2015年4月14日火曜日

今再び、文理融合型政策の意味を問う

201538日 関西政治社会学会第2回研究会 (同志社大学今出川キャンパス)


政策方法としての文理融合か政策の内容としての文理融合か



三石博行(Mitsuishi Hiroyuki)


はじめに、「文理融合」型政策設計の何が問題なのか


当然のことだが、社会の時代的文化的な構造がその社会経済や文化の制度設計やガーバナンス、つまり、それらの構造や機能、運営、に関する改革や構築を進めている。そして、その制度設計やガーバナンスによって、その社会の発展(進化)の方向、経済文化的合理性、生活文化環境やそれを構成している人々の精神文化が構築・再構築される。その意味で、科学技術文明社会と呼ばれる私たちの社会での政策研究にとって、科学技術の理解、さらにはその応用、またその発展が、政策提案や改革の大きな課題となっていることは今更言うに及ばない現実である。

政治社会学会は、この時代的な要請を積極的に受け止め「政治学、経済学、法律学、社会学などの個別科学を超え、自然科学的知見を取り上げ、現状分析に基づくプログラム設計を中心とした問題解決型の新学会を目指し201011月に発足しました。」(政治社会学科HP) つまり、政治社会学会にとって「政治学、経済学、法律学、社会学などの個別科学」の一部として政策研究をするのでなく、「文理融合」的知識を前提として現代社会の政策研究は展開すると述べたのである。

この政治社会学会の提案は至極当然のことであり、科学技術政策に限らず、現実に行われている政策提案の殆どが文理融合を前提として行われている。例えば公共図書館の建設にしても、また都市計画にしても、情報通信文化、環境、再生可能エネルギー資源問題を前提にして、企画されている。その意味で、政策設計に参加する人々が文理融合型の発想を持つこと、また、文理融合型の政策設計方法を身に着けていることが前提となっている。

つまり、総合的政策と呼ばれる文理融合型の政策設計は日常的な政策活動に成っている。また、それらの方法が学際的研究や融合型研究として、すでにそれらの方法論のみでなく教育制度にまで制度化されている。しかし、政治社会学会は、今、敢えて、この文理融合型の政策設計学の研究を提案しているのだろうか。それは、現実の文理融合型政策活動の調査研究を課題にしているのか、それとも、現在の文理融合型政策活動の抱えている問題を指摘し、その解決を提案しているのだろうか。


1、文理融合型政策設計に問われて来た歴史的経過


-1、近代国家と資本主義経済発展を促した科学技術政策 


産業革命以来、科学技術の進歩やその産業への応用が経済生産力の向上を促し来た。そのため、富国の条件として「科学技術の進歩」は欠かせない国家的な政策の一つであった。近代化推進のための人的資源を生み出す国民教育制度成立し、近代国家の教育政策では「理工系」教育が重視され、さらに、理工系専門家(技官)及び理工系専門知識を理解した官僚が政策設計に参加することになる。

先端的な科学技術の導入と応用によって生産力の向上と新しい生産物を生み出すことによって産業は発展してきた。工業社会、さらには情報社会もその一例である。企業は理工系の優秀な理工系技術者と合理的な経営方法を身に付けた社会系技術者(経営や管理専門家)を採用、育成することが、その企業の発展、存続に関わる重大な企業戦略や文化形成の課題となっている。

近代国家や資本主義経済の形成とその発展にとって、合理的精神や合理的方法を習得した専門家集団、つまり科学的方法で問題解決に従事できる人々、社会系や理工系の教育を受けた人々が必要であったことは言うまでもない。その意味で、文理融合型政策の歴史的起源は、科学技術を生産手段とした近代国家の形成、科学技術立国の発展にあると謂える。

-2、科学技術(政策)の点検史(失業、労災、職業病、公害、環境問題、原発事故)


現代社会を成立、形成、発展させている基本要素として科学技術(知識)が在ることは言うまでもないことだとすると、何故、敢えて、科学技術とは何かと問い掛けたのか。その歴史的背景は、人類の豊かさをもたらすと信じられていた科学技術への疑問から始まった。

18世紀のイギリス産業革命以来、機械的工業生産様式(マルクス)がもたらした機械化によって職を失った職人労働者たちが起こした機械ぶち壊しの運動は、機械化(最新技術の導入)に反対した最初の運動であったと言える。機械化は、労働者にとって、過酷な肉体労働からの解放だけではなく、失業をも意味した。また、機械性生産様式は安価な商品生産を可能にしただけでなく、労災事故や職業病の蔓延も導いた。これらの問題は19世紀の反科学思想を形成し、科学批判の原点の一つを形成した。

労働力を保全するためにも、企業は労働現場の安全管理や危機管理に取り組まなければならなかった。つまり、企業経営にとっても健康な労働者を確保することが必要である。また、国も、健全な国民(兵士)を確保する必要がある。そのために、20世紀になって、社会政策学、労働安全衛生政策が導入された。労働医学、安全工学、衛生学、労働法、労働安全衛生法の整備が進んだ。科学技術の力を借りて労働力保全の改善がなされた。

生産現場での労働災害や職業病とは、生産現場の劣悪な環境によって生じるのであるが、その劣悪な生産現場の環境要素を工場の外に放出することで環境破壊・公害が起こった。労災や職業病があった時代から公害もあった。さらに、生産力が向上することによって、公害問題も大きな社会問題となった。戦前の足尾の鉱毒問題、戦後の水俣病、イタイイタイ病、四日市喘息、等々、我国の代表的な近代史の側面として公害問題がある。これらの問題は科学技術への批判を生み出した。その批判は、科学技術を悪用することへの批判と科学技術そのものへの批判と、主に二つの流れがあった。

公害とはある限定された企業によるある限定された環境汚染を意味した。しかし、それらが環境を広く汚染することで生じる漁業や農業への問題が食の安全問題となった。環境問題とは人間生活や産業活動によって生じる生態系破壊を言う。環境問題は現代社会の生活様式や生産様式によって引き起こされた環境破壊である。車社会、文化的生活スタイル、虫食いのない農作物、欲望を満たす消費文化、便利な交通機関、豊かな文化、豊富な商品等々。これらが、食品問題、酸性雨やヒートアイランド、地球温暖化現象等々の環境問題の原因である。そして、その最も典型的な問題として原発事故があったと言える。

-3、問われていた文理融合政策設計課題とは何か


これらの問題解決の手段として、科学技術政策が課題となる。科学技術の悪用を防ぐ課題、科学技術を駆使して問題を解決する課題、科学技術者の社会的倫理教育の課題が持ち上がった。その一つが政策設計における文理融合課題である。言い換えると、文理融合政策設計が問題になったのは、主に二つの理由からである。一つは、現在の社会経済文化政策設計にとって科学技術は不可欠の要素であり、それらの知識を抜きには政策設計が不可能であること。二つ目は、科学技術の社会経済への応用によって引き起こされる問題が、以前にもなして重大な結果を導く時代になった。そのために、科学技術の利用やその利用者、さらにはその研究開発者の人間・社会倫理的教育(教養教育)が課題となっている。

一つ目の課題(文理融合政策設計の課題)は、今まで、多くの分野で実践的に取り組まれてきている。その殆どが、学際的研究方法と呼ばれる文系と理系分野の専門家集団の共同作業として取り組まれてきた。つまり、この文理融合政策設計は、問題解決に必要と思われる分野の専門家が集まり、一つのチームとなって問題を解決する学際的プラグマティズムの立場に立っている。現在の、文理融合型政策設計の作業は、「政策の内容としての文理融合」的な手法によって進められている。

二つ目の課題は、科学技術専門家集団が、その専門的研究活動の中で、常に彼らの専門知識の社会的応用の技術的な意味ばかりでなく、人間、社会や文化への意味を考えるという事になる。この課題は、専門性に対する教養性としても表現されている。つまり、高度な分業化社会では、知識人達(理系及び人文系の専門職の技術者)は、社会的需要に十分対応できる専門性を身に付けなければならない。そして、同時に、人間社会文化的教養をも必要とされると言うのが、この課題である。

一つ目の課題は、効率の良い文理融合型政策設計の作業方法の研究によって、その解決策が模索されるだろう。つまり、より総合的な視点から問題を解決することが課題になり、より状況に適したチーム形成やチーム運営方法が議論されるだろう。また、それらの調査研究の成果のフィードバク方法、情報管理の課題も検討されることになる。この方法は学際的研究方法の課題として、文理融合型知的生産の技術開発に一貫として、展開されるだろう。

二つ目の課題は、二つのテーマに分かれる。第一のテーマは中等教育から高等育に関わる課題である。一言で言うなら「現実の問題を考え、それを解決する能力を育てる」ための教育の在り方、教育内容、教育方法の課題とである。第二のテーマは専門家が専門以外の分野、異分野への知的関心を抱き、また人権や社会的問題に対する教養を深めるための制度形成やそのサポート内容の質の向上に関する問題となる。この課題は文理融合型政策設計を可能にする人材育成をテーマにしているとも言える。その意味で、文理融合型政策設計にとって幅広い視野や人間社会への理解を深める教養知の課題が不可分な要素となっているのである。

