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2017年10月11日水曜日

主権者としての社会的責任の自覚と理性 

私たちは主権者としての社会的責任を自覚し、政治に冷静な理性を求めます

 日本は「日本国憲法」によって、国のカタチを定め、国会で定める法律によって“法治”する立憲民主国です。思想信条の自由を人権として位置づけ、多元価値・多様性を尊重し合って主権在民の理念で成立しています。
 しかし、現実はどうでしょうか。安倍政権の5年間を冷静に吟味してみる必要があります。大臣を安倍首相の“お友達”で構成し、政治が私物化されているのではないでしょうか。安倍首相への「忖度」によって森友・加計疑惑は国税の使途としては不明のままです。国会で虚偽答弁の疑いのある財務省局長があろうことか国税庁長官に栄転しています。秘密保護法、戦争法、共謀罪などの国会審議においても、大臣達の答弁に混乱や虚偽が重なったにもかかわらず、オトガメなしで、審議不十分なままに強行採決されました。国民の信託を受け、国権の最高機関である国会、つまり主権者国民に対する侮辱です。
 今般の解散総選挙は政治の恥ずかしい実態を背景に混迷を極めています。「逃げ切り解散」と世間で言われているように、森友・加計問題で安倍首相は「誠実で丁寧な説明」する臨時国会を回避するためなのでしょうか、憲法の規定に沿った野党の臨時国会請求を先延ばしただけでなく、所信表明演説もしない冒頭解散という理不尽でした。ここにも憲法無視の「ご都合」が見られます。憲法の精神が踏みにじられて来たのです。
 このような恥ずかしい政治の現実の中で、アベノミクスは破綻が明白となってきました。ゼロ金利で財布のヒモはかたいままです。先行き不安が深刻だからです。笑っているのは輸出関連の大企業だけであり、中小零細企業は四苦八苦です。貧富格差は拡大し、庶民に希望はありません。社会的・経済的な閉塞感はやがて全体主義を引き寄せ、破局的未来につながりかねません。すでに安倍一強体制によって「忖度独裁」は進んでいます。憲法無視の「力の政治」は全体主義的です。希望の党も小池独裁で、その危険性を露出しています。
 時代の閉塞感は庶民の中に不安・不満と苛立を呼び、分かりやすい政策を独裁に求める危険があります。この危険のもたらす全体主義は壊滅的戦争への流れを強めることでしょう。すでに安倍首相はアメリカのトランプ大統領のお先棒を担いで危機感を煽っています。そして、国連の非核条約に反対しました。広島・長崎の経験を持ち、非戦の憲法を持つ日本国ですから、世界の不信感を集めたのも当然で、悲しいことです。
 このような危機的状況の中で、政治の混乱をどう受け止めるべきなのでしょうか。熱狂と興奮は危険な世への雪崩を呼ぶでしょう。私たちは冷静で理性的にものごとを見つめ、一人一人が主体的、自立的に主権者としての自覚を大切にしたいと思います。私たちは混乱に巻き込まれ、うろたえることはもちろん、小池劇場を楽しむ傍観者となるのは無責任です。一人一人の力は小さくとも、力を合わせ社会を健全にする社会的責任を自覚し、日本国憲法が認める国民の権利を行使したいと思います。

                           2017109
               
                    政治に冷静な理性を求める京都の有志

 石田紀郎、石野はるみ、伊藤正子、岩本真一、大津定美、大津典子、大見哲巨、岡田直紀、小川光、荻野晃也、小椋純一、落合祥尭川那部綾子、川那部浩哉、北川政幸、楠瀬佳子、黒田末壽駒込武、白井聡、新谷英治、住友剛、田平正子、槌田劭、中尾ハジメ、浜 矩子、平松幸三、藤原 辰史、細川弘明、松久寛、松良俊明、三木草子、三石博行、宮本正興、文殊幹夫、山田國廣、山田耕作、吉竹幸則、和田喜彦      


       連絡先:槌田劭(0774-32-6786)石田紀郎(090-1968-8004
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2017年1月6日金曜日

高校生の政治活動への規制とは何か


昔、1965年の夏だったと思う。私は高校2年だった。ベトナム戦争の映画を観て、ショックを受けた。丁度そのころ青少年赤十字(Junior Red Cross)の活動に参加していた。青少年赤十字では「ベトナムの戦禍に苦しむお母さんに乳児用のエプロン」をつくって送る運動をしていた。その活動に参加しながらも、私はベトナム戦争に反対すべきと、部員を集めて議論をした。そのことが、学校側に伝わり、「これ以上、政治活動をするなら、退学処分になる」と部活の顧問から言い渡された。あの時、私は、まるで頭を鈍器で殴られたようなショックを受けたことを記憶している。深く傷ついた。大人たちの欺瞞。それから青少年赤十字は辞めた(辞めさせられた)。

そして、強烈な挫折と絶望感に襲われた。あの非道なベトナムでの戦争を、ついこの前、戦禍で苦しんだ我々日本人が反対できない。戦争反対という心が、退学に処されるというのだ。その不条理と不正義、それに対してあまりにも無力な自分がそこに居た。暗い青春の挫折に覆われながら、私の高校時代は終わったようだった。

半世紀もたって、同じことを高校でやっているようだ。しかも、当時の教師は戦前の教育を受けた人々であったが、今は、私と同じ、戦後民主主義の教育を一応受けている。ましては、学生時代にベトナム反戦運動や大学教育民主化運動をやった人々も多く居たと思う。それが、高校生の政治活動を行うことを規制しようとしている。

それは、選挙権をもつ人々、つまり日本の社会に責任を持つ一人の国民に対して、取るべき態度なのか。もし、18歳の選挙民に対して「政治活動の規制」を当然のことのように行う大人(教育委員会や教師)は、それらの人々に対して「君たちは子供なんだから、子供が政治活動をすることは、まだ許されていないのだ。だから、我々、責任ある大人が、君たちの行動を規制し、保護しているのです」と言うべきだ。その上で、「君たちは、選挙権を持つ国民で、選挙結果への責任は君たちにある」と同時に言うことが出来るだろうか。

若者が政治活動に無関心であることが、この国や社会では、正しい若者の姿であるとされ、若者が社会や国のことを考えないことが、望ましい若者の生き方であるとされて来た。そして、政治への無関心、投票率40パーセント以下、それが、今の私達の社会で当然のように地方から国までの選挙の姿として定着している。このことへの危機感は無い。このことが未来何を導くのかということへの不安もない。
本当に、こうした社会を作ってしまった私達、戦後世代の責任は重い。

2016年8月22日 フェイスブック記載文書

2016年8月22日月曜日

君に理解して欲しかった「命の別名」 

中島みゆきの「命の別名」を槙さんから教えてもらった。19名の命を奪った彼に聴いてほしかった曲であり詩であった。命という課題に向き合うこと、それは自分の生き方に向き合うことだと思う。

昔、母がメスの赤ちゃんを育てている「野良猫」に対して、同じ母親の経験をしてきた人間(動物)として、語った言葉があった。その時、母は、その赤ちゃんを育てている猫に対して共感に満ちた言葉を掛けていた。

