民主主義の危機(2)
三石博行
「1月7日、上京中の翁長雄志沖縄県知事はサトウキビ関連交付金の要請のため面会を求めていた。しかし、西川公也農林水産大臣とは会えなかった。また、農林水産省が日程を理由に沖縄県に断った。」ことが事実なら、情けないということを越えて、重大な民主主義社会の原則に抵触している。そして、この問題は、先の安倍内閣が12月に行った衆議院解散総選挙の手法と類似した、所謂、党派的な利益に基づく、政府の判断と類似している。
この問題を、今、マスコミや世論はどのように取り扱っているのだろうか、気になるが、しかし、ここでは、この問題の示す課題について述べたいと思う。
議会制民主主義社会では、多数派の政党が政府を構成するのは当然だ。そして選挙で多数と取った政党の政治公約をよりスムースに実行して行くことが、このことで可能になる。多数派政党が政府機関を運営することは議会制民主主義では当然のことである。
しかし、政府は政党は異なる。政党は政治的見解や利益を主張するために機能している。しかし、政府は憲法に即して国民全体の権利(人権を含む)や利益を擁護するために機能している。どの政党も選挙で多数を占め、政府を構成した時から、政府としての役割を担わなければならない。つまり、政府とは国民全体の利益を第一に考えるべきなのである。
政府閣僚と自分たちの支持母体である政党の意見が食い違うことも生じる。もちろん、選挙で国民は政党の示すマニフェストを選択したことになるので、その意味で、多数派政党の政治的方針は優先される。その優先を示すのが総理大臣の任命であり、多数派政党に議会で任命された総理大臣によって内閣が組閣されるのである。
多数派の政党の政治的方針(政策)は、議会での立法作業を通じて具体的に、行政機能である政府に提案され、政府は成立した法律に従って行政機能を行うことになる。もちろん、政府からも議会に法律が提案されるが、法律は議会によって決まる。これが民主主義を保証している三権分離の原則である。
今回の、西川公也農林大臣が翁長雄志沖縄知事の訪問を拒絶したという事の原因が、沖縄知事が自民党と対立した政党によって選ばれたからであるなら、これは重大な民主主義制度への挑戦であると言わざるを得ないのである。
また、政府が反対派の政党の議員を無視したり、自分たちと政治的見解を異にする人を排除したりすることも、同様に、憲法違反の行為であると受け止められるだろう。
何故なら、民主主義にとって、最も、危険な思想は「反対派を排除する考えや行為」である。反対派を排除することは、同じ国家に異なる意見の人々が共存している事実を拒否することを意味する。そもそも、選挙を行う行為は、違う意見が存在するから成立している。違う意見の中で、「取り敢えず今回の決定は、意見の多い○○の立場を選びます」ということで選挙が行われる。だから、選挙を行う社会では、反対派の存在が前提となって社会があると言ってよい。それを民主主義社会と呼んでいる。
琉球新報一面 1月7日 |
西川公也農林大臣のこの行為は、第二世界大戦前、選挙で多数を占めたドイツナチス党の行った行為、つまり、選挙で勝った後に、選挙を中止し、国会を閉鎖した行為とよく似ているとは言えないだろうか。国会議員選出の選挙に勝った政党は、その国会議員の仕事の場、議会を閉鎖し、政治的意見の異なる反対派を排除することが許されるなら、選挙自体が選挙で選ばれて政党によって否定されることになってしまう。
今回の選挙で、多数を占めた自民党政権が選んだ内閣、その一人の閣僚、農林大臣が、沖縄県民が選んだ知事の面会を拒絶したという事は、「沖縄県人の代表者を日本国民とは認めない」と西川公也農林大臣が宣言したようなものである。
選挙によって、新たに多数を占める政党が主導することで政府の構成メンバーは変わる。もし、政府が反対派の国民を排除するような国策を行うなら、議会制民主主義で担われる政府機能は崩壊するだろう。もし、政府が政治意見の異なる人々への国民サービスを拒絶することが可能なら、国内では暴力的な政府への反対運動が起こるだろう。
こうした行為が、いずれ危険な政治的事態を招くことを知らない人が、実際、日本の政治を行っている。民主主義を知らない人が政府の機能を独占しているのであるから、我国の民主主義は簡単に危機を迎えることになるだろう。こうした政府と政党の違いを理解しない人々を選んでいるのも私たち国民である。そのことに、深く気付き、この事態が引き起こす民主主義社会の破壊を食い止めなければならない。
フェイスブック投稿 2015年1月11日
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