- 生活資源の経済学の成立条件とは -
三石博行
1,狭義の労働(賃労働)と広義の労働(生活行為)
今日(6月8日)は水口保氏との「定例編集会議」。今日の課題の一つは、経済活動を行う行為を「労働」と定義し、その労働によって経済的価値が生まれると考えた古典派経済学(アダムスミスからリガード、そしてマルクスに至る)の基本概念である「労働価値説」に関する評価と批判的展開についての意見交換だった。基本的に労働価値説は正しい。人の労働によって、つまり経済活動を通じて、商品(価値を持つ生産物)が生み出される。
しかし、ボランティア、人への愛情、趣味、娯楽等々、人々が何らかの社会的活動(行為)を通じて、生み出すもの(物質的、非物質的な)は、商品としての市場で交換される(価格が付けられ売りに出される)訳ではない。勿論、ボランティアで提供されているサービスも商品化され、「愛情」行為も商品化され、「娯楽」もお金を払って行っている。その意味で、人の行為(サービス労働)は商品である。その場合、行為ではなく労働となる。商品化されない行為、つまりこの行為はそれによって対価を得ることを目的としていない。その意味でこの行為は市場経済の視点から言う労働ではない。
つまり、人々の日常生活では、すべての行為が賃労働化されている訳ではない。むしろ、賃労働化されている行為(労働)は、生活行為の中の一部である。経済的要素として労働(賃労働)が経済学の中で課題となる。その反面、賃労働化されていない労働(生活行為)はその対象とはならない。もちろん、それらの生活行為(家事、育児、介護等々)がサービス商品化されることで経済的要素・商品となり、経済学の対象となる。そうでない限り、同じ生活行為は、それが商品とその交換を課題とする経済学の対象外に置かれる限り、経済学の対象の外に置かれる。
勿論、マルクスは家事や育児を労働として位置づけていた。その流れを受けた生活構造論や生活システム論でも、家事労働は将来の労働力を形成するための労働として位置づけられていた。では、何故、経済学から生活行為(賃労働化されていない家事)が、経済活動の対象外に置かれることなったのだろうか。市場経済を経済学の研究対象とする経済学の考え方はどこから生まれたのか。経済とは人の生活であり、人々の社会的営みではなかったか。労働価値説の基本的な課題を問うことによって、市場経済中心主義の経済思想の在り方が問われ、生活中心主義に経済学を立て直す必要が問われている。
2、労働と生活行為
生活の中で行われる行為は、家事や育児のように労働としてすでに成立してある行為も含めて労賃を支払わない(支払えない)生活行為が多くを占めている。生活経済を考える時、商品化された労働力を経済的要素として考える場合、家事や育児等の生活活動の基本を構成するものが無償労働として位置づけられている。その解決は、それらの家事等に価格を付け、家事を担った妻(夫)に対して、家事サービスを受けた夫(妻)が、その対価を支払う制度を家庭内の規則として導入することである。しかし、現実に、家事、育児や介護を担う妻(夫)が、外で働く夫(妻)に、家事労働の対価を要求し、またそれに関する契約書を作る家族はない。
市場経済学的な調査、研究からは生活世界の人間・社会・経済現象は理解できない。そこで、生活を消費行動として経済学的に分析する。そのため、生活経済の中で生産される「未来の労働力・人間形成」は課題に挙がらない。また、生活経済は家計のやり繰りのための知識として理解されている。そのため、生活経済は社会全体の経済学の中の家庭経営に関する課題に限定されてしまう。人間の基本的な条件が成立している生活活動が経済学の基本的な課題となり得ず、社会経済活動の端に置かれ、人間の活動の基本である生活環境(基本的には衣食住環境)、出産、育児、家庭環境、介護、人間関係、愛情等々、人が育つ基本的な行為、生活行為が経済学の課題から抜け落ちている。
Economyの語源は「家計管理・節約」を意味するギリシャ語のoeconomia (オイコノミア)であり、家計、家庭経営を意味している。日本に西洋の経済学が紹介された時代(19世紀後半)、『英和対訳袖珍辞書』(堀達之助)では「economy」を「家事する、倹約する」と訳し、「家政」の意味と解された。また、「political economy」は「国家の活計」と訳され、「制産学」つまり「経済学」(古典派経済学)を意味した。「経済」という新語は、中国の古典に登場する用語「経世済民」「経国済民」(世・国を経め、民を済う)の略語「経済」として形成された。経済とはその語源に於いても生活経営であり、その学問としての経済学も「家政」の学であった。しかし、明治初期の大学等の高等教育で行われた国家レベルの「political economy・財理学」が個人や企業レベルの「財理学」として展開し、それを包括して「economy・経済」という用法になったと言われている。近代化を急ぐ日本では、経済学は国家の財理運営(世・国を経める)の学問として国家が推進し、教育研究の課題として展開された。その意味で、経済の目的を語る(民を済う)という意味は希薄になって行った。
経済学の目的が国家や企業の富の形成を課題にする時、生活者は勤勉な労働力を提供する人々(労働者)となり、またその家族は将来の健康な労働力の補給の場となる。世・国を経めるための財理運営学(経済学)の中では産業活動によって生産された商品の消費行為が経済的意味を持つ。その他の生活行為は経済的意味の外に置かれる。そして、経済学の本来の目的(世・国を経め、民を済う)は完全に消滅することになる。しかし、マルクスの労働価値説によって、もう一度、民を済う経済学の復権が試みられることになる。では、どのようにしてその復権は可能になるのか。『生活世界の再生産』(高橋正立)が試みた課題「行為としての経済」に関する研究を掘り起こし、そして再展開する必要を感じる。
3、生活経済学としての生活資源論
人間の行為を経済学の基本とするなら、人々は生きるために活動し、豊かになるために働き、そして個人的な欲望や欲求を満たすために動く。これが経済活動の基本である。つまり生活世界で繰り広げられているすべての行為が経済学の対象となる。これらの人間行為が社会性を持たなければ、つまり個人的行為が他者に対して交換可能でなければ経済活動は形成されない。人の単なる行為の集合が経済活動を自然発生的に生み出すのではなく、人が社会的存在化したときに、その社会性こそが経済構造の基本となる。
