三石博行
近代化政策の失敗が生み出す手痛い損害と新たな近代化過程の形成
欧米的な社会イラン1979年
今から30年以上前、1979年のイラン革命の最中に、イランを旅したことがあった。インドから陸路でパキスタンのクエッタを通り、パキスタンのイラン国境の町ミルジャワからイランの入り口であるザヘダンを経てバスでテヘランに向かった。
テヘランからカスピ海の町、チグリスユーフラテス川岸にありイラクと国境を接する石油の町、アーバーダーン等々、バスで一週間ぐらいだったか、イラン国内をまわった。
当時(1979年)のイランは、それまで続いたイラン帝国、パフラヴィー(パーレビ)王朝の近代化政策もあって、生活様式全体がパキスタンなどの周辺国に比べて比較にならないぐらい欧米的で近代的な雰囲気を持っていた。パキスタンのミルジャワからイランのザヘダンに入った瞬間に、道路、バス、建物も豊かな石油生産国イランとイラン国民の生活状態を一瞬の内に理解させる、垢抜けた立派なものであった。イランは豊かだという印象が、特にバングラディシュ、インドとパキスタンを旅行してきた私に鮮明に残った印象だった。
この豊かなイランを導いたパーレビ前政権が崩壊しなければならなかったのか。疑問を抱えたまま、バスの旅行は続く。テヘランは美しい街であった。山地の麓から豊かに湧き出す水をふんだんに使い、テヘランの街の中心街にある大きな並木道の両側の小さな水路に透き通った清水が流れる。交通は整理され、多量の車、殆どが外車(GM、フード、トヨタ、ホルクスワーゲン等の車)がスムースに道路を流れていた。
崩壊した伝統的農業
この旅の目的はイランの農業を観察するためであった。そのため事前にイラン式農業についての資料を読んでいた。資料によると、雨量の極度に少ない乾燥地帯であるイランでは、ペルシャ時代から続く伝統的なカナートとよばれる灌漑技術を使った農業があった。カナートとは、高地の豊かな雪解け水や雨水を地下水として貯め、それを山の斜面に地下の水路(トンネル)を造って流すという当時としては画期的な灌漑技法であった。紀元前800年ごろの古代イラン(ペルシャ)で発達したカナートの優秀な技術は、ペルシャを征服したギリシャ人によって、古代エジプトに持ち込まれるなど、アジア、中東やアフリカに広がったと言われている。
豊かなイランの農業を想像した私が観たものは、耕運機で稲作をしていたカスピ海沿岸の豊かな水田地帯を除いて、荒廃したテヘラン近郊の畑、大型トラクターを使った巨大な農地、泥水で機能していない灌漑用のダム等々であった。
豊かなイランの社会的インフラは、石油生産で得られた莫大な収入を使って整備されたものであった。また、当時の食料はイスラエルやアメリカから輸入されていた。石油輸出国イランが輸入国との貿易収支を調整するために行った政策、世界の石油生産国という国際分業の一翼を担い、その分、他の国から農業生産物を輸入する経済政策が取られていた。
海外からの安価な農業生産物や工業生産物の輸入によって、国内農業はことごとく淘汰荒廃して行った。これが、パフラヴィー(パーレビ)体制の進めたイラン近代化政策であった。
拮抗した国際分業と近代化政策
国際分業論に基づくイランの近代化とは、国内産業の育成ではなく、先進国からの製品を国内に満たすこと、それによって国民は先進国並みの生活環境を手に入れることが出来た。
例えばインドは当時、海外車の輸入を厳しく制限し、古い型のインド国産車が走っていた。しかし、イランでは、多量の立派な外国車が道路にひしめいていた。その風景は、殆ど日本と変わらなかった。違いは日本の車は国内で生産されたものであるが、イランの車は海外のものであるということだけである。イランで、ヒッチハイクをしながら旅をした時、偶然、イラン国産自動車を運転する人に乗せてもらったことがあった。彼は、イラン国産車である自分の車を褒め称えたが、私を乗せてすぐに彼の自慢のイラン国産車はエンストしてしまった。それが、当時のイラン国産車の状態で、殆どの人は、故障の多い国産車を買おうとはしなかったのだろう。
旅行者の私には、一見、豊かな社会に観えたイランは、その経済構造は先進国(特にアメリカ)の経済植民地に近い状態になっていた。豊かな王族、貴族、資産家や商人達とテヘランの下町に移住してきた失業者・貧民の群れ(と言ってもインドの貧しい人々に比べれば豊かすぎる人々であったが)に石油から得た富の分配を問題になっていた。
自国産業の育成を前提にした近代化過程が形成されないまま、海外からの豊かな工業生産物で社会は満たされていた。石油が生産でき、その莫大な収益がある以上、他の産業の育成の必要性は緊急な課題ではなかったのだろう。しかし、その政策のもっとも大きな犠牲者は伝統的ペルシャ農業を続けてきたイラン中部地帯の農民であったといえる。
挫折したイラン民主化運動とイラ国民運動としての近代化過程
再び、テヘランにかえて来た私を友人が「面白い場所に連れて行ってあげる」と言う事で、彼の通うテヘラン大学の正門の付近まで行った(そう記憶しているのだが)。学生達が自動小銃おをもって警戒していた建物があった。それが、当時、世界中を騒がせていた「イランアメリカ大使館の占拠」の現場であった。
一ヶ月以上も、インド国内の鉄道の旅をして、パキスタンとイランを回ってきた私は世界の情勢(出来事)について全く情報を持っていなかった。まさか、自分が立っている前の建物が世界を騒がせている現場であると思いもせずに、その入り口まで行った。
友人から説明を受けてびっくりした。大使館の前でマシンガンをもっている学生と話しを始めた。どうしても聞きたいことが一つあった。何故なら、彼はマシンガンを片手に、コカコーラを飲んでいた。
「君は、右手にアメリカ帝国主義に闘うためのマシンガンを持って、左手でアメリカのコカコーラを飲んでいるのだが、どうなんだい。なぜアメリカが嫌いなのかね? 」と尋ねた。その学生は、真剣なまなざしになった。そして、議論が始まった。
「イランには伝統的な乳製品ののみのもがあるじゃない? なんで、その飲み物でなく、コカコーラなんだい? 君はアメリカ文化が本当は好きなのだろう?」と際どい質問に対して、彼は考え込んでしまった。その真剣な眼差しを今でも思い出す。
あれから、イランイラク戦争が起こった。私を歓迎した多くのイランの若者たち、私がただ日本人であるという理由で、家に招待し、ご馳走し、泊めてくれた若者達、彼らが今生きているのだろうか。彼らは、戦争に駆り出され死んだのではないだろうか。もしそうなら、本当にイランの将来のためには、残念なことだったと思える。
右手に自動小銃を持ちながらも、左手でアメリカのコカコーラを飲んでいの若者達こそが、イラン国民のためのイラン国民によるイラン国民の近代化を成功させる道筋を提起できたのではないだろうか。
近代化政策の失敗によるイスラム回帰化
その後のイランの社会的変貌を、先進国の政治勢力の誰が予測できただろうか。
フランスの亡命していたイスラムシーア派の指導者ルーホッラー・ホメイニーが英雄的に帰国し、パフラヴィー(パーレビ)皇帝は国外に亡命した。イラン帝国は壊滅し、イラン・イスラム共和国が建国した。国家の構造の変化を簡単に述べると、王国からイスラム共和国にイランの政治体制が変化したといえる。
パフラヴィー(パーレビ)王朝の王族や貴族を中心とする絶対君主制が解体し、イスラムシーア派の国民を中心とした宗教国家が形成された。つまり、宗教指導者の権力の下に、国民は選挙で共和国を運営することになる。その限りにおいて、王朝時代よりも、イラン国民の政治参加の自由度は増えたと解釈できる。
しかし、パーレビ帝国の時代にアメリカ文化や思想に非常に大きな影響を受けたことで、多くの若者が欧米式の考え方やライフスタイルを経験理解することになるが、その全てを、イスラム主義は排除する方向で政治体制を構築することになる。
パーレビ王朝の近代化によって生まれた欧米民主主義文化を吸収した若者、そして彼らはその民主主義の思想において王政主義を批判しイランに民主社会を実現しようとした。また、他方、パーレビ王朝の近代化政策の犠牲によって生み出された膨大な数の失業者(イスラム教徒)、彼らは近代化によって破壊されたイスラム伝統文化と社会制度を復活しようとした。
つまり、イラン革命は二つの異なる集団の共闘によって展開し、結果的には、多数を占めたイスラム教徒、イラン民衆の勝利で終わるのである。そして、どの社会の革命に共通するように、少数派である知識階層の人々の革命理念は挫折、多数派のイスラム主義者・イスラム原理主義によって駆逐排除されるのである。
イランのイスラム革命の主流派の形成は、明らかにパーレビ帝国時代の近代化政策の失敗によるものであった。イランの近代化政策の失敗によってイスラム原理主義への回帰運動が起こったと理解できるのである。
イスラム回帰化から生じる新たなイランの近代化政策
イラン・イスラム共和国がイスラム主義と呼ばれる宗教イデオロギーによって運営されようと、政治指導部は、国の産業化政策や富国強兵政策を推し進めなければならない。そのためには、好むと好まざるに関わらす、欧米先進国を中止のとする科学技術を取り入れなければならない。もし、国が近代化政策に失敗し、豊かな経済や強固な軍事力を形成することが出来なければ、国民経済は困窮し、海外からの侵略におびえることになる。
当然、欧米の科学合理主義の思想や資本主義・民主主義の制度を拒否したとしても、明治時代に日本が経験したように、部分的に、欧米民主主義、資本主義、西洋の科学技術文化、科学主義を取り入れざるを得ないのである。
考え方を変えて観れば、近代化過程に失敗したイランが、イスラム共和国という道具を使って、イラン式の、イラン的な近代化過程を模索、構築しようとしていると理解できないだろうか。
日本の近代化過程の分析研究の成果を発展途上国の近代化政策に役立てよう
問われている問題は、発展途上国称される国々、しかし古代ペルシャ文明からの古い伝統文化とそれに対する誇りを持つ民族・イラン国民による、イラン国民のための近代化過程を我々が正しく理解するために課題を考えなければならない。
何故なら、以前、米国を代表する欧米列強(帝国主義)が行った周辺国家への自国流の民主主義と近代化過程の押し売りという失敗を繰り返さないためである。そのために、我々は、イスラム共和国という過程を通じて展開しつつある近代化過程に関して理解を深めなければならないだろう。
これからの世界経済の担い手、国際政治の表舞台で活躍する人々、それは、現在近代化過程に格闘している発展途上国と呼ばれる国々である。その大先輩が我が国日本である。大先輩としての日本の政治、外交、産業、教育研究活動等々すべての我が国の歴史的社会的資産を展開し、これらの国々に発展に貢献することが、日本が、国際社会で大きな影響を持つ国として展開する将来の課題となる。
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哲学に於いて生活とはそのすべての思索の根拠である。言い換えると哲学は、生きる行為、生活の場が前提になって成立する一つの思惟の形態であり、哲学は生きるための方法であり、道具であり、戦略であり、理念であると言える。また、哲学の入り口は生活点検作業である。何故なら、日常生活では無神経さや自己欺瞞は自然発生的に生まれるため、日常性と呼ばれる思惟の惰性形態に対して、反省と呼ばれる遡行作業を哲学は提供する。方法的懐疑や現象学的還元も、日常性へ埋没した惰性的自我を点検する方法である。生活の場から哲学を考え、哲学から生活の改善を求める運動を、ここでは生活運動と思想運動の相互関係と呼ぶ。そして、他者と共感しない哲学は意味を持たない。そこで、私の哲学を点検するためにこのブログを書くことにした。 2011年1月5日 三石博行 (MITSUISHI Hiroyuki)
2010年12月16日木曜日
進行する核拡散を食い止められるだろうか
三石博行
核拡散を防ぐために必要な国際政治課題
瀬戸際外交の切り札としての核所有
1974年にインドは初めての核実験を行い、1998年5月11日と13日に合計5回の核実験を繰り返した。その直後、1998年5月28日にパキスタンが地下核実験に行う。そして、2006年10月10日に北朝鮮が初めての地下核実験を行った。そして、現在、イランが核開発を加速させ、核はさらに拡散しようとしている。
核を持つ国々は、他国からの軍事攻撃に対する抑止力を手に入れることが出来た。そして、同時に核を持たない国は、核を持つ国からの軍事的圧迫を受けることになる。核所有国と非所有国の間に生じた軍事力の不均等関係によって、国際政治が動き出すことになる。
つまり、北朝鮮が核所有国の紋章を彼らが持つことで、如何に経済力(現実の国力)が弱くとも、彼ら大胆不敵な瀬戸際外交を続けられる所以を示すのである。アメリカによってイラクの核兵器開発を阻止する名目で繰り広げられた2003年3月からのイラク戦争の教訓に学び、北朝鮮はアメリカの攻撃の前に、2006年10月に核開発を成功させたのである。
核を持たない反米外交を行う国は、イラクの運命を辿る。そうでないためには、北朝鮮のように核を所有することで、アメリカに対しても瀬戸際外交が可能になる。イラク戦争と北朝鮮の核開発の二つの歴史的事実の教訓は、多くの反米外交を行っている国々の教訓となったに違いない。その一つの典型としてイランの核開発がある。
イラク戦争の歴史的負債 北朝鮮とイランの防衛のための核開発
当分、イランだけでなく、多くの発展途上国が自国の独自外交路線を維持するために、アメリカからの政治的圧力に屈しないために、核を所有する方向で動き出すことを止めることが出来ないかもしれない。それらの政府の存続が核の所有か非所有の条件に掛かってくる以上、秘かに、核開発の計画は進行し続けるだろう。
イラク戦争の歴史的評価は、今後1世紀の時間を掛けて行われることとなるが、あの戦争が軍事大国は如何なる場合でも小国政府の独自外交路線に干渉できる帝国主義の時代の国際政治の決まり、帝国主義の政治作法が存続し続けていることを証明した。そして、帝国主義的な力関係に屈服しないためには、戦前、日本が選択したように軍事大国になることが唯一の方法であると理解された。その結果が、北朝鮮とイランの現政権の外交政策として反映されることになる。
国連防衛会議と国連軍の形成
小沢一郎氏をはじめとして、日本の政治家の中でも、「国際紛争解決のための軍事的執行能力を持つ国連軍の形成」を21世紀の国際政治のテーマにした人々が居る。この視点は、脆くも、21世紀の突端に、アメリカのイラク戦争によって、粉々に粉砕された。
