染症災害を食い止めることは出来ないにしろ、その被害を小さく抑えることが可能になる。
ワクチンや治療薬がない限り、少なくとも新型の感染症への抜本的な対策は不可のである。これが安全対策のない状態での災害の姿である。そして、感染拡大を抑えることが出来ないことで、感染患者数が多発し、それが医療機関への過大な負担を招き、医療崩壊の原因となる。医療崩壊によって、さらに多数の犠牲者が生まれる。最悪の状況のスパイラルが生じ、感染症災害は社会生活資源を破壊し続けることになる。感染症災害はワクチンや治療薬等の感染拡大を防ぎ疾患を治癒する安全対策がないことによって生じるのである。
つまり、COVID-19パンデミック・感染症災害への対策は危機管理から始まるのである。その点が、これまでの災害、例えば地震等の自然災害と全く異なる災害対策を求められる。その意味で、災害社会学の研究成果を活用し、感染症災害に対する現実的で有効な対処方を提案できる。
3-3、パンデミック対策の三期間区分
昨年2月から今まで、色々な新型コロナ対策が取られ、また対策案が出された。しかし、それらの対策や対策案が、必ずしも、その時点での優先事項に該当しない場合があった。例えば、昨年、一回目の非常事態宣言と全国の小中学校の休校措置が取られたあと、教育現場の混乱に対して、「9月入学」を提案し議論する人々がいた。これらの人々は、同時の教育現場からの課題に触れず、緊急性のない課題「9月入学」を提案したのである。また、CoToトラベル・イートキャンペーンは感染症を抑えた後で取るべき経済活性化政策であったのだが、感染症が収まらない状態で行われた。結果的には感染拡大の原因になり、また感染防止に予算を優先的に配分すべきであるはずが、GoToキャンペーンに非常に多額の予算を費やした。
災害時には、こうした政策の混乱や間違った提案は常に起こる。その場合、それぞれの政策が災害時のどの段階で必要となるのかを判断する基準が必要となる。その基準に即して政策提案を整理し、最も状況合理性を充たす政策を実行する必要がある。そのために、安全管理がない状態・危機管理 感染症災害の段階をそれらの提案や議論が現状の課題としての優先順位を判断しなければならない。その判断の基準として、三つの段階を設定した
まず、この三つの段階を決めるために、安全管理がない段階と安全管理が形成された段階とを分けた。安全管理のない段階を第一期とした。そして、安全管理が形成された段階を第二期とした。さらに、感染症災害は21世紀社会で頻繁に起こるハイブリッド型災害であると考え、COVID-19パンデミックが終わった後に、次の新しい感染症災害が起こるまでの期間を第三期と想定した。この第三期を持ち込むことで、COVID-19パンデミック対策で得た多くの経験や社会制度改革、さらには新しい科学技術が、次の新しい感染症対策の第一期で活用され、その時の危機管理対策により豊かな資源を提供してくれると考えた。
A、第一期 安全対策のない期間
第一期では、予防策のない新型感染症対策と感染症災害に付随して発生する社会文化的課題が問われる。この期間の課題は大きく二つある。一つは、感染症対策であり、この課題が最優先課題となる。二つ目は、感染症災害に付随する社会経済や文化の課題である。
まず、一つ目の最優先課題は、安全対策(ワクチンや治療薬)のない段階での感染症対策である。この課題は、大きく四つの対策によって構成される。一つは感染者の確認作業である。例えば、感染者の早期発見と隔離、感染者との濃厚接触者の調査と検査、感染力の強い陽性者(クラスター)の発見とその対策である。二つ目は、感染拡大を予防するために対策である。例えば、移動制限(不要不急の外出自粛)、三密状態の回避、検査隔離、三密状態を生み出す社会経済活動の抑制(休業要請)が挙げられる。三つ目はこれまでの医療資源を総動員し治療へ活用する作業である。例えば、COVID-19感染症に対して、米国のFDA(食品医薬品局)が5月1日に使用を許可し、日本でも5月7日に厚生労働省が特別承認されたレムデシビル(製品名・ベクルリー)が治療薬として活用されている。また、重症化する前には、抗ウイルス薬のレムデシビルもNIH(米国国立衛生研究所)のガイドラインで推奨されている。つまり、治療薬のない段階では、症状に応じた対処療法を行いながら、重篤化しない治療を継続する以外にない。四つ目は、感染者を素早く見つけ出し隔離るための検査体制と医療体制の確立である。検査隔離によって効率的に感染者を隔離し、その治療を行うことが出来る。