命の尊さ、それは自分の生きた人生への愛情や生きてこられた人生への感謝の念をもって生まれる。だから、生きていることの意味は、生きていることという事実の中にしか見えない。

それはことばではない。それはことばを超えた、そこに居たた人々や存在者たちなのだろう。
もう一度、彼にこの曲を聴いてもらいたいと思った。


https://www.youtube.com/watch?v=L46IEE46jvU&feature=share

戦争という悲劇


戦争には殺される側の被害者と殺す側の加害者が居る。戦争は、同時にその二つの立場を同一の人物が持つことになる。その意味で、犯罪者と犯罪被害者の構図とは異なる、加害と被害の関係が生まれる。
戦争に行って敵を殺した私が、もし、反戦を言うなら、私は、私の戦争加害者を語らなければならない。
戦禍の中で家族を殺された私が、もし、戦争を憎むなら、私の家族が戦地に行って、他国の家族を殺さなければならない兵士となった悲しみを語らなければならない。

戦争という悲劇は、殺す側と殺される側が、1秒ごとに交互に立場を変えて、殺したくない、殺されたくない、人の心を、奪い去り、殺されないために、殺す、惨めな存在者たちにの同じ色の軍服を着た名前のない人々の群れの一人に化すことだろう。

それは、もはや私という個別の色の名前を持たない、同一色化した代名詞化した兵士なのだ。

2015年1月10日土曜日

新しい日本人たち「Mixed Roots Japan」が生み出す日本の国際文化

国際社会化への路(1)


三石博行


**** 1 ****


昔、「アメリカからアフリカ系アメリカ人(黒人)の文化を取ってしまったら何も残らない」と聞いたこと
があった。確かに、音楽を例に取れば、それは正しいようにも思う。

奴隷狩りと呼ばれる最も非人道的な仕打ちに遭い、鎖に繋がれ海を渡り、航海中、死んで海に投げ捨てられ、異国の地で家畜として扱われ、殺され、レイプされ、家族を奪われ、自由を失い、残酷で悲惨な人生を強いられた人々が、唯一、こころを癒したのは音楽であった。遠いアフリカの故郷で鳴り響いていたリズムであり、楽しかった生活の中で歌われていた歌であった。

彼らは、自らの誇りを音楽として表現した。それが、今、アメリカを代表する文化となった。逆に考えると、これがアメリカだとも言える。アフリカ系アメリカ人の存在(そのルーツや歴史を含めて)を抜きにして、現代アメリカの文化を語ることは出来ない。つまり、アメリカという国が存在し、アメリカ文化を語るとき、アフリカ系アメリカ人の起源や歴史が語り継がれることになる。

このことはアメリカの恥なのだろうか。もし、アメリカが奴隷主・白人たちの国であれば、きっと「これはアメリカの恥の歴史なのだ」と言えるだろう。しかし、アフリカ系アメリカ人に取っては、恥とか名誉とかの問題でなく、単なる歴史的事実に過ぎない。

歴史的事実である以上、彼らに取って自分たちが奴隷であったということを受け止めるしかない。今、自由なアメリカ人として生きているはずの現在の自分に、この過去の事実が襲い掛かり、人種差別の現実に否応なく自分を引きずり込んでいる。しかし、同時に、アメリカ音楽を生み出したのは自分たちであることを知っている。


**** 2 ****


アフリカ系アメリカ人の殆どがヨーロッパ人やその他の人種との混血であると言われている。彼らは純血のアフリカ人ではない。彼らは、彼らを奴隷にした白人を先祖に持っている。では、彼らは白人の子孫であると彼らが知っていたとしても、その事実はアメリカでは認められないのである。簡単に「少しでもアフリカ人の特徴を持つものを人という」とアメリカの人類学者は分類したのかもしれない。

この人種偏見の傾向はどこにでもある。日本でも韓国人と日本人の間で生まれた人を、日本社会では「日本人」とは呼ばない。「韓国人との間の子」と必ずと言いって「韓国人」の国籍が前に来る。フランス人との間に生まれた場合でも、「フランス人との間の子」となる。多分、逆も同じように成立していると思う。このことが国際文化の現状を物語る。

アメリカでは、白人以外の人種、アジア系、アフリカ系も歴とした(てっきとした)アメリカ市民であるが、ヨーロッパ系アメリカ人からは感情的には、まだアメリカ人としては認められていないのかもしれない。

逆に考えると、アフリカ人からすると、白人を先祖に持っているアフリカ系アメリカ人は純血のアフリカ人ではない。白人との混血人種である。「白人との間の子」となる。もし、キリストがアフリカ人(白人ではなく中東のイスラエル・パレスチナ人ですが)で、アフリカ文明が世界を席巻していたら、白人とは「少しでも白人の特徴を持つものを人ということにあるだろう。

白人の先祖を持つアフリカ系アメリカ人たちの中で、彼ら自身を迫害し続ける自分の身体(遺伝子)の一部である白人たち(先祖たち)は、自分の子孫の悲惨な現実を嘆いるだろう。自分の子孫が自分たちによって苦しめられている。この現実を受け止め自責の念に苛まれる人々を想像してみた。これらの人々は私の想像上にしかいないのであるが、もし仮に居るとすれば、アフリカ系アメリカ人の中にしかいないだろうと考えた。

この私の妄想は、まったくありえない作り話の世界なのだろうか。そう考えた時、西洋伝統の楽器を使いこなし、西洋クラシック音楽をこよなく愛していたジャズミュージシャンたちが思い浮かんだ。1950年代のチャーリー・パーカー、そして彼に影響を受けたバド・パウエル、チャールズ・ミンガス、ジョン・コルトレーン、エリック・ドルフィーバッド等、ジャズミュージシャンたちの音楽が聞こえるようだ。彼らの中に流れる西洋音楽とアフリカ音楽があるからこそ、ジャズは生まれたのだ。そう考えたとき、妄想には違いないが、しかし、まったくでたらめな仮説から来ている妄想ではないと感じた。

時代が変わり、100年後、いや200年後に、アメリカ社会はどうなっているか。アフリカ系アメリカ人たちは、まだ、差別され続けているか。まだ貧民街に寄り添って生活しているか。それとも、そうした人種差別は全く消滅しているか。アフリカ系アメリカ人オバマ氏が大統領になってから1世紀後に、この社会が人種差別という古い時代の痕跡を一層し、人種融合という新しい国際文化の形態を作り出していることに期待したい。

その時、未来のアメリカ社会では、「少しでも○○人の特徴を持つものを人という」という人をアメリカ人から除外するという人種差別の目はなくなっているだろう。それと同時に、奴隷として売られて来たアフリカ系アメリカ人の歴史がアメリカ人のルーツや歴史として小学校の教科書に記載され、日常的に語り継がれているだろう。その時、ジャズはアメリカ人の音楽と言われるようになっているだろう。