つまり、人の行為によって社会性が生産され、その社会性が他者(人)の行為を助け、そしてその人が、その社会性を再生産することが出来る。生産活動とは生命や生活維持のために執り行われ、その行為を前提にして社会が形成、維持される。これらの社会形成は社会的規則によって運営される。生活行為で生産される生活資源の評価、分配の基準が経験的に決定され、変更され、維持される。生活資源の生産、交換に関する決りが経済秩序の土台となる。
ある目的に向かい生活行為(労働)が蓄積され、その蓄積(生活資源)によって作り出された環境を社会文化と呼んでいる。人々は社会文化環境を構築・脱構築・再構築しながら個体と種を維持し続けて来た。つまり、経済とは生活資源の再生産循環のメカニズムである。そのメカニズムの仕組みを語るのが生活世界の経済学である。高橋正立の厳密な経済学的点検に関してはここでは述べない。しかし、労働価値説の普遍的解釈を通じて、彼が人間の行為・生活行為の経済を展開しよとしたことを再度、見直す必要がある。
参考資料
高橋正立著 『生活世界の再生産 経済本質論序説』1988年12月、391p ミネルバ書房
2021年6月26日 フェイスブック記載
関連ブログ文書集
三石博行 ブログ文書集「設計科学としての生活学の構築」
哲学に於いて生活とはそのすべての思索の根拠である。言い換えると哲学は、生きる行為、生活の場が前提になって成立する一つの思惟の形態であり、哲学は生きるための方法であり、道具であり、戦略であり、理念であると言える。また、哲学の入り口は生活点検作業である。何故なら、日常生活では無神経さや自己欺瞞は自然発生的に生まれるため、日常性と呼ばれる思惟の惰性形態に対して、反省と呼ばれる遡行作業を哲学は提供する。方法的懐疑や現象学的還元も、日常性へ埋没した惰性的自我を点検する方法である。生活の場から哲学を考え、哲学から生活の改善を求める運動を、ここでは生活運動と思想運動の相互関係と呼ぶ。そして、他者と共感しない哲学は意味を持たない。そこで、私の哲学を点検するためにこのブログを書くことにした。 2011年1月5日 三石博行 (MITSUISHI Hiroyuki)
2021年6月26日土曜日
2015年4月18日土曜日
自己組織性の生活学の成立条件
三石博行(MITSUISHI
Hiroyuki)
吉田民人の自己組織性の科学とプログラム科学の概念
人間社科学を生命活動によって生み出される世界現象を解明するために吉田民人が提案した「プログラム科学」と、その科学の目的、つまりより良い生命活動(生活文化や社会経済活動)の在り方を探求するための技術学としての「設計科学」の基礎的な理論的探求を、吉田民人は『自己組織性の情報科学』の中で展開していた。
人間社会科学を総じて「自己組織性のプログラム」によって機能している社会文化現象の科学的理解と考えるなら、彼が1950年代に日本の社会学がパーソンズ社会システム論に影響され、その理論が当時の学会を席巻していた時代に、それにあらがい、それと格闘し、生きた社会や人間主体の生活行為によって構築されている社会機能・構造を表現するための「システム論」の構築を試みていた(「生活空間の構造-機能分析- 人間的生の行動学的理論 -」1965年)ことが、理解されるのである。
彼の自己組織概念とは生命以後の全ての存在、つまり生命、それらの生命によって構築された生態環境や文化、そして言語活動を前提にして構築された人類種の文化や社会は、その物質的存在(質料)とそれらのパターン(形相)・情報によって機能し構造化されている。その点が、物理化学的世界と大きく異なる。何故なら、それらの存在形態を構築する要素である「情報」によって、それらの存在形態が決定され、また同時にその行動やさらにはその進化も、自ら所有している「情報」によって決定されているという特徴を持つからである。
自ら所有している情報によって自らの存在形態(個体)の在り方(機能・構造)とその行動を決定され、同時に、その情報を組み替える情報を所有しているのが、吉田民人が謂う「自己組織性」の存在なのである。従って、吉田民人は、生命系や文化社会系の科学を、総じて「自己組織系の科学」と呼んだ。これらの自己組織性の科学は、それらの存在形態を決定している情報、プログラムによって機能していると考え、彼は自己組織性の科学をプログラム科学と呼んだのである。
吉田民人のプログラムと自己組織性の概念 - 「相対1次の自己組織性」・種の保存のプログラムと「相対2次の自己組織性」・生命体保存のプログラム -
生命から人間の言語や意識活動を含めて、極めて大きな枠組みを前提に繰り広げられた吉田民人の情報科学では、自己組織性の概念も極めて原則的に定義されている。
彼は自己組織性を個体の再生プログラムと変異プログラムによって、その個体が生存するメカニズムとして理解していた。つまり個体を構築するシステム(生命維持機能、文化や社会維持機能、そして言語や意識の維持機能)が行っている情報・資源処理を司る情報集合を「プログラム」と考えた。そして、その個体のシステムが再生される、つまり個体保存が可能になっている状態を同一プログラムの再生過程であると考えた。つまり、ある生物が同じ種を再生産する過程がそれに当たる。この過程を吉田民人は「相対1次の自己組織性」と命名した。
言い換えると、吉田民人の「相対1次の自己組織性」とは種の保存のための遺伝子プログラムによって可能になる生命活動であると謂えるだろう。
勿論、生態環境の変化に順応して生きている生命体は、生き延びるために個体が本来持っているプログラム(遺伝子)を活用し、それらの環境に順応し続ける。しかし、同時に、自らのプログラムを変異させ、偶然にしろ、その変異されたプログラムによって個体がその個体の子孫の生存の可能性を拡大させることが出来る。当然、それらの新たなプログラムが、新しい生態環境に適応しない事態も発生する。その結果が、つまり、種が滅びることを意味している。
