2011年3月22日火曜日

災害ボランィア活動を生み出す文化的土壌としてのコミュニテイ・市民運動

現代社会での危機管理(3)


三石博行


ピースボートの役割・災害情報ボランティア活動とその伝達

1995年1月17日、阪神淡路大震災は起こった。都市直下型地震によって神戸を中心とする関西中心西部一帯の社会インフラは壊滅的打撃を受けた。震災は至る所で火災(二次災害)を引き起こし、神戸の街は火の海に化した。

しかし、近隣の街から救援活動も倒壊した建物に道を塞がれ、進まなかった。当時の政府の対応は非常に遅く、自衛隊の出動命令も出ず、アメリカの空母からの支援も断るというお粗末な対応の中、炎上する神戸の街とその中で救済を待つ人々の多くが犠牲になった。

近隣の街からそして全国から救援の消防隊や警察、市民ボランティアが続々と神戸に向かった。支援のボランティアが集まった。例えば、ピースボートはトラックに震災情報ボランティア活動に必要なありとあらゆる資材(テント、印刷機、発電機、インク、紙、食料、水、寝袋等々)を積んで神戸に駆けつけた。

幸い都市に囲まれた神戸の被災地には多くの救援物資が届いた。しかし、安否情報や必要な生活情報は不足していた。行政の機能は麻痺していた。避難所に届けられる救援物資をそれが不足している他の避難所に届けるための情報交換の体制も出来ていなかった。罹災地での生活情報の発信は大きな課題となっていた。

地震から1週間を経た1月25日に、ピースボートは「デイリーニーズ」を最も被害を受けた長田町で発行した。ピースボートの「デイリーニーズ」は1月25日から3月9日までの44日間に43回、つまり、毎日発行された。(1)

震災直後から約3ヶ月間は水道、ガス、電気、交通手段の社会インフラが復旧されていなかった。震災罹災者は生存のための生活情報、例えば安否や天気(寒さや雨天)などの災害緊急情報、衣類、食料、水、風呂、病院、トイレ、洗濯、葬式、義援金、還付金、交通手段等々の生活基本情報、住宅、教育、職業紹介、保険等々の生活条件情報を必要としていた。「ディリーニーズ」はそれらの情報を毎日記載し続け罹災者に配布し続けた。(2)

ピースボートは災害情報ボランティア活動を地元の人々に伝えていった。ピースボートは持ち込んだ印刷機等をすべて地元で生まれたボランティア活動組織に譲り、3月9日発行の「ディリーニーズ」を彼らの最後の活動にして、神戸から去っていった。

ピースボートに学んだ地元の若者達によって「これからの長田を考える会」が発足し、1995年3月12日から災害生活情報「ウィークリニーズ」を発行し始めた。彼らはピースボートの震災情報ボランティア活動に学び自分たちの街のために活動を開始した。震災罹災者の生活再建と震災からの復興を支援するための情報発行が彼らの情報ボランティア活動となった。また、情報紙の発行回数も1週間に1回ほどになった。つまり、記載される情報も、緊急性の高い生活情報から持続的な生活再建課題の情報に変化していった。(3)


人権運動から生まれたWANTED 市民の等身大のボランティア活動

震災直後、最も早く震災支援の情報紙を出したのは大阪府箕面市に拠点を置いた「WANTED」であった。このWANTEDは、当時、箕面市の萱野中央人権文化センター(箕面市が1969年に同和対策10カ年計画で建てた萱野文化会館を1994年に再建した)の「共用スペース、ひゅーまん」でボランティアや読書会を行っていた二人の女性によって、1995年1月23日に発行された。

当時、箕面市の萱野中央人権文化センター(箕面ライトピア21)(4)の「共用スペース、ひゅーまん」(箕面市人権協議会事務局の管理で運営されていた)を70団体のボランティアや市民グループが利用していた。それらのグループにそれぞれ別々に参加していた二人の女性(山本みち子氏と大橋英子氏)が中心となって、震災から2日目の1月19日に、当時釜ヶ崎におにぎりを送るボランティアの会「おにぎりの会」と共に長田区の被災地に250個のおにぎりを届けた。翌日、1月20日には箕面市の緊急車両を使って3500個のおにぎりを届けた。(5)