まとめ


上記の課題分析から、文理融合型政策設計は、理と文の専門知識を持つ人々の共同作業によって形成されているということ、それらの人々が他の分野、つまり自分の専門分野の人々と共に作業することの意味を理解していること、さらに、政策設計者は単に広い見識を持つばかりでなく何のための作業なのかという共同作業の意味を理解しなければならないという課題が見えて来た。そして同時に、文理融合型研究を担う人々の育成、中等や高等教育の在り方が課題になっているとも言える。


2、文理融合型政策設計科学の前段階としての融合型学問の形成


-1、伝統的学部教育としての文理融合型の歴史と現在


自然科学の基礎的知識は物理学、化学、生物学、地学等々、理学部に構成された知識があった。また人文社会学では、伝統的な文学部を構成していた哲学、言語学、文学、心理学と社会系の経済学、法学、政治学や社会学がそれに相当する学問であると言えた。それに対して、伝統的に農学部、家政(生活)学部、工学部、医学部、薬学部、教育学部、経営学部で行われていた教育は基礎科学でなく応用科学として位置づけられてきた。そして、基礎分野は応用分野に優先する意識があった(今ではないのだが)。

しかし、工学部、医学部や薬学部では、理系科目での総合教育が行われてきた。その意味で、文理融合教育ではない。また、教育学部で文系と理系の総合教育を土台とした教育が行われてきたが、それらは教育内容に関する知識教育であり、教育学を構成する課題としての文理融合型研究が取り組まれた訳ではない。

伝統的文理融合型として農学部と生活学部の教育研究に触れる。農学部は分子生物学から生態学、そして農業経済までの分野を教え、農業という総合的な産業構造の担い手、もしくは、その分野の研究者としての教育を伝統的に行ってきた。

また、家政学部、生活学部は、生活環境、生活様式、生活機能や構造の改良を課題にした学問であり、文理融合型の教育内容を持っている。例えば、食品、栄養、衣服素材やファッション、住環境(建築デザイン工学等)、生活環境(文化・生態学)、福祉(医学は社会学)、育児(医学、心理学)、生活経営(経営学、経済学)、生活情報学(情報処理、社会情報学)、生活工学(工学)等々、理系分野と文系分野の学問で成立している。

しかし、伝統的な文理融合によって成立してきたこれらの学部は、自覚的に「文理融合型」という学際的科学を自覚的に構築するために努力して来たわけではない。そのため、理系科目に力を入れる生活科学と人間社会科学の分野に自らを入れる生活学は同じでなく、学会も異なる。そして学部教育も、文理融合型とは程遠い、文理不融合的な方向に進んでいる。代表的な例がお茶の水大学の生活工学部がそれである。生活学を応用工学と理解し、生活学を必要とする産業社会のニーズに答える大学教育を展開しているのである。同じく、農学部でも農芸化学が理学部の化学のようになり、生物学は最先端の分子生物学の研究を行っている。伝統的な農学教育は、明らかに科学系、農業工学系と農政・農経系とに分離し、発展している。

-2、新しい文理融合型の大学教育と研究 


1節で述べた、現代の科学技術文明社会のニーズから出てくる多くの課題に答えるための大学教育の改変が近年進んできた。伝統的学部教育では担えない新しい課題、例えば、先端科学技術、情報、国際、災害という課題に対して、大学教育が対応して来た。その特徴は、学部名が融合型で表現されていることである。例えば、総合情報学部、総合社会学部、総合政策学部等々、総合という名称を入れることで、学際型及び文理融合型教育を可能にしている。

例えば、科学技術、国際や情報に関する知識を前提にした経営学部の教育、さらには、情報文化学部、総合政策学部の教育が文系から理系への文理融合型教育(社会系文理融合型教育研究)として挙げられる。

デザイン工学科、認知工学、情報言語工学、ロボット工学、建築学部は、理系から文系への文理融合型教育(工学系文理融合教育研究)を代表するものである。つまり、デザインや設計、さらには人間的認知のテーマに心理学、社会学、文化人類学が持ち込まれ発展した分野である。

また、その中間として、もしくは、それらの二つの方向からのアプローチでなる、文理融合型教育研究が、防災学、災害情報学、災害政策学などの社会経済、生態環境の総合的な安全管理や危機管理を課題にした災害総合科学(政策系文理融合研究)の分野であると謂える。

-3、文理融合型研究の基礎理論の研究(科学技術論、計量科学、設計科学論)


上記した大学教育での文理融合型研究の土台となる科学や理論に関する研究を支えているのは、科学技術に関する社会学、歴史学、文化人類学、哲学の研究である。これらの研究分野は、極めて新しく、科学論や科学史研究として戦後に始まった。これらの研究を、科学技術問題をテーマにした社会科学教育と研究、つまり科学技術論系文理融合型研究と呼ぶことにする。そして、今日、科学技術論は、人間社会科学分野で大きな位置を占めている。例えば、科学技術史、科学技術社会学、科学哲学、技術哲学等々である。

しかし、科学論以前に、すでに社会学の中に、知の社会学と言う分野があった。その提案者はデュルケームである。また、社会の近代化、資本主義化や産業革命を課題にした科学(技術)社会学というテーマも、ウエーバーやマートン等々からある。そしえ歴史学の中に、20世紀になった「科学技術の社会経済史」や「科学技術史」がある。社会学は歴史学の一つの分野として「科学技術」の社会・経済・歴史現象を取り上げた研究が、文理融合型の研究の前哨段階にあったと考えることも出来る。

さらに、人文社会学系の学問に自然科学が常識としてきた計量化の方法を導入したことも方法論的には文理融合型研究の一つであるとも謂えるだろう。計量経済学の展開とその成果は、他の文系科学に大きな影響を与えた。計量社会学、計量言語学、計量文化人類学等々。さらに統計学的分析方法が人文社会学研究で一般化し、さらに情報処理機能の進歩で、それらの分析は新しい局面、データマイニングと呼ばれるビッグデータ処理とその解析方法を切り開こうとしている。これらの文理融合型研究を人文社会系計量化方法による文理融合型研究、もしくは、人文社会系数理解析方法による文理融合型研究と呼ぶことも出来る。

2000年になって、吉川弘之・吉田民人が、日本学術会議として文理融合型教育研究の課題を提唱した。この提案の基礎は、吉川氏の設計科学、吉田氏のプログラム科学である。俯瞰的視点に立つ問題解決力を持つプラグマティズムの学問であるということが、それらの設計科学やプログラム科学を特徴付けている。因みに、政治社会学会の創設者荒木義修氏が当該学会の基調として提唱した文理融合型研究は、吉川・吉田の文理融合型研究・設計科学論の立場に立っている。

まとめ


文理融合型政策科学の形成の歴史的な土台は、応用科学分野として一羽一絡げに言われた農学や生活科学の分野から始まった。そして、80年代後半から情報通信科学技術の進歩によって生まれた高度情報社会に対応すべき大学教育の変革に機を発し、文理融合型教育研究が進んだ。と同時に、文理融合型教育や研究が、単なる理系文系の知識の寄せ集めという立場から脱したとも謂える。しかし、それらの教育研究は、体系化を取って整備されてはいない。その課題は、今後、それらの研究が、科学技術論、科学哲学等の基礎研究と学際化することによって、人文系科学の計量化や社会工学系の設計科学、社会学基礎論としての自己組織性の情報科学、さらには科学哲学のプログラム科学論の発展と共に展開されるだろう。


3、文理融合型政策設計科学の形成に向けた課題


実際のところ、文理融合型政策科学の方法論も、そして、その実践的な事例も無い。しかし、この文理融合型政策科学が、吉田民人の謂う設計科学の視点に立つなら、寧ろ、その科学が実践的な研究を通じ、その検証を行うことで、つまり帰納的に成立して行くというプラグマティズムの立場に立つことが出来る。

問題を整理すると

1、具体的な政策提案活動に参画する中で、その実践を通じて、文理融合型政策科学の科学的方法は形成する。

2、文理融合型政策学の課題は、政策提案活動の組織運営、調査方法、検証方法、情報交換や情報管理の技術開発等々の具体的方法技術の研究交流となる。

3、2のテーマは、すでに多くの先行研究や実践事例がある。例えば、文化人類学者の川喜田二郎氏が行ったKJ法、梅竿忠男氏の知的生産の技術、多くはフィールドワークで開発された研究方法を、今後、文理融合型政策研究に活かすことも可能である。

4、さらに、PBLで実践された教育方法、例えば、UCSFPBLはその例となる。詳しくは、以下の資料を参考。三石博行 ブログ文書集「大学教育改革論」 最先端医学教育 UCSFJMB(Joint Medical Program)・複数専門知識修得の意味


この論文は201538日に同志社大学今出川キャンパスで開かれた関西政治社会学会第2回研究会での発表で配布した資料である。

科学技術文明批判としての生活世界の科学の課題

現代科学技術文明社会の形成と生活(生態)環境の姿

三石博行(Mitsuishi Hiroyuki)


