2017年1月6日金曜日

やっぱり生きていることは素晴らしい (詩)

考えるまでもなく、人は自分の人生と対峙しながら生きている。

例え、どんなに幸福な家に生まれようと、
また、素晴らしい才能に恵まれようと、
生きている限り、
決して、良いことばかりではない。
苦しいことや、悲しいことが起こる。

それが生きるということだ。

ましては、恵めれない生活環境や社会に生まれ、
その中で生きるなら、
人は、もっと強くならなければならない。

自らの人生を受け止め、その現実を噛みしめ、
それを肥やしにしながら、
生きていくしかない。

それがいつか、その人を鍛え、
強く、豊かで優しい心を育て上げる。

それが生きるということだ。

どんな人も、どんな生き方も、
必ず、試練の嵐に叩かれ、
またうららな春の日差しに抱かれる。

それらが、
どんな人も、
どんな生き方にも、
強く、豊かで優しい心を贈るだろう。

それが、生きるということだ。

生きることを見つめることで、
人は、他者を想うことを知る。

生きることにこだわることで、
人は、命の重たさを知る。

詩集『心象色彩の館』 目次

高校生の政治活動への規制とは何か


昔、1965年の夏だったと思う。私は高校2年だった。ベトナム戦争の映画を観て、ショックを受けた。丁度そのころ青少年赤十字(Junior Red Cross)の活動に参加していた。青少年赤十字では「ベトナムの戦禍に苦しむお母さんに乳児用のエプロン」をつくって送る運動をしていた。その活動に参加しながらも、私はベトナム戦争に反対すべきと、部員を集めて議論をした。そのことが、学校側に伝わり、「これ以上、政治活動をするなら、退学処分になる」と部活の顧問から言い渡された。あの時、私は、まるで頭を鈍器で殴られたようなショックを受けたことを記憶している。深く傷ついた。大人たちの欺瞞。それから青少年赤十字は辞めた(辞めさせられた)。

そして、強烈な挫折と絶望感に襲われた。あの非道なベトナムでの戦争を、ついこの前、戦禍で苦しんだ我々日本人が反対できない。戦争反対という心が、退学に処されるというのだ。その不条理と不正義、それに対してあまりにも無力な自分がそこに居た。暗い青春の挫折に覆われながら、私の高校時代は終わったようだった。

半世紀もたって、同じことを高校でやっているようだ。しかも、当時の教師は戦前の教育を受けた人々であったが、今は、私と同じ、戦後民主主義の教育を一応受けている。ましては、学生時代にベトナム反戦運動や大学教育民主化運動をやった人々も多く居たと思う。それが、高校生の政治活動を行うことを規制しようとしている。

それは、選挙権をもつ人々、つまり日本の社会に責任を持つ一人の国民に対して、取るべき態度なのか。もし、18歳の選挙民に対して「政治活動の規制」を当然のことのように行う大人(教育委員会や教師)は、それらの人々に対して「君たちは子供なんだから、子供が政治活動をすることは、まだ許されていないのだ。だから、我々、責任ある大人が、君たちの行動を規制し、保護しているのです」と言うべきだ。その上で、「君たちは、選挙権を持つ国民で、選挙結果への責任は君たちにある」と同時に言うことが出来るだろうか。

若者が政治活動に無関心であることが、この国や社会では、正しい若者の姿であるとされ、若者が社会や国のことを考えないことが、望ましい若者の生き方であるとされて来た。そして、政治への無関心、投票率40パーセント以下、それが、今の私達の社会で当然のように地方から国までの選挙の姿として定着している。このことへの危機感は無い。このことが未来何を導くのかということへの不安もない。
本当に、こうした社会を作ってしまった私達、戦後世代の責任は重い。

2016年8月22日 フェイスブック記載文書

問題解決のための総合政策、俯瞰的視点とプラグマティズム的視点

Comprehensive Policy for Problem Solving: General and Pragmatism Viewpoints 

三石博行、槇和男 


要旨


 現代科学技術文明社会では、社会経済文化活動に於いて文系と理系の知識が融合状態にあり、文理融合という研究スタイルが日常的に語られる。この文理融合は政策学でも当然の研究スタイルになっている。現在、色々な分野、産業界、教育界や研究プロジェクト等々で使われている文理融合の概念に言及しながら、科学方法論、知識探求のスタイルや研究プロジェクトとしての文理融合概念について語る。中でも、吉田民人の「自己組織性の情報科学」として了解された生物学と人間社会科学の情報科学としての解釈に科学基礎論の視点から文理融合的学問スタイルの概念を抽出してみる。自己組織性の情報科学やプログラム科学、設計科学の概念から、俯瞰的・総合的政策設計の在り方を検討し、そこの必然的に含まれる文理融合型の政策学のプラグマティズム的方法論、更には設計的・反省的知のシステムとしての政策 提案と政策点検の在り方に関する提案、政策学基礎論の成立条件に関する提案を試みたい。


政治社会学会研究大会研究報告論文(三石博行 槇和男共著)  武蔵野大学 2016 年 11 月 26 日


目次 

はじめに 文理融合の概念が問われる背景 ..