彼女らは箕面市の市民に震災罹災者を救援するための伝言板として「WANTED1号」を発行した。無料で市から提供されていた「共用スペース、ひゅーまん」の印刷機や複写機を活用して、「WANTED1号」を300部印刷し市民に配布(20ボランティア団体の協力で)した。「WANTED」は、瞬く間に箕面市の市民に配布され、市民からおにぎりが届いた。

また、長田区の避難所におにぎりを運んだボランティアの人から、避難所では「洗濯」に困っているという話が持ち込まれ、洗濯ボランティアを「WANTED」は募集した。多くの市民(特に主婦)が洗濯ボランティアに参加した。彼女らは罹災地にリックを背負って行けない。しかし、家で、朝、一合ほど余分にご飯を炊き、子供や夫を見送った後に、洗濯をもう一回増やし、そして洗濯物を乾かし、それをビニールに入れて、市の緊急車両が出る萱野中央人権文化センターに届けたのである。(6)

「WANTED」は、市民が生活の場から参加できる等身大の災害救援ボランティア活動を展開した。ボランティア活動への参加のハードルを日常生活レベルに下げて、多くの主婦の参加を得たことは評価できる。そして、今もう一度、「WANTED」の活動の意味を考える必要がる。


人権思想と市民参加・大災害時の危機管理体制

阪神淡路大震災で活躍したピースボートやWANTEDを担った人々も、元々災害救助ボランティア活動を目的にした組織を運営していた訳ではなかった。

ピースボートは国際平和活動を行ってきたNGOである(7)。1983年に辻元清美氏(前外務副大臣、現総理大臣補佐官)ら早稲田大学の学生数名がピースボートを設立し、吉岡達也氏を中心に現在まで運営されている。この団体は、平和・民主主義・人権と地球環境保全の立場から、船旅を通じて世界の市民と交流する運動に取り組んできた。

また、「WANTED」は、震災救援のために大阪府箕面市の二人の女性が中心となって震災直後生まれた市民グループである。彼女らに活動の場を与えたのは、箕面市人権協会である。その人権協会の母体は、部落差別反対運動を長年取り組んできた部落開放同盟運動の中で育った箕面の人権市民運動である。つまり、人権、平和や民主主義のための市民の運動の長い歴史があり、その上に(その運動の成果として)箕面市の人権運動の文化とその象徴である箕面市人権協議会である。

その人権運動を推進してきた箕面市とそれを支えた箕面市民である。それらの箕面市での人権運動(部落差別反対運動)の成果として箕面市萱野中央人権文化センター(現在の箕面ライトピア21)の「共用スペース、ひゅーまん」が「WANTED」の基盤となっている。

人権運動や平和運動を行う人々(市民)が、積極的に震災罹災者救援活動に参加することは凡そ想像できる。その意味で、ピースボートやWANTEDの人々が阪神大震災の罹災者救援活動に素早く取り組んだことは理解できる。

しかも、震災や原発事故等の広域災害に対する罹災者救援活動は、行政や電力会社が担える範囲、能力や力量を遥かに越えて、要請される課題が発生する。阪神淡路大震災以後、発生した大災害に対して市民ボランティア活動は常に罹災者救援活動に大きな役割を果たしてきた。つまり、阪神淡路大震災を経て、災害救援ボランティア活動がわが国でも定着したと謂える。

今回の東日本大震災と東電福島第一原発事故でも、多くの人々がボランティア活動を志願している。大阪市は阪神大震災の教訓を活かし、市として市民ボランティア活動を支援してきた。大阪ボランティア協会(8)は、東日本大震災へのボランティア希望者への説明会を開き、阪神大震災と異なる今回の大震災でのボランティア活動に関する注意点を説明した。

