三石博行
現在の人権に関する研究分野
「人権」に関する研究はこれまでの人間社会科学のフィールドの中でどのように位置づけられているだろうか。人権に関する研究・「人権学」という分野が新たに設置されるだろうか。
これまで日本で出版された人権に関する書物は大きく分けて5つぐらいの傾向がある。
1、 歴史的に部落差別撤廃を運動してきた人々からの人権問題
2、 国際人権運動を行ってきた人々、アムネスティ運動からの人権問題
3、 憲法学者、特に日本憲法の第三章の解釈をめぐる議論
4、 福祉問題を考える立場からの人権問題の提起
5、 特にヨーロッパ人権思想史(哲学)研究からの課題
「人権学」は成立するか
つまり、人権に関する研究は社会運動(部落差別、戦争、虐殺反対等々)、法学、福祉社会学(生活学)、哲学(ヨーロッパ思想史)の大きく分類して四つの視点で取り組まれている。これらの四つの学問分野で独自に展開される人権課題は一つの「人権学」として成立する可能性はあるのだろうかと考えてみた。
つまり、他の人間社会科学の一分野して「人権学」が成立するなら、この「人権学」の成立条件やその学問の独自の体系、学問的方法論を示さなければならない。
この「人権学」の成立を主張しても不思議ではない。何故なら、今日、「学」と呼ばれる学問の分類基準を課題別に使って、これまでに既存の学問分野の一つとして位置づけられなかた課題を展開してきた実例があるからだ。例えば「京都学」、「大阪学」などの呼び方で、京都や大阪の地理、歴史、文化、経済、社会、政治など人文社会科学の分野を横断的に、また工学、農学、医学などの応用科学分野に関する知識も援用して「京都学」研究というフィールドを提供し、共同研究し、相互リンクしてきた発展途上学が現実に存在しているからである。
もちろん、この「京都学」は大学でいう正式な学問でないと主張する人々もいるだろう。何故なら、京都学が成立するための学問的条件・歴史的に継承されてきた学説に基づく具体的事例・京都に関する研究という学問の伝統的な方法を満たさないからである。そうした人々の意見として、「京都学」は「機能・構造主義」的な分析方法を使っているか、また「マクロ経済学」もしくは「計量経済学」の方法を活用しているか等々が京都学という学問の成立条件を満たす一つとなる。そこで、あらゆる方法、「京都」という社会文化的、歴史的現象を解釈するために有効と思われる全ての方法を活用しているというプラグマティズムはある人々には曖昧な学問的方法として認められないかもしれない
しかし、京都の大学では「京都学」が研究されている。その現実からすると、学際的研究方法を用いて「京都」という対象を総合的に研究する学問はすでに市民権を得ている。
人権問題の解決学としての「人権学」
「人権学」の成立条件も「京都学」と同様に、学際的な研究方法を前提にして成立していると考えられる。また、そればかりではない、人権学は、単に人権に関する認識、知ることを目的とした学問でなく、人権問題を解決するための実践的道具(解決学)としての役割を要求される。
また人権学は、人権という課題を人間社会科学のみならず工学、医学や農学などの応用自然科学なども含めてあらゆる既成の学問的方法や知識を駆使して研究する学際的、領域融合型の学問であると説明することも可能になる。
人権学と呼ばれている学問は、人権を社会、経済、政治、文化、国際、組織、技術の総合的課題の中で理解しその問題を解決するための道具である。
しかし、この「人権学」は、他の学問と異なる研究方法から成立している訳ではない。人権に関する研究は、伝統的に法学や政治学の中で取り組まれてきた。その意味で、人権に関する研究方法は、法学や政治学的な方法をはじめとしてこれまでの研究の方法とそこで蓄積された先行研究が採用される。
プログラム科学論と「人権学」
また、「人権学」は、吉田民人が提唱した21世紀社会で必要とされる科学哲学・プログラム科学論を方法論としてもつ科学であるとも言える。
では、プログラム科学論的視点と方法論を前提にした「人権学」の成立条件とはなにか考えてみよう。
1、 現代社会で問われる人権概念を構造的に理解
2、 グローバリゼーションや多様化する生き方の価値観をもつ現代社会で拮抗する複数の人権問題の理解
3、 人権問題解決のための政策学
4、 具体的人権問題に関する政策提案(法案、社会経済システム提案、生活環境改善、個人的行為改善(実践倫理的提案)
5、 具体的な人権擁護の社会運動で「人権学」の理論の検証作業
以上の課題が提案できる。
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哲学に於いて生活とはそのすべての思索の根拠である。言い換えると哲学は、生きる行為、生活の場が前提になって成立する一つの思惟の形態であり、哲学は生きるための方法であり、道具であり、戦略であり、理念であると言える。また、哲学の入り口は生活点検作業である。何故なら、日常生活では無神経さや自己欺瞞は自然発生的に生まれるため、日常性と呼ばれる思惟の惰性形態に対して、反省と呼ばれる遡行作業を哲学は提供する。方法的懐疑や現象学的還元も、日常性へ埋没した惰性的自我を点検する方法である。生活の場から哲学を考え、哲学から生活の改善を求める運動を、ここでは生活運動と思想運動の相互関係と呼ぶ。そして、他者と共感しない哲学は意味を持たない。そこで、私の哲学を点検するためにこのブログを書くことにした。 2011年1月5日 三石博行 (MITSUISHI Hiroyuki)
2010年10月30日土曜日
インターネット公開議論の可能性
三石博行
インターネット上での公開討論会の風景
私は、最近、あるサイトを使って、インターネットで不特定多数の人々と共にある特定の課題について議論する遊びに熱中している。
この遊びで感じることは、
1、参加者が非常にまじめに話をしていること
2、色々な意見があり、テーマに則した話を展開していくことは、話題提供者と参加者の協力によって成立する以外に方法がないこと
3、テーマ提供者の想像もしなかった意見、それが時には峻烈な批判として、またある時は辛口の皮肉として、出される。その意見に多くのことを学び、また気づかされる。
多分、インターネット上での公開討論会には、不特定多数の人々が参加しているだろう。その数は、一回限りの参加者を含めると相当数になるだろう。そして、その中の一部の人々が討論の流れをフォローしている。つまり、公開討論に参加している。そして、さらにその一部の人が、討論に参加している。その数を予測するなら、討論会に足を運んだ観客数の、千分の一にも満たないだろう。
まず、テーマを見て、そのテーマ(題名と問題提起)が面白そうか、興味を感じるかで、会場に足を入れる。そして、テーマの議論に参加している人々、つまり公開討論会の会場で言えば、発言者の意見が面白いかを観ている。さらに、司会者(テーマ提案者)がそれら多くの意見を上手にまとめ、展開しているかを観ている。
討論会運営に関する司会者の課題
この討論の場合、良くも悪くも仮面舞踏会のように皆さんが面白い名前(仮面)を付けているので、自由に(多分勝手に)好きなことを言える。そのため、中には、発現された意見に感情的や攻撃的に、過剰な批判のことばで、個人的なことばつかいまでも批判したり指摘したりすることがよくある。そうした流れを上手に本題に戻す役割を司会者(課題提供者)はしなければならないだろう。
インターネット上で友人とメールを取り交わすことから始まり、公開討論会のような不特定多数の人々と意見交換や議論をすることまで、現代のコミュニケーションのあり方は変化し続けている。
友達とのメールのやり取りは、相手の顔が見えるコミュニケーションで、日常生活の中でのやり取りの延長線上にある。会って伝えたいこと、電話で話したいことをメールで伝え、相手のメールを待っているという行為である。メールは電話よりも安価で、しかも手紙より迅速で簡単に(安価に)情報を伝えることができる。メールの普及によって、電話をしたり手紙を書いたりすることも少なくなり、そして、以前よりも非常に頻繁に連絡を取るようにもなった。
しかし、サイバー上の公開討論会では、相手の顔が見えない。それで自分の意見を話すことになる。相手が誰で、その人が以前の自分の発言にたいしてどのような表情をしながら聴いていたかという情報を持たない状況で、意見を語ることになる。そのため、相手の言っていることをなるべく正確に理解する努力が必要となる。また、相手への意見とまったくかみ合わない状況も生じる。
それらの結果として、上記したように、公開討論会場で感情的な発言が生じる。このことを避けることはできない。その場合に、激しい二人の批判の応酬に対して、司会者は本題に返すための努力をしなければならないだろう。
まったく以前に存在しなかったインターネット上での公開討論会の今後の行方は、これに参加している人々、特に議論提供者(司会者)の運営の仕方が、その参加してゆく作風、モラル、規則を作り出してゆくのだと思う。
サーバー公開討論会の秘める可能性
そして、この努力や行為実験の蓄積が、サイバー上でのコミュニケーション文化の土壌を少しずつ作り出して行くのだろう。それが21世紀のコミュニケーションのあり方、また、それを活用した社会、政治や経済活動の新しいスタイルを作り出す可能性を秘めている。
例えば、大学での講義も、その内容によってインターネット上の公開討論会で具体的な課題を提案することが出来そうだ。時間や場所に限定された講義なある課題をネットワーク上で議論することで、想像や予測を超えた、面白い、そして豊かな内容を講師も学生も手に入れることができるかもしれない。
講義は場所と時間や受講者の条件(例えば大学、学部、時間割り、その科目等々を受講できる履修条件)を満たしてなければならない。しかし、インターネット上での公開討論への参加は、それらの全ての制限条件がない。
しかし、大学での講義とインターネット上での公開討論会の明らかな違いは、前者は講義の受講生であり、受講後に講義課題提供者より講義内容の理解度を評価される。つまり受講者は講義の受講修了(単位習得)を証明するための試験(評価)を受けなければならない。
しかし、この公開討論会に参加する人々は参加したいために参加している。だから、討論内容度を評価されることもなければ、あえて自分の意見を書く必要もない。つまり、書きたければ書けばいいし、書いたことの結果を評価されることもない。その意味で、このサーバー上の公開討論会は、現実の公開討論会に比べて参加しやすいし、発言しやすいことになる。
仮にこの討論会で自分の意見を書いたとしても、参加者はみんな仮面をかぶった仮面討論会のため、本当の名前も職業も住所も知られることはない。その意味で、20歳の、いやもっと若い人が、50歳の参加者と対等に、場合によっては優位に議論を展開することも、さらには厳しき批判することも許される。そうした参加者の絶対的平等性が、サーバー上の仮面討論会のよさとなる。
その意味で、この討論会は私にとっては新鮮な新しい可能性をもたらすコミュニケーションのあり方を示していると思われる。その可能性こそ、そこで確立してゆく、人と人との関係こそ、これからの日本の社会文化のあり方を決定するかもしれない。大衆民主主義文化が確立してゆく手段となるかもしれない。
そうした幻想と期待を膨らましながら、私は、この遊びに嵌(はま)りつつある。それは、面白い遊びをするための、これまた私の理屈ぽい自己弁護かもしれないと思いつつ。
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インターネット上での公開討論会の風景
私は、最近、あるサイトを使って、インターネットで不特定多数の人々と共にある特定の課題について議論する遊びに熱中している。
この遊びで感じることは、
1、参加者が非常にまじめに話をしていること
2、色々な意見があり、テーマに則した話を展開していくことは、話題提供者と参加者の協力によって成立する以外に方法がないこと
3、テーマ提供者の想像もしなかった意見、それが時には峻烈な批判として、またある時は辛口の皮肉として、出される。その意見に多くのことを学び、また気づかされる。
多分、インターネット上での公開討論会には、不特定多数の人々が参加しているだろう。その数は、一回限りの参加者を含めると相当数になるだろう。そして、その中の一部の人々が討論の流れをフォローしている。つまり、公開討論に参加している。そして、さらにその一部の人が、討論に参加している。その数を予測するなら、討論会に足を運んだ観客数の、千分の一にも満たないだろう。
まず、テーマを見て、そのテーマ(題名と問題提起)が面白そうか、興味を感じるかで、会場に足を入れる。そして、テーマの議論に参加している人々、つまり公開討論会の会場で言えば、発言者の意見が面白いかを観ている。さらに、司会者(テーマ提案者)がそれら多くの意見を上手にまとめ、展開しているかを観ている。
討論会運営に関する司会者の課題
この討論の場合、良くも悪くも仮面舞踏会のように皆さんが面白い名前(仮面)を付けているので、自由に(多分勝手に)好きなことを言える。そのため、中には、発現された意見に感情的や攻撃的に、過剰な批判のことばで、個人的なことばつかいまでも批判したり指摘したりすることがよくある。そうした流れを上手に本題に戻す役割を司会者(課題提供者)はしなければならないだろう。
インターネット上で友人とメールを取り交わすことから始まり、公開討論会のような不特定多数の人々と意見交換や議論をすることまで、現代のコミュニケーションのあり方は変化し続けている。