**** 3 ****


今、日本社会に新しい文化が生れようとしている。それは「Mixed Roots Japan」で紹介されている「ダブル」(以前はハーフと呼んでいたが)と呼ばれる人々に代表される国際化社会の姿である。このMixed Roots Japanを支える「ダブル」の人々を理解するために、これまでの日本社会の国際化の過程を理解し、さらに今後のその発展の可能性を考えてみた。その時、現在、Mixed Roots Japanで語られ、問題提起されている

すべてが、次の日本の国際化社会を構築するめの不可欠な豊かで人的及び文化的資源となることは確かだ。国際化社会や文化の課題を考える時、これまでの国際化の過程を大雑把に理解しておく必要がある。

これまで発展してきた社会の国際化過程は、まず、商品の国際流通を促進してきた国際経済に始まる。現在、私たちは海外の商品に日常的に囲まれて生活している。そして、情報の国際流通を促してきた国際社会が形成される。テレビから海外のニュースが報道され、インターネットで海外の情報を取得することも、また海外に情報を発信することも簡単に出来るようになった。インターネットでフィリピンの先生から英会話を学ぶことが出来るようになった。

現在、異人種間の人的交流が急速に進みつつある。海外留学や外国人の日本留学から始まり、国際化した日本企業での海外滞在の日常化や外国人従業員との日常的な協働化、日本人の海外滞在と外国人の日本長期滞在が、急速に異人種間の人的交流を生み出し、その結果、国際結婚が日常化し、外国人との間に生まれる子供の数も年々増えている。多くなり、そのことによって、人の国際交流は新たな課題を日本文化に突き付けている。

この2、30年間の日本での人的な国際化の過程を観ても、企業の海外進出や留学の大衆化によって、日本人なのに片言の日本語しか話せない、もしくは、二か国語、三か国語を自由に話せる帰国子女という新しい日本人が生まれた。この新しい日本人たちを国の豊かな資源として受け入れるかどうか。1980年代から10年程度の模索の結果、多くの教育機関や企業に受け入れ体制が確立して、日本の国際化は日本の文化に根付いた。

日本人の海外滞在と外国人の日本滞在が結果として持ち込む生活様式や生活環境の変化である。国際結婚がその典型的事例となる。日本人の国際結婚は多くなり、また一般化しつつある。今NHKの朝ドラ「マッサン」はその社会現象を映し出している。

海外で生まれる日本人と外国人の子供が多くなってくる。以前は、ハーフ、つまり半分日本人と呼んでいたが、最近では二つの文化を持つ子供・ダブルと呼んでいるようだ。このダブルの子供たちが、今、この日本社会では「生きづらい」ことは確かである。この生きづらさを何とか解明し、そして解決する努力を「Mixed Roots Japan」に集う人々は模索している。

答えはないだろう。これまでアメリカと違い、文化的多様性は勿論のこと、人種的多様性すらなかった日本で、他者の多様性を認める文化を創る作業をしているのであるから、その道のりは遠いに違いない。しかし、「Mixed Roots Japan」が今取り組んでいる一歩が、「いじめ」と呼ばれる「多様性を排除する気持ち」や「自分と異なる人々にもつ無意識の違和感や不愉快さ」を自覚的に理解する契機を与えるだろう。

この「Mixed Roots Japan」の活動は、今、日本の社会で最も問われ、必要とされている課題に直接関係し、その解決の糸口を与える契機となると考える。この「Mixed Roots Japan」の活動を、彼ら「ダブル」たちの問題に限定してはならい。これは、日本社会の現在の病理、多様性へのアレルギー症、他者との差異を無意識に打消し、共同幻想の世界を維持し、その中で安心しようとする弱さ、つまり異文化拒絶症を克服する機会を与えていると思う。

そして、この課題を乗り越え、おおらかな多文化理解のこころ、強靭な多様性文化や社会システムへの順応力を付けることによって、日本人が国際社会の中で大きく貢献できると信じる。何故なら、元々、我々日本人は、難解の黒潮の彼方から船に乗り、大大陸の彼方から馬に乗り、北シベリアの彼方からそりに乗り、渡ってきた多くの異なる民族や人種の子孫ではないか。

この課題を考えるために、今、アメリカの人々が人種差別に向き合っている努力していることに、多くのことを学ぶことが出来るだろう。



参考資料


1、  Mixed Roots Japan

2、Pharrell Williams "Happy": Mixed Roots Japan ver.
https://www.youtube.com/watch?v=-XgW2qMre2o



三石博行のフェイスブック
https://www.facebook.com/hiro.mitsuishi



2015年1月3日土曜日

「差別とは何か。それと向き合うこととは何か」目次

三石博行



アメリカ旅行をしながら、「差別とは何か。それと向き合うこととは何か」を書いた。丁度、出発の前からアメリカは黒人差別反対運動で盛り上がっていた。そのこともあり、今回のアメリカ旅行では、この問題について、友人たちの意見も聴けた。

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 「差別とは何か。それと向き合うこととは何か」


三石博行 


1、差別・人権侵害をしながら、それと闘ってきたアメリカという国


1-1、自由主義の国家アメリカの二つの側面

1-2、多民族多文化国家アメリカと差別と反差別運動の歴史

1-3、人種差別を乗り越え、新たな人種差別に悩む人々の国、アメリカ



2、自己認識の基本を作る他者と自分の差異、差別の構造


2-1.フランス人の人種差別に関する私の意地悪な実験

2-2.差別意識の起源としての社会的文化的共同主観の形成

2-3.自己認識を支える社会的文化的偏見


  

3、社会文化構造としての人種・社会的差別


3-1、差別意識・差別用語批判運動の意味と限界

3-2、海外生活で学んだ差別される側の立場

3-3、差別再生産の社会システム・存在が差別意識を規定し再生産する

3-4、エピローグ



201513

三石博行のフェイスブック

社会文化構造としての人種・社会的差別

差別とは何か。それと向き合うこととは何か(3

 三石博行

差別意識・差別用語批判運動の意味と限界


どのようにして自己意識の基本に関わる差別を克服することが出来るか。この困難な課題に立ち向かうための考え方を整理してみよう。まず、人種や社会的差別は「個人の意識」を変えることで解決すると考えることで十分なのだろうか。つまり、差別は個人個人が自覚的に他者を差別しない決意することで解決できるだろうかと考えてみよう。もちろん、差別しないようにと自分を戒め、他の人々や社会の差別に批判的に対応することで、現在ある多くの差別問題が解決の方向に向かうことは確かである。差別しないことを個人が自覚的に理解することは、この問題を克服するための大切な条件であることには違いない。

これで、果たして十分かという問題を、1967年の公民権運動の結果とし人種差別を撤廃する政策が成立し始めたアメリカ社会で作成された映画「招かざる客」は鋭く指摘していた。人種差別を批判していたジャーナリストの父親は娘と黒人医師との結婚に反対した。この映画が示したことは、人権主義を主張しているアメリカ人知識人たちの欺瞞性だけでなく、人種差別に反対する社会的正義観やモラルだけでは、自分たちの中産階級の生活を危機に陥れても、娘が差別される側に行き厳しい白人社会からの排除を受けることを知りながらも、それでも自分の社会正義の主張を貫くのかと問われた当時のアメリカ民主的知識人の姿を描いていた。