二つ目の課題は感染症災害によって引き起こされる社会経済や文化現象への対応に関する問題提起によって構成される。これらの現象は元々その社会に存在したもので、いわば潜在的社会文化構造である。感染症災害時という非常時にその構造が顕在化したものである。そのため、それらの課題は膨大で多岐多様にわたるものであるが、それらの課題を大きく五つに分類することが出来る。
一つは、人権や民主主義文化の在り方をめぐる課題である。例えば人権に関する課題(感染者への差別、感染者のプライバシー保護)、社会的格差(教育格差、地域格差、ジェンダー格差等々)である。また、危機管理とは非常時体制の常態化によって行われる。そのため、国家による強権的な措置が必要となり、人権や民主主義が侵害されることが生じる。個人の自由や人権と公共の利益が相対立する状態が危機管理が優先される第一期の課題となる。
二つ目は、感染症災害への政治的課題である。例えば、民主的手段を前提とした非常事態対処(感染症災害情報の公開、非常事態関連法に関する情報公開、非常事態時の国会運営に関する国民からの評価制度等々)、第一期の感染症災害対策を実行するための法律の制定、感染症対策制度の改革等々である。また、自然災害の多いわが国では、感染症災害時に他の災害が起こる可能性が高い。複合災害への備えが問われる。感染症災害対策と他の災害対策が同時に成立するためには、事前に、色々なケースで生じる複合災害の状況を予測し、その対策を取らなければならない。
三つ目は、第一期での経済政策である。例えば、感染症拡大を防止するための研究・検査機関への予算措置、ワクチン開発への投資、感染症治療体制の確立のための予算措置、さらには休業要請を行いために経営負担を受けた事業者や失業者への資金支援、移動制限等の経済活動の低迷によって生じる経済弱者の救済等々が課題となる。
四つ目は、社会福祉、教育、育児や文化活動に対する政策である。老人ホーム、障害者福祉施設は感染拡大防止のための危機管理的対策が優先する場合には、それらの社会的機能が軽視される場合がある。それを防ぐために、それらの施設での感染対策を支援しなければならない。また、教育現場(小学校から大学まで)では三密を防ぐ名目で休校措置が取られる。しかし、それが長期化することで、教育機能がマヒしてしまう。原則として如何なる場合でも、国は国民の教育を受ける権利を奪うことはできない。もし、その機会を非常事態の名の下に制御するのであれば、それによって生じた教育格差や教育機関のダメージを保障しなければならない。
五つ目は、COVID-19パンデミック災害はこれまでの災害と質的に異なる課題を提起した。その原因は事前の「安全対策」がなく、災害発生と同時に「危機管理体制」から災害対策が始まるという、これまでの自然災害とは異なる性質の災害であるからだ。その意味で、この対策での安全管理体制を検討しなければならない。それが「災害防災省」の構想である。つまり、災害が発生してからその対策を検討するのでなく、常時、あらゆる災害対策の可能性を検討し、準備しておく政府機能を構築しておく必要がある。そのことによって、突然起る予測不能な災害、安全策を持たない災害に対しても、完全でなくてもある程度の初期対応が可能になる。感染症災害対策して、災害対策のための組織の常態化が求められる。
B、第二期 災害防止が可能になる時期
ワクチンや治療薬が開発され、それによる感染症災害対応が行われ、感染症の拡大が制御され、最終的には収束するまでの期間を第二期と呼ぶことにする。イスラエル、英国や米国等のワクチン接種が進み、集団免疫が確立しようとしている国が第二期を迎えようしていると言える。我が国を始めとして、ワクチン接種が国民の50%を超えない国々では、ワクチン接種を進めることで、第一期から第二期への移行が始まる。
しかし第二期を迎えていないわが国の状況では、第二期に関する調査分析の資料はないのであるが、アメリカでの事例を参考にしながら、仮にワクチンによる集団免疫が形成されたと仮定して、そこで課題に取り上げられる感染症災害対策について考える。この場合、感染症災害対策は感染拡大予防や医療崩壊防止の受け身の対策から第一期で受けた医療、社会経済文化等のインフラや資源の受けた被害の復旧活動つまり積極的な災害対策が取られる。