1、文理融合型学問形成の歴史的意味
1-1、応用科学と呼ばれる文理融合型学問 理系中心型
1-2、多様化する文理融合型、文理共存型、文理協働型、文理相互依存型 
1-3、高度科学技術文明の社会経済活動としての文理融合型 

2、資本主義経済発展に伴う社会的要請、学問の進化形態としての文理融合 

2-1、近代合理主義から科学主義の形成 物理主義、還元主義、分析的方法の確立
2-2、産業革命、工業社会の形成 学問の専門化、細分化
2-3、市民社会の形成 多様な生活様式、商品文化の形成 文理融合型企業活動の展開
2-4、21世紀型社会構造 大衆化する科学技術文化 新たな生活様式としての文理融合型
2-5、数学的構造 文系と理系に共通する分析方法、文理融合型・文理消滅型

3、社会政治経済文化制度の中での文理融合

3-1、国家事業としての文理融合型プロジェクト
3-2、企業活動としての文理融合型事業
3-3、地方自治体主導の産学公連携事業としての文理融合型政策
3-4、カリキュラム改革としての文理融合型教育  
3-5、問題解決力としての文理融合型研究スタイル

4、問題解決のための総合政策設計方法としての文理融合

4-1、現代社会の問題解決学としての総合的政策学の課題
4-2、プログラム科学論から導かれる問題解決学としての総合的政策学の課題
4-3、政策提案活動としての問題解決型システム


はじめに 文理融合の概念が問われる背景



政治社会学会設立から今日まで、文理融合型政策学に関する研究報告活動を続けて来た。今回、第7回大会でも、この文理融合型の政策学に関する議論を行われることになった。そこで、これまでの議論を整理する必要があるが、もう一度、文理融合の概念とその概念が問われる背景について考えながら、政策学として文理融合とは何かを考えてみたい。また、政策学的方法論としての文理融合の在り方について議論を広げたいと思う。


1、文理融合型学問形成の歴史的意味


1-1、応用科学と呼ばれる文理融合型学問 理系中心型



 辞書によると、文理融合とは「大学の学部や学術研究のプロジェクトなどが、文系学問(人文科学・社会科学)と理系学問(自然科学)の両方の要素を含んだ学際的な」ものを意味する用語として用いられている。伝統的に文系と理系の区分は研究対象によって区分されており、自然を対象とする科学を理系(物理、化学、生物、地学、気象学)とし、社会や人間を対象とする科学を文系として分類してきた。その意味で、ある学問領域が文系と理系の研究対象に広がる場合、それを文系と理系の学際的研究領域、つまり文理融合型研究と呼ぶことになる。この考え方から文理融合とは文系と理系の二つの領域に跨る(またがる)研究であり、学際的研究の一部とみなすことが出来る。

 しかし、この文系と理系の中間に位置する学問としての文理融合型科学とは具体的にどの学問を指すのだろうか。一般に、応用科学分野と呼ばれている工学や農学では技術やその基礎理論(殆ど理学系の研究と変わらないのだが)が研究されている。これらの分野では、研究対象は社会経済や人間であるのだが、研究方法は理学系、つまり物理、化学、生物学、地学、鉱物学を基本とする学問によって研究されている。その意味で、これらの分野はその成り立ちから文理融合型の科学・技術学であると言えるのである。

 しかし、それらの学問は大学教育では理系に分類されている。その一例として、経営工学は、研究対象は経営つまり文系分野の課題であるが、その研究手段は理系、例えば統計学や情報処理等、理系分野で発展した方法を駆使して研究されている。そのため、経営工学は工学(理系分野)に位置づけられている。


1-2、多様化する文理融合型、文理共存型、文理協働型、文理相互依存型


 前節の分類が最近ではそのまま通用していない事態が生じている。例えば、文系分野の言語学に統計学、情報科学、計算機科学が導入され計量言語学が形成される。この計量言語学は言語学研究者と情報処理研究者の共同研究分野、どちらかと言えば情報科学の一専門分野(言語分析を専門とする情報科学の研究)として形成されたのであるが、計量言語学は理系分野の科学としては位置付けられていない。寧ろ、言語学(文系分野)の研究として分類されている。

 今日、計量科学と呼ばれる、元々理系の一分野であった計算機科学や情報科学(技術)が理系以外の研究に活用され、多くの文理融合型学問、例えば計量経済学、計量社会学、経済物理学等々の学問が形成されて来た。こうした文理融合型の学問群は、すでに、文系と理系の分類という古典的な学問体系に所属できないほど多種多様に亘り、しかも一般化しつつある。

 その意味で、文理融合型学問が、文系と理系の科学体系という伝統的な学問論の枠をはみ出しながら、新しい学問体系を求めていると言える。つまり、文理融合とは、単なる理系と文系の学際的研究つまり二つの異なるディスプリンの共存・文理共存なのか、それとも、理系と文系の研究者が共に協力しあい一つの課題を研究する共同研究のスタイル・文理協働なのか、または、文系の学問が理系の研究方法を取り入れ、より専門化する理系依存型文系科学なのか、それともその逆の理系の研究の不足を文系のアイデアを活用し、より完璧に問題解決の手段を導き出そうとする文系依存型理系科学なのか、否、それらの文系と理系は、それぞれの領域の優位性を主張し合っているのではなく、文系と理系が相互に協力し合い、新たな科学・文理相互解釈の学問を形成しようとしているのか。現在の文理融合型の研究活動や学問スタイル、さらにはそれらの結果を点検分析することによって、これらの新しい学問の在り方の意味を理解することになる。


1-3、高度科学技術文明の社会経済活動としての文理融合型


 つまり、文理融合とは何かを問いかけ、またその意味を明らかにする課題は、現代高度科学文明社会の中で必要とされている新しい科学技術の姿、総合政策学や文理融合型科学技術の形成、展開、一般化(メインパラダイム化)を目指すことになる。と同時に、その科学技術論(科学技術基礎理論)の探求が行われ、21世紀の科学技術文明社会の土台となる社会観念が形成され、そして、その土台の上に、更にその新しい科学技術が発展する契機となると考えられる。