科学技術文明の成立を人類の歴史に刻みながら20世紀は既に終わった。しかし、他方で、科学技術文明の負の遺産、例えば地球レベルの環境破壊や科学技術の南北問題などを、未来の人類の課題に残した。21世紀のはじめから、これらの負の遺産を処理する思想や科学技術が問われることになる。この課題に知の総力を掛けて立ち向かわなければ、近い未来豊かな社会を持続することは明らかに不可能である

今、真剣に生活環境を改善するために有効な知のあり方が問われている。生活学は、生活者の生活環境を改善するための技術、方法に関する科学である。その意味で、知ることが生きることと直接に関係している科学である。よりよく生活する方法や生活環境を改善する技術として生活学は成立している。

貧困に苦しむ国々では、経済的に豊かな生活環境を得るための生活改善が生活学の課題になる。そして、先進国では、生活学の課題は、経済的生活の改善だけではなく、精神的な生活環境や生態環境のあり方が生活学の問題になる。

生活を豊かにするという意味は、家政学や家庭経営学の枠を超え、生活経営学という概念で歴史的に展開されてきた。家を単位にした生活空間の合理的管理方法に関する調査や研究から、地域社会や生態環境系を含む生活経営、生活者の生活環境のあり方、合理的な運営方法を見つけ出す技術学としての生活学が課題になっていた。

生活環境の問題が取り出されたのは、生態系環境問題の発生からである。わが国では、1960年代、水俣病で知られた有機水銀中毒問題は、海の汚染、食物連鎖の頂点にある魚への有機水銀の蓄積、海を生活の場とし漁業で生計を立てている人々への被害から始まる。

当時、高度経済成長をスローガンとして経済大国を目指す日本では、生活の経済的な豊さの追求に埋没していた。その工業化社会の結果から生み出された副作用として、すでに忘れられているかも知れないが、三重県四日市での四日市喘息、兵庫県尼崎での国道43号線周辺の人々の気管支炎や呼吸器障害が語られていた。しかし、1970年代に入り、環境汚染の被害者の深刻な健康破壊を報道されることで、公害問題は人々の関心を引くことになる。工業化に伴う環境汚染による生活環境破壊が日本列島の至る所で問題にされ出した。瀬戸内海の汚染や琵琶湖の汚染と、次第に大切な生活資源である水や土が被害を受けている現実が明になった時代である。

大量工業生産体制による自然環境の破壊だけでなく、大量消費生活から出される生態環境の浄化能力をはるかに超える生活廃水や廃棄物によって環境汚染はさらに深刻になっていった。しかし、その意味で、環境汚染問題の解決は、技術的に可能であると言える。例えば、工業廃棄物や生活廃棄物を資源として活用するリサイクル技術の開発や、循環型社会の経済制度の整備などが取り上げられた 。経済活動によって作り出された廃棄物は、それが生態系システムの中で浄化される限り、再び生態資源になるのである。しかし、ハロゲン化炭化水素のようにもともと自然になかった化合物を合成することで、生態系の浄化力は著しく低下するのである。

先進国での環境問題は、廃棄物を処理する技術開発や、不当投棄を禁じたり、また部品のリサイクルを義務付けたりする法的制度の整備によって、ある程度の解決の方向を見ることが可能である。しかし、貧困から抜け出そうとしている経済発展を続ける国々では、かくて1960年代の日本と同じように、公害対策に投資している余裕は民間の企業にも社会にも余りない。何より優先している経済成長を成し遂げるために、廃棄物は未処理のまま生態系に放置される。必然的に、現在の先進国が今日の経済的豊かさを手に入れるために生態系を破壊したように、これからの発展途上国も、その過程を繰り替えることは間違いない。その結果、地球は今後さらに汚染されつづけるだろう。

経済的な豊かさを求める発展途上国の人々に、豊かな国の日本の環境主義者が、その国の近代化や工業化に反対することが出来るだろうか。現在の科学技術文明と資本主義社会制度は、今後も大量生産と大量消費の社会を拡大し、地球温暖化、環境ホルモンによる生態環境破壊、資源の枯渇化問題を深刻にさせるだろう。地球規模の環境問題は、一企業や一国の技術的解決策では、防ぎようもない重大で深刻な問題となるだろう。世界規模の環境汚染と豊かな生活環境の保全と真っ向から対立する時代が来ているのである

この不安の原因は工業社会と科学技術文明にあると考えた。しかもその不安が、神秘主義など反科学思想を呼び起こしてきた。この反動的な現代科学技術文明批判からは、現実的な解決の手段が見つからない。科学技術文明への不安や批判は、科学を点検するための活動、科学哲学や科学認識論の研究を呼び起こしてきた。現代科学技術文明批判を課題にした哲学や思想運動の中から、近代合理主義の形成期から18世紀の科学主義の形成、さらには現代科学技術の歴史が点検されてきた。

この点検作業は、1960年代から1970年代に掛けて、科学技術を歴史、社会学、経済学などの視点から分析する科学技術論と呼ばれる学問に発展した。この新しい人間社会学は、さらに専門化し、科学技術史、科学技術社会学、科学技術文化人類学、科学認識論や科学・技術哲学となり、現代の人間社会学や哲学の主流になろうとしている。

しかし、主流になった科学技術論の分析方法や科学性は、科学主義の影を引く唯物史観、新実証主義などを活用して科学技術の分析を展開した( )。現代科学技術文明批判は、その思想的基盤に問題を返すことなく、科学技術の活用の課題に終わったし、また、不十分な段階の問題とてして総括された。科学技術文明批判を課題にする科学技術論は、客観的科学の哲学的課題を取り上げた現象学の問題提起を継承しなければならなかった。


科学主義批判と生活世界の科学


現代科学技術文明を哲学が課題にする時、まずフッサールが試みた「生活世界についての学」という新しい学問性の成立に関する哲学的問題提起を取り上げよう。フッサールによると、「生活世界の科学」は「客観的・論理的な課題」のみでなく、その生活世界の課題が設定されている全ての学として成立する条件を、全体的に取り上げなければならないと提唱している。「客観的科学」は「客観的・論理的な課題」の一つの視点から「自然世界」を取り上げることで十分であった。しかし、「生活世界の科学」は学以前の生活自体における単に主観的で相対的な経験を、科学として取り上げる「科学性」が問われていることになる。

フッサールは、「客観的諸科学」が根拠とする客観的判断、実証的推論や論理的思惟などの述定的理論自体も、言ってみればある生活世界の中に属し、その生活世界に根をおろしている、言わばその客観的判断、実証的推論や論理的思惟を共同主観とする人々の生活世界の直感やその環境に支えられたものであると考えた。したがって生活世界を、学以前のドクサとして考えることは、判断、推論や論理的な考えが、その基盤である生活世界の前提を抜きに生じているということで、言い換えると、客観的判断、実証的推論や論理的な思惟自体が独自に成立していると考えるということになると指摘した。

この顛倒こそ、つまり、思惟がその思惟する主体の文化や歴史的条件を超えて、あたかも独自に存在していると考える客観主義や科学主義と呼ばれる新たな形而上学や観念論であるといえる。思惟を生活世界の中で生きる主体の精神現象として理解するフッサールの視点は、「客観的諸科学」の根拠としている非生活世界的な思惟のあり方を批判的に問題提起していると考えられる。

生活世界を対象とする時、現在の科学の主流が依拠する思想、客観主義的な思惟などだけでは解決しない課題、主観や相対的世界を抱えることになる。花崎皋平の「生きる場の哲学」は「知ること」を「世界との関わり」として捉え、生活の場を破壊する現代科学技術の在り方を批判し生きている人々の姿が「哲学する」姿として提起されていた。哲学は、生活世界とのよりよい関わりを見つけだす知の在り方として理解されている。


批判学としての生活学


資本主義経済と工業化社会の発達によって破壊された生活世界の復権を巡って、ここ2世紀にわたって、問題が提起された。例えば、生活環境の貧困化について、19世紀のヨーロッパでは、工業生産システムによって必要となる多量の単純労働に消費される若年労働者達が被る低賃金や劣悪な労働条件によって引き起こされた生活破壊、労災や職業病などが蔓延していた。それらの貧困化した勤労者を救済するために社会政策学が展開する。労働者階級の搾取の上に成り立つ資本主義経済構造の基本的な改革を、その解決策として展開する試みがなされていた。社会主義思想、マルクス経済学がその理論的な土台となった。

工業化によって失われようとしていた19世紀アメリカ社会の伝統的生活を課題にして、リチャーズは生活学を提案した 。このアメリカ生活学の基調には科学技術文明の引き起こす生活病理の臨床の知としての使命と、現代科学技術文明批判がその根底に流れている。

