震災に強い国を作る(3)B
三石博行
東日本大震災罹災者と福島原発事故罹災者は異なる立場にある
今回の東日本大震災からの復興構想を考える時、過去に例のない非常に大きな問題は、東電福島第一原発事故が起こったことである。この事故によって、阪神淡路大震災等のこれまでの自然災害にたいする復興活動と異なる課題を抱えた。
4月24日、第二回目の「東日本大震災復興構想会議」(1)後、NHKで会議参加者を集め公開議論がなされた。その報道を見ている国民は、今回の東日本大震災が抱える課題の深刻さに気付いたと思う。何故なら、その場にいた復興構想会議のメンバーで、震災と津波の被害を抱えている立場と東電原発事故を併合している人々の議論の立て方が異なることに気付いたからである。
つまり、東日本大震災復興とは災害はすでに起こり、その被害が残り、そこからどのようにして生活の場を復旧し復興するかという立場にある人々の課題である。従って、復興構想会議の基本的な立場には、被害が現在進行形で進んでいる福島原発事故の罹災者の立場が組み込まれないことになる。
つまり、今回の東日本大震災は二つの課題を持つ。一つは震災・津波で受けた大災害からの復旧復興の課題である。もう一つは現在進行しつつあり、今後その被害がどこまで進行するか未定の状況におかれている福島原発事故の罹災者が抱える被害からの救済と進行形の災害を食い止める課題である。
東日本大震災復興構想会議への提案 二つの異なる課題への対策部会の形成
その二つの異なる課題を分けないで復興構想会議が今後も行われることが、両方の立場に人々にとって不幸な事態が生じる可能性がある。何故なら、一つ目の、震災・津波で受けた大災害からの復旧復興の課題に取り組む人々は、その速度が遅くなる可能性がある。もう一つ目の、福島原発事故の罹災者が抱える被害からの救済を課題にしている人々は、被害は進行しつつあるため、震災復興の議論が自分達と縁遠く感じる可能性がある。
東日本大震災復興構想会議は、この二つの課題を分けて、震災津波の被害を受けた地域、岩手県や宮城県の人々への対応と、それに加えて原発事故の被害を受けつつある地域、主に福島県の人々への対応を分ける方が、復興構想会議の作業効率が上がると思える。
また、原発事故は現在進行形であり、こらから放射能が拡散する地域や震災被害を受けていないが原発事故による風評被害を受けている地域もある。つまり原発事故被害地域は、現在未定であり、今後さらに広がる可能性を持つ。その意味で、原発被害に関する部会を作り、その課題に対応した議論を行う方が復興会議としては運営しやすいのである。
特に、原発事故に関する復興構想会議部会は、原発被害救済のみでなく、現在の原発の安全管理や危機管理に関する提案、さらにはエネルギー政策にまで踏み込んだ議論を展開しなければならないだろう。その議論を、国民運動として展開するためにも、復興構想会議が原発事故の部会を形成した方がより目的や課題を明確に国民に示すことができ、より有効な将来への議論が展開されるだろう。
参考資料
(1)内閣官房 「東日本大震災復興構想会議」
http://www.cas.go.jp/jp/fukkou/
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ブログ文書集 タイトル「東日本大震災に立ち向かおう」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_23.html
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2011年4月27日 修正(誤字)
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哲学に於いて生活とはそのすべての思索の根拠である。言い換えると哲学は、生きる行為、生活の場が前提になって成立する一つの思惟の形態であり、哲学は生きるための方法であり、道具であり、戦略であり、理念であると言える。また、哲学の入り口は生活点検作業である。何故なら、日常生活では無神経さや自己欺瞞は自然発生的に生まれるため、日常性と呼ばれる思惟の惰性形態に対して、反省と呼ばれる遡行作業を哲学は提供する。方法的懐疑や現象学的還元も、日常性へ埋没した惰性的自我を点検する方法である。生活の場から哲学を考え、哲学から生活の改善を求める運動を、ここでは生活運動と思想運動の相互関係と呼ぶ。そして、他者と共感しない哲学は意味を持たない。そこで、私の哲学を点検するためにこのブログを書くことにした。 2011年1月5日 三石博行 (MITSUISHI Hiroyuki)
2011年4月26日火曜日
国民運動としての東日本大震災復興構想会議の構築を
震災に強い国を作る(3)A
三石博行
国民運動としての東日本大震災復興活動を展開
民主党管政権は「東日本大震災復興構想会議」を4月14日に立ち上げた。災害から1ヶ月が経過した早い段階、つまり罹災地が「復旧」に専念している中で、敢えて政府が「復興構想」に向けたプロジェクトが発足した。その意味は、災害に強い国を災害の復旧段階から目指すためである。その趣旨は阪神淡路大震災でも議論され、新しい街神戸への復興を前提とした復旧活動の流れによって、現在の関西で最も活発な街・神戸を創り上げたのである。
こうした政府の「東日本大震災復興構想会議」の大きな方向に国民は賛成している。確かに、報道機関がその組織運営に対して、批判を行っているが、それらの批判は「東日本大震災復興構想会議」が目指す大きな方針への批判ではない。寧ろ、「東日本大震災復興構想会議」を国民的な運動にするべく批判的に検討しているように思える。
つまり、今、わが国は国全体の力を結集して、災害復興のための国民運動を作り上げることは大切なことであり、進めなければならないのである。待ったなしの対策、速やかな実現、情報公開による多くの人々からの点検と参画、国を挙げて取り組まなければならない。
特に、政治が問題である。政治の課題は速やかな罹災者の救済と復旧・復興である。特に、生活基盤を失った人々の救済、企業活動の再建は急がれている。従って、すべての政党は、政府への批判を語るなら、まず、党利党略を優先する政局を語る前に、苦しむ日本を救うために、「東日本大震災復興構想会議」を否定するのでなく、その組織運営や活動方針に対して具体的で前向きの批判と参画を行うべきである。
また、民主党管政権も、これまでのように、あらゆる政党、異なる意見の人々、特に罹災地の人々、企業人、大学人、官僚、地方自治体、民間人のすべての人々に、参画を呼びかけ、国民運動としての「東日本大震災復興構想会議」の方向を常に示す努力が必要となるだろう。
国民運動として「東日本大震災復興構想会議」を組織するために
4月24日の第二回会議の後、NHKは会議参加者を集めて、「東日本大震災復興構想会議」(以後、復興構想会議と称す)での課題を国民に紹介した。復興構想会議を国民運動として盛り上げてゆくためには、公共放送の果たす役割は大きい。
その意味で、今後も、NHKを始め他の報道機関でも積極的に、復興構想会議の議論、委員の意見、政府の判断、そして、それらの意見が政治に反映される過程、国会での議論や意見を積極的に報道し、国民の参加、つまり、批判や提案などの意見を求めなければならないだろう。
始まったばかりの復興構想会議の情報を政府はインターネットですべて公開している。(1) 復興構想会議で議論される課題や内容に関する情報をすべて公開している政府の姿勢は、この復興構想会議を国民全体に公開し、評価させ、参画させる姿勢の現れである。この政府と復興構想会議の姿勢は評価すべきである。
更に、この復興構想会議を国民運動に成長させるために、求められることは、政府中心から地域社会へと議論の環を広げることである。そのためには、特に罹災地の現場の意見を反映させる会議の方向が求められる。そのためには、復興構想会議のメンバーが罹災地の人々と共に復興構想に関する話し合いや提案活動を行う必要があるだろう。また、専門家のメンバーは関連学会に呼びかけ、広く多くの研究者の参画を呼びかける運動が必要となるだろう。
つまり、復興構想会議の活動を国民運動とする考え方を会議のメンバーが共有し、会議の情報を公開し、報道機関の協力を得て議論を公開し、さらに色々な意見を収集するために現地罹災者の意見、積極的に復興構想を提案しうる人々の参画を保障する活動が求められている。
政府はその意味で、国民運動に展開する復興構想会議への基本的指針を社会に訴え、そして復興構想会議のメンバーとその考えを共有し、彼らの活動を会議という限定された場から、日常の場へと展開できる支援を行うべきだろう。
参考資料
(1)内閣官房 「東日本大震災復興構想会議」
http://www.cas.go.jp/jp/fukkou/
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http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_23.html
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三石博行
国民運動としての東日本大震災復興活動を展開
民主党管政権は「東日本大震災復興構想会議」を4月14日に立ち上げた。災害から1ヶ月が経過した早い段階、つまり罹災地が「復旧」に専念している中で、敢えて政府が「復興構想」に向けたプロジェクトが発足した。その意味は、災害に強い国を災害の復旧段階から目指すためである。その趣旨は阪神淡路大震災でも議論され、新しい街神戸への復興を前提とした復旧活動の流れによって、現在の関西で最も活発な街・神戸を創り上げたのである。
こうした政府の「東日本大震災復興構想会議」の大きな方向に国民は賛成している。確かに、報道機関がその組織運営に対して、批判を行っているが、それらの批判は「東日本大震災復興構想会議」が目指す大きな方針への批判ではない。寧ろ、「東日本大震災復興構想会議」を国民的な運動にするべく批判的に検討しているように思える。
つまり、今、わが国は国全体の力を結集して、災害復興のための国民運動を作り上げることは大切なことであり、進めなければならないのである。待ったなしの対策、速やかな実現、情報公開による多くの人々からの点検と参画、国を挙げて取り組まなければならない。
特に、政治が問題である。政治の課題は速やかな罹災者の救済と復旧・復興である。特に、生活基盤を失った人々の救済、企業活動の再建は急がれている。従って、すべての政党は、政府への批判を語るなら、まず、党利党略を優先する政局を語る前に、苦しむ日本を救うために、「東日本大震災復興構想会議」を否定するのでなく、その組織運営や活動方針に対して具体的で前向きの批判と参画を行うべきである。
また、民主党管政権も、これまでのように、あらゆる政党、異なる意見の人々、特に罹災地の人々、企業人、大学人、官僚、地方自治体、民間人のすべての人々に、参画を呼びかけ、国民運動としての「東日本大震災復興構想会議」の方向を常に示す努力が必要となるだろう。
国民運動として「東日本大震災復興構想会議」を組織するために
4月24日の第二回会議の後、NHKは会議参加者を集めて、「東日本大震災復興構想会議」(以後、復興構想会議と称す)での課題を国民に紹介した。復興構想会議を国民運動として盛り上げてゆくためには、公共放送の果たす役割は大きい。
その意味で、今後も、NHKを始め他の報道機関でも積極的に、復興構想会議の議論、委員の意見、政府の判断、そして、それらの意見が政治に反映される過程、国会での議論や意見を積極的に報道し、国民の参加、つまり、批判や提案などの意見を求めなければならないだろう。
始まったばかりの復興構想会議の情報を政府はインターネットですべて公開している。(1) 復興構想会議で議論される課題や内容に関する情報をすべて公開している政府の姿勢は、この復興構想会議を国民全体に公開し、評価させ、参画させる姿勢の現れである。この政府と復興構想会議の姿勢は評価すべきである。
更に、この復興構想会議を国民運動に成長させるために、求められることは、政府中心から地域社会へと議論の環を広げることである。そのためには、特に罹災地の現場の意見を反映させる会議の方向が求められる。そのためには、復興構想会議のメンバーが罹災地の人々と共に復興構想に関する話し合いや提案活動を行う必要があるだろう。また、専門家のメンバーは関連学会に呼びかけ、広く多くの研究者の参画を呼びかける運動が必要となるだろう。
つまり、復興構想会議の活動を国民運動とする考え方を会議のメンバーが共有し、会議の情報を公開し、報道機関の協力を得て議論を公開し、さらに色々な意見を収集するために現地罹災者の意見、積極的に復興構想を提案しうる人々の参画を保障する活動が求められている。
政府はその意味で、国民運動に展開する復興構想会議への基本的指針を社会に訴え、そして復興構想会議のメンバーとその考えを共有し、彼らの活動を会議という限定された場から、日常の場へと展開できる支援を行うべきだろう。