この問題提起に対して、アメリカ社会の人権主義や民主主義的と自認している人々は長年、自問自答し続けただろう。この問いかけをアメリカの良心的知識人に押し付けて、我々日本では、どうなのかと問い掛ける必要があったのかもしれない。この問題は、意識的自覚の持つもう一つの側面を示しているとも言える。

日本でも部落差別や身体障害者差別問題が1960年代後半、労働運動、反公害運動、反戦運動が市民や学生の運動から起こる中で、差別に関する議論が繰り広げられた。その多くの解決方法は、差別意識の改革であった。差別しない自分になることが問われた。

言い換えると、差別とは差別意識である。その意識を代表するのが無意識に使われる「差別用語」であった。そこでこの差別用語を徹底的に排除する活動「差別用語糾弾運動」が起こった。確かに、差別用語を無意識に使う私たちは、その用語に分類された人々が受ける苦しみに鈍感である。差別を受けて来た人々の心にぐっさり突き刺さる差別用語を、無意識に使う。そして、そのことばによって傷ついた人々を知って、驚くのである。その意味で、無意識に使われる差別用語、それに代表される差別意識を差別され、そのことばによって傷つく人々から指摘されることは、大切なことである。その意味で、この差別用語の糾弾活動は、差別されている人々が無意識のうちに差別している人々に、差別意識を自覚させることが出来るという点では、大きな意味を持つ。

だが、この運動によって、差別している人々は差別用語を使うことを避ける。また、差別糾弾運動も、色々なところで使われている差別的なニュアンスをもつ日本語を探し出し、その日本語を使わないように出版界、教育界は勿論のこと、公共出版物の編集委員会にも異議を申し出ることになる。これらの人々は差別糾弾運動の対象になることをさけるために、差別用語の使用を厳しく自制することになる。社会から差別用語は無くなった。しかし、差別は本当に無くなったのだろうか。

確かに、これらの社会的機能において、差別的な意識がないのでなく、十分にあり、彼らによって日常的に差別意識が再生産されている現実は否定できない。その意味で、差別用語撤回運動は確かに意味を持っていたとも言えるだろう。

しかし、差別用語の撤廃運動の在り方を、もう一度自己点検しなければならない。例えば、精神障害者差別を訴え、精神障害者への差別用語を撤廃するために、精神病の命名を変えた。例えば「精神分裂病」の「分裂」が差別用語であるから「統合失調症」と呼ぶことにした。しかし、成人分裂病と総合失調症と呼ぶようになった精神病院で、果たして精神障害者への差別問題は解決の方向に向かったかと問い掛けるべきである。

ちなみに、英語でもフランス語でも精神分裂病は「schizophrenia」、「schizophrénie」である。これは、フランスの神経生理学者のブロイラーが、この精神症候群の「精神機能の特徴的な分裂」の基本的症状として有するとして 「Schizo(分裂)」、「Phrenia(精神病)」と呼んだことに、この精神障害への命名の語源的起源があるため、今日でも、日本で差別用語として理解された「分裂」を使用しているのである。

問題は、「分裂」は差別用語で「失調」はそうでないため、今まで命名していた「精神分裂病」を「総合失調症」と命名し直したことで、精神障害者への差別問題が少しでも良くなったのかとういことである。もし、以前と同じであるなら、差別用語撤廃の運動の意味を検証しなければならない。何故なら、差別問題を基本的に解決するのでなく、差別用語の魔女狩り裁判を行うことで、差別問題に取り組んでいると社会が錯覚してしまうことを避けなければならないからだ。何故なら、精神障害者の差別問題の解決で、「失調」が今度は差別用語だという事になり、新しい「。。。」と言う用語が用意され、それを使わない人々が差別者とされ、それで問題が解決したかのように思う風潮を防がなければならないからだ。

言うまでもないことだが、精神障害者の差別問題は、彼らの治療の仕方を変えなければ解決しない。例えば日本で取り組まれている「なかまの杜クリニック」をはじめとして、他の国でも、多くの取組がなされている。それらの先進的な治療、病院中心主義からの脱却、地域社会でともに生きることを課題にして精神障害者の治療と共存関係の形成が問われているのである。

そして、差別用語撤回運動を行ったことによって、私たちの社会の人権文化は豊かになった。それと同時に、この運動の限界も理解されている。さらに、この運動の発展的反省として、差別意識を再生産する社会文化の制度を問題にしなければならないと私たちは考えている。


海外生活で学んだ差別される側の立場


フランスで生活している1980年代の後半だったが、中国人や韓国人の留学生達と付き合った。初めて韓国の留学生たちが私の家に来た時、一人の研究者が「自分のおじさんは、戦中に日本に半強制的に連れていかれ、炭鉱で働かされ、死んだ」と言った。今まで、フランスでは東アジアの留学生との交流は殆どなかったため、この一言はきつかった。

しかも、学生時代から明治以来、日本帝国の朝鮮植民地化、中国侵略戦争、関東大震災時の朝鮮人虐殺、戦時中の強制労働等々の歴史は学んでいた。そして、日本の戦争犯罪を批判して来た一人の「人権主義者」の自分であると自覚していたため、直接、彼らから強制労働の歴史戦前の日本の民族差別の問題について「批判されている」ように言われるのが辛かった。

しかし、私が学生時代から日本の戦争犯罪を指摘し批判して来た人間であろうと、私は彼らからすると「一人の日本人」に過ぎない。自分たちの国を植民地化し強制労働をさせそして殺した国の国民であるに違いない。もちろん、彼らと私は理解し合い、共にフランスで研究する学徒として、共感し合っていた。我が家では彼らがやって来て私も参加してキムチなどの韓国料理を作った。だから、批判的なことが言えたのは、逆に、彼らと私の間に、それが言える関係が在ったという事を意味する。しかし、それだからこそ、彼らの友であろうとするなら、その彼らの率直な批判に耳を傾け、彼らの批判を受け止めなければならないだろう。

例えば、私が彼らに「いや、私もその日本を批判して来たのです」と言っても、彼らからすると遠くから見ている私は戦争犯罪者たちと同じ日本人に過ぎない。もし、私と彼らがお互いに信頼できる友人になれたら、彼らは私に率直に「日本は本当にひどいことをした」と言いながらも、私が何を言わなくても私と東アジアを植民地化した旧日本軍の官僚と同類の人間とは見なさないだろう。

事実、私は彼らとの交友の中で、自分がどこかで日本人であることの優越感を感じている自分を知った。意識的には平等や人権の思想を大切にしながら、「日本人」という意識の中では「アジアで最も進んだ国」「世界第二の経済大国」「日本の技術」等々、自分の優越性を実証する全ての情報を自分を証明するものとして確りと持っていた。

避けられない国民という自分が自分であることから来る他者との違いや比較の感情を、否定することはできない。それは、彼ら韓国や中国の友も同じであり、またフランス人たちも同じである。

