2007年12月21日金曜日

科学技術史の視点で観る大学教育改革の課題

第四次産業の勃興・科学技術文明社会の成立と大学の社会的機能の再検討

三石博行



科学技術文明社会の特徴・研究開発産業の形成による社会変化

産業革命以来、経済システムを構築している三つの産業構造以外に、20世紀後半から研究開発産業と呼ばれる新たな産業が萌芽してきた。その新興産業は第四次産業と呼ばれている。第四次産業の形成によって、資本主義社会の産業形態や社会制度は根本的な変化が生じようとしている。例えば、現代の社会経済システムは、この第四次産業である研究開発産業の発展と、その第一次産業から第三次産業への融合的展開(脱工業化社会化を推進した産業構造の展開)によって特徴付けられている。

この特徴付けを、科学技術文明社会、高度情報化社会、政治経済システムの国際化等々と呼んでいる。何れにしろ、21世紀の経済社会文化は、研究開発産業、研究開発労働、科学技術の大衆化によって進化していくことは疑えない。

これらの時代的変化は、17世紀の近代合理主義思想、18世紀の啓蒙主義、科学主義思想 、19世紀の唯物論思想の歴史的な科学技術の文明を構築するための思想形成に裏付けられ、社会経済の制度や人々の意識を変え、そして20世紀に至って、巨大な生産力を可能にする資本主義社会を形成した。

これらの社会経済のシステムと、西洋文明が見つけた自由や平等を前提とする民主主義社会の社会経済思想とは不可分の関係にある。科学技術文明は、この社会思想を前提にして、その社会思想の発達によって生み出されたものであると謂える。

言い換えると、研究開発産業の形成は、自由や平等をもっとも尊重した生産体制、経済や生活活動を前提にして発達するのである。同じ資本主義社会であるとしても、アメリカのベンチャー産業の労働管理は、イギリスの産業革命時代の労働管理とは根本から異なることになる。自由な発想や探求心や開発意欲を奮い立たせる生産管理が、第四次産業の生産効率を上げるための労務管理となる。労働時間と労働力は機械によって担われるため、長時間の労働力を搾り取る制度は、科学技術文明社会の産業では必要とされないのである。

長時間労働ではなく、知的労働が生産効率を上げるという労働の変化を前提にして、第四次産業構造は、現代の社会経済システムの中身を大きく変化させてきた。これらの社会変化をトフラーは第三の波と呼び、また 小田切宏之氏によって新しい産業組織と呼ばれる技術革新の経済理論が展開されている。

例えば第一次産業の代表である農業も、全生活時間を束縛される家族経営方式、村社会の共同体意識に縛られた農協による生産管理や流通システムから脱却し、消費者の声が聞こえ生産者の姿が見える関係、産地直送型の経営を導入する農業運営、経営の共同化によって農業機械などの投資資金を削減し、また共同作業により労働力を相互補助し合う経営方式や企業的経営を導入し、若年労働力を確保する等の新たな生産方式が導入されようとしている。


先端知性生産機能としての大学の社会的役割の再評価

このような第四次産業の形成と発展によって、産業革命以来、大きな産業構造の変化が生じているのであるが、この社会変化に対して、知的労働力を生産し、また知的商品を生産してきた大学の社会的機能にも大きな影響が出ることは不可避である。言い換えると、唯一の先端的知の生産を行う機能としての大学の社会立場やその特権は、第四次産業によってすでに崩壊しているといえる。
研究開発が企業の利益や産業の発展と直結する社会では、企業は多くの費用を研究開発に投入することになる。わが国でも、20世紀の後半には、企業の研究開発費は大学の研究開発費をはるかに上回る事態になっていた。

日本の近代化政策を推進するための大学の役割、特に理工系、農学系、薬学医学系学部の役割は大きく、国家は先端的知性の生産機能としての質を管理してきた。その管理制度を、教員の資格審査や設置基準と呼んでいる。今日のように、国家が大学の質の厳格な管理をそれほど必要としない時代とは、国家にとって、産業力と直結する知的生産の拠点としての大学の機能がそれほど重要な位置にないことを意味している。国家予算を投入して得られる成果、つまり国家的な利益と予算の関係が、大学行政に関する限り大きな変化を強いられているのである。その意味で、国家が大学に対する政策変換を行わなければならない時代が来ているのである。

