三石博行
経済大国中国、中国的民主制度形成の基盤
中国の正しい理解と東アジアの発展のための政治方針
日本の将来は、アメリカの理解を得ながら中国、韓国、台湾、ロシアと共に東アジア経済圏を形成することが出来るかどうかに大きく影響を受けるだろう。
日本将来が掛かる課題を考える上で、いま一つ理解しなければならない大切なテーマがある。それは、現在の中国と中国政府に対する我々日本のそして日本人の理解である。
私たちの中国の理解が、東アジア共同体を共に形成するために必要である。台湾、韓国や中国の飛躍的経済発展によって、これまで日本を中心とする東アジア経済圏が、東アジア経済共同体の前哨段階として、世界的な経済圏に成長しつつある。
現在の中国を理解するためには、まず現在の中国共産党の役割、特に中国の近代化過程に必要であった中国共産党の役割について理解して必要があるだろう。
多様な近代化過程
封建的経済体制から近代的工業経済体制への移行過程を一般に近代化過程と呼んでいるが、一方において、この近代化過程と欧米化と理解する意見もある。ここでは、近代化とはヨーロッパでの17世紀から始まる近代合理主義から18世紀の啓蒙主義と科学主義を経て、19世紀の資本主義経済の発展と工業化社会の形成過程とまったく同じ歴史的な社会発展の過程を意味するのではない。国際社会にはそれぞれの伝統文化や経済発展の歴史の違いがある以上、全ての社会での近代化が同じ過程を経ると言う事は不可であると言える。
取り分け20世紀になって世界のあらゆる国や国際地域で進む近代化過程は、欧米社会の近代化過程の反復ではなく、それぞれの文化的、社会駅背景を前提にして執り行われた、国を揺るがす大構造改革であったといえる。
近代化過程で取り上げられる課題は、自由、平等や友愛の社会思想から成立している国家の形成である。つまり、近代西洋科学を土台とする技術や生産様式、民主主義による政治制度と資本主義による経済制度の確立過程を近代化過程と呼んでいる。
しかし、これまでの歴史を振り返ると近代化過程はそれを最初に行ったイギリス、フランス、ドイツ、イタリアやアメリカなどの欧米型だけでなく、その周辺国家での近代化過程である、例えばロシア型、日本型、中国型、イラクやイラン型、インド型等、アジアやアフリカの発展途上国の近代化過程が存在する。
日本の近代化過程 天皇制による近代化過程
例えば、近代化を欧米列強の帝国主義植民地時代の真っ只中、すでに江戸末期に列強と取り結んだ不平等条約でのハンディを克服するために、つまり政治的にも列強の植民地にされないために、日本はアジアの国の中で最も素早く近代化政策を取り入れた。
まず、大政奉還を行い、徳川将軍家が帝へ征夷大将軍の位を返上し、政権は天皇中心とする(実際は薩長土肥の維新推進藩を中心とする勢力)が中止となる中央政権を作り、廃藩置県を行い封建領主制度を廃止し、明治政府の支配する中央集権制度を確立した。すべての大名は領土を天皇に還し、武士は自らその社会的地位を廃止し、日本国政府を創り上げていった。
明治政府がまず取り組んだ政策、天皇を中心とする中央集権制度による敏速な国家としての意思決定機能の形成、封建的身分制度の撤廃によって日本国民全体から人材採用の制度化(義務教育制度等々)、近代国家形成のための富国強兵政策(国家資本主義体制)等々である。
この日本の近代化過程は、イギリスやフランスに代表される欧米型近代化過程とは全く異なる形態である。アジア的伝統社会風土の上に(を前提に)形成する以外に不可能な過程であった。政治的意思決定機関(天皇制度)、産業化過程(国営企業による産業育成)、近代的技術形成過程(農業機械一つ改良を見ても、アメリカのトラックターが日本本土の田んぼでは使えないために日本式の耕運機を改良したように)等々、欧米型社会とは異なる政治、経済、社会制度を採りながら近代化を行った。
後発型近代化過程、社会主義による近代化過程
一つの社会経済史的な類似性を見出すのは、日本の例も入れて、後発資本主義国家は先行資本主義国家との競争を打ち勝つため(そうでなければ植民地化の危機に襲われる時代であったために)、国家が経済活動、企業活動に深く関係し、国営企業によって海外の巨大資本から自国の産業を守る傾向にあると言える。
例えば、周辺国ロシアの近代化の簡単に過程を分析してみる。日露戦争によって敗北した帝政ロシアは政治的に崩壊し、1917年のボリシェヴィキ(1919年共産党と改称)の武装蜂起とロシア革命、その後、列強(日本も含めて)ロシア干渉戦争に対して共産党は戦時共産主義を導入し共産党による一党独裁政治が確立した。1922年にロシア内戦が終わり、ソビエト社会主義共和国連邦が樹立した。強烈なソビエト共産党の独裁政権化での経済や軍事政策によって、ソビエト連邦は巨大な国家に成長して行った。
