2011年6月20日月曜日

ベント開始と水素爆発に対する情報公開・避難対策に関する検証課題

福島第一原発事故検証(9)

三石博行


ベントの開始前後の課題

ベントが始まったのは3月12日14時30分であったとNHKスペシャル「シリーズ原発危機 1回 事故は何故深刻化したのか」は説明している。(1)それから約一時間後、15時36分に原子炉1号機の建屋が水素爆発によって吹き飛んだ。

つまり、原発の事故レベルは勿論のこと放射能汚染に関しても、14時30分以後、つまりベントが行われた14時30分から15時36分の間と、水素爆発が起こった15時36分以後では全く異なる事態が生じているのである。

まず、14時30分までの課題を考える。つまり、14時30分にベントが行われ、そのことによって原子炉内の高濃度の放射能物質が大気へ放出されることになる。この場合には、東電は排気口から排出される放射性物質(放射能)の量を測定できる。そして、風向きなどによってそれらの放射性物質の流れてゆく方向、汚染される地域が予測できる。

3月12日4時12分、東電が大熊町役場にベントに関するファックスを送ったころ、東電はベントによる放射能の拡散を独自に予測していた。その予測によると、ベントして1時間後の原発1号機から0.28キロメートルで放射線量は14msv(ミリシーベルト)が予測され、3時間後から5時間後では4.29キロメートルの地点で28ミリシーベルトであった。つまり、東電はベントによって直ちに近辺に多量の放射能が拡散することを予測していたのである。

ベントが行われたとき風向きは北西方向であった。当然、東電は風力と風向から、計算機実験から予測された放射能の汚染の広がりのモデルを前提に、現実の放射能の大気への拡散をより正確に把握することが可能であった筈である。

また、政府は、ベントが開始される以前に、東電の行った放射能拡散のシュミレーションに関する資料や気象データ等々を把握していた筈である。そして、ベントが開始された場合の放射能汚染と当時1号機の近くに住んでいた住民への影響を予測できていた筈である。

政府は3月12日、5時45分、つまりベントを開始する約9時間前に第一原発から半径10キロメートル以内の住民に避難指示を出した。(2)

ベントの開始前後の近隣住民への情報公開に関する検証課題を述べる。

1、 東電が独自に行った放射の拡散の予測データを東電は政府に伝えたか。もし、伝えたとすれば、その予測を東電と政府はベントを行う前に近辺自治体に伝えたか。

2、 もし、伝えなかったとすれば、その理由は何か。東電と政府の異なる立場から説明すべきであろう。

3、 東電と政府はベント開始後の放射性物質(放射能)量の測定データを住民に公開し、避難のための適格な指示を出していなかった。つまり、風向きによって放射性物質の拡散方向や拡散状態が決定されるのであるが、その詳しい予測を住民に示さなかった。ベント開始にあたって政府は10キロ以内の住民に避難指示を出した。その避難指示は適格であったか。


ベントの開始から水素爆発までの経過

3月12日14時30分のベント開始から僅か1時間足らずの15時36分に一号機の建屋が水素爆発で破損した。この水素爆発によってベントとは比べようもない多量の放射性物質が一号機近辺や大気に吐き出された。つまり、水素爆発は放射能汚染という深刻な事態へと発展することになった。水素爆発によって再び東電は「予想外の緊急事態」に直面したのである。

NHK番組に登場する人々のその当時の対応や考え方を聴くとき、東電も政府も判断能力を全く失ってしまう状態になっていたのではないかと想像してしまうのである。官邸は明らかに意思決定能力を失った司令塔になっていたのではないだろうか。

3月12日15時36分に一号機の水素爆発が生じる。16時すぎに警察から官邸に福島第一原発で爆発があったと報告がされた。政府高官は東電本社に事態を確認、しかし東電本社はこの時点では一号機の水素爆発の事実を把握していなかった。政府の指摘を受けて、東電は事実確認作業を行い、官邸が自ら爆発があったと確認したのは事故後2時間が過ぎた3月12日の17時半過ぎであったと番組では説明されていた。

