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2018年5月14日月曜日

生き方に役立つことばはそう多くない

生き方に役立つことばはそう多くはない。
例えば、
「1、持続は力なり、続けること」。しかし、「2、疲れたら休むこと、無理をしない」。もし、挫折したり躓いたりしても、「3、倒れたら立ち直ればいい」。そして、「4、目標を立て、常に、前に進む」こと。しかし、「5、常に、足元の現実を受け止め、己を過信しないこと」。これくらい(5つ)だろう。
問題は、これらのことばが力を持ちづづけために、生き方の技法としての「点検活動」が必要となる。
それは、簡単なことだ。つまり、毎日、小学生のように、自分の一日の生活を評価し、出来れば採点し続けることだ。しかし、なかなか、これをやり続けることは簡単ではない。
いつまでたっても、50歳になっても、70歳を過ぎても、お迎えがもうすぐ来ると言うのに、あまり、小学生の時と変わらないぐらい、ボートと生活し、そして怠け者、集中力なし、時間を無駄に過ごしているようだ。
そんな自分だから、出来るだけ単純に、生き方に役立つことばが必要だと思う。

2017年1月6日金曜日

いじめを受けて自殺する子どもたちに (詩)

(一)

いじめを受けて自殺する子どもたちに

今日もニュースでいじめを受けて自殺する子こどたちの話が
報道されている。
いじめを受けて死を選ぶ子どもたちに対して、
私たちは、それを食い止めさせる言葉をもたな。

ただ、いじめた側の子どもたちを罰することがで、
死んでいった子どもへの償いが可能だと
思ってはいない。

弱い人をいじめる。
そんな恥ずかしいことが横行する。
それが、今の日本の文化なのか
それが、私たちの社会の姿なのか
それに対して、誰も何も言わない

いじめる子どもに、
いじめられる子どもに
優しく、生きるための力を諭すことばを失った
それが、今の私たちの生き方なのか。

いじめる子どもに
いじめないことの勇気を
いじめないことの優しさを
語る姿を失った
それが、今の社会の姿なのか

人が生まれ、言葉を話すまで
人が生まれ、歩き出すまで
どれだけ人は、多くの愛情によって支えられたか。
そのことを知ることで、
命の重さを知ることが出来ると
伝えることは出来たはずなのだ。

私もあなたも、
そしてすべての人々も

(二)

いじめを受けて自殺する子どもたちに

いじめを認めることは出来ないが、いじめはどこでもある。
いじめというのは自分の世界がすべての世界だと思う心から生まれた暴力だ。
だから、いじめは自然に生まれるのだ。

考えてみてほしい
どんなことばも、他者への優しさを持つまでに、時間を費やしたか。
どれだけの時間をかけて、他者への共感や優しさを身につけたか。

思い出してほしい
自分を認めてもらいたいと叫んでいた自分が、どうのように他者を理解できるようになったか。
自分中心の世界に、どうのようにして他者が現れたのか。

だから、
いじめられなければいじめられる苦しみは分からない。
いじめられたことは、優しさとは何かをしる試練なのだ。

だから、
君は死んではならないのだ。
君は生きなければならないのだ。

(三)

いじめを受けて自殺する子どもたちに

きみの後に、どれだけ多くの子どもたちがいじめられるか、
君は、知っているだろう。

だから、
生きて、いじめてはいけないと言う人にならなければならない。

君をいじめたあの子も、また、どこかで、いじめられる。
その時、君はその子を助けることができる。
その子といじめてはいけない人と人の在り方を語ることができるのだ。
だから、死んではだめだ。
もっと強く生きなければならない。

強くなければ、
優しく人々を包むことは出来る。

あの傍観していた友達も、
本当は、君を助けたかった。
しかし、彼らは、強くなかった。
いじめるのを止めろと言えなかった。

彼らは、いじめは悪いと知っていた。
しかし、それを行動に移す勇気がなかったのだ。

だから、君は、死んではいけない。
もっと強く生きなければならない。

そして、いじめる友達を見たら、
それは悪いことだという勇気を持った強い子になって欲しい。
すると、今まで、きみへのいじめを傍観していた友達が、
きっと、一緒に、いじめを止める友達になってくれるだろう。

踏まれることはいいことだ。それは人を強くする。
叩かれることはいいことだ、それは人を強くする。

踏まれても、伸びる。
倒れても、立ち上がる。
道端の名もなき草のように生きる。
ただ、前をみて生きる。

そうだ。
きっと君には素晴らし未来がある。



フェイスブック記載 201612月6日 


詩集『心象色彩の館』 目次


高校生の政治活動への規制とは何か


昔、1965年の夏だったと思う。私は高校2年だった。ベトナム戦争の映画を観て、ショックを受けた。丁度そのころ青少年赤十字(Junior Red Cross)の活動に参加していた。青少年赤十字では「ベトナムの戦禍に苦しむお母さんに乳児用のエプロン」をつくって送る運動をしていた。その活動に参加しながらも、私はベトナム戦争に反対すべきと、部員を集めて議論をした。そのことが、学校側に伝わり、「これ以上、政治活動をするなら、退学処分になる」と部活の顧問から言い渡された。あの時、私は、まるで頭を鈍器で殴られたようなショックを受けたことを記憶している。深く傷ついた。大人たちの欺瞞。それから青少年赤十字は辞めた(辞めさせられた)。

そして、強烈な挫折と絶望感に襲われた。あの非道なベトナムでの戦争を、ついこの前、戦禍で苦しんだ我々日本人が反対できない。戦争反対という心が、退学に処されるというのだ。その不条理と不正義、それに対してあまりにも無力な自分がそこに居た。暗い青春の挫折に覆われながら、私の高校時代は終わったようだった。

半世紀もたって、同じことを高校でやっているようだ。しかも、当時の教師は戦前の教育を受けた人々であったが、今は、私と同じ、戦後民主主義の教育を一応受けている。ましては、学生時代にベトナム反戦運動や大学教育民主化運動をやった人々も多く居たと思う。それが、高校生の政治活動を行うことを規制しようとしている。

それは、選挙権をもつ人々、つまり日本の社会に責任を持つ一人の国民に対して、取るべき態度なのか。もし、18歳の選挙民に対して「政治活動の規制」を当然のことのように行う大人(教育委員会や教師)は、それらの人々に対して「君たちは子供なんだから、子供が政治活動をすることは、まだ許されていないのだ。だから、我々、責任ある大人が、君たちの行動を規制し、保護しているのです」と言うべきだ。その上で、「君たちは、選挙権を持つ国民で、選挙結果への責任は君たちにある」と同時に言うことが出来るだろうか。

若者が政治活動に無関心であることが、この国や社会では、正しい若者の姿であるとされ、若者が社会や国のことを考えないことが、望ましい若者の生き方であるとされて来た。そして、政治への無関心、投票率40パーセント以下、それが、今の私達の社会で当然のように地方から国までの選挙の姿として定着している。このことへの危機感は無い。このことが未来何を導くのかということへの不安もない。
本当に、こうした社会を作ってしまった私達、戦後世代の責任は重い。

2016年8月22日 フェイスブック記載文書

2016年11月23日水曜日

よく状況を理解するしかない現実


アメリカではポピュラリズム扇動したトランプ氏が大統領選挙を制した。その状況を巡って、日本では色々な意見が出されている。反安倍政権の側でも彼に期待する人々がいる。彼だと、米軍が沖縄から撤退するだろう、TPPから撤退するだろう、シリアから軍を引き上げるだろう、ロシアと上手に外交するだろう等々。私は分からないので何も言えない。

彼の人事を観る限りそうでもなさそうだともいえる。しかし、明らかにこれまでオバマ大統領が行ってきた国内外の政策を変更することには違いない。

私の懸念は、ただ一つ、トランプ氏を支持した格差社会にあえぐ白人労働者たちが、結局、トランプ氏の政策では救済されず、その怒りを、更に過激な主張に吸収されることである。こうして、ナチも生まれた。イギリスを含むヨーロッパで巻き起こる極右運動は、いずれにしても国際平和維持にとって大きな支障となるだろう。

それは、アメリカのイラク戦争、その後の国家の壊滅、貧困、そして紛争の連鎖の中で苦しむ中東、そこから生まれたIS、それによって引き起こされている新たな戦争への道と類似するように思える。

