三石博行
1. 政治活動とは 政治家とは
1-1、政治とは(1)策略
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/07/blog-post_4237.html
1-2、政治とは(2)大衆操作
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/07/2.html
1-3、政治とは(3)政治理念
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/07/3.html
1-4、政治とは(4)政治理論
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/07/4.html
1-5、自称平成維新の志士たち
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/06/blog-post_28.html
1-6、指導者の姿・思考実験への不断の取り組み
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/12/blog-post_09.html
2、政治文化
2-1、構想日本への期待
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/07/blog-post.html
2-2、河村氏当選の意味 地方から生まれる民主主義政治の潮流
http://mitsuishi.blogspot.jp/2011/02/blog-post_07.html
2-3、なぜ大阪維新の会が原発推進派と対立するのか
http://mitsuishi.blogspot.jp/2012/08/blog-post_14.html
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哲学に於いて生活とはそのすべての思索の根拠である。言い換えると哲学は、生きる行為、生活の場が前提になって成立する一つの思惟の形態であり、哲学は生きるための方法であり、道具であり、戦略であり、理念であると言える。また、哲学の入り口は生活点検作業である。何故なら、日常生活では無神経さや自己欺瞞は自然発生的に生まれるため、日常性と呼ばれる思惟の惰性形態に対して、反省と呼ばれる遡行作業を哲学は提供する。方法的懐疑や現象学的還元も、日常性へ埋没した惰性的自我を点検する方法である。生活の場から哲学を考え、哲学から生活の改善を求める運動を、ここでは生活運動と思想運動の相互関係と呼ぶ。そして、他者と共感しない哲学は意味を持たない。そこで、私の哲学を点検するためにこのブログを書くことにした。 2011年1月5日 三石博行 (MITSUISHI Hiroyuki)
2011年6月30日木曜日
東日本大震災と福島第一原発事故を契機に起こる政治改革の課題
国民主権による政治改革を目指して(3)
三石博行
東日本大震災・福島原発事故が導く政治危機
東日本大震災や福島第一原発事故は現在の日本の政治のあり方の限界を明確に示した。つまり、現在の日本の政治は国家の危機的状況に直面して、その問題点を露呈することになった。社会の危機に対して、国会議員達の無能さや政治への姿勢が問われている。
そして、今、私たちの社会に求められている「災害に強い国」を作るための条件として、真剣に政治改革を考えなければならなくなっている。この国・社会の未来、つまり災害に強い国や社会の必要性を痛感しているのは災害に立ち向かう人々、国民である。多くの政治家はそのことすら感じる感性を失っているように見える。そして、彼らは相変わらず今でも首相の退陣時期をめぐる政局論争に血道を上げているのである。
この状況を作り出しているのは政治家だけではない。マスコミ、経済界、大学研究者などの専門家集団等々。こうした亡国へ日本を導く人々、集団、組織等々の意図は何かを知る必要がある。彼らは自覚的にこの国を滅ぼそうとは思ってはいない。しかし、彼らのやっていることは結果的に亡国へ導く行為となることが予測できる。勿論、この指摘に対して、彼らは納得しないだろう。
しかし、罹災者の救済対策よりも「首相を辞めさせること」に専念した議員たち、原発事故で甚大な被害を国民に与えながら「原発推進」を決めた電力会社の経営陣・株主総会でのやり取りを見るだけで、この国の未来をこの種の勢力に任せることが出来ないと国民の大半が感じているだろう。
政治改革の第一課題・政治家の姿勢と実行力
今回、震災罹災者救済活動をさて置き、政局に血道を上げた議員たちは、選挙で選ばれたことをどこかで忘れているのではないだろうか。そして、選んだ住民、国民は単なる一人の有権者に過ぎないと思っているのではないだろうか。選挙期間(2週間)以外の日には国民と真剣に向き合うこともなく、選挙期間だけの関係、つまり一票を投じてくれる人としてしか、国民を見ていないように思える。
こうした議員たちは日常的に市民の生活の場に出向き、声を聞き、市民が抱え込んでいる問題の解決、そして同時に中長期的な視点に立って、市民との話し合い(時には、目先の利害に翻弄される市民を説得することも含めて)をすることはないだろう。
彼らにとって市民とは、票田の収穫物のようなもの、つまり自分が議員となるための手段のように写ってはいないだろうか。それらの人々の声を真剣に聞くこと、真剣に未来の社会について議論すること、自分の活動を正直に情報公開すること、現実出来なかった選挙公約の中身を分析しその理由を述べること、次回の選挙までには公約とその達成率を開示すること、つまり、市民をごまかさない態度を身に付けることを議員活動の基本に置いているだろうか。
国家が危機に瀕した時、国民の前で、堂々と未来社会のあり方を語ることの出来ない政治家は淘汰されるだろう。国民は馬鹿ではない。そして、国民は、政治家としての見解や姿勢のない人、そして実行力のない人々を次回の選挙で選ぶことは無いだろう。
政治改革運動の主体は国民である
しかし、こうした無責任な議員たちの行為がいつまでも続けられることはない。国家が危機に瀕した時、その危機的状況から国家の進むべき方向を示し、問題を解決する力のある人々にしか、国民は政治を任せることは出来ないのである。
国の経済が右肩上がりで成長していた時代、国民は自分たちの生活が豊かになることが中心の課題であった。しかし、その時代が終わり、新しい国のかたちが問われ、限りある資源を有効に活用し、豊かな生活を維持しなければならなくなった現在、国民は自ら努力してその生活の方法を模索し続ける。その国民の日常的努力に対して、政治が鈍感、無関心である場合、国民の多くが政治に対して絶望することになる。今回の国会での議員たちの振舞いに対して、多くの国民が絶望した。
しかし国民はいつまでも政治に絶望、政治に無関心でいる事は出来ない。何故なら、政治こそが直接的にも間接的にも、自分たちの生活に関係する社会条件を決定することを知っているからである。そして、この政治的危機、社会的危機は、国民が政治改革の主体であることを要求するのである。今や、国民は政治に対して無知や無関心を公言する余裕は無い。もし、政治家たちが国民の政治無関心と無知を前提にして対応するなら、彼らのその侮りにたいする回答を用意するだろう。これが政治危機に立ち向かう国の基本的な社会現象なのである。
このことは、一言で言えば、政治危機に立ち向かう主体が政治家ではなく、国民であることを意味するのである。
市民に対する政治的責任とは
6月28日に東電株主総会があった。福島第一原発で事故を起こしたにも関わらず、株主総会では「今後も原発推進すること」を決定した。つまり、今回の事故に対して、東電は抜本的な原子力発電の企業路線を検討する方向を示さなかった。その東電と同じように他の電力会社の株主総会で「原発推進」が決定された。
東京都は東電の大株主の一つである。今回の東電の株価の下落(2100円から350円)によって東京都は770億円の含み損をしていると言われている。つまり、都民、約1000万人として一人当たり7700円の損をしたことになる。勿論、これまで配当金を毎年25億円貰っていたので、都民としては、その責任もあり、東電の株価の下落による損失を受けることになる。
東京都が株を持っているということは、東京都民が東電の株を持っていることである。つまり、株主である東京都民は今回の株主総会で「原発推進」を承認したことになる。しかし、大多数の都民は本当に了承しているのだろうか。東京都にも放射能物質をばら撒いた福島第一原発事故、そして今でも最悪の事故が発生する可能性を秘めている状態にありながら原発推進を都民は承認するのだろうか。都民として、株主総会で都庁が原発推進を了承した経緯を問うべきだろう。もし、都議会がそのことをしなければ、都議会は都民のために働いているとは思えない。そして、株主である東京都は株主総会で東京都民の原発に対する不安や対策について意見を述べたのだろうか。石原都知事、東京都議会議員たちは、そのことを都民に説明する義務があるではないだろう。
同じことは関電にも言える。大阪市が筆頭株主であると言う事は、大阪市民が関電の株主であることを意味する。その意味で、関電の株主総会で「原発推進」を決定したとすれば、平松大阪市長は、大阪市民に対してその推進理由を明確にしておかなければならない。
つまり、こうしたことが、政治家(都知事や市長)の政治判断や行動を選挙民に対して明確に説明し、その情報を公開する責任をもっていることの一例なのである。もし、今回の電力会社の株主総会に対して、株主である東京都を含めて都道府県市長村が明確な判断を示さないままでいるなら、そこには市民を無視した政治姿勢があると判断するしかない。こうしたことが、今後、政治に問われる。そして、今回の東電株主総会での問題は、その一つの例に過ぎない。
今後、東電は原発事故による巨額の被害への保障費用の負担を国に求めている。つまり、事故への責任感覚を持たずに株主総会で原発推進を決め、その上、福島第一原発事故が引き起こした莫大な被害への保障を国民の税金に頼っているのである。このことをそのまま認めるなら、わが国には国民主権・民主主義は存在しないということになるだろう。
国民の犠牲の上に、企業の利益を優先する議会や株主たる地方自治体が今後も維持され、存続することが国や社会の本当の政治的危機であると言える。
原発村(原発マフィア)の強烈な攻撃に備えよ
しかし、この課題つまり国民主権を尊重し運営される立法機能の確立は、現在、福島第一原発事故の課題と不可分の経過がある。例えば、原発事故の反省として「再生可能エネルギー促進法案」を政府は成立させようとしている。原発事故が重大な被害を社会に与えることを知った以上、原発を止める方向で今後の社会経済システムを作り変えなければならない。この当然の政治的判断に対して、危惧を持つ人々がある。それらの人々は「原発村」と呼ばれている。
原発村とは原発によって利益を得ている人々である。原発利権を独占している原発マフィアを原発村と呼んでいるのである。利権集団に対して日本的な村のイメージ、つまり共同体のイメージを与えている。しかし、生きるための共同体・村ではなく、これらの集団は明らかに原発から生まれる利益を独占する権利、利権集団である。その意味で原発マフィアと呼ぶことにする。
電力会社、原発を推進する官僚機構(天下り先として原発関連企業、電気関連企業、原発関連団体等々がある)、原発推進派学者(巨額の研究費を電力会社や政府機関から得ることが出来て、しかも卒業生を送ることもできる。さらには退職後に原発関連団体や企業に就職出来る)、マスコミ(電力会社が巨額の宣伝費を支払ってくれる)、経済団体(原発を建設することで多くの関連企業・原発関連企業が利益を受ける)、自治体(原発誘致によって利益を得ている)、政治家(原発誘致による原発関連企業の利益から得られる政治資金を得ることが出来る。また電力産業関連の労働組合からの支援を得ることが出来る)等々。その数は夥しいものとなる。
つまり、原発マフィアを構成している社会の拡がりは大きく、その数のみでなく、至る所で影響を与える力を持っている。報道機関から流れる原発推進のイメージ、トーク番組の司会者が今でも「原子力で作る電気代に比べると自然エネルギーから作る電気代は高いし、安定していない」という発言が飛び交う。そして、今でも「原発は安全に運用することが出来るはずだ」と有名大学の学者が述べる。多くの社会的に影響力を持った人々の集まり・原発ファフィアは福島でどんなことが起ころうと、そう簡単に自分たちの利権を離すはずが無い。
国の未来を議員たちに一任させてはならない
つまり、今回、非常にはっきりしたことは、政治や社会危機を生み出している原因の一つとして、原発マフィア的構造が日本社会に蔓延しているという事であった。彼らは、権力を私物化し、税金を使い、甘い汁を吸うことに長けている。彼らは、この利権をそう簡単に失いたくないと思っているだろう。つまり、福島第一原発事故によって、住民がどうなろうと、国土がどうなろうと、日本がどうなろうと、この甘い汁を吸える権利を失いたくないのである。
これらの人々の反撃は、陰湿に巧妙に仕組まれてくるに違いない。管直人総理が「再生可能エネルギー促進法案」を国会で承認する前に、彼を総理の座から蹴り落としたいだろう。しかし、毎日緊急事態に追われる原発事故の最中に、はっきりと、「さらに原発推進し再生可能なエネルギーは使わない」とは言えないだろう。国民の多くが原発事故の成り行きに不安を持ち、日々原発行政を批判する立場に変わる中で、原発推進を言う機会ではないとこれらの人々は思っているだろう。そうでなく、管首相は何がなんでも早く辞めるべきだとしか言わないだろう。そして、未来の日本社会を脱原発の方向に行かさないために、色々な策略をめぐらすだろう。「管首相はすぐに辞めないで、原発問題を政局課題にして、国会を近いうちに解散するに違いない」という意見も出始めている。ともかく、一日も早く、管総理に辞めてもらいたい。その真意は「再生可能エネルギー促進法案」を国会で通して欲しくないという意図のように観える。
今回の政治家たちの振る舞いを、私たちは絶対に忘れないようにしよう。これは狂った議員たちの亡国のための演劇会であった。そして今後も彼らは同じことを繰り返すだろう。その責任は国民にある。何故なら国民が彼らを議員に選んだからだ。その責任を明らかにするために、私たちは議員の活動を点検する国民的運動を起こさなければならない。政治、つまり現実の社会問題を解決し、未来の社会を構築する活動を議員に任してはならない。国民が政治活動の主体であり、国民によって政治が行われる社会を創らなければならない。国民主権の確立なしにこの国の未来はない。
参考資料
三石博行 「罹災者救済、国民と国家の将来のために働くことのみが政治家の課題である」
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_07.html
三石博行 「原発問題は今後、我が国の政治の中心課題となるだろう」
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_12.html
三石博行 「国民による議会・立法機関の検証作業は可能か」
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_14.html
三石博行 「国民による議員の選挙公約に関する検証機能の提案」
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_3645.html
田原総一朗公式メールマガジン
現在の永田町の政治の動きに対して、田原総一郎氏は明快な分析を行っている。何故なら、彼には、明確な視点が存在し続けいる。今回、彼は一貫して「被災者の救済」「国難の克服」を課題にし、その視点から永田町国会議員たちのホームルームのやり取りを分析している。
http://www.taharasoichiro.com/
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東日本大震災関連ブログ文書集
1、ブログ文書集「原発事故が日本社会に問いかけている課題」目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_3562.html
2、ブログ文書集「東日本大震災の復旧・復興のために 震災に強い社会建設を目指して」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_23.html
3、 ブログ文書集「国民主権による政治改革への提言」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_9428.html
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2011年7月3日 誤字修正
三石博行
東日本大震災・福島原発事故が導く政治危機
東日本大震災や福島第一原発事故は現在の日本の政治のあり方の限界を明確に示した。つまり、現在の日本の政治は国家の危機的状況に直面して、その問題点を露呈することになった。社会の危機に対して、国会議員達の無能さや政治への姿勢が問われている。
そして、今、私たちの社会に求められている「災害に強い国」を作るための条件として、真剣に政治改革を考えなければならなくなっている。この国・社会の未来、つまり災害に強い国や社会の必要性を痛感しているのは災害に立ち向かう人々、国民である。多くの政治家はそのことすら感じる感性を失っているように見える。そして、彼らは相変わらず今でも首相の退陣時期をめぐる政局論争に血道を上げているのである。
この状況を作り出しているのは政治家だけではない。マスコミ、経済界、大学研究者などの専門家集団等々。こうした亡国へ日本を導く人々、集団、組織等々の意図は何かを知る必要がある。彼らは自覚的にこの国を滅ぼそうとは思ってはいない。しかし、彼らのやっていることは結果的に亡国へ導く行為となることが予測できる。勿論、この指摘に対して、彼らは納得しないだろう。
しかし、罹災者の救済対策よりも「首相を辞めさせること」に専念した議員たち、原発事故で甚大な被害を国民に与えながら「原発推進」を決めた電力会社の経営陣・株主総会でのやり取りを見るだけで、この国の未来をこの種の勢力に任せることが出来ないと国民の大半が感じているだろう。
政治改革の第一課題・政治家の姿勢と実行力
今回、震災罹災者救済活動をさて置き、政局に血道を上げた議員たちは、選挙で選ばれたことをどこかで忘れているのではないだろうか。そして、選んだ住民、国民は単なる一人の有権者に過ぎないと思っているのではないだろうか。選挙期間(2週間)以外の日には国民と真剣に向き合うこともなく、選挙期間だけの関係、つまり一票を投じてくれる人としてしか、国民を見ていないように思える。
こうした議員たちは日常的に市民の生活の場に出向き、声を聞き、市民が抱え込んでいる問題の解決、そして同時に中長期的な視点に立って、市民との話し合い(時には、目先の利害に翻弄される市民を説得することも含めて)をすることはないだろう。
彼らにとって市民とは、票田の収穫物のようなもの、つまり自分が議員となるための手段のように写ってはいないだろうか。それらの人々の声を真剣に聞くこと、真剣に未来の社会について議論すること、自分の活動を正直に情報公開すること、現実出来なかった選挙公約の中身を分析しその理由を述べること、次回の選挙までには公約とその達成率を開示すること、つまり、市民をごまかさない態度を身に付けることを議員活動の基本に置いているだろうか。
国家が危機に瀕した時、国民の前で、堂々と未来社会のあり方を語ることの出来ない政治家は淘汰されるだろう。国民は馬鹿ではない。そして、国民は、政治家としての見解や姿勢のない人、そして実行力のない人々を次回の選挙で選ぶことは無いだろう。
政治改革運動の主体は国民である
しかし、こうした無責任な議員たちの行為がいつまでも続けられることはない。国家が危機に瀕した時、その危機的状況から国家の進むべき方向を示し、問題を解決する力のある人々にしか、国民は政治を任せることは出来ないのである。
国の経済が右肩上がりで成長していた時代、国民は自分たちの生活が豊かになることが中心の課題であった。しかし、その時代が終わり、新しい国のかたちが問われ、限りある資源を有効に活用し、豊かな生活を維持しなければならなくなった現在、国民は自ら努力してその生活の方法を模索し続ける。その国民の日常的努力に対して、政治が鈍感、無関心である場合、国民の多くが政治に対して絶望することになる。今回の国会での議員たちの振舞いに対して、多くの国民が絶望した。
しかし国民はいつまでも政治に絶望、政治に無関心でいる事は出来ない。何故なら、政治こそが直接的にも間接的にも、自分たちの生活に関係する社会条件を決定することを知っているからである。そして、この政治的危機、社会的危機は、国民が政治改革の主体であることを要求するのである。今や、国民は政治に対して無知や無関心を公言する余裕は無い。もし、政治家たちが国民の政治無関心と無知を前提にして対応するなら、彼らのその侮りにたいする回答を用意するだろう。これが政治危機に立ち向かう国の基本的な社会現象なのである。
このことは、一言で言えば、政治危機に立ち向かう主体が政治家ではなく、国民であることを意味するのである。
市民に対する政治的責任とは
6月28日に東電株主総会があった。福島第一原発で事故を起こしたにも関わらず、株主総会では「今後も原発推進すること」を決定した。つまり、今回の事故に対して、東電は抜本的な原子力発電の企業路線を検討する方向を示さなかった。その東電と同じように他の電力会社の株主総会で「原発推進」が決定された。
東京都は東電の大株主の一つである。今回の東電の株価の下落(2100円から350円)によって東京都は770億円の含み損をしていると言われている。つまり、都民、約1000万人として一人当たり7700円の損をしたことになる。勿論、これまで配当金を毎年25億円貰っていたので、都民としては、その責任もあり、東電の株価の下落による損失を受けることになる。
東京都が株を持っているということは、東京都民が東電の株を持っていることである。つまり、株主である東京都民は今回の株主総会で「原発推進」を承認したことになる。しかし、大多数の都民は本当に了承しているのだろうか。東京都にも放射能物質をばら撒いた福島第一原発事故、そして今でも最悪の事故が発生する可能性を秘めている状態にありながら原発推進を都民は承認するのだろうか。都民として、株主総会で都庁が原発推進を了承した経緯を問うべきだろう。もし、都議会がそのことをしなければ、都議会は都民のために働いているとは思えない。そして、株主である東京都は株主総会で東京都民の原発に対する不安や対策について意見を述べたのだろうか。石原都知事、東京都議会議員たちは、そのことを都民に説明する義務があるではないだろう。
同じことは関電にも言える。大阪市が筆頭株主であると言う事は、大阪市民が関電の株主であることを意味する。その意味で、関電の株主総会で「原発推進」を決定したとすれば、平松大阪市長は、大阪市民に対してその推進理由を明確にしておかなければならない。
つまり、こうしたことが、政治家(都知事や市長)の政治判断や行動を選挙民に対して明確に説明し、その情報を公開する責任をもっていることの一例なのである。もし、今回の電力会社の株主総会に対して、株主である東京都を含めて都道府県市長村が明確な判断を示さないままでいるなら、そこには市民を無視した政治姿勢があると判断するしかない。こうしたことが、今後、政治に問われる。そして、今回の東電株主総会での問題は、その一つの例に過ぎない。
今後、東電は原発事故による巨額の被害への保障費用の負担を国に求めている。つまり、事故への責任感覚を持たずに株主総会で原発推進を決め、その上、福島第一原発事故が引き起こした莫大な被害への保障を国民の税金に頼っているのである。このことをそのまま認めるなら、わが国には国民主権・民主主義は存在しないということになるだろう。
国民の犠牲の上に、企業の利益を優先する議会や株主たる地方自治体が今後も維持され、存続することが国や社会の本当の政治的危機であると言える。
原発村(原発マフィア)の強烈な攻撃に備えよ
しかし、この課題つまり国民主権を尊重し運営される立法機能の確立は、現在、福島第一原発事故の課題と不可分の経過がある。例えば、原発事故の反省として「再生可能エネルギー促進法案」を政府は成立させようとしている。原発事故が重大な被害を社会に与えることを知った以上、原発を止める方向で今後の社会経済システムを作り変えなければならない。この当然の政治的判断に対して、危惧を持つ人々がある。それらの人々は「原発村」と呼ばれている。
原発村とは原発によって利益を得ている人々である。原発利権を独占している原発マフィアを原発村と呼んでいるのである。利権集団に対して日本的な村のイメージ、つまり共同体のイメージを与えている。しかし、生きるための共同体・村ではなく、これらの集団は明らかに原発から生まれる利益を独占する権利、利権集団である。その意味で原発マフィアと呼ぶことにする。
電力会社、原発を推進する官僚機構(天下り先として原発関連企業、電気関連企業、原発関連団体等々がある)、原発推進派学者(巨額の研究費を電力会社や政府機関から得ることが出来て、しかも卒業生を送ることもできる。さらには退職後に原発関連団体や企業に就職出来る)、マスコミ(電力会社が巨額の宣伝費を支払ってくれる)、経済団体(原発を建設することで多くの関連企業・原発関連企業が利益を受ける)、自治体(原発誘致によって利益を得ている)、政治家(原発誘致による原発関連企業の利益から得られる政治資金を得ることが出来る。また電力産業関連の労働組合からの支援を得ることが出来る)等々。その数は夥しいものとなる。
つまり、原発マフィアを構成している社会の拡がりは大きく、その数のみでなく、至る所で影響を与える力を持っている。報道機関から流れる原発推進のイメージ、トーク番組の司会者が今でも「原子力で作る電気代に比べると自然エネルギーから作る電気代は高いし、安定していない」という発言が飛び交う。そして、今でも「原発は安全に運用することが出来るはずだ」と有名大学の学者が述べる。多くの社会的に影響力を持った人々の集まり・原発ファフィアは福島でどんなことが起ころうと、そう簡単に自分たちの利権を離すはずが無い。
国の未来を議員たちに一任させてはならない
つまり、今回、非常にはっきりしたことは、政治や社会危機を生み出している原因の一つとして、原発マフィア的構造が日本社会に蔓延しているという事であった。彼らは、権力を私物化し、税金を使い、甘い汁を吸うことに長けている。彼らは、この利権をそう簡単に失いたくないと思っているだろう。つまり、福島第一原発事故によって、住民がどうなろうと、国土がどうなろうと、日本がどうなろうと、この甘い汁を吸える権利を失いたくないのである。
これらの人々の反撃は、陰湿に巧妙に仕組まれてくるに違いない。管直人総理が「再生可能エネルギー促進法案」を国会で承認する前に、彼を総理の座から蹴り落としたいだろう。しかし、毎日緊急事態に追われる原発事故の最中に、はっきりと、「さらに原発推進し再生可能なエネルギーは使わない」とは言えないだろう。国民の多くが原発事故の成り行きに不安を持ち、日々原発行政を批判する立場に変わる中で、原発推進を言う機会ではないとこれらの人々は思っているだろう。そうでなく、管首相は何がなんでも早く辞めるべきだとしか言わないだろう。そして、未来の日本社会を脱原発の方向に行かさないために、色々な策略をめぐらすだろう。「管首相はすぐに辞めないで、原発問題を政局課題にして、国会を近いうちに解散するに違いない」という意見も出始めている。ともかく、一日も早く、管総理に辞めてもらいたい。その真意は「再生可能エネルギー促進法案」を国会で通して欲しくないという意図のように観える。
今回の政治家たちの振る舞いを、私たちは絶対に忘れないようにしよう。これは狂った議員たちの亡国のための演劇会であった。そして今後も彼らは同じことを繰り返すだろう。その責任は国民にある。何故なら国民が彼らを議員に選んだからだ。その責任を明らかにするために、私たちは議員の活動を点検する国民的運動を起こさなければならない。政治、つまり現実の社会問題を解決し、未来の社会を構築する活動を議員に任してはならない。国民が政治活動の主体であり、国民によって政治が行われる社会を創らなければならない。国民主権の確立なしにこの国の未来はない。
参考資料
三石博行 「罹災者救済、国民と国家の将来のために働くことのみが政治家の課題である」
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_07.html
三石博行 「原発問題は今後、我が国の政治の中心課題となるだろう」
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_12.html
三石博行 「国民による議会・立法機関の検証作業は可能か」
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_14.html
三石博行 「国民による議員の選挙公約に関する検証機能の提案」
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_3645.html
田原総一朗公式メールマガジン
現在の永田町の政治の動きに対して、田原総一郎氏は明快な分析を行っている。何故なら、彼には、明確な視点が存在し続けいる。今回、彼は一貫して「被災者の救済」「国難の克服」を課題にし、その視点から永田町国会議員たちのホームルームのやり取りを分析している。
http://www.taharasoichiro.com/
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東日本大震災関連ブログ文書集
1、ブログ文書集「原発事故が日本社会に問いかけている課題」目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_3562.html
2、ブログ文書集「東日本大震災の復旧・復興のために 震災に強い社会建設を目指して」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_23.html
3、 ブログ文書集「国民主権による政治改革への提言」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_9428.html
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2011年7月3日 誤字修正
2011年6月29日水曜日
衆議院議員・河野太郎さん京都で脱原発について講演会
「河野太郎・脱原発 in 京都」 7月17日(日)午後2時~4時半
会場 左京区岡崎 みやこめっせ地下会議室
あの河野太郎が、祇園祭のあと、平安神宮あたりで
エネルギー政策を語るらしい。いいね!
祇園祭に全国から集まられる皆さん、「反核燃料サイクルの闘士」
河野太郎さんとともに、「核燃料サイクル破綻の真相」「原子力村の実
態」東電解体への道」などについて徹底的に語り合いましょう!
「エネルギー担当大臣は僕しかいないだろう、細野くん」
「虚構の核燃料サイクルで日本の原子力政策は破綻している」
長年原子力開発を推進してきた自民党の中にあって、
党内から疑問を呈し、臆せず批判を続けている衆議院議員
河野太郎さんと、フリーにおしゃべりする場をもちました。
ナマ河野太郎さんとガチンコ討論、ぜひご参加ください。
■日時:7月17日(日)午後2時~4時半
■場所:左京区岡崎 みやこめっせ地下会議室
http://www.miyakomesse.jp/transportation/kyoto.php
●先着120名 予約制
● 7/14 までに下記へご連絡ください
●申し込み先:mail sato _ etsu@hotmail.com
携帯 090 - 4037 - 2158(さとなか)
●主催:河野太郎とぎゃざりんぐしよう有志
●会場費カンパ500円
(『週刊東洋経済』2011 年 6 月 11 日号「暴走する国策エネルギー原子力」) http://www.toyokeizai.net/shop/magazine/toyo/detail/BI/39124995746cc2fe398d77ca5f2943ef/
(「衆議院議員・河野太郎――虚構の核燃料サイクルで日本の原子力政策は破綻」)
http://www.toyokeizai.net/business/interview/detail/AC/4630f330e56b51297b78e268ba7c8bb9/
河野太郎公式サイト
http://www.taro.org/
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東日本大震災関連ブログ文書集
1、ブログ文書集「原発事故が日本社会に問いかけている課題」目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_3562.html
2、ブログ文書集「東日本大震災の復旧・復興のために 震災に強い社会建設を目指して」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_23.html
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会場 左京区岡崎 みやこめっせ地下会議室
あの河野太郎が、祇園祭のあと、平安神宮あたりで
エネルギー政策を語るらしい。いいね!
祇園祭に全国から集まられる皆さん、「反核燃料サイクルの闘士」
河野太郎さんとともに、「核燃料サイクル破綻の真相」「原子力村の実
態」東電解体への道」などについて徹底的に語り合いましょう!