ワクチン接種が進み感染症を抑制することが可能になる第二期では、大きく四つのテーマが考えられる。一つ目は、第一期の医療、生活経済の被害に対する修復作業である。二つ目は、これからの感染症対策に関する防疫安全保障や国際協力を検討する作業である。その中で、ワクチン開発への国際協力、またワクチン格差を防ぎ、世界にワクチン接種を普及させる国際的ルール作りなどが挙げられる。三つ目は、感染症災害によって被害を受けたサプライチェーン等の復旧と再構築である。一国のみでなく国際社会の安全保障に関係する感染症災害から世界経済を守るために、経済安全保障と国際連携の再構築が問われる。さらに、四つ目の課題は、民主主義国家の在り方に関する問題提起である。何故なら、第一期で取られた非常事態政策で、国家理念の基本である民主主義が問われ状況が多々あった。そのため、第二期では災害に強い国家が課題となる。特に、強権的国家権力をもって感染災害を封じ込めた中国の事例があり、感染症災害に対して民主主義国家は脆弱であるという評価が生まれている。このことは民主主義文化の危機を意味している。
特に、三つ目の課題であるが、経済や文化活動の国際化は感染症を世界のすべてに拡散し、世界規模のパンデミックを引き起こした原因となっている。その原因となる経済活動の国際化とは、市場原理に基づく消費拠点や生産供給拠点(サプライチェーン)の国際化によって成立している。感染症対策として人や物の移動制限を必要としたCOVID-19対策は国際化した経済システムを直撃した。そのため、海外のサプライチェーンに依存する国内経済は大きな打撃を受けた。従って、第二期では、第一期で受けた国内経済のダメージを回復するための経済政策が取られる。一つは、サプライチェーンの復旧である。もう一つは、これまでのサプライチェーンの在り方を見直し、経済安全保障の視点を取り入れ、国内にサプライチェーンを移すことや、一国に多くのサプライチェーンの拠点を置くのでなく、色々な国にそれを分散化するリスク分散型が検討されているだろう。
また、経済文化の国際化した世界では、一国による解決は不可能で、その解決も国際社会との共存を前提にして行われることになる。そのため、二つ目に挙げた国際的な感染症対策が求められる。世界のすべての国へワクチンが普及しない限り、感染症災害を抑えることは出来ない。今回のCOVID-19パンデミックは国際的な防疫安全保障体制の必要性を問いかけた。そのため、国際協力を前提とした健康安全保障体制が課題になるだろう。
さらに、四つ目の民主主義国家の在り方に関する課題であるが、第一期で、感染症災害への政治的課題として、民主的手段を前提とした非常事態対処の必要性が述べられた。民主国家では、国民の協力なしには非常事態対処による感染防止策は出来ない。そのためには、国は感染症災害対策に関する情報を公開し、国民の意見が反映される対策を行う必要がある。国民総動員で感染症災害に立ち向かう制度を作り、人的資源や社会資源をそこに総動員して敏速なそして徹底した感染症災害対策が実現する。そのためには、市民参画型の災害対策の制度が求められる。
C、第三期 災害が頻発する時代
COVID-19パンデミック災害が終息したポストコロナの時代を第三期と呼ぶ。この第三期はCOVID-19に類似する感染症災害が繰り返し起こり、また常態化する時代であると予測される。何故なら、COVID-19パンデミック災害の原因は、21世紀の国際化した経済文化活動がある。また、地球温暖化による永久氷土の融解、開発による熱帯雨林の消滅生、プラスチック海洋汚染等化学合成物質による態環境系の破壊等々、地球規模の環境破壊が進行しつつある。それらの環境破壊によって生物生態系での異変が感染症災害に何らかの影響を与えていることも想定できる。
第二期の課題を延長展開することによって第三期の課題が決定される。つまり、その課題は大きく分けて五つある。一つは、第二期で取り上げられた国際的な防疫安全保障体制の確立に関する課題の発展的展開である。二つ目は、市民参画型の災害対策の制度の確立と展開である。三つ目は感染症災害の基本原因である地球規模の環境破壊を食い止める国際的活動の展開と世界的な制度の形成である。四つ目は、上記の課題を解決するために我々の生活様式や経済活動を根本から変革しなければならない。現在の新自由主義に基づく資本主義経済を続けることは出来ない。つまり、新しい資本主義経済、例えば公益資本主義等、新しい経済活動や生活文化の形成が求められている。五つ目は、これらの変革を進めるためにはこれまでか巨大科学技術文明を牽引してきた思想、科学主義を超える科学技術哲学が求められている。以上、第三期の五つ課題が提起された。
同時に、これらの課題は、21世紀社会の課題であるエネルギー問題、食料問題、経済・教育・健康格差問題、人びとの生存権、持続可能な民主主義文化等々の課題と関連している。つまり、第三期の感染症災害対策では、これまでの経済、社会、生活文化の価値観が根本から問われることを前提にして展開されることになる。