しかし、国際紛争によって核戦争が起こること、また核の力を使って瀬戸際外交を行うこと、核拡散が進行することを防ぐためには、もう一度、国際紛争の解決に必要な国連機関の設定、その機関が国際紛争を解決するための執行力を持つ国連防衛会議や国連軍の構想が必要となる。イラクのクウェート侵攻を国連が非難し、国連を中心とした連合軍が形成された歴史があった。その教訓に、もう一度、学ぶ必要がある。
また、同時に、国連の決議や議論の過程を無視して、アメリカが行った2003年3月のイラク侵攻が、上記した国連防衛会議と国連軍の形成の構想を破壊した歴史的経験にも学ばなければならないだろう。
大国のやり方が一方的に通ることで、国際社会の平和は、一時的には大国の巨大な軍事力に抑制された平和な社会を醸し出すことが出来るかもしれないが、いつか、力を得た周辺国家、発展途上国によって、厳しい反撃の機会を用意することに繋がるのである。
イランが核所有国家になり、アメリカやイスラエルの中東での軍事的力に対して、瀬戸際外交を展開する切符を手に入れるなら、中東はさらに世界戦争や核戦争の危険に晒されることになるだろう。そうした事態が生じないように、日本は外交を展開しなければならない。
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核拡散を防ぐために必要な国際政治課題
瀬戸際外交の切り札としての核所有
1974年にインドは初めての核実験を行い、1998年5月11日と13日に合計5回の核実験を繰り返した。その直後、1998年5月28日にパキスタンが地下核実験に行う。そして、2006年10月10日に北朝鮮が初めての地下核実験を行った。そして、現在、イランが核開発を加速させ、核はさらに拡散しようとしている。
核を持つ国々は、他国からの軍事攻撃に対する抑止力を手に入れることが出来た。そして、同時に核を持たない国は、核を持つ国からの軍事的圧迫を受けることになる。核所有国と非所有国の間に生じた軍事力の不均等関係によって、国際政治が動き出すことになる。
つまり、北朝鮮が核所有国の紋章を彼らが持つことで、如何に経済力(現実の国力)が弱くとも、彼ら大胆不敵な瀬戸際外交を続けられる所以を示すのである。アメリカによってイラクの核兵器開発を阻止する名目で繰り広げられた2003年3月からのイラク戦争の教訓に学び、北朝鮮はアメリカの攻撃の前に、2006年10月に核開発を成功させたのである。
核を持たない反米外交を行う国は、イラクの運命を辿る。そうでないためには、北朝鮮のように核を所有することで、アメリカに対しても瀬戸際外交が可能になる。イラク戦争と北朝鮮の核開発の二つの歴史的事実の教訓は、多くの反米外交を行っている国々の教訓となったに違いない。その一つの典型としてイランの核開発がある。
イラク戦争の歴史的負債 北朝鮮とイランの防衛のための核開発
当分、イランだけでなく、多くの発展途上国が自国の独自外交路線を維持するために、アメリカからの政治的圧力に屈しないために、核を所有する方向で動き出すことを止めることが出来ないかもしれない。それらの政府の存続が核の所有か非所有の条件に掛かってくる以上、秘かに、核開発の計画は進行し続けるだろう。
イラク戦争の歴史的評価は、今後1世紀の時間を掛けて行われることとなるが、あの戦争が軍事大国は如何なる場合でも小国政府の独自外交路線に干渉できる帝国主義の時代の国際政治の決まり、帝国主義の政治作法が存続し続けていることを証明した。そして、帝国主義的な力関係に屈服しないためには、戦前、日本が選択したように軍事大国になることが唯一の方法であると理解された。その結果が、北朝鮮とイランの現政権の外交政策として反映されることになる。
国連防衛会議と国連軍の形成
小沢一郎氏をはじめとして、日本の政治家の中でも、「国際紛争解決のための軍事的執行能力を持つ国連軍の形成」を21世紀の国際政治のテーマにした人々が居る。この視点は、脆くも、21世紀の突端に、アメリカのイラク戦争によって、粉々に粉砕された。
しかし、国際紛争によって核戦争が起こること、また核の力を使って瀬戸際外交を行うこと、核拡散が進行することを防ぐためには、もう一度、国際紛争の解決に必要な国連機関の設定、その機関が国際紛争を解決するための執行力を持つ国連防衛会議や国連軍の構想が必要となる。イラクのクウェート侵攻を国連が非難し、国連を中心とした連合軍が形成された歴史があった。その教訓に、もう一度、学ぶ必要がある。
また、同時に、国連の決議や議論の過程を無視して、アメリカが行った2003年3月のイラク侵攻が、上記した国連防衛会議と国連軍の形成の構想を破壊した歴史的経験にも学ばなければならないだろう。
大国のやり方が一方的に通ることで、国際社会の平和は、一時的には大国の巨大な軍事力に抑制された平和な社会を醸し出すことが出来るかもしれないが、いつか、力を得た周辺国家、発展途上国によって、厳しい反撃の機会を用意することに繋がるのである。
イランが核所有国家になり、アメリカやイスラエルの中東での軍事的力に対して、瀬戸際外交を展開する切符を手に入れるなら、中東はさらに世界戦争や核戦争の危険に晒されることになるだろう。そうした事態が生じないように、日本は外交を展開しなければならない。
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2010年12月13日月曜日
中国の近代化・民主化過程を理解しよう
三石博行
経済大国中国、中国的民主制度形成の基盤
中国の正しい理解と東アジアの発展のための政治方針
日本の将来は、アメリカの理解を得ながら中国、韓国、台湾、ロシアと共に東アジア経済圏を形成することが出来るかどうかに大きく影響を受けるだろう。
日本将来が掛かる課題を考える上で、いま一つ理解しなければならない大切なテーマがある。それは、現在の中国と中国政府に対する我々日本のそして日本人の理解である。
私たちの中国の理解が、東アジア共同体を共に形成するために必要である。台湾、韓国や中国の飛躍的経済発展によって、これまで日本を中心とする東アジア経済圏が、東アジア経済共同体の前哨段階として、世界的な経済圏に成長しつつある。
現在の中国を理解するためには、まず現在の中国共産党の役割、特に中国の近代化過程に必要であった中国共産党の役割について理解して必要があるだろう。
多様な近代化過程
封建的経済体制から近代的工業経済体制への移行過程を一般に近代化過程と呼んでいるが、一方において、この近代化過程と欧米化と理解する意見もある。ここでは、近代化とはヨーロッパでの17世紀から始まる近代合理主義から18世紀の啓蒙主義と科学主義を経て、19世紀の資本主義経済の発展と工業化社会の形成過程とまったく同じ歴史的な社会発展の過程を意味するのではない。国際社会にはそれぞれの伝統文化や経済発展の歴史の違いがある以上、全ての社会での近代化が同じ過程を経ると言う事は不可であると言える。
取り分け20世紀になって世界のあらゆる国や国際地域で進む近代化過程は、欧米社会の近代化過程の反復ではなく、それぞれの文化的、社会駅背景を前提にして執り行われた、国を揺るがす大構造改革であったといえる。
近代化過程で取り上げられる課題は、自由、平等や友愛の社会思想から成立している国家の形成である。つまり、近代西洋科学を土台とする技術や生産様式、民主主義による政治制度と資本主義による経済制度の確立過程を近代化過程と呼んでいる。
しかし、これまでの歴史を振り返ると近代化過程はそれを最初に行ったイギリス、フランス、ドイツ、イタリアやアメリカなどの欧米型だけでなく、その周辺国家での近代化過程である、例えばロシア型、日本型、中国型、イラクやイラン型、インド型等、アジアやアフリカの発展途上国の近代化過程が存在する。
日本の近代化過程 天皇制による近代化過程
例えば、近代化を欧米列強の帝国主義植民地時代の真っ只中、すでに江戸末期に列強と取り結んだ不平等条約でのハンディを克服するために、つまり政治的にも列強の植民地にされないために、日本はアジアの国の中で最も素早く近代化政策を取り入れた。
まず、大政奉還を行い、徳川将軍家が帝へ征夷大将軍の位を返上し、政権は天皇中心とする(実際は薩長土肥の維新推進藩を中心とする勢力)が中止となる中央政権を作り、廃藩置県を行い封建領主制度を廃止し、明治政府の支配する中央集権制度を確立した。すべての大名は領土を天皇に還し、武士は自らその社会的地位を廃止し、日本国政府を創り上げていった。
明治政府がまず取り組んだ政策、天皇を中心とする中央集権制度による敏速な国家としての意思決定機能の形成、封建的身分制度の撤廃によって日本国民全体から人材採用の制度化(義務教育制度等々)、近代国家形成のための富国強兵政策(国家資本主義体制)等々である。
この日本の近代化過程は、イギリスやフランスに代表される欧米型近代化過程とは全く異なる形態である。アジア的伝統社会風土の上に(を前提に)形成する以外に不可能な過程であった。政治的意思決定機関(天皇制度)、産業化過程(国営企業による産業育成)、近代的技術形成過程(農業機械一つ改良を見ても、アメリカのトラックターが日本本土の田んぼでは使えないために日本式の耕運機を改良したように)等々、欧米型社会とは異なる政治、経済、社会制度を採りながら近代化を行った。
後発型近代化過程、社会主義による近代化過程
一つの社会経済史的な類似性を見出すのは、日本の例も入れて、後発資本主義国家は先行資本主義国家との競争を打ち勝つため(そうでなければ植民地化の危機に襲われる時代であったために)、国家が経済活動、企業活動に深く関係し、国営企業によって海外の巨大資本から自国の産業を守る傾向にあると言える。
例えば、周辺国ロシアの近代化の簡単に過程を分析してみる。日露戦争によって敗北した帝政ロシアは政治的に崩壊し、1917年のボリシェヴィキ(1919年共産党と改称)の武装蜂起とロシア革命、その後、列強(日本も含めて)ロシア干渉戦争に対して共産党は戦時共産主義を導入し共産党による一党独裁政治が確立した。1922年にロシア内戦が終わり、ソビエト社会主義共和国連邦が樹立した。強烈なソビエト共産党の独裁政権化での経済や軍事政策によって、ソビエト連邦は巨大な国家に成長して行った。
また、アジアの大国中国の近代化の歴史を振り返ってみる。この時代、つまりヨーロッパ列強が清国を部分的に植民地化して行った時代、1840年のイギリスとの阿片戦争に敗北し、1842年の南京条約締結以来、首都北京の外国軍隊の駐屯を認めた1900年の北京協定書締結を経て、中国全土の植民地化が進行した。
清朝末期、日本の明治維新に習って近代化を行おうとした勢力の敗北、そのため近代化改革は遅れる。清朝政府は、1908年欽定憲法大綱を公布して近代国家の体を作ろうとするが、孫文らの清朝打倒運動によって、清朝政府は崩壊して行く。その後、日中戦争を通じて、日本帝国主義と戦った中国共産党が台等していく。
第二次世界大戦へと突進した帝国主義の時代は、ヨーロッパ戦線でのナチスドイツの敗北、太平洋戦線での日本帝国主義の敗北によって終焉した。中国では、毛沢東指導する中国共産党によって中国全土を分断し続けていた日本帝国主義をはじめとした列強の植民地化は終止符を打たれることになる。
中国共産党なくしては、列強の植民地支配(特に戦前の欧米列強、戦中の日本帝国主義と戦後のアメリカの介入)から中国を守ることは出来なかったし、戦禍と飢えに苦しむ悲惨な中国国民の救済することは出来なかったのである。
工業化と富国強兵の近代化過程を推進した中国共産党の役割
1949年、国民党との内戦に勝利した中国共産党を代表し毛沢東が中華人民共和国の建国を宣言した。建国一年後の1950年に朝鮮戦争が勃発した。東西冷戦の時代始り、ソビエトとアメリカの代理戦争が朝鮮半島を舞台にして繰り広げられる。社会主義勢力の一翼をになう中国は資本主義陣営の先頭に立つアメリカと闘うことになる。
毛沢東の指導する中国共産党の戦時共産主義体制によって東西冷戦時代に中国に襲い掛かった政治介入や経済的攻撃を防いだ。毛沢東は彼の共産主義革命論で国を武装しようとして、大躍進や文化大革命を行った。
しかし、その現実の結果は毛沢東の理論で語られるものと大きくかけ離れ、国の経済は疲弊して行った。毛沢東は革命の力によって共産主義社会と呼ばれる生産力の高い工業産業化や農業産業化が可能になると信じていたい。しかし、社会主義統制経済化での近代化は思うように進まなかったといえる。それは、東西冷戦時代での敵国中国に対する資本主義大国の政治的な意図も加味しながら、社会主義国中国のその時代の政治路線を理解する必要がある。
1980年代を向かえ、東西冷戦が終結の一途を辿り始めたとき、鄧小平指導する中国共産党による改革開放政策が行われた。今日の中国の経済発展を導いた。
社会主義中国の形成過程で登場する毛沢東と鄧小平の二人、その政治方針はまったく異なって見えるが、中国近代化過程流れから観れば、この二つの政策は一つの視点から生み出されたものに見える。
つまり、毛沢東の中国共産党は、文化大革命が典型的であったが、古い中国伝統の儒教思想を破壊する運動を行い、中国的近代化過程を展開するための文化的土壌を創ったと云えないだろうか。そして、その文革の成果の上に、鄧小平の中国共産党は、改革開放が典型的であるが、国際経済を相手にした中国近代化政策を実現したのである。
つまり、中国伝統の儒教思想に縛られた世界では、自由競争を前提とした市場経済の導入、それを支える優秀な人材の市場からの市場原理に基づく登場は不可能であっただろう。今、中国の殆どの人々が、豊かになるために勉強をして有名大学に入学し、共産党員に推薦され、いい職を探し、役に立つ人脈を持つ。国家の選ばれた人材群に参加するために、中国の若者は必死に勉強しているのである。
劉暁波氏の存在は改革開放の成功の証
中国政府が、劉暁波氏への2010年のノーベル平和賞授与を内政干渉として批判したことで、逆に世界中から中国の人権問題が課題になり、中国政府が劉暁波氏のノーベル平和賞受賞式典参加を妨害したことで、中国政府に対して国際的は批判が起こっている。
以前(2010年11月13日)、このブログで「中国の人権問題で思うこと」と題する文書を書いたが、その中で、劉暁波氏の存在は中国共産党の改革開放の成功の結果生まれたものであると述べた。
中国共産党が中国の発展に必要な近代化を国家を挙げ、強烈な一党独裁体制で推し進めた結果、今日の経済的発展があることは否定できない。つまり、この近代化過程は、丁度、絶対的権力者天皇を奉り国家挙げて富国強兵政策に奔走した明治から大正・昭和初期の日本の姿と基本的には同じである。その結果、少し経済的に豊かな日本で大正デモクラシーが起こるように、経済的に豊かになった中国で、自由を求める声が起こるのは当然のこと、歴史の必然のように思える。言い換えると、改革開放の成功によって、劉暁波氏が誕生したのである。
近代化のための手段としての中国共産党