「エネルギー担当大臣は僕しかいないだろう、細野くん」
「虚構の核燃料サイクルで日本の原子力政策は破綻している」
長年原子力開発を推進してきた自民党の中にあって、
党内から疑問を呈し、臆せず批判を続けている衆議院議員
河野太郎さんと、フリーにおしゃべりする場をもちました。
ナマ河野太郎さんとガチンコ討論、ぜひご参加ください。
■日時:7月17日(日)午後2時~4時半
■場所:左京区岡崎 みやこめっせ地下会議室
http://www.miyakomesse.jp/transportation/kyoto.php
●先着120名 予約制
● 7/14 までに下記へご連絡ください
●申し込み先:mail sato _ etsu@hotmail.com
携帯 090 - 4037 - 2158(さとなか)
●主催:河野太郎とぎゃざりんぐしよう有志
●会場費カンパ500円
(『週刊東洋経済』2011 年 6 月 11 日号「暴走する国策エネルギー原子力」) http://www.toyokeizai.net/shop/magazine/toyo/detail/BI/39124995746cc2fe398d77ca5f2943ef/
(「衆議院議員・河野太郎――虚構の核燃料サイクルで日本の原子力政策は破綻」)
http://www.toyokeizai.net/business/interview/detail/AC/4630f330e56b51297b78e268ba7c8bb9/
河野太郎公式サイト
http://www.taro.org/
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東日本大震災関連ブログ文書集
1、ブログ文書集「原発事故が日本社会に問いかけている課題」目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_3562.html
2、ブログ文書集「東日本大震災の復旧・復興のために 震災に強い社会建設を目指して」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_23.html
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2011年6月27日月曜日
バイバイ原発 京都で集会とデモに参加して
反原発運動の流れ(1)
三石博行
「原発 今までありがとう、もういらないよ」
6月26日(日曜日)12時から京都の大宮七条の近くの梅小路公園で「バイバイ原発 放射能汚染はごめんだ! 子どもたちに原発のない未来を」プレ・イベント(チャリティ手作り広場、ミニ・コンサート)、リレー・トークが行われた。
私は朝の庭仕事(ネギの苗植え)をやっと12時に終わり、急いで梅小路公園に向かったが、着いたのは1時30分で、リレー・トークがすでに始まっていた。思ったより多くの参加者が居た。そして、自然食品を生産する団体、太陽光発電を推進する人々、消費者運動の人々、みどりの党を呼びかける人々、平和運動の人々等々、色々な人々が千名近く集まっていた。
私は、参加していた人々に京都・奈良EU協会のシリーズ京都講演会「医師・専門家からみた福島原発事故」を紹介するチラシを配った。200枚のチラシはあっという間になくなった。
集まった人々、子供、若者から老人まで、「河野太郎の講演会」のビラを配る人から、「みどりの党」を呼びかける人々、その中かに、面白いステカーを張った若者がいた。「(原発) 今までありがとう、もういらないよ」と書かれていた。
生活感覚から生まれた反原発運動
20代が最後でかれこれ35年間も集会やデモに参加したことはなかった。あの当時、1970年代のデモは、主に労働運動や左翼運動を中心とした集団が主催していた。あの当時と比べると雰囲気は全く異なり、まるでお祭りの行列にいるようだった。
ちょうど私の前に、面白い格好をした若者達が東南アジアやインド風の楽器を鳴らしながら歩いていた。まるで、ブラジルのカーニバル行進のような陽気な音楽だった。そのリズムに皆の身体が自然に動いていた。
京都府警の機動隊も来ていた。デモの横について交通整理をしていた若い警察官がデモの人々ににこやかに笑いける瞬間もあった。「こんな風景は昔なかった。いい国になったのだな」
と感じた瞬間であった。
参考資料
みどりの未来
http://greens.gr.jp/
河野太郎公式サイト
http://www.taro.org/
バイバイ原発のデモの様子はUstreamの[IWJ中継市民チャンネル 京都Ch1]で見ることができます。
IWJ_KYOTO1 06/25/11 11:13PM
http://www.ustream.tv/recorded/15628092/
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東日本大震災関連ブログ文書集
1、ブログ文書集「原発事故が日本社会に問いかけている課題」目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_3562.html
2、ブログ文書集「東日本大震災の復旧・復興のために 震災に強い社会建設を目指して」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_23.html
3、ブログ文書集「国民主権による政治改革への提言」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_9428.html
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2011年6月27日 誤字修正
2011年7月 2日 動画挿入
三石博行
「原発 今までありがとう、もういらないよ」
6月26日(日曜日)12時から京都の大宮七条の近くの梅小路公園で「バイバイ原発 放射能汚染はごめんだ! 子どもたちに原発のない未来を」プレ・イベント(チャリティ手作り広場、ミニ・コンサート)、リレー・トークが行われた。
私は朝の庭仕事(ネギの苗植え)をやっと12時に終わり、急いで梅小路公園に向かったが、着いたのは1時30分で、リレー・トークがすでに始まっていた。思ったより多くの参加者が居た。そして、自然食品を生産する団体、太陽光発電を推進する人々、消費者運動の人々、みどりの党を呼びかける人々、平和運動の人々等々、色々な人々が千名近く集まっていた。
私は、参加していた人々に京都・奈良EU協会のシリーズ京都講演会「医師・専門家からみた福島原発事故」を紹介するチラシを配った。200枚のチラシはあっという間になくなった。
集まった人々、子供、若者から老人まで、「河野太郎の講演会」のビラを配る人から、「みどりの党」を呼びかける人々、その中かに、面白いステカーを張った若者がいた。「(原発) 今までありがとう、もういらないよ」と書かれていた。
生活感覚から生まれた反原発運動
20代が最後でかれこれ35年間も集会やデモに参加したことはなかった。あの当時、1970年代のデモは、主に労働運動や左翼運動を中心とした集団が主催していた。あの当時と比べると雰囲気は全く異なり、まるでお祭りの行列にいるようだった。
ちょうど私の前に、面白い格好をした若者達が東南アジアやインド風の楽器を鳴らしながら歩いていた。まるで、ブラジルのカーニバル行進のような陽気な音楽だった。そのリズムに皆の身体が自然に動いていた。
京都府警の機動隊も来ていた。デモの横について交通整理をしていた若い警察官がデモの人々ににこやかに笑いける瞬間もあった。「こんな風景は昔なかった。いい国になったのだな」
と感じた瞬間であった。
参考資料
みどりの未来
http://greens.gr.jp/
河野太郎公式サイト
http://www.taro.org/
バイバイ原発のデモの様子はUstreamの[IWJ中継市民チャンネル 京都Ch1]で見ることができます。
IWJ_KYOTO1 06/25/11 11:13PM
http://www.ustream.tv/recorded/15628092/
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東日本大震災関連ブログ文書集
1、ブログ文書集「原発事故が日本社会に問いかけている課題」目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_3562.html
2、ブログ文書集「東日本大震災の復旧・復興のために 震災に強い社会建設を目指して」の目次
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3、ブログ文書集「国民主権による政治改革への提言」の目次
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2011年6月27日 誤字修正
2011年7月 2日 動画挿入
2011年6月23日木曜日
西野方庸氏(関西労働者安全センター事務局長)の講演会「原発被ばく問題のこれから」開催予定
7月16日(土)14時‐16時(京都奈良EU協会第三回講演会)
三石博行
作業員犠牲の上に進む原発事故の対策・処理作業
関西労働者安全センターは、岩佐原発被曝裁判を始め1970年代から今まで長年にわたって、原発内で働く人々の労災問題に取り組んできた。(1)(2) 今回の原発事故では多くの人々が事故処理や事故防止のために危険な職場で働いています。これらの人々の命と健康の課題が今後大きな問題となることは避けられない。
危険な職場で働く人々によって、今、福島第一原発の事故処理と事故防止が進んでいる。これらの人々の命、健康、生活や家族の犠牲の上に、これからの安全な原発を維持しなければならないことを真剣に考える必要がある。そして、同時に現在、福島第一原発で働く人々の今と明日を守る社会や国の姿勢が問われている。
今回の福島第一原発事故では、原発内で多量の放射線量が発生しており、短時間の作業で年間被曝線量の限界値100ミリシーベルトを超える事態が発生している。現実に福島第一原発の作業員は15分程度で交代する必要が生じていると報道されている。(3) そのため、現場では作業員の不足という深刻な事態に直面している。そこで、政府・厚生労働省は福島第一原発に限って作業員の年間被曝量の限度を100ミリシーベルトから250ミリシーベルトに2.5倍に上げ、作業員の作業時間の延長を行おうとしている。
今回の政府の特別措置は、原発事故をこれ以上拡大させないための不可避的対策である。つまり、原発大事故という国の危機的状況の中で、原発作業員の犠牲の上に原発事故処理と安全対策が現在進行しているのである。
最近の報道によると、東京電力は6月20日、250ミリシーベルトの被曝限度を超えた東電社員が9名になったと発表している。3月の作業で内部被曝を測定していなかった作業員が125名いる。そのうち69名に連絡が取れていない。(4) また、厚生労働省は3月に原発復旧作業に従事した下請作業員3700名中約30名の身元が特定できていないことを発表した。(5)つまり、今後の原発作業員の被曝障害の課題として、すでに多量の放射線量を被曝していると予想される東電社員のみならず下請け業者の作業員の長い日数を経過した後に発症する可能性のある健康障害やその早期発見のための健康管理が問題となるだろう。
西野方庸(にしのまさのぶ)氏からの講演紹介
京都・奈良EU協会の講演会シリーズ「医師・専門家からみた福島原発事故」の第三回目では、関西労働者安全センター事務局長や連合大阪労働安全衛生センターの参与をしておられる西野方庸(にしのまさのぶ)氏に今後の福島第一原発事故が引き起こす放射線被曝による労働災害や職業病の問題に関してお話をして頂きます。
「政府はこれまでの労働安全衛生法で定めていた放射線の被曝線量の限度を2.5倍に引き上げ、
緊急時作業の被ばく限度を2.5 倍に引き上げ、年間被ばく限度の特別扱い、限度以上被ばくした作業員が8人・・・。福島第一原発事故をめぐる作業員の被ばく問題が盛んにマスコミ報道されています。
しかし放射線による晩発性障害は確率的影響で、労災保険や損害賠償では因果関係をどう考えるかが問題です。これまでの原発被ばく問題の取り組みを紹介し、今後の原発被ばく対策の問題点を考えます。」(西野方庸)
テーマ 「原発被ばく問題のこれから」チラシ
日時 6月18日(土)14時~16時
場所 クリニックサンルイ 京都市山科区安朱南屋敷町35木下物産ビル4F
講演会のチラシのダウンロードはここをクリックしてください。
今後の講演会の紹介
第4 回 2011 年8 月 6 日( 土) 14 時
テーマ「原発作業員と放射能被爆障害に関するテーマ」(予定されている課題)
講師: 長尾和宏医師 (長尾クリニック院長)
第5 回 2011 年9 月3 日( 土) 14 時
テーマ「被曝労働者の職業病への治療 谷口プロジェクト」(予定されている課題)
講師: 谷口修一医師 (虎ノ門病院 血液内科部長)
京都奈良EU協会のシリーズ京都講演会の紹介
http://hiroyukimitsuishi.web.fc2.com/syakai_01_01.html
参考資料
(1)『原発と闘う-岩佐原発被曝裁判の記録-』 「岩佐裁判の記録」編集委員会・編/八月書館1988年 を紹介しているブログ
http://blog.goo.ne.jp/ryuzou42/e/badda54cc4c6ac1dd741cddb5f92cbde
(2)関西労働者安全センター 「多発性骨髄腫で労災請求 -原子力発電所での被曝が原因 富岡労基署(福島県)」
http://www.geocities.jp/koshc2000/accident/OID.html
(3)日本テレNews
http://www.news24.jp/articles/2011/03/16/07178558.html
(4) 中日新聞 CHUNICH Web 「社会」 2011/06/23
http://www.chunichi.co.jp/s/article/2011062190003554.html
(5)毎日jp 毎日新聞 2011年6月21日 東京朝刊
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110621ddm041040085000c.html
(6)原発で働く人々の命と健康を守るために奮闘しているsavefukushima50のサイト
http://www.savefukushima50.org/
(7)noixさんがmixiで紹介しているサイト「福島原発事故における被ばく対策の問題・現況を憂う――西尾正道・北海道がんセンター院長(放射線治療科)(1)(7まで)」2011年6月27日 東洋経済
http://www.toyokeizai.net/business/society/detail/AC/548a752507bc6c3aa0fd3db058e8098a/page/1/
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東日本大震災関連ブログ文書集
1、ブログ文書集「原発事故が日本社会に問いかけている課題」目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_3562.html
2、ブログ文書集「東日本大震災の復旧・復興のために 震災に強い社会建設を目指して」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_23.html
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2011年6月23日 誤字修正
2011年6月28日 引用補足
三石博行
作業員犠牲の上に進む原発事故の対策・処理作業
関西労働者安全センターは、岩佐原発被曝裁判を始め1970年代から今まで長年にわたって、原発内で働く人々の労災問題に取り組んできた。(1)(2) 今回の原発事故では多くの人々が事故処理や事故防止のために危険な職場で働いています。これらの人々の命と健康の課題が今後大きな問題となることは避けられない。
危険な職場で働く人々によって、今、福島第一原発の事故処理と事故防止が進んでいる。これらの人々の命、健康、生活や家族の犠牲の上に、これからの安全な原発を維持しなければならないことを真剣に考える必要がある。そして、同時に現在、福島第一原発で働く人々の今と明日を守る社会や国の姿勢が問われている。
今回の福島第一原発事故では、原発内で多量の放射線量が発生しており、短時間の作業で年間被曝線量の限界値100ミリシーベルトを超える事態が発生している。現実に福島第一原発の作業員は15分程度で交代する必要が生じていると報道されている。(3) そのため、現場では作業員の不足という深刻な事態に直面している。そこで、政府・厚生労働省は福島第一原発に限って作業員の年間被曝量の限度を100ミリシーベルトから250ミリシーベルトに2.5倍に上げ、作業員の作業時間の延長を行おうとしている。
今回の政府の特別措置は、原発事故をこれ以上拡大させないための不可避的対策である。つまり、原発大事故という国の危機的状況の中で、原発作業員の犠牲の上に原発事故処理と安全対策が現在進行しているのである。
最近の報道によると、東京電力は6月20日、250ミリシーベルトの被曝限度を超えた東電社員が9名になったと発表している。3月の作業で内部被曝を測定していなかった作業員が125名いる。そのうち69名に連絡が取れていない。(4) また、厚生労働省は3月に原発復旧作業に従事した下請作業員3700名中約30名の身元が特定できていないことを発表した。(5)つまり、今後の原発作業員の被曝障害の課題として、すでに多量の放射線量を被曝していると予想される東電社員のみならず下請け業者の作業員の長い日数を経過した後に発症する可能性のある健康障害やその早期発見のための健康管理が問題となるだろう。
西野方庸(にしのまさのぶ)氏からの講演紹介
京都・奈良EU協会の講演会シリーズ「医師・専門家からみた福島原発事故」の第三回目では、関西労働者安全センター事務局長や連合大阪労働安全衛生センターの参与をしておられる西野方庸(にしのまさのぶ)氏に今後の福島第一原発事故が引き起こす放射線被曝による労働災害や職業病の問題に関してお話をして頂きます。
「政府はこれまでの労働安全衛生法で定めていた放射線の被曝線量の限度を2.5倍に引き上げ、
緊急時作業の被ばく限度を2.5 倍に引き上げ、年間被ばく限度の特別扱い、限度以上被ばくした作業員が8人・・・。福島第一原発事故をめぐる作業員の被ばく問題が盛んにマスコミ報道されています。
しかし放射線による晩発性障害は確率的影響で、労災保険や損害賠償では因果関係をどう考えるかが問題です。これまでの原発被ばく問題の取り組みを紹介し、今後の原発被ばく対策の問題点を考えます。」(西野方庸)
テーマ 「原発被ばく問題のこれから」チラシ
日時 6月18日(土)14時~16時
場所 クリニックサンルイ 京都市山科区安朱南屋敷町35木下物産ビル4F
講演会のチラシのダウンロードはここをクリックしてください。
今後の講演会の紹介
第4 回 2011 年8 月 6 日( 土) 14 時
テーマ「原発作業員と放射能被爆障害に関するテーマ」(予定されている課題)
講師: 長尾和宏医師 (長尾クリニック院長)
第5 回 2011 年9 月3 日( 土) 14 時
テーマ「被曝労働者の職業病への治療 谷口プロジェクト」(予定されている課題)
講師: 谷口修一医師 (虎ノ門病院 血液内科部長)
京都奈良EU協会のシリーズ京都講演会の紹介
http://hiroyukimitsuishi.web.fc2.com/syakai_01_01.html
参考資料
(1)『原発と闘う-岩佐原発被曝裁判の記録-』 「岩佐裁判の記録」編集委員会・編/八月書館1988年 を紹介しているブログ
http://blog.goo.ne.jp/ryuzou42/e/badda54cc4c6ac1dd741cddb5f92cbde
(2)関西労働者安全センター 「多発性骨髄腫で労災請求 -原子力発電所での被曝が原因 富岡労基署(福島県)」
http://www.geocities.jp/koshc2000/accident/OID.html
(3)日本テレNews
http://www.news24.jp/articles/2011/03/16/07178558.html
(4) 中日新聞 CHUNICH Web 「社会」 2011/06/23
http://www.chunichi.co.jp/s/article/2011062190003554.html
(5)毎日jp 毎日新聞 2011年6月21日 東京朝刊
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110621ddm041040085000c.html
(6)原発で働く人々の命と健康を守るために奮闘しているsavefukushima50のサイト
http://www.savefukushima50.org/
(7)noixさんがmixiで紹介しているサイト「福島原発事故における被ばく対策の問題・現況を憂う――西尾正道・北海道がんセンター院長(放射線治療科)(1)(7まで)」2011年6月27日 東洋経済
http://www.toyokeizai.net/business/society/detail/AC/548a752507bc6c3aa0fd3db058e8098a/page/1/
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東日本大震災関連ブログ文書集
1、ブログ文書集「原発事故が日本社会に問いかけている課題」目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_3562.html
2、ブログ文書集「東日本大震災の復旧・復興のために 震災に強い社会建設を目指して」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_23.html
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2011年6月23日 誤字修正
2011年6月28日 引用補足
2011年6月20日月曜日
ブログ文書集「原発事故が日本社会に問いかけている課題」目次
福島第一原発事故の国民的検証活動の形成を目指して
三石博行
はじめに
1、政府は、原発大災害に向けて緊急体制を採るべきである
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_28.html
2、福島第一原発事故が問いかけた課題とは何か
(未完成)
1、検証目的と方法について
1-1、東電原発事故 国は徹底した情報開示と対策を取るべきである
畑村洋太郎の失敗学の基礎知識に学ぶ
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_16.html
1-2、失敗学に基づく福島原発事故検証の考え方とやり方
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_11.html
1-3、失敗学に基づく福島原発事故検証のための国民運動を始めよう
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_10.html
2、原発の安全管理と原発事故の危機管理の課題
2-1、全電源喪失から緊急事態宣言までの遅れに関する検証課題
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_3856.html
2-2、3月11日緊急事態宣言・対策会議に関する検証課題
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/311.html
2-3、遅れたベントの理由とは何か
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_1777.html
3、危機管理としての情報公開の課題
3-1、「有効な原発事故対応と情報公開の検証課題(検証の視点と目的)」
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_16.html
3-2、ベント決定から避難指示までの東電と政府の情報公開・避難対策に関する検証課題
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_20.html
3-3、ベント開始と水素爆発に対する情報公開・避難対策に関する検証課題
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_3107.html
4、安全・危機管理のための専門家ネットワーク制度
4-1、首相の苛立ちと外部専門家の起用を巡る検証課題
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_1632.html
4-2、科学技術文明社会でのネットワーク型危機管理制度の専門委員会の形成
(未完成)
4-3、日常的な批判的検証作業の危機管理上の意味
(未完成)
5、危機管理体制を形成するための政治的改革の課題
5-1、原発問題は今後、我が国の政治の中心課題となるだろう
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_12.html
5-2、原発村とは何か。民官学の利権的癒着構造から民官学の国家的利益のための協同構造へ
(未完成)
5-3、国策としての原発推進の検証・エネルギー問題への中長期計画の変更と政治改革
(未完成)
まとめ
1、日本社会の病理構造・福島原発事故の意味する課題
(未完成)
2、 解決への糸口 国民的事故調査運動の形成
(未完成)
--------------------------------------------------------------------------------
三石博行のブログ文書集
1、「ブログからの東日本大震災救済活動」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_23.html
2、「大学改革への提案」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/04/blog-post_6795.html
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三石博行
はじめに
1、政府は、原発大災害に向けて緊急体制を採るべきである
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_28.html
2、福島第一原発事故が問いかけた課題とは何か
(未完成)
1、検証目的と方法について
1-1、東電原発事故 国は徹底した情報開示と対策を取るべきである
畑村洋太郎の失敗学の基礎知識に学ぶ
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_16.html
1-2、失敗学に基づく福島原発事故検証の考え方とやり方
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_11.html
1-3、失敗学に基づく福島原発事故検証のための国民運動を始めよう
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_10.html
2、原発の安全管理と原発事故の危機管理の課題
2-1、全電源喪失から緊急事態宣言までの遅れに関する検証課題
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_3856.html
2-2、3月11日緊急事態宣言・対策会議に関する検証課題
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/311.html
2-3、遅れたベントの理由とは何か
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_1777.html
3、危機管理としての情報公開の課題
3-1、「有効な原発事故対応と情報公開の検証課題(検証の視点と目的)」
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_16.html
3-2、ベント決定から避難指示までの東電と政府の情報公開・避難対策に関する検証課題
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_20.html
3-3、ベント開始と水素爆発に対する情報公開・避難対策に関する検証課題
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_3107.html
4、安全・危機管理のための専門家ネットワーク制度
4-1、首相の苛立ちと外部専門家の起用を巡る検証課題
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_1632.html
4-2、科学技術文明社会でのネットワーク型危機管理制度の専門委員会の形成
(未完成)
4-3、日常的な批判的検証作業の危機管理上の意味
(未完成)
5、危機管理体制を形成するための政治的改革の課題
5-1、原発問題は今後、我が国の政治の中心課題となるだろう
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_12.html
5-2、原発村とは何か。民官学の利権的癒着構造から民官学の国家的利益のための協同構造へ
(未完成)
5-3、国策としての原発推進の検証・エネルギー問題への中長期計画の変更と政治改革
(未完成)
まとめ
1、日本社会の病理構造・福島原発事故の意味する課題
(未完成)
2、 解決への糸口 国民的事故調査運動の形成
(未完成)
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1、「ブログからの東日本大震災救済活動」の目次
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ベント開始と水素爆発に対する情報公開・避難対策に関する検証課題
福島第一原発事故検証(9)
三石博行
ベントの開始前後の課題
ベントが始まったのは3月12日14時30分であったとNHKスペシャル「シリーズ原発危機 1回 事故は何故深刻化したのか」は説明している。(1)それから約一時間後、15時36分に原子炉1号機の建屋が水素爆発によって吹き飛んだ。
つまり、原発の事故レベルは勿論のこと放射能汚染に関しても、14時30分以後、つまりベントが行われた14時30分から15時36分の間と、水素爆発が起こった15時36分以後では全く異なる事態が生じているのである。
まず、14時30分までの課題を考える。つまり、14時30分にベントが行われ、そのことによって原子炉内の高濃度の放射能物質が大気へ放出されることになる。この場合には、東電は排気口から排出される放射性物質(放射能)の量を測定できる。そして、風向きなどによってそれらの放射性物質の流れてゆく方向、汚染される地域が予測できる。
3月12日4時12分、東電が大熊町役場にベントに関するファックスを送ったころ、東電はベントによる放射能の拡散を独自に予測していた。その予測によると、ベントして1時間後の原発1号機から0.28キロメートルで放射線量は14msv(ミリシーベルト)が予測され、3時間後から5時間後では4.29キロメートルの地点で28ミリシーベルトであった。つまり、東電はベントによって直ちに近辺に多量の放射能が拡散することを予測していたのである。
ベントが行われたとき風向きは北西方向であった。当然、東電は風力と風向から、計算機実験から予測された放射能の汚染の広がりのモデルを前提に、現実の放射能の大気への拡散をより正確に把握することが可能であった筈である。
また、政府は、ベントが開始される以前に、東電の行った放射能拡散のシュミレーションに関する資料や気象データ等々を把握していた筈である。そして、ベントが開始された場合の放射能汚染と当時1号機の近くに住んでいた住民への影響を予測できていた筈である。
政府は3月12日、5時45分、つまりベントを開始する約9時間前に第一原発から半径10キロメートル以内の住民に避難指示を出した。(2)
ベントの開始前後の近隣住民への情報公開に関する検証課題を述べる。
1、 東電が独自に行った放射の拡散の予測データを東電は政府に伝えたか。もし、伝えたとすれば、その予測を東電と政府はベントを行う前に近辺自治体に伝えたか。
2、 もし、伝えなかったとすれば、その理由は何か。東電と政府の異なる立場から説明すべきであろう。
3、 東電と政府はベント開始後の放射性物質(放射能)量の測定データを住民に公開し、避難のための適格な指示を出していなかった。つまり、風向きによって放射性物質の拡散方向や拡散状態が決定されるのであるが、その詳しい予測を住民に示さなかった。ベント開始にあたって政府は10キロ以内の住民に避難指示を出した。その避難指示は適格であったか。
ベントの開始から水素爆発までの経過
3月12日14時30分のベント開始から僅か1時間足らずの15時36分に一号機の建屋が水素爆発で破損した。この水素爆発によってベントとは比べようもない多量の放射性物質が一号機近辺や大気に吐き出された。つまり、水素爆発は放射能汚染という深刻な事態へと発展することになった。水素爆発によって再び東電は「予想外の緊急事態」に直面したのである。
NHK番組に登場する人々のその当時の対応や考え方を聴くとき、東電も政府も判断能力を全く失ってしまう状態になっていたのではないかと想像してしまうのである。官邸は明らかに意思決定能力を失った司令塔になっていたのではないだろうか。
3月12日15時36分に一号機の水素爆発が生じる。16時すぎに警察から官邸に福島第一原発で爆発があったと報告がされた。政府高官は東電本社に事態を確認、しかし東電本社はこの時点では一号機の水素爆発の事実を把握していなかった。政府の指摘を受けて、東電は事実確認作業を行い、官邸が自ら爆発があったと確認したのは事故後2時間が過ぎた3月12日の17時半過ぎであったと番組では説明されていた。
前記したように官邸は、この際緊急事態以前に、対策会議を構成するメンバーに例えば総務省自治行政局、国土交通省、厚生労働省、防衛省等々の政府各省の機能を担う官僚を入れておけば、ベントによる放射能物質の拡散とその対策、さらには被曝者への対応、避難経路の確保など住民に正しく情報を伝え、適切な避難経路を確保し被曝を最小限に食い止め、予測される被曝者への対応(例えば放射能物資の洗浄作業)等々の対応がスムースに出来たのではないだろうか。警察から水素爆発の報告を受けて、それを東電に確認するために2時間の時間を必要としたことは大きな失態であると言えるのである。
しかも、東電も政府も、ベントに関する正確な情報、つまり汚染濃度と汚染拡散予測地図情報を近隣自治体・住民へ公開していなかった。そのため、水素爆発が起こった時、ベントで放出される量とは比較にならない多量の放射性物質の放出に対して、近隣自治体・住民は対処するにも情報・知識も手段も持っていなかったのである。
水素爆発は東電にも政府にも予想外の事態であったのだろうか。もし、水素爆発が予想外であったとする対策会議のメンバーの判断があるなら、そのことが住民の被曝を防げなかった大きな要因であると言えるだろう。
政府は15時36分の1号機の水素爆発から2時間弱経って、17時45分に半径10キロメートル以内の住民への避難指示を出した。そして、20時32分に半径20キロメートル以内の住民への避難指示を追加した。
ベントの開始から水素爆発までの経過での検討課題は以下である。
1、 水素爆発を予測できなかった対策会議のあり方、組織、構成メンバーの能力を検証する必要がある。
2、 ベントに関する正確な情報を近隣自治体・住民へ公開しなかった理由、もしくはする必要があったが、出来なかったとすればその理由を明確にする必要がある。
3、 水素爆発によって拡散しつつあった高濃度の放射性物質に関する情報は当時、誰がどのように管理し、その情報の伝達に関する意思決定のどのような基準があったかを明確にすべきである。
水素爆発以後、避難住民への情報提供は適切であったか
NHKの番組によると、1号機の水素爆発を知り、また政府の避難指示を受けて、半径10キロ以内の住民の緊急避難が始まった。道路の混雑によって、また指示された逃げる方向によって、住民は多量の放射能被曝にあった。
特に、問題になったのは、放射性物質の拡散地図の情報が住民の避難を指示していた自治体職員、地元警察や消防等の人々に知らされていなかったために、放射能が風に流されて行く方向に逃げた住民も多くいた。