何が正しいのか、何を選択すべきなのか、何を支持し、誰と共に行動するのか、実に、見えにくくなっている。だからこそ、常に、原点に立ち戻り、歴史の流れを理解し、よくよく考えながら行動する生き方を選ぶしかないと思う。

2016年11月11月22日 Blog記載

故岩松弘先生の教育(1)「アクティブ・ラーニング型授業」

今朝、NHKのニュースで「アクティブ・ラーニング型授業」について紹介されていた。この「アクティブ・ラーニング型授業」は、日本人に取って、大切な教育だと思う。

私は、この「アクティブ・ラーニング型授業」を中学校3年(1963年)の時に経験していた。当時、担任であった故岩松弘先生が、「道徳」(?)の授業の時に、生徒に課題を与えて、自由に議論をさせていた。先生は何一つ言わず、また、最後の何一つ結論も言わなかった。それで、授業の間、私たちは議論し、その後も友達同士で話が続いた。つまり、「自分の力で考える」授業だった。私は、この授業が何よりも好きだった。先生のテーマは、「身近な人のことを考える」テーマが多かった。自分がその時どう理解し、何をするべきかを考え、また話し合う授業だった。

良く図書館に行った。そして本を探した。当時の私は「白樺派」だった。甘い人道主義的理想主義者だった。それで、武者小路実篤やロマンローランを読んでいた。これらの読書も、この「アクティブ・ラーニング型授業」に刺激されたのだと思う。

自分の力で考えるという事は、その文字通りに自分ひとりで考えるという事ではない。友人と話し、読書をし、ニュースや新聞を読み、社会の現実を自分の目で観て、考えるという事だ。そのためには、自分の自然に、いつの間にか考えていることを知る必要がある。自分の考えていることを知るために、人と話をするのだと思う。人との話を通じて観えるのが自分の姿であった。それを「自分で考えること」と言うのだと思う。

岩松先生は、この授業で、身近な話題「テープに録音されたテーマ」ばかりでなく、短編の小説を読んで聞かせ、それについて議論をさせた。自分の作品(岩松先生は小説家としても有名で、九州で幾つもの賞を取っていた)とそうでない作品を出して、どちらが聴きたいと聞いてから、その一つを読んでいた。もちろん、どちらが先生の作品かは知らなかった。読み終わった後で、それが先生の作品だったと知った。

それらの読書を通じて、やはり、「読書話し合い」が行われた。先生は、その時も、何一つコメントしなかった。最後の最後まで。自分の作品であっても、コメントしなかった。一つの小説は、恋愛もので、きわどい大人の愛が表現されていた。そうした作品に私達は触れながら、中学3年生では想像できない世界を観た。これまでの少年期に植え付けられたモラルでは計り知れない世界があった。丁度、初めて森鴎外の「舞姫」を読んだ時のような、苦しく、怒りの、そして自分の価値観を越えた世界であった。それは大人の世界と呼ばれていた世界だった。今から想えば、それは、思秋期から青年期に向か私に、人間・自分についての問題提起を与えていたのだと解釈できる。

この授業の後、親友とあの大人の愛について語った。すると彼は、自分の家であった両親の出来事を話してくれた。そこには、彼の父親への感情、それはもう子供ではない一人の人間としての感情が彼にはあった。そうして、大人の入り口、決して人道的理想主義者でしかなかった私に大きな課題を突き付けていた。その問いかけは、30を過ぎ、多くの失敗、人を傷つけていた自分の現実、その時まで続いていた。

「アクティブ・ラーニング型授業」とは、多分、その授業時間にその成果があるのではなく、その授業が終わった生徒たちの生活の中で、授業の意味、授業が目指した教育が発揮されるのだと思う。否、それどころか、生涯を通して、その授業の課題が、私たちの生活の中で、際限なく問われ、生きる環境や時代の変化に合わせながら、その回答を求め続ける。そればもっとも素晴らしい「アクティブ・ラーニング型授業」の例ではないかと思う。

日本の教育で最も問われているのは「人間力」だと数年前から言われ続けて来た。人間力とは、まず、自分で考える・友達と真剣に話し合える技術から生まれるのだと思う。そのための「アクティブ・ラーニング型授業」のやり方を現場の先生たちに考えて欲しい。何故なら、人間力を身に付けることが「アクティブ・ラーニング型授業」の教育課題であるからだ。

しかし、どうだろうか。はたして、教師が生徒に「人間力を身に付ける」ことが大切だと説教しながら、人間力を生徒に教えることが出来るのだろうか。と言うのも、生きるという課題は、それぞれの主体の抱えた主体(自分)にとっての課題であり、他者かた迫られる課題ではない。己がそのことに目覚め、そのことを目標にして初めて可能になる課題である。そして、そう自らが決め、立ち向かった時に、その課題「人間力」が生まれる。教師が、その生き方をしていない限り、生徒にそのことは通じないだろう。

その上で、始めて「人間力」の具体的な教育課題が検討される。教師は、まず、「人と話せる力、自分で考える力」が何故必要なのかを生徒に教えなければならない。それは理論ではない。それは教師の人間力、生きざまなのだと思う。生きざまを問い掛けている人間であるからこそ、その生きざまを磨く「人間力」を他の人々と共感できるのだと思う。そうした人間力を課題にする教師を、日本の教育現場、特に初等中等教育(小学校から高校まで)の現場では求められている。

多感で感受性の豊かな時代に、人間教師と出会うことは、その人の人生に大きな影響を与える。それこそ、日本社会の最も大切な文化的人的資源だと思う。教育を大切にする社会には、未来がある。その教育の中心が人間力を育てる教育だと思う。だから、学校や社会で「アクティブ・ラーニング型授業」について考え、それに協力し、素晴らしい授業例を紹介し研究し、研修する作業が必要となる。それを始めるべきだろう。

岩松先生がこうした「アクティブ・ラーニング型授業」を出来たのは、彼が、彼の人生の中で、苦悩し、必死に生き、友人たちや家族を愛し、生徒を愛していたからだろう。そのことが、この「アクティブ・ラーニング型授業」を行う教師に最も問われる課題ではないだろうか。

岩松弘先生は、自らが完全な人間だとは言わなかった。いつも、私たちに自分の弱さを見せてくれた。その度に私は先生が好きになった。大人が子供に真剣になるという事は、つまり、真正面から、一人の人間として向き合うとこだ。つまり、カッコいい分かったふりは要らない。一人の生身の人間として、その矛盾も弱さも、すべて子供に見せながら、子供とともに考え、そいて生きている生身の自分を見せることだ。それから、初めて、子供と話ができる。親とはそんなものだ。子供を育てること、それは子供に育てられていることを知ることから始まる。それが教育の原点だと思う。

「アクティブ・ラーニング型授業」は、こうした教育の原点を持たなければ可能にならないと思う。「アクティブ・ラーニング型授業」を、教授法とか授業、話し合いをさせる技術として理解するなら、多分、「アクティブ・ラーニング型授業」は成功しないと思う。

とは言え、教育現場で、この困難な「アクティブ・ラーニング型授業」を一方的に先生方に迫り、そして彼らに、困難な人間力を身に付けなさいと説教するのは無責任だと思う。

この「アクティブ・ラーニング型授業」に関して、多くの研究や研修があっていいと思う。その原則は、この「アクティブ・ラーニング型授業」を社会全体で育て、豊かにすることを社会が理解することだと思う。何故なら、家庭で、親がこどもと真剣に向き合っていないなら、子供たちに人と真剣に話し合う、向き合うという「アクティブ・ラーニング型授業」の土台が形成されていないからである。

「アクティブ・ラーニング型授業」を学校の中の、先生だけの授業として理解している社会では、人間力を育てる「アクティブ・ラーニング型授業」は可能にはならないだろう。社会全体、少なくとも生徒の親をも含む、また、「アクティブ・ラーニング型授業」を経験した大人(教育関係者以外の人を含む)も参加することが理想だろう。

社会全体が「アクティブ・ラーニング型授業」への協力をし、初めて、一つのクラスの一人の教師の取り組む「アクティブ・ラーニング型授業」が可能になるのではないか。そのための仕組みを作ることを始めなければならない。

その意味で、この「アクティブ・ラーニング型授業」の普及は、日本社会の教育文化の在り方を、国民・市民が自らの問題として考える社会作りだと思う。それは、教育こそが未来社会を創るという日本の伝統文化を維持・発展させようとする私たちの未来への責任ではないかと思う。