お互いの人間的な信頼関係がない段階では、私は日本という国に代表される存在に過ぎない。その意味で彼らにとっての日本のイメージを引き受けることになる。そして、人間的な信頼関係が成立しながら、日本人から一人の私として彼らの中で私の評価が変化する。当然のことである。私もまったく同じように、人の評価を行っているに違いない。その意味で、一人ひとりの日本人は、過去のこの国が悪いことも良いことも、引き受けなければならない。それは日本人という自分の運命の一部分であるからだ。

他者に取って自分とは、常にある一つの集団のもつその責任を背負わされている。例えば私が「精神障害者を差別してない」と言っても、檻に入れられベッドに縛られ、自由を奪われ、彼らにとって、精神障害者の差別に対して沈黙し無視し、自分だけの生活に追われている私は、彼らの差別の現実に無関心な人間として受け止められるだろう。私と彼らを檻の中に入れている人々は全く同類の人間ではないにしろ、自分たちを差別している人間に大きく分類されるかも知れない。差別を受けている人を見ても、何も言わない、何もしないが、民主主義者や人権主義者だと自分を思っている私たちも、積極的に差別を行う私たちも、差別を受けている人からすると、余り変わらない人々なのだと思う。

つまり、意識している私ではなく、存在している私の在り方が、差別問題を語るときに問わる課題であるという事を意味している。つまり、私がどのような意識を持っているかでなく、私がどのような社会文化的構造の中で生活しているかが問題なのである。長い海外生活は多くのことを私に教えてくれた。何故なら、日本では滞在許可を市役所や県庁に申請しなくてもいい。日本では当然あった選挙権も住民権も、海外ではない。命に関わる基本的な人権を守られているが、社会生活者としての基本的権利はない。働いて税金を納めたとしても、社会に参加する権利はない。君は自分たちと同じ市民ではないと、私が聞こえようが聞こえまいが、毎日どこかで言われている。差別は日常化され、それに鈍感になっている状態を海外長期生活者と言う。

当然のことだが、自分を日本人である証明するパスポートが、公共的な手続きでは必要となる。つまり、何を言っても、唯一自分を守ってくれるのは、日本のパスポートである。「日本人」であるということが自分の唯一の海外生活を守る後ろ盾になる。仮に、私が日本が嫌いでも、日本の現政権に対立していても、反日本的な発言を繰り返していても、私を守るのは日本国である。そのことにすべての日本人は海外生活を通じて気付かされる。今や、国内で対立していた反政府主義者も政府支持者もここでは同じ日本人以外の何者でもないと気付かされるのである。

そして、家族も親戚も居ない異国の地で、具体的に自分を守ってくれるのは、親しいフランスの友人たちでだけなのである。

私は長い留学と海外生活の中で、外国人として生きることの現実を理解した。そのことは、日本で生活する外国人、特に在日韓国・朝鮮人や在日中国人の現実を理解する契機を与えた。海外で生活し、差別を受けていなければ、彼らへの不当な差別に反対していた私は、彼らの差別される側の気持ちの入り口も理解できなかったと思う。差別される立場に立つことは、差別されている人々の身になって考える力を与えてくれる。差別されている側の気持ちを想像できる機会を与えてくれる。それは、私の長い海外生活で得た貴重な経験の一つであったと言える。


差別再生産の社会システム・存在が差別意識を規定し再生産する


そう簡単に解決できない人種や社会差別を考える時、差別する意識ばかりでなく、その意識の土台となる社会文化構造を考えなればならない。差別の構造は自己認識の土台となる文化的差異から生まれると理解することは簡単なことではない。差別的関係とは社会や文化的立場に必然的に付随するものである。その意味で、意識的に差別する側に立っていると自分をいかに自覚していたとしても、「差別しない」人になる努力をする人にはなれるが、差別意識を全く持たない、もしくは持つ可能性の無い人になることは不可能に近いと言えるだろう。

逆に言うと、差別問題を考える時に、差別意識をなくすることの困難さが理解で出来ていなければならない。差別は意識変革によって解決されることはなく、差別は差別される側に立つことによってしか、差別される立場は理解できないと言える。例えば、外国で生活するとか、人種差別を受けている人々と友人になるとか、結婚するとか、そして子供を作るとか。つまり、差別されている側に立ってしか生きられない立場を得ることで、差別の問題はより鮮明になる。

これは実行するには難しいと言われるだろう。そであるなら、少なくとも先進国で飢餓することなく、また教育を受け、選挙権を持っている私たち日本国民は、他の人権を侵害されながら生きている国々の人々に対して、「差別していないのでなく、何らかの差別の上に立っている」国に自分たちは住んでいると自覚することである。

諄い(くどい)よう同じことを繰り返して言うことになるが、仮に自分は人権主義者で、その国の政権を批判していようと、また全くの国際問題は勿論のこと、人権問題にも無関心な人間で、その国の現実を知らなかったにしろ、また知っていても、自分だけのことを考えていたにしろ、その三者が同じ日本人である限り、人権侵害や飢餓に苦しむ人々から見れば、そう変わりはない。我々はおなじ日本人、豊かで、民主主義の国、選挙権を持っている国の人で、その優越な目線から彼らを見ている人に過ぎない。

また同様に、同じ日本社会の中でも、人々の社会的や経済的な違いによって、差別は存在している。それらの差別でも同じことが言える。つまり、差別され、自分たちが社会や他人から受ける対応を差別として感じる人々の立場になって、つまり、同じ立場にならない限り、それらの差別を理解できることはない。その立場に居ない限り、それらの人々の差別されている現実は理解できないのである。

現実にある諸々の文化的、社会的、経済的な人々の格差、社会的分業が存在する限り、この格差は存在し、再生産され、また新たに生まれ、そして継承される。社会的機能や構造をそのまま社会的差異によって形成されている世界と解釈できる。その意味で、差別意識は社会的機能の一つの役割を担う個人にとって自然に持ってしまう意識である。問題は、この社会的存在性に不可避的に付随する「ある社会的役割を担っていると言う自己意識」の中にある「他者への差別意識」の自覚的反省があるこないかという事に尽きてしまう。つまり、少しでも他者との格差において優位に立っていると思うなら、それ自体が、すでに差別意識であると自覚しておくことだ。だからと言って、それ以上のことはない。ただ、「自覚しておくことだ」という「自己への呼びかけ」があるか、もしくはないかのという問題になってしまう。

私たちの社会には色々な社会的差異、例えば職業の違いや社会的役割の違いがある。そして同時にその役割の中に差異、社会的評価の違いが生じる。また、「貧しい人と豊かな人」「男と女」「子供と大人」「シングルマザーとそうでない人」「独身と結婚している人」「都会に住んでいる人と田舎に住んでいる人」「大学を出た人と出なかった人」「資格を持っている人と持ってない人」「正規雇用されている人と非正規の人」「職のある人と失業している人」「若い人と歳を取っている人」「寡(やもめ)になった人と配偶者が健在な人」等々。すべての社会的経済的文化的条件の違いがある。それらの違いに不可避的に付随する差別という社会現象を自覚的に意識しなければならない。