そればかりではない、当時、アメリカ軍やスピードで調べられていた一号機水素爆発直後の放射性物質の大気中への拡散地図の情報が地元自治体にまったく伝えられずに放置されていた。文部科学省はホットスポットと呼ばれる放射性物質の濃度が特に多い地域の調査をしていたにも拘わらす、その情報を公開していなかった。
そのため、住民達はわざわざホットスポットの近くの公民館に避難していた。それらの住民に避難所の近くの放射線量を示し危険性を訴えたのは国、東電や自治体の人々ではなかった。それは、ボランティアで放射能測定を行っていた元理化学研究所の岡野眞治博士、元独立行政法人労働安全衛生総合研究所の研究官の木村真三博士やその調査を支えた京都大学、広島大学、長崎大学の科学者達であった。(3)
福島第一原発一号機の水素爆発以後の検討課題は以下である。
1、 政府は放射性物質の拡散地図の情報を原発近隣の自治体、地元警察所や消防所に知らせていなかった。その理由は何か。そのため、放射能が風に流されて行く方向に逃げた住民も多くいたことを政府はどのように反省しているのか。
2、 事故から1ヶ月、2ヵ月も経過しても国が放射能の汚染地図に関する情報を公開していない。寧ろ隠蔽しているように思える。公開しない理由は何かを説明すべきである。もしくは、情報公開すべきである。もし、情報の隠蔽が明らかになるなら、それは明らかな国家による犯罪行為である。国による隠蔽という事実があるかどうかを、徹底的に調査し、誰が情報の隠蔽を指示したかを知るべきである。
3、 国は世界の多くの国々から放射能の汚染地図を国民や世界に知らせなかった。つまり情報隠しをしたと批判された。日本の世界的信頼を損なう行為である。対策会議での、放射能汚染地図に関する議論・決定のすべてを公開すべきである。もし、公開することは国民に不要な混乱を引き起こすと主張した政治家や官僚が居るなら、その名前を公にしなければならない。そして、同時に、国民はそれらの人々に対して損害賠償権を主張できることを明らかにすべきである。
事故処理を行う作業員、自衛隊員等への水素爆発の可能性と放射能被曝に関する情報提供は適切であったか
3月12日15時36分の1号機の水素爆発の後も他の原子炉発電機での水素爆発の危機は進行し続けていた。3月13日5時ごろ3号機は冷却機能を喪失し、正午ごろ3号機の圧力が上がり燃料棒の上部が冷却水から露出した。東電は、3号機に海水を注入した。15時28分に官房長官は3号機に水素爆発の可能性があると発表した。(2)
3月14日7時の官邸・政府の陸上自衛隊に支援要請を受けて中央特殊武器防衛隊が福島第一原発に派遣された。自衛隊が11時頃3号機から5メートルの所に車両を止めてドアを開けた瞬間(11時1分)に3号機が目の前で水素爆発を起こしたのであった。4名の自衛隊員が重軽傷を負ったとNHKの報道番組では説明されていた。また、3号機の事故処理のために派遣された中央特殊武器防衛隊の隊長は、作業の説明を受けるとき、3号機の水素爆発の危険性については説明がなかったと話していた。
最も危険な状態にあった3号機の近辺で活動を行う自衛隊に対して、政府や東電は3号機の水素爆発の可能性を伝えていなかった。このことは極めて重大なことであり、決して見逃してはならない。もし、当時の自衛隊員たちが1分早く、車両のドアを開けて3号機の5メートル近辺で作業を行なっていたら、死者が出ていても不思議ではない状態であった。今回の自衛隊派遣で死者が出なかったのはむしろ偶然であったと言える。
政府は当然、3号機の危機的状況で、そこの自衛隊を派遣する限り、水素爆発の可能性を防衛省に伝えるべきである。(伝えていたかもしれない。)また、東電も現場で3号機の近辺で作業する自衛隊に水素爆発の可能性を伝えなければならない筈である。
情報提示の悪さは至るところで問題となっているが、特に、原発事故処理を行う作業員に対しては徹底的に作業現場での放射線量の数値を報告しなければならない。連日、原発事故処理に従事する作業員(下請け業者で働く人々)の被曝が報道されている。福島第一原発構内は勿論のこと原子炉発電機内部の放射線量に関する情報を事故処理に当たる企業・作業員や自衛隊・自衛隊員に開示しなければならない。
3号機水素爆発での自衛隊員が負傷を負った事故に関する検証課題を以下に述べる。
1、 官邸・政府は防衛省に対して陸上自衛隊の派遣を要請している。その場合、防衛省は政府の対策会議の持っている事故現場のリアルタイムの情報を掌握していたのか。もし、それらの情報を得ていたとするなら、現場の派遣部隊への情報伝達はどのようになっていたのか。
2、 特に、危険性の高い作業を担う自衛隊や警察・消防隊員の現場での安全管理と危機管理は徹底的に検討されなければならない。その危機管理に関しては担当各省に任せるのではなく、災害対策本部を管理する官邸・対策会議も理解しておく必要がある。
参考資料
(1)NHKスペシャル「シリーズ原発危機 1回 事故は何故深刻化したのか」2011年6月5日
(2) 『メルトダウン 福島第1原発詳細ドキュメント』 サンデー毎日 緊急増刊3 2011年6月25日号 89p 写真資料
(3)ETV特集「ネットワーク放射能汚染地図」2011年5月15日
http://www.nhk.or.jp/etv21c/file/2011/0515.html
ETV特集 続報「ネットワーク放射能汚染地図」2011年6月5日
http://www.nhk.or.jp/etv21c/file/2011/0605_02.html
(4)三石博行「ベント決定から避難指示までの東電と政府の情報公開・避難対策に関する検証課題」 2011年6月20日
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_20.html
(5)三石博行 「失敗学に基づく福島原発事故検証のための国民運動を始めよう」2011年6月10日
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_10.html
(6) 三石博行 「失敗学に基づく福島原発事故検証の考え方とやり方」2011年6月11日
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_11.html
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東日本大震災関連ブログ文書集
1、ブログ文書集「原発事故が日本社会に問いかけている課題」目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_3562.html
2、ブログ文書集「東日本大震災に立ち向かおう」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_23.html
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2011年6月21日 誤字修正 文書追加
三石博行
ベントの開始前後の課題
ベントが始まったのは3月12日14時30分であったとNHKスペシャル「シリーズ原発危機 1回 事故は何故深刻化したのか」は説明している。(1)それから約一時間後、15時36分に原子炉1号機の建屋が水素爆発によって吹き飛んだ。
つまり、原発の事故レベルは勿論のこと放射能汚染に関しても、14時30分以後、つまりベントが行われた14時30分から15時36分の間と、水素爆発が起こった15時36分以後では全く異なる事態が生じているのである。
まず、14時30分までの課題を考える。つまり、14時30分にベントが行われ、そのことによって原子炉内の高濃度の放射能物質が大気へ放出されることになる。この場合には、東電は排気口から排出される放射性物質(放射能)の量を測定できる。そして、風向きなどによってそれらの放射性物質の流れてゆく方向、汚染される地域が予測できる。
3月12日4時12分、東電が大熊町役場にベントに関するファックスを送ったころ、東電はベントによる放射能の拡散を独自に予測していた。その予測によると、ベントして1時間後の原発1号機から0.28キロメートルで放射線量は14msv(ミリシーベルト)が予測され、3時間後から5時間後では4.29キロメートルの地点で28ミリシーベルトであった。つまり、東電はベントによって直ちに近辺に多量の放射能が拡散することを予測していたのである。
ベントが行われたとき風向きは北西方向であった。当然、東電は風力と風向から、計算機実験から予測された放射能の汚染の広がりのモデルを前提に、現実の放射能の大気への拡散をより正確に把握することが可能であった筈である。
また、政府は、ベントが開始される以前に、東電の行った放射能拡散のシュミレーションに関する資料や気象データ等々を把握していた筈である。そして、ベントが開始された場合の放射能汚染と当時1号機の近くに住んでいた住民への影響を予測できていた筈である。
政府は3月12日、5時45分、つまりベントを開始する約9時間前に第一原発から半径10キロメートル以内の住民に避難指示を出した。(2)
ベントの開始前後の近隣住民への情報公開に関する検証課題を述べる。
1、 東電が独自に行った放射の拡散の予測データを東電は政府に伝えたか。もし、伝えたとすれば、その予測を東電と政府はベントを行う前に近辺自治体に伝えたか。
2、 もし、伝えなかったとすれば、その理由は何か。東電と政府の異なる立場から説明すべきであろう。
3、 東電と政府はベント開始後の放射性物質(放射能)量の測定データを住民に公開し、避難のための適格な指示を出していなかった。つまり、風向きによって放射性物質の拡散方向や拡散状態が決定されるのであるが、その詳しい予測を住民に示さなかった。ベント開始にあたって政府は10キロ以内の住民に避難指示を出した。その避難指示は適格であったか。
ベントの開始から水素爆発までの経過
3月12日14時30分のベント開始から僅か1時間足らずの15時36分に一号機の建屋が水素爆発で破損した。この水素爆発によってベントとは比べようもない多量の放射性物質が一号機近辺や大気に吐き出された。つまり、水素爆発は放射能汚染という深刻な事態へと発展することになった。水素爆発によって再び東電は「予想外の緊急事態」に直面したのである。
NHK番組に登場する人々のその当時の対応や考え方を聴くとき、東電も政府も判断能力を全く失ってしまう状態になっていたのではないかと想像してしまうのである。官邸は明らかに意思決定能力を失った司令塔になっていたのではないだろうか。
3月12日15時36分に一号機の水素爆発が生じる。16時すぎに警察から官邸に福島第一原発で爆発があったと報告がされた。政府高官は東電本社に事態を確認、しかし東電本社はこの時点では一号機の水素爆発の事実を把握していなかった。政府の指摘を受けて、東電は事実確認作業を行い、官邸が自ら爆発があったと確認したのは事故後2時間が過ぎた3月12日の17時半過ぎであったと番組では説明されていた。
前記したように官邸は、この際緊急事態以前に、対策会議を構成するメンバーに例えば総務省自治行政局、国土交通省、厚生労働省、防衛省等々の政府各省の機能を担う官僚を入れておけば、ベントによる放射能物質の拡散とその対策、さらには被曝者への対応、避難経路の確保など住民に正しく情報を伝え、適切な避難経路を確保し被曝を最小限に食い止め、予測される被曝者への対応(例えば放射能物資の洗浄作業)等々の対応がスムースに出来たのではないだろうか。警察から水素爆発の報告を受けて、それを東電に確認するために2時間の時間を必要としたことは大きな失態であると言えるのである。
しかも、東電も政府も、ベントに関する正確な情報、つまり汚染濃度と汚染拡散予測地図情報を近隣自治体・住民へ公開していなかった。そのため、水素爆発が起こった時、ベントで放出される量とは比較にならない多量の放射性物質の放出に対して、近隣自治体・住民は対処するにも情報・知識も手段も持っていなかったのである。
水素爆発は東電にも政府にも予想外の事態であったのだろうか。もし、水素爆発が予想外であったとする対策会議のメンバーの判断があるなら、そのことが住民の被曝を防げなかった大きな要因であると言えるだろう。
政府は15時36分の1号機の水素爆発から2時間弱経って、17時45分に半径10キロメートル以内の住民への避難指示を出した。そして、20時32分に半径20キロメートル以内の住民への避難指示を追加した。
ベントの開始から水素爆発までの経過での検討課題は以下である。
1、 水素爆発を予測できなかった対策会議のあり方、組織、構成メンバーの能力を検証する必要がある。
2、 ベントに関する正確な情報を近隣自治体・住民へ公開しなかった理由、もしくはする必要があったが、出来なかったとすればその理由を明確にする必要がある。
3、 水素爆発によって拡散しつつあった高濃度の放射性物質に関する情報は当時、誰がどのように管理し、その情報の伝達に関する意思決定のどのような基準があったかを明確にすべきである。
水素爆発以後、避難住民への情報提供は適切であったか
NHKの番組によると、1号機の水素爆発を知り、また政府の避難指示を受けて、半径10キロ以内の住民の緊急避難が始まった。道路の混雑によって、また指示された逃げる方向によって、住民は多量の放射能被曝にあった。
特に、問題になったのは、放射性物質の拡散地図の情報が住民の避難を指示していた自治体職員、地元警察や消防等の人々に知らされていなかったために、放射能が風に流されて行く方向に逃げた住民も多くいた。
そればかりではない、当時、アメリカ軍やスピードで調べられていた一号機水素爆発直後の放射性物質の大気中への拡散地図の情報が地元自治体にまったく伝えられずに放置されていた。文部科学省はホットスポットと呼ばれる放射性物質の濃度が特に多い地域の調査をしていたにも拘わらす、その情報を公開していなかった。
そのため、住民達はわざわざホットスポットの近くの公民館に避難していた。それらの住民に避難所の近くの放射線量を示し危険性を訴えたのは国、東電や自治体の人々ではなかった。それは、ボランティアで放射能測定を行っていた元理化学研究所の岡野眞治博士、元独立行政法人労働安全衛生総合研究所の研究官の木村真三博士やその調査を支えた京都大学、広島大学、長崎大学の科学者達であった。(3)
福島第一原発一号機の水素爆発以後の検討課題は以下である。
1、 政府は放射性物質の拡散地図の情報を原発近隣の自治体、地元警察所や消防所に知らせていなかった。その理由は何か。そのため、放射能が風に流されて行く方向に逃げた住民も多くいたことを政府はどのように反省しているのか。
2、 事故から1ヶ月、2ヵ月も経過しても国が放射能の汚染地図に関する情報を公開していない。寧ろ隠蔽しているように思える。公開しない理由は何かを説明すべきである。もしくは、情報公開すべきである。もし、情報の隠蔽が明らかになるなら、それは明らかな国家による犯罪行為である。国による隠蔽という事実があるかどうかを、徹底的に調査し、誰が情報の隠蔽を指示したかを知るべきである。
3、 国は世界の多くの国々から放射能の汚染地図を国民や世界に知らせなかった。つまり情報隠しをしたと批判された。日本の世界的信頼を損なう行為である。対策会議での、放射能汚染地図に関する議論・決定のすべてを公開すべきである。もし、公開することは国民に不要な混乱を引き起こすと主張した政治家や官僚が居るなら、その名前を公にしなければならない。そして、同時に、国民はそれらの人々に対して損害賠償権を主張できることを明らかにすべきである。
事故処理を行う作業員、自衛隊員等への水素爆発の可能性と放射能被曝に関する情報提供は適切であったか
3月12日15時36分の1号機の水素爆発の後も他の原子炉発電機での水素爆発の危機は進行し続けていた。3月13日5時ごろ3号機は冷却機能を喪失し、正午ごろ3号機の圧力が上がり燃料棒の上部が冷却水から露出した。東電は、3号機に海水を注入した。15時28分に官房長官は3号機に水素爆発の可能性があると発表した。(2)
3月14日7時の官邸・政府の陸上自衛隊に支援要請を受けて中央特殊武器防衛隊が福島第一原発に派遣された。自衛隊が11時頃3号機から5メートルの所に車両を止めてドアを開けた瞬間(11時1分)に3号機が目の前で水素爆発を起こしたのであった。4名の自衛隊員が重軽傷を負ったとNHKの報道番組では説明されていた。また、3号機の事故処理のために派遣された中央特殊武器防衛隊の隊長は、作業の説明を受けるとき、3号機の水素爆発の危険性については説明がなかったと話していた。
最も危険な状態にあった3号機の近辺で活動を行う自衛隊に対して、政府や東電は3号機の水素爆発の可能性を伝えていなかった。このことは極めて重大なことであり、決して見逃してはならない。もし、当時の自衛隊員たちが1分早く、車両のドアを開けて3号機の5メートル近辺で作業を行なっていたら、死者が出ていても不思議ではない状態であった。今回の自衛隊派遣で死者が出なかったのはむしろ偶然であったと言える。
政府は当然、3号機の危機的状況で、そこの自衛隊を派遣する限り、水素爆発の可能性を防衛省に伝えるべきである。(伝えていたかもしれない。)また、東電も現場で3号機の近辺で作業する自衛隊に水素爆発の可能性を伝えなければならない筈である。
情報提示の悪さは至るところで問題となっているが、特に、原発事故処理を行う作業員に対しては徹底的に作業現場での放射線量の数値を報告しなければならない。連日、原発事故処理に従事する作業員(下請け業者で働く人々)の被曝が報道されている。福島第一原発構内は勿論のこと原子炉発電機内部の放射線量に関する情報を事故処理に当たる企業・作業員や自衛隊・自衛隊員に開示しなければならない。
3号機水素爆発での自衛隊員が負傷を負った事故に関する検証課題を以下に述べる。
1、 官邸・政府は防衛省に対して陸上自衛隊の派遣を要請している。その場合、防衛省は政府の対策会議の持っている事故現場のリアルタイムの情報を掌握していたのか。もし、それらの情報を得ていたとするなら、現場の派遣部隊への情報伝達はどのようになっていたのか。
2、 特に、危険性の高い作業を担う自衛隊や警察・消防隊員の現場での安全管理と危機管理は徹底的に検討されなければならない。その危機管理に関しては担当各省に任せるのではなく、災害対策本部を管理する官邸・対策会議も理解しておく必要がある。
参考資料
(1)NHKスペシャル「シリーズ原発危機 1回 事故は何故深刻化したのか」2011年6月5日
(2) 『メルトダウン 福島第1原発詳細ドキュメント』 サンデー毎日 緊急増刊3 2011年6月25日号 89p 写真資料
(3)ETV特集「ネットワーク放射能汚染地図」2011年5月15日
http://www.nhk.or.jp/etv21c/file/2011/0515.html
ETV特集 続報「ネットワーク放射能汚染地図」2011年6月5日
http://www.nhk.or.jp/etv21c/file/2011/0605_02.html
(4)三石博行「ベント決定から避難指示までの東電と政府の情報公開・避難対策に関する検証課題」 2011年6月20日
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_20.html
(5)三石博行 「失敗学に基づく福島原発事故検証のための国民運動を始めよう」2011年6月10日
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_10.html
(6) 三石博行 「失敗学に基づく福島原発事故検証の考え方とやり方」2011年6月11日
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_11.html
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東日本大震災関連ブログ文書集
1、ブログ文書集「原発事故が日本社会に問いかけている課題」目次
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2、ブログ文書集「東日本大震災に立ち向かおう」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_23.html
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2011年6月21日 誤字修正 文書追加
ベント決定から避難指示までの東電と政府の情報公開・避難対策に関する検証課題
福島第一原発事故検証(8)
三石博行
ベントの決定から避難指示までの経過
NHKスペシャル「シリーズ原発危機 1回 事故は何故深刻化したのか」での説明よると、東電は3月11日21時半ぐらいに、電気系統の故障により原子炉の冷却装置は動かないことが分かった。原子炉内の温度をさげるために外から冷却水を送り込むことが検討された。そのため支障となっていたのが原子炉内の高圧状態であった。原子炉内部の温度が上昇し冷却水の蒸気によって炉内の圧力が上がるのである。
しかも、冷却水は蒸気となって失われ炉心が冷却水から露出する。それがさらに燃料棒の温度を上げることになる。つまり、原子炉にとって冷却水を失うことは、すでに重大な事故なのである。そして、さらに、それは致命的な事故・炉心溶解(メルトダウン)への入り口である。
東電は3月12日午前0時過ぎに、炉内の高圧ガス(水蒸気や放射能物質)を外に排出すること(ベント)を決断し、1時30分に政府はベントを指示した。しかし、ベントは開始されない。東電のベントに遅れに焦った政府が法律に従って東電にベントを命令したのは3月12日午前5時50時であった。(1)その5分前の5時45分に政府は福島第一原発の半径10キロメートル以内の住民に避難指示をしたとサンデー毎日は書いている。(2)(3)つまり、ベントを開始する約9時間前に第一原発から半径10キロメートル以内の住民に避難指示を出したことになる。
当然、ベントによって放射性物質を含む蒸気が外部に放出される。それによって多量の放射能が大気中に撒き散らされることは避けられない。東電は、4時12分に大熊町役場にファックスでベントを行うことを伝えた。つまり、東電のベント決定(午前0時)から約4時間後、政府のベント指示(午前1時30分)から約3時間後である。
ベントの決定に伴う東電の対応に関する検証課題
1、 東電と政府のベント情報を原発近辺自治体へ伝達した時間は遅いのではないか。つまり、ベントを決定した午前0時から、何らかの形でベントの可能性に関する情報をいち早く近辺の自治体に報告すべきではなかったのか。
2、 ファックスで東電はベント情報を近辺の自治体へ伝えたとされている。東電は大熊町がファクスを受信したことを確認したのだろうか。つまり、常識で考えても夜中の時間帯である。そのため役場には職員がいない可能性もある。ベント情報が敏速にしかも的確に住民へ伝わる必要がある。ベントとは何かを自治体の職員がその意味を正確に理解していない場合もあるだろう。そのために、東電はベントに関する情報を近隣の自治体にどのように伝えたか、検証しなければならない。
ベントの決定に伴う政府の対応に関する検証課題
1、 政府は1時30分に東電に対してベントを指示した。その指示を出した時、当然、近隣の住民への避難対策を検討している筈である。東電に指示を出した1時30分に対策会議及び官邸はどのような近隣自治体の住民への情報伝達手段を検討していたのか。
2、 政府は、『メルトダウン 福島第1原発詳細ドキュメント』 サンデー毎日 緊急増刊3によると5時45分に第一原発の半径10キロ以内の住民への避難指示を出したとされている。(2)しかし、ベントを指示したのは1時30分である。つまり、その政府の指示から避難指示までは4時15分間が経過している。それまでに、政府は原発近隣自治体への連絡や、イベントに関する情報提供をしなかったのだろうか。
3、 政府が行ってきたこと、つまり、ベントを行に当たっての近隣自治体への連絡、近隣自治体と共同しての住民への情報の提供等々、ベントで生じる住民への放射能の被害を最小限に食い止めるための組織的対応に対する検証が必要である。つまり、対策会議や官邸では、少なくとも、ベント決定の段階で、総務省自治行政局、国土交通省、厚生労働省、防衛省等々のベントによる放射能物質の拡散とその対策、さらには被曝者への対応、避難経路の確保など住民に正しく情報を伝え、適切な避難経路を確保し被曝を最小限に食い止め、予測される被曝者への対応(例えば放射能物資の洗浄作業)等々の対応が必要であったと思われる。1時30分以後の政府の組織的対応を検証する必要がある。
参考資料
(1)NHKスペシャル「シリーズ原発危機 1回 事故は何故深刻化したのか」2011年6月5日
(2)『東日本大震災2 被災地に生きる 復興に向けて』サンデー毎日緊急増刊 2011年4月23日 79p
(3)『メルトダウン 福島第1原発詳細ドキュメント』 サンデー毎日 緊急増刊3 2011年6月25日号 89p 写真資料
(4)三石博行 「有効な原発事故対応と情報公開の検証課題(検証の視点と目的)」
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_16.html
(5) 三石博行 「失敗学に基づく福島原発事故検証のための国民運動を始めよう」2011年6月10日
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_10.html
(6) 三石博行 「失敗学に基づく福島原発事故検証の考え方とやり方」2011年6月11日
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_11.html
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東日本大震災関連ブログ文書集
1、ブログ文書集「原発事故が日本社会に問いかけている課題」目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_3562.html
2、ブログ文書集「東日本大震災に立ち向かおう」の目次
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2011年6月20日 誤字修正
三石博行
ベントの決定から避難指示までの経過
NHKスペシャル「シリーズ原発危機 1回 事故は何故深刻化したのか」での説明よると、東電は3月11日21時半ぐらいに、電気系統の故障により原子炉の冷却装置は動かないことが分かった。原子炉内の温度をさげるために外から冷却水を送り込むことが検討された。そのため支障となっていたのが原子炉内の高圧状態であった。原子炉内部の温度が上昇し冷却水の蒸気によって炉内の圧力が上がるのである。
しかも、冷却水は蒸気となって失われ炉心が冷却水から露出する。それがさらに燃料棒の温度を上げることになる。つまり、原子炉にとって冷却水を失うことは、すでに重大な事故なのである。そして、さらに、それは致命的な事故・炉心溶解(メルトダウン)への入り口である。
東電は3月12日午前0時過ぎに、炉内の高圧ガス(水蒸気や放射能物質)を外に排出すること(ベント)を決断し、1時30分に政府はベントを指示した。しかし、ベントは開始されない。東電のベントに遅れに焦った政府が法律に従って東電にベントを命令したのは3月12日午前5時50時であった。(1)その5分前の5時45分に政府は福島第一原発の半径10キロメートル以内の住民に避難指示をしたとサンデー毎日は書いている。(2)(3)つまり、ベントを開始する約9時間前に第一原発から半径10キロメートル以内の住民に避難指示を出したことになる。
当然、ベントによって放射性物質を含む蒸気が外部に放出される。それによって多量の放射能が大気中に撒き散らされることは避けられない。東電は、4時12分に大熊町役場にファックスでベントを行うことを伝えた。つまり、東電のベント決定(午前0時)から約4時間後、政府のベント指示(午前1時30分)から約3時間後である。
ベントの決定に伴う東電の対応に関する検証課題
1、 東電と政府のベント情報を原発近辺自治体へ伝達した時間は遅いのではないか。つまり、ベントを決定した午前0時から、何らかの形でベントの可能性に関する情報をいち早く近辺の自治体に報告すべきではなかったのか。
2、 ファックスで東電はベント情報を近辺の自治体へ伝えたとされている。東電は大熊町がファクスを受信したことを確認したのだろうか。つまり、常識で考えても夜中の時間帯である。そのため役場には職員がいない可能性もある。ベント情報が敏速にしかも的確に住民へ伝わる必要がある。ベントとは何かを自治体の職員がその意味を正確に理解していない場合もあるだろう。そのために、東電はベントに関する情報を近隣の自治体にどのように伝えたか、検証しなければならない。
ベントの決定に伴う政府の対応に関する検証課題
1、 政府は1時30分に東電に対してベントを指示した。その指示を出した時、当然、近隣の住民への避難対策を検討している筈である。東電に指示を出した1時30分に対策会議及び官邸はどのような近隣自治体の住民への情報伝達手段を検討していたのか。
2、 政府は、『メルトダウン 福島第1原発詳細ドキュメント』 サンデー毎日 緊急増刊3によると5時45分に第一原発の半径10キロ以内の住民への避難指示を出したとされている。(2)しかし、ベントを指示したのは1時30分である。つまり、その政府の指示から避難指示までは4時15分間が経過している。それまでに、政府は原発近隣自治体への連絡や、イベントに関する情報提供をしなかったのだろうか。
3、 政府が行ってきたこと、つまり、ベントを行に当たっての近隣自治体への連絡、近隣自治体と共同しての住民への情報の提供等々、ベントで生じる住民への放射能の被害を最小限に食い止めるための組織的対応に対する検証が必要である。つまり、対策会議や官邸では、少なくとも、ベント決定の段階で、総務省自治行政局、国土交通省、厚生労働省、防衛省等々のベントによる放射能物質の拡散とその対策、さらには被曝者への対応、避難経路の確保など住民に正しく情報を伝え、適切な避難経路を確保し被曝を最小限に食い止め、予測される被曝者への対応(例えば放射能物資の洗浄作業)等々の対応が必要であったと思われる。1時30分以後の政府の組織的対応を検証する必要がある。
参考資料
(1)NHKスペシャル「シリーズ原発危機 1回 事故は何故深刻化したのか」2011年6月5日
(2)『東日本大震災2 被災地に生きる 復興に向けて』サンデー毎日緊急増刊 2011年4月23日 79p
(3)『メルトダウン 福島第1原発詳細ドキュメント』 サンデー毎日 緊急増刊3 2011年6月25日号 89p 写真資料
(4)三石博行 「有効な原発事故対応と情報公開の検証課題(検証の視点と目的)」
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_16.html
(5) 三石博行 「失敗学に基づく福島原発事故検証のための国民運動を始めよう」2011年6月10日
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_10.html
(6) 三石博行 「失敗学に基づく福島原発事故検証の考え方とやり方」2011年6月11日
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_11.html
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2011年6月20日 誤字修正
2011年6月16日木曜日
有効な原発事故対応と情報公開の検証課題(検証の視点と目的)
福島第一原発事故検証(7)
三石博行
情報公開の目的
2011年6月5日に報道されたNHKの「シリーズ原発危機 1回 事故は何故深刻化したのか」の番組やその他の多くの週刊誌社等の出版物を参考しながら、政府や東電の福島第一原発事故の情報公開に関する検討課題を述べる。
今回問題になった情報公開の課題は大きく分けて四つある。一つは福島第一原発の事故状況、二つ目は事故処理を行う作業員の被曝状況、三つ目は放射能物質の周辺地域への拡散状況、そして四つ目は周辺地域の放射能汚染状況である。
言うまでもないが、事故処理中の情報公開と事故処理後の情報公開の意味を峻別し、その目的合理性にあった情報公開の仕方を選ばなければならない。つまり、二つの状況での情報公開の意味を混乱してはならない。ここでは、情報公開を求められた当時の状況とそれに対する政府の事故処理作業の合理性に照らし合わせて、事故処理中の政府の情報公開に関する検証や点検を行う。
事故処理後に事故対応を点検するために求められる情報公開では、すべての情報の開示がなければ検証作業は不可能であるために、あらゆる情報を公開しなければならない。しかし、事故処理中は処理作業の目的が優先されるため、事故処理をより効果的に進めるための目的を満たす情報公開が行われていたかを検証しなければならない。
福島第一原発事故の情報公開をめぐる検証作業は、その情報公開を行う危機管理上の目的に照らし合わせて、問題を立てなければならない。つまり、情報公開に現れた当時の政府や東電の危機管理処理が結果的には問題とされることになるのである。これが、今回の情報公開をめぐる検証作業の目的である。
事故処理作業中の情報公開の意味
当然のことだが、事故処理中の情報公開は、一般的に、課題の現実的解決や処理作業効率向上のための合理的判断とその意思決定のスピードを向上させるための第一目的に照らし合わせて決定される。つまり情報公開は合理的事故処理をすすめるための作業の一部である。
例えば、原発事故処理を担当する部隊の主な作業目的は原発事故処理であり、事故の拡大を防ぐことである。そのために、事故に関連する情報を収集し、それを司令塔に集中させる。それらの情報を基にして、司令塔・官邸の対策会議は状況に応じた意思決定を行う。
事故処理にあたる司令塔の事故課題の専門的検討部会と総合的判断機能によって、詳細な専門的情報処理と総合的情報処理が同時に進行し、それらの情報の相互関連とそれぞれの情報の独自性を判断しつづけながら、危機管理上の必要性に照らし合わせて敏速に、それらの情報の公開の順番や方法を決定することになる。
つまり、情報公開作業も事故処理作業の一環として行われる。従って、情報を公開することで危機管理上の問題が生じるなら、情報は公開してはならない。つまり、情報公開は目的でなく、危機管理を貫徹し事故処理をより合理的に進めるための手段である。
情報公開をめぐる議論は、危機管理下での情報公開の内容はそれぞれの状況下で下される危機管理上の判断内容に触れることになる。例えば、官邸の把握しているすべての情報を社会に公開することによって、不必要な国民の不安を駆り立てる場合には、その行為は危機管理上好ましくないのである。従って、官邸はその状況に応じた情報提供を判断しなければならない。また逆に、情報公開によって社会に生み出される混乱を恐れるあまり、情報提供が遅れ、結果的に国民に大きな被害を与える場合も生じる。
政府の情報公開に関する検証作業を行うためには、今の視点から(事故から3ヶ月を経過した時点からの批判的視点から)当時の政府の対応を批判するのでなく、当時の状況下での政府の判断に基づく情報公開の遅れや問題点を指摘する必要がある。
この情報公開に関する点検作業では、単純に政府が情報を隠蔽していたとする理由付で、つまり政府批判で情報公開の検証を片付けてはならない。この検証作業こそ、危機管理の検証作業の一部なのであり、これから取り組む検証過程では、情報公開の遅れという結果よりも、情報公開の遅れを生み出した過程の正確な理解に立ち、情報公開の遅れのからくりや要因を分析する必要がある。
初動対応時の情報提供の検証課題
現在(事故から3ヶ月が経過して)政府の情報公開に関して検証を必要とされている5つの課題を簡単に述べる。
1、3月12日午前0時に東電は一号機のベントを決意した。その後、政府と東電はベントによる放射能物質の大気への拡散と汚染の広がり、その結果としての住民の放射能被曝予測を行う。それらの情報を被曝対象となる住民へどのように伝えたか、また原発近辺の市町村の住民へ伝えたか、刻々と政府が決定していった避難指示地域拡大等の情報はどのように伝達されたかという課題を点検しなければならない。
2、一号機ベント実施から一号機水素爆発が起こった段階で、政府は最緊急事態である水素爆発の情報を即刻、原発近辺の市町村の住民へ伝えることが出来たか。そして避難する住民へ放射能物資射の拡散状況に関する情報を正確に伝えることが出来たか。もし、それらの情報伝達が出来なかったとすれがその理由は何か。
3、3月11日15時42分津波を受け、一号機の全電源喪失の事態から、3月12日15時36分までの事故処理活動の経過過程の段階で、政府は国外のIAEAや同盟国アメリカに対して、どのような情報をどのように伝えたのか。
4、全電源喪失から1号機、2号機、3号機と4号機で起こった水素爆発までの過程で、福島第一原子炉事故に関して、国民に対してどの段階でどのような情報をどのように伝達したか。