2016年11月9日 Blog記載

2016年8月23日火曜日

向き合うことについて

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向き合うこと


私は私に真剣に向き合ったことがあったか。
私は君に真剣に向き合ったことがあったか。
私は社会に真剣に向き合ったことがあったか。

向き合うということは、受け止めることだ。
向き合うということは、理解しようとすることだ。
向き合うということは、共に生きようと努めることだ。

どんなに苦しくとも、受け止めなければならない現実がある。
どんなに嫌でも、聴いてやらねばならない意見がある。
どんなに苦手でも、共に生きなければならない人々がいる。

向き合うことを勇気と呼ぶ。
向き合うことを愛情と言う。
向き合うことを優しさと理解する。

どんな時でも向き合う姿があれば、いつか、分かり合える。
どんな時でも向き合う姿があれば、いつか、乗り越えられる。
どんな時でも向き合う姿があれば、いつか、喜びがやってくる。

しかし、向き合うことは、
簡単なことが、出来ないのだ。
単純なことが、難しいのだ。
基本的なことが、理解されないのだ。


詩集『心象色彩の館』 目次


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向き合うこととは何か



当たり前のことだが、誰でも、不都合なことを避けたいと思う。それは、自分に不利になるし、厄介なことに巻き込まれるし、ややこしい後始末が待っているし、ともかく、自分に不都合に近づかないのが賢明な人々の生き方なのだ。子供の頃から、不都合なことを避けるようにと教えられ、不都合なことを敢えて頭を突っ込むのは「バカ、キチガイ、ヘンジン」と言われた。賢い人とは、自分に不都合なことから上手に逃げる技を持ち、自分の身を守る人だと教えられた。 だから、不都合な現実から人は、自然に逃げるように出来ているのだ。

しかし、その不都合なことが、自分の現実であり、または、家族や親しい友人たち、自分の所蔵する会社、町は社会、そして国の現実であったら、それからも逃げることが「賢い生き方」だと言えるだろうか。と言うのも、これらの不都合な現実は、結局、自分を含む社会、集団、家族の不利益を導くことになる。それらの不都合な現実に向き合わないことによって、いつか、自分は不利益、被害を受けることになるだろうと察するも出来る。


だから、多分、人は、それらの将来予測される災難にあわないために、今ある不都合な現実を受け止め、それを解決しようとする。言い換えると、私たちが不都合な現実に向き合うのは、何も、その不都合な現実に向き合いたいから、向き合っているのではない。これからのより良い生活や生き方のために、その不都合さに向き合わなければならないからこそ、向き合っているに過ぎない。言い換えると、不都合な現実に向き合う必要がなければ、誰も、嫌で苦しい思いをしてまでも、不都合な現実に向き合うことはないのだ。


不都合な現実と呼ばれる多くの課題、例えば、自分の、家族の、こどもの、社会の問題、それらの問題は、殆どの場合、即座に答えが用意されてもいない。それらの不都合な現実の課題には、一つの回答も、唯一の解決策も、永遠に有効な答えもない。

殆どの場合、不都合な現実と呼ばれる多くの課題の答えとは、答える過程にしか用意していないし、答える過程を通じて無限に用意されている。つまり、それは、生きていいる私たちが、つねに不都合さを生み続ける現実と呼ばれる未知の世界を歩き続けているからこそ、新たに生み出され続ける不都合な現実という課題に過ぎない。だから、答えは、そこに在って、そしてそこにたどり着くことで、またそこから消えていく。やっとたどり着いた答えの中から、新たな不都合が見つかる。生きていいる現実は、限りない疑問の中に、生きている私を留め続ける。それが不都合な現実の正体なのだ。

だから、得られた答えに、求めるものは、得られた意味よりも、得ようとしたこころしかない。
だから、得ようとした人に、求められるものは、その人の横にいた得ようとした人でしかない。
それが、不都合な世界のなかで、向き合うということの、意味になり、
それが、不都合な世界のなかで、向き合うことから得られた、答えになる。

向き合うことは、異なる文化の人々、立場の違い、意見の相違と呼ばれる、不都合な現実の在り方に対して、共存の可能性を照らす、唯一つの手段なのだ。だからと言って、答えが見つかった訳ではないが、不都合な現実が引きここしている問題の半分が、すでに解決されている。



2015年12月9日水曜日

許しとは何か。人はなぜ人を許すのか

三石博行


*  *  *  *

人はどのようにして他者を「許す」のか、この答えは宗教に求めるほかないのだろうか。と言うのも、この「許す」という行為は、救いと共通するように思えるからだ。

許すとは何か。つまり、人は許すために許し得るのではなく、許されることを追い求めるために、許すのかもしれない。その意味で、許しとは、共に許されることを求めた者の救いに似ているとも言える。

広島の人々は、どのようにして原爆を落としたアメリカ兵を許したか。ドイツのユダヤ人は、どのようにしてアウシュビッツで家族を殺したドイツ兵を許したか。アジアの人々は、どのようにして国を侵略し、町は村を破壊した日本兵を許したか。


*  *  *  *

確かに、許せないことがあるだろう。その許しないことを抱き、憎悪に燃え、そして復讐を誓う。もし、その復讐が達成された後に、何を感じるだろうか。そして、そこで、許せない想いは終焉し、それらの希望は完全に達成し得るだろうか。このように問い掛けるのは、殆ど、許せない現実に出会わなかった人々かもしれない。

許せない思いを抱く人々に対して、人を許すことを説教することは、無意味である。だから、それらの人々に、許せない思いを実現させる機会を与えることを社会は認めている。例えば、敵討ちのように、昔は、その機会を私的に認めていた。しかし、今日、この私的な復讐は犯罪とされる。法律によって、復讐は合法的に可能になり、許せない相手を刑事訴訟し、刑罰という社会的な報いを受けさせることが出来る。

だから、許すという事は、許せない現実を否定して成立しているのではない。許すという事は、許せない行為の対局にあるのでない。それは、逆に、許される対象として、許す主体が存在しているから、許すという行為が可能になると言えないだろうか。つまり、人は許されない自己を抱えた時に、許すことが要約できる立場に立つことが出来るのではないだろうか。

それはあたかも死にゆく人々の生命に対する憐れみにも似ている。つまり、許しとは、許される側に立つ、弱い人間としての自覚によって可能になっているのではないだろうか。


*  *  *  *

もし、強い自分があるなら、そして、もし自尊心を傷つけられたなら、その相手を打倒する為に闘うだろう。その意味で、許さないことによって、自己実現を可能にすることが出来る。しかし、許すとは、その逆で、自分の自尊心を傷つけた人が、同じように他人から自尊心を傷つけられた時に、「それは苦しかっただろうと」彼に寄り添うことを意味する。それは、欺瞞者のすることだと言われるだろう。それは、嘘だと言われるだろう。

確かにそうなのだ。その許す行為に秘められた偽善性を、否定するつもりはない。

だから、許すことは自分が傷つけた相手を懲らしめられる強いと思う人間には出来ない技なのだ。自分が、懲らしめられる相手と同じ罪(過ち)を犯した弱い人間だと思った時に、その痛みを受け入れるという行為の結果として、許すということが出来るのかも知れない。その意味で、許すということは、受け入れるという意味に類似しているのだと思う。言い換えると、弱い自分を受け入れるという意味に繋がる。

これは美し表現で許しを語った場合の話だ。悪く言えば、許しとは「慣れ合い」だとも言える。つまり、悪いことをしていると自覚している人間であるから、許すことが出来る。もっとひどい言い方をすれば「泥棒が泥棒を許すのは、当たり前でしょう」という論理になる。

つまり、「私は泥棒ですから、貴方が泥棒であることを許すのは当たり前でしょう。もし、泥棒の私が、泥棒の貴方を許さないとすれば、それは自己否定になりますよね。」という論理が成立する。これが、自己欺瞞のない「弱い自分を受け入れる」タイブの許しとなる。


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しかし、これも極端な見解だ。広島の人々は原爆を落としたアメリカ兵を、そういう気持ちで許したのではない。アジアの人々も国を侵略し、町は村を破壊した日本兵を、そんな気持ちで許したのではない。


許しには、自分を深く傷つけ、自分の家族を死に追いやった人々に対して、自らが彼らと同類であると自覚させる強烈な自己否定がなければならない。つまり、それが原罪とか無常ということばで語られた考え方なのである。そうでもしないと、この許しに必要な自己理解が成立し得ないのである。