さらに日本でも、1937年の東北大冷害を契機に農村の生活改善運動に取りかかった今和次郎によって生活構造論や生活病理学が提案された。生活構造論は、戦中、富国強兵政策を目指す国家の利益を守ることを目的にして、篭山京によって研究された理論であった。しかし、その科学の志向性や精神は、戦前の社会政策論の流れを汲んで、貧困生活から勤労者を救済する目的をもっていたと言える。戦後になって、生活構造論は、貧困に苦しむ勤労者の生活改善の必要性を科学的に論証するために展開された。生活構造論は、日本独自の社会学的研究分野として発展したと、渡部益男や三浦典子らの生活構造論学説研究の中で、評価されている。その学説も形成期に於いても、社会学、経済学、医学、文化人類学等の幾つかの科学的視点を持って学際的研究として展開した。

その代表的なものを四つに大きく分類することができる。一つ目は森本厚吉らの生活向上を課題にした「生活文化論」は社会学的立場がある。二つ目は、労働者階級の生活防衛を課題にした風早八十二の社会政策論や大河内一男の国民生活研究は経済学的立場である。三つ目は、篭山京の「労働力の生理学的修復過程」の研究は労働科学的立場を挙げる。四つ目は、今和次郎の「生活様式論」や「生活病理」は文化人類学や民俗学的立場、つまり考現学的立場に立って研究された生活構造論である。

戦後になって、パーソンズの社会システム論の影響を受けた松原治郎や青井和夫が生活構造論を展開する。しかし、1965年代後半の高度経済成長期に入って、貧困生活が解決する中で、勤労者救済の目的を喪失し、学問としての指向性が失われたのか、1970年代に入ると、次第に研究への関心が失われていった。

1970年代に入って、生活構造論の伝統を受け継ぐ流れが生活学の中であった。今井光映は、家政学・生活学の発展が、生活科学として実証科学にそって展開した過程を批判的に分析している。全体的な生活を分析的に捉える方法では、生活学の精神である生活の改善を課題にすることが出来ないと今井は考えた。生活学は、没価値的な実証科学ではなく、全体論的に「生活を癒すこと」を課題にする理解科学である必要性を今井は述べている。

生活を課題にした科学、つまり生活世界の科学は、現代科学技術文明の問題を避けては通れないのである。この新しい科学が成立するためには、近代科学の伝統である科学方法論の検討が必要となった。


参考資料


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今和次郎  『考現学 今和次郎集第一巻』東京、ドメス出版、1971.

今和次郎 『生活学 今和次郎集第五巻』東京、ドメス出版、1971

今和次郎 『家政論 今和次郎集第六巻』東京、ドメス出版、1971

篭山京 『国民生活の構造』1943 松原治郎編著 『現代のエスプリ第五十二号現代人の生活構造』 第9巻第52号 至文堂、東京、1971.9pp125-137

篭山京 「生活構造の基本状態」in『国民生活の構造』長門屋書房、1943

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佐藤進 『現代科学と人間人類は生き残れるか』三一書房、1987.1244p

長嶋俊介『生活と環境の人間学生活・環境知を考える』昭和堂、2000.11271p

E フッサール 細谷恒夫、木田元訳『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』、中央公論社、東京、1967.4

花崎皋平『生きる場の哲学共感からの出発』岩波新書 黄板 1471981180p

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渡部益男 「生活構造」概念の動態化と生活の構造的把握の理論(1) in 『東京学芸大学紀要 3部門』31pp63-751980

渡部益男 「経済学的生活構造論に関する考察 -「生活構造」概念の動態化と生活の構造的把握の理論(4) in 『東京学芸大学紀要 3部門』45pp165-2191994

三浦典子 「生活構造概念の展開と収斂」 in 『現代社会学18vol.10No.1pp5-27、東京、アカデミア出版会、1984

三石博行 「生活構造論から考察される生活情報構造と生活情報史観の概念について」 in 『情報文化学会誌』、東京、第61号 pp. 57-63


三石博行「マルクス経済学批判と科学技術論」  in 『龍谷大学経済学論集』 341号、京都、1994.6pp45-63


2015年1月30日金曜日

国際平和へ貢献する社会思想としての民主主義の概念

民主主義とは何か(1)


三石博行


政治制度の対立項から共通項の理解の意味


現在、世界の文化を自由主義の国と反自由主義の国、もしくはキリスト教国とイスラム教国と二分して考える傾向がある。これらの考え方は、つねに、対立項を見つけ、世界を二つに分けて、紛争を煽っているようにも思える。

以前、社会主義国家と資本主義国家、もしくは自由主義国家と独裁主義国家というカテゴリーを設けて、東西冷戦が繰り広げられた。つまり、世界を対立する二つの社会に二分する国際政治の手法は、冷戦時代の残骸ではないかと思う。

そうして利益を得ているのは国民ではないことは確かだ。多分、軍事的緊張によって準備される軍備、その軍備によって儲かる人々ではないかと憶測している。そこで、不毛な戦争への挑発やまたそれに必要な税金の無駄使いを減らすために、異なる政治制度の国々の共通項を見つけ、それらの国々の現状を理解する国際政治思想を提案しようと思った。

それが、前記した「多様な民主主義の形態」であった。しかし、多様な民主主義の形態を認めることが、民主主義文化発展途上国で行われている人権侵害を認めるという事ではない。寧ろ、それらの人権侵害の構造を明らかにしながら、その現実的な解決とは何かを模索するために、政治制度の対立項を強調することをやめて、寧ろ経済活動の自由度という共通項を置くことによって生まれる多様な民主主義文化の形態に視点を当て、これまで異質な社会として排除してきた国々を、自分たちと同じ社会カテゴリーの中に入れて、その上で、それらの国々で起こっている人権侵害の課題を自分たちの国にもあるその課題に近づけながら、それらの課題の現実的な解決を考えるという視点に立ったのである。


多様な民主主義社会の形態


民主主義には色々な形態がある。この社会文化は、資本主義経済制度と結びついている。何故なら、世界には多様な資本主義経済文化が存在しているからである。言い換えると、これらの資本主義経済文化は、それらの国々の資本主義制度の歴史、その発展段階で獲得した独自の社会経済制度を前提にして成立している。

資本主義社会とは「人間の経済的欲望を肯定し、需要と供給によって経済的な契約が成立する活動を前提にして政治社会法律制度が確立している」社会を言う。人間の自由な経済活動を保証しない限り、資本主義経済は発展しないのである。その意味で、民主主義文化の三大要素(自由、平等と博愛)の自由を前提にして、資本主義文化(経済文化)は成立する。

しかし、世界の国々は、現在、民主主義文化の三大要素がすべて完璧に成立している訳ではない。その一つの要素、つまり経済的活動の自由が保障されている(されようとしている)社会を、ここで民主主義文化を発展させようとしている社会であると定義するなら、民主主義社会のカテゴリーに含まれる社会は広がる。そして、同時に、色々な民主主義社会のあることも理解される。

そのために、例えば、アメリカにはアメリカ型資本主義があるように、アメリカ型民主主義制度があり、フランスも同様にフランス式の民主主義がある。それらが同じ共和国制度(大統領を国民が選ぶ制度)を取っても、同じ政治文化や経済文化を持っていない。さらに、同じ共和制の国でも発展途上国、例えばインド、ブラジルやロシアと先進国では、まったくそれらの政治文化は異なる。また、立憲君主制を取る英国や日本は、共和制を取る国と政治制度が異なる。しかも、同じ立憲君主制の英国と日本とでも、政治文化は異なる。

そればかりでない、経済自由化、資本主義化を進める中国では、政治的には共産党独裁国家であるが、この国も、民主主義発展途上国であると言える。この国では政治的自由は認められなくても、経済活動の自由はある。その意味で、共産党独裁であるから中国には民主主義がないとは断言できないのである。

また、中東の国々で現在も国王が実質政治的権力を持つ国がある。それらの国でも、経済的活動の自由が存在している。その意味で、これらの国を中世の王国と同じだとは言えない。つまり、王権をもって国の近代化を推し進めているのである。近代化とは資本主義化であり、その意味で中国もサウジアラビアも、資本主義経済制度を敏速に導入するために、共産党と王政が、便利な意思決定機関として機能していると言える。

この様に、現在の世界で、資本主義経済を発展させ、国や社会を豊かにしようとしているすべての国々を、一応、大きく、資本主義経済文化を興す国々であると定義するなら、これらの国々は、それぞれ異なる民主主義文化の段階にある国々だと定義することが出来るだろう。


民主主義ための侵略戦争の時代を超えて


民主主義文化を構成する三大要素として、自由、平等と博愛があると述べた。これまでの議論では、経済的な自由な行動を基準にして、多様な民主主義文化の存在に関して言及した。つまり、その自由度の程度によって、それぞれの国の資本主義経済文化の多様な状況が生れることになると説明した。この考えは、世界を自由国家とそうでない国家に二分する旧来の社会イデオロギーを批判的に評価し、世界の国々の多様な自由主義経済の在り方を理解するという立場を提案したのであった。

言い換えると、上記した視点は、民主主義文化を構成する一つの要素のみを取り上げたに過ぎないとも言える。民主主義文化を構成する自由全体の問題、例えば、政治的活動の自由や人間的自由に関しては、言及しなかった。また、同じように、平等と博愛に関する社会文化や社会経済制度に関しても言及していない。その意味で、経済活動の自由を尺度にして民主主義文化全体を議論することは、不十分であると言える。