この改革開放の成功の証である劉暁波氏を、それを導いた中国共産党が弾圧しなければならないのは皮肉な話である。しかし、実はここに中国での民主化の鍵が隠されている。つまり、生活の豊かさの彼方に、必然的に、民主主義社会への憧れが生まれる。
何故なら、人は衣食住のような基本的な生活資源(一次生活資源)を確保した後に、さらにその質的な豊かさ(二次生活資源)を求める。そして生活の質を向上させながら、さらに精神面の豊かさや自己独自の欲望(三次生活資源)を満たそうとする。
毛沢東率いる中国共産党の力で、中国人民は一次生活資源を確保し、鄧小平率いる中国共産党の力で、さらに二次生活資源を獲得している。中間富裕層が凄い勢いで増加する中国が示す社会文化の進化の方向は、民主化である。この流れは中国共産党という道具を使い、中国人民が実現したかった国の近代化過程の目的であったと云える。
言い換えると、近代化のための道具(機関)として日本での天皇制道具説を提唱したように、中国での共産党・社会主義体制道具説が成立するのである。
その道具を社会が必要である以上、その道具は活用される。しかし、それが不要になると、社会はそれに換わる別の道具を準備する。しかし、その準備とは、社会秩序や制度そのものが道具である以上、家の大工道具のように簡単に買い換えるわけには行かない。
太平洋戦争という悲惨な歴史的事件とそれの伴う多くの犠牲者を引き換えに、その道具の変換が可能になる場合もある。しかし、ソビエト連邦の崩壊のように、道具(共産党)を職人(党幹部)が捨てる場合も起こる。この道具の変換(政治的パラダイムチェンジ)の方法は予測不可能であるが、道具が変換されることはこれまでの歴史的な事実から、予測可能であると言える。
豊かな中国の彼方にある民主国家中国の姿
中国では、共産党員になることが国家や社会の政治に参加できる資格を得ることを意味する。社会的、経済的な利権を得るためには共産党員の資格が必要である。この資格は、高校までに成績が優秀でなければならない。大学の成績も優秀でなければならない。この資格を得るために若者は勉強をしている。
党員になれた人々とそうでない人々は、その出発点から違いが生まれる。つまり、これからの中国では、共産党員と非共産党員の格差社会が生み出される。
現在の共産党員の中に、国家の利益よりも個人の利益を優先する者がいるなら、党はそれを許さないという中国共産党の伝統が行き続ける限り、格差社会を生み出されたとしても、その格差は経済発展のために必要な道具と理解されるだろう。
しかし、豊かな社会となった未来の中国では、共産党員たちの利権を守るために党を運営し始めるなら共産党が社会発展を阻害する要素となる問題が発生し始めるだろう。つまり、官僚化した共産党の国家の運営が始まりだろう。形骸化した党の指導、政策によって合理的な経済政策が打ち出されなくなった時、中国人民は形骸化した共産党の一党独裁を否定し、多様な意見と持つ人民がそれぞれ政治参加できる議会制民主主義を要求するだろ。
しかし、現在の中国共産党にとって、欧米型民主主義制度、つまり他の政党を認め、選挙によって政権が交代し、立法、行政と司法の三権分離によって国家運営は、中国の経済発展のためにはならないと判断している。その判断を中国の大半の国民が支持している。その限りにおいて、アメリカやヨーロッパ、そして日本の市民が望む中国の民主化は起こらないだろう。だが、中国経済が急速に発展する中で、経済大国中国の国民が、いずれ我々先進国とよばれる国々の国民のように精神や信仰の自由を持つ民主主義社会を創ると信じることが出来るのである。
中国の近代化・民主化過程を日本から観てはならないだろう
我々は、劉暁波氏を代表とする中国国内での民主化運動に理解を示している。しかし、同時に、現在の政治体制が形成された歴史も理解している。問題は、アメリカ人であればアメリカから中国、その他発展途上国の近代化過程、民主主義社会の形成過程を観ない事、日本人であれば現在の日本の社会観から中国やその他の国々の現状を解釈しないことである。
先進国、以前は帝国主義列強と呼ばれた国々のこれまでの失敗は、今回のイラク戦争に代表される。アメリカはありもしない大量殺人兵器を理由に、一国の政権を滅ぼした。これの歴史的事実を未来の社会が判断するだろうが、こうした先進国(大国)の軍事行動が許されるなら、国連は不要となる。
大量殺人兵器を発見できないアメリカのイラク戦争の口実が、「イラク国民の望む民主主義社会を創るための戦」であった。常に、大国はその利権を得るために色々な戦争の口実を見つけようとする。歴史の中でそれらの例を山のように見つけることが出来る。
帝国主義の時代を終えて、国際協調の時代に入ろうとする時代、多様な近代化過程や民主主義過程が存在することを了解しなければならない。しかし、いずれの国も、国際人権宣言を尊重することは最低限の決まりとして了解しなければならない。民主主義の多様性を認めることは、非人道的独裁政権を認めることでなく、多様な民主主義制度の形成過程と多様なその段階を理解することを意味する。
今回の劉暁波氏のノーベル賞受賞に対して、我々は賞賛している。しかし、中国がそれを内政干渉だと言うのは現在の中国政府の立場である。それを批判するつもりはない。しかし、中国がノーベル平和賞授賞式に出席しないように要請することも、我が国に対する内政干渉である。我が国はこれまでの慣例に従って、出席をすればいいのである。
また、このような問題を外交問題の課題にしてはならない。ありえないことであるが、もし中国政府は、日本政府が劉暁波氏のノーベル平和賞受賞式に参列したことで、経済的関係を一部変更すると言う事が起これば、日本政府は正々堂々と、両国双方の国益を守るための、今必要とされる現実的な外交課題を中国政府と話し合えばいいのである。そして、それを国際社会に問い掛けると良い。
もちろん、以上のような提案は日本と中国の外交官にとっては当然な話しで、「釈迦に説法」というきらいがあるが、この機会を通じて、日本と中国が共に、世界経済の中心としての東アジア経済共同体の形成に向けて努力することを再確認することが出来れば、未来の中国を担う劉暁波氏も満足するだろう。
参考資料
三石博行 「中国の人権問題で思うこと」
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/11/blog-post_03.html
三石博行 「生活資源論」
http://hiroyukimitsuishi.web.fc2.com/kenkyu_02_02.html
三石博行 「中国共産党による中国の民主化過程の可能性 ‐大衆化する中国共産党・政治思想集団から社会エリート集団への変遷‐」
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/02/blog-post_3865.html
訂正(参考資料追加) 2011年2月21日
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2、日中関係
2-1、「日中友好に未来あり」)
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/11/blog-post.html
2-2、中国の人権問題で思うこと
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/11/blog-post_03.html
2-3、経済的発展か軍事的衝突か 問われる東アジアの政治的方向性
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/12/blog-post_13.html
2-4、中国の近代化・民主化過程を理解しよう
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/12/blog-post_1850.html
2-5、中国との経済的協力関係の展開と中国への軍事的脅威への対応の二重路線外交を進めよ
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/01/blog-post.html
2-6、米中関係の進展は東アジアの平和に役立つ
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/01/blog-post_5428.html
2-7、中国共産党による中国の民主化過程の可能性
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/02/blog-post_3865.html
ブログ文書集「国際社会の中の日本 -国際化する日本の社会文化-」から
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経済大国中国、中国的民主制度形成の基盤
中国の正しい理解と東アジアの発展のための政治方針
日本の将来は、アメリカの理解を得ながら中国、韓国、台湾、ロシアと共に東アジア経済圏を形成することが出来るかどうかに大きく影響を受けるだろう。
日本将来が掛かる課題を考える上で、いま一つ理解しなければならない大切なテーマがある。それは、現在の中国と中国政府に対する我々日本のそして日本人の理解である。
私たちの中国の理解が、東アジア共同体を共に形成するために必要である。台湾、韓国や中国の飛躍的経済発展によって、これまで日本を中心とする東アジア経済圏が、東アジア経済共同体の前哨段階として、世界的な経済圏に成長しつつある。
現在の中国を理解するためには、まず現在の中国共産党の役割、特に中国の近代化過程に必要であった中国共産党の役割について理解して必要があるだろう。
多様な近代化過程
封建的経済体制から近代的工業経済体制への移行過程を一般に近代化過程と呼んでいるが、一方において、この近代化過程と欧米化と理解する意見もある。ここでは、近代化とはヨーロッパでの17世紀から始まる近代合理主義から18世紀の啓蒙主義と科学主義を経て、19世紀の資本主義経済の発展と工業化社会の形成過程とまったく同じ歴史的な社会発展の過程を意味するのではない。国際社会にはそれぞれの伝統文化や経済発展の歴史の違いがある以上、全ての社会での近代化が同じ過程を経ると言う事は不可であると言える。
取り分け20世紀になって世界のあらゆる国や国際地域で進む近代化過程は、欧米社会の近代化過程の反復ではなく、それぞれの文化的、社会駅背景を前提にして執り行われた、国を揺るがす大構造改革であったといえる。
近代化過程で取り上げられる課題は、自由、平等や友愛の社会思想から成立している国家の形成である。つまり、近代西洋科学を土台とする技術や生産様式、民主主義による政治制度と資本主義による経済制度の確立過程を近代化過程と呼んでいる。
しかし、これまでの歴史を振り返ると近代化過程はそれを最初に行ったイギリス、フランス、ドイツ、イタリアやアメリカなどの欧米型だけでなく、その周辺国家での近代化過程である、例えばロシア型、日本型、中国型、イラクやイラン型、インド型等、アジアやアフリカの発展途上国の近代化過程が存在する。
日本の近代化過程 天皇制による近代化過程
例えば、近代化を欧米列強の帝国主義植民地時代の真っ只中、すでに江戸末期に列強と取り結んだ不平等条約でのハンディを克服するために、つまり政治的にも列強の植民地にされないために、日本はアジアの国の中で最も素早く近代化政策を取り入れた。
まず、大政奉還を行い、徳川将軍家が帝へ征夷大将軍の位を返上し、政権は天皇中心とする(実際は薩長土肥の維新推進藩を中心とする勢力)が中止となる中央政権を作り、廃藩置県を行い封建領主制度を廃止し、明治政府の支配する中央集権制度を確立した。すべての大名は領土を天皇に還し、武士は自らその社会的地位を廃止し、日本国政府を創り上げていった。
明治政府がまず取り組んだ政策、天皇を中心とする中央集権制度による敏速な国家としての意思決定機能の形成、封建的身分制度の撤廃によって日本国民全体から人材採用の制度化(義務教育制度等々)、近代国家形成のための富国強兵政策(国家資本主義体制)等々である。
この日本の近代化過程は、イギリスやフランスに代表される欧米型近代化過程とは全く異なる形態である。アジア的伝統社会風土の上に(を前提に)形成する以外に不可能な過程であった。政治的意思決定機関(天皇制度)、産業化過程(国営企業による産業育成)、近代的技術形成過程(農業機械一つ改良を見ても、アメリカのトラックターが日本本土の田んぼでは使えないために日本式の耕運機を改良したように)等々、欧米型社会とは異なる政治、経済、社会制度を採りながら近代化を行った。
後発型近代化過程、社会主義による近代化過程
一つの社会経済史的な類似性を見出すのは、日本の例も入れて、後発資本主義国家は先行資本主義国家との競争を打ち勝つため(そうでなければ植民地化の危機に襲われる時代であったために)、国家が経済活動、企業活動に深く関係し、国営企業によって海外の巨大資本から自国の産業を守る傾向にあると言える。
例えば、周辺国ロシアの近代化の簡単に過程を分析してみる。日露戦争によって敗北した帝政ロシアは政治的に崩壊し、1917年のボリシェヴィキ(1919年共産党と改称)の武装蜂起とロシア革命、その後、列強(日本も含めて)ロシア干渉戦争に対して共産党は戦時共産主義を導入し共産党による一党独裁政治が確立した。1922年にロシア内戦が終わり、ソビエト社会主義共和国連邦が樹立した。強烈なソビエト共産党の独裁政権化での経済や軍事政策によって、ソビエト連邦は巨大な国家に成長して行った。
また、アジアの大国中国の近代化の歴史を振り返ってみる。この時代、つまりヨーロッパ列強が清国を部分的に植民地化して行った時代、1840年のイギリスとの阿片戦争に敗北し、1842年の南京条約締結以来、首都北京の外国軍隊の駐屯を認めた1900年の北京協定書締結を経て、中国全土の植民地化が進行した。
清朝末期、日本の明治維新に習って近代化を行おうとした勢力の敗北、そのため近代化改革は遅れる。清朝政府は、1908年欽定憲法大綱を公布して近代国家の体を作ろうとするが、孫文らの清朝打倒運動によって、清朝政府は崩壊して行く。その後、日中戦争を通じて、日本帝国主義と戦った中国共産党が台等していく。
第二次世界大戦へと突進した帝国主義の時代は、ヨーロッパ戦線でのナチスドイツの敗北、太平洋戦線での日本帝国主義の敗北によって終焉した。中国では、毛沢東指導する中国共産党によって中国全土を分断し続けていた日本帝国主義をはじめとした列強の植民地化は終止符を打たれることになる。