5、原発事故処理を行う作業員、自衛隊、消防団員、警察官に対して、原発内外の放射能線量や放射能物質量に関する情報を提示していたか。特に、水素爆発の可能性に関する情報が原子力発電所内の人々に伝わっていたか。もし、正確にもっとも危険な情報が伝わらなかったとすれば、その理由はなにか。
以上5つの検証課題を述べた。
民主党政権、3.11東日本大震災と原発事故というこれまでにどの国も経験したことのない大災害に対応しなければならなかった。そして、全電源喪失に始まる原発事故は予断を許さない深刻な事態を引き起こす確率が極めて高い状態で進行していった。その初動段階での小さな失敗も許されない事故処理作業の最中、刻々と進行する事故への対応がいかに困難であったかは想像できる。今後、この事故処理に関する検証作業の一つとして、政府の情報公開のあり方が検証されるだろう。
当時の政府の情報提供の判断を困難な事故処理のひとつの姿として検証することで、この検証作業が今後の大災害時の危機管理を考え検討することに貢献するに違いない。そうであって欲しいと思う。そのため、この課題の検討も失敗学の基本的姿勢に即して行うことを提案する。(6)(7)
参考資料
(1)NHKスペシャル「シリーズ原発危機 1回 事故は何故深刻化したのか」2011年6月5日
(2)『東日本大震災2 被災地に生きる 復興に向けて』サンデー毎日緊急増刊 2011年4月23日 79p
(3)『メルトダウン 福島第1原発詳細ドキュメント』 サンデー毎日 緊急増刊3 2011年6月25日号 89p 写真資料
(4)『闘う日本 東日本大震災1ヵ月の全記録』 産経新聞社出版 2011年4月29日 112p
(5)『東京電力の大罪』 週刊文春 臨時増刊 2011年7月27日号 162p
(6) 三石博行 「失敗学に基づく福島原発事故検証のための国民運動を始めよう」2011年6月10日
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_10.html
(7) 三石博行 「失敗学に基づく福島原発事故検証の考え方とやり方」2011年6月11日
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_11.html
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東日本大震災関連ブログ文書集
1、ブログ文書集「原発事故が日本社会に問いかけている課題」目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_3562.html
2、ブログ文書集「東日本大震災に立ち向かおう」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_23.html
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2011年6月20日 誤字修正
三石博行
情報公開の目的
2011年6月5日に報道されたNHKの「シリーズ原発危機 1回 事故は何故深刻化したのか」の番組やその他の多くの週刊誌社等の出版物を参考しながら、政府や東電の福島第一原発事故の情報公開に関する検討課題を述べる。
今回問題になった情報公開の課題は大きく分けて四つある。一つは福島第一原発の事故状況、二つ目は事故処理を行う作業員の被曝状況、三つ目は放射能物質の周辺地域への拡散状況、そして四つ目は周辺地域の放射能汚染状況である。
言うまでもないが、事故処理中の情報公開と事故処理後の情報公開の意味を峻別し、その目的合理性にあった情報公開の仕方を選ばなければならない。つまり、二つの状況での情報公開の意味を混乱してはならない。ここでは、情報公開を求められた当時の状況とそれに対する政府の事故処理作業の合理性に照らし合わせて、事故処理中の政府の情報公開に関する検証や点検を行う。
事故処理後に事故対応を点検するために求められる情報公開では、すべての情報の開示がなければ検証作業は不可能であるために、あらゆる情報を公開しなければならない。しかし、事故処理中は処理作業の目的が優先されるため、事故処理をより効果的に進めるための目的を満たす情報公開が行われていたかを検証しなければならない。
福島第一原発事故の情報公開をめぐる検証作業は、その情報公開を行う危機管理上の目的に照らし合わせて、問題を立てなければならない。つまり、情報公開に現れた当時の政府や東電の危機管理処理が結果的には問題とされることになるのである。これが、今回の情報公開をめぐる検証作業の目的である。
事故処理作業中の情報公開の意味
当然のことだが、事故処理中の情報公開は、一般的に、課題の現実的解決や処理作業効率向上のための合理的判断とその意思決定のスピードを向上させるための第一目的に照らし合わせて決定される。つまり情報公開は合理的事故処理をすすめるための作業の一部である。
例えば、原発事故処理を担当する部隊の主な作業目的は原発事故処理であり、事故の拡大を防ぐことである。そのために、事故に関連する情報を収集し、それを司令塔に集中させる。それらの情報を基にして、司令塔・官邸の対策会議は状況に応じた意思決定を行う。
事故処理にあたる司令塔の事故課題の専門的検討部会と総合的判断機能によって、詳細な専門的情報処理と総合的情報処理が同時に進行し、それらの情報の相互関連とそれぞれの情報の独自性を判断しつづけながら、危機管理上の必要性に照らし合わせて敏速に、それらの情報の公開の順番や方法を決定することになる。
つまり、情報公開作業も事故処理作業の一環として行われる。従って、情報を公開することで危機管理上の問題が生じるなら、情報は公開してはならない。つまり、情報公開は目的でなく、危機管理を貫徹し事故処理をより合理的に進めるための手段である。
情報公開をめぐる議論は、危機管理下での情報公開の内容はそれぞれの状況下で下される危機管理上の判断内容に触れることになる。例えば、官邸の把握しているすべての情報を社会に公開することによって、不必要な国民の不安を駆り立てる場合には、その行為は危機管理上好ましくないのである。従って、官邸はその状況に応じた情報提供を判断しなければならない。また逆に、情報公開によって社会に生み出される混乱を恐れるあまり、情報提供が遅れ、結果的に国民に大きな被害を与える場合も生じる。
政府の情報公開に関する検証作業を行うためには、今の視点から(事故から3ヶ月を経過した時点からの批判的視点から)当時の政府の対応を批判するのでなく、当時の状況下での政府の判断に基づく情報公開の遅れや問題点を指摘する必要がある。
この情報公開に関する点検作業では、単純に政府が情報を隠蔽していたとする理由付で、つまり政府批判で情報公開の検証を片付けてはならない。この検証作業こそ、危機管理の検証作業の一部なのであり、これから取り組む検証過程では、情報公開の遅れという結果よりも、情報公開の遅れを生み出した過程の正確な理解に立ち、情報公開の遅れのからくりや要因を分析する必要がある。
初動対応時の情報提供の検証課題
現在(事故から3ヶ月が経過して)政府の情報公開に関して検証を必要とされている5つの課題を簡単に述べる。
1、3月12日午前0時に東電は一号機のベントを決意した。その後、政府と東電はベントによる放射能物質の大気への拡散と汚染の広がり、その結果としての住民の放射能被曝予測を行う。それらの情報を被曝対象となる住民へどのように伝えたか、また原発近辺の市町村の住民へ伝えたか、刻々と政府が決定していった避難指示地域拡大等の情報はどのように伝達されたかという課題を点検しなければならない。
2、一号機ベント実施から一号機水素爆発が起こった段階で、政府は最緊急事態である水素爆発の情報を即刻、原発近辺の市町村の住民へ伝えることが出来たか。そして避難する住民へ放射能物資射の拡散状況に関する情報を正確に伝えることが出来たか。もし、それらの情報伝達が出来なかったとすれがその理由は何か。
3、3月11日15時42分津波を受け、一号機の全電源喪失の事態から、3月12日15時36分までの事故処理活動の経過過程の段階で、政府は国外のIAEAや同盟国アメリカに対して、どのような情報をどのように伝えたのか。
4、全電源喪失から1号機、2号機、3号機と4号機で起こった水素爆発までの過程で、福島第一原子炉事故に関して、国民に対してどの段階でどのような情報をどのように伝達したか。
5、原発事故処理を行う作業員、自衛隊、消防団員、警察官に対して、原発内外の放射能線量や放射能物質量に関する情報を提示していたか。特に、水素爆発の可能性に関する情報が原子力発電所内の人々に伝わっていたか。もし、正確にもっとも危険な情報が伝わらなかったとすれば、その理由はなにか。
以上5つの検証課題を述べた。
民主党政権、3.11東日本大震災と原発事故というこれまでにどの国も経験したことのない大災害に対応しなければならなかった。そして、全電源喪失に始まる原発事故は予断を許さない深刻な事態を引き起こす確率が極めて高い状態で進行していった。その初動段階での小さな失敗も許されない事故処理作業の最中、刻々と進行する事故への対応がいかに困難であったかは想像できる。今後、この事故処理に関する検証作業の一つとして、政府の情報公開のあり方が検証されるだろう。
当時の政府の情報提供の判断を困難な事故処理のひとつの姿として検証することで、この検証作業が今後の大災害時の危機管理を考え検討することに貢献するに違いない。そうであって欲しいと思う。そのため、この課題の検討も失敗学の基本的姿勢に即して行うことを提案する。(6)(7)
参考資料
(1)NHKスペシャル「シリーズ原発危機 1回 事故は何故深刻化したのか」2011年6月5日
(2)『東日本大震災2 被災地に生きる 復興に向けて』サンデー毎日緊急増刊 2011年4月23日 79p
(3)『メルトダウン 福島第1原発詳細ドキュメント』 サンデー毎日 緊急増刊3 2011年6月25日号 89p 写真資料
(4)『闘う日本 東日本大震災1ヵ月の全記録』 産経新聞社出版 2011年4月29日 112p
(5)『東京電力の大罪』 週刊文春 臨時増刊 2011年7月27日号 162p
(6) 三石博行 「失敗学に基づく福島原発事故検証のための国民運動を始めよう」2011年6月10日
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_10.html
(7) 三石博行 「失敗学に基づく福島原発事故検証の考え方とやり方」2011年6月11日
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東日本大震災関連ブログ文書集
1、ブログ文書集「原発事故が日本社会に問いかけている課題」目次
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2、ブログ文書集「東日本大震災に立ち向かおう」の目次
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2011年6月20日 誤字修正
2011年6月14日火曜日
国民による議員の選挙公約に関する検証機能の提案
国民主権による政治改革を目指して(2)
三石博行
立法機関検証制度設立の目的
東日本大震災に対して国が総力を挙げ一刻も早い罹災者救済、被災地復旧、原発事故処理を進めなければならない国家の危機の中で、多くの国会議員が政局論争に明け暮れ、国会に内閣不信任案を提出し、管総理の退陣時期について議論を繰り返してきた。
この国民不在の政治、権力争いのドタバタ劇に対して、国民は怒りを超えて議員たちへの絶望感や政治に期待することの空しさ、国の未来に関する諦めに近い感情を持ってしまった。正しく、この政局をめぐる国会での議論(空論)は政治的犯罪行為と呼ぶしかなかった。
だがそれに奔走する国会議員たちには、それなりの理由や弁明が用意されているのである。その彼らのもっともらしい理由や言い訳を前にして国民は、国会議員が議会で今やるべき、つまり罹災者の救済に組むべきことを訴える雄弁さを持たない。巧みな説明の前に言葉を失い、失望する国民の姿が見える。この失望こそが日本の政治にとって最も危惧すべきことであることを、政局ゴッコをしている議員たちには理解できない。この国の議員たちは狂っているのだろうか。いま被災地で国民が苦しんでいることを感じる感性を失って国会で仕事が出来るのだろうかと疑いたくなるのである。
しかも、困ったことにあるマスコミなどは報道の主要課題を政局論争に移し、いつ総理が辞めるのかを朝から晩まで報道し議論している。何が今この国で重要な社会的課題なのか。国民は何を求めているのか真剣に考え、その課題を国民と共有すべきではないだろうか。それば報道機関の持つ社会的公共性であり、民放と云えどもその機能をもつことは言うまでもない。
この政治不信と総称される絶望感と無力感の蔓延を私は最も恐れる。大災害で国が焦土となろうとも、国の危機に対して立ち向かう国民の気持ちがあれば、復旧活動が起こり、将来に向かう人々の生活が復活するのである。しかし、その前向きの気持ちが萎えたとき、本当の危機が来るのだと思う。それは、この国は駄目だと自らが決め込むデカダンスの危機である。
しかし生活がある以上、この国に住む我々は諦める訳には行かない。政治への失望や国民的うつ病状態が起ころうと、市民の大半が政治に関心を失ったとしても、災害で受けた目の前の苦しい現実を避けるわけにはいかない。生活がある以上、政治的デカダンスに迷う込み、生活環境の復旧や復興を断念するわけにはいかない。明日に生きる子供たちがいる以上、子育てや教育の出来る生活基盤を再建しなければならない。
国民に政治不信を与えることは国民の未来を奪い取る恐るべき行為である。そのことを政局ゴッコに奮闘している議員たちは理解すべきである。そして、その究極の方向は、民主主義社会の自滅へのスパイラル行程への移行への入口になる。苦しむ国民を無視する政治が用意するのはファシズムへの道なのである。
国民の中に政治不信が生まれ、政治の話に嫌気がさし、選挙があっても行かなくなる状態が生まれるなら、この国の未来は危機に陥ると政治家たちは理解し自らの行動に対する責任の重さを自覚しなければならないのである。
しかし、政局ゴッコに奔走する彼らに憂国の自覚を待ってと言っても無理かもしれない。何故なら、彼らはこの国を愛しこの国のために命を掛けて仕事をする志を持ってはいない。この種の人々に国を任すことはできない。この類の人々を議員に選んだ我々の責任を自覚しなければならない。
国民主権で管理される立法機能を確立するための国民的な運動を起こさなければならない。議会制民主主義を基本とする我が国の立法機能では、国民の政治参加の機会として選挙が需要な意味を持つ。選挙によって選ばれた議員の活動を日常的に評価する社会制度は必要となる。その制度を確立しない限り、いつまでも国会では国民不在の政局ゴッコが繰り返されるだろう。そして、この国は滅びるだろう。
言うまでもなく、国民主権とは立法機能の主権が国民にあることを意味する。立法機能を運営する議員は国民によって選挙で選ばれた人々であり、国民に立法行為を委任された人々である。選挙公約をして議員となった以上、議員の議会活動を検証する制度(委員会)やその検証を公開する制度、つまり、国民が議員活動を日常的に検証評価する制度を作らなければならない。
今回の東日本大震災と東電福島第一原発事故という日本社会の危機的状況は、日本の政治機能が危機的状況にあることを国民に自覚させた。大災害からの復興課題の一つとして、日本の立法機能の国民的点検機能の検討が挙げられる。政治制度の改革を抜くにして、震災に強い国を創ることは不可能である。
国家緊急時の意思決定機能の発動・民主主義制度の緊急停止かそれとも敏速な意思決定機能の開発か
どの組織もそうであるように、有能な人材を持つことでその組織運営は効率よく機能する。人材は組織の大切な資源であり、有能な人材の活用方法が組織運営の大切な課題となる。例えば、組織間の競争が存在する場合、有能な人材を持たない組織は有能な人材を持つ組織に駆逐されることになる。人材とは組織を構成する細胞であり、健全に機能する細胞を持つ生体組織が、そうでない病的な状態の細胞を持つ組織より強いのは当然のことである。
もし、ある集団がそれを構成する人的資源に問題があることに気づくなら、組織は即刻、人的資源の確保と維持の対策を採る。人材資源の育成は効率の高い組織運営を維持するための必修課題となる。人材資源の質的管理や向上にかんする機能の導入によって組織の生産効率は改善される。この質的に高い人的資源を確保維持する機能はどの組織においても、その大小に係わらず、重要な課題となることはいうまでもない。組織運営の基本課題として人的資源の確保、育成や管理の体制が問題となる。
民主主義社会では、意思決定の手段として集団構成員の意見を取り入れる。その場合、多様な意見がある以上、意思決定の速度は非民主主義社会(例えば絶対君主制や一党独裁国家)に比べて遅くなる。その意思決定の遅さが、民主主義社会の欠陥となる。この欠陥を致命的な社会的危機に発展させないために、この社会では意思決定機能(立法機関)を担う人材の有能な能力にその課題を委ねざるを得ないのである。
また日常的な意思決定機能の速度では国家の危機を打開できない場合、つまり国家の存亡に係わる非常事態が宣言され、国家緊急権が発動、つまり戒厳令を敷かれ、議会は中止されて、緊急事態に対応する素早い意思決定機能が稼動することになる。9.11直後のアメリカのように、国家は緊急時に応じて意思決定の遅い民主主義制度を一部中断することになる。このことは民主主義制度の部分的な廃止を意味している。
言い換えると、国家の緊急事態に対応できる意思決定機能を民主主義制度が保障しない限り、この民主主義制度は簡単に国家主義や独裁政権のもつ組織運営の効率的運営に敗北するのである。その意味で、非常事態でも民主主義制度を維持するためには、緊急時の意思決定を可能にする立法機関とそれを構成する人材(議員)の人的資源が重要であることが理解できるだろう。
この視点から考えると、現在の日本の国会はファシズムや民主主義社会を否定する勢力を自然発生させる環境にあると謂えるのである。つまり、この国民主権による立法機能の点検制度の確立をめぐる議論は、今回の大震災で機能しない立法機関への国民的批判は、結果的に極端な民主主義制度の否定論者を生み出し、ひいては日本にファシズムの嵐を巻き起こしかねない政治課題を孕んでいるのであると理解して欲しいのである。
国民主権の立法制度改革・選挙制度の改革提案
立法制度改革に必要なことは選挙権と被選挙権に関する責任と義務を明らかにし、国民と国民から立法活動を信任された議員との選挙契約の関係を明らかにすることである。
この課題を解決するために、選挙民の民主主義社会を堅持する責任と義務を明らかにする必要がある。つまり、選挙民は国民主権の権利を持つと同時に、国民主権制度を維持する責任と義務を持つ。その権利、責任と義務を明文化した義務投票制度を作る。つまり、納税義務と同様に、投票は国民の義務であるという国民の自覚とその義務行為を遂行させるための法的な裏づけや社会制度を作るべきである。
さらに民主主義社会では選挙権をもつ国民は、同時に選挙に立候補する権利を持っている。立候補者の被選挙権を主張する人々に対する責任と義務について決めなければならない。
まず、立候補者の義務を述べる。
1、 立候補者は選挙の時、必ず選挙公約を広く市民に提示し情報公開をしなければならない。同時に選挙制度では、立候補者の選挙公約に関する情報公開をサポートしなければならない。選挙管理委員会は、すべての立候補者の政治的意見を集約し、比較し、市民が理解しやすいように、情報公開する作業を行う義務がある。
2、 立候補者は選挙活動を通じ、選挙公約に関する説明を市民に行わなければならない。つまり、選挙公約を国民に行わないで選挙に臨むことを選挙違反とする。選挙公約は選挙を通じて、立候補者と選挙民の社会契約の内容を明示する作業であるため、選挙公約を示さない行為は契約文書のない契約書にサインを要請する行為として解釈されるのである。
そして、選挙民の義務を再度述べる
1、 選挙民は選挙に参加する義務がある。つまり、事情があり選挙当日に投票できない場合には、事前に投票を行うなりして、必ず投票を行う。
2、 海外で長期滞在する日本国民も、日本の本籍地ないし登録されている住所の所属する選挙区の立候補者について投票する権利と義務を持つ。
以上が、国民主権の立法制度改革を目指す選挙制度の改革案である。
国民主権の立法制度・選挙公約検証委員制度の提案
さらに、選挙によって選ばれた議員と国民との社会契約関係について述べる。国民に選ばれた国会や地方議会の議員たちは、選挙を通じて国民との選挙契約関係が成立したことになる。議員が選挙時に国民と契約したことを実行しているかどうかについて、議員の自主的な自己点検に任せるのではなく、制度として、契約関係の履行を検証する機能が必要である。
この制度を、(仮称)選挙公約検証委員制度と呼ぶことにする。この制度の構築に二つの提案がある。一つは、オンブズマンのような行政機能を検証するNPO組織のような団体として、選挙公約検証活動の組織を立ち上げる。もう一つは、裁判員制度のように、国が地方自治体と国会の二つの長が議員の選挙公約を点検する組織を立ち上げ、国民や住民の中から無作為に選出した人々を委員として、議員たちの選挙公約の実現度を検証する活動を行うことである。
上記したそれぞれ二つの組織は、いずれにしても、それぞれの課題を持つだろう。そこで、ここでは組織問題に重点を於いて議論することに多くの紙面を割かないことにする。そして最も大切な問題は、この選挙公約検証委員制度の機能に関する提案内容である。
1、 立候補者は選挙当選と同時に指定されている選挙公約検証委員会に選挙公約内容を届けなければならない。
2、 新議員の選挙公約内容は選挙公約検証委員会のホームページによって情報公開される。
3、 選挙公約検証委員会のホームページに公開された議員の公約に関して、国民はいつでも質問や批判を書き込むことが出来る。
4、 選挙公約検証委員会は書き込まれた国民や住民からの議員への選挙公約違反にかんする事実を調査しなければならない。
5、 選挙公約検証委員会が議員に対して明らかな選挙公約違反の事実を確認した場合には、選挙公約検証委員会は議員に対して、その理由と選挙公約の実行予定、または変更に関する意見を述べるように要請しなければならない。
6、 すべての議員は、その任期中に選挙公約検証委員会からの質問とそれに対する対応のすべての情報を選挙公約検証委員会のホームページと議員自身のホームページで公開する義務を負う。
以上が、選挙公約検証委員会が担う選挙公約の履行の点検と検証機能である。
選挙公約検証委員制度を通じて生み出される人材
立候補者の選挙公約明示義務や国民の義務投票制度、さらに選挙義務選挙制度の改革選挙公約検証委員制度の提案は、国政に国民が唯一参加できる機会としての選挙を日本国憲法に謳われた国民主権の基調に即して最も有効かつ効率の高い制度に変革するための機能補足案である。
その究極の目的は、議員(立法作業を国民から委託された人)と選挙民(国民)との選挙契約関係の成立、つまり投票行為に伴う双方の義務と責任を明らかにしながら、それに違反する人々に立法作業を委託させない国民政治文化をつくり、より有能な人材が議員となり、国家の運営に寄与してもらうためである。
つまり、この強固な契約履行の関係が成立することによって、日本の民主主義制度はより強固になり、緊急事態に於いても、常に国民主権を維持しながら事態を納め、民主的な国民総動員体制で危機を乗り越えることを可能にするのではないだろうか。
議会に有能な人々が集まり、その人々が誠心誠意をもって国民に奉仕する時、議会制民主主義の制度は堅持され発展するのである。その意味で、現在の憲法の範囲で、立法機能の改革を行うことは十分に可能である。
参考資料
三石博行 「国民による議会・立法機関の検証作業は可能か」
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_14.html
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ブログ文書集 タイトル「東日本大震災に立ち向かおう」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_23.html
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2011年6月16日 誤字修正、一部文書変更
三石博行
立法機関検証制度設立の目的
東日本大震災に対して国が総力を挙げ一刻も早い罹災者救済、被災地復旧、原発事故処理を進めなければならない国家の危機の中で、多くの国会議員が政局論争に明け暮れ、国会に内閣不信任案を提出し、管総理の退陣時期について議論を繰り返してきた。
この国民不在の政治、権力争いのドタバタ劇に対して、国民は怒りを超えて議員たちへの絶望感や政治に期待することの空しさ、国の未来に関する諦めに近い感情を持ってしまった。正しく、この政局をめぐる国会での議論(空論)は政治的犯罪行為と呼ぶしかなかった。
だがそれに奔走する国会議員たちには、それなりの理由や弁明が用意されているのである。その彼らのもっともらしい理由や言い訳を前にして国民は、国会議員が議会で今やるべき、つまり罹災者の救済に組むべきことを訴える雄弁さを持たない。巧みな説明の前に言葉を失い、失望する国民の姿が見える。この失望こそが日本の政治にとって最も危惧すべきことであることを、政局ゴッコをしている議員たちには理解できない。この国の議員たちは狂っているのだろうか。いま被災地で国民が苦しんでいることを感じる感性を失って国会で仕事が出来るのだろうかと疑いたくなるのである。
しかも、困ったことにあるマスコミなどは報道の主要課題を政局論争に移し、いつ総理が辞めるのかを朝から晩まで報道し議論している。何が今この国で重要な社会的課題なのか。国民は何を求めているのか真剣に考え、その課題を国民と共有すべきではないだろうか。それば報道機関の持つ社会的公共性であり、民放と云えどもその機能をもつことは言うまでもない。
この政治不信と総称される絶望感と無力感の蔓延を私は最も恐れる。大災害で国が焦土となろうとも、国の危機に対して立ち向かう国民の気持ちがあれば、復旧活動が起こり、将来に向かう人々の生活が復活するのである。しかし、その前向きの気持ちが萎えたとき、本当の危機が来るのだと思う。それは、この国は駄目だと自らが決め込むデカダンスの危機である。
しかし生活がある以上、この国に住む我々は諦める訳には行かない。政治への失望や国民的うつ病状態が起ころうと、市民の大半が政治に関心を失ったとしても、災害で受けた目の前の苦しい現実を避けるわけにはいかない。生活がある以上、政治的デカダンスに迷う込み、生活環境の復旧や復興を断念するわけにはいかない。明日に生きる子供たちがいる以上、子育てや教育の出来る生活基盤を再建しなければならない。
国民に政治不信を与えることは国民の未来を奪い取る恐るべき行為である。そのことを政局ゴッコに奮闘している議員たちは理解すべきである。そして、その究極の方向は、民主主義社会の自滅へのスパイラル行程への移行への入口になる。苦しむ国民を無視する政治が用意するのはファシズムへの道なのである。
国民の中に政治不信が生まれ、政治の話に嫌気がさし、選挙があっても行かなくなる状態が生まれるなら、この国の未来は危機に陥ると政治家たちは理解し自らの行動に対する責任の重さを自覚しなければならないのである。
しかし、政局ゴッコに奔走する彼らに憂国の自覚を待ってと言っても無理かもしれない。何故なら、彼らはこの国を愛しこの国のために命を掛けて仕事をする志を持ってはいない。この種の人々に国を任すことはできない。この類の人々を議員に選んだ我々の責任を自覚しなければならない。
国民主権で管理される立法機能を確立するための国民的な運動を起こさなければならない。議会制民主主義を基本とする我が国の立法機能では、国民の政治参加の機会として選挙が需要な意味を持つ。選挙によって選ばれた議員の活動を日常的に評価する社会制度は必要となる。その制度を確立しない限り、いつまでも国会では国民不在の政局ゴッコが繰り返されるだろう。そして、この国は滅びるだろう。
言うまでもなく、国民主権とは立法機能の主権が国民にあることを意味する。立法機能を運営する議員は国民によって選挙で選ばれた人々であり、国民に立法行為を委任された人々である。選挙公約をして議員となった以上、議員の議会活動を検証する制度(委員会)やその検証を公開する制度、つまり、国民が議員活動を日常的に検証評価する制度を作らなければならない。
今回の東日本大震災と東電福島第一原発事故という日本社会の危機的状況は、日本の政治機能が危機的状況にあることを国民に自覚させた。大災害からの復興課題の一つとして、日本の立法機能の国民的点検機能の検討が挙げられる。政治制度の改革を抜くにして、震災に強い国を創ることは不可能である。
国家緊急時の意思決定機能の発動・民主主義制度の緊急停止かそれとも敏速な意思決定機能の開発か
どの組織もそうであるように、有能な人材を持つことでその組織運営は効率よく機能する。人材は組織の大切な資源であり、有能な人材の活用方法が組織運営の大切な課題となる。例えば、組織間の競争が存在する場合、有能な人材を持たない組織は有能な人材を持つ組織に駆逐されることになる。人材とは組織を構成する細胞であり、健全に機能する細胞を持つ生体組織が、そうでない病的な状態の細胞を持つ組織より強いのは当然のことである。
もし、ある集団がそれを構成する人的資源に問題があることに気づくなら、組織は即刻、人的資源の確保と維持の対策を採る。人材資源の育成は効率の高い組織運営を維持するための必修課題となる。人材資源の質的管理や向上にかんする機能の導入によって組織の生産効率は改善される。この質的に高い人的資源を確保維持する機能はどの組織においても、その大小に係わらず、重要な課題となることはいうまでもない。組織運営の基本課題として人的資源の確保、育成や管理の体制が問題となる。
民主主義社会では、意思決定の手段として集団構成員の意見を取り入れる。その場合、多様な意見がある以上、意思決定の速度は非民主主義社会(例えば絶対君主制や一党独裁国家)に比べて遅くなる。その意思決定の遅さが、民主主義社会の欠陥となる。この欠陥を致命的な社会的危機に発展させないために、この社会では意思決定機能(立法機関)を担う人材の有能な能力にその課題を委ねざるを得ないのである。
また日常的な意思決定機能の速度では国家の危機を打開できない場合、つまり国家の存亡に係わる非常事態が宣言され、国家緊急権が発動、つまり戒厳令を敷かれ、議会は中止されて、緊急事態に対応する素早い意思決定機能が稼動することになる。9.11直後のアメリカのように、国家は緊急時に応じて意思決定の遅い民主主義制度を一部中断することになる。このことは民主主義制度の部分的な廃止を意味している。
言い換えると、国家の緊急事態に対応できる意思決定機能を民主主義制度が保障しない限り、この民主主義制度は簡単に国家主義や独裁政権のもつ組織運営の効率的運営に敗北するのである。その意味で、非常事態でも民主主義制度を維持するためには、緊急時の意思決定を可能にする立法機関とそれを構成する人材(議員)の人的資源が重要であることが理解できるだろう。
この視点から考えると、現在の日本の国会はファシズムや民主主義社会を否定する勢力を自然発生させる環境にあると謂えるのである。つまり、この国民主権による立法機能の点検制度の確立をめぐる議論は、今回の大震災で機能しない立法機関への国民的批判は、結果的に極端な民主主義制度の否定論者を生み出し、ひいては日本にファシズムの嵐を巻き起こしかねない政治課題を孕んでいるのであると理解して欲しいのである。
国民主権の立法制度改革・選挙制度の改革提案
立法制度改革に必要なことは選挙権と被選挙権に関する責任と義務を明らかにし、国民と国民から立法活動を信任された議員との選挙契約の関係を明らかにすることである。
この課題を解決するために、選挙民の民主主義社会を堅持する責任と義務を明らかにする必要がある。つまり、選挙民は国民主権の権利を持つと同時に、国民主権制度を維持する責任と義務を持つ。その権利、責任と義務を明文化した義務投票制度を作る。つまり、納税義務と同様に、投票は国民の義務であるという国民の自覚とその義務行為を遂行させるための法的な裏づけや社会制度を作るべきである。
さらに民主主義社会では選挙権をもつ国民は、同時に選挙に立候補する権利を持っている。立候補者の被選挙権を主張する人々に対する責任と義務について決めなければならない。
まず、立候補者の義務を述べる。
1、 立候補者は選挙の時、必ず選挙公約を広く市民に提示し情報公開をしなければならない。同時に選挙制度では、立候補者の選挙公約に関する情報公開をサポートしなければならない。選挙管理委員会は、すべての立候補者の政治的意見を集約し、比較し、市民が理解しやすいように、情報公開する作業を行う義務がある。
2、 立候補者は選挙活動を通じ、選挙公約に関する説明を市民に行わなければならない。つまり、選挙公約を国民に行わないで選挙に臨むことを選挙違反とする。選挙公約は選挙を通じて、立候補者と選挙民の社会契約の内容を明示する作業であるため、選挙公約を示さない行為は契約文書のない契約書にサインを要請する行為として解釈されるのである。
そして、選挙民の義務を再度述べる
1、 選挙民は選挙に参加する義務がある。つまり、事情があり選挙当日に投票できない場合には、事前に投票を行うなりして、必ず投票を行う。
2、 海外で長期滞在する日本国民も、日本の本籍地ないし登録されている住所の所属する選挙区の立候補者について投票する権利と義務を持つ。
以上が、国民主権の立法制度改革を目指す選挙制度の改革案である。
国民主権の立法制度・選挙公約検証委員制度の提案
さらに、選挙によって選ばれた議員と国民との社会契約関係について述べる。国民に選ばれた国会や地方議会の議員たちは、選挙を通じて国民との選挙契約関係が成立したことになる。議員が選挙時に国民と契約したことを実行しているかどうかについて、議員の自主的な自己点検に任せるのではなく、制度として、契約関係の履行を検証する機能が必要である。
この制度を、(仮称)選挙公約検証委員制度と呼ぶことにする。この制度の構築に二つの提案がある。一つは、オンブズマンのような行政機能を検証するNPO組織のような団体として、選挙公約検証活動の組織を立ち上げる。もう一つは、裁判員制度のように、国が地方自治体と国会の二つの長が議員の選挙公約を点検する組織を立ち上げ、国民や住民の中から無作為に選出した人々を委員として、議員たちの選挙公約の実現度を検証する活動を行うことである。
上記したそれぞれ二つの組織は、いずれにしても、それぞれの課題を持つだろう。そこで、ここでは組織問題に重点を於いて議論することに多くの紙面を割かないことにする。そして最も大切な問題は、この選挙公約検証委員制度の機能に関する提案内容である。
1、 立候補者は選挙当選と同時に指定されている選挙公約検証委員会に選挙公約内容を届けなければならない。
2、 新議員の選挙公約内容は選挙公約検証委員会のホームページによって情報公開される。
3、 選挙公約検証委員会のホームページに公開された議員の公約に関して、国民はいつでも質問や批判を書き込むことが出来る。
4、 選挙公約検証委員会は書き込まれた国民や住民からの議員への選挙公約違反にかんする事実を調査しなければならない。
5、 選挙公約検証委員会が議員に対して明らかな選挙公約違反の事実を確認した場合には、選挙公約検証委員会は議員に対して、その理由と選挙公約の実行予定、または変更に関する意見を述べるように要請しなければならない。
6、 すべての議員は、その任期中に選挙公約検証委員会からの質問とそれに対する対応のすべての情報を選挙公約検証委員会のホームページと議員自身のホームページで公開する義務を負う。
以上が、選挙公約検証委員会が担う選挙公約の履行の点検と検証機能である。
選挙公約検証委員制度を通じて生み出される人材
立候補者の選挙公約明示義務や国民の義務投票制度、さらに選挙義務選挙制度の改革選挙公約検証委員制度の提案は、国政に国民が唯一参加できる機会としての選挙を日本国憲法に謳われた国民主権の基調に即して最も有効かつ効率の高い制度に変革するための機能補足案である。
その究極の目的は、議員(立法作業を国民から委託された人)と選挙民(国民)との選挙契約関係の成立、つまり投票行為に伴う双方の義務と責任を明らかにしながら、それに違反する人々に立法作業を委託させない国民政治文化をつくり、より有能な人材が議員となり、国家の運営に寄与してもらうためである。
つまり、この強固な契約履行の関係が成立することによって、日本の民主主義制度はより強固になり、緊急事態に於いても、常に国民主権を維持しながら事態を納め、民主的な国民総動員体制で危機を乗り越えることを可能にするのではないだろうか。
議会に有能な人々が集まり、その人々が誠心誠意をもって国民に奉仕する時、議会制民主主義の制度は堅持され発展するのである。その意味で、現在の憲法の範囲で、立法機能の改革を行うことは十分に可能である。
参考資料
三石博行 「国民による議会・立法機関の検証作業は可能か」
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_14.html