また、アジアの大国中国の近代化の歴史を振り返ってみる。この時代、つまりヨーロッパ列強が清国を部分的に植民地化して行った時代、1840年のイギリスとの阿片戦争に敗北し、1842年の南京条約締結以来、首都北京の外国軍隊の駐屯を認めた1900年の北京協定書締結を経て、中国全土の植民地化が進行した。
清朝末期、日本の明治維新に習って近代化を行おうとした勢力の敗北、そのため近代化改革は遅れる。清朝政府は、1908年欽定憲法大綱を公布して近代国家の体を作ろうとするが、孫文らの清朝打倒運動によって、清朝政府は崩壊して行く。その後、日中戦争を通じて、日本帝国主義と戦った中国共産党が台等していく。
第二次世界大戦へと突進した帝国主義の時代は、ヨーロッパ戦線でのナチスドイツの敗北、太平洋戦線での日本帝国主義の敗北によって終焉した。中国では、毛沢東指導する中国共産党によって中国全土を分断し続けていた日本帝国主義をはじめとした列強の植民地化は終止符を打たれることになる。
中国共産党なくしては、列強の植民地支配(特に戦前の欧米列強、戦中の日本帝国主義と戦後のアメリカの介入)から中国を守ることは出来なかったし、戦禍と飢えに苦しむ悲惨な中国国民の救済することは出来なかったのである。
工業化と富国強兵の近代化過程を推進した中国共産党の役割
1949年、国民党との内戦に勝利した中国共産党を代表し毛沢東が中華人民共和国の建国を宣言した。建国一年後の1950年に朝鮮戦争が勃発した。東西冷戦の時代始り、ソビエトとアメリカの代理戦争が朝鮮半島を舞台にして繰り広げられる。社会主義勢力の一翼をになう中国は資本主義陣営の先頭に立つアメリカと闘うことになる。
毛沢東の指導する中国共産党の戦時共産主義体制によって東西冷戦時代に中国に襲い掛かった政治介入や経済的攻撃を防いだ。毛沢東は彼の共産主義革命論で国を武装しようとして、大躍進や文化大革命を行った。
しかし、その現実の結果は毛沢東の理論で語られるものと大きくかけ離れ、国の経済は疲弊して行った。毛沢東は革命の力によって共産主義社会と呼ばれる生産力の高い工業産業化や農業産業化が可能になると信じていたい。しかし、社会主義統制経済化での近代化は思うように進まなかったといえる。それは、東西冷戦時代での敵国中国に対する資本主義大国の政治的な意図も加味しながら、社会主義国中国のその時代の政治路線を理解する必要がある。
1980年代を向かえ、東西冷戦が終結の一途を辿り始めたとき、鄧小平指導する中国共産党による改革開放政策が行われた。今日の中国の経済発展を導いた。
社会主義中国の形成過程で登場する毛沢東と鄧小平の二人、その政治方針はまったく異なって見えるが、中国近代化過程流れから観れば、この二つの政策は一つの視点から生み出されたものに見える。
つまり、毛沢東の中国共産党は、文化大革命が典型的であったが、古い中国伝統の儒教思想を破壊する運動を行い、中国的近代化過程を展開するための文化的土壌を創ったと云えないだろうか。そして、その文革の成果の上に、鄧小平の中国共産党は、改革開放が典型的であるが、国際経済を相手にした中国近代化政策を実現したのである。
つまり、中国伝統の儒教思想に縛られた世界では、自由競争を前提とした市場経済の導入、それを支える優秀な人材の市場からの市場原理に基づく登場は不可能であっただろう。今、中国の殆どの人々が、豊かになるために勉強をして有名大学に入学し、共産党員に推薦され、いい職を探し、役に立つ人脈を持つ。国家の選ばれた人材群に参加するために、中国の若者は必死に勉強しているのである。
劉暁波氏の存在は改革開放の成功の証
中国政府が、劉暁波氏への2010年のノーベル平和賞授与を内政干渉として批判したことで、逆に世界中から中国の人権問題が課題になり、中国政府が劉暁波氏のノーベル平和賞受賞式典参加を妨害したことで、中国政府に対して国際的は批判が起こっている。
以前(2010年11月13日)、このブログで「中国の人権問題で思うこと」と題する文書を書いたが、その中で、劉暁波氏の存在は中国共産党の改革開放の成功の結果生まれたものであると述べた。
中国共産党が中国の発展に必要な近代化を国家を挙げ、強烈な一党独裁体制で推し進めた結果、今日の経済的発展があることは否定できない。つまり、この近代化過程は、丁度、絶対的権力者天皇を奉り国家挙げて富国強兵政策に奔走した明治から大正・昭和初期の日本の姿と基本的には同じである。その結果、少し経済的に豊かな日本で大正デモクラシーが起こるように、経済的に豊かになった中国で、自由を求める声が起こるのは当然のこと、歴史の必然のように思える。言い換えると、改革開放の成功によって、劉暁波氏が誕生したのである。