もし、そのことをキリストが説明しなければ、その意味は、不明のままだったと思う。もし、その意味をブッタが語らなければ、その理由は、理解できなかったと思う。その意味で、許しが宗教的な意味合いをもつことは避けられない。

残念なことに、この許しの問題に答えられる哲学や人文社会学はない。それが問題かもしれない。

2013年6月15日土曜日

槌田氏の使い捨てを考える会の活動について思うこと

使い捨てをしない生活は可能か


三石博行


槌田劭さんの魅力ある話

先週日曜日(5月23日)に京都大学農学部で第14回縮小社会研究会が開催された。

私の尊敬する人々の一人、槌田劭(つちだ・たかし)さんが、お話をされた。これまで何回かの槌田さんの講演会に参加したが、殆ど同じような話の内容であった。今回が4回目なので、殆どの話を覚えている。しかし、まるで好きなクラッシクの曲を聴いているように、槌田さんの話は、何回聴いても新鮮で飽きることがないのだ。そのことに、実は驚いている。

槌田さんは1968年(全共闘時代と呼んでいます)の学生運動から問われた大学や大学研究者への課題を真面目すぎるほど真面目に受け止められ、1973年に市民や学生と一緒に「使い捨てを考える会」を結成し、リヤカーを引っ張って古紙回収を始めました。その後、京都大学工学部助教授を辞めてしまいました。本当にびっくりするぐらい変わった人(真面目すぎて)と言われていました。

その後、精華短期大学で教職に就かれましたが、専門の金属工学を全く辞めて、もっぱら環境問題や資源や食糧の再生可能な社会のために運動、啓蒙活動や研究をされてきました。教育者としても非常に大きな業績(学校法人の理事長となり精華短期大学を京都精華大学にした)を持って居られますが、そのことは何一つとして皆さんの前でお話されたことはない。

槌田さんの声は、細い身体から創造も出来ないほど力強い。音量は少し小さ目だが、流暢に言葉が流れ、一つひとつの音節がしっかりと区切られ、まるで教会の牧師さんのお話のように、説得力のある事例を出しながら、みごとに説教を組立ていく。明らかに、槌田さんは、講演者と言うよりも、槌田教思想(教)の伝達者(教祖)と言うべきだろう。彼の迫力に満ちた説教、いつの間にか、その気迫と説得力に私たちはのみ込まれてしまう。



こうした話の力は、彼のことばが彼の生きている世界の中から染み出しているからだろう。つまり、生きる現実から彼は我々に話しかけているのである。

槌田さんのお話を聞くたびに、「もしかして、吉田松陰や武市半平太もこんな口調で話していたのかもしれない」と私は思う。時代の黎明期に登場する思想家のように、槌田さんはとうとうと「使い捨てを考える」生き方とは何かを語る。


今、使い捨てを考えるとはどういうことなのだろうか

現代社会に生きていて、使い捨てしないという生き方は不可能に近い。例えば、衣類などはどうだろうか。衣類は捨てにくいもので、どんなに古いものでも、捨てられずに、タンスの奥、押し入れや物置にしまい込んでしまう。そして、家の中には古い衣類がたまっていく。

その中には、亡くなった両親の衣類もあった。昔の人は、服を沢山持っていないが、良い生地の服を持っていた。捨てるのが惜しくて貰ったが、結局、一回も使わず、家の奥にしまい込んでいた。体型が変化して着られなくなったもの、流行遅れのもの、少しシミが着いたもの、それらを困った人々にあげようとため込んでいた。そこで、市民団体に連絡すると、「もうそういうものは誰も貰いません」と断わられた。1970年までの日本と2010年代の日本は違うのだと電話口から聞こえる市民運動家の声を通じて理解した。

使い捨てを考えるということは、使い捨てをせざるを得ないという現代のライフスタイルでは不可能であることを示すだけではないか。それでも、使い捨てをしないことを心がける意味はどこにあるのだろうか。

つまり、使い捨てを考えるという課題は、使い捨てをせざるを得ない社会の在り方を考えると理解していいのだろうか。なるべく使い捨てをしない。例えば、食べ物を捨てない、生ごみをコンポストに入れて肥料として再利用する、食器洗いの水やお風呂の水は再利用しる、庭には雨水を撒く、古紙をリサイクルに回す、ペットボトルやプラスチックのリサイクルに協力する、スーパーには買い物袋を持っていく、等々。

しかし、私たちは現代社会の生活環境の中で、使い捨てを考えないライフスタイルを強制され、使い捨てる便利さの上に日常生活が営まれていることは否定できないだろう。この現実が問いかけている課題、「それでも使い捨てを考えるということの意義」とは何か、使い捨てを考える会を持続したり、使い捨てを考えるという活動を続けるためには、この問い掛けに答えなければならないだろう。


使い捨てをしない社会や生活はどのように可能か

どれくらい私一人の生活が環境に負荷を与えているのか。住んでいる家、暖房や冷房、テレビやステレオ、照明、コンピュータ、その他家電(掃除機や洗濯機等々)が消費している電気、上水道や下水道。生活のすべてがエネルギー消費なくしては成立していない。それが、今の日本社会での、私たちの生活環境である。

その生活環境とは使い捨てをすることで成立しているともいえる。つまり、使い捨てをしなければ家の中は古いもの(つまり多量の電気エネルギー消費する家電等々)、使えないもの(故障しても修理出来ないもの、修理代が新品購入費より高い場合があるもの)で身動きが出来なくなる。狭い日本の住宅では、役に立たないものはサッサと捨てなければ生活が出来なくなっている。使い捨てをしながら少しでも快適な住環境を維持している。これが現実の私たちの生活なのだ。

使い捨てをせざる得ない現代の生活スタイルを少しでも使い捨てをしないようにするためには、出来る限り消費しない生活様式を取り入れなければならない。

無駄なものは買わない。例えば100円ショップで、安いという理由で無駄なもの、結局は質が劣るために、使わなくなるようなものを買い込んでいないか。また、着もしない安売りの服、美味しくもない安売りの食糧、安いから買うという生活スタイルで、家の中にごみが増えていないか。無駄な買い物をしないということが、結局、使い捨てをしないと言うことになる。つまり、使い捨てをしないためには、良いものを買う習慣が必要なのだろうか。貧乏人でなく、金持ちのライフスタイルが求められるのだろうか。

出来るだけ資源やエネルギーを節約する。例えば、水道水を庭に撒かない。そのため雨水、お風呂の水、炊事排水を利用する。太陽熱や光のエネルギーを活用する。台所や庭ででる有機物を土に返す。小さな庭があれば、野菜を植える。雨水タンク、風呂水再利用排水施設、太陽光パネル、太陽熱パネル等々、これまた贅沢な施設が必要となる。

使い捨てをしないことは不可能だが、使い捨てを少なくするために、結局、高価なものを買い、結果的には、高価なごみを作ることになる。

本当に使い捨てを考えることは難しい。今の生活レベルを1970年以前に戻すとすれば、少し、使い捨てをしない生活様式が可能になりそうだ。しかし、今よりも快適な生活環境ではないことは確かだ。平均寿命も低くなる。外国にも簡単に行けそうもない。色々な海外の食べ物も入らない。あのころはバナナが高かったし、高級品だった。

使い捨てを考えるためには、そうした時代に戻る覚悟が真剣に問われることになりそうだ。



「成長経済主義を越えて成熟循環型経済社会への転回のために」 目次
http://mitsuishi.blogspot.jp/2015/01/blog-post_72.html




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2013年6月10日月曜日

「死体とうんこ」

総合地球環境研究所の副所長佐藤洋一郎氏に会ったとき、彼が現代の日本社会では「死体とうんこ」を隠す文化に成っていると話していた。

死体、つまり死、そしてうんこ、つまり生命と生成物の廃棄物はある意味で生命の姿の別の一面でもある。生があるから死がり、生きるすべてが死を待っているともいえる。死体を隠すことは、ある意味で、生を隠すことにならないか。

うんこについても同じようなことが言える。

つまり、生成されたものは利用活用され、そして廃棄される。有用なものが利用され、そして最後に消費され、分子レベルまで分解される。しかし、途中で消費されず、そのまま前の形を留め、または形が破壊され、ごみと呼ばれる廃棄物となっているものがある。

