2011年6月14日火曜日

国民による議会・立法機関の検証作業は可能か

国民主権による政治改革を目指して(1)

三石博行


年中行事となった首相交代・日本の政治の姿

日本以外に毎年のように首相が替わる国は殆どない。この日本独特の政治の現象はどうして生じるのだろうか。東日本大震災と呼ばれる未曾有の大災害に見舞われ、国の存亡が掛かるとまで言われている今年も、例外ではなかった。(1)

国を滅ぼしても首相になりたい人が居るのか、それとも国を滅ぼしたくて首相の首を替えることに喜びを感じている人たちがいるのか。政治のドタバタが始まると活気付くマスコミ、罹災者のことも災害地の復旧も忘れ政局議論に国会審議時間を費やす人々、この国は狂っていると言うしかない。

国民はこの政治の混乱に歯止めを掛けることはできないのだろうか。どのようにすれば、国会議員たちの今回のような国民の利益を無視した暴走に歯止めを掛けることが出来るのか。


選挙運動という国民政治文化の一つの現象

我々国民は選挙で議員達を選ぶ。選挙を通じて、我々の代表として彼ら(議員たち)を議会に送る。つまり、選挙が国民にとって唯一の政治への直接の参加活動とされている。これが現実の日本社会で言われる議会制民主主義社会の姿である。

日本社会での選挙と言えば、これまで候補者たちは、どういう訳か白い手袋をはめて「○○です。よろしくおねがいします」と宣伝カーで自分の名前を叫び、よろしく頼むと呼びかける。また、最近の調査では、名前を言って呼びかけるだけでなく、握手をすると有権者の票を獲得できるらしい。そこで、候補者は街頭に繰り出し、見境なく誰とでも握手をすることになった。候補者である以上、選挙で当選することが唯一の目標であり、そのために有効な手段を駆使し全力を振り絞って選挙運動に邁進することは当然である。

つまり、候補者が自分の名前のみを宣伝カーの上から叫ぶのも、通行人に握手をするのも、言ってみれば、有権者の側の選挙に関する意識の反映であるとなる。過去から現在までの日本での選挙運動は国民政治文化の一つの現象であると謂える。候補者の選挙行為を選んでいたのは我々国民の選挙に関する意識であり、考え方の反映であった。


低迷する投票率・議会制民主主義の危機

短い選挙運動期間を経て投票が行われる。選挙期間が長いのは、その分、立法が機能していない事を意味する以上、社会的に効率が悪いし、危機管理上、避けなければならないことである。

しかし、多くの有権者にとって選挙当日、誰に投票していいか分からないという問題が生じる。特に、地方議会選挙では、議員の顔、その人々の活動をまったく知らない場合が多い。そのため、選挙に行く意味を失う。仮に投票所に行ったとしても、そこで候補者たちの経歴、主張、政党所属有無等々の僅かな情報を基にして「えいや」と投票して帰る。日常的に候補者を知り、今まで何らかの便宜を得るためにお世話になった経験のない人々を除いて大多数の人々にとって、候補者を知る材料は殆どないのが現実である。

わが国の選挙の投票率は先進国の中では非常に低いのではないだろうか。これまで最低投票率を記録した衆参両議会選挙では、1996年41回衆議院選挙の59.65パーセント、1995年第17回参議院選挙の44.52パーセントである。また都道府県知事選挙では1981年の千葉県知事選挙の25.38パーセントが最低投票率を記録している。(2)つまり、国民の半数近くの人々が投票していない国政選挙や四分の一の県民の投票によって選ばれた知事選挙がこれまでにあった。唯一国民が政治に直接参加できる機会としての選挙に国政では国民の半数以下の人々しか参加せず、また地方では四分の一の住民の参加によって候補者が選ばれ、国や地方自治体の政治が運営されている。

国によっては国民に投票の義務を定めた「義務投票制」を導入し、投票は国民の義務であり、場合によっては投票しない人に対して罰則規定を法律で決めている国、例えばヨーロッパの国では、スイス、ルクセンブルグ、ベルギー等である。現在、32の国が罰則規定は明確ではないが義務投票制を導入している。(3)

国民主権・民主主義社会では立法機能を運営する議員の国民・住民の投票による決定は国民の権利である。と同時に国民が国家の政治を運営する主体・国民主権の維持と言う視点から見れば国民の義務であると言える。投票率が半分以下で国や自治体を運営する国民の代表者を決定することは、長い目で見れば国民全体のコンセンサスを得られない政治の蔓延、つまり国民主権・民主主義社会の崩壊を導く要因となりかねない。