参考資料
(1)内閣官房 「東日本大震災復興構想会議」
http://www.cas.go.jp/jp/fukkou/
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ブログ文書集 タイトル「東日本大震災に立ち向かおう」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_23.html
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民主主義社会での裁判制度と正義
人権学からみた裁判制度
三石博行
一次人権課題と正義の判定基準
マイケル・サンデル教授が「正義の話をしよう」と呼びかける時、そこで語られる正義とは何かという疑問が生じる。一般に、正義という意味は悪(不正義)という意味を片方に必要としている。正義という概念が一般的に成立するためには、その意味がどの社会でも、どの人々にも共通する意味を持たなければならない。
もし、その意味がある社会である人々のしか理解されないなら、正義という概念は、社会的役割やその立場から主張される何らかの社会合理性や正当性に関する意見であると言える。すると異なる社会的立場の数に比例して正義の数も増えることになる。
しかし、どの社会でも人命や財産を奪う行為は正義とは呼ばれない。人を殺す。人の財産を奪う。これらの行為はどの時代のどの社会でも悪である。つまり、一般的に正義という意味が存在するなら、これらの行為、人命や財産を奪うことを止める行為であると理解していいだろう。
すでに人権学の成立条件を考える中で、自己保存系の基本条件、個人の生命や家族を維持する最低限の生活資源を確保(もしくは不足)することを一次人権課題(1)と考えた。この一次人権課題、つまり生命や生存するために必要な最低限の生活条件や生活環境の課題に触れることが「正義」と「悪」の条件を決めることになる。
二人の相反する利害への社会的判断、社会的に解釈される正しさの判定基準
しかし、人権学で述べられる二次人権課題(1)、つまり豊かな生活や社会環境を作り個人や集団の生活の質(QOL)を高めることは、社会集団の利害関係を例に取れば、必ずしも社会全体に共通する課題とならないことが生じている。もし、社会全体の課題となっても、例えば領土問題のように、他の社会と対立する場合もある。
その意味で、その二次人権課題は社会集団によってその人権課題を達成することを正義と考えるなら、社会集団によって正義の意味が異なることになる。つまり、二次人権課題は、ある個人や社会集団にしか理解されないため、そこで主張される正義という概念は、その社会集団や個人の社会的役割やその立場からの主張であると言える。そこで二次人権課題は異なる社会的立場によって異なる正義の主張が存在するのである。
例を用いて説明しよう。例えば、利害の反する隣同士の住民AとBが居たとする。AはBの家から毎日臭う中華料理の臭いが嫌いである。つまり、AにとってBは決まって夕食時に悪臭を放していると感じている。しかし、Bは中華料理が大好きでその匂いを悪臭とは感じない。Aが夏には窓を開けっ放しで中華料理をしないで欲しいと要求したとしても、その要求を認める訳には行かない。
AはBの行為、夏に窓を開けっぱなしにして中華料理の匂いが隣のBの家に入り込むことを何とも思っていない行為は正しくないと思う。Bは料理をするのは人間の当たり前の行為であり、料理の匂いを迷惑と言われることが納得できないと思う。
こうして二人の立場から全くことなる主張がなされ、それぞれの主張の理由が成立している。二人がそれぞれに主観的に正しいと思うことも、第三者から観るなら、その二人の立場に違いの意見の相違に過ぎないと解釈されるだろう。つまり、社会で呼ばれる正義(正しいという主張)は社会的利害関係を前提にして成立するそれらの人々の立場から主張されたそれらの人々の意見や見解の正当性、もしくはその意見が持つ主観的な合理性への解釈に過ぎないのである。
従って、一般に、民事裁判で争われる正当性の論争は、上記した二つ以上の社会的立場の違いによって生み出される利害関係と利害内容に関して生じる。そこで、この場合の「正しい」と「誤っている」の判断は、それらの利害関係を民法に照らしあわし、またこれまでの判例に即して、二つの一方が選択されるケースもあるが、一般に、相互の立場の違いによる利害性を計量することになる。
つまり、相互の立場上生じる利害の内容、不利益を受ける内容を裁判所が法律の解釈、これまでの判例に照らし合わせて、判定することになる。これが、非常に一般的な社会での正しさを判定する方法として採用されている手段である。
弱い立場と強い立場の調整機能・法人
社会的立場の違いによる社会合理性の主張によって生じる主観的な見解が「正義」と呼ばれるものであり、その「正義」は社会相対的にしか成立しないと解釈するなら、すべての人々に共通する正義はないという結論になる。
前記したように隣同士の住民という双方が同じ社会的立場に立つ場合には、立場上乗じる利害関係での判断基準は、民法上の決まりや判例によって決定される。しかし、立場の異なる二人の人間、例えば雇用者と使用人の関係では、日常的に使用人の立場は雇用者に対して弱い立場に立たされている。この場合、使用人(勤労者)の基本的な人権(命や健康、経済的生活権)を守るために、労働基準法、労働安全衛生法がある。また、労働組合法によって、勤労者が個人でなく組織として雇用者と、労働条件の改善を含めて、雇用条件に関して話し合う権利を保障されている。
つまり、使用者と雇い人という関係では、日常的に強い立場と弱い立場が明らかである。そのため、勤労者の人権を守るためには、少なくとも二つの立場を対等な位置に持っていく必要がある。もし、二つの立場が法的に対等化されるなら、そこでそれぞれの立場からの主張に関する評価が法的に成立可能となる。
これが、勤労者に労働組合を社会的(法的)認める根拠である。組合を作ることで、雇用者が背景とする会社という組織に対する対等な立場を得ることになる。会社の社長も元々、組合に参加している職員と同じように雇われの身である場合には、社長は会社という組織を背負い、個人でなく、会社のために経営判断を行う。その立場と同じものを職員に与えたのが組合である。
会社が会社関連法によって運営されるように、組合も組合法によって運営される。組合の執行部は組合員から民主的に選ばれ、労働組合法を守り、また企業と契約している労使協定に即して、組合執行活動を執り行っている。
会社執行部も同じである。会社法に基づき、会社の経営を守るために、会社を運営している。こうして、個人として雇用者と会社組織の役職(権限)を持つ役員との上下関係から、対等な労働組合と企業との関係を成立させることによって、二つの異なる利害関係を持つ立場の違いを前提にした協議が可能となる。これが民主主義社会の選んだ紛争解決の手段である。
つまり、弱い立場と強い立場では、弱い立場の利害が常に強い立場に侵害されるために、基本的に二つの利害関係の解決を見出すことは出来ない。そこで、対等な立場を前提にした話し合いを設定する。それが労働組合法である。その労働組合法によって、結果的には、勤労者が持つ労働力資源を健全な形で維持することが出来ることを長い民主主義の歴史で我々は学んできたのである。
民主主義社会での裁判制度
民主主義の社会では、人々の社会的関係は立場の違いによって成立していることを理解している。その立場の違いを前提にして、一つは共同行動を法律に基づく契約という方法で取り結び、もう一つは紛争解決を法律に基づく裁判という手段で解決するのである。
市民社会の成立する以前の社会、つまり社会契約思想のない社会では、利害を異にする立場の共存・民主主義社会の成立条件に関する考え方がない。支配者と被支配者の役割固定制度から生まれる社会的正義と悪との二分関係で語られた他者への判断方法を社会的立場の違いによって生じる権利上の問題として語ることも、またその解決のために相互の利害性を計量化し判断することも不可能であった。
社会対立に関する中世社会的な思想、つまり社会的対立を正義と悪の関係として判断することから、社会対立に関する近代的な思想、つまり社会的利害の関係として解釈することの変化の背景には、対立する二つの立場の主張を認め、それらの主張を憲法・法律によって評価する作業が前提となっている。
つまり、二つの権利主張の権利は平等に認められ、それぞれの主張が社会全体の機能(社会制度の運用)の中でその主張の合理性を検証され、その意味で、それらの主張が社会的公共性や有用性の評価軸に相対化される。つまり、それぞれ権利の主張は、司法機関(裁判所)によって法律解釈や判例によって、評価解釈され、それらの主張する権利が査定される。その査定結果が司法で下す判決である。
勿論、裁判所では、二つの権利主張に対して、善悪を問いかけているのではない。その主張されている権利が法律的に妥当であるか、若しくは社会的に正当であるかという観点から、それぞれの権利主張を相対的に査定するのである。相対的に査定するもっとも一般的な手段として「和解」を提案することになる。
もし、和解がその両者の一方によって受け入れられなければ、司法本来の手続きで、査定を行うことになる。これが裁判と呼ばれるものである。一般に、二次人権課題の触れる裁判を民事裁判と呼んでいる。
しかし、殺人や強盗など生命や財産の保護に関する一次人権課題に触れる裁判を刑事裁判と呼んでいる。この裁判には被告と原告の間に和解はない。国が定めた刑法によって、被告の刑罰が決められることになる。つまり、有罪か無罪の二つに一つしかない。その場合、社会(司法制度を持つ)は、有罪なら悪、無罪なら悪でないと判断したことになる。
参考資料
(1)三石博行 「人権学 ‐三つの人権概念の定義‐」
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/11/blog-post_2567.html
三石博行
一次人権課題と正義の判定基準
マイケル・サンデル教授が「正義の話をしよう」と呼びかける時、そこで語られる正義とは何かという疑問が生じる。一般に、正義という意味は悪(不正義)という意味を片方に必要としている。正義という概念が一般的に成立するためには、その意味がどの社会でも、どの人々にも共通する意味を持たなければならない。
もし、その意味がある社会である人々のしか理解されないなら、正義という概念は、社会的役割やその立場から主張される何らかの社会合理性や正当性に関する意見であると言える。すると異なる社会的立場の数に比例して正義の数も増えることになる。
しかし、どの社会でも人命や財産を奪う行為は正義とは呼ばれない。人を殺す。人の財産を奪う。これらの行為はどの時代のどの社会でも悪である。つまり、一般的に正義という意味が存在するなら、これらの行為、人命や財産を奪うことを止める行為であると理解していいだろう。
すでに人権学の成立条件を考える中で、自己保存系の基本条件、個人の生命や家族を維持する最低限の生活資源を確保(もしくは不足)することを一次人権課題(1)と考えた。この一次人権課題、つまり生命や生存するために必要な最低限の生活条件や生活環境の課題に触れることが「正義」と「悪」の条件を決めることになる。
二人の相反する利害への社会的判断、社会的に解釈される正しさの判定基準
しかし、人権学で述べられる二次人権課題(1)、つまり豊かな生活や社会環境を作り個人や集団の生活の質(QOL)を高めることは、社会集団の利害関係を例に取れば、必ずしも社会全体に共通する課題とならないことが生じている。もし、社会全体の課題となっても、例えば領土問題のように、他の社会と対立する場合もある。
その意味で、その二次人権課題は社会集団によってその人権課題を達成することを正義と考えるなら、社会集団によって正義の意味が異なることになる。つまり、二次人権課題は、ある個人や社会集団にしか理解されないため、そこで主張される正義という概念は、その社会集団や個人の社会的役割やその立場からの主張であると言える。そこで二次人権課題は異なる社会的立場によって異なる正義の主張が存在するのである。
例を用いて説明しよう。例えば、利害の反する隣同士の住民AとBが居たとする。AはBの家から毎日臭う中華料理の臭いが嫌いである。つまり、AにとってBは決まって夕食時に悪臭を放していると感じている。しかし、Bは中華料理が大好きでその匂いを悪臭とは感じない。Aが夏には窓を開けっ放しで中華料理をしないで欲しいと要求したとしても、その要求を認める訳には行かない。
AはBの行為、夏に窓を開けっぱなしにして中華料理の匂いが隣のBの家に入り込むことを何とも思っていない行為は正しくないと思う。Bは料理をするのは人間の当たり前の行為であり、料理の匂いを迷惑と言われることが納得できないと思う。