近代化のための手段としての中国共産党
この改革開放の成功の証である劉暁波氏を、それを導いた中国共産党が弾圧しなければならないのは皮肉な話である。しかし、実はここに中国での民主化の鍵が隠されている。つまり、生活の豊かさの彼方に、必然的に、民主主義社会への憧れが生まれる。
何故なら、人は衣食住のような基本的な生活資源(一次生活資源)を確保した後に、さらにその質的な豊かさ(二次生活資源)を求める。そして生活の質を向上させながら、さらに精神面の豊かさや自己独自の欲望(三次生活資源)を満たそうとする。
毛沢東率いる中国共産党の力で、中国人民は一次生活資源を確保し、鄧小平率いる中国共産党の力で、さらに二次生活資源を獲得している。中間富裕層が凄い勢いで増加する中国が示す社会文化の進化の方向は、民主化である。この流れは中国共産党という道具を使い、中国人民が実現したかった国の近代化過程の目的であったと云える。
言い換えると、近代化のための道具(機関)として日本での天皇制道具説を提唱したように、中国での共産党・社会主義体制道具説が成立するのである。
その道具を社会が必要である以上、その道具は活用される。しかし、それが不要になると、社会はそれに換わる別の道具を準備する。しかし、その準備とは、社会秩序や制度そのものが道具である以上、家の大工道具のように簡単に買い換えるわけには行かない。
太平洋戦争という悲惨な歴史的事件とそれの伴う多くの犠牲者を引き換えに、その道具の変換が可能になる場合もある。しかし、ソビエト連邦の崩壊のように、道具(共産党)を職人(党幹部)が捨てる場合も起こる。この道具の変換(政治的パラダイムチェンジ)の方法は予測不可能であるが、道具が変換されることはこれまでの歴史的な事実から、予測可能であると言える。
豊かな中国の彼方にある民主国家中国の姿
中国では、共産党員になることが国家や社会の政治に参加できる資格を得ることを意味する。社会的、経済的な利権を得るためには共産党員の資格が必要である。この資格は、高校までに成績が優秀でなければならない。大学の成績も優秀でなければならない。この資格を得るために若者は勉強をしている。
党員になれた人々とそうでない人々は、その出発点から違いが生まれる。つまり、これからの中国では、共産党員と非共産党員の格差社会が生み出される。
現在の共産党員の中に、国家の利益よりも個人の利益を優先する者がいるなら、党はそれを許さないという中国共産党の伝統が行き続ける限り、格差社会を生み出されたとしても、その格差は経済発展のために必要な道具と理解されるだろう。
しかし、豊かな社会となった未来の中国では、共産党員たちの利権を守るために党を運営し始めるなら共産党が社会発展を阻害する要素となる問題が発生し始めるだろう。つまり、官僚化した共産党の国家の運営が始まりだろう。形骸化した党の指導、政策によって合理的な経済政策が打ち出されなくなった時、中国人民は形骸化した共産党の一党独裁を否定し、多様な意見と持つ人民がそれぞれ政治参加できる議会制民主主義を要求するだろ。
しかし、現在の中国共産党にとって、欧米型民主主義制度、つまり他の政党を認め、選挙によって政権が交代し、立法、行政と司法の三権分離によって国家運営は、中国の経済発展のためにはならないと判断している。その判断を中国の大半の国民が支持している。その限りにおいて、アメリカやヨーロッパ、そして日本の市民が望む中国の民主化は起こらないだろう。だが、中国経済が急速に発展する中で、経済大国中国の国民が、いずれ我々先進国とよばれる国々の国民のように精神や信仰の自由を持つ民主主義社会を創ると信じることが出来るのである。
中国の近代化・民主化過程を日本から観てはならないだろう
我々は、劉暁波氏を代表とする中国国内での民主化運動に理解を示している。しかし、同時に、現在の政治体制が形成された歴史も理解している。問題は、アメリカ人であればアメリカから中国、その他発展途上国の近代化過程、民主主義社会の形成過程を観ない事、日本人であれば現在の日本の社会観から中国やその他の国々の現状を解釈しないことである。
先進国、以前は帝国主義列強と呼ばれた国々のこれまでの失敗は、今回のイラク戦争に代表される。アメリカはありもしない大量殺人兵器を理由に、一国の政権を滅ぼした。これの歴史的事実を未来の社会が判断するだろうが、こうした先進国(大国)の軍事行動が許されるなら、国連は不要となる。