中国共産党なくしては、列強の植民地支配(特に戦前の欧米列強、戦中の日本帝国主義と戦後のアメリカの介入)から中国を守ることは出来なかったし、戦禍と飢えに苦しむ悲惨な中国国民の救済することは出来なかったのである。
工業化と富国強兵の近代化過程を推進した中国共産党の役割
1949年、国民党との内戦に勝利した中国共産党を代表し毛沢東が中華人民共和国の建国を宣言した。建国一年後の1950年に朝鮮戦争が勃発した。東西冷戦の時代始り、ソビエトとアメリカの代理戦争が朝鮮半島を舞台にして繰り広げられる。社会主義勢力の一翼をになう中国は資本主義陣営の先頭に立つアメリカと闘うことになる。
毛沢東の指導する中国共産党の戦時共産主義体制によって東西冷戦時代に中国に襲い掛かった政治介入や経済的攻撃を防いだ。毛沢東は彼の共産主義革命論で国を武装しようとして、大躍進や文化大革命を行った。
しかし、その現実の結果は毛沢東の理論で語られるものと大きくかけ離れ、国の経済は疲弊して行った。毛沢東は革命の力によって共産主義社会と呼ばれる生産力の高い工業産業化や農業産業化が可能になると信じていたい。しかし、社会主義統制経済化での近代化は思うように進まなかったといえる。それは、東西冷戦時代での敵国中国に対する資本主義大国の政治的な意図も加味しながら、社会主義国中国のその時代の政治路線を理解する必要がある。
1980年代を向かえ、東西冷戦が終結の一途を辿り始めたとき、鄧小平指導する中国共産党による改革開放政策が行われた。今日の中国の経済発展を導いた。
社会主義中国の形成過程で登場する毛沢東と鄧小平の二人、その政治方針はまったく異なって見えるが、中国近代化過程流れから観れば、この二つの政策は一つの視点から生み出されたものに見える。
つまり、毛沢東の中国共産党は、文化大革命が典型的であったが、古い中国伝統の儒教思想を破壊する運動を行い、中国的近代化過程を展開するための文化的土壌を創ったと云えないだろうか。そして、その文革の成果の上に、鄧小平の中国共産党は、改革開放が典型的であるが、国際経済を相手にした中国近代化政策を実現したのである。
つまり、中国伝統の儒教思想に縛られた世界では、自由競争を前提とした市場経済の導入、それを支える優秀な人材の市場からの市場原理に基づく登場は不可能であっただろう。今、中国の殆どの人々が、豊かになるために勉強をして有名大学に入学し、共産党員に推薦され、いい職を探し、役に立つ人脈を持つ。国家の選ばれた人材群に参加するために、中国の若者は必死に勉強しているのである。
劉暁波氏の存在は改革開放の成功の証
中国政府が、劉暁波氏への2010年のノーベル平和賞授与を内政干渉として批判したことで、逆に世界中から中国の人権問題が課題になり、中国政府が劉暁波氏のノーベル平和賞受賞式典参加を妨害したことで、中国政府に対して国際的は批判が起こっている。
以前(2010年11月13日)、このブログで「中国の人権問題で思うこと」と題する文書を書いたが、その中で、劉暁波氏の存在は中国共産党の改革開放の成功の結果生まれたものであると述べた。
中国共産党が中国の発展に必要な近代化を国家を挙げ、強烈な一党独裁体制で推し進めた結果、今日の経済的発展があることは否定できない。つまり、この近代化過程は、丁度、絶対的権力者天皇を奉り国家挙げて富国強兵政策に奔走した明治から大正・昭和初期の日本の姿と基本的には同じである。その結果、少し経済的に豊かな日本で大正デモクラシーが起こるように、経済的に豊かになった中国で、自由を求める声が起こるのは当然のこと、歴史の必然のように思える。言い換えると、改革開放の成功によって、劉暁波氏が誕生したのである。
近代化のための手段としての中国共産党
この改革開放の成功の証である劉暁波氏を、それを導いた中国共産党が弾圧しなければならないのは皮肉な話である。しかし、実はここに中国での民主化の鍵が隠されている。つまり、生活の豊かさの彼方に、必然的に、民主主義社会への憧れが生まれる。
何故なら、人は衣食住のような基本的な生活資源(一次生活資源)を確保した後に、さらにその質的な豊かさ(二次生活資源)を求める。そして生活の質を向上させながら、さらに精神面の豊かさや自己独自の欲望(三次生活資源)を満たそうとする。
毛沢東率いる中国共産党の力で、中国人民は一次生活資源を確保し、鄧小平率いる中国共産党の力で、さらに二次生活資源を獲得している。中間富裕層が凄い勢いで増加する中国が示す社会文化の進化の方向は、民主化である。この流れは中国共産党という道具を使い、中国人民が実現したかった国の近代化過程の目的であったと云える。
言い換えると、近代化のための道具(機関)として日本での天皇制道具説を提唱したように、中国での共産党・社会主義体制道具説が成立するのである。
その道具を社会が必要である以上、その道具は活用される。しかし、それが不要になると、社会はそれに換わる別の道具を準備する。しかし、その準備とは、社会秩序や制度そのものが道具である以上、家の大工道具のように簡単に買い換えるわけには行かない。
太平洋戦争という悲惨な歴史的事件とそれの伴う多くの犠牲者を引き換えに、その道具の変換が可能になる場合もある。しかし、ソビエト連邦の崩壊のように、道具(共産党)を職人(党幹部)が捨てる場合も起こる。この道具の変換(政治的パラダイムチェンジ)の方法は予測不可能であるが、道具が変換されることはこれまでの歴史的な事実から、予測可能であると言える。
豊かな中国の彼方にある民主国家中国の姿
中国では、共産党員になることが国家や社会の政治に参加できる資格を得ることを意味する。社会的、経済的な利権を得るためには共産党員の資格が必要である。この資格は、高校までに成績が優秀でなければならない。大学の成績も優秀でなければならない。この資格を得るために若者は勉強をしている。
党員になれた人々とそうでない人々は、その出発点から違いが生まれる。つまり、これからの中国では、共産党員と非共産党員の格差社会が生み出される。
現在の共産党員の中に、国家の利益よりも個人の利益を優先する者がいるなら、党はそれを許さないという中国共産党の伝統が行き続ける限り、格差社会を生み出されたとしても、その格差は経済発展のために必要な道具と理解されるだろう。
しかし、豊かな社会となった未来の中国では、共産党員たちの利権を守るために党を運営し始めるなら共産党が社会発展を阻害する要素となる問題が発生し始めるだろう。つまり、官僚化した共産党の国家の運営が始まりだろう。形骸化した党の指導、政策によって合理的な経済政策が打ち出されなくなった時、中国人民は形骸化した共産党の一党独裁を否定し、多様な意見と持つ人民がそれぞれ政治参加できる議会制民主主義を要求するだろ。
しかし、現在の中国共産党にとって、欧米型民主主義制度、つまり他の政党を認め、選挙によって政権が交代し、立法、行政と司法の三権分離によって国家運営は、中国の経済発展のためにはならないと判断している。その判断を中国の大半の国民が支持している。その限りにおいて、アメリカやヨーロッパ、そして日本の市民が望む中国の民主化は起こらないだろう。だが、中国経済が急速に発展する中で、経済大国中国の国民が、いずれ我々先進国とよばれる国々の国民のように精神や信仰の自由を持つ民主主義社会を創ると信じることが出来るのである。
中国の近代化・民主化過程を日本から観てはならないだろう
我々は、劉暁波氏を代表とする中国国内での民主化運動に理解を示している。しかし、同時に、現在の政治体制が形成された歴史も理解している。問題は、アメリカ人であればアメリカから中国、その他発展途上国の近代化過程、民主主義社会の形成過程を観ない事、日本人であれば現在の日本の社会観から中国やその他の国々の現状を解釈しないことである。
先進国、以前は帝国主義列強と呼ばれた国々のこれまでの失敗は、今回のイラク戦争に代表される。アメリカはありもしない大量殺人兵器を理由に、一国の政権を滅ぼした。これの歴史的事実を未来の社会が判断するだろうが、こうした先進国(大国)の軍事行動が許されるなら、国連は不要となる。
大量殺人兵器を発見できないアメリカのイラク戦争の口実が、「イラク国民の望む民主主義社会を創るための戦」であった。常に、大国はその利権を得るために色々な戦争の口実を見つけようとする。歴史の中でそれらの例を山のように見つけることが出来る。
帝国主義の時代を終えて、国際協調の時代に入ろうとする時代、多様な近代化過程や民主主義過程が存在することを了解しなければならない。しかし、いずれの国も、国際人権宣言を尊重することは最低限の決まりとして了解しなければならない。民主主義の多様性を認めることは、非人道的独裁政権を認めることでなく、多様な民主主義制度の形成過程と多様なその段階を理解することを意味する。
今回の劉暁波氏のノーベル賞受賞に対して、我々は賞賛している。しかし、中国がそれを内政干渉だと言うのは現在の中国政府の立場である。それを批判するつもりはない。しかし、中国がノーベル平和賞授賞式に出席しないように要請することも、我が国に対する内政干渉である。我が国はこれまでの慣例に従って、出席をすればいいのである。
また、このような問題を外交問題の課題にしてはならない。ありえないことであるが、もし中国政府は、日本政府が劉暁波氏のノーベル平和賞受賞式に参列したことで、経済的関係を一部変更すると言う事が起これば、日本政府は正々堂々と、両国双方の国益を守るための、今必要とされる現実的な外交課題を中国政府と話し合えばいいのである。そして、それを国際社会に問い掛けると良い。
もちろん、以上のような提案は日本と中国の外交官にとっては当然な話しで、「釈迦に説法」というきらいがあるが、この機会を通じて、日本と中国が共に、世界経済の中心としての東アジア経済共同体の形成に向けて努力することを再確認することが出来れば、未来の中国を担う劉暁波氏も満足するだろう。
参考資料
三石博行 「中国の人権問題で思うこと」
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/11/blog-post_03.html
三石博行 「生活資源論」
http://hiroyukimitsuishi.web.fc2.com/kenkyu_02_02.html
三石博行 「中国共産党による中国の民主化過程の可能性 ‐大衆化する中国共産党・政治思想集団から社会エリート集団への変遷‐」
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/02/blog-post_3865.html
訂正(参考資料追加) 2011年2月21日
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2、日中関係
2-1、「日中友好に未来あり」)
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/11/blog-post.html
2-2、中国の人権問題で思うこと
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/11/blog-post_03.html
2-3、経済的発展か軍事的衝突か 問われる東アジアの政治的方向性
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/12/blog-post_13.html
2-4、中国の近代化・民主化過程を理解しよう
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/12/blog-post_1850.html
2-5、中国との経済的協力関係の展開と中国への軍事的脅威への対応の二重路線外交を進めよ
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2-6、米中関係の進展は東アジアの平和に役立つ
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2-7、中国共産党による中国の民主化過程の可能性
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経済的発展か軍事的衝突か 問われる東アジアの政治的方向性
三石博行
世界経済の中心になる可能性をもつ東アジア経済圏
東アジア経済共同体の可能性を危機に落とす軍事的衝突
現在東アジアの国々では政治的や軍事的な衝突が頻繁に起こっている。例えば、2010年になって、韓国と北朝鮮の間で頻繁に軍事的衝突が発生している。例えば、2010年3月26日、黄海上で北朝鮮の魚雷によって韓国軍の哨戒艦「天安」が撃沈、2010年11月23日に北朝鮮軍による韓国の延坪島(ヨンピョンド)に170発の砲撃による民間人2名を含む4名の犠牲者と2010年10月の中国と日本の尖閣列島領有権問題等である。
さらに、北朝鮮の軍事行を抑止するために韓国と米国が共同で行った黄海での米韓軍事共同演習と日本と米国が東シナ海を中心に行った日米軍事共同演習に対して、中国(北朝鮮は当然なのだが)は不快懸念を示した。この二つの軍事演習が台等する中国軍への抑止力を示すものであることは明らかであった。
中国の軍事力の強化、つまり中国海軍の東太平洋への進出はこれまでの米韓日の東アジアの軍事同盟が作っている軍事的支配権に対抗し中国軍の存在を示すことになった。東アジアと東太平洋でのアメリカの軍事力指導権を維持するために韓米軍事共同演習が行われた。
東アジアを地域国際冷戦構造にしてはならない
この局面は、東アジアに地域国際的冷戦構造を持ち込む可能性が生じている。北朝鮮にとって東アジアが二つの勢力、つまりロシアと中国の勢力とアメリカ、韓国と日本の勢力に二分されていることが望ましいことは誰の目から見ても明らかだろう。
しかし、中国やロシアは、北朝鮮の望む東アジアの経済発展を犠牲にしてまでもアメリカ、日本や韓国と軍事的な対立を作り出す方針に賛成をしているわけではない。むしろ、中国は北朝鮮の瀬戸際外交に迷惑しているだろう。また、中国がその瀬戸際外交を利用するにしても、かなりのリスクを抱えなければならない。そのため、北朝鮮の外交路線への一時的な同調はするものの、常時、中国が北朝鮮の瀬戸際外交を承認する訳には行かないだろう。
そして、中国、ロシア、韓国と日本相互に進めている経済協力関係を犠牲にしてまでも、相互にある領有権問題を取り上げるつもりはない。一世紀前の帝国主義の時代と同じような日本の政治方針、つまり中国軍事力の対抗のために日米軍事同盟を強化し、その軍事力をもって中国と対立する方向で進むなら、日本政府は時代錯誤の政治を行っていると言える。
日本政府の現実的な外交力が求められる
