生活運動から思想運動へ

哲学に於いて生活とはそのすべての思索の根拠である。言い換えると哲学は、生きる行為、生活の場が前提になって成立する一つの思惟の形態であり、哲学は生きるための方法であり、道具であり、戦略であり、理念であると言える。また、哲学の入り口は生活点検作業である。何故なら、日常生活では無神経さや自己欺瞞は自然発生的に生まれるため、日常性と呼ばれる思惟の惰性形態に対して、反省と呼ばれる遡行作業を哲学は提供する。方法的懐疑や現象学的還元も、日常性へ埋没した惰性的自我を点検する方法である。生活の場から哲学を考え、哲学から生活の改善を求める運動を、ここでは生活運動と思想運動の相互関係と呼ぶ。そして、他者と共感しない哲学は意味を持たない。そこで、私の哲学を点検するためにこのブログを書くことにした。 2011年1月5日 三石博行 (MITSUISHI Hiroyuki)

2010年5月20日木曜日

倫理と規範の関係

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三石博行 社会的存在としての人間に関する研究にとって、 1、人間の社会的行為を形成している精神構造 2、社会の人間的行為を規制する社会文化的構造 この二つの構造とそれらの関係を解明しなければならない。 2の法律や社会制度は、それを了解する社会構成員の倫理やモラル、つ...
2010年5月18日火曜日

吉田民人研究のために1

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三石博行 前期から始まった新しい三つの科目の教材作成に追われながら、吉田民人理論の研究に関して3つの課題を進めている。 1、Van Drom Eddy さんと吉田論文のフランス語訳や英語訳を進めている。フラン誤訳を終えて、吉田民人用語の説明をしなければならない。そのため...

吉田民人先生を偲ぶ2

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三石博行 私の自宅に吉田民人先生が着て下さって、何回か講義をして下さった。 その録音をまた聞きなおす。 懐かしい先生の声がMedia Player から流れてくる。 先生の講義を聴きなおしながら、新鮮な感動を感じる。 何一つ妥協のない論理展開 学生のような真剣...
2010年5月17日月曜日

今を維持する力を与えよ

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三石博行 一 自分の人生は自分のもの。 だから、自分が納得して生きるしかない。 それが、自分らしいという自分の姿をつくる。 自分の姿は、将来のイメージにはない。 自分の姿は、自分の足跡によって作られたものだ。 自分らしいということは、自分の足跡への自分なりの...
2010年5月13日木曜日

自己を罪びとと思っている義人と自己を義人と思っている罪びと

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三石博行 何故、自分の失敗を認めることが大切なのだろうか。何故、失敗をしないために、失敗を否定するのでなく、それを受け止めることが自分に必要なのか。 逆説的に成立する人間性のあり方(真実) ▽ 理性と情欲の二つの異なるベクトルをもつ生命力、一方は快楽を満たそうとし...

理性と情念の両方を持つ人間の姿 パスカルから

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三石博行 理性と情欲の間に生じる内的闘争(人間的な精神構造) ▽ パスカルは、人間の性は本来悪でもなければ善でもないと言っている。もし、人の悪の起源が欲望であるとするなら、欲望を持たない人間はいないので、全ての人が悪人となる。また、その逆に人の善の起源が理性であるとする...

中世社会の世界観の崩壊 ケプラーの地動説の影響

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三石博行 中世的世界観から近代的世界観の転換 天動説からケプラーの地動説へ ▽ 中世西洋社会の人々は魔女や魔術を信じ、また人のうわさを批判的に検討する知性を持っていなかったのだろうかという問いに答えるために、逆に、魔女や魔術などの迷信を信じない、また不確かなうわさを聞...
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魔女狩り裁判を引き起こす世界観

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三石博行 思い込みを生み出す人間と社会の思想的背景 ▽ 我々人類が歴史の中で繰り返される虐殺行為、ユダヤ人虐殺、魔女狩り、民族浄化、在日朝鮮人虐殺、クロアチア人虐殺、ツチ族虐殺等々、戦争行為以外に、多くの人々が犠牲になってきた。これらの虐殺を、私達は自分の日常生活と無縁...
2010年4月29日木曜日

人間と倫理2 「人は天使でもなければ禽獣でもない」(パスカル)

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三石博行 1、もっとも単純な人間観、性善説と性悪説 ▽ 孟子は人の性(人間の性格)は、本来、善きものである。全ての人は生まれながらにして善き性格を平等に与えられている。しかし、その善き人の性は社会の環境によって汚され、不善(よくないもの)になると主張した。この考え方を性...
2010年4月28日水曜日

1980年、パキスタンから激動するイランへ

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三石博行 ムジャーヒディーン(mujāhidīn)とエチオピアのエリート船員 ▽ その日、私は寝坊してしまった。朝早く立つバスに乗りそこなった。パキスタンの西部にあるクエッタの町は、砂漠の中にあるオアシスの町だ。アフガニスタンに近く、多くの人や物資がアフガニスタンからやっ...

