差別とは何か。それと向き合うこととは何か(1)
三石博行
自由主義の国家アメリカの二つの側面
アメリカと言う国は、長年、人種差別を含め人権の問題を考える人々が生活していた社会である。何故なら、この国は、宗教や思想の自由を求めてヨーロッパから逃げて来た人々が国を興し、土着民を殺戮して国を広げた。この国は、アフリカ人を鎖で縛って拉致し、奴隷として働かせ豊かになにした。奴隷解放や自由主義を口実に南北戦争を引き起こし、資本主義経済制度を基本とする国家を確立させた。メキシコの独裁政権に反対する民衆を支持しながら、北アメリカ全体に領土を広げてきた。
また、第一次世界大戦に参加しヨーロッパの専制君主制度を終わらせ、第二次世界大戦では、ドイツのファシズムや日本の軍国主義を打倒し経済合理性と統治合理性において民主主義が最も進んだ政治制度であると歴史に刻み、同時に日本に二つの原爆を落とした。戦後は、民主主義社会を守る口実で、新しい帝国主義国家アメリカを確立し国際経済を支配した。自由経済主義を守るために、一党独裁の社会主義政治思想と真正面から対決し、ベトナム戦争を行い、世界中にアメリカの軍事基地を作った。国家は東西冷戦の状態を深刻にさせながら、市民はベトナム反戦運動が起こし、公民権運動が起こし、人権や平和運動を世界に発信した。
核兵器に必要なプルトニウムを生産するために、核の平和利用という口実を設け原発を造った。化石燃料、特に石油依存社会を作りながら、再生可能エネルギーの普及を試みた。パレスチナ人を追い出すイスラエルの極右政権を支持しながら、南アフリカの人種差別制度を批判した。核兵器の拡散を阻止するとデマと飛ばしてイラク戦争を起した。テロにイスラム教の若者を追い込みながら、テロと戦いを宣言した。テロリスト容疑者を捕まえて拷問し殺しながら、それらの自国の犯罪に関する情報を大統領が率先して公開した。
世界中に便利なインターネット網を作り、世界経済を活性化する情報社会を作り、個人情報を守る制度を作り、個人情報を傍受し、ソーシャルメディアを普及させ、等々。並べれば限りがない。それらは、すべて肯定的側面と否定的側面を持っている。しかし、それがアメリカなのだ。
多民族多文化国家アメリカと差別と反差別運動の歴史
「アメリカはと何か」とか「アメリカ人とは何か」という質問に対して、「アメリカ人は差別や人権侵害と闘ってきたもっとも民主主義文化を知る人だ」と誰かが言ったとしても、「否、アメリカでは奴隷制度や黒人差別があり、原爆投下、ベトナム侵略戦争、イラン破壊戦争を行ってきた国だ」とアメリカの平和主義者や人権運動家が言うだろう。その逆も言える。「アメリカは経済や軍事力での世界覇権を行っている最悪の国だ」と言えば、「いやそれは間違いだ。アメリカは政治亡命者を20世紀初頭から受け入れて来た。アメリカの兵士の犠牲によって、ユダヤ人虐殺を食い止めた。世界中の人々が移民しアメリカ市民となり、豊かな生活を獲得した。」と大半のアメリカ市民は言うだろう。
アメリカを一つのことばで括って説明することは難しい。また、アメリカ人とは何かという疑問に答えることも簡単ではない。多様な人種、多様な考えの持ち主、もちろんファシストもいれば平和主義者もいる。多様な生活文化、南から北極圏アメリカ、アラブ、スラブ、西欧、中東、北アフリカから南アフリカまで、南から東南を経て東アジア、そして極東アジアまで、世界中から人々がやって来て、人たち民族の伝統的な生活様式を持ち込み、ここで生活をしている。文化や民族の多様性を受け入れる寛大さもアメリカである。
また、異なる人種のアメリカ人が住んでいるのもアメリカだ。言い換えると、異なる人種(アメリカ人)によって一つの国アメリカをつくっているのである。アメリカ人はとは、アングロサクソン系、アイルランド系、フランス系、ドイツ系、イタリア系、ロシア系、日系、インド系、中国系、韓国系のアメリカ人ということになる。