今、大切なことは、21世紀の最大の国際経済圏としての東アジア経済共同体を創ることである。そのために、日本政府は努力しなければならない。
当然、こうしたことは、私が主張するまでもなく、日本政府や外務省幹部の方々は理解されていると思う。問題は世論、ジャーナリズム関係者である。報道は、視聴率を獲得するために、北朝鮮と韓国の軍事衝突、第二次朝鮮戦争の可能性とか中国軍と日米軍の尖閣列島での軍異衝突の可能性など、まるで劇場に行って戦争映画でも観るような刺激的な話(ストーリー)を面白半分怖さ半分で報道し続けるだろう。商売上の理由とは言え、こうした無責任な扇動を行うことを反省しなければならない。
もちろん、報道の自由は保障されるべきである。前回の尖閣列島中国船拿捕の問題への政府の対応は余りにも未熟であった。海上保安庁職員からの政府の言う「国家機密映像の漏洩」事件によって、正確な情報が国民に知らされた。こうした対応を続ける限り、報道機関は政府の対中国外交を批判するのは当然であり、その限りに於いて、国民の支持を得るだろう。
最終的な問題は、政府の外交力にある。国民に対して、現政権が昨年提案した東アジア共同体構想を維持し展開する政治姿勢を明確に示し続けなければならない。その理由、つまり、東アジア共同体の第一歩である東アジア経済共同体の実現が、近未来の日本の繁栄を導くこと、さらに21世紀の国際社会での日本の地位を東アジア共同体の中で発揮できることを明確に語り続けなければならないだろう。
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2、日中関係
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2-2、中国の人権問題で思うこと
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2-3、経済的発展か軍事的衝突か 問われる東アジアの政治的方向性
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2-4、中国の近代化・民主化過程を理解しよう
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2-5、中国との経済的協力関係の展開と中国への軍事的脅威への対応の二重路線外交を進めよ
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2-6、米中関係の進展は東アジアの平和に役立つ
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2-7、中国共産党による中国の民主化過程の可能性
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世界経済の中心になる可能性をもつ東アジア経済圏
東アジア経済共同体の可能性を危機に落とす軍事的衝突
現在東アジアの国々では政治的や軍事的な衝突が頻繁に起こっている。例えば、2010年になって、韓国と北朝鮮の間で頻繁に軍事的衝突が発生している。例えば、2010年3月26日、黄海上で北朝鮮の魚雷によって韓国軍の哨戒艦「天安」が撃沈、2010年11月23日に北朝鮮軍による韓国の延坪島(ヨンピョンド)に170発の砲撃による民間人2名を含む4名の犠牲者と2010年10月の中国と日本の尖閣列島領有権問題等である。
さらに、北朝鮮の軍事行を抑止するために韓国と米国が共同で行った黄海での米韓軍事共同演習と日本と米国が東シナ海を中心に行った日米軍事共同演習に対して、中国(北朝鮮は当然なのだが)は不快懸念を示した。この二つの軍事演習が台等する中国軍への抑止力を示すものであることは明らかであった。
中国の軍事力の強化、つまり中国海軍の東太平洋への進出はこれまでの米韓日の東アジアの軍事同盟が作っている軍事的支配権に対抗し中国軍の存在を示すことになった。東アジアと東太平洋でのアメリカの軍事力指導権を維持するために韓米軍事共同演習が行われた。
東アジアを地域国際冷戦構造にしてはならない
この局面は、東アジアに地域国際的冷戦構造を持ち込む可能性が生じている。北朝鮮にとって東アジアが二つの勢力、つまりロシアと中国の勢力とアメリカ、韓国と日本の勢力に二分されていることが望ましいことは誰の目から見ても明らかだろう。
しかし、中国やロシアは、北朝鮮の望む東アジアの経済発展を犠牲にしてまでもアメリカ、日本や韓国と軍事的な対立を作り出す方針に賛成をしているわけではない。むしろ、中国は北朝鮮の瀬戸際外交に迷惑しているだろう。また、中国がその瀬戸際外交を利用するにしても、かなりのリスクを抱えなければならない。そのため、北朝鮮の外交路線への一時的な同調はするものの、常時、中国が北朝鮮の瀬戸際外交を承認する訳には行かないだろう。
そして、中国、ロシア、韓国と日本相互に進めている経済協力関係を犠牲にしてまでも、相互にある領有権問題を取り上げるつもりはない。一世紀前の帝国主義の時代と同じような日本の政治方針、つまり中国軍事力の対抗のために日米軍事同盟を強化し、その軍事力をもって中国と対立する方向で進むなら、日本政府は時代錯誤の政治を行っていると言える。
日本政府の現実的な外交力が求められる
今、大切なことは、21世紀の最大の国際経済圏としての東アジア経済共同体を創ることである。そのために、日本政府は努力しなければならない。
当然、こうしたことは、私が主張するまでもなく、日本政府や外務省幹部の方々は理解されていると思う。問題は世論、ジャーナリズム関係者である。報道は、視聴率を獲得するために、北朝鮮と韓国の軍事衝突、第二次朝鮮戦争の可能性とか中国軍と日米軍の尖閣列島での軍異衝突の可能性など、まるで劇場に行って戦争映画でも観るような刺激的な話(ストーリー)を面白半分怖さ半分で報道し続けるだろう。商売上の理由とは言え、こうした無責任な扇動を行うことを反省しなければならない。
もちろん、報道の自由は保障されるべきである。前回の尖閣列島中国船拿捕の問題への政府の対応は余りにも未熟であった。海上保安庁職員からの政府の言う「国家機密映像の漏洩」事件によって、正確な情報が国民に知らされた。こうした対応を続ける限り、報道機関は政府の対中国外交を批判するのは当然であり、その限りに於いて、国民の支持を得るだろう。
最終的な問題は、政府の外交力にある。国民に対して、現政権が昨年提案した東アジア共同体構想を維持し展開する政治姿勢を明確に示し続けなければならない。その理由、つまり、東アジア共同体の第一歩である東アジア経済共同体の実現が、近未来の日本の繁栄を導くこと、さらに21世紀の国際社会での日本の地位を東アジア共同体の中で発揮できることを明確に語り続けなければならないだろう。
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2、日中関係
2-1、「日中友好に未来あり」)
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/11/blog-post.html
2-2、中国の人権問題で思うこと
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/11/blog-post_03.html
2-3、経済的発展か軍事的衝突か 問われる東アジアの政治的方向性
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/12/blog-post_13.html
2-4、中国の近代化・民主化過程を理解しよう
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/12/blog-post_1850.html
2-5、中国との経済的協力関係の展開と中国への軍事的脅威への対応の二重路線外交を進めよ
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/01/blog-post.html
2-6、米中関係の進展は東アジアの平和に役立つ
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/01/blog-post_5428.html
2-7、中国共産党による中国の民主化過程の可能性
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/02/blog-post_3865.html
ブログ文書集「国際社会の中の日本 -国際化する日本の社会文化-」から
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2010年12月9日木曜日
指導者の姿・思考実験への不断の取り組み
三石博行
日常の姿勢の中から指導者が生まれる
サンホセ鉱山事故でのルイス・ウルスア氏の指導力
チリのサンホセ鉱山で2010年8月5日に発生した坑道崩落事故で33名の労働者が坑道内に閉じ込められた。事故後18日目の8月22日に全員の生存が確認されて、国を挙げての救出活動が始まり世界中の話題になった。そして日本を始めとして多くの国々は、この救出作業に協力し、救出作業は世界の大ニュースとなった。
はじめ12月末まで掛かると予測された救出活動は、チリの国家を挙げ、また世界中の支援を受け、10月13日に全員を無事に救出して終了した。
この救出活動で、「極限で生きるリーダーシップ」(日経新聞 2010年10月14日夕刊)を発揮したルイス・ウルスアさんのことが話題になった。彼は、事故発生から生存が確認するまで、坑道に閉じ込められたしまった33名の先頭に立ち、全員が助かるためにありとあらゆる努力をした。
例えば、いつ救出されるか分からない絶望的な持久戦に備え、食料や水の配給、闇の坑道で想像絶する恐怖心との闘争等々を行った。パニックにならないように全員を勇気付け、一致団結させた。生き延びるために坑道内での生活秩序を決め、それを守らせ、衛生管理を徹底し坑道での疫病対策を行った。
そして何より、彼が自らに徹底させたことは、「自己犠牲の精神」であったと云う。
この救出劇は、最後まで劇的に進んだ。まず感動は救出順番の決め方から始まった。ルイス・ウルスアさんは身体の弱い者から順に脱出させた。そして、彼は最後に救出カプセルから出てきて、10月13日の救出劇の最後を括ったのである。
指導者の条件という知識
このチリのサンホセ鉱山坑道崩落事故での33名の生存者の戦いの経過から、リーダーシップ論、指導者のあり方や考え方が課題になった。事故現場(坑道)約2ヶ月1週間、33名のリーダー として生還まで闘ったルイス・ウルスアさんの指導力が話題になっている。
指導者の条件とは何か。それは、今、私たちの社会で最も大きな課題として取り上げられている。イス・ウルスアさんのように指導者として評価された人々の評価の結果を私たちは知りたいと思う。つまり、彼が暗い事故現場で長期に及ぶ全員生還のために闘ったかという経過を知りたいと思う。例えば、坑道での避難生活の規則、水や食事の配分の仕方、衛生管理、汚物やトイレに関する規則、喧騒を避けるための規律等々、知りたいことが山のようにある。
その一つ一つの有意義な情報によって、今後の問題解決の糸口、危機に遭遇した場合の行動、リーダーとしての教訓を見つけることが出来る。
しかし、イス・ウルスアさんは、坑道に閉じ込められてから、危機的状況を打開するための行為を考え出したのではない。多分、これまで彼が鉱山労働と監督作業を通じて日常的に経験したことが、この事故への対応を可能にしたと思われる。
従って、イス・ウルスアさん事故時の危機管理行為だけでなく、彼のそれまでの仕事上、身に付けてきた危機管理に関する知識(暗黙知や形式知)と、それを学ぶことができた日常的な労働や生活様式を理解しなければならない。
つまり、結果としての行為の理解ではなく、成功の結果を導いた行為の選択過程を知ることが必要である。
問題解決力を鍛える方法・思考実験
NHKが三年を掛けて製作している司馬遼太郎原作「坂の上の雲」第7回「子規、逝く」の一場面で、海軍大学校の教官となった秋山真之が、学生達に戦術論を教える方法として、講堂に作った海戦図を使った戦闘ゲームを行う場面があった。
学生たちは書物の上で戦術を学ぶために、成功した戦術の結果だけを拾い出し、それを戦闘ゲームの場面に活用する。その結果、実際には、成功した戦術が失敗を導く結果になる。学生たちは戸惑い、苦しむ。そして教官秋山が語る。
正確な台詞は忘れてしまったが、「君たちは過去の成功した戦術の結果のみを学ぼうとする。それがどのような条件で成功したか、ありとあらゆる角度から検討しながら学ばなければならないことを、その結果の情報のみを拾い出そうとする。それは間違いなのだ。もし、この戦闘で犠牲者が出ると言う事、自分の部下を死なすという緊張を引き受け、ありとあらゆる仮定を立て、あらゆる条件での思考実験を試み、それで結論を慎重な限りを尽くし導き出す精神が必要である」という内容のことを秋山は述べたと記憶している。
指導者にとって必要な条件、それは日頃、色々な失敗の可能性を想定し、思考実験を繰り返す習慣を身に着けておくことである。そのための材料は事を欠かない。例えば、自分の同僚、すぐ上の上司、その上の上司と最高責任者まで、彼らが色々な現実の状況で下す判断とその結果を材料にしながら、自分がその立場にあると仮定して、自分の判断訓練を行い鍛えることである。これは、秋山が学生の授業に取入れが戦闘ゲームであり、また、畑村洋太郎氏の失敗学の基礎知識の一つ、思考実験の考え方である。
教訓と呼ばれる成功例の結果を鵜呑みにするのでなく、寧ろ多くの失敗例を調査し、その失敗の要因を見つけ出す。つまり、日常的に、他の人々の経験値を挿入しながら、色々な状況を想定し思考実験を繰り返し行い、そのデータを蓄積し続ける。そのことによって、千差万別の現実の状況に合った問題解決力を身につけることの一歩が始まるのである。
それでも、失敗をする確率をゼロにすることができないことを理解しているのが、リーダーの姿ではないだろうか。
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日常の姿勢の中から指導者が生まれる
サンホセ鉱山事故でのルイス・ウルスア氏の指導力
チリのサンホセ鉱山で2010年8月5日に発生した坑道崩落事故で33名の労働者が坑道内に閉じ込められた。事故後18日目の8月22日に全員の生存が確認されて、国を挙げての救出活動が始まり世界中の話題になった。そして日本を始めとして多くの国々は、この救出作業に協力し、救出作業は世界の大ニュースとなった。