友達とのメールのやり取りは、相手の顔が見えるコミュニケーションで、日常生活の中でのやり取りの延長線上にある。会って伝えたいこと、電話で話したいことをメールで伝え、相手のメールを待っているという行為である。メールは電話よりも安価で、しかも手紙より迅速で簡単に(安価に)情報を伝えることができる。メールの普及によって、電話をしたり手紙を書いたりすることも少なくなり、そして、以前よりも非常に頻繁に連絡を取るようにもなった。
しかし、サイバー上の公開討論会では、相手の顔が見えない。それで自分の意見を話すことになる。相手が誰で、その人が以前の自分の発言にたいしてどのような表情をしながら聴いていたかという情報を持たない状況で、意見を語ることになる。そのため、相手の言っていることをなるべく正確に理解する努力が必要となる。また、相手への意見とまったくかみ合わない状況も生じる。
それらの結果として、上記したように、公開討論会場で感情的な発言が生じる。このことを避けることはできない。その場合に、激しい二人の批判の応酬に対して、司会者は本題に返すための努力をしなければならないだろう。
まったく以前に存在しなかったインターネット上での公開討論会の今後の行方は、これに参加している人々、特に議論提供者(司会者)の運営の仕方が、その参加してゆく作風、モラル、規則を作り出してゆくのだと思う。
サーバー公開討論会の秘める可能性
そして、この努力や行為実験の蓄積が、サイバー上でのコミュニケーション文化の土壌を少しずつ作り出して行くのだろう。それが21世紀のコミュニケーションのあり方、また、それを活用した社会、政治や経済活動の新しいスタイルを作り出す可能性を秘めている。
例えば、大学での講義も、その内容によってインターネット上の公開討論会で具体的な課題を提案することが出来そうだ。時間や場所に限定された講義なある課題をネットワーク上で議論することで、想像や予測を超えた、面白い、そして豊かな内容を講師も学生も手に入れることができるかもしれない。
講義は場所と時間や受講者の条件(例えば大学、学部、時間割り、その科目等々を受講できる履修条件)を満たしてなければならない。しかし、インターネット上での公開討論への参加は、それらの全ての制限条件がない。
しかし、大学での講義とインターネット上での公開討論会の明らかな違いは、前者は講義の受講生であり、受講後に講義課題提供者より講義内容の理解度を評価される。つまり受講者は講義の受講修了(単位習得)を証明するための試験(評価)を受けなければならない。
しかし、この公開討論会に参加する人々は参加したいために参加している。だから、討論内容度を評価されることもなければ、あえて自分の意見を書く必要もない。つまり、書きたければ書けばいいし、書いたことの結果を評価されることもない。その意味で、このサーバー上の公開討論会は、現実の公開討論会に比べて参加しやすいし、発言しやすいことになる。
仮にこの討論会で自分の意見を書いたとしても、参加者はみんな仮面をかぶった仮面討論会のため、本当の名前も職業も住所も知られることはない。その意味で、20歳の、いやもっと若い人が、50歳の参加者と対等に、場合によっては優位に議論を展開することも、さらには厳しき批判することも許される。そうした参加者の絶対的平等性が、サーバー上の仮面討論会のよさとなる。
その意味で、この討論会は私にとっては新鮮な新しい可能性をもたらすコミュニケーションのあり方を示していると思われる。その可能性こそ、そこで確立してゆく、人と人との関係こそ、これからの日本の社会文化のあり方を決定するかもしれない。大衆民主主義文化が確立してゆく手段となるかもしれない。
そうした幻想と期待を膨らましながら、私は、この遊びに嵌(はま)りつつある。それは、面白い遊びをするための、これまた私の理屈ぽい自己弁護かもしれないと思いつつ。
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2010年10月27日水曜日
我が家の「ニャン」
うちのネコは生まれて間もないころ誰かが私の家に捨てた捨て猫で、はじめは飼う予定はなく、家の外でミルクをやっていた。そのうち、サンルームに住み着き、いまはサンルームに自分の家を持っている。しかし、家の中には入る権利はなく、ただ、一つの場所しか与えられていない。家に入るとその場所に行き、そしてそこで寝ている。
ネコの名前ははじめはなかった。そのうち近所の人々に「お名前は」と聞かれて、「ノラ」ですと答えていたが、そのうちネコを呼ぶ時「おいニャン」とよぶことが多くなり、「ニャン」になった。その名前はあまりにも可愛そうと妻が「ベル(Belle)ニャン」と付けた。私は、ベルニャンという長い名前は面倒くさいので、いつも「ニャン」とよんでいる。
このネコの得意は散歩である。家の周りをネコと散歩する。ネコとの散歩は犬との散歩とちがう面白さがある。何故なら、奴らはなんと言ってもマイペースである。それで、いつも人間がネコの散歩のペースに従うしかない。あっちにいき、こっちに隠れ、ゆっくり歩き、突如として走り出し、ともかく気ままな奴で、こっちのことはあんまり考えていない。ただ、我々と散歩すること楽しいらしく、家の外に出ると、すごい勢いで追いかけてくる。
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無理やり起こされた寝起きのニャンの表情
ネコの名前ははじめはなかった。そのうち近所の人々に「お名前は」と聞かれて、「ノラ」ですと答えていたが、そのうちネコを呼ぶ時「おいニャン」とよぶことが多くなり、「ニャン」になった。その名前はあまりにも可愛そうと妻が「ベル(Belle)ニャン」と付けた。私は、ベルニャンという長い名前は面倒くさいので、いつも「ニャン」とよんでいる。
このネコの得意は散歩である。家の周りをネコと散歩する。ネコとの散歩は犬との散歩とちがう面白さがある。何故なら、奴らはなんと言ってもマイペースである。それで、いつも人間がネコの散歩のペースに従うしかない。あっちにいき、こっちに隠れ、ゆっくり歩き、突如として走り出し、ともかく気ままな奴で、こっちのことはあんまり考えていない。ただ、我々と散歩すること楽しいらしく、家の外に出ると、すごい勢いで追いかけてくる。
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猛暑に苦しんだ野菜
2010年10月の庭
三石博行
実のつかなかったトマト
今年の夏野菜、特にトマトの収穫は殆どなかった。トマトも大きくなり花も咲いたが、実がつかなかった。暑さのせいだろう。ナスは少しできた。ピーマンは9月になってから豊作だった。そして、10月の末の今でも実をつけている。
ほうれん草の発芽がよくない
10月のはじめに実のつかなかったトマトを全部抜いて、ほうれん草、小松菜、高菜、ビタミン菜を植える。また、玉ねぎと九条ねぎも植えた。
しかし、残暑のせいでほうれん草の発芽がよくないし、おまけに水不足でせっかく発芽しても枯れてしまった。そこで、もう一度、2週間前(10月中旬)にほうれん草と菊菜を蒔く。こんどは、発芽の状態はよい。
ネギの発芽もよくない
ねぎの種を蒔いていつもは成功するのだが、今回は発芽状態がよくない。その原因が分からない。土の問題か、水の問題か、それとも発芽温度の問題か。そこで、トレーにもう一度蒔いてみた。その結果は、多分、1週間ほどで分かるだろう。
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三石博行
実のつかなかったトマト
今年の夏野菜、特にトマトの収穫は殆どなかった。トマトも大きくなり花も咲いたが、実がつかなかった。暑さのせいだろう。ナスは少しできた。ピーマンは9月になってから豊作だった。そして、10月の末の今でも実をつけている。
ほうれん草の発芽がよくない
10月のはじめに実のつかなかったトマトを全部抜いて、ほうれん草、小松菜、高菜、ビタミン菜を植える。また、玉ねぎと九条ねぎも植えた。
しかし、残暑のせいでほうれん草の発芽がよくないし、おまけに水不足でせっかく発芽しても枯れてしまった。そこで、もう一度、2週間前(10月中旬)にほうれん草と菊菜を蒔く。こんどは、発芽の状態はよい。
ネギの発芽もよくない
ねぎの種を蒔いていつもは成功するのだが、今回は発芽状態がよくない。その原因が分からない。土の問題か、水の問題か、それとも発芽温度の問題か。そこで、トレーにもう一度蒔いてみた。その結果は、多分、1週間ほどで分かるだろう。
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2010年10月25日月曜日
第一回吉田ゼミナールからの報告
三石博行
長岡科学技術大学の綿引先生と始めた吉田ゼミナール
第一回吉田セミナールは、長岡科学技術大学で今年の7月31日から8月3日まで、朝の9時から夜の8時までぶっ続けで、吉田民人先生の初期の論文を読む作業をしました。大変な作業でした。
今回の学習は吉田理論第一期前半部分に関する検討ということになりました。
吉田先生の言葉を借りれば、「行為論と関係論に関するミクロ社会理論」に関して、30代前半の吉田民人が展開した独自理論に関して、検討でした。
私たちの第1回ゼミナールの結論を述べると、以下三点に要約されそうです。
1、吉田民人の社会学理論第一期は、その後の吉田民人社会学の理論である。つまり、この理論作業は、その後の吉田社会学の自己組織系の情報科学の前哨段階に当たるものである。
2、30代前半の若き吉田民人は、パーソンズの系(システム)理論の非ダイナミズムを乗り越えるために、独自の方法で、動態的構造-機能モデルを模索していた。その思考過程が、吉田理論第一期の理論作業の目的である。
3、これらの自己組織系情報科学(これまでの資源論的偏向性を乗り越え、情報概念をもつ社会学の構築を試みた吉田理論第二期の吉田民人独自の社会学の地平の構築をこの吉田理論第一期の分析から理解することが出来るだろう。
吉田社会学の基本理念「生活空間論」との出会い
私は、1995年以降、生活情報論の課題に取り組み、それを展開するとき、今和次郎や篭山京など戦前、戦中と戦後と、日本で独自に展開された生活構造論の学説を紐解いた。そして最後に吉田民人先生の「生活空間の機能-構造分析・人間的生の行動学的理論」を研究した。この論文に出会ったことで、「生活情報史観」や「生活情報の三つの形態」、さらに「生活資源論」を1997年から展開するきっかけを作った。
何故なら、フロイトやポスト構造を学んだ後で、生活構造論の理論的土台であるパーソンズモデルに返ることは不可能であった。パーソンズモデルの限界は非常明確であったが、そのモデルを越えるための社会学の中での、特にシステム論の中での理論的展開の経過を知りたかった。吉田先生の
この論文で、パーソンズモデルを超える理論を見つけた。
しかし、吉田先生が、この論文・「生活空間の機能-構造分析・人間的生の行動学的理論」に到達するために、パーソンズモデルとどのように格闘したかは、当時私は知らなかった。それは、この論文以前の論文を読むことがなかったからである。
私は、この論文が出来るまでの吉田先生の研究活動史を理解していなかったのですが、明らかにパーソンズモデルからの脱却であることは理解しました。
「私の実存を掛けた論文」の意味
先生との学習会(先生の私のための個人授業)の第一日目に、この論文について先生と話をした。私の質問は、この論文がポスト構造的であること、また当時としてはパーソンズシステム論の絶対的影響下にあった「生活構造論」や「人間・社会行為論」研究の中で、あの論文は大きな課題を投げかけたのではないかと言うことだったと記憶している。
すると先生は「あれは私の実存をかけた論文でした」と話された。その意味については、先生と個人的にお付き合いのある研究者には理解できるかも知れない。先生は、自分という人間存在のあり方を自己観察していても、そもそもパーソンズのような理性的モデルで人の行為が決定しているとは思っていなかった。人は理性によって動いているのではない、もし人の行為が理性でなければ、それは欲望や欲慟という、これまで社会学が扱えなかった課題を取り入れるしかないと考えたのかも知れない。
考えてみれば、先生が育てられた上野千鶴子女史にしろ、宮台真司氏にしろ、また長谷川公一氏にしろ、人間の行為の起源に関して彼らの理解を推測すれば、直感的にパーソンズモデルの彼方に彼らは人間を置いている。それが、フロイトなのか、それともフーコーなのかは知らないが、吉田民人先生に影響を受けた人々に共通する人間観には、ポスト構造から構築主義に至る理論的な経過を感じる。
それは、吉田民人の社会学を理解したというその証が、吉田先生が語る「私の実存を掛けた論文」を受け止め、そこから自らの研究を始めた人々に共通する人間観なのかもしれない。
そして、私は長岡科学技術大学の綿引先生と第2回吉田ゼミナールの企画を始めた。第2回ゼミナールは来年3月に開催を予定していている。この第二回ゼミナールで吉田民人先生の第一期の研究の集大成とも言うべき「生活空間の構造-機能分析・人間的生の行動学的理論」について学習することになった。
10月28日、吉田民人先生の一回忌をむかえる。
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長岡科学技術大学の綿引先生と始めた吉田ゼミナール
第一回吉田セミナールは、長岡科学技術大学で今年の7月31日から8月3日まで、朝の9時から夜の8時までぶっ続けで、吉田民人先生の初期の論文を読む作業をしました。大変な作業でした。
今回の学習は吉田理論第一期前半部分に関する検討ということになりました。
吉田先生の言葉を借りれば、「行為論と関係論に関するミクロ社会理論」に関して、30代前半の吉田民人が展開した独自理論に関して、検討でした。
私たちの第1回ゼミナールの結論を述べると、以下三点に要約されそうです。