2、資本主義経済発展に伴う社会的要請、学問の進化形態としての文理融合 


2-1、近代合理主義から科学主義の形成 物理主義、還元主義、分析的方法の確立


 学問は常に社会的ニーズによって形成されてきた。つまり、学問の細分化と専門化は、市民社会の形成と資本主義経済の発展という社会的ニーズの中でそれに寄与する学問の在り方として形成された。つまり、より合理的で、正確である知識の形成が求められ、分析的方法が形成発展した。その知識の進化の方向に形成されたものが、学問の細分化と専門化であった。さらに、成熟した市民社会、成熟した資本主義経済の形成によって生まれた消費文化や豊かな生活文化によって、より合理的であると同時に、多様なニーズを満たす生産システムが求められ、その経済社会制度から学際的で多様な学問形態が生み出される。

 そこで、学問発展の経過について社会経済史的視点を取り入れながら考察してみる。一般に科学とは古代から現代に至まで、その時代時代の世界認識とそれらの社会経済システムの形成に資するために展開した知の体系である。それぞれの時代と文化が形成維持される社会観念を土台にし、その盲目の目的を満たすために機能している知の在り方の一つであると思われる。このことを、ここでは社会文化(個人の精神構造を含む)目的意識の共有・社会的合意形成と呼ぶことにする。一般にこれを共同主観と呼んできた。この社会的合意形成を背景に、それぞれの時代の科学・時代文化的合理主義が形成された。これがそれぞれの時代の学問的方法、つまり知の探求の方法論と呼ばれた。

 取り分け、近代合理主義社会では、対象と主観を峻別する作業、デカルトのコギトに代表される主客二元論が形成され、分析的思惟はその一つの方法論として登場する。事象を対象化し、そしてより分析的に理解することは、より精密な技術を開発させ、より精度の高い計算を可能にする基本的な方法を見つけ出した。そうした分析的方法や近代合理主義によって、ブルーノやコペルニクスのキリスト教物理神学はガリレオの物理学に発展した。

 分析的実験方法を駆使して経験的に理解されたデータを統一的に表現する手法として数学が用いられた。と言うのも、当時の近代合理主義者は、世界は神のことば・数学によって書かれていると考えていたからである。分析的知識は数学的表現によって体系化されるという還元主義が形成される。この分析的方法と還元主義的方法がニュートン物理学の形成につながるのである。

 そして、ニュートン物理学の成功に影響されたフランスの啓蒙思想の中から科学主義が形成される。科学主義に影響され物理学的還元主義は他の領域の学問に過大な影響を与えることになる。それらの影響によって産業革命を支える技術学が形成された。それらの技術学はより効率的な生産システムを創りだすために、より合理的な学問の発展を促した。このことは、科学の成果(研究成果)が社会経済力に直接影響を与える時代の先駆けを作ったのである。


2-2、産業革命、工業社会の形成 学問の専門化、細分化 


 つまり、資本主義経済の発展は科学技術の発展に支えられ、その発展によって生まれた生産システムによってより強固になったと言える。言い換えると、この科学技術とは、より正確でより専門的な知識を探求するための方法論・分析的方法と還元主義的方法、一般に物理主義と呼ばれる方法論であるが、の勝利を意味した。この勝利が、その後私たちが言う物理主義の形成と発展の土台となった。

 その後、資本主義生産システムは合理的機械運動と巨大なエネルギー利用を可能にすることによって機械制生産方式を生み出した。機械制生産システムによって巨大な生産能力が得られ、生産物(商品)が国内、国外のすべての社会の隅々にまで流通し、また安価な商品生産を行うために安価な労働力の収奪と安価な生産システムが開発された。資本主義社会の社会観念に基づく自己増殖その結果は、労働者群の貧困と職業病の蔓延であり、安価な資源を獲得するための海外植民地の拡大、その争奪を巡って起こった二つの世界大戦であった。

 また、この時代の科学を発展させたのは高度な専門分野の形成、学問分野の細分化である。例えば有機化学が有機分析化学、有機合成化学、高分子化学、有機物理化学、有機電子論、さらには有機量子化学と有機物に関する化学が細分化し専門化しながら発展する。高度な有機化学系の専門分野が生まれる。この専門分野は有機系化合物を扱う企業にとって必要な学問である。有機化学分野の高度な専門知識を駆使し新しい商品開発が行われ、また商品開発によってさらに高度な有機化学系の専門分野は進化することになる。重化学工業社会の進展と化学の高度な細分化や専門化は同時並行して進むのである。その高度に専門化した知識によって新たな商品開発、生産能率の向上等が進む。


2-3、市民社会の形成 多様な生活様式、商品文化の形成 文理融合型企業活動の展開 


 大戦後の社会では独占資本主義や帝国主義に対する制御を国家が行うことが、結果的に健全な資本主義を維持できると考えた。何故なら資本主義生産を支える市場経済原理の拡大によって資本主義社会制度は形成発展するのであるが、安価な資源確保や安価な労働力の消費は、自由な市場経済の上に成り立つ資本主義経済を独占資本主義に変貌させ、その本来の目的と齟齬を起すことになる。その資本主義経済内部で生じた自己矛盾の克服のためのその内部で、新たな課題、修正資本主義、ケインズ政策、福祉国家、社会民主主義国家が登場する。こうした傾向は、経済格差を是正し、中産階級や市民層を増やすことになる。

 修正資本主義によって中間層、豊かな市民層が形成され、市民民主主義文化の形成が進む。経済的力を持つ市民社会層の形成は、豊かな消費文化を形成し、多様な商品開発が行われる。安価な商品の大量生産でなく、良質で利便性やデザイン性を重んじる商品開発が企業経営の基本路線となる。つまり、こうした社会経済の要請によって、理系中心の大量生産システムが反省され、豊かな生活文化を満たすための生産活動が、企業文化として定着することになる。消費者のこころをつかむ商品開発のために、異なる分野の学際的研究、文理融合型の研究スタイルが生まれ、商品の安全性、デザイン性、非生態環境負荷性等々の研究開発が取り組まれることになる。