はじめ12月末まで掛かると予測された救出活動は、チリの国家を挙げ、また世界中の支援を受け、10月13日に全員を無事に救出して終了した。
この救出活動で、「極限で生きるリーダーシップ」(日経新聞 2010年10月14日夕刊)を発揮したルイス・ウルスアさんのことが話題になった。彼は、事故発生から生存が確認するまで、坑道に閉じ込められたしまった33名の先頭に立ち、全員が助かるためにありとあらゆる努力をした。
例えば、いつ救出されるか分からない絶望的な持久戦に備え、食料や水の配給、闇の坑道で想像絶する恐怖心との闘争等々を行った。パニックにならないように全員を勇気付け、一致団結させた。生き延びるために坑道内での生活秩序を決め、それを守らせ、衛生管理を徹底し坑道での疫病対策を行った。
そして何より、彼が自らに徹底させたことは、「自己犠牲の精神」であったと云う。
この救出劇は、最後まで劇的に進んだ。まず感動は救出順番の決め方から始まった。ルイス・ウルスアさんは身体の弱い者から順に脱出させた。そして、彼は最後に救出カプセルから出てきて、10月13日の救出劇の最後を括ったのである。
指導者の条件という知識
このチリのサンホセ鉱山坑道崩落事故での33名の生存者の戦いの経過から、リーダーシップ論、指導者のあり方や考え方が課題になった。事故現場(坑道)約2ヶ月1週間、33名のリーダー として生還まで闘ったルイス・ウルスアさんの指導力が話題になっている。
指導者の条件とは何か。それは、今、私たちの社会で最も大きな課題として取り上げられている。イス・ウルスアさんのように指導者として評価された人々の評価の結果を私たちは知りたいと思う。つまり、彼が暗い事故現場で長期に及ぶ全員生還のために闘ったかという経過を知りたいと思う。例えば、坑道での避難生活の規則、水や食事の配分の仕方、衛生管理、汚物やトイレに関する規則、喧騒を避けるための規律等々、知りたいことが山のようにある。
その一つ一つの有意義な情報によって、今後の問題解決の糸口、危機に遭遇した場合の行動、リーダーとしての教訓を見つけることが出来る。
しかし、イス・ウルスアさんは、坑道に閉じ込められてから、危機的状況を打開するための行為を考え出したのではない。多分、これまで彼が鉱山労働と監督作業を通じて日常的に経験したことが、この事故への対応を可能にしたと思われる。
従って、イス・ウルスアさん事故時の危機管理行為だけでなく、彼のそれまでの仕事上、身に付けてきた危機管理に関する知識(暗黙知や形式知)と、それを学ぶことができた日常的な労働や生活様式を理解しなければならない。
つまり、結果としての行為の理解ではなく、成功の結果を導いた行為の選択過程を知ることが必要である。
問題解決力を鍛える方法・思考実験
NHKが三年を掛けて製作している司馬遼太郎原作「坂の上の雲」第7回「子規、逝く」の一場面で、海軍大学校の教官となった秋山真之が、学生達に戦術論を教える方法として、講堂に作った海戦図を使った戦闘ゲームを行う場面があった。
学生たちは書物の上で戦術を学ぶために、成功した戦術の結果だけを拾い出し、それを戦闘ゲームの場面に活用する。その結果、実際には、成功した戦術が失敗を導く結果になる。学生たちは戸惑い、苦しむ。そして教官秋山が語る。
正確な台詞は忘れてしまったが、「君たちは過去の成功した戦術の結果のみを学ぼうとする。それがどのような条件で成功したか、ありとあらゆる角度から検討しながら学ばなければならないことを、その結果の情報のみを拾い出そうとする。それは間違いなのだ。もし、この戦闘で犠牲者が出ると言う事、自分の部下を死なすという緊張を引き受け、ありとあらゆる仮定を立て、あらゆる条件での思考実験を試み、それで結論を慎重な限りを尽くし導き出す精神が必要である」という内容のことを秋山は述べたと記憶している。
指導者にとって必要な条件、それは日頃、色々な失敗の可能性を想定し、思考実験を繰り返す習慣を身に着けておくことである。そのための材料は事を欠かない。例えば、自分の同僚、すぐ上の上司、その上の上司と最高責任者まで、彼らが色々な現実の状況で下す判断とその結果を材料にしながら、自分がその立場にあると仮定して、自分の判断訓練を行い鍛えることである。これは、秋山が学生の授業に取入れが戦闘ゲームであり、また、畑村洋太郎氏の失敗学の基礎知識の一つ、思考実験の考え方である。
教訓と呼ばれる成功例の結果を鵜呑みにするのでなく、寧ろ多くの失敗例を調査し、その失敗の要因を見つけ出す。つまり、日常的に、他の人々の経験値を挿入しながら、色々な状況を想定し思考実験を繰り返し行い、そのデータを蓄積し続ける。そのことによって、千差万別の現実の状況に合った問題解決力を身につけることの一歩が始まるのである。
それでも、失敗をする確率をゼロにすることができないことを理解しているのが、リーダーの姿ではないだろうか。
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2010年12月8日水曜日
21世紀の課題、生活大国日本に向かって何をなすべきか
三石博行
GDP(MER)とGDP(PPP)
国内総生産(Gross Domestic Product ・ GDP)とは、一定期間内(一年間)に国内で生み出される付加価値(ふかかち)の総額を言う。原則として市場で取引された財(物的な商品)やサービスの生産のみが計上されるため、家事労働やボランティア活動は国内総生産には計上されない。GDPの算出方法には二種類ある。
一つは、ドルなど国際通貨(外貨)によって、国際市場で決定されたレート(Market Exchange Rate)でGDPを計上したものをGDP(MER)と表現している。
もう一つは、商品の物価(円)をアメリカでの同じ商品の物価と比較し、双方の国での生活物価指数を前提にしながら、GDPを計上する方法である。基準になるのは米国での商品価格で、同じ商品の米国での価格と他の国での価格を比較し、為替レートに関係なく同じ商品の価格は一つに決まると考える。これを一物一価の法則と呼ぶ。
この一物一価が成り立つとき、国内でも海外でも、同じ商品を同じ価格と考えることが出来る。これを購買力平価(こうばいりょくへいか)と呼ぶ。この購買力平価によってGDPを評価したものをGDP(PPP)と表現している。そして一人当たりのGDP(PPP)が実際の国民の経済生活の質を示す評価により近いと言える。
一人当たりのGDP(PPP)から観る日本の経済力
2008年の東アジアの主な国のGDP(PPP)を比較すると、日本は43,560億ドル、韓国は13,423億ドル、中国は79,164億ドル、台湾は6,818億ドルである。つまり、2008年度でも、中国のGDP(PPP)は日本のそれを越えているのである。
しかし、2008年度の東アジアの上記の国々の国民一人当たりのGDP(PPP)を比較すると、日本は34,115ドル、韓国は27,646ドル、中国は5,962ドル、台湾は30,100ドルである。つまり、2008年度の、中国の一人当たりのGDP(PPP)は日本のそれの約6分の1である。そして、日本、韓国と台湾は殆ど同じレベルであると言える。
今後、日本は国民生活の向上、国民一人当たりのGDP(PPP)を基準にしながら、国の豊かさを議論する必要がある。2009年の国際通貨基金(IMF)の調査による日本の国民一人当たりのGDP(PPP)は32,443ドルで、世界23番目である。因みにシンガポールは50,701ドルで世界4位、香港は43,826ドルで世界8位である。また、2009年度の世界銀行(World Bank)の評価では、日本の国民一人当たりのGDP(PPP)は世界で29番目と評価されている。
世界で二番目とか三番目の経済大国と自称した日本は、2009年度の国民一人当たりの国内生産力は世界の二流国家であると言える。そして、生活経済大国を目指すために、これかの日本での国民経済のあり方を検討する必要がある。
一人当たりのGDP(PPP)から観る日本の経済力
国内総生産(GDP)は、市場で取引された財(物的な商品)やサービスの生産のみが計上される。つまり、家事労働やボランティア活動はGDP(国内総生産)には計上されない。
市場で交換された商品(物やサービス)だけでなく、地域社会での共同作業、家事、家での育児教育、文化活動、ボランティアなどによる労働が行われ、社会経済システムの機能を担っている。国民の社会経済活動は、市場経済、生活経済と文化経済の三つの活動も含まなければならない。
成熟した民主主義社会・日本へ向かうために
2010年12月2日の深夜、NHKハイビジョンの番組「マイケル・サンデル「白熱教室」を語る」で、サンデル(Michael Sandel)教授は、共同体主義者(コミュニタリアン)として自らの社会思想的立場から、日本のこれからの社会発展に関して意見を述べた。
簡単に述べると、日本が第二の経済大国から中国にその地位を奪われ、第三番目になったことは大きな問題ではなく、21世紀の日本が成熟した民主主義社会に向かうことが問われていると言うのが彼の意見であった。
この見解を受け入れ、展開するために、市場経済主義で計られる豊かさの概念を生活経済から了解できる豊かさの概念に転回しておく必要がある。生活の豊かさの中に市場経済では計量し難い、精神的満足度や幸福感を入れなければならない。
さらに、経済効果をもたらす資源に関する考え方を変えなければならない。生活環境を豊かにするために最も重要な資源は人的資源である。つまり、明治初期に、貧しい国・日本を豊かにしてきたこれまでの経過を振り返り、我が国に非常に豊かにある資源・高度な教育を受けた人的資源の生産と再生産、そしてその十分な活用を行う社会文化経済政策を展開する必要がある。
また、国民生活の豊かさを示す評価基準として、国民生活指標(新国民生活指標・PLI)という概念を用いて、生活経済を豊かにする活動を社会的に評価する必要がある。
まだまだ、多くの課題があるが、以上述べた基本的な課題を今後の社会経済活動の中で再度位置づけなければならない。
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GDP(MER)とGDP(PPP)
国内総生産(Gross Domestic Product ・ GDP)とは、一定期間内(一年間)に国内で生み出される付加価値(ふかかち)の総額を言う。原則として市場で取引された財(物的な商品)やサービスの生産のみが計上されるため、家事労働やボランティア活動は国内総生産には計上されない。GDPの算出方法には二種類ある。
一つは、ドルなど国際通貨(外貨)によって、国際市場で決定されたレート(Market Exchange Rate)でGDPを計上したものをGDP(MER)と表現している。
もう一つは、商品の物価(円)をアメリカでの同じ商品の物価と比較し、双方の国での生活物価指数を前提にしながら、GDPを計上する方法である。基準になるのは米国での商品価格で、同じ商品の米国での価格と他の国での価格を比較し、為替レートに関係なく同じ商品の価格は一つに決まると考える。これを一物一価の法則と呼ぶ。
この一物一価が成り立つとき、国内でも海外でも、同じ商品を同じ価格と考えることが出来る。これを購買力平価(こうばいりょくへいか)と呼ぶ。この購買力平価によってGDPを評価したものをGDP(PPP)と表現している。そして一人当たりのGDP(PPP)が実際の国民の経済生活の質を示す評価により近いと言える。
一人当たりのGDP(PPP)から観る日本の経済力
2008年の東アジアの主な国のGDP(PPP)を比較すると、日本は43,560億ドル、韓国は13,423億ドル、中国は79,164億ドル、台湾は6,818億ドルである。つまり、2008年度でも、中国のGDP(PPP)は日本のそれを越えているのである。
しかし、2008年度の東アジアの上記の国々の国民一人当たりのGDP(PPP)を比較すると、日本は34,115ドル、韓国は27,646ドル、中国は5,962ドル、台湾は30,100ドルである。つまり、2008年度の、中国の一人当たりのGDP(PPP)は日本のそれの約6分の1である。そして、日本、韓国と台湾は殆ど同じレベルであると言える。
今後、日本は国民生活の向上、国民一人当たりのGDP(PPP)を基準にしながら、国の豊かさを議論する必要がある。2009年の国際通貨基金(IMF)の調査による日本の国民一人当たりのGDP(PPP)は32,443ドルで、世界23番目である。因みにシンガポールは50,701ドルで世界4位、香港は43,826ドルで世界8位である。また、2009年度の世界銀行(World Bank)の評価では、日本の国民一人当たりのGDP(PPP)は世界で29番目と評価されている。
世界で二番目とか三番目の経済大国と自称した日本は、2009年度の国民一人当たりの国内生産力は世界の二流国家であると言える。そして、生活経済大国を目指すために、これかの日本での国民経済のあり方を検討する必要がある。
一人当たりのGDP(PPP)から観る日本の経済力
国内総生産(GDP)は、市場で取引された財(物的な商品)やサービスの生産のみが計上される。つまり、家事労働やボランティア活動はGDP(国内総生産)には計上されない。
市場で交換された商品(物やサービス)だけでなく、地域社会での共同作業、家事、家での育児教育、文化活動、ボランティアなどによる労働が行われ、社会経済システムの機能を担っている。国民の社会経済活動は、市場経済、生活経済と文化経済の三つの活動も含まなければならない。
成熟した民主主義社会・日本へ向かうために
2010年12月2日の深夜、NHKハイビジョンの番組「マイケル・サンデル「白熱教室」を語る」で、サンデル(Michael Sandel)教授は、共同体主義者(コミュニタリアン)として自らの社会思想的立場から、日本のこれからの社会発展に関して意見を述べた。
簡単に述べると、日本が第二の経済大国から中国にその地位を奪われ、第三番目になったことは大きな問題ではなく、21世紀の日本が成熟した民主主義社会に向かうことが問われていると言うのが彼の意見であった。
この見解を受け入れ、展開するために、市場経済主義で計られる豊かさの概念を生活経済から了解できる豊かさの概念に転回しておく必要がある。生活の豊かさの中に市場経済では計量し難い、精神的満足度や幸福感を入れなければならない。
さらに、経済効果をもたらす資源に関する考え方を変えなければならない。生活環境を豊かにするために最も重要な資源は人的資源である。つまり、明治初期に、貧しい国・日本を豊かにしてきたこれまでの経過を振り返り、我が国に非常に豊かにある資源・高度な教育を受けた人的資源の生産と再生産、そしてその十分な活用を行う社会文化経済政策を展開する必要がある。
