2013年11月25日月曜日

小泉さんの原発ゼロ発言に思うこと

フェイスブックに記載した文章

三石博行
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小泉さんの原発ゼロ発言に思うこと



自民党をぶっ潰すと言って、自民党を選挙で勝利させて小泉元総理、その政治家としての感性は天才と言うべきだろう。彼が今原発ゼロを言うのは、その天才的な政治感覚によるものだと思う。今、日本国民の世論を問い掛けるまでもなく、未来の日本の在り方を考えるなら、誰でも小泉氏の考えに賛同すると思う。この問題に右も左もない。自民党も共産党もない、日本人も中国人もない。これは人類の未来、地球の未来の問題だ。


脱原発を主張しながら、もし小泉氏を批判したかったら、小泉氏以上の政治力を持つべきだろう。問題は未来への我々の責任問題のみだ。未来から見れば、自民党支持者もその反対者も同じ2013年に生きていた人間に過ぎない。今我々が、100年前の日本を見ているように。その視点から、現在の小さな政治的見解の違いを超えることはできないか。もし、彼に騙されたとしても、その大半責任は私の力量にある。それよりも、今、息を吹き返そうとしている原子力村(原子力官僚と原子力独占企業たち)への対策を考えることだ。


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本当に国民は再稼働を認めているのだろうか



日本国中どこへ行っても、「核燃料廃棄物を埋めていいですよ」という町はない。それほど日本国民は核燃料が危ないこと、また我が国の国土がそれを10万年も安全に保管できないことを知っている。しかし、不思議なことに、原発をゼロにするという考えに賛成しているのは国民の半数だといわれている。すると、国民の半数近くの原発再稼働に賛成な人たちは、核廃棄物を自分の家の下に埋めてもいいと思っていることになる。もしそうでなければ、自分の町でなく遠くの町に埋めればいいと思っているのかも知れない。しかし、それを公言する勇気があるだろうか。「いや、私の地域はだめですが、あの地域なら大丈夫でしょう。人口も少ないし、大した産業もなさそうだし等々」と言えるだろうか。そう考えると、このアンケート結果は実に本当に不思議である。みなさんはどう思いますか。


日本では核燃料の再利用は絶対に可能になるといわれ続けてきた。それにも関らずその技術は完成していない。そればかりか核廃棄物はどんどん溜まり続けている。行き場をなくした廃棄物を原子炉の上に置いてあった。それのことが、福島原発事故時に二次災害を引き起こし可能性につながった。また、原発事故の後にも、廃棄物を安全に取り出すために3年近くの時間が必要だった。


その間に大地震が来ると、今回の事故以上の放射能被害が起こる可能性があった。そのリスクはまだ残っている。それが日本での現実の核燃料をめぐる現状である。それでも、核燃料は必ず再利用できるのだと言い切る人々がいる。その発言への責任を未来取っていただけるため、何かを担保にしておく必要がある。もし、災害が起こった場合には、彼らは自らの決断や発言への刑事的責任を取る覚悟を、今、聞いていた方がいいかもしれない。しかし、彼らは、そんな覚悟はない。起こったら起こったでしかたがなかったと言うだろう。今回の事故のように。何ということだろうか。しかし、これが現実なのだ。


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原子力ムラの巻き返しとマスコミの茶番劇



福島原発事故の直後には、マスコミやジャーナリスト、そしてテレビのトーク番組にに出演している人々の口から「再稼働すべき」とか「原発廃棄物処理は問題ない」とか「すべてのエネルギー利用によってバランスのよい電力供給体制を作る必要があり、原発をゼロにするのは得策ではない」とか言う発言はなかった。

しかし、今、テレビの画面では、そうした発言が主流を占めようとしている。電力会社が言っているのではない。専門家と、ジャーナリストや番組出演者が言っている。そんな中で、小泉元総理が「原発ゼロ」を訴えている。さて、こんどは、彼らはどう反応するのだろうか。小泉発言は暴言だと言うのだろうか。それとも、原発再稼働を勧める発言は控えるのか。


国民はこうした茶番といつまでも付き合う必要はない。もうテレビを消して、町にでよう。町のみんなと話しをしよう。君は大飯原発や美浜原発が再稼働されるのに賛成、それとも反対。その理由は。井戸端会議、犬の散歩中に、食事の最中に、そんな話が率直にできる社会を作りたい。本当の世論を作るために、生活の場の生活の実感から語る必要はないだろうか。


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放射能汚染水問題の解決を急がなければならない


今日(2013年8月8日)、福島原発の汚水もれ(海洋への)について二つのニュースがあった。一つは国内のニュースで、「国民の関心のある」汚水による海洋汚染防止策を東電に任すわけに行かないと安倍総理が述べた。そして政府として対応すると宣言した。国を挙げての対応を急ぐべきだと思う。二つ目は、アメリカからのニュースで、汚水によって太平洋が汚染され、米国が放射能汚染被害を受ける可能性があるという内容だった。放射能汚染水の海洋への放出は北陸の漁民、日本の国民、そして世界の人々の健康障害にかかわる問題であることを忘れてはならない。我々日本(人)はそのすべての責任を負っている。


超高度放射能汚染水の海洋への流出はメルトダウン(メルトスルー)を起こした福島原発事故から当然帰結できる結果であった。今更、東電の対応や情報公開に問題があったと言うことでは済まさらない。これは日本という国が世界に対して背負うべき責任問題なのだ。すべての国の力を総動員し、緊急に対応しなければならないだろう。この問題の解決に右も左もない。政治的意見、企業的利害、エネルギー政策上の違い(反原発派も原発マフィアも)、すべてがこの問題を解決するために力を合わさなくてはならない。本当に凍土法がいいのか。どんな方法があるのか。国全体の英知や技能をかき集め、問題解決に当たるべきだと思う。それは対策本部の役割だ。


汚染水問題は、内向きの日本の政治や社会文化の在り方を問いかけています。海洋汚染は地球の問題ですから、内向き、つまり国内や組織内部の問題で回答を見つけることは不可能だと思います。世界は常に我々の対応をウオッチしています。脱原発を主張しているから、この問題に対する責任がないのではありません。世界から観れば、脱原発者の日本人も、原子力村の日本人も、同じ地球規模の放射能汚染の問題から、避けられない立場にあるのだと思うのです。






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