その意味で、この国では人種差別が国家の成立と同時に存在し、そして市民社会の確立と共に、この人種差別を乗り越える闘いが行われてきたのである。最も厳しい人種による差別があり、最も多岐にわたる生活文化に対する差別を抱えてきた国であると言える。言い換えると、未来の日本で起こる差別問題がここでは1、2世紀先に起こっている。アメリカは社会学の研究フィールドとしては最高の場所で、政策研究の先進的な課題が宝のように積まれている。
人種差別を乗り越え、新たな人種差別に悩む人々の国、アメリカ
このアメリカで最も人種差別の問題を考えている人々とは、差別されている人種に所属している人々、またそれらの人々と結婚している白人を含めて差別を受けていない人々である。例えば、黒人、アジア人種、ラテンアメリカ系の人々、中東やイラン人、つまり白人でない人々やそれらの人々間で出来ている家族、それらの人々と結婚している西欧系白人である。
多くの異なる人種や民族の移民の歴史で作り上げてきたアメリカでの異民族間の結婚は当たり前のことで、丁度、日本では異なる県の男女が結婚するようなものである。もちろん、日本でも戦前は、同郷土人同士の結婚が多かったと思われるが、戦後、次第にその傾向は少なくなっていったように、アメリカでもつい最近までは同じ人種間の結婚が多かったかもしれないが、今は、次第に、その傾向はぼやけ、異人種間のカップルが自然と多く出来ているようである。
異人種間の結婚とは、特に白人系の人々に取っては、自分たちが差別して来た人々と同じ立場に自分の子供を置くことを意味する。これは1967年の映画「Guess Who's Coming to Dinner招かざる客」の話であるが、黒人差別に反対していた新聞社のトップを務める父親が、娘が黒人と結婚することになったとき、その結婚に反対した。このように、このストーリーでの、黒人差別に反対する親の本音に潜む差別意識を表現している。父親、マット・ドレイトン氏は娘が黒人と結婚することによって受ける差別を感じ、黒人差別を批判して来た立場を返上しても、娘の結婚に反対したのだろう。
この映画はベトナム反戦運動が起ころうとしていた時代・1967年のものである。その後、2001年にはパウエル将軍がブッシュ政権時に黒人初の国務長官を務め、オバマ氏が2009年に黒人初の大統領に就任した。アフリカ系アメリカ人たちが社会的に高い地位に付くようになった。
その意味で、人種差別は無くなったと言うかもしれないが、今年の11月に警察官が銃を持たない黒人少年を殺害したり、無抵抗な黒人男性を絞殺したりしたが、控訴すらできなかったことに全米で黒人への差別に反対するデモや暴動がおこった。その中で、オバマ大統領が大統領就任前に、民主党の政治集会で、ボーイに間違えられ、同僚に「コーヒーを持ってきて」と言われたとか、笑えない話も出て来た。つまり、現実に人種差別は根強くアメリカ社会に残っているのである。
しかしながら、異人種間の結婚やカップルが益々多く生まれしている。人種の異なる両親から生まれた子供たちが益々増えつつあることは確かである。多様な文化を持つ人々が交じり合い、そして拡大する異文化生活文化や異文化地域社会文化が、移民の国アメリカの行くべき進化の方向を示しているとも言える。そのことは、同時に、新たな人種差別を生み出し、深刻化させているともいえる。
つまり、招かざる客を招いてしまって生まれた新たな社会問題が至る所に噴出しているのである。それは、人種差別を受けて来た人々との「ハーフ」と呼ばれる新しい人種の誕生と、それらの人々への新しい差別を意味するのである。そして、同時にその差別に対して、今までのアメリカ人が取り組んできたように、真剣にその問題の解決のために、社会に呼びかけ、立ち向かうことを意味するのである。
この二つの側面、人種差別をしながら大きくなったアメリカと人種差別を解決しながら豊かになったアメリカがいるのである。それは、この国の人々が、ある意味で、差別していることも、差別されていることも、隠さずに自己表現する力を持ち、またこの社会が、差別をしている現実を受け入れ、それを解決し続けようとする力を持っているからだとも言えるのである。そこに、この国の偉大さや、またこの国の若さがある。
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