まとめ:今後の課題
今回の報告は、今、わが国で問われている状況合理的なCOVID-19パンデミック災害対策を検討するために、災害社会学の視点に立って感染症災害に関する分析を試み、その災害対策を三つの段階に分け、現状で必要とされる対策を整理した。また、同時に、状況の変化(ワクチン開発と接種)による感染症災害対策の質的変化についても述べた。
この報告はこれまでの災害社会学、COVID-19、そのパンデミック災害等に関する研究に基づき、感染症災害対策の提案を試みたものである。つまり、この報告は感染症災害を分析するためのフレームを提案したもんである。しかし、これらの提案は現実のデータによって実証されたものではない。これらの提案は、理論的に可能になったものである。その意味で、この提案を検証しなければならない。そのために、今後、わが国での第一期のデータを基にした分析を引き続き行う予定である。
人類の活動が地球環境へ影響与えている時代、それによって多様な災害が多発し、同時に人類はそれらの災害対策を求めらる。その対策は被害への対処のみでなく、長期的視点に立った対策、つまり我々の経済、社会、生活文化の改革を前提にしたものでなければならないだろう。その意味で、今回の報告は、これらの課題に触れた。とは言え、合理的な災害対策は科学的検証を前提にして成立している。そのため、今回の報告は、災害社会学の視点に立てば、序章に過ぎない。
参考資料
三石博行 ブログ文書集「東日本大震災からの復旧・復興のために 震災に強い社会建設を目指して」
三石博行 ブログ文書集「原発事故が日本社会に問いかけている課題」
三石博行 ブログ文書集「パンデミック対策にむけて」
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哲学に於いて生活とはそのすべての思索の根拠である。言い換えると哲学は、生きる行為、生活の場が前提になって成立する一つの思惟の形態であり、哲学は生きるための方法であり、道具であり、戦略であり、理念であると言える。また、哲学の入り口は生活点検作業である。何故なら、日常生活では無神経さや自己欺瞞は自然発生的に生まれるため、日常性と呼ばれる思惟の惰性形態に対して、反省と呼ばれる遡行作業を哲学は提供する。方法的懐疑や現象学的還元も、日常性へ埋没した惰性的自我を点検する方法である。生活の場から哲学を考え、哲学から生活の改善を求める運動を、ここでは生活運動と思想運動の相互関係と呼ぶ。そして、他者と共感しない哲学は意味を持たない。そこで、私の哲学を点検するためにこのブログを書くことにした。 2011年1月5日 三石博行 (MITSUISHI Hiroyuki)
2021年5月16日日曜日
2021年5月8日土曜日
COVID-19パンデミックへの三つの「隔離」対処とその経済的効果とは
-パンデミック災害の経済合理的対策とは何か-
三石博行
a、「地理的隔離」と「検査隔離」
今更ながら議論する必要もないが、今回の日本の感染症対策は「国民一人一人の移動の自粛」及び「人の集まる場所の閉鎖」であった。この対策は間違いではない。これは防疫の基本である。しかし、この自粛要請や休業要請を中心にした感染症対策が経済合理性の視点から考えて正しいかどうかを厳密に検証する必要があると思われる。
感染は人の移動で広がる。そのため防疫の基本は「感染者の隔離」である。これが伝統的な感染症学の基本である。隔離とは感染者との距離を取ることを意味するので、三密を避けることがそこから当然帰結される。また、感染者が判明できない場合にはすべての人々が接触しないようにする「地理的隔離」が用いられる。ロックダウンとは「地理的無条件隔離」である。また、移動自粛とは「地理的条件隔離」である。つまり、この「地理的隔離」はロックダウンから移動自粛までの施策がある。それらは「条件」によってその隔離の強度が決定されている。
しかし、この施策は生活経済活動を抑制することになる。そのため、この施策は非常に大きな経済的負担を課すことになる。そこで、感染者のみを隔離する方法が用いられる。それが「検査による隔離」である。この場合、病原体の確定、その検査技術開発、その精度が問題となる。「検査による隔離」がもたらす感染症対策の効力は、「検査の精度」「検査回数」、「検査結果による陽性者隔離率」等の要素を含むことになる。実際、その効果を評価するために「検査隔離」による再生産数の変動が求められる。