現在の日本は、大学の社会的機能や社会的意味、つまりその社会的役割を再検討しなければならない状況にある。大学に巨額の国税を注ぎ込んで、その機能を維持することの国家的貢献度に関する検討がなされている。その検討の現在までの結論が、近年の国立大学法人の設置や補助金制度の改革として実施されている大学教育の政策変換となって現れているのである。

いずれにしても、これらの国家レベルの大学政策変換の基本には、第四次産業構造の形成とその社会経済的影響を前提にして大学の社会経済的な役割を検討し再評価しなければならない事が、課題になっているのである。


知的労働力の生産機能としての大学の役割の変化

今日の大学は、新興勢力・研究開発産業(第四次産業)の知的生産の社会的機能の立場を認めることで、そのあり方を大きく変える。大学が、すでに唯一の先端知性の生産機能である時代と異なり、多くの知的生産機能が生まれている。例えば、行政専門機関、シンクタンク、ベンチャー企業、公立私立の研究所、NPO団体、自治体専門機関、専門分野のサークルや集まり、趣味として学問や研究を行う個人等々。知的生産の機能の進化こそが、科学技術文明時代の特徴であり、第四次産業の成立の背景であり、その文明が生み出す社会文化としての知的労働の大衆化と同時代の生活世界を特徴づける大衆としての知識人層が形成される。

これらの社会変化によって、大学での教育や研究のスタイルが変化してきた。その変化の代表例が、産学共同研究と呼ばれた研究スタイルの登場である。第四次産業の形成によって生じる社会変化に対して、大学が最初に持ち込んだ新しい時代での大学改革、社会順応対策であるといえる。大学は企業から豊かな研究資金を得るだけでなく、研究室卒業生の就職先、さらには豊かな研究施設の提供もうける。そして、現在では大学は企業と共同で商品開発し、利益を得るまでに至っている。

教育の面でも、企業の実践的知識の豊かな専門家を招待し講義を行う。1990年代にダイエーと契約を結んで講座を開いた立命館大学、そして現在では冠講座と呼ばれる企業の社会貢献活動を大学が活用し、企業と講座を持つ制度が生み出されている。つまり、企業の専門家を教員として活用することで、現代社会の多様な分野や専門的知識の教育を提供することが出くる。しかも、専任教員でないために、大学が負担する教育コストを低く抑えることができる。つまり大学経営の視点から考えると、低コストで、社会の専門分野の人的資源を活用し、大学教育の内容を豊富にすることが可能になる。

企業にとってもメリットがある。激化する国際競争に打ち勝つために、繰り広げられる経費削減やリストラ、中でも新入社員教育、企業内教育に関する経費削減は大きな課題となっている。社内教育への経費削減として、即戦力のある社員の雇用を重視し、大学新卒採用者を減らす傾向が生じるだろう。
入社してから3年以内に退職する現在の新入社員の動向によって、社員教育に対する経費とその経営効果のバランスに関する評価が近年益々重大な問題となっている。就職ミスマッチによる新入社員の退職現象は、企業にとっても経営的な損失である。その損失を防ぐために、

学生の就職ミスマッチを減らす必要が生じている。そこで、企業は、大学と共同で、学生への企業活動への理解を前提とした教育プログラムを作る必要があった。そのプログラムの一つとして、企業内研修、インターンシップが行われている。また、企業が大学で講座を持つ冠講座も、企業活動を学生に理解してもらう手段となる。学生に企業活動の専門知識を教育することによって、企業活動やその活動を支える専門知識群を理解させ、そうした特殊専門分野の企業活動への事前理解を可能にし、それに興味や関心を抱く学生を獲得することも可能になるのである。大学と共同で講座を持つことによって、企業も就職ミスマッチから生じる経費負担を抑えることが可能になるのである。


先端的知性の生産と担うエリート大学と大衆大学の機能分化

科学技術社会を生み出すものは先端科学技術の知性や技能を生産、再生産する第四次産業や大学だけではない。知的労働力を育成するための社会的機能として教育機関があるというのは、古典派経済学から導かれる基本的な教育経済学的な考え方である。従って、国家は国民教育を充実させなければならなかった。