 つまり、この新たな商品開発は文理融合型研究開発によって進むことになる。豊かな市民社会の登場、多様な商品開発の要請を受けて成長してきた現代資本主義社会、企業文化の中から文理融合型の開発研究が形成発展し、文理融合型の開発研究を必要とする企業の影響や要請によって他の社会機能、教育機関や行政機能にも、文理融合型の発想が浸透していくことになる。ここで語られている文理融合型とは、ポスト科学主義、ポスト物理主義、ポスト大量生産主義と結びついた新しい科学技術観(思想)を伴う課題を提起し、新たな資本主義文化の課題を示唆している。

 多様な課題を解決するために問われる知識(学問)が、学際的研究と呼ばれる学問スタイルを生み出していく。多様な問題を解決するため異領域分野の専門家が集まり研究開発プロジェクトが形成される。このプロジェクトに参加した研究者たちは自分の専門分野の課題を解決する責任分担を前提にしながらも、他の研究分野から提案されるアイデアを活用し、共同で商品開発の研究チームを構成することになる。チーム全体として、理系や文系の壁を越えた研究開発が取り組まれ、共通の商品開発という目標に向かって異なる学問領域の知識が融合し合うことになる。ここに学際的研究開発と呼ばれる新たらしい研究作業が生れ、新たな学問領域の形成が促されることになる。

2-4、21 世紀型社会構造 大衆化する科学技術文化 新たな生活様式としての文理融合型 


 一般に、学際的研究をinterdisciplinary、multidisciplinaryやtransdisciplinaryと呼んでいる。これらの三つの用語は日本語にすべて「学際的」と翻訳されている。しかし敢えて、英単語を構成する要素 例えば、interdisciplinary とは二つ以上の複数のディスプリンを援用して、問題解決を図る研究方法と訳すことができる。また、multidisciplinary とは多くの学問領域にわたる学際的研究と解釈することができる。そして、transdisciplinaryとは多分野にまたがる学際的研究であると推察できる。こうした学問上の概念で現在の文理融合型の社会経済、文化構造をどこまで説明できるか不明である。

 前節で述べた企業文化によって形成し発展した学際的研究は、学問間の融合に支えられる。例えば、生物学と物理学の学際的融合によって生物物理学や分子生物学が生まれ、先端医療研究開発の科学的知識をサポートすることになる。また環境学と経済学の学際的展開によって環境経済学が形成され、総合的な環境政策をサポートすることになる。このように学際的研究からはじまり、一つの学問が学問領域の融合化によって成立することになる。文理融合は学問それ自体から生まれたのではなく、むしろ、社会経済、文化のニーズや活動の中で生まれ、それを補助する知の体系・学際的知識体系が確立してきた。

 つまり、文理融合型研究を含む学際的研究方法は、科学史の視点から観るなら、極めて新しい学問スタイルや方法論であると言える。その意味で、文理融合した新たな学問体系の形成と呼ぶことのできる科学は、生態環境学、自然防災学等の例はあるものの、それほど多くないし、また、一般化していると言えない。更に、この科学方法論をサポートする科学認識論や科学哲学が成立しているとは言えない。勿論、これまでプログラム科学や設計科学の提案や議論の中で、学際的研究や文理融合型学問に関する考察が近年なされている。その意味で、文理融合型の方法論に関する議論は、今、始まったばかりであるとも言える。

2-5、数学的構造 文系と理系に共通する分析方法、文理融合型・文理消滅型 


 大型計算機が開発され理系の研究では理論計算による分子構造分析が行われるようになった。計算機を活用しながら理論化学、理論物理学や理論生物物理学等々の理論科学と呼ばれる分野が登場した。物理化学的物性研究から多くの実験データが生まれる。それらの中には、これまでの理論では説明できないものがある。そこで、理論化学や理論物理学の研究者たちは、仮説(新し物理学理論)を立て、それに基づいた分子構造の数学的モデル式を作る。そのモデルに初期条件と境界条件を制御しながら計算する。それらの計算結果と実験データとの近似を比較しながらモデルの修正を行う。実験データに限りなく近い計算結果を得た場合に、モデルつまり理論的計算式は正しいと推論することが出来る。これが、理論物理学や理論化学で確立した計算機科学の基本的な科学推論法であった。

 この計算機科学の数学的推論法はチャールズ・サンダース・パーク(Charles Sanders Peirce 1839-1914)が提案したアブダクション と呼ばれる方法論である。アブダクションとは、実験結果を最もうまく説明できる理論的仮説を用いて推論する仮説形成を用いた方法である。この方法は、今日、帰納法や演繹法と呼ばれる伝統的な科学的推論法に匹敵する新しい推論法であると評価されている。

 因みに、計算機科学、つまり大型計算機を活用したモデル計算方法が確立したのはマンハッタン計画(ノイマン型コンピュータを発見したジョン・フォン・ノイマン(Neumann János 1903-1957)によるウランの連鎖的核分裂反応を誘発するための計算)であった。その後、大型計算機を活用し水素爆弾開発をはじめ、国家の軍事事業に活用され、それと共にコンピュータサイエンスは発展し、今日のスーパーコンピュータが生まれたのである。この大型計算機の開発が自然科学分野の理論科学研究を可能にし、分子科学は飛躍的に発展した。それと同時に、経済学や社会学においても計算機科学の活用が起こり、計量経済学や計量社会学が形成する。これらの計算機科学群には、既に文と理の境界は消滅している。言い換えると、計算機科学は、文系でも理系でも成立している最も理想的文理融合型科学であると言える。と同時に、計算機科学の登場によって文系と理系の境界が消滅したとも解釈できる。