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ブログ文書集 タイトル「東日本大震災に立ち向かおう」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_23.html
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2011年6月16日 誤字修正、一部文書変更
国民による議会・立法機関の検証作業は可能か
国民主権による政治改革を目指して(1)
三石博行
年中行事となった首相交代・日本の政治の姿
日本以外に毎年のように首相が替わる国は殆どない。この日本独特の政治の現象はどうして生じるのだろうか。東日本大震災と呼ばれる未曾有の大災害に見舞われ、国の存亡が掛かるとまで言われている今年も、例外ではなかった。(1)
国を滅ぼしても首相になりたい人が居るのか、それとも国を滅ぼしたくて首相の首を替えることに喜びを感じている人たちがいるのか。政治のドタバタが始まると活気付くマスコミ、罹災者のことも災害地の復旧も忘れ政局議論に国会審議時間を費やす人々、この国は狂っていると言うしかない。
国民はこの政治の混乱に歯止めを掛けることはできないのだろうか。どのようにすれば、国会議員たちの今回のような国民の利益を無視した暴走に歯止めを掛けることが出来るのか。
選挙運動という国民政治文化の一つの現象
我々国民は選挙で議員達を選ぶ。選挙を通じて、我々の代表として彼ら(議員たち)を議会に送る。つまり、選挙が国民にとって唯一の政治への直接の参加活動とされている。これが現実の日本社会で言われる議会制民主主義社会の姿である。
日本社会での選挙と言えば、これまで候補者たちは、どういう訳か白い手袋をはめて「○○です。よろしくおねがいします」と宣伝カーで自分の名前を叫び、よろしく頼むと呼びかける。また、最近の調査では、名前を言って呼びかけるだけでなく、握手をすると有権者の票を獲得できるらしい。そこで、候補者は街頭に繰り出し、見境なく誰とでも握手をすることになった。候補者である以上、選挙で当選することが唯一の目標であり、そのために有効な手段を駆使し全力を振り絞って選挙運動に邁進することは当然である。
つまり、候補者が自分の名前のみを宣伝カーの上から叫ぶのも、通行人に握手をするのも、言ってみれば、有権者の側の選挙に関する意識の反映であるとなる。過去から現在までの日本での選挙運動は国民政治文化の一つの現象であると謂える。候補者の選挙行為を選んでいたのは我々国民の選挙に関する意識であり、考え方の反映であった。
低迷する投票率・議会制民主主義の危機
短い選挙運動期間を経て投票が行われる。選挙期間が長いのは、その分、立法が機能していない事を意味する以上、社会的に効率が悪いし、危機管理上、避けなければならないことである。
しかし、多くの有権者にとって選挙当日、誰に投票していいか分からないという問題が生じる。特に、地方議会選挙では、議員の顔、その人々の活動をまったく知らない場合が多い。そのため、選挙に行く意味を失う。仮に投票所に行ったとしても、そこで候補者たちの経歴、主張、政党所属有無等々の僅かな情報を基にして「えいや」と投票して帰る。日常的に候補者を知り、今まで何らかの便宜を得るためにお世話になった経験のない人々を除いて大多数の人々にとって、候補者を知る材料は殆どないのが現実である。
わが国の選挙の投票率は先進国の中では非常に低いのではないだろうか。これまで最低投票率を記録した衆参両議会選挙では、1996年41回衆議院選挙の59.65パーセント、1995年第17回参議院選挙の44.52パーセントである。また都道府県知事選挙では1981年の千葉県知事選挙の25.38パーセントが最低投票率を記録している。(2)つまり、国民の半数近くの人々が投票していない国政選挙や四分の一の県民の投票によって選ばれた知事選挙がこれまでにあった。唯一国民が政治に直接参加できる機会としての選挙に国政では国民の半数以下の人々しか参加せず、また地方では四分の一の住民の参加によって候補者が選ばれ、国や地方自治体の政治が運営されている。
国によっては国民に投票の義務を定めた「義務投票制」を導入し、投票は国民の義務であり、場合によっては投票しない人に対して罰則規定を法律で決めている国、例えばヨーロッパの国では、スイス、ルクセンブルグ、ベルギー等である。現在、32の国が罰則規定は明確ではないが義務投票制を導入している。(3)
国民主権・民主主義社会では立法機能を運営する議員の国民・住民の投票による決定は国民の権利である。と同時に国民が国家の政治を運営する主体・国民主権の維持と言う視点から見れば国民の義務であると言える。投票率が半分以下で国や自治体を運営する国民の代表者を決定することは、長い目で見れば国民全体のコンセンサスを得られない政治の蔓延、つまり国民主権・民主主義社会の崩壊を導く要因となりかねない。
選挙しか国民は政治へ参加できないのか
議会制民主主義制度の中では、国民は選挙によってしか政治との接点はない。衆議院では4年に一回、参議院では3年に一回の選挙が行われ、また地方議会や都道府県市長村長選挙でも4年に一回の選挙が行われる。つまり、国民は約4年間に、衆議院、参議院、都道府県知事、市長村長、都道府県議員、市長村議員の選挙をそれぞれ少なくとも1回、つまり6回の選挙に参加することになる。
仮に、4年にすべて6回の選挙が行われたとするなら、一年に平均すると1.5回の選挙になる。一回の選挙期間を2週間とすれば、一年に約21日間の選挙活動日がある。その期間が国民に与えられた選挙への直接的な関係期間である。しかし、実際は統一地方選挙のように、都道府県知事、市長村長、都道府県議員や市長村議員の選挙が同日に行われる機会もあり、選挙日は短くなる。短い選挙日や選挙によって国や地方自治体が選挙に使用する財源を圧縮することが出来る。
国民が政治活動の主人公となり、選挙に立候補した候補者が国民に頭を下げ、投票してくれることをお願いしなければならない期間は年間21日もない。それ以外の年間344日は、議員たちが政治活動の中心となり、国は地方自治体を運営するための法律を決め、国の運営の基本方針を決定するのである。これが、世界の殆どの民主主義社会・国民主権を謳う国家で行われている議会制民主主義の姿である。
国民主権の立法制度の改革は可能か
議会制民主主義は日本国憲法に定められた国民主権を実現する政治制度である以上、この制度を変革することは容易ではない。一応、この制度の上で、国民の政治的主権を確立する方法を見つけ出す方法が現実的である。
毎年、首相の首が挿げ替えられ、東日本大震災への対応、罹災者救済、被害地復旧、原発事故解決と国の重大な課題を先送りして内閣不信任案の提出や首相の辞任時期が国会で議論されるという、おおよそ国民不在の議会、議員の行動を食い止める手段を国民は持っていない。
新聞各社や調査会社のアンケートによって、微かに国民の声が聞こえてくる。しかし、選挙運動のときに見せた議員たちの国民への姿はまったく消え失せ、政局争いにまい進する毎日を送っているのではないか。この議員たちに本来の仕事をして欲しいと願う国民は、彼らをそうさせるための手段を持たないのである。
議会制民主主義社会を守るために、国民への選挙義務・義務投票制を導入するのなら、罰則規定すら設定して行う選挙に対して、その選挙によって選ばれた人々、議員たちには、国民へ政治的立場、政策の主張を行ったことに対する検証や自己点検の活動は義務化されないのだろうか。
近年、前の自民党政権下では、1999年に司法制度改革会議が発足し、司法制度の改革が行われた。その成果が2009年に導入された裁判員制度や検察審査会の設置である。日本の司法制度に責任を持つ国民の活動、憲法に謳われた人権や民主主義を基調とした司法制度を堅持することに繋がる。その意味で、裁判員制度によって繰り広げられる国民の司法への参加は、今後、日本の民主主義社会が維持されるのに大きく貢献するだろう。
また、2009年に成立した民主党政権下で、積極的に取り組まれた行政改革、取り分け事業仕分けは、国民が行政の管理権を持つことを意識させた。つまり、国や地方自治体の事業仕分けに議員や国民が参加する活動によって、行政での無駄遣い、税金の使われ方を直接検証する作業が行われた。
事業仕分けの情報を公開することによって、行政の主人は国民であり、行政は国民に奉仕する機能であることの自覚が形成される。国民主権によって各省の官庁、都道府県官庁、市町村役場が運営されることが民主主義社会・日本のあるべき姿である。行政改革によって憲法に謳われた国民主権の行政制度がさらに発展するだろう。
そして、今、立法機能に関する国民主権の制度の形成が問題となっているのである。この改革によって、今回のような国民不在の内閣不信任案提出や政局争に対する国民の厳しい批判の目を議会に感じさせることが可能かもしれない。
今後、選挙で投票することは立法権に対する国民主権の一部である。さらに国民主権を立法制度に確立するために、現在の立法制度の変革に対する具体的な提案と国民的な議論が必要であると思う。
参考資料
(1)三石博行 「罹災者救済、国民と国家の将来のために働くことのみが政治家の課題である」
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_07.html
三石博行 「原発問題は今後、我が国の政治の中心課題となるだろう」
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_12.html
(2)「投票率」ウィキペディア http://ja.wikipedia.org/wiki/
(3)「義務投票制」ウィキペディア http://ja.wikipedia.org/wiki/
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ブログ文書集 タイトル「東日本大震災に立ち向かおう」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_23.html
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2011年6月15日 誤字修正
三石博行
年中行事となった首相交代・日本の政治の姿
日本以外に毎年のように首相が替わる国は殆どない。この日本独特の政治の現象はどうして生じるのだろうか。東日本大震災と呼ばれる未曾有の大災害に見舞われ、国の存亡が掛かるとまで言われている今年も、例外ではなかった。(1)
国を滅ぼしても首相になりたい人が居るのか、それとも国を滅ぼしたくて首相の首を替えることに喜びを感じている人たちがいるのか。政治のドタバタが始まると活気付くマスコミ、罹災者のことも災害地の復旧も忘れ政局議論に国会審議時間を費やす人々、この国は狂っていると言うしかない。
国民はこの政治の混乱に歯止めを掛けることはできないのだろうか。どのようにすれば、国会議員たちの今回のような国民の利益を無視した暴走に歯止めを掛けることが出来るのか。
選挙運動という国民政治文化の一つの現象
我々国民は選挙で議員達を選ぶ。選挙を通じて、我々の代表として彼ら(議員たち)を議会に送る。つまり、選挙が国民にとって唯一の政治への直接の参加活動とされている。これが現実の日本社会で言われる議会制民主主義社会の姿である。
日本社会での選挙と言えば、これまで候補者たちは、どういう訳か白い手袋をはめて「○○です。よろしくおねがいします」と宣伝カーで自分の名前を叫び、よろしく頼むと呼びかける。また、最近の調査では、名前を言って呼びかけるだけでなく、握手をすると有権者の票を獲得できるらしい。そこで、候補者は街頭に繰り出し、見境なく誰とでも握手をすることになった。候補者である以上、選挙で当選することが唯一の目標であり、そのために有効な手段を駆使し全力を振り絞って選挙運動に邁進することは当然である。
つまり、候補者が自分の名前のみを宣伝カーの上から叫ぶのも、通行人に握手をするのも、言ってみれば、有権者の側の選挙に関する意識の反映であるとなる。過去から現在までの日本での選挙運動は国民政治文化の一つの現象であると謂える。候補者の選挙行為を選んでいたのは我々国民の選挙に関する意識であり、考え方の反映であった。
低迷する投票率・議会制民主主義の危機
短い選挙運動期間を経て投票が行われる。選挙期間が長いのは、その分、立法が機能していない事を意味する以上、社会的に効率が悪いし、危機管理上、避けなければならないことである。
しかし、多くの有権者にとって選挙当日、誰に投票していいか分からないという問題が生じる。特に、地方議会選挙では、議員の顔、その人々の活動をまったく知らない場合が多い。そのため、選挙に行く意味を失う。仮に投票所に行ったとしても、そこで候補者たちの経歴、主張、政党所属有無等々の僅かな情報を基にして「えいや」と投票して帰る。日常的に候補者を知り、今まで何らかの便宜を得るためにお世話になった経験のない人々を除いて大多数の人々にとって、候補者を知る材料は殆どないのが現実である。
わが国の選挙の投票率は先進国の中では非常に低いのではないだろうか。これまで最低投票率を記録した衆参両議会選挙では、1996年41回衆議院選挙の59.65パーセント、1995年第17回参議院選挙の44.52パーセントである。また都道府県知事選挙では1981年の千葉県知事選挙の25.38パーセントが最低投票率を記録している。(2)つまり、国民の半数近くの人々が投票していない国政選挙や四分の一の県民の投票によって選ばれた知事選挙がこれまでにあった。唯一国民が政治に直接参加できる機会としての選挙に国政では国民の半数以下の人々しか参加せず、また地方では四分の一の住民の参加によって候補者が選ばれ、国や地方自治体の政治が運営されている。
国によっては国民に投票の義務を定めた「義務投票制」を導入し、投票は国民の義務であり、場合によっては投票しない人に対して罰則規定を法律で決めている国、例えばヨーロッパの国では、スイス、ルクセンブルグ、ベルギー等である。現在、32の国が罰則規定は明確ではないが義務投票制を導入している。(3)
国民主権・民主主義社会では立法機能を運営する議員の国民・住民の投票による決定は国民の権利である。と同時に国民が国家の政治を運営する主体・国民主権の維持と言う視点から見れば国民の義務であると言える。投票率が半分以下で国や自治体を運営する国民の代表者を決定することは、長い目で見れば国民全体のコンセンサスを得られない政治の蔓延、つまり国民主権・民主主義社会の崩壊を導く要因となりかねない。
選挙しか国民は政治へ参加できないのか
議会制民主主義制度の中では、国民は選挙によってしか政治との接点はない。衆議院では4年に一回、参議院では3年に一回の選挙が行われ、また地方議会や都道府県市長村長選挙でも4年に一回の選挙が行われる。つまり、国民は約4年間に、衆議院、参議院、都道府県知事、市長村長、都道府県議員、市長村議員の選挙をそれぞれ少なくとも1回、つまり6回の選挙に参加することになる。
仮に、4年にすべて6回の選挙が行われたとするなら、一年に平均すると1.5回の選挙になる。一回の選挙期間を2週間とすれば、一年に約21日間の選挙活動日がある。その期間が国民に与えられた選挙への直接的な関係期間である。しかし、実際は統一地方選挙のように、都道府県知事、市長村長、都道府県議員や市長村議員の選挙が同日に行われる機会もあり、選挙日は短くなる。短い選挙日や選挙によって国や地方自治体が選挙に使用する財源を圧縮することが出来る。
国民が政治活動の主人公となり、選挙に立候補した候補者が国民に頭を下げ、投票してくれることをお願いしなければならない期間は年間21日もない。それ以外の年間344日は、議員たちが政治活動の中心となり、国は地方自治体を運営するための法律を決め、国の運営の基本方針を決定するのである。これが、世界の殆どの民主主義社会・国民主権を謳う国家で行われている議会制民主主義の姿である。
国民主権の立法制度の改革は可能か
議会制民主主義は日本国憲法に定められた国民主権を実現する政治制度である以上、この制度を変革することは容易ではない。一応、この制度の上で、国民の政治的主権を確立する方法を見つけ出す方法が現実的である。
毎年、首相の首が挿げ替えられ、東日本大震災への対応、罹災者救済、被害地復旧、原発事故解決と国の重大な課題を先送りして内閣不信任案の提出や首相の辞任時期が国会で議論されるという、おおよそ国民不在の議会、議員の行動を食い止める手段を国民は持っていない。
新聞各社や調査会社のアンケートによって、微かに国民の声が聞こえてくる。しかし、選挙運動のときに見せた議員たちの国民への姿はまったく消え失せ、政局争いにまい進する毎日を送っているのではないか。この議員たちに本来の仕事をして欲しいと願う国民は、彼らをそうさせるための手段を持たないのである。
議会制民主主義社会を守るために、国民への選挙義務・義務投票制を導入するのなら、罰則規定すら設定して行う選挙に対して、その選挙によって選ばれた人々、議員たちには、国民へ政治的立場、政策の主張を行ったことに対する検証や自己点検の活動は義務化されないのだろうか。
近年、前の自民党政権下では、1999年に司法制度改革会議が発足し、司法制度の改革が行われた。その成果が2009年に導入された裁判員制度や検察審査会の設置である。日本の司法制度に責任を持つ国民の活動、憲法に謳われた人権や民主主義を基調とした司法制度を堅持することに繋がる。その意味で、裁判員制度によって繰り広げられる国民の司法への参加は、今後、日本の民主主義社会が維持されるのに大きく貢献するだろう。
また、2009年に成立した民主党政権下で、積極的に取り組まれた行政改革、取り分け事業仕分けは、国民が行政の管理権を持つことを意識させた。つまり、国や地方自治体の事業仕分けに議員や国民が参加する活動によって、行政での無駄遣い、税金の使われ方を直接検証する作業が行われた。
事業仕分けの情報を公開することによって、行政の主人は国民であり、行政は国民に奉仕する機能であることの自覚が形成される。国民主権によって各省の官庁、都道府県官庁、市町村役場が運営されることが民主主義社会・日本のあるべき姿である。行政改革によって憲法に謳われた国民主権の行政制度がさらに発展するだろう。
そして、今、立法機能に関する国民主権の制度の形成が問題となっているのである。この改革によって、今回のような国民不在の内閣不信任案提出や政局争に対する国民の厳しい批判の目を議会に感じさせることが可能かもしれない。
今後、選挙で投票することは立法権に対する国民主権の一部である。さらに国民主権を立法制度に確立するために、現在の立法制度の変革に対する具体的な提案と国民的な議論が必要であると思う。
参考資料
(1)三石博行 「罹災者救済、国民と国家の将来のために働くことのみが政治家の課題である」
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_07.html
三石博行 「原発問題は今後、我が国の政治の中心課題となるだろう」
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_12.html
(2)「投票率」ウィキペディア http://ja.wikipedia.org/wiki/
(3)「義務投票制」ウィキペディア http://ja.wikipedia.org/wiki/
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ブログ文書集 タイトル「東日本大震災に立ち向かおう」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_23.html
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2011年6月15日 誤字修正
2011年6月12日日曜日
遅れたベントの理由とは何か
福島第一原発事故検証(6)
三石博行
東電は電気系統の故障を予測できなかったか
2011年6月5日に報道されたNHKの「シリーズ原発危機 1回 事故は何故深刻化したのか」(1) の番組をもとにしながら、この番組で最も強調され、事故を引き起こした直接の原因と言われているベントの遅れについて述べてみよう。
電源車の配備を唯一の事故対策として立てた対策会議の指示の誤りが明らかになったのは、6月11日の21時過ぎに電源車が到着し、漸く電源が繋がり、21時30分ぐらいに電源車からの電源補給によって冷却装置が動かないと現場が理解した時点である。つまりこの時、一号機の電気系統の故障に気が付いた。
現場の責任者である東電福島第一原発所長は東電本部に連絡を取り、一号機の電気系統の故障により冷却装置が動かないことを報告した。番組では東電本社の事故処理に当たった最高責任者(常務)が「信じられない」という言葉を述べたと説明されていた。つまり、東電本社はここに至るまで、一号機が電気系統の故障をしているということを推測することはなかった。電源を確保すれば、冷却装置は動くと仮定し続けていた。
つまり、東電は地震と津波による一号機をはじめ他の原子炉の電気系統の事故の可能性を想定していなかったのである。この想定外の判断の根拠こそ、検証すべき課題となるだろう。
冷却のためのベントの準備
電気系統が故障している一号機の冷却を早急に行わなければならない。つまり外部から冷却水を送るための設定を至急整えなければならなかった。そのためには、高圧となっている原子炉内で生じた水蒸気を抜く作業が必要となる。つまり、ベントを行う必要に立たされた。
しかし、3月11日の21時ぐらいに一号機原子炉建屋内の放射能量が急激に上昇した。21時に福島第一原発所長は建屋の立入りを禁止した。
当時、建屋の放射能量は10秒で0.8msv(ミリシーベルト)と測定されていた。つまり一時間に282ミリシーベルトの放射能被爆を受けることになる。一年間の被爆限度量は一般人では年間1ミリシーベルト、原子力内で働く作業員の場合は年間100ミリシーベルトとされているので、1時間282ミリシーベルトの放射能被爆量を受ける場合、作業時間は約20分間に制限されることになる。
番組によると、電気系統の故障が発覚してから、原子力安全委員会の長はメルトダウンが起らないように、ベントを行い冷却水を注入することを一刻も早く行うべきと考えていたという。
そして、東電は6月12日0時過ぎにベントを決断した。ベントはこれまで世界の原発事故でも実施の例を見ない非常事態であると番組では説明された。つまり、ベントを行なった経験は今までのどの原発事故でもなかった。一号機では、最悪のメルトダウンを防ぐために世界ではじめてベントを行うことになった。
この事態(ベントを行うこと)に対する東電本社の社員の動揺は大きかった。「本当にそんなこと(ベント)をするのか、そんなに簡単にベントして大丈夫か」「ベントは最終手段ではないか」と言う本社社員の中には、それ以上に恐ろしいメルトダウンやそして原子炉格納容器の破壊による重大な放射能物質の拡散は念頭になかったようである。
ベントが遅れた理由・電動操作しか書かれていなかったマニュアル
3月12日午前1時30分に政府はベントを東電に指示する。そして、午前3時5分、東電と政府(経済産業大臣)は共同会見を開き、1号機のベントを行うことを明らかにした。
しかし、5時半になってもベントは実施されなかった。その理由はベントを行うために用意されていた操作手順に関する説明書には電動で行う手順のみが記されていた。しかし、1号機の電気系統が故障している以上、電動でのベントの仕方しか書いていない操作説明書は意味をなさなかった。そこで現場では、手動でベントを行うために、1号機の設計図を持ち出し、一からどうすれば良いかというやり取りが必死になされていた。マニュアルにない不測の事態にすぐに対応できない状態が続き、現場の技術者や作業員は手動でベントを行うための作業手順を確立するために奮闘していたに違いない。
また、ベントを行う東電関連会社(下請け企業)の作業員たちは電灯のない暗い、しかも高濃度の放射線量のある建屋の中で作業を行うことになる。そのために、一人当たりの作業員の建屋内での作業時間が20分以内と限定される条件での作業段取りの確認、効率の高い作業手順、被曝線量を最小限に食い止めるための注意事項の確認等々のための打ち合わせを真剣に行っていたに違いないだろう。
現場の必死の努力にも関わらず、致命的なベントの遅れの原因のひとつになったのは、ベントの電動操作しか書かれていなかった説明書であった。原子炉の電気系統の事故は全く想定されていなかった。絶対に全電源喪失も電気系統の事故も起こる事はありえないという判断に立っていた。
これまでの原発事故の事例検証でも、この根拠を問い直すことも、また電気系統の故障が絶対に起こることがないと言う仮定を疑うこともなかったのである。検証課題として、何故、それほどまでに事故の可能性をゼロとする確信があったのか、その科学的根拠を明らかにしなければならないだろう。
ベントが遅れた理由・住民の避難
ベントがすぐに実施されなかったもうひとつの理由は、1号機のベントを行うことによる周辺住民の放射能物質による被曝に対する対策のもたつきが挙げられる。
ベントによって高濃度の放射能物質が拡散することになる。そのため政府は1号機から半径3キロメートル以内の住民への避難勧告、半径10キロメートル以内の住民への屋内待機を指示した。
4時12分に東電は大熊町役場にファクスを送る。その内容は、3時間後にベントを行う1号機から4.29メートル離れた地点で一時間に28ミリシーベルト、つまり一般人の年間許容被曝線量の28倍の被曝を受けることを告げた。
その後、つまり4時以後、ベント作業の手順を確認した東電の協力会社幹部から東電に対してベントはいつでも可能という報告があった。しかし東電は住民の避難を調整するためにベントの実施を躊躇(ちゅうちょ)した。東電本社は現場に対して、町民が全員避難したという確認を求める連絡を取っていた。
重大事故(メルトダウン)を避けるためにベントを決意した政府がベントの指示を東電に出してから4時間以上も経過した5時半になっても東電はベントを開始しなかった。そこで、ベントが遅いことに苛立った政府は6時50分に法律に従って東電にベントを命令した。しかし、それでもベントは実施されなかった。
政府は、現場で行われていた住民避難に関する現地役場との確認作業や、その時々の東電本社の現場への指示の内容等々のベントを躊躇(ためら)う東電本社の状況判断について理解していなかったし、その点に関して東電との意思疎通が十分に成されていたか詳しく点検する必要がある。
ベントが遅れた理由・菅首相の現地訪問
3月12日午前1時30分にベントを行うことを東電に指示したのにベントは一向に行われない。そして、政府は6時50分に法律に基づいてベントを命令した。
多分、東電のあまりにも悠長な対応に痺れ(しびれ)を切らした首相は、6時50分以後、政府がベントの命令を東電に出してから、すぐに自衛隊のヘリコプターで現地に行った。現地視察は7時11分と記録されている。
この視察に対して、自民党の前首相や総裁が「首相の視察によって現場が事故への対応が出来なくなり、深刻な事態・水素爆発の原因を作った」という内容の発言をして来た。その現地視察をしたことが管内閣不信任案の提出理由にもなっていたようだった。
また、それに同調するテレビのトーク番組などでは、評論家たちが、総理の現地視察が原発事故を防ぐためのベントを妨害したと語られていた。さらに福島第一原発事故に関する特集記事を記載している週刊誌にも同様の内容が記載されている。(2)
こうしたマスコミの発言を今一度、検証すると同時に、管総理が3月12日7時に福島第一原発を訪問したことが緊急の事故対策を行っている現場に与えた影響についても調査する必要があるだろう。
水素爆発は予測できなかったのか
管首相は原子力安全委員委員長と東電福島第一発電所の視察に自衛隊のヘリコプターで出発した。菅総理は視察中に同委員長にベントの遅れによって生じる事態の説明を求めた。NHKの番組での説明によると原子力安全委員委員長は水素が格納容器内に発生するが、格納容器には窒素が満たされており、酸素がない状態なので爆発の危険性はないと説明したとのことである。
12日9時24分、ベントが開始された。合計6名の作業員がそれぞれ20分以内で作業を行った。作業員の最大被曝線量は106ミリシーベルトであったとのことだ。そして14時30分に一号機の排気口から水蒸気が立ち登る様子が観察され、ベントが行われたことが確認された。
しかし、その一時間後に、一号機の建屋が水素爆発で吹き飛んだ。大量の放射能物質が灰色の噴煙と共に飛び散り、風に乗って周辺を汚染していったのである。
水素爆発は原子力安全委員委員長の言うように、原子力工学系の専門家とであっても殆ど誰も予測できない極めて難しく稀な現象であったのだろうか。緊急時の原子力発電所の事故処理を行う専門集団であるべき原子力安全委員会の専門的知識を疑う必要が生じている実に重大な問題を提起している。
国は多額の資金を掛けて(税金で)原子力安全委員会を運営している。その委員会に勤務する専門家は緊急時に政府が最も頼りとする人材集団である。その人々が現実の場で役に立たないということが今回の事故で明らかになった。原子力安全委員会のメンバーとその機能に関する評価検証が必要ではないだろうか。
参考資料
(1)NHKスペシャル 「シリーズ原発危機 1回 事故は何故深刻化したのか」2011年6月5日
(2)『東京電力の大罪』 週刊文春 臨時増刊 2011年7月27日号
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2011年6月13日 誤字訂正
三石博行
東電は電気系統の故障を予測できなかったか
2011年6月5日に報道されたNHKの「シリーズ原発危機 1回 事故は何故深刻化したのか」(1) の番組をもとにしながら、この番組で最も強調され、事故を引き起こした直接の原因と言われているベントの遅れについて述べてみよう。
電源車の配備を唯一の事故対策として立てた対策会議の指示の誤りが明らかになったのは、6月11日の21時過ぎに電源車が到着し、漸く電源が繋がり、21時30分ぐらいに電源車からの電源補給によって冷却装置が動かないと現場が理解した時点である。つまりこの時、一号機の電気系統の故障に気が付いた。
現場の責任者である東電福島第一原発所長は東電本部に連絡を取り、一号機の電気系統の故障により冷却装置が動かないことを報告した。番組では東電本社の事故処理に当たった最高責任者(常務)が「信じられない」という言葉を述べたと説明されていた。つまり、東電本社はここに至るまで、一号機が電気系統の故障をしているということを推測することはなかった。電源を確保すれば、冷却装置は動くと仮定し続けていた。
つまり、東電は地震と津波による一号機をはじめ他の原子炉の電気系統の事故の可能性を想定していなかったのである。この想定外の判断の根拠こそ、検証すべき課題となるだろう。
冷却のためのベントの準備
電気系統が故障している一号機の冷却を早急に行わなければならない。つまり外部から冷却水を送るための設定を至急整えなければならなかった。そのためには、高圧となっている原子炉内で生じた水蒸気を抜く作業が必要となる。つまり、ベントを行う必要に立たされた。
しかし、3月11日の21時ぐらいに一号機原子炉建屋内の放射能量が急激に上昇した。21時に福島第一原発所長は建屋の立入りを禁止した。
当時、建屋の放射能量は10秒で0.8msv(ミリシーベルト)と測定されていた。つまり一時間に282ミリシーベルトの放射能被爆を受けることになる。一年間の被爆限度量は一般人では年間1ミリシーベルト、原子力内で働く作業員の場合は年間100ミリシーベルトとされているので、1時間282ミリシーベルトの放射能被爆量を受ける場合、作業時間は約20分間に制限されることになる。
番組によると、電気系統の故障が発覚してから、原子力安全委員会の長はメルトダウンが起らないように、ベントを行い冷却水を注入することを一刻も早く行うべきと考えていたという。
そして、東電は6月12日0時過ぎにベントを決断した。ベントはこれまで世界の原発事故でも実施の例を見ない非常事態であると番組では説明された。つまり、ベントを行なった経験は今までのどの原発事故でもなかった。一号機では、最悪のメルトダウンを防ぐために世界ではじめてベントを行うことになった。
この事態(ベントを行うこと)に対する東電本社の社員の動揺は大きかった。「本当にそんなこと(ベント)をするのか、そんなに簡単にベントして大丈夫か」「ベントは最終手段ではないか」と言う本社社員の中には、それ以上に恐ろしいメルトダウンやそして原子炉格納容器の破壊による重大な放射能物質の拡散は念頭になかったようである。
ベントが遅れた理由・電動操作しか書かれていなかったマニュアル
3月12日午前1時30分に政府はベントを東電に指示する。そして、午前3時5分、東電と政府(経済産業大臣)は共同会見を開き、1号機のベントを行うことを明らかにした。
しかし、5時半になってもベントは実施されなかった。その理由はベントを行うために用意されていた操作手順に関する説明書には電動で行う手順のみが記されていた。しかし、1号機の電気系統が故障している以上、電動でのベントの仕方しか書いていない操作説明書は意味をなさなかった。そこで現場では、手動でベントを行うために、1号機の設計図を持ち出し、一からどうすれば良いかというやり取りが必死になされていた。マニュアルにない不測の事態にすぐに対応できない状態が続き、現場の技術者や作業員は手動でベントを行うための作業手順を確立するために奮闘していたに違いない。
また、ベントを行う東電関連会社(下請け企業)の作業員たちは電灯のない暗い、しかも高濃度の放射線量のある建屋の中で作業を行うことになる。そのために、一人当たりの作業員の建屋内での作業時間が20分以内と限定される条件での作業段取りの確認、効率の高い作業手順、被曝線量を最小限に食い止めるための注意事項の確認等々のための打ち合わせを真剣に行っていたに違いないだろう。
現場の必死の努力にも関わらず、致命的なベントの遅れの原因のひとつになったのは、ベントの電動操作しか書かれていなかった説明書であった。原子炉の電気系統の事故は全く想定されていなかった。絶対に全電源喪失も電気系統の事故も起こる事はありえないという判断に立っていた。
これまでの原発事故の事例検証でも、この根拠を問い直すことも、また電気系統の故障が絶対に起こることがないと言う仮定を疑うこともなかったのである。検証課題として、何故、それほどまでに事故の可能性をゼロとする確信があったのか、その科学的根拠を明らかにしなければならないだろう。
ベントが遅れた理由・住民の避難
ベントがすぐに実施されなかったもうひとつの理由は、1号機のベントを行うことによる周辺住民の放射能物質による被曝に対する対策のもたつきが挙げられる。
ベントによって高濃度の放射能物質が拡散することになる。そのため政府は1号機から半径3キロメートル以内の住民への避難勧告、半径10キロメートル以内の住民への屋内待機を指示した。
4時12分に東電は大熊町役場にファクスを送る。その内容は、3時間後にベントを行う1号機から4.29メートル離れた地点で一時間に28ミリシーベルト、つまり一般人の年間許容被曝線量の28倍の被曝を受けることを告げた。
その後、つまり4時以後、ベント作業の手順を確認した東電の協力会社幹部から東電に対してベントはいつでも可能という報告があった。しかし東電は住民の避難を調整するためにベントの実施を躊躇(ちゅうちょ)した。東電本社は現場に対して、町民が全員避難したという確認を求める連絡を取っていた。
重大事故(メルトダウン)を避けるためにベントを決意した政府がベントの指示を東電に出してから4時間以上も経過した5時半になっても東電はベントを開始しなかった。そこで、ベントが遅いことに苛立った政府は6時50分に法律に従って東電にベントを命令した。しかし、それでもベントは実施されなかった。
政府は、現場で行われていた住民避難に関する現地役場との確認作業や、その時々の東電本社の現場への指示の内容等々のベントを躊躇(ためら)う東電本社の状況判断について理解していなかったし、その点に関して東電との意思疎通が十分に成されていたか詳しく点検する必要がある。
ベントが遅れた理由・菅首相の現地訪問
3月12日午前1時30分にベントを行うことを東電に指示したのにベントは一向に行われない。そして、政府は6時50分に法律に基づいてベントを命令した。
多分、東電のあまりにも悠長な対応に痺れ(しびれ)を切らした首相は、6時50分以後、政府がベントの命令を東電に出してから、すぐに自衛隊のヘリコプターで現地に行った。現地視察は7時11分と記録されている。
この視察に対して、自民党の前首相や総裁が「首相の視察によって現場が事故への対応が出来なくなり、深刻な事態・水素爆発の原因を作った」という内容の発言をして来た。その現地視察をしたことが管内閣不信任案の提出理由にもなっていたようだった。
また、それに同調するテレビのトーク番組などでは、評論家たちが、総理の現地視察が原発事故を防ぐためのベントを妨害したと語られていた。さらに福島第一原発事故に関する特集記事を記載している週刊誌にも同様の内容が記載されている。(2)
