2011年3月20日の庭
三石博行
近所の人が庭の落ち葉や芝生の葉、庭仕事で出た草花の廃棄物を我が家のガレージに置いている。庭からでるゴミはほとんど堆肥に出来る。
しかし、小枝は粉々に砕かないと肥料にならない。小枝と葉を分けて、葉だけを堆肥舎に入れる。
堆肥舎に入れる前に、小枝と葉っぱを分離する。葉っぱは堆肥舎に入れ、小枝は粉砕して再利用する。
良質の堆肥にするためには、牛糞や鶏糞を混ぜる必要がある。私は近くの市営農場から牛糞を運んで堆肥舎に入れる。毎年、2回ぐらい近所の山田さんから軽トラを借りて運ぶ。
農場の堆肥舎で藁(わら)が沢山入った牛糞は発酵がよく進み、湯気を出している。その牛糞を自慢の堆肥舎に入れる。そして、その中に近所や自分の庭から出た有機物のゴミを入れる。
雨が振り込まないように、また近所に牛糞の臭いがしないように、カバーを掛ける。牛糞に混ざった有機物は発酵し冬でも湯気を出している。
カバーを掛けて、雨が入らないようにする
今日は、昨年の11月に牛糞を入れて作った堆肥を取り出して、庭に撒いた。
トウが立ち始めた小松菜を抜いた所、これから花を咲かせる水仙、チュリップ、バラ、色々な春の草花の花壇、ラベンダ、セージ、その他のハーブ、イチジクの木、サクランボの木、レモンの木等、庭の半分くらいの面積に堆肥を撒いた。
庭はもう春を感じている。今日、貰った堆肥のご馳走に喜んでいるに違いない。
哲学に於いて生活とはそのすべての思索の根拠である。言い換えると哲学は、生きる行為、生活の場が前提になって成立する一つの思惟の形態であり、哲学は生きるための方法であり、道具であり、戦略であり、理念であると言える。また、哲学の入り口は生活点検作業である。何故なら、日常生活では無神経さや自己欺瞞は自然発生的に生まれるため、日常性と呼ばれる思惟の惰性形態に対して、反省と呼ばれる遡行作業を哲学は提供する。方法的懐疑や現象学的還元も、日常性へ埋没した惰性的自我を点検する方法である。生活の場から哲学を考え、哲学から生活の改善を求める運動を、ここでは生活運動と思想運動の相互関係と呼ぶ。そして、他者と共感しない哲学は意味を持たない。そこで、私の哲学を点検するためにこのブログを書くことにした。 2011年1月5日 三石博行 (MITSUISHI Hiroyuki)
2011年3月9日水曜日
トレーの中で蕾をつけた水菜
2011年3月9日の庭
三石博行
三石博行
昨年の12月の始めに、水菜の種をトレーの中に蒔いた。畑に蒔くには場所もなく、また12月に入っていたので遅すぎる。トレーだとサンルームの近くに置ける。少し暖かいから芽も出た。そして今年の厳しい冬は、トレーの上も雪で覆われた。
3月になってまだ寒さは続いている。それでも日照時間は長くなった。朝6時半には庭で野菜も取れる。トレーの中の水菜は食べるには余りにも小さいし、タマネギの苗を取った所に植え替えてもいいが、まだ寒い。
しかし、よく観ると、小さな水菜はもう蕾み(つぼみ)を付けて、小さな黄色い花が咲きかかっている。
こんなに小さい水菜でも花を付けるのか。
2011年3月6日日曜日
雨水タンク
2011年3月6日の庭
三石博行
家を建てるとき、ライフプロジェクトの西村さんにお願いして大きな雨水タンクを作ってもらった。彼は、廃物になった化学合成素材のドラム缶を三つつなぎ合わせて、雨どいから水が流れ込むようにして、それを庭の地下に埋め造ってくれた。
屋根の約三分の一の雨水が雨水タンクに貯まる。その水を庭仕事で使う。そのため、水道代は殆ど掛からない。水道の節約に努力して、毎月、最低限の料金を支払ってもその分の水道量を使いきれていない。
昨年、雨水タンクから水を汲み出すために電動ポンプを取り付け、排水管を庭に埋め、そこから蛇口を取り付けて雨水を汲み出せるようにした。蛇口は雨水タンクの横ともう一つ堆肥舎の横の二つ設定した。
水やりが大変楽になったし、自動車の洗車、庭の掃除やその他の用事にも雨水を使えるようになった。
昨年、またライフプロジェクトの西村さんにお願いして、もう一つの雨水タンクを作ってもらった。それで、家の屋根に降る雨の約三分の二の水を庭用に使うことが出来るようになった。
参考資料
株式会社 ライフプロジェクト
http://www.life-project.biz/
三石博行
家を建てるとき、ライフプロジェクトの西村さんにお願いして大きな雨水タンクを作ってもらった。彼は、廃物になった化学合成素材のドラム缶を三つつなぎ合わせて、雨どいから水が流れ込むようにして、それを庭の地下に埋め造ってくれた。
屋根の約三分の一の雨水が雨水タンクに貯まる。その水を庭仕事で使う。そのため、水道代は殆ど掛からない。水道の節約に努力して、毎月、最低限の料金を支払ってもその分の水道量を使いきれていない。