こうして二人の立場から全くことなる主張がなされ、それぞれの主張の理由が成立している。二人がそれぞれに主観的に正しいと思うことも、第三者から観るなら、その二人の立場に違いの意見の相違に過ぎないと解釈されるだろう。つまり、社会で呼ばれる正義(正しいという主張)は社会的利害関係を前提にして成立するそれらの人々の立場から主張されたそれらの人々の意見や見解の正当性、もしくはその意見が持つ主観的な合理性への解釈に過ぎないのである。
従って、一般に、民事裁判で争われる正当性の論争は、上記した二つ以上の社会的立場の違いによって生み出される利害関係と利害内容に関して生じる。そこで、この場合の「正しい」と「誤っている」の判断は、それらの利害関係を民法に照らしあわし、またこれまでの判例に即して、二つの一方が選択されるケースもあるが、一般に、相互の立場の違いによる利害性を計量することになる。
つまり、相互の立場上生じる利害の内容、不利益を受ける内容を裁判所が法律の解釈、これまでの判例に照らし合わせて、判定することになる。これが、非常に一般的な社会での正しさを判定する方法として採用されている手段である。
弱い立場と強い立場の調整機能・法人
社会的立場の違いによる社会合理性の主張によって生じる主観的な見解が「正義」と呼ばれるものであり、その「正義」は社会相対的にしか成立しないと解釈するなら、すべての人々に共通する正義はないという結論になる。
前記したように隣同士の住民という双方が同じ社会的立場に立つ場合には、立場上乗じる利害関係での判断基準は、民法上の決まりや判例によって決定される。しかし、立場の異なる二人の人間、例えば雇用者と使用人の関係では、日常的に使用人の立場は雇用者に対して弱い立場に立たされている。この場合、使用人(勤労者)の基本的な人権(命や健康、経済的生活権)を守るために、労働基準法、労働安全衛生法がある。また、労働組合法によって、勤労者が個人でなく組織として雇用者と、労働条件の改善を含めて、雇用条件に関して話し合う権利を保障されている。
つまり、使用者と雇い人という関係では、日常的に強い立場と弱い立場が明らかである。そのため、勤労者の人権を守るためには、少なくとも二つの立場を対等な位置に持っていく必要がある。もし、二つの立場が法的に対等化されるなら、そこでそれぞれの立場からの主張に関する評価が法的に成立可能となる。
これが、勤労者に労働組合を社会的(法的)認める根拠である。組合を作ることで、雇用者が背景とする会社という組織に対する対等な立場を得ることになる。会社の社長も元々、組合に参加している職員と同じように雇われの身である場合には、社長は会社という組織を背負い、個人でなく、会社のために経営判断を行う。その立場と同じものを職員に与えたのが組合である。
会社が会社関連法によって運営されるように、組合も組合法によって運営される。組合の執行部は組合員から民主的に選ばれ、労働組合法を守り、また企業と契約している労使協定に即して、組合執行活動を執り行っている。
会社執行部も同じである。会社法に基づき、会社の経営を守るために、会社を運営している。こうして、個人として雇用者と会社組織の役職(権限)を持つ役員との上下関係から、対等な労働組合と企業との関係を成立させることによって、二つの異なる利害関係を持つ立場の違いを前提にした協議が可能となる。これが民主主義社会の選んだ紛争解決の手段である。
つまり、弱い立場と強い立場では、弱い立場の利害が常に強い立場に侵害されるために、基本的に二つの利害関係の解決を見出すことは出来ない。そこで、対等な立場を前提にした話し合いを設定する。それが労働組合法である。その労働組合法によって、結果的には、勤労者が持つ労働力資源を健全な形で維持することが出来ることを長い民主主義の歴史で我々は学んできたのである。
民主主義社会での裁判制度
民主主義の社会では、人々の社会的関係は立場の違いによって成立していることを理解している。その立場の違いを前提にして、一つは共同行動を法律に基づく契約という方法で取り結び、もう一つは紛争解決を法律に基づく裁判という手段で解決するのである。
市民社会の成立する以前の社会、つまり社会契約思想のない社会では、利害を異にする立場の共存・民主主義社会の成立条件に関する考え方がない。支配者と被支配者の役割固定制度から生まれる社会的正義と悪との二分関係で語られた他者への判断方法を社会的立場の違いによって生じる権利上の問題として語ることも、またその解決のために相互の利害性を計量化し判断することも不可能であった。
社会対立に関する中世社会的な思想、つまり社会的対立を正義と悪の関係として判断することから、社会対立に関する近代的な思想、つまり社会的利害の関係として解釈することの変化の背景には、対立する二つの立場の主張を認め、それらの主張を憲法・法律によって評価する作業が前提となっている。
つまり、二つの権利主張の権利は平等に認められ、それぞれの主張が社会全体の機能(社会制度の運用)の中でその主張の合理性を検証され、その意味で、それらの主張が社会的公共性や有用性の評価軸に相対化される。つまり、それぞれ権利の主張は、司法機関(裁判所)によって法律解釈や判例によって、評価解釈され、それらの主張する権利が査定される。その査定結果が司法で下す判決である。
勿論、裁判所では、二つの権利主張に対して、善悪を問いかけているのではない。その主張されている権利が法律的に妥当であるか、若しくは社会的に正当であるかという観点から、それぞれの権利主張を相対的に査定するのである。相対的に査定するもっとも一般的な手段として「和解」を提案することになる。
もし、和解がその両者の一方によって受け入れられなければ、司法本来の手続きで、査定を行うことになる。これが裁判と呼ばれるものである。一般に、二次人権課題の触れる裁判を民事裁判と呼んでいる。
しかし、殺人や強盗など生命や財産の保護に関する一次人権課題に触れる裁判を刑事裁判と呼んでいる。この裁判には被告と原告の間に和解はない。国が定めた刑法によって、被告の刑罰が決められることになる。つまり、有罪か無罪の二つに一つしかない。その場合、社会(司法制度を持つ)は、有罪なら悪、無罪なら悪でないと判断したことになる。
参考資料
(1)三石博行 「人権学 ‐三つの人権概念の定義‐」
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/11/blog-post_2567.html
2011年4月25日月曜日
講演シリーズ「医者・専門家から見た福島原発事故」を開催
三石博行
NPO法人京都・奈良EU協会京都講演会
NPO法人京都・奈良EU協会では、講演会シリーズ「医師からみた福島原発事故」を行っています。これまで放射能健康障害を専門にする医師や原子力発電に関する専門家を招き、原発事故で発生する放射能の人体への影響、原発の安全性等に関する講演を企画しています。
講演会
第一回 5月14日(土)14時~16時
テーマ、「放射能による健康障害と放射線による病気の克服」
講師 平岡諦先生 (大阪中央病院顧問)
場所 クリニックサンルイセミナールーム
京都市山科区安朱南屋敷町35木下物産ビル4F
http://www.cslk.jp/
講演の様子をYouTubで紹介しています。
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/05/youtube.html
第二回 6月18日(土)14時~16時
テーマ、「被爆者医療からみた福島原発事故」
講師 郷地秀夫先生 (東神戸診療所)
場所 クリニックサンルイセミナールーム
http://hiroyukimitsuishi.web.fc2.com/pdf/syakai_01_01/lecture110618.pdf
第三回 7月16日 (土)14時~16時
テーマ、「原子力損害賠償制度の正体と労災認定」
講師 西野方庸氏 (関西労働者安全センター事務局長)
場所 クリニックサンルイセミナールーム
第四回 8月6日 (土)14時~16時
テーマ、「福島第一原発事故処理作業員と放射能被爆障害」(予定)
講師 長尾和宏 (長尾クリニック)
場所 クリニックサンルイセミナールーム
第五回 9月3日 (土)14時~16時
テーマ 「被曝労働者の職業病への治療 谷口プロジェクト」(予定)
講師 谷口修一医師 (虎ノ門病院 内科部長)
司会 平岡諦医師 (大阪中央病院顧問)
場所 クリニックサンルイセミナールーム
参加費 無料
会場案内 クリニックサンルイセミナールーム
京都市山科区安朱南屋敷町35木下物産ビル4F
電話 075-583-6866
電車でお越しの方:JR京都線(琵琶湖・湖西線)山科駅から徒歩5分
京阪京津線 山科駅から徒歩1分
地下鉄東西線 山科駅より直結です
http://hiroyukimitsuishi.web.fc2.com/syakai_01_01.html
http://hiroyukimitsuishi.web.fc2.com/pdf/syakai_01_01/lecture110514.pdf
申込・問い合わせNPO法人京都・奈良EU協会事務局
TEL:070-5072-4862
info@eurokn.com
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NPO法人京都・奈良EU協会京都講演会
NPO法人京都・奈良EU協会では、講演会シリーズ「医師からみた福島原発事故」を行っています。これまで放射能健康障害を専門にする医師や原子力発電に関する専門家を招き、原発事故で発生する放射能の人体への影響、原発の安全性等に関する講演を企画しています。
講演会
第一回 5月14日(土)14時~16時
テーマ、「放射能による健康障害と放射線による病気の克服」
講師 平岡諦先生 (大阪中央病院顧問)
場所 クリニックサンルイセミナールーム
京都市山科区安朱南屋敷町35木下物産ビル4F
http://www.cslk.jp/
講演の様子をYouTubで紹介しています。
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/05/youtube.html
第二回 6月18日(土)14時~16時
テーマ、「被爆者医療からみた福島原発事故」
講師 郷地秀夫先生 (東神戸診療所)
場所 クリニックサンルイセミナールーム
http://hiroyukimitsuishi.web.fc2.com/pdf/syakai_01_01/lecture110618.pdf
第三回 7月16日 (土)14時~16時
テーマ、「原子力損害賠償制度の正体と労災認定」
講師 西野方庸氏 (関西労働者安全センター事務局長)
場所 クリニックサンルイセミナールーム
第四回 8月6日 (土)14時~16時
テーマ、「福島第一原発事故処理作業員と放射能被爆障害」(予定)
講師 長尾和宏 (長尾クリニック)
場所 クリニックサンルイセミナールーム
第五回 9月3日 (土)14時~16時
テーマ 「被曝労働者の職業病への治療 谷口プロジェクト」(予定)
講師 谷口修一医師 (虎ノ門病院 内科部長)
司会 平岡諦医師 (大阪中央病院顧問)
場所 クリニックサンルイセミナールーム
参加費 無料
会場案内 クリニックサンルイセミナールーム
京都市山科区安朱南屋敷町35木下物産ビル4F
電話 075-583-6866
電車でお越しの方:JR京都線(琵琶湖・湖西線)山科駅から徒歩5分
京阪京津線 山科駅から徒歩1分
地下鉄東西線 山科駅より直結です
http://hiroyukimitsuishi.web.fc2.com/syakai_01_01.html
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申込・問い合わせNPO法人京都・奈良EU協会事務局
TEL:070-5072-4862
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2011年4月21日木曜日
「科学の大衆化」研究と「吉田民人情報科学」の学習
プログラム科学論研究会活動報告(2)
三石博行
2011年3月から4月現在までのプログラム科学論研究会の活動を報告する。この一ヶ月間、二つの研究活動を行っている。一つはEddy VAN DROM氏との「科学の大衆化」に関する研究であり、もうひとつは槇和男氏との「自己組織性の情報科学」読書会である。
Eddy VAN DROM氏との「科学の大衆化」に関する研究
「科学の大衆化」に関する研究活動では、三石博行が1989年にGERSUP「フランスストラスブール第一大学 科学研究に関する人間社会学的研究所」での研究発表時に提出した報告書「La Vulgarisation scientifique comme l`identification du corp social」を基にしながら、日本社会での科学の大衆化の役割についてEddy VAN DROM氏(大阪大学理学博士・宇宙物理学)と分析を行っている。
特に、東電福島第一原子力発電所事故の背景、日本の原子力政策、原発に関する科学技術の大衆化の現状、そのフランスとの比較、等々のデータを用いながら、上記の報告書の批判的点検を行っている。