しかし、プログラムの書き換えによって、種は変化し、新種が生まれ、その結果、生物は新らな生態環境に順応し、生命活動を維持してきた。それが生命の進化と呼ばれるもので、この地球上に生命体が発生して以来、プログラムの書き換えというプログラム自体に存在しているメタレベルのプログラム機能によって生命は進化を続け、この地球上に存続出来て来た。その結果として我々人類がいるのである。このように、プログラムがプログラム自体の保持・変容を可能にする機能を「相対2次の自己組織性」と吉田民人は呼んだのである。
この吉田民人の「相対2次の自己組織性」とは生命活動自体の維持のために遺伝プログラムを変異しつづけるプログラムの所在を語っているとも謂える。その結果が、生物の進化となり、そしてその進化の結果として、生命がこの地球上に存在し続ける理由となると語っているとも謂える。
これまでの生物学では、特にダーウィニズムの基本的思想の中にあった、個体保存と種の保存、そして進化の概念を吉田民人は自己組織性の科学の基本概念、プログラムの概念から最解釈したのであった。
個体保存の機能、自己組織性の運動としての「生体反応の恒常性・ホメオスタシス」について
吉田民人のプログラムとそれによる自己組織性の概念によって生命の基本的な活動、種の保存や進化は説明できた。しかし、生活活動の中で繰り広げられている「生活資本の消費と再生産過程(個体保存のための自己組織性)」はどのように理解されているだろうか。
彼は、「人間レヴェルの自己組織理論の最終的な課題は,複合的な自己組織性の解明と設計である」ために.「個人と社会」をめぐる社会科学の伝統的な課題は,自己組織理論の立場からすると,異なる自己組織性の間の相互連関の代表的な事例」であると考え、人間社会のシステムを解明するために「複合的自己組織性」と言う概念を準備した。しかし、この概念は、提案された1990年、彼のプログラム科学が提案展開された時代、十分なものではなかったのではないかと思われる。
私が提案しようとしている「自己組織性の科学としての生活学」の中の、「生活資本の消費と再生産過程(個体保存のための自己組織性)」は、吉田民人の自己組織概念からは説明できない。この概念は、当時(1950年から1960年代)、生活構造論や生活システム論を展開していた青井和夫、松原治郎や副田義也の理論を援用して形成したものである。その意味で、吉田民人が、1960年代後半から展開する「自己組織性の情報科学」の理論とは異なると謂えるだろう。
副田義也の理論「生活資本の消費と再生産過程」とは、生命活動に置き換えるなら、生命体維持のために、例えば外界の温度変化から体温を一定にするための生体機能である。これをホメオスタシス(Homeostasis)つまり恒常性と呼んでいる。この生体機能によって、我々の血圧、体液の浸透圧やpHなどが安全な領域内に保たれる。生体の恒常性は生物的な化学的な緩衝メカニズムによって、個体を外界からの物理的変化から守っているのである。
生体反応の恒常性・ホメオスタシスに関して、吉田民人は「個体の再生プログラム」という一言で説明し、それもの自己組織概念に含めているようにも解釈できるのであるが、しかし、相対1次の自己組織概念と、この生体の恒常性とは異なる。吉田民人の述べた「個体の再生プログラム」とは個体が新たに再生されるとき、つまり親から子供が生まれる時に、親の遺伝子が引き継がれることを意味し、また、人間が人間種に留まり続ける種の保存を意味している。そのため、個体自体が個体の生命を守る生命活動、つまり「個体保存」とは、意味を異にすることになる。
私が前記した生活活動での二つの自己組織性、つまり「生活資本の消費と再生産過程(個体保存のための自己組織性)」は、吉田民人の自己組織性の科学の中では、厳密な意味で、位置づけられていなかったと謂えるだろう。そして、「生活資本の蓄積と生活主体の再生産過程(種保存ための自己組織性)」は、相対一次の自己組織性として位置付けられていたと解釈できるだろう。
吉田民人の自己組織性やプログラム科学の概念を生活学に援用するためには、彼が大きく定義した自己組織概念の中に、生体反応の恒常性・ホメオスタシスを組み込むこと、そして同時に、個体保存も自己組織性のプログラムによって出現している生体、生活、社会の現実であることを了解する理論的詰めが要求されているのである。
個体の恒常性・ホメオスタシスを維持している細胞レベルの相対1次自己組織性
人々が日常の生活条件を維持するためには、睡眠、栄養補給、休息、休養や余暇を通じて、日々の労働や生活による肉体的・精神的な疲労を回復し、明日の生活や労働を担う状態を維持し続けている。この状態は人間個体の視点からは、身体的精神的な恒常性(こうじょうせい)ないしはホメオスタシス(Homeostasis)を維持していると謂われる。
吉田民人の自己組織性の概念には、上記した個体保存のために日常的に営まれる個体の恒常状態の維持の概念はないのであるが、この個体の恒常性は、視点を変えれば、個体を構築している何十億の細胞の再生過程、つまり相対一次の自己組織性によって担われている。
言い換えると、人々はその身体を構成する何十億の細胞、さらには何兆もの共生細菌の相対1次の自己組織性の生命活動によって、個体の生命活動の恒常状態(ホメオスタシス)が維持され、その個体の日常生活の維持が可能になっているのである。その意味で、人間個体の生命維持、恒常性を維持は、個体を構成する無数の細胞の再生と破棄の生命活動、つまり相対1次自己組織性運動によって可能になっていると謂える。
生活世界での相対1次と相対2次自己組織概念
生命活動のミクロレベルにおける相対1次自己組織性の運動が、マクロレベルの個体の生命維持、個体保存の基盤となっているのである。そして、生殖と呼ばれる個体の再生産によって、その種の保存が可能になっている。それが、個体の視点から観る生命活動の相対1次自己組織性の運動である。生活世界での相対1次自己組織性とは、家族を作り、そして子孫を残し、また社会文化を次の代に継承する社会活動、言い換えると伝統文化を維持し続ける活動を意味している。
生活様式や生活習慣は時代と共に変ってきた。それらの変化の基本的な要因として生態環境、政治経済環境の時間的・歴史的変化が挙げられるだろう。それを社会の歴史と呼んでいる。言い換えるとここで言う歴史とは、現在の社会がその形成の背景に持つ、これまでの生態環境、政治経済環境と生活様式(生活文化)の履歴を意味している。