昨年、雨水タンクから水を汲み出すために電動ポンプを取り付け、排水管を庭に埋め、そこから蛇口を取り付けて雨水を汲み出せるようにした。蛇口は雨水タンクの横ともう一つ堆肥舎の横の二つ設定した。
水やりが大変楽になったし、自動車の洗車、庭の掃除やその他の用事にも雨水を使えるようになった。
昨年、またライフプロジェクトの西村さんにお願いして、もう一つの雨水タンクを作ってもらった。それで、家の屋根に降る雨の約三分の二の水を庭用に使うことが出来るようになった。
参考資料
株式会社 ライフプロジェクト
http://www.life-project.biz/
2011年3月3日木曜日
雪に覆われた野菜たち
2011年3月3日の庭
三石博行
1月と2月に例年になく多く降った雪に押しつぶされていた庭の野菜(小松菜、ほうれん草、ビタミン菜、青菜、ネギ、タマネギ、ニンニク、ニラ)は、2月末になって少し温度があがり、太陽の光を沢山受けようと葉っぱが立っていたが、昨夜から今朝に掛けて少し降った雪に覆われていた。
朝6時30分、今日も、いつものように野菜を取りに庭に出た。
昨年の冬は庭の工事をしたため、冬野菜は出来なかった。庭をやっていて冬野菜が食べられないほど残念なことはないものだ。何しろ、冬の野菜は寒さに耐え、葉っぱに甘みを蓄え、お店やで買う野菜と全く違う味をしているからだ。
今年は、冬に野菜を食べられた。ラッキーであった。毎日、雪が降っていてもその雪の下から野菜を取り出す。鋏で葉っぱを切る。寒いので凍っている場合が多い。それを洗って、青汁のジュースにする。高知の田舎から買ってきた無農薬のレモンを皮ごと入れて、青いすっぱいジュースが出来る。
それを飲むのが朝の楽しみの一つである。今日も、雪に覆われた野菜の葉っぱを切って、ジュースにして飲んだ。
美味しかった。
三石博行
1月と2月に例年になく多く降った雪に押しつぶされていた庭の野菜(小松菜、ほうれん草、ビタミン菜、青菜、ネギ、タマネギ、ニンニク、ニラ)は、2月末になって少し温度があがり、太陽の光を沢山受けようと葉っぱが立っていたが、昨夜から今朝に掛けて少し降った雪に覆われていた。
朝6時30分、今日も、いつものように野菜を取りに庭に出た。
昨年の冬は庭の工事をしたため、冬野菜は出来なかった。庭をやっていて冬野菜が食べられないほど残念なことはないものだ。何しろ、冬の野菜は寒さに耐え、葉っぱに甘みを蓄え、お店やで買う野菜と全く違う味をしているからだ。
今年は、冬に野菜を食べられた。ラッキーであった。毎日、雪が降っていてもその雪の下から野菜を取り出す。鋏で葉っぱを切る。寒いので凍っている場合が多い。それを洗って、青汁のジュースにする。高知の田舎から買ってきた無農薬のレモンを皮ごと入れて、青いすっぱいジュースが出来る。
それを飲むのが朝の楽しみの一つである。今日も、雪に覆われた野菜の葉っぱを切って、ジュースにして飲んだ。
美味しかった。
2010年10月27日水曜日
猛暑に苦しんだ野菜
2010年10月の庭
三石博行
実のつかなかったトマト
今年の夏野菜、特にトマトの収穫は殆どなかった。トマトも大きくなり花も咲いたが、実がつかなかった。暑さのせいだろう。ナスは少しできた。ピーマンは9月になってから豊作だった。そして、10月の末の今でも実をつけている。
ほうれん草の発芽がよくない
10月のはじめに実のつかなかったトマトを全部抜いて、ほうれん草、小松菜、高菜、ビタミン菜を植える。また、玉ねぎと九条ねぎも植えた。
しかし、残暑のせいでほうれん草の発芽がよくないし、おまけに水不足でせっかく発芽しても枯れてしまった。そこで、もう一度、2週間前(10月中旬)にほうれん草と菊菜を蒔く。こんどは、発芽の状態はよい。
ネギの発芽もよくない
ねぎの種を蒔いていつもは成功するのだが、今回は発芽状態がよくない。その原因が分からない。土の問題か、水の問題か、それとも発芽温度の問題か。そこで、トレーにもう一度蒔いてみた。その結果は、多分、1週間ほどで分かるだろう。
Tweet
三石博行
実のつかなかったトマト
今年の夏野菜、特にトマトの収穫は殆どなかった。トマトも大きくなり花も咲いたが、実がつかなかった。暑さのせいだろう。ナスは少しできた。ピーマンは9月になってから豊作だった。そして、10月の末の今でも実をつけている。
ほうれん草の発芽がよくない
10月のはじめに実のつかなかったトマトを全部抜いて、ほうれん草、小松菜、高菜、ビタミン菜を植える。また、玉ねぎと九条ねぎも植えた。
