2014年12月28日日曜日

日系アメリカ人の戦争被害と平和への願い

三石博行

今日、12月25日、LAの日系アメリカ人の家族と共にクリスマスパーティを楽しんだ。2世のEさんを囲んで50代の3世、そして20代から10代までの4世とEさんの家族がほぼ全員集まってきた。

2世以下になると、日系アメリカ人は殆ど日本語を話さない。その点では中国系アメリカ人たちと違う。そのことについて、以前「海外に暮らす日本人はすぐにその土地に順応する」からだと言われていた。

しかし、日本人は異国の文化にそれ程上手く順応し、自分たちの祖国、もしくは先祖の国の文化を簡単に捨てることが出来るとは思えない。LAの日系アメリカ人たちは日系社会をつくり、日本の文化を大切にしている。

殆どの2世の人々が日本語を喋れないという理由は日米戦争にある。つまり、あの過酷な日米戦争の被害者にされた彼らの記憶があることを忘れてはならない。日系アメリカ人たちが第二次世界大戦の時に、日本人であるという理由で逮捕され、資産を没収され、強制収容者に入れられていたという歴史である。そこで彼らはアメリカへの忠誠を示すために戦争に志願し、ヨーロッパ戦線で最も過酷な戦場で戦ったのである。部隊の殆どの兵士が殉死し、その死をもってアメリカへの日系アメリカ人の忠誠を示したのである。

隣の座った90歳になるEさんが私に「ねえ、ヒロさん、日本では最近、教科書で日本が戦争のときに中国や韓国でしたことを教えていないのだってね」と質問をしてきた。勿論、それは間違いで日本の教科書では一応そのことは書いてはあるのだが、それを実際に授業で教えているかどうかは疑問であった。そこで、「イエスとノーですね」と答えるしかなかった。

私も、1990年代まで、つまりアメリカの日系人の人々と出会うまで、戦争の時に日系アメリカ人がどういう生き方をしなければならなかったのかを知らなかった。そして、収容所やヨーロッパ戦線の日系部隊の話も知らなかった。

つまり、そして強制収容所に送られた日系アメリカ人、その中から生まれた日系部隊の意味することは、彼らは日米戦争の犠牲者であったという事だ。日系アメリカ人たちは日本人としてのアイデンティティを捨て去り、アメリカ市民となることを迫ら、兵隊に志願し、また日本語を話さなくなったのだという事である。

彼らが日本語を話さなくなったのは、「海外に暮らす日本人がすぐにその土地に順応する」ためではなかったのである。過酷な戦禍の中を生き延びるために、そうなったのである。

そして、それだけに彼らの中には日本への思いが強いのである。アメリカに留学した人々は知っていると思うが、彼らは常に日本人留学生、旅行者、企業人たちを助けて来た。無償の日本人へのサポートをして来た。私たち家族も助けられ、そして、今日まで家族のような関係が続いている。

最近になって、日系アメリカ人の戦争被害の話が日本でも報道されるようになった。私は、かれらから当時の新聞の記事や強制収容所の資料を貰ったことがあった。それらの資料を同じ職場の元NHKの勤めていた友人に渡した。それらの資料が活かされていることを信じたい。

もっと、戦争の時の話をすべきだ。何があったのか。真実を語るべきだと思う。本当のことを知るべきだと思う。戦争被害者は日本国民であり、アメリカ人であり、中国人であり、韓国朝鮮人であり、フィリピン人であり、等々。つまり、すべての国民なのだ。その現実を、国を超えお互いに話し合うべきだと思う。最も避けなければならないことは、簡単に戦争をする意思決定の在り方なのだ。それだけは避けなければならないし、それを避けるためにも、戦争の被害者は黙っていてはいけないのだと思う。



参考資料

1、第442連隊戦闘団 Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC442%E9%80%A3%E9%9A%8A%E6%88%A6%E9%97%98%E5%9B%A3

2、日系二世部隊、ヨーロッパ戦線に参戦 第100大隊のイタリア戦線参戦
http://www.pacificresorts.com/webkawaraban/nikkei/050203/

3、アメリカ陸軍442連隊
https://www.youtube.com/watch?v=tbO6K_Ig7Y4


12月26日 フェイスブック記載文章



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