また、Eddy VAN DROM氏は、科学の大衆化に関する研究ですでに二つの論文(下記に示す)を発表している。それらの研究を展開する意味で、その二つの論文を再度検討しながら、上記した1989年の講演会報告書の分析を行っている。
1、Eddy Van Drom La Vulgarisation Scientifique Baudoin Jurdant : une perspective française 阪南論集 社会科学編 第36巻 第2・3号、2001.1、 pp95-113
2、Eddy Van Drom La Vulgarisation Scientifique (2) Perspective systémique et psychanalytique chez Hiroyuki Mitsuishi 阪南論集 社会科学編 第37巻 第4号、2002.3、 pp89-105
昨日の研究会では、科学の大衆化は社会身体(文化)が社会に登場した新しい科学技術の知識への文化的遺伝子確認作業であるという視点から考えると、科学の大衆化現象と技術改良の社会現象は類似する社会機能・構造から生じている。そのメカニズムを語る課題として吉田民人のプログラム科学論の理論が援用できるだろうという中間的結論に達した。
槇和男氏との「自己組織性の情報科学」読書会
吉田民人先生(以後、吉田民人と呼ぶ)のプログラム科学論・設計科学論を理解するためには、「自己組織系の情報科学」を解読しておかなければならない。しかし、難解の吉田民人のこの著作を完全に読みきるにはかなりの時間と根気が必要である。私も以前、この著書を読み始め、そして中途で何遍もやめてしまった。それぐらい、読み切るためには大変な努力を要請される本の一つである。丁度、廣松渉先生の哲学書を読んだときと同じような状態になる。
20代から30代前半まで京都大学理学部で量子化学の研究をし、その後、花王の研究所で長年研究を続けてきた槇和男氏(京都大学理学博士・量子化学)は非常に幅広い知識人である。物理学、理論化学、統計学、フルート演奏、哲学、言語学、神経生理学、園芸等々、彼の知識活動の幅は非常に広い。彼がプログラム科学論に興味を持ってくれたことが、困難な吉田理論の研究を進める上で大きな力となっている。
「自己組織系の情報科学」第Ⅰ部「情報」では、吉田民人が定義する情報概念を徹底的に解釈、点検、理解しながら一つひとつの文書を読み込んだ。土曜日の午前中4時間を掛けても、2ページしか進まないこともあった。これまで、半年以上続く学習会(毎週一回、3、4時間の読書会)で、我々の読書スピードは平均すると数ページぐらいであった。
吉田民人の情報概念を理解するためには、これまで生物学(遺伝免疫学、神経生理学)、心理学、言語学、社会学で述べられた情報関連概念(遺伝子、脳神経情報、認知心理情報、言語)がすべて対象となる。吉田民人が援用する幅広い先行研究で使われた概念を一つひとつ正確に理解するために、使われている用語を辞書で調べなければならない。インターネットがあるので用語検索は非常に楽になったものの、その用語数が生半可ではない。非常に多い。そのため、一つの文脈を理解するために、30分以上の時間を必要とすることもあった。
そして、漸く、前回の学習会から「自己組織系の情報科学」の第Ⅱ部「情報処理」に入ることが出来た。この章「情報処理」についても、前章と同じように吉田文章との格闘が待っていることは確かだろう。しかし、唯一の希望は、理論や化学の理論計算をするために長年プログラムを書いてきた槇氏の知識がその格闘に役立つということである。
これまでの読書会での我々の解釈を、このブログを通じて報告しなければならない。そのために、再度、これまでの学習会で理解した第Ⅰ部「情報」概念に関するテキスト批評を書かなければならないだろう。
1、槇和男ホームページ「読書と音楽」
http://www.asahi-net.or.jp/~aw7k-mk/books.htm
2、槇和男解説 「吉田民人著 自己組織性の情報科学」(2011年12月)
3、槇和男ホームページ「フルート」岩本由紀子さんとの演奏会(ピアノとフルート)
http://www.asahi-net.or.jp/~aw7k-mk/wma/110224-1.wax
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プログラム科学論・自己組織性の設計科学に関する文書はブログ文書集を見てください。
ブログ文書集「プログラム科学論・自己組織性の設計科学」目次と文書リンク
http://mitsuishi.blogspot.jp/2012/03/blog-post_3891.html
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三石博行
2011年3月から4月現在までのプログラム科学論研究会の活動を報告する。この一ヶ月間、二つの研究活動を行っている。一つはEddy VAN DROM氏との「科学の大衆化」に関する研究であり、もうひとつは槇和男氏との「自己組織性の情報科学」読書会である。
Eddy VAN DROM氏との「科学の大衆化」に関する研究
「科学の大衆化」に関する研究活動では、三石博行が1989年にGERSUP「フランスストラスブール第一大学 科学研究に関する人間社会学的研究所」での研究発表時に提出した報告書「La Vulgarisation scientifique comme l`identification du corp social」を基にしながら、日本社会での科学の大衆化の役割についてEddy VAN DROM氏(大阪大学理学博士・宇宙物理学)と分析を行っている。
特に、東電福島第一原子力発電所事故の背景、日本の原子力政策、原発に関する科学技術の大衆化の現状、そのフランスとの比較、等々のデータを用いながら、上記の報告書の批判的点検を行っている。
また、Eddy VAN DROM氏は、科学の大衆化に関する研究ですでに二つの論文(下記に示す)を発表している。それらの研究を展開する意味で、その二つの論文を再度検討しながら、上記した1989年の講演会報告書の分析を行っている。
1、Eddy Van Drom La Vulgarisation Scientifique Baudoin Jurdant : une perspective française 阪南論集 社会科学編 第36巻 第2・3号、2001.1、 pp95-113
2、Eddy Van Drom La Vulgarisation Scientifique (2) Perspective systémique et psychanalytique chez Hiroyuki Mitsuishi 阪南論集 社会科学編 第37巻 第4号、2002.3、 pp89-105
昨日の研究会では、科学の大衆化は社会身体(文化)が社会に登場した新しい科学技術の知識への文化的遺伝子確認作業であるという視点から考えると、科学の大衆化現象と技術改良の社会現象は類似する社会機能・構造から生じている。そのメカニズムを語る課題として吉田民人のプログラム科学論の理論が援用できるだろうという中間的結論に達した。
槇和男氏との「自己組織性の情報科学」読書会
吉田民人先生(以後、吉田民人と呼ぶ)のプログラム科学論・設計科学論を理解するためには、「自己組織系の情報科学」を解読しておかなければならない。しかし、難解の吉田民人のこの著作を完全に読みきるにはかなりの時間と根気が必要である。私も以前、この著書を読み始め、そして中途で何遍もやめてしまった。それぐらい、読み切るためには大変な努力を要請される本の一つである。丁度、廣松渉先生の哲学書を読んだときと同じような状態になる。
20代から30代前半まで京都大学理学部で量子化学の研究をし、その後、花王の研究所で長年研究を続けてきた槇和男氏(京都大学理学博士・量子化学)は非常に幅広い知識人である。物理学、理論化学、統計学、フルート演奏、哲学、言語学、神経生理学、園芸等々、彼の知識活動の幅は非常に広い。彼がプログラム科学論に興味を持ってくれたことが、困難な吉田理論の研究を進める上で大きな力となっている。
「自己組織系の情報科学」第Ⅰ部「情報」では、吉田民人が定義する情報概念を徹底的に解釈、点検、理解しながら一つひとつの文書を読み込んだ。土曜日の午前中4時間を掛けても、2ページしか進まないこともあった。これまで、半年以上続く学習会(毎週一回、3、4時間の読書会)で、我々の読書スピードは平均すると数ページぐらいであった。
吉田民人の情報概念を理解するためには、これまで生物学(遺伝免疫学、神経生理学)、心理学、言語学、社会学で述べられた情報関連概念(遺伝子、脳神経情報、認知心理情報、言語)がすべて対象となる。吉田民人が援用する幅広い先行研究で使われた概念を一つひとつ正確に理解するために、使われている用語を辞書で調べなければならない。インターネットがあるので用語検索は非常に楽になったものの、その用語数が生半可ではない。非常に多い。そのため、一つの文脈を理解するために、30分以上の時間を必要とすることもあった。
そして、漸く、前回の学習会から「自己組織系の情報科学」の第Ⅱ部「情報処理」に入ることが出来た。この章「情報処理」についても、前章と同じように吉田文章との格闘が待っていることは確かだろう。しかし、唯一の希望は、理論や化学の理論計算をするために長年プログラムを書いてきた槇氏の知識がその格闘に役立つということである。
これまでの読書会での我々の解釈を、このブログを通じて報告しなければならない。そのために、再度、これまでの学習会で理解した第Ⅰ部「情報」概念に関するテキスト批評を書かなければならないだろう。
1、槇和男ホームページ「読書と音楽」
http://www.asahi-net.or.jp/~aw7k-mk/books.htm
2、槇和男解説 「吉田民人著 自己組織性の情報科学」(2011年12月)
3、槇和男ホームページ「フルート」岩本由紀子さんとの演奏会(ピアノとフルート)
http://www.asahi-net.or.jp/~aw7k-mk/wma/110224-1.wax
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プログラム科学論・自己組織性の設計科学に関する文書はブログ文書集を見てください。
ブログ文書集「プログラム科学論・自己組織性の設計科学」目次と文書リンク
http://mitsuishi.blogspot.jp/2012/03/blog-post_3891.html
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2011年4月20日水曜日
ブログ文書集「大学教育改革論」の目次
目次
三石博行
1、21世紀日本社会のための大学教育改革
1-1、大学の大衆化と問われる大学の社会的機能
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/07/blog-post_8052.html
1-2、現在の三つの大学教育課題
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/07/blog-post_14.html
1-3、東アジアの高等教育拠点化は可能か
近日公開
2. 大学大衆化による多様化する入学者・先進国型大学の高等教育改革課題
2-1、大学でのリメディアル教育の原因とその課題
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/02/blog-post_28.html
2-2、リメディアル教育とAdvanced Placement(AP)アメリカの高等教育改革から何を学ぶか
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/02/advanced-placementap.html
2-3、科学技術文明社会に必要な教養教育重視型大学の設置
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/02/blog-post_1400.html
3. 教養教育重視型大学の課題
3-1、日本の大学教育の歴史的変遷と教養教育の改革
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/02/blog-post_24.html
3-2、PBL(Problem Based Learning )法での教育・学ぶ姿勢の育成
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post.html
3-3、専門教養教育に繋がる基礎学力教育
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_01.html