差別の問題を「差別をしない」という決意主義でなく、逆説的に「差別をしてしまう自らの立場を理解する」という反省的視点から、自覚的に差別を考なければならないのだろう。そのことによって、自己意識に起源する差別意識、それ故に、困難な差別意識への反省を促す唯一の手段を見つけ出すことが可能となる。自然に発生し続ける差別という自己意識に対して、差別している自己を自覚的に理解する努力しか、差別されている人の立場にない自分にとって差別を理解できる道は残されていないとも言える。

そして、同時に、これらの自覚は差別の問題に対して、「感傷的に悩む」のではなく、現実的に人種的差別や社会的差別の土台をなす社会や文化の構造やシステムを具体的に変えることを提案しているのである。


エピローグ


差別の問題を考える多くの材料がアメリカにあった。差別される側に積極的に立とうとする人々がいた。しかし、それでも差別の問題は解決していなかった。そして同時に、差別問題を真向かいに受け止める人々が、自分でなく、可愛い我が子が差別に遭うことを考え、自分の取った判断に迷い、自分は選択できる立場に居たが、子供は逆に選択される立場に居ることを思い知るのである。

差別の問題に最も積極的に取り組んだ人々の中に、彼らの人生を描けた試みの中に、深く潜む差別の構造への自覚の中に、アメリカの新しい人権思想の芽が膨らみはじめ、その悩みの中から、未来の我々の共存と共生の在り方の模索に、貢献することは確かである。この多様化共存から多様化混生時代を迎えたアメリカこそ、その深い悩みを抱えた人々にこそ、未来への希望があると信じることが出来た。

そして、今回のアメリカ旅行は終わった。



参考資料

1、統合失調症 Wikipedia

2、オイゲン・ブロイラー (Eugen Bleuler) Wikipedia

3、なかまの杜クリニック



「差別とは何か。それと向き合うこととは何か」目次
http://mitsuishi.blogspot.jp/2015/01/blog-post_99.html



三石博行のフェイスブック


2015年1月4日訂正

2014年12月29日月曜日

自己認識の基本を作る他者と自分の差異、差別の構造

差別とは何か。それと向き合うこととは何か(2

三石博行

フランス人の人種差別に関する私の意地悪な実験


1980年代、フランスにいた頃、善良なフランス人をつかまえて、悪い冗談をやっていた。フランス人に「何人ですか」と聞かれた時に、「ベトナム人です」「中国人です」「韓国人です」「フイリピン人です」と答えてみた。それから、フランス人たちの反応を観て、「否、ごめんなさい。日本人です」と言った。そして彼らの反応を再び観察した。

実に、ふざけた話である。こんな冗談を言われたら腹が立つと思う。「ふざけるな」と言いたくなる。しかし、不思議なことに善良なフランス人たちは誰も「ふざけるな」とは言わなかった。

彼らにしてみれば、日本人の私がベトナム人とか中国人だと言っても、誰も私の言ったことを不思議だとは思わない。と言うのも、フランス人から見ると、東アジアや東南アジアの人々は、ほぼ同じ顔立ちをしているのだ。

逆も同じで、私たち日本人もフランス人、スペイン人、ドイツ人等々、西欧人の顔立ちから、それらの人々の国籍を正確に見分けることは出来ない。むろん、顔の細部をよく観れば、国籍に付随する共通する特徴(統計的平均値として)もある。だが、それも必ずしも、例外なく、それらの特徴が人々の国籍に完全に一致している訳ではない。

しかし、アメリカでは、世界中の民族が集まっているので、大まかな人種的区分で人々の顔の特徴は分けられる。例えば、インド系の顔をした人が日本人ですと言っても、また東アジア系の顔をした人がフランス人ですと言っても、通用しない区分が出来上がっている。だから、私がアメリカで仮に「私はイギリス人だ」と言っても、「アジア系イギリス人」だと思われる。

フランスで、東(東南)アジア系の私が「ベトナム人です」と答えたら、フランス人たちをそう思ってくれる。そして、彼らは私を「ベトナム人」として扱ってくれる。彼らのベトナム人に対する態度が示される。また、「日本人」と答えたら私を日本人として扱ってくれる。日本人に対する態度を示してくれる。私の目的は、フランス人たちの微妙な態度の変化を観察することであった。その目的は達成された。

自由、平等、博愛、人権の国フランス、そして人権教育を確りと受けた文化人としてのフランス人の本音が観える。彼らの中に奥深く潜む差別観が理解できる。旧植民地の人(実際はインドシナ戦争で負けたのだが)、世界第二の経済大国(1980年代の日本)から来た人、その二人の人への態度は明らかに違う。その違いを理解するための私の実験は成功したようだった。その目的は、人が人に無条件に行う差別意識はどこから来るのかという実験であった。

フランス人にとっては人迷惑な実験であった。善良なフランス人たちは、まんまと、私の実験の材料となってくれた。彼らには本当に気の毒なことをしてしまった。しかし、こうした実験をしなければならなかった私は、この人権の国フランスで、差別されていると、きっとどこかで思っていたのかも知れない。


差別意識の起源としての社会的文化的共同主観の形成


その実験結果を簡単に紹介すると、以下のことが言えた。つまり、人が人を観ているとき、その殆どの印象や評価はその人の国籍から始まる。当たり前のことだと言えばそれまでだが、人の評価は、その人がどの国で生まれ育ったかという事でまずは決まる。国籍が、人を判断するための第一の材料となるという事だった。もちろん、その第一評価が最後までその人の評価に付きまとうことはない。もし、付きまとうなら、それは正しい評価関係がなかったことを意味する。

例えば、自分の興味のある国から来ていると、当然ながら関心を抱く。貧しい国から来ていたら、お金に苦労しているのだと察する。旧植民地の国から来ていたら社会に根強く存在する偏見を持ち込む。これは実に当然で自然な人々の反応であると言える。

人はその人個人を理解するために非常に多くの相互コミュニケーションの時間を必要とする。そんな時間がなければ、手っ取り早く、一応、社会で評価されている基準に当てはめる。その基準からその人の評価が始まる。これは、ある意味で、便利な尺度を社会が準備してくれているとも言える。その尺度・社会的偏見を持って、人は人を手っ取り早く判断している。

忙しい人々に取って、この尺度が在ることは便利である。何故なら、本来、非常に長い時間をかけて人が人を判断しなければならない過程を、一挙に、短縮してくれるからである。

人が人を判断する便利な尺度、社会的利便性と人権問題を起こす「社会的偏見」は表裏一体のものである。便利な尺度によって、人は人を無条件にあるパターにはめ込み、ある評価を下し、安心して排除することが出来るのである。

一般に、国や民族、社会や集団を形成して生きている我々は、社会的常識を持って共存し、文化的感性をもって生活している。その社会的常識や文化的感性が「社会文化的偏見」と表裏一体のものであると言える。

人は他者への偏見を持つことから、その他者との関係を持って始まる。人は常に他の人に対して社会的常識と呼ばれる同一の社会的偏見を求め、その社会的常識が共有できなければ、その人と付き合いたいとは思わない。何故なら、非常識な人からは常に大変な目に遭わされて来た記憶を持っているからだ。