「検査隔離」によって移動を制限された人々は生活経済活動を行うことは出来ない。その分の社会経済的には経済活動が低下すると評価される。同じように無検査で「地理的隔離」による社会経済的ダメージの評価が課題となる。無条件に移動を制限された人々によって生じる社会経済活動に減少が課題となる。ここでは精密な計算のモデルを議論出来ないので、極めて単純に上記の二つ、「検査隔離」による経済負担と「地理的隔離」による経済的負担を、それぞれ隔離された人数と考えることにする。
例えば、人々の生活経済活動を人々の生活行動と考え、その行動が制限されることは、同時に生活経済活動が制限されていると解釈・評価する。まず、話を単純にするために、行動制限を受けている人の数が経済活動の制限の大きさと比例することになると考えた。この解釈から「検査隔離」と「地理的隔離」による経済的負担を比較してみよう。例えば、感染者がある社会の人口の5%であったとする。つまり、人口100万の都市では5万人の感染者がいることになる。この感染者をすべて隔離できれば残りの95万人の人々は生活経済活動を続けられるだろう。しかし、誰が感染者であるか不明の場合には、極端な場合100万人の人々を隔離しなければならない。当然、5万人分の経済ダメージに比べて100万人分の経済ダメージは20倍の差がある。
勿論、話はこれほど単純ではない。もし、検査・隔離対策に莫大な資金が必要であるなら、高額な検査や隔離よりも人の移動を制限が安上がりであると言われるだろう。ここでは、「検査隔離による経済負担」は「検査隔離件数」、「検査・隔離に必要な費用」によって決まる。実際、昨年2月にPCR検査が困難な理由として「PCR検査は非常に難しく高度な技術が必要である」とか「2%足らずの患者を見つけるために全員検査するのは検査費用の無駄遣い」とか「検査をして陽性者が多くでると病院が困る」とか色々な意見が出されていた。それらの意見に対して丁寧に「検査隔離」と「地理的隔離」による経済的負担の比較による評価の意味を説明する必要はある。
とは言え、大まかに経済的影響を理解するために、ここでは極めて単純に「地理的隔離による社会経済負担」と「検査・隔離による社会経済負担」を隔離される人数で評価した。上記したように単純な計算のようにはならないものの、経済負担の少ないものを感染症拡大防止の施策として選択する以外にない。
極めて単純に、「検査隔離」もしくは「地理的隔離」がもたらすCOVID-19対策による経済効果を議論することは出来ないのだろうか。何故なら、現在の日本政府のCOVID-19対策は「地理的隔離」主義であり、その対策と経済活動が相対立するものであるという考えから、政府の対策はこの二律背反した二つの対策をバランスよく行うことが、現在出来る最善のCOVID-19パンデミック災害への対策であると思っている。それによる国民の生活経済負担を計量的に理解しなければならないだろう。
b、「検査隔離」と「集団免疫的隔離」
また、この感染症を唯一の対策はワクチンと治療薬である。ワクチンとは集団免疫を人工的に作りだす疫学的機能を持つ。集団免疫と「ある感染症に対して集団の大部分が免疫を持っている際に生じる間接的な保護効果であり、免疫を持たない人を保護する手段である。」(Wikipedia)病原菌に対して免疫を持つ人々が多くなることによって、病原菌を持つ感染者が免疫を持たない非感染者と接触する確率が低くなる。言い換えると、免疫を獲得した人々が感染者と非感染者の「距離」を生み出しているのである。ある社会の人口に対するワクチン接種者数の割合が70%に達したとき集団免疫が成立するという説もあるが、何れにしても、ワクチンは感染を拡大させないための唯一確かな手段である。ワクチンによる集団免疫が生み出す「距離」がその効力の理由になる。この「距離」は「地理的隔離」や「検査隔離」の概念と同じである。感染症拡大防止対策としてワクチンは感染者と非感染者の「隔離」率を上げる作用をしている。ここで、ワクチンの感染拡大防止の効果を「集団免疫的隔離」によるものであると考える。