しかし、民主主義を最も進んだ人間的自由を保証し、人間的平等を確立し博愛精神を尊敬する社会に限定することで、現在の世界には、民主主義国家、民主主義発展途上国国家、低民主主義国家、非民主主義国家と大きく4つの区分されることになる。そして、それらの評価を行う人々は、多分に民主主義国家と称される国の人々(知識人や文化人)となるだろう。

このような民主主義レベルの分類にどのような意味があるのか。つまり、このような分類によって、世界の国々が人権尊重の文化や社会制度を充実することになるだろうか。これらの分類は、人権文化の低い社会をより高い社会に導く指針となるだろうか。しかし、多くの場合、これらの分類は、先進国、特に欧米の社会政治イデオロギーに利用され、例えばアメリカを先頭したイラク戦争のように、サダムフセインの独裁国と命名された国や社会を軍事的に攻撃するための口実になっているのではないか。

民主主義を守るという口実で、軍事的に圧倒的力を持つ先進国が軍事的力を台頭させて来ている発展途上国を攻撃、その政権を崩壊させてことが現実にイラク戦争で起こった。そして、独裁政権に代わる民主国家の建設を行うために行ったイラク戦争、さらにはリビア・カダフィ政権の転覆、そしてシリアサダト政権への武装闘争の支援によって、北アフリカや中東諸国は政治的混乱を続けている。その結果、イスラム国が誕生したとも言える。

第二世界大戦時に、アメリカが掲げた民主主義社会を守る戦いは、日本の軍国主義、イタリアのファシズムやドイツのナチズムを倒し、戦後の民主主義社会の方向と基調を形成した。その主張の延長線上にベトナム戦争、アフガニスタン戦争、イラク戦争、そしてリビア内戦やシリア内戦への介入がある。こう考えれば、第二世界大戦後の民主主義政権の支持や樹立という先進国の軍事介入は明らかに侵略戦争の口実になっていたと言えるだろう。従って、民主主義勢力を守るといスローガンは先進国・巨大な国際(金融)資本主義国の政治的意図をもって理解されているのである。

その意味で、民主主義文化を先進国の視点から一方的に評価する方法を止め、寧ろ、民主主義文化の三大要素の中の一つである自由、その自由の中の経済的活動の自由に限定して、世界の国々の経済的活動の自由度を相対評価しながら、多様な民主主義文化の評価を認める考えに立つ必要がある。楽観的と言われるかも知れないが、その視点に立つことで、国際紛争の課題の幾つかは、解決の糸口を探ることが出来ると思われる。




参考資料


1、三石博行「わが国の民主主義文化を発展させるための課題について」目次
http://mitsuishi.blogspot.jp/2012/04/blog-post_04.html

2、三石博行「国際社会の中の日本 -国際化する日本の社会文化-」目次
http://mitsuishi.blogspot.jp/2012/03/blog-post.html


三石博行のフェイスブック 2015年1月29日 記載文書
https://www.facebook.com/hiro.mitsuishi

2015年1月29日木曜日

設計科学としての政策学基礎論・生活資源論

三石博行「設計科学としての政策学基礎論・生活資源論」 20131116日 第四回政治社会学会研究大会 千里金蘭大学


千里金蘭大学 三石博行



はじめに


生活資源論を援用することで総合的視点に立った政策提案のための理論構築の可能性を議論することが本稿(本発表)の目的である。まず生活資源論の成立過程を伝統的社会学の学説史を踏まえて述べる。その課題として、第一章で社会機能構造主義や社会システム論の先行研究の課題から吉田民人の自己組織性情報科学、プログラム科学論や自己組織性の設計科学の展開を踏まえ、生活資源論を提起した理論過程を説明する。第二章では、生活資源論からの成立の可能性について述べる。プログラム科学として生活資源論を位置づけることによって、生活資源を構成している四つの要素のマトリックスモデルを提案する。そのモデルから生活資源の変化の構造を解明する。このモデルから生活環境の改良と生活主体の改善は同次元に生じることが理解できる。このモデルを前提にすると、これまでの技術史の一面性が理解され、技能と技術の両面から技術史を理解する研究が提案される。第三章では、生活資源論から展開できる政策学の可能性について述べる。そして最後の章では、現在の社会で要求されている政策提案の課題に不可欠の総合的視点、俯瞰的視点やまたフィードバック構造などを持つ自己組織性の設計科学としての政策学の可能性に関して言及する。

1、生活資源のプログラム概念(学説史的検証)


-1、機能構造主義からの生活資源論の解釈

生活資源の概念は生活世界の主体とその主体によって形成された生活環境の全てを意味する。これまでの認識論では生活主体の認識構造が語られ、また科学では生活環境の物質性が語られてきた。しかし、ここで述べる生活資源の概念は生活主体と生活環境の相互形成の関係、言い換えると、生活行為と生活空間の相補的構造・機能の関係を述べたものである。
ここでは、生活資源を機能⁻構造的に素材と様式の二つの要素から成り立つと定義する。素材とは内的世界のプログラム(構造化された機能要素の状況対応を生み出す指示表現)が外的世界の物質的世界に構造化(共時化)された状態を意味する。その素材の内的機能を外的世界に構造化しようとすること、またはその逆に外的世界の物質的世界に構造化された素材を通じて内的世界の機能化を企てることを様式と呼ぶことにする。
生活資源とは様式と呼ばれる生活行為を呼び起こす指示情報を持ち、素材と呼ばれる生活材料に関する認知情報をもつ。つまり、様式の意味とは生活行為を誘導する生活資源のパターであると言える。
また、素材の意味とは生活空間を構築する要素に関する生活資源のパターンであると言える。生活情報とは生活資源のパターであり、すべての生活資源は生活空間の中で生活資源情報と生活資源実在して構築されている。言い換えると、生活資源の様式とは生活行為が生み出す指示情報(生活様式を生み出す言語・表象・価値・精神機能)と生活空間に登録された共時化された指示情報(生活素材に構造化された意味するもの)である。
これに関して機能主義社会学では「様式」を、社会行為を生み出す言語的、心理的、文化的、社会的、経済的、政治的機能として表現されてきた。また、構造主義的社会学では「素材」を、社会構造を構築している上記した人間社会文化空間を構築している要素とそれらの関係として表現してきた。
図表1、生活資源の機能構造形態
生活資源
生活素材
生活様式
外的要素
生活環境の構造形態(共時態)
生活環境の機能形態(共時態)
内的要素
生活主体の身体性(生命活動態)
生活主体の活動性(指令情報態)

-2、システム論からの生活空間の解釈

世界と主体の関係に関する現象学的解釈を持ち込むまでもなく、我々の理解と世界の理解とは相補的に成立している。つまり「生活主体は生活環境によって決定され、同時に生活環境は生活行為によって形成される」と言える。この関係の理解こそが生活資源論の理解の第一歩である。
言い換えると、生活主体と生活環境の相互決定関係はその2つの系(それぞれの系はそれを構成する要素とその関係、さらにはその二つの系の間の関係によって成立している)に時間軸を置くことで理解される。しかし、時間概念によってこの二つの関係の動態が決定される。一般に、内部系とそれを取り巻く外部環境()の時間軸を入れた相関関係の表現方法をシステム論と呼んでいる。言い換えると、システム論は要素とその関係を表現した構造を内部系とその外部系に与えた上で、そこに時間軸を設けたものである。
内部系と外部系は、それぞれの系内の要素とその関係から生み出される構造、それらの二つの系の相互関係、さらにはそれらすべてが時間変化して生まれる動態的な構造変動の様子を示そうとするものであった。社会変動を語るためには、構造機能主義的表現では不可能であったためシステム論的表現が登場したのである。
例えば、社会変動の時間軸に物理時間(地球の回転時間から割り出した時間尺度)を持ち込むことで、パーソンズに観られる初期の社会システム論は自然科学と同じように社会変動を客観的現象として表現できると解釈した。この場合、内部系として語られる概念はある社会組織(集団)であり、外部系として語られる概念はそれを取り巻く環境(社会環境)である。
ここで問題となるのは、システム自体の自己組織性の表現であった。パーソンズ流のシステム論からは、それらの系の諸要素とその関係は時間軸に対して量的変動を繰り返すしかない。系の質的変化はどのようにして説明可能か。1960年代の若き吉田民人はその疑問を解くために奮闘した。その研究が吉田民人の生活空間の構造・機能論として結晶する。吉田民人の生活空間論ではまずフロイト精神分析におけるシステム概念が言及される。すでに吉田民人は社会学に君臨したパーソンズのシステム論を構成する物理主義を批判していた。それは明らかにフランスのポスト構造主義を先行していたと言える。
また、パーソンズが自らの理論を形成するために援用したフロイトの理論では初期フロイト理論でのエネルギー論を構成する物理的時間軸だけでなく、メタ心理学理論では発生的な時間軸も採用されていた。その発生的時間軸からフロイトは自我の精神構造を語るのである。