1、吉田民人の社会学理論第一期は、その後の吉田民人社会学の理論である。つまり、この理論作業は、その後の吉田社会学の自己組織系の情報科学の前哨段階に当たるものである。
2、30代前半の若き吉田民人は、パーソンズの系(システム)理論の非ダイナミズムを乗り越えるために、独自の方法で、動態的構造-機能モデルを模索していた。その思考過程が、吉田理論第一期の理論作業の目的である。
3、これらの自己組織系情報科学(これまでの資源論的偏向性を乗り越え、情報概念をもつ社会学の構築を試みた吉田理論第二期の吉田民人独自の社会学の地平の構築をこの吉田理論第一期の分析から理解することが出来るだろう。
吉田社会学の基本理念「生活空間論」との出会い
私は、1995年以降、生活情報論の課題に取り組み、それを展開するとき、今和次郎や篭山京など戦前、戦中と戦後と、日本で独自に展開された生活構造論の学説を紐解いた。そして最後に吉田民人先生の「生活空間の機能-構造分析・人間的生の行動学的理論」を研究した。この論文に出会ったことで、「生活情報史観」や「生活情報の三つの形態」、さらに「生活資源論」を1997年から展開するきっかけを作った。
何故なら、フロイトやポスト構造を学んだ後で、生活構造論の理論的土台であるパーソンズモデルに返ることは不可能であった。パーソンズモデルの限界は非常明確であったが、そのモデルを越えるための社会学の中での、特にシステム論の中での理論的展開の経過を知りたかった。吉田先生の
この論文で、パーソンズモデルを超える理論を見つけた。
しかし、吉田先生が、この論文・「生活空間の機能-構造分析・人間的生の行動学的理論」に到達するために、パーソンズモデルとどのように格闘したかは、当時私は知らなかった。それは、この論文以前の論文を読むことがなかったからである。
私は、この論文が出来るまでの吉田先生の研究活動史を理解していなかったのですが、明らかにパーソンズモデルからの脱却であることは理解しました。
「私の実存を掛けた論文」の意味
先生との学習会(先生の私のための個人授業)の第一日目に、この論文について先生と話をした。私の質問は、この論文がポスト構造的であること、また当時としてはパーソンズシステム論の絶対的影響下にあった「生活構造論」や「人間・社会行為論」研究の中で、あの論文は大きな課題を投げかけたのではないかと言うことだったと記憶している。
すると先生は「あれは私の実存をかけた論文でした」と話された。その意味については、先生と個人的にお付き合いのある研究者には理解できるかも知れない。先生は、自分という人間存在のあり方を自己観察していても、そもそもパーソンズのような理性的モデルで人の行為が決定しているとは思っていなかった。人は理性によって動いているのではない、もし人の行為が理性でなければ、それは欲望や欲慟という、これまで社会学が扱えなかった課題を取り入れるしかないと考えたのかも知れない。
考えてみれば、先生が育てられた上野千鶴子女史にしろ、宮台真司氏にしろ、また長谷川公一氏にしろ、人間の行為の起源に関して彼らの理解を推測すれば、直感的にパーソンズモデルの彼方に彼らは人間を置いている。それが、フロイトなのか、それともフーコーなのかは知らないが、吉田民人先生に影響を受けた人々に共通する人間観には、ポスト構造から構築主義に至る理論的な経過を感じる。
それは、吉田民人の社会学を理解したというその証が、吉田先生が語る「私の実存を掛けた論文」を受け止め、そこから自らの研究を始めた人々に共通する人間観なのかもしれない。
そして、私は長岡科学技術大学の綿引先生と第2回吉田ゼミナールの企画を始めた。第2回ゼミナールは来年3月に開催を予定していている。この第二回ゼミナールで吉田民人先生の第一期の研究の集大成とも言うべき「生活空間の構造-機能分析・人間的生の行動学的理論」について学習することになった。
10月28日、吉田民人先生の一回忌をむかえる。
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2010年10月21日木曜日
新たな世界認識の始まり・二元論的世界から確率論的世界へ
三石博行
認識の風景としての二元論的世界
二項対立的世界や二律背反の世界とは、二つの対立要素をもって存在している事象や現象を説明する方法である。
この二項対立的世界の説明は、ある意味で、非常に理解しやすい「世界」の姿である。現代人が判断の基盤にする科学的合理性も、17世紀以来、この二項対立的世界観を活用しながら、展開してきた。二元論的に主観と客観を分離し、個人的で主観的解釈を観察という主観的行為から出来る限り排除するために、客観的基準を作った。それで近代の科学は生まれ、現代の科学まで発展した。主観と客観という分離が無ければ、科学は生まれなかっただろう。
また、古代社会以前から二元論は存在している。例えば、天と地、神と人間、無限と有限、善と悪等々。
つまり、二元論的世界はある意味で人間的精神活動のある典型を示す。事象パターンを明確にする、つまりパターン間の差異として生じている認識の構図の原型として、二元論的世界は登場している。それは極めて明瞭な世界了解の道具(言語)のように思える。そして、それ故に、古代社会からこの世界の了解の道具として二元論は使われてきた。
ポスト近代としての確率論的世界
17世紀にパスカルが確率論を提案する。その場合にもある一つの事象は存在するか(起こるか)それとも存在しないか(起こらないか)二つのケースで登場する。つまり、確率の世界も在るか無いかの二つに一つが選ばれる世界から成り立つ。
この確率場を前提にして20世紀の初めにボルツマン統計力学が生まれ、さらに20世紀後半にコンピュータの助けで統計学が飛躍的に発達した。統計学的な相関係数や回帰分析の考え方を利用して、幾つかの要因が相互に関連する強さを求める計算技法が生まれ、それらが意思決定論、制御理論、またはデータマイニングなどに活用され、人々の科学的思惟の在り方は、21世紀に入って、演繹的方法から帰納法にシフトしはじめた。
哲学も主観と客観を明確に分離する近代合理主義から、間主観性や共同主観性を問題にした現象学、多極性を前提にして分析を行う機能構造主義、つまり関係としての存在の理解、さらに吉田民人が述べるプログラム性(情報と資源の自己組織性の世界)と、変遷の過程にある。
現在進行している二元論から確率論的世界観の進化は、世界認識や科学のあり方が変化しつつあることを示し、最終的には、人間社会のあり方や人々の生活や社会観念の変換を導くだろう。
確率論的な世界観と二元論的世界観の衝突
確率論的な世界観と二元論的世界観は衝突を起こしている。
現在、我々は、二元論的世界観(二項対立の世界観)と確率論的世界観の二つの世界了解のあり方で議論されている世界に住んでいる。
二元論的な分類、例えば、失敗か成功か、善か悪か、正しきか誤りか等々という、分かりやすい表現がある。
しかし、失敗学の著者畑村洋太郎教授によると、失敗学における失敗の定義を「人間が関わったひとつの行為の結果が、望ましくない、あるいは期待しないものとなる」と述べている。つまり、失敗とは、ある行為の結果がその目標であった状態に対して望ましくない結果や期待はずれの状態も含むことを意味している。
この畑村式の考え方で悪を定義すると、悪とは人間が関わったひとつの行為の結果がその影響を受けた状態に対する評価が望ましくない結果や期待はずれの状態を含むことを意味する。
また、同様に、不正とは人間が関わったひとつの行為の結果に対するその公平さに関する評価が望ましくない結果や期待はずれの状態を含むことを意味する。
例えば、日本の天気予報では、明日は雨ですとは言わない。明日の雨の確率は20%ですという。つまり、天気予報では、確率論的表現が常識化しつつある。
二元論から弁証法へ、そしてシステム論的解釈へ
人間が世界の概念を二つに分けるのは、まずその世界の構成を理解しやすくするためである。ある行為の結果に対して「善でもない悪でもない」とか「善の部分が20%で、悪の部分が40%で、不明部分が40%である」と言われても、ぴんと来ないだろう。
世の中のこと、例えば今、世間で善悪の問題として取り上げられていること、例えば大阪特捜部の証拠物件の改ざん事件であれば、まず、Mさんが悪いことになる。
その前提条件で、特別な権限を持っている特捜のあり方が批判される。それから特捜廃止論の意見まで出され、それから、それでは、これからの権力犯罪や企業犯罪の防止や摘発はどうなるのかという意見が出され、そして、これまでの特捜が担ってきた役割の再度評価がなされ、どうすべきかと議論が繰り返し行われる。
善悪の極論、二元論的解釈は、極端な解決方法を導き出す方法である。しかし、現実は、複雑であり、極端な解決方法を望まない。そのため、二元論的議論は、それから導き出される結論の反論を必ず用意しなければならない。
つまり、弁証法とかシステム論的展開と呼ばれる解決への否定や肯定、批判や反批判の運動は、二元論的要素が相互に検証活動することによって生まれた姿である。二つの立場から導かれる行為や結論に対して双方の視点から望ましくないことを指摘しながら、その二つの妥協点を模索する活動である。
参考資料
畑村洋太郎著『決定版 失敗学の法則』文藝春秋、文春文庫、2005年6月10日第1刷、258p、
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認識の風景としての二元論的世界
二項対立的世界や二律背反の世界とは、二つの対立要素をもって存在している事象や現象を説明する方法である。
この二項対立的世界の説明は、ある意味で、非常に理解しやすい「世界」の姿である。現代人が判断の基盤にする科学的合理性も、17世紀以来、この二項対立的世界観を活用しながら、展開してきた。二元論的に主観と客観を分離し、個人的で主観的解釈を観察という主観的行為から出来る限り排除するために、客観的基準を作った。それで近代の科学は生まれ、現代の科学まで発展した。主観と客観という分離が無ければ、科学は生まれなかっただろう。
また、古代社会以前から二元論は存在している。例えば、天と地、神と人間、無限と有限、善と悪等々。
つまり、二元論的世界はある意味で人間的精神活動のある典型を示す。事象パターンを明確にする、つまりパターン間の差異として生じている認識の構図の原型として、二元論的世界は登場している。それは極めて明瞭な世界了解の道具(言語)のように思える。そして、それ故に、古代社会からこの世界の了解の道具として二元論は使われてきた。
ポスト近代としての確率論的世界
17世紀にパスカルが確率論を提案する。その場合にもある一つの事象は存在するか(起こるか)それとも存在しないか(起こらないか)二つのケースで登場する。つまり、確率の世界も在るか無いかの二つに一つが選ばれる世界から成り立つ。
この確率場を前提にして20世紀の初めにボルツマン統計力学が生まれ、さらに20世紀後半にコンピュータの助けで統計学が飛躍的に発達した。統計学的な相関係数や回帰分析の考え方を利用して、幾つかの要因が相互に関連する強さを求める計算技法が生まれ、それらが意思決定論、制御理論、またはデータマイニングなどに活用され、人々の科学的思惟の在り方は、21世紀に入って、演繹的方法から帰納法にシフトしはじめた。
哲学も主観と客観を明確に分離する近代合理主義から、間主観性や共同主観性を問題にした現象学、多極性を前提にして分析を行う機能構造主義、つまり関係としての存在の理解、さらに吉田民人が述べるプログラム性(情報と資源の自己組織性の世界)と、変遷の過程にある。
現在進行している二元論から確率論的世界観の進化は、世界認識や科学のあり方が変化しつつあることを示し、最終的には、人間社会のあり方や人々の生活や社会観念の変換を導くだろう。
確率論的な世界観と二元論的世界観の衝突
確率論的な世界観と二元論的世界観は衝突を起こしている。
現在、我々は、二元論的世界観(二項対立の世界観)と確率論的世界観の二つの世界了解のあり方で議論されている世界に住んでいる。
二元論的な分類、例えば、失敗か成功か、善か悪か、正しきか誤りか等々という、分かりやすい表現がある。
しかし、失敗学の著者畑村洋太郎教授によると、失敗学における失敗の定義を「人間が関わったひとつの行為の結果が、望ましくない、あるいは期待しないものとなる」と述べている。つまり、失敗とは、ある行為の結果がその目標であった状態に対して望ましくない結果や期待はずれの状態も含むことを意味している。
この畑村式の考え方で悪を定義すると、悪とは人間が関わったひとつの行為の結果がその影響を受けた状態に対する評価が望ましくない結果や期待はずれの状態を含むことを意味する。
また、同様に、不正とは人間が関わったひとつの行為の結果に対するその公平さに関する評価が望ましくない結果や期待はずれの状態を含むことを意味する。
例えば、日本の天気予報では、明日は雨ですとは言わない。明日の雨の確率は20%ですという。つまり、天気予報では、確率論的表現が常識化しつつある。
二元論から弁証法へ、そしてシステム論的解釈へ
人間が世界の概念を二つに分けるのは、まずその世界の構成を理解しやすくするためである。ある行為の結果に対して「善でもない悪でもない」とか「善の部分が20%で、悪の部分が40%で、不明部分が40%である」と言われても、ぴんと来ないだろう。
世の中のこと、例えば今、世間で善悪の問題として取り上げられていること、例えば大阪特捜部の証拠物件の改ざん事件であれば、まず、Mさんが悪いことになる。
その前提条件で、特別な権限を持っている特捜のあり方が批判される。それから特捜廃止論の意見まで出され、それから、それでは、これからの権力犯罪や企業犯罪の防止や摘発はどうなるのかという意見が出され、そして、これまでの特捜が担ってきた役割の再度評価がなされ、どうすべきかと議論が繰り返し行われる。