 21世紀の科学技術の展開に計算機科学の役割は大きい。計算機科学の普及によって、技術開発や商品開発が進み、異常気象予測、人口変動に伴う社会変化の予測等々が行われている。極論すると、計算機科学なしのこれからの自然科学や人文社会科学、それらの応用技術、それを活用した社会経済文化政策提案は考えらないと言える。

吉田民人は数学的構造を、経験的秩序原理つまり物理学(法則科学)やプログラム科学(生物科学から人間社会科学)、経験的一般化つまり経験則から峻別し、独自の秩序の構造として解釈していた。つまり、数学的構造によって生み出された新たな科学・計算機科学が、文系でも理系でもないという根拠を示していた。計算機科学とは、言い換えると、ポスト文理融合型科学の始まりを意味していると言えるのである。


3、社会政治経済文化制度の中での文理融合 


3-1、国家事業としての文理融合型プロジェクト 


政治、経済的な利益を実現するために理系の研究が利用されることを文理融合と言わない。例えば、第二世界大戦の最中に物理学者が核兵器の開発に協力するマンハッタン計画があるが、それは、政治・軍事目的で先端科学が利用されたケースであると言える。科学が軍事利用されてきた歴史は、マンハッタン計画が初めてではない。歴史的に科学は常に軍事利用されてきた。

しかし、マンハッタン計画では物理学者だけでなく、数学者、工学者(管理工学者を含む)、技術者、そして当然ながら軍事学の専門家等が参加していた。つまり、この計画は文理融合型の大型プロジェクトであると言える。

国家の利益を目的にした国家プロジェクト事業は多くの異なる専門家集団の共同作業形態を取る。経済社会制度の近代化、工業化、情報化、外交・防衛・エネルギー・食料・資源安全保障、科学技術政策、社会福祉政策等々、すべての国家事業は総合的視点に立つ国益を前提にして運営される。その意味で、この事業は政治家、官僚指導型の自然科学系専門家、人文社会系専門家、企業人や市民を入れてた総合的共同作業によって形成されている。

3-2、企業活動としての文理融合型事業 


経営体としての企業活動は、言うまでもなく利益追求を前提にした活動によって成立している。企業利益とは生産し市場に提供する商品の売買によって得られる。そのため企業は新商品開発、生産効率改善を行う。また、企業運営を合理化し支出を削減するために経営合理化、企業の社会貢献等を行う。
企業経営の専門家を文系と考えるなら、文系指導型の文理融合型活動であると解釈できる。近年、消費者文化や豊かな生活文化によって、多様な消費者ニーズに即した商品開発が進む中、情報系、デザイン系、心理学系、生活科学系の専門家が商品開発に参加し、益々、企業の文理融合型研究は進展している。

3-3、地方自治体主導の産学公連携事業としての文理融合型政策 


人口減少や経済活動の低下が進む中、地域社会の活性化政策がそれぞれの自治体で取り組まれている。例えば、京都府や京都市では、市内もしくはその近辺の大学の連携事業を助成するために大学コンソーシアム京都を援助し、産学連携事業、助成金交付、研究活動支援を行い、総合的研究開発プロジェクトや文理融合型事業をサポートしている。
一方、大学の側でも、入学人口の減少に伴い大学運営が危機的状況を迎えている。大学の社会貢献を上げることで大学の評価を高めることが課題となる。大学コンソーシアム化は全国に広がり、そこを活用した地域社会との産学連携事業に大学が積極的に参加している。

大学、地方自治体、地方産業の共通目的を前提にして、地方自治体主導の産学公連携は全国的な広がりを見せようとしている。


3-4、カリキュラム改革としての文理融合型教育 


大学ではどのようにして文理融合型の研究や教育が行われたか。伝統的な学問体系を前提しして教育制度を確立している大学では、文理融合を教育課題に取り上げ、文理融合型学部を形成したのは極めて最近のことある。しかし、その前に、すでに文理融合型の教育は課題に挙がっていた。例えば、医学倫理や工学倫理に関する教育課題である。この教育課題は、公害問題、消費者運動、医療被害による科学技術の社会的責任問題が問われ、その課題を大学教育の中で教えなければならない社会的要請があったからある。理系の学部に、教養教育以外に、専門科目として工学倫理や医学倫理が登場することになる。

その後、工学デザイン、建築デザイン、グラフィック情報処理が工学部教育で課題となり、応用科学技術系カリキュラム中心の工学教育から、デザイン、社会文化論、心理学等の科目が取り入れられた。そして、デザインを中心にして工学系教育を行う学科構成が起こり、建築学部、情報系学部等々の文理融合型の学部学科が設置された。

環境汚染、地球温暖化、自然災害や社会災害、その防災対策、等々、生態環境問題の解決や災害対策では、理工系科学技術研究開発だけでなく、文理融合型の総合的知識を援用しなければならない。こうした新しい課題から文理融合型の教育研究が大学で取り組まれ、文理融合型のカリキュラム構成が行われる。

また、工学的視点からの文理融合型教育改革だけでなく、人文社会系学部からの文理融合型教育改革も行われる。その機動力とったのが情報処理教育である。高度情報化社会では、文系教育でも、情報処理スキル教育が必要となる。事務処理、デザイン、会計処理、通信、コミュニケーション等々、社会では情報処理スキル活用しなければならない作業が多く、その基礎的知識を大学は教えなければならない。こうしたニーズを受けて大学では文理融合型の情報系の学部が設置され、ここでも文理融合型のカリキュラム構成が試みられる。