3-4、教養教育課程を構成する三つの教育課題とその教育内容・科目群
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_3215.html
4. 科学技術文明社会での大学改革の課題
4-1、教養教育重視型大学の社会的機能と教育課題
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_03.html
4-2、知識の涵養を可能にする基礎的学力・「学ぶ姿勢」の修得
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_08.html
4-3、PBL 参画型教育法 UCSFのPBL・教育課題とJICAの地域開発プログラム
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/pbl-ucsfpbljaic.html
4-4、最先端医学教育 UCSFのJMB(Joint Medical Program)・複数専門知識修得の意味
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/ucsfjmbjoint-medical-program.html
5. 国際社会の中での大学改革の課題
5-1、大衆的な国際化社会のための大学教育の課題
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/08/1980-pblproblem-basic-learning.html
5-2、教養教育重視型大学の教育開発研究課題
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_04.html
5-3、地域社会大学コンソーシアムとしての大学間の国際交流の意味
近日公開
5-4、フランスの社会人教育(VAE)の改革
近日公開
6、危機の時代の大学経営問題
6-1、大学改革の新しい局面
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/08/jcast47.html
6-2、学校法人理事会の機能改革
近日公開
6-3、地域社会の教育機能としての運営
近日公開
6-4、地方分権と学校法人の統廃合課題
近日公開
7.科学技術社会と大学教育改革
7-1、科学技術史の視点で観る大学教育改革の課題
http://mitsuishi.blogspot.jp/2007/12/blog-post_21.html
8. フランスの大学教育改革
8-1、日本とフランスの大学教育改革の課題
http://mitsuishi.blogspot.jp/2007/12/blog-post_16.html
9. アメリカの大学居行く改革 PBL
9-1、アメリカの大学教授法を紹介したサンデル教授の「白熱教室」
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/12/blog-post_08.html
むすび 21世紀社会の形成のために
近日公開
2012年4月11日 変更
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三石博行
1、21世紀日本社会のための大学教育改革
1-1、大学の大衆化と問われる大学の社会的機能
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/07/blog-post_8052.html
1-2、現在の三つの大学教育課題
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/07/blog-post_14.html
1-3、東アジアの高等教育拠点化は可能か
近日公開
2. 大学大衆化による多様化する入学者・先進国型大学の高等教育改革課題
2-1、大学でのリメディアル教育の原因とその課題
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/02/blog-post_28.html
2-2、リメディアル教育とAdvanced Placement(AP)アメリカの高等教育改革から何を学ぶか
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/02/advanced-placementap.html
2-3、科学技術文明社会に必要な教養教育重視型大学の設置
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/02/blog-post_1400.html
3. 教養教育重視型大学の課題
3-1、日本の大学教育の歴史的変遷と教養教育の改革
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/02/blog-post_24.html
3-2、PBL(Problem Based Learning )法での教育・学ぶ姿勢の育成
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post.html
3-3、専門教養教育に繋がる基礎学力教育
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_01.html
3-4、教養教育課程を構成する三つの教育課題とその教育内容・科目群
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_3215.html
4. 科学技術文明社会での大学改革の課題
4-1、教養教育重視型大学の社会的機能と教育課題
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_03.html
4-2、知識の涵養を可能にする基礎的学力・「学ぶ姿勢」の修得
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_08.html
4-3、PBL 参画型教育法 UCSFのPBL・教育課題とJICAの地域開発プログラム
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/pbl-ucsfpbljaic.html
4-4、最先端医学教育 UCSFのJMB(Joint Medical Program)・複数専門知識修得の意味
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/ucsfjmbjoint-medical-program.html
5. 国際社会の中での大学改革の課題
5-1、大衆的な国際化社会のための大学教育の課題
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/08/1980-pblproblem-basic-learning.html
5-2、教養教育重視型大学の教育開発研究課題
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_04.html
5-3、地域社会大学コンソーシアムとしての大学間の国際交流の意味
近日公開
5-4、フランスの社会人教育(VAE)の改革
近日公開
6、危機の時代の大学経営問題
6-1、大学改革の新しい局面
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/08/jcast47.html
6-2、学校法人理事会の機能改革
近日公開
6-3、地域社会の教育機能としての運営
近日公開
6-4、地方分権と学校法人の統廃合課題
近日公開
7.科学技術社会と大学教育改革
7-1、科学技術史の視点で観る大学教育改革の課題
http://mitsuishi.blogspot.jp/2007/12/blog-post_21.html
8. フランスの大学教育改革
8-1、日本とフランスの大学教育改革の課題
http://mitsuishi.blogspot.jp/2007/12/blog-post_16.html
9. アメリカの大学居行く改革 PBL
9-1、アメリカの大学教授法を紹介したサンデル教授の「白熱教室」
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/12/blog-post_08.html
むすび 21世紀社会の形成のために
近日公開
2012年4月11日 変更
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災害時の危機管理を前提としたネットワーク型の社会形成
災害に強い国を作る(2)C
三石博行
東日本(東海岸)大震災でのソーシャルメディア(SNS)の役割
2011年3月29日のNHKクローズアップ現代 「いま、私たちにできること ~“ソーシャルメディア”支援~」(1)でソーシャルネットワークサービス(SNS)を活用した安否情報検索システム、グーグルマップでの罹災地マップ作り、地図から罹災地の生活情報検索できるシステムや災害情報の手話ニュース発信等々の情報ボランティア活動が紹介された。
クローズアップ現代で報道されたソーシャルメディアによるボランティア活動の一例を紹介しよう。一人の情報技術者の男性(情報企業の経営者)が東日本大震災に対して何かできることはないかと考えていた。その時、彼はTwitter で非常に多くの安否情報が流されていることを知った。そして、安否情報を確認したい人々が多くいること、それに対して何か協力しようと考えた。自分の専門知識を活かして安否情報をインターネット上で検索できるプログラムを作ったのである。
しかし、その検索システムを動かすためには、Twitter上の安否情報のデータベースを作ならなければならなかった。そこで再びソーシャルネットワークサービス(SNS)を活用して安否情報の入力ボランティアを呼びかけた。その呼びかけに全国からデータベース入力作業ボランティアが集まる。そして、SNSで繋がった日本全国に広がるボランチィア達の共同作業が始まる。瞬く間に、安否情報検索システムは完成した。すぐに、その検索システムは罹災者に活用され、数日で十万単位のアクセスがあったと言う。
これは、ソーシャルメディアが果たす災害時の生活情報サービスの一例である。当然であるが大災害時に行政の機能は麻痺する。そのため罹災者は安否情報、重要な生活情報を得られない状態に陥る。有線電話はもちろんのこと携帯電話も通じない状態が生じる。その時、今回の東日本大震災ではソーシャルメディアを使った情報発信が非常に大きな役割を果たした。
阪神・淡路大震災の反省から、災害情報学会を中心としてインターネット(携帯メール)を活用した災害時の生活情報のサポート体制が検討されてきた。大学を中心として研究されてきた災害時の情報サポート体制の検討や先行研究を飛び越えて、今回、それまで災害情報研究をテーマにしたことのない一般の社会人が、ソーシャルメディアの情報を活用する安否情報検索プログラムを作り、しかも、ソーシャルネットワークサービスを活用して、データベース化をソーシャルメディア上で可能にしたのである。
ボランティア情報ネットワークと市民の力
ソーシャルメディアでの情報ボランティア活動の組織化は、今回の震災時の罹災者救援活動や生活情報サポート体制にとって革命的な変化が生じていると理解すべきである。何故なら、これまでの災害ボランティア活動は罹災地の自治体によって管理されていた。阪神・淡路大震災では、自治体の職員が全国から集まるボランティア活動を組織する機能を担っていた。
今回、震災直後、多くのボランティアが現地に行くことによって混乱が生じると、ボランティア活動に対して政府は、罹災地への移動や救援物資の提供に関する制限を行った。つまり、阪神・淡路大震災以来、行政がボランティアを活用する機能として確立してきた経過がある。今回の国によるボランティア活動の制限はその意味で行われたのである。
実際は罹災地では多くのボランティアを必要としていた。そこでソーシャルネットワークサービスを活用することで、罹災地で活動するボランティア活動の情報を集め、市民にその活動の内容を提供し、またそれらのボランティア活動が必要とする物資や人材に関する情報がソーシャルメディアを通じて流し、必要な場所に必要なボランティア人材と物資を手配するボランティア組織が生まれた。この基本を創ったのも阪神・淡路大震災の後に生まれた日本災害救援ボランティアネットワーク(NAVAD)(2)であった。
阪神淡路大震災時にも、それぞれの避難所の救援物資の情報を交換し、不足している物資を避難所に届ける情報を「ディリーニーズ」が提供していた。避難所間でお互いに不足している救援物資の情報が流れ合っていた。当時は、紙情報であった。今回は、ソーシャルメディアがその役割を担っている。阪神・淡路大震災と違い、罹災地は非常に広域に亘っている。そのため、紙情報では、避難所間の情報交換は不可能である。