しかし、残暑のせいでほうれん草の発芽がよくないし、おまけに水不足でせっかく発芽しても枯れてしまった。そこで、もう一度、2週間前(10月中旬)にほうれん草と菊菜を蒔く。こんどは、発芽の状態はよい。
ネギの発芽もよくない
ねぎの種を蒔いていつもは成功するのだが、今回は発芽状態がよくない。その原因が分からない。土の問題か、水の問題か、それとも発芽温度の問題か。そこで、トレーにもう一度蒔いてみた。その結果は、多分、1週間ほどで分かるだろう。
Tweet
2010年8月24日火曜日
庭の話をはじめよう
2011年5月5日の庭
三石博行

私の住んでいる区画は、建蔽率が40パーセントで、敷地の半分が庭になる。2004年から、この地区に移ってきて、少し余った土地を近所の人々に見習って、庭を造った。
私が庭をつくるとなると、どうしても、実用的な庭になる。
木は花と実のなるもの。植えるとすると食べられるもの、野菜かな。
妻とまったく見解が食い違う。そこで二人の領土を決めた。
私は野菜を植え、彼女は花を植え。
私は実のなる木を植え、彼女は花の咲く木を植える。

しかし、二人が同意したことは
畑らしくない畑、花壇らしくない花壇であった。
フランスやヨーロッパでたくさんの庭を観て来たので、
少しそのまねをしてみた。
雑草に悩まされないように、
庭仕事で転ばないように、
作業通路をレンガで覆った。

友人の会社、エコハウスを専門に造って来たライフプロジェクトにたのんで
難しい要求をして
彼らの工夫と苦労で
気に入った庭となった。
この小さな庭でエコライフの実験をしている。つまり、家庭生活で生じるすべての生ごみや枯葉や庭のごみをリサイクルし有機肥料を作り、それを使って野菜を作る。近所の人から、枯葉や庭からでたごみをもらいそれも有機肥料にする。さらに、近くの市営農場から牛糞を運ぶ、それを堆肥舎(縦4m、幅3m 深さ1.5)に入れて、すべての有機物と一緒に発酵させる。冬でも、湯気が出る。暖かいので、猫が堆肥舎のカバーの上で寝ている。
一年間にどれくらいの有機物が必要か、それらの有機物を入れることで、連作障害を防ぐ野菜作りは可能か、エコライフの多くの課題を考えながら、庭仕事をやる。果たして、我々は、最低どれくらいの庭と有機物があれば、野菜を自給できるのだろうか。これは、実に面白い課題である。
グーグル地図の衛星写真からも、我が家の庭の形が見える。
参考資料
株式会社 ライフプロジェクト
http://www.lococom.jp/tt/20830269394/
三石博行のホームページ
http://hiroyukimitsuishi.web.fc2.com/
Tweet
三石博行
私の住んでいる区画は、建蔽率が40パーセントで、敷地の半分が庭になる。2004年から、この地区に移ってきて、少し余った土地を近所の人々に見習って、庭を造った。
私が庭をつくるとなると、どうしても、実用的な庭になる。
木は花と実のなるもの。植えるとすると食べられるもの、野菜かな。
妻とまったく見解が食い違う。そこで二人の領土を決めた。
私は野菜を植え、彼女は花を植え。
私は実のなる木を植え、彼女は花の咲く木を植える。
しかし、二人が同意したことは
畑らしくない畑、花壇らしくない花壇であった。
フランスやヨーロッパでたくさんの庭を観て来たので、
少しそのまねをしてみた。
雑草に悩まされないように、
庭仕事で転ばないように、
作業通路をレンガで覆った。
友人の会社、エコハウスを専門に造って来たライフプロジェクトにたのんで
難しい要求をして
彼らの工夫と苦労で
気に入った庭となった。
この小さな庭でエコライフの実験をしている。つまり、家庭生活で生じるすべての生ごみや枯葉や庭のごみをリサイクルし有機肥料を作り、それを使って野菜を作る。近所の人から、枯葉や庭からでたごみをもらいそれも有機肥料にする。さらに、近くの市営農場から牛糞を運ぶ、それを堆肥舎(縦4m、幅3m 深さ1.5)に入れて、すべての有機物と一緒に発酵させる。冬でも、湯気が出る。暖かいので、猫が堆肥舎のカバーの上で寝ている。
一年間にどれくらいの有機物が必要か、それらの有機物を入れることで、連作障害を防ぐ野菜作りは可能か、エコライフの多くの課題を考えながら、庭仕事をやる。果たして、我々は、最低どれくらいの庭と有機物があれば、野菜を自給できるのだろうか。これは、実に面白い課題である。
グーグル地図の衛星写真からも、我が家の庭の形が見える。
参考資料
株式会社 ライフプロジェクト
http://www.lococom.jp/tt/20830269394/
三石博行のホームページ
http://hiroyukimitsuishi.web.fc2.com/
Tweet
登録:
投稿 (Atom)