生活史をマクロ的視点で観るなら、それらはこれまでの生活文化や生活様式の履歴を意味し、また、未来の生活文化も現在のそれを受け継ぎながらも変革し続けるものであると理解できる。それらの変化は上記した生態系、政治的、経済的、また現代では科学技術的環境によって決定されて行くことになる。
ある時代のある生活様式がその伝統を守るように機能することを生活世界の相対1次自己組織性と考えるなら、その伝統が生活を取り巻く環境の変化によって維持できなくなり、新しい生活環境に適応する生活様式が生み出されることを生活世界の相対2次自己組織性であると言える。
参考資料
(1)吉田民人『主体性と所有構造の理論』東京大学出版会、1991.12、 第1編主体性の理論 第1章 生活空間の構造-機能分析- 人間的生の行動学的理論 - pp3-56
(2) 吉田民人 『自己組織性の情報科学』 新曜社、1990.7、 296p
(3) 吉田民人「情報・情報処理・自己組織性 -基礎カテゴリーのシステム-」組織科学 VoL.23 4 1990、pp7-15
(4) 吉田民人「「プログラム科学」と「設計科学」の提唱 -近代科学のネオ・パラダイム-」『社会と情報』=Society and information/社会と情報編集員会[編集] 1997年11月 pp129-144
(5) 副田義也「生活構造の基本理論」、in 青井和夫、松原治郎、副田義也編著『生活構造の理論』有斐閣双書 1971.11
(6) 三石博行 「自己組織性の科学としての生活学(1) 生活資本の消費と再生産過程(個体保存のための自己組織性)」 2015年4月116日、フェイスブック記載
(7) 三石博行 「自己組織性の科学としての生活学(2) 生活資本の蓄積と生活主体の再生産過程(種保存ための自己組織性・相対一次の自己組織性)」2015年4月116日、フェイスブック記載https://www.facebook.com/hiro.mitsuishi
2015年7月3日 変更
2015年7月3日 変更
2015年4月15日水曜日
生活世界の科学の成立条件
三石博行(MITSUISHI Hiroyuki)
人間学としての「生活世界の科学」と臨床の知としての「生活技術学」
近代西洋哲学は、17世紀からの伝統として、合理的な精神や科学的な認識の追求が課題になっている。理性、意識的な志向性や自由意志などがその哲学の主な問題であった。しかし、物理主義、客観主義科学では生活世界の科学を充たすことはできないとフッサールは問題提起した。近代合理主義や科学主義を越えて新たに求められている人間社会学の科学性がフッサールの現象学から提案されていた。
勿論、フッサール以前からも、近代合理主義を伝統とする哲学の意識主義と批判する哲学の歴史はあった。意識活動を精神世界の全てであると考える意識主義哲学に対する批判は西洋哲学の伝統の中にあった。しかし、それらの批判は近代合理主義精神の形成過程で徹底的に排除しなければならなかった中世的世界観、主体と対象の区分を曖昧にして成立していた世界観に、その起源を持っているため、近代合理主義の形成にとっては徹底して排除しなければならない思想であった。
その排除によって、つまり感覚する主体、主観とそれらの主観性の入り込む余地のないすべての人々にとって公平に表れる世界、つまり客観とが明確に分かれ、感性を通じて現われる世界と数学によって記述された世界は分離し、そこに近代科学(力学)が生み出されたのである。
近代科学の形成とその成功によって近代合理主義思想が確立するのであるにであるが、近代合理主義思想の根底には物理神学(世界は神のことば(数学)によって描かれているという自然哲学・神学)がある。ニコラウス・コペルニクスやジョルダーノ・ブルーノのような物理神学者たちは神の存在を証明するために力学の研究をした。この思想からデカルトの機械論、つまり機械的世界を知る人間知の優位性を暗黙のうちに了解する思想、意識主義への批判が起こるのである。それは限りなく未知であり、限りなく不可知な世界、神の世界を認めることを前提にしていた。
意識主義が暗黙に了解した可知の世界、その武器としての哲学(当時の自然哲学、つまり今の自然科学)から、不可知な世界を認知するためにパスカルは反哲学(反自然哲学、つまり現在的に言い換えると科学的な視点以外で人間を理解すること)を、哲学(自然哲学)を行う上で必要な批判活動であると位置づけたのであった。これらの反哲学の流れは、その後、西洋哲学の中で滾々(こんこん)と続くのである。科学主義や実証主義と呼ばれる近代合理主義の伝統を汲む哲学の主流に反発する実存主義や生の哲学はその流れの中にあるとも言えるだろう。
意識主義や科学主義への反発や問いかけは、客観主義哲学への批判に留まらず、理念的人間に関する哲学的言及から生活する人間に関する哲学的言及に変更を要求することを潜在的に持っていたとも謂えるだろう。
しかし、反哲学は西洋哲学の主流に対する反抗に過ぎなかった。この反哲学の直感が、新たな時代の人間学の基礎となるたるめには、その直感に含まれている全体的な人間への理解の地平が伝統的な哲学を包み込む次元にまで展開される必要があった。
つまり、自然哲学が自然科学に置き換わり、伝統的な西洋哲学は自然現象の本質を語る権利を奪われ、また人間精神の在り方、世界の認識や了解の在り方を語る精神哲学や認識論が、心理学、精神分析や認知科学に取って代わられる中で、科学技術文明社会での哲学の役割は、人間の世界への関係の在り方に向かうことになる。つまり、世界を知ることが哲学の課題ではなく世界を生きるために知ることが哲学の課題となった。
しかし、これらの課題に近づくために、哲学は自然から社会へ、そして人間へとその探求の対象を進化させながら、その中で近代から現代への人間社会科学の形成に貢献したのである。
19世紀の終わりから20世紀の初めにかけて意識主義を超えるための試みがなされた。例えば、フッサールが展開する生活世界を構成する共同主観性、フロイトの文化的シンボルの前意識的イメージやタブーなど無意識の文化的構造やデュルケイムの集合表象概念と機能主義社会学などである。これらの思想の流れに影響されて、文化的存在としての人間に関する人間社会学が形成される。例えば、レヴィ=ストロースの構造主義文化人類学、ユングやフロムの精神分析学、パーソンズの社会文化システム論、フーコーの歴史認識論等である。その延長線上に、生活世界を課題にする人間社会学が位置している。今日の生活世界の科学を考える時、17世紀以後の哲学や科学の歴史的な流れの中で滾々と続いてきた人間や社会に関する理解の歴史的経過を、知ることが必要となるだろう。