そこでインターネットを活用し東日本大震災支援全国ネットワークでは「支援状況マップ」(3)を作り、地図上にボランティア活動団体の活動拠点とその組織が必要としている救援物資や人材の情報が記載されている。また、Googleマップを活用して、「東北地方太平洋沖地震ボランティアマップ」(4)が作られ、罹災地で活動しているボランティア団体の情報が記載されている。このボランティアマップを多くの人々が見て、ボランティア活動に参加している。
また、「災害情報東日本大震災 Jahoo!Japan 」(5)では検索エンジンであるJahooJapanがすべての分野での災害情報を提供している。そして、「sinsai.info 東日本大震災 みんなでつくる復興支援プラットフォーム」(6)を16の企業で作り、サーバ、監視サービス、運営、携帯電話サービス、システムやプログラム開発スタッフ派遣のサービスを提供している。
さらに、首相補佐官としてボランティア担当をおき、また内閣府(7)や厚生労働省(8)から民間ボランティア活動の情報が提供されている。
インターネットでソーシャルメディアを活用したボランティア活動情報が、災害救済活動の推進に大きな役割を果たそうとしている。それは、ソーシャルメディアによって全国の人的資源を集め活用することを可能にしたからである。災害時に国民が力を合わせて助け合う道具としてソーシャルメディアやインターネットは活用されているのである。
ネットワーク上でボランティア情報が流され、多くの市民が自分に合った(自分に出来る)災害救援活動に参加できる。そしてネットワーク上で組織された一人ひとりの市民の力が集まり大きな支援活動の力となる。この経験を通じて、一人ひとりの市民はソーシャルメディアの媒体を通じながら国を変革し運営する市民の政治的主体性を自覚するのではないだろうか。
ソーシャルメディアの発展と情報プロシューマー文化・第二の市民革命の形成
東日本大震災の前にも、北アフリカや中東の民主化運動で、SNSによる情報伝達の威力は世界中に知れ渡っていた。今、震災時の生活情報の伝達にSNSが活用されようとしている。ソーシャルメディアはそれ自体、情報交換の道具にすぎない。しかし、多くの市民が切実に要求する情報を相互に理解し、主張することによって一つの政治的力に変貌してゆく。
情報化社会では、情報を受け取る人は発信する人である。メールは個人的情報交換をインターネットで可能にした。その場合、情報を受け取る人と情報を発信する人は、手紙を書きあう二人の関係でしかなかった。受信や通信者が複数となるグループメールにしてもメールと同じ次元である。
しかし、ソーシャルメディアでは世界中に情報が発信される。情報受信者は不特定多数となる。そのため発信者は自分の意見を世の中に示すことになる。そして同時に、情報発信者は情報受信者でもある。多くの不特定多数の人々から情報を受け取る。これがソーシャルメディアの情報交換の姿である。
言い換えると、ソーシャルメディアによって大衆は情報消費者であり情報生産者でもある情報生産=消費者、換言すると情報プロシューマー(情報を消費し生産する人)である。(9)情報化社会の進化の形態がソーシャルメディアによる情報プロシューマー文化の形成であると言える。
情報プロシューマーの形成によって、震災時のボランティア活動を市民が運営管理することが可能になった。市民が情報を管理することで社会は大きく変化する。何故なら、情報生産はある特定の集団や団体、例えば報道機関、出版社、政府機関、企業等の情報発信の資金を持つ団体に限られていた。
つまり、情報を発信できる者と出来ない者との関係が社会を支配する者と支配される者との関係になっていた。しかし、ソーシャルメディアによって、誰でも情報を発信できるようになった。そのため、今まで権力者が持っていた情報発信権がすべての市民に与えられることになるのである。情報発信権を得た市民は権力の情報管理や情報操作から自由に情報を得る機会を持つことになる。すでに、北アフリカや中東の民主化運動でSNSが大きな役割を果たしたのは、市民が情報発信権を持ったからである。
市民が自由な経済活動を行う権利を得たことを第一の市民革命であると言うなら、情報化社会で進む情報プロシューマー文化の形成、つまり市民が自由な情報発信の権利を得たことは、現代社会で第二の市民革命が進んでいると考えることも出来る。その第二の市民革命の道具はソーシャルメディアである。
人的資源の形成が災害に強い社会の基礎となる
東日本大震災救援活動でソーシャルメディアが活躍している条件は、単に情報化社会が発達したと言うだけではない。情報化社会でSNSを構築する情報処理技術や通信機能の発達は、今回のソーシャルメディアによる救援活動が可能になった第一条件である。
しかし同時に、SNS(情報社会インフラ)を活用する人々(人材・人的資源)の存在を忘れてはならない。Twitterで流れる安否情報を検索できるソフトを開発した人やデータベースを作った人々は偶然に存在しているのではない。情報処理技術に詳しい人々を生み出した社会によって形成された人材・人的資源である。つまり、その人的資源の形成は、大衆化した高等教育、知的生産力を持つ社会、インターネットを活用する情報処理技術が日常化している社会的背景によって可能になっているのである。こうした社会を科学技術文明社会と呼んできた。そして知的労働によって成り立つ産業構造を第四次産業と呼んだ。
つまり、ソーシャルメディアによる震災救援活動の背景には、第四次産業を中心にして機能する科学技術文明社会とそれを担う知的労働力が存在している。今回の災害に対する危機管理の一例として、市民ボランティアによるソーシャルメディアを活用する罹災者救援のための生活情報の伝達と管理体制の構築がある。SNS(ソーシャルネットワークシステム)を活用しながら全国からデータベースやGoogle災害地図作りの市民情報ボランティアが活動した。つまり、ネットワークを使い全国から人材・人的資源を集めることが出来た。
言い換えると、日本社会全体の生産性を高めることが、災害時の危機管理となる。災害時に、全国の至る所から、災害ボランティア活動が生まれ、工夫される基盤は、日本社会を構成する人々の生産性、つまり能力である。人的資源を持たない限り災害時の危機管理は基本的には不可能であるといえる。この考え方は今に始まったものではない。戦国時代の武将武田信玄が述べたという「人は城、人は石垣」の名言があるように、人的資源が最も大切な資本であり、組織の危機管理の基本となる。
ネットワーク型生産システム・災害に強い産業社会の形成
科学技術文明社会・日本では、全国に高度な技術を必要とする情報ボランティア活動をする人材が存在している。しかし、それらの人々は地理的には離れ離れに居る。その人々(人的資源)をネットワークで結びつけ、一つの作業を共同で行う。ネットワーク社会では、有用な資源をネットワーク上で有機的に結びつけ、それらの資源力を活用することが可能となる。すでに企業では常識化しているネットワーク上での共同作業が、今回、市民ボランティア活動に適用されたのである。
言い換えると、資源集中管理型から資源ネットワーク管理型への発想の転換を情報化社会は可能にしているのである。その意味で、資源集中型社会は災害によって、その場所を破壊されることで、機能しなくなる。しかし、資源分散型‐ネットワーク管理型社会は、仮に一箇所の資源拠点を災害によって破壊されても、他の資源拠点をネットワークで結びながら、生産を維持することが可能になる。
これまでの経済学では、資本集中型によって経済効率が導かれると考えられていた。その最も代表的な生産システムがコンビナートである。原料生産では経済効果を求め大型化する生産システムが有効であると考えられる。しかし、加工生産や知的生産では、資本集中による生産システムの大型化は必ずしも必要はないと考えられる。
特に有能な技術力や知的生産力の高さを問われる企業では、全国に存在する優秀な生産拠点をネットワークで結びつけ、活用することがより質の高い生産を可能にする。今回、世界の需要の半分ぐらいを占める部品を生産する優秀な自動車部品メーカが津波の被害を受けたために、世界中の自動車産業に影響が出ていると言われている。高度に分業が進むことで、たった一つの部品が不足することで生産ラインが止まる。これは高度な技術生産によって成り立つ現代の産業を物語る典型的な例である。
災害に強い生産活動を考えるために、現在、地域的に集中している生産拠点を、政策的に全国に少なくとも二箇所に分散することは出来ないだろうか。例えば、東北にある工場を中国か九州にもう一つ作る。しかし、優秀な部品生産メーカであっても、中小企業であるために二つの生産拠点を作る資本力はない。
国家の危機管理体制を作るための今後の課題として、優秀な中小企業の生産拠点を分散しネットワーク上で全国的な生産と流通システムを作ることを検討しなければならないだろう。国は、今回の震災復興計画の中に、生産システムの安全管理や危機管理の国家的体制を検討する必要があるだろう。そして、災害に強い経済システムを検討する課題は、地域経済の活性化を課題にして取り組まれる地方分権の計画とセットになって議論される必要があるだろう。
参考資料
(1) 2011年3月29日のNHKクローズアップ現代 「いま、私たちにできること ~“ソーシャルメディア”支援~」
http://cgi4.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail.cgi?content_id=3022
(2)日本災害救援ボランティアネットワーク(NAVAD)
http://www.nvnad.or.jp/
(3)東日本大震災支援全国ネットワーク 「支援状況マップ」
http://www.jpn-civil.net/
(4)東北地方太平洋沖地震ボランティアマップ Googleマップ
http://maps.google.co.jp/maps/ms?ie=UTF8&brcurrent=3,0x34674e0fd77f192f:0xf54275d47c665244,0&oe=UTF8&msa=0&msid=214722352147164630282.00049eabf66d3dd2fcfc2
(5)災害情報東日本大震災 Jahoo!Japan
http://info.shinsai.yahoo.co.jp/
(6)sinsai.info 東日本大震災 みんなでつくる復興支援プラットフォーム
http://www.sinsai.info/ushahidi/
(7)助けあいジャパン ボランティア情報ステーション 内閣官房震災ボランティア連携室 連携プロジェクト
http://tasukeai.heroku.com/gallery
(8)厚生労働省 ボランティア活動について
http://www.mhlw.go.jp/bunya/seikatsuhogo/volunteer.html
(9)三石博行「生活重視の思想に基づく生活世界の科学性の成立条件」 『研究報告集』、第38集、大阪短大協会 2001.10、pp64-71
http://hiroyukimitsuishi.web.fc2.com/pdf/kenkyu_02_02/cMITShir01b.pdf
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ブログ文書集 タイトル「東日本大震災に立ち向かおう」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_23.html
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2011年4月21日 修正(誤字)
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三石博行
東日本(東海岸)大震災でのソーシャルメディア(SNS)の役割
2011年3月29日のNHKクローズアップ現代 「いま、私たちにできること ~“ソーシャルメディア”支援~」(1)でソーシャルネットワークサービス(SNS)を活用した安否情報検索システム、グーグルマップでの罹災地マップ作り、地図から罹災地の生活情報検索できるシステムや災害情報の手話ニュース発信等々の情報ボランティア活動が紹介された。
クローズアップ現代で報道されたソーシャルメディアによるボランティア活動の一例を紹介しよう。一人の情報技術者の男性(情報企業の経営者)が東日本大震災に対して何かできることはないかと考えていた。その時、彼はTwitter で非常に多くの安否情報が流されていることを知った。そして、安否情報を確認したい人々が多くいること、それに対して何か協力しようと考えた。自分の専門知識を活かして安否情報をインターネット上で検索できるプログラムを作ったのである。