こうしたマスコミの発言を今一度、検証すると同時に、管総理が3月12日7時に福島第一原発を訪問したことが緊急の事故対策を行っている現場に与えた影響についても調査する必要があるだろう。
水素爆発は予測できなかったのか
管首相は原子力安全委員委員長と東電福島第一発電所の視察に自衛隊のヘリコプターで出発した。菅総理は視察中に同委員長にベントの遅れによって生じる事態の説明を求めた。NHKの番組での説明によると原子力安全委員委員長は水素が格納容器内に発生するが、格納容器には窒素が満たされており、酸素がない状態なので爆発の危険性はないと説明したとのことである。
12日9時24分、ベントが開始された。合計6名の作業員がそれぞれ20分以内で作業を行った。作業員の最大被曝線量は106ミリシーベルトであったとのことだ。そして14時30分に一号機の排気口から水蒸気が立ち登る様子が観察され、ベントが行われたことが確認された。
しかし、その一時間後に、一号機の建屋が水素爆発で吹き飛んだ。大量の放射能物質が灰色の噴煙と共に飛び散り、風に乗って周辺を汚染していったのである。
水素爆発は原子力安全委員委員長の言うように、原子力工学系の専門家とであっても殆ど誰も予測できない極めて難しく稀な現象であったのだろうか。緊急時の原子力発電所の事故処理を行う専門集団であるべき原子力安全委員会の専門的知識を疑う必要が生じている実に重大な問題を提起している。
国は多額の資金を掛けて(税金で)原子力安全委員会を運営している。その委員会に勤務する専門家は緊急時に政府が最も頼りとする人材集団である。その人々が現実の場で役に立たないということが今回の事故で明らかになった。原子力安全委員会のメンバーとその機能に関する評価検証が必要ではないだろうか。
参考資料
(1)NHKスペシャル 「シリーズ原発危機 1回 事故は何故深刻化したのか」2011年6月5日
(2)『東京電力の大罪』 週刊文春 臨時増刊 2011年7月27日号
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ブログ文書集 タイトル「東日本大震災に立ち向かおう」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_23.html
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2011年6月13日 誤字訂正
日欧学術教育文化交流委員会の活動
日欧学術教育文化交流委員会ニュース配信
日欧学術教育文化交流委員会とは
委員会の始まり
1963年1月22日、ドイツ連邦共和国とフランスの間で提携された仏独友好・協力条約(エリゼ条約)から40年目を記念するイベントを、2003年10月、故岸田綱太郎京都日仏協会会長の働きかけで、京都日仏協会と奈良日仏協会が共同で開催しました。このイベントに、フランスのアルザス地方で1980年代から、日本の企業誘致や日本の社会文化、教育研究の発展に貢献されたAndres Kleinさん(欧州アルザス日本学研究所長、元アルザス州開発公団総裁、元フランス・ライン河下流県助役)を招待しました。
私(三石博行)自身、1980年代から、クラインさんと一緒に、アルザスでの日本との交流を行ってきた経過もあり、アルザス成城学園の跡地利用に関する相談を受け、欧州日本学研究所と共に、関西や京都の大学への呼びかけを行ってきました。その活動を通じながら、ヨーロッパと日本での、参加型の国際交流活動を考え、故岸田綱太郎先生を囲み、河村能夫龍谷大学教授(元副学長)、廣田崇夫前国際交流基金京都支部長の三人が中心となり、日欧学術教育文化交流委員会の準備活動が始まりました。
2004年4月に、クライン欧州アルザス日本学研究所長の日欧間の学術教育文化交流活動への呼びかけもあり、5月に故岸田綱太郎先生が呼びかけ人代表者となり、梅棹忠夫先生(元国立民族博物館館長)、山折哲雄先生(元国際日本文化研究センター館長)、小倉和雄先生(国際交流基金理事長)、谷岡武雄先生(元立命館大学総長、元京都日仏協会会長)が呼びかけ人に参加され、この委員会は発足しました。その後、八田英二先生(大学コンソーシアム京都理事長、同志社大学学長)がオブザーバーとして参加されました。
現在までの主な活動
1、ヨーロッパ学研修プログラムの企画
2、ヨーロッパ文化研修プログラムの企画
3、日欧大学改革の交流事業 (2006年に第一回日仏共同シンポジュームを開催)
4、海外ミニ講座作成(龍谷大学経済学部国際経済学部への協力)
5、ヨーロッパの大学生のインターンシップ受け入れ(リール化学大学校、エコールセントラルECリール校の学生)
この委員会のメンバーは、具体的に交流活動を行っている人々によって、この委員会は運営されています。現在の委員会の委員長を三石が務めています。また、この委員会は2006年6月から京都日仏協会の傘下に入っています。
委員会活動の情報を提供します
委員会では、取り組んでいる活動報告を行っています。委員会活動に参加されているメンバーや興味をもたれている人々に、定期的ではありませんが、行事が行われたり、会議がなされたりした場合、報告を行っています。
興味のある方が居られましたら、この報告をお送りいたします。
現在、日欧学術教育文化交流活動委員会の活動は、休眠状態で、皆様にご迷惑をかけております。
また、これまで、メーリングリストアドレスも存在しましたが、中止することになりました。
今後の日欧学術教育文化交流活動委員会に関しましては、京都・奈良EU協会の協力を得て、続けたいと思います。
日欧学術教育文化交流活動委員会の情報に関しましては、
三石博行のホームページ の 「社会活動」「国際交流活動」の中の「日欧学術教育文化交流活動委員会」のページで紹介しますので、そのページの情報を見てください。
新しいアドレス
http://hiroyukimitsuishi.web.fc2.com/syakai_01_03.html
更新 2011年1月18日
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2011年6月13日 誤字訂正
日欧学術教育文化交流委員会とは
委員会の始まり
1963年1月22日、ドイツ連邦共和国とフランスの間で提携された仏独友好・協力条約(エリゼ条約)から40年目を記念するイベントを、2003年10月、故岸田綱太郎京都日仏協会会長の働きかけで、京都日仏協会と奈良日仏協会が共同で開催しました。このイベントに、フランスのアルザス地方で1980年代から、日本の企業誘致や日本の社会文化、教育研究の発展に貢献されたAndres Kleinさん(欧州アルザス日本学研究所長、元アルザス州開発公団総裁、元フランス・ライン河下流県助役)を招待しました。
私(三石博行)自身、1980年代から、クラインさんと一緒に、アルザスでの日本との交流を行ってきた経過もあり、アルザス成城学園の跡地利用に関する相談を受け、欧州日本学研究所と共に、関西や京都の大学への呼びかけを行ってきました。その活動を通じながら、ヨーロッパと日本での、参加型の国際交流活動を考え、故岸田綱太郎先生を囲み、河村能夫龍谷大学教授(元副学長)、廣田崇夫前国際交流基金京都支部長の三人が中心となり、日欧学術教育文化交流委員会の準備活動が始まりました。
2004年4月に、クライン欧州アルザス日本学研究所長の日欧間の学術教育文化交流活動への呼びかけもあり、5月に故岸田綱太郎先生が呼びかけ人代表者となり、梅棹忠夫先生(元国立民族博物館館長)、山折哲雄先生(元国際日本文化研究センター館長)、小倉和雄先生(国際交流基金理事長)、谷岡武雄先生(元立命館大学総長、元京都日仏協会会長)が呼びかけ人に参加され、この委員会は発足しました。その後、八田英二先生(大学コンソーシアム京都理事長、同志社大学学長)がオブザーバーとして参加されました。
現在までの主な活動
1、ヨーロッパ学研修プログラムの企画
2、ヨーロッパ文化研修プログラムの企画
3、日欧大学改革の交流事業 (2006年に第一回日仏共同シンポジュームを開催)
4、海外ミニ講座作成(龍谷大学経済学部国際経済学部への協力)
5、ヨーロッパの大学生のインターンシップ受け入れ(リール化学大学校、エコールセントラルECリール校の学生)
この委員会のメンバーは、具体的に交流活動を行っている人々によって、この委員会は運営されています。現在の委員会の委員長を三石が務めています。また、この委員会は2006年6月から京都日仏協会の傘下に入っています。
委員会活動の情報を提供します
委員会では、取り組んでいる活動報告を行っています。委員会活動に参加されているメンバーや興味をもたれている人々に、定期的ではありませんが、行事が行われたり、会議がなされたりした場合、報告を行っています。
興味のある方が居られましたら、この報告をお送りいたします。
現在、日欧学術教育文化交流活動委員会の活動は、休眠状態で、皆様にご迷惑をかけております。
また、これまで、メーリングリストアドレスも存在しましたが、中止することになりました。
今後の日欧学術教育文化交流活動委員会に関しましては、京都・奈良EU協会の協力を得て、続けたいと思います。
日欧学術教育文化交流活動委員会の情報に関しましては、
三石博行のホームページ の 「社会活動」「国際交流活動」の中の「日欧学術教育文化交流活動委員会」のページで紹介しますので、そのページの情報を見てください。
新しいアドレス
http://hiroyukimitsuishi.web.fc2.com/syakai_01_03.html
更新 2011年1月18日
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2011年6月13日 誤字訂正
原発問題は今後、我が国の政治の中心課題となるだろう
今、政治に求められていること(2)
三石博行
政治家の茶番劇という日本社会現象・過激な憂国の士を生み出す土壌
自分の利益に反する人を押しのけ、自分に敵対する人を排除し、自分を批判する人を落とし込むことを政治的だと言うのだろうか。いつから政治という言葉がみっともない行動の代名詞になってしまったのだろうか。
今の日本の政治を見ていれば、小学生の子供ですら、確かに政治とは人を追い落とすための知恵や手段のように理解することになるだろう。
政治家という名詞の響きが、「偉い人」「社会に貢献する人」というニュアンスから「自分勝手で私利私欲を求める我儘(わがまま)な人」になるのではないかと恐れる。そして、政治への絶望が生み出す社会現象は「憂国の士」と呼ばれる「過激に社会変革を切望する人々の群れ」である。この現象は今までの歴史の中で東西を問わず存在した。そのため、今の日本の政治家の行動は国民の中に、憂国の士を生み出すに十分な犯罪行為を行なっていると解釈されても仕方がないだろう。
ある評論家は内閣不信任案を出してはしゃいでいる政治家(そうでない政治家がいるので一把一絡げにするのは問題だが)を歴史が断罪すると言う。しかし、歴史の断罪を待つには犠牲が大きい。何とかしなければならないだろう。
国の為に散った無名の志士の思い
我々は今から1世紀半前の江戸時代末期、日本が西洋列強国と不平等条約を結んだあの時代の人々の努力を思い出さなければならない。帝国主義の時代に列強の植民地と化したアジアの国々、インドや中国という古代文明の発祥の地、誇り高い民族ですら、列強の軍事力に敗北し国土を奪われ、国家の主権を犯される国際協定の締結に屈したのであった。
そのアジア侵略の時代に唯一政治的植民地化から逃れた国が日本であった。しかし、経済的な植民地化は受け入れてしまったのである。それが不平等条約であった。まず、政治的植民地化を避けるために日本の人民はどのように振舞ったのか。多くの無名の志士たちが屍となり、その道を切り開いた歴史を思い出す必要がある。決して、薩摩、長州、土佐や肥後等の下級武士だけでなく、日本国の多くの地方(藩)から脱藩し明治維新に参加し、また幕府の中でもそれに賛同した人々がいた事を思い出すべきである。
我々の身体に、我々の風土にその熱い血は流れ、その熱い思いは継承しれてきた。彼らの思いを忘れてはならない。
そして、同じように不平等条約を撤回するために闘った明治の政治家や軍人たちの思いを思い出すべきである。さらに、間違った戦争と言われようと、日清、日露戦争、太平洋戦争で国を守るために散った兵士たち、若い命を思い出すべきである。
日々の命と生活を守るために苦しむ罹災者(国民)の目線に立てば、内閣不信任案を提出するとか、総理の任期を議論するとか、誰が次の総理になるかに関心を集中するとか、全く考えられない政治家達の行動を、もし、彼らが今の政治家の姿を観るなら何と思うだろうか。
多分、無名戦士達から、「恥を知るべきである」と一喝されるだろう。
転換期の社会現象としての原発事故
多くの血を流し、弾圧の歴史を経て勝ち取った市民の自由や平等、民主主義社会の成立の歴史を思い出すなら、国民主権の重さを理解できるのである。江戸時代に生まれていたら、一地方から他の地方への移動も、職業選択の自由もなかった。近代日本が始まっても戦前までは国民主権(民主主義)、人権尊重や国際平和を理念にする国家ではなかった。
自由、平等、人権や平和の理念に戦後の日本国の繁栄がある。そしてその繁栄を得て、我々はさらに豊かな国を創ろうと努力している。その豊かさは贅沢の尺度で測られるのではなく幸福の尺度で測られるのではないかと考えるようになった。
今、日本は大きな転換期にある。それは日本の周りから押し寄せる影響、東アジア(台湾、韓国や中国、そして極東ロシア)の活性化し巨大化する経済圏の成立である。戦後日本の経済発展に大きく関係し寄与したアメリカやヨーロッパとの関係を超えてアジアの国々との関係が重要になってきたことがその転換期への入口であった。
そればかりではない、資源・環境問題や地球温暖化に代表される資源エネルギー問題である。そこで登場したのが原発推進であった。しかし、その原発推進は環境問題や資源問題の最善の解決策であるかという国民的な議論が為されていないままに、日本をはじめ、欧米や中国やインドに代表される最発展途上国の最優先国策となっていた。
その状況にまったく偶然とは言え、待ったをかけたのが福島第一原発事故であった。これまで原発建設を躊躇って(ためらって)きた欧米の国々は原発推進に転換したが、この原発事故で再び、原発推進を検討しなければならない状況になった。
原発問題が政治活動の重要な位置にある
福島第一原発事故の結果の重大さに比例して、どの国(民主主義国家)も、国民の意見が、今後のエネルギー政策に大きく反映される。つまり、被害を受ける国民の感情が、これまでのなし崩しの原発政策に待ったをかけることは言うまでもない。
原発政策は、電力会社、政府、マスコミ、専門家(大学、学会)がひとつになって推進してきた。原発への批判は、一切認められず、原発に反対する人々は「過激派」のレッテルを貼られてきた。地域住民が事故を起こした原発の安全性を問いかけるのはもちろんのこと、原発内の作業で被爆した人々の労災認定すら難しい時代であった。
この原発安全神話はこれまでの数々の原発事故やその事故情報の隠蔽事件の中で壊れつつあったものの、決定的な崩壊を見ることはなかった。国会でも再三、吉井英勝議員(共産党)が福島第一原発の安全性に関して質問したが、政府は何も対策を取らなかった。そして、残念なことに、吉井代議士の指摘したような事故が発生したのである。
この原発事故によって、日本社会は1960年代後半から続いた原発政策を検証しなければならなくなった。そして、電力会社の計画的停電という脅しに対して、節電運動と再生可能な自然エネルギーへの転換を行おうとしている。
この流れに対して、多分、これまで原発政策を推進して来た原発村は危機感を持っているだろう。しかし、今、その危機感を露に表現することを避けているだろう。その代表的な彼らの反応が浜岡原発の安全点検のために政府が決定した可動中止の要請と中部電力の浜岡原発の稼働中止に対する批判として吹き上がった。そして本音では、浜岡原発を中止した菅直人を早く辞めさせたいと思っているだろう。今後も、この原発村の利権を潜伏させながら内閣不信任案や国会での政治的混乱が仕組まれてくることを見抜く必要がある。
今後の政治家たちの動きの尺度として、原発問題への対応が問われる。これまで巨大な利権集団となり国のエネルギー政策を左右してきた原発村の力を甘く見ることは危険であると思う。特に、マスコミの動きは原発村の意向を受けた先兵として登場し続けることは今までの経過から理解されるだろう。
こうした政治や社会の動きに対して、大きな国民運動を起こし、将来持続可能な社会・日本を建設する活動を行う必要がある。
参考資料
三石博行 「罹災者救済、国民と国家の将来のために働くことのみが政治家の課題である」 2011年6月7日
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_07.html
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_07.html
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東日本大震災関連ブログ文書集
1、ブログ文書集「原発事故が日本社会に問いかけている課題」目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_3562.html
2、ブログ文書集「東日本大震災に立ち向かおう」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_23.html
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2011年6月12日 誤字修正
三石博行
政治家の茶番劇という日本社会現象・過激な憂国の士を生み出す土壌
自分の利益に反する人を押しのけ、自分に敵対する人を排除し、自分を批判する人を落とし込むことを政治的だと言うのだろうか。いつから政治という言葉がみっともない行動の代名詞になってしまったのだろうか。
今の日本の政治を見ていれば、小学生の子供ですら、確かに政治とは人を追い落とすための知恵や手段のように理解することになるだろう。
政治家という名詞の響きが、「偉い人」「社会に貢献する人」というニュアンスから「自分勝手で私利私欲を求める我儘(わがまま)な人」になるのではないかと恐れる。そして、政治への絶望が生み出す社会現象は「憂国の士」と呼ばれる「過激に社会変革を切望する人々の群れ」である。この現象は今までの歴史の中で東西を問わず存在した。そのため、今の日本の政治家の行動は国民の中に、憂国の士を生み出すに十分な犯罪行為を行なっていると解釈されても仕方がないだろう。
ある評論家は内閣不信任案を出してはしゃいでいる政治家(そうでない政治家がいるので一把一絡げにするのは問題だが)を歴史が断罪すると言う。しかし、歴史の断罪を待つには犠牲が大きい。何とかしなければならないだろう。
国の為に散った無名の志士の思い
我々は今から1世紀半前の江戸時代末期、日本が西洋列強国と不平等条約を結んだあの時代の人々の努力を思い出さなければならない。帝国主義の時代に列強の植民地と化したアジアの国々、インドや中国という古代文明の発祥の地、誇り高い民族ですら、列強の軍事力に敗北し国土を奪われ、国家の主権を犯される国際協定の締結に屈したのであった。
そのアジア侵略の時代に唯一政治的植民地化から逃れた国が日本であった。しかし、経済的な植民地化は受け入れてしまったのである。それが不平等条約であった。まず、政治的植民地化を避けるために日本の人民はどのように振舞ったのか。多くの無名の志士たちが屍となり、その道を切り開いた歴史を思い出す必要がある。決して、薩摩、長州、土佐や肥後等の下級武士だけでなく、日本国の多くの地方(藩)から脱藩し明治維新に参加し、また幕府の中でもそれに賛同した人々がいた事を思い出すべきである。
我々の身体に、我々の風土にその熱い血は流れ、その熱い思いは継承しれてきた。彼らの思いを忘れてはならない。
そして、同じように不平等条約を撤回するために闘った明治の政治家や軍人たちの思いを思い出すべきである。さらに、間違った戦争と言われようと、日清、日露戦争、太平洋戦争で国を守るために散った兵士たち、若い命を思い出すべきである。
日々の命と生活を守るために苦しむ罹災者(国民)の目線に立てば、内閣不信任案を提出するとか、総理の任期を議論するとか、誰が次の総理になるかに関心を集中するとか、全く考えられない政治家達の行動を、もし、彼らが今の政治家の姿を観るなら何と思うだろうか。
多分、無名戦士達から、「恥を知るべきである」と一喝されるだろう。
転換期の社会現象としての原発事故
多くの血を流し、弾圧の歴史を経て勝ち取った市民の自由や平等、民主主義社会の成立の歴史を思い出すなら、国民主権の重さを理解できるのである。江戸時代に生まれていたら、一地方から他の地方への移動も、職業選択の自由もなかった。近代日本が始まっても戦前までは国民主権(民主主義)、人権尊重や国際平和を理念にする国家ではなかった。
自由、平等、人権や平和の理念に戦後の日本国の繁栄がある。そしてその繁栄を得て、我々はさらに豊かな国を創ろうと努力している。その豊かさは贅沢の尺度で測られるのではなく幸福の尺度で測られるのではないかと考えるようになった。
今、日本は大きな転換期にある。それは日本の周りから押し寄せる影響、東アジア(台湾、韓国や中国、そして極東ロシア)の活性化し巨大化する経済圏の成立である。戦後日本の経済発展に大きく関係し寄与したアメリカやヨーロッパとの関係を超えてアジアの国々との関係が重要になってきたことがその転換期への入口であった。
そればかりではない、資源・環境問題や地球温暖化に代表される資源エネルギー問題である。そこで登場したのが原発推進であった。しかし、その原発推進は環境問題や資源問題の最善の解決策であるかという国民的な議論が為されていないままに、日本をはじめ、欧米や中国やインドに代表される最発展途上国の最優先国策となっていた。
その状況にまったく偶然とは言え、待ったをかけたのが福島第一原発事故であった。これまで原発建設を躊躇って(ためらって)きた欧米の国々は原発推進に転換したが、この原発事故で再び、原発推進を検討しなければならない状況になった。
原発問題が政治活動の重要な位置にある
福島第一原発事故の結果の重大さに比例して、どの国(民主主義国家)も、国民の意見が、今後のエネルギー政策に大きく反映される。つまり、被害を受ける国民の感情が、これまでのなし崩しの原発政策に待ったをかけることは言うまでもない。
原発政策は、電力会社、政府、マスコミ、専門家(大学、学会)がひとつになって推進してきた。原発への批判は、一切認められず、原発に反対する人々は「過激派」のレッテルを貼られてきた。地域住民が事故を起こした原発の安全性を問いかけるのはもちろんのこと、原発内の作業で被爆した人々の労災認定すら難しい時代であった。
この原発安全神話はこれまでの数々の原発事故やその事故情報の隠蔽事件の中で壊れつつあったものの、決定的な崩壊を見ることはなかった。国会でも再三、吉井英勝議員(共産党)が福島第一原発の安全性に関して質問したが、政府は何も対策を取らなかった。そして、残念なことに、吉井代議士の指摘したような事故が発生したのである。
この原発事故によって、日本社会は1960年代後半から続いた原発政策を検証しなければならなくなった。そして、電力会社の計画的停電という脅しに対して、節電運動と再生可能な自然エネルギーへの転換を行おうとしている。
この流れに対して、多分、これまで原発政策を推進して来た原発村は危機感を持っているだろう。しかし、今、その危機感を露に表現することを避けているだろう。その代表的な彼らの反応が浜岡原発の安全点検のために政府が決定した可動中止の要請と中部電力の浜岡原発の稼働中止に対する批判として吹き上がった。そして本音では、浜岡原発を中止した菅直人を早く辞めさせたいと思っているだろう。今後も、この原発村の利権を潜伏させながら内閣不信任案や国会での政治的混乱が仕組まれてくることを見抜く必要がある。
今後の政治家たちの動きの尺度として、原発問題への対応が問われる。これまで巨大な利権集団となり国のエネルギー政策を左右してきた原発村の力を甘く見ることは危険であると思う。特に、マスコミの動きは原発村の意向を受けた先兵として登場し続けることは今までの経過から理解されるだろう。
こうした政治や社会の動きに対して、大きな国民運動を起こし、将来持続可能な社会・日本を建設する活動を行う必要がある。
参考資料
三石博行 「罹災者救済、国民と国家の将来のために働くことのみが政治家の課題である」 2011年6月7日
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_07.html
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_07.html
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東日本大震災関連ブログ文書集
1、ブログ文書集「原発事故が日本社会に問いかけている課題」目次
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2、ブログ文書集「東日本大震災に立ち向かおう」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_23.html
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2011年6月12日 誤字修正
2011年6月11日土曜日
首相の苛立ちと外部専門家の起用を巡る検証課題
福島第一原発事故検証(5)
首相の苛立ちという現象の分析
これまで日本の原発、いや世界の原発が経験したことのない重大な事態、つまり全電源喪失・原子炉冷却不全・炉心溶解の可能性という緊急事態の対応に対して対策会議は無能であった。彼らの提案は一つ「電源車の確保配備」であった。しかし、電源車での電気供給に対して冷却装置は働かなかった。
この重大な判断ミスによって、事態の深刻化を食い止める手段を失った状態となった。多分、管首相は「地震によって冷却装置の破損も仮定できない」素人集団のような保安院や原子力安全委員会に対して深い不信感を持っただろう。
管首相でなくても、対策会議で保安院や原子力安全委員会の長が炉心のメルトダウンを起こすかもしれないという緊急事態、それが現実となれば全世界に莫大な放射能をばら撒き、環境と健康破壊を起こし、不安を巻き起こすことが明確となる事態を予測するこころ(精神)の無いことに気付く時、誰が彼らに国家の緊急事態への対応を任せられるだろうか。
菅首相をはじめ官邸のトップが抱え込んだ課題は、例えてみると、異国の軍隊の指揮を取る指導者の様に見えた。つまり、長年自民党政権下で原発推進を進めてきた政府機能(官僚やその他専門委員会)、しかも、この機能は原発安全神話を創り反原発勢力を押さえ込んできた「原発村」の住民である。この原発推進派の軍隊の中で原発の安全性を否定しかねない指揮司令を出さなければならないのである。
首相の苛立ちを首相の個人的問題にすり替えることはこの問題の本質を考える材料を失うことのように思える。何故、一国の長が焦り、感情を露にしなければならない事態が生じていたのか、冷静にその状況と背景を考えることが、この検証課題の中に含まれるべきである。
首相の焦りや感情的行動を政治の道具にしてしまうのは、政局しか興味のない永田町の人々やマスコミにとっては当然でるが、国民の生活危機、日本社会や東アジア国際地域社会を考える人々に取っては、今の内閣不信任案や政局論争は全く興味のない課題である。
それよりも、罹災者の救済、災害復旧活動、原発事故処理、震災に強い東北社会(日本)が最も優先すべき課題であり、国会議員はそのために(それのみに)専念すべきであると考える。首相の苛立ちを政局混乱の政治の道具に使うこと自体が状況を理解していない政治家たちの私利私欲の行動であると解釈されるだろう。
何も菅総理が苛立つのが正しいと言っているのではない。菅総理が苛立とうがそうでなかろうが、問題はそこでなく、その局面で問われた国家の長の判断や政府の動きが適切に行われることである。それ以外に、一秒の単位で進む危機的状況を回避する手立てはない。
事故予測を立てられなかった対策会議の専門家への失望、一刻を争う国家の危機への対策・外部専門家の登用
3月12日15時36分1号機建家で水素爆発。その直前まで「水素爆発は起こりません」と聞かされていた首相にとっては最悪の事態が生じた。NHKが編集した原発事故を検証するための番組、NHKスペシャル「シリーズ原発危機 1回 事故は何故深刻化したのか」(1)の中で、総理はこれまで総理の相談役であり対策会議のメンバーであった原子力安全委員会の委員長や政府の経済通産省原子力安全・保安院長への信頼を失い、次第に研究者や専門家になっている大学時代の友人に頼っていったと述べられていた。
その中の一人、日比野靖氏(北陸先端科学技術大学副学長、内閣官房参与)は、当時、首相が対策会議の専門家へ「(3号機は)今後どうなるのか」という首相の質問をしていたこと、そしえ、だれもその質問に答えられない状態であったこと(それが首相にとって一番の不満であったこと)がNHKの番組で述べていた。
首相は対策会議の外に信頼できる専門家を集め、事故の予測や対策を検討し始めた。国家の大災難となる可能性をもつ重大な局面で、総理は当然の事として、信頼できる専門家を呼び集めた。彼らの意見を聞くことによって、事態の深刻さが明らかになったと思われる。
一号機での「水素爆発」の予測すら立てられなかった対策会議の専門家(原子力安全委員会や保安院)を信頼していては取り返しのつかない事態をさらに引き起こす可能性は十分にあった。つまり、最も恐れる事態、つまりプルトニュームを含む核燃料を使っている3号機の水素爆発やメルトダウンを絶対に避けなければならないと首相は考えていたに違いない。
首相は外部の専門家を内閣官房参与として登用した。3月13日5時10分、3号機の冷却機能が喪失し新たな危機が迫っていた。11時に外部の専門家が内閣官房に呼ばれた。冷却装置が機能しなくなった3号機の今後の事故の進展に関して首相は彼らに意見を聞いた。彼らから深刻な事故の予測、つまり3号機の水素爆発は避けられないことが述べられた。
非常事態時に有能な専門家を緊急時に集められないのだろうか
NHKの番組では、この事態について管総理が外部の専門家の意見を聞いて動くことで、本来あるべき原子力安全のための組織、つまり保安院や原子力安全委員会を中心とした政府の行政機能が動かなくなったと述べた。
この問題は、今回の原発事故処理に代表される国家の危機管理の在り方を問う課題であると理解しなければならないだろう。つまり、程度の大きさや重大さを別にして、今後もこうした問題は発生し続けるだろう。ともかく、日本は自然災害多発国家である。その自然環境の中で、日本の社会、経済、生活は運営されているのである。災害に強い国家を作ることが国の基本的な課題になるべきである。
災害に強い国家とは、災害対策に対する専門的知識を持つ人々(人材)の育成(教育)、それらの人々の社会的機能への配置(人的資源の有効活用)、そしてそれらの人々の活動に関する情報公開によって災害に強い国家のための国民的コンセンサスや文化の構築が必要となる。
備えのない所に危機的状況を乗り越える人材も手段も見つからなかったという今回の教訓を忘れてはならないだろう。
首相の苛立ちとして語られた状況に関する検証課題
この首相の苛立ちと表現されてしまった当時の官邸の対応に関する問題を検証しなければならない。
1、 メルトダウンと水素爆発という原子力発電所の重大事故に立ち向かい、後手にまわる対応に対して、首相が苛立つのは当然である。この国家の危機を救うために首相の周りに補佐できる人物が居なかったことは余りにも不幸なことである。
2、 保安院や原子力安全委員会の長は信頼するに値しない対応を取り続けてきた。管総理が彼れの態度を批判するなら、信頼できる専門家を対策会議の中に入れることは出来なかったのだろうか。つまり、信頼できる専門家の意見を保安院や原子力安全委員会の長に聴かせ、不十分な対応しか出来なかったかもしれないが、政府の原子力安全に関する機能を無視せずに、外部の批判の中で、少しでも機能するように動かす方が、多くの政府関係者を動員できたのではないだろうか。
3、 首相がもし保安院や原子力安全委員会の長に対して不信を抱いたなら、思い切って、保安院や原子力安全委員会の長を首相は替えることは出来なかっただろうか。この不信は個人的な不信だけでなく、原発推進を行ってきた経済産業省の中に原子力安全・保安院が存在していること、また原発推進派によって構成されている原子力安全委員会という、構造的な不信でもある。その構造的問題を、この緊急事態の中で解決する時間はない。すると、この組織の中に、これまでの国家が進めて来た原子力行政に対して批判的な専門家、例えば京都大学原子炉実験所の小出裕章氏や今中哲二氏を入れることも可能かもしれない。
4、 原発事故等の国家の緊急事態が生じる場合を想定し、国家の全ての人材を活用するシステムを日常的に構築しておく必要がある。あらゆる分野で有能な専門家がいる。それらの人材バンクを構築し、原子力安全委員会や原子力安全・保安院はそれらの人々を集め、共同作業を企画するコーディネータ的な機能を持つべきではないだろうか。
参考資料
(1)NHKスペシャル「シリーズ原発危機 1回 事故は何故深刻化したのか」2011年6月5日
(2)『メルトダウン 福島第1原発詳細ドキュメント』 サンデー毎日 緊急増刊3 2011年6月25日号 89p 写真資料
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東日本大震災関連ブログ文書集
1、ブログ文書集「原発事故が日本社会に問いかけている課題」目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_3562.html
2、ブログ文書集「東日本大震災の復旧・復興のために 震災に強い社会建設を目指して」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_23.html
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2011年6月12日 誤字修正
2011年6月22日 文書追加
首相の苛立ちという現象の分析
これまで日本の原発、いや世界の原発が経験したことのない重大な事態、つまり全電源喪失・原子炉冷却不全・炉心溶解の可能性という緊急事態の対応に対して対策会議は無能であった。彼らの提案は一つ「電源車の確保配備」であった。しかし、電源車での電気供給に対して冷却装置は働かなかった。
この重大な判断ミスによって、事態の深刻化を食い止める手段を失った状態となった。多分、管首相は「地震によって冷却装置の破損も仮定できない」素人集団のような保安院や原子力安全委員会に対して深い不信感を持っただろう。
管首相でなくても、対策会議で保安院や原子力安全委員会の長が炉心のメルトダウンを起こすかもしれないという緊急事態、それが現実となれば全世界に莫大な放射能をばら撒き、環境と健康破壊を起こし、不安を巻き起こすことが明確となる事態を予測するこころ(精神)の無いことに気付く時、誰が彼らに国家の緊急事態への対応を任せられるだろうか。
菅首相をはじめ官邸のトップが抱え込んだ課題は、例えてみると、異国の軍隊の指揮を取る指導者の様に見えた。つまり、長年自民党政権下で原発推進を進めてきた政府機能(官僚やその他専門委員会)、しかも、この機能は原発安全神話を創り反原発勢力を押さえ込んできた「原発村」の住民である。この原発推進派の軍隊の中で原発の安全性を否定しかねない指揮司令を出さなければならないのである。
首相の苛立ちを首相の個人的問題にすり替えることはこの問題の本質を考える材料を失うことのように思える。何故、一国の長が焦り、感情を露にしなければならない事態が生じていたのか、冷静にその状況と背景を考えることが、この検証課題の中に含まれるべきである。
首相の焦りや感情的行動を政治の道具にしてしまうのは、政局しか興味のない永田町の人々やマスコミにとっては当然でるが、国民の生活危機、日本社会や東アジア国際地域社会を考える人々に取っては、今の内閣不信任案や政局論争は全く興味のない課題である。
それよりも、罹災者の救済、災害復旧活動、原発事故処理、震災に強い東北社会(日本)が最も優先すべき課題であり、国会議員はそのために(それのみに)専念すべきであると考える。首相の苛立ちを政局混乱の政治の道具に使うこと自体が状況を理解していない政治家たちの私利私欲の行動であると解釈されるだろう。
何も菅総理が苛立つのが正しいと言っているのではない。菅総理が苛立とうがそうでなかろうが、問題はそこでなく、その局面で問われた国家の長の判断や政府の動きが適切に行われることである。それ以外に、一秒の単位で進む危機的状況を回避する手立てはない。
事故予測を立てられなかった対策会議の専門家への失望、一刻を争う国家の危機への対策・外部専門家の登用