一方、19世紀にアメリカで生活学は、エレン・リチャーズによって提案された当時から、工業社会(科学技術文明)の引き起こす生活病理に対して臨床の知としての使命を持っている。しかし、今井光映が指摘したように、細分化した生活科学分野の研究を前提にして、より厳密な生活科学として展開される中で、生活課題全体を射程に入れた生活学の臨床の知の意味は風化していく。そこで、エレン・リチャーズ以来の伝統的立場に立ち、生活病理の解明を求める生活世界の科学として生活学の在り方を考える必要がある。生活学は、物理化学や生物学の理論を背景にして成り立つ生活科学の一分野であると解釈されてはならない。
今井光映によると、生活(科)学は没価値的な実証科学ではなく、生活を全体的に理解する理解科学であり、「生活を癒すこと」を課題にする実践的な実学であると提起されている。この実践学の精神は今和次郎や篭山京など日本の生活学の創設以来の伝統的科学精神である。厳密な生活科学とよばれる自然科学の一分野に落ち着こうとしている生活学のあり方を、臨床の知のための理解科学や技術学の方向に進化させるための、生活世界の科学の認識論の課題を分析しなければならない。
自由領域科学としての生活学の成立条件
生活世界の科学が近代科学以来の伝統的な科学方法論を前提にして成立しなければならないことが課題になる。生活を科学の対象とする以上、その方法はこれまでの分析的な科学方法論、実証的かつ論理的な研究の在り方が前提になる。そのため、この科学的方法での研究は、生活科学の専門的分野化を押し進め、細かい分野に専門化することが生活科学の進歩を意味することになる。と同時にその細分化によって生活という現実が失われることを意味する。
生活は、衣食住心に関する人間社会文化の全てである。生活世界の科学は、生活を全体的に取り上げられる方法が必要である。しかし、生活全体を取り上げることで、曖昧な分析や不確かな実証性を許すわけではない。分析的であって全体的である生活学の方法とは何かが求められている。
生活という複雑系での科学的方法の問題である。学際的研究を前提にして成り立つ複雑系の学問の方法論は、異なる学問領域の論理を羅列して成立するのだろうかという疑問が生じる。しかし、生活学は、これまでの物理化学を代表とするディシプリン型科学で取られていた還元主義的科学方法論では対応できないことは明白である。
吉田民人はディシプリン型科学に対して「自由領域科学」を提案した。この自由領域科学は、例えば、生活学に適用すると、生活情報学を基礎ディシプリンとする生活諸科学の拡張ディシプリン化であると言える。しかし、その自由領域科学の生活学の形成に必要な拡張ディシプリン化は、生活諸科学を構成する色々な領域の解釈を持ち寄って、それらを並列に並べて、示すことは出来ないだろう。
そこで、拡張ディシプリンが相互にその公理を位置付けできるような、さらに基本的な定義の確立を前提にしなければならないのではないかと思われる。それをプログラム科学の公理系であると言えるだろう。しかし、現在、生活学をプログラム科学の公理系から解釈できる理論や研究はない。
生活主体を含む科学性
生活学の研究対象は生活環境である。生活環境は文化環境の一部である。つまり、生活学は生活文化の環境についての科学である。生活者の行動や考え方は、生活文化環境に規定されている。生活者の生活様式も生活文化環境に作られている。
生活者の考え方や生き方、つまり生活様式を問題にするとき、生活環境との関係で考えることは、生活学が民俗学や文化人類学から引き継いだ方法である。この考え方の延長線上に、生活を科学する(生活)主体を置くと、生活科学を研究する行為、視点、解釈、直感的な理解等々、すべて、その(生活)主体を取巻き、形成した生活環境との関係を抜きにしては語れないことに気付く。
当然、生活学は、研究対象を主体から完全に切り離すことができない。それらによって主体の認識の風景が形成されているかである。つまり、自然科学のように観測者の認識の背景に観測対象の要素が入り込まない世界とは違い、その観測対象の要素によって、観測者の観測方法、観測の理論や解釈の論理まで、影響されている。その意味で、生活学の科学性には、物理化学のような客観主義が成り立たないのである。生活学の前提条件として、もしくはその境界・初期条件として、生活主体の生活環境と生活様式として語られる文化的パラダイムが存在している。
生活主体の文化性を前提にして成立している生活様式は、人間一般の普遍的課題と言うよりも、文化的位相性を前提にして成立するものである。生活学を、文化的環境の中での生活者のあり方の理解科学であると考えれば、その前提条件として具体的な文化環境に依拠して成立している生活学の公理がある。極論すれは、エレン・リチャーズによって提案された19世紀のアメリカ生活学の公理を、そのまま日本に当てはめることは出来ない。また同様に、戦前や戦中の今和次郎や篭山京など日本の生活学の公理を、そのまま、他の文化圏に当てはめて解釈することもできないと言える。
生活構造論を論及してきた渡邊益男は、現代社会での生活構造論の課題を社会福祉の理論として展開してきた。その中で、生活構造論の基本的な視点と方法をブルデュー理論から援用しながら、研究者の自己点検を取り上げている。つまり、生活主体という立場を持ち出す事によって、生じているその生活主体中心主義を抱え込んでいるという現実である。たしかに、研究対象から生活主体は切り離せない。しかし、そのことは、生活主体の偏見を前提にして、生活学が展開していいと言うのではない。渡邊は反省の社会学という表現をつかいながら、この方法論的問題を解決しようとする。そして、生活構造論はその形成期の原点に立ち社会問題にたいする実践的な理論であることを主張する 。