大量殺人兵器を発見できないアメリカのイラク戦争の口実が、「イラク国民の望む民主主義社会を創るための戦」であった。常に、大国はその利権を得るために色々な戦争の口実を見つけようとする。歴史の中でそれらの例を山のように見つけることが出来る。
帝国主義の時代を終えて、国際協調の時代に入ろうとする時代、多様な近代化過程や民主主義過程が存在することを了解しなければならない。しかし、いずれの国も、国際人権宣言を尊重することは最低限の決まりとして了解しなければならない。民主主義の多様性を認めることは、非人道的独裁政権を認めることでなく、多様な民主主義制度の形成過程と多様なその段階を理解することを意味する。
今回の劉暁波氏のノーベル賞受賞に対して、我々は賞賛している。しかし、中国がそれを内政干渉だと言うのは現在の中国政府の立場である。それを批判するつもりはない。しかし、中国がノーベル平和賞授賞式に出席しないように要請することも、我が国に対する内政干渉である。我が国はこれまでの慣例に従って、出席をすればいいのである。
また、このような問題を外交問題の課題にしてはならない。ありえないことであるが、もし中国政府は、日本政府が劉暁波氏のノーベル平和賞受賞式に参列したことで、経済的関係を一部変更すると言う事が起これば、日本政府は正々堂々と、両国双方の国益を守るための、今必要とされる現実的な外交課題を中国政府と話し合えばいいのである。そして、それを国際社会に問い掛けると良い。
もちろん、以上のような提案は日本と中国の外交官にとっては当然な話しで、「釈迦に説法」というきらいがあるが、この機会を通じて、日本と中国が共に、世界経済の中心としての東アジア経済共同体の形成に向けて努力することを再確認することが出来れば、未来の中国を担う劉暁波氏も満足するだろう。
参考資料
三石博行 「中国の人権問題で思うこと」
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/11/blog-post_03.html
三石博行 「生活資源論」
http://hiroyukimitsuishi.web.fc2.com/kenkyu_02_02.html
三石博行 「中国共産党による中国の民主化過程の可能性 ‐大衆化する中国共産党・政治思想集団から社会エリート集団への変遷‐」
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/02/blog-post_3865.html
訂正(参考資料追加) 2011年2月21日
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2、日中関係
2-1、「日中友好に未来あり」)
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/11/blog-post.html
2-2、中国の人権問題で思うこと
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/11/blog-post_03.html
2-3、経済的発展か軍事的衝突か 問われる東アジアの政治的方向性
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/12/blog-post_13.html
2-4、中国の近代化・民主化過程を理解しよう
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/12/blog-post_1850.html
2-5、中国との経済的協力関係の展開と中国への軍事的脅威への対応の二重路線外交を進めよ
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/01/blog-post.html
2-6、米中関係の進展は東アジアの平和に役立つ
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/01/blog-post_5428.html
2-7、中国共産党による中国の民主化過程の可能性
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/02/blog-post_3865.html
ブログ文書集「国際社会の中の日本 -国際化する日本の社会文化-」から
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