また、国民生活の豊かさを示す評価基準として、国民生活指標(新国民生活指標・PLI)という概念を用いて、生活経済を豊かにする活動を社会的に評価する必要がある。
まだまだ、多くの課題があるが、以上述べた基本的な課題を今後の社会経済活動の中で再度位置づけなければならない。
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アメリカの大学教授法を紹介したサンデル教授の「白熱教室」
三石博行
2010年4月4日にNHK教育テレビが放送した番組、Michael Sandel教授(哲学)の「ハーバード白熱教室」、そして同教授が2010年8月に東大で行った「東京大学特別授業(前編)(後編)」は日本社会に大きな反響を生んだ。特に、学生、大学教育者や大学運営者にとって、日本の大学の教育のあり方、つまり授業や講義のあり方を考える大きな課題を投げかけた。
アメリカの大学では、「現実の社会で問われている課題を考え、それを解決するために学ぶ」方法を身につけるための大学教育のあり方として問題解決型の授業が行われている。例えば、ハーバード方式やカルフォルニア大学バークレー校及びサンフランシスコ校でのPBL(Problem based leaning)は非常に進んだ教育方法を提起している。
そして、今回のマイケル・サンデル(Michael Sandel)教授の授業が特別なのでなく、アメリカの大学で普通一般に行われている参加型授業の中で、ハーバード大学の中で最も評価を得ている授業の一つとして紹介されていると理解することが出来る。
2010年12月2日の深夜、NHKハイビジョンの番組「マイケル・サンデル「白熱教室」を語る」があった。サンデル教授が、講義テクニックについて非常に興味ある話を聞くことが出来た。中でも、講義に参加した学生の一刻一刻と変化する反応を観察し、学生の講義への興味や参加状態を理解する観察力とその的確な対策には感心した。
例えば、学生が講義に興味を持ってない場合、彼らは自然に講義への集中力を喪失し、色々な身体反応の信号(足を組みなおす、咳をする、ヒソヒソと話を始める等々)を講師に送る。その反応を敏感に感じる力が問われ、また、即時的に講義の内容を、状況に合わして変える展開力が必要であると思われた。
2010年4月4日にNHK教育テレビが放送した番組、Michael Sandel教授(哲学)の「ハーバード白熱教室」、そして同教授が2010年8月に東大で行った「東京大学特別授業(前編)(後編)」は日本社会に大きな反響を生んだ。特に、学生、大学教育者や大学運営者にとって、日本の大学の教育のあり方、つまり授業や講義のあり方を考える大きな課題を投げかけた。
アメリカの大学では、「現実の社会で問われている課題を考え、それを解決するために学ぶ」方法を身につけるための大学教育のあり方として問題解決型の授業が行われている。例えば、ハーバード方式やカルフォルニア大学バークレー校及びサンフランシスコ校でのPBL(Problem based leaning)は非常に進んだ教育方法を提起している。
そして、今回のマイケル・サンデル(Michael Sandel)教授の授業が特別なのでなく、アメリカの大学で普通一般に行われている参加型授業の中で、ハーバード大学の中で最も評価を得ている授業の一つとして紹介されていると理解することが出来る。
2010年12月2日の深夜、NHKハイビジョンの番組「マイケル・サンデル「白熱教室」を語る」があった。サンデル教授が、講義テクニックについて非常に興味ある話を聞くことが出来た。中でも、講義に参加した学生の一刻一刻と変化する反応を観察し、学生の講義への興味や参加状態を理解する観察力とその的確な対策には感心した。
例えば、学生が講義に興味を持ってない場合、彼らは自然に講義への集中力を喪失し、色々な身体反応の信号(足を組みなおす、咳をする、ヒソヒソと話を始める等々)を講師に送る。その反応を敏感に感じる力が問われ、また、即時的に講義の内容を、状況に合わして変える展開力が必要であると思われた。
2010年12月2日木曜日
新しい日本社会・民主主義と個人主義時代の責任の取り方
責任を取る行為・考え方の転回期を迎えた現代日本社会
三石博行
失敗したら切腹、美しい国日本の文化
切腹という異常なまでの責任の取り方をもつ武士の文化、それを精神文化の基本としていた日本人が、全く、責任を取らない日本人と、国内の企業や組織の中は勿論のこと、アジアや国外からも言われるようになったのは、いつごろからだろうか。
そして、何故、我々の日本文化から責任を取らないという習慣が生まれたのだろうか。また、責任を取るという個人の態度やモラルは、いつごろから喪失したのだろうか。
そこで、つい最近までの、日本人の中にあった失敗の取り方の習慣を考えてみる。つい最近まで、少なくとも1990年代までは、失敗の責任を取る仕来りがあった。それは辞めることであった。つまり、辞表する。失敗の程度によるが、会社に損失を与えた場合、役員であれば会社を辞表する。職員であれば減給にする。組織の長や執行部の失敗は、その程度によりけりで、組織を去る、職務を辞める、減給する等々である。しかし、最も立派とされる失敗の責任の取り方は辞表であった。
どのような立場の人も、もし失敗を認めれば辞職しなければならないと言う極端な結論は、ある意味で、日本的なものではないか言える。何故なら、間違いを犯した場合武士は切腹、やくざは指をつめるという習慣(失敗の取り方の作法)のように、自らの死(辞表)をもって、失敗の責任を取らなければならないからである。
この失敗したら会社を辞めるという考え方はつい最近まであった。今もやはりある社会では確りと残っている。
日本式責任の取りか方の消滅の理由、終身雇用制度の崩壊
考え方を換えて観れば、今の日本人は、失敗を取らなくなったのでなく、今までのような失敗の責任の取り方をしなくなったと理解すべきではないか。
それも失敗の程度によるが、企業に甚大な被害を及ぼすような失敗でなく、事業計画などが失敗したことで企業にある程度の損害が生じしても、以前のように切腹まではしなくて済むようになった。精々、役職を辞めればいいのである。
そして、今の日本では、新しい責任の取り方が見つかっていない状態にある。それが、失敗と取らない日本人の姿として観えるのではないだろうか。
失敗の責任の取り方には、あるモラル、行為の美学や作法に関する美意識が内在している。
桜の花が散るように、武市は見事に腹を切った。
桜の花が散るように、健さんは見事に弟分の責任を取って、指をつめた。
そこには、日本的美談、潔い行き方への憧れがある。
年功序列、終身雇用制度があった時代には、こうした美談に憧れる余裕があったかもしれないが、いつでもリストラされる社会で生きる人々には、その余裕もないのが現実である。
武士の社会文化も終身雇用制の終焉とともに、この日本から消滅使用としているのかもしれない。つまり、企業戦士(侍)は、明日は浪人になる立場に立っている。企業のために命を掛けた戦士も、その企業から簡単にリストラされる時代に直面している。今までのように、命を無駄にしていたら、何回も腹を切ることになり、終には、万年浪人の生活がまっており、ホームレスで終わる可能性もある。
日本的責任の取り方が消滅したのは、日本的な雇用制度、終身雇用制がなくなったのと無縁ではなさそうである。
そのため、今までのように、武士は潔く腹を切ることを辞めた。今までのように、日本式の責任の取り方をしなくなったといえる。
今、失敗に対する対応が問われている
しかし、一方で、責任を取らないという、新しいサラリーマン文化がもたらす社会的問題が生じている。そして、日本では、誰も責任を取らない体質が企業や組織で蔓延していると言われているようになった。
例えば、ある企画を行った人々が、その結果に対して責任を取らないために、組織では、生じた課題を基本的に解決することが出来ない。そのため、同じような失敗を繰り返す結果となる。最も代表的な例は、ブログ「畑村洋太郎著『決定版 失敗学の法則』第一章「失敗学の基礎知識」のテキスト批評」
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/11/blog-post_6897.html
で示した、雪印食品や動燃の失敗例である。
同じ失敗を繰り返すことで、その組織や企業は、社会的信頼を決定的に失うことになる。つまり、組織の失敗を、組織内部で点検、修正する力がなければ、また同様に、組織内部で失敗に対する処理を間違えば、その結果は、いずれ、その組織の外部評価の損失、社会的信頼を失い、その組織が存続することは不可能となる。
つい最近、例えば三菱自動車や雪印食品のように、それに近い状況で、企業が危機に瀕し、倒産した事件があった。失敗に対する対応の失敗に結果で、企業は倒産する時代が来ていることも確かである。
つまり、日本伝統の責任の取り方の文化が消滅しながらも、新しい責任の取り方の社会文化や組織運営のあり方が見つからないために、結果的には、社会全体が大きな損失を蒙っていると言えるのではないだろうか。
失敗学から導かれる行為責任論
この答えを導くために、畑村洋太郎氏が提案してきた『失敗学』は大いに参考となる。畑村氏の失敗の概念は、成功の反対概念ではなく、行為の目標値(期待値)に対する負のズレである。そのため、失敗は個人個人の目標に対して、計量的に(程度としても)測定可能になる。
また、失敗という目に見える現象を生み出すもの、つまり失敗の原因と呼ばれているものを、畑村洋太郎氏は、「からくり」と「要因」に区分した。「からくり」とは、行為の主体者、個人や組織の性質、体質、技能、考え方、方法論などである。つまり、行為を導き出す作法や様式に近い概念である。「要因」は、その行為主体を取り巻く環境や条件である。
要因は色々と考えられるのであるが、からくりを見つけることが一番大変なことである。
何故なら、自分の癖は自分では分からないからだ。組織の体質も組織内部にどっぷりつかった人々には見えない。日本社会の習慣も日本から出たことのない人々には理解できない。
この失敗学から導かれる失敗の責任の取り方のヒントは
1、 ある部署で、失敗を起こしたら、その部署の人々で、まず、そのからくりや要因を見つけ出す。
2、 しかし、そこで導かれた「からくり」つまり失敗の原因と考えられる組織や個人の考え方、体質、方法、技能等に関しては、外部から人を入れて、再度点検する必要がある。
3、 それらの失敗から学んだこと、教訓を出来るだけ情報公開して、さらに他の失敗例との関係を求め、普遍化する必要がある。
仕事のスタイルとしての責任の取り方を見つけ出す必要性
新しい時代、つまり、個人主義は日本社会の中に確りと根付き、今までの古い雇用制度でなく、能力評価を得ながら、その個人の力の評価を基にして、雇用関係が成立する時代に向かった、失敗の取り方一つにしても、社会は真摯に考え、そして解答を見つけ出さなければならないだろう。
日本人は責任を取らなくなったのではなく、新しい責任の取り方を見つけ出せない状態にあると言える。そのことを理解した上で、失敗学から導かれる責任論をさらに展開する必要がある。
新しい時代での、失敗に対する責任の取り方を見つけ出すことによって、企業が存続するあり方や、日本という社会が国際社会の進展から取り残されない方法を、見つけ出すことが出来ると思う。
参考文献
畑村洋太郎著『決定版 失敗学の法則』文藝春秋、文春文庫、2005年6月10日第1刷、258p、
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2011年6月28日 大幅に修正の予定
三石博行
失敗したら切腹、美しい国日本の文化
切腹という異常なまでの責任の取り方をもつ武士の文化、それを精神文化の基本としていた日本人が、全く、責任を取らない日本人と、国内の企業や組織の中は勿論のこと、アジアや国外からも言われるようになったのは、いつごろからだろうか。
そして、何故、我々の日本文化から責任を取らないという習慣が生まれたのだろうか。また、責任を取るという個人の態度やモラルは、いつごろから喪失したのだろうか。
そこで、つい最近までの、日本人の中にあった失敗の取り方の習慣を考えてみる。つい最近まで、少なくとも1990年代までは、失敗の責任を取る仕来りがあった。それは辞めることであった。つまり、辞表する。失敗の程度によるが、会社に損失を与えた場合、役員であれば会社を辞表する。職員であれば減給にする。組織の長や執行部の失敗は、その程度によりけりで、組織を去る、職務を辞める、減給する等々である。しかし、最も立派とされる失敗の責任の取り方は辞表であった。
どのような立場の人も、もし失敗を認めれば辞職しなければならないと言う極端な結論は、ある意味で、日本的なものではないか言える。何故なら、間違いを犯した場合武士は切腹、やくざは指をつめるという習慣(失敗の取り方の作法)のように、自らの死(辞表)をもって、失敗の責任を取らなければならないからである。
この失敗したら会社を辞めるという考え方はつい最近まであった。今もやはりある社会では確りと残っている。
日本式責任の取りか方の消滅の理由、終身雇用制度の崩壊
考え方を換えて観れば、今の日本人は、失敗を取らなくなったのでなく、今までのような失敗の責任の取り方をしなくなったと理解すべきではないか。
それも失敗の程度によるが、企業に甚大な被害を及ぼすような失敗でなく、事業計画などが失敗したことで企業にある程度の損害が生じしても、以前のように切腹まではしなくて済むようになった。精々、役職を辞めればいいのである。
そして、今の日本では、新しい責任の取り方が見つかっていない状態にある。それが、失敗と取らない日本人の姿として観えるのではないだろうか。
失敗の責任の取り方には、あるモラル、行為の美学や作法に関する美意識が内在している。
桜の花が散るように、武市は見事に腹を切った。
桜の花が散るように、健さんは見事に弟分の責任を取って、指をつめた。
そこには、日本的美談、潔い行き方への憧れがある。
年功序列、終身雇用制度があった時代には、こうした美談に憧れる余裕があったかもしれないが、いつでもリストラされる社会で生きる人々には、その余裕もないのが現実である。
武士の社会文化も終身雇用制の終焉とともに、この日本から消滅使用としているのかもしれない。つまり、企業戦士(侍)は、明日は浪人になる立場に立っている。企業のために命を掛けた戦士も、その企業から簡単にリストラされる時代に直面している。今までのように、命を無駄にしていたら、何回も腹を切ることになり、終には、万年浪人の生活がまっており、ホームレスで終わる可能性もある。