善悪の極論、二元論的解釈は、極端な解決方法を導き出す方法である。しかし、現実は、複雑であり、極端な解決方法を望まない。そのため、二元論的議論は、それから導き出される結論の反論を必ず用意しなければならない。
つまり、弁証法とかシステム論的展開と呼ばれる解決への否定や肯定、批判や反批判の運動は、二元論的要素が相互に検証活動することによって生まれた姿である。二つの立場から導かれる行為や結論に対して双方の視点から望ましくないことを指摘しながら、その二つの妥協点を模索する活動である。
参考資料
畑村洋太郎著『決定版 失敗学の法則』文藝春秋、文春文庫、2005年6月10日第1刷、258p、
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梅棹忠夫先生を偲ぶ
三石博行
2010年10月20日 梅棹忠夫先生をしのぶ会に参加
2010年7月7日の新聞報道で梅棹忠夫先生が死去されたことを知った。梅棹先生は偉大な学者であり、学術文化事業の企画者であり、戦後日本の国際学術文化交流を牽引された人であり、多くの人々を育てた教育者であった。
早速、民族博物館の梅棹研究室に電話した。秘書のMさんにお願いして、先生の追悼会に参加させて貰える様にお願いした。
2010年10月20日、午後1時30分から国立民族博物館で「梅棹忠夫先生をしのぶ会」が開催された。私は12時30分に会場に着き、「梅棹忠夫の足跡」という展示を観た。民族博物館の展示場全体に梅棹先生の関係した場所と当時の日記が展示されていた。時間の許す限り、展示場の先生の足跡を観て回った。
梅棹先生がアンコールワットの調査に行った時の写真
朝鮮半島 白頭山の頂上での写真
国立民族博物館の至る所に「先生の足跡」が展示されている。
1時30分から献花式が始まった。しのぶ会は会の司会者も先生を偲ぶスピーチをする人も居なかった。ただ、集まり、白い菊の花を先生の写真の前にある献花台に、献花の順番もなく、自然にみんなが思うように献花していた。「梅棹先生らしい自由さ」を残したしのぶ会の進行であった。
献花台に白い菊を置いて先生を偲ぶ人々
早めに献花を終えた私は、「梅棹忠夫とみんぱく」という記録映像を「講堂」で観た。講堂の入り口にあった。梅棹先生の死去の知らせを書いた新聞記事をみた。そこに、先生が1988年フランスから「パルム・アカデミー勲章コマンドウール章」を受章したときの写真を載せた木村重信大阪大学名誉教授の追悼文の記事があった。
京大式カードの改良と学位論文作成
私が梅棹先生を知ったのは1972年ごろ京都大学で流行っていた「京大式カード」と「知的生産の技術」という書物からだった。京都大学理学部の研究室では当時九州大学理学部の助手になられた西山賢一氏から、京大式カードを教えてもらった。また研究室にも京大式カードが置いてあって、自由に使えた。しかし、私は京大式カードを活用することはなかった。
フランスのストラスブール大学で哲学の研究を始めたころ、文献や自分の考察の記録を課題別にファイルする研究システムを考えながら、研究活動をした。そこで研究課題や文献資料のコード番号化や、引用文献のページ記入の方法などのカード情報の作り方を考え、また、それらのカード情報がテーマごとに集合化していることで、集合化したカードを集めるためのタイトルカードを幾つかの段階に分けて考案した。しかも、これらのカード情報の集合が、テーマの進展によって再編成、配列位置の移動を可能にする、カード情報の管理を行う情報管理カードボックスを作った。このことで、一回使ったカードが、また別の研究に活用できるようになったし、過去のカード情報の管理も可能になった。
こうして、私は哲学博士論文を書いた。
1993年、フランスから帰国して、「知的生産の技術研究会」に入会した。研究会の機関紙『知的生産の技術』を編集していたY.T氏とお会いして、京大式カードの改良の話をした。八木哲郎氏の推薦で、関西知的生産の研究会創立10周年記念で梅棹忠夫先生と二人で講演することになった。
その講演の後に、先生に京大式カードを改良した私のカードシステムを見せた。と言っても、先生は目が不自由だったので、カードを手に渡しながら説明をした。梅棹先生は面白そうに聞いて下さったことを思い出す。
http://tiken-kansai.org/TS97/S97-04K.html
日欧学術教育文化交流活動への助言と協力
京都日仏協会の事務局長をしていた時代、アルザスヨーロッパ日本学研究所のクライン所長を招待して、ヨーロッパ連合への運動が始まった50周年を記念し、奈良と京都で講演会を開催した。
その時、アンドレ・クライン氏から成城大学アルザス中学校高等学校の跡地利用に関する相談があり、当時、京都日仏教会の会長であった岸田綱太郎先生(当時、京都府立医科大学名誉教授、ルイ・パストゥール医学研究センター理事長(創設者))に相談して、アルザスヨーロッパ日本学研究所との話し合いを持つことになった。
故岸田綱太郎先生が呼びかけ人となり、「日欧学術教育文化交流活動」のための会が準備された。その会を準備するために、梅棹先生に連絡、相談すると、非常に心安く「呼びかけ人」になることを承諾して下さった。
アルザス日本学研究所は大変喜んだ。と言うのも梅棹先生はフランスの日本学研究の権威ジャン ジャック オリガス教授(初代アルザス日本学研究所所長)の知人だったからである。
民族博物館の梅棹先生の研究室に行き、「日欧学術教育文化交流活動委員会」の呼びかけ人をお願いした時、先生は「フランスには色々とお世話になっているので、その恩返しも兼ねて、どうぞ名前を使って下さい」と言って下さった。
その後、代表者の岸田綱太郎先生を亡くし、会は活動を停止した状態になった。そして、今度は、梅棹先生を亡くした。無念である。しかし、先生のヨーロッパやフランスへの気持ちを受け止めるなら、どうしても会を再建しなければならないと思う。
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2010年10月20日 梅棹忠夫先生をしのぶ会に参加
2010年7月7日の新聞報道で梅棹忠夫先生が死去されたことを知った。梅棹先生は偉大な学者であり、学術文化事業の企画者であり、戦後日本の国際学術文化交流を牽引された人であり、多くの人々を育てた教育者であった。
早速、民族博物館の梅棹研究室に電話した。秘書のMさんにお願いして、先生の追悼会に参加させて貰える様にお願いした。
2010年10月20日、午後1時30分から国立民族博物館で「梅棹忠夫先生をしのぶ会」が開催された。私は12時30分に会場に着き、「梅棹忠夫の足跡」という展示を観た。民族博物館の展示場全体に梅棹先生の関係した場所と当時の日記が展示されていた。時間の許す限り、展示場の先生の足跡を観て回った。
梅棹先生がアンコールワットの調査に行った時の写真
朝鮮半島 白頭山の頂上での写真
国立民族博物館の至る所に「先生の足跡」が展示されている。
1時30分から献花式が始まった。しのぶ会は会の司会者も先生を偲ぶスピーチをする人も居なかった。ただ、集まり、白い菊の花を先生の写真の前にある献花台に、献花の順番もなく、自然にみんなが思うように献花していた。「梅棹先生らしい自由さ」を残したしのぶ会の進行であった。
献花台に白い菊を置いて先生を偲ぶ人々
早めに献花を終えた私は、「梅棹忠夫とみんぱく」という記録映像を「講堂」で観た。講堂の入り口にあった。梅棹先生の死去の知らせを書いた新聞記事をみた。そこに、先生が1988年フランスから「パルム・アカデミー勲章コマンドウール章」を受章したときの写真を載せた木村重信大阪大学名誉教授の追悼文の記事があった。
フランスの「パルム・アカデミー勲章コマンドウール章」を受章
京大式カードの改良と学位論文作成
私が梅棹先生を知ったのは1972年ごろ京都大学で流行っていた「京大式カード」と「知的生産の技術」という書物からだった。京都大学理学部の研究室では当時九州大学理学部の助手になられた西山賢一氏から、京大式カードを教えてもらった。また研究室にも京大式カードが置いてあって、自由に使えた。しかし、私は京大式カードを活用することはなかった。
フランスのストラスブール大学で哲学の研究を始めたころ、文献や自分の考察の記録を課題別にファイルする研究システムを考えながら、研究活動をした。そこで研究課題や文献資料のコード番号化や、引用文献のページ記入の方法などのカード情報の作り方を考え、また、それらのカード情報がテーマごとに集合化していることで、集合化したカードを集めるためのタイトルカードを幾つかの段階に分けて考案した。しかも、これらのカード情報の集合が、テーマの進展によって再編成、配列位置の移動を可能にする、カード情報の管理を行う情報管理カードボックスを作った。このことで、一回使ったカードが、また別の研究に活用できるようになったし、過去のカード情報の管理も可能になった。
こうして、私は哲学博士論文を書いた。
1993年、フランスから帰国して、「知的生産の技術研究会」に入会した。研究会の機関紙『知的生産の技術』を編集していたY.T氏とお会いして、京大式カードの改良の話をした。八木哲郎氏の推薦で、関西知的生産の研究会創立10周年記念で梅棹忠夫先生と二人で講演することになった。
その講演の後に、先生に京大式カードを改良した私のカードシステムを見せた。と言っても、先生は目が不自由だったので、カードを手に渡しながら説明をした。梅棹先生は面白そうに聞いて下さったことを思い出す。
http://tiken-kansai.org/TS97/S97-04K.html
日欧学術教育文化交流活動への助言と協力
京都日仏協会の事務局長をしていた時代、アルザスヨーロッパ日本学研究所のクライン所長を招待して、ヨーロッパ連合への運動が始まった50周年を記念し、奈良と京都で講演会を開催した。
その時、アンドレ・クライン氏から成城大学アルザス中学校高等学校の跡地利用に関する相談があり、当時、京都日仏教会の会長であった岸田綱太郎先生(当時、京都府立医科大学名誉教授、ルイ・パストゥール医学研究センター理事長(創設者))に相談して、アルザスヨーロッパ日本学研究所との話し合いを持つことになった。
故岸田綱太郎先生が呼びかけ人となり、「日欧学術教育文化交流活動」のための会が準備された。その会を準備するために、梅棹先生に連絡、相談すると、非常に心安く「呼びかけ人」になることを承諾して下さった。
アルザス日本学研究所は大変喜んだ。と言うのも梅棹先生はフランスの日本学研究の権威ジャン ジャック オリガス教授(初代アルザス日本学研究所所長)の知人だったからである。
民族博物館の梅棹先生の研究室に行き、「日欧学術教育文化交流活動委員会」の呼びかけ人をお願いした時、先生は「フランスには色々とお世話になっているので、その恩返しも兼ねて、どうぞ名前を使って下さい」と言って下さった。
その後、代表者の岸田綱太郎先生を亡くし、会は活動を停止した状態になった。そして、今度は、梅棹先生を亡くした。無念である。しかし、先生のヨーロッパやフランスへの気持ちを受け止めるなら、どうしても会を再建しなければならないと思う。
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2010年10月19日火曜日
善悪の確率的彼岸とは何か
三石博行
善と悪の回帰運動
善を深く知るものは悪を知っている。そして、悪を深く知るものは善を知っている。その両者を深く知るものは人間を知っている。
「人間は天使でもなければ禽獣(きんじゅう)でもない。天使になろうとするものが禽獣になるのは、不幸なことである。」パスカル「パンセ」(358)
悪への自覚は善への入り口を作り、善からの判断は悪への入り口を作る。なんと皮肉なことか。キリストの原罪思想も親鸞の悪人正機説も、ソクラテスの無知の知のように、逆説的に理解することによって、あまり大きな過ちを犯さない処方を教えているようだ。
つまり、我々が身を滅ぼすほどの大きな過ちを犯さないために、悪を知るということが存在しているようにも思える。
「人間には二種類だけしかいない。一は、自己を罪びとと思っている義人。他は自分を義人と思っている罪びと。」パスカル『パンセ』(534)
そして、悪は善を理解するためにあり、善は悪を理解するためにある。つまり、悪と善はつねに相互を決定するために用意されているようだ。
最も、問題にすべきは、悪として自覚できない悪の存在である。それは主観的には、まったく悪ではないものとして理解されていることである。多分、私にも、他者から見れば悪として理解されながら、自分の中では、悪として自覚できないものがあるかもしれない。
善となろうとするものが悪になるのは自然なことだ
国家権力の中心にいる人々、例えば政治家や高級官僚などの犯罪を摘発する特捜(検察庁特別捜査部)として国民の圧倒的支持を得て、またロッキード事件などを解決してきたその組織が、今逆に、意識的に市民を冤罪被害者にする犯罪が指摘されている。
先月、2010年9月、大阪地検特捜部のM主任検事が厚生労働省の村木厚子元局長らの犯罪を裏付けるために押収したフロッピーディスクのデータを書き換えたことが明らかになり、前田主任検事は逮捕された事件。
正義の使者「特捜検事」のエリート、M主任検事。きっと、彼は悪の巣窟、官僚と政治家(小沢さんみたいな人)を「正したかった」のだと思う。そして、彼の正義を貫くためには、手段を選ばなくてもよかったと堅く信じていたのだ。
悪い奴をヤッケルのだから、世の中の悪を退治するのだから、証拠のフロッピー日付の書き換えなどはそう大いしたことはないと信じていたのではかろうか。
悪と闘い続けてきたM主任検事が、田中角栄元総理のような怪物と闘うために、彼は田中角栄氏よりもより強大な権力者となる必要があった。そして、M主任検事が、強大な権力と闘う以上、M主任検事も強大な権力者となったのである。これは実に自然なことだはないか。