前記したように官邸は、この際緊急事態以前に、対策会議を構成するメンバーに例えば総務省自治行政局、国土交通省、厚生労働省、防衛省等々の政府各省の機能を担う官僚を入れておけば、ベントによる放射能物質の拡散とその対策、さらには被曝者への対応、避難経路の確保など住民に正しく情報を伝え、適切な避難経路を確保し被曝を最小限に食い止め、予測される被曝者への対応(例えば放射能物資の洗浄作業)等々の対応がスムースに出来たのではないだろうか。警察から水素爆発の報告を受けて、それを東電に確認するために2時間の時間を必要としたことは大きな失態であると言えるのである。

しかも、東電も政府も、ベントに関する正確な情報、つまり汚染濃度と汚染拡散予測地図情報を近隣自治体・住民へ公開していなかった。そのため、水素爆発が起こった時、ベントで放出される量とは比較にならない多量の放射性物質の放出に対して、近隣自治体・住民は対処するにも情報・知識も手段も持っていなかったのである。

水素爆発は東電にも政府にも予想外の事態であったのだろうか。もし、水素爆発が予想外であったとする対策会議のメンバーの判断があるなら、そのことが住民の被曝を防げなかった大きな要因であると言えるだろう。

政府は15時36分の1号機の水素爆発から2時間弱経って、17時45分に半径10キロメートル以内の住民への避難指示を出した。そして、20時32分に半径20キロメートル以内の住民への避難指示を追加した。


ベントの開始から水素爆発までの経過での検討課題は以下である。

1、 水素爆発を予測できなかった対策会議のあり方、組織、構成メンバーの能力を検証する必要がある。

2、 ベントに関する正確な情報を近隣自治体・住民へ公開しなかった理由、もしくはする必要があったが、出来なかったとすればその理由を明確にする必要がある。

3、 水素爆発によって拡散しつつあった高濃度の放射性物質に関する情報は当時、誰がどのように管理し、その情報の伝達に関する意思決定のどのような基準があったかを明確にすべきである。


水素爆発以後、避難住民への情報提供は適切であったか

NHKの番組によると、1号機の水素爆発を知り、また政府の避難指示を受けて、半径10キロ以内の住民の緊急避難が始まった。道路の混雑によって、また指示された逃げる方向によって、住民は多量の放射能被曝にあった。

特に、問題になったのは、放射性物質の拡散地図の情報が住民の避難を指示していた自治体職員、地元警察や消防等の人々に知らされていなかったために、放射能が風に流されて行く方向に逃げた住民も多くいた。

そればかりではない、当時、アメリカ軍やスピードで調べられていた一号機水素爆発直後の放射性物質の大気中への拡散地図の情報が地元自治体にまったく伝えられずに放置されていた。文部科学省はホットスポットと呼ばれる放射性物質の濃度が特に多い地域の調査をしていたにも拘わらす、その情報を公開していなかった。

そのため、住民達はわざわざホットスポットの近くの公民館に避難していた。それらの住民に避難所の近くの放射線量を示し危険性を訴えたのは国、東電や自治体の人々ではなかった。それは、ボランティアで放射能測定を行っていた元理化学研究所の岡野眞治博士、元独立行政法人労働安全衛生総合研究所の研究官の木村真三博士やその調査を支えた京都大学、広島大学、長崎大学の科学者達であった。(3)

福島第一原発一号機の水素爆発以後の検討課題は以下である。

1、 政府は放射性物質の拡散地図の情報を原発近隣の自治体、地元警察所や消防所に知らせていなかった。その理由は何か。そのため、放射能が風に流されて行く方向に逃げた住民も多くいたことを政府はどのように反省しているのか。

2、 事故から1ヶ月、2ヵ月も経過しても国が放射能の汚染地図に関する情報を公開していない。寧ろ隠蔽しているように思える。公開しない理由は何かを説明すべきである。もしくは、情報公開すべきである。もし、情報の隠蔽が明らかになるなら、それは明らかな国家による犯罪行為である。国による隠蔽という事実があるかどうかを、徹底的に調査し、誰が情報の隠蔽を指示したかを知るべきである。

3、 国は世界の多くの国々から放射能の汚染地図を国民や世界に知らせなかった。つまり情報隠しをしたと批判された。日本の世界的信頼を損なう行為である。対策会議での、放射能汚染地図に関する議論・決定のすべてを公開すべきである。もし、公開することは国民に不要な混乱を引き起こすと主張した政治家や官僚が居るなら、その名前を公にしなければならない。そして、同時に、国民はそれらの人々に対して損害賠償権を主張できることを明らかにすべきである。