感染拡大を防ぐことがパンデミック災害対策の基本である。その対策は三つある。一つは移動制限や閉鎖による「地理的隔離」、二つ目は検査による「検査隔離」と三つ目のワクチンによる「集団免疫的隔離」である。これらの三つ対策は感染病に対する私たちの防御状態によって選択される。例えば、パンデミックの原因(疫学的、病理的)が不明である場合、検査やワクチンは勿論ない時、唯一可能な防御手段は感染者を隔離することである。つまり「地理的隔離」が最善の方法となる。次に、病原体の正体が解明された時、そのゲノム解析が行われ、検査方法が確立し、またワクチン製造の研究が可能になる。ワクチン製造は非常に長い時間を必要とするために、先ず、検査による防御対策、つまり「検査隔離」が用いられる。検査の精度を上げ、検査評価の基準を決め、検査時間を短縮し、検査方法の改良がなされながら、効率良く感染者と非感染者を分離する感染拡大防止が行われる。しかし「検査隔離」では非感染者の感染を防ぐことが出来ない。この方法も感染者と非感染者の空間的距離を作り出し、感染拡大を防ぐという、いわば「消極的防御策」である。それに対して、ワクチンは「集団免疫的隔離」だけでなく、非感染者が抗体免疫を獲得し感染しない体になることで感染拡大を防ぐ、いわば「積極的防衛策」の働きがある。とは言え、ワクチンは開発、治験やその認可のために非常に多くの経費と時間を必要とされる。それにもかかわらずワクチンによる感染症拡大防止策は完璧に効果を発揮することになる。
ワクチンによって生み出される経済効果の評価とは、ワクチン開発費やワクチン接種費等々の費用負担に対してワクチンによる経済活動再開による国民総生産の増加額の差であると言える。もし、パンデミック災害による経済的ダメージよりも巨額のワクチン開発費が必要であると判断するならワクチン開発は行われず、感染拡大による集団免疫獲得でのパンデミック災害の終焉を待つことになる。この場合、感染症流行による経済的被害、犠牲者(重症者や死者)数やその全人口の中で占める割合が問題となるだろう。感染症の歴史を観る限り、ワクチンは感染症対策の最も有効な手段として評価されてきた。
c、問われる三つの「隔離」対処に対する日本のCOVID-19対策の検証
災害社会学の立場からCOVID-19パンデミック災害対策で手段は、ワクチンや治療薬の無い段階とそれらが準備されてた段階を分けた。ワクチンや治療薬の無い段階は、感染症に対する最善の対策はない。そのため、感染者を隔離する二つの方法、「地理的隔離」と「検査隔離」が取られる。しかし、ワクチン接種が可能になるとワクチンによる「集団免疫的隔離」が最も有効で敏速な感染症対策として加わる。「地理的隔離」、「検査隔離」と「集団免疫的隔離」の三つの対処はそれぞれの感染状況に合わせてパンデミック災害対策として取られる。言い換えると、それぞれの感染状況に対して最も現実的で有効な感染拡大防止を行うことがパンデミック災害対策の基本である。
災害社会学では、感染状況と感染対策の関係を明らかにしながら、現実的・経済合理的感染症対策に関する分析と評価を行うことがその研究課題になる。また、その視点から、ワクチン接種前の、2020年2月から2021年3月まで第1期での「地理的隔離」、「検査隔離」に関する日本政府のCOVID-19感染防止対策を点検する必要がある。ワクチンによる「集団免疫的隔離」がCOVID-19パンデミック災害対策の最終手段であることは感染症学では基本的知識である。2020年2月時点で、日本政府の国内産ワクチンに対する政策対策を検証する必要がある。また、国内ワクチンの開発が不可能であると判断したとき、日本政府は国外企業とのワクチン入荷やその国内生産に対する対策の有無、またその内容に関しても検証する必要がある。
感染症対策の基本、三つの「隔離」対処に対する日本のCOVID-19対策は現在でも混乱の最中にある。その原因を明らかにしなければならない。それは、国際化が社会経済文化の基盤となる21世紀の社会で常態化するパンデミック災害への対処が不可能になるからである。
2021年5月6日 Facebook 記載
三石博行 ブログ文書集「パンデミック対策にむけて」
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三石博行
a、「地理的隔離」と「検査隔離」
今更ながら議論する必要もないが、今回の日本の感染症対策は「国民一人一人の移動の自粛」及び「人の集まる場所の閉鎖」であった。この対策は間違いではない。これは防疫の基本である。しかし、この自粛要請や休業要請を中心にした感染症対策が経済合理性の視点から考えて正しいかどうかを厳密に検証する必要があると思われる。
感染は人の移動で広がる。そのため防疫の基本は「感染者の隔離」である。これが伝統的な感染症学の基本である。隔離とは感染者との距離を取ることを意味するので、三密を避けることがそこから当然帰結される。また、感染者が判明できない場合にはすべての人々が接触しないようにする「地理的隔離」が用いられる。ロックダウンとは「地理的無条件隔離」である。また、移動自粛とは「地理的条件隔離」である。つまり、この「地理的隔離」はロックダウンから移動自粛までの施策がある。それらは「条件」によってその隔離の強度が決定されている。