今、世間では、昨日の悪玉(官僚)が無罪となり、正義の使者(特捜検事)が有罪となろうとしている。
この問題は、M主任検事の個人的な資質の問題ではない。特捜の星M主任検事を創ったのは検察組織、民主主義国家国日本、そしてマスコミ。M主任検事を語るとき、我々の社会的評価や価値観などは無傷でいられるのであろうか。怪物M主任検事の誕生を騒ぐ前に、まず自分に潜む怪物を点検するべきだろう。
またもや、M主任検事を悪としM労働厚生省元局長を善として、社会が作り出す善悪物語がマスコミに登場する。その面白く分かりやすい話(ストーリー)を聴くたびに私は常に不安を感じる。
評価の悪い確率が80%以上の状態 悪と評される可能性が高い
悪とは何かを考えるとき、善に対する悪という二元論から、評価の非常に最高に悪いと言われるものという表現がある。
この考えは、失敗学を創設した畑村洋太郎氏の定義した「失敗」の概念に近い。つまり、彼は「失敗学における失敗の定義」を「人間が関わったひとつの行為の結果が、望ましくない、あるいは期待しないものになること」と書いてくる。言い換えると、行為の結果は主観的な評価基準によって失敗と感じることも、そうでないこともあると言える。その評価は極めて主観的である。
するとそれらの主観的評価(個人的評価)が集まり、ある評価集合を作ったとすれば、その平均値がそれらの主観的評価の平均値、つまり共同主観的評価となる。そして、ある行為結果に対して、統計的な解釈を導入すると、悪という評価は、まずいという評価から始まる程度の順序の最高値であると気付くのである。
つまり、まずいから悪への順序は以下のようになる。
1、あまりよくないといわれること
2、まずいといわれること
3、大変まずいといわれること
4、悪として評価されたもの
5、最悪といわれるもの
この評価段階表を基にすれが、悪(犯罪行為)という評価に至るまでに、すでに他者からの批判的評価を受けていたと思いますね。問題は、それらの批判的評価を受け入れられない自分、またはそれを過小評価している自分の問題が浮き彫りになる。
つまり、失敗と同じで、つねにある確率で選択した行為に対しては同じ評価集合内の他者の批判が生じる。ましては、何かに挑戦する場合には、その批判の起こる確率は非常に高い。そして、それらの批判をどのように処理していくか。
特捜の組織の中では、こうした批判的評価に対して、それを受け入れてはならないという組織的文化があるのではないか。つまり、その背景に、世論が係わっている。今までの特捜が行った政治家や官僚への厳しい闘いを我々は支持してきたのだ。その上で、彼らは、彼ら独特の捜査手法の落とし穴を検証する機会がなかったのかもしれない。
他者からの批判的評価を無視する、理解しない、拒絶するという過程を経ながら、大きな落とし穴(犯罪行為)に落ちるのだと思う。
社会が悪(犯罪行為として評価された状態)と断定するまでに、多分、社会は軽度から重度の批判的評価を下し続けたと思われる。ですから、善か悪かの整数値を行為評価に与えるのでなく、批判的評価関数の平均値からのズレを問題にする発想が必要だと思う。
その意味で絶対的な悪も絶対的な善も存在すると考えることは、不可能に近い悪と善の姿をイメージしていることになると思う。
問題は、M主任検事でなく、M主任検事の思想です。M主任検事の司法や捜査に対する考え方の問題だと思う。
彼は、その意味で自らがもつ権力の恐ろしさを忘れていたのだと思います。
しかし、自らの持つ権力の恐ろしさを忘れるのは、M主任検事だけではないでしょう。小さな企業でも、家族でも、学校でも、どこでも起こるような人間的現象のように思える。
参考資料
畑村洋太郎著『決定版 失敗学の法則』文芸春秋社、文春文庫、2005年6月10日 第1刷、268頁
http://mixi.jp/home.pl?from=global
mixi 「考える糧ゴリー」
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善と悪の回帰運動
善を深く知るものは悪を知っている。そして、悪を深く知るものは善を知っている。その両者を深く知るものは人間を知っている。
「人間は天使でもなければ禽獣(きんじゅう)でもない。天使になろうとするものが禽獣になるのは、不幸なことである。」パスカル「パンセ」(358)
悪への自覚は善への入り口を作り、善からの判断は悪への入り口を作る。なんと皮肉なことか。キリストの原罪思想も親鸞の悪人正機説も、ソクラテスの無知の知のように、逆説的に理解することによって、あまり大きな過ちを犯さない処方を教えているようだ。
つまり、我々が身を滅ぼすほどの大きな過ちを犯さないために、悪を知るということが存在しているようにも思える。
「人間には二種類だけしかいない。一は、自己を罪びとと思っている義人。他は自分を義人と思っている罪びと。」パスカル『パンセ』(534)
そして、悪は善を理解するためにあり、善は悪を理解するためにある。つまり、悪と善はつねに相互を決定するために用意されているようだ。
最も、問題にすべきは、悪として自覚できない悪の存在である。それは主観的には、まったく悪ではないものとして理解されていることである。多分、私にも、他者から見れば悪として理解されながら、自分の中では、悪として自覚できないものがあるかもしれない。
善となろうとするものが悪になるのは自然なことだ
国家権力の中心にいる人々、例えば政治家や高級官僚などの犯罪を摘発する特捜(検察庁特別捜査部)として国民の圧倒的支持を得て、またロッキード事件などを解決してきたその組織が、今逆に、意識的に市民を冤罪被害者にする犯罪が指摘されている。
先月、2010年9月、大阪地検特捜部のM主任検事が厚生労働省の村木厚子元局長らの犯罪を裏付けるために押収したフロッピーディスクのデータを書き換えたことが明らかになり、前田主任検事は逮捕された事件。
正義の使者「特捜検事」のエリート、M主任検事。きっと、彼は悪の巣窟、官僚と政治家(小沢さんみたいな人)を「正したかった」のだと思う。そして、彼の正義を貫くためには、手段を選ばなくてもよかったと堅く信じていたのだ。
悪い奴をヤッケルのだから、世の中の悪を退治するのだから、証拠のフロッピー日付の書き換えなどはそう大いしたことはないと信じていたのではかろうか。
悪と闘い続けてきたM主任検事が、田中角栄元総理のような怪物と闘うために、彼は田中角栄氏よりもより強大な権力者となる必要があった。そして、M主任検事が、強大な権力と闘う以上、M主任検事も強大な権力者となったのである。これは実に自然なことだはないか。
今、世間では、昨日の悪玉(官僚)が無罪となり、正義の使者(特捜検事)が有罪となろうとしている。
この問題は、M主任検事の個人的な資質の問題ではない。特捜の星M主任検事を創ったのは検察組織、民主主義国家国日本、そしてマスコミ。M主任検事を語るとき、我々の社会的評価や価値観などは無傷でいられるのであろうか。怪物M主任検事の誕生を騒ぐ前に、まず自分に潜む怪物を点検するべきだろう。
またもや、M主任検事を悪としM労働厚生省元局長を善として、社会が作り出す善悪物語がマスコミに登場する。その面白く分かりやすい話(ストーリー)を聴くたびに私は常に不安を感じる。
評価の悪い確率が80%以上の状態 悪と評される可能性が高い
悪とは何かを考えるとき、善に対する悪という二元論から、評価の非常に最高に悪いと言われるものという表現がある。
この考えは、失敗学を創設した畑村洋太郎氏の定義した「失敗」の概念に近い。つまり、彼は「失敗学における失敗の定義」を「人間が関わったひとつの行為の結果が、望ましくない、あるいは期待しないものになること」と書いてくる。言い換えると、行為の結果は主観的な評価基準によって失敗と感じることも、そうでないこともあると言える。その評価は極めて主観的である。
するとそれらの主観的評価(個人的評価)が集まり、ある評価集合を作ったとすれば、その平均値がそれらの主観的評価の平均値、つまり共同主観的評価となる。そして、ある行為結果に対して、統計的な解釈を導入すると、悪という評価は、まずいという評価から始まる程度の順序の最高値であると気付くのである。
つまり、まずいから悪への順序は以下のようになる。
1、あまりよくないといわれること
2、まずいといわれること
3、大変まずいといわれること
4、悪として評価されたもの
5、最悪といわれるもの
この評価段階表を基にすれが、悪(犯罪行為)という評価に至るまでに、すでに他者からの批判的評価を受けていたと思いますね。問題は、それらの批判的評価を受け入れられない自分、またはそれを過小評価している自分の問題が浮き彫りになる。
つまり、失敗と同じで、つねにある確率で選択した行為に対しては同じ評価集合内の他者の批判が生じる。ましては、何かに挑戦する場合には、その批判の起こる確率は非常に高い。そして、それらの批判をどのように処理していくか。
特捜の組織の中では、こうした批判的評価に対して、それを受け入れてはならないという組織的文化があるのではないか。つまり、その背景に、世論が係わっている。今までの特捜が行った政治家や官僚への厳しい闘いを我々は支持してきたのだ。その上で、彼らは、彼ら独特の捜査手法の落とし穴を検証する機会がなかったのかもしれない。
他者からの批判的評価を無視する、理解しない、拒絶するという過程を経ながら、大きな落とし穴(犯罪行為)に落ちるのだと思う。
社会が悪(犯罪行為として評価された状態)と断定するまでに、多分、社会は軽度から重度の批判的評価を下し続けたと思われる。ですから、善か悪かの整数値を行為評価に与えるのでなく、批判的評価関数の平均値からのズレを問題にする発想が必要だと思う。
その意味で絶対的な悪も絶対的な善も存在すると考えることは、不可能に近い悪と善の姿をイメージしていることになると思う。
問題は、M主任検事でなく、M主任検事の思想です。M主任検事の司法や捜査に対する考え方の問題だと思う。
彼は、その意味で自らがもつ権力の恐ろしさを忘れていたのだと思います。
しかし、自らの持つ権力の恐ろしさを忘れるのは、M主任検事だけではないでしょう。小さな企業でも、家族でも、学校でも、どこでも起こるような人間的現象のように思える。
参考資料
畑村洋太郎著『決定版 失敗学の法則』文芸春秋社、文春文庫、2005年6月10日 第1刷、268頁
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人権を守り維持する力・権力と文化
三石博行
1、いじめ(暴力)への対応としての懲罰(権力)
ある小学校であった話であるが、いじめをやめさせるために、いじめっ子の登校を一時禁止して、自宅待機させたとか。
いじめをやめさせるために学校が取った手段は懲罰であった。勝手な想像によれば、そのいじめは懲罰を与えるに値するほど、ひどいものだったかもしれない。
9月11日にテロを受けたアメリカが取った手段は、テロリストをかくまっている国、アフガニスタンを攻撃して、テロリストとそれを支援する政府を打倒することでした。確かに、テロリストを支援していた政府は崩壊した。と同時に、アメリカの爆撃で多くの市民の命と生活が奪われた。
いじめっ子を学校から一時追い出すのだから、いじめっ子以外の誰も傷つかない。だから、このケースはアメリカの例を引き合いに出すのは間違いといわれるかもしれないが、つまり、二つのケースは同じ論理によって成立している。
同じ論理とは、「人権侵害(暴力や殺人)を犯した人々を、懲罰(爆撃・殺人や自宅待機・学校で学ぶ権利の剥奪」で対応するという方法を選んだことである。
人権を守るという課題の困難さは、人権侵害に対して、人権を尊重した方法で対応しなければならないことが課せられていることである。だから、殺人罪に対して死刑廃止の論理が成立している。
唯一、その考え方で世界や歴史を変えた運動、つまり人権思想を掲げて政治運動を成功させたのは、ガンディーが指導した非暴力主義、インド独立運動である。その運動は、人権を尊重した方法で人権侵害者たちと闘う方法を示した。そして、その思想が、今日の死刑廃止運動にも繋がるのである。多くの人権主義者、特にアムネスティー運動に参加する人々は、ガンディーの選択し展開した思想と運動を支持するだろう。
しかし、また逆に、人権を守る社会機能(法律や行政機能)の課題を語らなければ、人権擁護は砂上の楼閣のようなものだという主張もある。非暴力主義者、ガンディーは暗殺される運命にあった。彼の暗殺を防ぐには、彼自身が暗殺者や刺客の暴力を防ぐ具体的な抑止力(暴力)を持たなければならなかったのかも知れない。
しかし、この二つの議論、現実的に人権を守るための権力の必要性を主張するか、理想的な方法、つまり非暴力主義(平和主義)で人権を守る闘いをする必要性を主張するかある。しかし、軍事的な力を持つ反人権主義者と闘うために、理想主義者ガンディーは暗殺され、現実主義者ブッシュは多くの人々を殺戮し、生活を破壊し、国を荒廃させてしまった。
2、差別(暴力)と闘うための逆差別(権力)
また、差別と闘うことは、そのことによって生じる逆差別を防ぐことまで考えることの困難さが付きまとう。
しかし、現実は、そううまく行かないだろう。例えば、アメリカの奴隷制度以来300年も続いた人種差別、黒人社会と白人社会の格差をなくするために1960年代から始まる公民権運動がある。その成果として、今日の黒人・オバマを大統領に選んだアメリカ社会がある。と同時に、公民権運動で、大学入学などで逆差別を受けている白人たちがいる。今、その不満が膨らんでいることも否定できないだろう。