引き裂かれた民族と作られた国境

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三石博行 ▽ 私は、今から30年ほど前、1980年にリックを一つ背負って、インド、バングラディシュ、パキスタン、イランの国々を鉄道やバスを経由しながら陸路で旅行をした。若いからこそできる旅で、その中で多くのものを見た。 ▽ インドのデーリーから汽車に乗ってパキスタンへ向...

多言語文化社会の生活風景

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三石博行 インド社会の成り立ちと多言語文化社会 ▽ インドは紀元前2600年から前1600年頃までにインダス川流域に文明(インダス文明)が栄え、紀元前1500年頃にアーリア人がパンジャーブ地方に移住、その後、ガンジス川流域の先住民を支配し、司祭階級(バラモン)を頂点とした...
2010年4月27日火曜日

人間的な感性、思い込みから生まれた歴史の悲劇とその精神構造

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三石博行 ユダヤ人虐殺や魔女狩り裁判の歴史 ▽ ペスト大流行、疫病大災害によってキリスト教社会でおこるキリスト教義を逸脱した鞭説教(鞭を自分に打ちながら悪魔を追い払う行動を起こすカルト)が民衆の中に広まった。 ▽ 町の人口の半数近くの死者を出したペストによる極端な人口...
2010年4月22日木曜日

魔女狩りは中世社会だけでない現代社会でもある

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三石博行 ダヤ人虐殺と魔女狩り裁判 中世ヨーロッパの終焉、異端裁判(審問)と大災害ペスト大流行 ▽ 中世ヨーロッパでの異端審問が魔女裁判の原型と言われている。1307年から1313年まで継続されたフランス国王がおこなった騎士たちの異端を裁く宗教裁判が広範囲に行われた...
2010年4月15日木曜日

人間と倫理1 「性善説と性悪説から推察できるモラルのあり方」

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三石博行 3、性善説と性悪説から推察できるモラルのあり方を考える 性善説 ▽ 性善説からすれば、人は本来、善き存在で、悪(悪い癖)は社会生活の中で受け入れてきたものである。そのため、社会の悪癖(悪い行い)に染まらないように努力する必要がある。もし、悪い友人や集団と交わる...

人間と倫理1 「性善説と性悪説」

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2、性善説と性悪説 ▽ 古代中国の二人の賢人、孟子(もうし)と荀子(じゅんし)は孔子の弟子であったが、人間に関する考え方は真っ向から異なった。孟子は、人間は生まれながらにして善であるという思想であるである性善説を唱え、一方、荀子は孟子の性善説を批判した。 ▽ 孟子は、「人の性の善...

人間と倫理1 「倫理、道徳と規範の意味」

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1、 倫理、道徳、規範の意味 ▽ 広辞苑によると倫理は「人倫(じんりん)のみち、実際道徳の規範となる原理、道徳」と書いてある。人倫とは孟子のことばで、人と人との秩序関係、例えば親子、夫婦、上司と部下などの社会で成立している人間関係の秩序を意味する。それが転じて、人として守るべき道...
2010年4月9日金曜日

忠臣蔵神話の終わり

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可哀想な赤穂浪士と愚かな浅野内匠頭 一 元禄赤穂事件とは、1703年1月30日(元禄16年12月14日から15日) に元禄太平の世を驚かした仇討ちである。 この事件は、1701年4月21日(元禄14年3月14日)に江戸城の松之大廊下で赤穂藩主浅野内匠頭長矩(あさのたく...
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プライド

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一 その年の冬にインドのカルカッタ(現在のコルカタ)に私は着いた。 マザーテレサも 彼女がその年(1979年)にノーベル平和賞を受賞したことも、まったく知らないままで、外人の集まるサマーストリートのホテルで知り合ったオーストリアの青年に誘われ、「死を待つ人々の家」を訪問し...

大津の雪桜(自然の造花)

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今年の3月末の突然襲った季節はずれの寒波。 大津の山にも雪が降った。 突然の大雪で若葉をつけた木々の枝が雪化粧をした。 満開の桜の花を小枝にプレゼントされた木々に朝日があたる。 白い雪の桜の花びらで化粧された春の樹木の造形。 雪に覆われ若葉は、冬を惜しむ青い空からの贈り物に微笑む...
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