昔、1965年の夏だったと思う。私は高校2年だった。ベトナム戦争の映画を観て、ショックを受けた。丁度そのころ青少年赤十字(Junior Red Cross)の活動に参加していた。青少年赤十字では「ベトナムの戦禍に苦しむお母さんに乳児用のエプロン」をつくって送る運動をしていた。その活動に参加しながらも、私はベトナム戦争に反対すべきと、部員を集めて議論をした。そのことが、学校側に伝わり、「これ以上、政治活動をするなら、退学処分になる」と部活の顧問から言い渡された。あの時、私は、まるで頭を鈍器で殴られたようなショックを受けたことを記憶している。深く傷ついた。大人たちの欺瞞。それから青少年赤十字は辞めた(辞めさせられた)。
そして、強烈な挫折と絶望感に襲われた。あの非道なベトナムでの戦争を、ついこの前、戦禍で苦しんだ我々日本人が反対できない。戦争反対という心が、退学に処されるというのだ。その不条理と不正義、それに対してあまりにも無力な自分がそこに居た。暗い青春の挫折に覆われながら、私の高校時代は終わったようだった。
半世紀もたって、同じことを高校でやっているようだ。しかも、当時の教師は戦前の教育を受けた人々であったが、今は、私と同じ、戦後民主主義の教育を一応受けている。ましては、学生時代にベトナム反戦運動や大学教育民主化運動をやった人々も多く居たと思う。それが、高校生の政治活動を行うことを規制しようとしている。
それは、選挙権をもつ人々、つまり日本の社会に責任を持つ一人の国民に対して、取るべき態度なのか。もし、18歳の選挙民に対して「政治活動の規制」を当然のことのように行う大人(教育委員会や教師)は、それらの人々に対して「君たちは子供なんだから、子供が政治活動をすることは、まだ許されていないのだ。だから、我々、責任ある大人が、君たちの行動を規制し、保護しているのです」と言うべきだ。その上で、「君たちは、選挙権を持つ国民で、選挙結果への責任は君たちにある」と同時に言うことが出来るだろうか。
若者が政治活動に無関心であることが、この国や社会では、正しい若者の姿であるとされ、若者が社会や国のことを考えないことが、望ましい若者の生き方であるとされて来た。そして、政治への無関心、投票率40パーセント以下、それが、今の私達の社会で当然のように地方から国までの選挙の姿として定着している。このことへの危機感は無い。このことが未来何を導くのかということへの不安もない。
本当に、こうした社会を作ってしまった私達、戦後世代の責任は重い。
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