また、人は他者に文化的感性と呼ばれる同一の共同主観(文化的偏見)を要求する。そうでなければ共同生活は無理だと知っている。ことばが通じなければコミュニケーションを取ることはできない。文化的共同主観の土台は同一言語によって成立している。おなじことばを使い日常的な会話は始まる。勿論、バイリンガル(二つのことば)を公用語としている国では、その二つの言語によってコミュニケーションは成立し、保障されている。おなじことばを使っているということが文化的共同主観を共有している条件となる。その意味で、文化的偏見も共有されていると言える。

社会的常識・社会的偏見や文化的共同主観・文化的偏見を共有していることを、コミュニケーション可能、共感、協働可能とか言っているのである。これらの偏見なくしては、時代的社会的な共存の条件を揃えることは出来ないだろう。

もっと踏み込んで言うなら、社会的かつ文化的共同主観的世界の中では、そこで共有されている美的センス、社会的価値観はもとより、国語と呼ばれることば(記号)、表象、意味の同一集合体によって私たちの自己認識と呼ばれる自己意識や世界認識と呼ばれる対象認識は形成されている。

コミュニケーション可能なことばを共有することで、他者との会話が成立し、他者やそれを含む世界から自己意識や自我が形成される。意識とは他者やそれを含む言語とその意味によって構造化、つまり概念化されたものである。言語や社会生活規範の習得、つまり、国語や社会文化的価値観は、他者とのコミュニケーションを通じて形成されていく。そして、このコミュニケーションによって、民族意識、国民性、地域社会性、家族感情と呼はれる文化的共同主観性が個人の中に確りと成立して行くのである。

社会的存在である人は必然的に何らかの共同主観や社会的偏見を持って生きている。逆に、ある社会的常識、つまり社会的偏見を持たない人は、社会生活を営むことは出来ない。また、人は異なる文化的感性や社会的常識をもつ他者を排除する。それがその人が所属する社会を維持するために必要な行為となる。

社会の秩序を守るために、社会常識のない人々を排除することが必要となる。その排除の行為の前に、つねに文化的異分子を検閲するための社会意識が機能する。それを社会的偏見と呼ぶが、その社会的偏見は人が社会的存在であるために必然的に所有した差別とよばれる意識である。自然に持っている自我の防衛機能であるとも言える。逆に言うと、その社会的偏見、差別こそが、彼が持つ文化的存在者としての自己意識なのだとも言える。


自己認識を支える社会的文化的偏見


差別の問題を掘り下げていくと、自己認識の在り方にたどり着く。言語の意味の形成の仕方と類似している。あることば(の意味)に対することば(の意味)としてべつのことば(の意味)が形成されるように、自己とはある他者に対する差異的存在として自己認識が生まれる。

その意味で、差別することは自己を他者から区別し、自己が独自の存在である根拠を確立することだとも言える。人は、他者との比較によって自己を理解する。他者が居なければ自己もない。自己とは他者によって形成されたものであると理解してもよいのである。

つまり、差異を見出す意識、違いを感じる感性、他者を自己から差別する意識が、社会的存在としての人の精神構造の基底に横たわっている。この意識無くして、人は共存関係や協働作業もできない。差別・差異が存在しなければ「自己」は生まれないという事は、差別するという意識が、自我や自己意識の基本を構築するために必要な意識であるとも言える。

その意味で、社会的偏見や社会的差別の起源は、他者との差異を理解し形成される自己意識があるとも言える。人は、国や民族、生まれ育った社会や集団によって規定された意識活動(言語文化活動)によって、自分という自己意識を形成している。私という自己意識は、社会文化的環境の産物であり、その意味で、人は社会的存在であると言われるのである。

極論すれば、人種的、民族的、社会的な偏見を持たない人はいない。それらの社会文化的偏見こそが、自己意識の土台となっていて、時代的文化的に規定された自己意識の基本型を創っている。それらの社会文化的偏見と歴史的社会的存在者のもつ自己意識は裏一体のものである。

このことは、人権思想から考えると、厄介な問題を提起していることになる。言い換えると、「人は人を差別していることで、個人として自覚的に成立している」と言っている。社会的な差別は正当化され、もちろん、人種差別も人として自然に生み出されたものだと解釈される。自己認識の基底を形成している「差別」という意識構造を肯定することで、今日、人権思想が批判するあらゆる差別が肯定され、その存在理由を語ることが許されることになる。

これまで、人類の歴史の中で、差別がなかった社会や文化はあったろうか。人権剥奪を意味する人種差別や性差別から社会的偏見を意味する職業差別や学歴差別に至るまで、差別はどの社会にも存在していた。高度な民主主義文化を持つ国でもやはり差別は存在している。それが完全に社会から消滅した歴史を我々は理念の上では知っているが、現実では知らない。だから、差別を無くすることは非常に難しいという結論に至る。


だからと言って、差別を認めと言っている訳ではない。また、差別を廃絶しようとする努力が無駄だと主張している訳ではない。歴史を観れば、中世社会より現代社会が、より多くの人々の差別は無くなり、人権が確立されて来たことは疑えない。現代社会になって、多くの人々が自由や平等の権利を獲得して来た。そして今後、より人々は差別を克服するだろうと思っている。


「差別とは何か。それと向き合うこととは何か」目次
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人種差別・人権侵害をしながら、それと闘ってきたアメリカという国

差別とは何か。それと向き合うこととは何か(1)


三石博行


自由主義の国家アメリカの二つの側面


アメリカと言う国は、長年、人種差別を含め人権の問題を考える人々が生活していた社会である。何故なら、この国は、宗教や思想の自由を求めてヨーロッパから逃げて来た人々が国を興し、土着民を殺戮して国を広げた。この国は、アフリカ人を鎖で縛って拉致し、奴隷として働かせ豊かになにした。奴隷解放や自由主義を口実に南北戦争を引き起こし、資本主義経済制度を基本とする国家を確立させた。メキシコの独裁政権に反対する民衆を支持しながら、北アメリカ全体に領土を広げてきた。

また、第一次世界大戦に参加しヨーロッパの専制君主制度を終わらせ、第二次世界大戦では、ドイツのファシズムや日本の軍国主義を打倒し経済合理性と統治合理性において民主主義が最も進んだ政治制度であると歴史に刻み、同時に日本に二つの原爆を落とした。戦後は、民主主義社会を守る口実で、新しい帝国主義国家アメリカを確立し国際経済を支配した。自由経済主義を守るために、一党独裁の社会主義政治思想と真正面から対決し、ベトナム戦争を行い、世界中にアメリカの軍事基地を作った。国家は東西冷戦の状態を深刻にさせながら、市民はベトナム反戦運動が起こし、公民権運動が起こし、人権や平和運動を世界に発信した。