しかし、その検索システムを動かすためには、Twitter上の安否情報のデータベースを作ならなければならなかった。そこで再びソーシャルネットワークサービス(SNS)を活用して安否情報の入力ボランティアを呼びかけた。その呼びかけに全国からデータベース入力作業ボランティアが集まる。そして、SNSで繋がった日本全国に広がるボランチィア達の共同作業が始まる。瞬く間に、安否情報検索システムは完成した。すぐに、その検索システムは罹災者に活用され、数日で十万単位のアクセスがあったと言う。
これは、ソーシャルメディアが果たす災害時の生活情報サービスの一例である。当然であるが大災害時に行政の機能は麻痺する。そのため罹災者は安否情報、重要な生活情報を得られない状態に陥る。有線電話はもちろんのこと携帯電話も通じない状態が生じる。その時、今回の東日本大震災ではソーシャルメディアを使った情報発信が非常に大きな役割を果たした。
阪神・淡路大震災の反省から、災害情報学会を中心としてインターネット(携帯メール)を活用した災害時の生活情報のサポート体制が検討されてきた。大学を中心として研究されてきた災害時の情報サポート体制の検討や先行研究を飛び越えて、今回、それまで災害情報研究をテーマにしたことのない一般の社会人が、ソーシャルメディアの情報を活用する安否情報検索プログラムを作り、しかも、ソーシャルネットワークサービスを活用して、データベース化をソーシャルメディア上で可能にしたのである。
ボランティア情報ネットワークと市民の力
ソーシャルメディアでの情報ボランティア活動の組織化は、今回の震災時の罹災者救援活動や生活情報サポート体制にとって革命的な変化が生じていると理解すべきである。何故なら、これまでの災害ボランティア活動は罹災地の自治体によって管理されていた。阪神・淡路大震災では、自治体の職員が全国から集まるボランティア活動を組織する機能を担っていた。
今回、震災直後、多くのボランティアが現地に行くことによって混乱が生じると、ボランティア活動に対して政府は、罹災地への移動や救援物資の提供に関する制限を行った。つまり、阪神・淡路大震災以来、行政がボランティアを活用する機能として確立してきた経過がある。今回の国によるボランティア活動の制限はその意味で行われたのである。
実際は罹災地では多くのボランティアを必要としていた。そこでソーシャルネットワークサービスを活用することで、罹災地で活動するボランティア活動の情報を集め、市民にその活動の内容を提供し、またそれらのボランティア活動が必要とする物資や人材に関する情報がソーシャルメディアを通じて流し、必要な場所に必要なボランティア人材と物資を手配するボランティア組織が生まれた。この基本を創ったのも阪神・淡路大震災の後に生まれた日本災害救援ボランティアネットワーク(NAVAD)(2)であった。
阪神淡路大震災時にも、それぞれの避難所の救援物資の情報を交換し、不足している物資を避難所に届ける情報を「ディリーニーズ」が提供していた。避難所間でお互いに不足している救援物資の情報が流れ合っていた。当時は、紙情報であった。今回は、ソーシャルメディアがその役割を担っている。阪神・淡路大震災と違い、罹災地は非常に広域に亘っている。そのため、紙情報では、避難所間の情報交換は不可能である。
そこでインターネットを活用し東日本大震災支援全国ネットワークでは「支援状況マップ」(3)を作り、地図上にボランティア活動団体の活動拠点とその組織が必要としている救援物資や人材の情報が記載されている。また、Googleマップを活用して、「東北地方太平洋沖地震ボランティアマップ」(4)が作られ、罹災地で活動しているボランティア団体の情報が記載されている。このボランティアマップを多くの人々が見て、ボランティア活動に参加している。
また、「災害情報東日本大震災 Jahoo!Japan 」(5)では検索エンジンであるJahooJapanがすべての分野での災害情報を提供している。そして、「sinsai.info 東日本大震災 みんなでつくる復興支援プラットフォーム」(6)を16の企業で作り、サーバ、監視サービス、運営、携帯電話サービス、システムやプログラム開発スタッフ派遣のサービスを提供している。
さらに、首相補佐官としてボランティア担当をおき、また内閣府(7)や厚生労働省(8)から民間ボランティア活動の情報が提供されている。
インターネットでソーシャルメディアを活用したボランティア活動情報が、災害救済活動の推進に大きな役割を果たそうとしている。それは、ソーシャルメディアによって全国の人的資源を集め活用することを可能にしたからである。災害時に国民が力を合わせて助け合う道具としてソーシャルメディアやインターネットは活用されているのである。
ネットワーク上でボランティア情報が流され、多くの市民が自分に合った(自分に出来る)災害救援活動に参加できる。そしてネットワーク上で組織された一人ひとりの市民の力が集まり大きな支援活動の力となる。この経験を通じて、一人ひとりの市民はソーシャルメディアの媒体を通じながら国を変革し運営する市民の政治的主体性を自覚するのではないだろうか。
ソーシャルメディアの発展と情報プロシューマー文化・第二の市民革命の形成
東日本大震災の前にも、北アフリカや中東の民主化運動で、SNSによる情報伝達の威力は世界中に知れ渡っていた。今、震災時の生活情報の伝達にSNSが活用されようとしている。ソーシャルメディアはそれ自体、情報交換の道具にすぎない。しかし、多くの市民が切実に要求する情報を相互に理解し、主張することによって一つの政治的力に変貌してゆく。
情報化社会では、情報を受け取る人は発信する人である。メールは個人的情報交換をインターネットで可能にした。その場合、情報を受け取る人と情報を発信する人は、手紙を書きあう二人の関係でしかなかった。受信や通信者が複数となるグループメールにしてもメールと同じ次元である。
しかし、ソーシャルメディアでは世界中に情報が発信される。情報受信者は不特定多数となる。そのため発信者は自分の意見を世の中に示すことになる。そして同時に、情報発信者は情報受信者でもある。多くの不特定多数の人々から情報を受け取る。これがソーシャルメディアの情報交換の姿である。
言い換えると、ソーシャルメディアによって大衆は情報消費者であり情報生産者でもある情報生産=消費者、換言すると情報プロシューマー(情報を消費し生産する人)である。(9)情報化社会の進化の形態がソーシャルメディアによる情報プロシューマー文化の形成であると言える。
情報プロシューマーの形成によって、震災時のボランティア活動を市民が運営管理することが可能になった。市民が情報を管理することで社会は大きく変化する。何故なら、情報生産はある特定の集団や団体、例えば報道機関、出版社、政府機関、企業等の情報発信の資金を持つ団体に限られていた。
つまり、情報を発信できる者と出来ない者との関係が社会を支配する者と支配される者との関係になっていた。しかし、ソーシャルメディアによって、誰でも情報を発信できるようになった。そのため、今まで権力者が持っていた情報発信権がすべての市民に与えられることになるのである。情報発信権を得た市民は権力の情報管理や情報操作から自由に情報を得る機会を持つことになる。すでに、北アフリカや中東の民主化運動でSNSが大きな役割を果たしたのは、市民が情報発信権を持ったからである。
市民が自由な経済活動を行う権利を得たことを第一の市民革命であると言うなら、情報化社会で進む情報プロシューマー文化の形成、つまり市民が自由な情報発信の権利を得たことは、現代社会で第二の市民革命が進んでいると考えることも出来る。その第二の市民革命の道具はソーシャルメディアである。
人的資源の形成が災害に強い社会の基礎となる
東日本大震災救援活動でソーシャルメディアが活躍している条件は、単に情報化社会が発達したと言うだけではない。情報化社会でSNSを構築する情報処理技術や通信機能の発達は、今回のソーシャルメディアによる救援活動が可能になった第一条件である。
しかし同時に、SNS(情報社会インフラ)を活用する人々(人材・人的資源)の存在を忘れてはならない。Twitterで流れる安否情報を検索できるソフトを開発した人やデータベースを作った人々は偶然に存在しているのではない。情報処理技術に詳しい人々を生み出した社会によって形成された人材・人的資源である。つまり、その人的資源の形成は、大衆化した高等教育、知的生産力を持つ社会、インターネットを活用する情報処理技術が日常化している社会的背景によって可能になっているのである。こうした社会を科学技術文明社会と呼んできた。そして知的労働によって成り立つ産業構造を第四次産業と呼んだ。
つまり、ソーシャルメディアによる震災救援活動の背景には、第四次産業を中心にして機能する科学技術文明社会とそれを担う知的労働力が存在している。今回の災害に対する危機管理の一例として、市民ボランティアによるソーシャルメディアを活用する罹災者救援のための生活情報の伝達と管理体制の構築がある。SNS(ソーシャルネットワークシステム)を活用しながら全国からデータベースやGoogle災害地図作りの市民情報ボランティアが活動した。つまり、ネットワークを使い全国から人材・人的資源を集めることが出来た。
言い換えると、日本社会全体の生産性を高めることが、災害時の危機管理となる。災害時に、全国の至る所から、災害ボランティア活動が生まれ、工夫される基盤は、日本社会を構成する人々の生産性、つまり能力である。人的資源を持たない限り災害時の危機管理は基本的には不可能であるといえる。この考え方は今に始まったものではない。戦国時代の武将武田信玄が述べたという「人は城、人は石垣」の名言があるように、人的資源が最も大切な資本であり、組織の危機管理の基本となる。
ネットワーク型生産システム・災害に強い産業社会の形成
科学技術文明社会・日本では、全国に高度な技術を必要とする情報ボランティア活動をする人材が存在している。しかし、それらの人々は地理的には離れ離れに居る。その人々(人的資源)をネットワークで結びつけ、一つの作業を共同で行う。ネットワーク社会では、有用な資源をネットワーク上で有機的に結びつけ、それらの資源力を活用することが可能となる。すでに企業では常識化しているネットワーク上での共同作業が、今回、市民ボランティア活動に適用されたのである。
言い換えると、資源集中管理型から資源ネットワーク管理型への発想の転換を情報化社会は可能にしているのである。その意味で、資源集中型社会は災害によって、その場所を破壊されることで、機能しなくなる。しかし、資源分散型‐ネットワーク管理型社会は、仮に一箇所の資源拠点を災害によって破壊されても、他の資源拠点をネットワークで結びながら、生産を維持することが可能になる。
これまでの経済学では、資本集中型によって経済効率が導かれると考えられていた。その最も代表的な生産システムがコンビナートである。原料生産では経済効果を求め大型化する生産システムが有効であると考えられる。しかし、加工生産や知的生産では、資本集中による生産システムの大型化は必ずしも必要はないと考えられる。
特に有能な技術力や知的生産力の高さを問われる企業では、全国に存在する優秀な生産拠点をネットワークで結びつけ、活用することがより質の高い生産を可能にする。今回、世界の需要の半分ぐらいを占める部品を生産する優秀な自動車部品メーカが津波の被害を受けたために、世界中の自動車産業に影響が出ていると言われている。高度に分業が進むことで、たった一つの部品が不足することで生産ラインが止まる。これは高度な技術生産によって成り立つ現代の産業を物語る典型的な例である。
災害に強い生産活動を考えるために、現在、地域的に集中している生産拠点を、政策的に全国に少なくとも二箇所に分散することは出来ないだろうか。例えば、東北にある工場を中国か九州にもう一つ作る。しかし、優秀な部品生産メーカであっても、中小企業であるために二つの生産拠点を作る資本力はない。
国家の危機管理体制を作るための今後の課題として、優秀な中小企業の生産拠点を分散しネットワーク上で全国的な生産と流通システムを作ることを検討しなければならないだろう。国は、今回の震災復興計画の中に、生産システムの安全管理や危機管理の国家的体制を検討する必要があるだろう。そして、災害に強い経済システムを検討する課題は、地域経済の活性化を課題にして取り組まれる地方分権の計画とセットになって議論される必要があるだろう。
参考資料
(1) 2011年3月29日のNHKクローズアップ現代 「いま、私たちにできること ~“ソーシャルメディア”支援~」
http://cgi4.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail.cgi?content_id=3022
(2)日本災害救援ボランティアネットワーク(NAVAD)
http://www.nvnad.or.jp/
(3)東日本大震災支援全国ネットワーク 「支援状況マップ」
http://www.jpn-civil.net/
(4)東北地方太平洋沖地震ボランティアマップ Googleマップ