事故処理を行う作業員、自衛隊員等への水素爆発の可能性と放射能被曝に関する情報提供は適切であったか

3月12日15時36分の1号機の水素爆発の後も他の原子炉発電機での水素爆発の危機は進行し続けていた。3月13日5時ごろ3号機は冷却機能を喪失し、正午ごろ3号機の圧力が上がり燃料棒の上部が冷却水から露出した。東電は、3号機に海水を注入した。15時28分に官房長官は3号機に水素爆発の可能性があると発表した。(2)

3月14日7時の官邸・政府の陸上自衛隊に支援要請を受けて中央特殊武器防衛隊が福島第一原発に派遣された。自衛隊が11時頃3号機から5メートルの所に車両を止めてドアを開けた瞬間(11時1分)に3号機が目の前で水素爆発を起こしたのであった。4名の自衛隊員が重軽傷を負ったとNHKの報道番組では説明されていた。また、3号機の事故処理のために派遣された中央特殊武器防衛隊の隊長は、作業の説明を受けるとき、3号機の水素爆発の危険性については説明がなかったと話していた。

最も危険な状態にあった3号機の近辺で活動を行う自衛隊に対して、政府や東電は3号機の水素爆発の可能性を伝えていなかった。このことは極めて重大なことであり、決して見逃してはならない。もし、当時の自衛隊員たちが1分早く、車両のドアを開けて3号機の5メートル近辺で作業を行なっていたら、死者が出ていても不思議ではない状態であった。今回の自衛隊派遣で死者が出なかったのはむしろ偶然であったと言える。

政府は当然、3号機の危機的状況で、そこの自衛隊を派遣する限り、水素爆発の可能性を防衛省に伝えるべきである。(伝えていたかもしれない。)また、東電も現場で3号機の近辺で作業する自衛隊に水素爆発の可能性を伝えなければならない筈である。

情報提示の悪さは至るところで問題となっているが、特に、原発事故処理を行う作業員に対しては徹底的に作業現場での放射線量の数値を報告しなければならない。連日、原発事故処理に従事する作業員(下請け業者で働く人々)の被曝が報道されている。福島第一原発構内は勿論のこと原子炉発電機内部の放射線量に関する情報を事故処理に当たる企業・作業員や自衛隊・自衛隊員に開示しなければならない。

3号機水素爆発での自衛隊員が負傷を負った事故に関する検証課題を以下に述べる。

1、 官邸・政府は防衛省に対して陸上自衛隊の派遣を要請している。その場合、防衛省は政府の対策会議の持っている事故現場のリアルタイムの情報を掌握していたのか。もし、それらの情報を得ていたとするなら、現場の派遣部隊への情報伝達はどのようになっていたのか。

2、 特に、危険性の高い作業を担う自衛隊や警察・消防隊員の現場での安全管理と危機管理は徹底的に検討されなければならない。その危機管理に関しては担当各省に任せるのではなく、災害対策本部を管理する官邸・対策会議も理解しておく必要がある。


参考資料

(1)NHKスペシャル「シリーズ原発危機 1回 事故は何故深刻化したのか」2011年6月5日

(2) 『メルトダウン 福島第1原発詳細ドキュメント』 サンデー毎日 緊急増刊3 2011年6月25日号 89p 写真資料

(3)ETV特集「ネットワーク放射能汚染地図」2011年5月15日
http://www.nhk.or.jp/etv21c/file/2011/0515.html
ETV特集 続報「ネットワーク放射能汚染地図」2011年6月5日
http://www.nhk.or.jp/etv21c/file/2011/0605_02.html

(4)三石博行「ベント決定から避難指示までの東電と政府の情報公開・避難対策に関する検証課題」 2011年6月20日
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_20.html

(5)三石博行 「失敗学に基づく福島原発事故検証のための国民運動を始めよう」2011年6月10日
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_10.html

(6) 三石博行 「失敗学に基づく福島原発事故検証の考え方とやり方」2011年6月11日
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_11.html


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東日本大震災関連ブログ文書集

1、ブログ文書集「原発事故が日本社会に問いかけている課題」目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_3562.html

2、ブログ文書集「東日本大震災に立ち向かおう」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_23.html
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2011年6月21日 誤字修正 文書追加

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