-3、プログラム科学論からの社会・生活資源の解釈

生きた人間に関する学問としてシステム論はどのようにして可能か。主体を課題にした吉田民人の理論社会学がプログラム科学()に辿り着くのである。プログラム概念を入れなければ生きた系が持つ自己組織運動の表現は不可能である。プログラムとは指示情報によって成立している。主体が認知した情報、それらの解釈と選択、そして主体はその保存のために環境や主体自体への働きかけを行うことになる。それらの全ての主体選択の情報行為(認知、解釈、選択と指示)を生み出す情報形態をプログラムと呼ぶのである。プログラムとは主体がその環境に対して指向性を持つために存在している論理式である。
この論理式によって生じているマクロな社会文化現象を、生活資源論では「様式」と「素材」と呼んだ。吉田民人のプログラム科学()の生活資源論的解釈では、社会現象は常に生活主体の指向性によって書き換えられ、つまり社会生活環境として構造化(制度化・様式化や物性化・素材化)され、この内的世界の外化の過程によって外的生活資源は形成蓄積されることになる。それと同様に、生活主体は生活環境によって決定され形成される。つまり、生活主体の自我保存の要求によって、例えば言語や社会規範の習得過程に観られるように、外的世界の内化は起こる。その内化の結果が自我と呼ばれる無意識や意識からなる精神構造である。言い換えると精神構造とは生活文化の外的要因(社会規範・様式や物質的条件・素材)によって形成されたものである。
しかし、主体の生活様式を変えない限り主体は生存できない状況が生じる。その時、主体の生活様式のプログラムを変換するために「死の衝動」が起こる。このフロイト理論によると、主体のプログラム変換は主体の持つ表象体系(過去の理想の自我)を解体し、新たな表象体系(自我の理想)を形成することによって可能になる。
内的様式の変化、それは価値観、モラルの変化を意味し、外的様式の変化とは憲法や法律、社会秩序の変化を意味する。これらの外的生活様式や外的生活様式のプログラムが変わることによって、主体は新たな生活環境で生存することができるのである。
図表2、生活資源のプログラム構造
生活資源
生活素材
生活様式
外的要素
外的生活素材のプログラム
生活環境の物質形態
外的生活様式のプログラム
生活環境の指令形態
内的要素
内的生活素材のプログラム
心身の構造形態
内的生活様式のプログラム
生活主体の行為形態


2、政策基礎論としての生活資源論(政策決定要素の分析モデル)


-1、生活資源のプログラム構造のマトリックス表現

生活資源は、表1に示したように、生活素材と生活様式の二つの資源構造と、内的世界と外的世界の二つの生活構造によって構成されている。それらは、独立に存在することも、また別々に表現することも不可能な関係を作っていると解釈する。
今、これらの表現は、厳密な意味での数学的モデルではないが、便宜的に、生活素材と生活様式の二つの資源構造と、内的世界と外的世界の二つ生活構造によって構成されているということを、同時的に表現するモデルとして、マトリックス表現を使うことにする。
マトリックスの表現要素は、外的生活素材をMxと便宜的に表現し、同様に、内的生活素材をMiと表現する。また、外的生活様式をFxとして内的生活様式をFi と表現する。それらの四つの要素は、不可分の構成要素であり、その構成要素によって成立している形態が生活資源である。この生活資源をここでは便宜的にS(tn)と表現する。この場合、ある時代性の時間的要素をtnで示すことにする。この式(1)で表現したS(tn) と表現されている構造は、ある文化的に規定された生活資源のプログラム構造式のモデルであると仮定する。

図表3、時代や文化環境を前提とした生活資源の構成
外的生活素材のプログラ  Mx
外的生活様式のプログラム Fx
内的生活素材のプログラム Mi
内的生活様式のプログラム Fi

図表4、生活資源のプログラム構造のモデル
       

モデル(1

 

-2、生活資源の構成要素変換としての改良・スキル形成過程のモデル

生活資源が改善されるとはその構成要素が変化したことを意味すると解釈できる。考えて、その変遷過程を(2)のモデルで示す。 
図表5 生活資源の構造変化のモデル      

           モデル(2

つまり、生活資源の改良とは、それを構成しているプログラムの変換である。外的生活素材、内的生活素材、外的生活様式、内的生活様式の四つの異なる要素の一つ以上の変化によって生活資源は変化する。例えば、外的素材が改良されたとする場合を考える。具体的な例を述べると今までガラスを使っていた容器を化学合成物質を使用し、壊れにくいように改良したとする。その場合、生活資源の外的素材が変化したことになる。その素材の改良の過程を下記のモデル(3)に示す。


            モデル(3

さらに素材の改良によって、より使いやすいかたちに道具の改良が可能になる。プラスチックの容器はこれまでのガラスでは考えられなかった用途や道具形態を可能しその用途方法を拡大することになる。つまり、道具の外的様式が変化すると言える。この過程を下記のモデル(4)で表現した。

           モデル(4

しかし、この変化を形成している過程は、外的様式が外的素材によって可能かどうかを検討するためのフィードバックが存在している。素材の改良によって最も使いやすい様式が試行錯誤しながら開発される。その過程を下記のモデル(5)で示す。
           モデル(5


今、外的生活様式(道具の形や機能)の改良によって、その道具をより良く使うスキルが開発される。つまり、道具の改良は新しいテクニックやスキルを可能にする。これは今までのスキルを変えることになる、つまりスキルに含まれる伝統的な技能が破棄もしくは改善される。そのことは行為の共時態構造の変化として理解される。その過程を以下のモデル(6)式に示す。


           モデル(6)

道具の形態が少し変わることで、今までと違った使いこなし方を身に付けなければならない。つまり、この過程も、最も使いやすいように道具の改良を加える場合があり、(6)式で示した変化は、伝統的スキルとその改良の試行錯誤によって進む。その試行錯誤をモデル(7)に示すフィードバックとして表現する。
       モデル(7)


例えば、どの技能もその使い方のマニュアルが存在する場合には、その方法に従って身体運動を訓練しなければならない。技能を身につけるとは伝統的に決定された身体運動を身に付けることであり、そのための身体的訓練、つまり筋肉や神経系の反射、脳神経細胞のシナップス結合を構築することである。スキルとは身体や精神状態を形成することを意味する。生活資源論ではその過程を内的素材の変化として表現してきた。スキル習得過程をモデル(8)に示す。

         モデル(8)

外的生活資源(道具の構造や素材)の変換が内的生活資源(身体やその運動機能)を変化させる。しかし、このスキル形成過程も使い方の方法に関する教育と身体運動の訓練を前提に成立している。技能と呼ばれる合理的な身体運動の形成過程は、同時に他方で、道具の改善や機能の修正を加えることになる。そこにもスキル(身体運動)の改善はそれを可能にする身体的条件を付けながら形成される。スキルとはそれを可能にする身体的変化を伴って可能になる。その過程をモデル(9)に示す。

          モデル(9)


モデル()に示した生活資源の改良とは生活資源を構成する四つの要素の変化によって生じる生活資資源の構造変化であり、その過程はそれぞれの4つの要素の変化の意味する過程とそれに付随するフィードバック構造によって可能になる。それらの過程をモデル()からモデル(9)によって表現した。
つまり、モデル(2)はそれを構成するモデル3からモデル9までの過程を前提にして成立している。言い換えると、生活資源の改良とは、生活資源の内的様式であるスキルの改善、その外的様式である道具や機器の使用マニュアルの改良、そして生活資源の外的素材である道具や機器の材質の改良はその内的素材である身体的行為を生み出す心身状態のレベルアップが同時に進行する過程である。
生活環境の改善とは生活主体の改善は、それらの構成要素の質的また量的変化が相互関連しながら起こる。その結果、モデル(1)で示した生活資源のプログラム構造が変化(改良)することで過程は、それらの四つの基本要素構造の共時性構造が変換する過程であると解釈できる。以上が生活資源の四つの基本要素から形成されたマトリックスモデルを前提にして、生活資源の改良過程(道具の改良やスキル改善)の解釈である。


-3、総合科学としての生活資源論から解釈できる技術・技能史(例題1)