http://maps.google.co.jp/maps/ms?ie=UTF8&brcurrent=3,0x34674e0fd77f192f:0xf54275d47c665244,0&oe=UTF8&msa=0&msid=214722352147164630282.00049eabf66d3dd2fcfc2
(5)災害情報東日本大震災 Jahoo!Japan
http://info.shinsai.yahoo.co.jp/
(6)sinsai.info 東日本大震災 みんなでつくる復興支援プラットフォーム
http://www.sinsai.info/ushahidi/
(7)助けあいジャパン ボランティア情報ステーション 内閣官房震災ボランティア連携室 連携プロジェクト
http://tasukeai.heroku.com/gallery
(8)厚生労働省 ボランティア活動について
http://www.mhlw.go.jp/bunya/seikatsuhogo/volunteer.html
(9)三石博行「生活重視の思想に基づく生活世界の科学性の成立条件」 『研究報告集』、第38集、大阪短大協会 2001.10、pp64-71
http://hiroyukimitsuishi.web.fc2.com/pdf/kenkyu_02_02/cMITShir01b.pdf
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ブログ文書集 タイトル「東日本大震災に立ち向かおう」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_23.html
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2011年4月21日 修正(誤字)
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2011年4月11日月曜日
災害救援のための広域災害ネットワーク形成の意味
震災に強い国を作る(2)B
三石博行
人的交流の意味
国は罹災地の支援のために全国の都道府県市町村に対して地方自治体職員一万人の支援要請を行った。既に阪神淡路大震災や上越沖地震を経験した自治体から職員が派遣されて、罹災地の各市町村の自治体職員と罹災者救援や復旧作業に従事している。
災害を経験していない自治体から職員を派遣することは、やはり重要なことである。何故なら、派遣された自治体の職員の罹災地での救援や復旧活動の経験を通じて、派遣した自治体は今後予測される災害に対する対策を検討する場合、実際に罹災地での活動を経験した職員がいることによって、より具体的なそして効率の高い対策を検討することが可能になるからである。
実際の災害現場に立会い、罹災者住民救済活動を通じて、自治体職員たちは行政サービスの原点に立ち戻ることになるだろう。つまり、行政は住民の生活を守るためにある社会機能である。災害直後に住民から要求される課題は、生命や最低限の生活条件の確保である。その要求に対して、形式的な対応は許されないだろう。誠心誠意をもって要求を受け取ることが職員に求められるだろう。その経験は、必ず正常時の仕事にも活かされるに違いない。
住民情報の安全管理体制
今回、三陸地方の市町村の住民台帳が津波に流された。すでに阪神大震災で経験したこの重大な自治体の情報管理に関する対策が議論されてきた。そして、関西では殆どの市町村が、住民台帳を含める自治体の貴重な情報を他の自治体と共同管理するシステムを取り入れている。
このシステムは、大手新聞社などではすでに取り入れられ、例えば東京本社と西日本本社で新聞データの相互保存がなされて来た。それと同様に、二つの自治体が相互に住民情報等を相互管理するシステムを取り入れている。これは、自治体としての最低限の住民情報の安全管理である。
今回、津波で多くの市町村の住民台帳が流され、行方不明者の名簿はもとより、生存者確認の作業に大きな支障を来たしたと聞いて驚いた。阪神淡路大震災時に罹災自治体の経験が全国化していなかったことがその原因である。本来、こうした問題は自治省が指導すべき課題である。しかし、もし自治省が指導したとしても、その切実な必要性を感じなければ多額の費用を必要とする住民情報の安全管理体制作りを先延ばしにする可能性もある。
その意味で、災害救援のための自治体ネットワークが形成され、罹災経験のない自治体から職員が派遣されることによって、災害時の救援体制のみでなく、災害への安全管理に関するシステム作りの必要性やすでにシステムを持つ自治体職員との交流を通じて、具体的な対策を考える契機となるだろう。
災害時相互応援協定締結の意味
今回、三陸地方の市町村でも災害時に近隣の自治体との災害時相互応援協定を締結していた。しかし、今回の大震災では同時に近隣の自治体も被害を受けることになった。それでこの災害時相互応援協定は十分に機能を発揮することは出来なかった。阪神淡路大震災にしろ、そして今回の東日本大災害でも、大災害に襲われた地域では必ず近隣広域の自治体機能が停止する。
そのためには、近隣のみでなく他府県の、しかも複数の自治体との災害時相互応援協定が必要となる。例えば、福岡県京都郡苅田町では遠隔地の自治体との災害時の相互応援体制を作るために「市町村広域災害ネットワーク災害時相互応援協定締結」に参加している。(1)
「市町村広域災害ネットワーク災害時相互応援協定締結」に基づき、自治体職員は遠隔地での罹災地での活動を行うことになる。罹災地では役場、市役所の機能は麻痺している。職員も罹災し、中には家族に犠牲者が出た人もいるだろう。これが現実の罹災状況である。その中で、自治体職員はボランティアの力、罹災した市民の力を活かす能力が求められる。つまり、自分達が抱え込み罹災者を救済するという正常時の判断から、みんなで力を合わせて、どんな些細なことでもお互いに協力し合い、困難に立ち向かう姿勢と状況に合わせて臨機応変に行動力する技術が問われることになる。
日本は頻繁に災害がある。災害救援のための自治体ネットワークが形成され、常時そのネットワークシステムが機能することで、各自治体は遠方の罹災地に職員を派遣することになる。そのことによって、それぞれの自治体の職員は罹災地での危機管理や住民救済活動を多く経験する。それらの経験を通じて、自治体の危機管理を行える人材が育成されるのである。
参考資料
(1) 福岡県京都郡苅田町ホームページ 「市町村広域災害ネットワーク災害時相互応援協定締結」
「平成21年1月13日、大阪府泉大津市において、市町村広域災害ネットワーク災害時相互応援協定を締結しました。参加団体は苅田町、行橋市、大阪府泉大津市、滋賀県野洲市、京都府八幡市、兵庫県高砂市、奈良県大和郡山市、和歌山県橋本市、高知県香南市の8府県の9市町で、いずれかの自治体が大規模災害に遭った際、同一被災の少ない遠方からの物資支援や職員派遣などで支え合うことを目的としたものです。」
http://www.town.kanda.lg.jp/oshirase/00722.htm
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ブログ文書集 タイトル「東日本大震災に立ち向かおう」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_23.html
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2011年4月13日 修正(誤字)
三石博行
人的交流の意味
国は罹災地の支援のために全国の都道府県市町村に対して地方自治体職員一万人の支援要請を行った。既に阪神淡路大震災や上越沖地震を経験した自治体から職員が派遣されて、罹災地の各市町村の自治体職員と罹災者救援や復旧作業に従事している。
災害を経験していない自治体から職員を派遣することは、やはり重要なことである。何故なら、派遣された自治体の職員の罹災地での救援や復旧活動の経験を通じて、派遣した自治体は今後予測される災害に対する対策を検討する場合、実際に罹災地での活動を経験した職員がいることによって、より具体的なそして効率の高い対策を検討することが可能になるからである。
実際の災害現場に立会い、罹災者住民救済活動を通じて、自治体職員たちは行政サービスの原点に立ち戻ることになるだろう。つまり、行政は住民の生活を守るためにある社会機能である。災害直後に住民から要求される課題は、生命や最低限の生活条件の確保である。その要求に対して、形式的な対応は許されないだろう。誠心誠意をもって要求を受け取ることが職員に求められるだろう。その経験は、必ず正常時の仕事にも活かされるに違いない。
住民情報の安全管理体制
今回、三陸地方の市町村の住民台帳が津波に流された。すでに阪神大震災で経験したこの重大な自治体の情報管理に関する対策が議論されてきた。そして、関西では殆どの市町村が、住民台帳を含める自治体の貴重な情報を他の自治体と共同管理するシステムを取り入れている。
このシステムは、大手新聞社などではすでに取り入れられ、例えば東京本社と西日本本社で新聞データの相互保存がなされて来た。それと同様に、二つの自治体が相互に住民情報等を相互管理するシステムを取り入れている。これは、自治体としての最低限の住民情報の安全管理である。
今回、津波で多くの市町村の住民台帳が流され、行方不明者の名簿はもとより、生存者確認の作業に大きな支障を来たしたと聞いて驚いた。阪神淡路大震災時に罹災自治体の経験が全国化していなかったことがその原因である。本来、こうした問題は自治省が指導すべき課題である。しかし、もし自治省が指導したとしても、その切実な必要性を感じなければ多額の費用を必要とする住民情報の安全管理体制作りを先延ばしにする可能性もある。
その意味で、災害救援のための自治体ネットワークが形成され、罹災経験のない自治体から職員が派遣されることによって、災害時の救援体制のみでなく、災害への安全管理に関するシステム作りの必要性やすでにシステムを持つ自治体職員との交流を通じて、具体的な対策を考える契機となるだろう。
災害時相互応援協定締結の意味
今回、三陸地方の市町村でも災害時に近隣の自治体との災害時相互応援協定を締結していた。しかし、今回の大震災では同時に近隣の自治体も被害を受けることになった。それでこの災害時相互応援協定は十分に機能を発揮することは出来なかった。阪神淡路大震災にしろ、そして今回の東日本大災害でも、大災害に襲われた地域では必ず近隣広域の自治体機能が停止する。
そのためには、近隣のみでなく他府県の、しかも複数の自治体との災害時相互応援協定が必要となる。例えば、福岡県京都郡苅田町では遠隔地の自治体との災害時の相互応援体制を作るために「市町村広域災害ネットワーク災害時相互応援協定締結」に参加している。(1)
「市町村広域災害ネットワーク災害時相互応援協定締結」に基づき、自治体職員は遠隔地での罹災地での活動を行うことになる。罹災地では役場、市役所の機能は麻痺している。職員も罹災し、中には家族に犠牲者が出た人もいるだろう。これが現実の罹災状況である。その中で、自治体職員はボランティアの力、罹災した市民の力を活かす能力が求められる。つまり、自分達が抱え込み罹災者を救済するという正常時の判断から、みんなで力を合わせて、どんな些細なことでもお互いに協力し合い、困難に立ち向かう姿勢と状況に合わせて臨機応変に行動力する技術が問われることになる。
日本は頻繁に災害がある。災害救援のための自治体ネットワークが形成され、常時そのネットワークシステムが機能することで、各自治体は遠方の罹災地に職員を派遣することになる。そのことによって、それぞれの自治体の職員は罹災地での危機管理や住民救済活動を多く経験する。それらの経験を通じて、自治体の危機管理を行える人材が育成されるのである。
参考資料
(1) 福岡県京都郡苅田町ホームページ 「市町村広域災害ネットワーク災害時相互応援協定締結」
「平成21年1月13日、大阪府泉大津市において、市町村広域災害ネットワーク災害時相互応援協定を締結しました。参加団体は苅田町、行橋市、大阪府泉大津市、滋賀県野洲市、京都府八幡市、兵庫県高砂市、奈良県大和郡山市、和歌山県橋本市、高知県香南市の8府県の9市町で、いずれかの自治体が大規模災害に遭った際、同一被災の少ない遠方からの物資支援や職員派遣などで支え合うことを目的としたものです。」
http://www.town.kanda.lg.jp/oshirase/00722.htm
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ブログ文書集 タイトル「東日本大震災に立ち向かおう」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_23.html
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2011年4月13日 修正(誤字)