それらの廃棄物は、分解可能であれば、また別の生命体の栄養となる。その繰り返しをエコサイクルとか、食物連鎖とか、生態系とか呼んでいる。しかし、人工物の中には、自然に(生物や化学反応によって)分解されないものがある。それは、厄介なことを生態(生体)環境に引き起こす。

うんこは生命活動の中で生じる廃棄物である。言わば、生命が存在してからずーと生み出された廃棄物である。その廃棄物は最近人間が化学的に造りだした廃棄物とは違う。生態系の中では、その廃棄物は他の生命の栄養となる。また、その生命もその栄養を食べて、新しい廃棄物を生み出す。

つまり、うんこは生命と生命をつなぐ物質として自然の中では活躍している。うんこを生態系の食物連鎖の中に組み入れないシステム、下水処理場は、生態資源の無駄使いをしているともいえる。

また、うんこを隠すことは、生命と生命が食物連鎖によって繋ぎ合っていることを隠すことを意味する。つまり、うんこは生命について考える一つの契機を与えているのである。

「死体とうんこ」を隠す文化は、生命について考える契機を奪い、もしくは、その現実を見つめる機会を与えないようにしているようだ。

死を考える生活スタイルの中に、本当に生きることを知る生活環境や文化が形成されるだろう。 そう考えると冗談のように聞こえる「死体とうんこ」というテーマの深い意味が理解できるかもしれない。


「成長経済主義を越えて成熟循環型経済社会への転回のために」 目次
http://mitsuishi.blogspot.jp/2015/01/blog-post_72.html



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2012年3月18日日曜日

ブログ文書集「生活の哲学」

「生活の哲学」の目次

三石博行


1. 生活世界と哲学

1-1、生活世界の哲学
http://mitsuishi.blogspot.jp/2008/01/blog-post_30.html

1-2、哲学的知の成立条件について
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/10/blog-post.html

1-3、哲学の存在意義
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/09/blog-post_18.html

1-4、現代哲学の意義を問う
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/08/blog-post_31.html

1-5、他者と共感しえない哲学は意味を持たない
http://mitsuishi.blogspot.jp/2011/01/blog-post_05.html

1-6、生きること知ること
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/11/blog-post_11.html


2. 現代社会と哲学

2-1、哲学的探求の宿命
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010_08_01_archive.html

2-2、哲学的、科学的、生活技術的な知の相互関係 
http://mitsuishi.blogspot.jp/2009/03/blog-post.html

2-3、厳密な哲学的思索の成立条件とは  
http://mitsuishi.blogspot.jp/2011/02/blog-post_8154.html


3. 生きる力としての哲学

3-1、日常性を維持する力
http://mitsuishi.blogspot.jp/2008/01/blog-post_31.html

3-2、前向きな悲観論
http://mitsuishi.blogspot.jp/2008/01/blog-post_28.html

3-3、失敗は成功の母(中国の言葉らしい)
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/03/blog-post_7450.html

3-4、批判的にも共存する方法
http://mitsuishi.blogspot.jp/2009/10/blog-post.html


4. 教育としての哲学

4-1、教育としての哲学の課題
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/09/blog-post_01.html

4-2、人的資源の確保と育成のために
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/04/blog-post.html

4-3、労働の質を高めることの意味
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/03/blog-post_9095.html

4-4、問題解決の思想
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/03/blog-post.html

4-5、指導者の姿・思考実験への不断の取り組み
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/12/blog-post_09.html

4-6、企業経営の危機から何を学ぶのか、逆境に学ぶ力
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/12/blog-post_02.html

4-7、人間教育者、岩松弘先生
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/07/blog-post_7143.html

4-8、教師について
http://mitsuishi.blogspot.jp/2011/01/blog-post_7657.html


5. 他者性の認識としての哲学

5-1、共同主観的合意行為・高速道路の運転風景
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/09/blog-post_02.html

5-2、感謝の気持ちを持つとは何か
http://mitsuishi.blogspot.jp/2012/02/blog-post_22.html

5-3、東日本大震災犠牲者の冥福を祈る
http://mitsuishi.blogspot.jp/2011/03/blog-post_14.html

5-4、脱原発を訴えた瀬戸内寂聴さんのお話し
http://mitsuishi.blogspot.jp/2011/10/blog-post_9970.html


6. パスカルについて

6-1、人間と倫理2 「人は天使でもなければ禽獣でもない」(パスカル)
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/04/2.html

6-2、理性と情念の両方を持つ人間の姿 パスカルから
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/05/blog-post_6407.html

6-3、自己を罪びとと思っている義人と自己を義人と思っている罪びと
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/05/blog-post_183.html

6-4、善悪の確率的彼岸とは何か
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/10/blog-post_1063.html

6-5、人間と倫理1「倫理、道徳と規範の意味」
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/04/1.html

6-6、人間と倫理1「性善説と性悪説」
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/04/1_15.html

6-7、人間と倫理1「性善説と性悪説から推できるモラルのあり方」
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/04/1_4802.html

6-8、倫理と模範の関係
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/05/blog-post_20.html


7. 失敗学

7-1、畑村洋太郎著『決定版 失敗学の法則』  第一章「失敗学の基礎知識」のテキスト批評
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/11/blog-post_6897.html

7-2、新しい日本社会・民主主義と個人主義時代の責任の取り方
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/12/blog-post_2503.html


8. 私という他者

8-1、私にとって研究活動とは何か
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/08/blog-post_1705.html

8-2、ブログをはじめた原点に戻って
http://mitsuishi.blogspot.jp/2008/11/blog-post.html

8-3、日常性の点検としてのブログ活動
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/03/blog-post_25.html

8-4、日記的記述法(ブログ)から物語的記述法(ホームページ)へ
http://mitsuishi.blogspot.jp/2011/01/blog-post_919.html


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ブログ文書集

ブログ文書集「東日本大震災からの復旧・復興のために 震災に強い社会建設を目指して」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_23.html

ブログ文書集「21世紀日本社会のための大学教育改革の提案」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/04/blog-post_6795.html

ブログ文書集「原発事故が日本社会に問いかけている課題」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_3562.html

ブログ文書集「日本の政治改革への提言」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_9428.html

ブログ文書集「持続可能なエネルギー生産社会を目指すために」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/11/blog-post_2842.html

ブログ文書集「民主主義社会の発展のための報道機能のありかた」
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/12/blog-post_03.html

ブログ文書集「国際社会の中の日本 -国際化する日本の社会文化-」
http://mitsuishi.blogspot.com/2012/03/blog-post.html


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2012年2月22日水曜日

感謝の気持ちを持つとは何か

商品化した他者の再生は可能か

三石博行


抽象的に感謝の気持ちが湧くだろうか

よく感謝の気持ちをもって生きるという道徳心が語られる。この「感謝の気持ちを持つ」ということばは、道徳的なことばとして語られる場合、そのことを実践的に理解する上での困難さや疑問に出会う。しかし、「感謝の気持ちを持って生きる」ということに疑問を投げかける人はいない。何故なら、それは人として大切な心遣いであるということが余りにも自明であるとされているからである。

感謝する、人に感謝するという感情は抽象的な対象、人に対して沸きあがるだろうか。感謝である以上、何か具体的な内容、感謝すべき内容と、具体的な対象、感謝したい人(具体的な個人)がいるはずである。その意味で、感謝という感情を人という一般的な対象に対して、一般的な気持ちとして持つことは、何か無理があるように思う。

同じようなことばとして「生かされている自分」への自覚という概念がある。人は一人で生きているのではなく、人々は協力しあい支えあい生きているという当たり前の考えに立って、自分だけで生きているという考え方に対する批判的な視点を、この概念は与えている。生かされている自分の自覚と人への感謝の気持ちとは、前者が生きている自分の現実を意味し、後者は生きている中での具体的な他者からの行為に対する感情を意味している。

従って「生かされている自分」の自覚(意識化)は、人間が社会的存在であることの自覚として理解される。この意識は具体的な誰かに対してや何かに対してという感情ではなく、自分が生きて来た(生きている)現実に対する自己意識的な生きてきたという解釈(主体性論)から、多くの人々の労働や行為によって生かされているという解釈(社会文化環境論)へ変換、つまり理解や解釈の変更を意味する。