3月12日15時36分1号機建家で水素爆発。その直前まで「水素爆発は起こりません」と聞かされていた首相にとっては最悪の事態が生じた。NHKが編集した原発事故を検証するための番組、NHKスペシャル「シリーズ原発危機 1回 事故は何故深刻化したのか」(1)の中で、総理はこれまで総理の相談役であり対策会議のメンバーであった原子力安全委員会の委員長や政府の経済通産省原子力安全・保安院長への信頼を失い、次第に研究者や専門家になっている大学時代の友人に頼っていったと述べられていた。
その中の一人、日比野靖氏(北陸先端科学技術大学副学長、内閣官房参与)は、当時、首相が対策会議の専門家へ「(3号機は)今後どうなるのか」という首相の質問をしていたこと、そしえ、だれもその質問に答えられない状態であったこと(それが首相にとって一番の不満であったこと)がNHKの番組で述べていた。
首相は対策会議の外に信頼できる専門家を集め、事故の予測や対策を検討し始めた。国家の大災難となる可能性をもつ重大な局面で、総理は当然の事として、信頼できる専門家を呼び集めた。彼らの意見を聞くことによって、事態の深刻さが明らかになったと思われる。
一号機での「水素爆発」の予測すら立てられなかった対策会議の専門家(原子力安全委員会や保安院)を信頼していては取り返しのつかない事態をさらに引き起こす可能性は十分にあった。つまり、最も恐れる事態、つまりプルトニュームを含む核燃料を使っている3号機の水素爆発やメルトダウンを絶対に避けなければならないと首相は考えていたに違いない。
首相は外部の専門家を内閣官房参与として登用した。3月13日5時10分、3号機の冷却機能が喪失し新たな危機が迫っていた。11時に外部の専門家が内閣官房に呼ばれた。冷却装置が機能しなくなった3号機の今後の事故の進展に関して首相は彼らに意見を聞いた。彼らから深刻な事故の予測、つまり3号機の水素爆発は避けられないことが述べられた。
非常事態時に有能な専門家を緊急時に集められないのだろうか
NHKの番組では、この事態について管総理が外部の専門家の意見を聞いて動くことで、本来あるべき原子力安全のための組織、つまり保安院や原子力安全委員会を中心とした政府の行政機能が動かなくなったと述べた。
この問題は、今回の原発事故処理に代表される国家の危機管理の在り方を問う課題であると理解しなければならないだろう。つまり、程度の大きさや重大さを別にして、今後もこうした問題は発生し続けるだろう。ともかく、日本は自然災害多発国家である。その自然環境の中で、日本の社会、経済、生活は運営されているのである。災害に強い国家を作ることが国の基本的な課題になるべきである。
災害に強い国家とは、災害対策に対する専門的知識を持つ人々(人材)の育成(教育)、それらの人々の社会的機能への配置(人的資源の有効活用)、そしてそれらの人々の活動に関する情報公開によって災害に強い国家のための国民的コンセンサスや文化の構築が必要となる。
備えのない所に危機的状況を乗り越える人材も手段も見つからなかったという今回の教訓を忘れてはならないだろう。
首相の苛立ちとして語られた状況に関する検証課題
この首相の苛立ちと表現されてしまった当時の官邸の対応に関する問題を検証しなければならない。
1、 メルトダウンと水素爆発という原子力発電所の重大事故に立ち向かい、後手にまわる対応に対して、首相が苛立つのは当然である。この国家の危機を救うために首相の周りに補佐できる人物が居なかったことは余りにも不幸なことである。
2、 保安院や原子力安全委員会の長は信頼するに値しない対応を取り続けてきた。管総理が彼れの態度を批判するなら、信頼できる専門家を対策会議の中に入れることは出来なかったのだろうか。つまり、信頼できる専門家の意見を保安院や原子力安全委員会の長に聴かせ、不十分な対応しか出来なかったかもしれないが、政府の原子力安全に関する機能を無視せずに、外部の批判の中で、少しでも機能するように動かす方が、多くの政府関係者を動員できたのではないだろうか。
3、 首相がもし保安院や原子力安全委員会の長に対して不信を抱いたなら、思い切って、保安院や原子力安全委員会の長を首相は替えることは出来なかっただろうか。この不信は個人的な不信だけでなく、原発推進を行ってきた経済産業省の中に原子力安全・保安院が存在していること、また原発推進派によって構成されている原子力安全委員会という、構造的な不信でもある。その構造的問題を、この緊急事態の中で解決する時間はない。すると、この組織の中に、これまでの国家が進めて来た原子力行政に対して批判的な専門家、例えば京都大学原子炉実験所の小出裕章氏や今中哲二氏を入れることも可能かもしれない。
4、 原発事故等の国家の緊急事態が生じる場合を想定し、国家の全ての人材を活用するシステムを日常的に構築しておく必要がある。あらゆる分野で有能な専門家がいる。それらの人材バンクを構築し、原子力安全委員会や原子力安全・保安院はそれらの人々を集め、共同作業を企画するコーディネータ的な機能を持つべきではないだろうか。
参考資料
(1)NHKスペシャル「シリーズ原発危機 1回 事故は何故深刻化したのか」2011年6月5日
(2)『メルトダウン 福島第1原発詳細ドキュメント』 サンデー毎日 緊急増刊3 2011年6月25日号 89p 写真資料
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東日本大震災関連ブログ文書集
1、ブログ文書集「原発事故が日本社会に問いかけている課題」目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_3562.html
2、ブログ文書集「東日本大震災の復旧・復興のために 震災に強い社会建設を目指して」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_23.html
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2011年6月12日 誤字修正
2011年6月22日 文書追加
3月11日緊急事態宣言・対策会議に関する検証課題
福島第一原発事故検証(4)
三石博行
電源車の配置以外の可能性
NHKの「シリーズ原発危機 1回 事故は何故深刻化したのか」の番組(1)での説明によると、政府は3月11日21時3分に非常事態を発令した。この発令は全電源喪失(15時42分)から約4時間半、東電からの原子力災害対策特別措置法(原災法)15条に基づく特別事象の発生通知(14時45分)を政府(保安院)が受けてから約3時間半、17時30分に保安院の内閣に対する報告を受けて約2時間半後、21時3分に緊急事態宣言を行った。
3月11日21時3分、政府は緊急事態宣言に基づき対策会議を開いた。この会議に参加したのは、総理大臣、官房長官、副官房長官、総理大臣補佐官、経済産業大臣、原子力安全・保安院長、原子力安全委員会委員長、東電本社幹部(常務)である。
NHK番組では津波によって失われた原発の電源を確保するための電源車の手配が東電幹部(常務)から要請されたとなっている。総理大臣の指令によって政府は必死になって電源車を確保する。電源車は指令から1時間後 21時に一台目の電源車が配置された。そして近辺の県から次々に多くの電源車が現地に集まった。
しかし、電源車が来ても、電源車のケーブルプラグと原発の電源プラグが合わず、肝心なケーブルがつながらない事態が生じる。やっとケーブルが繋がったと思うや、今度は、冷却装置のポンプが動かないことが分かった。つまり、原発の電気系統が破壊していたのである。こうして右往左往している間に原発の全電源喪失から6時間の時間が経過した。
6月7日の毎日新聞によると、6月6日に保安院が第一号機のメルトダウンは「地震発生の5時間後に始まった」と発表した。(2)つまり、この6時間の経過によって第一号機でのメルトダウンがすでに起っていたのである。
対策会議で決定した「電源車の確保」に関して点検しなければならない。つまり、電源車の確保とは冷却装置の故障を前提にしていない。電源を確保すれば冷却装置は動くという前提に立っている。津波によって補助電源による冷却装置の故障が生じたのであって、地震によって冷却装置は壊れていないという前提に立っている。
この東電の判断となったものは何か。それはあくまでも予測に立った判断であったか。
緊急事態宣言から対策会議、その対策会議での意思決定・電源車配置、そして電源車配置から電源ケーブル接続に至るまでの経過を点検してみよう。問われる課題を以下に述べる。
1、東電幹部が「電源車の配置」を要請したのは、電源喪失の原因は補助電源の喪失によるものと理解していたからだろう。つまり、電源を繋げば冷却装置は動くという仮定のもとに、電源車の確保が緊急事態を解決するための第一課題に上がった。
2、ここで原子力発電に関する専門家である東電、保安院や原子力安全委員会は東電の提案・電源車確保に対して、それ以外の提案をしたのか、どのような意見を述べたのか。つまり、彼らは、地震によって冷却装置の破損を仮定し、電源車のみでなく冷却水の確保を提案したのか、対策会議での専門家(保安院や原子力安全委員会)の発言を詳しく検証しなければならないだろう。
対策会議のメンバーの専門性の点検
対策会議での緊急事態対応に関する検証課題を挙げるなら、事故発生の初動段階でメルトダウンという最悪の事故を防ぐことが出来なかったことに尽きる。まず対策会議が決定した対応が電源車の確保のみであった。それ以外の対策、つまり原発の電気経路の故障を想定することが出来なかった。その意味で、この地点ですでに対策会議の危機管理に関する甘い判断と重大な判断ミスがあったと言える。
その要因とは、地震と津波に襲われ、全電源喪失をした原発・最緊急事態の発生に対応するための対策会議の目的にあった、つまりこれまで経験したことのない重大な事故の発生に対応できる人材が居なかったとういことに尽きる。この点を決定的に検証する必要がある。
まず、対策会議に集まったメンバーは上記したが、その中で総理大臣、官房長官、副官房長官、総理大臣補佐官、経済産業大臣は事故対策に対する意思決定権を持つ政治家であるが、しかし原子力工学や放射能被曝の専門家ではない。彼らは、原子力工学関連技術分野の専門家である原子力安全・保安院長、原子力安全委員会委員長、東電本社幹部(常務)の意見を聞き、政治的判断を下すことになる。
つまり、経済産業省原子力安全・保安院、原子力安全委員会、東電本社が対策会議の中で唯一、原子力発電所の技術問題やそこで生じている原発事故に関する専門的知識を持つ人々であるとされている。しかし、その専門家たちの取った全電源喪失事故への対策は「電源車確保」のみであった。そして、その対策は見事に不十分であり、間違っていた。
最も重要な局面を検討した3月11日の対策会議に原子力発電施設・福島第一原発の構造やその事故の状況とそれに対する技術的専門知識を持っていると評価され参加していたメンバー、保安院長、原子力安全委員会委員長と東電本社常務の三名の判断が初動段階で間違っていたのである。この間違いは非常に重大であり、その原因を究明しなければならない。
対策会議に参加した技術部門の専門家である原子力安全・保安院、原子力安全委員会、東電幹部の原子力工学や放射能被曝に関する専門的な知識とスキルの点検が必要である。彼らが、今回の事故に対して正確な対応が出来る専門家であったかということが事態を解決するために非常に大切な要因であることは否定できない。
また、対策会議のメンバーが原子力災害対策特別措置法(原災法)等の法律に基づき形式的に決定されているのであれば、その法律や制度を検証しなければならないだろう。
参考資料
(1)NHKスペシャル「シリーズ原発危機 1回 事故は何故深刻化したのか」2011年6月5日
(2)毎日jp 毎日新聞 2011年6月7日 東京朝刊
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110607ddm003040105000c.html
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三石博行
電源車の配置以外の可能性
NHKの「シリーズ原発危機 1回 事故は何故深刻化したのか」の番組(1)での説明によると、政府は3月11日21時3分に非常事態を発令した。この発令は全電源喪失(15時42分)から約4時間半、東電からの原子力災害対策特別措置法(原災法)15条に基づく特別事象の発生通知(14時45分)を政府(保安院)が受けてから約3時間半、17時30分に保安院の内閣に対する報告を受けて約2時間半後、21時3分に緊急事態宣言を行った。
3月11日21時3分、政府は緊急事態宣言に基づき対策会議を開いた。この会議に参加したのは、総理大臣、官房長官、副官房長官、総理大臣補佐官、経済産業大臣、原子力安全・保安院長、原子力安全委員会委員長、東電本社幹部(常務)である。
NHK番組では津波によって失われた原発の電源を確保するための電源車の手配が東電幹部(常務)から要請されたとなっている。総理大臣の指令によって政府は必死になって電源車を確保する。電源車は指令から1時間後 21時に一台目の電源車が配置された。そして近辺の県から次々に多くの電源車が現地に集まった。
しかし、電源車が来ても、電源車のケーブルプラグと原発の電源プラグが合わず、肝心なケーブルがつながらない事態が生じる。やっとケーブルが繋がったと思うや、今度は、冷却装置のポンプが動かないことが分かった。つまり、原発の電気系統が破壊していたのである。こうして右往左往している間に原発の全電源喪失から6時間の時間が経過した。
6月7日の毎日新聞によると、6月6日に保安院が第一号機のメルトダウンは「地震発生の5時間後に始まった」と発表した。(2)つまり、この6時間の経過によって第一号機でのメルトダウンがすでに起っていたのである。
対策会議で決定した「電源車の確保」に関して点検しなければならない。つまり、電源車の確保とは冷却装置の故障を前提にしていない。電源を確保すれば冷却装置は動くという前提に立っている。津波によって補助電源による冷却装置の故障が生じたのであって、地震によって冷却装置は壊れていないという前提に立っている。
この東電の判断となったものは何か。それはあくまでも予測に立った判断であったか。
緊急事態宣言から対策会議、その対策会議での意思決定・電源車配置、そして電源車配置から電源ケーブル接続に至るまでの経過を点検してみよう。問われる課題を以下に述べる。
1、東電幹部が「電源車の配置」を要請したのは、電源喪失の原因は補助電源の喪失によるものと理解していたからだろう。つまり、電源を繋げば冷却装置は動くという仮定のもとに、電源車の確保が緊急事態を解決するための第一課題に上がった。
2、ここで原子力発電に関する専門家である東電、保安院や原子力安全委員会は東電の提案・電源車確保に対して、それ以外の提案をしたのか、どのような意見を述べたのか。つまり、彼らは、地震によって冷却装置の破損を仮定し、電源車のみでなく冷却水の確保を提案したのか、対策会議での専門家(保安院や原子力安全委員会)の発言を詳しく検証しなければならないだろう。
対策会議のメンバーの専門性の点検
対策会議での緊急事態対応に関する検証課題を挙げるなら、事故発生の初動段階でメルトダウンという最悪の事故を防ぐことが出来なかったことに尽きる。まず対策会議が決定した対応が電源車の確保のみであった。それ以外の対策、つまり原発の電気経路の故障を想定することが出来なかった。その意味で、この地点ですでに対策会議の危機管理に関する甘い判断と重大な判断ミスがあったと言える。
その要因とは、地震と津波に襲われ、全電源喪失をした原発・最緊急事態の発生に対応するための対策会議の目的にあった、つまりこれまで経験したことのない重大な事故の発生に対応できる人材が居なかったとういことに尽きる。この点を決定的に検証する必要がある。
まず、対策会議に集まったメンバーは上記したが、その中で総理大臣、官房長官、副官房長官、総理大臣補佐官、経済産業大臣は事故対策に対する意思決定権を持つ政治家であるが、しかし原子力工学や放射能被曝の専門家ではない。彼らは、原子力工学関連技術分野の専門家である原子力安全・保安院長、原子力安全委員会委員長、東電本社幹部(常務)の意見を聞き、政治的判断を下すことになる。
つまり、経済産業省原子力安全・保安院、原子力安全委員会、東電本社が対策会議の中で唯一、原子力発電所の技術問題やそこで生じている原発事故に関する専門的知識を持つ人々であるとされている。しかし、その専門家たちの取った全電源喪失事故への対策は「電源車確保」のみであった。そして、その対策は見事に不十分であり、間違っていた。
最も重要な局面を検討した3月11日の対策会議に原子力発電施設・福島第一原発の構造やその事故の状況とそれに対する技術的専門知識を持っていると評価され参加していたメンバー、保安院長、原子力安全委員会委員長と東電本社常務の三名の判断が初動段階で間違っていたのである。この間違いは非常に重大であり、その原因を究明しなければならない。
対策会議に参加した技術部門の専門家である原子力安全・保安院、原子力安全委員会、東電幹部の原子力工学や放射能被曝に関する専門的な知識とスキルの点検が必要である。彼らが、今回の事故に対して正確な対応が出来る専門家であったかということが事態を解決するために非常に大切な要因であることは否定できない。
また、対策会議のメンバーが原子力災害対策特別措置法(原災法)等の法律に基づき形式的に決定されているのであれば、その法律や制度を検証しなければならないだろう。
参考資料
(1)NHKスペシャル「シリーズ原発危機 1回 事故は何故深刻化したのか」2011年6月5日
(2)毎日jp 毎日新聞 2011年6月7日 東京朝刊
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110607ddm003040105000c.html
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全電源喪失から緊急事態宣言までの遅れに関する検証課題
福島第一原発事故検証(3)
三石博行
東電・全電源喪失事故発生から政府へ連絡するまでの課題
NHKの「シリーズ原発危機 1回」「事故は何故深刻化したのか」(1)の番組での説明によると、3月11日午後2時47分に地震が発生し、約一時間後の3時42分に原発を津波が襲い、すべての補助電源が壊され、全電源喪失が生じる。つまり、福島第一原発の現場で緊急事態が発生したのは、3時42分以後である。
それから、東電が政府(経済産業省原子力安全・保安院)に福島第一原発の全電源喪失の事態を報告したのが4時45分とされている。つまり、全電源喪失から約1時間を経過して、東電は保安院に連絡をしたことになる。
事故発生から約1時間が経過して東電が政府に福島第1原発で全電源喪失事故が発生していることを伝えたことに対する評価が問題となる。つまり、東電としては、政府への事故報告までに1時間は必要な時間であったと考えている。
それに対して、重大事故を前提としている状況で1時間は遅すぎるという評価も成立する。つまり、具体的な対応に手間取ったのか。それとも、電源復旧のための試みを行っていたのかという疑問や、東電本社は現場からの全電源喪失という報告に対して、その意味を理解せず、どこかで冷却装置が動いているという勝手な(楽観的な)解釈を続けていたのかという憶測が生じる。
勝手な憶測や推論で、東電の初動対応を評価することは避けたい。そのため、東電の中で、全電源喪失が明らかになった段階から、政府への報告までの経過を具体的に検証する必要がある。
事故発生当時の現場と東電の連絡に関する課題は以下のように考えらる。
1、 東電福島第一原子力発電所では、全電源喪失という予想し得ない事態に対する備えはなかった。そのため、事故発生の3時42分から電源復旧の対応を行いながら、さらに全電源喪失、つまり原子炉の冷却不能の事態から予測されるさらに深刻な事態(メルトダウン)を想定できたのかについて検証が必要である。
2、 現場が理論的に事態の深刻さを理解していたとすれば、現場は即刻、東電本社に事態を報告したと思われる。上記1の課題を検証する材料として、現場が東電本社に連絡した時間が問題となる。
3、 東電本社が、現場の緊急事態(全電源喪失)の報告を受けて、その後、即刻政府へ連絡をしなければならなかったが、その経過を検証する必要がある。つまり、15分以上の時間が経過しているなら、その要因を明確に理解する必要がある。
政府・東電の報告を受けて政府が緊急事態宣言をするまでの課題
経済通産省原子力安全・保安院(以後保安院と呼ぶ)が東電から全電源喪失の連絡を受けたのは4時45分である。しかし、保安院はすぐに内閣府に報告せず、それから45分後の5時30分に内閣に報告をした。
保安院は45分も掛けて何を議論し検討していたのか。この緊急事態に対して内閣に伝える時間・45分間を十分必要な時間と理解しているのか。それとも遅いと理解しているか。NHKの報道では、保安院は十分必要な時間と理解していたという。
つまり、保安院が事故を経済産業大臣に伝えた時には、事故から既に2時間の時間が経過していたのである。
保安院の報告を受け経済産業大臣が管総理に報告したのは5時30分である。すぐに、経済産業大臣は首相と対策会議を開いた。しかし、首相に党首会談が予定されていた。そのため、緊急事態に関する会議が中断され、首相に党首会談に入った。管総理は緊急対応が出来なかった。
つまり、ここで、経済産業大臣と総理は、3時42分に起きた全電源喪失事故の意味とすでにその事故から2時間が経過していることの意味を理解していたのだろうか。
党首会談が終わり、結果的に、内閣が緊急事態宣言を発したのは7時03分となった。つまり、保安院からの報告を受けて約2時間半後に政府は緊急事態宣言を行った。結果的に東電が政府に報告して3.時間半後、福島第一原発の全電源喪失から約4時間半の時間が経過して、政府は緊急事態宣言を行ったことになったことになる。
この政府の対応は、重大事故を引き起こす可能性のある事態での対応としてはお粗末なものであると評価される。そして、何よりも最初の段階で緊急事態宣言の遅れを取ったことの責任は重い。そのためには、当時の政府の対応について正確な情報に基づいて検証する必要がある。
政府の対応の遅れに関する課題は以下に纏められる。
1、 保安院は東電からの全電源喪失という事態が3時42分に生じ、東電からの報告を受けたときには、すでに1時間を経過していることの重大さを理解せず、内閣に45分の時間を経て、報告した。
2、 総理は経済産業大臣の報告を受けたが、「党首会談」を優先した。その時、原発事故での全電源喪失の重大な意味を理解していなかったのだろうか。総理を始めとして、当時その場に居た政府高官、経済産業大臣、内閣官房長官やその他の人々の対応や意見を検証する必要がある。
参考資料
(1) NHKの「シリーズ原発危機 1回 事故は何故深刻化したのか」2011年6月5日
(2) 三石博行 「失敗学に基づく福島原発事故検証のための国民運動を始めよう」
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_10.html
(3) 三石博行 「失敗学に基づく福島原発事故検証の考え方とやり方」
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_11.html
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三石博行
東電・全電源喪失事故発生から政府へ連絡するまでの課題
NHKの「シリーズ原発危機 1回」「事故は何故深刻化したのか」(1)の番組での説明によると、3月11日午後2時47分に地震が発生し、約一時間後の3時42分に原発を津波が襲い、すべての補助電源が壊され、全電源喪失が生じる。つまり、福島第一原発の現場で緊急事態が発生したのは、3時42分以後である。
それから、東電が政府(経済産業省原子力安全・保安院)に福島第一原発の全電源喪失の事態を報告したのが4時45分とされている。つまり、全電源喪失から約1時間を経過して、東電は保安院に連絡をしたことになる。
事故発生から約1時間が経過して東電が政府に福島第1原発で全電源喪失事故が発生していることを伝えたことに対する評価が問題となる。つまり、東電としては、政府への事故報告までに1時間は必要な時間であったと考えている。
それに対して、重大事故を前提としている状況で1時間は遅すぎるという評価も成立する。つまり、具体的な対応に手間取ったのか。それとも、電源復旧のための試みを行っていたのかという疑問や、東電本社は現場からの全電源喪失という報告に対して、その意味を理解せず、どこかで冷却装置が動いているという勝手な(楽観的な)解釈を続けていたのかという憶測が生じる。
勝手な憶測や推論で、東電の初動対応を評価することは避けたい。そのため、東電の中で、全電源喪失が明らかになった段階から、政府への報告までの経過を具体的に検証する必要がある。
事故発生当時の現場と東電の連絡に関する課題は以下のように考えらる。
1、 東電福島第一原子力発電所では、全電源喪失という予想し得ない事態に対する備えはなかった。そのため、事故発生の3時42分から電源復旧の対応を行いながら、さらに全電源喪失、つまり原子炉の冷却不能の事態から予測されるさらに深刻な事態(メルトダウン)を想定できたのかについて検証が必要である。
2、 現場が理論的に事態の深刻さを理解していたとすれば、現場は即刻、東電本社に事態を報告したと思われる。上記1の課題を検証する材料として、現場が東電本社に連絡した時間が問題となる。
3、 東電本社が、現場の緊急事態(全電源喪失)の報告を受けて、その後、即刻政府へ連絡をしなければならなかったが、その経過を検証する必要がある。つまり、15分以上の時間が経過しているなら、その要因を明確に理解する必要がある。
政府・東電の報告を受けて政府が緊急事態宣言をするまでの課題
経済通産省原子力安全・保安院(以後保安院と呼ぶ)が東電から全電源喪失の連絡を受けたのは4時45分である。しかし、保安院はすぐに内閣府に報告せず、それから45分後の5時30分に内閣に報告をした。
保安院は45分も掛けて何を議論し検討していたのか。この緊急事態に対して内閣に伝える時間・45分間を十分必要な時間と理解しているのか。それとも遅いと理解しているか。NHKの報道では、保安院は十分必要な時間と理解していたという。
つまり、保安院が事故を経済産業大臣に伝えた時には、事故から既に2時間の時間が経過していたのである。
保安院の報告を受け経済産業大臣が管総理に報告したのは5時30分である。すぐに、経済産業大臣は首相と対策会議を開いた。しかし、首相に党首会談が予定されていた。そのため、緊急事態に関する会議が中断され、首相に党首会談に入った。管総理は緊急対応が出来なかった。
つまり、ここで、経済産業大臣と総理は、3時42分に起きた全電源喪失事故の意味とすでにその事故から2時間が経過していることの意味を理解していたのだろうか。
党首会談が終わり、結果的に、内閣が緊急事態宣言を発したのは7時03分となった。つまり、保安院からの報告を受けて約2時間半後に政府は緊急事態宣言を行った。結果的に東電が政府に報告して3.時間半後、福島第一原発の全電源喪失から約4時間半の時間が経過して、政府は緊急事態宣言を行ったことになったことになる。
この政府の対応は、重大事故を引き起こす可能性のある事態での対応としてはお粗末なものであると評価される。そして、何よりも最初の段階で緊急事態宣言の遅れを取ったことの責任は重い。そのためには、当時の政府の対応について正確な情報に基づいて検証する必要がある。
政府の対応の遅れに関する課題は以下に纏められる。
1、 保安院は東電からの全電源喪失という事態が3時42分に生じ、東電からの報告を受けたときには、すでに1時間を経過していることの重大さを理解せず、内閣に45分の時間を経て、報告した。
2、 総理は経済産業大臣の報告を受けたが、「党首会談」を優先した。その時、原発事故での全電源喪失の重大な意味を理解していなかったのだろうか。総理を始めとして、当時その場に居た政府高官、経済産業大臣、内閣官房長官やその他の人々の対応や意見を検証する必要がある。
参考資料
(1) NHKの「シリーズ原発危機 1回 事故は何故深刻化したのか」2011年6月5日
(2) 三石博行 「失敗学に基づく福島原発事故検証のための国民運動を始めよう」
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_10.html
(3) 三石博行 「失敗学に基づく福島原発事故検証の考え方とやり方」
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_11.html
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東日本大震災関連ブログ文書集
1、ブログ文書集「原発事故が日本社会に問いかけている課題」目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_3562.html
2、ブログ文書集「東日本大震災に立ち向かおう」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_23.html
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失敗学に基づく福島原発事故検証の考え方とやり方
福島第一原発事故検証(2)
三石博行
畑村失敗学での失敗の意味 安全な原子力発電所開発の可能性とは
畑村洋太郎東京大学名誉教授(以後 畑村氏と称す)の失敗学では、失敗は行為に付随する一つの要素(行為に含まれる確率的事象)とみなされている。そして、失敗とは行為結果に対する主観的な期待値に対するズレであると解釈されている。つまり、同じ事象に対してうまくいかなかったとか失敗したと思う人にいれば、うまくいったと思う人もいることになる。失敗とは個人の受け止め方によって異なるマイナス評価という主観的な感想である。(1)
従って、高い目標を持つ人はそう簡単に結果に満足しない。その結果、努力を重ねることになる。そして、簡単に満足する人々からすれば、いつも顔をしかめ、自分に満足しない不幸な彼が、結果的には社会から評価される仕事人に成長することになる。失敗を認めること(嫌な気持ちを持つこと)が結果として満足度の高い技術を修得する原動力となる。
つまり、同じ事象がそれほどまでに個人的な評価失敗に学ぶことが同じ傾向の失敗を繰り返さない技術であると述べた畑村氏の失敗学では、失敗をした個人の人格を責めるやり方は失敗に学ぶ行為としては不適切なものであると理解されている。
失敗学が提起する失敗の意味を理解しない限り、失敗学を活用した今回の原発事故に対する検証は理解されないだろう。
言い換えると、原子力で電気を作るという技術的に困難な課題に立ち向かう場合に、それが技術的に困難であればあるほど、安全な原子力エネルギーを得ることは難しいし、その技術を確立する過程では、多くの失敗、試行錯誤が必要とされる。もし、安全な原子力エネルギーを得ようという高い目標を持った開発プロジェクトがあるなら、そう簡単に危険や要素を残存した状態の原子炉を実際に稼働させることはないだろう。徹底的な「安全な原子力発電所」に関する研究開発が試みられるだろう。
その意味で、今後、もし原子力発電を続けると言うなら、これまでの原子力発電の技術開発過程でその安全性についての技術的検討を検証しなければならないだろう。この検証は原子力工学を研究してきた全ての学者や技術者の義務であり、その研究活動を保障した大学や研究機関の社会的責任において、所属研究者の研究論文や社会活動を総点検しなければならないだろう。
もし、今後、原子力発電を建設し続けるとするなら、その安全性を保障する技術に関する研究を行い、その情報を提供し、国民的な検証作業を受ける必要があるだろう。
そして、もし安全な原子力エネルギーの利用が可能なら、資源枯渇する未来社会にとっては大きな意味を持つことは全ての人々も認めるだろう。
つまり、失敗学の言う失敗の意味から、失敗を恐れないという意味が導きだされるように、安全な原子力発電の可能性を失敗学が無限に否定しているのではないことを理解しなければならない。
失敗学の科学思想・失敗の要因とからくりを見つけ出すための姿勢
古(いにしえ)の昔から、人の行動に関する評価や批判を行う方法として「個人を責めない」で「行動を批判する」ことが言われてきた。この考え方は失敗学を理解するための基本的な考え方を語っている。
「事故調査・検証委員会」の委員長である畑村洋太郎氏は、6月7日の第1回会合後に、原発事故の個人的責任追及が委員会の目的でないことを明言した。(2) 事故を起こした要因やからくりを正確に理解するための失敗学の原則を述べたのである。
情報が映像として生々しく報道されることによって、失敗の原因を生み出した現実の対応や方法が個人の行動として映し出される。そのために失敗の要素やからくりは極めて鮮明に理解されるのであるが、同時に、その担当者の顔がこびりついてしまうことは避けがたい。
そして、原発事故がもたらした災害への憤りが、その間違った事故処理を行ったと思われる個人への攻撃や嫌悪となる。そのことは、その個人を嫌悪し、いつの間にか排除することによって、感情的に解決をすまし、主観的に事故検証作業が中止してしまうことになる。
今回の原発事故処理の過程で生じた問題を、事故処理を担当した人への非難や個人的攻撃になってしまう傾向は避けがたいのであるが、しかし、それでは問題を正しく理解することはできない。
このように憤慨や怒りを越えて、批判が個人から課題に至るには、検証作業の目的が明確でなければならない。目先の憤激に囚われるなら対応を間違った東電や政府関係者を解任することで終わるだろう。しかし、その解決方法からは未来の希望は生まれない。おそらく同じ失敗を繰り返すことになるだろう。
そこで畑村氏は一世紀後にも役立つ検証作業を提案したのである。つまり、畑村氏の言う失敗学は失敗を行った人々(自分)を排除することによっては成立しないし、展開しないのである。失敗学の目的は同じ失敗を繰り返さないこと、失敗があったとしても前回よりも被害を減らすこと、重大な失敗に繋がらないことが課題である。そのため失敗した人々の経験を活かし、それを未来に繋げることを畑村氏は提案しているのである。
この姿勢に畑村氏の失敗学に流れる科学思想が在るのだと思う。
失敗学での安全性の確立は危険性の理解から始まる
畑村氏の失敗学では、人は必ず失敗を犯す存在として位置付けられている。何であれはじめて試みる時は、成功する(自分の希望する目標に達成する)方が奇跡に近いと理解されている。
現在の原子力発電所の安全性や使用済みの核燃料の安全な処理を保障することは非常に難しいことを多くの専門家は指摘して来た。こうした指摘を続けた研究者は殆ど学会でも認められず、大学でも評価されず、勿論、政府の原子力安全委員会のメンバーにも推薦されず、「××六人組」などと言われて社会的に排除され続けてきた。
彼らが大学研究者で在り続けたのは、安全な原子力利用をしたいがためであり、現在の危険な原発を非難してきたのである。つまり、彼らが原子力工学の専門家であり続けたことは、現在の原発の危険性を科学的に理解する作業(研究)を続けたことを意味する。
畑村氏は「事故調査・検証委員会」の初会合(6月7日)で、「原発は安全ではない」と述べた。つまり、畑村氏は、まず、これまでの原発の安全神話を否定した。現在の日本の多くの原発が今回の福島第一原発事故と同じような事故を起こす可能性や危険性を持つという認識に「事故調査・検証委員会」を行うことを宣言した。
これまで多くの悲惨な事故は、事故の可能性を考えない、危険な状況を予測しない楽観的な視点から生み出されてきた。そのためには、まず危険性に対する鈍感な感性を打ち砕く、悲観的すぎると言われるぐらい悲観的な視点に立つ必要があるだろう。その意味で「原発は安全でない」という命題から始まる原発の安全管理対策が「原発は安全だ」という命題から出発する安全管理よりも、より安全性を保障するのである。
畑村氏が原発は安全でないと宣言したのは、原発を全て止めるとか、将来、いかなる安全な原子力利用の可能性は絶対にないと言っているのではない。現在の原発には安全性は保障されていないと述べたに過ぎない。つまり、失敗学が述べる安全性の確立とは、まず危険性の理解から始まることを理解しなければならない。そして、高度な安全性を目標にすれなら、考える限りの危険性を検討し、探究し続けることだと理解しなければならない。
この考え方は、人間にとって安全という技術を得ることの困難さを意味する。これまでの人類の歴史の中で、我々が作りだした多くの技術が結果的に我々人類を滅亡の危機に導いていることを直視するなら、安全という技術を目指す科学技術の在り方が21世紀に最も必要とされていることに気付くのである。
その一つの方法として、失敗学が提起する科学思想や失敗観(失敗する人間)やそれを前提にした技術論がある。今回、政府が福島第一原発事故の調査にあったて畑村氏を中心とした「事故調査・検証委員会」を立ち上げたことは非常に評価されるだろう。