生活主体を含む科学認識は、その科学が主体の文化論的な自己解釈に落ちる可能性を持っている。その点では、渡邊益男の指摘は正しい。反省学は自己解釈学ではなく、実践的な社会活動を通じての自己変革学であると考える。
自己認識を含む生活システムの概念
意識や認識に関する課題は、例えば大脳生理学、認知科学、社会心理学、精神分析等々のように、科学的な分析の対象となる。生活学が問題にする生活者の意識や生活様式の認識の課題は、認知科学や人間学の援用が必要とされるが、それだけで解決できない、生活主体の認識構成を前提にしてなりたつ世界理解であるという課題が前提となる。言い変えると、生活世界の科学の成立条件の一つである生活主体の自己認識についての理論では、認知科学や心理学の理論を生活主体の反省的理解学として位置付けた理論が問われていると言える。
反省機能とは自己の在り方について、他者性の視点を持ち込んで観測することであると考えられる。しかし、我々の思惟はあくまでも主観的である。他者性を持ち込むことは意識的には不可能である。そこで、その反省機能は自己の思惟活動の外に構築される必要がある。言い変えると、反省機能を持つシステムとは「あるシステムについて他のシステムによる描写」という難解なパラドックスを抱え込んでいる。この自己準拠のパラドックス問題を前提にしてシステムに内在する「複合性」を課題にしてみよう。
ルーマンによると、自己とは「自己自身で目指している行為や自己自身を含有する集合」つまり意識的にしろ、無意識的にしろ、自己の行為の主体として登場するものである。準拠とは「そうして自己の存立の基盤となっているオペレーションのこと」である。つまり、自己準拠はシステムの中に所謂「他者性」を含むことによってそのシステムが一種のパラドックスになること。そのパラドックスによって生じるシステム内部の回帰運動を意味する。また、フィードバックはシステムのプログラムに即してその合目的性を満たすためにシステム内部に組み込まれたデータの再解釈プロセスである。機能主義的な考えではフィードバックを反省機能と考える傾向があるため、ここでは自己準拠とフィードバックのそれぞれの概念を分けてみた。
また、システムの再生産過程はそのシステムの内部で規定された諸要素の類型に依存しながらも、外部の要素を取り入れそれらを帰納論理プログラムしなければならない。するとそこで「システムとその環境の差異」を導き出す自己観察というシステムのコントロール機能が問題になる。するとルーマンの自己準拠的システムは対象認識する主体認識の在り方に関する観測機能を持つことを前提に成り立っていると思われる。
つまり、認識対象とする科学を援用することによって、認識主体の認知過程を描写する作業が取られ、その知の体系の中に観察する自己を理解することは可能である。自己自身で目指している行為や自己自身を含む集合である自己の存在の存立の基盤となっているオペレーションを自己準拠とすれば、この自己準拠を進める過程で、自己に含ませた他者性の中で自己と他者性として語られる自己が課題になる( )。この二つの異なるシステムの差異やパラドックス状態から生じる自己認知の運動を反省と考えるなら、生活世界の科学こそ生活主体の反省の成立に欠かせない認識であると言える。
生活世界の科学は「生活を癒すこと」を課題にする理解科学の成立を意味する。その方法論は自己組織系の科学性を前提とする。その科学性は意識科学を超える自己の定義を要求され反省は、その意味で、システム認識論でいう逆説として導かれることになる。しかし、この理論も現実の生活世界の科学と生活世界の改善運動として成立する。
ルーマンの自己準拠的システム論を援護するために、哲学的に認識論の在り方を再点検する。ここで問題になることは、反省機能を持つシステム論的な認識論はあくまでも主体はシステムの内部にあると言う事である。そのために、反省を対象化した機能として捉えることはできない。つまり、それはフィードバックを反省機能と考えることではない。あくまでも、反省機能とはシステム内部のパラダイム変換を前提にしている。
参考資料
ニコラス・ルーマン 『社会システム論(下)』、恒星社厚生閣、東京、1995.10、pp797-870
三石博行 「現代科学技術批判としての反省学試論(1)」金蘭短期大学研究誌 28 1997.12
三石博行 「主体的反省機能を持つシステム論は可能か -自己準拠的システムから反省機能補助システムとしてのインタフェース・エージェントモデルへ」社会経済システム 20 2001.11
吉田民人 「21世紀の科学 −大文字の第2次科学革命− 社会科学に法則はあるか」 組織科学 組織学会、32(3)、1999.3、p23、(吉田民人99a)
渡邊益男『生活の構造的把握の理論−新しい生活構造論の構築をめざして−』川島書店、1996.2、334p(p311-315)
2015年4月14日火曜日
科学技術文明批判としての生活世界の科学の課題
現代科学技術文明社会の形成と生活(生態)環境の姿
三石博行(Mitsuishi Hiroyuki)
科学技術文明の成立を人類の歴史に刻みながら20世紀は既に終わった。しかし、他方で、科学技術文明の負の遺産、例えば地球レベルの環境破壊や科学技術の南北問題などを、未来の人類の課題に残した。21世紀のはじめから、これらの負の遺産を処理する思想や科学技術が問われることになる。この課題に知の総力を掛けて立ち向かわなければ、近い未来豊かな社会を持続することは明らかに不可能である 。
今、真剣に生活環境を改善するために有効な知のあり方が問われている。生活学は、生活者の生活環境を改善するための技術、方法に関する科学である。その意味で、知ることが生きることと直接に関係している科学である。よりよく生活する方法や生活環境を改善する技術として生活学は成立している。
貧困に苦しむ国々では、経済的に豊かな生活環境を得るための生活改善が生活学の課題になる。そして、先進国では、生活学の課題は、経済的生活の改善だけではなく、精神的な生活環境や生態環境のあり方が生活学の問題になる。
生活を豊かにするという意味は、家政学や家庭経営学の枠を超え、生活経営学という概念で歴史的に展開されてきた。家を単位にした生活空間の合理的管理方法に関する調査や研究から、地域社会や生態環境系を含む生活経営、生活者の生活環境のあり方、合理的な運営方法を見つけ出す技術学としての生活学が課題になっていた。