差別や格差をなくするために、社会は差別する人々の権利を奪い、逆差別を少々作っても、その是正を行うことを選ぶことになる。換言すれば「差別と闘うことは、そのことによって生じる逆差別を防ぐことまで考え」ていては、差別や格差を廃絶することはできない。
逆差別が生じることで、公民権運動も終わりを告げる。しかし、そこまで行かなければ、社会の構造として確りと根を張った黒人差別は解決しないだろう。
3、人権を守るために問われているもの、民主主義、市民主義、生活主義の社会思想とそれによって生活している人々・文化の形成へ
確かに人権問題は制度的(政治的)力をもって対応することが社会に求められています。犯罪に対する警察・検察行政や司法制度、それらの防犯や犯罪者逮捕の社会的機能を持つ警察・検察行政が侵す権力犯罪への監視機構等々。
人権を守る社会制度(権力・行政執行機構)がなければ、つまり法律やそれを施行する行政組織がなければ、人権は守れません。
しかし、それらの権力機能を動かす社会思想がなければ、人権を守ることはまったく出来ないのだと思います。
人権の問題は、究極的には「自分の人生と向き合うための価値観を持つことと 人権意識を持つこととは、切り離せない」(「mixi「哲学が好き」 の友人○永遠さんの表現)のだと思います。
その心を育てるために、いじめた子供を隔離するのでなく、その子供たちと共に考える場を作るスキルが教育者に求められているかもしれません。
もしアメリカが同時多発テロの後に、テロリストをかくまう国の政府と話し合い、アメリカがテロの対象となる背景について政治的に理解し、その問題をも共に解決する政治的行動に出ることができたら、中東アラブ諸国での戦禍による犠牲者数を少なく止めることが出来たと思う。巨大な軍事力を背景にしながらも平和外交を進めるアメリカの国際政治力のスキルが問われているのである。
受刑者を刑務所で矯正し、社会復帰させるスキルを社会は持っていない。そのため、頻回受刑者(ひんかいじゅけしゃ・繰り返し犯罪を犯す人々)が2000年の統計で52.5パーセントになっているという。また、そのため受刑者の高齢化もすすんでいる。この現実は、刑務所が受刑が人間性の復活過程・矯正機能を果たしていないことを意味する。極論すると刑務所行政は税金の無駄遣いをしているのである。人権教育機能としての刑務所のあり方を問うべきである。
4、民主主義の社会文化の土台にある人権思想
民主主義という制度は、自分を主張し(自由の思想)、そして色々な異なった意見の人々と共に共存する(平等の思想)。お互いの生命や生活を守りあう(友愛の思想)社会システムを意味します。
自分と他者の意見は基本的に異なります。それが本来の人々の考え方という社会現象の姿です。人と人が共通した利益、立場に立つ、または立たされることによって、それらの人々は共に手を携えるわけです。
この社会が運営されるために、人の命や生活が大切であり、それを守りあうことが社会の共通した考え方であることが、社会の中で了解されているならば、その守り方をめぐる相互の違いは生じるものの、基本的な社会理念は共有することが出来ると思う。
人権という考え方、つまり、人の命と生活が大切であるという考え方が基本になければ民主主義社会や民主主義思想によって行動する人々の姿(文化)を発展し維持することは出来ないのだと思う。
身の回りの生活風景の中で、自分の言動の中で、自分が発することばや動き出す行為として、「人の命と生活が最も大切なのだ」という考えが検証されているかを、つねに反省する力によってしか、人権重視の社会という現象は実現できないのだと思う。
それは、個人の力のみでなく、社会の理念(共同主観や社会規範)の形成として積み重ねられなければならないと思う。
5、文化としての民主主義・人権思想
自由、平等と友愛を基礎とする人権という思想(文化)は具体的に国民主権、民主主義と三権分立の政治、経済、社会制度が法律として成立することによって形成される。それらの国家の制度や法律に民主主義制度が裏づけされると同時に、その社会で生活している人々が民主主義や人権思想を生活文化として持たなければ、民主主義も人権も箱に書かれた絵に過ぎない。
私が、フランスで生活していたとき、丁度、湾岸戦争が起こった。マンションの同じ階の隣に住んでいたマダムドゥブリエーさん(当時75歳)とこの戦争について色々と話した。ニュースを見ながら、司会者や政治家の発言に対する批判。当時、私の回りでは、湾岸戦争に対する評価をめぐる議論が盛んに行われていた。それがフランス人の生活文化のイメージを作っていた。
街の人々が率直に自分の意見を述べる。それがお互いに異なっていても、それはその人の考え方であることを理解している。
つまり、民主主義、表現の自由 また同時に他者と意見が異なってもその他者を排斥しないという人権を大切にする考えはフランス人の生活文化の一つであった。「仲良くなりたかったら、ちゃんと自分の考えを述べよ」と彼らは私に教えた。人が共存するのは同じ考え方を持っているからでなく、異なる考え方を持っていても共に生活することによって、もっと大きな利益を相互に分かちあうことが出来るからだと、彼らの生活文化の思想の中に、個々人の自由とそれを相互に認め合う共存の思想が、生活文化として存在していたように思える。つまり、民主主は市民社会や人間に対する個々人の意識のように思えた。
市民たちの意識に、他者とは意見が異なる、宗教や信条も異なる、それでも相互にその違いを認め合うこと、つまり共存を前提にして成立している社会思想に基づく他者への理解のように思えた。
つまり、そのためには、自分も他者も共に共存できる社会的条件を認めなければならない。経済的、市民的、健康的、教育的、文化的等々の条件を認めなければならない。そのために、自分の収入から、その条件に満たない人々を支えることを自分の社会的義務として自覚しなければならない。
人権を守る社会は、他者の不幸を放置することがどれほど社会的に危険なことかを理解している。社会的に蔓延する病気、犯罪や紛争を防ぐことで、結果的に自分が守られることを理解する市民によって、人権という社会風土、文化が発達するのだと思う。
世界を見渡して人権、生態、福祉、教育等々の文化のあり方でバランスのいい社会(例えば北欧社会)は、QOL(生活の質)が非常に高いように思える。それが生活文化としての民主主義や人権制度の贈り物ではないだろうか。
参考資料
http://mixi.jp/home.pl?from=global
mixi 「哲学が好き」 のトッピック「人権てなんだろう」から
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1、いじめ(暴力)への対応としての懲罰(権力)
ある小学校であった話であるが、いじめをやめさせるために、いじめっ子の登校を一時禁止して、自宅待機させたとか。
いじめをやめさせるために学校が取った手段は懲罰であった。勝手な想像によれば、そのいじめは懲罰を与えるに値するほど、ひどいものだったかもしれない。
9月11日にテロを受けたアメリカが取った手段は、テロリストをかくまっている国、アフガニスタンを攻撃して、テロリストとそれを支援する政府を打倒することでした。確かに、テロリストを支援していた政府は崩壊した。と同時に、アメリカの爆撃で多くの市民の命と生活が奪われた。
いじめっ子を学校から一時追い出すのだから、いじめっ子以外の誰も傷つかない。だから、このケースはアメリカの例を引き合いに出すのは間違いといわれるかもしれないが、つまり、二つのケースは同じ論理によって成立している。
同じ論理とは、「人権侵害(暴力や殺人)を犯した人々を、懲罰(爆撃・殺人や自宅待機・学校で学ぶ権利の剥奪」で対応するという方法を選んだことである。
人権を守るという課題の困難さは、人権侵害に対して、人権を尊重した方法で対応しなければならないことが課せられていることである。だから、殺人罪に対して死刑廃止の論理が成立している。
唯一、その考え方で世界や歴史を変えた運動、つまり人権思想を掲げて政治運動を成功させたのは、ガンディーが指導した非暴力主義、インド独立運動である。その運動は、人権を尊重した方法で人権侵害者たちと闘う方法を示した。そして、その思想が、今日の死刑廃止運動にも繋がるのである。多くの人権主義者、特にアムネスティー運動に参加する人々は、ガンディーの選択し展開した思想と運動を支持するだろう。
しかし、また逆に、人権を守る社会機能(法律や行政機能)の課題を語らなければ、人権擁護は砂上の楼閣のようなものだという主張もある。非暴力主義者、ガンディーは暗殺される運命にあった。彼の暗殺を防ぐには、彼自身が暗殺者や刺客の暴力を防ぐ具体的な抑止力(暴力)を持たなければならなかったのかも知れない。
しかし、この二つの議論、現実的に人権を守るための権力の必要性を主張するか、理想的な方法、つまり非暴力主義(平和主義)で人権を守る闘いをする必要性を主張するかある。しかし、軍事的な力を持つ反人権主義者と闘うために、理想主義者ガンディーは暗殺され、現実主義者ブッシュは多くの人々を殺戮し、生活を破壊し、国を荒廃させてしまった。
2、差別(暴力)と闘うための逆差別(権力)
また、差別と闘うことは、そのことによって生じる逆差別を防ぐことまで考えることの困難さが付きまとう。
しかし、現実は、そううまく行かないだろう。例えば、アメリカの奴隷制度以来300年も続いた人種差別、黒人社会と白人社会の格差をなくするために1960年代から始まる公民権運動がある。その成果として、今日の黒人・オバマを大統領に選んだアメリカ社会がある。と同時に、公民権運動で、大学入学などで逆差別を受けている白人たちがいる。今、その不満が膨らんでいることも否定できないだろう。
差別や格差をなくするために、社会は差別する人々の権利を奪い、逆差別を少々作っても、その是正を行うことを選ぶことになる。換言すれば「差別と闘うことは、そのことによって生じる逆差別を防ぐことまで考え」ていては、差別や格差を廃絶することはできない。
逆差別が生じることで、公民権運動も終わりを告げる。しかし、そこまで行かなければ、社会の構造として確りと根を張った黒人差別は解決しないだろう。
3、人権を守るために問われているもの、民主主義、市民主義、生活主義の社会思想とそれによって生活している人々・文化の形成へ
確かに人権問題は制度的(政治的)力をもって対応することが社会に求められています。犯罪に対する警察・検察行政や司法制度、それらの防犯や犯罪者逮捕の社会的機能を持つ警察・検察行政が侵す権力犯罪への監視機構等々。
人権を守る社会制度(権力・行政執行機構)がなければ、つまり法律やそれを施行する行政組織がなければ、人権は守れません。
しかし、それらの権力機能を動かす社会思想がなければ、人権を守ることはまったく出来ないのだと思います。
人権の問題は、究極的には「自分の人生と向き合うための価値観を持つことと 人権意識を持つこととは、切り離せない」(「mixi「哲学が好き」 の友人○永遠さんの表現)のだと思います。
その心を育てるために、いじめた子供を隔離するのでなく、その子供たちと共に考える場を作るスキルが教育者に求められているかもしれません。
もしアメリカが同時多発テロの後に、テロリストをかくまう国の政府と話し合い、アメリカがテロの対象となる背景について政治的に理解し、その問題をも共に解決する政治的行動に出ることができたら、中東アラブ諸国での戦禍による犠牲者数を少なく止めることが出来たと思う。巨大な軍事力を背景にしながらも平和外交を進めるアメリカの国際政治力のスキルが問われているのである。
受刑者を刑務所で矯正し、社会復帰させるスキルを社会は持っていない。そのため、頻回受刑者(ひんかいじゅけしゃ・繰り返し犯罪を犯す人々)が2000年の統計で52.5パーセントになっているという。また、そのため受刑者の高齢化もすすんでいる。この現実は、刑務所が受刑が人間性の復活過程・矯正機能を果たしていないことを意味する。極論すると刑務所行政は税金の無駄遣いをしているのである。人権教育機能としての刑務所のあり方を問うべきである。
4、民主主義の社会文化の土台にある人権思想
民主主義という制度は、自分を主張し(自由の思想)、そして色々な異なった意見の人々と共に共存する(平等の思想)。お互いの生命や生活を守りあう(友愛の思想)社会システムを意味します。
自分と他者の意見は基本的に異なります。それが本来の人々の考え方という社会現象の姿です。人と人が共通した利益、立場に立つ、または立たされることによって、それらの人々は共に手を携えるわけです。
この社会が運営されるために、人の命や生活が大切であり、それを守りあうことが社会の共通した考え方であることが、社会の中で了解されているならば、その守り方をめぐる相互の違いは生じるものの、基本的な社会理念は共有することが出来ると思う。
人権という考え方、つまり、人の命と生活が大切であるという考え方が基本になければ民主主義社会や民主主義思想によって行動する人々の姿(文化)を発展し維持することは出来ないのだと思う。
身の回りの生活風景の中で、自分の言動の中で、自分が発することばや動き出す行為として、「人の命と生活が最も大切なのだ」という考えが検証されているかを、つねに反省する力によってしか、人権重視の社会という現象は実現できないのだと思う。
それは、個人の力のみでなく、社会の理念(共同主観や社会規範)の形成として積み重ねられなければならないと思う。
5、文化としての民主主義・人権思想
自由、平等と友愛を基礎とする人権という思想(文化)は具体的に国民主権、民主主義と三権分立の政治、経済、社会制度が法律として成立することによって形成される。それらの国家の制度や法律に民主主義制度が裏づけされると同時に、その社会で生活している人々が民主主義や人権思想を生活文化として持たなければ、民主主義も人権も箱に書かれた絵に過ぎない。