しかし、この施策は生活経済活動を抑制することになる。そのため、この施策は非常に大きな経済的負担を課すことになる。そこで、感染者のみを隔離する方法が用いられる。それが「検査による隔離」である。この場合、病原体の確定、その検査技術開発、その精度が問題となる。「検査による隔離」がもたらす感染症対策の効力は、「検査の精度」「検査回数」、「検査結果による陽性者隔離率」等の要素を含むことになる。実際、その効果を評価するために「検査隔離」による再生産数の変動が求められる。
「検査隔離」によって移動を制限された人々は生活経済活動を行うことは出来ない。その分の社会経済的には経済活動が低下すると評価される。同じように無検査で「地理的隔離」による社会経済的ダメージの評価が課題となる。無条件に移動を制限された人々によって生じる社会経済活動に減少が課題となる。ここでは精密な計算のモデルを議論出来ないので、極めて単純に上記の二つ、「検査隔離」による経済負担と「地理的隔離」による経済的負担を、それぞれ隔離された人数と考えることにする。
例えば、人々の生活経済活動を人々の生活行動と考え、その行動が制限されることは、同時に生活経済活動が制限されていると解釈・評価する。まず、話を単純にするために、行動制限を受けている人の数が経済活動の制限の大きさと比例することになると考えた。この解釈から「検査隔離」と「地理的隔離」による経済的負担を比較してみよう。例えば、感染者がある社会の人口の5%であったとする。つまり、人口100万の都市では5万人の感染者がいることになる。この感染者をすべて隔離できれば残りの95万人の人々は生活経済活動を続けられるだろう。しかし、誰が感染者であるか不明の場合には、極端な場合100万人の人々を隔離しなければならない。当然、5万人分の経済ダメージに比べて100万人分の経済ダメージは20倍の差がある。
勿論、話はこれほど単純ではない。もし、検査・隔離対策に莫大な資金が必要であるなら、高額な検査や隔離よりも人の移動を制限が安上がりであると言われるだろう。ここでは、「検査隔離による経済負担」は「検査隔離件数」、「検査・隔離に必要な費用」によって決まる。実際、昨年2月にPCR検査が困難な理由として「PCR検査は非常に難しく高度な技術が必要である」とか「2%足らずの患者を見つけるために全員検査するのは検査費用の無駄遣い」とか「検査をして陽性者が多くでると病院が困る」とか色々な意見が出されていた。それらの意見に対して丁寧に「検査隔離」と「地理的隔離」による経済的負担の比較による評価の意味を説明する必要はある。
とは言え、大まかに経済的影響を理解するために、ここでは極めて単純に「地理的隔離による社会経済負担」と「検査・隔離による社会経済負担」を隔離される人数で評価した。上記したように単純な計算のようにはならないものの、経済負担の少ないものを感染症拡大防止の施策として選択する以外にない。
極めて単純に、「検査隔離」もしくは「地理的隔離」がもたらすCOVID-19対策による経済効果を議論することは出来ないのだろうか。何故なら、現在の日本政府のCOVID-19対策は「地理的隔離」主義であり、その対策と経済活動が相対立するものであるという考えから、政府の対策はこの二律背反した二つの対策をバランスよく行うことが、現在出来る最善のCOVID-19パンデミック災害への対策であると思っている。それによる国民の生活経済負担を計量的に理解しなければならないだろう。
b、「検査隔離」と「集団免疫的隔離」
また、この感染症を唯一の対策はワクチンと治療薬である。ワクチンとは集団免疫を人工的に作りだす疫学的機能を持つ。集団免疫と「ある感染症に対して集団の大部分が免疫を持っている際に生じる間接的な保護効果であり、免疫を持たない人を保護する手段である。」(Wikipedia)病原菌に対して免疫を持つ人々が多くなることによって、病原菌を持つ感染者が免疫を持たない非感染者と接触する確率が低くなる。言い換えると、免疫を獲得した人々が感染者と非感染者の「距離」を生み出しているのである。ある社会の人口に対するワクチン接種者数の割合が70%に達したとき集団免疫が成立するという説もあるが、何れにしても、ワクチンは感染を拡大させないための唯一確かな手段である。ワクチンによる集団免疫が生み出す「距離」がその効力の理由になる。この「距離」は「地理的隔離」や「検査隔離」の概念と同じである。感染症拡大防止対策としてワクチンは感染者と非感染者の「隔離」率を上げる作用をしている。ここで、ワクチンの感染拡大防止の効果を「集団免疫的隔離」によるものであると考える。