しかし、「生かされている自分」という気持ちが「感謝」と結び付くとき、「生かされている自分の現実」に対する解釈が、より具体的な事実(出来事)や具体的な個人に対する感情として、それらの人々によって今まで生かされてきた自分への自覚となる。その場合、「努力し状況を切り開いてきた自分(主体的に生きている自分)」という解釈から、「誰々(具体的個人)の何々という協力(具体的な行為や物質的根拠を背景にした助け)に対して自分ひとりではどうにもできなかったある具体的課題を解決、もしくは解決の糸口を見つけた」ことに対する感謝の念を抱いている心理的状況を意味している。その場合、「生かされている自分」という自覚は、何か具体的な課題が前提にした誰か具体的な人への「感謝」であるといえる。

もし、人は漠然とありがとうという気持ちを持ち、抽象的に感謝の感情を抱くことはないのなら、「人に感謝の気持ちをもって生活する」という道徳的な教えは、もっと説明が必要になるだろう。そして、感謝を一般的に「有難いと思う」と語ることは、実は感謝の本質を理解していないと批判されても仕方がないのではないだろうか。この感謝を道徳的なテーマとして提案することに対して、ここでは批判的に検討してみる必要がある。

見えない人々の絆や手助けに対する繊細な感情

「感謝の気持ちをもって生活したか」という項目を一日の反省の課題に取り入れるなら、その点検作業をどのように進めるだろうか。前記したように、今日一日の生活の中で、具体的な課題である誰かに対して感謝の念を抱く経験をしたかとうい事になる。しかし、もし、感謝の念という感情を、他者のある積極的な行為に対する感情として受け取るなら、多分、毎日、感謝の気持ちが湧くような機会には恵まれないのではないだろうか。

言い換えると、多くの人々から援助され、また手助けされる状況は、よほど大変な被害にあった状況、たとえば今回のような大震災の後に避難所生活をしているような境遇でない限り、生まれないだろう。普通は、殆ど、他人の積極的な手助けを必要としない程度に十分自分でやりくりしている。だとすると、毎日、感謝の気持ちをもって生活したかと問いかけるのはやり過ぎだと思われるかもしれない。

しかし、日常生活では、色々な他者の手助けにあっている。例えば、こうして仕事を大学の研究室で行っているのは、この大学が存続しているからであり、また、学生がこの大学に入学してくれているからである。さらに、この文章を書くためのPCがあり、それを動かす電気があり、ブログをアップする機能(インターネット)があり、また、情報処理を行う知識(それを学んだ経験)があり、そして、研究室の机、暖房器具、照明器具、知的労働を手助けするノート、筆記道具、その他の文房具、等々。数えると限りない多くのもの(過去と現在の人々の労働の産物)に囲まれていることには確かである。それらの一つひとつに対して感謝の念を持つということは、多分「それらのものを大切に使う」ということに尽きるだろう。そして、何よりそれらのものを使って、より社会に貢献する働きを行うということになるだろう。

感謝の気持ちとは、自分が支えられている具体的な現実を理解することである。人々はそれぞれの現実生活の中で生きている。その意味で個々人の感謝の内容はその人々の具体的な現実生活の中身によって異なるものである。しかし、感謝するこころのあり方には、共通したものがある。それは、自分に与えられた現実の生活を営むことができるという状況である。その状況を生み出している環境(ものやひとによって生み出された)に対する理解となる。

会社のトップの例で言うと、その会社で働く人々から会社の製品を使ってくれる消費者、そして、その会社の製品製造のための原料を提供する人々や企業等、それらのすべてに対して感謝の念を持つということになる。すると、感謝の念とは、抽象的なものではないと気付く。それは極めて具体的であり、そしてことばだけでなく、社会貢献等の社会行為や他者を利することによって自己を利すると信じる生活行為として表現されるものだと思える。

つまり、感謝という気持ちは、見えない人々の絆や手助けに対する繊細なこころ(感情)のように思える。感謝の念を持つということは、自分を取り巻く世界によって生かされている自分の現在を見つめる気持ちから生まれるのではないだろうか。


商品化した他者

もし、確りと自分の周り(生活環境)を見つめ、今まで自覚していなかった人々の労働(労力)や援助(手助け)、そしてそれを可能にしている社会、その社会のモラルに対する繊細なこころを持つことが出来れば、人々は、日常的に感謝の気持ちを持つことが出来るかもしれない。もし、これがなかったら大変な苦労をしたかもしれない。もし、この人が居ないなら、仕事は終わっていないかもしれない。もし、この社会の制度がなければ自分はこうした生活を送ることは出来なかったかもしれない、等々。限りなく、多くの条件(生活環境の)が自分を守り、自分を生かしていることに気付くかもしれない。

そして、他人の手助けで動いている社会(高度に分業化した社会・商品生産を行う社会)では、他者の労働が商品として売り出され、それを買った人は、その労働を自分のものだと理解してしまう。金を払った以上、その商品を自分が捨てようが壊そうがそれは自分が決める権利を持つと信じている。つまり、この資本主義社会は、他者の労働力(商品)を豊富に手に入れることができる。

その意味で豊かな社会、言換えるとより多くのそして多様な人々によって相互に支えあっている社会であると言える。その反面、この社会では商品化された労働、つまり具体的人々の労働の姿が見えなくなる社会でもある。それは使用価値を失った交換価値だけの商品(通貨)によってしか、商品の交換ができないからである。それ自体、資本主義社会(経済の発達した社会)の宿命であると言えるだろう。

そこで、商品に囲まれた社会で生まれ育った人々、つまり金があれば何でも買えるという考え方(我々の社会常識)をもった人々にとって、カネで自分が買った商品(品物や労働力)に感謝の気持ちを持てと言う方が無理難題、言いがかりを付けているとしか思えないだろう。これが、この社会の常識なのである。資本主義社会は、他者の労力を商品化することによって、その労力を普及させ、多様化させ、その労力の交換をスムーズにさせた。そして同時に、他者は商品化し、商品化した他者に囲まれて生活することになる。つまり、他者の人格も感情も自己に介入し自己を動揺させることも、感銘させるることもないのである。


商品に作った人の顔をイメージする力

地産地消をモットーにした八百屋の店頭に名前入り野菜が出回る。何とも安心感を持つのは、その野菜が安全だと言うだけではない。その野菜をつくった人々の顔が見えるからだろう。また、オーダーメードの商品が受けるのは、多分、自分に合った品物ということと同様に、作った職人の顔が見えるからだろう。

人々は、本来の商品交換の姿を求めている。それは、労働力(お金)と労働力(品物)の交換である。そして、その交換に必要なものは、失いかけている人の顔や関係(絆)の確認である。感謝という言葉でなく、お互いの作ったものを評価すること、そして大切に使うこと、そのことに感謝の内実が含まれているようだ。

他者の働きを評価すること、例えば、上司が自分の仕事を手伝う部下の人々への気遣い、夫が家庭を守る妻の苦労を理解してやる気持ち、同僚の作業内容を理解し彼らの力を得て自分が仕事をすることが可能になっているという気持ち等々、日常生活の中では不断に他人の働きを感謝している。そうした気持ちがあることで、家庭、職場や地域社会の和が成立している。言い換えると、日常の家庭や職場の中に、共に生活し仕事をする人々を気遣う繊細なこころを感謝の気持ちと呼んでいるのだろう。そう考えるなら、それらの考え方や感情、生き方が、自分自身にそのまま問われていることに気付くのである。私は果たして、自分の周りの人々や社会への感謝の念を持って生活しているのだろうか。

商品社会・資本主義社会では、商品に作った人の顔をイメージする力が欠落することで、より巨大な消費社会を可能にした。商品が顔を持たないことで、つまり大量生産システムが可能になることで、人々は口数の少ない商品、つまり安価な商品を手に入れることが可能になった。その意味で、資本主義社会は、広範な地域での労働力の交換に成功し、より多くの生産物をより早く、より多く流通させることが出来た。その速度に反比例するように、労働力から人の顔が消滅していったようだ。つまり、資本主義社会で、消費に感謝の気持ちがないというのは時代錯誤も甚だしい意見であるともいえる。いちいち、商品に顔を付けていたら、時間が掛かるし、大量に生産することは不可能なのだ。

しかし、この社会もようやく一回りしたようだ。人々は安さよりも安全を、均一な商品よりも個性のある商品を、既製品よりもオーダーメード商品を求めるようになった。野菜にも生産者の名前が入り、ハンカチにも作者名が入る。そしてそれらの品物を大切に出来る限り長く使う。壊れたら直し、使えなくなったらその材料で別のものを作ったりする。この行為を感謝と呼んでもいいのだと思う。何故なら、感謝とは共に生活し仕事をする人々を気遣う繊細なこころなのだから。