私が、フランスで生活していたとき、丁度、湾岸戦争が起こった。マンションの同じ階の隣に住んでいたマダムドゥブリエーさん(当時75歳)とこの戦争について色々と話した。ニュースを見ながら、司会者や政治家の発言に対する批判。当時、私の回りでは、湾岸戦争に対する評価をめぐる議論が盛んに行われていた。それがフランス人の生活文化のイメージを作っていた。
街の人々が率直に自分の意見を述べる。それがお互いに異なっていても、それはその人の考え方であることを理解している。
つまり、民主主義、表現の自由 また同時に他者と意見が異なってもその他者を排斥しないという人権を大切にする考えはフランス人の生活文化の一つであった。「仲良くなりたかったら、ちゃんと自分の考えを述べよ」と彼らは私に教えた。人が共存するのは同じ考え方を持っているからでなく、異なる考え方を持っていても共に生活することによって、もっと大きな利益を相互に分かちあうことが出来るからだと、彼らの生活文化の思想の中に、個々人の自由とそれを相互に認め合う共存の思想が、生活文化として存在していたように思える。つまり、民主主は市民社会や人間に対する個々人の意識のように思えた。
市民たちの意識に、他者とは意見が異なる、宗教や信条も異なる、それでも相互にその違いを認め合うこと、つまり共存を前提にして成立している社会思想に基づく他者への理解のように思えた。
つまり、そのためには、自分も他者も共に共存できる社会的条件を認めなければならない。経済的、市民的、健康的、教育的、文化的等々の条件を認めなければならない。そのために、自分の収入から、その条件に満たない人々を支えることを自分の社会的義務として自覚しなければならない。
人権を守る社会は、他者の不幸を放置することがどれほど社会的に危険なことかを理解している。社会的に蔓延する病気、犯罪や紛争を防ぐことで、結果的に自分が守られることを理解する市民によって、人権という社会風土、文化が発達するのだと思う。
世界を見渡して人権、生態、福祉、教育等々の文化のあり方でバランスのいい社会(例えば北欧社会)は、QOL(生活の質)が非常に高いように思える。それが生活文化としての民主主義や人権制度の贈り物ではないだろうか。
参考資料
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問われる人権の概念
三石博行
人権とは何か
人権とは人間の権利、つまり人権とは生命と生活を守る権利。要約すると、ありとあらゆる人々の命と生活、行動や精神の自由、苦しみに対する抗議の権利、人間的幸福を追求する権利であるといえる。
だから、市民の権利、労働者の権利、経営者の権利、消費者の権利、被差別部落・カースト・人種の権利、経済格差を受けている人の権利、文化的格差を受けている人の権利、少数民族の権利、公害被害者の権利、医療被害者の権利、不可避的業務上の事故に対する弁護の権利、犯罪にあわない権利、冤罪にされない権利、犯罪被害者の権利、犯罪加害者家族の権利、受刑者の権利、子供の権利、親の権利、先進国の人々の人権、発展途上国の人々の人権、中国国民の二つの人権(経済的生存権と政治的行動権)等々。
すると、ある人権とべつの人権はぶつかることになる。そして、何か、人権という一般的概念を見つけ出そうとするとき、現実の具体的人権概念同士が拮抗し、衝突し、相互の立場を譲ろうとしない現実に出会う。
そこで人権とは何かともう一度問いかける。人権の概念を正確に表現できることばなないか考える。それが実に難しいことに気づくのである。
しかし、実は、この困難さの理解が、今日の人権問題を語る上で問われていることにあらためて気づくのである。
多様化しつつある人権社会の形成過程
現在、人権の概念が問われているのは、民主主義社会の形成過程が多様化しつつあること、西洋民主主義社会化の歴史過程が国際社会の多様な文化形態の中で、相対化しようとしているからではないだろうか。
以下の課題を考えてみよう。
1、グローバリゼーションによって、民主主義社会化の過程が多様化していること、つまり、西洋民主主義社会の歴史モデルでは語れない色々な民主化過程が存在していること。
2、伝統的な人道主義の理想モデルに対して、マキャベリズム的な政治思想のもつ現実主義的方法も、人権問題を解決する方法として評価され始めていること。
3、人権、つまり人間の命と生活、社会的平等、経済的生活権の保障、身体と精神の自由、個人的生活権の尊重等々を守るための社会システム(制度や規則、社会資本形成とその維持運用、個人的行為の範囲と許容に関する取り決め)の優先順位を巡って、民族、国家、社会共同体ごとに、それぞれ判断基準を持っている国際的な政治地理環境の出現。
参考資料
樋口陽一著 『一語の辞典 人権』三省堂 1996年5月 122p B5版
http://mixi.jp/home.pl?from=global
mixi 「哲学が好き」
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人権とは何か
人権とは人間の権利、つまり人権とは生命と生活を守る権利。要約すると、ありとあらゆる人々の命と生活、行動や精神の自由、苦しみに対する抗議の権利、人間的幸福を追求する権利であるといえる。
だから、市民の権利、労働者の権利、経営者の権利、消費者の権利、被差別部落・カースト・人種の権利、経済格差を受けている人の権利、文化的格差を受けている人の権利、少数民族の権利、公害被害者の権利、医療被害者の権利、不可避的業務上の事故に対する弁護の権利、犯罪にあわない権利、冤罪にされない権利、犯罪被害者の権利、犯罪加害者家族の権利、受刑者の権利、子供の権利、親の権利、先進国の人々の人権、発展途上国の人々の人権、中国国民の二つの人権(経済的生存権と政治的行動権)等々。
すると、ある人権とべつの人権はぶつかることになる。そして、何か、人権という一般的概念を見つけ出そうとするとき、現実の具体的人権概念同士が拮抗し、衝突し、相互の立場を譲ろうとしない現実に出会う。
そこで人権とは何かともう一度問いかける。人権の概念を正確に表現できることばなないか考える。それが実に難しいことに気づくのである。
しかし、実は、この困難さの理解が、今日の人権問題を語る上で問われていることにあらためて気づくのである。
多様化しつつある人権社会の形成過程
現在、人権の概念が問われているのは、民主主義社会の形成過程が多様化しつつあること、西洋民主主義社会化の歴史過程が国際社会の多様な文化形態の中で、相対化しようとしているからではないだろうか。
以下の課題を考えてみよう。
1、グローバリゼーションによって、民主主義社会化の過程が多様化していること、つまり、西洋民主主義社会の歴史モデルでは語れない色々な民主化過程が存在していること。
2、伝統的な人道主義の理想モデルに対して、マキャベリズム的な政治思想のもつ現実主義的方法も、人権問題を解決する方法として評価され始めていること。
3、人権、つまり人間の命と生活、社会的平等、経済的生活権の保障、身体と精神の自由、個人的生活権の尊重等々を守るための社会システム(制度や規則、社会資本形成とその維持運用、個人的行為の範囲と許容に関する取り決め)の優先順位を巡って、民族、国家、社会共同体ごとに、それぞれ判断基準を持っている国際的な政治地理環境の出現。
参考資料
樋口陽一著 『一語の辞典 人権』三省堂 1996年5月 122p B5版
http://mixi.jp/home.pl?from=global
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哲学的知の成立条件について
三石博行
生活主体の反省学 哲学的知の姿
哲学は、対象認識された世界を前提にして了解されている意識を疑い、点検する作業である。対象認識されている世界とは、つまり現代社会であれば科学的な理解によって成立している世界例えば物理学、化学や生物学の知識によって解釈されている世界を意味する。また中世社会であれば宗教的な了解によって成立している世界、例えば聖書解釈、神学(物理神学も含めて)によって解釈されている世界を意味する。言い換えると、哲学は社会や時代が根拠とする価値、認識、精神や知識の基盤を無前提にして出発する思索ではなく、それを疑い点検する思索活動である。
それに対して、思想は時代的価値を実践検証する知性活動とも言われる。また、科学は時代的合理性を実践検証する知性活動とも言える。そして、技術は科学や思想に具現化した社会や時代的価値や知性の生活世界の道具化を意味する。
哲学は思想、科学や技術と異なることは、その基本命題の成立に関して、自己意識を根拠して成立すると言うことである。つまり、私や自分という「いま、ここで」生活し活動し考えている自己という根拠からしか、哲学は始まらないということが、他の科学と決定的に異なる学問の姿であると言える。
哲学は、対象世界を知るためにあるのでなく、主体とよばれる「いま、ここに」生きている個人、つまり現在という時間と空間で一人の人間として生きている個人が、その個人に関する意識を根拠にして始める知の形態である。
哲学が、それゆえに、なぜ、個人の価値、感性、精神、知性活動を無前提にはじめられないでいるのかを理解できるだろう。まさに、その個人の価値、感性、精神や知性活動の根拠、確かなあり方を確立することが哲学を始める第一の課題になるからである。
そのため、哲学的知性にとって、科学的知性は補助的に意味をもつ。しかし、科学的知性を援用しながら哲学的知性を説明することはできない。
科学、技術、法律、政治、経営や経済の知識は、哲学的知性を研ぎ澄ますために存在しているのではない。それらの知識は生活世界を豊かにするために、もしくは社会や国家を運営するために存在し、探究されてきた。
しかし、その哲学的知性を研ぎ澄ますことで、それが、現実の生活を営み、組織を運営し、科学や技術を発展させ、経済的生産活動を生み出し、政治的判断を行うために必要な知識にとって、有用なもの必要なものでないかぎり意味を持たないだろう。
全ての人々に与えられた探究の機会・哲学への入り口
哲学が問われる瞬間がある。それは真摯に自己と向き合っていることを問われる瞬間である。そのことを問われる瞬間とは、日常的な生活では出会えない。その瞬間は、寧ろ日常生活の亀裂の中に、非日常性として登場した危機や不安の中で、現れるように思える。それである限り、哲学が問われる瞬間は、それほど多くない。
しかし、哲学が問われる瞬間を持たない人は誰もいないと言える。何故なら、死、事故、災害、不幸という不慮の事態の存在を前提にして日常生活を送っているからである。日常生活を運営してきた知識では、解決できない課題を抱えているというのが人の生活の自然の姿である以上、人が必要とするものは、生活を豊かにするために単に知識の広さや多さの世界でなく、また技能の深さや豊かさの世界でもなく、豊かな生活を奪われ、死や不安のどん底に追いやられる世界から自己を救い出す根拠である。
哲学を学ぶことは、まるで自己の根拠をめぐる巡礼修行のようなものである。その巡礼によって、自己の根拠とする価値、認知や解釈の非在性と主観性に気付くとき、そして、その非在と主観的根拠よって生かされている自己の生活世界に気付くとき、生活世界への反省の意味とその逆の生活世界のドグマの意味の双方の共存と相関性を理解するだろう。哲学はそれを学ぶことによって、その学問活動の限界、つまり哲学がそれ自体として哲学を探究することによって、その学問が成立しえないという反哲学の公理にたどりつくのである。
哲学を学ぶことは、哲学を否定しなければならないことを気付くことになる。哲学を否定することは、哲学の必要性を生み出す基盤を理解することになる。哲学は、生活活動という時代性、社会性や文化性に決定的に固定された観念形態の習得活動と、その反省や点検と呼ばれる否定活動の相互の運動によって、成立している奇妙な学問である。
哲学がいまここに存在している主体に関する学問であるというのは、その反省や点検活動を問題にした場合である。しかし、哲学は時代精神、社会的合理性、文化的観念形態を前提にして表現される、生活世界と不可分の知の形態である。科学、技術、経済、政治、経営、組織運営、共同体、家族の営みと称される時代、社会や文化的精神活動を触媒にしながら、それらの知の在り方と関連しながら表現されるものである。
その意味で、哲学には超越的な哲学理論は存在しない。それらは、つねに時代、社会や文化的精神として、またそこに生きている人々の自我の表現として語られる。
多分、哲学を探究する人々の多くの場合、ソクラテスやデカルトを若い時に読んでしまったので、あまりにも早く哲学的思惟の中断しなければならないことが哲学的知の在り方であることを理解してしまった。哲学論文を書いてしながら、哲学を職業として、哲学を学問として続けるためには、哲学的思惟の中断という結論を先延ばしにしなければならないのである。どのようにして先延ばしにできるのか、それを大学の哲学科では学ぶことになる。
職業として哲学を探究しない人が、単に趣味的に「哲学がすき」で哲学を勉強している人たちが、また哲学専門家でなく哲学趣味人や素人と自称する人々が、もっとも哲学的な直観を理解しえるのは、彼らが、その中断を常に受け入れることができるからではないだろうか。
哲学は、その学問の第一公理において、哲学が有効であるために、哲学の専門化を否定しているように思える。そこに哲学が他の科学と決定的に異なる学問の姿が隠されているのである。
日常的生活行為(反哲学)と非日常的反省行為(哲学)の相補的関係を求める現代哲学の課題とその姿
勿論、より哲学的(反省的)な思惟はより生活的(実践的)な行動に活用され、より生活的(発展的かつ反復的)であることはより哲学的(遡行的かつ直観的)な思惟の基盤を保障することを意味する。