また、優秀な青少年の高等教育進学率を高め、広く国民の中から優秀な官僚、技術者、科学者や政治や経済の専門家の育成を行ってきた。国民国家にとって、教育は大切な社会制度の一つである。この制度は、国家が近代化を推進している時代にとって、国家的利益をもたらす手段として、最も大きな意味を持っていた。時代や世界的地域を越えて、国民教育制度と国家運営の高等教育制度は近代国家の成立や近代化政策にとって、重要な政治政策の一つである。

この制度が生み出した生産力、生産力から直接導かれる国家的経済力、それらの経済的繁栄は賃金、社会福祉制度や社会資本充実として国民生活に還元される。経済的繁栄を導きだした教育への投資は、さらに経済的生活条件の向上のために、家族の単位で、地域社会の単位で、増加する。国立大学、公立大学以外にも、数多くの私立大学が設置される。勿論、国家はそれらの設置に当たって、それらの設置基準を定め、その社会的機能の質を維持してきた。

大学入学者数が同世代人口の10パーセント以内であった1950年代に比べ、15パーセント代に膨れ上がる1960年代後半、そして近年では50パーセント代になり、大学短大以外の高等専門学校への入学者数を換算すると、80パーセント以上の人口が高校卒業以後に、高等教育を受ける時代になっている。

高等教育受講者数が国民の半数以上になる時代では、大学教育はエリート育成の教育ではなく、大衆教育の一つとなったのである。1950年代から半世紀を経て、わが国での大学の社会的イメージの変化、大学生への社会的評価の変化はおおよそ天と地の隔たりがある。すでに大衆化した大学の社会的機能に関する整備やその有効な機能形態に関する課題が、現在の大学改革の中心課題である。国家の利益に対する大学の役割を前提にした改革の時代、つまり文部官僚主導型で進められた大学改革の時代は終わった。そして、今、まったく無政府状態の大学改革が進行しているのである。大学改革は各大学の自己努力、大学経営体を維持するための努力として解釈されている。これが現状の大学改革の理念となっている。

言い換ええると、国家的な大学改革の主な課題は二つある。一つは、先端科学技術力を維持するためのエリート大学の育成である。そこに集中的に研究費を投入して経済力の基盤となる研究開発を先端企業や行政研究機関と進める。それ以外の大学を、高等教育大学として位置づけ、大衆的大学教育を充実することである。これが二番目の課題である。この大衆大学教育の質を高めるために、学習の理解と意欲を有効に導くあたらし教授法、教材作成などの教育プログラムへ補助金を出すことになる。つまり、この二つの国家的な大学教育政策を契機とし、またその政策の進展に即して、好むと好まざるに関わらず、現在、1000以上を越える日本全国の大学短大の社会的機能の棲み分け、統廃合や再編が進行しるのである。

こうした大きな流れを理解した大学経営陣のみが、今後、その大学の生き残りを掛けて大学改革に成功するだろう。この成功の要因として、現在、地域社会に貢献する大学が、多くの中小の大学短大の経営陣が目指す課題のスローガンとなっている。確かに、国家レベルや世界レベルでの共同開発研究が可能な一部エリート大学と違い、中レベルの国公私学、地方の大学では、第一の課題として、大学の知的財産を活用しながら地域社会のベンチャー産業への協力、産学協同での地域発ベンチャー産業の育成やそのためのインキュベータ施設の提供等々が取り組まれている。大学教育に関第二の課題として、生涯学習センターの設置が進んでいる。

つまり、極論すると21世紀の前半期では、日本の大半の大学が、先端的知性の生産機能としてではなく、大衆教育としての大学機能に特化しなければならない。その進化の方向で、大衆教育としての大学の淘汰選択が行われることになる。したがって、そのために、大学内の教育改革が進むことが、生き残りの第一条件となるだろう。


--------------------------------------------------------------------------------

ブログ文書集 タイトル「大学教育改革への提案」の目次 
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/04/blog-post_6795.html

--------------------------------------------------------------------------------









2011年6月26日 誤字、タイトル表現の修正