以上述べた大学での文理融合型教育の取り組みは、理系学部での文系カリキュラム導入から、学部の文理融合型カリキュラム構成である。文理融合型学部では、学生は文系理系の隔たりなく自由に科目を選択できる。もちろん、コース制によって選択可能なカリキュラム群が決められており、進路に合わせた科目群が提供されている。特に理系の学問は体系的に学ばなければ理解不可であるため、文理融合型カリキュラムの構成は言うは易し行うは難しである。実際に文理融合型学部教育を受けた学生が、社会に出て、教育で身に着けた知識を実際に活かすことが出来ているか検証する必要がある。つまり、、文理融合型カリキュラム教育の成果の検証が問われている。

3-5、問題解決力としての文理融合型研究スタイル 


文理融合の原点を問題解決力に置く教育が近年課題になっている。その背景には、理系と文系のカリキュラム構成を行うことによって文理両方の知識を与えるだけでは、問題解決力を育てことが出来ないという、カリキュラム先行型の文理融合型教育への反省がある。

問題解決力を身に着けるための教育は、問題解決を日々の仕事としている実際の社会活動の中に、そのヒントを得るしかない。このような視点に立って実際に大学教育が行われている。例えば、大学コンソーシアム京都が取り組んでいる企業研修、同志社大学PBL支援センターが取り組んでいるPBL教育、国際基督教大学のサービス・ラーニング等々が挙げられる。青山学院大学社会情報学部では、問題解決能力教育を文理融合型教育基本課題に置き、「コミュニケーション・スキル、数量的スキル、情報リテラシー、論理的思考力、問題解決力 、自己管理力、チームワーク・リーダーシップ、倫理観 、市民としての社会的責任 、生涯学習力」の習得を課題にした教育が行われている。そして、中等教育課程、中学高等学校ではコミュニケーション・スキルを課題にするグループデスカッション、アクチィブラーニング等の学習方法が取り入れた教育カリキュラムが作られている。

ここで語られる文理融合とは問題解決に必要な総合的な知識である。その知識が、文系であろうと理系であろうと、それらは問題解決のための道具に過ぎない。目的は問題解決である。問題解決の道を切り開く力、問題解決力がまず必要である。問題に立ち向かい必要な知識を学ぶこともその一つである。それが一人の力では不可能だと理解し、問題解決に必要な知識が何かを理解し、それらの専門家を探し、集め、共同で作業を企画する能力も必要である。コミュニケーション・スキルやチームワーク・リーダーシップを身に着けない限り、問題解決の道筋を見つけることは出来ない。自分の知識の限界を知り、その限界を自分一人で乗り越えようとするのでなく、多くの協力者たちと共に解決する努力を行う。それが問題解決のために文系と理系の知識を総動員する文理融合型問題解決の基本であると考えた。そして、問題解決のための科学として、近年、知的生産の技術、問題解決学、臨床の知、総合政策学という学習方法や学問が提案されてきた。

例えば、文理融合の代表的学問であると言われる環境学も異なる専門知識・専門家のチーム形成によって成立している学問分野である。この学際的学問は、これまでの個別科学の研究によって得られた研究成果を、環境問題を解決するための科学・環境学の中にまとめたものであると言える。その意味で、これらの学際的学問は、それを構成する専門的学問の方法論を前提にして、そこで、それらの専門的知識を共有し、協働化し、相互解釈し成立している学際間コミュニケーション・コミュニティによって成立している研究活動であると言える。その意味で、この研究活動に最も必要とさているものは、コミュニケーション・スキルやチームワーク・リーダーシップである。

社会では、問題解決型の活動は日常的に執り行われている。政策、行政、経済、社会、生活活動はすべて問題を解決するために行われている。その意味で、今更ながら、大学教育がそれを取り上げるまでもなく、文理融合型の方法論は実際、社会では常識であり、文理融合型方法の大衆化が成立している。


 4、問題解決のための総合政策設計方法としての文理融合 


4-1、現代社会の問題解決学としての総合的政策学の課題 



21世紀の高度科学技術文明社会での政策学の在り方を問うために、その方法を考えるために、私たちは文理融合と言うのは科学的方法を用いて政策提案を行う学問、政治社会学を目指し、この学会を設立した。そして、政策学の科学的方法論を伝統的な科学的方法論、演繹法、帰納法、経験的実証主義、論理的実証主義、統計的方法、モデル実証主義、アブダクション、機能主義、構造主義、解釈学的方法、現象学的方法、エスノメソドロジー等々、自然科学や人文社会科学で活用されている科学的方法論に当てはめて検討してきた。それらの科学的方法論は、それぞれの政策提案と政策実践の現場で、それぞれ有効に利用されるだろう。どの科学的方法論が、文理融合型科学的方法、もしくは脱文理融合型科学型科学的方法であると判定することは、現在出来ない。

人文社会科学の歴史を観る限り、学問形成と科学方法論の提案は常に一体化している。それは自然科学の場合も同様で、演繹法、帰納法、実証主義を総括した経験主義や数学的還元主義主義は物理学を中心とした自然科学の発展と同時に成立している。経験主義を前提にして成立していた自然科学の全ての分野が数学的還元主義主義化された。これを物理主義と呼んでいる。そして、今、計算機科学という文理融合型・文理消滅型科学の登場によって、ポスト物理主義が科学方法論の主流の一つとして形成されようとしている。このポスト物理主義の彼方に21世紀の新たな科学が展望できるのか検討しなければならない。その新たな科学方法とその実践的な応用技術学を活用し、かつそれらの実験結果、方法の活用結果をフィードバックする科学技術としての総合的政策学とその科学技術方法論が問われている。これが、ここで課題にしたい問題解決型の総合的(文理融合型)政策学である。この学問は、現在問われる問題の解決に資することを条件にしながら成立する。