日常生活で生まれ育つ社会や生活の常識、科学や技術的知やスキルを持つことによって、より社会的に活動し、そこに責任を持つことによって、その世界の固定観念を身につけることによって、その埒内で模索することによって、その限界に苦しみ事によって、その限界を超えられない状態にたどりつくことによって、そこに哲学の必要性が生まれる。つまり、時代や社会の固定概念のない世界にはそれを反省し、それを否定する根拠も存在していない。また、時代、社会や文化と関係なく存在している人はいない。普遍的、抽象的な観念形態をもって生きている人はいない。すべて我々は、ある時代、社会や文化に規程された存在であり、その環境から独自に遊離して存在していない。その意味で、哲学はすべとの人々に、それを探究する前提条件を与えている学問であると言えるし、また哲学はいまここの居る私たちの時代、社会や文化的環境に規定された思惟活動であるとも言える。
例えば、「哲学とは何か」という哲学入門と書かれた教科書や教養系の書籍に必ずある章のタイトルにであう。哲学の課題として哲学の在り方が問題になっている。もし、物理学の本に「物理学とは何か」という章があるなら、その本は物理学の本と言うより、物理学を自然科学の中で位置付けるための著書と思われる。物理学の本であれば、力学の説明から始まるだろうし、物理学とは何かという課題は、序文の一部にこそ書かれるものの、章を割いて書かれることはないだろう。その点が哲学と異なる。むしろ、哲学の方が、他の科学の本よりも、自己言及の必要性を常に持ち続けていると理解するしかない。
哲学とは何かという課題は、哲学的知の形態が科学的知の形態と異なるために、生じている課題のように思える。一回、成立した「哲学的知」の定義が、何遍となく、問い直されるのは、その知の定義が一回成立することで、証明問題を終える科学的知と異質のものであることを意味している。
つまり、哲学的知とは「知る」ことが、いまここに生活している自分にとって、その知を実行すること、行動すること、生活を変えること、世界との関係を変えることが要求されているのである。それらの知ることによって生じる自己への投企(とうき)は、科学的行動のパターンと違い、その主体の置かれた状況に対する行動の要請である。つまり、それらの知は、個々人によっても、また同じ個人でも、時間的、社会文化的状況の変化に即して、異なる姿をとることが前提となっているからだろう。
哲学的知は、一般的な定義を当てはめることができるとしても、個人の解釈によって、その個人の数と、その個人の生きてきた環境の変化の数だけ存在している。そこに、この問い、哲学とは何を哲学が問いかけるという、哲学知の独特の姿がある。
それ(哲学が哲学的知を語ること)は結論であるようで、まったくの始まりである。そしてそれは全くの始まりのようにして、最終的な結論を語る。哲学という学問の成立条件の一つとして、その学問が哲学自体に対してその存在基盤をつねに言及し続けているということ、その結論が、哲学のはじめを意味し、また哲学の結論を意味しているように思える。
この課題は、哲学は知の広がりや体系を求める学問でなく、限りない自己言及の意味とその方法を教える学問であるのではないかという結論に達する。
そのために、多分、哲学史とよばれる哲学理論の歴史的な学習、何ない哲学と呼ばれる異なる哲学の方法論の学習、また具体的課題を点検する、科学技術哲学(現代社会の科学や技術の在り方や考え方を点検する学問)、法哲学(法や法制度を在り方を点検する学問)、政治哲学(政治や政治学の在り方を点検する学問)等々、具体的な社会、経済、組織、家族、個人の行動、機能や構造に関する科学や政策に関する点検の学問として哲学は限りなく成立することになる。
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生活主体の反省学 哲学的知の姿
哲学は、対象認識された世界を前提にして了解されている意識を疑い、点検する作業である。対象認識されている世界とは、つまり現代社会であれば科学的な理解によって成立している世界例えば物理学、化学や生物学の知識によって解釈されている世界を意味する。また中世社会であれば宗教的な了解によって成立している世界、例えば聖書解釈、神学(物理神学も含めて)によって解釈されている世界を意味する。言い換えると、哲学は社会や時代が根拠とする価値、認識、精神や知識の基盤を無前提にして出発する思索ではなく、それを疑い点検する思索活動である。
それに対して、思想は時代的価値を実践検証する知性活動とも言われる。また、科学は時代的合理性を実践検証する知性活動とも言える。そして、技術は科学や思想に具現化した社会や時代的価値や知性の生活世界の道具化を意味する。
哲学は思想、科学や技術と異なることは、その基本命題の成立に関して、自己意識を根拠して成立すると言うことである。つまり、私や自分という「いま、ここで」生活し活動し考えている自己という根拠からしか、哲学は始まらないということが、他の科学と決定的に異なる学問の姿であると言える。
哲学は、対象世界を知るためにあるのでなく、主体とよばれる「いま、ここに」生きている個人、つまり現在という時間と空間で一人の人間として生きている個人が、その個人に関する意識を根拠にして始める知の形態である。
哲学が、それゆえに、なぜ、個人の価値、感性、精神、知性活動を無前提にはじめられないでいるのかを理解できるだろう。まさに、その個人の価値、感性、精神や知性活動の根拠、確かなあり方を確立することが哲学を始める第一の課題になるからである。
そのため、哲学的知性にとって、科学的知性は補助的に意味をもつ。しかし、科学的知性を援用しながら哲学的知性を説明することはできない。
科学、技術、法律、政治、経営や経済の知識は、哲学的知性を研ぎ澄ますために存在しているのではない。それらの知識は生活世界を豊かにするために、もしくは社会や国家を運営するために存在し、探究されてきた。
しかし、その哲学的知性を研ぎ澄ますことで、それが、現実の生活を営み、組織を運営し、科学や技術を発展させ、経済的生産活動を生み出し、政治的判断を行うために必要な知識にとって、有用なもの必要なものでないかぎり意味を持たないだろう。
全ての人々に与えられた探究の機会・哲学への入り口
哲学が問われる瞬間がある。それは真摯に自己と向き合っていることを問われる瞬間である。そのことを問われる瞬間とは、日常的な生活では出会えない。その瞬間は、寧ろ日常生活の亀裂の中に、非日常性として登場した危機や不安の中で、現れるように思える。それである限り、哲学が問われる瞬間は、それほど多くない。
しかし、哲学が問われる瞬間を持たない人は誰もいないと言える。何故なら、死、事故、災害、不幸という不慮の事態の存在を前提にして日常生活を送っているからである。日常生活を運営してきた知識では、解決できない課題を抱えているというのが人の生活の自然の姿である以上、人が必要とするものは、生活を豊かにするために単に知識の広さや多さの世界でなく、また技能の深さや豊かさの世界でもなく、豊かな生活を奪われ、死や不安のどん底に追いやられる世界から自己を救い出す根拠である。
哲学を学ぶことは、まるで自己の根拠をめぐる巡礼修行のようなものである。その巡礼によって、自己の根拠とする価値、認知や解釈の非在性と主観性に気付くとき、そして、その非在と主観的根拠よって生かされている自己の生活世界に気付くとき、生活世界への反省の意味とその逆の生活世界のドグマの意味の双方の共存と相関性を理解するだろう。哲学はそれを学ぶことによって、その学問活動の限界、つまり哲学がそれ自体として哲学を探究することによって、その学問が成立しえないという反哲学の公理にたどりつくのである。
哲学を学ぶことは、哲学を否定しなければならないことを気付くことになる。哲学を否定することは、哲学の必要性を生み出す基盤を理解することになる。哲学は、生活活動という時代性、社会性や文化性に決定的に固定された観念形態の習得活動と、その反省や点検と呼ばれる否定活動の相互の運動によって、成立している奇妙な学問である。
哲学がいまここに存在している主体に関する学問であるというのは、その反省や点検活動を問題にした場合である。しかし、哲学は時代精神、社会的合理性、文化的観念形態を前提にして表現される、生活世界と不可分の知の形態である。科学、技術、経済、政治、経営、組織運営、共同体、家族の営みと称される時代、社会や文化的精神活動を触媒にしながら、それらの知の在り方と関連しながら表現されるものである。
その意味で、哲学には超越的な哲学理論は存在しない。それらは、つねに時代、社会や文化的精神として、またそこに生きている人々の自我の表現として語られる。
多分、哲学を探究する人々の多くの場合、ソクラテスやデカルトを若い時に読んでしまったので、あまりにも早く哲学的思惟の中断しなければならないことが哲学的知の在り方であることを理解してしまった。哲学論文を書いてしながら、哲学を職業として、哲学を学問として続けるためには、哲学的思惟の中断という結論を先延ばしにしなければならないのである。どのようにして先延ばしにできるのか、それを大学の哲学科では学ぶことになる。
職業として哲学を探究しない人が、単に趣味的に「哲学がすき」で哲学を勉強している人たちが、また哲学専門家でなく哲学趣味人や素人と自称する人々が、もっとも哲学的な直観を理解しえるのは、彼らが、その中断を常に受け入れることができるからではないだろうか。
哲学は、その学問の第一公理において、哲学が有効であるために、哲学の専門化を否定しているように思える。そこに哲学が他の科学と決定的に異なる学問の姿が隠されているのである。
日常的生活行為(反哲学)と非日常的反省行為(哲学)の相補的関係を求める現代哲学の課題とその姿
勿論、より哲学的(反省的)な思惟はより生活的(実践的)な行動に活用され、より生活的(発展的かつ反復的)であることはより哲学的(遡行的かつ直観的)な思惟の基盤を保障することを意味する。
日常生活で生まれ育つ社会や生活の常識、科学や技術的知やスキルを持つことによって、より社会的に活動し、そこに責任を持つことによって、その世界の固定観念を身につけることによって、その埒内で模索することによって、その限界に苦しみ事によって、その限界を超えられない状態にたどりつくことによって、そこに哲学の必要性が生まれる。つまり、時代や社会の固定概念のない世界にはそれを反省し、それを否定する根拠も存在していない。また、時代、社会や文化と関係なく存在している人はいない。普遍的、抽象的な観念形態をもって生きている人はいない。すべて我々は、ある時代、社会や文化に規程された存在であり、その環境から独自に遊離して存在していない。その意味で、哲学はすべとの人々に、それを探究する前提条件を与えている学問であると言えるし、また哲学はいまここの居る私たちの時代、社会や文化的環境に規定された思惟活動であるとも言える。
例えば、「哲学とは何か」という哲学入門と書かれた教科書や教養系の書籍に必ずある章のタイトルにであう。哲学の課題として哲学の在り方が問題になっている。もし、物理学の本に「物理学とは何か」という章があるなら、その本は物理学の本と言うより、物理学を自然科学の中で位置付けるための著書と思われる。物理学の本であれば、力学の説明から始まるだろうし、物理学とは何かという課題は、序文の一部にこそ書かれるものの、章を割いて書かれることはないだろう。その点が哲学と異なる。むしろ、哲学の方が、他の科学の本よりも、自己言及の必要性を常に持ち続けていると理解するしかない。
哲学とは何かという課題は、哲学的知の形態が科学的知の形態と異なるために、生じている課題のように思える。一回、成立した「哲学的知」の定義が、何遍となく、問い直されるのは、その知の定義が一回成立することで、証明問題を終える科学的知と異質のものであることを意味している。
つまり、哲学的知とは「知る」ことが、いまここに生活している自分にとって、その知を実行すること、行動すること、生活を変えること、世界との関係を変えることが要求されているのである。それらの知ることによって生じる自己への投企(とうき)は、科学的行動のパターンと違い、その主体の置かれた状況に対する行動の要請である。つまり、それらの知は、個々人によっても、また同じ個人でも、時間的、社会文化的状況の変化に即して、異なる姿をとることが前提となっているからだろう。
哲学的知は、一般的な定義を当てはめることができるとしても、個人の解釈によって、その個人の数と、その個人の生きてきた環境の変化の数だけ存在している。そこに、この問い、哲学とは何を哲学が問いかけるという、哲学知の独特の姿がある。
それ(哲学が哲学的知を語ること)は結論であるようで、まったくの始まりである。そしてそれは全くの始まりのようにして、最終的な結論を語る。哲学という学問の成立条件の一つとして、その学問が哲学自体に対してその存在基盤をつねに言及し続けているということ、その結論が、哲学のはじめを意味し、また哲学の結論を意味しているように思える。
この課題は、哲学は知の広がりや体系を求める学問でなく、限りない自己言及の意味とその方法を教える学問であるのではないかという結論に達する。
そのために、多分、哲学史とよばれる哲学理論の歴史的な学習、何ない哲学と呼ばれる異なる哲学の方法論の学習、また具体的課題を点検する、科学技術哲学(現代社会の科学や技術の在り方や考え方を点検する学問)、法哲学(法や法制度を在り方を点検する学問)、政治哲学(政治や政治学の在り方を点検する学問)等々、具体的な社会、経済、組織、家族、個人の行動、機能や構造に関する科学や政策に関する点検の学問として哲学は限りなく成立することになる。
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