日本的責任の取り方が消滅したのは、日本的な雇用制度、終身雇用制がなくなったのと無縁ではなさそうである。
そのため、今までのように、武士は潔く腹を切ることを辞めた。今までのように、日本式の責任の取り方をしなくなったといえる。
今、失敗に対する対応が問われている
しかし、一方で、責任を取らないという、新しいサラリーマン文化がもたらす社会的問題が生じている。そして、日本では、誰も責任を取らない体質が企業や組織で蔓延していると言われているようになった。
例えば、ある企画を行った人々が、その結果に対して責任を取らないために、組織では、生じた課題を基本的に解決することが出来ない。そのため、同じような失敗を繰り返す結果となる。最も代表的な例は、ブログ「畑村洋太郎著『決定版 失敗学の法則』第一章「失敗学の基礎知識」のテキスト批評」
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/11/blog-post_6897.html
で示した、雪印食品や動燃の失敗例である。
同じ失敗を繰り返すことで、その組織や企業は、社会的信頼を決定的に失うことになる。つまり、組織の失敗を、組織内部で点検、修正する力がなければ、また同様に、組織内部で失敗に対する処理を間違えば、その結果は、いずれ、その組織の外部評価の損失、社会的信頼を失い、その組織が存続することは不可能となる。
つい最近、例えば三菱自動車や雪印食品のように、それに近い状況で、企業が危機に瀕し、倒産した事件があった。失敗に対する対応の失敗に結果で、企業は倒産する時代が来ていることも確かである。
つまり、日本伝統の責任の取り方の文化が消滅しながらも、新しい責任の取り方の社会文化や組織運営のあり方が見つからないために、結果的には、社会全体が大きな損失を蒙っていると言えるのではないだろうか。
失敗学から導かれる行為責任論
この答えを導くために、畑村洋太郎氏が提案してきた『失敗学』は大いに参考となる。畑村氏の失敗の概念は、成功の反対概念ではなく、行為の目標値(期待値)に対する負のズレである。そのため、失敗は個人個人の目標に対して、計量的に(程度としても)測定可能になる。
また、失敗という目に見える現象を生み出すもの、つまり失敗の原因と呼ばれているものを、畑村洋太郎氏は、「からくり」と「要因」に区分した。「からくり」とは、行為の主体者、個人や組織の性質、体質、技能、考え方、方法論などである。つまり、行為を導き出す作法や様式に近い概念である。「要因」は、その行為主体を取り巻く環境や条件である。
要因は色々と考えられるのであるが、からくりを見つけることが一番大変なことである。
何故なら、自分の癖は自分では分からないからだ。組織の体質も組織内部にどっぷりつかった人々には見えない。日本社会の習慣も日本から出たことのない人々には理解できない。
この失敗学から導かれる失敗の責任の取り方のヒントは
1、 ある部署で、失敗を起こしたら、その部署の人々で、まず、そのからくりや要因を見つけ出す。
2、 しかし、そこで導かれた「からくり」つまり失敗の原因と考えられる組織や個人の考え方、体質、方法、技能等に関しては、外部から人を入れて、再度点検する必要がある。
3、 それらの失敗から学んだこと、教訓を出来るだけ情報公開して、さらに他の失敗例との関係を求め、普遍化する必要がある。
仕事のスタイルとしての責任の取り方を見つけ出す必要性
新しい時代、つまり、個人主義は日本社会の中に確りと根付き、今までの古い雇用制度でなく、能力評価を得ながら、その個人の力の評価を基にして、雇用関係が成立する時代に向かった、失敗の取り方一つにしても、社会は真摯に考え、そして解答を見つけ出さなければならないだろう。
日本人は責任を取らなくなったのではなく、新しい責任の取り方を見つけ出せない状態にあると言える。そのことを理解した上で、失敗学から導かれる責任論をさらに展開する必要がある。
新しい時代での、失敗に対する責任の取り方を見つけ出すことによって、企業が存続するあり方や、日本という社会が国際社会の進展から取り残されない方法を、見つけ出すことが出来ると思う。
参考文献
畑村洋太郎著『決定版 失敗学の法則』文藝春秋、文春文庫、2005年6月10日第1刷、258p、
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2011年6月28日 大幅に修正の予定
企業経営の危機から何を学ぶのか、逆境に学ぶ力
三石博行
危機をチャンするために必要な備えとは
つねに危機的状況は存在する
社会や組織を取り巻く状況が悪くなると言う事は、それに関わる、またはそこで生きている人々にとって、労働条件、生活条件や社会環境が悪化することを意味する。その意味で、状況の悪化は危機である。
企業の経営が苦しくなる。すると、リストラが生じる。多くの人々がリストラされる。失業することになる。失業によって生活の糧を失う。
しかし、その会社の経営が行き詰ることに対して、企業で働く人々は、意見を持ち、また改善策を検討してきたと思われる。その上の結果であれば、その責任の一部を引き受けることも出来る。
また、社長や経営陣の度重なる失敗の結果、会社経営が悪化したとする。それに対して、意見しても、聞く耳を持たない経営者の下にいては、将来の見通しは暗い。それなら、割り増し退職金が出るうちに辞めるほうが得策だと思う。
何故なら、その会社の再建は、これまでの企業の体質を根本的に変えなければ不可能であるし、会社の執行部でもない自分ひとりだけでは、会社の変革は不可能である。
辞めるまえにすること
辞めるにあったて、
1、 何故この会社の経営が破綻したかを徹底的に調査する
2、 この会社の執行部の体質を調べ、何故、会社の再建が不可能かを調べる。
これだけの現実のデータを集め、これまでの会社での出来事やそれに関する会社や自分の対応をデータ化して置くだけで、非常に大切なものを獲得したと思える。
言い換えると、ここまでやったときに、危機的な状況から学ぶことが可能になり、その結果が、次の行動に生かされる。もし、この調査のデータを勤務している会社が活用しなかったとしても、自分も味わった(経験した)企業の失敗例からの学習は、どこかで活かされるだろう。
逆境に学ぶ力
よく、危機的状況は、観かたによればチャンスであるということばがある。このことばの裏には、危機的状況に学ぶ、そしてその状況から立ち上がる具体的計画や実行力を前提にして語られている。
多くの場合、危機的状況はネガティブにしか作用しない。しかし、それをポジティブに転回するのは、そのネガティブファクターを掴み出し、それを改善することを理解した場合に限られるのである。
危機的状況を経験し、その状況から理解(分析、解釈した)経営不振を導いた原因(失敗学の用語では、からくりと要因)を理解することが、危機はチャンスという状況の転回を導く力を与えるだろう。
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危機をチャンするために必要な備えとは
つねに危機的状況は存在する
社会や組織を取り巻く状況が悪くなると言う事は、それに関わる、またはそこで生きている人々にとって、労働条件、生活条件や社会環境が悪化することを意味する。その意味で、状況の悪化は危機である。
企業の経営が苦しくなる。すると、リストラが生じる。多くの人々がリストラされる。失業することになる。失業によって生活の糧を失う。
しかし、その会社の経営が行き詰ることに対して、企業で働く人々は、意見を持ち、また改善策を検討してきたと思われる。その上の結果であれば、その責任の一部を引き受けることも出来る。
また、社長や経営陣の度重なる失敗の結果、会社経営が悪化したとする。それに対して、意見しても、聞く耳を持たない経営者の下にいては、将来の見通しは暗い。それなら、割り増し退職金が出るうちに辞めるほうが得策だと思う。
何故なら、その会社の再建は、これまでの企業の体質を根本的に変えなければ不可能であるし、会社の執行部でもない自分ひとりだけでは、会社の変革は不可能である。
辞めるまえにすること
辞めるにあったて、
1、 何故この会社の経営が破綻したかを徹底的に調査する
2、 この会社の執行部の体質を調べ、何故、会社の再建が不可能かを調べる。
これだけの現実のデータを集め、これまでの会社での出来事やそれに関する会社や自分の対応をデータ化して置くだけで、非常に大切なものを獲得したと思える。
言い換えると、ここまでやったときに、危機的な状況から学ぶことが可能になり、その結果が、次の行動に生かされる。もし、この調査のデータを勤務している会社が活用しなかったとしても、自分も味わった(経験した)企業の失敗例からの学習は、どこかで活かされるだろう。
逆境に学ぶ力
よく、危機的状況は、観かたによればチャンスであるということばがある。このことばの裏には、危機的状況に学ぶ、そしてその状況から立ち上がる具体的計画や実行力を前提にして語られている。
多くの場合、危機的状況はネガティブにしか作用しない。しかし、それをポジティブに転回するのは、そのネガティブファクターを掴み出し、それを改善することを理解した場合に限られるのである。
危機的状況を経験し、その状況から理解(分析、解釈した)経営不振を導いた原因(失敗学の用語では、からくりと要因)を理解することが、危機はチャンスという状況の転回を導く力を与えるだろう。
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第三次開国期を迎えた日本
三石博行
第三次開国、アジアの中の日本
2010年11月30日(日曜日)だったと記憶しているが、NHKの人気番組「爆笑学問」で、中国人の日本人観、日本人の中国人観を巡って議論がなされていた。
面白かったのは、まず、中国人の参加者は、中国人は国際スタンダードに近いと自ら自負していたこと、それに対して、日本人の参加者は、日本人は特殊な民族文化を持っているが、しかもその特殊性を自覚していないと考えていたことであった。
私は長年、海外、ヨーロッパで生活をしてきたので、むしろ、中国人のやり方が理解できる。例えば、自分を確りと主張した上で、他者との関係を作る。買い物の例が出されていた。買い手が「これは高い」と言って決裂した後に、売り手は追いかけてくる。そして再び交渉が始まる。日本であったら、そこで交渉決裂であるが、中国では、そこからが交渉の始まりである。
他人と意見の違いを明確にしない、事前に他人の意見を調べ、反対意見の人に対する対策を考え、交渉に臨む。これが基本的には日本で多くの人々が行っているやり方である。その話し合いで、交渉が決裂すれば、そこで終わりとなる。
これから日本人は、自信をもった東アジアの友人たちと付き合わなければならない。今までと話が違う。150年前に一早く、アジアで近代化政策を興し、列強の仲間入りした日本、日本人を自負している時代は終わり、日本の近代化や高度成長の何倍かのスピードで国が発展している近隣の国、シンガポール、台湾や東アジアの国、韓国や中国の人々を相手にした新しい付き合いが始まろうとしている。
中国の態度が典型的であるが、偉そうで何となく優越感をもった日本人に対して、アジアの国々の人々は、今までのように接してくれないのは明らかである。
問題は、我々、日本人がこの発展するアジアの状況に適応しなければならないだけなのだ。
言い換えると、明治の初めのように、欧米社会に自らを開いた文明開化と同じように、また、戦後民主主義社会を作った第二の開国期と同じように、今、日本では東アジア、アジアの国々に学び、国を開く第三次の開国が要請されている。
ここで再び、日本人論が問題になる。何故なら、我々日本人は、当然ながら、どの国の人々と同じように、日本的なものを大切にしたいという気持ちがある。発展するアジアの中で、生き延びるために、アジアの国際化の波に乗り遅れないために、我々の文化を知り、我々の社会と文化の国際化の方向や方法を検討しなければならないだろう。
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第三次開国、アジアの中の日本
2010年11月30日(日曜日)だったと記憶しているが、NHKの人気番組「爆笑学問」で、中国人の日本人観、日本人の中国人観を巡って議論がなされていた。
面白かったのは、まず、中国人の参加者は、中国人は国際スタンダードに近いと自ら自負していたこと、それに対して、日本人の参加者は、日本人は特殊な民族文化を持っているが、しかもその特殊性を自覚していないと考えていたことであった。
私は長年、海外、ヨーロッパで生活をしてきたので、むしろ、中国人のやり方が理解できる。例えば、自分を確りと主張した上で、他者との関係を作る。買い物の例が出されていた。買い手が「これは高い」と言って決裂した後に、売り手は追いかけてくる。そして再び交渉が始まる。日本であったら、そこで交渉決裂であるが、中国では、そこからが交渉の始まりである。
他人と意見の違いを明確にしない、事前に他人の意見を調べ、反対意見の人に対する対策を考え、交渉に臨む。これが基本的には日本で多くの人々が行っているやり方である。その話し合いで、交渉が決裂すれば、そこで終わりとなる。
これから日本人は、自信をもった東アジアの友人たちと付き合わなければならない。今までと話が違う。150年前に一早く、アジアで近代化政策を興し、列強の仲間入りした日本、日本人を自負している時代は終わり、日本の近代化や高度成長の何倍かのスピードで国が発展している近隣の国、シンガポール、台湾や東アジアの国、韓国や中国の人々を相手にした新しい付き合いが始まろうとしている。
中国の態度が典型的であるが、偉そうで何となく優越感をもった日本人に対して、アジアの国々の人々は、今までのように接してくれないのは明らかである。
問題は、我々、日本人がこの発展するアジアの状況に適応しなければならないだけなのだ。
言い換えると、明治の初めのように、欧米社会に自らを開いた文明開化と同じように、また、戦後民主主義社会を作った第二の開国期と同じように、今、日本では東アジア、アジアの国々に学び、国を開く第三次の開国が要請されている。
ここで再び、日本人論が問題になる。何故なら、我々日本人は、当然ながら、どの国の人々と同じように、日本的なものを大切にしたいという気持ちがある。発展するアジアの中で、生き延びるために、アジアの国際化の波に乗り遅れないために、我々の文化を知り、我々の社会と文化の国際化の方向や方法を検討しなければならないだろう。
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