これまで、問題解決のための学問は提起され実践されてきた。これらの学問の在り方を学ぶことによって総合的政策学の可能性が見えてくる。例えば、近代化する生活環境の中で課題になる生活病理学の解決方法としての考現学、情報化し総合化する知の集合環境の中で知的生産能力を高めるがために開発された知的生産の技術、学問を具体的な社会文化環境の中で生じている課題への実践的な解決方法として位置づけた問題解決学や臨床の知、また、失敗の構造を分析しその失敗から得られたデータをフィードバックしながら技術や制度の改善を科学する失敗学、等々、日本では社会や生活現場の課題を具体的に解決するための技術学が提唱、展開、成立してきた。

21世紀の社会では、科学技術は、深刻な課題解決のために発展し続けている。例えば、地球規模の環境問題を解決するための環境生態学、高度に発展した科学技術文明社会、巨大都市、その機能を担うインフラ、電力、情報、交通、流通機能、さらには巨大なエネルギー生産拠点、原子力発電や巨大火力発電、水力発電等々の破壊をもたらす自然災害、その災害の安全対策と危機管理を研究する防災学、国際政治経済等々、グローバリゼーションを今日推進している高度情報化社会、そのインフラである大型計算機やインターネット情報網の安全保障と同時に問われる民主主義の課題、多くの課題が政治社会学のテーマとなっている。この21世紀型政治社会の問題群への有効な解決手段が総合的政策学の課題なのである。


4-2、プログラム科学論から導かれる問題解決学としての総合的政策学の課題 


総合的政策学の成立は、これまでの学問とことなる課題を持ち込んでいる。それは問題解決という社会実験によって学問が提唱する理論や方法論が検証され、問題解決され改善された社会現実によってその学問の有効性が確認されないということである。つまり、この科学はすべての社会と生活の現場(自分の生活している世界)を実験の場としていることである。その意味で、先ず、第一に、問題解決力を唯一の科学性とする。そして、同時に、その問題解決の対象を限定している。つまり、自分のいる世界と自分が理解している科学的認識は同一パラダイム空間にあるという前提条件を持つことになる。その意味で、ここで課題にしている総合的政策学は、エスノメソドロジー的な視点を持つ問題解決学であるともいえる。

吉田民人の新科学論では、これまで文系理系に分けられてきた旧科学論に対する批判がある。彼は、科学を規則の学として解釈した上で、文系理系と分けられている既存の科学体系を、自己組織性の情報を持つものと持たないものに分け、自己組織性の情報を持たない法則科学と自己組織性の情報を持つプログラム科学に大きく二つに分類した。さらに、自己組織性の情報を持つプログラム科学を情報構造が物理化学的に構造化され固定しているシグナル性情報と情報構造が変動 (ソシュール言語学で言う共時性と通時性の変動) し続けるシンボル性情報に分類し、生物学をシグナル性情報科学と呼び、人間社会科学をシンボル性情報科学と命名した。

法則科学とは、物理学や化学を中心にした自然科学で、物理や化学の法則は法則自体が自分勝手にその規則を変えることはしない。また、決められた規則に即して決められた自然現象が再現する。きめられた規則があるに拘わらす勝手に色々な自然現象が起ることはない。これが法則科学の特徴である。吉田民人は、法則を変容不能で背信不能な規則と定義した。

次に、生物学を代表するシグナル性プログラム科学は、遺伝子・シグナル性プログラムの規則性によって形成された科学である。生物は、シグナル性プログラム・遺伝子配列によって、その生命機能、生体構造、生理反応、生物行動が決まる。一旦成立している遺伝子配列はその配列から生じる反応を状況に応じて勝手に変更したりしない。生物界の規則は遺伝子が継承される限り維持される。つまり個体を超えて遺伝子情報が変わり、同種内部では、遺伝子は自らを複製し続ける。これを一次自己組織化と吉田民人は命名した。しかし、何らかの理由によって遺伝子・規則が変わることが起こる。自ら規則を変えることができる力を二次自己組織化と呼ぶ。生物はそうして種を維持し、あるひは種を変貌させ(進化と呼んでいるが)、最大の目的である生命の維持を可能にしてきた。吉田民人はシグナル性プログラムを変容可能で背信不能な規則と定義した。

さらに、人間は、上記のシグナル性プログラムによって維持されている生物であると同時に、言語活動によって作りだされた文化的環境の中で生る社会的文化的存在でもある。人間特有の言語や表象等をシンボル性プログラムと吉田民人は命名し、そのプログラムによって形成された世界(人工物の世界)に関する科学・人文社会系科学をシンボル性プログラム科学と呼んだ。シンボル性プログラム(言語)は人間独自の規則性の世界、社会文化生活環境を創りだしている。言語や文化の多様性を見ると分かるように、シンボル性プログラム(言語的規則性)には物理学や化学のような法則ではない。また一旦、法則によって決まった解釈をその規則性の変更がない限り変更することがない生物学の規則とは違い、状況に応じて、規則は際限なく解釈され続け、或いは、意味(解釈)が多様に変化する。これを言語学では通時性と呼んでいる。これがシンボル性プログラムの特徴であり、この特徴を前提にして人文社会学系科学は成立している。吉田民人はシンボル性プログラムを変容可能で背信可能な規則と定義した。

吉田民人が言う俯瞰的科学とは、法則科学とプログラム科学全体を意味する。その意味で、私たちが言う文理融合型科学はその中に含まれる。しかし、この俯瞰的科学の視点も文理融合型科学の視点も、いずれにしても、問題解決型の科学にとって、科学の分類学を示したということに終わる可能性がある。その意味で、旧科学論から新科学論に科学を再解釈することによって、私たちが目指す問題解決の科学の形成が可能かと言うことが課題となっている。言い換えると、文理融合型の科学を目指すにしろ、また新科学論的俯瞰的立場に立つにしろ、それらの二つが、果たして問題解決学が成立し資するのかという疑問を抱かざるを得ない。つまり、問題は、知は力なりという近代科学の成立思想を前提にしながらも、今我々の理解している限りの学問的方法として、問題解決学が形成できるのかという疑問に答えなければならない。