選挙しか国民は政治へ参加できないのか

議会制民主主義制度の中では、国民は選挙によってしか政治との接点はない。衆議院では4年に一回、参議院では3年に一回の選挙が行われ、また地方議会や都道府県市長村長選挙でも4年に一回の選挙が行われる。つまり、国民は約4年間に、衆議院、参議院、都道府県知事、市長村長、都道府県議員、市長村議員の選挙をそれぞれ少なくとも1回、つまり6回の選挙に参加することになる。

仮に、4年にすべて6回の選挙が行われたとするなら、一年に平均すると1.5回の選挙になる。一回の選挙期間を2週間とすれば、一年に約21日間の選挙活動日がある。その期間が国民に与えられた選挙への直接的な関係期間である。しかし、実際は統一地方選挙のように、都道府県知事、市長村長、都道府県議員や市長村議員の選挙が同日に行われる機会もあり、選挙日は短くなる。短い選挙日や選挙によって国や地方自治体が選挙に使用する財源を圧縮することが出来る。

国民が政治活動の主人公となり、選挙に立候補した候補者が国民に頭を下げ、投票してくれることをお願いしなければならない期間は年間21日もない。それ以外の年間344日は、議員たちが政治活動の中心となり、国は地方自治体を運営するための法律を決め、国の運営の基本方針を決定するのである。これが、世界の殆どの民主主義社会・国民主権を謳う国家で行われている議会制民主主義の姿である。


国民主権の立法制度の改革は可能か

議会制民主主義は日本国憲法に定められた国民主権を実現する政治制度である以上、この制度を変革することは容易ではない。一応、この制度の上で、国民の政治的主権を確立する方法を見つけ出す方法が現実的である。

毎年、首相の首が挿げ替えられ、東日本大震災への対応、罹災者救済、被害地復旧、原発事故解決と国の重大な課題を先送りして内閣不信任案の提出や首相の辞任時期が国会で議論されるという、おおよそ国民不在の議会、議員の行動を食い止める手段を国民は持っていない。

新聞各社や調査会社のアンケートによって、微かに国民の声が聞こえてくる。しかし、選挙運動のときに見せた議員たちの国民への姿はまったく消え失せ、政局争いにまい進する毎日を送っているのではないか。この議員たちに本来の仕事をして欲しいと願う国民は、彼らをそうさせるための手段を持たないのである。

議会制民主主義社会を守るために、国民への選挙義務・義務投票制を導入するのなら、罰則規定すら設定して行う選挙に対して、その選挙によって選ばれた人々、議員たちには、国民へ政治的立場、政策の主張を行ったことに対する検証や自己点検の活動は義務化されないのだろうか。

近年、前の自民党政権下では、1999年に司法制度改革会議が発足し、司法制度の改革が行われた。その成果が2009年に導入された裁判員制度や検察審査会の設置である。日本の司法制度に責任を持つ国民の活動、憲法に謳われた人権や民主主義を基調とした司法制度を堅持することに繋がる。その意味で、裁判員制度によって繰り広げられる国民の司法への参加は、今後、日本の民主主義社会が維持されるのに大きく貢献するだろう。

また、2009年に成立した民主党政権下で、積極的に取り組まれた行政改革、取り分け事業仕分けは、国民が行政の管理権を持つことを意識させた。つまり、国や地方自治体の事業仕分けに議員や国民が参加する活動によって、行政での無駄遣い、税金の使われ方を直接検証する作業が行われた。

事業仕分けの情報を公開することによって、行政の主人は国民であり、行政は国民に奉仕する機能であることの自覚が形成される。国民主権によって各省の官庁、都道府県官庁、市町村役場が運営されることが民主主義社会・日本のあるべき姿である。行政改革によって憲法に謳われた国民主権の行政制度がさらに発展するだろう。

そして、今、立法機能に関する国民主権の制度の形成が問題となっているのである。この改革によって、今回のような国民不在の内閣不信任案提出や政局争に対する国民の厳しい批判の目を議会に感じさせることが可能かもしれない。

今後、選挙で投票することは立法権に対する国民主権の一部である。さらに国民主権を立法制度に確立するために、現在の立法制度の変革に対する具体的な提案と国民的な議論が必要であると思う。


参考資料

(1)三石博行 「罹災者救済、国民と国家の将来のために働くことのみが政治家の課題である」 
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_07.html

三石博行 「原発問題は今後、我が国の政治の中心課題となるだろう」
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_12.html

(2)「投票率」ウィキペディア http://ja.wikipedia.org/wiki/

(3)「義務投票制」ウィキペディア http://ja.wikipedia.org/wiki/



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ブログ文書集 タイトル「東日本大震災に立ち向かおう」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_23.html
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2011年6月15日 誤字修正

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