生活環境の問題が取り出されたのは、生態系環境問題の発生からである。わが国では、1960年代、水俣病で知られた有機水銀中毒問題は、海の汚染、食物連鎖の頂点にある魚への有機水銀の蓄積、海を生活の場とし漁業で生計を立てている人々への被害から始まる。
当時、高度経済成長をスローガンとして経済大国を目指す日本では、生活の経済的な豊さの追求に埋没していた。その工業化社会の結果から生み出された副作用として、すでに忘れられているかも知れないが、三重県四日市での四日市喘息、兵庫県尼崎での国道43号線周辺の人々の気管支炎や呼吸器障害が語られていた。しかし、1970年代に入り、環境汚染の被害者の深刻な健康破壊を報道されることで、公害問題は人々の関心を引くことになる。工業化に伴う環境汚染による生活環境破壊が日本列島の至る所で問題にされ出した。瀬戸内海の汚染や琵琶湖の汚染と、次第に大切な生活資源である水や土が被害を受けている現実が明になった時代である。
大量工業生産体制による自然環境の破壊だけでなく、大量消費生活から出される生態環境の浄化能力をはるかに超える生活廃水や廃棄物によって環境汚染はさらに深刻になっていった。しかし、その意味で、環境汚染問題の解決は、技術的に可能であると言える。例えば、工業廃棄物や生活廃棄物を資源として活用するリサイクル技術の開発や、循環型社会の経済制度の整備などが取り上げられた 。経済活動によって作り出された廃棄物は、それが生態系システムの中で浄化される限り、再び生態資源になるのである。しかし、ハロゲン化炭化水素のようにもともと自然になかった化合物を合成することで、生態系の浄化力は著しく低下するのである。
先進国での環境問題は、廃棄物を処理する技術開発や、不当投棄を禁じたり、また部品のリサイクルを義務付けたりする法的制度の整備によって、ある程度の解決の方向を見ることが可能である。しかし、貧困から抜け出そうとしている経済発展を続ける国々では、かくて1960年代の日本と同じように、公害対策に投資している余裕は民間の企業にも社会にも余りない。何より優先している経済成長を成し遂げるために、廃棄物は未処理のまま生態系に放置される。必然的に、現在の先進国が今日の経済的豊かさを手に入れるために生態系を破壊したように、これからの発展途上国も、その過程を繰り替えることは間違いない。その結果、地球は今後さらに汚染されつづけるだろう。
経済的な豊かさを求める発展途上国の人々に、豊かな国の日本の環境主義者が、その国の近代化や工業化に反対することが出来るだろうか。現在の科学技術文明と資本主義社会制度は、今後も大量生産と大量消費の社会を拡大し、地球温暖化、環境ホルモンによる生態環境破壊、資源の枯渇化問題を深刻にさせるだろう。地球規模の環境問題は、一企業や一国の技術的解決策では、防ぎようもない重大で深刻な問題となるだろう。世界規模の環境汚染と豊かな生活環境の保全と真っ向から対立する時代が来ているのである 。
この不安の原因は工業社会と科学技術文明にあると考えた。しかもその不安が、神秘主義など反科学思想を呼び起こしてきた。この反動的な現代科学技術文明批判からは、現実的な解決の手段が見つからない。科学技術文明への不安や批判は、科学を点検するための活動、科学哲学や科学認識論の研究を呼び起こしてきた。現代科学技術文明批判を課題にした哲学や思想運動の中から、近代合理主義の形成期から18世紀の科学主義の形成、さらには現代科学技術の歴史が点検されてきた。
この点検作業は、1960年代から1970年代に掛けて、科学技術を歴史、社会学、経済学などの視点から分析する科学技術論と呼ばれる学問に発展した。この新しい人間社会学は、さらに専門化し、科学技術史、科学技術社会学、科学技術文化人類学、科学認識論や科学・技術哲学となり、現代の人間社会学や哲学の主流になろうとしている。
しかし、主流になった科学技術論の分析方法や科学性は、科学主義の影を引く唯物史観、新実証主義などを活用して科学技術の分析を展開した(
)。現代科学技術文明批判は、その思想的基盤に問題を返すことなく、科学技術の活用の課題に終わったし、また、不十分な段階の問題とてして総括された。科学技術文明批判を課題にする科学技術論は、客観的科学の哲学的課題を取り上げた現象学の問題提起を継承しなければならなかった。
科学主義批判と生活世界の科学
現代科学技術文明を哲学が課題にする時、まずフッサールが試みた「生活世界についての学」という新しい学問性の成立に関する哲学的問題提起を取り上げよう。フッサールによると、「生活世界の科学」は「客観的・論理的な課題」のみでなく、その生活世界の課題が設定されている全ての学として成立する条件を、全体的に取り上げなければならないと提唱している。「客観的科学」は「客観的・論理的な課題」の一つの視点から「自然世界」を取り上げることで十分であった。しかし、「生活世界の科学」は学以前の生活自体における単に主観的で相対的な経験を、科学として取り上げる「科学性」が問われていることになる。
フッサールは、「客観的諸科学」が根拠とする客観的判断、実証的推論や論理的思惟などの述定的理論自体も、言ってみればある生活世界の中に属し、その生活世界に根をおろしている、言わばその客観的判断、実証的推論や論理的思惟を共同主観とする人々の生活世界の直感やその環境に支えられたものであると考えた。したがって生活世界を、学以前のドクサとして考えることは、判断、推論や論理的な考えが、その基盤である生活世界の前提を抜きに生じているということで、言い換えると、客観的判断、実証的推論や論理的な思惟自体が独自に成立していると考えるということになると指摘した。
この顛倒こそ、つまり、思惟がその思惟する主体の文化や歴史的条件を超えて、あたかも独自に存在していると考える客観主義や科学主義と呼ばれる新たな形而上学や観念論であるといえる。思惟を生活世界の中で生きる主体の精神現象として理解するフッサールの視点は、「客観的諸科学」の根拠としている非生活世界的な思惟のあり方を批判的に問題提起していると考えられる。