4-3、政策提案活動としての問題解決型システム 


実践的に問題解決力を持つ政策科学を目指すことが文理融合型政策学を課題にした原点であった。この問題提起の原点に立ち返るなら、文理融合型政策論の科学的方法論や科学認識論を課題にすることの意味と同じく、問題解決型の政策の技術論を提案することの意味を理解しておく必要がある。従って、文理融合とは問題解決の一つの手段や方法であり、問題解決力を得るという本来のテーマに総合政策学の方法論に関する議論を戻すことにした。

既に前節で述べたのだが、大学や学会で文理融合型教育や研究の方法論が語られる以前に、すでに国家事業として文理融合型総合プロジェクトが形成され、長期的視点、国際政治的視点に立った国家戦略の一環として取り組まれていた。また企業でも文理融合型事業が意識的に企画され、時代や文化に合った商品開発が取り組まれていた。つまり、日本学術会議を中心とする学術団体での文理融合型研究や文部科学行政を中心とする高等教育機関、大学教育での文理融合型教育が、時代の要請から遅れていると言うことに気付く。その意味で、この学会内部で、また大学人だけで、文理融合型研究や教育を語ることが時代的要請からずれていると疑う必要がある。

それを解決するためには、幾つかの参考事例がある。その一つの事例は、地球温暖化対策を課題にした活動である。学際的な視点から地球環境学や気象学の研究が行われる。その研究は自然科学(物理学、化学、生物学、地学、地理学)から成り立ち、その温暖化対策の政策的研究は人間社会科学(経済学、社会学、政治学、法律学、行政学、文化人類学等々)によってサポートされている。この学際的研究は、異なる専門知識・専門家のチーム形成によって成立している。チームとしての研究とは、それを構成する専門的学問の方法論を前提にして、その組織が、それぞれの個別分野の専門的知識集団と共存し、協働化し、相互解釈する、異分野専門家コミュニティを形成し、異分野専門家間でのコミュニケーションの方法を確立しなければならない。つまり、コミュニティの在り方やメンバーのコミュニケーション能力が問われ、また研究チームリーダーのチームワーク・リーダーシップが問われる。学術的方法のみでなく、近年日本の大学教育で取り組まれている課題、コミュニケーション・スキル、問題解決力 、自己管理力、チームワーク・リーダーシップ、倫理観 、市民としての社会的責任が問われている。実際、この課題を前提にして地球温暖化防止を課題にした政策活動が展開されている。

工学教育や研究活動の中からも、総合的政策学と共通する提案がなされている。吉川弘之氏が提案、展開している設計科学はその一つである。工学を人工物デザイン科学学と解釈し、そこには、単に物理学を中心とする法則科学的視点からの研究だけでなく、文化、生活、経済、社会、福祉、心理そして風土を含む総合的デザイン学として理解する。その意味で、設計科学は文理融合型総合科学である。吉田民人は設計科学を人工物プログラム科学と呼んでいる。

問題解決型の学問を、吉川弘之氏の設計科学的視点と地球温暖化対策総合チームの二つの事例を参考にして考えるなら、社会変革活動を前提にした政策提案活動であり問題解決型システムであると言える。そのために、問題解決型システムとして学際的学術間・政策活動企画集団間の協働関係を保証する制度が必要である。そして、同時に、このチームを指導するリーダの指導力やチームワーク、情報交換、コミュニケーション能力の開発等々の課題が取り上げられる。言い換えると、問題解決型学問は、学際的研究機関や大学の枠を超えて、問題提起をしている社会主体、ステークホルダー、市民と共に形成する以外に方法はない。伝統的学際研究の枠を超えた活動が私たちに問われている。

問題解決の課題を理論的に理解するだけでなく、そのための実践的な技術や方法を獲得しなければならない。そのためには、必要とされている専門的知識や技術を持つ人々と共同しなければならない。さらに、それらの知識や技術を実際の問題解決に活用し点検しなければならない。ここまでは、これまでの科学技術の知識と同じくその有効性が知の論理力や実践力として理解される。しかし、問題解決とは誰にとっての問題解決なのかという条件が常に付きまとう。言い換えると、問題解決とは立場の異なる人々によって、その意味を異にする。そうなると、問題解決学には、問題を抱えた社会生活空間を前提にして成立していることが前提条件となっていると言える。さらに、それらの問題解決を求める社会生活空間に生きる人々の多様性が問題解決学の要素として必然的に入り込んでくる。言い換えると、こうした問題解決対象の複雑系のみでなく、問題解決主体の複雑系を前提にして成立しているのが現実の問題解決の場の状況である。

このように、問題解決の科学、政策学は多くの課題を抱えている。それらの課題は、科学的整合性を前提にして成立している論理実証的な平面世界では、その展開を見出すことが出来ない。つまり、論理的整合性を重んじるこれまでの科学的方法と共に、その問題の解決を目指す時代的文化的生活主体と彼らを取り巻きそして彼らの意識や精神構造を決定している環境(それは時間的に変化し続けるのであるが)を理解する方法論が必要とされている。言い換えると、総合的科学知識と現実的生活行動の二つの異なる軸足をもった新しい科学として政策学を構築しなければならない。

今、この政策学的方法に適した呼び方を見つけることが出来ないが、敢えて言うなら、俯瞰的視点とプラグマティズム的視点に立つ問題解決のための総合政策学と呼んでみたい。



政治社会学会研究大会研究報告論文   武蔵野大学 2016 年 11 月 26 日