三石博行
3月22日、東京の学士会館で「吉田民人先生を語る会」が開催された。多くの方々が、吉田先生を尊敬し愛し、また先生から大きな影響を受けていたのだと感じた。
1、研究者吉田民人が問いかけていたもの
参加された人々からの話から、吉田民人先生が研究者と接せられ時の姿が理解できた。
先生は、研究課題を持った人が誰であれ、どのような経歴であれ、それらの人の取り上げている課題、理論、論理的展開、実証的作業過程、検証過程を問題にされ、評価されていた。先生に投げかけた問いに対して、つねに、熱意をもって答えられていた。
私の場合も、先生の個人講義の中で、多くの質問をした。
例えば
1、プログラムの概念とは何か
2、存在論の歴史的な展開の中で「進化論的存在論」をどのように位置付けるのか
3、法則概念と秩序概念の用語上の説明
4、理論人間社会科学や科学哲学が、具体的な科学技術理論の援用し理論展開する場合に生じる人間社会科学や科学哲学側の援用する理論に対する援用上の権利問題
5、情報概念と資源概念
等々、多くの質問を投げかけた。その度毎に、先生は何時間もその説明をして下さった。
現代の免疫遺伝学の先端の理論を持ち出して、先生が援用し「シグナルプログラム概念」を構築した時代の分子生物学や遺伝子学の理論との比較をしながら、過去の援用が十分であったと言えるかという問題に対しては、先生は非常に真剣だった。
そして、その答えは、今の自分でなく、これからの研究者に任すしかないと言われた。
私は、その先生の謙虚な姿に、いつまでの現役の研究者の姿と自分の理論を後世の研究活動の中に委ね、より有効な理論の構築を目指している情熱をみる事が出来た。
先生が問題にされていたことは、先生が提案した理論の所有問題ではなく、その理論の有効性、つまり、問われている現実の社会であり、その問題解決のための理論であった。
2、吉田民人先生は「吉田民人研究」を喜ばれないだろう
「吉田民人先生を語る」の中で吉川弘之先生が、プログラム科学論や設計科学論の目指していたものは「21世紀社会の中での持続可能な科学」のあり方ではないかということを述べられた。
この言葉に私は共感した。何故なら、吉田先生のプログラム科学論は、明らかに21世紀社会の、つまり科学技術(現代の知の形態)が社会イデオロギーの中核となり生活世界を支配する社会の、社会観念形態の中心を担うも時代の、人間社会科学のあり方や哲学のあり方を示しているからである。
プログラム科学論は、21世紀の科学哲学であり、それによって、科学技術文明社会での科学技術と融合して成立する発展する新しい人間社会科学の基礎理論を提案するものである。
科学技術文明社会の中での人間社会科学のあり方は、科学方法論として自由領域科学と問題解決学を、科学方法論とし、自己組織性のプログラム科学論と設計科学を科学思想とする科学技術運動を推進するものでなければならないだろう。
科学技術文明社会での人間的幸福や平和、共存、安全を求めた生活運動を支える学問論としてプログラム科学論と設計科学論が必要となっているのだろう。だから、吉田民人先生の理論、「自己組織性のプログラム科学論と設計科学」は、具体的な生活世界、生産世界、政策課題、改良課題の中で展開し、検証される理論であるように思われる。
吉田民人先生の膨大で難関な論文を読むことは、単にその入り口にすぎない。吉田先生は先生の論文を読んでその解釈と評価をめぐる論文が量産されることを願ってはいないだろう。むしろ、先生が提案した理論の先にあるものを提案する研究を願っているのではなかろうか。
仮に、その研究の展開過程で、吉田理論が批判的に乗り越えられるとしても、むしろそのことを願っておられるのではないだろうか。
私は、先生と共に研究し、そして具体的な生活世界の課題に取り組んでいる多くの直接に指導を受けた研究者(先生からすると同志)を観て、そう感じた。そして、私もその一人でありたいと願った。
「吉田民人先生を語る会」を企画し、組織された吉田民人先生の教え子の方々に感謝。
参考
三石博行ホームページに「吉田民人論文リスト」のページを作ってあります。
http://hiroyukimitsuishi.web.fc2.com/pdf/kenkyu_01_03/cYoshida_ronbunlist.pdf
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