生活世界を対象とする時、現在の科学の主流が依拠する思想、客観主義的な思惟などだけでは解決しない課題、主観や相対的世界を抱えることになる。花崎皋平の「生きる場の哲学」は「知ること」を「世界との関わり」として捉え、生活の場を破壊する現代科学技術の在り方を批判し生きている人々の姿が「哲学する」姿として提起されていた。哲学は、生活世界とのよりよい関わりを見つけだす知の在り方として理解されている。
批判学としての生活学
資本主義経済と工業化社会の発達によって破壊された生活世界の復権を巡って、ここ2世紀にわたって、問題が提起された。例えば、生活環境の貧困化について、19世紀のヨーロッパでは、工業生産システムによって必要となる多量の単純労働に消費される若年労働者達が被る低賃金や劣悪な労働条件によって引き起こされた生活破壊、労災や職業病などが蔓延していた。それらの貧困化した勤労者を救済するために社会政策学が展開する。労働者階級の搾取の上に成り立つ資本主義経済構造の基本的な改革を、その解決策として展開する試みがなされていた。社会主義思想、マルクス経済学がその理論的な土台となった。
工業化によって失われようとしていた19世紀アメリカ社会の伝統的生活を課題にして、リチャーズは生活学を提案した 。このアメリカ生活学の基調には科学技術文明の引き起こす生活病理の臨床の知としての使命と、現代科学技術文明批判がその根底に流れている。
さらに日本でも、1937年の東北大冷害を契機に農村の生活改善運動に取りかかった今和次郎によって生活構造論や生活病理学が提案された。生活構造論は、戦中、富国強兵政策を目指す国家の利益を守ることを目的にして、篭山京によって研究された理論であった。しかし、その科学の志向性や精神は、戦前の社会政策論の流れを汲んで、貧困生活から勤労者を救済する目的をもっていたと言える。戦後になって、生活構造論は、貧困に苦しむ勤労者の生活改善の必要性を科学的に論証するために展開された。生活構造論は、日本独自の社会学的研究分野として発展したと、渡部益男や三浦典子らの生活構造論学説研究の中で、評価されている。その学説も形成期に於いても、社会学、経済学、医学、文化人類学等の幾つかの科学的視点を持って学際的研究として展開した。
その代表的なものを四つに大きく分類することができる。一つ目は森本厚吉らの生活向上を課題にした「生活文化論」は社会学的立場がある。二つ目は、労働者階級の生活防衛を課題にした風早八十二の社会政策論や大河内一男の国民生活研究は経済学的立場である。三つ目は、篭山京の「労働力の生理学的修復過程」の研究は労働科学的立場を挙げる。四つ目は、今和次郎の「生活様式論」や「生活病理」は文化人類学や民俗学的立場、つまり考現学的立場に立って研究された生活構造論である。
戦後になって、パーソンズの社会システム論の影響を受けた松原治郎や青井和夫が生活構造論を展開する。しかし、1965年代後半の高度経済成長期に入って、貧困生活が解決する中で、勤労者救済の目的を喪失し、学問としての指向性が失われたのか、1970年代に入ると、次第に研究への関心が失われていった。
1970年代に入って、生活構造論の伝統を受け継ぐ流れが生活学の中であった。今井光映は、家政学・生活学の発展が、生活科学として実証科学にそって展開した過程を批判的に分析している。全体的な生活を分析的に捉える方法では、生活学の精神である生活の改善を課題にすることが出来ないと今井は考えた。生活学は、没価値的な実証科学ではなく、全体論的に「生活を癒すこと」を課題にする理解科学である必要性を今井は述べている。
生活を課題にした科学、つまり生活世界の科学は、現代科学技術文明の問題を避けては通れないのである。この新しい科学が成立するためには、近代科学の伝統である科学方法論の検討が必要となった。
参考資料
青井和夫、松原治郎、副田義也編『生活構造の理論』有斐閣双書、東京、1971.11、324p
今井光映編著『改革・改名への道 アメリカ家政学現代史(1)−人間生態学〜家族・消費者科学−』光生館、1995.4、275p
今井光映、山口久子編 『生活学としての家政学』、有斐閣、東京、1991.9
F. エンゲルス 『イギリスにおける労働者階級の状態』大内兵衛、向坂逸郎 監修、マルクス、エンゲルス選集2、新潮社版、1955
今和次郎 『考現学 今和次郎集第一巻』東京、ドメス出版、1971.
今和次郎 『生活学 今和次郎集第五巻』東京、ドメス出版、1971
今和次郎 『家政論 今和次郎集第六巻』東京、ドメス出版、1971
篭山京 『国民生活の構造』1943 松原治郎編著 『現代のエスプリ第五十二号現代人の生活構造』 第9巻第52号 至文堂、東京、1971.9、pp125-137
篭山京 「生活構造の基本状態」in『国民生活の構造』長門屋書房、1943
風早八十二『日本社会政策史』青木文庫、1951
佐藤進 『現代科学と人間−人類は生き残れるか−』三一書房、1987.1、244p
長嶋俊介『生活と環境の人間学−生活・環境知を考える』昭和堂、2000.11、271p
E フッサール 細谷恒夫、木田元訳『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』、中央公論社、東京、1967.4、
花崎皋平『生きる場の哲学−共感からの出発−』岩波新書 黄板 147、1981、180p
C.L.ハント/著 小木紀之,宮原佑弘/監訳『家政学の母エレン・H.リチャ-ズの生涯』家政教育社、1980.12、358p
吉村哲彦『「生活大国」へのリサイクル』中央法規出版、1992.11、245p
渡部益男 「生活構造」概念の動態化と生活の構造的把握の理論(1) in 『東京学芸大学紀要 3部門』31、pp63-75、1980
渡部益男 「経済学的生活構造論に関する考察 -「生活構造」概念の動態化と生活の構造的把握の理論(4)
in 『東京学芸大学紀要 3部門』45、pp165-219、1994、
三浦典子 「生活構造概念の展開と収斂」 in 『現代社会学18』vol.10、No.1、pp5-27、東京、アカデミア出版会、1984
三石博行 「生活構造論から考察される生活情報構造と生活情報史観の概念について」 in 『情報文化学会誌』、東京、第6巻1号 pp.
57-63
三石博行「マルクス経済学批判と科学技術論」
in 『龍谷大学経済学論集』 第34卷1号、京都、1994.6、pp45-63
登録:
投稿 (Atom)