誤字修正 2012年2月24日
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2011年10月31日月曜日

脱原発を訴えた瀬戸内寂聴さんのお話し

現世に悔いを残してはならない

三石博行


10月16日、円山公会堂で開催されていた「反戦、反貧困、反差別集会 in京都」の会場で、瀬戸内寂聴さんがお話(説法)をされた。
ここでいちいち解説するより、お話しを聞いてください。本当に、魅力的です。



YouTubeでの公開説法 脱原発



瀬戸内寂聴のお話し1

http://www.youtube.com/watch?v=kSgFaB9LZoE





瀬戸内寂聴のお話し2

http://www.youtube.com/watch?v=2nadEciOw4o





瀬戸内寂聴のお話し3

http://www.youtube.com/watch?v=ET90XxCxzzE






参考資料


1、瀬戸内寂聴 Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%80%AC%E6%88%B8%E5%86%85%E5%AF%82%E8%81%B4


2、瀬戸内寂聴の悩み人生相談室
http://www.jakucho.com/


3、瀬戸内寂聴 寂庵へようこそ!
http://www.jakuan.com/


4、みどりの未来
http://www.greens.gr.jp/


5、みどり京都
http://midorikyoto.buzzlog.jp/


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東日本大震災関連ブログ文書集

1、ブログ文書集「原発事故が日本社会に問いかけている課題」目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_3562.html


2、ブログ文書集「東日本大震災の復旧・復興のために 震災に強い社会建設を目指して」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_23.html


3、ブログ文書集「日本の政治改革への提言」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_9428.html


4、ブログ文書集「21世紀日本社会のための大学教育改革の提案」
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/04/blog-post_6795.html


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2011年3月14日月曜日

東日本大震災犠牲者の冥福を祈る

自分なりの支援を始めよう

三石博行


東日本大震災(東北関東大震災)で犠牲になられた方々に深い哀悼の意を表し、心からご冥福を祈る。そして、一刻も早く、救助を待っている方々が無事救出されることを重ねて祈る。

テレビ画面に映し出された震災の姿、それは想像を絶する光景であった。

一瞬の内に津波にのみこまれ破壊される家屋や建物、その横を走る車、逃げる時間も場所もない。
この地獄の光景を見てしまった後に、重たい気持ちに襲われる。

この悲惨な状況に対して、何かをしなければいけない。
しかし、この場にいる自分に何が出来るのか。
無力感に襲われる。

その気持ちを押しのけて、何かをしようと思う。

16年前、阪神・淡路大震災の時は、大阪に住む私たちも罹災した。
そして、すぐに最も被害の大きかった神戸へ行った。
身の回りのものを集めて、リックに背負って神戸に向かった。
多くのボランティアが神戸に向かった。

そして、今、罹災者や日本中の人々がこの苦難に立ち向かおうとしている。
そして、私も、もう一度、自分の出来ることから支援を始めようと思う。


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ブログ文書集 タイトル「東日本大震災に立ち向かおう」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_23.html


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2011年1月25日火曜日

教師について

三石博行


教師をしてもう16年が経つ。このごろ、教師という職の意味が少し理解できるようになった。

私に教師とは何かを教えてくれた一人の人間、小田原洋八郎先生、先生は2006年に肝臓がんのために亡くなられた。

その前に、教え子たちが、先生へのメッセージを書こうと、立ち上がり、中心となった山中正人君が、メッセージ集とその朗読をCDに焼いて、先生に渡した。先生は、「これは私の宝だ」と言った。

私は、高校時代、担任だった小田原先生にもっとも反抗した生徒であった。

そして、もっとも理解し合えた人間であった。なぜなら、それは、先生が人間として私に対して真剣に向き合い、ぶつかり合たからだと思う。

教えるためには、対等でなければならない。

教えることは、それは共に学ぶことを理解しておかなければならない。

そう思う。



まだまだ、教えてほしいことがある


二00五年四月六日 三石博行




一年一組、五月
机ごと生徒を外に引きずり出そうと顔を真っ赤にして怒る教師
目を三角にして必死に抵抗する生徒
今なら、少年鑑別所行きの不良生徒
今なら、新聞沙汰になる超熱血教師
一九六四年、昭和の地層に埋もれた二つの化石
真剣ザウルスと呼ばれた絶滅種
「教えることと学ぶことは闘いではないか」
化石の残骸は昭和の粘板岩の中から叫んでいた



ベトナム戦争に傷ついた高校時代
ヒューマニスト運動の限界
帝国主義に反対するしかないのか
そう信じた時に、退学勧告が伝えられた
挫折感に充ちた暗い青春のはじまり
二度と、この正門をくぐるまいと誓って出て行った
しかし、長い海外生活から帰って来たとき教師になっていた
あれほど嫌な教師という職に就いていた



「小田原先生が指高に帰ってきているよ」と馬場君が言う
二人で会いに行く
先生は
入試を目指す生徒を真剣にサポートしていた二十代の姿はなく
落ちこぼれの生徒や問題児に愛情を注ぐ五十代の姿になっていた
私は
研究論文や学会発表に追われる元劣等生
学問の体系を夢見る元番長
三十年という時間が二人の姿をまったく変えてしまったのだろうか
しかし、これは絶滅した真剣ザウルスの進化種ではなかったか



最近はやりの学生からの授業評価
学生の機嫌取り、評判取り
教師もサービス満点を目指すホストになった
「信念がない教育は存在しない」、だから「闘争なのだ」と昭和の化石は叫ぶ
学校で最も評判の悪い教師
学校で最も嫌がられている授業
研究中心主義、教師失格
自分の好きなように生きている人間なのだ



「もう、学校、やめるわ。ニ回生に上がられへんもん」
二色茶髪、お尻半分、おへそ丸出しの学生が、朝やって来た
教務に見捨てられたのだ
「そんなことあるものか、あきらめるな」
熱血教師が履修内容を点検
友達も入って、ワイヤワイヤとカリキュラム作り
「やった、万歳、万歳」
三人が叫んだのは夜の八時をすぎていた
濃いアイシャドーの奥に隠れたあどけない目がうるんだ

教師とはいい仕事ではないか
教師とは楽しい仕事ではないか



四十代、教師であって教師を自覚したことがなかった
教師であることに気付いたとき、五十をすぎていた
「三石は、イチテンポおそいからな」
一年一組、十一月
反抗的な生徒をやさしく見つめる教師が言った

まだまだ、小田原という教師に学ぶことがある
まだまだ、小田原という人間に教えてほしいことがある



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2011年1月11日火曜日

こどものいじめと人権教育の課題

三石博行

初中等教育での人権・人間教育課題

こどものいじめ・大人社会での人権意識の反映

学校でのいじめ(虐め)には、子供社会にある「お山の大将を決める行動」に由来するもの、嫉妬によるもの、そして刑事事件的な暴力行為まであると言われている。その具体的な手口は、悪口を言う、笑いものにする、悪いうわさを立てるなどの言葉による暴力、無視する態度による暴力から集団暴行(暴力を振るう)、恥ずかしい行為を強制する、金銭を要求する、万引きなどの犯罪行為を強制するまである。

一般に小学校のクラスで起こるいじめは、クラスの5、6人の小さな集団が中心となってクラス全体の傍観者を入れた、ある特定の個人への嫌がらせである。いじめにあっている子供がクラス(共同体)の秩序を破壊している訳でもなく、またその子供への制裁をクラス会で決めたわけでもないし、クラス全員が制裁に参加している訳ではない。それは、いじめを行っている少数のグループの子供たちが、同じクラスのある子供に対して、個人的な感情による陰湿な暴力行為である。

しかし、いじめている子供もまたいじめを傍観しているクラスの大半の子供も、その行為が人権を侵害する行為、暴力行為、卑怯な行為であるという自覚はない。この無自覚さは、こどもたちと呼ばれる社会性を身に着けていない人々が持つ「無邪気な行為」について理解しておく必要がある。

つまり、多くの人間関係を経験したことのない人々(子供)に、自らの行為によって引き起こされる他人の痛みについて理解する心を育てなければならない。そのこころが育ってない精神構造からは、自らが引き起こす、他者の心を傷つける行為が暴力であるという自覚は生まれない。つまり、子供のいじめの現状の全ての責任は、大人たちの教育にある。そのことがまず、こどものいじめを目の前にして、考えなければならない課題であると言える。