また、NPO日本ユニバーサルデザイン研究機構(9)は専門的な知識を持つ人々のボランティア活動を組織するために「日本ユニバ震災対策チーム」を3月13日に発足した(10)。

大災害に対する危機管理は、市民(国民)の力を集めて可能になる。何故なら、巨大災害の場合には危機管理対策はコスト計算を前提にした安全管理対策の延長で考えられない。そして、その場合の危機管理体制に市場経済学や公共経済学の理論で導かれる対策は通用しないのである。大災害時の広域社会の危機管理体制に必要な経済学は需要と供給のコスト計算を超えた社会経済理論を必要としているのである。


問われる新しい共同体思想・災害危機管理対策の基本

大災害への危機管理に必要なものは、共同体であり、人々のつながりである。そしてその運動を支える人権思想である。

言い換えると、自然災害をもたらす自然条件を前提にしてこれまで日本の風土が形成されてきた。それが日本型共同体であった。伝統的な日本の集落文化、村落共同体、そして家の造りから集落、田畑、山里の造り方に至るまで、伝統的に災害に耐えられる形態が選択され続けてきた。

こうした伝統文化は、日本の近代化と共に消滅しつつある。そして、同時に、震災大国日本では新しい共同体文化が必要となっている。古い封建的な社会思想から自由主義経済と個人主義を前提にしながら、震災に強い共同体社会を造る必要が生まれている。

その社会思想は、ピースボートや「WANTED」が示したように人権と生活重視の考え方や生き方ではないだろうか。


参考資料

(1)ピースボート「デイリーニーズ」N01-No43 1995.1.25 ‐1995.3.9  神戸大学人文系図書館「震災文庫」所蔵

(2)三石博行 「阪神大震災時の住民情報の分析(2) —第一期住民情報の統計分析とその特徴について—」 in 『日本災害情報学会 第2回研究発表大会 予稿論文集』、大宮ソニックス市民ホール、大宮、pp60-79
http://hiroyukimitsuishi.web.fc2.com/pdf/kenkyu_02_03/cMITShir00h.pdf

(3)三石博行 「阪神大震災時の住民情報の分析」in 『日本災害情報学会1999年度研究発表大会』予稿論文集、東北大学、仙台、pp121-130
http://hiroyukimitsuishi.web.fc2.com/pdf/kenkyu_02_03/cMITShir99c.pdf

(4)箕面ライトピア21 (箕面市中央人権文化センター)
http://www2.city.minoh.osaka.jp/RIGHTPIA/

(5)三石博行 「阪神大震災で問われた情報文化の原点」 in 『第7回情報文化学会全国大会講演予稿集』、東京大学、東京、pp29-36、ISSN 1341-593X
http://hiroyukimitsuishi.web.fc2.com/kenkyu_02_03.html

(6)山本みち子、大橋英子発行「WANTED」No1‐No17、1995年1月23日‐1995年7月8日、神戸大学人文系図書館「震災文庫」所蔵

(7)ピースボート (国際交流NGO)
http://www.peaceboat.org/index_j.html

(8)社会福祉法人大阪ボランティア協会
http://www.osakavol.org/

(9)NPO日本ユニバーサルデザイン研究機構
http://www.npo-uniken.org/

(10)日本経済新聞 2011年3月22日 朝刊 14面 「専門ボランティア、活動」


修正(誤字、文書表現)2011年3月22日



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ブログ文書集 タイトル「東日本大震災に立ち向かおう」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_23.html

目次 現代社会での危機管理 

1、「危機管理と安全管理の独自性と連関性 -現代社会での危機管理(1)-」 
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_19.html

2、「企業、行政主導の危機管理体制の必要性、その限界への課題(市民ボランティアの役割) -現代社会での危機管理(2)‐」 
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_21.html

3、「災害ボランィア活動を生み出す文化的土壌としてのコミュニテイ・市民運動 ‐現代社会での危機管理(3)-」 
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_22.html 

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