生活資源論から、技術史を社会・生活資源の発展過程として理解することができる。技術の歴史を道具や機器の発展の歴史として理解するなら、技術史を生活資源の中の外的生活素材(道具や機器の材料)の歴史的発展過程として解釈したことになる。この技術史に対して文化人類学的な視点から技能の歴史として技術の歴史を観ることが可能になる。それらの学問は完全に成立をしている訳ではないが、技能スキルの歴史、つまり技術を生活資源の外的生活様式(伝統の技、技を伝える職人の社会制度)の歴史として解釈することを許すだろう。また、こう考えると、技術史は道具と技能の二つの側面で語ることのできる文化人類学史であると言える。
例えば石器から鉄器への技術革新について語ると、それは素材の変化によって導かれら技術革新であると言えるだろうが、それだけではない。石器時代の細石刃が現代のナイフに改良される過程では、素材は黒曜石や鹿の角から鉄や木、プラスチックへと変化している。素材の改良は、鋳造、鉱業、化学工業という分野の発展によって飛躍的に展開した。素材の変化は、その素材の抽出技術やその加工技術の変化につながる、つまり、細石刃を作る素材である黒曜石や鹿野角などを選び、それらの素材を加工しながら細石刃を作るのである。加工過程は、生産(生活)様式である。ナイフを作ることも、鉄鉱石や砂鉄から鉄を作る素材作成の段階から、その素材を加工し、ナイフの形に仕上げていく工程までの段階がある。それぞれの段階に、その段階を完了する生産(生活)様式がある。
同様に、内的生活素材のプログラムの要素が課題となる。つまり、石器の加工では、人間の肉体が直接的に素材を加工する道具であり、また、その加工技能を支えている知識や判断も、人間の感覚を直接的に活用する方法によって可能であった。しかし、鉄を素材にする場合には、その加工技能は、人間の肉体的限界を超える温度を対象とするために、そのための加工機器や道具に頼ることになるため、それらの道具を使う技能をも含むのである。加工する身体は直接的に、道具を加工するのではなく、道具を操作するための身体になり、その機器を制御する技能が、さらに要求されるのである。
このように、生活資源論から、生活道具の改良過程を見ると、その課題は、文化人類学的な記号論から工学的な技術論、そして科学史的な技能の社会的文化的要因の分析から、解剖学や生理学、認知科学的な行為の分析にまで広がりを持って表現しなければならないことに気付くのである。これまで、工学的な視点に不足した文化や精神構造的な要因、また逆に、文化人類学や社会学に不足した素材の物性的な理解を、総合する解釈を要求されるのである。
図表4、生活道具の改良過程とスキル形成過程の分析課題
生活資源
生活素材の要素分析
生活様式の要素分析
外的要素
外的生活素材のプログラムの要素
生活道具の素材の物理的、化学的組成の分析や形態的な特徴の分析を行う
外的生活様式のプログラムの要素
生活道具を生産する過程の技術や技能の文化的社会的な要素の分析を行う。
内的要素
内的生活素材のプログラムの要素
生活道具を生産すための身体運動や知覚運動を支える心身構造の解剖学的、生理的な要素を分析する。
内的生活様式のプログラムの要素
生活道具を生産するための技能を支える認知的な要素、知識的な要素を分析する。


3、生活資源論からの導かれる設計科学の課題


-1、生活資源のプログラム改革としての政策学(総合科学としての政策学の成立条件)

政策提案とは社会や生活資源の現実の状況に合った改革を意味する。例えば法律や制度の改革とは、生活資源の外的様式を変革することである。生活資源論を前提にするなら、法律や制度改革は同時に生活主体の社会的モラルや意識の変革を伴う必要があることが理解できる。そして生活資源の外的様式(法律)や内的様式(社会的価値観やモラル等々の意識)を生み出す生活資源の外的素材(制度を現実化させる社会インフラ)と内的素材(社会的価値観やモラル等々が具現化された個人生活の生活スタイルを生み出す身体や精神的土台)として形成されることで、政策提案は現実の社会で機能することになる。言い換えると、一つの社会や政治改革の課題を取り上げるために提案される政策(法案や制度改革案)と同時にそれらの政策提案を実現可能とする社会インフラや生活スタイルの変革の課題を提案しなければならないだろう。これが生活資源論からの政策提案の在り方への指摘となる。


-2、生活資源史観から展望できる政策学の課題(発生論社会政策学の成立条件)

生活資源には生活主体の生存条件によって大きく三つに分類できる。一つは個体生命や家族・種族の維持に必要な生活資源、例えば最低限生きていくために必要な食糧は水、衣類、住環境、生活道具等々の生活資源の形態である。それをここでは一次生活資源と呼ぶことにした。二つ目は、豊かな社会生活環境を形成維持するために必要な生活資源である。例えば豊かな食糧生産と食糧蓄積に必要な技術や制度、豊かな住環境や公共施設、豊かな衣服文化、教育、医療や福祉制度、市場経済や流通の発達等々である。それをここでは二次生活資源と呼んだ。三つ目は、人間の個人的欲望を満たすための生活資源、例えば娯楽、享楽、快楽を満足させるもので、それらはある場合には社会的道徳に反するものも含まれる。それらの人間の個人的欲望を満たすすべてのものをここでは三次生活資源と呼ぶことにした。
生活資源史観から道具や技術の歴史を解釈すると、それらの歴史は生活素材の発展過程と生活様式の発展過程として理解される。その発展過程を生活資源史観では、一次生活資源、二次生活資源と三次生活資源の量的存在形態として表現できるのである。図表6にそれらの分類と関係を示す。
図表6、道具史、経済史からみる生活資源史
時代
道具史
生活素材史
生活様式史
生活資源
経済活動
原始時代
旧石器時代
自然素材で道具
石器
非加工的自然素材

ことばの誕生

一次生活資源を中心とした生活
移動型狩猟
新石器時代

自然素材を加工した道具、石器、土器
加工的自然素材
石研磨、木材加工
文法の誕生
家族
一次生活資源を中心とした生活
定住型狩猟
古代
中世
近代
自然素材を加工した道具
器具、機器
加工的自然素材
巨石加工
金属加工

文字の誕生
分業の発展
国家の形成

一次生活資源を中心とした生活から二次生活資源を中心とした生活へ移行期
農業
商業
農業生産物加工
現代
動力機械合成素材情報処理機器、通信機器
化学合成素材

メディアの誕生
電子計算機の誕生
衛星通信の誕生
三次生活資源が発生し始める
工業生産
国際経済体制
情報化社会

これらの生活資源の三つの形態は、人類の歴史が始まってから同時に存在し、それらの占める割合が歴史的に変化してきたと解釈したのが生活資源史観である。この歴史的な生活資源の解釈から、災害時、その復旧過程で必要な生活資源や生活情報の在り方が予測でき、その予測を災害時の危機管理に応用することが可能になった。
また、この理論から先進国、経済発展途上国や経済貧困状態の国々の生活資源の在り方が発生論的に理解できる。そして、その解釈を開発社会学へ応用できる。つまり、それぞれの国々の社会経済発展に必要な社会経済政策の課題が具体的に理解される。それらの固有の社会や生活資源状態を改善改良していくための課題はその国々の生活者の自立的な生活活動(社会経済活動)によって可能となる。そのために、何が支援政策として必要かを調査し理解する視点をこの生活資源史観と生活視点論は示唆する。
さらに、すべての国々で日々取り組まれている社会改革、社会制度改革や民主化過程も一つの政策があるのでなく、それぞれの社会生活環境、つまり生活資源状態や生活者の現実から分析理解され、そして最も現実的な政策提案を検討することが、この生活資源史観の理解によって了解されると思う。つまり、生活資源論を発生論的に理解することで、政策の時代、社会文化有効性を前提にした政策学が問われることになるのである。


-3、設計科学としての問題解決学の可能性

生活資源の4つの要素からなる構造を発生論的解釈を入れて理解すると、図表7に示すように生活素材と生活様式はそれぞれの外的及び外的要素ごとに三つの形態で分類できる。
図表7、生活資源の発生的構造とその定義
生活資源
生活素材
生活様式
内的要素
外的要素
内的要素
外的要素
一次生活資源
内的一次生活素材
外的一次生活素材
内的一次生活様式
外的一次生活様式
二次生活資源
内的二次生活素材
外的二次生活素材
内的二次生活様式
外的二次生活様式
三次生活資源
内的三次生活素材
外的三次生活素材
内的三次生活様式
外的三次生活様式
この分類を基にして、現在ある学問研究の課題に関する提案を行うことが可能になる。例えば、生活学であるが、生活資源を課題にする学問として理解するなら、生活学の課題は図表8に示すようになる。この生活資源の総合科学的視点からの展開を許すのが設計科学的立場である。何故なら、生活環境と生活者の改善を課題にした生活科学ではその問題解決が最優先課題であり、他の学問分野分類への領土侵犯を問題にはしていない。専門性とは問題解決の一つの手口であり、問題解決に必要なすべての手口を準備することが研究者の姿勢に問われている。
今和次郎の生活学思想の原点に戻り、生活学を問題解決の科学として位置付けるなら生活学は設計科学として展開することになる。以下、図表8に設計科学としての生活学の課題を示した。

図表8、生活学の設計科学的構成の例
生活資源
生活素材・様式

内的要素

外的要素
研究分野名
一次生活資源
最低限必要な精神環境やこころの生活習慣病、生活病理的現象の分析
精神分析学発達心理学親子関係論児童心理学精神生活病理学、生活言語学
生活に必要な衣食住と健康に関する分析、現在の生活科学の領域に渉る分野
食物学栄養学被服学住生活学、家庭医学、人間生態学、生活習慣病理学
二次生活資源
社会的により豊かな精神生活をおくるための社会倫理、教育や教養などに関する要素の分析
育児論家庭環境論性生活論女性学人間関係論地域社会論