言い方を換えれば、こどもの社会でいじめが蔓延していることは、大人の社会に虐めが存在していること、その大人を観ながら子供たちは虐めを当然とする社会で育っていることを意味している。つまり、大人社会での人権意識の反映としてこども社会でいじめが蔓延すると理解すべきである。


民主主義文化のバロメータとしてのこどものいじめの現象

つまり、いじめに鈍感な日本社会は、ある意味で民主主義が社会の文化として定着していない現れと解釈できる。どのような小さな集団であっても人々の集いの全てが、民主的に運営され維持されているかということが「いじめ」を起こさないことを保障するのである。

いじめは暴力の一種である。暴力には色々な形がある。例えば、肉体的に痛めつける暴力、言葉によって心を傷つける暴力、コミュニケーションを遮断する暴力、人格を無視する暴力等々。つまり、他者を積極的に傷つける行為である点がそれらすべての暴力に共通する。いじめは個人的な憎しみや妬みをあらわす積極的な他者への行為である。

いじめに対して、民主主義社会の対応は極めて明快である。つまり、その暴力は社会的犯罪である以上、いじめへの対応は犯罪行為に対する対応となる。いじめを行った人々を裁くことである。つまり、いじめの行為が明らかに法律違反している限りにおいて、社会は暴力としてのいじめに対応できる。

しかし、多くの場合、子供の社会で行われているいじめは、被害者のこころの傷の大きさに比べて、加害者の社会的責任追及は不可能に近い。それが現実である。被害者が自殺するに至っても、加害者への責任追及、損害賠償や刑事的責任の追及は不可能である。

これまで多くの学校ではいじめに対する取り組みは遅かった。いじめを予防するための国や地方自治体の対策が出されるまで、現場、学校が率先していじめ対策を講じていくケースは少なかった。このことは、学校自体がいじめの環境を積極的に作っているという自覚が無いことを意味していた。教育課題としていじめを取り上げる、つまり人権教育の課題として、日常的な子供たちの行為を問題にし、それを学習教材にする対応が現場の学校で工夫されないことが問題なのである。

もし学校が、いじめ対応に対する法律の社会的対応を待ち、いじめを社会的制度の中で解決すると考えるなら、学校での人権教育を考えることを破棄したと言えるだろう。学校でのいじめの問題で、刑法などの法律的な暴力としてのいじめへの対応策はいじめ問題の基本的な解決を導くとは考えられないのである。

日常的に些細ながらもいじめがおこる子供社会とは、人権に鈍感な社会の反映である。つまりこども社会でのいじめ問題の解決は、大人の社会での人権重視の社会構築にあるだろう。
そして社会が、真剣に人権を守ることの大切さを考え、子供たちに、それを伝えようとしない限り、こども社会でのいじめを防ぐことは出来ないだろう。


虐め(集団的暴力)を是認する傍観者の存在

村八分は民主主義社会では認められない人権侵害行為であるが、日本人の「村落共同体意識」には、村八分を正当化しないまでも、それが行われていることを無言のうちに了承している人々の意識がある。この無言の人権侵害への傍観者意識が、人権侵害を起こす大きな原因となっている。

クラスで数人の子供がある子供を虐めているとする。クラスの多くの子供たちは、いじめっ子が絶好のターゲットを決めて、虐めが行われていることを理解している。しかし、大半の子供たちは、その虐めには参加してはいない。ただ、それを傍観しているだけである。虐めているグループにあえて虐めをやめるように忠告する訳でなく、もし虐めをやめろといえば逆に自分が虐めの対象にされる危険性があることを知っている。だから、ただその虐めの現実にかかわりたくないと決め込んでいるのである。それがクラスの大半の子供たちの姿である。

これらの傍観者の存在によって、つまり虐めを認めている人々の存在があることが、虐めている人々にとっては、自分たちの行為の承認者として映る。その消極的な承認者を得ることで、私怨(しえん)や個人的鬱憤行為(うっぷんこうい)も社会的存在理由を見つける。もはや、私怨による行為でなく、皆が認めている皆と共同してやっている行為に変貌するのである。

このクラスの大半の子供たち、不特定多数の傍観者の存在によって、いじめっ子の暴力は、社会的制裁行為の意味付けをもらい、伝統的に村の中で繰り広げられた村八分的行為に変貌するのである。

傍観者の存在は、伝統的な村落社会の無言の協同者を意味する。その存在は、古い村落共同体の社会運営に関する慣わし、つまり日本人の深層心理にしっかりはまり込んでいる「暗黙の同意」によって運営される村の掟を呼び覚ます。

いじめっ子が堂々とクラスで暴力を振るためには、傍観者の存在が必要なのだ。もし彼らがいなければ、その行為の主観性は見破られるのである。彼らは堂々と暴力を振るうことは難しくなるだろう。それだけでも、虐めはクラスの中で公然とは起こらなくなる。

そして、クラスの大多数の子供が、傍観者から虐めを批判する側に変わるなら、つまりクラスの多くの子供たちが、「弱いもの虐めをやめよ」というなら、いじめっ子の中で正当化したい暴力の公共性は忽ち(たちまち)崩れ去り、虐めという行為があらわに社会(クラス)の中に露呈(ろてい)するだろう。個人的感情によって生まれた自分の行為としての虐めに含ませたかった「社会的」制裁の意味合いを失うだろう。

私怨によって生じる暴力「いじめ」に、社会的制裁のニュアンスの混入を防ぐためには、つまり虐めが暴力であると明確に意識する契機を得るためには、その虐めを見て見ぬ振りをする大多数の傍観者達のモラルを問いかけ、彼らの協力を得る以外にないのである。


いじめについて考える人権教育

つまり、非常に日常的に起こる言葉や態度によるいじめに対して、教育の立場から常に敏感に対応する姿勢が必要である。いじめはこどもの社会では常に起こるものである。こども社会でのいじめを防ぐためには、いじめる子供たちに対する懲罰ではなく、いじめを考える人権教育の普及が必要である。いじめを通じて、こどもたちに人権教育の機会を作ることが出来るのである。つまり、日常的に生じるいじめを積極的に取り上げ学校側の教育姿勢が必要である。

もし、学校や教師が、そうした姿勢を持たないなら、学校や教師の側に人権に対する意識の低さがあり、そのことが学校でのいじめの蔓延を放置していると考えるべきであろう。日常的にいじめを積極的に取り上げることが教育の場として必要である。それを理解しない学校や教師は、現実の大人社会で行われている人権侵害の行為に対しても鈍感であると言えるだろう。

教育活動として虐めを問題にして、いじめた経験のある子供、いじめられた経験のある子供も共にそのことを考える機会を与えことで、教育の立場からいじめを防ぐことができる。換言すれば、いじめは人権教育のもっともよい教材となる。子供たちは、自らの行為をもって、人権について考える機会を得る。これがまず学校が取らなければならない虐めへの対策ではないだろうか。

教育プログラムとしていじめに対する対策が行われている事を前提にして、具体的に発生する虐めへ対策を考える必要である。虐めた子供も虐められた子供も含めて文部科学省が提案しているマニュアルなどを活用し学校やクラス全体で虐めに対する対応をしなければならないが、しかし、もっと大切なことは、教育現場で、具体的でしかも生きた教育材料を活用しながら、人権教育を企画できる教育力が教師や学校に求められている。

さらに、刑事事件の対象になる虐めに関しては発見した際に警察の協力が必要で、保護者も学校も警察に通告しなければならない。例えば自殺者を出すなど、重大な事件に発展し被害者の保護者の憤激を伴う場合、刑事事件として告訴しなければならない場合が生じる。

しかし、こどもの喧嘩(暴力を振るう行為)によっても傷害事件が発生する。それらのすべての事件を刑事事件として告訴することは出来ない。こども同士の喧嘩による暴力事件に対しても、単純に刑事事件として扱うのでなく、こどもと保護者を入れた話し合いを学校が企画し、こどもへの暴力に対する自覚を教えなければならないだろう。つまり、どのような事件がおこっても、マニュアル通りに解決するのでなく、そこにいる子供の現実と状況を理解したケースバイケースの教師と学校の対応が求められている。

こどもの人格を尊重する学校や教師の考え方がない所にこどもへの人権教育は芽生えないのである。




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