核兵器に必要なプルトニウムを生産するために、核の平和利用という口実を設け原発を造った。化石燃料、特に石油依存社会を作りながら、再生可能エネルギーの普及を試みた。パレスチナ人を追い出すイスラエルの極右政権を支持しながら、南アフリカの人種差別制度を批判した。核兵器の拡散を阻止するとデマと飛ばしてイラク戦争を起した。テロにイスラム教の若者を追い込みながら、テロと戦いを宣言した。テロリスト容疑者を捕まえて拷問し殺しながら、それらの自国の犯罪に関する情報を大統領が率先して公開した。

世界中に便利なインターネット網を作り、世界経済を活性化する情報社会を作り、個人情報を守る制度を作り、個人情報を傍受し、ソーシャルメディアを普及させ、等々。並べれば限りがない。それらは、すべて肯定的側面と否定的側面を持っている。しかし、それがアメリカなのだ。

多民族多文化国家アメリカと差別と反差別運動の歴史


「アメリカはと何か」とか「アメリカ人とは何か」という質問に対して、「アメリカ人は差別や人権侵害と闘ってきたもっとも民主主義文化を知る人だ」と誰かが言ったとしても、「否、アメリカでは奴隷制度や黒人差別があり、原爆投下、ベトナム侵略戦争、イラン破壊戦争を行ってきた国だ」とアメリカの平和主義者や人権運動家が言うだろう。その逆も言える。「アメリカは経済や軍事力での世界覇権を行っている最悪の国だ」と言えば、「いやそれは間違いだ。アメリカは政治亡命者を20世紀初頭から受け入れて来た。アメリカの兵士の犠牲によって、ユダヤ人虐殺を食い止めた。世界中の人々が移民しアメリカ市民となり、豊かな生活を獲得した。」と大半のアメリカ市民は言うだろう。

アメリカを一つのことばで括って説明することは難しい。また、アメリカ人とは何かという疑問に答えることも簡単ではない。多様な人種、多様な考えの持ち主、もちろんファシストもいれば平和主義者もいる。多様な生活文化、南から北極圏アメリカ、アラブ、スラブ、西欧、中東、北アフリカから南アフリカまで、南から東南を経て東アジア、そして極東アジアまで、世界中から人々がやって来て、人たち民族の伝統的な生活様式を持ち込み、ここで生活をしている。文化や民族の多様性を受け入れる寛大さもアメリカである。

また、異なる人種のアメリカ人が住んでいるのもアメリカだ。言い換えると、異なる人種(アメリカ人)によって一つの国アメリカをつくっているのである。アメリカ人はとは、アングロサクソン系、アイルランド系、フランス系、ドイツ系、イタリア系、ロシア系、日系、インド系、中国系、韓国系のアメリカ人ということになる。

その意味で、この国では人種差別が国家の成立と同時に存在し、そして市民社会の確立と共に、この人種差別を乗り越える闘いが行われてきたのである。最も厳しい人種による差別があり、最も多岐にわたる生活文化に対する差別を抱えてきた国であると言える。言い換えると、未来の日本で起こる差別問題がここでは1、2世紀先に起こっている。アメリカは社会学の研究フィールドとしては最高の場所で、政策研究の先進的な課題が宝のように積まれている。

人種差別を乗り越え、新たな人種差別に悩む人々の国、アメリカ


このアメリカで最も人種差別の問題を考えている人々とは、差別されている人種に所属している人々、またそれらの人々と結婚している白人を含めて差別を受けていない人々である。例えば、黒人、アジア人種、ラテンアメリカ系の人々、中東やイラン人、つまり白人でない人々やそれらの人々間で出来ている家族、それらの人々と結婚している西欧系白人である。

多くの異なる人種や民族の移民の歴史で作り上げてきたアメリカでの異民族間の結婚は当たり前のことで、丁度、日本では異なる県の男女が結婚するようなものである。もちろん、日本でも戦前は、同郷土人同士の結婚が多かったと思われるが、戦後、次第にその傾向は少なくなっていったように、アメリカでもつい最近までは同じ人種間の結婚が多かったかもしれないが、今は、次第に、その傾向はぼやけ、異人種間のカップルが自然と多く出来ているようである。

異人種間の結婚とは、特に白人系の人々に取っては、自分たちが差別して来た人々と同じ立場に自分の子供を置くことを意味する。これは1967年の映画「Guess Who's Coming to Dinner招かざる客」の話であるが、黒人差別に反対していた新聞社のトップを務める父親が、娘が黒人と結婚することになったとき、その結婚に反対した。このように、このストーリーでの、黒人差別に反対する親の本音に潜む差別意識を表現している。父親、マット・ドレイトン氏は娘が黒人と結婚することによって受ける差別を感じ、黒人差別を批判して来た立場を返上しても、娘の結婚に反対したのだろう。

この映画はベトナム反戦運動が起ころうとしていた時代・1967年のものである。その後、2001年にはパウエル将軍がブッシュ政権時に黒人初の国務長官を務め、オバマ氏が2009年に黒人初の大統領に就任した。アフリカ系アメリカ人たちが社会的に高い地位に付くようになった。

その意味で、人種差別は無くなったと言うかもしれないが、今年の11月に警察官が銃を持たない黒人少年を殺害したり、無抵抗な黒人男性を絞殺したりしたが、控訴すらできなかったことに全米で黒人への差別に反対するデモや暴動がおこった。その中で、オバマ大統領が大統領就任前に、民主党の政治集会で、ボーイに間違えられ、同僚に「コーヒーを持ってきて」と言われたとか、笑えない話も出て来た。つまり、現実に人種差別は根強くアメリカ社会に残っているのである。

しかしながら、異人種間の結婚やカップルが益々多く生まれしている。人種の異なる両親から生まれた子供たちが益々増えつつあることは確かである。多様な文化を持つ人々が交じり合い、そして拡大する異文化生活文化や異文化地域社会文化が、移民の国アメリカの行くべき進化の方向を示しているとも言える。そのことは、同時に、新たな人種差別を生み出し、深刻化させているともいえる。

つまり、招かざる客を招いてしまって生まれた新たな社会問題が至る所に噴出しているのである。それは、人種差別を受けて来た人々との「ハーフ」と呼ばれる新しい人種の誕生と、それらの人々への新しい差別を意味するのである。そして、同時にその差別に対して、今までのアメリカ人が取り組んできたように、真剣にその問題の解決のために、社会に呼びかけ、立ち向かうことを意味するのである。

この二つの側面、人種差別をしながら大きくなったアメリカと人種差別を解決しながら豊かになったアメリカがいるのである。それは、この国の人々が、ある意味で、差別していることも、差別されていることも、隠さずに自己表現する力を持ち、またこの社会が、差別をしている現実を受け入れ、それを解決し続けようとする力を持っているからだとも言えるのである。そこに、この国の偉大さや、またこの国の若さがある。


参考資料


1、「招かれざる客の映画


2、http://movie.walkerplus.com/mv8554/黒人運動の功罪

3、「あなたならどうする?~人種差別の実験~」
https://www.youtube.com/watch?v=g7mtkAIQ78g
「あなたならどうする?~人種差別の実験~」YouToub 動画

2014年12月27日フェイスブック記載


「差別とは何か。それと向き合うこととは何か」目次
http://mitsuishi.blogspot.jp/2015/01/blog-post_99.html