「事故調査・検証委員会」が、これからの世界の原発政策に役立つ調査結果報告書、安全対策への提案を行うことを期待したい。
参考資料
(1) 三石博行 「畑村洋太郎著『決定版 失敗学の法則』第一章「失敗学の基礎知識」のテキスト批評」
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/11/blog-post_6897.html
(2) 三石博行 「失敗学に基づく福島原発事故検証のための国民運動を始めよう」
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_10.html
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東日本大震災関連ブログ文書集
1、ブログ文書集「原発事故が日本社会に問いかけている課題」目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_3562.html
2、ブログ文書集「東日本大震災に立ち向かおう」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_23.html
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2011年6月12日 誤字修正
三石博行
畑村失敗学での失敗の意味 安全な原子力発電所開発の可能性とは
畑村洋太郎東京大学名誉教授(以後 畑村氏と称す)の失敗学では、失敗は行為に付随する一つの要素(行為に含まれる確率的事象)とみなされている。そして、失敗とは行為結果に対する主観的な期待値に対するズレであると解釈されている。つまり、同じ事象に対してうまくいかなかったとか失敗したと思う人にいれば、うまくいったと思う人もいることになる。失敗とは個人の受け止め方によって異なるマイナス評価という主観的な感想である。(1)
従って、高い目標を持つ人はそう簡単に結果に満足しない。その結果、努力を重ねることになる。そして、簡単に満足する人々からすれば、いつも顔をしかめ、自分に満足しない不幸な彼が、結果的には社会から評価される仕事人に成長することになる。失敗を認めること(嫌な気持ちを持つこと)が結果として満足度の高い技術を修得する原動力となる。
つまり、同じ事象がそれほどまでに個人的な評価失敗に学ぶことが同じ傾向の失敗を繰り返さない技術であると述べた畑村氏の失敗学では、失敗をした個人の人格を責めるやり方は失敗に学ぶ行為としては不適切なものであると理解されている。
失敗学が提起する失敗の意味を理解しない限り、失敗学を活用した今回の原発事故に対する検証は理解されないだろう。
言い換えると、原子力で電気を作るという技術的に困難な課題に立ち向かう場合に、それが技術的に困難であればあるほど、安全な原子力エネルギーを得ることは難しいし、その技術を確立する過程では、多くの失敗、試行錯誤が必要とされる。もし、安全な原子力エネルギーを得ようという高い目標を持った開発プロジェクトがあるなら、そう簡単に危険や要素を残存した状態の原子炉を実際に稼働させることはないだろう。徹底的な「安全な原子力発電所」に関する研究開発が試みられるだろう。
その意味で、今後、もし原子力発電を続けると言うなら、これまでの原子力発電の技術開発過程でその安全性についての技術的検討を検証しなければならないだろう。この検証は原子力工学を研究してきた全ての学者や技術者の義務であり、その研究活動を保障した大学や研究機関の社会的責任において、所属研究者の研究論文や社会活動を総点検しなければならないだろう。
もし、今後、原子力発電を建設し続けるとするなら、その安全性を保障する技術に関する研究を行い、その情報を提供し、国民的な検証作業を受ける必要があるだろう。
そして、もし安全な原子力エネルギーの利用が可能なら、資源枯渇する未来社会にとっては大きな意味を持つことは全ての人々も認めるだろう。
つまり、失敗学の言う失敗の意味から、失敗を恐れないという意味が導きだされるように、安全な原子力発電の可能性を失敗学が無限に否定しているのではないことを理解しなければならない。
失敗学の科学思想・失敗の要因とからくりを見つけ出すための姿勢
古(いにしえ)の昔から、人の行動に関する評価や批判を行う方法として「個人を責めない」で「行動を批判する」ことが言われてきた。この考え方は失敗学を理解するための基本的な考え方を語っている。
「事故調査・検証委員会」の委員長である畑村洋太郎氏は、6月7日の第1回会合後に、原発事故の個人的責任追及が委員会の目的でないことを明言した。(2) 事故を起こした要因やからくりを正確に理解するための失敗学の原則を述べたのである。
情報が映像として生々しく報道されることによって、失敗の原因を生み出した現実の対応や方法が個人の行動として映し出される。そのために失敗の要素やからくりは極めて鮮明に理解されるのであるが、同時に、その担当者の顔がこびりついてしまうことは避けがたい。
そして、原発事故がもたらした災害への憤りが、その間違った事故処理を行ったと思われる個人への攻撃や嫌悪となる。そのことは、その個人を嫌悪し、いつの間にか排除することによって、感情的に解決をすまし、主観的に事故検証作業が中止してしまうことになる。
今回の原発事故処理の過程で生じた問題を、事故処理を担当した人への非難や個人的攻撃になってしまう傾向は避けがたいのであるが、しかし、それでは問題を正しく理解することはできない。
このように憤慨や怒りを越えて、批判が個人から課題に至るには、検証作業の目的が明確でなければならない。目先の憤激に囚われるなら対応を間違った東電や政府関係者を解任することで終わるだろう。しかし、その解決方法からは未来の希望は生まれない。おそらく同じ失敗を繰り返すことになるだろう。
そこで畑村氏は一世紀後にも役立つ検証作業を提案したのである。つまり、畑村氏の言う失敗学は失敗を行った人々(自分)を排除することによっては成立しないし、展開しないのである。失敗学の目的は同じ失敗を繰り返さないこと、失敗があったとしても前回よりも被害を減らすこと、重大な失敗に繋がらないことが課題である。そのため失敗した人々の経験を活かし、それを未来に繋げることを畑村氏は提案しているのである。
この姿勢に畑村氏の失敗学に流れる科学思想が在るのだと思う。
失敗学での安全性の確立は危険性の理解から始まる
畑村氏の失敗学では、人は必ず失敗を犯す存在として位置付けられている。何であれはじめて試みる時は、成功する(自分の希望する目標に達成する)方が奇跡に近いと理解されている。
現在の原子力発電所の安全性や使用済みの核燃料の安全な処理を保障することは非常に難しいことを多くの専門家は指摘して来た。こうした指摘を続けた研究者は殆ど学会でも認められず、大学でも評価されず、勿論、政府の原子力安全委員会のメンバーにも推薦されず、「××六人組」などと言われて社会的に排除され続けてきた。
彼らが大学研究者で在り続けたのは、安全な原子力利用をしたいがためであり、現在の危険な原発を非難してきたのである。つまり、彼らが原子力工学の専門家であり続けたことは、現在の原発の危険性を科学的に理解する作業(研究)を続けたことを意味する。
畑村氏は「事故調査・検証委員会」の初会合(6月7日)で、「原発は安全ではない」と述べた。つまり、畑村氏は、まず、これまでの原発の安全神話を否定した。現在の日本の多くの原発が今回の福島第一原発事故と同じような事故を起こす可能性や危険性を持つという認識に「事故調査・検証委員会」を行うことを宣言した。
これまで多くの悲惨な事故は、事故の可能性を考えない、危険な状況を予測しない楽観的な視点から生み出されてきた。そのためには、まず危険性に対する鈍感な感性を打ち砕く、悲観的すぎると言われるぐらい悲観的な視点に立つ必要があるだろう。その意味で「原発は安全でない」という命題から始まる原発の安全管理対策が「原発は安全だ」という命題から出発する安全管理よりも、より安全性を保障するのである。
畑村氏が原発は安全でないと宣言したのは、原発を全て止めるとか、将来、いかなる安全な原子力利用の可能性は絶対にないと言っているのではない。現在の原発には安全性は保障されていないと述べたに過ぎない。つまり、失敗学が述べる安全性の確立とは、まず危険性の理解から始まることを理解しなければならない。そして、高度な安全性を目標にすれなら、考える限りの危険性を検討し、探究し続けることだと理解しなければならない。
この考え方は、人間にとって安全という技術を得ることの困難さを意味する。これまでの人類の歴史の中で、我々が作りだした多くの技術が結果的に我々人類を滅亡の危機に導いていることを直視するなら、安全という技術を目指す科学技術の在り方が21世紀に最も必要とされていることに気付くのである。
その一つの方法として、失敗学が提起する科学思想や失敗観(失敗する人間)やそれを前提にした技術論がある。今回、政府が福島第一原発事故の調査にあったて畑村氏を中心とした「事故調査・検証委員会」を立ち上げたことは非常に評価されるだろう。
「事故調査・検証委員会」が、これからの世界の原発政策に役立つ調査結果報告書、安全対策への提案を行うことを期待したい。
参考資料
(1) 三石博行 「畑村洋太郎著『決定版 失敗学の法則』第一章「失敗学の基礎知識」のテキスト批評」
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/11/blog-post_6897.html
(2) 三石博行 「失敗学に基づく福島原発事故検証のための国民運動を始めよう」
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_10.html
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東日本大震災関連ブログ文書集
1、ブログ文書集「原発事故が日本社会に問いかけている課題」目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_3562.html
2、ブログ文書集「東日本大震災に立ち向かおう」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_23.html
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2011年6月12日 誤字修正
2011年6月10日金曜日
失敗学に基づく福島原発事故検証のための国民運動を始めよう
福島第一原発事故検証(1)
三石博行
原発問題の一部としての福島第一原発事故
2011年6月5日日曜、NHKの「シリーズ原発危機 1回」「事故は何故深刻化したのか」が放映された。この番組は福島原発事故に関する検証を行うために作成されたものである。この番組での情報を基にしながら何が深刻な事故を引き起こす「要因」と「からくり」であるのかを考えた。
現在、原発問題を考える時、以上に示す四つの課題がある。
1、原発の安全神話の成立について
2、原発村の構造について
3、これまでの原発事故への電力会社や政府(原子力安全・保安院)の対応について
4、今回の事故(福島原発事故)での政府と東電の対応について
今回のNHKの放送番組は4番目の福島第一原発事故が深刻化して行く過程を、事故防止対策を担当した人々に取材、調査して作成したものである。
国民・市民運動としての原発事故への検証作業
このNHKの番組に対して多くの市民がブログを通じて評価や解釈を行っている。(1)
更に、報道機関から幾つかの詳しい原発事故の経過に関する特集雑誌が出版されている。これらの資料が市民運動としての原発事故への検証作業に大いに役立つと思う。(2)(3)
また、反原発運動を行ってきた団体以外にも、科学技術と社会に関する学会や研究会、労働団体、市民団体、大学の研究会等々、非常に幅広い人々が、今回の事故に関する検証作業を自主的に(自然発生的に)行われようおとしている。
このことは、原発事故への検証作業を政府や原子力専門家に委ねられない、現在の日本社会の原発問題への真剣な姿を現している。そして、多くの市民が、それらの独自の検証活動結果をインターネットで公開し、意見の交流を進めることを期待している。
失敗学に基づく検証作業開始
5月24日に政府は東京電力福島第一原子力発電所の事故調査検証を進めるために、「失敗学」を提案した畑村洋太郎東京大学名誉教授(以後 畑村氏と称す)を委員長とする「事故調査・検証委員会」を設置した。委員会は10名の専門家から構成されている。(5)
委員長の畑村氏(東大名誉教授)を中心に、委員は9名、尾池和夫氏(前京大総長)、柿沼志津子氏(放射線医学総合研究所放射線防護研究センターチームリーダー)、高須幸雄氏(前国連大使)、高野利雄氏(元名古屋高検検事長)、田中康郎氏(元札幌高裁長官)、林陽子氏(弁護士)、古川道郎氏(福島県川俣町長)、柳田邦男氏(作家)、吉岡斉氏(九州大副学長)である。
東電福島第1原発事故の事故原因や法規制のあり方などを検証するために第三者機関「事故調査・検証委員会」は6月7日に初会合を開き記者会見を行った。
畑村委員長は6月中にも福島第1原発への現地視察を行う意向を示し、「原子力は危険なもの。安全とされてきたことは間違いと思っている」と述べながらも、事故の責任追及をすることは事故の原因究明ができなくなってしまうと明言した。つまり、事故防止が後手に回った東電や政府の対応を検証しながらも、決して事故を起した個人・犯人探しを委員会の目的にしていないことを述べている。
今回の事故調査や検証作業の目的は、「国民や世界の人々が持っている疑問に答え、100年後の評価に耐えられるもの」であることであり、「事故調査・検証委員会」は事故の「社会システム等検証」、「事故原因等調査」、「被害拡大防止対策等検証」、「法規制のあり方の検討」の4の課題別に専門家のチームを構成し、炉心溶融(メルトダウン)や水素爆発といった深刻な事故に至った経過を検証することを決めた。(6)
この「事故調査・検証委員会」の活動に期待したい。
そして、「事故調査・検証委員会」が調査資料や検討過程の全てを情報公開し、国民が「事故調査・検証委員会」に質問したり、意見を述べたりする機会を作ることをお願いしたい。
参考資料
(1)多くの市民が原発事故に関する報道や情報に関して意見を書いている。
ブログ 壺齋散人http://blog.hix05.com/blog/
(2)『メルトダウン 福島第1原発詳細ドキュメント』 サンデー毎日 緊急増刊3 2011年6月25日号
(3) 『東日本大震災1ヵ月の全記録 闘う日本』 産経新聞社 2011年4月24日
(4) msn産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110607/dst11060710540005-n1.htm
(5)ソーシャルニュースCeron.jp
http://ceron.jp/url/www3.nhk.or.jp/news/html/20110524/k10013068211000.html
(6)毎日jp
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110524k0000e040045000c.html
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東日本大震災関連ブログ文書集
1、ブログ文書集「原発事故が日本社会に問いかけている課題」目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_3562.html
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2011年6月11日 誤字修正
三石博行
原発問題の一部としての福島第一原発事故
2011年6月5日日曜、NHKの「シリーズ原発危機 1回」「事故は何故深刻化したのか」が放映された。この番組は福島原発事故に関する検証を行うために作成されたものである。この番組での情報を基にしながら何が深刻な事故を引き起こす「要因」と「からくり」であるのかを考えた。
現在、原発問題を考える時、以上に示す四つの課題がある。
1、原発の安全神話の成立について
2、原発村の構造について
3、これまでの原発事故への電力会社や政府(原子力安全・保安院)の対応について
4、今回の事故(福島原発事故)での政府と東電の対応について
今回のNHKの放送番組は4番目の福島第一原発事故が深刻化して行く過程を、事故防止対策を担当した人々に取材、調査して作成したものである。
国民・市民運動としての原発事故への検証作業
このNHKの番組に対して多くの市民がブログを通じて評価や解釈を行っている。(1)
更に、報道機関から幾つかの詳しい原発事故の経過に関する特集雑誌が出版されている。これらの資料が市民運動としての原発事故への検証作業に大いに役立つと思う。(2)(3)
また、反原発運動を行ってきた団体以外にも、科学技術と社会に関する学会や研究会、労働団体、市民団体、大学の研究会等々、非常に幅広い人々が、今回の事故に関する検証作業を自主的に(自然発生的に)行われようおとしている。
このことは、原発事故への検証作業を政府や原子力専門家に委ねられない、現在の日本社会の原発問題への真剣な姿を現している。そして、多くの市民が、それらの独自の検証活動結果をインターネットで公開し、意見の交流を進めることを期待している。
失敗学に基づく検証作業開始
5月24日に政府は東京電力福島第一原子力発電所の事故調査検証を進めるために、「失敗学」を提案した畑村洋太郎東京大学名誉教授(以後 畑村氏と称す)を委員長とする「事故調査・検証委員会」を設置した。委員会は10名の専門家から構成されている。(5)
委員長の畑村氏(東大名誉教授)を中心に、委員は9名、尾池和夫氏(前京大総長)、柿沼志津子氏(放射線医学総合研究所放射線防護研究センターチームリーダー)、高須幸雄氏(前国連大使)、高野利雄氏(元名古屋高検検事長)、田中康郎氏(元札幌高裁長官)、林陽子氏(弁護士)、古川道郎氏(福島県川俣町長)、柳田邦男氏(作家)、吉岡斉氏(九州大副学長)である。
東電福島第1原発事故の事故原因や法規制のあり方などを検証するために第三者機関「事故調査・検証委員会」は6月7日に初会合を開き記者会見を行った。
畑村委員長は6月中にも福島第1原発への現地視察を行う意向を示し、「原子力は危険なもの。安全とされてきたことは間違いと思っている」と述べながらも、事故の責任追及をすることは事故の原因究明ができなくなってしまうと明言した。つまり、事故防止が後手に回った東電や政府の対応を検証しながらも、決して事故を起した個人・犯人探しを委員会の目的にしていないことを述べている。
今回の事故調査や検証作業の目的は、「国民や世界の人々が持っている疑問に答え、100年後の評価に耐えられるもの」であることであり、「事故調査・検証委員会」は事故の「社会システム等検証」、「事故原因等調査」、「被害拡大防止対策等検証」、「法規制のあり方の検討」の4の課題別に専門家のチームを構成し、炉心溶融(メルトダウン)や水素爆発といった深刻な事故に至った経過を検証することを決めた。(6)
この「事故調査・検証委員会」の活動に期待したい。
そして、「事故調査・検証委員会」が調査資料や検討過程の全てを情報公開し、国民が「事故調査・検証委員会」に質問したり、意見を述べたりする機会を作ることをお願いしたい。
参考資料
(1)多くの市民が原発事故に関する報道や情報に関して意見を書いている。
ブログ 壺齋散人http://blog.hix05.com/blog/
(2)『メルトダウン 福島第1原発詳細ドキュメント』 サンデー毎日 緊急増刊3 2011年6月25日号
(3) 『東日本大震災1ヵ月の全記録 闘う日本』 産経新聞社 2011年4月24日
(4) msn産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110607/dst11060710540005-n1.htm
(5)ソーシャルニュースCeron.jp
http://ceron.jp/url/www3.nhk.or.jp/news/html/20110524/k10013068211000.html
(6)毎日jp
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110524k0000e040045000c.html
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東日本大震災関連ブログ文書集
1、ブログ文書集「原発事故が日本社会に問いかけている課題」目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_3562.html
2、ブログ文書集「東日本大震災に立ち向かおう」の目次
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2011年6月11日 誤字修正
2011年6月7日火曜日
罹災者救済、国民と国家の将来のために働くことのみが政治家の課題である
今、政治に求められていること(1)
三石博行
内閣不信任案の提出によって失われたもの
今回の内閣不信任案の提出を巡る国会での騒動を国民、特に被災地の人々は絶望感に近い感情で眺めていたと思う。その気持ちは不信任案を巡って駆け回り、政局運営の駆け引きに奔走する国会議員達には通じないだろう。
このドタバタ喜劇の中で唯一正しい見解を持ったのは、岡田民主党幹事長や共産党と社民党だけであったと謂える。多分、自民党等の中にも、ドタバタ喜劇を演じる党の方針に心情的に批判的な国会議員も居ただろう。
管直人総理の震災対策と原発事故処理についての批判は、管総理を退陣させるのでなく、管総理の不十分さを指摘しながらも、震災・津波と原発事故の罹災者を具体的に救済する協同の行動によって、意味を持つと思う。
仮に、管首相以外の誰かが政権の中心となっても、自民党や公明党は協力するのだろうか。もし、協力しないなら、彼らの今回の内閣不信任案の提出による国会の混乱は国民への「犯罪行為」に等しいだろう。
今回の内閣不信任案の提出を巡る国会での騒動によって、何日間、何時間の救済や復興への政治的対応が遅れたか。そして、さらにその義務を放棄し、遅れを導く政治的行動を取るなら、その重大な責任の重さ、国家への損害を自覚しなければならないだろう。
未来に悔いを残してはならない
この時期に自民党等は内閣不信任案の提出する正当な理由を説明して来た。それは、管内閣では東日本大震災への対応が遅れ続け、長期的な視点から、管総理の退陣が結果的に良い結果を生み出すという考え方である。
もしそうなら、内閣不信任案を提出した自民党等の政党は責任をもって、民主党内の管総理を批判していた議員達と共に、早急に震災救援体制を推進する連立(連合)内閣を形成する義務がある。もし、今後も、今回の内閣不信任案の提出と同じように単に政局への不満を国会の主要な議題とするならば、この国の未来、国民生活の将来を破壊することになるだろう。
政権交代や内閣総辞職、首相交代が、この大変な時期に政治の中心課題となっている。国会議員は国民の生活問題、罹災者の救済、復旧や復興計画の実施、原発事故処理にすべての力を投入せず、政局論争に明け暮れているのである。このばかげた行為を止めるべきである。そして、国会議員は早急に、本来の業務を行うべきである。
政治不信が与える深刻な事態
政党政治である以上、自民党を中心とする野党から政府への批判が起こることは自然である。しかし、批判の課題は政策内容であり、批判の仕方は政策提案である。政党が異なる以上、政策が異なることは当然であり、政党はそれぞれの政策を国民に訴え、具体的な制度や法律を提案し、より合理的で効果のある社会経済政策を検討する努力を払うべきである。
国会での議論の目的は国民生活の向上である。今、国家の将来を揺り動かす大震災を蒙り、多くの犠牲者を出し、多くの人々が生活を奪われ、避難所生活を耐え忍んでいる。この国民の苦しみに立ち向かうことが政治の課題であり、唯一の政治活動である。
今、政局に囚われ、政策実現よりも、政権運営を巡る政党間の駆け引きにのみ国会議員たちが奔走するなら、それが生み出す政治不信と国民の絶望が将来、戦後長きに亘りこの国に民主主義社会文化を培ってきた歴史を崩壊させ、健全な民主主義社会の運営まで危機に追いやることになるだろう。
民主制度が崩壊していった遠い古代ローマ時代の歴史に、そして戦前の軍国主義が国民の支持を得た日本の歴史に学ぶ必要がある。その時が来ないと誰が保証できるのだろうか。民主主義とは独裁主義以上に多くの社会的労力を前提にして成立している社会である以上、その労力の消費を最小限にする努力を政治家が行わない以上、経済的な困窮が重大化するに従い、民主主義は不要であると国民は思うだろう。そして、素早い意志決定機関、つまり統制力をもつ強固な国家権力に国民生活を守ることを委託するのである。
今の国会議員たちは、国民に与える政治不信の極限の怖さを深刻に理解しなければならない。
政治は誰のためにあるのか
国会議員たちは明治維新を行った志士達や終戦の焼け野原から立ち上がった人々を思い出すがよい。この国の誉れを思い出すがいい。
彼らは自らの利益(名誉や富)のためでなく、国民のために働いた。そして命を捧げたのである。その尊い魂と行動を思い出すがよい。
国会議員たちは国民に選ばれた選挙活動の日々を思い出すが良いだろう。あの選挙の日々、国民に対して何を語ったのか、何を約束したのか、思い出すがいい。
もし、それが思い出せないなら、次回、誰もその人には投票しないだろう。そして、繰り返し、国民不在の政治活動を行い続けるなら、我々は、それらの議員達に自己点検を迫り、その行動を評価する力を次第に身に付けるだろう。
今、国民は東日本大震災で甚大な被害を受け、また福島原発事故によって未知数の被害予測がさらに拡大しつつある。その中で、さらに政局のみを語る議員がいるなら、それはもはや選挙公約違反であり、国民生活の利益を損なう犯罪的な行為を行っていると思う。
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三石博行 ブログ文書集「国民運動としての政治改革」
三石博行 ブログ文書集「東日本大震災に立ち向かおう」
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2011年6月20日 誤字修正
三石博行
内閣不信任案の提出によって失われたもの
今回の内閣不信任案の提出を巡る国会での騒動を国民、特に被災地の人々は絶望感に近い感情で眺めていたと思う。その気持ちは不信任案を巡って駆け回り、政局運営の駆け引きに奔走する国会議員達には通じないだろう。
このドタバタ喜劇の中で唯一正しい見解を持ったのは、岡田民主党幹事長や共産党と社民党だけであったと謂える。多分、自民党等の中にも、ドタバタ喜劇を演じる党の方針に心情的に批判的な国会議員も居ただろう。
管直人総理の震災対策と原発事故処理についての批判は、管総理を退陣させるのでなく、管総理の不十分さを指摘しながらも、震災・津波と原発事故の罹災者を具体的に救済する協同の行動によって、意味を持つと思う。
仮に、管首相以外の誰かが政権の中心となっても、自民党や公明党は協力するのだろうか。もし、協力しないなら、彼らの今回の内閣不信任案の提出による国会の混乱は国民への「犯罪行為」に等しいだろう。
今回の内閣不信任案の提出を巡る国会での騒動によって、何日間、何時間の救済や復興への政治的対応が遅れたか。そして、さらにその義務を放棄し、遅れを導く政治的行動を取るなら、その重大な責任の重さ、国家への損害を自覚しなければならないだろう。
未来に悔いを残してはならない
この時期に自民党等は内閣不信任案の提出する正当な理由を説明して来た。それは、管内閣では東日本大震災への対応が遅れ続け、長期的な視点から、管総理の退陣が結果的に良い結果を生み出すという考え方である。
もしそうなら、内閣不信任案を提出した自民党等の政党は責任をもって、民主党内の管総理を批判していた議員達と共に、早急に震災救援体制を推進する連立(連合)内閣を形成する義務がある。もし、今後も、今回の内閣不信任案の提出と同じように単に政局への不満を国会の主要な議題とするならば、この国の未来、国民生活の将来を破壊することになるだろう。
政権交代や内閣総辞職、首相交代が、この大変な時期に政治の中心課題となっている。国会議員は国民の生活問題、罹災者の救済、復旧や復興計画の実施、原発事故処理にすべての力を投入せず、政局論争に明け暮れているのである。このばかげた行為を止めるべきである。そして、国会議員は早急に、本来の業務を行うべきである。
政治不信が与える深刻な事態
政党政治である以上、自民党を中心とする野党から政府への批判が起こることは自然である。しかし、批判の課題は政策内容であり、批判の仕方は政策提案である。政党が異なる以上、政策が異なることは当然であり、政党はそれぞれの政策を国民に訴え、具体的な制度や法律を提案し、より合理的で効果のある社会経済政策を検討する努力を払うべきである。
国会での議論の目的は国民生活の向上である。今、国家の将来を揺り動かす大震災を蒙り、多くの犠牲者を出し、多くの人々が生活を奪われ、避難所生活を耐え忍んでいる。この国民の苦しみに立ち向かうことが政治の課題であり、唯一の政治活動である。
今、政局に囚われ、政策実現よりも、政権運営を巡る政党間の駆け引きにのみ国会議員たちが奔走するなら、それが生み出す政治不信と国民の絶望が将来、戦後長きに亘りこの国に民主主義社会文化を培ってきた歴史を崩壊させ、健全な民主主義社会の運営まで危機に追いやることになるだろう。
民主制度が崩壊していった遠い古代ローマ時代の歴史に、そして戦前の軍国主義が国民の支持を得た日本の歴史に学ぶ必要がある。その時が来ないと誰が保証できるのだろうか。民主主義とは独裁主義以上に多くの社会的労力を前提にして成立している社会である以上、その労力の消費を最小限にする努力を政治家が行わない以上、経済的な困窮が重大化するに従い、民主主義は不要であると国民は思うだろう。そして、素早い意志決定機関、つまり統制力をもつ強固な国家権力に国民生活を守ることを委託するのである。
今の国会議員たちは、国民に与える政治不信の極限の怖さを深刻に理解しなければならない。
政治は誰のためにあるのか
国会議員たちは明治維新を行った志士達や終戦の焼け野原から立ち上がった人々を思い出すがよい。この国の誉れを思い出すがいい。
彼らは自らの利益(名誉や富)のためでなく、国民のために働いた。そして命を捧げたのである。その尊い魂と行動を思い出すがよい。
国会議員たちは国民に選ばれた選挙活動の日々を思い出すが良いだろう。あの選挙の日々、国民に対して何を語ったのか、何を約束したのか、思い出すがいい。
もし、それが思い出せないなら、次回、誰もその人には投票しないだろう。そして、繰り返し、国民不在の政治活動を行い続けるなら、我々は、それらの議員達に自己点検を迫り、その行動を評価する力を次第に身に付けるだろう。
今、国民は東日本大震災で甚大な被害を受け、また福島原発事故によって未知数の被害予測がさらに拡大しつつある。その中で、さらに政局のみを語る議員がいるなら、それはもはや選挙公約違反であり、国民生活の利益を損なう犯罪的な行為を行っていると思う。
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三石博行 ブログ文書集「国民運動としての政治改革」
三石博行 ブログ文書集「東日本大震災に立ち向かおう」
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2011年6月20日 誤字修正
郷地秀夫医師の講演会「被爆者医療からみた福島原発事故」
㋅18日(土)14時‐16時 (京都奈良EU協会第二回講演会)
三石博行
福島原発事故での被曝被害の現実
京都・奈良EU協会の講演会シリーズ「医師・専門家からみた福島原発事故」の第二回目では、兵庫県反核医師の会の世話人であり、また東神戸診療所の所長を務める郷地秀夫医師が「被爆者医療からみた福島原発事故」のテーマでお話をされます。
日時 6月18日(土)14時~16時
場所 クリニックサンルイ 京都市山科区安朱南屋敷町35木下物産ビル4F
http://hiroyukimitsuishi.web.fc2.com/pdf/syakai_01_01/lecture110618.pdf
郷地秀夫先生からの講演紹介
私はこれまで広島・長崎原爆の被爆者の方々約2,000人の診療に携わってきました。その30数年の実践の中で、被爆者の方々の健康障害、地域社会からの差別がいかに被爆者の皆さんを苦しめてきたかという「被曝の実相」を垣間見てきました。残念ながら、日本政府は被爆者に対してこれまで不十分で、不誠実な対応をしてきました。そして原爆放射線被害の実相を最小限に、矮小化してきました。
私はこの度の福島原発事故の発生が報道されたときから、同じ放射線障害の問題として、自ずと原爆被害と重ね合わせながら見守り、検証してきました。原子炉事故による放射線汚染のため、長年、棲み働いてきた街や村を離れざるを得なくなった人たちの苦悩、放射線事故を最小限に食い止めようと奮闘されてきている東電職員や消防署員などの方々の献身的な姿を見るにつけ、放射線被害の情報がどれだけ開示されてきたのだろうかという疑問など、国の対応についてはいろんな疑問が湧いてきます。
当日は、風評だとか取り越し苦労だと言われるかも知れない話も含め、原爆被害と原子炉事故被害を対比させながら放射線被害についてお話させていただければと思います。
(郷地秀夫)
参考資料
1、第一回講演会 平岡諦医師 「放射能による健康障害と放射線による病気の克服」のYouTubeでの紹介
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/05/youtube.html
2、原発で働く人々の命と健康を守るために奮闘しているsavefukushima50のサイト
http://www.savefukushima50.org/
3、京都奈良EU協会京都講演会シリーズ「医師・専門家からみた福島原発事故」講演会の予定
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/04/blog-post_25.html
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三石博行
福島原発事故での被曝被害の現実
京都・奈良EU協会の講演会シリーズ「医師・専門家からみた福島原発事故」の第二回目では、兵庫県反核医師の会の世話人であり、また東神戸診療所の所長を務める郷地秀夫医師が「被爆者医療からみた福島原発事故」のテーマでお話をされます。
日時 6月18日(土)14時~16時
場所 クリニックサンルイ 京都市山科区安朱南屋敷町35木下物産ビル4F
http://hiroyukimitsuishi.web.fc2.com/pdf/syakai_01_01/lecture110618.pdf
郷地秀夫先生からの講演紹介
私はこれまで広島・長崎原爆の被爆者の方々約2,000人の診療に携わってきました。その30数年の実践の中で、被爆者の方々の健康障害、地域社会からの差別がいかに被爆者の皆さんを苦しめてきたかという「被曝の実相」を垣間見てきました。残念ながら、日本政府は被爆者に対してこれまで不十分で、不誠実な対応をしてきました。そして原爆放射線被害の実相を最小限に、矮小化してきました。
私はこの度の福島原発事故の発生が報道されたときから、同じ放射線障害の問題として、自ずと原爆被害と重ね合わせながら見守り、検証してきました。原子炉事故による放射線汚染のため、長年、棲み働いてきた街や村を離れざるを得なくなった人たちの苦悩、放射線事故を最小限に食い止めようと奮闘されてきている東電職員や消防署員などの方々の献身的な姿を見るにつけ、放射線被害の情報がどれだけ開示されてきたのだろうかという疑問など、国の対応についてはいろんな疑問が湧いてきます。
当日は、風評だとか取り越し苦労だと言われるかも知れない話も含め、原爆被害と原子炉事故被害を対比させながら放射線被害についてお話させていただければと思います。
(郷地秀夫)
参考資料
1、第一回講演会 平岡諦医師 「放射能による健康障害と放射線による病気の克服」のYouTubeでの紹介
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/05/youtube.html
2、原発で働く人々の命と健康を守るために奮闘しているsavefukushima50のサイト
http://www.savefukushima50.org/
3、京都奈良EU協会京都講演会シリーズ「医師・専門家からみた福島原発事故」講演会の予定
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/04/blog-post_25.html
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