感染拡大を防ぐことがパンデミック災害対策の基本である。その対策は三つある。一つは移動制限や閉鎖による「地理的隔離」、二つ目は検査による「検査隔離」と三つ目のワクチンによる「集団免疫的隔離」である。これらの三つ対策は感染病に対する私たちの防御状態によって選択される。例えば、パンデミックの原因(疫学的、病理的)が不明である場合、検査やワクチンは勿論ない時、唯一可能な防御手段は感染者を隔離することである。つまり「地理的隔離」が最善の方法となる。次に、病原体の正体が解明された時、そのゲノム解析が行われ、検査方法が確立し、またワクチン製造の研究が可能になる。ワクチン製造は非常に長い時間を必要とするために、先ず、検査による防御対策、つまり「検査隔離」が用いられる。検査の精度を上げ、検査評価の基準を決め、検査時間を短縮し、検査方法の改良がなされながら、効率良く感染者と非感染者を分離する感染拡大防止が行われる。しかし「検査隔離」では非感染者の感染を防ぐことが出来ない。この方法も感染者と非感染者の空間的距離を作り出し、感染拡大を防ぐという、いわば「消極的防御策」である。それに対して、ワクチンは「集団免疫的隔離」だけでなく、非感染者が抗体免疫を獲得し感染しない体になることで感染拡大を防ぐ、いわば「積極的防衛策」の働きがある。とは言え、ワクチンは開発、治験やその認可のために非常に多くの経費と時間を必要とされる。それにもかかわらずワクチンによる感染症拡大防止策は完璧に効果を発揮することになる。
ワクチンによって生み出される経済効果の評価とは、ワクチン開発費やワクチン接種費等々の費用負担に対してワクチンによる経済活動再開による国民総生産の増加額の差であると言える。もし、パンデミック災害による経済的ダメージよりも巨額のワクチン開発費が必要であると判断するならワクチン開発は行われず、感染拡大による集団免疫獲得でのパンデミック災害の終焉を待つことになる。この場合、感染症流行による経済的被害、犠牲者(重症者や死者)数やその全人口の中で占める割合が問題となるだろう。感染症の歴史を観る限り、ワクチンは感染症対策の最も有効な手段として評価されてきた。
c、問われる三つの「隔離」対処に対する日本のCOVID-19対策の検証
災害社会学の立場からCOVID-19パンデミック災害対策で手段は、ワクチンや治療薬の無い段階とそれらが準備されてた段階を分けた。ワクチンや治療薬の無い段階は、感染症に対する最善の対策はない。そのため、感染者を隔離する二つの方法、「地理的隔離」と「検査隔離」が取られる。しかし、ワクチン接種が可能になるとワクチンによる「集団免疫的隔離」が最も有効で敏速な感染症対策として加わる。「地理的隔離」、「検査隔離」と「集団免疫的隔離」の三つの対処はそれぞれの感染状況に合わせてパンデミック災害対策として取られる。言い換えると、それぞれの感染状況に対して最も現実的で有効な感染拡大防止を行うことがパンデミック災害対策の基本である。
災害社会学では、感染状況と感染対策の関係を明らかにしながら、現実的・経済合理的感染症対策に関する分析と評価を行うことがその研究課題になる。また、その視点から、ワクチン接種前の、2020年2月から2021年3月まで第1期での「地理的隔離」、「検査隔離」に関する日本政府のCOVID-19感染防止対策を点検する必要がある。ワクチンによる「集団免疫的隔離」がCOVID-19パンデミック災害対策の最終手段であることは感染症学では基本的知識である。2020年2月時点で、日本政府の国内産ワクチンに対する政策対策を検証する必要がある。また、国内ワクチンの開発が不可能であると判断したとき、日本政府は国外企業とのワクチン入荷やその国内生産に対する対策の有無、またその内容に関しても検証する必要がある。
感染症対策の基本、三つの「隔離」対処に対する日本のCOVID-19対策は現在でも混乱の最中にある。その原因を明らかにしなければならない。それは、国際化が社会経済文化の基盤となる21世紀の社会で常態化するパンデミック災害への対処が不可能になるからである。
2021年5月6日 Facebook 記載
三石博行 ブログ文書集「パンデミック対策にむけて」
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