便利な生活用品や健康的な生活を維持する生活環境、衣食住、医療、地域社会、生態環境、生活設計、家族計画、生活経営などに関する分析
現在、生活学の中心を担う学問分野
生活環境生態論、服装デザイン、住居デザイン、食文化論、被服文化論、住居生活文化論組織論家族計画論家庭機器論生活情報処理論、家庭経営論、リサイクル論、消費者論国際生活文化論、科学技術文明論
三次生活資源
自己の欲望を充たすための異常な生活行動の分析とその治療と社会的に認められた自己実現の方法や技術に関する分析
宗教学哲学生活思想生活倫理

生涯学習センター、生き甲斐や趣味のサークル、ボランティア、レジャーランド、映画館、テレクラ等、遊び、趣味などを充たす社会的な文化的な制度に関する分析
最近の生活学の中で注目されている分野
レジャー論、生涯教育論、ボランティア論、遊びの文化論、遊びの社会経済学、余暇生活論



問題解決を前提とした学問を政策学と呼ぶ。その意味で生活学は生活環境と生活主体の問題解決学であり、生活政策学であるともいえるだろう。農学、工学、医学等々の現代の学問の主流は理論研究と応用研究の領域が交差している。それらの学問は開発や改良を前提にした問題解決学的な課題を持っている。その意味で自然科学的、社会科学的や人間科学的知識を問わず問題解決を前提にした科学や技術学を設計科学と呼ぶ。設計科学は総合的政策学であり、文理融合はその一つの手段を語るものである。
例えばいじめの問題を解決する学問があるとすれば、いじめを起こす生活環境と生活主体の分析から始まるだろう。それらの課題は図表7に示した生活資源の要素分析に至り、そして、その問題解決を行っている生活学と教育学の学問分野とその境界領域分野から問題解決のための理論、方法論や実証的研究成果等々を援用することになる。いじめ対策の設計科学的な提案を図表9に示す。

図表9、こころの生活病理やいじめ対策への問題解決学の課題
生活資源
生活素材・様式

内的要素
研究分野の例
外的要素
研究分野の例
一次生活資源
精神環境やこころの生活習慣病、生活病理的現象の分析
精神分析学発達心理学
精神的な健康を維持する生活環境の課題
医学生活習慣病理学
二次生活資源
社会的により豊かな教育活動、学習生活をおくるためのライフスタイルの課題
育児教育家庭教育人間関係論、教育哲学、教育心理学
健全な教育文化、学習環境を維持するための生活、教育、文化環境に関する課題
教育制度、教育方法、教育文化論、教育社会学、教育政策学、
三次生活資源
自己実現の方法や技術に関する分析
生活思想生活倫理

有意義に余暇生活を送るための教育環境に関する課題
ボランティア教育論
余暇論、遊びの文化論、レジャー学


4、自己組織性の設計科学としての政策学の可能性


-1、外的生活様式のプログラムの進化としての政策提案

現在、一般に言われる政策提案とは主に法案や制度提案を意味する。そのことは生活資源論的に解釈するなら、社会・生活資源の外的生活様式の中の社会、政治や経済に関する様式の改革提案を意味する。つまり、図表3から政策提案は外的生活様式のプログラム Fxを変革する政策P(,c)が機能したと解釈することができる。
但し、この政策Pを規定している時代・()と社会文化・()とする。つまり、時代性や社会文化性を前提にしない政策行為はない。ここで社会文化環境で行われえる政策提案P(t,c)によって社会・生活資源の変化(改良)が起こると考えると、その過程はモデル()から、以下のように示すことができる。

         モデル(10)

しかし、すでにモデル(3)からモデル(9)で示したように、法案や制度提案による政策提案によって生じる社会・生活資源の変化とは、単に外的生活様式のプログラム Fxのみが変化を受けるというこではない。それらは生活資源を構成するすべてのプログラム構造が変化することによって、モデル(10)で示した社会生活資源の変革が起こるのである。
そのためには今まで議論してきたように、総合科学としての政策学が問われるのである。政策提案を法案や制度提案のみでなく、社会生活資源の改革や改良を行う作業として理解しておかなければならない。


-2、フィードバック構造をもつ政策提案

また、政策とは時代性や社会文化性を前提にした具体的な改革提案である。具体的ということは、法案や制度提案と呼ばれる政策は変革の目的を満たすための指示情報によって構築されたものである。指示する方向を持つ一つのベクトル的なプログラムであるとも言える。
言い換えると、政策はその時代的有効性を発揮するために、変革を目的としたプログラムの指向性とよばれる一方方向への社会・生活資源の質的変化を期待(目的と)している。その意味で、一般に効力のある政策はある時代と社会状況を変革しなければならない方向に進める力になる。しかし、同時にそのことは、政策の行き過ぎを生じることが前提にしている。
これまでの法律はすべてその法律が目指す社会機能の成立と維持によって、それが強烈な指示情報によって作られている限りに於いて、その政策実行が引き起こすマイナス面が生じることは避けられないのである。言わば、指示とは行為を一つの方向に向けようとしているもので、その反対の方向を同時に行為を指示することはできない。もしまったく異なる二つの方向に同時に行為を行うことを命じるなら、その指示性の有効さは失われることになる。
そこで、その法案の有効性を維持するために適格で厳密な法案が検討されると同時に、そのために生じるマイナス面を他の法案を別途用意することで補足しておく必要が生じる。そのためには、設計科学的立場の政策学が必要となり俯瞰的に政策運動を理解する視点を確立しておかなければならないのである。


-3、多様なステークホルダーの参画する政策提案

日本をはじめ先進国での政策決定という行為に市民が参画していくことになる。それがさらに民主主義文化を発展させる。つまり、成熟した民主主義社会では政策決定過程が最も大切な社会機能を意味することになる。
何故なら、成熟した市民社会とは、これまで語られた階級社会と言う利害を常に同じくする人々の集まりでなく、多様な利害を持った人々の集まりを意味する。ある一面で利害を異にする人々が他の一面で共同の利害をもつ、それが市民社会の姿である。そのことはすでに、「生産する人であり、消費する人である」やまた「雇用される人であり、雇用する人でもある」として表現してきた。20世紀の工業国社会から21世紀の脱工業国社会への変化は、そのまま階級的社会から脱階級社会への変化として理解できるのである。
これからの社会では、多様な利害関係にある人々、多様な伝統や文化を背景にしている人々、多様な経済社会条件を持つ人々によって、「法の上の平等と自由」を確保しあう社会契約が要求される。それらの人々が共存するためには、社会への積極的な参画の機会を平等に確保しなければならない。市場原理で社会が動く以上、必然的に生じる経済的格差と呼ばれる不平等に対して、その社会的弊害を是正していく税制や社会福祉制度が必要となる。
つまり、多様な社会的立場や利害関係を持つ人々が社会全体の安定性を確保することの意味を共通認識しておくことが求められる。そのために、成熟した市民社会の構成員たちは社会を構成しているすべての多様な人々の利害を調整するための俯瞰的視点を社会意識として養うことが要求されるだろう。その意味で、設計科学的立場にたった社会思想と社会行為が求められるのである。


「この原文(論文)で記述したモデル(1)からモデル(10)のマトリクスモデル表現が今回、ブログでは記述することが出来ませんでした。次の機会までに、論文の原文通りに発表します。」



参考文献

吉田民人「A.G.I.L修正理論--T.パースンズ教授への提言-1-『関西大学文学論集』関西大学文学会11(6), pp.14-55 (ISSN=04214706)
吉田民人「生活空間の構造・機能分析」作田啓一編『人間形成の社会学』有斐閣、1964年 pp.137-196
Hiroyuki MITUSISHI DECONSTRUCTION ET RECONSTRUCTION DE LA METAPSYCHOLOGIE FREUDIENNE-ESSAI D'EPISTEMOLOGIE SYSTEMIQUE-ANRTF France584p 1993.10
三石博行「生活構造論から考察される生活情報と生活情報史観の概念について」 情報文化学会論文誌 Vol6,No1pp.57-63m」1999
三石博行「社会システム論的生活構造論学説史批判と現代生活情報論の科学性批判」 in 『社会・経済システム学会 1998年 第17回大会』、京都精華大学、1998.10
三石博行「設計科学としての生活学の構築⁻人工物プログラム科学としての生活学の構図に向けて-」 金蘭短期大学研究誌 200212pp.21-60
三石博行「ポスト現象学としての人工物科学論は可能か⁻生活世界のプログラム構造論から⁻」2003年度現象学社会科学会発表資料、8p
三石博行「人工物プログラム論から解釈できる生活学の構成」 生活学会報、2004.10pp.63-66
三石博行「人間社科学基礎論としての人工物プログラム(設計)科学論」2004年度現象学社会科学会基調講演配布資料、23p
三石博行「現代社会の問題解決学としての生活学とは何か」、2005年度生活学会基調講演配布資料、17p
三石博行「生活資源のプログラム構造から解釈されるスキル形成過程について⁻技能改良という生活行為の分析から⁻」 20059月スキルの科学研究会発表資料 国立高等研究所